「03月忌」カテゴリーアーカイブ

芝田進午

芝田進午

しばた・しんご 19300326生20010314没 享年70 哲学者。反核文化論を提唱。広島大学教授(1976~93年)。担当する平和科目での講義(2コマ)を依頼される。

 

星野力

星野力

ほしの・つとむ 19061202生
19940311没
87歳
1929年京都帝国大学文学科卒業。西日本新聞編集局次長、日本共産党福岡県委員長、赤旗編集局長代理、1971年の第9回参議院議員通常選挙で全国区から出馬し初当選。

『わが戦後行動 いま原水爆禁止は』(吉田嘉清、1980/08/15)

『わが戦後行動 いま原水爆禁止は』(吉田嘉清、新興出版社1980/08/15)〈作業中

原水爆禁止運動に生きる
行動、そして転機を-体験的平和運動序論 11
 1 運動の原点にたって 42
2 運動は後もどりできない 46
3 統一の成果は前進する 51
4 核兵器と軍備では平和と安全は守れない 64
5 核兵器廃絶の世論を軍縮特別総会に 87
6 運動は歴史をつくりだす 93
7 原水爆禁止運動の今日的課題 100
8 統一-目的達成のために 118
9 合いことばは「核兵器廃絶」と「統一」 126
10 国際共同行動の課題
11 ひろがるヒロシマのよびかけ 137
12 国連本部にひびく「ノーモア・ヒロシマ」 145
13 原水爆禁止運動アメリカへ渡る 153
ベトナム・インドシナ人民を支援する
1 ノー・ニクソン、ベトナムは勝利する 161
2 インドシナ人民支援 167
-自由と平和の国際統一行動
3 ベトナムの大義は全人類の大義である 174
4 歴史をつくるベトナムのたたかい 182
5 ベトナムの勝利、わたしたちの勝利 191
たたかいの中の青春
1 “学の独立”都の西北にひびく 201
2 “青春に悔いなし”反レッド・パージ闘争 222
座談会:原水爆禁止運動と吉田君
中野好夫
古在由重
草野信男
吉田嘉清
資料篇
原水爆禁止運動 257
ベトナム支援運動 294
関係略年表 300
あとがき

 

吉田嘉清

吉田嘉清〈作業中

よしだ・よしきよ 1926生
20180321没
享年92 平和運動家。元原水爆禁止日本協議会代表理事。

著書

書名 発行所 発行年月日 メモ
わが戦後行動 いま原水爆禁止は 新興出版社 19800815

李実根

李実根<作業中

リシルグン 20200325没 享年90

略年表

年月日
19750803 「広島県朝鮮人被爆者協議会」結成大会(会場:広島市社会福祉センター)。代表:李実根。
19760720 原水禁国民会議の被爆31周年原水禁世界大会に「広島県朝鮮人被爆者協議会」(李実根代表委員)の参加が決まる。
19760802 李実根・広島県朝鮮人被爆者協議会代表委員ら、広島県と広島市に「三木首相に平和式典出席後、外国人被爆者の声も聞いてほしい」と要望。
198907 李実根・広島県朝鮮人被爆者協議会会長、北朝鮮を訪れ被爆者の存在を確認したと証言。
20200327 天風録:李さんのプライド(『中国新聞』)
20210326 吉川徹忍「李実根さんのあゆみ 追悼:1周忌を迎えて」(『非核の政府を求める広島の会ニュース』第124号)
20220510hikaku124b1

土居和江

土居和江

どい・かずえ 1946   生 20220309没 享年75 「静岡平和資料センター」(静岡市葵区)事務局長。

文献

書名 著者 発行所・発行年月日
明日までつづく物語 ぼくたちの町の戦争 小屋正文・小林大治郎・土居和江 平和文化 19920701
原爆投下訓練と島田空襲―聞かせてください一九四五年七月二六日のことを 土居和江・小屋正文・小林大治郎 静岡新聞社19950805

関連情報

静岡平和資料センター
 静岡平和資料センター (shizuoka-heiwa.jp)
中日新聞
戦火の記録を次世代に 静岡平和資料センター事務局長・土居さん死去:中日新聞しずおかWeb (chunichi.co.jp)
岡山県生まれ。夫の転勤で藤枝市に住み、現在の島田樟誠高校(島田市)で二〇〇七年まで約二十年、日本史を教えた。***13年からは事務局長としてセンターの中心を担ってきた。
あなたの静岡新聞
反戦“次代の静岡”に伝え 「平和資料館をつくる会」事務局長、土居和江さん死去|あなたの静岡新聞 (at-s.com)
ロシアによるウクライナ侵攻を受け、反戦の取り組みとして国内での戦禍の伝承活動が改めて注目される中、静岡から意欲的に発信をしようとしていた矢先での突然の死去***会は土居さん死去の翌10日付で、ロシアへの抗議の声明をホームページに掲載した。
空襲・戦災を記録する会全国連絡会議・第50回大会(オンライン開催)
2020年8月30日
全国各地・個人の報告
土居和江(静岡):静岡平和資料館をつくる会 この一年間の活動報告
第24回FNSドキュメンタリー大賞 – フジテレビ (fujitv.co.jp)
『つなぎ手~週3日の平和資料館~』(制作:テレビ静岡)<2015年8月26日(水)26時50分~27時45分>
静岡県島田市埋蔵文化財報告 第49集 第二海軍技術廠牛尾実験所跡遺跡 ―大井川牛尾地区河道拡幅工事に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書― 2015 島田市教育委員会
joshou.pdf (city.shimada.shizuoka.jp)
<参考文献>
小屋正文・小林大治郎・土居和江「第二章 海軍技術研究所島田実験所-殺人光線兵器の開発」 『明日までつづく物語』平和文化199

 

伊東壮

 

いとう・たけし 1929生

20000303没

享年70 日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)代表委員、元山梨大学学長。広島市生まれ。広島一中3年の時、動員先の兵器工場で被爆。東京・国立被爆者の会の結成に参画、東京都原爆被害者団体協議会事務局長、日本被団協事務局長などを歴任。江種則貴「評伝」(『中国新聞』2000.3.6)、本田雅和「惜別」(『朝日新聞』2000.4.12)

資料

資料名 著者・作成者・発行者など 備考
ふみあと(退官記念随想集) 伊東壮(1981刊)
伊東壮さんを偲ぶつどい 東友会編 20000514、日本青年館中ホール

 

 

原民喜年譜

 

原民喜略年譜

年齢 事項
1905 広島市幟町一六二番地に生まれる。
1923(大正12) 18 広島高師付属中学4年を終了。
1924(大正13) 19 慶応義塾大学文学部予科入学。
1929(昭和 4) 24 慶応義塾大学文学部英文科に進む。1932年卒業。
1933(昭和 8) 28 永井貞恵と結婚。
1942(昭和17) 37 千葉県立船橋中学校に英語教師として週3回通勤。
1944年退職。
1945 40 1月末千葉の家をたたみ、郷里広島市幟町、兄信嗣の許に疎開。
8月6日同町にて被爆、東練兵場に2日をすごした後、
次兄守夫と共に広島市郊外八幡村に移る。
以後原爆症とはいえぬが、健康はすぐれないときが多くなった。
被爆の悲惨な体験は2年後「夏の花」として結晶。
1946 41  上京。慶応義塾大学夜間中学に教鞭をとる。
10月より「三田文学」の編集にたずさわる。
1947 42  「夏の花」の世評高し。12月夜間中学を退職。
作品:「夏の花」、「廃墟から」、「氷花」
1948 43 「近代文学」の同人となる。
12月「夏の花」に第1回水上滝太郎賞を受く。
1949 44  作品:『夏の花』、『鎮魂歌』、『長崎の鐘』。
1950 45  4月、日本ペンクラブ広島の会主催の平和講演会参加のため帰郷。
作品:『美しき死の岸に』、『原爆小景』。
1951 46 3月13日、吉祥寺西荻窪間の鉄路に身を横たえ自らの生命をたつ。
作品『碑銘』。
出典:『原民喜詩碑再建記念』(原民喜詩碑移転修復実行委員会、1968年3月1日)

 

 

 

原民喜詩碑

原民喜詩碑 除幕:1967年7月29日 場所:広島市大手町1丁目碑設計 谷口吉郎

1951年7月13日、広島城跡に建設されたが、毀損のため、現在地に再建。

HIC019A
碑銘正面
原民喜
遠き日の石に刻み
砂に影おち
崩れ墜つ 天地のまなか
一輪の花の幻
裏面
原民喜詩碑の記
原民喜は人がら清純沈鬱に流俗と遇ひ難い詩人であった。一九五一年三月一二日夜、東京都西郊の鉄路に枕して濁世を去った。蓋しその生の孤独と敗戦の國の塵勞とは彼の如き霊の能く忍ぶところでは無かった。遺書十七通、先づ年来の友情を喜びさてさりげ無く永別を告げんと記し、うち二通の文尾に書き添へた短詩「碑銘」は思を最後の一瞬に馳せて亡妻への故郷壊滅の日を記した力作「夏の花」に寄する矜持と又啼泣とを「一輪の花の幻」の一句に秘めて四十六年の短生涯を自ら慰め弔ふもの、辞は簡に沈痛の情は深い。遺友等ために相謀り地を故郷に相し銘記せしめて之を永く天地の間に留めた。
一九五一年七月十三日夜
遺友中の老人 佐藤春夫記す
撮影日:2017年8月6日09:36  撮影者:宇吹
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