岩佐幹三
| いわさ・みきそう | 1929******生20200907没 | 享年91歳 | 修道中学在学中、被爆。1953年金沢大学教官となり同大名誉教授。1960年「石川県原爆被災者友の会」を設立。日本被団協事務局次長(2000年)・同会代表委員(2011年)<資料年表:岩佐幹三> |
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ヒロシマの歴史を残された言葉や資料をもとにたどるサイトです。
岩佐幹三
| いわさ・みきそう | 1929******生20200907没 | 享年91歳 | 修道中学在学中、被爆。1953年金沢大学教官となり同大名誉教授。1960年「石川県原爆被災者友の会」を設立。日本被団協事務局次長(2000年)・同会代表委員(2011年)<資料年表:岩佐幹三> |
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資料年表:堀田善衛<作業中>
| 年月日 | 事項 | 備考 |
| 1918 | ||
| 0717 | 誕生 | |
| 1951 | ||
| 0801 | 『人間 6巻8号』(目黒書店) | |
| 廣場の孤獨 堀田善衛 71 | ||
| 1953 | ||
| 0630 | 『日本詩人全集 第11巻 戦後百人集 創元文庫』(村野四郎 編、創元社) | |
| 堀田善衛 現代史 61 | ||
| 1954 | ||
| 0601 | 『婦人公論 6月号第446号』(中央公論社) | |
| 連載第6回 マリー・アントアネット 堀田善衛 238 | ||
| 1957 | ||
| 1112 | 『岩波講座現代思想第11巻 現代日本の思想』(岩波雄二郎編、岩波書店) | |
| Ⅴ 知識人の問題 日本の知誠人 堀田善衛 157 |
||
| 1219 | 『インドで考えたこと 岩波新書』(岩波書店) | U |
| 1958 | ||
| 0220 | 『講座現代倫理 第2巻 悪について』(筑摩書房) | |
| 暴力 堀田善衛 160 | ||
| 1998 | ||
| 0905 | 没 | |
| 2010 | ||
| 1220 | 『広島県現代文学事典』(勉誠出版、山根繁樹・記) | |
| 「堀田善衛」(山根繁樹・記) | ||
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| ほった・よしえ | 19180717生19980905没 | 享年80歳 | 小説家。19180717 |
資料年表:サイド・オマール<作業中>
| 年月日 | 事項 | メモ |
| 1926 | ||
| 0728 | 誕生 | |
| 1943 | ||
| *** | 南方特別留学生として来日。当時17歳。 | |
| 1944 | ||
| *** | 広島高師文科興南部に入学。 | |
| 1945 | ||
| 0806 | 興南寮で原爆被爆。 | |
| 0830 | 帰国のため上京途次に京都で発病、京大附属病院入院。 | |
| 0903 | 午後11時57分、死亡。出典:『生死の火』 | |
| 1957 | ||
| 0817 | S・M・アルサゴフ(シンガポールに住む哲学者)から広島市に依頼の手紙。弟のサイド・オマールの死亡証明書が欲しい。 | C |
| 1964 | ||
| 0516 | サイド・モフシン・アルサゴル(オマールの兄)らマレーシア人留学生2人の遺族、広島市を訪問。 | C |
| 1974 | ||
| 0903 | オマールの「墓を守る会」(園部健吉代表世話人)発足。円光寺(京都市)での法要に飯島宗一広島大学長らが参列。 | C |
| 1975 | ||
| 0806 | 『生死の火 広島大学原爆被災誌』(広島大学原爆死歿者慰霊行事委員会) | |
| 4 留学生 339 | ||
| サイド・オマール・ビン・モハメッド・アルサゴル | ||
| 1980 | ||
| 1031 | 『被爆南方特別留学生オマール少年の墓(思い出の記 第3集)』(園部健吉著、圓光寺) | |
| 1982 | ||
| 0515 | 『天の羊 被爆死した南方特別留学生』(中山士朗著、三交社) | |
| 1991 | ||
| 0525 | 『日本の原爆記録13 煉瓦の壁 長崎捕虜収容所と原爆のドキュメント、天の羊 被爆死した南方特別留学生』(家永三郎・小田切秀雄・黒古一夫、日本図書センター) | |
| 1993 | ||
| 0420 | 修学院小学校6年生(京都市)、マレーシアの南方特別留学生オマールの足跡をたどり平和学習。 | C |
| 0905 | アザー・アジズ(南方特別留学生オマールの妹)広島訪問。留学生寮「興南寮」跡などを巡る。 | C |
| 1994 | ||
| 0210 | 『オマールさんを訪ねる旅 広島にいたマレーシアの王子様』(早川幸生編、かもがわ出版) | |
| 0419 | 修学院小学校(京都市)6年生166人、修学旅行で広島を訪問。 | C |
| 0822 | 土井たか子衆議院議長、訪問中のマレーシアで、アザー・アジズ(南方特別留学生オマールの妹)と対面。 | C |
| 1995 | ||
| 0806 | 『ヒロシマ五十年 或る少年兵の回想』(小笠邦久著、蝸牛社) | |
| 5章 回想 254 オマール忌 305 | ||
| 0815 | 『京都・左京の十五年戦争 戦時下を生きた人々』(平和と民主主義をすすめる左京懇談会編、かもがわ出版) | |
| 被爆南方特別留学生サイド・オマール 早川幸生 113 | ||
| 08- | 京都原水爆被災者懇談会(世話人代表=永原誠・京都橘女子大教授)、オマールをいのぶ反核ビデオ「オマールさんをしってますか?」を製作。永原の父は留学生の「興南寮」の寮監で被爆死。 | C |
| 1996 | ||
| 0810 | 『アジア戦時留学生 「トージョー」が招いた若者たちの半世紀』(藤原聡・篠原啓一・西出勇志著、共同通信社) | |
| 南方特別留学生名簿 289 | ||
| 2002 | ||
| 0211 | 『東南アジアの弟たち 素顔の南方特別留学生 改訂版』(上遠野寛子著、暁印書館) | |
| 2003 | ||
| 0505 | 『京都修学旅行ハンドブック 学び・調べ・考えよう』(京都平和・国際教育研究会編、平和文化) | |
| 第5章 洛北を歩こう 53 4 一乗寺・修学院周辺一詩仙堂 59 圓光寺 59 コラム「被爆南方特別留学生サイド・オマール」62 |
||
| 2011 | ||
| 0822 | 『共に生きる ブルネイ前首相ペンギラン・ユスフと「ヒロシマ」 = Asia living together』(橋本明著、財界研究所) | |
| 第6章 父に会いたくて故郷へ サイド・オマールの死 144 |
||
| 2014 | ||
| 1030 | サイド・オマールの墓が校区にある修学院小学校6年生(京都市)94人、修学旅行で広島市を訪問、興南寮跡(オマールの被爆の地)で平和集会。 | C |
| 2015 | ||
| 0301 | 『ヒロシマが泣いているフクシマが泣いている ドキュメンタリー映画『ブラックラストワン』拾遺』(古田博一著、あいり出版) | |
| ヒロシマが泣いている 001 1.オマール氏との出会い 002 玉音放送現代語訳/『広島は泣いている』 2.被爆直後の広島とオマール氏慰霊 018 ◇インタビュー:平塚哲夫先生 3.オマール氏の治療 020 ◇インタビュー:濱島義博先生 4.京都原爆被爆者の会の活動 オマール君の墓 022 一 端源山圓光寺に/ 二 広島から京都へ/ 三 園部兄弟の熱意と多くの協力者/ 四 看護の老婆とともに…/五 京都府原爆慰霊碑に合祀/ ◇インタビュー‥平塚哲夫先生 間奏資料 ヒロシマ・ナガサキ以後今日まで 054 |
||
| 0416 | 「[特集]南方特別留学生 来日75年」<原爆投下時、広島にいた南方特別留学生>(『中国新聞』20180416、山本裕司) | |
| 1113 | 南方特別留学生故 オマールの慰霊(園部敏江)や語りつぐ活動(新見博三)をしている2人に広島大学・学長特別表彰。 | C |
| 2018 | ||
| 0301 | 『史学研究 第299号』(広島史学研究会) | |
| 平野裕次「被爆した南方特別留学生と戦後の日本社会 一九五〇年代半ばから一九六〇年代半ばまでの時期を中心として」 | ||
| 1109 | 「マレーシア出身オマールさん 被爆留学生しのぶ縁 墓のある京都の児童 中区でつどい」(『朝日新聞』宮崎園子記) | |
| 1224 | 「被爆死の南方特別留学生オマールさん 京都で広がる継承の輪」(『中国新聞』山本祐司・記) | C |
| 2019 | ||
| 0201 | 「『記者縦横』南方特別留学生 継承を」(『中国新聞』山本祐司・記) | |
| 0216 | 「被爆留学生のお話を聞く会」、被爆した南方特別留学生について学ぶ研修会を原爆資料館で開く。 | C |
| 0806 | 『オマール王子の旅 広島で原爆に遭った南方特別留学生』(古田博一 作、藤原飛鳥 絵、あいり出版) | |
| 0814 | 「帰国かなわなかったオマールさん 被爆死の留学生語りつぐ 京都・埋葬された寺周辺の住民ら」(『朝日新聞』宮崎園子記) | |
| 0902 | 「南方留学生のヒロシマ 苦悩にじむ手紙・はがき 交流あった栗原さん 資料館に寄贈」(山本祐司・記) | C |
| 2021 | ||
| 1208 | 『語り継ぐヒロシマ・ナガサキの心 下巻』(京都「被爆二世・三世の会」編、ウインかもがわ) | |
| ヒロシマ編 33 早川幸生…被爆南方特別留学生サイド・オマールさんを訪ねる旅 …391 |
||
資料年表:尾津訓三(おづ・くんぞう)
| 年月日 | 事項 | メモ |
| **** | ||
| **** | 誕生。 | |
| 1968 | ||
| 1025 | 『広鉄文化 No.15』(国鉄広島地方本部広鉄文化会議) | |
| 職場からの報告 告訴状前文 尾津訓三……24 | ||
| 1972 | ||
| 0325 | 『広鉄文化 No.23』(国鉄広島地方本部) | |
| 現行慰安会こう思う 尾津訓三……75 | ||
| 1981 | ||
| 0301 | 『ひろしま 4号』(日本民主主義文学同盟広島支部) | |
| 報告:人形劇賛歌-ある報告ー 尾津訓三 140 | ||
| 1983 | ||
| 0401 | 『文団連ニュース No.52』(広島県文化団体連絡会議) | |
| 碑前祭を皮切りに 峠三吉没後30年記念行事スタート ―300余名が詩碑の前で平和を誓う― 時移り俗易るとも 賛助会員 尾津訓三 |
||
| 1990 | ||
| 0331 | 『峠三吉資料目録』(広島市立中央図書館) | |
| 尾津訓三氏寄贈資料…200 | ||
| 1993 | ||
| 0331 | 『広島市公文書館紀要 第16号』(広島市公文書館) | |
| 尾津訓三「占領下における広島県内の文芸活動と検閲 」 45 | ||
| 1996 | ||
| 0331 | 『広島市公文書館紀要 第19号』(広島市公文書館) | |
| 〈研究ノート〉戦後復興と広島の演劇 尾津訓三 45 | ||
| 1998 | ||
| 0401 | 『鶴のいた町 尾津訓三作品集』(出版者:町博光) | |
| 1999 | ||
| 0902 | 没。享年65歳 | |
| 0408 | 『広島に文学館を 広島の心を21世紀に伝えよう!』(尾津訓三、池田正彦編、広島文学資料保全の会) | |
| 1102 | 『悼記 劇作家・尾津訓三さん だれよりも願った地域演劇の復興』(『中国新聞』田原直樹・記) | |
| 2008 | ||
| 1114 | 尾津訓三追悼「縄文まつり」アステールプラザ | |
| 02 | 1999 | おづ・くんぞう | 65 | 劇作家。広島で被爆。「追記 だれよりも願った地域演劇の復興」(『中国新聞19991102』田原直樹・記) |
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門秀一
資料年表:門秀一<作業中>
| 年月日 | 事項 | 備考 |
| 1915 | ||
| **** | 生 | |
| 1969 | ||
| 0806 | 『濱井信三追想録』(濱井信三追想録編集委員会) | |
| 門秀一「平和の灯と浜井氏」 447 | ||
| 1976 | ||
| **** | 中国文化賞受賞。 | |
| 1994 | ||
| 0902 | 没 | |
| 0920 | 『広大フォ-ラムNo.314』 | |
| 金田晋「門秀一先生を悼む」 | ||
| かど・しゅういち | 1915****生19940902没 | 享年79歳 | 核禁広島県民会議初代議長。広島大学名誉教授。西洋倫理哲学専攻。 |
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資料年表:林重男<作業中>
| 年月日 | ||
| 1918 | ||
| **** | 誕生 | |
| 1971 | ||
| 1208 | 『広島原爆戦災誌 第五巻 資料編』(広島市) | |
| 13、被爆広島の写真記録者たち 971 | ||
| 1981 | ||
| 0730 | 『写真集 原爆をみつめる-1945年広島・長崎』(飯島宗一・相原秀次編、岩波書店) | |
| 1983 | ||
| 0221 | 『原爆瓦は語りつづける 原爆犠牲ヒロシマの碑建設の記録』(「原爆犠牲ヒロシマの碑」建設委員会) | |
| 『ヒロシマの碑』に思う 林重男 32 | ||
| 1992 | ||
| 0619 | 『爆心地ヒロシマに入る カメラマンは何を見たか 岩波ジュニア新書208』(林重男著、岩波書店) | |
| 1994 | ||
| 0806 | 『ノー・モア・ヒロシマ 50年後の空洞と重さ』(小倉豊文著、風濤社) | |
| 付録 写真・地図・統計 153 1、被爆後の広島市全景 林重男撮影 154 |
||
| 2002 | ||
| 0901 | 死亡。 | |
| 2005 | ||
| 0715 | 『原爆と写真』(徳山喜雄著、御茶の水書房) | |
| 第二章 キノコ雲の下で起こったこと 53 林重男 「道楽」をせずに、忠実に記録 96 |
||
| 2006 | ||
| 0515 | 『疑惑のアングル 写真の嘘と真実、そして戦争』(新藤健一著、平凡社) | |
| 第三章 戦場とカメラマン 145 原爆を撮った男たち 150 /木村伊兵衛の抵抗-林重男/ |
||
| 2015 | ||
| 0806 | 『広島原爆写真集 決定版 = The collection of Hiroshima atomic bomb photographs』(小松健一、新藤健一編、「反核・写真運動」監修、勉誠出版) | |
| 対談「原爆を撮った男たち」の証言 松本栄一 林重男 (聞き手・小松健一)…224 |
||
| 1001 | 『被爆70周年 ヒロシマを見つめる三部作 第2部』(広島市現代美術館) | |
| 爆心地ヒロシマに入る 林重男…24 Entering the Hypocenter in Hiroshima…28 Shigeo Hayashi 図版、作家、作品解説 Plates, Notes, on Artists & Works 林重男 Shigeo Hyashi… |
||
| 2017 | ||
| 0310 | 『戦中・戦後の記録写真Ⅱ 林重男・菊池俊吉・別所弥八郎所蔵ネガの整理と考察』(井上祐子、山辺昌彦、大堀宙著、東京大空襲・戦災資料センター) | |
| 第1部 総論 4 林重男・菊池俊吉・別所弥八郎のプロフィールと所蔵写真について 井上祐子 5 第2部 林重男所蔵写真解題 13 1.戦中日本における防空と市民の暮らしの写真について 山辺昌彦 14 2.戦中日本における軍関係写真について 大堀宙 20 3.1943年中国取材写真について 井上祐子 28 4.1943年フィリピン取材写真について 井上祐子 36 5.1944年東南アジア取材写真について 井上祐子 38 6.戦後写真について 山辺昌彦 46 |
||
| 2023 | ||
| 0410 | 『原爆写真を追う 東方社カメラマン林重男とヒロシマ・ナガサキ』(林重男・井上祐子著、図書出版みぎわ) | |
| 01 | 200201 | 林重男 | はやし・しげお | 84 | 写真家。文部省学術研究会議原子爆弾災害調査研究特別委員会に参加、広島と長崎を撮影。<資料年表:林重男> |
止
林重男
| 01 | 200201 | 林重男 | はやし・しげお | 84 | 写真家。文部省学術研究会議原子爆弾災害調査研究特別委員会に参加、広島と長崎を撮影。<資料年表:林重男> |
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資料年表:孫振斗<作業中>
| 年月日 | 事項 | 備考 |
| 1927 | ||
| ** | 大阪市生まれ。 | |
| 1945 | ||
| 08 | 広島で被爆 | |
| 1972 | ||
| 0915 | 『朝鮮人被爆者 孫振斗さんに治療と在留を』(孫振斗さんを守る東京市民の会編・刊) | |
| 1974 | ||
| 0925 | 『鎮魂の海峡-消えた被爆朝鮮人徴用工246名』(深川宗俊著、現代史出版会) | |
| 補章 外国人被爆者の間題 193
孫振斗さんの勝訴 |
||
| 1975 | ||
| 1005 | 『被爆者援護法の論理 援護法制定運動の手びき』(原水爆禁止日本国民会議) | |
| 資料
朝鮮人被爆者・孫振斗さん勝訴46 孫振斗さん裁判の判決文(福岡高裁)60 |
||
| 1124 | 『ヒロシマを持って帰りたい』(韓国の原爆被害者を救援する市民の会広島支部) | |
| 日本政府の国家責任を問う裁判(幹国人被爆者孫振斗さんの原爆手帳獲得の闘い)90 | ||
| 1978 | ||
| 0710 | 『朝鮮人被爆者孫振斗の告発 たいまつ新書40』(孫振斗さんに治療と在留を全国市民の会編集委員会編、たいまつ社) | |
| 1979 | ||
| 0101 | 『わたしたちの被爆者援護法制定運動と政府・国会の動き』(日本原水爆被害者団体協議会) | |
| 1 孫振斗訴訟最高裁判決抜粋…39 | ||
| 0305 | 『原爆被爆者関係法令通知集』(厚生省公衆衛生局企画課編、ぎょうせい) | |
| 資料
(六)孫振斗訴訟最高裁判決410 |
||
| 1981 | ||
| 0801 | 『「援護法」と在韓被爆者 基本懇意見書と三項目合意 在韓被爆者問題を考える No.1』(韓国の原爆被害者を救援する市民の会) | |
| 資料
孫振斗手帳裁判の最高裁判決(要旨) 26 |
||
| 1983 | ||
| 1208 | 『無援の海峡 ヒロシマの声、被爆朝鮮人の声』(平岡敬、影書房) | |
| 黙殺との戦い-被爆朝鮮人・孫振斗さんの訴え 67
圧殺される声 81 孫さんからの手紙 92 国家と被爆者-孫振斗さん勝訴の意味 149 |
||
| 1984 | ||
| 0731 | 『原爆と朝鮮人 長崎朝鮮人被爆者実態調査報告書 第三集』(長崎在日朝鮮人の人権を守る会) | |
| 第4章 全朝鮮人被者完全援護法の制定 96
2.「孫振斗訴訟最高裁判決」(全文)・前記に対する意見 109 |
||
| 1985 | ||
| 0625 | 『非核未来に向けて 反核運動40年史』(森瀧市郎著、績文堂出版) | |
| 16. 被爆者救援運動-国の責任を追及…215
被爆者救援運動の新段階 朝鮮人被爆者に対する責任 原水禁の援護法制定運動と総評被爆連 放射線被曝と原爆被爆者 国の責任を明らかにした孫振斗裁判と最高裁判決 |
||
| 1992 | ||
| 0731 | 『従軍慰安婦と戦後補償 日本の戦後責任』(高木健、三一書房) | |
| 第4章 戦後処理はまだ終っていない 138
孫振斗判決の意義 160 |
||
| 1995 | ||
| 0815 | 『在韓被爆者が語る被爆50年 求められる戦後補償』(韓国の原爆被害者を救援する市民の会) | |
| 起ち上がる在韓被爆者-日本の切り捨て政策に抗して 27
孫振斗手帳裁判 33 |
||
| 1998 | ||
| 0115 | 『朝鮮人被爆者孫振斗裁判の記録 被爆者補償の原点』(中島竜美編・著、在韓被爆者問題市民会議編・刊) | |
| 2000 | ||
| 1130 | 『ヒロシマを持ちかえった人々 「韓国の広島」はなぜ生まれたのか』(市場淳子著、凱風社) | |
| 第二章 立ちあがった在韓被爆者(一九六七~一九七八年)41
「座して死を待つことはできない!」と協会結成 41 「からだを治して!」と日本に直訴 46 孫振斗さん密入国、日本で支援始まる 50 孫振斗さんの手帳裁判闘争 51 「補償なるか」と期待高まるが 54 日本での治療の道、開かれる 55 |
||
| 2011 | ||
| 0615 | 『時代と記憶 メディア・朝鮮・ヒロシマ』(平岡敬著、影書房) | |
| 一九七〇年一二月三日 被爆朝鮮人孫振斗、来日逮捕さる 153 | ||
| 2014 | ||
| 0826 | 死去。 | |
| そん・じんどぅ | 1927**生20140826没 | 享年87歳 | 韓国人被爆者訴訟の原告の草分け<資料年表:孫振斗> |
止
上栗頼登
| かみくり・よりと | 生19950830没 | 享年76歳 | 東広島市の児童養護施設「広島新生学園」元園長。<資料年表:上栗頼登> |
資料年表:上栗頼登<作業中>
| 年月日 | 事項 | 備考 |
| **** | ||
| **** | 誕生 | |
| 1983 | ||
| 0325 | 『広島県史-現代(通史Ⅶ)』(広島県) | |
| 「新生学園の歩み 1132」(今堀誠二著) | ||
| 1995 | ||
| 0830 | 没 | |
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止
資料年表:森田俊男<作業中>
| 年月日 | ||
| 1921 | ||
| 0625 | 誕生 | |
| 1958 | ||
| 0701 | 『広島教育 No.89 7月号』(広島教育会館出版部) | |
| 教研講座 職場はいかに自覚されるべきか 学校経営の「私性」の克服 森田俊男 45 |
||
| 1973 | ||
| 1120 | 『戦前の教育と私』(広島平和教育研究所編、朝日新聞社) | |
| 戦争への準備と戦争への反省ー選評にかえて 森田俊男 304 | ||
| 1974 | ||
| 0201 | 『平和教育運動 創刊号』(全国平和教育研究協議会準備会・広島平和教育研究所編、広島教育会館出版部) | |
| <総括意見>今次集会の意義と今後の課題 163 森田俊男 | ||
| 2010 | ||
| 0829 | 死亡。享年89歳。 | |
| 29 | 2010 | 森田俊男 | もりた・としお | 89 | 教育研究者。平和・国際教育研究会代表。<資料年表:森田俊男> |
止
『校長の記録』(今堀友市、培風館刊、19611210)
内容
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止
『追憶 山内敕靖』(広島ガス・刊、19840813)
内容
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止
山内敕靖
| やまうち・ただやす | 19180329生19830828没 | 享年65歳 | 広島ガス社長。期間:19710226-19820628。 |
資料年表:山内敕靖<作業中>
| 年月日 | ||
| 1918 | ||
| 0329 | 誕生 | |
| 1983 | ||
| 0828 | 死亡 | |
| 1984 | ||
| 0813 | 『追憶 山内敕靖』(広島ガス・刊、19840813) | |
| 0930 | 『会報ともしび 第57号』(財団法人広島県動員学徒等犠牲者の会) | |
| 「訃報 本財団相談役、広島ガス社長」 | ||
止
御園生圭輔
| みそのお・けいすけ | 19121215生19950825没 | 享年82歳 | 終戦時、陸軍軍医学校教官として広島原爆の被害調査に当たる。 |
資料年表:御園生圭輔<作業中>
| 年月日 | ||
| 1912 | ||
| 1215 | 誕生。 | |
| 1936 | ||
| 03 | 東京帝国大学医学部卒業 | |
| 1945 | ||
| 0814 | 陸軍省第2次調査班員として広島入り。~11月21日。 | C |
| 「ヒロシマの記録 各時代を刻む」 (『中国新聞』 20050805、西本雅実編集委員) | ||
| 1952 | ||
| 0101 | 『婦人公論 1月号第416号(38巻1号)』(中央公論社) | |
| 特集 平和への願い 原爆のない世界を〈座談会〉田中慎次郎/石垣綾子/山室民子/御園生圭輔 48 |
||
| 1967 | ||
| 09 | 放射線医学総合研究所長。『原子力委員会月報第20巻第5号』(科学技術庁原子力局) | |
| 1968 | ||
| 06 | C | |
| 0601 | 『マスコミ市民 No.16』(日本マスコミ市民会議) | |
| 特集 原爆映画 いま、よみがえれ“幻のフィルム”! いまだから話そう 御園生圭輔・三木茂 43 |
||
| 1969 | ||
| 0501 | 『広島医学 Vol.22 No.5 原爆後障害広島シンポジウム』(広島医学会) | |
| 原爆後障害研究のあり方 総括……中泉正徳 47(353) 原子力平和利用の立場から………御園生圭輔 49(355) |
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| 0620 | 『原爆後障害広島シンポジウム講演集 [第9回]』(広島原爆障害対策協議会) | |
| 原爆後障害研究のあり方 総括 中泉正徳 47 原子力平和利用の立場から 御園生圭輔 49 |
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| 1971 | ||
| 0316 | C | |
| 1973 | ||
| 06 | C | |
| 1974 | ||
| 0712 | C | |
| 1975 | ||
| 0523 | 原子力委員会委員に就任 | |
| 『原子力委員会月報第20巻第5号』(科学技術庁原子力局) | ||
| 1976 | ||
| 0328 | 『広島医学 Vol.29 No.3 原爆後障害広島シンポジウム 特集号』(広島医学会) | |
| 特別講演 御園生圭輔「放射線防護と放射線影響研究」 97(285) |
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| 0331 | 『原爆後障害広島シンポジウム講演集 第16回』(広島原爆障害対策協議会) | |
| 特別講演 御園生圭輔「放射線防護と放射線影響研究」 97 | ||
| 1979 | ||
| 0518 | C | |
| 0608 | C | |
| 1980 | ||
| 0328 | 『広島医学 Vol.33 No.3 第20回原子爆弾後障害研究会特集号』(広島医学会) | |
| 記念講演 広島で過じた日々…御園生圭輔 28(260) | ||
| 0401 | 『原子爆弾後障害研究会講演集 第20回』(広島原爆障害対策協議会) | |
| 第20回原子爆弾後障害研究会 とき:昭和54年6月10日 ところ:広島医師会館 記念講演 広島で過ごした日々 御園生圭輔 28 |
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| 1211 | 原爆被害者対策基本問題懇談会、「被爆者対策のあり方」についての答申を発表 | C |
| 1981 | ||
| 1110 | C | |
| 1986 | ||
| 0430 | C | |
| 1988 | ||
| 07 | 『竹ぼうき』(御園生圭輔先生退官記念事業会) | |
| 1995 | ||
| 0825 | 没。享年82歳。 | |
止
資料年表:近藤幸四郎<作業中>
| 年月日 | 事項 | 備考 |
| **** | ||
| 誕生 | ||
| 1945 | ||
| 0806 | 自宅(爆心地から2・3キロ)で被爆。 | |
| 2002 | ||
| 0821 | 死亡。享年69歳。 | |
| 0822 | 「被団連事務局長近藤幸四郎さん死去 死没者への思い胸に活動」(『中国新聞』西本雅実)。 | |
| 0822 | 「被爆者援護に尽力 近藤さん死去 関係者ら弔問次々」(『朝日新聞』)<宮崎安男原水禁代表委員:国立広島原爆死没者追悼平和祈念館の説明文に『誤った国策』という文言が入ったのは、近藤さんが妥協しなかったからだ> | |
| 0824 | 近藤幸四郎葬儀。 | |
| 0825 | 「被爆者運動には大きな痛手 近藤さん葬儀 700人別れ惜しむ」(『朝日新聞』) | |
| 0910 | 「惜別 広島被爆者団体連絡会議事務局長 近藤幸四郎さん 「怒りのヒロシマ」最後まで」(『朝日新聞』翁長忠雄) | |
| 21 | 2002 | 近藤幸四郎 | こんどう・こうしろう | 69 | 広島県被団協事務局次長、広島被爆者団体連絡会議事務局長、元日本被団協代表理事などを歴任。 |
止
資料年表:松前重義<作業中>
| 年月日 | 事項 | 備考 |
| 1901 | ||
| 1024 | 熊本県生まれ | |
| 1945 | ||
| 0808 | 広島被爆調査団長として広島へ出発。 | |
| 0917 | 松前重義(逓信院総裁)褒状 | |
| 1947 | ||
| 0104 | ~19510620 公職追放 | |
| 1987 | ||
| 0330 | 『わが昭和史』(松前重義、朝日新聞社、19870330) | |
| <『わが昭和史』(松前重義、朝日新聞社、19870330)への宇吹コメント> | ||
| 0401 | 礼状(東海大学秘書室長⇒宇吹暁) | |
| 1201 | 『松前重義 その政治活動 Ⅰ』(学校法人東海大学) | |
| 1991 | ||
| 0825 | 死亡。享年89歳。 | |
松前重義
| まつまえ・しげよし | 19011024生19910825没 | 享年89歳 | 東海大学創立者。広島調査団長として被爆直後に入市。 |
止
『わが昭和史』(松前重義、朝日新聞社、19870330)への宇吹コメント
| 1 | 死線を越えて | ||
| 懲罰召集にかけられる/高指令部付の二等兵に/祖国に生還/反東上運動に奔走/大政/翼賛会に飛び込む/技術者運動の先頭に立つ/ヒロシマ原爆の投下 | |||
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止
松前重義(逓信院総裁)褒状(広島逓信病院宛1945年9月17日)
2000年6月7日(撮影:宇吹)
止
中西巌
| なかにし・いわお | ****生20230816没 | 享年93 | 旧被服支廠の保全を願う懇談会会長(初代)。『赤レンガ倉庫は語り継ぐ 旧広島陸軍被服支廠被爆証言集』(旧被服支廠の保全を願う懇談会、2020/03/01) |
止
『平和を実現する力―長女の死をめぐる被爆牧師一家の証言』(四竃揚編、日本キリスト教団出版局、2009/06/20)
内容
| はじめに 3 | |||
| 推薦の言葉<<恵みのあと>>-被爆一家の証言 櫻井重宣 15 | |||
| Ⅰ | 沈黙の警告 四竃一郎 31 | ||
| あの日・広島・私 33 その六日間-佑子臨終記 47 父の見た佑子の性格 60 |
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| Ⅱ | ありし日の佑子 四竃わくり 65 | ||
| あの日の追憶 67 ありし日の佑子 71 |
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| Ⅲ | その記憶を語り継ぐために 四竃揚 101 | ||
| その死を超え行くもの 103 一人連れ出されて 109 |
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| Ⅳ | 聖書と讃美歌と祈りの日々 四竃更 139 | ||
| 姉と弟 141 被爆家族の舞台裏 152 |
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| Ⅴ | 少年の記憶 四竃招 165 | ||
| 思い出すまま 167 少年時代の思い出 171 五〇年ぶりに疎開地を訪ねて 175 |
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| Ⅵ | 弟たちへの手紙 四竃佑子 179 | ||
| 特別寄稿 戦友四竃更牧師 渡辺信夫 189 | |||
| あとがき 199 | |||
止