『広島のねがいを国政へ 活躍する、村上経行さん』(村上経行後援会、1975.12.25)<抄>
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ヒロシマの歴史を残された言葉や資料をもとにたどるサイトです。
『広島のねがいを国政へ 活躍する、村上経行さん』(村上経行後援会、1975.12.25)<抄>
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資料年表:村上経行<作成中>
| 1918 | ||
| 04 | 広島市大須賀町で生まれる。 | |
| 1942 | ||
| 09 | 広島高等師範附属中学校卒 | |
| **** | ||
| **** | 早稲田大学政経学部卒。この間広島鉄道局へ約1年勤務。 | |
| 1944 | ||
| 03 | 三菱重工業(株)広島造船所勤務。労組結成に尽力。 | |
| 1945 | ||
| 08 | 広島市南観音町で被爆。 | |
| 1946 | ||
| 01 | 日本共産党に入党。 | |
| 1949 | ||
| 1022 | 三菱を解雇される。長女2歳、長男は生まれて1カ月。 | |
| <以上の出典=『平和に生きる』(1972)、『広島のねがいを国政へ』(1975)> | ||
| <宇吹は大学時代、同郷ということで長女(薬学部)・長男(医学部)と面識あり> | ||
| 1972 | ||
| 1001 | 『平和に生きる』(村上経行後援会) | |
| 1975 | ||
| 1225 | 『広島のねがいを国政へ』(村上経行後援会) | |
| 1982 | ||
| 0111 | 『黒い雨』(広島県「黒い雨・自宅看護」原爆被害者の会連絡協議会) | |
| 「黒い雨」降雨地域住民に被爆者手帳を 住民の不満や疑問 「赤旗」社会面トップに-35-<集まったのは10人ほど。民家の一室を借りておこなわれました。これには、共産党を代表して、村上経行党県経済委員長、屋敷一字広島市議らの姿も見えました> | ||
| 連絡協議会役員一覧<顧問:村上経行> | ||
| 1986 | ||
| 0806 | 『核兵器廃絶を訴える被爆者国際遊説の記録 Hibakusha Peace Tour(原水爆禁止日本協議会、19860806)』 | |
| 被爆者国際遊説団名簿 ●オランダA班 19850625~0708 村上経行 被爆者(広島) |
||
| 1989 | ||
| 0806 | 『黒い雨』(広島県「黒い雨・自宅看護」原爆被害者の会連絡協議会) | |
| 「まえがき」<会長:**、副会長**、事務局長 村上経行>。「あとがき」(事務局長 村上経行) | ||
| 1991 | ||
| 0607 | 藤居会社へ。村上経行も来る。 | U |
| 1026 | 村上経行より電話。党史についての問い合わせ。ソ連の評価が再び問題となる。 | U |
| 1992 | ||
| 0302 | 村上経行より電話。今日午後来所予定であったが忘れていたとのこと。70周年党史の編さんについて。 | U |
| 1110 | 村上経行より電話。原爆文献の数の問い合わせ。約6000件と答える。 | U |
| 1222 | 藤居より電話。12時40分-13時20分。先日、村上経行が来た。 | U |
| 1993 | ||
| 0804 | 藤居より電話。約30分ほど話す。先日送った資料について感想を求めたら、今朝、村上経行が来た。村上がかって「ソ連の放射能で死ぬのなら本望」と言ったことがあるだろうと確認したら、認めた。竹内は、村上のようなものと一緒にやることは出来ないと言っていた。 | U |
| 1117 | 村上経行、来所。民医連に来たついで。-15時45分。ニュースステーションの「黒い雨」特集の話。矢野記者が放影研の重松に会ったら「取材のスタンスを間違えている」という不見識なことを言った。放影研関係者が、黒い雨地域の住民の話を聞いたことは一度もない。 | U |
| 1994 | ||
| 1212 | 村上経行より電話。藤居のところで詳しい年表を見た。欲しい。宇吹=13日、自宅に郵送。 | U |
| 1215 | 村上経行より電話。資料(被爆者運動年表)の礼。 | U |
| 1995 | ||
| 0322 | 村上経行から電話。風邪で入院中。予め郵送されていた「95年平和のための広島の戦争展」について。広島で、戦争展をやることには抵抗があったが、今回、やっと意志統一ができたとのこと。前面に出ることは求めないが、相談に乗って欲しいとのこと。****より頼まれた。 | U |
| 1030 | 村上経行、来所。-15時半。****茂美「ことりもカラスもいなくなった」を持参、センターに寄贈。****が参加した国会請願について調査(何市何郡が参加したか)を依頼される。藤居を土曜日に見舞ったとのこと。インターネットを見せる。 | U |
| 1116 | 村上経行へ1956年3月の国会請願の資料(***茂美関係)を送る。 | U |
| 1221 | 村上経行より電話。「占領下のヒロシマ」について。藤居平一が胃ガンで手術をした由。 | U |
| 1996 | ||
| 0419 | 藤居通夜。田中(中国新聞)=昨年9月後も退院したり上京していた。宇吹は、大変良い仕事(「まどうてくれ」)をした。村上経行=亡くなる数日前に会った。もうあまり持たないということは、医者から言われていた。本人は死にたくない、と言っていた。 | U |
| 0426 | 村上経行より電話。藤居夫人より読売新聞社(東京)が15日午後に取材に来るとの連絡があり、二人ほど立ち会って欲しいとのことであった。自分は出ないほうが良いと思う。宇吹を考えている。検討しておいて欲しい。 | U |
| 0426 | [つづき]村上経行=庄野は、吉田嘉清が弔辞を読むように勧めていたが、体調が悪いとか何とか言って、葬儀の途中で帰ってしまった。田中(中国)は、藤居のことを本にするつもりでいる。****が弔辞の朗読を申し入れたが、藤居夫人が断った。****も同様。 | U |
| 0430 | 村上経行来所。5月15日の読売の藤居取材について相談。-11時。村上の話=4月14日に****と藤居夫人と3人で藤居を見舞った。廊下に出たら号泣していた。低空飛行3人組、村上孝太郎ETC。 | U |
| 0509 | 村上経行より電話。読売の藤居夫人取材の手順についての相談。村上も藤居夫人もあまりに大げさに考えすぎると言うと、村上は「慣れていないから」と素直に返答していた。 | U |
| 1997 | ||
| 0121 | 村上経行より電話。山崎文男の日記、藤居追悼集の進捗状況について。 | U |
| 1206 | 元大正屋呉服店(レストハウス)の保存・活用を「みんなで話し合う集い」。於国際会議場コスモス。 参加者150人。この会議では、最高の数(楠発言)。マスコミの取材多数。金沢・藪井も。松本寛・佐藤重夫・植木研介・村上経行・森脇勝義・安藤夫人らの顔を見る。 | U |
| 1998 | ||
| 1209 | 下村仁一画集「ヒロシマ-鎮魂と怒り」刊行を祝う会。於法華クラブ10F。-8時半。司会:小笠原伸江、チェロ演奏:庄司有子、挨拶:増田勉・吉野誠・石口俊一・橋詰由美子・中村俊博・久保浩之・石川・堂垣内崇雅など。[自由発言]宇吹=30年前、下村と一緒に資本論やレーニンを読んだ。楠=下村は、レッドパージになった3人の教員の1人。徳毛宜策・村上経行・若林節美・武田寛などの顔を見かける。 | U |
| 2000 | ||
| 0714 | 村上経行、来所。13:00~13:30。広島大学医学部年史。 | U |
| 0718 | 村上広島県「黒い雨・自宅看護」原爆被害者の会連絡協議会に医学部史を郵送。 | U |
| 2004 | ||
| 0501 | 『黒い雨 ヒロシマからの証言』(広島県「黒い雨」原爆被害者の会連絡協議会) | |
| 71p「黒い雨」と私(増田善信)<私がこの卵形の地域以外にも、「黒い雨」が降っていたことを知ったのは、1985年夏の原水爆禁止世界大会でした。当時の「黒い雨」の会の事務局長村上経行氏から教えられたもので、****> | ||
| 95p <広島県「黒い雨」原爆被害者の会連絡協議会名簿>の名誉役員欄に「村上経行」あり | ||
| 2011 | ||
| 07 | 村上経行没。享年93歳 | |
| 2012 | ||
| 0930 | 『黒い雨 内部被曝の告発』(広島県「黒い雨」原爆被害者の会連絡協議会) | |
| 103p「 村上経行さんが「黒い雨の調査結果には迷惑をこうむっている」という趣旨の発言をされた。」、「村上さんは開口一番「気象の専門家として、あんなに激しい雨があんなにきれいな卵型をした地域だけに降ると思いますか」と質問された」(増田善信) | ||
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資料年表:吉田治平<作業中>
| 年月日 | ||
| 1922 | ||
| ****生 | ||
| 1945 | ||
| 0815 | 未明、部隊の命で福岡から神奈川に向う途中、広島入り。 | |
| 1977 | ||
| 0720 | 『わしらの被爆体験 100人の証言』(全日自労広島分会・自労被爆者の会編、全日自労広島分会刊) | |
| 2010 | ||
| 05 | 『生きて 労働運動家 吉田治平さん』(『中国新聞 連載』15回0518~0609)(担当:西本雅実・編集委員) | |
| 2018 | ||
| 0131 | 没 | |
| 0209 | 西本雅実「評伝・吉田治平さん」(『中国新聞』) | |
| 2023 | ||
| 1206 | 『被団協 第539号』(日本原水爆被害者団体協議会) | |
| 「ヒロシマの闘士」の歩みに学ぶ 広島 先人を語る会<9回目> | ||
| よしだ・じへい | 1922****生20180131没 | 享年95歳 | 1845年8月6日の広島壊滅を福岡で聞く。軍命令で神奈川へ向かう途次の5日、上幟町の実家跡を掘り返す。1950年に広島自由労組を結成。1977年失対労働者100人の証言『わしらの被爆体験』を編む(西本雅実「評伝・吉田治平さん」『中国新聞』2018.2.9)<別記予定> |
止
資料年表:藤居平一<作業中>
| 年月日 | 事項 | 備考 |
| 1915 | 0807 広島市の銘木店の長男として誕生。 | |
| 1922 | 広島高等師範学校附属小(碧空会)に入学 | |
| 1928 | 同付属中学校入学 | |
| 1935 | 平壌飛行連隊整備隊に入る | |
| 1939 | 航空兵中尉に任じられる | |
| 1941 | 満州国の航空通信第一連隊の第一大隊本部付 | |
| 1943 | ||
| 02 | 満州国の航空教育隊に転属。日本へ復員。 | |
| 04 | 早稲田大学専門部商科に入学 | |
| 1127 | 篠崎美枝子と結婚 | |
| 1944 | 日本鋼管横浜鶴見造船所に勤労動員 | |
| 1945 | ||
| 0806 | 原爆投下で、父完一、妹、二人の甥などを失う | |
| 1946 | 早大卒。家業の銘木店を継ぎ、広島県銘木森林組合(現広島県銘木事業協同組合)を設立。組合長に就任 | |
| 1947 | 日本銘木林産組合(その後全国銘木連合会に改称)を設立。副会長に就任。早大校友会広島県支部幹事長。広島高師同窓会のアカシア会設立を提唱。 | |
| 1949 | 近隣に神崎保育園を設立し、後援会長に。 | |
| 1951 | 早大商議員に就任し、晩年まで務める。 | |
| <以上1915~1951年の事績は『人間銘木―藤居平一追想集』> | ||
| 1954 | ||
| 1955 | ||
| 1956 | ||
| 1959 | ||
| 1965 | ||
| 1981 | ||
| 1201 | 『広島県原水協・日本被団協年表(稿)1954~1958』(宇吹暁、広島大学原爆放射能医学研究所) | |
| 1982 | ||
| 0126 | 「まどうてくれー藤居平一聞書(1)」(『資料調査通信 5号』広島大学原爆放射能医学研究所付属原爆被災学術資料センター資料調査室)【〈聞き手〉宇吹暁、〈聞書作成〉石田典子・寺井裕子】 | |
| 0226 | 「まどうてくれー藤居平一聞書(2原水爆禁止世界大会)」(『資料調査通信6号別冊』広島大学原爆放射能医学研究所付属原爆被災学術資料センター資料調査室) | |
| 0331 | 「まどうてくれー藤居平一聞書(3原爆被害者の救援と組織化)、資料、藤居メモ(1)1955年11月~56年3月」(『資料調査通信7号別冊』広島大学原爆放射能医学研究所付属原爆被災学術資料センター資料調査室) | |
| 0531 | 「まどうてくれー藤居平一聞書(4広島県被団協の結成)、資料、藤居メモ(2)1956年3月~7月」(『資料調査通信8号別冊』広島大学原爆放射能医学研究所付属原爆被災学術資料センター資料調査室) | |
| 0630 | 「まどうてくれー資料特集」(『資料調査通信9号別冊』広島大学原爆放射能医学研究所付属原爆被災学術資料センター資料調査室) | |
| 『資料調査通信9号別冊1』 | ||
| 『資料調査通信9号別冊2』くずれぬ平和を 8・6広島大会、被害者大会議事録[抄] | ||
| 『資料調査通信9号別冊3』第2回原水爆禁止世界大会議事速報[抄] | ||
| 1983 | ||
| 1031 | 「まどうてくれー藤居メモ(3)1956年8月~9月」 | |
| 『資料調査通信25号別冊1』(『広島大学原爆放射能医学研究所付属原爆被災学術資料センター資料調査室) | ||
| 「まどうてくれー資料特集」1956年8月~9月」 | ||
| 『資料調査通信25号別冊2』(広島大学原爆放射能医学研究所付属原爆被災学術資料センター資料調査室) | ||
| 1130 | 「まどうてくれー資料特集」1956年10月~12月 | |
| 資料1:藤居メモ 資料2~8:日本被団協の発行文書 資料9~15:藤居故人・日本被団協に寄せられた書簡 資料16~26:原爆被害者救援をめぐる動向) |
||
| 『資料調査通信26号別冊2』(広島大学原爆放射能医学研究所付属原爆被災学術資料センター資料調査室) | ||
| 1223 | 「まどうてくれー藤居メモ」1957年1月~2月 | |
| 資料1~4:藤居あて書簡 資料5~11:日本被団協結成後初めて開かれた全国代表者会議の資料。 資料12~23:藤居故人あるいは日本被団協に寄せられた書簡 資料24・25:日本被団協に関する新聞記事 |
||
| 『資料調査通信27号別冊1』(広島大学原爆放射能医学研究所付属原爆被災学術資料センター資料調査室) | ||
| 1984 | ||
| 0127 | 「まどうてくれー藤居メモ及び関連資料資料」1957年3月~5月 | |
| 資料1~6:藤居あて書簡、 資料7:藤居論文 資料8~23:日本被団協および広島の動向を示す資料。 資料24~32:広島原爆障害研究会、日本原水協などの諸団体資料。 |
||
| 『資料調査通信28号別冊1』(広島大学原爆放射能医学研究所付属原爆被災学術資料センター資料調査室) | ||
| 0229 | 「まどうてくれー資料資料」1957年3月~5月 | |
| 1957年8月 12日 開会総会 13日 階層別協議会 14日 分科会 15日 閉会総会 |
||
| 1996 | ||
| 0714 | 病のため死去。80歳。藤居銘木株式会社を閉店。 | |
| 1997 | ||
| 0417 | 『人間銘木 藤居平一追想集』(藤居美枝子) | |
| **** | 『広島平和科学』(広島大学平和科学研究センター、1997) | |
| 船橋喜恵「原水爆禁止世界大会「第一回」 : 藤居平一氏に聞く」 | ||
| 2006 | ||
| 0703 | 『被爆者運動50年 生きていてよかった<1>~<5>』(『中国新聞』西本雅実編集委員~20060708) | |
| 2011 | ||
| 0708 | 『まどうてくれ 藤居平一・被爆者と生きる』(大塚茂樹、旬報社) | |
| 0723 | 大塚『まどうてくれ』出版記念会。リーガロイヤルホテル。宇吹。出席者:大塚夫妻。木内洋育(旬報社社長)。河野一郎(中国新聞文化事業社専務取締役)。阿部静子、池田精子(広島県被団協副理事長)、村戸由子。舟橋。若林節美。石田。松井。安藤。澤野。森田裕美。・・・ | |
| 2次会:吉田治平(広島市南区皆実町1丁目平和住宅自治会)、籔井和夫(中国新聞経営企画局担当局長兼メディア企画室長)。・・・ | ||
| 0726 | <出版記念会報道>(RCC-N6 被爆者救援運動の原点)「まどうてくれ 藤居平一・被爆者と生きる」 06:41~06:47 | |
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『広島へ…そしてヒロシマへ 私の戦後平和運動史』(中本たか子著、白石書店、1986/07/25)
内容
| 章 | |||
| 1 | 占領下で…9 | ||
| 敗戦 9 はじめて婦人参政権を 12 2・1ストと新憲法 13 |
|||
| 2 | レッド・パージ…14 | ||
| 世にも不思議なできごと 14 追放の指令 17 朝鮮戦争 19 講話問題 22 |
|||
| 3 | 第5福竜丸の被災…24 | ||
| アメリカの水爆実験 24 久保山氏の死から 26 原水爆禁止署名うんどう 27 焼津の人びと 28 久保山すずさん 29 |
|||
| 4 | 広島の暑い夏…31 | ||
| 広島へ 31 比治山とABCC 32 平和の名が多い街 34 原爆ドーム 36 原爆1号 37 「原爆被災者の会」 39 F・O・R(キリスト者友和会) 42 入院中の被爆者 46 被爆者の生活の窮迫 49 世界大会の前 51 第1回原水爆禁止世界大会 52 分散会 55 原爆基地化反対の訴え 58 |
|||
| 5 | 砂川のたたかい…62 | ||
| 基地拡張の通告 62 強制測量 64 土地に杭を打たれても 70 不当検束と曉の町議会 71 プライス報告 76 学生たちの支援 77 参議院選挙 78 第2回原水爆禁止世界大会 80 再び強制測量 81 文化人・全学連の支援 82 泊まりこみの学生たち 84 10月5日のこと 86 全国の各基地からの激励と支援 87 合法的なたたかい 88 情勢が緊迫する 90 歴史的な10月13日 94 |
|||
| 6 | 安保闘争日記(抄) 106 | ||
| 刻一刻と緊張をます 106 国会の暴挙 107 はじめてのゼネ・スト 114 報道機関の変貌 119 羽田事件とハガチーの声明 120 羽田事件の弾圧 130 第2次ゼネ・スト 134 6・15国会周辺の暴力 139 アイゼンハワー来日拒否 143 「新条約は無効である」 149 第3次ゼネ・スト 150 |
|||
| 7 | 新島のいんじいうんばあ…154 | ||
| ミサイル試射場の問題 154 山路で 156 オルグ団と暴力団 160 この暴虐 166 |
|||
| 8 | 銀杏ちる東大構内…171 | ||
| 東大の民主化闘争 171 | |||
| 9 | 被爆者はいま…178 | ||
| 再び広島へ 178 山下会 181 「ぼく生きたかった」の母 183 小頭症の問題 187 原爆資料館とその付近 188 世界大会の分散会 189 被爆者が指導者になる 196 |
|||
| あとがき 199 | |||
止
資料年表:中本たか子
| 年月日 | 事項 | 備考 |
| 1903 | ||
| 1119 | 誕生。 | |
| 1954 | ||
| 0901 | 『中央公論 9月号 第792号』(中央公論社) | |
| 中本たか子「壁にかかる書像 」243 | ||
| 1101 | 『婦人公論 11月号第451号』(中央公論社) | |
| 中本たか子 「夫への公開状-理想と現実のジレンマ-」 182 | ||
| 1967 | ||
| 1001 | 『文化評論 1967-No.72』(日本共産党中央委員会) | |
| 随想 人民の理性の勝利 中本たか子 86 | ||
| 1968 | ||
| 1201 | 『民主文学 第37号通巻87号』(新日本出版社) | |
| 広津和郎追悼特集 尽きない感謝をもって 中本たか子…99 |
||
| 1969 | ||
| 1101 | 『民主文学 第48号通巻第98号』(新日本出版社) | |
| 誓いの塔は見ている-新島・そのご- 中本たか子…152 | ||
| 1974 | ||
| 1115 | 『未来にかけるたたかい ドキュメント昭和五十年史 6』(佐藤静夫編、汐文社) | |
| ミサイル反対の新島闘争 中本たか子 87 | ||
| 1976 | ||
| 0815 | 『抵抗の群集』( 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟編、白石書店) | |
| この非情なる風土 中本たか子 47 | ||
| 1983 | ||
| 0801 | 『日本の原爆文学 10 短編Ⅰ』(美川きよ [ほか]、ほるぷ出版) | |
| 中本たか子「死の鞭と光」152 | ||
| 1986 | ||
| 0725 | 『広島へ…そしてヒロシマへ 私の戦後平和運動史』(中本たか子著、白石書店) | |
| 1988 | ||
| 0801 | 『とべ千羽鶴』(中本たか子著、青磁社) | |
| 1991 | ||
| 0928 | 没 | |
| 1993 | ||
| 0806 | 『跛行 篠垤潔原爆小説集』(篠垤潔、青磁社) | |
| <評価> 中本たか子の「原爆文学」 167 <書評> 中本たか子「とべ・千羽鶴」 181 |
||
| 28 | 1991 | 中本 たか子 | なかもと・ たかこ | 87 | 小説家。1927年上京、『女人芸術』誌に参加。1941年蔵原惟人と結婚。<資料年表:中本 たか子> |
止
中本 たか子
| 28 | 1991 | 中本 たか子 | なかもと・ たかこ | 87 | 小説家。1927年上京、『女人芸術』誌に参加。1941年蔵原惟人と結婚。<資料年表:中本 たか子> |
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『広島TODAY』(W・バーチェット著、成田良雄訳、連合出版、1983/08/06)
内容
| 章 | 見出し | ||
| はじめに 3 | |||
| 1 | 原爆投下直後 11 | ||
| スイス政府を通じて抗議 アメリカ政府の返答 隠蔽政策の伝統 人生の岐路に立っていた 戦果を見にきた人びと | |||
| 2 | 受難の広島レポート 20 | ||
| 二つの現場報告 核実験場に汚染はなかった? 広島からの帰路 なぜ事実を隠すのか カメラ盗難・日本追放の仕打 | |||
| 3 | 広島への道 | ||
| 降伏調印式に背を向けて 従軍特派員として 太平洋を「分割」して取材 特攻隊、悲惨 沖縄で知った原爆投下 同盟通信の協力を得る 準備は整った | |||
| 4 | 広島--一九四五年九月三日 42 | ||
| たった一人列車に乗る まわりは軍人だらけ 口に出せないヒロシマ 留置場で中村さんと会う 爆心地でタイプをたたく 広島レポート 削られた現場描写 私が書けなかったこと 勝部先生の忠告と訴え | |||
| 5 | 妨害工作 57 | ||
| なぜ現場をみるのか アメリカ記者団の目的 立入り禁止となった東京 ヘンリー・キーズの活躍 ウェラー記者、長崎に入る 犯罪的なプレスコード | |||
| 6 | 日本人がみた広島 67 | ||
| 裏切られた希望 ”私だったら国を訴える” 想像を越える天皇の威信 東条英樹の運命 天皇崇拝とポツダム会談 | |||
| 7 | 二十六年後の広島 77 | ||
| フリート街に別れを告げて ストックホルムアピールの頃 路上で、工場の門前で 人それぞれの感動 勝部先生との再開 中国新聞記者の述懐 ABCCと被爆者 | |||
| 8 | ヒバクシャ 90 | ||
| 聴衆のさめた反応 被爆二世との出会い ”早くよくなって下さい” 被爆者の苦悩と不安 原爆病院で重藤先生にきく 岩国の畠中さんの話 勝部先生からの手紙 | |||
| 9 | 生存者の抵抗 106 | ||
| 不安定な生活基盤 このままでは救われない 裁かれざる犯罪 立ち上がる被爆者 一人ひとりの原爆 | |||
| 10 | 原爆製造のドラマ 116 | ||
| ポツダム会談と原爆実験 ソ連に対抗するために ”戦争中に生きた目標に” ”権力者を仕事場に入れるな” 亡命した科学者たち ルーズベルトの決断 原爆という名の列車 | |||
| 11 | 原爆使用への誘惑 130 | ||
| アルソス・グループ U計画の実態 ヒットラーと原爆 ニールス・ボーアの警告 グルーブズ将軍のあせり 科学者たちの抵抗 進退きわまった日本 ”戦争を終わらしてくれ” 原爆使用の最終決断 ポツダム会談の舞台裏 | |||
| 12 | 原爆パイロット 152 | ||
| 原爆を落とした側の苦悩 償いの日々 アンデルスのはげまし ノーモア・ヒロシマ 狂っているのは誰か ”手紙のように書きなさい” 原爆投下の朝 イーザリーの脱走 人間的感情への連帯 精神異常のレッテル 殺し屋ルメイの下で | |||
| 13 | 広島と冷戦 179 | ||
| トルーマンとレーガン 外交の”切り札”として スチムソンの憂慮 チャーチルの対ソ認識 ギリシャで見たこと | |||
| 14 | 自殺するアメリカ 193 | ||
| 冷戦下のベルリンで 対ソ原爆使用の誘惑 ある政治的冒険家 一触即発のベルリン ”撃って撃って撃ちまくる” 挫折した軍事的冒険 危機の舞台は朝鮮に 一九八三年四月八日の記事 神聖な目的のための犠牲 モルモットにされた兵士たち 原爆放射に耐える実験 自殺するアメリカ | |||
| 訳者あとがき 220 | |||
止
資料年表:ウィルフレッド・バーチェット<作業中>
| 年月日 | 事項 | 備考 |
| 1911 | ||
| 0916 | 誕生。 | |
| 1945 | ||
| 0905 | デイリー・エクスプレス紙(英紙)19450905 | |
| 「30日目の広島、逃げた者、死に始める 原爆の疫病の被爆者たち ”私はこれを、世界への警告として書く”」<出典:『広島県史 原爆資料編』19720331> | ||
| 1971 | ||
| 0801 | 『長崎の証言1971』(「長崎の証言」刊行委員会) | |
| 「ベトナムへノーモア!」-二十六年ぶりの広島にて W・バーチェット 220 | ||
| 1972 | ||
| 0530 | 『広島・板門店・ハノイ バーチェット自伝』(ウィルフレッド・バーチェット、河出書房新社) | |
| 1976 | ||
| 0101 | 『世界大百科年鑑 1976』(平凡社) | |
| (インドシナの年)1975-W.バーチェット/訳・武藤一羊 126 | ||
| 1983 | ||
| 0806 | 『広島TODAY』(W・バーチェット著、成田良雄訳、連合出版) | |
| 0927 | 死亡。 | |
| 1985 | ||
| 0621 | 『被爆者援護法に関する第二次報告書』(日本弁護士連合会) | |
| 第二 日米両国政府の被爆者に対する措置 45 三 米国は、被爆者に対する救援の必要性を認識していた 52 1 バーチェットの救援要請 52 2 マルセル・ジュノーの救援要請 52 |
||
| 0826 | 『花の幻 続・平和を作る人たち』(安藝基雄著、みすず書房) | |
| 第1部 11 ヒロシマ・ノート 2141.市長の死 216 5.ジュノーとバーチェットの対応 253 |
||
| 1995 | ||
| 1005 | 『米軍占領下の原爆調査 原爆加害国になった日本』(笹本征男著、新幹社) | |
| 第6章 原爆報道とプレス・コード 218 第1節 バーチェットの疑問 218 第11節 バーチェットの疑問への答え 253 |
||
| 1997 | ||
| 0520 | 『ユネスコ世界遺産 原爆ドーム 21世紀への証人』(中国新聞社) | |
| 第1章 ドーム保存と世界遺産決定までの歩み 世界遺産に登録決定 63 (この人からの一言) ウィルフレッド・バーチェット 51 |
||
| 2007 | ||
| 0715 | 『世界を不幸にする原爆カード ヒロシマ・ナガサキが歴史を変えた』(金子敦郎著、明石書店) | |
| 第7章 カバーラップ 191 「被害」報道で批判浮上 「放射能被害はない」 バーチェット記者の特ダネ |
||
| 2014 | ||
| 0806 | 『原子力と核の時代史』(和田長久著、七つ森書館) | |
| ChapterⅠ 核分裂の発見から、ヒロシマ、ナガサキの悲劇[1898-1945年] section2 広島、長崎への原爆投下 11 4 ウィルフレッド・バーチェット記者、ヒロシマを世界に報道 15 |
||
| 2015 | ||
| 0806 | 『”ヒロシマ・ナガサキ”被爆神話を解体する 隠蔽されてきた日米共犯関係の原点』(柴田優呼著、作品社) | |
| 第2章 アメリカが被爆体験の語られかたを創始する ―沈黙させられる被爆者 2.右往左往する海外メディア報道 79 バーチェットの「すっぱ抜き」 |
||
| 2016 | ||
| 0310 | 『核の戦後史 Q&Aで学ぶ原爆・原発・被ばくの真実』(木村朗・高橋博子著、創元社) | |
| 第2部 核体制と戦後日本 Q&A…139 講義篇 機密解除文書から原発と核兵器推進体制の闇に迫る 140 ②アメリカは、なぜ原爆による残留放射能の存在を認めなかったのですか? /バーチェットのスクープ 159 |
||
| 0802 | 『世界の著名人が伝えていたヒロシマからの言葉』(佐藤美由紀著、双葉社) | |
| 第2章 叫ばれる存在意義-1970年代から1980年代- 51 ジャーナリスト ウィルフレッド・バーチェット 52 |
||
| 2021 | ||
| 1130 | 『原爆 捨てられない記憶と記録』(佐々木猛也著、日本評論社) | |
| 第一四章 占領・・・・・418 バーチェット・深刻な放射線被害の記事 |
||
| 2022 | 『世界のリーダー185人ヒロシマ、ナガサキで発した「言葉」 オバマ大統領から、ローマ教皇、マリリンモンローまで』(三山秀昭著、南々社) | |
| 第8章 5人のジャーナリスト 「ノーモア…」を発した欧米ジャーナリストたち…158 ルサフォード・ボーツ(アメリカ・UP通信記者) ウィルフレッド・バーチェット(オーストラリア出身、英紙デイリー・エクスプレス記者) |
||
| 27 | 1983 | バーチェット、ウィルフレッド・ | 72 | ジャーナリスト。広島の被爆のもようを世界に最初に報道。<資料年表:バーチェット> | |
止
バーチェット
| 27 | 1983 | バーチェット、ウィルフレッド・ | 72 | ジャーナリスト。広島の被爆のもようを世界に最初に報道。<資料年表:バーチェット> | |
止
資料年表:久保山愛吉<作業中>
| 年月日 | 事項 | 備考 |
| 1914 | ||
| 0621 | 誕生 | |
| 1954 | ||
| 0923 | 没 | |
| 1101 | 『中央公論 11月号 第794号』(中央公論社) | |
| 久保山さんの死 死の床にて 久保山愛吉 180 |
||
| 1955 | ||
| 0215 | 『未来をつくりだす原子力 青木新書』(林克也著、青木書店) | |
| 総論-久保山愛吉氏を悼み、その死に学ぶ 1この声をわれらの声に 13 2久保山氏の三つの遺訓 15 3ABCCを日本の手に 19 4抵抗のみ、人間性を守る 23 5放射能謀略Kは」開始された 27 6地球汚染の責任はアメリカ 31 7結論-ねばり強く禁止運動を 37 8追記-科学化されたトリック 38 |
||
| 0920 | 『写真でみる戦後日本 10年の歩みを記録する』(朝日新聞社) | |
| 『ノー・モア・ヒロシマズ』から『ビキニの・灰』まで………1 ―隔離される第五福竜丸―焼津から米軍用機で東京に移送された第五福竜丸の患者たち―酵素吸入中の久保山愛吉さんを看護する肉親たち―マグロの放射覧査―防毒面とビニール服で作業中の俊鶻丸の調査団員―俊鶻丸甲板上で魚の解剖― |
||
| 1957 | ||
| 0725 | 『人類の危機と原水爆禁止運動 第3回原水爆禁止世界大会討議資料 第2分冊』(原水爆禁止日本協議会) | |
| Ⅰ 原水爆の被害 (絶筆)死の床にて 久保山愛吉…21 |
||
| 1968 | ||
| 1015 | 『平和の思想 戦後日本思想大系 4』(鶴見俊輔編、筑摩書房) | |
| II 戦後、平和運動の遺産 絶筆 死の床にて 久保山愛吉 346 |
||
| 1975 | ||
| 0701 | 『第五福竜丸 1954年3月1日その日から』(第五福竜丸平和協会) | |
| 1978 | ||
| 0906 | 『原水協通信 第421号』(原水爆禁止日本協議会) | |
| 久保山愛吉氏追悼のつどい=焼津 7 | ||
| くぼやま・あいきち | 19140621生19540923没 | 享年40歳 | 第5福龍丸無線長。1954年3月1日にアメリカが南太平洋ビキニ環礁で実施した水爆実験で被曝。 |
止
資料年表:谷本清<作業中>
| 年月日 | 事項 | 備考 |
| 1909 | ||
| **** | 香川県 坂出市 で誕生。 | |
| 1949 | ||
| 0425 | 『ヒロシマ』(ジョン・ハーシー著、石川欣一・谷本清訳、法政大学出版局) | |
| 1950 | ||
| 0401 | 『文芸春秋 第28巻第4号』(文芸春秋新社) | |
| ハーシイ氏訪問記…谷本清 13 | ||
| 0725 | 『ヒロシマの十字架を抱いて』(谷本清、大日本雄弁会講談社) | |
| 1952 | ||
| 1001 | 『日本印象記-ヒロシマの家』(フロイド・シュモー著、大原三八雄訳、広島ピース・センター刊) | |
| 跋 谷本清 75 | ||
| 1960 | ||
| 0925 | 『ふるさとを訪ねて 少年少女文学風土記 9 広島』(井伏鱒二編、泰光堂) | |
| 谷本清「原爆と広島」 94 | ||
| 1969 | ||
| 04 | 『ひろしまの観光 35号』(広島市観光協会) | |
| 谷本清「ヒロシマ-その平和への姿」 | ||
| 0806 | 『濱井信三追想録』(浜井信三追想録編集委員会) | |
| 谷本清「原爆禁止10万人署名」 473 | ||
| 1976 | ||
| 0720 | 『広島原爆とアメリカ人 ある牧師の平和行脚』(谷本清著、日本放送出版協会) | |
| 1201 | 『広島通信 No.54』(「広島通信」の会) | |
| 谷本清「原爆体験は風化するか」 | ||
| 1982 | ||
| 0501 | 『平和文化 第35号』(広島平和文化センター) | |
| ヒロシマの原点に帰ろう ヒロシマ・ピース・センター理事長 谷本清 |
||
| 1983 | ||
| 0730 | 『破壊の日-外人神父たちの被爆体験』(カトリック正義と平和広島協議会) | |
| 『破壊の日』発刊に寄せて ヒロシマ・ビース・センター理事長 谷本清 | ||
| 1986 | ||
| 0928 | 死亡。享年77歳 | |
| 1997 | ||
| 0201 | 『原爆被爆者対策史の基礎的研究 原爆被爆者対策前史 1945年(昭和20)~1953年(昭和28) 資料集』(宇吹暁) | |
| IV.占領期の原爆問題 2.平和祭・文化祭 3.被爆者援護の構想 【資料13】谷本清のヒロシマ・ピース・センター構想 |
||
| 2011 | ||
| 1206 | 『被団協 第395号』 | |
| 第23回谷本清平和賞 坪井代表委員が受賞 | ||
| 2005 | ||
| 0624 | 『ヒロシマ、60年の記憶』(近藤紘子著、リヨン社) | |
| 2015 | ||
| 0601 | 『広島市公文書館紀要 第28号』(広島市公文書館) | |
| 光平有希「広島流川協会における復興と音楽の歩み、及びその原点 谷本清・太田司朗を中心として」 14 | ||
| 2018 | ||
| 0110 | 『原爆の図 丸木美術館ニュース 第132号』(原爆の図丸木美術館) | |
| 丸木美術館が谷本清平和賞受賞 谷本清平和賞受賞を祝って(井野口慧子)……p2 谷本清平和賞受賞スピーチ抄録(岡村幸宣)……p3 |
||
| 2019 | ||
| 1201 | 『憎しみを乗り越えて ヒロシマを語り継ぐ近藤紘子』(佐藤真澄著、汐文社) | |
| 2021 | ||
| 1130 | 『原爆 捨てられない記憶と記録』(佐々木猛也著、日本評論社) | |
止
広島市爆撃ニ関スル報告(三村剛昴・佐久間澄・上野義夫)
内容<作業中>
| 1 | 本研究室二於テ調査セル事項 | ||
| 2 | 聴取資料ノ一、二例 | ||
| 1 広島女学院専門学校赤松某(海田市町、安芸地方事務所ニテ)・・・・ | |||
| 2 市立高専講師平原栄治・・・・ | |||
| 3 佐久間助教授 | |||
![]() |
|||
| 3 | 判断 | ||
| 付記 | |||
| 1 | 本爆弾ノ真相ヲ確ムル上ニ | ||
資料年表:佐久間澄<作業中>
| 年月日 | 事項 | 備考 |
| 1910 | ||
| 1002 | 誕生。 | |
| 1941 | ||
| **** | 広島文理大(母校)助教授。 | |
| 1945 | ||
| 08 | 「広島市爆撃ニ関スル報告」(三村剛昴・佐久間澄・上野義夫) | |
| 『広島県史 原爆資料編』(19720331)所収<pp.389-392> | ||
| 1953 | ||
| 0806 | 『広島平和問題談話会会誌 平和問題 第2号』(広島平和問題談話会) | |
| 佐久間澄「原子力問題の諸相」 | ||
| 1954 | ||
| 0215 | 『風のように炎のように-峠三吉追悼集』(峠三吉追悼集出版委員会・われらの詩の会編、刊) | |
| //佐久間澄「 想い出」/ | ||
| 1955 | ||
| 0310 | 『広島教育 No.49 1.2月号』(広島県教職員組合事業部) | |
| 原子力発電所建設に関する諸問題 佐久間澄 94 | ||
| 1956 | ||
| 0601 | 『水爆と人類(原水爆禁止のために1)』(佐久間澄、原水爆禁止広島協議会) | |
| 1008 | 『高校生による原爆資料紹介の会(仮称)活動報告』(広大教育学部附属高等学校) | |
| 1957 | ||
| 0801 | 『広島教育 No.79 8月号』(広島教育会館出版部) | |
| きれいな水爆は果たしてきれいか 広大理学部 佐久間澄 66 | ||
| 1958 | ||
| 0331 | 『広島に於ける被爆調査-文献抄録』(広島県医師会原爆医療特別委員会調査部) | |
| Ⅰ 理学篇 3)佐久間澄(広大,理学)庄野直美(広女大)小川修三(広大,理学)広島原爆の物理学的効果 4 |
||
| 1967 | ||
| 0801 | 『老いと怒りと 第2集 』(吉島被爆者の会) | |
| 推せんのことば 佐久間澄 3 | ||
| 0806 | 『壁 1968.8.6 未解放部落原爆被爆者の手記 差別と貧困の中から』(福島地区被爆者の会) | |
| 1101 | 『原水爆禁止科学者会議の記録 第2回』(第2回原水爆禁止科学者会議準備委員会事務局) | |
| 第3分科会 被爆者問題 原爆被爆者援護の歴史と課題 佐久間澄 75 |
||
| 1969 | ||
| 1120 | 『平和運動20年記念論文集』(日本平和委員会編、大月書店) | |
| 平和委員会20年の想い出ところどころ 佐久間澄 409 | ||
| 以下 <作業中> | ||
| 1971 | ||
| 0101 | 『原水爆禁止世界大会の記録 第17回 – 2』(原水爆禁止日本協議会) | |
| 0701 | 『原水協通信 71 7月号』(原水爆禁止日本協議会) | |
| 佐久間澄 「広島における原爆死亡者の新しい資料について」 5 | ||
| 広島大会第1日(本会議開会総会) 8月5日…1 日本原水協報告 佐久間澄 3 |
||
| 1975 | ||
| 0804 | 『木の葉のように焼かれて 第9集』(編集委員会、新日本婦人の会広島県本部) | |
| すいせんのことば 佐久間澄 5 | ||
| 1976 | ||
| 0720 | 『あさ 12号』(山下会) | |
| いまこそヒロシマの声を―佐久間澄先生を囲んで― 6 | ||
| 1001 | 『政治経済セミナー 10月号 第926号』(政治経済セミナー社) | |
| 日本共産党佐久間澄ら五人原爆のお陰で光栄に浴す! 43 | ||
| 1977 | ||
| 0701 | 『地域と科学者 第4号 被爆・核・広島特集』(日本科学者会議広島県支部) | |
| 核問題の現状と将来 佐久間澄(15) | ||
| 1978 | ||
| 0801 | 『文化評論 No.208 1978年08月』(新日本出版社) | |
| 核兵器全面禁止への新しい課題を語る 金子満広 佐久間澄…62 |
||
| 1979 | ||
| 0520 | 『平和教育運動 No.5』(日本平和教育研究協議会編、広島平和教育研究所出版部) | |
| <今日の核と平和問題>佐久間澄「核をめぐる状況と核時代の平和教育」 219 | ||
| 0601 | 『平和運動 No.128(通巻443号)』(日本平和委員会) | |
| 79年 近づく8月に想う 2 広島で 佐久間澄 2 長崎で 森正雄 5 |
||
| 1980 | ||
| 0710 | 『学習討論資料 No.2』(原水爆禁止日本協議会) | |
| 二、学習・討論集会の記録-17 主催者あいさつ 佐久間澄-18 |
||
| 0919 | 『原水爆禁止日本協議会結成25年記念パンフ』(原水爆禁止日本協議会) | |
| 二十五年の運動の成果に立って 佐久間澄 | ||
| 1982 | ||
| **** | 『記録・82年 平和のためのヒロシマ行動』(82年・平和のためのヒロシマ行動広島実行委員会) | |
| 1983 | ||
| 0221 | 『原爆瓦は語りつづける 原爆犠牲ヒロシマの碑建設の記録』(「原爆犠牲ヒロシマの碑」建設委員会) | |
| 原爆瓦が語るもの 佐久間澄 13 | ||
| 1984 | ||
| 0725 | 『あさ 18号 終刊号 』(山下会) | |
| 『あさ』終刊に深い感慨をこめて 佐久間澄……87 | ||
| 1991 | ||
| 0928 | 佐久間澄死亡。享年80歳。 | |
| 1992 | ||
| 0301 | 『平和教育研究 広島平和教育研究所・年報 Vol.19 1992.03』(広島平和教育研究所) | |
| 佐久間澄先生の死を悼む 庄野直美 74 | ||
| 0405 | 『日本物理学会誌 47 (4), 326- 』( 日本物理学会) | |
| 小川 修三「佐久間澄教授のご逝去を悼んで」 | ||
| 0725 | 『木の葉のように焼かれて 第26集』(新日本婦人の会広島県本部) | |
| 佐久間澄先生を偲ぶ 湯川寛子 39 | ||
| 1993 | ||
| 1001 | 『落暉燃ゆ 廣島高等学校創立七十年記念誌』(廣高七十年誌編集委員会編、廣島高等学校同窓会) | |
| 〈特別記載〉 細川藤右衛門教授の最後―『生死の火』理論研被災記から― 故 佐久間澄(広大名誉教授)…546 |
||
| 2016 | ||
| 02 | 『佐久間澄関係文書目録』(広島大学文書館、責任編集:平下義記) | |
| 解題…ⅰ
凡例…ⅳ
1.書類…1 (1)原水爆禁止協議会 (2)世界平和評議会 (3)被団協 (4)原爆・被害調査 (5)平和と学問を守る大学人の会 (6)被爆者援護 (7)科学者会議 (8)核兵器 (9)原子力発電 (10)日中友好協会 (11)民主主義をまもる全国学者・研究者の会 (12)平和学会 (13)平和教育研究所 (14)その他 2.原稿…21 3.新聞・スクラップ…23 4.小冊子…25 5.定期刊行物…29 6.書籍…39 責任編集 平下義記
|
||
| 28 | 1991 | 佐久間澄 | さくま・きよし | 80 | 広島県原水協理事長・同県被団協理事長。広島大学構内で被爆。お宅で面談、資料を閲覧。<資料年表:佐久間澄> |
止
資料年表:升川貴志栄(ますかわ・きしえ)<作業中>
| 年月日 | ||
| 1898 | ||
| **** | 誕生 | |
| 1961 | ||
| 0615 | 『ひろしまの河 NO.1』(原水爆禁止広島母の会) | |
| 升川貴志栄「16年後の2人の娘からの手紙」 | ||
| 0801 | 『ひろしまの河 NO.2』(原水爆禁止広島母の会) | |
| 座談会「被爆体験と今日の私たち」出席者=永瀬清子・林田みや子・西隅幸枝・日詰しのぶ・斉藤冨美江・森滝市郎・山口勇子・小西信子・升川貴志栄・藤井ゆり | ||
| 1962 | ||
| 0801 | 『ひろしまの河 NO.5』 | |
| [座談会]「被爆17年の市民感情の方向―ABCCを中心に」出席者=森滝しげ子・小西信子・升川貴志栄・前田登美子・」竹内美代子・正田篠枝・日詰しのぶ(まとめ)栗原貞子 | ||
| 1201 | 『ひろしまの河 NO.6』 | |
| 升川貴志栄「松の木」 | ||
| 1963 | ||
| 1220 | 『ひろしまの河 NO.6』 | |
| 升川貴志栄「癌で亡くなった主人を偲びて」 | ||
| 1965 | ||
| 0101 | 『ひろしまの河 NO.11』 | |
| 升川貴志栄「山本さんと益子さんの縁」 | ||
| 1966 | ||
| 0301 | 『ひろしまの河 NO.13』 | |
| 升川貴志栄「思いだすままに」 | ||
| 0801 | 『ひろしまの河 NO.13』 | |
| 升川貴志栄「病床譜」 | ||
| 1967 | ||
| 『ひろしまの河 NO.15』 | ||
| 0801 | 升川貴志栄「美濃綾子さんを悼む あれから21年目」 | |
| 1968 | ||
| 0801 | 『ひろしま 平和の歩み』(広島平和文化センター編、広島市) | |
| 一〇、市民による特殊な平和活動 79 原水禁広島母の会 会誌「ひろしまの河」発行 |
||
| 1972 | ||
| 0720 | 『ひろしまの河 NO.15 復刊1号』 | |
| 私の体験記 升川貴志栄ほか | ||
| <奥付の発行所>広島市尾長町****升川貴志栄方 原水爆禁止広島母の会 | ||
| 1976 | ||
| 0920 | 死亡。享年78歳。 | |
止
『考えるとは乗り越えることである 好村冨士彦遺稿・追悼集』(好村冨士彦遺稿・追悼集刊行委員会、三元社、2003/09/15)
| 部 | 著者 | ||
| 栗原貞子 | はじめに「亡き人と共に生きよう」 13 | ||
| 1 | 道しるべとなった人びと 15 | ||
| 好村冨士彦 『原爆詩集』の成立に立ち会う 19 佐々木基一さんのプロフィール 22 ブロッホ『希望の原理』の完訳刊行に寄せて 38 アウシュヴィッツ・ヒロシマ以後 42 『ベンヤミン著作集』の翻訳完結に寄せて 51 橋川兄弟を偲んで 55 追悼 野村修氏 57 |
|||
| 2 | 中高・療養時代 61 | ||
| 好村滋洋 兄、冨上彦と育った思い出 63 久保隅哲彦 彦やん―好村冨士彦さんの思い出 70 渡辺晋 好村君、また会いましょう 75 幾田篤 好村冨士彦君の思い出 77 御庄博実 朝鮮戦争下で、青年詩人好村冨十彦氏を知る 81 好村俊子 兄を偲んで―峠三吉の詩を朗読する 86 福島正純 好村さんの思い出 96 好村俊子 今は亡き冨土彦兄ちゃんへ 98 幸・ランメル 兄、好村冨十彦を偲ぶ 100 梅本丈夫 ヒコちゃんを送る従兄弟の心 102 好村冨士彦 原爆文学はかけがえのないメッセージ―ヒロシマ・ナガサキの文学 104 峠三吉との出会い 109 反核の詩人峠三吉―没後30年に思う 111 死者はいつまでも若い 114 朝倉勇 峠三吉をめぐっての好村冨士彦と僕―その青春と晩年 118 好村冨士彦 疎遠なシステムと化したわがふるさと東京 146 社会科学への目開く 147 好村玲子 好村との出会いから 149 |
|||
| 3 | 早大時代 155 | ||
| 好村冨士彦 クラス・ノートに一番手として 157 野口武彦 風薫る五月 159 山田和明 60年安保、非暴力、好村さん 160 三木實 若かったあの季節の私たち 165 岡田浩平 好村さんの学生時代 169 小峰(千葉)紀雄 いつまでも若い好村さん 180 下重光正 好村さんありがとう 182 好村冨士彦 美しき惑いの年―独文始末記 187 松代洋一 好村さんのこと 192 荒武俊子 柳に雪折れなし―好村夫妻 194 鈴木泰子 うれしい再会 195 巳之口武 心やさしき畏友 196 好村冨士彦 中島教論 200 中島敦とカフカ 235 トーマス・マンと初期の作品―『トリスタン』を中心に 242 ハウゼ楽団のこと 246 川田喜信 「風の会」の頃 250 網本喜美 想い出すこと 254 好村冨士彦 父親となって 256 安保後の風潮について 257 船戸満之 好村さんとブロッホ 261 竹下史郎 申し訳ありません 263 |
|||
| 4 | 日大時代 265 | ||
| 和田正信 好村さんとの「人間的信頼関係」 267 佐々木稔 風の中の旅人 269 三橋俊明 好村冨士彦と無尽出版会 271 好村冨士彦 不可視の渦の原点へ―日大闘争総括のための一視座 276 エドゥアルト・フックス―無名の大衆芸術への愛着 308 フックス『エロティック美術の巨匠たち』について 312 |
|||
| 5 | 京大時代 315 | ||
| 小寺昭次郎 好村さんを思う 317 徳永恂 「匙」の頃―ユートピアはあったか 319 小岸昭 好村さんの風景 324 池田浩士 オルガナイザーと転向 326 好村冨上彦 ユートピアは確かにあった 333 最新エッセイ事情―行方不明になった「冒険の精神」 340 ヴィリ・ミュンツェンベルク―ある革命的ジャーナリストの生と死 349 片岡卓三 京大時代の好村先生 370 栗原幸夫 三賢人の「星座」にかこまれて 372 左佐木朋子 好村先生との出会い 374 河田育子 本当の思想を持っていた人―好村冨士彦先生の思い出 376 好村冨士彦 花田清輝―作家案内 380 宮内豊 淡々として水の如くに 388 |
|||
| 6 | 広島時代 391 | ||
| 針生一郎 文化運動思想家の横顔 393 伊藤成彦 好村さんの近代=原爆文明への危機意識 396 原時彦 交友抄 398 好村冨士彦 原民喜を語る 400 文沢隆一 かれとヒロシマとのかかわり 401 小久保均 内なる友の死 405 好村冨士彦 「被爆の原点・広島からの呼びかけ」の会について 408 占浦千穂子 好村先生の思い出 418 伊藤真理子 好村冨士彦さんのもうひとつの仕事 420 池田正彦 「文学資料保全の会」のことなど 423 柴田幸子 好村先生を偲んで 425 好村冨士彦 詩集『銀杏の木への巡礼』が生まれるまで 429 森下弘 優しい眼差し 432 石嵜英子 好村先生との出会い 433 森安二三子 その目配りの優しさ 434 武谷田鶴子 好村先生は美男子だった 436 沼田鈴子 好村冨士彦先生を偲んで 438 寺島洋一 好村冨十彦さんと詩集『難民』の望月久 439 藤本仁 好村さんを悼む 441 山田夏樹 意志の人・行動の人 442 杉原助 座り込みをともにして 444 横原由紀夫 世界観を広げてくれた人 446 木原省治 肩から感じた温もり 448 小畑弘道 「つぶあんの会」のこと 449 高原泰五 療友 好村冨士彦君の思い出 451 高藤茂 間接的な事柄が縁となった 453 好村冨士彦 『行李の中から出てきた原爆の詩』の刊行にいたるまで 457 ホーマン君のこと 466 |
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| 7 | 広大・東亜大時代 469 | ||
| 脇坂豊 追悼 好村君 471 松元寛 好村さんに 472 杉山毅 心優しい行動者 474 水島裕雅 好村さんを想う 476 桜井醇児 「フェニックスの会」のメンバーとして 479 好村冨士彦 文学に見る平和の諸相 485 ブレヒトの仕事と思想より―危機的状況における文学 495 金森誠也 好村さんの思い出 509 岡本三夫 非凡な人間の非凡な生活スタイル 511 西村雅樹 好村先生を偲んで 513 島谷謙 好村先生の思い出 515 成定薫 ブレヒト『ガリレイの生涯』を介して 516 戸田吉信 遅きに失したが… 517 及川道比古 希望は裏切られることがある―『ブロッホの生涯」を担当して 520 原千史 テュービンゲンでの好村先生 525 安井榮一 好村先生と私の「奇妙な」関係 526 窪俊一 しなやかな枯れ木 530 占川千家 「笑い猫」 532 増本浩子 傍流の弟子 533 大野寿子 執念のドイツ語習得術―その影に隠されたあの一言 537 舩木篤也 「貴君の翻訳を楽しみにしています」 542 小田智敏 好村先生と音楽 544 好村冨士彦 ベラ・バルトークについて 549 わがストレイ・シーブたち 550 山本泰生 「直」の人 553 中川浩史郎 好村さんとの思い出に寄せて 554 浜村篤 教育者 好村冨士彦 558 清水洋子 好村冨士彦先生の思い出 559 竹本勝久 記憶と記録に残すこと 561 金田晋 好村冨士彦さんへの思い出つれづれ 563 米田綱路 好村冨士彦氏と「いまだ・ない」の哲学 566 |
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| 好村冨士彦 総合雑誌批評 574 回顧と反省 594 |
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| 好村冨十彦 年譜 600 好村冨士彦 原稿初出一覧 603 好村冨士彦 主要著・訳書一覧 606 追悼文 寄稿者一覧 608 あとがき 岡田浩平 610 |
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止
資料年表:好村冨士彦<作業中>
| 年月日 | 事項 | 備考 |
| 1931 | ||
| 0821 | 生 | |
| 1979 | ||
| 0401 | 『未来はここから始まる ヒロシマ詩集』(栗原貞子著、詩集刊行の会) | |
| 好村冨士彦「 野蛮の根っ子を撃つ詩」 87 | ||
| 1981 | ||
| 1001 | 『平和を研究する』(広島大学放送教育実験実施委員会) | |
| 第5回 文学に見る平和の諸相 好村冨士彦 11月8日(日)37 第6回 危機的状況における文学(2)-ブレヒトの仕事と思想より- 好村冨士彦 11月15日(日)49 |
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| 1982 | ||
| 0701 | 『平和文化 第36号』(広島平和文化センター) | |
| 軍縮特別総会失敗の背景 国際文学者平和会議に参加して 広大助教授 好村冨士彦 |
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| 1110 | 『ヒロシマ・ナガサキの証言’82秋 第4号』(石田明・浜崎均編、広島・長崎の証言の会) | |
| 反核文学から 好村冨士彦 130 | ||
| 1983 | ||
| 0801 | 『日本の原爆文学 15 評論/エッセイ』(「核戦争の危機を訴える文学者の声明」署名者編、ほるぷ出版) | |
| 好村冨士彦「反核の詩人 峠三吉」508 | ||
| 0901 | 『平和文化 第43号』(広島平和文化センター) | |
| アジアの人々にも納得できる平和運動を 日本人に求められる加害者としての自覚 広島大学教授 好村冨士彦 |
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| 0901 | 『真樹 第54巻第9号』() | |
| ゆるぎない反核の意志 広島大学教授 好村冨士彦 63 | ||
| 1121 | 『反核と第三世界 文学者は訴える 岩波ブックレット No.26』(伊藤成彦 [ほか]編、岩波書店) | |
| 編集委員:伊藤成彦 井上ひさし 大江健三郎 小田実 鎌田定夫 木下順二 小中陽太郎 好村冨士彦 中野孝次 夏堀正元 | ||
| 1986 | ||
| 0120 | 『安芸文学(安藝文学) 52号』(安芸文学同人会編集事務局) | |
| 鬼哭を聞く作家・大田洋子/好村冨士彦 9 | ||
| 1990 | ||
| 0101 | 『広島平和科学 13 1990年』(広島大学平和科学研究センター) | |
| 原爆詩人峠三吉の文学資料保全の試み 好村冨士彦……1 |
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| 0331 | 『峠三吉資料目録』(広島市立中央図書館) | |
| 好村冨士彦氏寄贈資料…206 | ||
| 0801 | 『行李の中から出てきた原爆の詩』(広島文学資料保全の会編、暮しの手帖社) | |
| 解説 好村冨士彦 216 | ||
| 1992 | ||
| 1101 | 『平和文化 第98号』(広島平和文化センター) | |
| 原爆文学はかけがえのないメッセージ~ヒロシマ・ナガサキの文学~ 広島大学文学部教授 好村冨士彦 | ||
| 1996 | ||
| 0101 | 『銀杏の木への巡礼 = Pilgrimage to a gingko tree』(森下弘、ジョン・ブラッドリー、エドワード・A・ダカティ詩、石嵜英子訳、ワールド・フレンドシップ・センター刊) | |
| 好村冨士彦「緒言」 | ||
| 1999 | ||
| 0820 | 『梶葉かじのは 梶山季之文学碑記念 通巻7』(「梶葉」刊行委員会(梶山季之文学碑管理委員会)) | |
| 佐々木基一さんのプロフィール -佐々木基一記念文庫公開講演会 好村冨士彦 117 |
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| 2002 | ||
| 0919 | 没。享年71歳 | |
| 2003 | ||
| 01 | 『第九条の会ヒロシマ会報 第36号』 | |
| 10、好村冨士彦さんを偲ぶ 栗原貞子 久野成章 | ||
| 0915 | 『考えるとは乗り越えることである―好村冨士彦遺稿・追悼集』(好村冨士彦遺稿・追悼集刊行委員会、三元社) | |
| 2008 | ||
| 0701 | 『くずれぬへいわを 峠三吉を語る 広島に文学館を!市民の会ブックレット Vol3』(広島ミニコミセンター編、広島に文学館を!市民の会刊) | |
| 『原爆詩集』の成立に立ち会う 好村冨士彦 96 ガリ刷りの『原爆詩集』 四國五郎 91 (解説)峠三吉の遺稿「生」について 「ちちをかえせ」が成立するまで 好村冨士彦 96 |
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| 2010 | ||
| 1220 | 『広島県現代文学事典』(植木研介・記) | |
| 2013 | ||
| 0930 | 『佐々木基一全集10 佐々木基一研究・補遺』(佐々木基一著・佐々木基一全集刊行会編纂、河出書房新社) | |
| 佐々木基一さんのプロフィール 好村冨士彦 120 | ||
止
好村冨士彦
| こうむら・ふじひこ | 19310821生20020919没 | 享年71歳 | 広島文学資料保全の会代表。『広島県現代文学事典』(植木研介・記)『考えるとは乗り越えることである―好村冨士彦遺稿・追悼集』 |
止
資料年表:秋信利彦<作業中>
| 年月日 | ||
| 1935 | ||
| **** | 誕生 | |
| 1991 | ||
| 0806 | 『志あるところ必ず道あり』(大原亨追悼録・遺稿集発行編纂委員会) | |
| 衆議第一議員会館215号室 素顔の大原さん 秋信利彦 71 | ||
| 2002 | ||
| 1007 | 『ヒロシマから、ヒロシマへ 大牟田稔遺稿集』(「大牟田稔遺稿集」刊行委員会、溪水社) | |
| 大牟田さんと「きのこ会」―解説に代えて 秋信利彦 33 | ||
| 2010 | ||
| 0915 | 死亡。 | |
| 2011 | ||
| 0325 | 『広島に聞く 広島を聞く <日英対照> = Reflections from Hiroshima』(浅井基文編著、かもがわ出版) | |
| I 昭和天皇と日本(日本人)の戦争責任 11 秋信利彦「きのこ会と原爆投下質問」 27 |
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| 15 | 2010 | あきのぶ・としひこ | 75 | 放送ジャーナリスト。中国放送(RCC)ディレクター・記者・常務取締役歴任。きのこ会。1935生。<資料年表:秋信利彦> |
止
資料年表:土門拳<作業中>
| 年月日 | ||
| 1909 | ||
| 1025 | 誕生 | |
| 1947 | ||
| 0201 | 『婦人画報 第510号』(婦人画報社) | |
| グラフ 文学五人女 土門拳 5 文学の女の世界 土門拳 9 |
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| 1949 | ||
| 1101 | 『女性改造 4巻11号』(改造社) | |
| グラビヤ わが道 撮影・土門拳 | ||
| 1952 | ||
| 1201 | 『文芸春秋 第30巻第17号』(文芸春秋新社) | |
| 新東京ダイジェスト…カメラ 土門拳 109 | ||
| 1953 | ||
| 0901 | 『世界 第93号』(岩波書店) | |
| 内灘 清水幾太郎 65/中村靜治 81/写真・土門拳 | ||
| 1954 | ||
| 0201 | 『世界 第98号』(岩波書店) | |
| 内職 大原富枝・土門拳 161 | ||
| 0401 | 『世界 第100号』(岩波書店) | |
| グラビヤ 「世界」を育てた人々(1) 土門拳 | ||
| 0701 | 『世界 第103号』(岩波書店) | |
| グラビヤ・一九五四年メーデー 土門拳 | ||
| 0801 | 『世界 第104号』(岩波書店) | |
| 今日の世相-生活と賭と政治と ★グラビヤ 澱-おり- 土門拳 |
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| 1955 | ||
| 0601 | 『知性 6月号 第2巻第6号』(河出書房) | |
| 《グラビア》 わたしの一日 亀井勝一郎 カメラ 土門拳 …15 |
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| 0701 | 『知性 7月号 第2巻第7号』(河出書房) | |
| 《グラビア》 わたしの暮し 芥川比呂志 本誌特写・土門拳 …15 |
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| 0901 | 『知性 9月号 第2巻第9号』(河出書房) | |
| わたしの暮らし 岡本太郎 本誌特写 土門拳 | ||
| 1101 | 『文芸 第12卷第14號』(河出書房) | |
| ◇口繪◇佐多稲子の衣・食・住 土門拳 | ||
| 1958 | ||
| 0325 | 『ヒロシマ 土門拳 KEN DOMON HIROSHIMA』(土門拳、研光社) | |
| 0625 | 『現代日本写真全集 2 土門拳作品集』(土門拳、東京創元社) | |
| グラフ 文学五人女 土門拳 5 文学の女の世界 土門拳 9 |
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| 1961 | ||
| 0101 | 『Hiroshima-Nagasaki : Document 1961』(The Japan Council against Atomic and Hydrogen Bombs ; 原水爆禁止日本協議会 (日本原水協)) | |
| ヒロシマ・ナガサキの記録 発行 原水爆禁止日本協議会 編集 ヒロシマ・ナガサキの記録編集委員会 構成 伊藤知己 重森弘滝 瀬木慎一 序文 湯川秀樹 写真 土門拳 東松照明 絵画 丸木位里 丸木俊子 文 長谷川竜生 本文執筆 草野信男 佐久間澄 畑敏雄 |
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| 1974 | ||
| 0710 | 『死ぬことと生きること 続』(土門拳著、築地書館) | |
| 1978 | ||
| 0803 | 『生きているヒロシマ』(土門拳著、築地書館) | |
| 1985 | ||
| 0820 | 『ヒロシマ 土門拳全集10』(土門拳著、小学館) | |
| 1990 | ||
| 0915 | 死亡。享年80歳。 | |
| 2010 | ||
| 1220 | 『広島県現代文学事典』 | |
| 「土門拳」(田中裕之・記) | ||
止