小野文子<作業中>
| おの・ふみこ | ****生20080201没 | 享年 | 広島大学原爆死没者慰霊行事委員会の委員。 |
関連資料
| 年月日 | 資料名 | 著者・作成者 | |
| 19850110 | 追悼記 一冊の貯金通帳番号控より | 広島女子高等師範学校附属山中高等女学校原爆死没者追悼文集編集委員会 | |
| 19931020 | 追悼記 増補 ヒロシマの願い | 広島女子高等師範学校附属山中高等女学校原爆死没者追悼文集編集委員会 | |
| 19950330 | 創立90周年記念誌 | 広島大学付属中・高等学校90周年誌編纂委員会 | |
止
ヒロシマの歴史を残された言葉や資料をもとにたどるサイトです。
小野文子<作業中>
| おの・ふみこ | ****生20080201没 | 享年 | 広島大学原爆死没者慰霊行事委員会の委員。 |
関連資料
| 年月日 | 資料名 | 著者・作成者 | |
| 19850110 | 追悼記 一冊の貯金通帳番号控より | 広島女子高等師範学校附属山中高等女学校原爆死没者追悼文集編集委員会 | |
| 19931020 | 追悼記 増補 ヒロシマの願い | 広島女子高等師範学校附属山中高等女学校原爆死没者追悼文集編集委員会 | |
| 19950330 | 創立90周年記念誌 | 広島大学付属中・高等学校90周年誌編纂委員会 | |
止
「小西のぶ子年表」(『炎の巡礼者 ヒロシマの母 小西のぶ子遺稿集』所収)
| 年 | 月日 | 事項 | 備考 |
| 1906 | 1025 | 草津(現在広島市西区)に生まれる。父・小西末吉、母・ヨリ。 | |
| 1928 | 日本大学専門部社会科にて三木清に学ぶ。 | ||
| 1941 | 広島電鉄社会福利課勤務(寮母) | ||
| 1945 | 0806 | 広島にて被爆、一子満義(13歳)を失う。 | |
| 0926 | 応急の事務室の黒焦げ電車の中で三木清の獄死を知る。 | ||
| 0927 | 原爆症で動けなくなる。※蝸牛吟社の同好となる(緑雨の号)。 | ||
| 1949 | 広島電鉄労組婦人部長、私鉄総連中国地方婦人部長。 | ||
| 06 | 日鋼争議を支援。 | ||
| 1950 | 0716 | 広島電鉄労組「勅令311号」違反容疑で家宅捜索、8名逮捕。 | |
| 1002 | 平和擁護広島大会に峠三吉と共に議長団として参加。 | ||
| 1023 | 広島電鉄労組38名のレレッドパージ。姪の安部礼子婦人部長と共に広電を追われる。行商で妹和子と峠三吉の生計を支える。 | ||
| 1951 | 婦人民主クラブ広島支部設立。 | ||
| 1952 | 原爆被害者の会結成に参加。 | ||
| ※『われら母なれば(原爆体験記)』に「腐爛地蔵」発表―エスペラント語翻訳で世界に紹介される。 | |||
| 1955 | 0806 | 第一回原水禁世界大会に準備委(県婦協三役)として参加。於広島。 | |
| 1956 | 第二回原水禁世界大会に被爆者代表として参加。於長崎。 | ||
| 1959 | 原水禁母の会結成。 | ||
| ※女性俳句誌『黒雨以後』に参加。 | |||
| 1960 | 安保闘争、婦人民主クラブとして国会闘争に参加。広大生逮捕者の救援活動 | ||
| 1961 | 『ひろしまの河』発刊、編集担う | ||
| 1962 | 原水禁常任理事。 | ||
| 1965 | 母ヨリ失う。 | ||
| 1966 | サルトルに出会う。 | ||
| 1967 | 『ひろしまの河』に宋年順聞き書きを発表。 | ||
| ※沖縄返還運動で訪沖。 | |||
| 1968 | 原子力空母エンタープライズ佐世保寄港阻止闘争に参加。 | ||
| 東北・北海道へ援護法制定要求行動50日行脚(巡礼に参加) | |||
| 1969 | 0806 | 無期限スト封鎮中の広島大砦の八・六広島反戦集会に参加。 | |
| 0818 | 広島大砦決戦の救援で活躍。 | ||
| 1970 | 0805 | 広島被爆者青年同盟結成に協力。 | |
| 1971 | 0415 | 天皇来広糾弾闘争に参加。 | |
| 0806 | 佐藤来広糾弾闘争に参加。 | ||
| 1010 | 全国被爆者青年同盟結成に協力。 | ||
| 中国訪問団(婦民)に加わる。 | |||
| 12 | 高陽病院建設全国キャラバン支援。 | ||
| 三里塚闘争に参加。 | |||
| 1972 | 0801 | 高陽病院(第一診療所)開設。 | |
| 反公害、婦民運動、反弾圧闘争などに活躍。 | |||
| 婦民創立25周年に参加。 | |||
| 1974 | 戸村一作選挙応援。 | ||
| 1975 | 壱岐遺骨収集に加わる。 | ||
| 三里塚百万人動員中四国実行委員会結成、事務局長となる。 | |||
| 0417 | 三里塚現地集会に参加。 | ||
| 0622 | 反戦陂爆者の会結成、会長となる。 | ||
| 12 | 俳句集『腐爛地蔵』出版。 | ||
| 1978 | 0226 | 『腐爛地蔵』出版記念会。 | |
| 1980 | 脳血栓で倒れる。 | ||
| 1981 | 草津南町義勇隊の碑建設。 | ||
| 1982 | 宮岡砂川反対同盟行動隊長の葬儀出席後北富士に行く。 | ||
| 反核行動(広島、大阪、東京)に参加。 | |||
| 『地獄絵』発刊。 | |||
| 1984 | 0910 | 骨折、脳血栓で入院(小山外科)。 | |
| 1985 | 03 | 三里塚現地集会参加(最後)。 | |
| 0805 | 8・5婦民集会参加(最後)。 | ||
| 11 | 入院(記念病院)。 | ||
| 12 | 退院。 | ||
| 1986 | 06 | 入院(加川外科)。 | |
| 1987 | 0207 | 午前7時50分逝去(享年80歳)。 | |
止
『地獄絵 草津南町国民義勇隊全滅の記録』(小西ノブ子著、田螺社、19821105)<作業中>
内容
| 口絵写真 | |||
| 被爆直後の土橋付近 | |||
| 被爆直後の寿座付近 | |||
| 草津救護所 | |||
| 草津漁港 | |||
| 国民義勇隊追悼之碑 | |||
| 草津南町国民義勇隊戦災死者名 | |||
| 碑文 | |||
| 国民義勇隊出動指令伝達 | |||
| 頁 | |||
| 006 | 発刊のことば 小西ノブ子 | ||
| 009 | 草津南町国民義勇隊全滅の記録 | ||
| 070 | 遺族探し | ||
| 077 | 手記 | ||
| <遺族8名> | |||
| 098 | 慰霊碑建立に寄せて 門妙子 | ||
| 101 | 私の原爆体験記(堀憲義) | ||
| 123 | 手記 腐爛地蔵( 小西ノブ子) | ||
| 145 | 座談会 | ||
| 172 | 編集後記 | ||
| 174 | あとがき(小西ノブ子:遺族代表) | ||
| 175 | 著者略歴 | ||
止
『炎の巡礼者 ヒロシマの母 小西のぶ子遺稿集』(小西のぶ子遺稿集編集委員会、社会評論社、19880806)
内容<作業中>
| 頁 | |||
| 口絵 | |||
| 001 | 母と子(丸木俊) | ||
| 007 | 刊行にあたって | ||
| 008 | きびしさと優しさと(宅和純:小西のぶ子遺稿集編集委員会・小西記念館設立準備委員会代表) | ||
| 011 | 若者の中に生き続ける(下田礼子:遺族代表) | ||
| 014 | 反戦ひとすじ-ヒロシマの母(伊豆ハルミ:婦人民主クラブ全国協広島支部) | ||
| 019 | Ⅰ 被爆のあとさき | ||
| 020 | [解題] | ||
| 023 | 1 私の花物語 | ||
| 023 | さくら | ||
| 032 | 花菖蒲 | ||
| 040 | 黄水仙 | ||
| 048 | 夾竹桃 | ||
| 056 | 牡丹 | ||
| 065 | 鈴蘭 | ||
| 074 | 鈴蘭(続) | ||
| 083 | 2 被爆のあとさき | ||
| 083 | 戦前・非合法時代のこと | ||
| 086 | 1945年8月6日のこと | ||
| 087 | 峠三吉のこと | ||
| 091 | 人間の尊厳―イースター行進 | ||
| 宮本定吉のこと | |||
| 093 | II 人間を返せと | ||
| 094 | [解題] | ||
| 097 | 1 腐爛地蔵 | ||
| 崩壊 腐爛地蔵 餘燼 肉親たち 鈴ケ嶺収容所 婦民200名が長崎で集会 許せぬ安保改定強行 原水爆禁止広島母の会 初の広島母親大会 憲法の勉強はじめる | |||
| 117 | 2 人間を返せと | ||
| 124 | III ヒロシマに生きる | ||
| ―[解題] 124 1 ピカドンはまだ消えない 127 2 原爆慰霊碑めぐり 132 白いつつじ 花時計 梅雨の晴れ間 8月6日 似の島 嵐の中の母子像 広島郵便局殉職碑 「原爆の子」の像 崇徳学園 3 原水禁運動をみつめて 175 岩国基地 原水禁運動をみつめて [資料]被爆17年の市民感情の方向 原爆病院を訪ねて 癒える日のないヒロシマ 4 平和は名もなき大衆が守る 202 春のいずみ 平和は名もなき大衆が守る 5 ヒロシマの声 207 子どもと放射能禍 広島の史跡残そう 8・6の季節はじまる 被災者を慰問 広島での人間蒸発の事実 人類の殉教者といわれても ズシリと重さを感じる折りづる 孤老とラジオ 大みそかに1年ぶりのお風呂 よみがえる大本営! ヒロシマ 原爆都市の名にそむく 被爆者に冷酷な特別措置法 農村で喜ばれる検診車 「止むなし」と被爆者は思う 「あのときはどうしとったん」 生活保護の被爆者 追憶の記 6 歩く―聞き書き 230 生まれた子供の顔がみたい 7年目の邂こうから 午前2時15分 その刻を私は無くしたい 遺影をしのんで 歩るく ケロイドから皮膚癌に きのこ会 原爆スラム街相生通り 亡き崔秀子さんと綾子さん 原爆投下の目標はどこであったか 7 新樹の楊 293 8 婦人民主クラブの活動 307 広島でも300人を集める (論壇)出る身になって |
|||
| 312 | IV 炎と燃えて | ||
|
―[解題] 1 広島の夏 314 広島の夏誓い新たに! 心の傷は癒えない 人間をかえせ! キャラバン隊ニッポン行脚 雀らにドームは親し夏蓬莱 2 反戦被爆者の会へ 327 今こそ反戦被爆者の会へ結集しよう 「反戦被爆者の会」結成宣言 被爆33周年 8・6広島反戦集会賛同よびかけ 反戦被爆者の会8・6総括会議から あいさつ 悲しみを怒りにかえて 編集後記 巻頭言 迷ったら原点に還れ 会長あいさつ 巻頭言 8・6の復讐戦へ 編集後記 巻頭言 農地死守の不屈の精神に学べ 峠三吉と現代 3 朝鮮人被爆者の戦後 354 朝鮮の被爆者が花束 朝鮮人被爆者への差別 在韓被爆者の戦後はつづく 韓国徴用工 遺体発掘の行 差別と貧困 ベトナムは人ごとではない 4 沖縄とアメリカの被爆者 372 貧しい沖縄から出てきて広島で被爆 広島原爆で死んだ米兵捕虜23人 消える海 5 正しい者は勝たねばならない 380 人権侵害に抗して 侵略に加担しない反戦教師、人事委と対決 綿ぼこりのなかのスト “小西さんはダメ”MP・私服が立入拒否 広島を軍靴で荒らすな! 正しいものは勝たねばならない 県労会議・原水禁への手紙 6 公害で市を告発 391 戦争の傷跡のこす毒ガス「障害者」 公害で市を告発 公害で泣く“神の島”(安芸の宮島) 石ケン害デマでシャボン玉戦争 7 句集刊行 402 句集『腐爛地蔵』への序―秋光泉児 402 句集『ヒロシマ』とするために―豊永恵三郎 408 |
|||
| 412 | V たおれてもなお | ||
| ―[解題] | |||
| 415 | 1 三里塚と連帯し核戦争を許さぬ闘いを | ||
| 広島と私と三里塚 砂川から北富士へ 日本原風物詩 三里塚と連帯し核戦争を許さぬ戦いを | |||
| 424 | 2 たおれてもなお | ||
| 人類の巡礼者 『地獄絵』の手記のお願い 地獄絵周辺 私の絵と藤の花 日記抄 | |||
| 440 | 3 アピール | ||
| 発刊にあたって 婦民運動の力強い発展を 全関西実行委員会宛アピール 動労千葉ジェット燃料貨車輸送阻止闘争へのアピール | |||
| [小西のぶ子氏を追悼する] 焼野(やまかわさくじ:反戦被爆者の会) 447 | |||
| 451 | [小西のぶ子氏を追悼する]比類なき戦闘精神をわがものに人民解放の偉業を引き継ぐ(革命的共産主義者同盟 中・四国地方委員会) | ||
| 456 | 小西のぶ子年表 | ||
| 459 | あとがき | ||
止
重松逸造 しげまつ・いつぞう
| 19171125生20120206没 | 享年94 | 放射線影響研究所理事長(1981.7.1-1997)。箕輪真澄「日本の疫学における重松逸造先生の足跡」(『ヘルスサイエンス・ヘルスケア12-1』2012) |
| 原爆後障害研究と原医研 |
| 『広島大学原爆放射能医学研究所創立30周年記念講演会記録』 |
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止
ノーマン・カズンズ<作業中>
| かずんず | 19150624生19901130没 | Norman Cousins | 享年75 | 広島市の特別名誉市民。1949年に来広し、原爆孤児の精神養子運動や原爆乙女の渡米治療に尽力。990年4月「庭野平和賞」受賞のため来広。 |
ノーマン・カズンズ博士顕彰事業(広島県医師会)
『広島県医師会史 第II編』(広島県医師会、20040330)第6章第7節
| 1 | ノーマン・カズンズ博士の功績と略歴…676 | |
| ノーマン・カズンズ博士(1912~1990)略歴(広島関係のみ) | ||
| ノーマン・カズンズ、広島市特別名誉市民 | ||
| 2 | カズンズ氏記念碑建設委員会…678 | |
| 第1回(20021101)~第5回(20030710) | ||
| ノーマン・カズンズ氏記念碑建設委員会委員 | ||
| ノーマン・カズンズ博士の記念碑の設置について | ||
| 設置計画の概要 | ||
| 3 | カズンズ氏記念碑除幕式…679 | |
| 真田幸三主催者代表挨拶 | ||
| ノーマン・カズンズ氏記念碑除幕式次第 | ||
| 碑文 | ||
| 4 | カズンズ氏記念碑建設委員会に「国際交流奨励賞」…683 | |
止
マルセル・ジュノー博士顕彰事業(広島県医師会)<作業中>
『広島県医師会史 第II編』(広島県医師会、20040330)第6章第6節
内容
| 1 | Dr.ジュノーと広島…657 | |||
| マルセル・ジュノー略歴 | ||||
| 2 | Dr.ジュノーの掘り起こし…659 | |||
| 3 | Dr.ジュノー顕彰世話人会発足…661 | |||
| 1.ジュノー博士顕彰第1回世話人会 | ||||
| 2.第2回世話人会 | ||||
| 3.第3回世話人会 | ||||
| 4.第4回世話人会 | ||||
| 4 | Dr.ジュノー発起人会、役員会…662 | |||
| ジュノー博士記念碑建立会会則 | ||||
| ジュノー博士記念碑建立会役員 | ||||
| 5 | Dr.ジュノー記念碑除幕式…664 | |||
| 6 | Dr.ジュノー記念祭…666 | |||
| 第1回ジュノー記念祭 | ||||
| 第6回ジュノー記念祭 | ||||
| 第13回ジュノー記念祭 | ||||
| ジュノー記念祭略史…674 | ||||
| 第1回 19900617 | ||||
| 第2回 19900616 | ||||
| 第3回 19900614 | ||||
| 第4回 19900613 | ||||
| 第5回 19900612 | ||||
| 第6回 19900618 | ||||
| 第7回 19900616 | ||||
| 第8回 19900608 | ||||
| 第9回 19900607 | ||||
| 第10回 19900620 | ||||
| 第11回 19900618 | ||||
| 第12回 19900617 | ||||
| 第13回 19900616 | ||||
| 第14回 19900615 | ||||
止
『今堀恭子の面影』(今堀一枝編、今堀友市、19560302)
内容<作業中>
| 第1部 | 遺稿 | ||
| 1 短歌 1 2 詩および物語詩 21 3 学校劇「運命の並木路」 63 4 随筆 93 5 民話「マコマの話」(翻訳)137 6 小説「悪魔の悲しみ」(翻訳)143 7 「死」についての言葉 229 |
|||
| 第2部 | 小伝 | ||
| 恩寵は溢る -今堀恭子の追憶-(今堀一枝)235 | |||
| 誕生/大阪へ/入学/一本橋を渡るけいこ/お誕生日/作文/赤い鳥/紫式部が好き/鈴蘭の花/中島小学校/女学生時代/ヘレフォード夫人とジュリアさん/女高師時代/文理科大学時代/父の外遊/福山へ/大学副手に/大阪へ/大阪時代に思い出すことの一、二/工員/原爆投下/あずまくだり/佐原の生活/東京へ/乳癌/日赤病院に入院/ギブスのなやみ/癌ではなかろうか/病篤し/解剖/医師のノート/ | |||
| 納棺式/告別式/式の順序/ | |||
| 弔電 | 279 | ||
| 弔辞1/尚志会代表(杉本直治郎)/ | 280 | ||
| 弔辞2/市女同窓会代表(神谷文子) | 283 | ||
| 弔辞3/文理大同期生代表(森田武) | 284 | ||
| 弔辞4/ | 286 | ||
| 弔辞5/受業生・同窓会代表 | 288 | ||
| 弔辞6/ | 289 | ||
| 恩寵溢る | 292 | ||
| 第3部 | 思い出 | ||
| 1 友人 299 | |||
| 2 旧師 327 | |||
| 3 別懇 339 | |||
| 4 受業生 353 | |||
| 5 家族 361 | |||
| 今堀友市 | |||
| 今堀淳一 | |||
| 今堀誠二 | |||
| 今堀宏三 | |||
| 今堀和友 | |||
| 今堀百合子 | |||
| 6 雑録387 | |||
| 故今堀恭子氏告別式(日本基督教団広島教会週報第9号 2月27日) | 388 | ||
| 原爆症が影響か 今堀さんの死亡(中国新聞 2月28日) | |||
| 原爆症で友を失う(皆実有朋新聞 30年4月1日) | |||
| 今堀恭子先生逝去さる(豊多摩同窓会会報 30年7月1日) | |||
| 年譜 391 | |||
| 後記 396 | |||
止
「生きて・労働運動家 吉田治平さん(1922年~)」『中国新聞』15回連載20100518~0609 西本雅実記)<作業中>
内容
| 回 | |||
| 1 | 組合60年 「弱者」に寄り添い歩む | 2010/5/18 | |
| 2 | 新聞記者の息子 転校繰り返し父が急死 | ||
| 3 | 広島一中 軍国教育にはなじめず | ||
| 4 | 外務省電信課 日米開戦の足音感じる | ||
| 5 | 学徒出陣 電信隊に配属 九州回る | ||
| 6 | 廃虚の街 掘り返した母と妹の骨 | ||
| 7 | 新聞記者 焼け跡の掃除から入社 | ||
| 8 | 夕刊ひろしま 「戦後」に手探りで挑む | ||
| 9 | |||
| 10 | 広島自由労組 日雇いに飛び込み結成 | ||
| 11 | 「もち代」要求 市役所に座り込み拘置 | ||
| 12 | 広島市議 仲間に推され4期当選 | ||
| 13 | わしらの被爆体験 今も許せない原爆投下 | ||
| 14 | 皆実平和住宅 復興期から住み続ける | ||
| 15 | 私の訴え 怒りを覚え 声を上げよ | 201006 | |
止
資料年表:山岡ミチコ<作業中>
| 年月日 | |||
| 19530905 | 『花の命は短かくて 原爆乙女の手記』(小島順編、 共同出版社) | ||
| 19730717 | 『ひろしまの河』第17号( 原水爆禁止広島母の会) | ||
| 19951223 | 『広島大学公開講座:被爆50年-放射線が人体に与えた影響』(広島大学放送教育実施委員会、19951001) | ||
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|||
| 20070101 | ![]() |
||
| 20130201 | 「山岡ミチコさん 被爆し 渡米治療」(『中国新聞』20130201、田中美千子記)http://www.hiroshimapeacemedia.jp/?p=8665 | ||
止
山岡ミチコ
| やまおか・みちこ | ************生20130202没 | 82 | 被爆証言者。被爆10年後に渡米しケロイド治療を受けた女性25人の一人(『中国新聞』)
広島大学公開講座の宇吹担当回に出演。 |
止
故・河合幸尾先生をしのぶ会 1997年4月5日<作業中>
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| 呼びかけ人:青木圭介、鈴木勉・田村和之・中澤美治・中司登志美 |
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![]() |
止
『河合幸尾論集 社会福祉と自立』(河合幸尾、かもがわ出版、19980420)
内容
| 刊行にあたって―河合幸尾氏の研究業績と残された課題 真田是 | |||
| 1⃣ | 社会福祉と自立・主体形成 | ||
| 1 | 社会福祉において、いま、なぜ自立か | ||
| 現代の生活問題 福祉イデオロギー 社会福祉の到達点 |
|||
| 2 | 社会福祉における自立とは何か | ||
| 社会福祉の目的と福祉諸法における「自立」の位置 16 自立と人間的・社会的自由 社会福祉の権利と福祉労働の意義 |
|||
| 3 | 自立に必要な諸条件の確保をめざして 23 | ||
| 生存権(生活権)空洞化の系譜 23 ナショナル・ミニマムと在宅福祉サービス 80年代以降の我が国住民運動の特徴 26 ワーカー・福祉諸機関の自立と主体性 「参加型福祉とボランティア活動(運動)の主体性 |
|||
| 2⃣ | 戦後生活保護行政の変遷 | ||
| はじめに | |||
| Ⅰ | 旧生活保護法の成立と展開 | ||
| 1「生活困窮者緊急生活援護要綱」 2旧生活保護法の成立 3旧生活保護法の展開 47 4生活保護法改正への動き 54 5対日「民主化」政策のねらい |
|||
| Ⅱ | 生活保護法の改正 65 | ||
| 1改正にこめられていた課題 65 2社会保障制度審議会勧告と国会審議 3新生活保護法の発足と社会福祉主事制度の誕生 |
|||
| Ⅲ | 保護「適正化」政策の展開 77 | ||
| 1再軍備政策と生活保護 77 2生活保護「適正化」政策の展問 81 3昭和二九年度社会保障関係予算削減問題 4生活保護闘争の発展と朝日訴訟の始まり |
|||
| Ⅳ | 生活保護の低迷と低所得層対策 98 | ||
| 1「高度経済成長政策」と低所得層 2昭和三〇年代前半の生活保護 3低所得層対策と生活保護 |
|||
| V | 生活保護における「ケースワーク」の展開 | ||
| 1厚生省生活保護理論とケースワーク 2生活保護行政における「ケースワーク」の変遷 3「ケースワーク」の行方 125 |
|||
| Ⅵ | 資本の強成長と生活保護の「整備」 129 | ||
| 1昭和三三年~三五年の改訂 129 2昭和三六年度第一七次改訂 134 3昭和三八年までの保護行政の展開 |
|||
| Ⅶ | 保護弾圧と労働力流動化政策の展開 | ||
| 1生活保護おける弾圧の開始 2弾圧期における保護の実態と全生連運運動 3労働力流動化政策としての生活保護 |
|||
| おわりに | |||
| 3⃣ | 追悼 | ||
| 研究者仲間から 医療生協の人びと 同窓、同郷の人びと 教え子たち 家族 河合幸尾教官研究業績一覧 河合幸尾略年譜 |
|||
| あとがき 228 | |||
止
『わしらの被爆体験 100人の証言』(全日自労広島分会・自労被爆者の会編、全日自労広島分会、19770720)<作業中>
内容
| 章 | わしらの被爆体験 ――この目で見た原爆地獄―― | |
| 1 | ||
| 2 | 被爆後のわしら ――その生活と健康の不安―― | |
| 3 | わしらの願い ――原爆のない世界・援護法の制定―― | |
| 怒りと悲しみの中から (組合・常任)吉田治平(54) 204 | ||
| 資料 | ||
止
吉田治平
| よしだ・じへい |
20180131没 |
享年95 | 1945年8月6日の広島壊滅を福岡で聞く。軍命令で神奈川へ向かう途次の5日、上幟町の実家跡を掘り返す。1950年に広島自由労組を結成。元広島市議会議員。1977年失対労働者100人の証言『わしらの被爆体験』を編む(西本雅実「評伝・吉田治平さん」『中国新聞』2018.2.9)<別記予定> |
止
鈴木直吉<作業中>
| すずき・なおきち | 生19860129没 | 享年90歳 | 1949年広島県立医科大学教授。広島大学医学部教授(「中国年鑑1956」)。 |
略歴
| 年月日 | ||||
| 1895 | 愛知県生まれ。 | |||
| 20歳で洗礼、クリスチャンに。 | ||||
| 1926 | 東京帝国大学農学部卒業 | |||
| 東北帝国大学助手として解剖学者としての第一歩 | ||||
| 岩手医学専門学校教授,満洲医科大学教授,横浜医科大学教授等。 | ||||
| 1949 | 広島県立医科大学教授。 | |||
| 国立移管により広島大学教授 | ||||
| 1958 | 停年退官 | |||
| 岩手医科大学教授,広島文教女子大学教授,順正短期大学教授を歴任 | ||||
| 武者小路実篤や郭沫若と親交 | ||||
| 1952 | 広島大学教授らでつくった「平和と学問を守る大学 人の会」会長 |
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| 1955 | 第1回原水禁世界大会(広島市)の開催に尽力 | |||
| 1964 | 広島県原水協初代会長 | |||
| 日中広島県連合会名誉会長 | ||||
| 1964 | 中国科学院の招待により第1回日本 学術代表団団長として訪中。 |
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| 呉市芸術文化功労賞 | ||||
| 1969 | 勲三等瑞宝章。 | |||
| 参考資料 | ||||
| 広島大学「学内通信」19850325 | ||||
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栗原登 くりはら・みのる<作業中>
| 19261130生20160907没 | 享年90歳 | 広島大学原爆放射能医学研究所所長(1985年4月1日~1987年3月)。 |
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広島大学歴代医学部長
https://www.hiroshima-u.ac.jp/med/about/dean
| 代 | 姓名 | よみ | 期間 | 備考 |
| 1 | 河石九二夫 | かわいし・くにお | 昭和28年8月1日~昭和31年4月1日 | |
| 2 | 西丸和義 | にしまる・かずよし | 昭和31年4月1日~昭和31年10月22日 | |
| 3 | 鈴木直吉 | すずき・なおきち | 昭和31年10月22日~昭和33年3月31日 | |
| 4 | 渡辺漸 | わたなべ・すすむ | 昭和33年3月31日~昭和35年3月31日 | |
| 5 | 塚本寛 | |||
| 6 | 中塚正行 | |||
| 7 | 浦城二郎 | |||
| 8 | 中塚正行 | |||
| 9 | 浦城二郎 | |||
| 10 | 小林宏志 | |||
| 11 | 澤野十蔵 | |||
| 12 | 矢村卓三 | |||
| 13 | 仁平寛巳 | |||
| 14 | 矢村卓三 | |||
| 15 | 西本幸男 | にしもと・ゆきお | 昭和57年4月2日~昭和60年9月10日 | |
| 16 | 松尾吉恭 | |||
| 17 | 徳岡昭治 | |||
| 18 | 盛生倫夫 | |||
| 19 | 原田康夫 | はらだ・やすお | 平成2年4月1日~平成5年5月20日 | |
| 20 | 川崎尚 | |||
| 21 | 調枝寛治 | |||
| 22 | 吉永文隆 | よしなが・ふみたか | 平成8年4月1日~平成10年3月31日 | |
| 23 | 松浦雄一郎 | |||
| 24 | 大濱絋三 | |||
| 25 | 井内康輝 | 平成14年4月1日~平成18年3月31日 | ||
| 26 | ||||
| 27 | ||||
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川村智治郎
| かわむら・としじろう | 19060307生20030127没 | 享年96歳 | 広島大学第3代学長。第52回(昭和37年5月11日)日本学士院賞。 |
関係資料
| 19671001 | 「放送とわたし」(『放送RCC』第71号1967.10.01 所収) | ||
| 19821017 | 『追懐 広島高等師範学校創立八十周年記念』(広島高等師範学校創立八十周年記念事業会編・刊) | ||
| 19950107 | 元広島大学(旧広島大学理学部1号館)の保存を考える会設立。会長に就任。 | ||
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序(蔵本淳・広島大学原爆放射能医学研究所長・付属原爆被災学術資料センター長)
『原爆関係蔵書目録Ⅲ 1984年1月~1988年12月』(広島大学原爆放射能医学研究所附属原爆被災学術資料センター資料調査室 編・刊、19900731)所収
内容
| 序 昨年末,全米研究評議会(NRC)は低レベル電離放射線の生物学的影響についてBEIR (Biological Effect ofIonizing Radiation)の報告書Vを発表して注目されている。現在,放射線許容量などの基礎ともなっている BEIR一報告書Ⅲ(Chairman: A, C, Upton, 1980), I CRP (国際放射線防禦委員会)や, UNSCEAR (国連科学委員会)からのデータが,この10年間の広島,長崎での調査研究成果から,大幅な改訂を迫られたというoとくに白血病や,発癌リスクについては従来の甘さが指摘され,また被爆胎児の知能発育,被爆者の子供への遺伝的影響,被爆者年令(ATB)の影響などの見直し,未解決の問題を指摘している。 本資料センターは,原爆被災に関する資料の保存を目的として1974年(昭和49年)4月,日本学術会議の政府勧告,地元広島,長崎市民の要望,研究者,関係財団の熱意と努力の結果,当研究所に併設された。その当時の関係者の卓見とこれを実現された熱意とエネルギーに襟を正す思いである。 以来,営々と資料の収集と整理に努力が重ねられ,すでに「原水爆関係資料目録I」は1974~78年の5年分を1980年に,「原爆関係蔵書目録U」は, 1979~1983年の5年分を1985年に発刊してきた。今回は特に直接被爆者本人からしか聞きとれない,かけがえのない原爆被爆体験に関わる資料を一義的に収集する方針から被爆記録,体験記,手記に重点をおいた。そして個人体験のみならず,原爆当時の組織,機関,団体ごとの手記や記録が主要なものとなっている。45年を経過し,生き証人となる方々が,年々少なくなってこれら貴重な資料が埋れ,散逸することが懸念されている。今回の成果は市民の方々の深い理解と暖かい協力の賜であることを強調して感謝したい。 本センターは,これら「資料調査室」の活動とともに,「医学資料室」,「人口資料室」が各々の作業を進めて,原医研年報に成果を報告している。今後は上記のごとく,広島,長崎のデータが,これからの人類の命運に関わる放射線の人体に及ぼす影響について,原子力の平和利用,宇宙開発に伴う健康管理についてのかけがえのない情報を提供することにより,世界平和にも貢献できる貴重な資料であることを改めて確認する必要があろう。またそうならなくてはならない責任が,この資料センターには嫁せられ,また期待されていることを認識しなければならない。4年を経過したチェルノブイル原発事故後の放射能汚染問題を解決するため,ソ連政府からの依頼でIAEA (国際原子力機関)が調査を開始している。今回も広島,長崎からの参加,研究協力がソ連政府からも,国際機関からもそして現地の官民,医療機関からも強く要望されていることを,身をもって体験し覚悟を新たにしている。 目録刊行にあたり資料の御寄贈御協力頂いた方々に感謝すると共に,目録の作成に尽力された資料調査室の皆様に敬意を表します。今後共,各位の御理解と御指導を切にお願い致します。 1990年5月 広島大学原爆放射能医学研究所長 附属原爆被災学術資料センター長 藏本 淳 |
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