「原爆一号」といわれて

『「原爆一号」といわれて ちくまぶっくす36』(吉川清、筑摩書房、19810724)

目次

 見出し
 はじめに
 1  怒りこみ上げる基本懇の答申
1  運命の日
  8  夜勤明けのその日
 19  死に脅える毎日
 23  八月一五日
2  救護所での日々
26  血と膿の体
29  極貧の日々
 32  死亡者名簿の私の名前
 37  救護所の閉鎖
39  日赤病院へ入院
3 43  原爆一号
44  原爆一号の命名
 49  インタビューや訪問客に追われる
写真(1947年)広島日赤病院の屋上でライフ誌の撮影に協力。
51  医学学術集会での研究材料
写真(1949年)広島日赤病院を慰問したプロ野球選手と。故小西得郎氏、藤村冨美男氏の姿も。
54  ケロイド手術の失敗
57  患者会結成と強制退院
4  原爆ドーム横集落時代
62  野宿
65  原爆ドーム横にみやげ物店開店
70  被爆者を訪ね歩く
78  原爆傷害者更生会の誕生
83  原爆乙女と私
写真(1950年)日赤広島病院を訪れた日本ペンクラブの一行と。故川端康成氏の姿も。
写真(1953年)東大附属病院小石川分院で、原爆乙女の診察に立ち会う。
5  被爆者運動の組織化
92  原爆被害者の会を結成
100  ケロイドを見せものにしてなぜ悪い
写真(1963年)ヒロシマみやげをつくるのもひと苦労。福島菊次郎氏撮影。
103  原爆被害者の会の協力会
105  原爆被害者の会分裂
111  ABCCの横暴
6  原水爆禁止世界大会
118  平和都市広島の再興
128  原水爆禁止広島市民大会
129  ネール首相の広島訪問
写真(1957年)広島原爆病院前で故ネール首相と。
131  国会請願と日本被団協結成
134  原爆一号の店取り壊し
写真(1957年)原爆一号の店の前で。
136  原水禁運動の分裂
7   バー「原始林」開店
 138  マスターの私、ママの妻
140  ホステス、被爆者の売春婦
 144  不愉快な客
  8 東南アジア歴訪
 150  パール博士の碑文への疑問
  157  インドネシアでの広島出身元日本兵
 9  映画と私
  164  「原爆の子」
 166  「ひろしま」
  167  「生きていてよかった」
  168  「二十四時間の情事」
 169  「ヒロシマ一九六六」
 175  「記録なき青春」
 176  「ヒロシマの証人」
 177  挫折した「小さな恋人たち」
 178  「灯は生きていた」
 178  流産した「にっぽんの青い鳥」
  180  反響をよんだ「はだしのゲン」
10   折り折りの人
 182  宗教と私
 186  病に倒れた峠三吉
 189  首相官邸前で割腹自殺した小林雲徹
写真(1957年)クリスマス島英水爆実験に抗議して座り込み。右端が小林雲徹。
 193  ガンで死んだ南小一
 197  広島へ通った土門拳
写真(1953年)原爆一号の店の前で土門氏と。
 203  結びにかえて

平和のともしび 原爆第一号患者の手記

『平和のともしび 原爆第一号患者の手記』(吉川清、京都印書館、19490815)目次

 事項
口絵 上図:著者の両腕と背のケロイド(松笠やうのもの)
下図:ライフ誌上に掲載された一文
「ライフ」特派員より著者に送られた書簡
病床にある著者と妻。英文はタイム誌上に掲げられた一文
永久に平和記念館として保存される旧産業奨励館
 1 序 (富田勝己 <京都府立医科大学外科教室> )
5 目次
図:避難場所、休憩場所
 1  思ひ出の八月六日
 4  悲しき経験
  11  命は助つたが
 15  生の欲望
「大粒の雨」、「西原国民学校」
 21  遂に失神
「祇園青年会館」
 25  その夜の救護所
「祇園神社」
 29  可部町勝圓寺にて
 29 父を亡ふ
「可部の警察署の診療所」、「勝圓寺の御堂」
  33  八月十五日を迎ふ
  37  顕著な原爆症状
 42  絶望より微かな希望へ
 52  焼土廣島の見開
  59  復員列車をみる
  63  友情に泣く
 三次町より川内村へ
70  無医村に迎へる冬
 赤十字病院に入院
   75  三度廣島へ
  79  闘病生活つづく
 87  山根さんの人間的魅力
   91  再び思ひ出の八月六日
  97  平和の黙祷
 100 死の淵を彷徨
 103  春を迎へて
  105  平和の礎石に
  111  実験臺上へ
116  「ライフ」特派員と會ふ
  122  跋 (伊藤嘉夫 広島赤十字病院皮膚科医学博士 )
 後記( 吉川清)
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 口絵

京都印書館=1944年(昭和19年) 人文書院と立命館出版部ほか京都の出版社数社が企業整備により統合し誕生した出版社。http://www.jimbunshoin.co.jp/company/c285.html

 

 

核権力ーヒロシマの告発

『核権力ーヒロシマの告発』(金井利博、三省堂、19700615 )

目次

章節
核権力下の日本
1 広島はなぜ“ヒロシマ”か
広島と沖縄
広島の顔
核権力からの脱出
2 「核権力」下の日本
日本をとりまく「核」
エンタープライズ入港時の国内反応
「核戦力」と「核権力」
3 日本の「核権力」
核軍縮と日本政府
ソ連の単独核実験停止
キューバ事件の意味
部分核停と不拡散条約
日本の「核権力」
アメリカの日本への期待
アメリカ軍の伝統思想
4 「核」軍事論の誤算
抑止論の弱点
偶発戦争のトリック
「抱き締め」戦法と「突き放し」戦法
5 核廃棄の政治学-「人質」論をめぐって
戦略から政略へ
「人質」は一枚岩か
人質の「まだら」化
人質を犠牲にすること
「核権力」を無意味化する道
「人質」と「核は張り子の虎」
全人類が「人質」
6
核権力と軍事
1 「軍都」広島の体験
人民と「軍都」
「軍都」広島
原爆投下と「一枚岩」態勢
日本に非戦闘員なし
原爆投下までの核権力構造
「軍事」をこえる三つの問題
2 「無差別爆撃」の歴史
日本軍の無差別爆撃
イギリス・アメリカが始めた無差別爆撃
変質低下の技術
「火攻め」の新戦略から原爆へ
原爆投下前後の日本
3 「戦時」と「平時」の境界なき攻撃
外国との戦争と民衆の被害の歴史
「平時」に及ぶ緩慢殺人
「人災」と「天災」
ビキニ実験とその被害
過剰殺人と緩慢殺人
4 「未知」効果に無責任な攻撃
原爆投下作戦の実態
実験室となった広島・長崎
後回しの人体効果
日本医学者の努力
アメリカの資料略奪
「未知兵器」への無責任
核権力と自由
1 「あいまいさ」の恐怖
原爆投下の戦略上、政略上の「あいまいさ」
ベトナム戦争の中の「あいまいさ」
2 人種差別は「敵意」を増幅するか
人種差別と戦争
日本の中の差別体系
民族自決と人権の確立
3 被爆者ヘの差別
生活上の差別
補償上の差別
意識上の差別
4 官尊民卑の戦災補償
軍人優先の思想
切り捨てられる非戦闘員
救貧措置としての被爆者対策
原爆体験抜きの原子力産業
反核権力論
1 原水禁運動の断層
意識のずれの問題
基本的な問題
2 核権力の「君臨」
核権力の神格化
「制服」と「私服」の原爆体験
3 原爆被害の実態調査
「人的被害」の追跡
今もって未整理の被爆人口
4 広島の「怨念」と「自由」
広島の「怨念」と権力者
差別の垣
被爆地図復元運動-原爆体験を社会体験に
貴重な原爆映画
拡大する資料収集運動
核権力“神話”の破壊
〈資料〉原水爆被害白書を国連へ提出の件
1.原爆は「威力」としてだけ知られた
2.原水爆は人間的悲惨の極としてはいまだ知られていない
(1964年8月5日・中国新聞社論説委員・金井利博記)
あとがき(抄)
この本は安田武氏、また中国新聞社の平岡敬、大牟田稔両氏の三年前の強い勧めによって生まれた。間接には原爆犠牲者と亡母金井時子の無言の励ましを感じながら書き続けた。

原爆の子 見よ!戦争の惨苦を!

『原爆の子 見よ!戦争の惨苦を!-広島の少年少女・魂の叫び』(日本労働組合総評議会情報出版部、19520803)

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序文
長田新(日本教育学会会長・日本子供を守る会会長・文学博士)
私は「原爆の子」を24万7千の犠牲者の供養として出版させていただいたのです。
あとがき
肥川治一郎
「総評に結集されている320万労働者大衆」、「105篇」の中から「32篇を選んで教文シリーズ第1集とし」
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咲け山ユリの心 山村児童と広島原爆病院の交流

『咲け山ユリの心 山村児童と広島原爆病院の交流』(神田三亀男著 日本経済評論社、19880625 )

内容

備考
装幀=佐藤忠
写真 平和を祈る弥かゆりの像
001 芸北の山地
005 青少年赤十字団活動
009 山ユリを見舞いに
014 日赤病院長からの礼状
020 山ユリをバケツで運ぶ
023 患者さんからの手紙
026 原爆病院へ
033 慰問文集の発行
037 山ユリと文集を持って
052 患者と児童を結ぶ
062 山ユリ慰問の記録
074 山ユリ慰問を終えて
086 「ささゆり研究試験地」
093 児童会の活動
097 文集「やまゆり」抄
194 山村児童の生活史『やまゆり』
200 山ユリ慰問三十五周年
208 記念事業で 山ゆりの像
212 除幕式で 平和宣言
216 平和を訴えた中学生
 222 佐々木巨美さんを動かしたもの
233 ある被爆者
237 上殿小学校の学校経営
253 地域ぐるみの愛の使節
261 あとがき

神田三亀男

神田三亀男

かんだ・みきお ****生20171026没 享年95 民俗学者、歌人。『広島県現代文学事典』。

著書

書名 発行所 発行年月日
原爆に夫を奪われて 広島の農婦たちの証言 岩波書店(新書) 19820222
咲け!山ユリの心-山村児童と広島原爆病院の交流 日本経済評論社 19880625
証言・戦争と農村-戦争・原爆・農婦たち 日本農業新聞中国・四国支所 19830801

 

 

山崎与三郎

山崎与三郎

やまさき・よさぶろう 19760704没 享年86

資料

体験記 『吾家の原爆体験記 死線を越えて』(山崎与三郎、19730715)

目次
1 はしがき
2 山崎基定(長男) あの日の思い出
3 山崎キミ( 妻) 家の下敷から救われた命
4 八木道子(長女) 灰燼の中に幼児を抱きて
5  山崎与三郎(父) 死線を越えて
6 あとがき

編著書

原爆関係文献目録 広島・長崎を中心とする 山崎与三郎編、千田書房 19540723 U
原爆被災資料総目録 第二集 原爆被災資料広島研究会 19700806 U
創立百周年記念誌 広島市立本川小学校 19730110
平和の聖都ひろしま 広島巡礼案内 山崎与三郎著 高橋謄写堂 19750720 U
吾家の原爆体験記 死線を越えて

大原三八雄

大原三八雄

19920706没 おおはら・みやお 享年87 「広島詩集 1965」(広島県詩人協会)、「世界原爆詩集」(角川文庫)を編集。広島女子大学・広島工業大学名誉教授。『広島県現代文学事典』

市岡正憲

市岡正憲

19190609生19930622没 いちおか・まさのり 享年74歳 広島県被団協理事長・県原水協理事長。

資料

19710622 『教研速報No.2』 広教組広島地区支部教文部 所蔵:ピカ研
学級づくり・集団づくりの学習会-6月26日(土)午後2時より 社会福祉センター(予定) 講師 市岡正憲(三原附属教頭・三原市生研)先生
19890605 歌集・炎1-反核非戦の闘いのために 火幻短歌会

 

 

ドキュメント悲しみの千羽鶴

ドキュメント・悲しみの千羽鶴(豊田清史、創樹社、1991/07/10)目次

1 鶴を折りつつなぜ死んだ
2 二歳で被爆、でも元気に育った
3 六年生の冬、原爆症が出た
4 生きたくて千羽鶴を折る
5 ほんとうは千三百羽をこえていた
6 禎子よ、もう一度この胸に
7 「原爆の子の像」建立へ
8 子どもの力で平和をきずくのだ
9 パン代五五〇円使っただけ
10 はばたく千羽鶴
11 苦しみに絶った若い命
12 千羽鶴のこころね
13 次つぎと寄せられた千羽鶴
14 反核への折り鶴運動
15 禎子の折った赤い鶴
16 海を越える折り鶴の輪
17 折り鶴への放火事件
18 像の二〇万羽を引きちぎる
19 首相の句碑には折り鶴がない
20 「折り鶴の会」の嘆き
21 折り鶴でとっちめられた私
22 千羽鶴の詩歌や出版書
23 ピカドン竹藪の千羽鶴
24 「金色の鶴」の紛失
25 湯川博士より「千羽鶴」の書
26 お母さんの千羽鶴
27 七六万羽折った北川さん
28 町をあげて千羽鶴運動
29 さまざまな問題をもつ平和公園
30 鶴に生きる禎子の霊よ
31 千羽鶴が絶えませぬように
あとに

 

 

石井金一郎先生追悼号(歴史と教育)

『『歴史と教育(広島歴教協)』NO. 14
石井金一郎先生追悼号目次

著者 タイトル
 今堀誠二  石井教授の学問
 石井和郎  ぼくの父
 天野卓郎  石井金一郎先生を偲んで
 篠原孝義  組織者石井金一郎先生
 有田譲  石井先生と部落問題
 松岡金光  石井先生を偲んで
 村上尚三郎  石井先生の死を悼む
 故石井金一郎氏遺族をはげます募金のお願い
 資料  石井教授の死 平和運動に打撃 原爆医療法成立に功労(『中国新聞』19670622)
遺徳をしのび500人 石井教授の教養部葬 霊前にひっそり学位記(『中国新聞』19670623)
天野 編集後記

菊池武彦

菊池武彦

きくち・たけひこ 生19850504没 享年91歳 京都大学原爆災害調査班の一員として1945年8月に広島を調査。『京都大学原子爆弾災害総合研究調査班の成立と活動』、『大野陸軍病院における京大原爆総合研究調査班の山津波による遭難の状況(私の日記から)』。お宅を訪問。被爆直後の写真について教示をいただく。

下中記念財団

下中弥三郎  1878 年生、1961年2月21日死亡。享年84歳。

下中記念財団 1962年6月設立。理事に赤井米吉(初代の理事長)。茅誠司、谷川徹三、中島健蔵、湯川秀樹など。

出典:https://www.shimonaka.or.jp/

 

父は沖縄で死んだ

『父は沖縄で死んだ』(大田英雄、高文研、19890613 )

目次

 見出し  備考
沖縄県民かく戦えり
 ◇還ってきた父のシャレコウベ◇沖縄”捨て石”作戦◇武器は「竹槍」だった◇海軍部隊の最期◇二つの電文◇壕の中の遺骨◇命沖縄の土になった「父」
家族の見た父の肖像
 ◇命父と母の出会い◇軍人とその妻◇「武人」の横顔◇子供たちの目に映った父◇六番目で最初の男の子◇かいま見た太平洋戦争の実態◇佐世保に移る◇坂に消えた白い手袋
遺族たちの「戦後」
  ◇初めての呉空襲◇学童疎開先で知った父の死◇八月十五日の夕焼け◇墨を塗らされた教科書◇食うためのたたかい◇離散したきょうだい◇新制中学の授業◇高校時代の記憶◇一度は考えた防大受験◇「沖縄」を避けていた大学時代◇教会活動・洗礼・就職
教師として生きる
島の分校の新米教師 倉橋分校?
***倉橋分校?。昼間定時制
 生徒に教えられたヒロシマ
***体育祭の仮装行列で原爆被災者を演じる。
「瀬戸の花嫁」
末弟も防衛大へ
職員会議で罵倒された私
***1963年4月広島県立賀茂高等学校へ赴任。「日の丸」問題。滝尾英二先生のアシスタントとして社会科研究クラブの研修旅行「大和路の旅」へ生徒を引率。
古墳にとりつかれて
呉市に戻る
***1967年4月広島県立呉宮原高等学校へ赴任。
モーニング論争
同和教育運動のなかで
防衛大へ行った教え子
***呉でも大学セクトの指導でアジト。宮原高校も一つの拠点。「反戦高校生」は「呉黄幡弾薬庫や江田島秋月弾薬庫」などを取り上げる。
自衛隊員の子女に自衛隊をどう教えるか
***1983年に盛岡で開かれた「第32次全国教育研究集会」の「人権と平和」教育分科会にレポーターとして参加。助言者に森田俊男先生。
平和教育にとりつかれて
 映画「沖縄」の上映運動
 カヤさん、マキさんとの出会い
***1972年カヤ(萱原威=被爆者。広高校の数学の教師)先生が中心となり県下に先がけ高教組呉地区支部内に平和教育推進部を結成。マキ(牧岡宏明。広高校の数学の教師)。972年カヤ、マキらで全国高校生活指導研究協議会呉支部(略称:呉高生研)結成。
 呉空襲を記録する会
***1974年歴史教育者協議会呉支部を中心に 呉空襲を記録する会を結成。1975年『呉空襲記』(中国新聞社、吉川記者)刊。
平和教育読本をつくる
***呉地区の平和教育推進部の提案で高教組本部に編集委員会設置。『明日に生きる』
平和教育推進部
***1977年カヤさんが広島商業高校に転勤。
呉地区高校生「平和の集い」
***1973年、平和教育推進部で貸し切りバスを仕立て第19回原水爆禁止世界大会の文化集会に生徒ともども参加。上条恒彦の声に圧倒される。翌年、生徒の要望で世界大会そのものに参加。1975年2月、第1回呉地区高校生「平和の集い」(呉地区高校生徒会連絡会主催、平和教育推進部・呉高生研援助、原水爆禁止呉協議会・歴史教育者協議会呉支部後援)。
「高校生平和ゼミナール」の出発
***1977年(松崎徹、沢野重男ら)「広島平和ゼミナール」結成。
8・6高校生平和集会への道=
1975年第19回原水爆禁止世界大会高校生分科会終了後、松崎から大田に相談。
第20回原水爆禁止世界大会高校生分科会終了後、指導者会議に提起。
第21回原水爆禁止世界大会高校生分科会で学園に根差した高校生の活動報告。
大阪清水谷高校の文化祭での平和問題への取り組み。
以後、3年のうち2回は広島県高校生平和ゼミナールが、1回は長崎高校生平和ゼミナールが、地元実行委員会として世話役。
 平和は創りだすもの
***呉地区高校生「平和の集い」=2月と6月の2回。第3回、第5回、第6回の内容
すばらしい生徒たち
***第7回、第13回、
「原爆瓦」に負けるな
***戦跡フィールドワーク。1982年2月第15回「平和の集い」。
一年六組の旗
***1982年4月、ホームルームを担当。6月の第16回「平和の集い」
盛岡の誓い
***「第32次全国教育研究集会」(1983年)。広島(沢野重男・大亀信行)・長崎・埼玉(小岩井増夫)・呉で「8・6全国高校生集会」。森田塾。
VI 沖縄で見た「父」
 父の「電文」との出会い
 歴教協・呉支部をつくる
 海軍壕で見た「父」
 基地オキナワの現実
安仁屋政昭氏との再会
「兄は反戦教師、弟は自衛官」
二度目の訪沖
平良知事の涙
三度目の訪沖
VII  沖縄戦“追体験”の旅
 「観光コースでない沖縄」
 本島中部の戦跡と基地
糸数壕にて
摩文仁の丘にて
平和祈念資料館にて
 「ひめゆり」の衝撃
 父の「電文」の背後にあったもの
 旅の終わり
VIII 呉にも「沖縄」があった
 軍港都市・呉の誕生
海軍・戦争とともに歩んだ呉
呉空襲の被害が大きかった理由
呉の「摩文仁ヶ丘」と「健児の塔」
 呉にもあった「ひめゆりの塔」
 戦艦「大和」の碑
 壕の中の地獄
 帝国海軍の終焉「呉沖海空戦」
「軍都」呉は、いま
 あとがき

建築家橋本秀夫遺稿集

橋本秀夫の仕事ぶり 建築家橋本秀夫遺稿集
= The works of Hideo Hashimoto
橋本秀夫遺稿集編集委員会編・刊 20090701

目次

まえがき
秀夫と連れそって 橋本ノブエ
橋本秀夫氏の資料について 菊楽忍
第1部 論文集
広島城
廻り番付と広島城
広島城城割に就て
「度量之絵図」に学ぶいろは四十八櫓
広島城再建「基礎と瓦」
広島城と石垣
広島城と石垣(郡山)
石塁工事普請符牒(石垣文様)について
広島城遺構三之丸校倉(多家神社宝蔵)
多家神社宝蔵と廻り番付について
広島城の生活用水と樋門
広島城修築と天災考
レンガ建築
広島の近代文化遺産 煉化石あらかると
ヒロシマの被爆建造物は語る レンガあらかると
広島の明治建築 広島の近代文化遺産 旧広島陸軍兵器支廠の研究
古いアルバムに拾った平和の尊さ 広島陸軍兵器支廠火薬庫大爆発に想う
明治1号館有難う 旧陸軍兵器支廠1号館の解体によせて
広島の明治建築 旧陸軍糧秣支廠の研究
広島市郷土資料館見学記
旧広島陸軍糧秣支廠
上等赤煉化石造「広島市郷土資料館」の周辺
宇品陸軍糧秣支廠倉庫(宇品日通倉庫)
蘇る旧広島陸軍被服支廠 保存と文化
広島の明治建築 夢を贈る中世のお城
亀山発電所
広島電気軌道(株)
広島県物産陳列館
臨時広島軍用水道(牛田水源地)
郷土史と文化財
六号潜水艇と人間佐久間
旧広島水上警察署
旧広島地方気象台
蘇った日本外史
拓本が語る厳島神社五重塔
広島の近代文化遺産 後楽のこころ
広島の秘境 湯之山明神旧湯治場
悟をひらいた苔
もう一つの八岐の大蛇
鑪と吉水園
広島 加計町のバロック『吉水亭』
呉市に咲いた花「蔵本通り」
新日山安國寺 不動院梵鐘楼に就て
不動院鐘楼実測に依る時代的班別について
第2部 砲台巡り
著者御紹介 広島大学名誉教授 日本民俗建築学会会長 佐藤重夫
まえがき
広島湾要塞の築城
第1章 室浜砲台
第2章 鷹の巣砲台
第3章 大那沙美砲台
第4章 岸根砲台
第5章 鶴原砲台
第6章 三高山砲台
第7章 大君砲台
第8章 早瀬堡塁砲台(早瀬第1~第2砲台)
第9章 休石砲台
第10章 高鳥砲台
第11章 大久野島堡塁砲台
第12章 忠海芸備砲兵大隊
第13章 大空山砲台
第14章 小島砲台
砲台建築仕法通則
沿革年表
コラム
特集 彫刻と建築 街の表札
黄金の汗に輝く 広島大会
広島 ネズミのくれた小判『海田の宿 千葉邸』
旧街道ウォッチング「命びろいの三角の家垂」
古釘のうた 日本のバロック建築
『世紀末のドイツ建築』小幡一著
学校は心のふるさと 学校特集 球児とカンカン帽子
心の叙勲
古釘のうた 小さな平和
古釘のうら 床下のベートーベン(鴬張り)
私の推薦する作品

・生まれかわった芸備線向原駅
・唯信寺本堂
・私立学校教職員共済組合広島会館(広島ガーデンパレス)
・広島富士見郵便局局舎

私の推薦する作品 ・筆の里工房
・株式会社日食広島支店
・三良坂リバティーホール
・広島市安芸区スポーツセンター
旧街道ウォッチング「最敬礼!!」
番付と人生観
街路地と陽光
心の故郷 懐かしい学窓
長官山に咲いた金唐紙
お庭を喰った美術館
あとがき
橋本さんへの手紙 松林俊 一

楠忠之オーラル・ヒストリー 目次

『楠忠之オーラル・ヒストリー 広島大学文書館オーラル・ヒストリー事業研究成果報告書』(楠忠之著、石田雅春、布川弘編 、20171031)目次

はじめに(広島大学75年編さん室 石田雅春) 聞き取り日
第1回 生い立ち・幟町小学校の思い出
修道中学校時代の思い出
広島高等師範学校(臨教)への進学
海軍予備学生への志願…12
佐世保海兵団、旅順海軍特別根拠地隊への配属
20160204
第2回 予備学生・生徒の状況(前回の補足)
敗戦前後の状況
ソ連軍の進駐
シベリア抑留(1)
帰国、ヒロシマの惨状
日本国憲法との出会い
広陵高校への就職、広島文理科大学を受験
シベリア抑留(2)
広島文理科大学での勉強
20160310
第3回 広島文理科大学時代の思い出
学生運動について
卒業、宇品中学校への勤務
結婚について
映画「ひろしま」への協力
庚午中学校への転任
20160425
第4回 前回の補足(日鋼争議、広島反戦学生同盟、レッドパージ)
教職員組合の政党支持
学校施設・生徒指導の状況
受験指導の状況
PTAとの関係について
進路指導・家庭訪問について
一〇・ニーストライキ(昭和四一年)について(1)
原水爆禁止日本協議会、平和教育について
勤評闘争について
20160519
第5回 庚午中学校への中傷
生徒指導について
小学校教員と中学校教員の気質の違い
勤務評定について
翠町中学校への転任
20160701
第6回 学力テスト反対闘争について
高校入試制度の改革について
原水爆禁止運動の分裂について(1)
署名運動の力
原水爆禁止運動の分裂について(2)
20160802
第7回 所蔵の写真について
一〇・ニーストライキ(昭和四一年)について(2)
一〇・二六ストライキ(昭和四二年)について
平和教育(原爆副教材の作成)について
学校の運営方法(校長の権限)について
20160916
第8回 部落解放同盟広島県連合会と広島県教職員組合の関係について
(1)
大学紛争の影響について
部落解放同盟広島県連合会と広島県教職員組合の関係について
(2)
県議会議員選挙への出馬
県議会議員としての仕事(イノシシ対策、井口高校新設、不正経理問題、解放同盟問題など)
住民運動とのかかわり
20161130
第9回 自民党による解放同盟批判
総合選抜制への批判
八者合意について
原爆遺跡保存運動懇談会について
20161222
第10回 広島県原水爆禁止日本協議会について
原爆遺跡保存運動懇談会について
「中島地区ゆかりの人たちの集い」について
「建物疎開動員学徒の原爆被災の実相を記録する会」について
原爆ドームの景観を守る運動について
町内(庚午南)のマンション建設問題について
「原爆の子」を受け継ぐ会について
九条の会について
最近の取り組みについて(被爆建物、かき船問題)
広島教育研究所について
20170111