ヒロシマのこだまに―メアリ・マクミランと広島

『ヒロシマのこだまに メアリ・マクミランと広島』(藤原茂編、溪水社 [渓水社]19800525)

 

荒木武(広島市長) いつまでもお元気で
原田東岷 また会いましょうメアリさん
1 アメリカから広島へ
1. 幼いころ 2.学生時代 3.日本へ
2 なつかしいヒロシマの人々
女学院の人たち 松本卓夫先生 元吉潔先生 原田寿先生 熊田ムメ先生 河本一郎君 岩崎大介さん 多田公夫さん
被爆者の人たち 宋年順さん かみさこおばさん 池田ハツヨさん ふじやまのおばあちゃん
仲間たち 松原静江さん 松原静一さん 室積康也さん 藤本みどりさん
お世話になった人たち 日吉未亡人 今石あきさん 原田東岷さん 銀行家の小田氏
教え子たち 今田あやめさん 今田さん 芝間タヅさん 石国ふみこさん 中本博子さん 秦知子さんのことなど
宣教師仲間 ウィリー・富樫さん グレース・ウィルソン 宗像基牧師
3 資料編 1947年~  1980年
年譜
あとがき

目次

 

肥田舜太郎

肥田舜太郎

ひだ・しゅんたろう 生20170320没 享年100

資料

新聞 掲載年月日 見出し
赤旗 20020326 ひと 全日本民主医療機関連合会の会長に就任した肥田泰(ひだゆたか)さん さいたま市に父(被爆者で医師の舜太郎氏)と母、妻。57歳。
赤旗 20040301 本と人と 『ヒロシマを生きのびて』 肥田舜太郎さん 自分史がそのまま貴重な戦後史
朝日新聞 20130409 ひと 肥田舜太郎さん 日韓で「非核・脱原発」を訴える96歳の被爆医師 肥田舜太郎さん
20170321~26、死亡記事

 

原民喜

原民喜

はら・たみき 19051115生19510313没 享年45
   詩人・小説家。『広島県現代文学事典』(岩崎文人・記)1919年広島高師附中入学。慶応義塾大学に進む。千葉から郷里の広島に疎開中被爆。東京・西荻窪で鉄道自殺。広島市本通り商店街の商店で原時彦氏(民喜の甥)に被爆時民喜が所持していた手帳を閲覧させていただく

資料年表

年月日 事項
19940701 原民喜文学資料展(会場:広島市中央図書館)(出典:「中国新聞」19940702)
19940904 文学散歩<32>原民喜 夏の花 妻とヒロシマへの挽歌 被爆記録もとに平静に(出典:「赤旗(日曜版)」19940904)
20010306 文化 原民喜回顧展に寄せて 「夏の花」が私たちに語るもの 「パット剥ギトッテシマッタアトノセカイ」(掲載紙:「中国新聞」20010306)
20010310 原民喜回顧展(主催:広島花幻忌の会(会長:大牟田稔)、会場:旧日本銀行広島支店)。~3月23日。(出典:「中国新聞」20010310、同20010311)
20010310 シンポジウム「広島文学を読み継ぐために」(主催:広島花幻忌の会(会長:大牟田稔)、会場:原爆資料館東館、出典:「中国新聞」20010314)
20010310 文化 原民喜没後50年 繊細で強い光今も放つ シンポや回顧展(掲載紙:「中国新聞」20010314)
20011110 原民喜生誕96年記念祭(主催:広島花幻忌の会(会長:大牟田稔)、事務局長:海老根勲。会場:原民喜詩碑前。出典:「朝日新聞」200101111)。
20020310 花幻忌(出典:「中国新聞」20020311)。
20031121 文学の力 第2部燃えつくす魂①亡妻と原爆胸に 原民喜至純の世界求め続け(掲載紙:「朝日新聞」20170314、音谷健郎・記)。
20040314 原民喜の追悼に100人 没後53年 中高生が詩を朗読(掲載紙::「朝日新聞」20170314)。
20040728 原民喜<1>夏の花 廃墟から 「惜しかったね、戦争は終わったのに…」と声をかけた。(掲載紙:「中国新聞」20040728)
20150218 原民喜の手帳平和資料館に おいが3冊寄託 世界記憶遺産目指す(出典:「朝日新聞」20170219)。
20150218 直後の広島を記録 原民喜の手帳原爆資料館へ(出典:「赤旗」20170219)。
20150218 伝えるヒロシマ 「夏の花」の原点手帳を寄託 原民喜の遺族が原爆資料館に(出典:「中国新聞」20170219)。
(出典:「朝日新聞」20150315)。
(出典:「中国新聞」20161120)。
(出典:「中国新聞」20170309)。
20170312 原民喜碑前祭(出典:「中国新聞」20170313)。
20171112 原民喜生誕祭(出典:「中国新聞」20181130)。
20181129 展覧会「原民喜―かすかにうずく星」(出典:「朝日新聞」20181130)。

 

 

 

松田重次郎(梶山季之著)

梶山季之著『松田重次郎 一業一人伝』( 時事通信社、1966.2.25

目次

備考
梶山季之 はしがき
目次
第1章  生い立ち
誕生・母
負けじ魂
独立心を学ぶ
鍛冶屋の魅力
第2章  修業時代(その1)
大阪の鍛冶屋奉公
機械鍛冶から呉工廠へ
職工第一歩
大阪砲兵工廠・養子
第3章  修業時代(その2)
失敗・長崎で再出発
佐世保からふたたび呉工廠へ
工作船・三池丸
独立を志す
第4章  松田式ポンプの製造
十坪の鉄工所設立
厳しい職人気質
松田式喞筒合資会社の設立
乗っ取りの策謀に泣く
どん底からの再起
業界に手腕を認めらる
「大正型松田式ポンプ」の完成
第5章  関西財界の寵児となる
海軍演習用魚雷の頭部を製造
ロシア政府から信管の依頼
見本製造に全智を傾ける
設備資金の捻出
事前に万全を期す
“大正の今太閤”
アルミ買いつけに苦心
ロシア検査官たちとの交渉
信管工場の大成功
工場移転計画で対立
痛憤のうちに会社を去る
第6章  創業時代
郷里・広島に松田製作所設立
日本製鋼所へ身売り
東洋コルク工業の創立
積極経営に乗り出す
炭化コルクの発見
販売の拡張
大震災・不況
工場炎上す 一人一業に生きる決意
第7章  東洋工業の誕生
設備資金を得る
優れた工作機械買い付け
機械部門の拡充
府中へ工場移転
第8章  自動三輪車の製作
自動車製造への意欲
自動二輪車の完成
自動三輪車の試作
マツダ号の発売
第9章  戦時体制への突入
三輪車業界の競争激化
さく岩機の製造
小銃大量生産の受命
原爆・終戦
第10章  戦後の再建
再建にのり出す
労働組合との対決
孤独のなかの奮闘
大衆とともに生きる
松田重次郎年譜

 

風のように炎のように-峠三吉追悼集

 風のように炎のように-峠三吉追悼集
峠三吉追悼集出版委員会・われらの詩の会(編・刊)、1954年2月15日

出版委員会:平和問題連絡協議会、平和問題懇談会、原爆の子友の会、原爆被害者の会、ムシカ、新日本文学会、人民文学広島友の会、広島葦会、われらの詩の会。

目次

著者 タイトル
口絵 [写真]
メーデーにて、トランク座、われらの詩の会、新日本歌人・反戦詩歌人集団《撮影年月日》19500501
「原爆詩集」出版記念会《撮影年月日》19500922
原爆展示会後の丸木位里・赤松俊子・壷井繁治三氏を囲んでの座談会《撮影年月日》195010
市民平和大会にて《撮影年月日》19520806
「原子雲の下より」出版記念会《撮影年月日》19521005
国立広島西条療養所病棟にて《撮影年月日》19530309
目次
丸木位里 題字
赤松俊子 表紙
浜本武一 カット
四国五郎
004 増岡敏和 峠三吉氏の生涯 ―その活動と自己改造について(われらの詩の会)
011 米田栄作 峠三吉君を悼む(広島詩人協会)
012  壺井繁治 峠三吉の業績について ―思い出を語りながら(詩人・新日本文学会)
017 岡村民 「原爆詩集」批判会の思い出(新日本文学会)
018 峠和子 生きている夫に
022 原田治 お父さん(峠氏令息)
024 峠三吉詩抄Ⅰ
024 らっきょうによせて
025 花蔭/絵の具
026 由美子と火事
028 寂しき歌/クリスマスの帰り途
029 こんなとき父親となる /絵本
030 怒りのうた ―広島日鋼争議暴圧事件
032 若杉慧 峠君の思い出(日本文芸家協会)
033 峠一夫 峠三吉の想い出(実兄)
035 坂本ひさし  (広島在住詩人、「エコールド・ヒロシマ」主幹)
035 長村孝雄  追悼(広大文学サークル)
036 御庄博実  (われらの詩の会・「火片」同人)
037 戸田兵次  原爆詩人 故峠三吉氏によせて(葦会)
038 四国五郎  峠さんの弾道(画家・われらの詩の会)
039 田村正也  八月六日(新日本文学会埼玉支部)
040 星川晃  峠三吉氏の思い出(われらの詩の会)
041 古井誠三  燃えつくした炎のやうに(われらの詩の会)
042 好村富士彦  (高原詩の会、われらの詩の会)
043 江口渙  (作家・新日本文学会)
044 えぐさ・みのる  私の接した峠さん(高原詩の会・われらの詩の会)
045 尾上俊男  病床から(新日本文学会広島支部)
046 泉秀子  大野浦と峠さん(われらの詩の会)
046 浜本武一  〇(広島市在住・画家)
049 岡本潤  峠三吉を憶う(詩人・新日本文学会)
050 北浜みち  峠さん(われらの詩の会)
051 永田節  『われら』の中の峠さん(われらの詩の会・広大文学)
052 望月久  国際婦人デーからメーデーまで(われらの詩の会)
053 山岡和範  峠さんの手紙(われらの詩の会)
054 吉田万太郎  不滅の光り(われらの詩の会)
056 峠三吉
057 松下海蔵  峠さんのこと(新日本文学会岡山支部)
058 杉生直子  手紙をめぐって(われらの詩の会)
060 尾末滿   峠三吉(IOM・われらの詩の会)
061 佐久間澄)  第一回八・六平和大会のころ(広大教授・平和問題懇談会・大学人の会
062 峠三吉 八月六日
063 松野萬  〇(スフィンクス同人)
064 川手健   峠さんを憶う(原爆被害者の会、新日本文学会広島支部)
065 えぐさ・うめよ  時の氏神になってくださった峠さん(高原詩の会・われらの詩の会)
066 広島支部葦会   〇
067 峠三吉  隠れん坊/わが想ひ
068 西原忠  峠氏を悼む(児童詩研究家・われらの詩の会)
069 峠三吉俳句抄
070 赤池芳彦  その日 峠さんは ハヤクハヤクと書いた
072 峠三吉 覚え書き(抜萃)
076 峠三吉短詩抄
雨の日に―日鋼事件の法廷にて
077 修学旅行―第二の父の歌える
078 大山郁夫氏に捧げる詩
080 宇品港にて―11才の姪のために
081 傷痕―”原子雲の下より”記念会 1953年絶筆
082 佐々木健朗 抒情の変革―叙事詩「ひろしま」への努力の途中で(われらの詩の会・広大文学サークル・KAZIKA同人)
089  赤木健介 「原爆詩集」の評価(詩人・人民文学社)
090 野間宏 峠三吉について―原爆詩集にふれて(作家・人民文学社)
091 峠三吉
092  はぎはら・とくじ 新しい人間讃歌―「原爆詩集」のノート(新日本文学会)
094 中野光也 「原爆詩集」と「高原詩の会」(高原詩の会)
096 山代巴 原爆の詩編纂委員会のこと(作家・新日本文学会)
098 深川宗俊 芸術は人間のためにある(新日本歌人協会)(人民文学会)
099  且原純夫 峠三吉の一側面(われらの詩の会)
099  田中松覚  追悼(己斐サークル)
100 土井貞子  アジア連邦会議のころ(広島生活新聞社)
101 峠三吉 和子と治への手紙
104 峠三吉 和子の見舞に応えて
106 山村良介  明日は八月六日だ―前夜祭に(われらの詩の会)
107 永田英夫  やすらかにお眠りください(うんなん詩の会、人民文学社)
108  なかの・しげはる 柔かな印象(作家・新日本文学会)
109  中野鈴子 峠三吉さん(詩人・新日本文学会)
109  峠三吉  おもかげ
110  遠地輝武 峠三吉君を悼む
111 木村好子  峠さん !
112  佐藤静夫 「 静かな」態度 (新日本文学会)
 113  吉塚勤治  善意の人峠三吉(作家・新日本文学会)
 114  金達寿  二度合ったきりの峠三吉(作家・新日本文学会)
 115 井手則夫  あいつ 生きてる やってるな(詩人・新日本文学会)
 117 松永浩介  峠三吉の死を悼む(詩人・新日本文学会)
 118 中村温  峠さんに(詩人・TAP同人)
 118 大田洋子  峠三吉のこと(作家 日本文芸家協会)
 121 峠三吉  短歌抄
122 友田智友  死の電報を前に
124  坪田正夫  手術室よりの報告―峠三吉の手紙に立会して
126  峠三吉年表
128 あとがき

 

パール・バック

バック、パール

18920626生19730306没 享年80 アメリカの小説家。ピュリッツァー賞(1932年)、ノーベル文学賞(1938)受賞。[50ヒロシマ・ピース・センター建設協力者]。<資料年表:パール・バックとヒロシマ
「まったく今年の感謝祭には戦争の恐怖が暗さを投げている。これは原子爆弾といふ有難からぬ物を持ってゐる結果である。」出典:『アジヤの友へ アメリカ人の生活と国民性について』(翻訳者:石川欣一、発行所:毎日新聞社、配給元:日本出版配給株式会社、昭和21年11月20日)

内田恵美子(追悼文)

内田恵美子

うちだえみこ 1942年 19910305没 広島大学原医研事務官。

 

 亡き内田恵美子さんへ-宇吹暁追悼文

あなたが亡くなって、最初にやったことは、私が資料センターへ来てからの15年間を振り返ることでした。手帳や作業日誌をめくると、復元調査のまとめ作業、手帳・レセプトの整理、故湯崎先生が関与された広島市と広島大学の原爆白書作成やNGOシンポのための資料づくり、文献収集と新聞切抜きをすすめるための市内公共機関の調査、AFIP資料の整理、蔵書目録の出版、医学文献の整理・・・忙しかったけれども、私には30代の楽しい思い出です。センターの仕事以外に、「ひろしま」をよむ会・原爆体験記読書会・「藤居平一氏を囲む会」などでも一緒でした。

その次にやったことは、あなたが抱え込んでいた資料を整理することでした。何一つ捨てていませんでしたね。未整理の資料が随分ありました。次から次に仕事に追われている様子が思い出され、目頭が熱くなることがしばしばでした。3月末締切の年報の原稿のデータを整理し終るのは6月に入ってから。8・6に向けて来客の急増、応対に追われる毎日。7・8月を中心に出版された本の整理が、秋から冬にかけての仕事。毎年、この繰り返しでした。本の山の中で鼻の頭に汗を浮かべていたあなたを思い出します。

あなたの資料の整理に2か月かかりました。あなたの原医研での足跡をまとめて置きたいという気持ちもありましたが、他に仕事をする気が起こらなかったというのが本当のところです。

被爆50周年まで原爆手記を集め続けること、原爆文献のデ-タベースを作成すること、それをもとに原爆被害の実態を集大成することなど、一緒に多くの夢を語りましたね。6月2日の原爆後障害研究会で、あなたとの約束を一つ果たしました。まもなく8月、しばらくあなたのことは忘れます。

追伸:つい先日、ある会合で演劇家故T氏の奥さんと会いました。T氏の追悼公演に際しカンパをしていたそうですね。蔭でいろいろ気を配っていたあなたの話は、これから、まだまだ聞かされそうです。  1991.6.19

 

内田さんと古本-石踊一則追悼文
内田さんが一番嬉しそうな顔をするときは探し求めている本との”めぐり合わせ”のときでした。本も、本当に求めつづけていれば、いつかは必ず本の方から、近づいて来てくれます。

原爆被災学術資料センタ-には、約6500冊余りの原爆関係の蔵書があるといわれています。特に、原爆被災学術資料センタ-が力を入れて集めようとされていた本は、原爆の体験記でした。私家版などは新聞をみては著者と連絡を取り一冊一冊を、こまめに集められていました。体験記で、現在入手できないものもかなりあります。それを宇吹先生や内田さんは”古本”で集めてみようと考えられて、私に収書の依頼をされたのです。

私も最初は、原爆の体験記がどの位あるのか見当もつきませんでした。本のタイトルでも原爆という題がついていましたら、探しやすいのでしょうが、体験記が本の中の一ページしかないものも数多くあります。私は一冊一冊の本を手に取り、目次や索引で内容を調べてみまして、体験記の話が記載していますと、片っ端から入手して歩きました。

調べて気がつきましたのは、広島市内の戦前からある”学校誌”の中には「座談会」「思い出」のページがあり、その中にはかならず悲惨な思い出が数多く記載されていることです。

内田さんは、原爆被災学術資料センタ-を日本で一番の原爆体験記のセンタ-にしようと思われていました。”原水爆関係資料目録第三号”発行前には、一冊でも多くの体験記を発掘してくるようにといわれ、私も東京・四国・九州の古本屋さんをまわってみました。

行きますと、かならず一冊二冊の古い体験記を入手して、内田さんに大変喜ばれました。私は古本を集める事が仕事ですが、良い勉強をさせてもらいました。内田さん有難う!御冥福を心よりお祈りします。
あき書房代表 石踊一則

 

山口勇子

やまぐち・ゆうこ 19161022生20000103没 享年83
広島市生まれ。広島女学院専門学校中退。29歳の時、疎開先から広島に入市し被爆。国内精神養子運動に参画。広島子どもを守る会副会長、日本原水協代表理事、同筆頭代表理事、非核の政府を求める会常任世話人などを歴任。小説『荒れ地ばら』で1982年に第14回多喜二・百合子賞を受賞。

著書(本)

書名 編著者 発行所 発行年月日
つるのとぶ日-ヒロシマの童話 大野允子、御手洗旬江、宮本泰子、山口勇子 東都書房 19630725
かあさんと呼べた日 山口勇子編 草土文化 19780720
絵本おこりじぞう 山口勇子(原作)・沼田曜一(語り)・四国五郎(絵) 金の星社 197911
荒れ地野ばら 山口勇子 新日本出版社 19810830
おこりじぞう 山口勇子(作)四国五郎(絵) 新日本出版社 19820625
原爆瓦-世界史をつくる十代たち 山口勇子 平和文化(発行)・汐文社(発売) 19820707
みずき芽吹くとき 山口勇子 新日本出版社 19840325
子どもに平和を・平和の教育を 山口勇子 あゆみ出版 19850120
ヒロシマの火 山口勇子(さく)・四国五郎(絵) 新日本出版社 19880806
にんげんの鎖(上・下) 山口勇子 新日本出版社 19890610
原爆の火の長い旅 山口勇子 新日本出版社 19910625

著書(雑誌)

 

アジア研究半世紀の軌跡(今堀誠二)

『アジア研究半世紀の軌跡 今堀誠二遺稿集 』(今堀百合子編 刊、2002年5月9日)目次

1ー1 エッセイ
1-2 中国研究
1-3 平和
人類におけるヒロシマ
原爆被害者援護法についての意見書
中国と私、そしてヒロシマ
Ⅰ 序
Ⅱ 中国研究
Ⅲ 日中関係と世界の平和
 Ⅳ ヒロシマ
 原爆被爆四十周年への提言
 人類の平和への歩み
 1―4  教育
 人類の過去・現在・未来-教育の役割への洞察-
 2-1  人間
 今堀先生の学士院賞受賞を祝して(鈴木修次)
 今堀誠二先生-明日への旅人(喜多村和之)
 私の観た今堀先生( 藤川行平)
 今堀中国学の真髄-「中国封建社会の構成」刊行によせて-( 小林文男)
2ー2  追悼
 追悼のことば(中国・朝日・毎日) 弔辞(瀬戸内寂聴・横山英・天野実) 難波紘二 小林正典 小林惇  惜別録(読売新聞)森田定治 吉田嘉清 新島淳良 河地重蔵 今永清二 庄野直美 「青眼」序言 田中伸武 渡辺則文 大牟田稔 栗原貞子
2-3  思い出
 ヒロシマに殉じた兄のこと(今堀宏三)
誠二と私(今堀和友)
 兄の思い出(今堀百合子)
3
 今堀誠二略歴
 功績調書
 今堀誠二学位請求論文調査要旨
日本学士院賞受賞審査要旨
 各務賞「優秀図書」選評
 谷本清平和賞受賞者プロフィル
 あとがき
 研究業績目録

今堀誠二交遊抄

野にありて―今堀誠二交遊抄―

出典:『歴史家の旅 』(今堀誠二、勁草書房、1993年10月20日)pp.216~253

朝日新聞広島版(中川正美記者)に15回連載(1988年3月10日~4月1日)

見出し 人物 備考
1 幼なじみ 峠三吉(原爆詩人) 1953年3月10日未明、死亡。36歳
2 寡黙の人 重藤文夫(広島赤十字病院院長、原爆病院初代院長) 1982年没
3 秘密出版 正田篠枝 歌人
4 番外会見
5 危険な旅
6 TV対談
7 最後の声
8 庶民官僚
9 闘士二人
10 幻の映画
11 論敵同士
12 首相談判
13 抗議の書
14 中国開眼
15 七十自述

 

 

豊田清史

豊田清史

とよた・せいし 1921**生 20111124没

編著書

書名 発行所 発行年 備考 所蔵
N
廣島 歌集 第二書房 19540806 歌集廣島編集委員会編(代表:豊田) U
千羽鶴-原爆の子の像の記録 昭森社 19580806 U
火の幻 日本文芸社 19600615 U
原水爆秀歌 日本文芸社 19620801 N
広島随筆 広文館本通店 19640330 N
豊田清史所蔵原水爆に関する出版物目録-戦後広島における文化関係出版物 火幻社 196506 [91052818]に収録
炎の歌集 東出版 19660806 阿部正路・島内三郎・豊田清史編
炎は消えず-父子被爆記 火幻社 19670701 豊田久夫・豊田清史(共著) N
火幻 創刊10周年記念号 火幻短歌会 19671018
歌集・炎の証 広文館書店 19690301
原爆文献誌 崙書房 19710806 N
歌集 心眼 火幻社 19780620 火幻叢書第20集 N
広島県短歌史 溪水社 19820420 N
はばたけ千羽鶴 筑摩書房 19820730 N
広島の遺書 蒼洋社 19840510 N
評伝渡辺直己 雁書館 19850604 U
反核秀歌百絶 短歌公論社 19850720 N
廣島随想 火幻社 19870420 N
生霊 豊田清史歌集 雁書館 19890720 火幻叢書第56集 N
[ドキュメント]悲しみの千羽鶴 創樹社 19910710 NU
広島県歌人史と全歌碑 火幻社 19921020 火幻叢書第71集 U
「黒い雨」と「重松日記」 風媒社 19930806 N
爆前・爆後-広島を生きた教師のドキュメント 創樹社 19940710 N
 「原爆の子の像」と「折鶴」-正しい知識<学習の手引き>  火幻社  19950501 N
骨四百首 豊田清史歌集 砂子屋書房 19960710 N
 知られざる井伏鱒二  蒼洋社  19960725 N
戦後を拓いた歌人の書 創元社 19980901 N
 歌集 幽魂 創元社  20030701  火幻叢書第102集 N
 井伏鱒二著「黒い雨」の内実―書誌学的検証― 創元社  20051020 N
 アンネをしのぐ鶴を折って生きんとした禎子 創元社 20080401 N

 

献花(12月)

献花(12月)

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キンギョソウ(金魚草) 撮影日:1日、場所:実家
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 レンギョウ(連翹) 撮影日:1日、場所:実家
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撮影日:1日、場所:実家
 DSC00408
 撮影日:1日、場所:実家
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シャコバサボテン 撮影日:1日、場所:自宅
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撮影日:4日、場所:実家
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 サザンカ(山茶花) 撮影日:15日、場所:自宅
 撮影日:日、場所:
 撮影場所:自宅(標高:190m)・実家(標高:172m)・倉庫(標高:172m)(いづれも広島県呉市)

 

 

千羽鶴-原爆の子の像の記録

千羽鶴-原爆の子の像の記録(豊田清史、昭森社、19580806)目次

1 起き上った子どもたち
2 千羽鶴の折紙も空し
3 「こけしの会」から「平和をきずく会」へ
4 少し勉強して出血する
5 非人間への抗議の証
6 全国の友達の激励に支えられて
7 私たちは論議よりも実践をする
8 級友の手で文集『こけし』を発刊
9 恵美子さんの臨終
10 百万の子どものねがい、制作は菊池先生
11 世界の子どもが手をつなごう
12 クリスマス島の水爆実験に抗議する
13 いためつけられる墓碑
14 星の一つが見つめている
15 大人の批判もうけて
16 広島の死の事実を
17 世紀の握手、Xマスの集い
18 〈原爆の子〉の祈念像
〈附録〉「平和をきずく児童・生徒の会」のあしあと
あとに
補記

〈附録〉「平和をきずく児童・生徒の会」のあしあと

月日 事項
1955(昭和30) 1025 佐々木禎子さんが原爆症でたおれた。12人目。
1110
1225

豊田清史(編著書)

豊田清史(編著書)

年月日 タイトル 出版社 所蔵
所蔵:N=西岡喜美子、U=宇吹、G=広島原爆資料館
19420301 歌集暁雲 明丘荘 N
19540806 歌集廣島 第二書房 UG
歌集広島編集委員会=代表:豊田清史、委員:岡本明、小倉豊文、神田三亀男、熊野喜久男、小堺吉光、島昭、清水惟明、土居貞子、西原忠、深川宗俊、宮田定、村上弘、山隅衛、山本康夫
19580806 千羽鶴-原爆の子の像の記録 昭森社 UG
19600615 火の幻 日本文芸社 U
19620801 原水爆秀歌 日本文芸社 NG
19640330  広島随筆  広文館本通店  NG
196506  豊田清史所蔵原水爆に関する出版物目録-戦後広島における文化関係出版物 火幻社  G
19660806  炎の歌集
19670701  炎は消えず-父子被爆記 N
19690301  歌集・炎の証  広文館書店 G
19710806  原爆文献誌  崙書房 NUG
19780620  歌集・心眼  火幻社 NUG
19820420  広島県短歌史  溪水社 [渓水社] NUG
19820730  はばたけ・千羽鶴  筑摩書房 NUG
19840505  広島の遺書  蒼洋社 NUG
19850720  反核秀歌百絶  短歌公論社 NUG
19870420  広島随想  火幻社 NUG
19890720  生霊-豊田清史歌集 NU
19910710  (ドキュメント)悲しみの千羽鶴  創樹社 N UG
19921020 広島県歌人史と全歌碑 創元社 U
19930806  「黒い雨」と「重松日記」  風媒社 NG
19940710  爆前・爆後-広島を生き得た一教師のドキュメント  創樹社 NUG
19950501 「原爆の子の像」と「折鶴」 正しい知識<学習の手引き> 火幻社 NG
19960710 歌集 骨四百首 砂子屋書房 N
19960725 知られざる井伏鱒二  蒼洋社  G
19980901 戦後を拓いた歌人の書 創元社 N
20030701 幽魂 歌集 創元社 G
20051020 井伏鱒二著「黒い雨」の内実 書誌学的検証 創元社 G
20080401  アンネをしのぐ鶴を折って生きんとした禎子 創元社  G
 20140625  千羽鶴 原爆の子の像の記録  日本ブックエース、日本図書センター(発売) G

広島財界今昔物語(目次)

井上洋一郎『広島財界今昔物語』
(政治経済セミナー、1967年2月1日刊)

目次
序文・出版を記念して
河村郷四(第23代広島商工会議所会頭)
プロローグ
反骨の士、福島正則  広島一の大商人 和歌山組と地元組 維新のバスに乘りおくれ 二線級ピッチャー
広島金融界の今昔 その一
明治の金融
芸備銀行の歩み
広島銀行の躍進
信用金庫と信用組合
広島金融界の今昔 その二
相互銀行の成長
信用金庫と信用組合
広島の電力事業
広島電力界の先覚たち
合併から統制へ
復興を担った人々
広島の味覚
広島銘酒の物語
広島牡蛎の発展
消費都市「広島」
近代百貨店の出現
「福屋」の歴史
天満屋の登場
双生児の電車とガス
運輸界の人々
広島のガス事業
異色の郷土産業
矢野髢の盛衰
日本一の熊野筆
伝統三百五十年の製針業
”スリー・ダイヤ”の造船所
 三菱重工業の系譜
広島造船所の歩み
中小造船業界のチャンピオン
広島の木場
 木場の盛衰
浅野藩の木材専売 藩指定の木材商人 鷹匠町の老舗奥田木材 電柱の請負いで大損 相心橋かいわい 自家用飛行機の木材人、小川勇 “椿六十郎”小林秀人  木材一家の日垣兄弟 木材界の指導者加藤悦蔵  新興勢力の雄、寒川隆一 銘木の老舗藤居平一 市売市場復活の先陣・今井博美
防腐木材のチャンピオン
モータリゼイションの先駆
 モータリゼイションの先駆
東洋工業の歩み
松田恒次の経営精神
エピローグ
広島に過ぎたるもの  二葉会の創世記  二葉会の功績  藤田組の変遷  日赤病院の復旧工事で社会奉仕  ”ラジオ中国”のことども  ”広島テレビ放送”と横山周一  広島の洋々たる前途
 あとがき

 

 

あとがき

献花(11月)

献花(11月)

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ネリネ(ヒガンバナ科) など 撮影場所:自宅、撮影日:2019年11月10日
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 ビワ(枇杷) 撮影場所:倉庫 撮影日:2018年11月1日
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ハゼノキ(櫨の木)  撮影場所:自宅から実家への道路脇 撮影日:2018年11月1日
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 ほうき草(コキア)  撮影場所:実家、撮影日:2018年11月1日
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 クモ(蜘蛛) 撮影場所:倉庫、撮影日:2018年11月6日
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中国自然歩道   撮影場所:実家から倉庫への散歩道、撮影日:2018年11月6日
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センリョウ(千両)  撮影場所:実家から倉庫への散歩道、撮影日:2018年11月6日
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  撮影場所:実家から倉庫への散歩道、撮影日:2018年11月6日
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  撮影場所:実家から倉庫への散歩道、撮影日:2018年11月6日
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 撮影場所:政畝バス停、撮影日:2018年11月6日
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ネリネ(ヒガンバナ科)  撮影場所:自宅、撮影日:2018年11月6日
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  撮影場所:自宅、撮影日:2018年11月6日
 撮影場所:自宅(標高:190m)・実家(標高:172m)・倉庫(標高:172m)(いづれも広島県呉市)

 

献花(10月)

献花(10月)

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タマスダレ   撮影場所:実家、撮影日 10月1日
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ハナニラ    撮影場所:実家、撮影日 10月1日
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きんもくせい(金木犀) 撮影場所:実家、撮影日 10月1日
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わけぎ(分葱) 撮影場所:倉庫、撮影日 10月1日
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ひがんばな(彼岸花) 撮影場所:倉庫、撮影日 10月1日
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 撮影場所:自宅、撮影日 10月1日
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椿の種 撮影場所:実家、撮影日 10月1日
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はぎ(萩) 撮影場所:京都市左京区修学院・修学院離宮、撮影日 10月4日
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  撮影場所:京都市左京区一乗寺門口町・詩仙堂、撮影日 10月4日
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さらしなしょうま  撮影場所:京都市・詩仙堂、撮影日 10月4日
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すすき   撮影場所:京都市・詩仙堂、撮影日 10月4日
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モクレンの実   撮影場所:実家、撮影日 10月9日
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  撮影場所:実家、撮影日 10月9日
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  撮影場所:実家、撮影日 10月9日
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  撮影場所:実家、撮影日 10月9日
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ツワブキ(石蕗)   撮影場所:実家、撮影日 10月17日
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パンジーとビオラ 撮影場所:倉庫、撮影日 10月17日
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みぞそば(溝蕎麦) 撮影場所:自宅から実家に向かう途中の小川、撮影日 10月18日
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くれたけ(呉竹)  撮影場所:実家、撮影日 10月22日
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らっきょう 撮影場所:実家、撮影日 10月22日
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シュウメイギク(秋明菊)  撮影場所:実家、撮影日 10月22日
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つた?  撮影場所:実家、撮影日 10月22日
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かっぽん(いたどり)  撮影場所:実家、撮影日 10月22日
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 ? 撮影場所:実家、撮影日 10月22日
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?  撮影場所:実家、撮影日 10月22日
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  撮影場所:実家、撮影日 10月22日
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?  撮影場所:実家、撮影日 10月22日
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ほうき草(コキア)  撮影場所:実家、撮影日 10月22日
  撮影場所:実家、撮影日 10月22日
 撮影場所:自宅(標高:190m)・実家(標高:172m)・倉庫(標高:172m)(いづれも広島県呉市)

 

後藤陽一

後藤陽一

ごとう・よういち 20020317没 享年88 広大名誉教授 88

資料

 道重哲男「追悼「後藤陽一先生を悼む」 」 『芸備地方史研究』237号(2003.6)
「おのが自し郷土に生活の運命を託した幾世代もの人たちの人間的営み、喜びも悲しみも、悲願も嘆息も、あらゆる人間的な感慨をこめて生き抜こうとした人たちの現実の行為は今は確かにない。しかし一切のものは、その土壌に深く浸み透って清冽な地下水となり、不断の流れをたたえて今日を養ってくれる。郷土の歴史とはそのようなものではあるまいか」  (追悼文に紹介された後藤の言葉)