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参議院 原爆被爆者援護強化に関する決議 1964年3月27日

原爆被爆者援護強化に関する決議

参議院会議録第13号 1964年3月27日

原爆被爆者援護強化に関する決議

 広島・長崎に原子爆弾が投下されて18年余を経たが、今日なお白血病その他被爆に起因する患者の発生をみており、その影響が存続していることは憂慮に耐えないところである。

原爆被爆者に関する制度としては、すでに昭和32年に原子爆弾被爆者の医療等に関する法律が制定せられ、被爆者の健康管理及び医療の措置が進められているところであるが、被爆者の置かれている状況にかんがみ、政府は、すみやかにその援護措置を改善し、もって生活の安定に役立つよう努めるべきである。

右決議する。

発議者代表提案趣旨説明(藤野繁雄)

 原子爆弾が残した放射能障害は、一生その人々につきまとい、これがため、白血病、貧血症等の発病の不安に常時おののきながら勤労しなければならないことが、被爆者のすべてに通ずる社会的活動におけるマイナスとなっているのであります。さらに被爆者のうちには、あるいは原爆熱線による、みにくいケロイドの痛ましい傷痕のゆえに、悲歎にくれている人々があります。あるいは放射能に起因する白血病、肺臓、肝臓その他のガン、白血球減少症、悪性貧血症等にさいなまれて、病床に呻吟している人たちがあります。また、原爆おとめのみならず、外形上何らの傷を持たないおとめの中にも、結婚を敬遠されている若い女性群があるのであります。そして、これらの原爆症による死亡や精神的不安に基づく厭世観による自殺者が相次いでいるという現実を、われわれは忘れてはならないと考えるのであります。

これらの悲しむべき不幸の原因が、当時予測もできなかった悲惨な原子爆弾の被爆に基づくものであることにがんがみ、昭和32年4月、原子爆弾被爆者の医療等に関する法律が制定され、主として原爆症を中心とした医療について特別措置がなされたのであります。しかし、近時、わが国の経済力回復に伴って、戦争犠牲者に対する救済の立法が次々となされております。さらに今国会には、旧金鵄勲章年金受給者に関する特別措置法案が提案されております。このような戦後処理の措置が次々と講じられつつある情勢にかんがみまして、原爆被爆者に対する措置も、その健康面及び精神面の特殊な状態に適応すべく一そうの拡充がはかられるべきであると考えるのであります。

この趣旨を実現するためには、まず第一に、被爆者に対する健康管理の徹底が期せられるべきであります。そのためには、新たに被爆者ドックを設けて、現在の健康診断のほかに、徹底的な精密検査をも実施し、それに基づいて健康維持上必要な指示指導がなさるべきであります。さらに健康診断の受診に伴い、被爆者には、日本国有鉄道を無料で乗車することができるよう措置することが望ましいのであります。次に、発病の不安におののき、焦燥にかられている被爆者は、全身倦怠、疲労感を覚え、常人のような勤労に従事することは不可能でありますので、絶えず休養をとり、かつ栄養補給をしながら勤労する以外に道はないのでありますから、これらの被爆者に対しても特別な手当を考慮さるるべきであります。なお、現在実施されております医療の充実のために、原爆症患者完全収容病棟の建設、原爆放射能医学研究所の拡充、医療内容の充実及び医療手当の増額と支給条件の緩和をはかるほか、特別被爆者の範囲を拡大して、爆心地より3キロから4キロ以内にあった者及び原爆投下の直後の救護整理にあたり、強烈な第2次放射能を受けた者を加うることについても、考慮が払わるべきでありま す。次に、被爆者の福祉の向上につきましては、広島平和記念都市建設法及び長崎国際文化都市建設法があるにもかかわらず、いまなお、公園、緑地等に数千戸のバラック住宅が残されておるので、その解消につき、また、原爆孤老のための被爆者老人ホームの建設につき、さらに被爆者福祉センター、被爆者レクリエーション・センターの建設、被爆者相談所の設置等が緊急の措置として必要と考えられます。その他、被爆者に身寄りの少ない者が多い実情にかんがみ、原爆による死亡者に対する弔慰の道を講ずることも必要かと考えられるのであります。以上がこの決議案の趣旨でありますが、政府においては、今後も医療の進歩等事態の推移に応じて、決議を待たずとも、逐次検討を加え、一そうの改善をはかる心がまえを切に要望いたしたいと存ずるものであります。私は、ここまで提案の趣旨を説明してまいりますと、長崎に原爆が投下されました当日、長崎におりまして、九死に一生を得、また、多数の肉親と知己を失い、その惨状をよく承知しておりますから、私は、ことばで言いあらわすことのできない当時の悲惨な状況が、ありありと私の目の前にあらわれてまいりました。何とぞ各位の御賛同 をお願い申し上げる次第であります。

賛成討論(藤田進)

 私は、日本社会党を代表いたしまして、ただいま議題になりました原爆被爆者援護強化に関する決議案に賛成いたすものであります。わが党は、原爆投下以後、終戦以来、原爆被爆者に対する援護についていろいろ努力をしてまいりました。この間、いわゆる原爆医療法が制定せられてまいりましたが、これとても満足すべきものでございませんので、特に最近本院における院議として決議をし、政府において善処されるべく、特に、当院議院連営委員会、なかんずく議運委員長はじめ理事会においていろいろ折衝をしていただきました。また、関係社会労働委員会におきましても、委員長ほか皆さんの熱心な御折衝をいただいたのであります。その間紆余曲折をいたしまして、私ども特に提案者同様、原爆被爆地出身者といたしましても、非常に心配をいたしておりました。幸いに、その第一歩を画します本院の意思として、ここに決議が日の目を見ようといたしております点、努力していただきました各会派皆さんに対して、まず深く敬意を表し、お礼を申し上げたいと思います。かかる事情に徴しましても、政府は、即刻これが提案にございましたような事例を含めた、立法的、予算的措置を講じていた だきたいと思うのであります。顧みますと、昭和20年8月、広島市及び長崎市に投ぜられました原子爆弾による被害は、今世紀最大の悲惨事でありまして、わが国医学史上かつて経験せざるものであったことは、いまさら申し上げるまでもございません。運命の両市におきまして、この原子爆弾の犠牲に供せられた被害者の数というものは、原爆投下のその日に市民の半分が即死いたしております。あるいはまた、残りの約3割5分というものは、100日を出でないうちに、その後、命を失っているのであります。また、爆心地から4キロ半径以内におりました者はもちろんのこと、爆発から2週間以内に焦土に足を踏み入れたというだけで、ことごとく第二次放射能の影響を受けたのでありますが、その数は実に30万人と数えられております。18年余を経た今日もなお、放射能による特異な障害が残され、あるいは障害の苦痛に呻吟し、また、死の恐怖におびえているという、きわめて重大なる状況を呈しております。中には困窮の生活に当面をいたしまして、日々まことに不安な生活を送っているという気の毒な実情にあるのであります。このことは、すでに18年をけみしておりますために、単に原 爆といえば、広島、長崎に限定されるような印象を受けますけれども、私の調査では、日本全土に普遍的にこれら被爆者は在住している事実があるのであります。

あの忌まわしい、のろわれた日から今日まで、いまなお白血病やガンなどによる死亡者が絶えず、放射能による血液疾患に対する完全な治療方法が発見されず、その被害の深刻さは、まことに凄惨なものがあるのであります。これは、人道上からもとうていこのまま放置することができないのでありまして、30万人余の被爆死亡者と、さらに30万人余の被爆者及び遺族に対する補償救援の諸政策を確立をいたしますことは、世界ただ一つの被爆国として当然の責務といわなければなりません。

特に、指摘いたしたいことは、昨年の12月7日、東京地方裁判所の判決は、広島、長崎における原爆投下が、「国際法からみて違法な戦闘行為である」と解し、「戦争災害に対しては当然に結果責任に基づく国家補償の問題が生ずるが、現行の原子爆弾被爆者の医療等に関する法律、この程度のものでは、とうてい原子爆弾による被害者に対する救済救援にならないことは、明らかである。」と判示いたしまして、「原爆被害者全般に対する救済策を講ずることは、立法府である国会及び行政府である内閣において果さなければならない職責である。」と結んでいるのであります。

人類の歴史始まって以来の大規模かつ強力な破壊力を持ちます原子爆弾の投下によって、今日もなおその影響が存続し、被爆者の置かれている現状を見るならば、心から同情の念を抱かないものはないはずであります。今日、終戦後18年余を経て、高度の経済成長を遂げたわが国において、原爆被爆者に対する救援対策が、わずかに限られた医療給付に尽きるということは、政治の貧困を言われてもやむを得ないところであります。放射能による特殊性を認められた、いわゆる原爆症の医療目的を達するためには、国の責任による社会保障が不可欠であるばかりでなく、今日、公務、すなわち軍人軍属あるいは戦犯や引き揚げ者に対する社会立法との均衡から見ましても、被爆者の家族及び遺族に対する国家的援護は当然であると言わなければなりません。この際、私は、このような悲惨な原爆被爆者を将来一人もつくらないということを念願いたしますと同時に、すみやかに現行の原子爆弾被爆者の医療等に関する法律の内容を改善するということが一つ、さらに原子爆弾被爆者援護法の制定についても、具体的な施策を講ずべきであると信ずる次第であります。

広島県議会意見書 原爆記念行事を厳粛荘厳に挙行することについての要望

広島県議会

原爆記念行事を厳粛荘厳に挙行することについての要望

1964年

意見書

一、原爆記念行事を厳粛荘厳に挙行することについての要望

理由

廻りくる原爆投下による惨害の厄日は広島県市民の悲運と、また極まる感情は世代をかえても消えることはない。

十九年を経て原爆の後遺症は、医学的研究により広く影響を増している事実を立証している。

等しく健康と平和の社会を創造して生きる歴史的民族の誇りを傷つけてはならない。

昨年の八月六日は、原爆禁止大会の名のもとに、広島県民の感情をよそに慰霊碑前広場は赤旗にうまり、政治闘争と怒号に明け暮れ左右激突の危機をはらみ、数千の警官を動員する事態をみたことは、広島県民として許すべからざる心情にある。

国の如何なる援護に接してもかかる醜態を目のあたりにして何が犠牲者の援助であろうか、今年こそは地下に眠る多数犠牲者を心から慰め、原爆病のため呻吟する人々の安らか保養を願い世界の恒久的平和が確立されるよう、この日こそ「静かな祈りの日」にすることを強く念願するものである。

よって、当局は、原爆被爆者の援護対策を一層充実するとともに、十九度廻りくる本年の八月六日を期して永遠にこの日を「祈りの日」として、厳粛にして真実のある原爆記念行事が催されるよう、関係方面に適切な措置を講ぜられたく要望する。

提出者〔三六名略〕

原爆医療法の拡大強化と被爆者救援に関する決議案 1963年9月28日

原爆医療法の拡大強化と被爆者救援に関する決議案

1963年9月28日

決議案第二号

原爆医療法の拡大強化と被爆者救援に関する決議案

 吾々は夙に被爆者救援の急を訴え、紆余曲折を経て原爆医療法の特別立法をみるに至った。然しなお多くの問題が残されている。

すなわち、特別被爆者としての距離の制限撤廃、及び入市者救済をその対象とすべきことは、科学的にまた臨床医学的にも立証された多くの資料を有する今日、政府は同法の拡大に踏み切るべきである。

また被爆者の救援に関しては生活援護、栄養補給並びに優遇措置等しばしば訴えつづけて来たが、いまだにその実現をみないことは甚だ遺憾である。

よって速かにこれが対策について予ねて主張してきた要旨に関し、適当な対策を樹立されたい

市当局また被爆者の本質とその実態にかんがみ救援に必要な予算措置を講ずぺきである。

右決議する。

昭和三十八年九月二十八日

広島市議会

広島県議会意見書 核実験停止協定締結要請に関する決議 1962年12月22日

広島県議会意見書 核実験停止協定締結要請に関する決議

1962年12月22日

核実験停止協定締結要請に関する決議

アメリカとソ連は、現在なお核実験を続けています。核実は、現在将来にわたって人類の生命と健康に害を与えます。

広島県議会は、従来しばしば決議要請してまいりましたがすぺての国の核実験をやめさせるために何度でもくりかえし反対し、一刻も早く停止協定を結ばせなければなりません。

ここに広島県民を代表して、すべての核保有国は来年一月一日を期して核実験停止協定を締結されるよう要請します。

右決議する

昭和三十七年十二月二十二日

広島県議会

広島県議会 核実験禁止要請に関する決議 1962年8月11日

広島県議会 核実験禁止要請に関する決議 1962年8月11日

核実験禁止要請に関する決議

世界で最初に原爆の惨禍を受け、今尚放射能害による死と闘いつつ原水爆禁止と核実験停止を全世界にくりかえし強く呼びかけてきた広島県民は、今回の貴国の核実験に対し不安と憤激の念とどめがたく、真に遺憾とするものである。

たといどのような理由があろうと実験のもたらす放射能は人類の生存に多大な悪影響を与え、実験が実験を呼ぶ悪循環は、軍拡競争に拍車をかけ、恐しい人類の危機をますます増大させている。

よって、広島県議会は従来しばしば決議要請した如く広島県民を代表してここに貴国核実験の即時中止を要請するとともに核保有国による実験停止協定の締結、核兵器の製造禁止を含む軍備全廃を目指して即時首脳会談を開いて努力されるようう要請する。

昭和三十七年八月十一日

要請先
ソビエート社会主義共和国連邦
アメリカ合衆国

広島県議会

広島・長崎原爆被爆者大会 1962年5月22日

広島・長崎原爆被爆者大会

1962年5月22日

広島市公会堂で2,500人の被爆者の参加のもとに開催。厚生省公衆衛生局全画課長の講演・両市被爆者代表の意見発表ののち,次のような宣言および決議を採択。大会の席上、全日本被爆者協議会を結成。

案内ビラ

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宣言

 われわれ原爆被害者は,一生拭い去ることのできない放射能に対する不断の脅威と不安を内包し,日常生活並びに社会活動に多くの障害と制約を受け,物心共に苦難の十七年を生きてきた。その間放射能障害による症状の悲惨な現実と,被爆者の生活の実態が認識され,被爆者の切実な声が通して,最近に至り原爆医療法が制定され,逐次医療の充実をみつつあることはまことに慶びに堪えない。ここに関係各位の並々ならぬ御熱意と御努力に対し深甚なる感謝の意を表するものである。

本日被爆者大会の開催に当り,われわれは核爆発の実験停止と,真の世界平和確立のための,広島・長崎の悲願達成に,根気強く努力をつづけ,全国二十方に上る被爆者相携えて,あらゆる困難と苦痛を克服して力強く生き抜くことを誓い,更にいわれなき無この犠牲者に対する国家の責任と保障において,万全の援護対策の速かなる実現を切に要望して已まない。

右宣言する。

決議

 戦後既に十七カ年の歳月を閲みし,全国二十万に上る原爆被爆者の多くは,経済的基盤を失い,或いは放射能障害に悩みかつ脅えつつ,日常生活並びに社会活動に幾多の制約を蒙り,苦難の日々に堪えて今日に至った。

医療に関しては,さきに特別立法により補償の途が開かれ,稍々安らかなるものを得たとはいえ,更に政府,国会その他関係機関におかれては,被爆者の生活の実態に鑑み,原爆犠牲者国家保障性の見地に立って更に援護その他強力なる施策を打出すべきである。よって次の事項について速かに適切なる措置を講するとともに全面的な援助を要請する。

一、特別被爆者の範囲の拡大をすみやかに実現することを期する。
二、原爆被爆者援護対策の確立を期する。
三、原爆被爆者ホームの建設を要望する。
四、原水爆禁止と世界恒久平和実現への正しい国民運動を力強く推進する。
五、全日本被爆者協議会の結成を促進する。

右決議する。

大会次第

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核兵器禁止平和建設国民会議結成宣言 1961年11月15日

核兵器禁止平和建設国民会議結成宣言

1961年11月15日

結成宣言

 戦争をなくし,自由と平和な世界の実現を希望する人々の強い願いにもかかわらず,ベルリン問題に端を発した東西の緊張は,ソ連の核兵器実験の再開,それにつづく,アメリカの地下核爆発実験の再開という事態に発展した。

これらの事態は,他の核保有国の実験を誘発し,また新たな核保有国の出現を誘起するものであって,断じて許すことのできないものである。

いかなる国家,民族といえども人類の福祉を脅かす死の灰を勝手に地球上に散布することは人類を滅亡に導くものであり,人道主義に反するものである。

このような行為を行う国家,民族は人類の敵と言わざるを得ない。

この重大な時期に,自由と平和を愛する全国民の代表は,すべての国家,民族,階級,思想,宗教等の立場を超越して純粋な人道主義に立脚し,核兵器の禁止並びに自由と平和社会の建設を念願し,ここに核兵器禁止平和建設国民会議を結成した。

今後はこの崇高な理想の実現のために国内はもとより,国際的にも積極的に運動を展開し,友情と信頼にもとづく結束を一段と固くし幾多の困難を克服しながら核兵器を禁止し,自由と平和社会を建設し,人類の繁栄実現に向って邁進することを誓う。

自由と平和を愛する全国民の名において右宣言する。

1961年11月15日

核兵器禁止平和建設国民会議結成大会

出典:『核兵器廃絶の叫び一核禁会議二十年史』

広島県議会 核実験禁止に関する決議 1961年9月7日

広島県議会 核実験禁止に関する決議

1961年9月7日

核実験禁止に関する決議

原爆の悲しむべき惨禍を体験したわが広島県においては、人類の破滅をきたす原爆の惨酷さと脅威を叫び、戦争のない人類恒久の平和な世界の実現を念じ、あらゆる機会に、世界の国々に核実験の禁止を強く訴え続けてきたのである。

しかるに最近ソ連においてはわれわれのこの悲願をも顧みず無謀にもすでに三回にわたる核実験を強行したと伝えられ、又米国もこれに対応するかの如く核実験を再開すると報道せられているのは、きわめて遺憾である。

本議会としては、既に過去三回にわたり核実験禁止要望の決議を行ない、人類久遠の平和を広く世論に訴えてきたのであるが、この非情な核実験再開の衝撃に耐えず、ここに広島県民の名において核実験強行の暴挙に対し強く反省を求めるとともに、理由のいかんにかかわらず、核実験は永遠に全面的禁止をすることを要求するものである。

右決議する。

昭和三十六年九月七日

広島県議会

核兵器禁止・平和建設国民大会 被爆者救援に関する決議 1961年8月15日

核兵器禁止・平和建設国民大会 被爆者救援に関する決議
1961年8月15日、於・東京都体育館

被爆者救援に関する決議

過去における人類の歴史は戦争の歴史であります。原爆の洗礼をうけた広島,長崎の街に十六年前の恐ろしかった,悲しいあの日が今年もめぐってきました。

最近の国際緊張は,ひしひしと戦争の危機を身近に感じさせ,再び暗い重圧感を,もたらしています。

戦争は人類の悲劇であります。夫を失ない,そして父を,兄弟を失ない,さらにケロイドのあとを残し,生命の不安におののきながら生きながらえる被爆者の孤独感を思う時「原爆許すまじ」とだれもが怒りをこめて叫ばざるをえません。

夏草の下にねむる数かぎりないみ魂よ,安らかなれと,静かな祈りをこめて,平和の鐘が鳴り響く時,広島,長崎も正常なよそおいに立ちかえったかに覚えますが,その裏には,今なお病苦と,生活苦に,夢も失った被爆者たちが,十七万人余りもいるといわれます。

こうした原爆の爪跡を一体誰が真剣に考えているのでしょうか。消費生活がやや安定し所得倍増ムードに甘えている今の社会情勢は,すでに被爆者のなやみも,また,存在をも忘れがちのようです。

被爆者の方たちは,日本の犠牲者です。国のために,犠牲に甘んじなくてならなかった人達です。これを日本中の人たちはいつまでも忘れてはなりません。

今の政府もまことに冷淡であります。その対策は申しわけにすぎず,いつまでも見はなしておくような態度は許せません。

私たちは本日の記念すべき平和大会の意志として被爆者救援を誓いあいたいと思います。

まず政府に対しては,援護法の成立と十分な対策費の計上に努力するよう要請し,更にヒューマニズムに立脚した相互に助け合い精神を発揮して物心面面の救援に乗り出すことをここに決議し,被爆者の方々の健在を祈り,平和な世界の実現に努力致しましょう。

(出典:「民社新聞」昭和36年8月18日)

ヒロシマ・原爆と被爆者 1963年8月

『ヒロシマ・原爆と被爆者』(日本原水爆被害者団体協議会・広島県原爆被害者団体協議会、1963年8月)


目次

被爆者の訴え

被爆者は訴えねばならぬ(和田ヨシ子)、いのちあるかぎり(西本良子)

原爆 その実態と影響

1.原子爆弾の三つの効果

2.原爆が人間にもたらした災害

(a)熱線による障害、(b)爆風による障害、(c)放射線による障害

被爆者 その苦しみと要求

1.被爆後18年間の被爆者の苦しみ

2.被爆者の苦しみと要求

被爆者の救援


被爆者 その苦しみと要求[抄]

「原水爆禁止運動を再統一し大きく発展させるという重要な課題を持つ今年の世界大会が、この被爆地広島で開かれるのも、被爆者の体験と苦しみを深く正しく理解し、それを基礎にしてはじめて運動の再統一と飛躍的な発展が可能になるからであろう。

この世界大会の一環として、被爆者を囲む懇談会が開かれ、被爆者自身のなまなましい体験と苦しみが訴えられるが、それを補い被爆者の現状をヨリ深く正しく理解して頂くために、被爆者の苦しみと要求をまとめて、御参考に供したいと思う。

2.被爆者の苦しみと要求

日本原水爆被害者団体協議会は、現在「医療法から援護法へ」という要求を掲げて運動している。現行の医療法は、二次にわたる改正によっても、まだ不完全なものである。現行医療法では、①「特別被爆者」((イ)三キロ以内の直接被爆者、(ロ)胎児、(ハ)その他一定の異常が認定された被爆者)には、「生活保護法を除く他の一切の法令による医療に関する給付の諸制度(健康保険など)」を前提として、本人負担が残らないよう一般疾病医療費を支給すること、②低所得層に限定して「直接医療に必要な経費」として「医療手当」を支給すること、③精密検診に限定して「検診交通費」を支給すること、などが規定されている。これに対して、被団協は、①すべての被爆者の治療費の支給、②治療制限の撤廃・治療範囲の拡大、③医療手当の増額と制限の撤廃、④人間ドックのような充分な建康診断、⑤すべての検診に交通費を支給、⑥被爆者の範囲拡大、⑦原爆症の根治療法発見のための研究機関の強化などを要求している。これらの要求は、被爆者の医療保障を完全なものにするために必要な正当な要求である。

しかし、被爆者の現実の苦しみは、医療保障だけでは解決できない。被爆者がうけている放射線障害は、被爆者の体内の細胞組織に残っている障害であるため、被爆者はあらゆる病気にかかりやすく無理をして働くことができない「半病人」として社会生活しているのである。そのため、病気と貧困の悪循環--身体が弱いため一人前に働けず貧しくなり、貧しいために診療をうけたり休養をとることができず病気を悪化させる、という悪循環--に陥りがちである。したがって、被爆者の健康を守り、原爆症の完全な治療をするためには、どうしても医療保障と結びついた生活保障が必要なのである。そのためには、医療法から医療保障と生活保障を含む援護法へ切りかえなければならない。

生活保障の具体的要求として、被団協は、(1)認定をうけた死没者への弔慰金の支給、(2)発病した人の生活保障、(3)ボーダーライン層への生活援護、(4)国鉄運賃の減免、(5)就職援助、(6)生活医療相談所設置、(7)原爆被爆老人ホームの設置などを掲げている。これらの要求は、完全な医療保障の要求とともに、被爆者が憲法第二五条で国民の権利として規定されている「健康で文化的な最低限度の生活」を営むためにどうしても必要なものである。

さらに、援護法の内容には、国家補償の要求として、(1)身体障害者に手当の支給、(2)死没者への弔慰金、遺族の援護、が掲げられている。国家補償とは、国家としての責任を認めて国民の損害をつぐなうため特別の措置を講ずることで、このような目的をもつ法律が、「援護法」と一般によばれている。

原爆被爆者援護法を成立させるためには、基本的に政府、国会に原爆被害の国家責任を認めさせることが必要である。このことは、第二次大戦における日本国の責任を充分反省し、アメリカの核戦略体制に参加協力するのではなく、軍備全廃による世界平和の実現のために積極的な態度をとり、国内では軍国主義的政策を転換し完全な社会保障の実現のために積極的な態度をとるよう要求することを通じてはじめて可能であろう。

さらに、被爆者の完全な救援法だけに期待することはできない。被爆者とそれをとりまく国民との間に、もっと深い相互理解ともっと強い相互協力とが必要である。結婚や就職の差別、現行被爆者医療法によってさえ生れている被爆者を特権者とみる傾向、などの問題は、被爆者と一般国民との理解と協力なしに解決せきないであろう。被爆者と一般国民とが理解と協力を深め、被爆者救援運動と原水爆禁止運動とを統一的に発展させないかぎり援護法を成立させることもできないであろう。