広島大学医学部による同大学職員及び学生生徒の総合調査(昭和1954年1月)
| 原爆の被爆を蒙った広島大学職員及び学生の9年後の血液学的所見に就て | ||||||||||||||||
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| 昭和29年1月18日より25日に至る間、広島大学及び学生に就て当医学部が総合調査を実施した際、我々はその原爆被爆者223名、直接被爆を受けなかったが二次性の放射能の影響を受けたと思われる22名及び対照19名に就て血液学的検査を行い、次の如き所見を得た。
[以下略] |
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ヒロシマの歴史を残された言葉や資料をもとにたどるサイトです。
広島大学医学部による同大学職員及び学生生徒の総合調査(昭和1954年1月)
| 原爆の被爆を蒙った広島大学職員及び学生の9年後の血液学的所見に就て | ||||||||||||||||
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| 昭和29年1月18日より25日に至る間、広島大学及び学生に就て当医学部が総合調査を実施した際、我々はその原爆被爆者223名、直接被爆を受けなかったが二次性の放射能の影響を受けたと思われる22名及び対照19名に就て血液学的検査を行い、次の如き所見を得た。
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『国立予防衛生研究所年報 昭和23年版』[抄]
原子爆弾影響の医学的調査に関する米国 Atomic Bomb Casualty Commision(A.B.C.C)との協同研究
本協同研究は昭和22年6月3日ABCC代表者より本研究所に協力申入れがあったことに端を発している。これに先立ちABCCの代表は現地に於て予備的調査を行った。又同年8月中旬 Stanford 大学の Glenrich 博士は被爆小児の発育に関する予備的調査に来朝した。
その後ABCCの一行は帰米され、同年10月16日軍籍を脱した。 J. Neel 博士は再び来朝、予研に浜野局長、小川課長、小林所長及び小島副所長を訪れ、重ねて協同方を申入れた。
同博士は米国 National Research Council, Committee on Atomic Bomb Casualtties に提出した genetic program に関する報告及び予研宛の Memorandum を提示して、特に genetic program の早急な着手を要請された。厚生省ではこれらの資料に基き、早急具体的実施計画の樹立に努力する旨回答して散会した。
小林所長及び浜野局長は予研永井技官を広島に派遣して従来の genetic study の状況を調査せしめ、これを参考資料として具体的実施計画を樹立せんとした。その際永井技官は現地に於て Neel 博士、広島市保健課長松林博士、広島県衛生部長藤井義明博士と会談、ABCCが既に実施中の hematorogical survey の情況を聴取し、且つ genetic study に必要な人員構成等についても一致点を見出して帰京し、これに基き第1回の具体的草案を作り上司に報告した。
永井技官は小林所長、浜野局長の命により具体案をたて、これを資料として予算案を作製し、12月15日頃予防局長に提出した。
前項具体案はABCC Neel 博士にも提示して一部に訂正をうけた。
厚生省に於ては前項の予算案を以って、数度大蔵省と折衝を重ね結局約150万円の予備金支出の承認を要求することとした。
昭和22年11月25日小林所長は東京、京都在住の遺伝学者10名の参集を求め具体案につき総合的な意見を徴した。その際予研の東京に於ける責任者として熊本医大教授木田文夫博士が推せんされ、予研は同博士を予研嘱託とした。
ABCC Neel 博士は広島に於ける使用建物につき考慮中であったが、在広島の浅野図書館の戦災建物を借入れ、修理してこれにあてることを希望し浜野局長にこれが借入斡旋方を依頼した。依って同年12月24日浜野局長は木田博士、永井技官を帯同して広島に赴き、広島市長と折衝し、その結果広島市は該建物を20年間ABCCに提供し、これに対しABCCは広島市に200万円を謝礼として支払う協定案を作製した。
尚 Neel 博士はこの旨 Washington に承認手続きをとった。一方広島財務局管理中の宇品町所在の旧凱旋館の一部借入れの了解を得た。
その後久しからずしてabcc顧問建築技師 Pfeiffer 氏来朝、浅野図書館を検査した結果戦災のため強度を減じ、修理しても使用には安全でない事が明らかになったので該建物借入を中止し、旧凱旋館の一部を借入れるとともに別に適当な市内地に永久的な建物を新設する事に決定した。
昭和23年1月佐世保検疫所勤務の厚生技官田中正四(元京城大学衛生学教室)を広島駐在連絡員に任命し、同時に広島県衛生部勤務参事高島哲造を庶務主任に委嘱した。
一方昭和23年3月上旬本研究に要する経費は漸く2~3月分のみ認められ令達をうけた。之れは1月から2月に渡る内閣交代による政治空白によっての所以であった。
昭和23年4月6日小川課長及び永井技官は広島に赴き一般情況を視察した。調査は専らABCCの指揮監督により、予研所属の集計員、書記等のみがこれに当り、予研の幹部は殆んど与る所なく、従って予研の幹部の意向は全体の運営にも又現場下級職員にも全く反映せず、命令系統を明かにする要を痛感した。よって永井技官はこの間の事情を、PHW Section の Lt. Col. Thomas Dr. Hamlin の提唱により厚生省の浜野局長、小川課長、予研の小林所長、小島副所長、永井技官が参集してこの問題につき懇談会を催した。
席上予防局並に予研より問題の核心を述べたる所ABCC側より予研は更に適当なる責任者を参加せしむべきであって、然る後に初めて本問題を更めて討議し得るものと考えるとの意志表示があった。これに対し浜野局長より現在結核予防会に勤務中の槙弘氏が最も適当であると考えられるので、同氏の参加を求める方向に努力する旨を提案して散会した。
なお槙弘は6月29日厚生技官に任命され、8月31日付を以って広島原子爆弾影響研究所長に就任した。
次に一方長崎に関しては昭和21年中 Warren 大佐、Tessmer 中佐、 Neel 中尉等の最初の予備的視察以来 Owen 博士等が一度視察をした事があるが、広島の場合と異り日本側に於ても調査をした事なく、ABCCとしても先ず広島に於て陣容を整備し、然る後に長崎に着手する方針をとり、昭和23年7月迄は何等の積極的活動は行われなかった。
然し昭和23年5月以前に Owen 博士、Tessmer 中佐、北村博士等視察の際に予研から木田博士も同行長崎医科大学有力者等との数次の会談があり、長崎におけるこの問題は微妙なものがあった。
7月12日、ABCCは統計学者 brewer 及び倉田医師を長崎に派遣、長崎に於ける活動の第一歩を踏出した。予研は従来、長崎県衛生部赤星勝義氏及び雇員2名を以って本調査に関する事務を担当せしめ、長崎に於ける活動に備えた。現在の情況は長崎保健所に一室を借り調査登録に数名の係員を置き漸く登録を開始した程度である。
本調査の円滑なる運営のためには一つの運営機構を必要とすることは何人も認める所であるので、9月2日の会議席上予研試案を提出して考慮を求めた。その後9月16日の会議の席上ABCCより資料[別紙資料略]の如き試案を提出、この案は厚生省、予研並にSams 准将の承認を得て9月20日の会議の席上採択を決定、即日これが運営規程草案に着手した。
12月18日小林所長は平尾庶務課長・永井技官・小松事務官を帯同し広島・長崎に出張、現地に於てABCC幹部と運営方針並びに本建築の問題に就き懇談し、相互の理解認識を深めると共に、テンポラー、ラボラトーの建設、職員の養成等に重点が置かれたが、ABCCとの関係の緊密化とともに、24年度の研究には多大の期待が懸けられる。
『国立予防衛生研究所年報 昭和24年版』[抄]
Ⅶ.原子爆弾影響研究所
ABCCはかねて仮研究所の開設の準備を進めていたが遂にその完了を見たので7月14日開所式を挙行した。当日は特にGHQ SAMS 准将の臨席を得て関係各官公庁、日本学術会議、各医科大学、医師会その他各関係諸団体の代表者など約100名を招待し、ABCCから Tessmer 中佐以下各幹部、NIHから小林所長、平尾庶務課長、内外技官、槙支所長外幹部職員が列席した。席上多数名士の祝辞があり茲に改めてABCCの沿革と事業の将来が社会に発表せられ本研究所に対する一般の認識を一段と深め事業運営上多大の成果を終めたものと確信する。
『国立予防衛生研究所年報 昭和27年版』[抄]
原子爆弾影響研究所の概要
施設 Atomic Bomb Casualty Commission は、昭和26年1月広島市比治山の本建築5棟に宇品仮研究所から移転したが、同27年10月更に2棟の増築が竣工したので、12月末宇品に残留していた部分が運輸部を残して総て比治山に移転集中したので、業務は一体として円滑に進む様になった。
都築正男「原子爆弾災害調査研究班に就て」
今般、科学研究費交付金総合研究計画に基いて、新に『原子爆弾災害調査研究班』が設けられることとなり、過日、研究班の編成を終わり愈々その作業を始めることになった。就ては、その発足に当り、新研究班が設けられるに至った動機と経緯とを述べ且つ研究班運営の方針を考察し、以て関係各位の御参考に供したい。
昭和20年8月上旬広島市及び長崎市に落とされた原子爆弾によって発生した災害に就いては、当時設けられた文部省学術研究会議原子爆弾災害調査特別委員会に於て詳しい調査研究が行われ、我邦学界の総力を挙げて、その真相を明らかにすべく努力せられたのであった。特別委員会の仕事は前後3ケ年に亘って継続せられ、その間、アメリカ側から派遣せられた原子爆弾調査団とも協力し、理学、生物学、工学、医学、農学等の領域に亘って、広汎研究が行われ、多くの報告が出来上がった。
そこで、原子爆弾災害調査研究特別委員会は、その後、調査研究報告を発表し且つ刊行しようとしたが、色々な事情で、ことが円滑に進行せず且つ刊行費の調達に就いても困難があり、ために延々となっていたことは遺憾なことであった。ところが、その後新しく発足した日本学術会議はこの刊行事業を学術研究会議から引継ぎ、幸にして、刊行費の調達に就いても見透しがついたので、昭和26年8月先づ『総括篇』として概要を記した部分を刊行し、次で『各論篇』として報告書全部を刊行し得る配となったのであって、各論篇は昭和27年秋頃発刊の予定である。
原子爆弾災害に関する総合的の調査研究は前述のように、約3ケ年に亘る特別委員会の作業によって大略終了し、昭和23年以後は特に興味を持つ研究者が夫々の立場から、原子爆弾災害そのもの、或いはそれと直接間接に関連のある事項に就いて、個別的に調査研究をせられていたばかりであったので、纏った報告として発表せられたものは多くない。
一方アメリカ側は昭和22年6月原子爆弾の災害に就て、主として医学的の立場から長期に亘る調査研究を行うことを計画し、日本側としては予防衛生研究所がその世話をすることとなり、昭和23年2月以来準備を始め、昭和24年2月広島市に原子爆弾影響研究所(Atomic Bomb Casualty Commission, Laboratory-略名ABCC)を新設し、次で長崎市にも研究分室を設けて調査研究を開始した。
爾来、広島及び長崎に於けるABCC研究所の職員は熱心に調査研究せられて、夫々成績を挙げておられるようではあるが、もともと、原子爆弾の被爆者を主な対象としての仕事であるために、色々と困難な事情があり且つ研究所の行き方が純アメリカ式であるために、被検者との間に意志の疎通を欠き或は誤解を生ずる等のことも起ったようであった。しかし、時と共に互の理解も出来又互の気持もわかって来て、作業は大体に於て計画通り円満に進んでいるようである。それだけに、他面、仕事の面で或る程度の偏位を余儀なくされている点があるのではなかろうか。他国に於けるこの種の文化事業が甚だ困難なことであることは云うまでもない。ABCC研究所の前所長 Dr.Tessmer もその点に就ては色々と考慮せられていたが、現所長 Dr.Taylor は特にこの点に就ては多大の関心を持ち、熱心にことに当たっていられるようである。
日本側としては、原子爆弾災害に関する医学的調査研究は前述のように、昭和22年度で一先ずその総合的研究を終了したのであったが、その後、広島及び長崎を初めとし、その他の地区に於ても、原子爆弾の被爆者間に色々の後遺症が残されていることが注意せられるようになり、その内でも、既に注目せられているものとしては、貧血症、白血病、白内障等を挙げることが出来よう。又関係医家の間では、被爆生存者が時々異常な病像を示すことがあることが認められ、或は次のような機転によるのではないかとも考えられ始めている。即ち、強力な放射能による傷害の結果として、生存者にも、色々の内臓の障碍が残されており、平素は特別の故障はないにしても、何等か異常の状況が起って病的現象の発現を見る場合には、それ等内臓の機能障碍が、これに関連して、特殊な病像を示すのではなかろうかとの考え方である。
原子爆弾被爆生存者はその大部分が現在も猶広島及び長崎地区に居住しているが、昭和25年10月の国勢調査の結果から判断しても、意外に多くの人々が、日本内各地に転住して、ちらばっているようである。
従って、それ等の人々に就て適切な健康管理を行うことは我邦医学徒の責務であらねばならない。
昭和23年以来、一時下火になっていた我邦における原子爆弾災害の調査研究熱が、そのような関係から、最近、再び盛んとなり、それ等と関連する熱、光、放射能等による傷害に関する研究と共に、各学会等に発表せられるものが漸くその数を増して来たようである。特に、この方面には密接な関係を持つ病理学会、血液病学会、放射線医学会等に於ては、夫々の立場から放射線傷害対策委員会を設けて総合研究を始めるに至った。
そこで、昭和26年暮頃から、有志の間で、この際再び原子爆弾災害調査研究の統合機関を設けてはとの話合が進められていた。ところが昭和27年1月26日広島ABCC研究所々長 Dr.Taylor 初め主要研究員の方々が東京に来られ、日本学術会議の肝入で、ABCCの事業の紹介並に業績発表の講演会が開かれ、同時にABCC及び予防衛生研究所関係の方々と、日本学術会議関係者との懇談も行われた。その結果、統合研究機関設立の議が急に具体化し、塩田広重博士を代表者として原子爆弾災害調査研究班が組織せられることとなったのである。
今般設立を見た原子爆弾災害調査研究班は上述のような事情で生れ出でたものであるから、その発足に当っては、特に次の諸点に就て、特別の考慮が払われなければならない。
1.本研究班の研究項目は純学問的の点だけでなく、あらゆる面で、国際的の性質を帯びていること。
2.アメリカ側の研究所が広島市及び長崎市で研究所を設け、充実した陣容で、すでに3ケ年余研究に従事しており、その初めから、日本側としては予防衛生研究所がその世話係をしていること。
3.広島市及びその付近では、広島医科大学及び日本赤十字社広島支部病院、広島県立病院、広島逓信病院等が従来からの関係で引続いて研究していること。
4.長崎市及びその付近では長崎大学医学部が従来の関係から引続いて研究をしていること。
5.病理学会、血液病学会及び放射線医学会では何れも放射線傷害対策委員会を設けて、夫々の立場から研究が始められたこと。
従って、原子爆弾災害調査研究班はその運営にあたって、特に次の諸点を強調すべきものと思う。
1.本研究班は今後我邦学会独自の立場で運営せられるべきこと。
2.本研究班は今後我邦に於ける原子爆弾災害調査研究の権威ある機関として存在し、既存研究団体間の統合連絡機関として活動するように運営せらるべきこと。
3.本研究班は予防衛生研究所を通じ、アメリカABCC研究所とは常に密接な連絡をとり、相互に協力し得るように運営せらるべきこと。
本研究班の編成にあたっては、上述の事情が考慮され、研究事項に関しては、権威ある独自の研究が十分に行われ得ると共に、各方面との円滑な連絡、相互の協力が支障なく達成し得られるように注意されて、別紙のような研究員の構成によって編成せられたのである。
本研究班の研究項目は最もその重要性が認められている医学部門に於けるものから着手するよう計画されており、第一年度(昭和27年度)に於ける研究計画項目は次の通りに定められた。
1.原子爆弾災害に関する未完結調査及び研究の継続
2.被爆者後遺症に関する調査研究
3.被爆者屍体の病理学的研究
4.原子爆弾災害に関連する基礎的研究
第二年度(昭和28年度)以降に於ては、次の方針で運営せられることとなる予定である。
1.第1年度の研究を継続し且つ増強する。
2.本研究を更に生物学的分野に拡大する。
3.研究成果の出版計画。
[以下略]
ABCC調査調査要領
1.調査の時期
昭和二十五年国勢調査と同時に実施する。
2.調査対象
原子爆弾投下時、長崎市又は広島市内に現在していた者すべてを調査する。(当時長崎市又は広島市の常住者であった者でも、原爆投下時長崎市又は広島市にいなかった者は除外する。)
3.調査方法
1. 調査票
ABCC調査調査票を用い、「2」に該当する者のみついて記入する、
2. 質問記入方法
各世帯について国勢調査調査票記入後、「原子爆弾投下時長崎市内又は広島市内にいた人がありますか」と質問し、もし該当者があったときは、国勢調査調査票右側の行番号欄の該当者の番号に∨印をつけ、その者についてABCC調査調査票に記入する。但し、該当者のないときはABCC調査調査票第一行に「該当者なし」と記入する。
3. 調査員及び調査区
調査員及び調査区はそれぞれ国勢調査員又は国勢調査区による。
4.調査票の提出
調査票は国勢調査員より国勢調査指導員、市区町村長、都道府県知事を経由して総理府統計局長に送付する。
提出期限は国勢調査調査票の提出期限と同様とする。
ABCC調査調査票[の記入項目]
世帯番号
氏名(ふりがな)
出生の年月日
男女の別
広島市か長崎市かの別
常住地
[解題]
マンハッタン・プロジェクトは、1942年8月13日、原子爆弾製造を目的として米合衆国陸軍の管下に作られた組織である。47年1月1日、米国原子力委員会(46年1月24日設置)に吸収移転されることにより、4年有余の特異な歴史を閉じた。
その歴史は、同プロジェクト自身によって『マンハッタン・プロジェクト-公的歴史とその諸資料』(MANHATTAN PROJECT – Official History and Documents)としてまとめられている。
ここに紹介する資料は、この中に含まれていたプレス・リリーズ(報道向け発表、計712ページ)の目次である。
101点のメモと6点の参考資料(番号にAまたはBを付記)からなるこの資料は、時期的には、広島原爆攻撃直後から同プロジェクト廃止までのもので、発表源は、ホワイト・ハウス、国務省などのものが若干あるが、ほとんどは陸軍省である。
内容は、原爆開発を推進した立場からの公式見解として、あるいは原爆情報統制下の公式発表として、いずれも重要な資料である。
1946年
| 番号 | 月日 | 資料タイトル | メモ |
| 047 | 02.04 | New College Organized for High Ranking Officers of Armed Services and State Department | 軍および国務省の高官向けに新しく学校を開設(陸海軍省合同発表) |
| 048 | 02.14 | Statement by Secretary of War before the Senate Special Committee on Atomic Energy | 上院原子力特別委に際し陸軍長官の声明 |
| 049 | 02.20 | Statement by General Groves Regarding Prevalence of Loose Talk about Atomic Bomb Project | 原子爆弾プロジェクトをめぐる流言に関してグローブズ将軍の声明 |
| 050 | 03.04 | Awards Presented to Scientists for Work on Atomic Bomb | 原子爆弾製造に尽力した科学者に功労章が贈られる(陸軍長官が8人へ) |
| 051 | 03.09 | Radio Adress by Secretary of War on Atomic Energy | コロンビア放送における原子力に関する陸軍長官の発言 |
| 052 | 03.13 | Awards Presented to Atomic Bomb Scientists | 原子爆弾製造に尽力した科学者に功労章が贈られる(グローブズ将軍が2人へ) |
| 053 | 03.15 | Summary of Press Conference Conducted by Secretary of War on Atomic Energy | 記者会見における原子力に関する陸軍長官の発言要旨 |
| 054 | 04.09 | Medal for Merit Award to Dr. G. B. Kistiakowsky | 原子爆弾製造に尽力した科学者に功労章が贈られる(グローブズ将軍がハーバ一ドの学者に) |
| 055 | 04.09 | Reference to Report on the International Control of Atomic Energy and to Possibility of Denaturing Atomic Explosives | 国務省が3月28日、原子力国際管理に関する報告を刊行したことを発表(国務省発表) |
| 055A | 04.09 | Report on the International Control of Atomic Energy | )原子力管理に関する報告(通称アチソン・リリエンソール報告) |
| 056 | 04.30 | Soldier’s Medal Awarded to Technician Third Grade J. D. Hoffman | マンハッタン管区の3級技師にに功労章が贈られる。 |
| 057 | 05.13 | Publicity Proposed to be Given to Atomic Bomb Tests | 原子爆弾実験に関する公表(陸海軍合同発表) |
| 058 | 05.15 | Army and Navy Munitions Board Survey of Underground Storage Sites | 陸海軍軍需局、地下貯蔵所について研究(陸海軍合同発表) |
| 059 | 05.21 | Last Shipment Enroute for Atom Test at Bikini | 最後の船荷がビキニの原子実験地点に向け出発 |
| 060 | 05.28 | General LeMay Plans Pittsburgh Address on Atomic Bomb and Future Air Development | 7月1日ピッツバーグにおけるC.E.ルメイ少将の演説「原子爆弾と将来の空軍の発展」の予告 |
| 061 | 06.12 | Aberdeen Studies Regarding Effect of Shock Waves on Underground Installations | 地下施設に及ばす原爆衝撃波の影響に関するアバディーン実験場(メリーランド州)の研究 |
| 062 | 06.14 | Peacetime Application of Atomic Research Possible under Army Program | 陸軍の計画下で実施されることになった原子研究の平和時適用 |
| 063 | 06.14 | Operations Crossroads to Test Ordnance Material | 軍需物資に及ばす影響を実験する十字路作戦 |
| 064 | 06.26 | Manhattan Project Reports on Atom Bombing of Hiroshima and Nagasaki to be Released 29 June | 六月二九日に公表される広島長崎原爆攻撃に関するマンハッタンプロジェクト報告 |
| 064A | 06.26 | Report: The Atomic Bombings of Hiroshima and Nagasaki | 広島・長崎への原爆攻撃 |
| 064B | 06.26 | Photographs of the Atomic Bombings of Hiroshima and Nagasaki | 広島・長崎への原爆攻撃の写真(図表5枚、写真99葉) |
| 065 | 06.28 | Radioactive Uranium Isotopes Open up Unexplored Processes of Life | 放射性ウラニウム同位元素の生命への適用が未知の歩みをはじめる。 |
| 066 | 06.30 | Resume of Manhattan Project Reports on Atom Bombing of Hiroshima and Nagasaki | 広島・長崎原爆攻撃に関するマンハッタンプロジェクト報告の要約 |
| 067 | 07.22 | Remarks by Secretary of War on Radio Program “You and the Atom” | ラジオ番組「あなたと原子」における陸軍長官の演説 |
| 068 | 07.22 | AAF(Army Air Forces) Seeking Atomic Propulsion for Aircraft | 航空機用原子動力に関する陸軍航空隊の研究 |
| 069 | 08.02 | Announcement of First Shipment of Radioisotopes from Clinton Laboratories | クリントン研究所からの初の放射性同位元素の出荷 |
| 070 | 08.02 | Production of Radioactive Isotopes in the Pile | パイルにおける放射性同位元素の生産に関する解説 |
| 071 | 08.02 | Background Material for Town Oak Ridge | オークリッジの町の解説 |
| 072 | 08.02 | Background Material for Clinton Laboratories | クリントン研究所の解説 |
| 073 | 08.02 | Camp Upton to be Site of New Atomic Research Center | アプトン整地(ニューヨーク州)が新たに原子研究センターの一つになる。 |
| 074 | 08.15 | Atomic Energy Lectures to Open in War Development | 陸軍省幹部向けに実施される原子力講義 |
| 075 | 08.19 | AAF Begins New Study of Upper Air Regions | 陸軍航空隊が始めた上空における宇宙線研究 |
| 076 | 08.27 | Remarks by Secretary of War at Opening of Atomic Energy Lecture Series | 原子力講演会開会式における陸軍長官の講演 |
| 077 | 09.01 | Unfamilier “Mesons” Studies by AAF Technicians | 陸軍航空隊技師によるめずらしい「メイソン」研究 |
| 078 | 09.03 | New National War College Opens | 新たに開設された国立の軍事学校(陸海軍合同発表) |
| 079 | 09.09 | Address by Under Secretary of War at Wrightsville | ライツビルにおけるローヤル一陸軍次官の講演 |
| 080 | 09.24 | Atomic Lectures Begin at Ft. Belvoir | フォートペルボアで始まった陸軍高級将校向け原子力講義 |
| 081 | 10.03 | Address by General Ridgway at San Francisco, Cal. | サンフランシスコにおけるリッジウエイ中将の演説 |
| 082 | 10.07 | Secretary of War Denies Stories that Atomic Bombs were Shipped to Great Britain | 米国が英国に原子爆弾を送ったという噂を陸軍長官が否定 |
| 083 | 10.09 | Remarks by General Groves before National Safety Congress at Chicago | シカゴの国家安全会議におけるグローブズ将軍の演説 |
| 084 | 10.25 | Genaral Groves Urges 2 December as Birthday of Atomic Energy | 12月2日を原子力の誕生日とするグローブズ将軍の提言(1942年12月2日に最初の連鎖反応に成功) |
| 085 | 10.28 | Statement by General Groves in Regard to the Appointment of the Atomic Energy Commission | 原子力委員会任命に関するグローブズ将軍の声明 |
| 086 | 10.28 | Statement by Secretary of War Regarding Transfer of Responsibility from U.S. Army to Atomic Energy Commission | 原子力開発責任の合衆国陸軍から原子力委員会への移転に関する陸軍長官の声明 |
| 087 | 10.30 | Calender of Important Events in Development of Atomic Energy | 原子力開発主要年表 |
| 088 | 11.07 | Progress Made in Declassification of Atomic Energy Information | 原子力情報解禁に進展 |
| 089 | 11.10 | Atomic Laboratory to be Built at Schnectady, N.Y | シユネクタディに建設する原子研究所 |
| 090 | 11.12 | Atomic Energy Commission Visiting Principal Atomic Energy Facilities | 主要な原子力施設を視察する原子力委員会 |
| 091 | 11.22 | Development of Atomic Power No Simple Problem | 難事業の原子力開発(グローブス、原子力平和利用に関する報告書を公表) |
| 092 | 11.26 | Chicago Pile Fouth Anniversary Meeting to be Held at Chicago | シカゴで開催されるシカゴ・パイル4周年記念祭 |
| 093 | 11.29 | Ceremonies to Mark Atomic Anniversary | 原子力記念日の主な行事 |
| 094 | 11.29 | Announcement of Award of Construction Contract for Dayton Project | デイトンプロジェクトの建設請負契約に関する発表 |
| 095 | 12.01 | Backgound Material for Observance of Anniversary of Development of Atomic Energy | 原子力開発記念祭の解説 |
| 096 | 12.10 | Announcement of Award of Contract for Brookhaven National Laboratory | ブルックヘブン国立研究所の建設請負契約に関する発表 |
| 097 | 12.11 | Atomic Energy Commision to Absorb Manhattan Engineer District 1 January | 原子力委、1月1日よりマンハッタン技術管区を吸収 |
| 098 | 12.31 | Statement of Secretary of War on Transfer of Manhattan District | マンハッタン技術管区転換に関する陸軍長官声明 |
| 099 | 12.31 | Background Information on Development of Atomic Energy Under Manhattan Project | マンハッタンプロジェクトのもとで実施された原子力開発に関する解説 |
| 100 | 12.31 | Joint Announcement by Atomic Energy Commission and Secretary of War on Transfer of Manhattan District | マンハッタンプロジェクト転換に関する原子力委・陸軍長官の共同声明 |
| 101 | 12.31 | Statement of Members of Atomic Energy Commission on Transfer of Manhattan District | マンハッタンプロジェクト転換に関する原子力委員会委員の声明 |
[解題]
マンハッタン・プロジェクトは、1942年8月13日、原子爆弾製造を目的として米合衆国陸軍の管下に作られた組織である。47年1月1日、米国原子力委員会(46年1月24日設置)に吸収移転されることにより、4年有余の特異な歴史を閉じた。
その歴史は、同プロジェクト自身によって『マンハッタン・プロジェクト-公的歴史とその諸資料』(MANHATTAN PROJECT – Official History and Documents)としてまとめられている。
ここに紹介する資料は、この中に含まれていたプレス・リリーズ(報道向け発表、計712ページ)の目次である。
101点のメモと6点の参考資料(番号にAまたはBを付記)からなるこの資料は、時期的には、広島原爆攻撃直後から同プロジェクト廃止までのもので、発表源は、ホワイト・ハウス、国務省などのものが若干あるが、ほとんどは陸軍省である。
内容は、原爆開発を推進した立場からの公式見解として、あるいは原爆情報統制下の公式発表として、いずれも重要な資料である。
1945年
| 番号 | 月日 | 資料タイトル | メモ |
| 001 | 08.06 | Statement by the President of the United States | トルーマン合衆国大大統領声明(ホワイトハウス発表) |
| 002 | 08.06 | Statement by the Secretary of War | スチムソン陸軍長官声明(陸軍省発表) |
| 002A | 08.06 | British Statement Relating to the Atomic Bomb | 原子爆弾に関する英国声明 |
| 002B | 08.06 | Canadian Statement | カナダの声明 |
| 003 | 08.06 | Memorandum Regarding Report on Damage at Hiroshima | 広島の被害報告に関するメモランダム(偵察機は、雲が目標地域を覆っていると報告。結果が明らかになり次第、陸軍省から公表する) |
| 004 | 08.06 | First Test Conducted in New Mexico | ニューメキシコで行われた最初の実験(ニューメキシコ地域に発表) |
| 005 | 08.06 | Atomic Energy Source of Inexhaustible Power | 無限の力としての原子力資源 |
| 006 | 08.06 | Atomic Power Usage Once Thought Impossible | 一旦は不可能とみられていた原子力使用 |
| 007 | 08.06 | Labor Plays Vital Role in Activity of Manhattan District | 労働者は、マンハッタン管区の活動において重要な役割を演じた |
| 008 | 08.06 | Atomic Energy Harnessed | 利用された原子力 |
| 009 | 08.06 | MED Projects Lead to Townsite Growth | マンハッタン技術管区プロジェクトは、都市の発展をもたらした。(テネシー地域に発表。オークリッジの解説) |
| 010 | 08.06 | Security Message and General Information to the Press | プレスに対する情報防衛上の注意および取材に有益な一般情報(ニコルス大佐署名の一般情報および防衛注意の2通。オークリッジおよびクリントン工場の解説) |
| 011 | 08.06 | Background Information on Electromagnetic Plant | 電磁工場の解説 |
| 012 | 08.06 | Background Information on Gaseous Diffusion | 気体拡散工場の解説 |
| 013 | 08.06 | Background Information on Thermal Diffusion | 熱拡散工場の解説 |
| 014 | 08.06 | Background Information on H.E.W | ハンフォード工場の解説(ワシントン州に発表) |
| 015 | 08.06 | Background Information on Los Alamos Townsite | ロスアラモスの解説 |
| 016 | 08.06 | Hiroshima | 広島の解説 |
| 017 | 08.06 | Major General L. R. Groves | L.R.グローブズ少将の紹介 |
| 018 | 08.06 | Brigadier General T. F. Farrell | T.F.ファーレル准将の紹介 |
| 019 | 08.06 | Colonel K. D. Nichols | K.D.ニコルズ大佐の紹介 |
| 020 | 08.06 | Colonel F. T. Matthias | F.T.マチアス大佐の紹介 |
| 021 | 08.06 | Colonel S. L. Warren | S.L.ワレン大佐の紹介 |
| 022 | 08.06 | Manhattan District Officers | マンハッタン管区の職員(グローブズが40名について紹介) |
| 023 | 08.06 | Manhattan District Officers | マンハッタン管区の職員(ニコルズが44名について紹介) |
| 024 | 08.06 | Dr. J. B. Conant | J.B.コナント博士の紹介 |
| 025 | 08.06 | Dr. R. C. Tolman | R.C.トルマン博士の紹介 |
| 026 | 08.06 | Scientists Associated with Manhattan District | マンハッタン管区に協力した科学者たち(H.C.ユーレイ、V.B.ブッシュ、A.H.コンプトン、E.O.ローレンスの紹介) |
| 027 | 08.06 | Dr. J. R. Oppenheimer | J.R.オッペンハイマー博士の紹介J.R.オッペンハイマー博士の紹介 |
| 028 | 08.08 | Comment Regarding Dr. Jacobson’s Speculation Concerning Radioactivity | ジェイコブソン氏の放射能に関する推測に対するコメント(放射能の持続的存在の否定) |
| 029 | 08.09 | Comment by Security of War on Use of Atomic Bomb | 陸軍長官の原子爆弾使用についてのコメント |
| 030 | 08.11 | Elaborate Security Measures Protected Secret of Atomic Bomb | 原子爆弾の秘密を守った十全の防衛手段 |
| 031 | 08.11 | Release of Smyth Report | スマイス報告の公表 |
| 031A | 08.11 | A General Account of the Development of Methods of Using Atomic Energy for Military Purposes under the Auspies of the United States Government (Smyth Report) | 合衆国政府の監督下1940年から1945年にかけて行われた軍事目的に原子力を使用する方法の開発に関する概括約説明(通称スマイス報告) |
| 032 | 08.13 | WACS ( Women’s Army Corps ) Assigned to Manhattan Project | マンハッタンプロジェクトに従事した陸軍婦人部隊 |
| 033 | 08.15 | Security to be Uneffected by Cessation of Hostilities | 終戦は、原爆情報防衛政策を何ら変更ぜず |
| 034 | 09.09 | Eye Witness Account of Atomic Mission over Nagasaki | 原爆調査隊の長崎上空における目撃談(8月9日打電したニューヨークタイムズ科学記者W.L.ローレンスの記事が一カ月後に陸軍省から公表されている) |
| 035 | 09.12 | General Groves Awarded DSM ( Distributed Service Medal ) | グローブズ将軍に殊功章が贈られる(殊功章=Distinguished Service Medal) |
| 036 | 09.14 | President’s Request that Unreleased Information be Withheld from Publication | 未発表情報を公表することを差控えるよう大統領要請(「秘・・・公表禁止・・・編集者への注意」との注意書が初めにある) |
| 037 | 09.19 | Final News Conference of Secretary Stimson | スチムソン陸軍長官の最終記者会見 |
| 038 | 09.29 | Remarks by Secretary of War at Army-Navy “E” Ceremonies at Oak Ridge | 陸海軍E記念式におけるパターソン陸軍長官の演説 |
| 039 | 10.09 | Statement of General Groves before the House Military Affairs Committee | 下院軍事委に際しグロ-ブス将軍の声明 |
| 040 | 10.09 | Statement of Secretary of War before the House Military Affairs Committee | 下院軍事委に際しパターソン陸軍長宮の声明 |
| 041 | 10.18 | Statement of Dr. J. R. Oppenheimer before the House Military Affairs | 下院軍事委に際しオッペンハイマー博士の声明 |
| 042 | 10.20 | Secretary of War Welcomes Public Discussion of Atomic Science if Continued to Subject Matter of Smyth Report | 陸軍長官、スマイス報告の内容に限定された原子科学の公開議論は歓迎されると言明 |
| 043 | 10.30 | General Farrell Awarded DSM | ファーレル将軍に殊功章が送られる |
| 044 | 11.14 | Statement to the Press by Secretary of War Concerning May-Johnson Bill | メイ・ジョンソン法に関する陸軍長官声明 |
| 045 | 11.26 | Awards to Officers of Manhattan District | マンハッタン管区の職員に功労章が送られる(52人に対し3種の功労章) |
| 046 | 12.10 | Announcement of Contemplated Joint Test of Atomic Bombs | 陸海合同原子爆弾実験に関する発表。 |
1945年9月14日設置(文部大臣名の発令は10月24日)
委員長:林春雄(学術研究会議会長、東京帝国大学名誉教授)
9科会(科会長はすべて東大教授)
|
科会名 |
科会長 |
| 1.物理学化学地学 | 西川正治 |
| 2.生物学 | 岡田要 |
| 3.機械金属学 | 真島正市 |
| 4.電力通信 | 瀬藤象二 |
| 5.土木・建築 | 田中豊 |
| 6.医学 | 都築正男 |
| 7.農学水産学 | 雨宮育作 |
| 8.林学 | 三浦伊八郎 |
| 9.獣医学畜産学 | 増井清 |
第1回報告会。 1945年11月30日、於東京帝国大学。
山崎匡輔科学教育局長挨拶「今回原子爆弾の災害調査につきまして、各般の権威の有る方々に御調査をお願い致すことを決定致しましたところが、学研の方でこの問題を喜んでお取上げ下さいました。いま少し小規模な御研究を願いたいと思いましたのでございますが、皆様の非常な御熱誠の結果非常に完璧な研究団ができまして、私ども非常に衷心より感謝致している次第であります。」
第2回報告会。1946年2月28日、於東京帝国大学。
「昭和22年度末まで3カ年にわたって作業を継続したが、主要な調査研究は昭和20年度(昭和21年3月まで)に行われた。」
日本学術会議原子爆弾災害調査報告書刊行委員会編『原子爆弾災害調査報告書』
(日本学術振興会、1953年5月5日)
| 理工学編 | 38編 |
| 生物学編 | 6編 |
| 医学編 | 130編 |
「医学科会は特別委員会中最大の科会であり、約30名の委員、150名の研究員、1,000名の助手から成り、日本の全ての主要な医学部、研究所及び病院を代表している。」
都築正男メモ
医学科会への最初の協力者都築正男(科会長)、中泉正徳(東京大学)、菊池武彦(京都大学)、大野省三(九州大学)、井深健次(日本陸軍軍医総監)、福井信立、石黒茂夫、横倉誠次郎、金井泉(海軍軍医)、勝俣稔、古屋芳雄(厚生省公衆衛生官)、高折茂(鉄道医官)
1945年10月任命
田宮猛雄、都築正男、佐々貫之、中泉正徳、三宅仁(東京大学)、木村廉、船岡省吾、真下俊一、菊池武彦、森茂樹(京都大学)、高木耕三、木下良順、布施信義、福島寛四(大阪大学)神中正一、中島良貞、小野興作、沢田藤一郎(九州大学)、林道倫(岡山医大)、古屋野宏平(長崎医大)、井深健次、平井正民(陸軍軍医)、横倉誠次郎、金井泉(海軍軍医)、勝俣稔、古屋芳雄(厚生省公衆衛生官)、高折茂(鉄道医官)
主たる参加機関
東京帝国大学医学部、京都帝国大学医学部、大阪帝国大学医学部、九州帝国大学医学部、長崎医科大学、岡山医科大学、熊本医科大学、金沢医科大学、京都府立医科大学、山口医学専門学校、陸軍軍医学校、海軍軍医学校、広島陸軍病院、大野陸軍病院、呉海軍病院、岩国海軍病院、佐世保海軍病院、大村海軍病院、東京帝国大学伝染病研究所、厚生研究所。
1945年の調査対象
1.被害の統計学的調査、2.有害エネルギーの医学的調査
3.被災者の臨床的調査、4.人体に及ぼす残存エネルギーの影響調査
1946年度の調査の主要テーマ
1.死傷者の統計的調査、2.被災者の臨床的調査、
3.病理解剖的調査4.残存放射能の影響調査、
5.人間の遺伝調査
合同調査団の設置と日本側の研究調査の成果の吸収
都築の公職追放
1946年8月15日、公職追放(理由:6年間海軍軍医であったこと)
1947年3月24日、半年間の公職追放規定の免除の覚書(ウィットニィ軍政局長)
1947年7月16日、3月24日の覚書の取り消しの覚書(ウィットニィ軍政局長)
***1957年まで日本側の原爆症研究は中断
1947年4月、第12回日本医学会総会演説
菊池武彦(京都帝国大学教授)木本誠二(東京帝国大学助教授)「原子爆弾症の臨床」
参考文献
日本学術会議原子爆弾災害調査報告書刊行委員会編『原子爆弾災害調査報告書』(日本学術振興会、1953年5月5日) B5版 1642頁
広島市役所編『広島原爆戦災誌 第5巻 資料編』(1971年)
広島県編『広島県史 原爆資料編』(1972年)
仁科記念財団編『原子爆弾-広島・長崎の写真と記録』(光風社書店、1973年)
広島市編『広島新史 資料編1 都築資料編』(1981年)
核戦争防止・核兵器廃絶を訴える京都医師の会編『医師たちのヒロシマ-原爆災害調査の記録』(機関紙共同出版、1991年)
1968年2月15日発足
あゆみ
| 1967.10.02 | ピカ資料研究所(ピカ研)が「原爆資料の調査・研究」について提言。全井利博賛同して、「ピカ研を母体」で合意、以後具体化をめぐって七回会談。 |
| 1968.01.16 | 結成準備会五回開く。出席、今堀誠二、金井、山崎与三郎、ピカ研。 |
| 1968.02.15 | 『原爆被災資科広島研究会』発足。 |
| 1968.07.30 | 役員会 人事、企画、運営方針を決定。 |
| 1968.12.06 | 金井利博事務所開設。所内に原災研「編集部室」設置。(1970.3.28閉所) |
| 1969.08.06 | 原爆被災資料総目録第一集を発刊。 |
| 1970.03.04 | ピカ研 原災研「編集部室」を長崎に移設。 |
| 1970.08.06 | 総目録第二集を発刊。 |
| 1970.11.24 | 編集部会文沢隆一、ピカ研が第三集専任。 |
| 1972.10.25 | 総目録第三集を発刊。 |
| 1974.06.16 | 金井利博死去。 |
| 1975.04.30 | ピカ研・長崎「第一~三集」の作成による累積債務で一時閉鎖。 |
| 1977.12.17 | 役員会 企画、運営をめぐり討議。分裂決定。 |
| 1980.08.25 | 編集部会 編集企画会議。 |
| 1982.07.23 | ピカ研・長崎書庫冠水害 |
| 続刊=第五集以降企画編集進行占領下の文献解説・占領下の新聞・著作選集録・原爆史詳細年表・写真、映像・長崎の手記・広島の手記・教育児童文学・社会科学評論…(順不同) |
出典:原爆被災資料広島研究会『原爆被災資料総目録』第4集