「41  特論」カテゴリーアーカイブ

年表:チェルノブイリ原発事故1995

年表:チェルノブイリ原発事故1995

できごと
02 02? 写真家の本橋成一、チェルノブイリ原発の周辺を取材した写真集「無限抱擁」を出版。
02 21 バルト3国(リトアニア・エストニア・ラトビア)の医師ら6人、チェルノブイリ被曝者医療の研修のため外務省の招きで来日。放射線影響研究所や広島大学原医研・長崎大学医学部などで研修。-3月9日。
03 27 英日曜紙オブザーバー、ウクライナのチェルノブイリ原発で事故炉を覆ったコンクリートの「石棺」に接する建物部分が崩壊の危機にあるという専門家グループの報告書を報道。
04 05 ロシア科学アカデミー、レントゲン(エックス線)発見100年を記念する科学シンポジウムを開催。セミパラチンスク核実験、南ウラル、チェルノブイリ原発事故など旧ソ連の核被害の実態が報告される。
04 13 クチマ・ウクライナ大統領、チェルノブイリ原子力発電所を2000年までに閉鎖する方針を明らかにする。
04 25 セルジューク・ウクライナ保健相、1986年4月のチェルノブイリ原発事故で、同地域から避難した住民及び放射能汚染除去作業に従事した労働者のうち88年から94年までの間で約8200人が死亡したと発表。
04 25 国連原子力機関(IAEA)、ウクライナのチェルノブイリ原発事故10周年の来年4月8日からウィーンで国際会議を開催すると発表。
04 26 ウクライナ最高会議、チェルノブイリ原発事故9周年に当たり、主要7か国(G7)と欧州連合(EU)に向けた声明を発表。その中で、400万人が今も事故の後遺症に苦しんでいると表明。
04 26 広島県原水禁のメンバーら80人、旧ソ連のチェルノブイリ原発事故9周年の座り込みを広島市の原爆慰霊碑前で実施。
05 02? ウクライナ・キエフ市のピーススクールの子どもたち、チェルノブイリ原発事故をテーマにしたミュージカルを10月に広島などで上演することを計画。
06 24 米紙ワシントン・ポスト、ベラルーシでチェルノブイリ原発事故の影響と見られる甲状腺ガンなどが子供の間で急増していると報じる。
07 07 チェルノブイリ原発事故被災者の治療に当たっているベラルーシ・ロシア・ウクライナの3医師、長崎市の日赤原爆病院での放射線医療研修を開始。
07 22 チェルノブイリ原発事故による被災児の支援グループ「モーストの会」、ウクライナの少年少女音楽舞踊アンサンブル「バルヴィノーク」のチャリティー公演を広島市のアステールプラザで上演。
07 25 長崎・ヒバクシャ医療国際協力会の研修受け入れで長崎入りしたチェルノブイリ原発事故被災者救済のための医師団、県庁を訪れ挨拶。
07 25? 「チェルノブイリ子ども基金」(本部東京)、昨年9月にベラルーシ共和国やドイツの非政府組織などが首都ミンスク郊外に建設した保養センター「希望21」で多くの児童を保養させるために、滞在費用を負担してくれる里親を募集。
07 27? 今中哲二京都大学原子炉実験所助手、ロシア科学アカデミー・地球気象生態学研究所のユーリ・イズラエルが作製したチェルノブイリ原発事故による汚染地図を入手。
08 01? 山下俊一長崎大学医学部付属原爆後障害医療研究施設教授ら、チェルノブイリ原発事故で死の灰を浴びたウクライナ・ベラルーシ・ロシア共和国の事故当時10歳以下だった子供たちの調査結果をまとめる。それによると小児甲状腺ガンの発症率は3000倍
08 03 チェルノブイリ原発事故で被災したベラルーシの子ども4人、首相官邸で古川貞次郎官房副長官と面会し、ミハイル・チギリ首相から村山首相に宛てたメッセージを手渡す。
08 05 旧ソ連のチェルノブイリ原発事故で被災したベラルーシ共和国の被曝した子どもら4人、長崎市の県勤労福祉会館で市民約45人と交流。
08 05 ベラルーシ共和国で被曝した子供たちが体験を語る交流会「チェルノブイリの子供たちを囲んで」、長崎市の県勤労会館で開催。
08 08 ウクライナの市民団体「キエフ・チェルノブイリ連合」、広島県府中市の市民団体「ジュノーの会」の協力で首都キエフ市で原爆展を開催。-9月30日。
08 17 広島県、世界保健機構(WHO)が11月にジュネーブで開催する「チェルノブイリ及びその他の放射線事故の健康影響に関する国際会議」の議長を藤田知事が努めることになったと発表。
08 31 長崎ヒバクシャ医療国際協力会の招きで40日間の研修を終えたチェルノブイリ原発事故救済のための医師団、県庁を訪れ挨拶。
09 22? 国連人道援護局、チェルノブイリ原発事故で約80万人ががん発症の危険にさらされているとする報告書をまとめる。
09 22? ガリ国連事務総長の報告書によるとチェルノブイリ原発事故により、ウクライナ・ベラルーシ・ロシアの3か国で37万人余が避難生活をしていることが判明。
10 03 宮川裕行、ウクライナ・キエフ市でのチェルノブイリ原発事故被災者らとの交流を終え、広島市役所で帰国報告。
10 31 広島県被団協(伊藤サカエ理事長)・県原水禁など4団体、スイス・ジュネーブで開催されるチェルノブイリ関係の会議で展示されるパネル展示についてヒロシマの悲劇を伝える内容になっていないとして見直しを広島県に要請。
11 02 広島県議会決算特別委員会で、世界保健機構(WHO)の「チェルノブイリ及びその他の放射線事故の健康影響に関する国際会議」で県が展示する予定のパネルに異論が続出。
11 18 富重守広島赤十字・原爆病院長ら3人、チェルノブイリ原発事故の被害を受けたロシア・ウクライナ・ベラルーシ3国の視察に出発。-11月18日。
11 20 世界保健機構(WHO)、「チェルノブイリ及びその他の放射線事故の健康影響に関する国際会議」をスイス・ジュネーブの本部で開催。-23日。藤田広島県知事が参加。広島県が会場でHICAREの活動などを紹介したパネル20点を展示。
11 23 WHO主催「チェルノブイリおよびその他の放射線事故の健康影響に関する国際会議、同原発周辺地域で問題になっている小児甲状腺がんと原発事故との関連を確認して閉幕。
11 30 ベラルーシ・ウクライナ・ロシア3国政府代表と国連、共同記者会見で、チェルノブイリ原発事故被害に対する資金援助を要請するアピールを発表。
12 21 外務省、ウクライナのチェルノブイリ原発を2000年までに閉鎖するために、日本や米国など先進7カ国と欧州連合(EU)がウクライナとの愛差で、電力部門の改革や原子力の安全性で協力することを確認する覚書を交わしたと発表。
12 22 長滝重信長崎大学医学部長、御所で天皇・皇后に、旧ソ連のチェルノブイリ原発事故の放射能汚染地区の子どもに多発している甲状腺がんの治療活動などについて説明。
12 23? 「チェルノブイリ子ども基金」(本部:東京)、来年のカレンダー「チェルノブイリと核の大地」を作成。写真家広河隆一の写真で構成。

 

年表:チェルノブイリ原発事故1994

年表:チェルノブイリ原発事故1994

できごと
01 29 ジュノーの会、講演会「チェルノブイリ核被災の現状と取り組み」を広島市内で開催。講師はウクライナ内分泌代謝研究所長。約70人が参加。
01 30 米ボストン・グローブ紙、1986年のチェルノブイリ原発事故の放射能漏れは、公式事故報告の4,5倍であったとする論文の概要を掲載。
02 16 ベラルーシの3医師、チェルノブイリ被災者治療研修のため広島入り。
02 16 ロシアとウクライナの医師2人、チェルノブイリ救援事業による医療研修のため長崎入り。
04 25 ウクライナ保健省のボビリョワ・チェルノブイリ局長、チェルノブイリ原発事故による死亡者は1988-93年に9万人との推定を発表。
04 26 広島県原水禁など、ウクライナ・チェルノブイリ原発事故の処理作業で被曝したユーリ・コルスンを招いて交流会を開催。
04 26 広島県被団協・原水禁などのメンバー約70人、チェルノブイリ8周年の座り込みを原爆慰霊碑前で実施。
05 12 日ロ協会岡山県支部、「ジュノーの会チェルノブイリ訪問団」に同行して被災地に原田種一川崎医科大学教授らを派遣すると発表。
05 19? 室本けい子(広島市在住の主婦)、チェルノブイリ原発事故で被災したウクライナの女性教師バレンシコ・ニーナを日本に招くための「ニーナ基金」への募金を呼びかける。7月8日、来日。
06 03 原田種一川崎医科大学教授、岡山県庁で記者会見し、日ロ協会岡山県支部のメンバーとしてチェルノブイリ原発事故被災地を調査した結果を報告。
06 04 長崎大学医学部内科学第一講座のチェルノブイリ原発事故の影響を調べる世界保健機構(WHO)研究協力センターとしての開所式、長崎市内で開催。
06 05 第35回原爆後障害研究会、長崎市で開催。約100人が参加。放影研の研究グループ、チェルノブイリ原発事故汚染地域の甲状腺がん患者の遺伝子に見られる変異について発表。
07 01 チェルノブイリ原発事故が原因とみられる障害に苦しむウクライナの大学助教授母子、研究者仲間の支援で来日。19日まで広島市に滞在し、広島大学原爆放射能医学研究所などで検査を受ける予定。
07 06 ロシアのクルチャトフ研究所の幹部、チェルノブイリ原発を覆う「石棺」で放射能漏れの可能性があることを指摘。
07 16 佐藤幸男広島大学原医研教授ら、チェルノブイリ原発事故周辺で先天異常が増加しているとの調査結果を高知市で開催された日本先天異常学会で発表。
07 27 ロシア・ベラルーシ・ウクライナ3か国の医師5人、長崎・ヒバクシャ医療国際協力会の招きで、チェルノブイリ原発事故被曝者治療の医療技術研修のため長崎入り。
08 08 チェルノブイリ原発事故で被災したウクライナの女性教師バシレンコ・ニーナとの交流会、広島市内のホテルで開催。40人が参加。
08 17 チェルノブイリ原発の被災者治療に当たっているリトアニアの女性医師アウシュラ・ケシュミエン、研修のため広島入り。-24日。エストニア・チェルノブイリ・ヒバクシャ基金(大石武一代表)の招き。
08 22? 広島県府中市の市民グループ「ジュノーの会」、チェルノブイリ原発事故に被災したウクライナの被曝児童と医師を招くための資金援助を一般に呼びかける。
09 11 広島県府中市の市民団体「ジュノーの会」、11月下旬にウクライナ共和国のチェルノブイリ原発事故で被曝した子供ら8人を招くための第1回準備会を開催。同会による招待は5回目。
09 27 日ロ協会岡山支部、ウクライナのチェルノブイリ事故被災者医療機関に「超音波断層撮影装置」を来年3月ごろまでに2台購入し寄贈することを明らかにし、募金を始める。
10 10 チェルノブイリ原発事故被災者の治療に当たっているベラルーシ・ロシア・ウクライナの3医師、放射線医療の研修のため長崎入り。日本赤十字社が1991年から同事故被災者救援事業として招いているもので、これが4回目。
11 05 広島市立亀崎中学校の生徒会、文化祭の写真展でチェルノブイリ原発事故被災者の窮状を紹介。療養児に学用品を贈る運動を開始。
11 16 日本内分泌学会、広島国際会議場で開幕。武市宣雄広島大学医学部第二外科講師、チェルノブイリ原発事故で急増した甲状腺がんは放射性ヨードで「遺伝子」が活性化したためとする研究結果を発表。広島から県被爆教職員の会の下原隆資が参加。
11 28 東洋医学の普及を進める真圧心クリニック(本社東京)の招きで来日したチェルノブイリ原発事故に被災したベラルーシの子供10人、広島市を訪問し、原爆資料館を見学。
11 30 ウクライナのチェルノブイリ原発事故被災の子どもたち8人、広島県府中市の「ジュノーの会」の招きで広島入り。1日、広島原対協で検診を受ける。
12 14 チェルノブイリ原発事故で被曝したウクライナの子供3人と教師1人、広島県府中市立第一中学校を訪問し、交流。

 

年表:チェルノブイリ原発事故1993

年表:チェルノブイリ原発事故1993

できごと
01 07 日本原水協、リトアニアの首都ビリニュスのチェルノブイリ医療センタ-に医療品21万円相当を贈る。
01 27 ロシアの「チェルノブイリとその他の放射能事故での住民の社会保障と被害地域の回復国会委員会」議長、ウラルの核被害で過去40年間に45万人が影響を受けたと閣議に報告。
02 09? 米国の医師ロバート・ゲイルなど、「チェルノブイリの子供たち」と銘打った被害者救済のための国際チャリティー宝くじの発売を計画。計9万枚を発売予定。
02 23 米カリフォルニア州のバークリー市議会、プルトニウムの生産と使用の禁止を世界に呼びかける決議案を採択。広島・長崎・チェルノブイリ・アラモゴードなど「核関連」の都市へも賛同を呼びかけ。
03 05 放射線被曝者医療国際協力推進協議会、講演会を広島市国際会議場で開催。広島・長崎の医師や研究者4人が旧ソ連・チェルノブイリ原発事故や南ウラルの核惨事などについて現地の状況を報告。
03 08 高田長崎県知事、チェルノブイリ原発事故被曝者救済のためロシアなど3国の医師ら専門家を招き長崎大学などで研修を受けさせることを、県議会の答弁を明らかにする。
03 31 チェコの精神科医ミハエラ・ペチシコバ、チェルノブイリ原発事故の被災者の治療法を学ぶため広島入り。-7日。同医師は、「広島の女上演委員会(代表:村井志摩子)」の招きで3月16日来日。
04 02 市民団体「チェルノブイリ子ども基金」(本部:東京)が招待したベラルーシの子供たち11人、成田に到着。
04 03 チェルノブイリ原発近郊のベラルーシ共和国チェチェルスク地区の医師ら3人、京都市内で現地の実情を報告。6日、ピース大阪(大阪国際平和センタ-)で「私たちは7年間何を見てきたか」をテーマに報告集会。
04 22 「チェルノブイリ支援運動・九州」(本部は北九州市)への募金が3000万円を超える。
04 23 WHO(世界保健機構)、チェルノブイリ原発事故によりベラルーシ共和国の子供の甲状腺がんが24倍に増えたと発表。
04 25 市民団体「プルトニウム・アクション・ヒロシマ」、「チェルノブイリ-トムスク-海洋投棄-六ケ所と続く核の脅威・ヒロシマ集会」を広島市の原爆ドーム前で開催。約20人が参加。
04 25 中村隆市(「チェルノブイリ支援運動・九州」のメンバー)、佐世保市で講演。ベラルーシでの調査の結果を話す。
04 26 広島県被団協・県原水禁などの約110人、チェルノブイリ原発事故から満7周年を迎え、原発も含めた核利用の全面禁止を訴える座り込みを原爆慰霊碑前で実施。
04 30 長崎・ヒバクシャ医療国際協力会、理事会を長崎市内で開催。チェルノブイリ原発事故の被曝者の治療に従事している医師の研修受け入れなど1993年度の事業計画を決定。
05 08 ハンガリーのラジオ放送、同国の12才の少女が、父親の死はチェルノブイリ原発事故が原因として父親の勤務先の国営企業に損害賠償を求める訴訟を起こしたと報道。
05 08 チェルノブイリ原発事故被災者の治療に当たっているキエフ内分泌代謝研究所の医師2人、「ジュノーの会」の招きで広島大学医学部などでの研修のため広島入り。23日帰国予定。
05 24 市民グループ「ヒューマン・ルネサンス佐世保」(創価学会青年部などで結成)、チェルノブイリ原発事故の後遺症に苦しむ子供たちのための義援金30万円を日赤長崎県支部に贈る。
05 31? 広島エスペラント会、チェルノブイリ被曝者への救援物資の寄付を呼びかける。
06 01 広島県医師会など、講演会「チェルノブイリ原発事故の医学的検証」を広島医師会館で開催。講師はベラルーシ共和国のアレクセイ・クバルコ・ミンスク医科大学長。
06 29 旧ソ連・ウクライナの少年、チェルノブイリ事故直後に悪化した目の治療のため「チェルノブイリ救援・中部」の招きで名古屋入り。
07 09? 「チェルノブイリの子どもたちを練馬によぶ会」、夏休みに招待を計画。
07 25 チェルノブイリ原発事故による放射能汚染地域のベラルーシの子供ら82人、保養のため来日。札幌市の市民団体「チェルノブイリへのかけはしプロジェクト」の招待。
07 31 ホームテレビ、「チェルノブイリ小児病棟・求められる医療協力」を放映。
08 02 写真展「チェルノブイリと核の大地」、広島テレビロビーで開催。-6日。
08 03 リトアニアの医師、チェルノブイリ原発の事故処理者に悪性腫瘍が多発していることを原水協国際会議で報告。
08 09 「広島チェルノブイリ連帯基金」、ウラジミール・ベベシュコ・ウクライナ国立臨床放射線学研究所長の講演会「チェルノブイリ原発事故の真相と社会医学的後遺症」を広島大学医学部で開催。
08 20 「チェルノブイリ・ヒバクシャ救援関西」のメンバーら9人、医薬品や食料品など計約160万円分を携え、ベラルーシ共和国に向け出発。
09 10 ベラルーシ共和国モディリ市の子供アンサンブル「パレスカヤ・ゾーラチカ(草原の星たち)」、長崎市平和会館で公演。演奏の前にチェルノブイリ原発事故による現地の被害状況の報告。
09 26 モスクワの音楽家の母娘を招いて、チェルノブイリ被災者の支援のための音楽会が広島市佐伯区民文化センターで開催。約150人の市民が入場。
10 01 日本政府、チェルノブイリ原発事故の健康被害調査と実態視察のため調査団(団長:山下俊一長崎大学教授)を10日-20日の期間、ロシア・ウクライナ・ベラルーシ3国に派遣することを決定。
10 15 ジュノーの会、チェルノブイリで被曝した子供たちの甲状腺がんの手術のため、武市宣雄広島大学医学部講師などをウクライナ・キエフ病院に派遣。
11 11 武市宣雄広島大学医学部講師ら、ウクライナやベラルーシでのチェルノブイリ原発事故被災者の医療支援を終え帰国。
12 06 ベラルーシのミンスク遺伝性疾患研究所長ら2人、チェルノブイリ原発事故の影響調査の打ち合わせのため広島入り。
12 12 長崎大学、チェルノブイリ原発事故で被曝した周辺3共和国の医師6人を迎え、放射線と甲状腺障害の関連について考えるシンポジウムを開催。
12 13 ジリノフスキー・ロシア自由民主党党首、北ドイツ・ラジオのインタビューで、ドイツがロシアの内政に干渉するなら、新たなヒロシマ・ナガサキやチェルノブイリを作り出すこともためらわないと発言。

 

年表:チェルノブイリ原発事故1992

年表:チェルノブイリ原発事故1992

できごと
01 17 「ジュノーの会」が派遣するウクライナのチェルノブイリ原発事故汚染地区に調査団の第2陣、広島空港を出発。上田一博・武市宣雄ら3人。
01 27 ウクライナの核物理学者チェルノセンコ、27日発売のシュピーゲル誌とのインタビューで、チェルノブイリ原発事故処理作業で約100万人が生命の危険にさらされていると発言。
02 04 府中市の市民グループ「ジュノーの会」の調査団、旧ソ連・チェルノブイリ原発事故の被災地調査から帰国し広島市役所で記者会見。甲状腺がん検診の必要性を訴える。
02 16 「チェルノブイリの子供たちに夏休みを!92」の運営会議、金沢市で開催。3-4月、7-8月に40-50人を一般家庭のホームステイに招待することを決定。
02 24? 東京のカタロク販売会社、モスクワにチェルノブイリ原発事故被害者の救援活動の連絡事務所を開設。
03 02 「チェルノブイリに光を」(日本赤十字社など主催の第4回チェルノブイリ原発事故被災者救援事業)招待のロシア・ベラルーシ両共和国の医師や子どもたち12人、長崎入り。長崎への招待は初。
03 03 チェルノブイリ原発事故で甲状腺異常を訴えるロシア・ベラルーシの少女6人、長崎原爆病院に検査入院。
03 04 社団法人エネルギー・情報研究会議、原発事故に関する世論調査の結果を発表。チェルノブイリ級の大事故が日本で起こると心配している人が6割にのぼる。
03 06 チェルノブイリ原発事故で被災した少女6人、長崎原爆病院を退院。市立戸坂小学校を訪問し、児童と交流。12日まで長崎に滞在。
03 09 タス通信、ベラルーシ保健相が、ゴメリで開かれた科学者会議で、チェルノブイリ原発事故以降、ベラルーシで子どもの甲状腺がんが計45件確認されていると述べたことを報道。
03 11 ウクライナ環境保護省顧問、英ブリストルの会議で、チェルノブイリ原発事故により動物の奇形出産が増加していることを指摘。
03 16 チェルノブイリ原発事故被災者の治療に当たっているベラルーシの医師3人、日本キリスト教協議会の招きで広島入り。
03 19 長崎を訪問していたチェルノブイリ原発事故被災の少女など、帰国の記者会見。
03 20 広島YMCA、広島で研修中のベラルーシの医師3人によるチェルノブイリ原発事故6年後の実情の講演会を開催。
03 23 エストニアの医師2人、「エストニア・チェルノブイリ・ヒバクシャ基金」の招きで広島入り。
03 26 ウクライナ共和国のチェルノブイリ委員会、1991年-92年にウクライナとベラルーシで88人の子供が甲状腺がんにかかるなど、原発事故の健康面への影響は深刻とする新たな調査結果を発表。
04 01 ウクライナ政府、チェルノブイリ原発を1993年に閉鎖することを決定したと発表。
04 07 旧ソ連・チェルノブイリ原発事故で被災した子供5人と治療に当たっている医師ら4人、「ジュノーの会」の招きで広島入り。
04 08 チェルノブイリ原発事故で被曝した子供5人と医師4人(「ジュノーの会」の招きで広島入り)、広島大学医学部第二外科で診療と研修を受ける。
04 09 「ジュノーの会」の招きで広島入りしている旧ソ連・チェルノブイリ原発事故被災地区の子供たち5人、広島原爆障害者対策協議会健康管理・増進センタ-で甲状腺などの検診を受ける。
04 10 チェルノブイリ原発事故で被曝した子供5人と医師4人、広島大学医学部を訪問。甲状腺の検診を受ける。
04 11 旧ソ連・チェルノブイリ原発事故で被災した子供4人、広島県歯科医師会の協力で歯の検診を受ける。
04 11 チェルノブイリ原発事故で被災したベラルーシ共和国の子供たち5人、日本の家庭にホームステイし、保養するため滞在先の千葉県に到着。
04 17 ウクライナ・プラウダ紙、チェルノブイリ事故の際、グルバチョフ・ソ連大統領(当時)が報道機関に対し、被害の報道を押え、救援隊による「愛国的活動」に重点を置くよう指示していたと報道。
04 18 「ジュノーの会」と核戦争防止国際医師会議日本支部、広島医師会館で市民講演会を開催。碓井静照医師が旧ソ連の核状況、ウクライナの医師らがチェルノブイリ原発事故以後多発している甲状腺障害の現状などについて報告。約30人が参加。
04 20 広島大学医学部、チェルノブイリ原発事故の被曝者医療・研究について、現地ウクライナの2研究所と共同で進めることに合意。
04 21 チェルノブイリ原発事故で被曝した子供5人と治療に当たる医師4人、広島での治療と研修を終え、記者会見。
04 22 ゴトフチツ・ウクライナ共和国チェルノブイリ事故後遺症担当相、同事故によるウクライナでの死者は6-8,000人にのぼると語る。
04 23 「チェルノブイリに光を」(日赤・朝日新聞社などで組織)、募金活動の成果を追跡調査するために専門家医師団を派遣。上田一博広島大学医学部教授など7人。
04 26 広島県原水禁と「原発はいらん!広島ネットワーク」の20人、チェルノブイリ原発事故6周年で広島市平和公園の原爆慰霊碑前で座り込みを実施。
04 29 「チェルノブイリに光を」(朝日新聞社などで組織)、ウクライナの病院に日本製顕微鏡(150万円相当)を寄贈。
05 15 広島県原水禁、広島で研修中の旧ソ連の医師6人を招き「チェルノブイリ6周年-ベラルーシの実態」をテーマに報告集会を開催。
06 01 チェルノブイリ笹川医療協力シンポジウム、ベラルーシのモギリョフ市で開催。-3日。日本から重松放影研理事長・蔵広島大学原医研所長ら約20人が参加。
06 08 チェルノブイリ原発事故で健康への悪影響が心配されるウクライナの子ども8人と医師2人、広島入り。
06 22 中国地方反原発反火電等住民運動市民運動連絡会議、中国電力の株主総会に対し、同社の株主として質問書を提出。その中でチェルノブイリ原発事故被災者治療への協力を求める。
06 23 本橋成一の写真と貝原浩の絵画を集めた展覧会「チェルノブイリ・大地の結び」、丸木美術館(埼玉県東松山市)で開幕。-7月12日。
07 27 世界保健機構(WHO)、ロシア・オブニンスク市で「チェルノブイリ原発事故の健康影響についての国際プログラム」専門家会議を開催。蔵本淳広島大学原医研所長が出席。
08 13 エフゲニー・コノプリヤ国立放射線生物学研究所(在ベラルーシ)所長、京大原子炉実験所での講演の中で、ベラルーシ国内でチェルノブイリ事故の影響と見られる甲状腺がんが100例以上発生していると語る。
08 23? 広島大学の医学部と原爆放射能医学研究所、ウクライナの研究所とチェルノブイリ原発事故の影響で多発が心配される甲状腺疾患などの早期診断・治療について共同研究を実施することを決定。
09 01 英国セラフィールドの使用済核燃料処理工場から、操業開始以来海水中に放出されたプルトニウム量が、チェルノブイリ原発事故で放出の7倍以上に達していることが明らかになる。
09 05 岡山県内の高校生グループ、チェルノブイリに代表2人を派遣するためのバザーによる資金作りを開始。
09 10 ベラルーシ共和国の市民グループ「ベラルーシ社会エコロジー同盟・チェルノブイリ」の代表2人、長崎県庁・長崎原爆病院などを訪問。11日には、長崎大学医学部を訪問。
09 11 「ジュノーの会」が派遣するチェルノブイリ被災者医療チームの甲状腺班(佐藤幸男・武市宣雄ら3人)、ウクライナに向けて広島を出発。
09 15 チェルノブイリで被曝した骨髄性白血病の少年、日大板橋病院で骨髄移植手術のため来日。
09 24 「ジュノーの会」が派遣するチェルノブイリ医療チームの血液班(上田一博・吉沢浩司ら4人)、ウクライナへ向けて出発。
10 09 政府、チェルノブイリ原子力発電所事故による住民の健康影響の状況や日本側の技術協力のあり方を調査するため、秋葉澄伯放影研疫学副部長を団長とする専門家グループ8人を11日から旧ソ連に派遣することを決定。
10 16 チェルノブイリ原発3号機、運転を再開。
10 24 第2回チェルノブイリ救援グループ全国会議、東京都内で開催。信州大学医学部のグループ、汚染地域の子どもの甲状腺異常の発生率が非汚染地域と比較して高いと発表。
10 31 ベラルーシ共和国の医師ら2人、4割の子供にチェルノブイリ原発事故の影響と見られる甲状腺肥大の被害が続いていると、大阪市内での市民団体との交流会で報告。
10 31? 岡山県内の高校生グループ、1993年3月に2人をチェルノブイリに派遣し原発事故の影響を調査することを計画。
11 01 ベラルーシの医師ら2人、広島平和会館で被爆者らと交流。2人は、大阪の市民団体「チェルノブイリ・ヒバクシャ救援関西」の招きで来日。
11 02 チェルノブイリ原発事故により甲状腺に障害があるとされるベラルーシの子供6人と医師2人ら9人、日本赤十字社の招きで広島入り。5日、6人の子供、広島赤十字・原爆病院に入院。
11 03 チェルノブイリ救援広島委員会とジュノーの会、「チェルノブイリの現状と広島の協力を考える」報告集会を広島YMCAで開催。10月26日から広島で研修中のベラルーシの医師2人をはじめ約20人が参加。
11 06 ベラルーシの医師2人、東京の日本キリスト教協議会でチェルノブイリ原発事故による放射能被害者への緊急援助を訴える。
11 07 市民グループ「ヒューマンルネッサンス佐世保」、チェルノブイリの被災児に医薬品を送るための募金活動を佐世保市内で実施。
11 10 チェルノブイリ原発事故で被災したロシアの少女6人と治療に当たっている医師2人、日赤長崎病院で検診と研修を開始。
11 15 長崎で体内被曝線量などの検査をしているチェルノブイリ原発事故被災児童6人、長崎国際文化会館で地元の中学生と交流。
11 24 チェルノブイリ原発事故で被曝したウクライナの小・中学生4人、「ジュノーの会」の招きで来日。
11 27 「ジュノーの会」が招いたチェルノブイリ原発事故で被災した児童4人、広島原対協で受診。
12 03? 朝日新聞社・日赤などの募金活動「チェルノブイリに光を」、広島・長崎で現在研修中の4人で2年間の活動を閉じる。募金総額は1億3,000万円。招待した児童・医師は73人。
12 05 佐藤幸男広島大学教授ら4人、チェルノブイリ原発事故による小児甲状腺ガン障害の共同研究のためウクライナへ出発。

 

年表:チェルノブイリ原発事故1991

年表:チェルノブイリ原発事故1991

できごと
01 07 朝日新聞社など、チェルノブイリ原発事故の被災者救援のため「朝日チェルノブイリ救援募金」を開始。被災者の受け入れには、広島県・市、[広島大学]原医研などが協力。
01 11 朝日新聞社などによる「チェルノブイリに光を」現地調査団、モスクワ市で、4月に被災地の子どもと医療スタッフを広島県に招くことでソ連側と合意。
01 18 朝日新聞社などによる「チェルノブイリに光を」現地調査団、4月に日本に招く第一陣を、ウクライナ共和国の子供たちや医療スタッフとすることでソ連関係者らと合意。
02 11 ソ連のユネスコ大使、パリで開かれたユネスコの会合で、チェルノブイリ原発事故で400万人以上が後遺症に苦しんでいることを公表。
02 17 モンテカルロ国際テレビ祭に入賞したテレビ番組「チェルノブイリ事件から4年」(NHK制作、1990年8月放送)、再放送。
03 01? ソ連のカメラマン、イーゴリ・コスティンによるチェルノブイリ原発事故の記録写真展、全国各地で開催。
03 03 外務省のチェルノブイリ原発事故調査団(10人)、訪ソ。重松逸造・放影研理事長、蔵本淳・[広島大学]原医研所長が参加。蔵本所長、調査結果をもとに「広島の医療の貢献も考えたい」とコメント。
03 11? ウクライナ共和国出身の登山家ら、チェルノブイリ原発事故被災者の健康調査復活のための基金を創設するため、募金活動を開始。
03 13 朝日新聞社などによる「チェルノブイリに光を」で、4月に来日し広島で治療を受ける子供らと、医療研修する医師らの顔ぶれが決まる。
03 17? 朝日新聞社などによる「チェルノブイリに光を」現地調査団、モスクワ郊外の病院で現地調査を実施。
03 25 放影研の専門評議会、広島市で開催(27日まで、約50人参加)。重松理事長、チェルノブイリ原発事故被災など外部からの協力要請に積極的に対処したいと挨拶。放影研、放射線の循環器系疾患への影響を初めて指摘。
03 26 長野県の住職ら、日本チェルノブイリ連帯基金を設立。現地での調査のため、訪ソ。
03 29 広島市長、来日中のソ連外相と東京で会談。同外相、4月に来日するソ連大統領の広島訪問が実現困難であると説明、チェルノブイリ原発事故被災者救援については、放影研との協力を続けたいと発言。。
04 02 ソ連大統領来日時に、日ソ両国政府間で取り交わされるチェルノブイリ原発事故被害対策協力に関する覚書が公表される。それによると、白血病などの治療・予防・疫学調査などの実施を決定。
04 03 ソ連の女子体操のオルガ・コルブト、米シアトル市のがん研究センターで受診。チェルノブイリ原発事故による被曝の疑い。
04 06 民間の支援組織「日本チェルノブイリ連帯基金」、チェルノブイリ原発事故の被災児約20人を9月に日本に招くことを決定。
04 09 ソ連最高会議、チェルノブイリ原発事故被害者救済のための補償法案を採択。事故発生後満5年を前にした初めての法律。放射能で身体・財産に損害を受けた市民に補償を受ける権利を定め、480万人が対象。
04 09 チェルノブイリ原発事故被災地の子供6人・医療スタッフ4人、朝日新聞社などによる「チェルノブイリに光を」の招きで、来広。
04 10 チェルノブイリ原発事故被災地の子供ら、広島赤十字・原爆病院に入院(13日まで)。市民グループ「広島折鶴の会」、折りづるなどの慰問品を届ける。
04 10 チェルノブイリ原発事故被災地の子供らに同行して来広した医療専門家ら、広島県知事・市長らを訪問。原爆資料館を見学。
04 11 ソ連保健省生物物理学研究所所長、「チェルノブイリ原発事故による放射能汚染地域住民の被曝量は想定の20%しかなく、移住の必要性も大幅に減少している」との見解を表明。
04 12 ソ連・白ロシア共和国科学アカデミー原子力研究所所長ら、広島県原水禁の招きで来広。チェルノブイリ原発事故5年後の現地の様子などを報告。
04 14 英紙、ソ連チェルノブイリ原発事故の科学調査担当幹部が事故の規模は当局の発表よりはるかに大きく、死者は7000人以上に達していると発言したことを報道。
04 14 広島滞在中のチェルノブイリ原発事故被災地の子供ら、原爆資料館などを見学。
04 15 チェルノブイリ原発事故被災地の子供ら、広島カープ球団の招きで、広島市民球場を訪問。この他食事の招待や募金なども相次ぐ。
04 15 ソ連チェルノブイリ原発事故による危険を国民に知らせなかった当時の政府当局者に対する裁判が、ブルガリアの首都ソフィアで開始。国連報告によると、ブルガリアでは、事故による放射能の影響が国民一人当たり平均で最も深刻。
04 15 チェルノブイリ原発事故被災地の子供らに同行して来日したソ連の医師ら、広島市の放影研で、研修を開始(17日まで)。
04 16 ソ連科学アカデミー副総裁のレオニード・イリーヌ教授、パリで開催中のチェルノブイリ原発事故についての会議で、同事故による死者は28人であると、14日付けの英紙の報道を否定。
04 17? 広島大原医研佐藤幸男教授、ソ連大統領の来日について、チェルノブイリ原発事故の実態解明と救済が促進することを願うとコメント。
04 18 ソ連チェルノブイリ原発事故被災地の子供ら、広島市で、日本の小学生らと交流。
04 18 日ソ両国政府、15の協定・覚書などの文書に合意。そのなかのチェルノブイリ原発事故対策協力についての覚書で、被災者に対する調査・治療、専門家の派遣などで合意。
04 18 市民団体「エストニア・チェルノブイリ・ヒバクシャ基金」、エストニア共和国などでのチェルノブイリ原発事故被災者調査のため、広島大原医研佐藤幸男教授らを現地に派遣。
04 20 ウクライナ共和国保健相、朝日新聞記者と会見。チェルノブイリ原発事故の後遺症で、同共和国で約600人が死亡したことを公表。
04 21 広島市の主婦林悠子、市民団体「エストニア・チェルノブイリ・ヒバクシャ基金」が派遣する代表団の一員として訪ソ。エストニア共和国での市民集会に参加。
04 22 ソ連ウクライナ共和国の新聞社から、チェルノブイリ原発事故の被害状況と救援を求めるメッセージが中国新聞社に届く。
04 22 ソ連ウクライナ共和国の首都キエフで、被曝者救援団体主催の集会「チェルノブイリ・ウィーク」、開催(国内外から約10万人参加)。
04 23 ソ連チェルノブイリ原発事故被災地の子供と医師ら、検診・研修などの全日程を終了。26日、帰国。
04 24? 市民グループ「チェルノブイリ救援・中部」代表坂東弘美、来広し、奇形の多発を報じるソ連紙を持参し、チェルノブイリ被災者の救援を呼びかけ。「被災地の人たちは、被爆地のヒロシマ・ナガサキに大きな期待を寄せている。」と発言。
04 25 府中市の民間団体「ジュノーの会」・広島市の「チェルノブイリ救援広島委員会」代表ら、チェルノブイリ被災者に対する今後の救援活動について発表。それによると、「ジュノーの会」は7月に被ばく児童を招請、「広島委員会」は5月に医師を招請。
04 25 反原発労働組合連絡会議のメンバーら、チェルノブイリ原発事故5周年を前に、中国電力本社前で、チェルノブイリ原発事故による放射能汚染地図などを掲げ「反原発」を訴え。
04 25? 広島県原水禁、ソ連チェルノブイリ原発事故による汚染地域に住む子供らを、今秋広島に「集団疎開」させることを計画中。ソ連の民間団体「平和基金」の要請を受けて計画。
04 26 チェルノブイリ原発事故から満5年を迎え、ソ連各地で事故犠牲者の追悼集会など開催。キエフ・ミンスク市では、チャリティーコンサート・討論集会など開催。ソ連国営ラジオ・テレビは特別番組を放送し、被害者救済募金を呼びかけ。
04 26 ソ連女子体操のオルガ・コルブト、ワシントン市で、チェルノブイリ原発事故5周年に当たり、被爆住民への支援を訴え。「オルガ・コルブト財団」の設立を計画。
04 26 市民グループ「チェルノブイリに放射能測定器をおくる会」、チェルノブイリ原発事故から満5年を機に、東京で結成集会を開催(約100人が参加)。
04 26? ソ連チェルノブイリ原発事故の4号炉を覆う放射能防護壁にすき間ができ、放射能漏れの危険が指摘される。対策についての意見が対立し、結論が出ず。
04 26? チェルノブイリ原発事故の死の灰が、微量ながら日本に現在も飛来していることが、大阪府立大付属研究所の観測で判明。
04 29? 市民団体「チェルノブイリ支援運動・九州」、6月の調査団派遣や医療機器寄贈などのため、募金を呼びかけ。
05 07 ソ連最高会議、チェルノブイリ原発事故の被害者救済のための社会補償法を満場一致で採択。それによると、地域住民と復旧作業従事者ら約480万人を対象に、財産・健康被害の補償をするため、国家予算の約4%を投入することを決定。
05 08 チェルノブイリ原発事故5周年集会に参加した広島市の主婦林悠子、現地での様子を報告。それによると、リトアニアの医師ら、医薬品の欠乏を訴え。
05 09 チェルノブイリ原発事故被災者の治療に当たっているオリガ・アレイニコワ医師、来日し、記者会見。ミンスク小児血液病センターでの白血病患者が、事故前に比べ2倍強に増えていることなどを公表。同医師は、市民グループの招きで来日。
05 10 笹川記念保健協力財団、チェルノブイリ原発事故被曝者への医療協力のため、医師・放射線技師などを派遣。第一陣に、広島から広島大原医研の藤村欣吾助教授ら7人が参加。
05 12 ソ連チェルノブイリ原発事故の被災者治療に当たっているオリガ・アレイニコワ医師、市民団体「チェルノブイリ被害調査・救援」女性ネットワークの招きで来日。広島市での集会「チェルノブイリの子供たちはいま!」で講演(聴衆約180人)。
05 16 世界保健機関(WHO)の世界保健総会、チェルノブイリ原発事故の影響と健康被害の調査研究のための国際的な調査センタ-を、ソ連国内に設置することを決議。
05 18 朝日新聞広島支局の大峯伸之記者、朝日文化サロン岡山の5月例会で講演。テーマ「ソ連チェルノブイリ原発事故後5年-被災の現地を歩いて」
05 18 国際原子力機関(IAEA)の国際諮問委員会によるチェルノブイリ原発事故報告書、公表。それによると、「放射線による直接的健康被害はなかった」と結論。同委員会委員長の重松逸造放影研理事長、総合報告として最善のものとコメント。
05 20 ソ連の医師5人、広島の「チェルノブイリ救援広島委員会」などの招きで来広。広島大原医研などで被曝者医療などについて研修。
05 20 ソ連保健省、チェルノブイリ原発事故による死者は61人と発表。当初発表の31人の死者のほか、被曝した重傷患者145人のうち30人が死亡したと説明。
05 21 国際原子力機関の国際会議に参加したソ連のウクライナ・白ロシア両共和国の関係者ら、同機関のチェルノブイリ原発事故の影響に関する報告書について、「汚染評価が不十分」と反発。
05 21 国際原子力機関(IAEA)のチェルノブイリ原発事故影響報告書を検討する国際会議、ウィーンで開催(24日まで、約200人参加)。IAEA国際諮問委員会の重松委員長、「これを調査の終わりではなく、始まりとしたい。」と発言。
05 23 ソ連の非政府系団体「チェルノブイリ支援」の責任者、ニューヨークで、チェルノブイリ原発事故の事後処理作業員のうち少なくとも1000人余が死亡、5000人以上が病弱者になったと発表。
05 25? 国際原子力機関国際諮問委員会のチェルノブイリ原発事故被害調査結果について、被爆地広島の専門家らの間で評価が分かれる。広島大原医研佐藤幸男教授、臨床デ-タの重要性を強調。横路健次郎元原医研所長、報告書に肯定的見解。
06 02? 米カリフォルニア大学のロバート・P・ゲール準教授、チェルノブイリ原発事故の放射能汚染で、がん死亡者が50年で2千-2万人増加するとの見解を表明。
06 03 チェルノブイリ救援広島委員会の招いたソ連医師ら5人、広島入り。10日まで滞在し、広島大学原医研や放影研などで研修。
06 03? 東海・北陸の救援活動グループ「チェルノブイリ救援・中部」に、チェルノブイリ原発事故の後遺症に苦しむ人々からの手紙・絵などが届く。
06 09 埼玉県の与野西中学校の生徒(234人)、来広し、平和学習。チェルノブイリの子どもたちへの贈物を「折鶴の会」に寄託。
06 19 第5回宗教と平和シンポジウム、広島市の県民センタ-で開催(約30人参加)。広島市の渡辺正治、チェルノブイリ原発事故被曝者の実態を報告。
06 22 「ジュノーの会」、広島県府中市で「チェルノブイリからの手紙・絵画展」を開催。ひきつづき広島市内でも開催。
06 25? 広島市の被爆者渡辺美代子、チェルノブイリ被災者から、励ましの手紙に対する返書を受け取る。
06 25? チェルノブイリ原発事故の被害レポートを出版したつくば市の小川仙月、来広し、被爆直後の広島の被害状況を調査。
06 28 朝日新聞などによる募金救援活動「チェルノブイリに光を」の招きで来日する被災地の子供・医師らの広島市での日程、決定。
07 02 ソ連・チェルノブイリの原発事故で被災した子供5人と現地の医師ら6人の一行、検査・治療・医学研修のため広島入り(10日まで滞在)。朝日新聞社などの救援活動「チェルノブイリに光を」の招きによる第二陣。
07 03 ソ連・チェルノブイリ原発事故被災地の子どもら(5人)、広島赤十字・原爆病院に入院。
07 06 テレビ番組「土曜インタビュー」で、ソ連チェルノブイリ原発事故被災地を訪れ巡回診療を行った広島市の医師が、現地での模様を報告し広島の役割について発言。
07 06 来日中のチェルノブイリ原発事故被災地の子どもら、原爆資料館などを見学。
07 08 広島滞在中のソ連・チェルノブイリ原発事故被災地の子どもたち5人、広島市立国泰寺中学校に体験入学(9日も)。
07 09 ソ連チェルノブイリ原発事故などの調査・救援活動をしている専門家・市民らの報告集会、東京で開催。広島大原医研の佐藤幸男教授、事故後、奇形児が増加していると報告。国際原子力機関(IAEA)調査結果に対する反論が相次ぐ。
07 09 広島滞在中のチェルノブイリ原発事故被災地の子どもら、広島を離れるにあたり日本赤十字社広島県支部で記者会見。10日離広。
07 09 ソ連・チェルノブイリ原発事故で被災した子どもたちの病院建設を進めている医師ら、長崎市を訪問。長崎市長に医療協力などを要請。
07 12 ソ連チェルノブイリ被災地の子どもら(5人)、帰国。
07 13 「悲劇の現場から イーゴリ・コスチンさんのチェルノブイリ写真展」、三次市の三次教育会館で開催(14日まで)。巡回展で今年1月青森県でスタート。
07 19 ソ連・白ロシア共和国の医師5人、約3週間の被曝者医療の研修を終了。同医師らは、募金救援活動「チェルノブイリに光を」の招きで来日。(22日、帰国。)
07 20 ソ連・チェルノブイリ事故の取材活動をした女性テレビ制作者、来広し、被爆者吉川生美らを取材。広島大学原医研などを訪問。市民グループ「日本チェルノブイリ連帯基金」の招きで来日。
07 20 神道時事問題研究会・広島県神社庁、広島市で、「神道と平和」公開座談会を開催。テーマ「広島からチェルノブイリへ」。広島大学原医研佐藤幸男教授などが参加。
07 21? 佐藤幸男広島大学原医研教授、府中市立西小学校と第一中学校で、チェルノブイリ原発事故で被災した白ロシアやウクライナの現状について講演。
07 23 ソ連・チェルノブイリ原発事故により避難生活を余儀なくされている子どもら(28人)、ボーイスカウト日本連盟の招きで来日。東京・新潟などでホームステイ。
07 24? 日本東洋医学会広島県部会、「ジュノーの会」の招きで、26日に広島入りするソ連・チェルノブイリ被災児童の治療に協力を申し出。
07 26 ソ連チェルノブイリ原発事故の被災児童ら(4人)、来広。府中市の市民グループ 「ジュノーの会」の招きで、8月8日まで滞在予定。
07 27 チェルノブイリ原発事故の記録映画「チェルノブイリ・黙示録」(ロラン・セルギエンコ監督)、大阪市で上映(8月16日まで)。
07 27 ソ連チェルノブイリ原発事故の被災児童3人、広島原爆障害対策協議会の健康管理増進センタ-や東洋医学の医院を受診。
07 29 広島訪問中のソ連・チェルノブイリ原発事故の被災児童ら、広島大学附属病院で全身の放射線量測定を受ける。3人とも正常範囲内であることが判明。
07 31 原水禁国民会議などによる原水禁世界大会に参加する外国代表、決定。101カ国から29人が参加、うち4人はチェルノブイリ原発事故の被災者。
08 01 ソ連・ウクライナ共和国の写真家イーゴリ・コスチンのチェルノブイリ原発事故被災写真展、広島市南区で開催(3日まで)。4ー6日、中区で開催。
08 02 市民グループ 「ドクタージュノーの会」の招きで来日したソ連チェルノブイリ原発事故の被災児童、府中市立第一中学校の平和集会で、同校生徒らと交流。
08 03 「戦争と平和展」(創価学会インターナショナル・国連軍縮局など主催)、広島市で開催(20日まで)。同展は、89年10月にニューヨークの国連本部で初開催、日本国内では初。チェルノブイリ原発事故の放射能除去作業日誌など展示。
08 04 テレビ番組「チェルノブイリ小児病棟~5年目の報告」(NHK)、放送。
08 04 被爆46周年原水爆禁止世界大会反核平和漫画展(第8回)、広島市の県民文化センタ-で開催(6日まで)。チェルノブイリ原発事故の被災写真も展示。
08 05 核問題を考える特別上映会、広島市のサロンシネマで開催(6日も)。「グランド・ゼロ」・「チェルノブイリ黙示録」・「ポリゴン」を上映。
08 05 テレビ番組「ほっと ヒロシマ発チェルノブイリ悲しみ号」(広島テレビ)、放送。
08 05 府中市の「ジュノーの会」の招きで広島入りしたチェルノブイリ原発事故で被災した児童ら、中国新聞社を訪問。
08 06 テレビ番組「チェルノブイリの子供たち~46年目のヒロシマいま世界へ」(広島ホーム)、放送。
08 06 ソ連・チェルノブイリ原発事故の被災児童、セミパラチンスクの少女、「原爆の子」感想文コンテスト入賞の米国生徒ら、広島市で地元の子供らと交流。吉川生美から体験を聞く。
08 06 チェルノブイリ原発事故の被災児童・セミパラチンスク市の少女・英語版「原爆の子」感想文コンテストに入賞した米の高校生ら、広島市の平和記念公園で交流。
08 07 「ジュノーの会」の招きで広島を訪問していたソ連チェルノブイリ原発事故被災地の児童ら(4人)、検診や治療の日程を終了。
08 07 チェルノブイリ原発事故の被害を描いた映画「チェルノブイリ黙示録」、広島市内で上映開始(16日まで)。
08 07? ソ連国営タス通信、コンクリート製の「石棺」で覆われたチェルノブイリ原発4号機の内部の写真を公表。
08 08 ソ連・エストニア共和国のチェルノブイリ委員会一行、長崎市を訪問し、核被害者救援に対する協力を要請。同市長、県と合同で「長崎・ヒバクシャ国際協力委員会」の結成準備をしていることを公表。
08 21 広島県原水禁、ゴルバチョフ大統領を失脚させたクーデターに抗議し、チェルノブイリなどの核被害者救援に全力をあげることを求めたソ連政府あてのアピールを在日ソ連大使館に送付。
08 23 国際児童青少年演劇協会のアドルフ・シャピロ会長ら、広島訪問。チェルノブイリ原発事故被災児への支援を呼びかける。
09 01? 広島市在住の渡辺正治、チェルノブイリ原発事故被曝者を対象としたアンケート調査を集計中。来年、報告書を作成の予定。
09 03? 外務省、チェルノブイリ原発事故被災者医療協力第一弾として、平成4年度から、現地と日本の医師の研修交流を計画。
09 04 放射線被曝者医療国際協力推進員会、広島県庁で第2回幹事会を開催。ソ連とブラジルで被曝者医療に当たっている石の研修受け入れや、チェルノブイリ原発事故の影響を調べた専門家による公開報告会に開催を決定。
09 18 チェルノブイリ原発事故調査のためソ連を訪問した府中市の市民グループ「ジュノーの会」の調査団、帰国報告。広島大原医研の佐藤幸男教授、「小児の甲状腺がんは今後急増する恐れがある」と報告。
09 26 チェルノブイリ原発事故被災住民の診療に携わっているソ連の医師団9人、長崎大学医学部で被爆者医療について研修するため長崎入り。
09 27 モスクワで開催中の全欧安保人権会議場で、ソ連ベラルーシ共和国の関係者が、チェルノブイリ原発事故で汚染土などの除去作業をした人のうち約7000人が放射線障害で死亡したと発表。
09 28 ソ連チェルノブイリ原発事故被災者の治療に当たっている医師ら9人、来広。笹川記念保健協力財団の支援プロジェクトによる受け入れ第一弾として放影研・原医研などで研修。
10 03 ソ連のジャーナリスト、トカチ・ブラーダ、岡山市を訪問。市民グループと交流し、チェルノブイリ被災者への救援活動に対する支援を訴え。
10 11 放射線被曝者医療国際協力推進協議会、ソ連チェルノブイリ原発事故調査にかかわった広島の医師らによる公開報告会を開催(約300人参加)。放射能の影響の有無について、研究者間で意見が対立。
10 15 日本原水禁・ソ連核被害者調査交流団(31人)、訪ソ。広島から横原由紀夫・県原水禁事務局長らが参加。セミパラチンスク核実験場・チェルノブイリ原発事故による核被害者交流の予定。
10 19 イーゴリ・コスティン(ノーボスチ通信カメラマン)のチェルノブイリ原発事故被災写真展、長崎市で開催。20日まで。
10 23 チェルノブイリ原発事故の被災者救援に携わっているソ連のソ連保健省担当者ら、来広し、広大原医研を視察。
10 24 広島交響楽団、ウィーンでの第46回国連創立記念コンサートで演奏(聴衆約2700人)。被爆犠牲者のための「広島レクイエム」などを演奏。チェルノブイリ被災者救援のチャリティー演奏会。会場ロビーでは広島・長崎原爆写真展を開催。
10 27 ワールド・フレンドシップ・センター、広島市中央公園での国際交流の集いで、チェルノブイリのミニ写真展を開催。
10 29 ソ連緊急事態国家委員会チェルノブイリ原発事故対策委員会のメンバー、来日し、外務省での日ソ専門家代表者会議に参加。日本側から重松逸造放影研理事長が参加。
11 01 核戦争防止国際医師会議(IPPNW)ソ連支部の代表団(5人)、同日本支部の招きで来広。チェルノブイリ原発事故の影響などについて講演。2日、広島大原医研などを見学。
11 02 ソ連チェルノブイリ原発事故で汚染されたベラルーシ共和国で、土壌中に猛毒のプルトニウムが存在し、人体からも検出されるという調査結果が、埼玉県大宮市での国際プルトニウム会議で発表される
11 04 「日ソ・チェルノブイリ甲状腺シンポジウム」、長崎大学医学部附属病院で開催。4月ゴルバチョフ・ソ連大統領来日時に調印された覚書に基づき日ソの研究者で開催。
11 04 チェルノブイリ原発事故で被災した子どもと主治医ら(9人)、検査と医療研修のため来広。朝日新聞社などによる募金救援活動「チェルノブイリに光を」の事業の一環。
11 05 ソ連チェルノブイリ原発事故で被災した高校生ら(3人)、広島赤十字・原爆病院に入院。日本赤十字社などの招待。同行の医師らは同病院などで研修。
11 08 チェルノブイリ原発事故被災者の治療の研修のため、ラトビア共和国の医師、来広。放射線被曝者医療国際協力推進協議会が受け入れ、広島大原医研などで研修。
11 10 ソ連チェルノブイリ原発事故被災者を救援しようと、「チェルノブイリ・ヒバクシャ救援関西」の結成集会、大阪市で開催(約100人参加)。
11 11 チェルノブイリ原発事故で被災し、広島市で検査を受けているソ連の高校生ら、安芸郡音戸町の小学校を訪れ生徒らと交流。
11 13 チェルノブイリ原発事故で被災したソ連の子どもら(3人)、検査日程を終了し、記者会見。「病気への不安が消えた」と発言。(14日、帰国)
11 20? 慶応大学藤田祐幸講師、ソ連チェルノブイリ原発事故について、汚染源からの距離に関係なく、事故直後に雨が降ったところほどおせんがひどいとの研究結果を発表。
11 22 チェルノブイリ原発事故で被災した子どもたちに同行し、広島で医療研修していた医師団、研修日程を終え広島市で記者会見。「今後は日ソ共同の被ばく者研究を進めたい」とコメント。朝日新聞などによる「チェルノブイリに光を」が招請した第三陣。
11 23? チェルノブイリ原発事故の被災地ベラルージ共和国市民による救援活動グループ 「チェルノブイリの子どもたちのために」のメンバー、来日し、救援を訴え。
12 22 平成4年度の大蔵省原案内示。在韓被爆者支援基金に23億円、ソ連・チェルノブイリ事故被災者救援調査費9300万円などのほか、被爆者がん検診の対象に大腸癌が新たに認められる。
12 27? 平成4年度予算大蔵原案に対する復活折衝で外務省が初めて計画した「チェルノブイリ専門家派遣招へい事業」予算3400万円が認められる。

 

年表:チェルノブイリ原発事故1990

年表:チェルノブイリ原発事故1990

できごと
01 06 広島赤十字・原爆病院の蔵本潔副院長、赤十字社のチェルノブイリ原発事故調査団の一員として訪ソ。(19日、帰国。)
02 14 ソ連白ロシア共和国で、州当局がチェルノブイリ原発事故の放射能汚染実態を隠してきたとして、連日数万人規模のデモや集会が続く。
02 17 ソ連白ロシア共和国の首都ミンスクの病院で、チェルノブイリ原発事故の影響でこれまでに6000人が甲状腺がんで死亡、とオーストリアの新聞が報道。
03 05 ソ連ウクライナ共和国最高会議は、チェルノブイリ原発を95年までに操業を完全に停止、閉鎖するよう求める決議を採択。
03 23 チェルノブイリ原発事故の放射能汚染に今も苦しむソ連白ロシア共和国からの要請で、IAEAが近く被害調査のための国際的調査団を現地に派遣へ。
03 29 チェルノブイリ原発事故の損害が、2000億ルーブル(3300億ドル)に。ソ連専門家が試算。
04 04 ポーランドの国際会議で、ソ連人科学者がチェルノブイリ原発事故の影響で、今後数千人の死者が出る、と警告。
04 07 ソ連国家テレビラジオ委員会のメンバー、原発事故被害者救援の番組作成のため来広し、平和記念館の原爆資料仮展示場などを取材。チェルノブイリ事故の死者は政府発表の倍以上であると証言。
04 22 広島市の市民グループ、ソ連チェルノブイリ原発事故4周年で、事故の被害を記録した映画を上映。
04 23 国際原子力機関(IAEA)の調査団、訪ソし、チェルノブイリ原発事故実態調査を開始。放影研重松理事長・原医研蔵本所長ら、参加。[広島大学]
04 25 ソ連最高会議はチェルノブイリ原発事故で、93年までにさらに汚染地域の住民18-20万人を避難させるなど総額4兆円に上る救済計画を審議。
04 25 広島県原水禁、広島市で、講演会「チェルノブイリ4周年・ソビエトの核被害の実情をさぐる」を開催。ソ連の医師アレクサンダー・ヤコブレフが講演、被害者への支援を訴え。
04 26 広島市の市民グループ、チェルノブイリ原発事故4周年で、平和記念公園で脱原発を訴えて座り込み(約20人参加)。
04 26 ソ連原発事故被災者救援を呼びかけるテレビ番組「テレソン・チェルノブイリ」、放送。モスクワから日本・欧州・米国に中継。広島の被爆者の話なども紹介。
04 26 ソ連の作家アレーシ・アダモビッチ、来日し、チェルノブイリ原発事故被災者の日本への受け入れ治療・人材派遣などについて、協力を呼びかけ。
04 26 長崎県被爆者手帳友の会、ソ連チェルノブイリ原発事故4周年を考える集会を長崎市で開催(約150人参加)。被爆者は原発に反対するとの決議文採択。
04 27 ソ連最高会議核・環境問題小委員長、訪問先の米で、原発事故被災の子どもの救済を要請。チェルノブイリ原発事故は「広島・長崎以来の悲劇」と発言。
04 30 ソ連チェルノブイリ事故被災者の救護運動をしているアレ-シ・アダモビッチの講演会、長崎市で開催。原爆資料館など見学。
05 10 国際原子力機関、ソ連チェルノブイリ原発事故調査を実施することを発表。日本からは、重松逸造放影研理事長らが参加。
05 22 訪ソ中の原水禁国民会議代表団、モスクワ市でチェルノブイリ原発事故被災者家族らと交流。
05 27? ソ連のウラジーミル・M・コレシコ教授、来日し、チェルノブイリ原発事故による白血病の増加などで、住民が心理的パニックに陥っていることなどを報告。
06 04 中山外相、ソ連チェルノブイリ事故被曝者救済について、唯一の被爆国として前向きに対応していく考えを表明。
06 07 政府、ソ連チェルノブイリ原発事故被ばく者救援のため、多国間協力とともに、日ソ二国間協力も推進する方針を決定。
06 08 世界保健機関(WHO)、ソ連チェルノブイリ原発事故の被災者対策として、ソ連オブニンスク市に「チェルノブイリ国際研究センタ-」設立を検討していることが判明。
06 11 広島県原水禁、チェルノブイリ原発事故被災者治療用に、注射器などをソ連人研究員に寄託。
06 15 チェルノブイリ被ばく者第1回全ソ大会、キエフで開催(チェルノブイリ同盟主催、約1000人参加)。約5万人が放射線障害に侵されていることが判明。
06 21 チェルノブイリと原爆をテーマにした現代音楽作品2曲を収録したコンパクトディスク、日本で発売。「チェルノブイリ」(ベイト作曲)・「広島の犠牲者にささげる哀歌」(ペンデレツキ作曲)の2曲。
07 02 ソ連チェルノブイリ原発事故処理作業に従事し、白血病にかかったソ連人パイロット、死亡。
07 07 白ロシア共和国の代議員、チェルノブイリ原発事故の影響で、同共和国での新生児死亡率が急増していることなどを発表。
07 10? 放射性の微粒子が、ソ連チェルノブイリ原発事故の影響で白ロシア共和国住民の肺の中に、多量に存在することが判明。
07 21 蔵本淳広島大原医所長ら、国際原子力機関(IAEA)のチェルノブイリ原発事故現地調査団として、訪ソ。
08 05 テレビ番組「汚染地帯に何が起きているか~チェルノブイリ事故から4年」(NHK)、放送。(8月30日、再放送。)
08 06 テレビ番組「特集ズームイン! 朝 ヒロシマ被爆45年・チェルノブイリは今」(広島テレビ)、放送。
08 12 政府、来年のソ連大統領来日時に、チェルノブイリ原発事故の被災者救済のための医療協力協定を締結する方針を決定。広島・長崎の放射線医学研究機関にも協力を打診する方針。
08 14 訪ソ中の「チェルノブイリ原発事故調査団」、モスクワで記者会見。重松逸造放影研理事長、医療機器の提供・医療関係者の日本への受け入れなどの援助を実施すると発表。
08 15? 世界教会協議会が派遣したチェルノブイリ原発事故調査団、帰国し、東京で報告会開催。広島大原医研佐藤幸男教授ら、現地の模様を報告。
08 17 「エストニア・チェルノブイリ・ヒバクシャ基金」、発足し、被ばく者救援募金を開始。「基金」の呼びかけ人は、大石武一・庄野直美・吉田嘉清ら18人。
08 18 広島大原医研横路謙次郎ら、核戦争防止国際医師会議(IPPNW)ソ連支部の招きで、チェルノブイリ原発事故の被災者治療に当たっている医師らと交流するため、訪ソ。
08 30 科学技術庁、1991年度予算の概算要求に、ソ連チェルノブイリ原発事故の放射線影響調査委託費として1億5000万円を計上。
08 31 国際原子力機関(IAEA)派遣の「チェルノブイリ健康影響調査団」の第1陣、ソ連に向け出発。日本からは放影研の研究員らが参加。
09 01? 放射線医学総合研究所、ソ連チェルノブイリ原発事故の際に同原発から約3キロの地区にあった砂糖の被ばく線量を測定。それによると、砂糖の被ばく線量は、胃のエックス線写真1枚当たりの被ばく線量の約40倍。
09 03 市民グループ「チェルノブイリ救援・中部」のメンバー、ソ連より帰国。ソ連に放射能測定器等を寄贈。
09 06 中山外相とシュワルナゼ・ソ連外相、チェルノブイリ原発事故被曝者に対する日本側の治療協力を柱とする覚書に署名。
09 07 「エストニア・チェルノブイリ・ヒバクシャ基金」、呼びかけた募金が目標額を超えたため、10月に被曝者のほかに同国の医師を招くことを決定。
09 14 8月末に訪ソした日本被団協の代表団、長崎市で、今後さらにチェルノブイリ原発事故被害者との交流を進める考えを表明。
09 14 ソ連キエフ市の市民団体「ネクスト・ストップ・キエフ」の招きで訪ソした長崎原爆被災者協議会の山田拓民事務局長、長崎市で帰国報告。現地ではチェルノブイリ事故被災者と交流。
09 21 国際原子力機関(IAEA)とソ連、チェルノブイリ原発事故の環境への影響と人体被害などを研究する「チェルノブイリ国際研究センタ-」設立協定に調印。
09 28 世界保健機関(WHO)、チェルノブイリ原発事故被災者救済のための「チェルノブイリ事故健康影響国際プログラムに関するWHO科学諮問委員会」初会合を、広島市の放影研で開催。
10 10 ソ連チェルノブイリ原発事故の被曝者アンドレス・イラク、市民団体「エストニア・チェルノブイリ・ヒバクシャ基金」(吉田嘉清代表)の招請で来日。
10 19 ソ連のユーリー・ボリメル海運大臣、来年4月開催予定のチェルノブイリ原発事故についてのシンポジウムに、日赤長崎原爆病院の藤田長利院長を招へいすることを発表。
10 23 ソ連チェルノブイリ原発事故被災者の救済方法などを検討する世界保健機構(WHO)の諮問委員会、広島市の放影研で開催(26日まで)。モスクワ近郊に設立予定の「放射線保健問題国際センター」の研究プログラムについて勧告。
11 06 政府、チェルノブイリ事故の被ばく者救援について、被ばく者受け入れは、ソ連側から要請があれば検討するなどの答弁書を決定。
11 15 政府、対ソ支援の一環として、チェルノブイリ原発事故被災者救済のため約26億円の緊急医療援助を実施する方針を発表。
11 30 政府、チェルノブイリ原発事故の被災者対策費として、26億円余を補正予算に計上。
12 01 「市民によるチェルノブイリ事故調査団」、広島市で、報告集会を開催(約30人参加)。広島市の通訳山田英雄による記録ビデオ「沈黙の大地」を上映。
12 08 ソ連キエフ市のカメラマン、イーゴリ・コスチン、来広し、講演会を開催(約150人参加)。チェルノブイリ原発事故の原子炉などを撮影した写真を紹介。チェルノブイリ事故救援広島委員会準備会が受け入れ。
12 11 ソ連チェルノブイリ原発事故対策委員会副議長ら(9人)、外務省の招きで来日し、重松逸造放影研理事長らと第一回専門家会議を開催(12日まで)。
12 12 チェルノブイリ原発事故をテーマにした映画を製作しているソ連モルドワ共和国のスタッフ、来広。原爆の傷跡・後障害の実情などを撮影。
12 13 広島県立向原高校生徒、ソ連のカメラマン、イーゴリ・コスチンにチェルノブイリ原発事故被災者へのクリスマスカードを寄託。
12 14 ソ連チェルノブイリ原発事故対策委員会副議長ら、来広(16日まで滞在)。放影研・原医研などを視察。[広島大学]
12 15 チェルノブイリ原発事故をテーマにした映画を製作しているソ連のスタッフ、長崎市を訪れ、取材を開始(17日まで)。
12 21 国連、ソ連チェルノブイリ原発事故被害に対し、国際的な救援対策を呼びかける決議を採択。
12 28 朝日新聞社、同新聞社などによるチェルノブイリ原発事故被災者救援キャンペーン計画をゴルバチョフ・ソ連大統領に伝達。広島県・市が招請者の受け入れ地として協力。
12 99 笹川記念保健協力財団によるチェルノブイリ原発事故被害住民に対する援助協力プロジェクト、訪ソし、医療活動を実施。長崎・広島の研究者ら、参加。[広島大学]

 

年表:チェルノブイリ原発事故1989

年表:チェルノブイリ原発事故1989

できごと
04 26 ソ連ウクライナ共和国のチェルノブイリ原発4号炉が爆発。大量の放射能が世界各地に拡散し、史上最悪の原発事故に。
04 29 ソ連政府がチェルノブイリ原発事故を公式に発表。詳細は依然不明。
04 30 欧州各地で、チェルノブイリ原発事故による放射能汚染の被害が広がる。牛乳、野菜も汚染。
05 04 チェルノブイリ原発事故の放射能が日本にも到達、と科学技術庁が発表。各地で水道水や野菜から異常な放射能値を検出。影響なしとの科技庁の予測はずれる。
06 15 広島市の女性平和グループの呼びかけで、「くり返すな!ヒロシマ・チェルノブイリ-今こそ一人一人が声を・市民集会」、広島市で開催( 約 200人参加) 。非核政府を作ろうとのアピール採択。
07 10 長崎平和文化研究所、長崎市で、シンポジウム「チェルノブイリ原発事故の意味するもの」を開催( 約20人参加) 。
07 19 長崎の証言の会など、「チェルノブイリ原発事故」をテーマにした国際平和年シンポジウムを長崎市で開催( 約40人参加) 。
08 04 テレビ特集番組「よみがえる被爆データ~ヒロシマとチェルノブイリ」(NHK)、放送。
08 14 ソ連がIAEAにチェルノブイリ原発事故報告書を提出。重大ミスが6つ重なるずさん運転ぶりが明らかに。
09 15 ソ連チェルノブイリ原発事故を検討するシンポジウム、東京で開催。それによると、事故で発生したエネルギーは、広島原爆の約百分の一相当との試算結果を発表。
09 18 在ソ連日本大使館筋、チェルノブイリ原発事故で被ばくした人たちの治療などについて学ぶため、広島に専門家を派遣したいとの意向を表明。
10 13 放影研理事長、東京でのチェルノブイリ原発事故シンポジウムで講演。被ばく者健康調査の重要性を指摘、協力の用意があるとの意向を表明。
10 21 日本から訪ソ中の「医学協力団」、モスクワ市で、チェルノブイリ原発事故の被ばく者と対面。[広島大学]
12 18? 西独で発行されたパンフレット「チェルノブイリ以降ー毎日の放射能汚染をどう防ぐか」邦訳版、京都市で刊行。
12 22 ソ連の放射線医学の専門家(4名)、チェルノブイリ原発事故被ばく者治療に役立て るため、来年1月に来日することが決定。
01 11 ソ連のチェルノブイリ原発事故医療・治療調査団(5名)、来日(21日まで滞在)。原爆資料館・広島大原医研・原爆病院などを見学。
01 13 テレビ番組「ひろしまTODAY60’」(広島テレビ)、ソ連原発チェルノブイ リ原発事故で研修のため来広した医師団を取材し、放送。他に、「RCCニュース6」 (中国テレビ)・「テレビ夕刊」(広島ホームテレビ)でも放送。
02 06 ソ連チェルノブイリ原発事故に関する米政府の特別調査団、事故報告所を提出。それによると、今後70年のソ連のがん死者は1万人以上。
04 03 ソ連チェルノブイリ原発事故のドキュメンタリー映画「チェルノブイリ-困難の日々の記録」、完成後上映されていないことが判明。
04 25 ソ連チェルノブイリ原発事故発生1周年で、欧州各地で、反原発・反核を訴えるデモ 。スイス・ベルリン約1万人、西独・ハンブルク約1万人、英・ロンドン約10万人参加、他。
05 18 ソ連チェルノブイリ原発事故で被ばくした住民の追跡調査方法について検討する国際専門家会議、ウィーンで開催(22日まで)。放影研の疫学部長、参加し広島・長崎被爆者の調査経験を報告。
05 29 ソ連週刊誌、チェルノブイリ原発事故の記録映画を撮影した映画監督が被ばく死したと報道。
05 30 オーストリアでの「放射線影響の疫学的研究法についての専門家会議」に出席した放影研の疫学部長、同会議の模様を報告。それによると、ソ連チェルノブイリ原発事故後、13万5千人について追跡調査を実施。
05 31 ソ連チェルノブイリ原発事故被災住民の健康調査のため、半径30/キロ/以内の住民135、000人を対象に、登録が進む。
06 06? ソ連チェルノブイリ原発事故の記録映画「困難な日々」(ビデオ版)、日本へ輸入される。
06 06? 毎日新聞記者、ソ連チェルノブイリ原発を訪れ、取材。
07 01 米のゲ-ル博士、ソ連チェルノブイリ原発事故の被ばく者について、致死量の2倍の 放射線を浴びても生存できそうであると発言。
08 09 テレビ番組「報道特集“黒い雨”広島・チェルノブイリ検証」(RCCテレビ)、放送。
12 04 ソ連チェルノブイリ原発周辺で過剰被曝が続き、87年中に3件の人的犠牲を含む36件の不幸な事故、とウクライナ共和国共産党紙が報道。
01 21 ソ連ロシア共和国のクラスノダルスク地方の原発建設が中止に。チェルノブイリ事故以来、ソ連での原発建設中止は初めて。
02 13 四国電力伊方原発で出力調整試験。反原発団体などの3000人が「チェルノブイリ事故再現の恐れ」と四国電力に抗議。
03 03? ソ連チェルノブイリ原発事故のドキュメンタリービデオ「困難な日々の記録」(55分)、日本で発表。
04 25 ソ連チェルノブイリ原発事故から2年。現場周辺では放射線が原因とみられる植物の突然変異現象が多発、と住民らが証言。
08 02 「広島・長崎・チェルノブイリ写真展」。日・ソ両国で開催(「反核・写真運動」主催、7日まで)。日本では広島市、ソ連ではモスクワ市(6日-)で開催。5月に訪ソしたカメラマン林重男らによる被爆写真とチェルノブイリ事故の写真などを展示。
08 04 「チェルノブイリ・クライシス(57分)」、「チェルノブイリ・シンドロ-ム」(92分)広島上映会、広島市で開催
09 28 チェルノブイリ原発のあるソ連ウクライナ共和国で、不治の遺伝性疾患の患者が特別施設に10万人、1年間に1万-1万2000人増加。
12 01 ソ連・チェルノブイリ原発を視察した日本原産会議の原子力安全調査団、帰国し記者会見。同原発事故責任者が来年来広し、放影研のワークショップに参加するなどを発表。
12 05 ソ連・チェルノブイリ原発事故対策の責任者であるソ連科学アカデミー副総裁、来広。放影研を視察し、被爆者の長期追跡調査方法などについて意見交換。

 

年表:チェルノブイリ原発事故1986~88

年表:チェルノブイリ原発事故

1986(昭和61)~88(昭和63)年

できごと
86 04 26 ソ連ウクライナ共和国のチェルノブイリ原発4号炉が爆発。大量の放射能が世界各地に拡散し、史上最悪の原発事故に。
86 04 29 ソ連政府がチェルノブイリ原発事故を公式に発表。詳細は依然不明。
86 04 30 欧州各地で、チェルノブイリ原発事故による放射能汚染の被害が広がる。牛乳、野菜も汚染。
86 05 04 チェルノブイリ原発事故の放射能が日本にも到達、と科学技術庁が発表。各地で水道水や野菜から異常な放射能値を検出。影響なしとの科技庁の予測はずれる。
86 06 15 広島市の女性平和グループの呼びかけで、「くり返すな!ヒロシマ・チェルノブイリ-今こそ一人一人が声を・市民集会」、広島市で開催( 約 200人参加) 。非核政府を作ろうとのアピール採択。
86 07 10 長崎平和文化研究所、長崎市で、シンポジウム「チェルノブイリ原発事故の意味するもの」を開催( 約20人参加) 。
86 07 19 長崎の証言の会など、「チェルノブイリ原発事故」をテーマにした国際平和年シンポジウムを長崎市で開催( 約40人参加) 。
86 08 04 テレビ特集番組「よみがえる被爆データ~ヒロシマとチェルノブイリ」(NHK)、放送。
86 08 14 ソ連がIAEAにチェルノブイリ原発事故報告書を提出。重大ミスが6つ重なるずさん運転ぶりが明らかに。
86 09 15 ソ連チェルノブイリ原発事故を検討するシンポジウム、東京で開催。それによると、事故で発生したエネルギーは、広島原爆の約百分の一相当との試算結果を発表。
86 09 18 在ソ連日本大使館筋、チェルノブイリ原発事故で被ばくした人たちの治療などについて学ぶため、広島に専門家を派遣したいとの意向を表明。
86 10 13 放影研理事長、東京でのチェルノブイリ原発事故シンポジウムで講演。被ばく者健康調査の重要性を指摘、協力の用意があるとの意向を表明。
86 10 21 日本から訪ソ中の「医学協力団」、モスクワ市で、チェルノブイリ原発事故の被ばく者と対面。[広島大学]
86 12 18? 西独で発行されたパンフレット「チェルノブイリ以降ー毎日の放射能汚染をどう防ぐか」邦訳版、京都市で刊行。
86 12 22 ソ連の放射線医学の専門家(4名)、チェルノブイリ原発事故被ばく者治療に役立て るため、来年1月に来日することが決定。
87 01 11 ソ連のチェルノブイリ原発事故医療・治療調査団(5名)、来日(21日まで滞在)。原爆資料館・広島大原医研・原爆病院などを見学。
87 01 13 テレビ番組「ひろしまTODAY60’」(広島テレビ)、ソ連原発チェルノブイ リ原発事故で研修のため来広した医師団を取材し、放送。他に、「RCCニュース6」 (中国テレビ)・「テレビ夕刊」(広島ホームテレビ)でも放送。
87 02 06 ソ連チェルノブイリ原発事故に関する米政府の特別調査団、事故報告所を提出。それによると、今後70年のソ連のがん死者は1万人以上。
87 04 03 ソ連チェルノブイリ原発事故のドキュメンタリー映画「チェルノブイリ-困難の日々の記録」、完成後上映されていないことが判明。
87 04 25 ソ連チェルノブイリ原発事故発生1周年で、欧州各地で、反原発・反核を訴えるデモ 。スイス・ベルリン約1万人、西独・ハンブルク約1万人、英・ロンドン約10万人参加、他。
87 05 18 ソ連チェルノブイリ原発事故で被ばくした住民の追跡調査方法について検討する国際専門家会議、ウィーンで開催(22日まで)。放影研の疫学部長、参加し広島・長崎被爆者の調査経験を報告。
87 05 29 ソ連週刊誌、チェルノブイリ原発事故の記録映画を撮影した映画監督が被ばく死したと報道。
87 05 30 オーストリアでの「放射線影響の疫学的研究法についての専門家会議」に出席した放影研の疫学部長、同会議の模様を報告。それによると、ソ連チェルノブイリ原発事故後、13万5千人について追跡調査を実施。
87 05 31 ソ連チェルノブイリ原発事故被災住民の健康調査のため、半径30/キロ/以内の住民135、000人を対象に、登録が進む。
87 06 06? ソ連チェルノブイリ原発事故の記録映画「困難な日々」(ビデオ版)、日本へ輸入される。
87 06 06? 毎日新聞記者、ソ連チェルノブイリ原発を訪れ、取材。
87 07 01 米のゲ-ル博士、ソ連チェルノブイリ原発事故の被ばく者について、致死量の2倍の 放射線を浴びても生存できそうであると発言。
87 08 09 テレビ番組「報道特集“黒い雨”広島・チェルノブイリ検証」(RCCテレビ)、放送。
87 12 04 ソ連チェルノブイリ原発周辺で過剰被曝が続き、87年中に3件の人的犠牲を含む36件の不幸な事故、とウクライナ共和国共産党紙が報道。
88 01 21 ソ連ロシア共和国のクラスノダルスク地方の原発建設が中止に。チェルノブイリ事故以来、ソ連での原発建設中止は初めて。
88 02 13 四国電力伊方原発で出力調整試験。反原発団体などの3000人が「チェルノブイリ事故再現の恐れ」と四国電力に抗議。
88 03 03? ソ連チェルノブイリ原発事故のドキュメンタリービデオ「困難な日々の記録」(55分)、日本で発表。
88 04 25 ソ連チェルノブイリ原発事故から2年。現場周辺では放射線が原因とみられる植物の突然変異現象が多発、と住民らが証言。
88 08 02 「広島・長崎・チェルノブイリ写真展」。日・ソ両国で開催(「反核・写真運動」主催、7日まで)。日本では広島市、ソ連ではモスクワ市(6日-)で開催。5月に訪ソしたカメラマン林重男らによる被爆写真とチェルノブイリ事故の写真などを展示。
88 08 04 「チェルノブイリ・クライシス(57分)」、「チェルノブイリ・シンドロ-ム」(92分)広島上映会、広島市で開催
88 09 28 チェルノブイリ原発のあるソ連ウクライナ共和国で、不治の遺伝性疾患の患者が特別施設に10万人、1年間に1万-1万2000人増加。
88 12 01 ソ連・チェルノブイリ原発を視察した日本原産会議の原子力安全調査団、帰国し記者会見。同原発事故責任者が来年来広し、放影研のワークショップに参加するなどを発表。
88 12 05 ソ連・チェルノブイリ原発事故対策の責任者であるソ連科学アカデミー副総裁、来広。放影研を視察し、被爆者の長期追跡調査方法などについて意見交換。

広島・長崎と戦争責任─原水爆禁止運動以前の動向

広島・長崎と戦争責任─原水爆禁止運動以前の動向(宇吹暁)(『季刊戦争責任研究』第74号、日本の戦争責任センター、20111215)所収

はじめに

広島と長崎で被爆した人々の中には多くの外国人が含まれている。当時、アメリカ軍人をはじめイギリス・オーストラリア・オランダなどの将兵が捕虜として収容されていた。さらに、数千人に及ぶ外国人非戦闘員が居住していたことも、見逃しえない事実である。両都市およびその周辺地域には、日本の植民地支配下にあって「日本国臣民」とされていた朝鮮人が相当数生活していた。広島には、多数のアメリカ生まれの日系アメリカ人、ドイツ・ロシア・東南アジア諸国・中国・モンゴルなどの市民・聖職者・留学生が居住しており、長崎でも、外国籍の宣教師や修道女をはじめ多くの中国人が生活していたのである。これらの人々の多くは、被爆後祖国へ帰国した。また、被爆者の中には、戦後、アメリカ・カナダ・オーストラリア・ブラジル・アルゼンチン・ペルーなどの国々に移住した人々もあった(『広島・長崎の原爆災害』〔岩波書店、一九七九年〕)。原爆被害者の問題が、もともと日本の国内問題にとどまらないものであることは、こうした人々の存在を考えれば明らかである。
広島・長崎両市には、国立の原爆死没者追悼平和祈念館が開設されている。第二次世界大戦による死没者の追悼施設で「国立」の性格を持つ施設は、この外には東京都千代田区の「千鳥ケ淵戦没者墓苑」があるのみある。広島の「原爆ドーム」は、一九九六年一二月にユネスコの世界遺産リストに登録された。海外には、「アウシュビッツ・ビルケナウ ナチスドイツの強制収容所」や冷戦時代に米国が核実験を行ったマーシャル諸島の「ビキニ環礁」など、戦争に関連する世界遺産が存在する。しかし、アジアでは、第二次世界大戦以降の戦争・平和に関連した世界遺産は、「原爆ドーム」以外に存在しない。このような広島・長崎の原爆被害の在りようは、原爆被害が、日本やアジアの戦争被害の中で、特別な役割を担ってきた結果であるとともに、今後も担い続けることを期待されている証であろう。
これまで、広島・長崎の被害は、しばしば、「真珠湾攻撃」・「天皇」・「終戦」・「国際法」・「アメリカ大統領」・「国家補償」・「加害責任」など国家レベルのキーワードと対の形で論じられてきた。「真珠湾攻撃とヒロシマ」はその一例である。これらの論議は、現在なお進行中である。
被爆から六〇余年が経過し、広島・長崎の体験の歴史化が急速に進行している。この体験の歴史的意味を明らかにするためには、広島・長崎の被害に関連して展開した戦争責任に関する論議や動向を踏まえることが必要であろう。本稿の目的は、その前提作業として、そうした論議や動向を跡付けることである。広島・長崎の被害は、ビキニ水爆事件を契機として国内外でクローズアップされる。この被害をめぐる戦争責任論議の担い手は多様化し、その内容も深化する。ここで取り上げることができるのは、被爆直後からビキニ水爆事件までの期間であるが、その後の論議の論点の多くは、この時期に姿を現している。

一、 被爆直後の原爆批判キャンペーン

日本の戦争指導者は、広島の原爆被爆直後、国民向けには、これまでの防空対策を徹底すれば防御可能という態度をとった。しかし、その一方では、この爆弾の非人道性を最大限強調した。一九四五年八月一〇日、日本政府は、アメリカにその使用の中止を求める抗議文を渡した。抗議の根拠は、新型爆弾は毒ガス以上の残虐性をもつものであり、その使用は国際法違反(「原爆使用=国際法違反」説)であるからというものであった。また、一五日に国民に発表された「終戦紹書」も、原爆を「残虐ナル爆弾」と表現し、「頻ニ無辜ヲ殺傷シ惨害ノ及フ所真ニ測ルヘカラサルニ至ル」と、その残虐さを指摘するが、使用責任を取り上げてはいない。ただ、注目されるのは、この指摘の後ろに、戦争継続が、「我カ民族ノ滅亡ヲ招来スルノミナラス延テ人類ノ文明ヲモ破却」するから、ポツダム宣言を受諾するとの文言が続いている点である。
九月四日の衆議院で、高橋守平が決議案(皇軍将兵並国民勤労戦士に対する感謝敬弔に関する件)の趣旨弁明を行うが、彼は、その中で、原子爆弾のもたらした被害を敗戦の原因の一つに挙げ、「是れ以上の戦は日本民族の破滅であり、世界文明の破壞との大慈愛から、戦争終結の大詔を渙発せられた」と述べている。ニューヨーク・タイムズのロバート・トランブル記者は、九月五日付の同紙で、高橋の発言を取り上げ、つぎのように報じた。
高橋守平代議士は、議会において、戦死者に弔意を表し、原爆が早期終戦の主要な原因であると簡単に述べた。この反応は、ここではよく出会うもので、日本にとって、それが、将来面子を保つことに役立つとしばしば語られた
これらは、終戦詔書の原爆への言及が、原爆使用を終戦の理由(「原爆使用=終戦招来」)としたものと理解されていることを示している。
八月下旬、広島では、原爆被爆者や爆心地域での復興作業従事者の間に、脱毛・発熱・下痢などの諸症状や血液異常が出現した。この事実は、マスコミにより七〇年生物不毛説(広島の廃墟には、今後七〇年間、殺人性の放射能が残るという説)とともに伝えられ、国民の間に原爆の底知れぬ恐怖を流布した。また、同盟通信が、こうした状況を海外に伝えた。戦争が終わったにも関わらず、原爆放射線の持続的影響が被爆地に残っているという事実は、被災地の住民のみならず、国内外に大きな波紋を投げかけた。
九月一三日、重光葵外相は、スウェーデン・スイス・ポルトガルの公使に対し,アメリカにおける最近の日本の捕虜虐待批判に対抗して、原爆問題を利用する必要があると述べ、同盟通信が政府の原爆被害報告、広島(九月三日)・長崎(四日)への勅使派遣、日々増加している死者の数などについて詳細に報道していることを伝え、それに対する海外の反応の報告を求めている(『MAGIC SUMMARY』No.1269 15 September 1945)。戦後の国際社会に向けた日本政府による原爆被害情報発信の背景には、このような意図があったのである。
八月三〇日、連合国従軍記者団第一陣として厚木に到着したニューヨーク・タイムズ記者クルック・ホーンは、日本人記者団の質問に対して、「原子爆弾をアメリカがどうして使ったというのかね。それなら日本は真珠湾攻撃をどうしてやったか!」と問い返したという(『朝日新聞』八月三一日付)。東久邇宮新首相は、アメリカ人記者の質問書に対する返書の中で、「米国民よ、どうか真珠湾を忘れて下さらないか.われわれ日本人も原子爆弾による惨害を忘れよう」と述べている(『朝日新聞』九月一六日付)。この二つは、真珠湾攻撃と原爆攻撃が対置された早期の事例である。
八月下旬から、日本のマスコミに、原爆使用責任を問う論調が現れた。八月二二日の『読売報知』のコラム「陣影」は,「今回の戦に於て真に勝利者としての誇りを満足に味ひ得る国が果して何所にあらうか(中略)第一彼らの勝利は残虐なる原子爆弾などの非人道的手段によって得たものである」とのべ、同月月二八日の同紙は、石原莞爾のつぎのような談話を掲載した。
原爆と中小都市焼爆で日本本土を荒廃し、数百万人の非戦斗員を殺傷せしめたのであるから,今後日本が恭順の意を表して男らしく屈伏したからには現物賠償のどうのこうのをと金持国にも似合はぬケチなことを言はず、反対に日本再建の資金位出したらどうか.日本の宗教界も米国のとった原子爆弾に真正面から人道無視の刻印を捺して執拗に抗議すべきである。
また、九月一五日付の『朝日新聞』は、「戦後復興の諸施策如何」との問に対する鳩山一郎の回答を掲載した。そこでは、「極力米人をして罹災地の惨状を視察せしめ、彼ら自身、自らの行為に対する報償の念と復興の責任とを自覚せしむること」と述べられていた。GHQは、九月一八日には、『朝日新聞』の四八時間発行停止処分を行なったが、その理由の一つには、原爆投下責任を基礎にアメリカによる日本の復興責任を論じた鳩山一郎の談話を掲載したことをあげていた

二、国会での原爆論議

九月上旬来日したGHQは、日本で実施されていた原爆被害調査を厳重な管理下に置くとともに、八月一九日には、プレス・コードを指令した。こうした措置は、原爆被害を戦争責任回避に利用しようとする意図を挫くものではあった。これ以後、原爆使用を追及する国内でのさまざまな論調は姿を消す。しかし、これで原爆被害への言及が消えたわけではない。国会における論議だけでも、そのことが確認できる。復興に関連した論議の中で、広島・長崎両市の被害がしばしば取り上げられた。また、原爆投下を批判するさまざまな発言も存在した。
世耕耕一は一九四九年一一月二四日(「衆議院予算委員会」)、「原子爆弾を使用して戰争するということは、これは非人道的だ、かように私は考えております」と発言した。
堀眞琴〈労農党〉は、一九五一年一一月一七日(「平和条約及び日米安全保障條約特別委員会」)、参議院での平和条約と日米安全保障條約の討論の中で、反対理由の一つに「無差別爆撃」や「原子爆弾」により生じた「連合国が日本に持つ財産」の補償をしなければならなくなることを挙げている。菊川孝夫(社会党の第二控室)が、翌一八日(「参議院本会議」)、連合国財産補償法案に反対した理由も、堀と同じ内容であった。
清瀬一郎(参考人)は、一九五一年一二月一四日(参議院法務委員会)で、「今までの平和条約というものは、戦争犯罪人はお互いに大赦しよう」というものであるのにかかわらず、「今回の平和条約第一一条(「極東国際軍事裁判所並びに国内外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判の受諾」の記述を含む)に疑問を呈し、「例えば東京の無差別爆撃、これは犯罪ですわね。広島の原子爆弾投下、これも当時では犯罪です」と述べている。
以上は、原爆投下に批判的な意見であるが、原爆被害へ言及は、この外にも見受けられる。広島県出身の参議院議員山下義信は、一九四九年一二月一九日(参議院厚生委員会)に、原爆が「終戦の端緒」、「有名な世界都市となった」「機縁」と発言している。また、八嶋三郎(政府委員)は、一九五一年二月二〇日(「参議院建設委員会」)の答弁の中で、「御承知の通りに広島、長崎という都市は原爆によりまして大きな被害をこうむった、これによりまして日本に平和をもたらし、世界の平和というものを招来するとても大きな起因になったということは言えると思うのであります」と述べている。これらから、終戦詔書に端を発する「原爆使用=終戦招来」説が、占領期の原爆被害者援護や広島・長崎両市の復興支援の議論のなかで、生き続けていたことを知ることができる。

三、キリスト者

一九四五年一一月二三日、長崎の被爆者であり、キリスト者である永井隆は、「天主公浦上信徒代表」として読み上げた「原子爆弾死者合同葬弔辞」の中で、浦上への原爆被害を神の摂理とした(高橋真司『長崎にあって哲学する 核時代の死と生』(北樹出版、一九九四年七月)。四九年一月、永井の著作『長崎の鐘』が日比谷出版社から出版された。永井は、同書の序文で、「この[日本人の]無差別な殺傷行為を止め、戦争を終結させるために、アメリカと全世界とが原子爆弾を使用せざるを得なかった所以である。かくすることにより、彼等は日本およびその他の国々における無数の人命を救うことができたのである」と述べ、アメリカの原爆使用の正当性を主張している。
東洋工業株式会社(現:マツダ)教育主任中尾一真(三九才)は、広島市郊外の同社工場で被爆した経験の持ち主である。彼は、一九四六年八月六日、中央教会の焼け跡で開催された信徒大会で一同を代表し、「我等は無力にして、戦争とその惨禍の防止に対し、為すなかりしことを神と人との前に衷心よりざんげする」との宣言を述べた(日本基督教青年会同盟『天よりの大いなる声』〔東京トリビューン社、一九四九年〕142~143頁)。
広島のメソジスト教会の牧師である谷本清は、一九四七年の平和祭を前にした毎日新聞記者の取材に対し、「原爆の批判はわれわれの役目ではない」、「それはわれわれ以外の民族によってなされるべきこと」と語っている(今村得之・大森実『ヒロシマの緑の芽』〔世界文学社、一九四九年〕)。
ここに紹介した三人のキリスト者のうち、永井と中尾は、原爆被害の責任を自らの問題としてとらえている。中尾は、広島YMCAが市内一一校の六年生の学童一四〇〇名を招待して開催したクリスマス映画鑑賞会で次のように発言している(『天よりの大いなる声』48~49頁)。。
おぢさんたちは 世界中のおとなになり代って みなさんにおわびを申します おとなのみにくい心が戦争をひきおこし みなさんをこんなひどい目にあわせてしまいました
どんなに沢山 みなさんのお友達が死んだでしょう 広島で、長崎で 南京で マニラで 今日は戦災児育成所からも見えていますが どんなに沢山罪のない子供が辛い思いをしてるでしょう
世界中で 本当に戦争責任のないのは みなさんだけ、子供だけ みなさんこそ戦争の被害者 おとなはみんな大馬鹿者
彼が一九四六年八月の信徒大会で述べた戦争への反省の言葉が、改めて小学生に向けて発せられたと理解できる。
谷本は、前の二人と異なり、原爆批判の必要性は認めるが、日本人の役割ではないとの立場に立っている。谷本の特異な発言の背景には、彼の経歴(アメリカ・アトランタにあるエモリー大学神学院の一九四〇年卒業生)とジョン・ハーシー(一九四六年五月取材)の「ヒロシマ」レポートの登場人物であったことが考えられる。これらの経歴により海外の情報に接することができた彼には、海外の人々による広範な原爆批判に期待を寄せることができたのであろう。

四、天皇・靖国

一九四七年八月六日、広島市で今日の平和記念式典につながる初の式典が開催された。当時、平和祭と呼ばれたこの行事は、国際的に大きな反響を呼ぶが、ここで注目されるのは、主催者が、昭和天皇のこの式典への参列を要望していることである。式典挙行のための各界代表者の会合(五月に開催)で、式典に天皇の行幸を願い出ることが満場一致で申し合わされ、これを受けて県知事が宮内府に交渉する。平和祭参列は実現しなかったが、同年一二月七日、被爆地への行幸が実現した。爆心地の市民広場で開催された市民奉迎式典には五万人が参加した。この日は、日米開戦日一二月八日の前日にあたり、海外メディアの一八人が取材した(小野勝『天皇と廣島』〔文化社、一九四九年〕)。ニューヨーク・タイムズは、八日付の同紙一面に “Hirohito Rules Out New ‘Pearl Harbor’” の見出しで広島発のUP電を掲載している。前出の谷本清は、天皇行幸の前後に、記者の取材に対し、「天皇制はキリストの理想に両立し得る」とし、その根拠として「敗戦後空白となった日本人の心に愛と信をさずけるのがキリストの理想ならば、纏まりを失った日本人の横の結びとなるのが天皇である」と述べている(今村得之・大森実『ヒロシマの緑の芽』〔世界文学社、一九四九年〕)。なお、天皇は、一九四九年五月二八日には、長崎を訪れた。この時、数万の市民が、浦上三菱球場の奉迎場を埋めており(長崎市役所『長崎市史年表』一九八一年)広島同様多くの市民の歓迎を受けた。
天皇行幸では、両被爆地の多くの市民が歓迎した。しかし、天皇への好意的なものばかりではなかった。国会議事録からでもつぎのような事例を見出すことができる。
その一つは、京都大学でのことである。同大学の学生は、天皇の来学(一九五一年一一月一二日)の二日前、大学当局に天皇への「公開質問状」を提出していた。渡部義通は、一一月二一日(「衆議院文部委員会」)、五項目からなる質問状の内容を紹介し、政府の見解をただした。五番目の項目は、同年の夏に学外で開催した原爆展を学内で開催しようとしたことに関連したもので、その内容はつぎのとおりである。
五、広島、長崎の原爆の悲惨はあなたも終戦の詔書で強調されていました。そのことは私たちはまったく同意見で、それを世界に徹底させるために原爆展を制作しましたが、その開催があなたの来学を理由として妨害されています。あなたはそれを希望されるでしょうか。また私たちは特にあなたにそれを見ていただきたいと思いますが、見ていただけるでしょうか。
また、道徳教育をめぐる論議の中でのことであるが、一九五一年一一月二六日(参議院文部委員会)、矢川徳光(参考人)が、少年少女の原爆体験記『原爆の子』を取り上げ、その中で「片岡修という当時中学校の一少年であつた人が、やはり天皇の問題について疑問を提出しておる」ことを紹介している。その内容は、当時の中学生が、原爆に被爆して死にゆく級友に慰めとして「軍人勅諭」を暗誦し、「天皇陛下万歳」を唱えた状況を伝える箇所であった(長田新編『原爆の子 広島の少年少女のうったえ』〔岩波書店、一九五一年〕二八六頁)。
一九五一年、日本政府が講和条約発効を見越し旧軍人の援護を公式に取り上げると、広島で原爆犠牲者遺族の援護を求める運動が始まった。国内での組織的運動としては、これが初めてのものであった。同年一一月、広島市長は、政府と国会に「原爆犠牲者遺族援護に関する請願書」を提出した。その内容は、被爆「当時広島市は全市要塞化し」「老幼男女の区別なく」「戦場にあった旧軍人と同じ立場に置かれていた」ことを理由に、原爆で死亡した義勇隊員と動員学徒の遺族に対する旧軍人同様の国家補償を求めるとともに、これらの犠牲者の霊の靖国神社への合祀を要望するものであった(参議院社会労働委員会調査室『広島市における原爆障害者対策に関する調査概要』〔一九五六年〕)。
これを皮切りに、広島市長・市議会議長、県知事・県議会議長、国会議員を巻き込む形で、政府や国会に対する請願・陳情が展開された。これらは、戦傷病者戦没者遺族等援護法案の国会上程前の行動であったが、同法案が上程された国会の公聴会(一九五二年三月二六日 衆議院厚生委員会)には、広島原爆犠牲者遺家族援護連盟委員長任都栗司が、広島において、二万一一〇二人の国民義勇隊・動員学徒・徴用工・女子挺身隊員が軍の強力な要請にもとづいて出動中原爆の犠牲になったことを述べ、その遺族の援護を訴えた。

五、ABCC(原子爆弾傷害研究所)

一九四八年一二月二三日夜、広島市内の開業医である原田東岷のもとを急患が訪れた。白血病か悪性貧血か診断がつかなかった原田は、翌日、アメリカの研究機関ABCCを訪れ、白血病との診断結果を得た。原田医師が、広島の原爆被爆者の中に初めて白血病患者を発見した瞬間であった。診断を下したアメリカ人の軍医中尉は原田に「私はこの病気を待っていたのです」と語ったが、ABCCにとっても初めての白血病患者であったことがわかる。原田の診療への協力は、ABCCの他の医師からも得られ、原田とABCCとの良好な関係が続くことになる(原田東岷『ヒロシマの外科医の回想‐ヒロシマからベトナムへ』〔未来社、一九七七年〕)。一九四九年五月、参議院厚生委員会の調査メンバーが日赤広島支部の「指導者階級の座談会を開き、原爆による妊娠並びに出産率、或いは放射能の影響、又人口問題、社会事業団体等の状況の調査報告を受け」た。その際、ABCCの日系二世のドクターがわざわざ臨席し、「原爆の影響の調査研究のための米国の大規模な方策の一部」を紹介している(「参議院厚生委員会」一九四九年五月一〇日)。ABCCが、本格的な研究を開始するに当たり、広島の医療関係者や機関と良好な関係を築こうとしている様子をうかがわせる。
しかし、広島には、ABCCに対する強い不満が存在していた。一九五二年八月四日に長崎市内で開催された広島・長崎両原爆都市建設特別委員会の席上、ABCCに対する批判がなされ、広島の特別委員会委員長任都栗司は「アメリカはケロイド症状に悩む原子病患者をネズミかモルモットぐらいにしか考えていない、単なる研究資料として取扱っているが治療機関を設置すべきでアメリカはその責任がある」と述べている。
また、「アメリカは原爆投下のつぐないとして両市の復興を促進すべき責任がある」との意見が強く打出された。 中村長崎特別委員長も、つぎのように語った。
惨殺行為が国際法で禁止されていたにかかわらず、アメリカは一しゅんにして幾万の非戦闘員の生命を奪ったのだから、このつぐないは当然負うべきである、われわれはこのむねの申入れを広島とともに講和締結前、米極東軍司令部の民事部にたいし行ったが、講和前であり公にされなかった、原爆による損害の請求をアメリカの世論に訴えるのはわれわれの権利である(『長崎日日新聞』一九五二年八月六日付)。

六、原爆被害者の会とABCC

一九五二年八月一〇日、原爆ドームの傍らで土産物店を開いていた吉川清(マスコミから「原爆一号」と呼ばれていた)や峠三吉・山代巴・川手健・野村英一らにより、広島市内で「原爆被害者の会」が組織された。結成時の会員は数十人であったが、その後の被爆者運動につながる様々な活動を展開する。八月二四日に開いた第一回幹事会で、当面の仕事として原爆症患者の治療問題の交渉と資金募集を決定した。一〇月六日、ABCCのテーラー所長と面会、「ABCCに無料治療機関を設置する様要求する」決議を申し入れたが、拒否された。理由は、ABCCの目的がちがうとのことであった。一〇月二〇日に開いた第二回幹事会で「軍事目的が濃厚と思われ、被害者にとって何の利益にもならないABCCに対しては今後一切協力しない態度を決定」した。(川手健「半年の足跡」(『原爆に生きて』))。なお、一〇月六日のABCC訪問には、佐久間澄ら広島大学物理教室のメンバーや雑誌『改造』(「原爆特集号」一一月一五日発行)のルポルタージュ執筆のため広島を訪れていた武谷三男も同席していた(M.T「ABCC の内幕」(『改造』増刊号、一九五二年一一月)。
一九五三年三月、大阪の弁護士岡本尚一が原爆被害者の会を訪れた。用件は、自分の計画している原爆損害賠償請求訴訟の提訴の原告者として運動を起こすことの申し入れであった。会では,三月二九日の第五回幹事会で,次のような決議を行い、その旨を広島弁護士会に伝え協力を依頼した。
1.我々原爆被害者は今回の提訴には全面的に賛成であり,条件がととのえば何時でも原告者として,アメリカ政府,並びに原爆投下の決定に参与した米国人を告発する用意がある。
2.我々が提訴についてかかる態度をとったのは,原爆が人道上許しがたい虐殺の道具であり,これが広島に投下され、三〇万の人々を殺し,一〇数万の被害者を出した事実に対し,今もって憤怒をいやす何らの理由も見出さないからである。この提訴が原爆禁止の世論を更にたかめ,再びかかる悲惨事のくりかえされない様,世界の平和運動の一層強大になる事を願って止まない。
3.我々は個人としてではなく,原爆被害者の唯一の自主的団体である原爆被害者の会として提訴をおこす。その他の具体的な方法については,広島弁護士会と相談の上決定したい(「原爆被害者の会機関紙「芽生え」№.1 一九五三年四月五日)。

七、極東軍事裁判の余波

講和条約発効後、極東軍事裁判の関係者二人による発言や行動が広島・長崎に大きな波紋を生んだ。その一人は、一九五二年一二月に広島を訪れた元極東軍事裁判判事R・B・パールの発言である。彼は、同年の八月に除幕した広島平和記念都市建設碑の「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」との碑文の「過ち」に、異を唱えたが、これを契機に、市民の間に碑文への賛否両論が沸き起こった(石田宜子「過ちは繰返しませんから─碑文論争の歩み」〔『広島市公文書館紀要』二〇号、一九九七年〕)
もう一人は大阪の弁護士岡本尚一の原爆訴訟の構想と実現に向けた行動である。彼は、極東国際軍事裁判に主任弁護人として参加する中で、「講和条約が発効した後においては、尠くとも広島及び長崎に対する原爆の投下についてはこの責任を民事不法行為の面において採りあげて原爆投下の決定に参与した指導者等及び国家に対して不法行為の管轄裁判所に対し提訴致し度いと念願し」ており、「訴訟の遂行が可能か否かに関して研究すべき主要法律問題について一応卑見を原爆民訴或問と題して簡単な問答体」にまとめ、これを、広島・長崎在住の弁護士六四人および弁護士・学者・宗教家など六四人に送付し、意見と協力を求めた(昭和二八年一月一四日付広島弁護士会長宛岡本尚一書簡)。
広島・長崎両弁護士会はともにこれをとりあげ特別委員会を設けて検討したが,結局この様に大きな問題は日本弁護士連合会で取扱うのが妥当との結論となり,問題は日弁連に移された。日弁連内に設けられた「原爆被害者救済に関する国際的措置の取扱調査委員会」は,一二月一四日,日弁連会長に次のような要旨の意見書を提出した。
1.日弁連はこの問題についてどの様な措置をとるのが妥当かを考えるため相当数の委員を選んで法律的・実際的な調査研究を行うべきだと考える。
2.日弁連は原爆の惨害は人類最大の恐怖であることを天下に伝え,世界の宗教家・法律家・人権擁護協会等によびかけ原爆使用禁止の国際的立法化を期することに一歩を進めるべきだと考える。
一二月一九日の日弁連理事会は,この報告にもとづいて第二次調査委員会の設置を決定した(「芽生え」No.2 一九五四年一月一八日)。
一九五四年一月八日,岡本尚一の提案によりこの訴訟を実現させるための実行団体である原爆損害求償同盟が結成された。法理論の広範な検討が着手される前にこのように急速に訴訟の準備に着手したのは,この訴訟の時効が同年四月二八日で切れることが判明したからである。同盟結成の連絡を受けた原爆被害者の会は、一月六日の幹事会で,同盟役員として温品道義・竹内武の二人を選出,八日東京の学士会館で開かれた結成総会には竹内が出席した。
原爆被害者の会が、岡本の提案に直ちに支持を表明したのにくらべ,広島の弁護士会の対応は慎重であった。その原因は、主として日米親善の障害とならないか、そのような裁判が理論的に成立するか、の二点にあったといわれている(松井康浩『戦争と国際法 原爆裁判からラッセル法廷へ』〔三省堂、一九六八年〕)。
東京の弁護士松井康浩(岡本の原爆訴訟構想に共鳴して参加し、病のため一九五六年九月の公判を最後に法廷から姿を消した岡本に代わり訴訟を引き継いだ)は、のちに、弁護士会などの対応について、岡本弁護士を失望させたことを明らかにするとともに、彼自身の意見を述べている。その内容は、つぎのようなものである。
太平洋戦争遂行過程での日本軍国主義によるアジア諸国民に対する深刻な打撃、南京大虐殺その他加害の深刻さが、日本国民のアメリカ政府に対する損害請求という攻撃的方法の発想を抑止していたのかもしれない(松井康浩『原爆裁判 核兵器廃絶と被爆者援護の法理』〔新日本出版社、一九八六年八月〕二〇頁)。

おわりに

ここまで、広島・長崎の原爆被害に関連して展開された戦争責任の論議や動向を紹介したが、最後に、これらの論議や動向のいくつかについて、ビキニ水爆事件以降の展開を概観しておきたい。
その第一は、原爆被害の投下責任を損害賠償請求という形で展開する主体の誕生である。岡本尚一が提唱した原爆被害損害賠償請求訴訟構想は、一九五五年四月に原爆被害者による東京地裁(原告二人)と大阪地裁(原告二人)への提訴として実現する。大阪地裁の裁判は、原告の意向により東京地裁に移送され一つの裁判となるが、その判決が一九六三年一二月に下された。その内容は、原告の請求を棄却するものであったが、「原爆投下は国際法違反」との司法判断を引き出した。この判決は、その後の日本の原水爆禁止運動や被爆者運動に大きな影響を与えることになる。
第二は、「原爆被害(アメリカ側からは〈被害〉ではなく〈使用〉)=終戦招来」説である。ビキニ水爆事件以後、目立たなくなっているが、今日まで、原爆被害者の援護や同情の根拠として引き継がれている。原爆投下を「やむをえない」(一九七五年一〇月三一日の天皇の発言)、「しょうがない」(二〇〇七年六月三〇日の久間章生防衛大臣の発言)とする見解は、この説を受けたものと考えられる。
第三は、復興責任についてである。一九四九年八月の広島平和都市建設法と長崎国際文化都市建設法の制定は、戦争責任との直接的な関連はないが、政府やGHQが、他の戦災との特異性を認めたことにより実現したものである。
第四は、真珠湾、マニラ、南京における日本軍の国際法違反行為や残虐行為との対比である。本文で紹介した長崎のキリスト者永井隆の『長崎の鐘』の後半には、「マニラの悲劇」(内容は日本軍が戦争中にフィリッピンでおこなった残虐行為の解説書で、この本の総ページ数の四〇%を占める)が付されているが、これは、一九四八年三月にGHQのウィロビーが,刊行許可の条件として提示したものである(モニカ・ブラウ『検閲 一九四五-一九四九―禁じられた原爆報道』〔時事通信社、一九八八年〕)。また、広島市の一九四八年の平和祭に出席したイギリス連邦軍司令官ロバートソンは、メッセージの中で「広島に下されたこの天罰は軍国主義を追及せる日本国民全体への応報の単なる一部」と述べている(「英連邦軍総司令官ロバートソン中将メッセージ」、『市勢要覧 昭和二三年版』〔広島市、一九四九年〕)。占領期にみられるこうした取り上げ方は、戦争展や平和博物館の展示には、単に懲罰的な視点からではない意図で引き継がれている。
第五は、動員学徒に関わる問題である。靖国神社合祀は、遺族の強い願いであった。また、生存した動員学徒の中にも、それを願う人々が存在する。一九五六年以降「動員学徒犠牲者の会」が県単位で生まれるが、これらの会が、靖国神社合祀の要求を受け継いでいることを、広島県動員学徒犠牲者の会などの出版物で確認することができる。
広島・長崎両県の会員には、動員学徒の生存者を中心に原水爆禁止運動や被爆者運動と深い関わりを持つものが多数存在する。会員の担い手は遺族から動員学徒の生存者に移り、その進展にともない活動内容が変化してきた。その中で注目されるのは、動員学徒の生存者が、各出身校の平和教育の担い手となっていることである(広島県動員学徒犠牲者の会『動員学徒誌 被爆五〇年記念』〔一九九五年〕)。
第六は、ABCCに関わる問題である。占領下にも広く存在していたABCCへの強い批判は、講和条約発効直後に一気に表面化した。一九五三年九月に原爆被害者の会が会員から抽出した七〇人を対象としたアンケートにABCCに関する項目がある。残っていた調査原票四一人分の結果は、つぎのようなものであった。
一、ABCCのやっていることをいいと思うか
いいと思う八、よくないと思う十四、どちらでもよい一一、わからない八、
二、ABCCはあった方がよい
よい四、ない方がよい一三、どちらでもよい一四、わからない八、(治療ならよい)二
三、アメリカに対する損害賠償請求
賛成三一、反対四、どちらでもよい一、不明五
ABCCの事業の評価と存在の可否に対する回答からは、会員のABCCへの拒否反応がそれほど強いものとは考えられない。これと比較して注目されるのは、アメリカに対する損害賠償請求に多くの会員が賛成していることである。この結果から、ABCCへの批判が、アメリカの原爆投下責任を追及する性格を持つことを知ることができる。ABCCは、一九七五年、アメリカの研究機関から日米共同の研究機関である放射線影響研究所に改組され現在に至っている。