『平和の斗士』の中の原爆被害

『平和の斗士』(アカハタ中国総局)の中の原爆被害(者)

2号 1950.7.17
原爆で広島市民はこのように死んで行った[写真1葉]
3号 1950.7.23
8・6反戦平和大会に結集 平和投票15万 広島平和ようご委で
原爆投下の8月6日をまじかに迎えた広島平和擁護委員会では14日実行委員会をひらき、さきに決定された6日の平和よう護大会、1日から10日までの平和よう護週間を討議、6日の大会は午前10時から平和広場で行い各労組、民主団体にひろく参加をよびかける、6日までを第1期として平和投票15万を集める等を決議した、なお原爆体験記の出版も計画されている
6号 1950.8.3
世界幾億人民の叫びに応え 原子兵器の禁止 広島市民8・6大会に総けっき
全国から青年大挙2千名参加
帝国主義者どもの第3次世界戦争へのしつような兆発と、恐るべき非人道的な原子戦の危機のさ中、20数万の原爆犠牲者を出した広島市で、5たび迎える8月6日、「原子兵器の禁止」を叫んで市民総けっきの反戦平和大会が、佐久間教授(広大)四竃牧師(教会)岩宮副委員長(県労協)菅原校長(安芸高女)を常任委員とする広島市平和よう護委員会で準備されている同委員会は27日全国の平和愛好者に対し次のような招請状をおくった
原爆が広島に投下されてから5年、またまた戦争への危機はせまっております、この危機を前にして人類殺りくの武器、原子兵器を禁止せよとの叫びは全世界幾億万の人々の熱望となっています、わが広島平和よう護委員会はこの8月6日を期して平和よう護原爆禁止のための市民総けっきの日とすべく左の日程で平和大会を開催します、尚当大会には全国各種代表、特に青年代表2千名の大挙参加も予定され既に海外からも深い関心が表明されています
一、日時8月6日10時半
一、場所 平和広場
一、順序 △開会 △議長選出 △メッセージ △大会宣言決議 △行進
7号 1950.8.6
再び広島の悲劇を繰返すな 八.六をストで斗え 全労連各単産に訴える
全労連では1日の幹事会で「反戦平和月間」について次の要請を各加盟組合に出す事をきめた
(1)それぞれの條件に応じて8月6日はスト、職場大会、デモで斗い、戦争反対の決議をすること
(2)ストや大会のできないところは全員1分間の黙とうをすること
(3)最初に原爆を投下された8月6日午前8時15分(広島)、また8月8日午前11時2分(長崎)にはあらゆる工場、列車、電車は一斉に汽笛、サイレンを吹鳴すること
(4)この斗争の中で全員ストックホルム・アピールに対する平和投票を行うとともに平和擁護委員会の組織運動をすすめる
8・6大会に中止警告 この暴圧と断呼斗え 広島平和委・県労協声明を発表
3日広島平和擁護委員会主催の平和擁護市民大会の許可願に対し西署長は受理を拒否し、大会をあくまで行うならばウイロビー少將の覚書にてい触するおそれがあるとの「警告」を発した、これに対し4日直ちに委員会を開き平和の希望を表明することさえこばまれる重大な事態と暴圧に対して断固斗うよう訴える声明を発表した、県労協でも同日執行委員会を開き、全国の労働者と広島市民に断固弾圧反対斗争に立ち上れとの声明を発表し直ちに市警本部へ厳重抗議した
八・六大会によす      川村よしお
“けうは三き きのうは七きとんだ とうちゃん”
そうだ 戦争にゆくひこうきだよ 一機で二十万にん 母ちゃんたちを
殺した数こうきだよ
みんなくろ焦げになっても こぶしを木のこぶしのように握りしめ
まぶたのめくれた眼のタマで 空をニラみながら死んでいた
そのなかで 折れた腕をぶらさげ はだかで泣いていたおまえ
母ちゃんも どこかできっと こぶしを握り眼をむいて ちくしよう!と 死んだのだ
いちにんでも多く殺すようにねらい 出勤と隣り組のかり出しで 女もとしよりも
集ったところをみはからい 豚のように殺された あのあさ
死にかけたけが人たちも 自動車のばくおんでさへ にげようと
収容所の木のベットから ころげ落ちた あの ひと殺しの 飛行機!
けんじよ こわがるな
おまえが数えるように ヒロシマのにんげんはみな 心のなかで けうも何機
あれがとんだかを知っている
夜はこっそり たくさんとぶのを しっている
その影が くろい羽根のように 心の底に積み重なって ゆくぞ
おばあちゃんも おじいちゃんも だんだん拳をにぎってゆくぞ
あのゴム人形のような 銅像のような かみの毛も皮膚もない ひとたちのように
拳をにぎり 眼をとび出させてゆくぞ
そのとき そのときが来たら けんじよ
はっきり知れ! だれが原子ばくだんをどんどんつくり だれがまたひとごろしの
戦争をおつぱじめているかを
だまされるな うそにのるな そのやけどの痕のある まゆげにつばをつけて
よく 飛行機をかぞえておけ
8号 1950.8.9
論説 8・6平和擁護斗争
日本を軍事基地としての朝鮮の民族解放斗争に対する帝国主義者の侵略戦争のまっただ中、5年目にめぐりきたった広島原爆投下の日、広島の青年、全中国から集った青年が中心になって、平和擁護人民大会がもたれた
8・1にはじまる反戦平和擁護週間は全中国で斗われたが、8・6を頂点として各地でデモ、大会が組織された、これらの大会は、すべて、官憲の野ばんきわまる弾圧の中でもたれたことは特別に重要である
広島では、一切の平和のための集会が禁止されたばかりでなく、事前に市警は数万の弾圧恐はくのビラを号外として配布し、ラジオは3日間にわたって3時間おきの恐はく放送をやり、当日は全県下から2千の警官を動員し、さらに千余の警官を待機せしめた正に彼らのいう「平和都市広島」は、何千の武装警官によって街頭を固められた戦時的状態を出現した、しかも平和集会がもたれるや「暴動が起った」というデマ放送をやり市民を不安動揺せしめた
平和擁護大会はこのような敵の弾圧をけってもたれ、戦争反対、原子兵器禁止のストックホルム・アピトルの支持、アメリカ帝国主義打倒、日鮮労働者提携万才、朝鮮の解放斗争支持を堂々と決議し、数万のビラを配布し、市民に多大の感銘をあたえた
いまや「平和」そのものを最もおそれているのはアメリカ帝国主義者であり、日本におけるその番犬であることがきわめて明確である、彼らはつねに口で平和をとなえ、平和の仮面をかぶって、あたかもソ同盟を先頭とする平和勢力が侵略者であるごとく宣伝しているが、実に彼らは、彼ら自身が数十万を殺りくした広島で、死亡者を追悼する数万の大衆を武装警官とラジオで恐はくし、原子兵器の禁止と戦争反対を訴える平和のための集会を3千余の武装警官隊で弾圧したことをみても、彼らこそ平和愛好人民の殺りく者であり、第2次世界戦争を兆発する火つけ人であることがあきらかとなった
さらに重要なことは、いまや平和は、労働者を中心とする広はんな愛国人民大衆の平和への欲求の結集、組織によって、戦争放火人-アメリカ帝国主義者とその日本における番犬との決然たる斗争なしには断じて守り得ないことは明らかである
平和擁護の斗争こそが帝国主義者を戦りつさせる当面の中心課題であることはいまや明白である、ストックホルム・アピールの飛躍的な拡大と工場を中心とする平和擁護委員会の組織の拡大は当面最も重要な斗いであることを銘記しなければならぬ、歴史的な8・6平和擁護大会の決議はいまこそ全中国、全日本で実せんされねばならぬ
平和を愛する全世界の人民へ 八月六日広島平和擁護委員会 平和宣言
8月6日、広島平和擁護委員会は心から戦争を憎み平和を愛する全世界の人民に対し要旨次の宣言を発表した
心から戦争を憎み平和を愛する人々よ!5年前の本日午前8時15分、わが広島市に原子爆弾がさく裂しました、この恐るべき非人道的な殺りく武器のもと、しかばねと焔の中にあって、われわれ生き残った者の全身からしぼり出された戦争への憎しみと平和への熱願が現在では全世界幾億の人々の平和をかちとろうとの固い決意の中に置かれていることをみて限りない喜びと勇気とをおぼえるものであります
平和こそ現在われわれが斗いとるねうちのある最大なものとなりました、世界をおおう反戦の巨大なさけびの中で、孤立した戦争放火人達は平和に関係のあるものの一かけらも抑圧しないでおれないのであります既に極東の一角では銃火が交えられ、原爆使用の論議がされているさ中、広島市民は原子兵器の無條件禁止を要求するストックホルム・アピールがわれわれの悲痛な要求と完全に一致するものであり、これに署名することがわれわれの光栄ある義務であり、そしていく億の平和署名は必ずや新しい戦争をそ止し、原子兵器の使用を禁止することを確信します
われわれはどのような困難なる條件のもとにあろうとも、諸君とのより堅いていけいにより、平和を守る斗争の飛躍的発展を期するものであります
☆再び広島の惨かをくり返すな!
☆戦争反対、平和擁護運動の偉大なる進展万才!
反戦ビラをよみ入る広島市民 平和を叫んだ20万犠牲者を忘れるな
武装警官数千の恐はく下広島市
その日の広島市民-福屋デパートの周辺はガリ刷りの小さなビラで一ぱいだ、それを拾って泥をおとししわをのばし丹念に読む勤人学生達-チョゴリ姿の朝鮮人のお婆さんは、きけばわざわざ平和大会に参加しようと思って出てきたそうで弾圧に屈せずビラをまいた日本の青年たちの気持も祖国で斗っている人民軍戦士の気持もまったく同じだとビラを大切にもちさった△電車の中では、例年のお祭騒ぎの行事が今年はなくてよい、だがこの警官隊が広島市を占領した恰好ではどうして何十万の犠牲者がめい福できるかと憤がいの声がきかれた
各国で大々的に行事 世界民青連発表 8月6日にS署名成果発表
(連合)パリの世界民青連本部はつぎのように発表した
S・アピールにたいする署名の第1回集計が広島に原子爆弾が投下された第5回記念日にあたる8月6日に発表されることになっている、△8月6日を国際的に平和斗争の日とする準備をすすめている国が多く、米国労働青年同盟会長はつぎのような文章を発している「われわれは平和のために働いているすべてのものにたいしリーフレットやポスターやデモによって広島の日を記念するよう要求する、われわれは広島の日を記念することによって独立と民族解放の運動に加えられている帝国主義の犯罪的政策をばくろすることができるのだ」△フィンランドの青年は8月6日に終る1週間をとくに平和署名週間とし、西ドイツの青年は8月4、5、6日をドイツ青年の平和斗争デーとして宣言し、オーストリアおよびチュニジアの青年も同様な計画を発表している
ソヴェト1億2千万を署名
平和ようごソヴェト委員会の発表によれば8月1日までに1億1527万940名のソヴェト人民が署名した
中国で1億を目標
中国ではS・アピールにすでに5千万人以上が署名し1億以上目標をめざしている
弾圧下1万5千のデモ ニューヨーク 「ノーモアヒロシマ」大会
(連合)既報ニューヨーク労働平和会議のノーモア・ヒロシマ大会は2日デモを禁止されたが、当日は1万5千名の平和戦士がユニオン・スクエアで平和をまもり対韓援助に反対するというスローガンの下に平和デモを行った、警官は馬上からこん棒をふりまわして大衆を解さんさせようとしたが、デモ参加者は「われわれは平和をのぞんでいる」「原子爆弾禁止」を叫びながら行進をつずけた
モスクワ放送 6日プラウダ 「ヒロシマ」と題する記事
6日付プラウダは、「ヒロシマ」と題する次の如き記事をけいさいした
アメリカ帝国主義者が広島に原子爆弾を投下してから今日で5年目になる、平和擁護世界会議常任委員会機関誌「平和擁護」はこの爆撃の野ばんな意図をバクロし爆撃瞬間の広島の人口は31万2千であったが爆撃終了后は、3分の1が生残っただけで家屋の9割がうちこわされた、更にアメリカ側の報告を引用し広島と長崎が投下の対象となったのは両市とも人口が稠密なことをのべている、つずいて今年5年目に発表された広島・長崎青年の全世界へのメッセージをあげ日本では7月末までに150万以上のS・アピール署名が集まり、その后ますます増加している、日本平和を守る会では4千万の署名を目標にしている
10号 1950.8.15
モスクワ放送 広島8・6斗争の模様報道
11日モスクワ放送は広島の8・6平和大会の模様をつぎのように報道した
東京から上海に達した報道によれば、アメリカが広島に原子爆弾を投下した日8月6日、この都市は事実上戒厳状態にあった、警察当局は勤労者の集会も含めあらゆる集会を禁止した、彼らは治安維持の名の下に2千名の警官を動員したが、この計画的弾圧にも拘らず愛国者たちは平和ヨーゴを叫んで2カ所で集会を行った