年表:沖縄・広島 1972年~94年

年表:沖縄・広島<作業中

 年月日  事項
1971年
05 23 「基地のない平和で豊かな沖縄を返せ!真の沖縄返還をめざす全国キャラバン」来広.
06 17 日米両国が沖縄返還に同時調印
06 23 原水禁(社会党・総評系)が沖縄核兵器実態調査の結果発表①沖縄貯蔵の核兵器はほとんど戦術核で約千発②場所は沖縄本島の読谷村、美里村、久志村の三カ所
07 20 原水禁国民会議(社会党・総評系)の被爆二十六周年原水禁世界大会、沖縄で開幕。二十三日まで
08 15 日本原水協の原水禁沖縄大会
10 27 ロジャーズ米国務長官、沖縄の核兵器撤去を上院外交委で言明.
11 07 弾薬輸送反対・米軍基地撤去広島県民共闘会議, 軍事基地(黄幡・秋月・川上)即時全面返還・沖縄返還協定批准阻止広島県中央集会を呉市役所広支所前で開催. 62団体・2000人参加.
11 13 沖縄協定批准反対・アムトチカ核実験抗議・被爆者援護法要求・国際共同行動広島集会.
11 16 社会党の楢崎弥之助代議士、衆院沖縄返還協定特別委で「岩国の米軍基地に核兵器貯蔵の疑いがある」と政府追究。同基地貯蔵庫は核兵器の取り扱いを決めた米軍事故防止点検表に出てくる核貯蔵庫の基準に合致していると指摘
11 19 沖縄協定の強行採決に抗議して, 広島・福山・呉など県下13地区で13万人が集会・デモに参加. 22日にも県中央集会開催. 4300人参加.
11 24 沖縄返還協定、衆院通過。社共欠席。自、公、民三党で非核決議
1972年
01 18 日本原水協と沖縄在住被爆者との交流に,広島から田辺勝広島県被団協理事長と福島生協病院の田阪正利院長, 三村正弘相談員が参加, 現地で交流・調査・検診活動.
01 20 日本原水協(共産党系)の沖縄県被爆者激励・医療調査団(小佐々八郎団長)、沖縄へ出発。二十八日まで
03 01 日本原水協のビキニデー集会に参加したアル・ハバド(反戦ベトナム帰還兵の会書記長・元米空軍曹長)、日本に核を持ち込んだと証言。「一九六○-六三年に二、三十回にわたり日本本土と沖縄の米軍基地に核兵器を運んだ」。八日、広島も訪問
03 15 沖縄協定批准書交換抗議・全軍労連帯スト・春闘勝利全国統一行動. 県下各地で集会・デモ.
05 15 沖縄、日本に正式復帰
05 15 沖縄協定発効に抗議する全国統一行動. 広島県中央集会, 県庁前で開催. 2600人参加. 三次・三原・尾道でも集会.
07 13 原水禁国民会議(社会党・総評系)の被爆二十七周年原水禁世界大会沖縄大会。那覇市で。十七日まで
08 09 長崎市、平和祈念式典を開催。7000人が参列。金城秀一沖縄県原爆被害者協議会理事長、原爆死没者名簿を奉安。広島の代表も初参加。平和宣言、世界平和旬間を提唱。
08 14 日本原水協の第十八回原水禁大会沖縄大会。那覇市で十六日まで
09 23 日本被団協、沖縄各地で原爆被爆者の実態調査を実施。沖縄被爆者協議会と始めて懇談。-26日。
1973年
02 23 日本原水協の三.一ビキニデー集会参加の反戦べトナム帰還米兵、「沖縄に依然核兵器」と証言
08 14 日本原水協の原水禁大会沖縄大会。那覇市で十五日まで。原水禁国民会議は十五日から四日間
1974年
08 02 屋良朝苗沖縄県知事の広島平和式典への出席が決定。宮沢広島県知事の招待。
1975年
1976年
1977年
04 18 原水禁、在沖縄米軍のNBC兵器の実態調査(14日-18日)で「嘉手納基地に核兵器あり」との結論発表。
05 17 沖縄県浦添中学校の修学旅行生、長崎市の平和祈念像前で、「平和集会」開く。
06 18 広島・長崎・沖縄各原水禁、大阪軍縮協の4団体、13日発足の「統一実行委員会」批判の声明発表。
06 23 沖縄県各地で沖縄戦の33回忌法要。
06 27 原水禁の広島・長崎・静岡・沖縄の4県代表、東京で会合。世界大会の独自開催を確認。
08 11 沖縄県原水協(社会党系)主催「1977年原水禁世界大会」開催。(13日まで)
08 14 沖縄県原爆被害者協議会・県原水協共催の原爆犠牲者33回忌合同慰霊祭、那覇市で。
10 18 沖縄県那覇市の琉球舞踊団、原爆病院慰問。
?? 沖縄戦を考える会、発足。沖縄戦の戦争遺跡・遺物の保存を県教育庁に要請。
1978年
02 21 沖縄の米国空軍嘉手納基地司令部は、年8回、起爆演習と事故処理の核訓練を行っていたことを認める。
09 11 原水禁国民会議主催「被爆33周年原水禁国民会議沖縄大会」、那覇市で開催。
10 07 国労被爆者対策協の「沖縄被爆者派遣団」、那覇市で交流会。
11 09 沖縄那覇市の中学生、修学旅行で長崎市訪れ平和集会開く。
1979年
06 21 原水禁国民会議、沖縄で「原水爆禁止・基地撤去6・23沖縄大会」を開催。
06 23 日本平和学会、沖縄県那覇市で研究集会。テーマ「1980年代の沖縄」
08 03 沖縄県少年の船、長崎市を訪問、平和公園など見学。
1980年
03 16 沖縄・ホワイトビーチで、米国原子力巡洋艦ロングビーチ号周辺から平常値より30-40%高い放射線を検出。
04 14 被爆問題市民団体懇談会、被爆35年・被爆者援護法即時制定全国行脚を沖縄・広島・札幌の3起点から出発させる.全国行脚は第4回目.市民懇主催は初めて.
08 18 原水禁、沖縄で「被爆三十五周年原水爆禁止沖縄大会」開催。(20日まで)
08 21 ソ連エコー級ミサイル原潜が沖縄の東海域で、推進室に火災。少なくとも乗員9人が死亡。
11 02 沖縄県の浦添中学校生徒、修学旅行で長崎市を訪れ平和祈念像前で平和集会開く。
11 21 沖縄県の首里中学校生徒、修学旅行で長崎市訪れ「平和祈念大集会」開き平和学習。
1981年
03 26 広島県創価学会青年部の広島平和委員会、那覇市で、「沖縄戦とヒロシマ・ナガサキ原爆記録展」開催。
04 28 日本原水協の提唱で、「核基地をなくす沖縄国際会議」、那覇市で開催。
05 04 長崎県被爆者手帳友の会、沖縄県など訪れ、一般戦災者へ連帯呼びかけ。
05 24 米国C130E輸送機がフィリピンから沖縄の嘉手納基地に飛行中、機関部に故障。核弾頭を搭載して、宮古島の民間空港に緊急着陸。
06 17 「被爆三十六周年原水禁沖縄大会」(原水禁国民会議など主催)、開催(19日まで)。
06 23 沖縄県で、沖縄戦集結36周年を記念して集会。「繰り返させるな沖縄・広島・長崎」の決議採択。
06 23 沖縄の地元紙、核廃絶・非核三原則の支持を訴え、統一アピールを発表。
06 29 佐世保空襲を語り継ぐ会、空襲・原爆・沖縄戦の犠牲者に対する救済を求める決議文を採択。
06 17? 沖縄県原爆被爆者協議会、記録「沖縄の被爆者」を刊行。
08 03 沖縄県の「少年の船」の一行、長崎市訪れ、長崎国際文化会館など見学。
08 06 九州・沖縄縦断被爆者行脚平和行進の一行、長崎入り(被爆者援護法制定を訴え署名運動)。
10 29 沖縄県の東風中学校生徒、修学旅行で長崎市訪れ、平和公園で平和集会開く。
11 02 米国空母ミッドウェー号のA7コルセア攻撃機が沖縄沖の海上に墜落。核兵器搭載の可能性あり。
11 18 沖縄県の浦添中学校生徒、修学旅行で長崎市訪れ、平和公園で平和集会。
1982年
01 30 平和をつくる沖縄百人委員会、那覇市内で反核大会開き核廃絶の取り組みを強化する方針を決定。
03 06 「平和をつくる沖縄百人委員会」、沖縄県・市町村議会に対して各議会が非核宣言するよう求めるアピールを提出。
03 24 沖縄市議会、「核兵器全面禁止と軍備縮小」を求める政府への意見書を採択。
03 29 沖縄県議会、「核兵器の完全禁止と全面軍縮に関する意見書」を採択。
03 29 沖縄県島尻郡南風原町議会、「非核都市宣言」を採択。
04 03 沖縄県名護市議会、「非核都市宣言」の決議を採択。
04 06 原爆をテーマにしたオペラ「はだしのゲン」の8月の沖縄公演(那覇市など主催)、決定。
04 09 創価学会広島県青年平和委員会など、広島市で、「沖縄戦と住民展」開催(13日まで)。
04 24 「ヒロシマ国際アマチュア映画祭」優秀作品上映会、沖縄・那覇市で開催。
04 11? 那覇市長、来広し、広島市長と会談。被爆地・広島市と激戦地・沖縄市が、反核・反戦を目指し交流していくことを確認。
06 23 沖縄の美術家ら、那覇市で沖縄反核平和美術展開催。
06 26 沖縄国際大学、教職員・学生による全学集会で「非核大学宣言」採択。
07 08 長崎放送制作「“核廃絶の原点を追う”連続報道」、九州・沖縄地区民間放送の番組コンクールで、最優秀賞受賞。
07 30 広島・長崎両市、朝日新聞社主催「原爆展」、東京で開催(8月4日まで)。その後、大阪(8/6‐8/18)千葉(8/20‐25)名古屋(8/28‐9/2)礼幌(9/9‐9/20)沖縄(10/12‐10/24)で開催。
07 30 朝日新聞社・広島市・長崎市、東京・日本橋東急で原爆展を開催.以後,10月24日まで大阪・千葉・名古屋・札幌・北九州・沖縄で開催.
07 30? 西独の反核市民グループのメンバー、来日し反核行脚を開始(秋田→沖縄)。
08 06 非核自治体宣言をした沖縄県北中城村など8市町村の首長、広島市の平和祈念式典に参列。
08 27 原爆をテーマにした創作オペラ「はだしのゲン」、沖縄県那覇市で公演。(29日まで)。
10 03 原爆をテーマにした創作オペラ「はだしのゲン」の沖縄公演ドキュメンタリー番組「広島と沖縄の心を結ぶ」(テレビ新広島制作)、放送。(9日も)
10 12 広島・長崎両市、朝日新聞社主催「原爆展」、沖縄で開催。
10 13 原水爆禁止国民会議主催「被爆三十七周年原水禁沖縄大会」、那覇市で開催。
11 19 沖縄県那覇市首里中学校、修学旅行で長崎市訪れ、平和公園で平和祈念集会開催。
12 18 沖縄被爆協、年末恒例の団結パーティを開催.40名参加.
1983年
08 01 第5回沖縄県「少年の船」、長崎市を訪れ、平和公園で平和祈念式を開催。
09 03 反戦・反核・反公害の願いを込めた「海の母子像」、水俣市に完成、除幕式。(沖縄・広島・長崎にも同像の建立を計画)
10 30 沖縄県那覇市立神原中学校生徒、修学旅行で長崎市を訪れ、平和公園で平和集会を開催。
10 99 「ヒロシマ・ナガサキの証言」第8号刊行。「原爆・敗戦38年目の証言」と「沖縄・広島・長崎・水俣いのちの出会い」を特集。
11 25 沖縄気工業労組、被爆者援護にと広島市に寄金。(昭42年以来年1回)
1984年
02 05 日本科学者会議主催シンポジウム「核と沖縄」、那覇市で開催。(約300人参加)反核を呼びかけるアピール採択。
02 23 沖縄県観光宣伝隊、広島原爆病院を慰問。
03 31 若者グループ「平和交流をすすめる広島若者の会」、九州・沖縄への平和キャラバンに出発。旧、長崎市で交流4月9日、帰広し、成果を報告
04 28 原水爆禁止日本協議会、那覇市で、「核基地、軍事同盟をなくす沖縄国際会議」を開催。(約300人  参加、海外代表25人参加)29日、分科会(30日まで)
06 99 沖縄出身の入市被爆者(大阪市在住)、「沖縄戦記録フィルム‐フィート運動」を実施。
07 20 画家丸木位里・俊の作品集「鎮魂の道-原爆・水俣・沖縄」(A5・84ページ)刊行。
07 21 「長崎の証言の会」、長崎市で第八回長崎市民平和講座を開催、テーマ「原爆と水俣・沖縄」(約50人参加)。
08 06 沖縄県からの「ヒロシマ体験子供派遣団」(那覇職員労組派遣)、来広し平和学習。
10 13 日本被団協中央相談所、九州ブロック講習会を沖縄で開催(~14日).130人参加.
10 99 広島県内で平和学習の一環として沖縄へ修学旅行へ行く私立高校が増加。
12 11 全国の非核宣言都市をリレーしてきた「平和の旗」最終点の沖縄県平良市に到着。(今年2月徳島県日和佐町を出発)。
1985年
03 04 日本被団協、広島・長崎・沖縄から全国縦断行脚を出発させる.
03 12 全国行脚沖縄コース、愛媛県八幡浜から四国入り.
05 08 大阪府、有識者による「世界平和を考える大阪会議」設置を決め、委員・顧問のメンバーを発表。顧問:広島・長崎市長、沖縄県知事の3人、委員:朝比奈隆、梅  忠夫、桑原武夫ら35人。
06 20 沖縄市、「核兵器廃絶・平和都市宣言」を採択。
06 23 沖縄・広島・長崎を結ぶコンサート「三つのレクイエム」(琉球放送など主催)   那覇市で開催(聴衆約 400人)。
06 28 茶道裏千家、沖縄県糸満市で「裏千家同門沖縄大会-平和の祈り」を開催(29日まで)。平和アピール採択。
07 11 原水禁国民会議、広島・長崎・沖縄で開催する独自大会の第二回実行委員会を、東京で開催。大会基調案などをまとめる。
08 04 沖縄県の老人クラブ・青年会代表ら、来広し、ヒロシマを語る会のメンバーと交流。
08 11 被爆四十周年原水禁大会国際連帯会議(原水禁主催)、沖縄市で開催(海外代表約30人を含め、約 500人参加、13日まで)(広島女学院大聖歌隊、参加し、合唱曲を発表)。
10 31 沖縄県糸満市の糸満中学校生徒、修学旅行で長崎市を訪れ、平和公園で、原爆犠牲者慰霊に民俗舞踊を披露。
11 12 沖縄県石垣市立大浜中学校生徒、修学旅行で長崎市を訪れ、平和祈念像前で伝統芸能を披露。
11 18 徳島県那賀郡鷲敷町の「平和を考える老人のつどい」、広島・長崎・沖縄などの自治体の首長に「反核遺書」を送付し、賛同の署名を求める運動を開始。
11 18 中国新聞(夕刊)「ひろしまサロン:野坂恵子-「広島・長崎・沖縄 三つのレクイエム」を呼びかけた」
11 24 戦争被害を受けた三地点を結ぶコンサート「広島・長崎・沖縄 三つのレクイエム」(民音主催)、広島市で、開催( 12月 6日、長崎市で) 。
12 06 コンサート「広島・長崎・沖縄 3つのレクイエム」、長崎市で開催。
1986年
01 11 沖縄の北西150/キロ/の海上で、ソ連原潜が事故で浮上。ウラジオストクにえい航。
01 25 被爆者・広島在住の沖縄出身者ら、「広島と沖縄をむすぶつどい」を広島市で結成(25人参加)。
02 02 広島市長、沖縄市での「国際平和年特別講演会」(沖縄市主催)で、「ヒロシマの心」と題して講演。
04 25 日本原水協の呼び掛けによる  「核戦争阻止・核兵器廃絶・非核化のための沖縄国際会議」、那覇市で開催( 29日まで) 。27日、全体会議開催( 約 350人参加) 。
06 22 「広島から沖縄戦を見つめる集い」(「広島・沖縄をむすぶつどい」主催)、広島市で開催(約60人参加)。
07 19 沖縄戦の記録映画上映・コンサート、長崎市で開催( 約 300人参加) 。長崎沖縄の平和運動家ら、交流。
07 31 平和の祈り集会、広島市で開催。講演「私の韓国・広島・沖縄」、原爆供養塔前での祈とう会他。
07 31 京都市の「仏桑花の会」、沖縄・本土の中・高校生らを引率し、来広。原爆資料館など見学し、平和学習。
08 04 広島・長崎・沖縄を巡る「ピースツアー」の一環として「アジア学生交歓会」、広島市で開催 (国内から約 100人、東南アジア留学生ら 8名参加) 。
08 22 日本原水協、米・ニューヨーク市での第 4回北大西洋ネットワーク平和会議(22日-24日)に、沖縄原水協のメンバーを派遣。
09 22 「長崎平和の母子像」の原型、完成し、長崎市に搬入(来年3月除幕予定)。同像の  制作を依頼した沖縄県の関係者ら、長崎市を訪問。
11 05 沖縄市立美里中学校生徒、修学旅行で長崎市を訪れ、平和学習。平和公園で、原爆犠牲者追悼に、沖縄の伝統芸能を披露。
11 16 沖縄の反戦フォーク歌手、100回目のコンサートを被爆地で開催したいと、広島市で チャリティーコンサートを開催(聴衆約70人)。
11 18 沖縄県那覇市立首里中学校生徒、修学旅行で長崎市を訪れ、平和学習。平和公園で平和集会を開催(8回目)。
1987年
03 26 「広島・沖縄をむすぶつどい」、「子どもの沖縄体験旅行」を実施。被爆者ら、随行。
08 05 「8・5反戦反核広島集会」、広島市で開催(約300人参加)。テーマに、基地・原発・沖縄など。
08 07 原水禁の「九州縦断非核平和行進」(約250人)、長崎市に到着(6月中旬沖縄を出発)。
09 14 ヒロシマ・ナガサキ平和基金、沖縄県西原町での「平和の集い」に、原爆をテーマにした絵(増田勉作)などを貸与。
12 15 沖縄・「平和の像」破壊と広島・中曽根句碑建立を許さない映画のつどい(市民講座ヒロシマなど主催)、広島市で開催。
12 26 「沖縄とヒロシマを結ぶ市民の会」、初の平和交流団「ピースフライト沖縄」を派遣。
1988年
02 14 昨年末の「ピースフライト沖縄」で沖縄を訪問した被爆者ら、広島市で、「見てきた沖縄の報告会」を開催(約80人参加)。
03 01 原水爆禁止沖縄県協議会などの調査で、1954年にビキニ環礁で沖縄の漁船が被爆した可能性が高いことが判明。
03 16 広島県山県郡の千代田中学校、平和学習の一環として沖縄へ修学旅行。
07 31 沖縄県の中学・高校生らによる「仏桑花の会・学生勉強の旅」の一行(17人)、来広し、原爆資料館などを見学し平和学習。
08 07 ヒロシマと沖縄を結ぶ平和集会、広島県安芸郡府中町で開催。
08 15 広島市の反核画家吉野誠、沖縄・広島の戦争被害をテーマにした作品を、沖縄県中頭郡北谷町に寄贈、同町で贈呈式。
10 05? 広島市の画家吉野誠、沖縄の戦争被害や被爆直後の広島などを描いた版画絵はがき(10枚1組400円)を制作。
11 19 第1回九州地区平和学会研究集会、長崎市で開催(日本平和学会・長崎平和文化研究所共催、20日まで、約60人参加)。テ-マ「九州・沖縄からアジアの平和を考える」。「長崎原爆松谷訴訟の目的と争点」などについて研究交流会。
12 15 沖縄市長、本島長崎市長の天皇の戦争責任発言に異議があると同議会で答弁。
12 21 沖縄県中頭郡読谷村村議会で、同村長、天皇を戦争の最高責任者であると答弁。
12 23? 沖縄県の社会党・護憲共同県議団、本島長崎市長の天皇の戦争責任発言に対して激励の文書を送付。
1989年
03 28 「広島・沖縄をむすぶつどい」主催の子どもたちを対象にした沖縄体験旅行、実施(3泊4日)。
04 21 6月開催予定の「心に刻むアウシュビッツ長崎展」に賛同する市民の集い、長崎市で開催(約50人参加)。「アウシュビッツ・南京・沖縄・広島・長崎の悲劇は同じ線上にある」と同展を計画。
05 08 米誌ニューズウィーク、水爆を塔載した米海軍艦載機が1965年に沖縄近海に水没、海軍はこの事故をもみ消したとの調査報告を掲載。森滝市郎ら、非核三原則の空洞化であるとコメント。
05 12 広島県、米の水爆搭載機水没事故で、非核三原則厳守などを求めた要請文を外務省に提出。沖縄県も。
06 19 海上保安庁、1965年に米の水爆搭載機水没事故のあった沖縄近海の環境影響調査を来月実施することを決定。
07 21 24年前に水爆機が米国空母から沖縄近海に水没していた問題で、科学技術庁は現場海域での調査の結果、国民生活上心配ない、との結論。
08 05 沖縄県の「平和を守る北谷町民の会」、沖縄戦の写真などを展示した「沖縄平和展」を広島市で開催(6日まで)。
1990年
02 24 日本機関紙協会広島県本部主催「沖縄文化共同取材ツアー。~26日」(出典:『ヒロシマ・沖縄 その道は一つ』)
06 22 反核・平和を訴える自転車行進「ピース・サイクル」、広島・長崎に向けて沖縄を出発。
06 25 沖縄・原爆をテーマにした絵画(渡慶次恒徳作)の展示会、大阪市で開催(大阪市原爆被害者の会主催)。
08 09 沖縄県の「少年の船」の団員ら516人、長崎市を訪れ、平和公園で平和祈念式典を開催(12回目)。
?? 沖縄県南風原町、戦争遺跡である陸軍病院壕跡を全国初の文化財として町史跡に指定。
1991年
05 01 「ピースラン’91」の聖火伝達式、長崎県庁前で開催。同聖火は4月27日に広島市を出発、沖縄を巡回し、東京へ到着予定。
06 18 「6・23沖縄平和祭PAL in OKIMAWA(平和・友好・愛)」(沖縄県主催)のシンボルとなる「平和の灯」採火式、広島市の平和記念公園で開催。沖縄平和祭の大城純亀事務局長ら4人が出席。
06 18 「6・23沖縄平和祭」(沖縄県主催)のシンボルとなる「平和の火」、長崎市の爆心地公園で採火。
06 23 沖縄県、糸満市・摩文仁の平和公園で沖縄全戦没者追悼式を挙行。広島の「平和の灯」・長崎の「誓いの火」を「平和の火」として点火。
06 ? 全国を自転車で走って広島・長崎に向かう平和運動「ピースサイクル」、北海道・沖縄をスタート。今年で6回目。
07 08 <宇吹>堀場清子著『沖縄女性史を探る』拝受。
07 27 「親子平和学習のつどい’91この子たちの夏-ヒロシマ・沖縄」、広島市の婦人教育会館でで開催(約50人が参加)。同会館で活動している市民グループが主催。朗読劇などを上演。
08 05 沖縄平和大使の一行(15人)、来広し、平岡広島市長に沖縄市長からのメッセージを提出。沖縄市が中学生とその母親にヒロシマを学んでもらうため初めて派遣。
08 09 長崎・沖縄交流会、「太平洋戦争と沖縄戦-親と子でみる写真と文献・長崎展」を長崎新聞文化ホールで開催。-15日。
10 03 沖縄での戦争体験について証言活動をしている「ひめゆり同窓会」の一行、来広し、広島の被爆者の案内で原爆資料館を見学。
11 24 長崎「原爆問題」研究普及協議会と沖縄平和の創造委員会、「ナガサキとオキナワを結ぶ交流シンポジウム」を長崎市の県教育文化会館で開催。30人が参加。
1992年
01 09 <宇吹>吉川生美氏来所。年末、沖縄(西表島)旅行をしたとのことで、泡盛などの土産を貰う。
05 06 <宇吹>M(某紙記者)より電話。沖縄返還20周年をヒロシマの視点から取り上げたい。宇吹=原水禁大会で第2回大会以降、返還まで毎回大きく取り上げられていたことを話す。
05 31 広島と沖縄をむすぶつどい、広島YMCAで開催。
05 23? 広島県被団協、平和会館内に沖縄戦の遺品コーナーを常設。
06 14 平和展「ヒロシマ原爆」、沖縄県の南風原文化センタ-で開幕。-28日。広島市原爆資料館や広島平和文化センタ-から借り出した資料を展示。
08 03 ヒロシマと沖縄を結ぶ夕べ、広島市内で開催。
08 03 沖縄戦の悲劇を歌い続けている沖縄在住のシャンソン歌手の母娘、広島市の原爆慰霊碑に献花。
08 04 沖縄県豊見城村の中学生24人、平和学習のため大竹市を訪問。-8日。同村教育委員会のふるさと創世事業の一環。
08 16 沖縄市が派遣した14人の親子平和大使、長崎入り。沖縄・長崎を一年交代で訪問するもので、前年に始まり、長崎訪問は初。
10 31 平和を考える念仏者の集い、沖縄戦をテーマに本願寺広島別院で開催。約200人が参加。
11 29 日本被団協中央相談所、九州ブロック講習会を沖縄県那覇市で開催。430人が参加。-30日。
1993年
05 15 沖縄平和運動センター主催の平和行進、那覇市と名護市から出発。
06 06 沖縄県原水協などの1993年原水爆禁止国民平和大行進、長崎に向け沖縄を出発。
06 26 広島キリスト教女子青年会、講演会「沖縄に生きる女性たち」を広島YMCAで開催。ヒロシマと沖縄とのかかわりを問い直すのがねらい。約20人が参加。
08 04 新川秀清沖縄市長と同市の各中学校から選ばれた2年生の代表7人とその親、「平和大使」として広島入り。同市は2年前から広島と長崎に交互に平和大使を派遣。
09 18 「シンポジウム・平和記念館のあり方を考える」。於中央大学駿河台記念館285号室。<宇吹メモ>発言(菊池):修学旅行で飛行機の使用が可能になり沖縄を修学旅行先に選べるようになった。
10 27 国会議事録索引・被爆者対策史年表の編修会議。於放影研。-14時30分。<宇吹メモ>年表に、沖縄被爆者対策や全国各地の法外事業を加えるべきとの意見を言う。
1994年
02 03 <宇吹メモ>沖縄の書店より電話。マンハッタン計画の報告書を入手したとのことで概要を聞く。珍しくないと回答。
05 17 <宇吹メモ>**(関東学院大学図書館)より電話。「図書館雑誌」への正式な投稿依頼。プランゲ文庫・平和図書復刻・松川資料室・沖縄・長崎と一緒に取り上げる由。
05 17? 広島市、9月に「平和博物館会議」(仮称)の開催を計画。埼玉県平和資料館・川崎市平和館・立命館大学平和ミュージアム・大阪国際平和センター・長崎国際文化会館・沖縄県立平和祈念資料館が参加予定。
06 22 <宇吹メモ>藤居平一の話=沖縄・小笠原の「招待治療」は、「原爆乙女」のアメリカでの治療に使われていた言葉を使った。
06 22 沖縄県、「平和語り部の集い」を那覇市内で開催。高橋昭博(広島)・下平作江(長崎)らが参加。
06 25 「広島・長崎をむすぶつどい」、那覇市役所で平和行政に携わる宮里千里の講演会「今、平和憲法を沖縄から問いかける」を広島YMCAで開催。
07 25 「ひろしま少年少女合唱団」のメンバー43人、沖縄を訪問。
07 27 広島市草津公民館で親子平和映画会「石の声-沖縄戦マラリア地獄の記録」を開催。
07 10? 沖縄市役所、「沖縄発平和トライアングル94」の親子平和大使認定式を開催。毎年交互に、親子で広島・長崎を訪れているもので、今回が4回目で長崎を訪問。
08 04 「沖縄・長崎・広島」平和交流会、広島厚生年金会館で開催。
08 05 「原水爆禁止1994年世界大会・広島」・「ピースジャム94inヒロシマ」、広島県立総合体育館で開演。沖縄のミュージシャン嘉納昌吉が出演。
08 06 沖縄県豊見城村の中学生24人、大竹市を訪問。同市の平和記念式典に参列。
08 07 沖縄県出身の広島被爆者渡慶次恒徳(とけし・つねのり)、奈良市で開催された市民平和集会で被爆体験を証言。
08 07 沖縄市親子平和大使(市内7つの中学校の親子14人)、長崎市に到着。恵の丘長崎原爆ホームを慰問。8日、長崎市役所を訪問。-10日。広島と長崎を交互に訪問し、今回の長崎訪問は2回目。
08 10? 「広島・沖縄をむすぶつどい」、第10回子供の沖縄体験旅行(8月24日-27日)の参加者を募集。
09 13 広島市が呼びかけた「平和博物館会議」、原爆資料館東館で開催。埼玉県平和資料館・川崎市平和館・立命館大学国際平和ミュージアム・大阪国際平和センター・ナガサキ国際文化会館・沖縄県立平和祈念資料館・広島市原爆資料館の館長らが出席。