年表:沖縄・広島 1995年

年表:沖縄・広島<作業中

 年月日  事項
1995年
02 12 <宇吹メモ>藤居の話=1月後ぐらいに舟橋と一緒に会って欲しい。原爆医療法が沖縄・小笠原の人々とともに朝鮮人に適用されるよう努力。戦争への謝罪の気持ちがあった。こうした問題について話がしたい。
02 19? 大田沖縄県知事、県議会2月定例会に「非核・平和沖縄県宣言」を提出。
03 09 <宇吹メモ>**(中国新聞記者)来所。米兵捕虜と沖縄の被爆者について。
05 15 沖縄のミュージシャン喜納昌吉の「サバニ・ピース・コネクション」の出発式、与那国島で開かれる。沖縄伝統の手こぎ舟「サバニ」で沖縄と奄美の島々を訪れた後、8月6日に広島、9日に長崎入りをめざす。
05 18 沖縄県伊良部町立佐良浜中学校3年生92人、修学旅行で長崎市を訪問。爆心地公園で平和集会を開催。
05 24 五十嵐官房長官、天皇・皇后が今夏に広島・長崎の被爆地を訪問する方向で検討していることを明らかにする。沖縄・東京大空襲の慰霊堂も検討。
06 18 「広島・沖縄をむすぶつどい」、集会「沖縄と広島の戦後50年」を広島YMCAで開催。
06 21 <宇吹メモ>浅沼稲次郎は小笠原のすぐ近くの三宅島出身。もう少しのところで占領下に置かれる場所。早稲田での原水爆禁止世界大会の開催は、沖縄出身の大浜・浅沼・藤居のお陰で可能になったようなもの。使用許可書には、浅沼の名前があるので社会党が国宝ものと言っていた。沖縄には日本からの独立の動きがあった。大浜は日本派。私は、第3の琉球処分になってはならないと思っていた。沖縄に被爆者手帳が交付されることは、日本に引きつけることになる。(宇吹=当時考えていたことか、それとも今から考えて結果的にそういうことになる?)
06 22 沖縄県原爆被爆者協議会、沖縄県出身者の被爆50周年追悼慰霊祭を那覇市の護国寺で挙行。約70人が参列。
06 23 長崎市の音楽愛好家らで組織する「平和の旅へ」合唱団、沖縄市役所で故渡辺千恵子の半生を描いた合唱組曲「平和の旅へ」を披露。24日には、那覇市で。
06 23 長崎県、沖縄全戦没者追悼式を糸満市摩文仁の平和祈念公園で開催。式の前に「平和の礎(いしじ)」の除幕式。約23万4000人の犠牲者の氏名を刻んだモニュメントで費用は約15億円。式典で、広島・長崎の火を合わせた「平和の火」に点火。
06 23 村山首相・土井衆議院議長・草場最高裁長官ら、「沖縄全戦没者追悼式」に出席。
06 23 沖縄県糸満市摩文仁の丘で「平和の礎」の除幕式。広島・長崎の原爆で死亡した沖縄県出身者176人の名前を刻む。
06 23? 那覇・長崎の両市など、「広げよう世界に・平和の心を」をテーマに沖縄戦集結・長崎原爆被災50年平和資料展を那覇市民ギャラリーで開催。-25日。
06 25 <宇吹メモ>NHKスペシャル『沖縄・23万人の碑・戦後50年目の祈り』を見る。「平和の礎(いしじ)」の名簿作成過程に復元調査と同様の方法論を見る。これへの反応を原爆犠牲者慰霊施設の犠牲者名簿作製の参考とする必要がある。
07 25 沖縄のミュージシャン喜納昌吉、広島県立廿日市養護学校を訪問。歌や踊りで交流。
06 26 <宇吹メモ>ETV特集「沖縄・戦世の記録・1フィート映像の証言1」を見る。自分の母や妹を殺した人の証言。
06 27 <宇吹メモ>ETV特集「沖縄・戦世の記録・1フィート映像の証言2」を見る。米軍の残虐性の告発。
08 01 沖縄のミュージシャン喜納昌吉、広島・長崎の平和のメッセージを携え沖縄伝統の小舟「サバニ」に乗って、大阪市の川を上る。
08 02 天皇・皇后、沖縄を慰霊のため訪問。
08 06 沖縄伝統の丸木舟「サバニ」で沖縄と広島を結ぶ旅を続けてきたミュージシャン喜納昌吉ら、広島市・太田川河川敷に到着。約500人が出迎える。
08 07 沖縄のミュージシャン喜納昌吉ら、「サバニ・ピース・コンサート」を広島郵便貯金ホールで開催。聴衆1500人。
08 07 沖縄県臨時議会、中国の核実験に抗議しフランスの核実験再開の即時中止を要求する決議を全会一致で可決。
08 09 長崎爆心地公園で平和集会。約1000人が参加。沖縄のミュージシャン喜納昌吉らが出演。
08 10 天皇、戦後50年に当たっての長崎・広島・沖縄・東京の戦争犠牲者慰霊施設への訪問の感想を文書で公表。
08 11 「被爆50周年原水爆禁止世界大会」沖縄大会、那覇市で開催。(社会新報)
08 27 <宇吹メモ>**の話=台湾の師範の同窓会を毎年やっているが、沖縄出身者は参加しない。
09 29 広島市議会、米兵による沖縄の女子小学生暴行事件に抗議し、米兵の犯罪防止や日米地位協定の見直しを求める意見書を全会一致で可決。
09 29 長崎県被爆者手帳友の会、拡大理事会を長崎市内で開催。沖縄の米兵女児暴行事件で沖縄県知事に激励電報を送付し、被爆地域拡大是正問題で中央陳情することを決める。
09 30 <宇吹メモ>日本の戦後50年問題は、もし、自民党政権であったら、明治百年祭や紀元節復活キャンペーンのようなイデオロギー攻勢がなされた筈。自社連立のため出来なかった。天皇の沖縄・広島・長崎・東京慰霊という形と、アジア歴史資料センターなど経済主義路線がとられた。
10 18 沖縄県佐敷中学校3年生180人、修学旅行で長崎市を訪問。平和公園で平和集会を開催。
10 21 沖縄県民総決起大会、宜野湾市で開催。58000人が参加。
10 24 <宇吹メモ>**・**の話=沖縄と長崎の調査をした。沖縄・南風原村では、字単位で戦争状況の掘り起こしを進めている。堅い本を作ると終わりになってしまうので、小さなレポートの発行を続けている。原爆資料館でもやる意味はある。一国一館運動が利用できないか。沖縄の視点から広島をみると、新たに見えるものがある。総軍が置かれたが、これは、西日本の切り捨て=沖縄化となる可能性があったのではないか。
10 26 広島県、戦後50周年戦没者追悼式を沖縄県糸満市米須の丘「ひろしまの塔」前で挙行。県知事・県議会議長など約100人が参列。
10 27 平和・民主主義労組会議、「沖縄と連帯するヒロシマ集会」を広島労働会館で開催。約300人が参加。
11 10 広島県労連や民主商工会などで組織する国民運動大運動実行委員会、沖縄駐留米兵の小学生女児暴行事件や国際司法裁判所での日本政府の意見陳述、フランスの核実験などに抗議して、広島市内でデモ。約1000人が参加。
11 17 沖縄市立越来中学校2年生113人、修学旅行で長崎市の平和公園を訪れ、琉球の伝統舞踊「エイサー」を踊る。
11 21 広島県被団協(金子一士理事長)、沖縄県の米軍用地強制使用の代理署名について、村山首相に抗議電報を送付。
11 23 日本平和委員会、95年日本平和大会を沖縄県で開催。-25日。
11 30 広島県原水禁大崎地区協議会、フランスの核実験と沖縄の米軍兵士による少女奉公事件に抗議する集会を木江町中央公民館で開催。
12 02 広島県・甲田町職労など、フランスの核実験や沖縄の米兵による暴行事件に抗議する24時間の座りこみを同町中央公民館横で実施。約50人が参加。
12 08 <宇吹メモ>**の話=天皇は、関心を持っていた。沖縄の話を出していた。20分のところ40分話した。
12 10 沖縄県南風原(はえばる)町の小学6年生8人、平和学習のため広島市を訪問。「サダコ・クラブ・ヒロシマ」のメンバーら13人と交流。
12 22 天皇、62歳の誕生日を前に記者会見。長崎・広島・沖縄・東京での戦争犠牲者を追悼した「慰霊の旅」に触れ、体験の継承の必要性について語る。
12 13? 長崎の証言の会・長崎原爆被災者協議会など6団体、シラク・フランス大統領らへの抗議文や大田昌秀沖縄県知事への激励メッセージを送付。