伊藤サカエ年表

伊藤サカエ年表 <作業中

月日 事項
 広島県呉市生まれ。矢野町議会議員、同町婦人会長などを歴任。
1945 0806 広島市鶴見橋で建物疎開作業の勤労動員中に被爆。
1965
1977 0304 伊藤サカエ広島県被団協理事、「日米首脳会談で米大統領に核廃絶に踏み切るよう要請して欲しい」と福田首相に手紙。(中国新聞)
1978 0302 広島県被団協、5月の国連軍縮特別総会に5人の代表を派遣。桧垣益人事務局長・伊藤サカエ・高橋昭博・下江武介・小野田百合子。(中国新聞)
0526
0806
1979 1206
1981 0621 日本被団協、伊藤サカエ(初の女性代表委員)・山口仙二・伊東壮が代表委員に、桧垣益人、小佐々八郎、行宗一は顧問に就任。
1982 0818 伊藤サカエ・李実根、日本被団協の「欧州語り部の旅」の広島代表として参加。
0819 ~30 日本被団協「欧州語り部の旅」に伊藤サカエら27人を派遣。(日本被団協 (www.ne.jp)
1983 0308
1984 0228
0617 日本被団協定期総会。代表委員に伊藤サカエ・山口仙二・伊東壮を再任
0621 広島県被団協理事会、桧垣益人事務局長の辞任を了承、後任に伊藤サカエ。
  • 特集 被爆者医療の今日的課題-第4回全日本民医連被爆者医療交流集会から- 第4回全日本民医連被爆者医療交流集会の発言から 伊藤サカエ(日本被団協代表委員)/鈴木頌(北海道・勤医協札幌病院医師)/本庄庸(福岡・千鳥橋病院院長)/加藤文裕(神奈川民医連集健小委員・汐田病院事務)/上戸真弓(長崎・大浦診療所MSW)/坂本キミ子(福岡県被爆者相談所事務局長)/大場敏明(千葉・船橋二和病院医師)(『民医連医療』6月号)
1985 0626
0805
1986 0301
0729
0929
1987 0131
0623
1989 0906
1990 0115 伊藤サカエ「エッセイ 被爆45周年を前に」(『福竜丸だより』141号)
0604
1024
1994 0709 広島県被団協、故森滝市郎の後任理事長に事務局長の伊藤サカエを決める。
1101
1130 衆議院厚生労働委員会、広島市内で被爆者援護法案についての公聴会。陳述人は、重松逸三・小林寛治・石田明・伊藤サカエ。
1223  緊急全国代表者会議(「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律」制定直後)での伊藤サカエ代表委員あいさつ「政府与党の、私たちの希望を欠いた提案が可決され、もっともっと大きな荷物を抱えた。私たちの後ろには、34万人の死んだ人と、一般戦災者もいる。国がした戦争の責任をなぜ国民が、政府がとらないのに私たちがとらなくてはならないのか。…もっともっと固く団結して、私たちがこれだけやったんだという証拠を挙げたい」。出典:濱谷正晴「“日本被団協 1994.12.23 緊急全国代表者会議”~「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律」の成立をうけて~」
1995 0817 伊藤サカエ理事長、中国核実験に抗議電報。
1997 0627 伊藤サカエ理事長、広島県被団協(金子一士理事長)総会に初めて出席。分裂から33年、連帯を確認(中国新聞)
2000 0105  伊藤サカエ(日本被団協代表委員・広島県被団協理事長)死去。88歳。
itosakae
 0606  偲ぶ会(伊藤サカエ・伊東壮)
 2019
2016 0416 「伊藤サカエさんを語る会」(広島市原爆被害者の会主催「先人を語る会」第4回)。会場:大手町平和ビル。参加者65名。
 0816 「祖母、母から孫娘へ 三世代で語り継ぐ広島の被爆体験」( 『週刊女性』8月16日号)