松江澄『ヒロシマの原点へ 自分史としての戦後50年』

『ヒロシマの原点へ 自分史としての戦後50年』(松江澄、社会評論社、19950815)

内容

プロローグ 日本の近代との苦闘…11
I ファシズムの黒い触手-少年時代…17
幼年期の記憶としての大正時代 17
「ごたいてん」と昭和恐慌 22
号外に出た共産党幹部の写真 25
おそまきの「ヰタ・セクスアリス」27
附中中学のころ-「上海事変」と「5・15」事件 30
母と上京-「2・26」事件に出会う 34
忘れ得ぬ旧師、旧友たち 38
II 開戦前夜の学生時代…42
淀橋病院で読んだ岩波文庫 42
国家総動員法案が出る 45
「代返」と「ロウ勉」の寮生活 48
兄の書斎の本 52
「山下元利内閣」の総辞職 55
戦争前夜の名人芸 59
サッカー戦と中伊豆の旅 62
姿を消した朝鮮人の友 66
東大入学-総長は「軍艦の神様」 69
III 学徒兵として「満州」で訓練…73
「近代の超克」論議のはてに 73
学徒出陣式-下関重砲兵連隊へ 76
零下50度の下城子の冬 80
「満州」の雪原を走りながら 84
内務班-日本の軍隊の根幹 87
日本ファシズムのささえ 90
富士山の見える重砲兵学校教育隊へ 94
恩賜賞をもらう羽目に 97
兄からの手紙に胸さわぎ 101
IV 敗戦-占領下の労働運動へ…105
「新型爆弾」投下 105
生きてこの日を迎える 109
一路、黒い雨の降る広島へ 113
兄の生死を確かめに 116
原爆の荒野に立って 120
中国新聞社調査部に入る 123
ストライキと入党-1948年の冬 127
日鋼争議-占領軍と対峙 131
日本で最初の原爆廃棄要求 135
V 朝鮮戦争下-党の分裂と平和養護闘争…139
コミンフォルム批判と「50年分裂」 139
広島平和擁護委員会の結成 143
朝鮮戦争と弾圧のなかで大分派闘争の開始 148
GHQは平和集会を禁止 151
1950年8月6日-勝利した平和闘争 154
『人民日報』の「9・3」論説の波紋 157
深まる対立と県会議員選挙 161
1951年8月6日-再び大衆的な平和闘争へ 165
モスクワ放送-勝利から敗北へ 169
VI 50年分裂-党と大衆のはざまで…173
コミンフォルムの「原罪」 173
天皇制、戦争責任と日本共産党 177
党と大衆のはざまにあって 181
オモテとウラ-「火炎ビン」闘争 183
「血のメーデー」と武装闘争戦術 187
山村工作隊と地下指導部の総点検運動 190
燃え広がる「ビキニ」反核運動 193
ヘルシンキ世界平和集会をめざして 196
夜空をゆるがす「原爆許すまじ」 200
VII 六全協とスターリン批判の衝撃…205
「六全協」-誰がどこで何のために 205
「六全協」-何がどのようにきまったのか 208
「六全協」-それはどう受けとめられたか 212
広島地区組織の再建へ 215
ソ連共産党20回大会とスターリン批判 218
スターリン主義とハンガリー動乱 222
スターリン批判と「六全協」 225
新しい探究と論争の開始 228
党再建のための参議院選挙戦 232
VIII 60年安保闘争と思想的対立の深化…236
党章草案の発表と少数意見 236
全国書記会議における批判と論争 239
綱領論争の激化した日本共産党第7回大会 242
経済成長のはじまりと勤評闘争 247
警職法反対闘争から安保闘争へ 250
岸渡米阻止をめぐっての対立 254
新しい経験の出発点-県会議員当選 258
安保闘争昂揚と問題点 262
深刻化する党の危機と対立-第8回大会 265
IX 社会主義運動の革新をめざして…268
春日(庄)さんがついに離党 268
「社会主義革新運動」出発 271
広島県議会における「大判小判」事件 275
議会活動の内なる原則 279
構造改革論とは何であったのか 282
県議再選と原水協の分裂 286
中ソ論争とは何であったのか 289
「4・17」ストと部分核停条約をめぐって 292
ヘルシンキ平和集会とわが“社会主義”初体験 296
X 70年闘争と新左翼の路線をめぐって…300
高度成長とベトナム戦争 300
二度目の社会主義体験 モスクワ 303
共産主義者の大結集をめざして 307
「パリの5月」と新左翼の登場 310
「プラハの春」と戦車の弾圧 312
現在を廃止する現実的運動へ 315
広島の70年闘争 319
日本の70年闘争と共労党の分裂 322
前衛党の再建を求めて 325
民主主義の徹底をとおして新しい社会へ 327
エピローグ 被爆・敗戦50年のヒロシマ…330
あとがき…339