『天皇の素顔』(小野昇<読売新聞社社会部次長>、近代書房、19491201)
目次
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176 天皇と戦災孤児 |
183 「最後に、世界最初の原子バクダンを見まわれた”原バクの地広島”における陛下と戦災孤児との対面をもう一つ・・・。」 」 |
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『天皇の素顔』(小野昇<読売新聞社社会部次長>、近代書房、19491201)
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176 天皇と戦災孤児 |
183 「最後に、世界最初の原子バクダンを見まわれた”原バクの地広島”における陛下と戦災孤児との対面をもう一つ・・・。」 」 |
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広島県職員名鑑(松本清編・刊、発行所:中国人事通信社、19491130)
<作業中> |
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『ひろしま-原子爆弾の体験をめぐりて』(衣川舜子、丁子屋書店、19490720)
内容
頁 | 備考 | |
U | ||
001 | はしがき 原子爆弾を投下された街は、日本中で、ヒロシマとナガサキだけである。したがってその体験を有する者も、今日のところ、あの中から生きのこった両市の市民だけである。今わたしは、その体験者の一人として、自分が越えて来た死線を顧み、生命を賭して経験したところを書きとどめようとする。そしてこれが、原子爆弾とゆう人間の発明した科学兵器に、人間が破壊され悲しい記録としてのみ遺り、ふたたびこの地球上にこのようなあさましい実験が繰りかえされぬことを、切に切に祈るものである。願わくは体験者全部が、何等かのかたちで記録をのこされたらよいと思う。しかし実際にはそれは望み難いので、ともかくも自分は自分だけのものをでもと考え、狭い体験を拙い筆もかえりみず書き綴ったものである。[後略] |
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003 | 妖光 | |
昭二十年八月六日 4 あくる日 41 |
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059 | 焦土 | |
焼跡をゆく 61 学校跡にて 65 尊き犠牲者 72 山口先生 73 福田チエ子 75 光谷さん 78 わが家の焼跡に立ちて 82 クラインゾルゲさん 91 野戦病院一景 96 豆 98 問注所 101 近郊 その日の近郊 110 車中 113 熊野への道 115 避逅 120 府中にて 123 五日市にて 140 終戦 152 宗盛さん 155 熊野立ち 160 その後 汽車の旅 166 原爆症 171 病院日誌抄 176 静子さん 179 広島からの手紙 183 一年後 193 思い出 回顧 200 山と河 201 海幸山幸 202 逢い得ぬ人々 206 楠若葉 218 あきの雨 219 しゆろの葉ずれ 220 群雀 221 わが小庭 222 もの言わぬ客達 225 つどい 230 夜の街 241 夜の山路 442 組長さん一家 246 幟町停留所 249 鷹の羽の紋 258 城跡 254 富士見ぬ国 255 桜ふぶき 257 長寿園 258 厳島 260 蘭 265 高田村 266 竹原の里 271 猫の杭 274 ねこ、いぬ 276 村島魚店 281 広島ことば 283 広島駅 286 勤労動員 289 綜合運動場 291 疎開あと 293 洩れ来る歌 295 塚本先生 298 桃の里 308 建物疎開 313 意馬心猿 316 |
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321 | けむり(歌集) | |
けむり | ||
骨入 | ||
八月十五日 | ||
金沢医大病院にて | ||
教え子たちのみたまに | ||
335 | あとがき | |
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『ヒロシマ平和都市法』(寺光忠著、中国新聞社、19490605)
内容<作業中>
頁 | |||
表紙 白川一郎 | |||
寺光忠著『ヒロシマ平和都市法-広島平和記念都市建設法註解』 | |||
この、ささやかな記録を、広島市民にささげる。 | |||
01 | 序(金森徳次郎 昭和24年5月27日) | ||
05 | 目次 | ||
まえがき(7) 1 平和都市法(8) 2 目的(10) 3 計畫及び事業(18) 4 事業の援助(24) 5 特別の助成(26) 6 報告(32) 7 廣島市長の責務(34) 8 法律の適用(38) 附則(43) |
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46 | 附録1 座談会・廣島平和都市法の成立を回顧して | ||
53 | 附録2 談話・ヒロシマ平和都市法の思出(53) | ||
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『戦争と平和』(谷川徹三、雲井書店、19491015)
内容
頁 | 見出し |
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005 | 戦争と平和 |
049 | 世界政府運動と世界憲法 |
121 | 平和の思想とカントの恒久平和論 |
187 | あとがき |
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『原子力の国際管理 朝日新聞調査研究室報告 社内用2』(田中慎次郎、19490420)
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『犯罪少年の手記』(坪田譲治・平間孝三(編)、鎌倉文庫、19480325)
内容
まえがき |
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pp85-87:お菓子欲しさに(広島少年院、T・Y少年) |
pp121-123原子爆弾で父を失う(広島少年院、I・I少年) |
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『広島電話番号簿-昭和17年10月1日現在』(広島中央電話局)
『広島電話番号簿追加-昭和18年10月1日現在』(広島中央電話局)
<作業中> | |
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『1950年8月6日-朝鮮戦争下の広島』(深川宗俊著、原水爆禁止広島市協議会、1970/08/06)
内容
頁 | |||
04 | 八月六日 峠三吉 | ||
06 | ヒロシマの空 林幸子 | ||
12 | 原爆の死者の数不明 | ||
14 | 敵、広島に新型爆弾数機で来襲、被害相当 | ||
16 | プレス・コード指令 | ||
20 | ヒロシマの原点 | ||
25 | 戦争への足音 | ||
28 | 最初の原子兵器禁止アピール-広島から- | ||
30 | ストックホルム・アピール | ||
31 | 朝鮮戦争下の広島 | ||
40 | 一九五〇年の八月六日 峠三吉 | ||
44 | 飛行機虫 御庄博実 | ||
45 | 持続するたたかい | ||
48 | ヒロシマに寄せられた美しい物語り | ||
54 | 第一回原水爆禁止世界大会宣言 | ||
59 | 年表 作製 楠忠之・山口勇子・深川宗俊 | ||
70 | あ允とがき 北西允(原水爆禁止広島市協議「広島の平和運動の歴史」編集委員会代表) | ||
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『反戦詩歌集第1集』(前畠宗俊編、反戦詩歌人集団準備会、19500501)
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