石母田正『歴史と民族の発見 歴史学の課題と方法』(東京大学出版会、19520305)
内容
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ヒロシマの歴史を残された言葉や資料をもとにたどるサイトです。
石母田正『歴史と民族の発見 歴史学の課題と方法』(東京大学出版会、19520305)
内容
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『ヒロシマの『河』 劇作家・土屋清の青春群像劇』(土屋時子・八木良広編、藤原書店、20190806)
内容<作業中>
| まえがき 土屋時子 1 | ||||
| Ⅰ | 土屋清とはどのような人物か 15 | |||
| 土屋時子 | 土屋清・・・ 昭和の闇と光を生きた劇作家 17 | |||
| 無名の人生 17/ 生い立ち 18/ 予科練・十四歳の挫折 20/ 思春期・占領下の別府 23/ 地下活動家という放浪者 25/ 大分から福岡へ 25/ 福岡から熊本へ 27/ 熊本から牛深へ 28/ 九州から広島へ 30/ 「広島民衆劇場」の研究生として 31/ 「劇団」を立ち上げる 32/ 創作劇『河』の誕生 34/ 小野宮吉戯曲平和賞のこと 36/ 『河』とその後の劇団活動 37/ 劇団とは何か 38/ 限りある命の日々 42/ 見果てぬ夢なれど 44/ |
||||
| 土屋清 | 『河』と私(一九七二年) 49 | |||
| 土屋清 | 峠三吉のこと、『河』への思い 講演原稿メモから(一九七四年) 53 | |||
| 第一の動機 峠三吉のことなど 53/ 第二の動機 「炎の時代」の意味 58/ 叙事と叙情について 65/ 第三の動機 政治と芸術 68 |
||||
| 尊大なリアリズムから土深いリアリズムへ 私にとって西リ演史 (一九八四年) 土屋清 70 はじめに 70 一 戦後史認識について 71 二 政治と芸術について 83 三 叙事と叙情について 136 あとがき 138 |
||||
| 〈資料1〉土屋清略年譜(1880-1988) 140 | ||||
| Ⅱ | 『河』とはなにか 145 | |||
| 八木良広 | 『河』とはなにか、その軌跡 147 | |||
| 一 『河』公演の変遷 147 二 『河』が断続的に上演されてきた理由 157 三 土屋清が描こうとした『河』の世界 160 |
||||
| 池田正彦 | 歴史の進路へ凛と響け 土屋清の青春 169 | |||
| 一『河』がめざしたもの 叙事と叙情 170 二 「われらの詩の会」と「日鋼争議」 173 三 平和運動の分裂と『河』 189 |
||||
| 〈資料2〉『河』上演記録 194 | ||||
| 土屋さんの怒鳴り声(1978年)池辺晉一郎 196 土屋清の頑固なナイーブ(1988年) 広渡常敏 198 土屋清の闇の深さについて(1988年) 広渡常敏 200 “風のように炎のように”生きた原爆詩人・峠三吉の姿を通して(2015年) 林田時夫 203 |
||||
| Ⅲ | 土屋清の語り部たち 『河』を再生・生成すること 207 | |||
| 水島裕雅 | 土屋清の時代と『河』の変遷、そして今 209 | |||
| はじめに 209 『河』が書かれた時代 210 『河』の初稿と第四稿の違い 説明から観客の参加へ 212 そして今 再び核戦争の危機に直面して 214 |
||||
| 笹岡敏紀 | 今、私の中に甦る『河』労働者として生きた時代と重ねて 217 | |||
| はじめに 217 若き日の私と『河』 川崎の地で上演された『河』 218 時代と格闘した土屋清 そのリアリズム演劇論を読んで 219 『河』との再びの出会い2018年「京都公演」を観る 222 |
||||
| 三輪泰史 | 『河』京都公演に思う 半世紀の時をこえて 224 | |||
| 1970年前後 大阪の夜学生を魅了した舞台 224 2018年の京都公演 『河』との再会 226 京都公演の今日的意義 229 補論あるいは断り書き 231 |
||||
| 永田浩三 | 『河』、そのこころはどう引き継がれたのか 占領期のヒロシマを振り返って 234 |
|||
| 自由な表現の場の登場と新たな弾圧 234 抵抗の中で詩が生まれ、絵が生まれ、声が結集した 237 朝鮮戦争に抗い、声をあげる 239 峠たちのこころは、どう引き継がれたのか 241 |
||||
| 四國光 | 『河』と詩画人・四國五郎 243 | |||
| 『河』の中の四國五郎 243 峠三吉と四國五郎 言論統制下の反戦活動 247 四國五郎にとっての『河』 251 市民運動としての『河』 今、何を『河』から学ぶべきか 254 |
||||
| 大牟田聡 | 『河」、もうひとつの流れ 峠三吉とともに歩んだ人びと 256 | |||
| 『この世界の片隅で』 256 『河』で描かれた時代 257 もうひとつの『河』 259 再び『この世界の片隅で』 261 |
||||
| 趙博 | 今日も流れる「川」と『河』被爆のサブカル化に抗して 263 | |||
| 「広島の川」と『河』 263 脱色される「葛藤」と『河』 267 |
||||
| 中山涼子 | 林幸子の詩「ヒロシマの空」にこめられたもの 270 | |||
| 武器になる詩を探して 峠と市河 271 本当のこと 273 |
||||
| Ⅳ | 『河』上演台本(2017年) 279 | |||
| 池田正彦 | あとがき 353 | |||
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資料年表:甲斐英男
| 年月日 | 事項 | 備考 |
| 1927 | ||
| 1120 | 生 | |
| 1980 | ||
| 0918 | 『広島, 全2巻〈歴史と文化〉〈史蹟郷土史〉』(講談社出版研究所著、講談社) | |
| 第一部 広島県の歴史 九、幕末動乱と広島県の成立 甲斐英男 131 |
||
| 1983 | ||
| 0825 | 『広島県の百年 県民百年史34』(有元正雄、天野卓郎、甲斐英男、頼祺一著 山川出版社) | |
| 1985 | ||
| 0117 | 『甲斐英男先生山陽新聞賞受賞記念 講演とディナーの夕べ』(「アンデルセン」6階ホール、1985年1月17日) | |
| 1986 | ||
| 0331 | 『広島市公文書館紀要 第9号』(広島市公文書館) | |
| 軍都広島の都市経営と宇品-広島市会の論議を中心に-(甲斐英男) 29 | ||
| 1989 | ||
| 0206 | 没。享年61歳 | |
| 0331 | 『広島市公文書館紀要 第12号』(広島市公文書館) | |
| 渡辺則文「甲斐英男運営委員の逝去を悼む」 123 | ||
| 0601 | 『追悼 甲斐英男先生』(『追悼甲斐英男先生』出版世話人<渡辺則文・天野卓郎・有元正雄>) | |
| 2016 | ||
| 03 | 『広島市 甲斐英男氏蒐集文書仮目録』(広島県立文書館) | |
甲斐英男
| かい・ひでお | 19271120生19890206没 | 享年61 | 広島県史編さん室時代の上司。 |
止
資料年表:岡山医科大学
| 年月日 | 事項 | 備考 |
| 1929 | ||
| **** | 蜂谷道彦:1929年岡山医科大学卒。1942年広島逓信病院院長就任 | |
| 1931 | ||
| 04 | 志水清:岡山医科大学入学。1935年3月同大学卒業。 | |
| <作業中> | ||
| 1998 | ||
| 0310 | 『半世紀後の反核戦争』(渡辺晋、渡辺医院) | |
| 2010 | ||
| 1220 | 『広島県現代文学事典』(岩崎文人編、勉誠出版) | |
| 天瀬裕康(本名:渡辺晋) | ||
| 2015 | ||
| 0804 | 山陽新聞 特集TOP|岡山の医療健康ガイド MEDICA (sanyonews.jp) | |
| 不屈の医療 原爆と岡山医科大出身の医師たち(上)手探りの初動 患者集中、最前線で治療 | ||
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『戦後70年を越えて 平和と軍縮に向けた論点と課題 広島平和研究所ブックレットVol.3』(広島市立大学広島平和研究所、20170201)
内容
| 部 | 章 | 著者 | ||
| Ⅰ | 被爆70年―被爆体験の継承と2015年NPT再検討議会 | |||
| 1 | 美甘章子 | 被爆体験の心的トラウマ―70年間にわたる影響から見た被爆体験 | ||
| 2 | 黒澤満 | NPT再検討会議後の核軍縮の現状と課題 | ||
| 3 | 川崎哲 | 核兵器の非人道性から核兵器禁止条約へ | ||
| 4 | 水本和実 | 核兵器の非人道性と戦争の非人道性 | ||
| Ⅱ | 戦後の論点と課題 | |||
| 5 | 湯浅剛 | 「国際社会」と日本のあゆみ | ||
| 6 | 河上暁弘 | 戦後日本における「平和」の形成と転換 | ||
| 7 | 竹本真希子 | 戦後70年の歩みと論点―ドイツの例から | ||
| 8 | 福井康人 | 戦後の軍縮と国際法―条約交渉枠組みから | ||
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『舞え!HIROSHIMAの蝶々 被爆地からのメッセージ レグルス文庫 245』(創価学会青年平和会議編、第三文明社、20030806)
内容
| 頁 | 著者 | タイトル | メモ |
| 003 | 塩田智彦 | (創価学会広島青年平和委員会事務局長)はじめに | |
| 007 | デイビッド・クリーガー | (核時代平和財団所長)発刊に寄せて | |
| 019 | ヒロシマを原点に | ||
| 021 | 中村寿美恵 | スペインから「ヒロシマ」への心の連帯 | |
| 030 | 品川正則 | “北京の蝶々”となって、万波の波音を | |
| 041 | 重富直美 | 広島の女性が先駆を走ってる | |
| 053 | 松浦節 | 民衆の側に立つことの出来る力を | |
| 065 | 被爆二世として | ||
| 067 | 田中勝 | 被爆二世アーティストの挑戦 | |
| 080 | 松浦光弘 | 希望をいだす思想を広げていくこと | |
| 092 | 吉川陽子 | 母は背中ふるわせ「ゆきちゃん、ごめんね」 | |
| 103 | 伊藤博 | アボリション2000を広島から全国へ | |
| 112 | 田川寿一 | 子どもたちに「世界市民の心」育む | |
| 125 | 久保泰郎 | 広島、長崎、沖縄の青年が力合わせて | |
| 133 | 松浦唯幸 | 戦いなさい、それがお父ちゃんの願いだ | |
| 143 | 記憶にないあの日 | ||
| 145 | コーチ・マツモト | あの日、母は私の体を覆って亡くなった | |
| 157 | 河口力 | 腹いっぱい食べてほしかったんよ | |
| 169 | 忘れられないあの日 | ||
| 171 | 友田典弘 | 原爆孤児、韓国への数奇な人生 | |
| 183 | 吉崎孝子 | 爆心から500メートル…語り続けていきたい | |
| 205 | 郭福順 | 平和運動って、私は”優しさの表現〃と | |
| 214 | 竹岡智佐子 | 右の目がない、白いとこも黒いとこもない | |
| 226 | 桜井康民 | ウジはひや一つと頭の奥に入って | |
| 242 | 宅和和枝 | 〃ああ、おいしい”妹のあの声が忘れられん | |
| 253 | 松田文姑 | 夢を持って努力することが大事よね… | |
| 264 | 注 | ||
| 268 | 松室一雄 | 巻末写真資料「原爆の絵」 | |
| 275 | 小西啓文 | 編集後記 | |
止
資料年表:河音能平(かわね・よしやす)
| 年月日 | |||
| 1933 | |||
| 0325 | 神戸市に生まれる。 | ||
| 1964 | |||
| 12 | 京都大学文学部助手 | ||
| 2003 | |||
| 1122 | 死去。享年70歳。 | ||
| 2004 | |||
| 06 | 『延暦寺と中世社会』(河音能平・福田榮次郎編、法藏館) | ||
| 1011 | 『能平のアゴラ―河音能平追悼文集』(河音能平追悼文集刊行委員会) | ||
| 2010 | |||
| 0901 | 『河音能平著作集 1 中世の領主制と封建制』(文理閣) | ||
| 1001 | 『河音能平著作集 2 天神信仰と中世初期の文化・思想』(文理閣) | ||
| 1101 | 『河音能平著作集 3 封建制理論の諸問題』(文理閣) | ||
| 2011 | |||
| 0201 | 『河音能平著作集 4 中世畿内の村落と都市』(文理閣) | ||
| 0401 | 『河音能平著作集 5 中世文書論と史料論』(文理閣) | ||
| 大山喬平「特論 河音能平の時代とその歴史学」 | |||
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日本史研究室の歩み<抄>
小葉田淳(1905~2001):国史学第1講座
赤松俊秀(1907~78):国史学第2講座
小葉田が昭和44(1969)年、赤松が昭和46(1971)年に退官を迎えるまで、2人は事実に基づいた堅実な学風を自ら堅持しつつ、自由奔放な戦後の若者の学問的成長を温かく見守り、多くの個性的な研究者を育て上げた。
岸俊男(1920~87):国史学第1講座
岸が教授に昇任した前後は、学生運動の昂揚期に当たっており、荒れる学生を前にして、岸は国史学の主任教授として常にこれに誠実に対処しながら、学問のあるべき形を身をもって示した。
朝尾直弘(1931~)
昭和43(1968)年に助教授になった朝尾直弘(1931~)は、第1講座の岸を助け、実質上は小葉田退官の後を受けて、近世史を講じた。当初は幕末期を研究した朝尾はやがて近世初期に研究の力点を移し、『寛永時代の基礎的研究』(1964年)で学位を得た。昭和55(1980)年に第2講座の教授に昇任した朝尾のもとで、「大学紛争」によって中絶したままになっていた読史会の大会が昭和60(1985)年秋に再開された。また長年の懸案であった文学部附属博物館の改築がなり、蒐集の古文書・古記録類は設備の整った新館の収蔵庫に収納された。朝尾は学生部長、附属図書館長などを歴任する一方、織豊政権、鎖国、身分制、都市論など近世社会に関する理論的、実証的な研究によって長く学界の指導的立場を保ち続けた。
資料年表:朝尾直弘<作業中>
| 年月日 | 事項 | メモ |
| 1931 | ||
| 1217 | 誕生。 | |
| 1962 | ||
| 02 | 『大阪労音10年史―勤労者芸術運動の一つの歩み』(朝尾直弘編著、大阪勤労者音楽協議会) | |
| 1979 | ||
| 1002 | 受入承諾のハガキ(藤原⇒宇吹) | |
| 1995 | ||
| 0425 | 『朝尾直弘教授年譜・著作目録』(朝尾直弘教授退官記念事業会) | |
| 0429 | 『日本国家の史的特質 近世・近代』(朝尾直弘教授退官記念会編、思文閣出版) | |
| 吉田守男「長崎原爆の照準点」 | ||
| 0429 | 『日本国家の史的構造 近世・近代』(朝尾直弘教授退官記念会編、思文閣出版) | |
| 宇吹暁「日本原水爆被害者団体協議会の結成」 | ||
| 2022 | ||
| 0707 | 没。享年90歳。 | |
能平のAgora一河音能平追悼文集(刊行委員会<河音久子気付>20041011)
内容<作業中>
| 頁 | |||
| 大山喬平 | 刊行の辞 | ||
| 003 | 弔辞 | ||
| 019 | 河音能平の遺稿 | ||
| 085 | 河音能平の歴史学 | ||
| 125 | さまざまな出会い | ||
| 127 | 甲南のころ | ||
| 151 | 「Agora」のころ | ||
| 164 | 陳列館の前後 | ||
| 208 | 大阪市大のころ | ||
| 252 | 関西大学大学院 | ||
| 257 | 学問の先輩・友人・後輩 | ||
| 293 | 国際交流・資料の国際比較 | ||
| 333 | 家族 | ||
| 351 | 略歴・著作目録 | ||
| 371 | お礼にかえて | ||
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広島女子専門学校
| 位置 |
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| 出典:『最新大広島市街地図』(丸岡才吉編、広文館刊、19340210) |
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『「原爆の子」をうけついで こども・青年・市民の平和へのねがい』(「原爆の子」をうけつぐ会、本の泉社、20120806)
内容
| 頁 | ||
| 002 | 宇野豪 | はじめに (「原爆の子」をうけつぐ会会長、修道大学名誉教授) |
| 009 | 第1部 | 応募作品より |
| 009 | えみ かりん(小1) | 『8がつ6にちのこと』をよんで |
| 011 | えきだ あすか(小1) | せかいのへいわ |
| 011 | 森本あやか(小3) | 『おりづるの旅』を読んで |
| 014 | ||
| 014 | 鳥井原聖(小4) | 平和新聞 |
| 015 | 中元達也(小4) | ヒロシマに生まれて |
| 018 | 山下穂乃佳(小5) | 命の大切さ |
| 020 | 大原杏歌(小6) | 戦争はなくなるか |
| 022 | 藤川とも(小6) | 平和と戦争 |
| 024 | 遠藤正隆(小6) | 八月六日 |
| 026 | 尾形萌音(小6) | みんな同じ地球で生まれた仲間 |
| 028 | 渡辺香依(小6) | 命の尊さ |
| 030 | 玖村成(小6) | 後悔の後にあるもの |
| 032 | 好永るり佳(中1) | 平和を世界へ |
| 034 | 蔡志遠(中1) | 身辺の平和 34 |
| 036 | 寺本光希(中1) | 六十六年目を迎えた広島 |
| 038 | 山本研矢(中1) | 身近な平和 |
| 040 | 高部祐香(中1) | 次に伝えていくために |
| 042 | 槙場百香(中2) | 平和の大切さ |
| 043 | 小川稚果(中2) | 知らないことを知ってもらうために |
| 045 | 城代花佳(中2) | 『原爆の子』を読んで私が思ったこと |
| 047 | 八木稜平(中2) | 祖父の被爆体験をうけついで |
| 048 | 佐伯菜那(中2) | ヒロシマを学び語りつぎたい |
| 050 | 田羅理美(中2) | 他校との交流で深めあったこと |
| 052 | 市川里奈(中3) | 原爆の子 |
| 053 | 山田美咲(中3) | 私たちが気がつかなければいけない事 |
| 055 | 柴田龍人(中3) | 画面上の疑似戦争 |
| 057 | 岡智慧(高1) | 『原爆の子』を読んで |
| 060 | 上野結花(高1) | 広島高校生平和ゼミナールの活動の感想 |
| 062 | 鷹屋桃子(高2) | 空がとっても青いから |
| 065 | 秋山唯(高2) | 『原爆の子』を読んで |
| 067 | 川本彩子(高2) | 「世界に平和を」なんて言わない世界 |
| 070 | 芝亮祐(高2) | 『わたしがちいさかったときに』を読んで |
| 072 | 原田葵(高2) | 世界はいま平和か。平和でないとするとそれはなぜか。平和を妨げているものは何。自分に出来ることは何か。 |
| 075 | 加地真理子(高2) | 戦争とは、平和に反するものである |
| 077 | 馬場智大(大1) | 祖父の「記憶」を受け継いで |
| 085 | 梶山栞理(大3) | 私の考える「原爆の子」 |
| 088 | 窪川佐紀(大2) | 私の思う「原爆とむきあう」ということ |
| 092 | 中山結(大学院2) | 『原爆の子』を読んで今思うこと |
| 094 | 龍永直記(33歳) | 『原爆の子』をうけつぐ |
| 098 | 諏訪義圓(39歳) | 『原爆の子』がもたらす気付き |
| 102 | 上田寿世(49歳) | 子どもたちが命輝かせて生きる世界を |
| 105 | 宇城昌里子(49歳) | 命 生かされた つながって |
| 110 | 岡昌子(59歳) | 『原爆の子』を読んで |
| 114 | 大内正子(60歳) | 「母の記憶」から「私の記憶」へ |
| 116 | 藤井幸恵(68歳) | 蒔かれた種たち |
| 119 | (70歳) | |
| 120 | 大越和郎(71歳) | 『原爆の子』と私 |
| 選考委員講評 | ||
| 124 | 大槻和夫 | <委員長>『原爆の子』を受けつぐ文章を読んで |
| 129 | 大井健地 | ヒロシマのなお語られるべきもの |
| 131 | 柴田幸子 | こども達の感想文から思うこと |
| 133 | 三浦精子 | 「原爆の子」をうけついで 選考を終えて |
| 第2部 | 寄稿 | |
| 136 | 海老沼香織 | 広島スタディーツアーを終えて |
| 138 | 渡部久仁子 | 『ヒロシマと私』 |
| 141 | 忍岡妙子 | ヒロシマを伝え続けて |
| 144 | 長田真紀 | 精神の橋をかける |
| 147 | 長田五郎 | 父長田新の願い |
| 第3部 | 集い「『原爆の子』をうけついで」 | |
| 150 | 舟橋喜恵 | 記念講演「原爆の子 広島の少年少女のうったえ」から学ぶもの |
| 170 | 資料 | |
| 174 | あとがき | |
止
『原爆後の75年 長崎の記憶と記録をたどる』(長崎原爆の戦後史をのこす会編、書肆九十九、20210831)
内容
| 頁 | |||
| まえがき 新木武志 | |||
| 第1部 聞き取り調査報告 | |||
| 1 被爆前後 | |||
| ガイド 「被ばく前後」の聞き取りについて 山口響 15 原爆後の西町近辺のこと 池田早苗 16 原爆後の浦上 榊安彦 22 三菱造船近くでの暮らし 森口貢 32 私の進駐軍体験 川野浩一 37 被爆後、師範学校を卒業し、中学教師に 築城昭平 43 私の被爆体験と戦中・戦後 井原東洋一 48 軍国少年時代と茂木町での原爆体験 山本誠一 55 解説 被爆前後の長崎 新木武志 58 |
|||
| 2 被爆者5団体 ガイド 「被爆者5団体」の聞き取りについて 新木武志 70 長崎被災協の現在 田中重光 72 被爆者相談活動の現場で 横山照子 80 長崎原爆遺族会を受け継いで 本田魂+中村俊介 88 被爆者運動、友の会 井原東洋一 94 労働者として、被爆者として 川野浩一 101 長崎県被爆者手帳友愛会の活動に取り組み続けて 永田直人+野口晃 107 コラム 被爆地域の変遷と被爆者 中尾麻伊香 112 解説 長崎の被爆者運動と被爆者5団体 新木武志 114 |
|||
| 3 被爆者運動・平和運動・平和行政 ガイド 「被爆者運動・平和運動・平和行政」の聞き取りについて 山口響 130 被爆者との出会い 高橋眞司 132 被爆地域拡大運動 東長崎地区を中心に 井原東洋一 139 被爆未指定地域からの被爆者運動 山本誠一 145 被爆「体験者」とともに闘う 本田孝也 152 平和行政の始まりに立ち会う 田崎昇 159 長崎の被爆遺構に向き合って 中村明俊 167 解説 反核・平和運動と長崎 新木武志 174 |
|||
| 4 証言・記録運動 ガイド 「証言・記録運動」の聞き取りについて 四條知恵 186 「ナガサキの被爆者」の声を聴く 西村豊行 188 長崎の証言の会設立のころ 廣瀬方人 199 証言写真集 被爆者を撮るということ 村里榮+黒崎睛生 203 被爆写真とともに生きて 深堀好敏 217 『ドンが聞こえなかった人々』の出版 豆塚猛 223 コラム 長崎の被爆者証言案内 山口響 229 解説 長崎原爆の証言と記録 新木武志 233 |
|||
| 5 被爆者調査 ガイド 「被爆者調査」の聞き取りについて 中尾麻伊香 246 被爆体験とABCC職員としての日々 大串康隆 248 終わらない原爆後障害とともに 朝長万左男 253 被爆者のデータ解析と資料保存に携わって 三根眞理子 262 長崎での被爆者調査に参加して 濱谷正晴 267 長崎での被爆者調査と平和研究 髙橋眞司 274 解説 長崎の被爆者調査 新木武志 279 |
|||
| 6 平和教育運動 ガイド 「平和教育運動」の聞き取りについて 山口響 291 被爆教師の会を設立する 築城昭平 292 教科教育と平和教育 森口正彦 299 解説 長崎の平和教育運動 新木武志 307 |
|||
| 第2部 資料調査報告 | |||
| 1 資料調査 第2部 資料調査報告の概要 320 アンケートまとめ 長崎の団体が所蔵する資料 322 長崎原爆資料館 330 爆心地復元の原資料 浦上キリシタン資料館の場合[岩波智代子] 338 岡まさはる記念長崎平和資料館[崎山昇] 344 長崎県被爆者手帳友の会 348 長崎市婦人会[国武雅子] 349 真宗大谷派九州教区長崎教務支所 354 |
|||
| 2 主な資料群 渡辺千恵子氏関係資料の紹介 1950年代中期 第2回原水禁世界大会前後 358 長崎原爆被災者協議会資料調査の現状 資料紹介をかねて 384 鎌田・川崎資料 396 内田伯資料 398 |
|||
| 403 | あとがき 木永勝也 | ||
| 415 | 編者略歴 | ||
| 414 | 索引 | ||
止
広島花幻忌の会 発会:2000年9月3日
資料年表:広島花幻忌の会<作業中>
| 年月日 | 事項 | メモ |
| 2000 | ||
| 0903 | 広島花幻忌の会、発会式。 | C |
| 2001 | ||
| 0310 | 広島花幻忌の会主催「 原民喜没後50周年シンポジウム」。於広島原爆資料館。 | C |
| 2002 | ||
| 0313 | 『雲雀 創刊号』(広島花幻忌の会) | G |
| 1115 | 『雲雀 第2号』(広島花幻忌の会) | G |
| 2003 | ||
| 0601 | 『雲雀 第3号』(広島花幻忌の会) | G |
| 2004 | ||
| 0313 | 『雲雀 第4号』(広島花幻忌の会) | G |
| 2005 | ||
| 0806 | 『雲雀 第5号』(広島花幻忌の会) | G |
| 2006 | ||
| 0425 | 『雲雀 第6号』(広島花幻忌の会) | G |
| 2007 | ||
| 0731 | 『雲雀 第7号』(広島花幻忌の会) | G |
| 2008 | ||
| 0731 | 『雲雀 第8号』(広島花幻忌の会) | G |
| 2010 | ||
| 0901 | 『雲雀 第号』(広島花幻忌の会) | G |
| 2011 | ||
| 1101 | 『原民喜初期作品集 死と夢 幼年画』(原民喜、広島花幻忌の会) | |
| 2020 | ||
| 0726 | 『近状通信 「広島花幻忌の会」会報 第71号』(広島花幻忌の会) | |
| 1017 | 『近状通信 「広島花幻忌の会」会報 第73号』(広島花幻忌の会) | |
| 2021 | ||
| 0221 | 『近状通信 「広島花幻忌の会」会報 第74号』(広島花幻忌の会) | G |
| 1030 | 『近状通信 「広島花幻忌の会」会報 第75号』(広島花幻忌の会) | G |
| 2022 | ||
| 0312 | 『近状通信 「広島花幻忌の会」会報 第76号』(広島花幻忌の会) | G |
| 0731 | 『近状通信 「広島花幻忌の会」会報 第77号』(広島花幻忌の会) | G |
| 1015 | 『近状通信 「広島花幻忌の会」会報 第78号』(広島花幻忌の会) | G |
| 2023 | ||
| 0226 | 『近状通信 「広島花幻忌の会」会報 第79号』(広島花幻忌の会) | G |
| 0801 | 『近状通信 「広島花幻忌の会」会報 第81号』(広島花幻忌の会) | G |
| 1022 | 『近状通信 「広島花幻忌の会」会報 第81号』(広島花幻忌の会) | G |
止
資料年表:広島市文化協会
| 年月日 | 事項 | 備考 |
| 2005 | ||
| 0820 | 『文学がヒロシマになしうること-その過去・現在・未来-』(広島市文化協会) | |
| 2007 | ||
| 1101 | 『真樹 第78巻第11号』(真樹社) | |
| 広島市文化協会文芸部会の事業協賛金の拠出者芳名……60 | ||
| 2008 | ||
| 1201 | 『真樹 第79巻第12号』(真樹社) | |
| 田村英一郎「広島市文化協会文芸部会総会の記 44 | ||
| 2009 | ||
| 0425 | 『掘り起こす広島の文芸 大正デモクラシーから終戦まで』(広島市文化協会文芸部会編・刊) | |
| <作業中> | ||
| 2013 | ||
| 1027 | 『占領期の出版メディアと検閲(プレスコード) 戦後広島の文芸活動』(著者 広島市文化協会文芸部会編、勉誠出版) | |
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『いまに問うヒバクシャと戦後補償 【市民講座】いまに問う』(高橋博子・竹峰誠一郎責任編集、凱風社、20061020)
内容
| 1 | 二一世紀における平和秩序の構築を求めて | |
| 今こそ、原爆(核兵器)と劣化ウラン兵器の禁止・廃絶を! 木村朗 6 | ||
| 2 | <シンポジウム:主催=グルーバルヒバクシャ研究会> 未来の戦後補償 広島・長崎原爆、東京大空襲、重慶爆撃をむすぶ 23 |
|
| ●一日でも早く援護行政改革を 原爆症認定訴訟 田中熙巳 25 ●「受忍論」の突破をめざして 民間の空襲犠牲者訴訟 星野ひろし 36 ●加害意識を曇らせた「空からのテロル」重慶爆撃・中国人被害者対日訴訟 前田哲男 48 ◆被害者の立場で戦争責任を追及する意味<パネリストの発言を受けて>内藤雅義 60 ◆ドレスデンと東京・重慶を結ぶもの<パネリストの発言を受けて>柳原伸洋 63 【略年表】被爆者運動のあゆみ 66 |
||
| 3 | 原爆症認定集団訴訟が問いかけるもの | |
| 残留放射線による内部被曝の影響 沢田昭二 69 | ||
| 4 | ビキニとヒロシマ・ナガサキをつなぐ | |
| グルーバル・スケールの汚染とABCC 竹峰誠一郎 82 | ||
| 5 | <写真が語る>ビキニの「あの時」そして「現在」 | |
| クロスロード作戦から六〇年によせて 高橋博子・竹峰誠一郎 90 | ||
| 6 | <写真が語る>ニュークリア・レイジズム | |
| 核による人種差別 豊崎博光 106 | ||
| 7 | チェルノブイリ原発事故二〇年 | |
| 地域社会がまるごと消滅 今中哲二 118 | ||
| 8 | 放射能の脅威は我らが生活の間近かに迫る | |
| 映画「六ケ所村ラプソディー」の制作に取り組んで 鎌仲ひとみ 130 | ||
| 9 | ヒロシマからウラン兵器禁止を訴える | |
| 「ウラン兵器禁止を求める国際連合」国際大会報告 振津かつみ 141 | ||
| 10 | 隠されたヒロシマ・ナガサキの実相 | |
| 民間防衛計画(国民保護計画)にみる核対策 高橋博子 153 | ||
| あとがき 162 | ||
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『オバマ大統領がヒロシマに献花する日 相互献花外交が歴史和解の道をひらく』(松尾文夫、小学館、20090808)
内容
| 章 | |||
| プロローグ 戦争を知る最後の世代として | |||
| 2005年の提案/ドレスデンとの出会い/福井空襲生き残りの原体験/こだわりの旅の記録 | |||
| 1 | 「道義的責任」のインパクト | ||
| 四者論文の影響力/レーガンの遺産/ブッシュ大統領も「興味深い」/幻の小泉アリゾナ記念館訪問/河野議長外交の成果 | |||
| 2 | ドレスデンという発信地 | ||
| ついに現地入り/五十周年追悼行事のエネルギー/コベントリーとの連帯/石の文化を考え込む/生存者登場/今、ネオーナチの脅威/「歴史実験室」 | |||
| 3 | コベントリー、ゲルニカ、ケルン | ||
| ヒトラー暗殺未遂計画との縁/コベントリーからの和解/釘十字架運動/三国同盟の原点、ゲルニカ/赤裸々な証言と謝罪/東京にも独自の追悼施設を | |||
| 4 | アメリカとのすれ違い | ||
| ドーリットル機副操縦士との対面/ミッドウェーの敗北を誘発/東篠首相とすれ違い/中国人通訳が名誉隊員/ルメイヘの勲章に絶句/中国で五つ星の歓迎/「進駐軍」がウケた英訳本ツアー/松本重治氏の戦い/消えた幻の松本記事/硫黄島に見た「すれ違い」の悲劇/ アメリカをよく知っていた栗林司令官 |
|||
| 5 | ドイツと日本、これだけの違い | ||
| いまだに強制収容所看守を告発/東京大空襲訴訟に注目を/強制労働補償も完了、日本へのはね返り?/共通歴史教科書の重み/受忍論の呪縛/公務員試験にも受忍論 | |||
| エピローグ 相互献花外交の推進 | |||
| 北朝鮮、ロシアとの献花も/南京献花も考えよう/スタンフォードからの重いメッセージ/オバマ大統領、ドレスデンを公式訪問 | |||
| あとがき | |||
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資料年表:トルーマン米大統領 <作業中>
| 年月日 | 事項 | 備考 |
| 1884 | ||
| 0508 | 誕生 | |
| 1945 | ||
| 0412 | 第33代アメリカ合衆国大統領就任。~1953年1月20日。 | |
| 0806 | ||
| トルーマン「原子爆弾に関する声明」 | ||
| 1957 | ||
| 0706 | トルーマン図書館落成。Welcome to the Harry S. Truman Presidential Library and Museum | Harry S. Truman (trumanlibrary.gov) | |
| 1958 | ||
| 0203 | 『中国新聞(夕刊)』 | |
| トルーマン前米大統領談話(2月2日CBS(コロンビア放送)のテレビ番組「いまこそ見よ」の中) | ||
| 0205 | 広島県原水協常任理事会 | |
| 0206 | 広島県被団協緊急理事会 | |
| 0207 | 大原広島県知事談話 | |
| 0207 | 渡辺広島市長談話 | |
| 0213 | 広島市議会抗議声明 | |
| 0301 | トルーマン前米大統領宛任都栗司書簡(1958年3月1日付) | |
| Correspondence between Tsukasa Nitoguri and Harry S. Truman | Harry S. Truman (trumanlibrary.gov) | ||
| 1964 | ||
| 0505 | 広島・長崎世界平和巡礼団。トルーマン元米大統領と会見。 | C |
| 1972 | ||
| 0331 | 『原子雲を越えて-各国首脳との核停交渉記録』(上田貞治著、全国日本学士会) | |
| 3. トルーマン元大統領へ公開質問状提出 27 1.“原爆投下人道上無視できず 良心の苛責を感じないか” 27 2.さっそく自筆の返書 34 |
||
| 0331 | 『広島県史-原爆資料編』(広島県) | |
| 第四部 原爆に対する国際的反応 Ⅰ 戦時下の外国情報 一 トルーマン声明 653 |
||
| 1226 | 死亡。享年88歳。 | |
| 1974 | ||
| 1101 | 『世界連邦 その思想と運動』(田中正明著、平凡社) | |
| 第3章 国際連合への挑戦――運動の第2期―― 「トルーマン運動」 170 |
||
| 1975 | ||
| 0510 | 『ポツダム会談 日本の運命を決めた17日間』(チャールズ・ミー著、大前正臣訳、徳間書店) | |
| 第1章 トルーマン 21 | ||
| 1981 | ||
| 0330 | 『アメリカ外交の系譜 トルーマンからカーターまで』(八木勇著、朝日新聞社) | |
| トルーマン・ドクトリン 11 米国外交の転回点か 12 急速に深まる対ソ不信 12 ケナンの「長文の電報」 16 対ソ強硬政策への転換 18 ギリシャ、トルコの情勢 20 モンロー・ドクトリンの殻を破る 21 始動するトルーマン・ドクトリン 23 徹底した反ソ、反共主義 25 X論文「ソ連の行動の源泉」 26 マーシャル・プラン 28 東西両陣営への分裂 30 バターから大砲へ 32 |
||
| 1992 | ||
| 0420 | 『トルーマン回顧録 Ⅰ』『トルーマン回顧録 Ⅱ』(ハリー・S・トルーマン著、堀江芳孝訳、加瀬俊一監修、恒文社) | |
| 2012 | ||
| 0804 | クリフトン・トルーマン・ダニエル(トルーマン・アメリカ大統領の孫)、広島市を訪問(初) | C |
止
資料年表:アイゼンハワー米大統領 <作業中>
| 年月日 | 事項 | 備考 |
| 1890 | ||
| 1014 | 誕生 | |
| 1961 | ||
| 0120 | 第35代アメリカ合衆国大統領就任。~1969年11月22日。 | |
| 1969 | ||
| 0328 | 死亡。享年78歳。 | |
| 1981 | ||
| 0330 | 『アメリカ外交の系譜 トルーマンからカーターまで』(八木勇著、朝日新聞社) | |
| アイゼンハワー・ドクトリン 35 時代の要請 36 不気味な中東情勢 38 中東特別教書-危険な白紙委任状 40 石油権益の確保 44 銘複雑な内外の反応 45 レバノンの政治危機 47 武力のデモンストレーション 48 国連監視団の派遣 50 レバノン出兵 52 アラブ・ナショナリズムの過小評価 54 |
||
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