『月刊中国』(中国新聞社刊)
| 創刊号 1946年5月1日 |
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| 原子爆弾記念号 1946年5月1日 |
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『月刊中国』(中国新聞社刊)
| 創刊号 1946年5月1日 |
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| 原子爆弾記念号 1946年5月1日 |
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奈良県立医学専門学校
| 「原子爆弾ニ依ル白血球減少症ノ報告」(1945年9月1日) |
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| 「原子爆弾ニ依ル白血球減少症ノ報告(続報)」(1945年10月1日) |
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| 京都大学原子爆弾災害総合研究調査班資料 |
『原水爆禁止世界大会広島ニュース 第1号』(1955年6月15日)
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平和と学問を守る大学人の会編『原爆と広島-大学人会研究論集第1集』(広島県教職員組合事業部、1954年12月10日)
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内容
| TITLE | AUTHOR |
| 原爆と広島-序にかえて | 佐久間澄 |
| 水爆と世界政治 | 今中次麿 |
| 原・水爆への態度-一心理学者の原爆研究ノートより | 久保良敏 |
| 原爆影響の社会学的調査 | 中野清一 |
| 原爆孤児 | 森滝市郎 |
| 原爆障害に悩む人びと | 原田東岷 |
| 「文芸作品に表れた原爆」序説-小説・記録篇 | 大原三八雄 |
| 石材と屋根瓦の被害からみた原子爆弾 | 小島丈児 |
| 原子爆弾の基礎的事実と日本の原子力問題 | 町田茂・庄野博允 |
| 編集後記 | 竹山晴夫 |
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ビキニ水爆と原対協の動き<作業中>
| 1 | 広島市建設促進協議会の活動 | |
| 2 | 政府、国会への陳情と関係者の視察 | |
| 3 | 市民署名運動の展開 | |
| 4 | 原爆資料展の東京開催 | |
| 5 | 政府予備費支出(昭和29年度) | |
| 6 | 政府、調査研究費を予算計上(昭和30年度) | |
| 7 | 治療研究の成果 | |
| 8 | 「原爆乙女」の渡米治療 | |
| 9 | 原爆病院の設立 | |
出典:「5 占領解除後の原爆後障害対策」『広島原爆医療史』(広島原爆障害対策協議会、1961年8月6日刊)
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原爆裁判<『中国百年 第3部 重い軌跡』所収>
| 頁 | ||
| 243 | 戦勝国の不正義 | |
| / 隠されていた実相/わき上がる怒り/”正義漢”岡本弁護士/父親と激しい議論/ | ||
| 246 | 歌集『人類』 | |
| /人類の運命/ナンポリア記者来訪/訴訟理論の究明/ | ||
| 249 | 「原爆民訴或問」 | |
| /平和への寄与/原爆被害者の会に依頼/平和条約第19条/ | ||
| 251 | 原爆損害求償同盟発足 | |
| /30万円を寄付/少ない賛成者/米国の反響/日弁連の調査委員会/岡本さんのいらだち/三浦弁護士も意見書/ | ||
| 256 | 失望 | |
| /提訴の利害得失/外交の根底に被爆体験を/米からの反対の返事/屈しない岡本さん/ | ||
| 259 | ビキニ事件 | |
| /高まる原水禁運動/同盟の規約改正/良心的な弁護士/ウイリン氏の返事/最低2万5千ドル/米での裁判を断念/ | ||
| 264 | 火の玉 | |
| /まくら元にノート/軍司令部にどなり込む/ | ||
| 267 | 未知への挑戦/ | |
| /新しい理論の創造/法律とは何か/古野弁護士の弔辞 /死んでわかったえらさ/ | ||
| 269 | 原告たち | |
| /慰謝料20万円/5人の子供失う/ 一人生き残る/みなし子/妻子全滅/ | ||
| 272 | ゆがんだ社会 | |
| /多田さんの手記/入浴も断られる/夫が家出/20年目の真相/原爆被害者の勇気 | ||
| 277 | 訴状 | |
| /17項目の請求要因/原爆の人的被害/トルーマン声明/ヘーグ陸戦条約/国際法の立法精神/米の責任は明白/ | ||
| 282 | 賠償請求の権利 | |
| /二つの見解/調和の道/侵害された財産権 / | ||
| 284 | 食い足りぬ答弁書 | |
| /請求棄却求める/賠償義務の否認/”政治問題” / | ||
| 286 | 政府の議声明 | |
| /被告の釈明を要求/「人類文化に対する罪状」/「交戦国としての抗議」 / | ||
| 289 | 二つの論理 | |
| /原告の主張/被告の反論/法相の申し送り事項 /仕事の鬼/ | ||
| 291 | 後継者 | |
| /学徒出陣で北支へ/岡本さんとの出会い/ 原水禁大会に参加/ | ||
| 294 | 国際法違反で一致 | |
| /国際法に苦労/3人の鑑定人/ 害的手段の制限禁止//不必要な苦痛/高野説に反対/田畑教授の見解/ | ||
| 298 | 三鑑定人の解釈 | |
| /国家代行が原則/権利を放棄した政府/ 高野、田畑説/追及する羽仁議員/強者の論理/ | ||
| 303 | 裁判官の怒り | |
| /主文はあと回し/国家の破壊力と殺傷力/ 規定のない新兵器/防守と無防守の区別/違法な戦闘行為/軍事目標と非軍事目標/キメ細かい違法性の立証/トルーマンに責任なし/”東京裁判”の論理/個人にない請求権/異例の感想/8年7カ月の歳月/ | ||
| 313 | あふれた真情 | |
| /さまざまな反響/被爆者の声を代弁/真の争点だけを考察 /人類絶滅の警鐘 | ||
| 316 | 回想と反省 | |
| /真正面からの判断/「提携が不十分」/ | ||
| 318 | 戦後は終わらない | |
| /恵庭事件/衆参両院の決議/被爆者の苦しみ/救いの手を待ちながら/法廷内論争に終始 / | ||
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2024年3月(日録)
| 日 | できごと |
| 01 | ヒロシマ遺文への投稿=「歴史と民族の発見」、「2024年3月(日録)」 |
| 02 | ヒロシマ遺文への投稿=「原爆裁判<『中国百年 第3部 重い軌跡』所収>」 |
| 03 | [日]ヒロシマ遺文への投稿=「ビキニ水爆と原対協の動き」 |
| 04 | ヒロシマ遺文への投稿=「原爆と広島-大学人会研究論集第1集」 |
| 05 | ヒロシマ遺文への投稿=「原水爆禁止世界大会広島ニュース 第1号(1955年6月15日)」 |
| 06 | ヒロシマ遺文への投稿=「原子爆弾ニ依ル白血球減少症ノ報告(奈良県立医学専門学校 )」、「月刊中国」 |
| 07 | |
| 08 | ヒロシマ遺文への投稿=「原子爆弾ニ依ル広島戦災医学的調査報告(1945年11月)2024年3月7日」 |
| 09 | ヒロシマ遺文への投稿=「終戦記録-議会への報告書並に重要公文書輯」、「終戦の前夜-秘められたる和平工作の諸段階」 |
| 10 | [日]ヒロシマ遺文への投稿=「太平洋戦争史-奉天事件より無条件降伏まで」、「終戦の表情 鈴木貫太郎述」、「原子力時代に於ける基督教-新島講座記念論文集」 |
| 11 | ヒロシマ遺文への投稿=「資料年表:宇吹ヤス」 |
| 12 | ヒロシマ遺文への投稿=「マッカーサー」、「南加州広島系人住所録 1963」。 |
| 13 | 自宅のパソコンが壊れる。 |
| 14 | |
| 15 | |
| 16 | |
| 17 | [日] |
| 18 | |
| 19 | パソコン修理依頼のためデオデオ呉店へ。パソコンの基盤の修理は扱えないとのこと。広島市内のパソコン修理・データ復旧専門店へ。 |
| 20 | パソコンのデータ復旧完了。パソコン修理料金=3万8500円。 |
| 21 | 修理の終ったパソコンの設置・設定作業。 |
| 22 | 修理の終ったパソコンの設置・設定作業。 |
| 23 | ヒロシマ遺文への投稿=「児玉正昭」 |
| 24 | [日]ヒロシマ遺文への投稿= |
| 25 | ヒロシマ遺文への投稿=「恒久平和論」、「愛国伝書鳩の飼方」 |
| 26 | ヒロシマ遺文への投稿=「広島市防空計画<1941年>」 |
| 27 | ヒロシマ遺文への投稿= |
| 28 | ヒロシマ遺文への投稿=「非核の政府を求める広島の会ニュース2023年・第128~129号」。 |
| 29 | ヒロシマ遺文への投稿=「非核の政府を求める広島の会ニュース2022年・第12?~127号 | ヒロシマ遺文 (hiroshima-ibun.com)」。 |
| 30 | ヒロシマ遺文への投稿= |
| 31 | [日]ヒロシマ遺文への投稿「帝国議会に対する終戦経緯報告書」 |
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石母田正『歴史と民族の発見 歴史学の課題と方法』(東京大学出版会、19520305)
内容
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『ヒロシマの『河』 劇作家・土屋清の青春群像劇』(土屋時子・八木良広編、藤原書店、20190806)
内容<作業中>
| まえがき 土屋時子 1 | ||||
| Ⅰ | 土屋清とはどのような人物か 15 | |||
| 土屋時子 | 土屋清・・・ 昭和の闇と光を生きた劇作家 17 | |||
| 無名の人生 17/ 生い立ち 18/ 予科練・十四歳の挫折 20/ 思春期・占領下の別府 23/ 地下活動家という放浪者 25/ 大分から福岡へ 25/ 福岡から熊本へ 27/ 熊本から牛深へ 28/ 九州から広島へ 30/ 「広島民衆劇場」の研究生として 31/ 「劇団」を立ち上げる 32/ 創作劇『河』の誕生 34/ 小野宮吉戯曲平和賞のこと 36/ 『河』とその後の劇団活動 37/ 劇団とは何か 38/ 限りある命の日々 42/ 見果てぬ夢なれど 44/ |
||||
| 土屋清 | 『河』と私(一九七二年) 49 | |||
| 土屋清 | 峠三吉のこと、『河』への思い 講演原稿メモから(一九七四年) 53 | |||
| 第一の動機 峠三吉のことなど 53/ 第二の動機 「炎の時代」の意味 58/ 叙事と叙情について 65/ 第三の動機 政治と芸術 68 |
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| 尊大なリアリズムから土深いリアリズムへ 私にとって西リ演史 (一九八四年) 土屋清 70 はじめに 70 一 戦後史認識について 71 二 政治と芸術について 83 三 叙事と叙情について 136 あとがき 138 |
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| 〈資料1〉土屋清略年譜(1880-1988) 140 | ||||
| Ⅱ | 『河』とはなにか 145 | |||
| 八木良広 | 『河』とはなにか、その軌跡 147 | |||
| 一 『河』公演の変遷 147 二 『河』が断続的に上演されてきた理由 157 三 土屋清が描こうとした『河』の世界 160 |
||||
| 池田正彦 | 歴史の進路へ凛と響け 土屋清の青春 169 | |||
| 一『河』がめざしたもの 叙事と叙情 170 二 「われらの詩の会」と「日鋼争議」 173 三 平和運動の分裂と『河』 189 |
||||
| 〈資料2〉『河』上演記録 194 | ||||
| 土屋さんの怒鳴り声(1978年)池辺晉一郎 196 土屋清の頑固なナイーブ(1988年) 広渡常敏 198 土屋清の闇の深さについて(1988年) 広渡常敏 200 “風のように炎のように”生きた原爆詩人・峠三吉の姿を通して(2015年) 林田時夫 203 |
||||
| Ⅲ | 土屋清の語り部たち 『河』を再生・生成すること 207 | |||
| 水島裕雅 | 土屋清の時代と『河』の変遷、そして今 209 | |||
| はじめに 209 『河』が書かれた時代 210 『河』の初稿と第四稿の違い 説明から観客の参加へ 212 そして今 再び核戦争の危機に直面して 214 |
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| 笹岡敏紀 | 今、私の中に甦る『河』労働者として生きた時代と重ねて 217 | |||
| はじめに 217 若き日の私と『河』 川崎の地で上演された『河』 218 時代と格闘した土屋清 そのリアリズム演劇論を読んで 219 『河』との再びの出会い2018年「京都公演」を観る 222 |
||||
| 三輪泰史 | 『河』京都公演に思う 半世紀の時をこえて 224 | |||
| 1970年前後 大阪の夜学生を魅了した舞台 224 2018年の京都公演 『河』との再会 226 京都公演の今日的意義 229 補論あるいは断り書き 231 |
||||
| 永田浩三 | 『河』、そのこころはどう引き継がれたのか 占領期のヒロシマを振り返って 234 |
|||
| 自由な表現の場の登場と新たな弾圧 234 抵抗の中で詩が生まれ、絵が生まれ、声が結集した 237 朝鮮戦争に抗い、声をあげる 239 峠たちのこころは、どう引き継がれたのか 241 |
||||
| 四國光 | 『河』と詩画人・四國五郎 243 | |||
| 『河』の中の四國五郎 243 峠三吉と四國五郎 言論統制下の反戦活動 247 四國五郎にとっての『河』 251 市民運動としての『河』 今、何を『河』から学ぶべきか 254 |
||||
| 大牟田聡 | 『河」、もうひとつの流れ 峠三吉とともに歩んだ人びと 256 | |||
| 『この世界の片隅で』 256 『河』で描かれた時代 257 もうひとつの『河』 259 再び『この世界の片隅で』 261 |
||||
| 趙博 | 今日も流れる「川」と『河』被爆のサブカル化に抗して 263 | |||
| 「広島の川」と『河』 263 脱色される「葛藤」と『河』 267 |
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| 中山涼子 | 林幸子の詩「ヒロシマの空」にこめられたもの 270 | |||
| 武器になる詩を探して 峠と市河 271 本当のこと 273 |
||||
| Ⅳ | 『河』上演台本(2017年) 279 | |||
| 池田正彦 | あとがき 353 | |||
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資料年表:甲斐英男
| 年月日 | 事項 | 備考 |
| 1927 | ||
| 1120 | 生 | |
| 1980 | ||
| 0918 | 『広島, 全2巻〈歴史と文化〉〈史蹟郷土史〉』(講談社出版研究所著、講談社) | |
| 第一部 広島県の歴史 九、幕末動乱と広島県の成立 甲斐英男 131 |
||
| 1983 | ||
| 0825 | 『広島県の百年 県民百年史34』(有元正雄、天野卓郎、甲斐英男、頼祺一著 山川出版社) | |
| 1985 | ||
| 0117 | 『甲斐英男先生山陽新聞賞受賞記念 講演とディナーの夕べ』(「アンデルセン」6階ホール、1985年1月17日) | |
| 1986 | ||
| 0331 | 『広島市公文書館紀要 第9号』(広島市公文書館) | |
| 軍都広島の都市経営と宇品-広島市会の論議を中心に-(甲斐英男) 29 | ||
| 1989 | ||
| 0206 | 没。享年61歳 | |
| 0331 | 『広島市公文書館紀要 第12号』(広島市公文書館) | |
| 渡辺則文「甲斐英男運営委員の逝去を悼む」 123 | ||
| 0601 | 『追悼 甲斐英男先生』(『追悼甲斐英男先生』出版世話人<渡辺則文・天野卓郎・有元正雄>) | |
| 2016 | ||
| 03 | 『広島市 甲斐英男氏蒐集文書仮目録』(広島県立文書館) | |
甲斐英男
| かい・ひでお | 19271120生19890206没 | 享年61 | 広島県史編さん室時代の上司。 |
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