年表:レイノルズ夫妻

年表:レイノルズ夫妻<作業中

Y M D NEWS1
51 6 24 アール・レイノルズ(人類学者)、ABCC顧問として来広。
52 8 12 第7回日本公衆衛生学会(於札幌)で、ABCCのレイノルズ博士、被爆児童の発育調査結果報告。
56 11 3 バーバラ・レイノルズ、初めて広島を訪れる。(「ヒロシマ巡礼」)
58 6 11 レイノルズ一家のヨット「フェニックス号」、米のエニウェトク核実験に抗議するため、米ホノルル港を出港。広島の三上仁一も参加。23日、アメリカ沿岸警備隊の監視船に停船を命じられる。(「ヒロシマ巡礼」)
60 6 9 レイノルズ一家のヨット「フェニックス号」、横浜港に入港。
60 8 6 「原爆の子追悼のつどい」(第3回)、広島市平和公園の原爆の子の像の前で開催。約200人が参列。レイノルズ夫妻も。
61 8 9 原水禁世界大会出席の米国代表団「代表団員のアール・レイノルズ博士(広島女学院大客員教授)を代表団から除名する」と発表。7月30日、広島で開かれた全労系の原水禁全国討論会で日本原水協を批判したのが理由。
61 8 9 レイノルズ、記者会見で語る。「原水協にたいする一番大きな不満はアメリカや西欧陣営の核武装だけを問題にして、ソ連や中国にたいしてはなにもふれないことだ」
61 8 12 東京新聞「原水禁運動に望む-真正の平和集会を-目標失った原水協」(E・レイノルズ)
61 8 15 アール・レイノルズ、核兵器禁止・平和建設国民大会(東京)に特別来賓として出席し、これまでの原水禁運動を批判。
61 9 6 アール・レイノルズ(広島女学院大客員教授)、ソ連の核実験に抗議するためウラジオストックヘ抗議航海する計画を発表。
61 9 8 朝日新聞「こんどはソ連へ-レイノルズ博士、核実験に抗議-家族同伴ヨット航海で」
61 9 09? アール・レイノルズ、広島に国際平和科学研究所を設立する計画を発表。
61 9 19 ソ連核実験抗議のためウラジオストクへ向かうレイノルズ一家の壮行激励会、流川教会牧師・谷本清の提唱により広島平和公園で開催。広島市原爆被爆者協議会・広島青年連合会・全労地方会議・広島県宗教連盟など11団体から約150人が参加。(「ヒロシマ巡礼」)
61 9 21 中野清一広島大学政経学部長・谷本清流川教会牧師、レイノルズにソ連核実験抗議航海を思いとどまるよう説得。
61 9 22 法務省、旧ソ連の核実験抗議のためウラジオストクに向かうレイノルズの再入国申請を拒否。
61 9 24 フェニックス号、ソ連ヘ。アール・レイノルズ一家、ソ連核実験に抗議するためヨットでウラジオストックヘ向け広島港を出帆。市民500人が見送り。
61 10 7 メアリー・マクミラン、桑原英昭、谷本清ら30人、レイノルズを支援する「フェニックス会」を結成。
61 10 29 レイノルズの核実験抗議船〃フェニックス号〃ナホトカ入港を拒否され博多港に帰港。
61 11 12 レイノルズ夫妻ら、広島市に帰る。
61 11 15 アール・レイノルズ、核兵器禁止・平和建設国民会議の結成大会に出席し挨拶。(産経)
61 12 25 バーバラ・レイノルズ夫人と長女ジェシカ、原爆の子の像の前で平和祈念断食を行なう。
62 1 22 レイノルズ夫妻、「ヒロシマ平和巡礼計画」を発表。
62 2 4 ヒロシマ平和巡礼代表に松原美代子、英宏昌決まる。[レイノルズ]
62 3 10 「ヒロシマ平和巡礼」のバーバラ・レイノルズ、松原美代子、英宏昌、広島を出発。13日、羽田を出発。(「ヒロシマ巡礼」)
62 3 19 「ヒロシマ平和巡礼」のバーバラ・レイノルズ、松原美代子、英宏昌、米サンフランシスコに到着し、記者会見。
62 4 11 ヒロシマ平和巡礼、国連本部で米ソ代表に核兵器禁止を訴える。[レイノルズ]
62 4 11 「ヒロシマ平和巡礼」の松原美代子、英宏昌、米ニューヨークの国連本部を訪れ、バンチ事務次官らに核実験禁止への努力を要請。[レイノルズ]
62 4 23 英核兵器廃止運動主催の大行進、ロンドンに到着。野外大会で、「ヒロシマ平和巡礼」の松原美代子、英宏昌が挨拶。[レイノルズ]
62 4 30 「ヒロシマ平和巡礼」の松原美代子、英宏昌、ジュネーブに到着。[レイノルズ]
62 5 1 平和巡礼の広島原爆被災者松原美代子・英宏昌, 18カ国軍縮会議開催中のジュネーブでゾーリン・ソ連代表と会見. 広島平和行進委員会のメッセージを手渡す.[レイノルズ]
62 5 2 平和巡礼、米代表にも核実験停止を訴える。11日のタス通信, メッセージが軍縮委の公式文書として配布されることになったと報道.[レイノルズ]
62 5 26 広島平和巡礼委員会、タイム誌に抗議電報。[レイノルズ]
62 6 19 「ヒロシマ平和巡礼」のバーバラ・レイノルズ、松原美代子、英宏昌、共産圏諸国に向けストックホルムを出発。(「ヒロシマ巡礼」)
62 7 27 「ヒロシマ平和巡礼」の松原美代子、英宏昌、広島に帰る。[レイノルズ](「ヒロシマ巡礼」)
62 7 29 ヒロシマ平和巡礼、広島に帰る。ソなど14カ国訪問。[レイノルズ]
62 8 3 ヒロシマ平和巡礼報告会。広島市・平和記念館で。[レイノルズ]
62 9 3 アール・レイノルズ広島女学院大学客員教授、エブリマン3号でソ連核実験に抗議するため広島を出発。
63 10 8 広島・長埼世界平和巡礼実行委員会開く。委員長原田東岷、副委員長バーバラ・レイノルズ決まる。
64 1 8 広島・長崎世界平和巡礼実行委員会(原田東岷委員長)、4月の世界平和巡礼第2陣のメンバーを決定。志水清広大原医研教授ら4人。[レイノルズ]
64 1 17 広島・長崎世界平和巡礼団の広島関係メンバー決まる。志水清(広島大学教授)ら15人。[レイノルズ]
64 3 28? 世界平和巡礼が携行する英文『原爆被害の実相』完成。[レイノルズ]
64 4 11 広島市キリスト教連合婦人会と日本基督教婦人矯風会広島支部員ら20人、平和巡礼資金の街頭募金を広島市内で実施。-12日。[レイノルズ]
64 4 16 第2回広島・長崎世界平和巡礼団、広島を出発。(21日羽出発)。広島市・平和記念館で結団壮行式。松本卓夫団長、団員:バーバラ・レイノルズ、松原美代子、小佐々久仁子、庄野直美、副島まち、森下弘、阿部静子、高原弘子、吉田チエ、河本時恵、満井晟(中国新聞記者)ら40人。2カ月をかけ、欧米・ソ連などを回る予定。(「ヒロシマ巡礼」)
64 4 20 平和巡礼団庄野直美(広昆女学院大学教授)の米国入国査証交付が保留。[レイノルズ]
64 4 29 米、平和巡礼団庄野直美に入国査証発行。[レイノルズ]
64 5 5 平和巡礼団が米ミズリー州インデペンデン市で、トルーマン元米大統領と会見。「広島、長崎両市の代表に会えてうれしい。二度と悲劇の起きないことを心から望む。あのときは原爆投下の決定をくださざるをえなかった。[レイノルズ]
64 5 28 平和巡礼団、米上下両院合同原子力委員会で訴える。「いかなる理由があろうとも原水爆の使用は許せない。原子力は人類の繁栄のために使ってほしい」[レイノルズ]
64 6 11 平和巡礼団、ウ・タント国連事務総長と会見。国連放射能科学研究所が原爆の影響を研究するよう要望。[レイノルズ]
64 6 11 広島・長崎世界平和巡礼団、国連ウ・タント事務総長に,国連が原爆被災者の実態を調査し,その結果を世界に知らせるよう要望.[レイノルズ]
64 6 26 広島・長崎世界平和巡礼団、モスクワに到着。[レイノルズ]
64 7 4 広島・長崎世界平和巡礼団帰国。ナホトカから横浜ヘ。米、ソ、ヨーロッパなど8カ国150都市訪問。松本卓夫団長「広島・長崎の名はよく知られているが、後遺症などの実態はほとんどわかっていない。被爆者の生の声は〃生き証人〃として大きな感動を与えた」[レイノルズ]
64 7 5 広島・長崎世界平和巡礼団、広島に帰る。6日、広島平和記念館で帰国報告会。[レイノルズ]
64 7 6 平和巡礼団の広島市民への帰国報告集会。[レイノルズ]
64 7 33 談和会、7月例会.庄野直美,平和巡礼の報告をおこない,原爆被害者の調査を国際的規模で実施することの重要性を提案.[レイノルズ]
64 8 09? レイノルズ夫妻、離婚。
65 4 16 中国新聞「私はなぜ広島に帰ったか」(バーバラ・レイノルズ)
65 5 4 世界平和巡礼団(広島・長崎の被爆者グループ)、「米はベトナムから撤退せよ」とジョンソン大統領へ抗議文送る。[レイノルズ]
65 5 17 広島・長崎平和研究会(三十九年春、欧米各国を回った平和巡礼団関係者で組織、庄野直美幹事長)、周恩来中国首相に核実験反対の抗議文送る。[レイノルズ]
65 7 19 広島・長崎世界平和巡礼団、ジョンソン米大統領へ送ったベトナム戦争にかんするの要望書への返書を受け取る。「核兵器の使用は現段階では軍事的必要がない」[レイノルズ]
65 8 7 ワールド・フレンドシップ・センター(世界友情の家)の発足。広島と世界の平和を求める人との提携センターで、バーバラ・レイノルズが提唱。事業内容①生活困窮被爆者のための福祉事業②外国の平和活動家に生活・研究の場を提供④平和にかんする
65 10 12 ワールド・フレンドシップ・センター、理事会を開催。被爆孤老施設の開設を決める。[レイノルズ]
65 10 23 ワールド・フレンドシップ・センター(広島市南観音町)開所式。被爆孤老3人が入園。[レイノルズ]
67 3 28 広島から出港のアール・レイノルズ博土の反戦ヨット、フェニックス号、北べトナムのハイフォン港着。医薬品(一万ドル相当)を北ベトナム赤十字社に贈る
69 3 21 米平和運動家バーバラ・レイノルズ女史が広島を離れ帰国
74 7 15 山田広島市長、来年中に原爆被爆資料の海外での展示を実現したいとの意向を市議会で明らかにする。7月末、ノーマン・カズンズ、バーバラ・レイノルズ、ノエル・ベーカー、エディタ・モリス、ダニロ・ドルチに協力を要請。
74 9 2 山田広島市長、米のバーバラ・レイノルズからオハイオ州ウイルミントン大学で来年被爆資料展を開くとの回答を得たことを明らかにする。
75 5 18 平和運動家バーバラ・レイノルズ、ロサンゼルス市で在米被爆者援護のための募金活動開始。
75 8 1 「広島、長崎30年後-ウィルミントン会議」。米ウィルミントン大学で五日まで。バーバラ・レイノルズ提唱。被爆者代表も出席。フォード米大統領と三木首相に核廃絶の努力を要請するメッセージ送る
75 10 3 中国新聞「この人:バーバラ・レイノルズ-広島市の特別名誉市民章を受ける米人」
75 10 15 バーバラ・レイノルズ(米平和運動家)に広島市が特別名誉市民章
77 7 30 このほどNGOシンポ参加のためバーバラ・レイノルズ来広。
77 8 2 広島市特別名誉市民レイノルズ女史、NGOシンポ参加のため来広中、広島市長を訪問。
78 7 19? 米ウィルミントン大学ヒロシマ・ナガサキ記念文庫の世話役バーバラ・レイノルズの後継者決まる。
78 8 18 広島大学で、国際平和科学会開催。(19日まで)米レイノルズ博士ら出席。
78 8 21 レイノルズ博士、長崎市で「平和運動の歩み」と題して講演。
80 8 4 平和運動家バーバラ・レイノルズ、来広。
82 4 15 SSD2に向けての平和キャラバン、ロサンゼルスで活動開始。(原爆展を開催しながら米大陸を横断。)被爆者松原美代子、バーバラ・レイノルズらが参加。
82 11 22 米の平和運動家バーバラ・レイノルズ、来広。広島市長と懇談。
83 3 17 米の平和運動家バーバラ・レイノルズの自伝刊行のため、長崎県の翻訳家、来広し取材。
84 12 11 米の運動家、バーバラ・レイノルズ「84ワンダー・ウーマン賞」(社会活動などに業績のあった女性に贈られる)を受賞したことが判明。
85 4 22 広島市、今夏の平和祈念式に特別名誉市民ノーマン・カズンズ、バーバラ・レイノルズを招待することを決定。
85 5 17 米の平和運動家バ-バラ・レイノルズ、戦争抵抗者連盟(本部:ブリュッセル)の第24回平和賞を受賞。
85 8 3 バーバラ・レイノルズさんを囲む会、広島市で開催。
85 8 3 米のノーマン・カズンズ、バーバラ・レイノルズ、フロイド・シュモーら、平和祈念式に参加のため来広。 4日、広島市長を表敬訪問。
86 11 28 元広島女学院院長松本卓夫(被爆者)、死去。1964年に広島・長崎世界平和巡礼団団長として各国を歴訪。[レイノルズ]
88 12 26 広島市の特別名誉市民で米の平和運動家バ-バラ・レイノルズの健康状態がすぐれないことが判明。ワ-ルド・フレンドシップ・センタ-、激励の手紙を送ることを呼び掛け。
90 2 11 米の平和運動家バーバラ・レイノルズ、死去。1951年に来広し、18年間広島市に滞在、1962年に広島・長崎平和巡礼団を組織するなど平和運動に貢献。
90 2 24 米の平和運動家バーバラ・レイノルズ(11日に死去)をしのぶ「記念会」、広島市で開催(ワールド・フレンドシップ・センタ-主催、約80人参加)。
90 3 31 山田信蔵(被爆者)、死去。故バーバラ・レイノルズに日本語を教えたのが縁で、1964年に第2回世界平和巡礼に参加。
90 4 29 長崎の証言の会、米の平和運動家バ-バラ・レイノルズさんをしのぶ会を長崎市で開催(約30人参加)。
90 8 7 ワールド・フレンドシップ・センター、創立25周年の集いを広島市で開催(35人出席)。同センターは、1965年にバーバラ・レイノルズが設立。
90 9 14? 故バーバラ・レイノルズの蔵書類(約100冊、被爆体験記集など)、米国原爆被爆者協会に寄贈。
94 6 05? 広島市の医師原田東岷、バーバラ・レイノルズとノーマン・カズンズの偉業を綴った単行本『平和の瞬間』(勁草書房)を出版。
95 2 11 ワールド・フレンドシップ・センター、創立者のバーバラ・レイノルズを追悼するピアノリサイタルを広島市のエリザベート音大で開催。約500人が参加。
98 1 11 広島の反核運動の先駆者で米国の人類学者アール・レイノルズ、死亡。
98 1 23 中国新聞「文化:レイノルズ博士の死に思う(原田東岷)」
98 3 7 ワールド・フレンドシップ・センター(広島市内)、レイノルズ夫妻を偲ぶ会を開催。約20人が参加。
98 7 09? 広島市の医師・原田東岷、バーバラ・レイノルズ夫人とノーマン・カズンズの活動記録「平和の瞬間」の英訳版「MOMENTS OF PEACE」を出版。

レインボー・ビレッジ

『レインボー・ビレッジ』(バーバラ・レイノルズ著、グループ「ハート」 訳 、中国新聞社出版部編、19950801)

内容<作業中

02 はじめに
03 バーバラ・レオナルド・レイノルズ
04 「レインボー・ビレッジ」に寄せて(ジェシカ・レイノルズ・シェーバー)
05 レインボー・ビレッジ(バーバラ・レイノルズ)
147 あとがき 原田東岷
148 訳者あとがき
149 バーバラさんと広島(中国新聞の記事から抜粋)

さらば広島 = Goodbye to Hiroshima

『さらば広島 = Goodbye to Hiroshima』(編集およびレイアウト:大原三八雄、発行者:原田東岷、発行者:〈広島YMCA内〉バーバラ・レイノルズ女史に感謝する会、19690721)

内容<作業中

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03 Introduced by Setsuo Yamada,Mayor oh Hiroshima
Ⅰ Writings by Mrs.Barbara Reynolds
1.Goodbey to Hiroshima.
2.Recollection of Hiroshima.
3.Hiroshima,City of Hope.
Ⅱ A Bouquet from Hiroshima
1.Goodbye,Barbara San. -Tomin Harada.
2.Because the Earth is Green. -Miyao Ohara.
Ⅲ A Flowerbasket from East and West
1.From a schoolmistress.
2.With a deep Emotion.
3.Retracing the Origin of Peace.
4.To Bodhisattva Barbara.
5.Wishing a Nice Rest in Your Home Country.
31 Ⅰ バーバラさんのペンの跡を追う
Ⅱ ヒロシマからの花束
Ⅲ 東から西から花籠を
32 序文 広島市長 山田節男
33 Ⅰ バーバラさんのペンの跡を追う
34 さらば広島 44年3月 「広島通信」より
35 広島の思い出と将来への希望 44年3月
31 希望の都 広島 43年2月
Ⅱ ヒロシマからの花束-
43 1.さようなら バーバラさん 原田東岷
45 2.地球は青いのだから 大原三八雄
 
Ⅲ 東から西から花籠を
1.一教師より 佐藤和子
2.この感動を 大江みち
3.平和の原点に帰る 松原隆
4.バーバラ菩薩に 中田栄一
5.母国でゆつくりお休み下さい 酒井美代子
Ⅳ 編集後記

ヒロシマ巡礼 バーバラ・レイノルズの生涯

『ヒロシマ巡礼 バーバラ・レイノルズの生涯』(小谷瑞穂子著、筑摩書房、1995/06/25)

内容

プロローグ 5
1 ヒロシマへ 14
初めて会ったヒバクシャたち
レインボー・ブリッジは虹色の村?
そして第五福竜丸事件が起こった
2 平和を求めて 40
ゴールデン・ルール号、その運命的出会い
6年ぶりのヒロシマ、揺れる平和運動
フェニックス号、嵐のナホトカ行き
3 ヒロシマ・メッセージ 73
「原爆の子」像前でのクリスマス
宏昌と美代子と平和巡礼の旅
4 デモクラシー国家とは 116
ある女性ジャーナリストからの手紙
再び世界へ―世界平和研究使節団の出発―
死の灰の危険性
トルーマンとの会見
ベルリンの壁を越えて
5 クオ・ヴァディス(神よ いずこ) 151
切れた絆
世界友情の家(ワールド・フレンドシップ・センター=WFE)
風に吹かれて
6 ホーム・カミング(帰郷) 194
さらば、ヒロシマ
ペンドルヒルの鐘
ウィルミントン大学ヒロシマ・ナガサキ・コレクションの設立へ
ヒロシマ会議
アメリカにいた被爆者たち
国際平和セミナー開催
広島名誉市民章
7 「原爆の絵」キャラバン 231
ヒロシマからの誘い
アメリカ女性たちの反核運動
友情よ永遠に
8 神の計画 258
軌跡を信じて
ワンダーウーマン賞
未来の子供たちのために
チェルノブイリ原発事故
燃えたアパート
神からの招待
あとがき
主要参考文献・資料

村上忠敬

村上忠敬

むらかみ・ただよし 1907***生19850211没 村上忠敬  むらかみ・ただよし 享年 77  広島大学高師教授。[50ヒロシマ・ピース・センター建設協力者]。広島大学名誉教授。1970年4月~74年3月、広島女学院大学長。1968年~83年、核禁広島県民会議議長。在韓被爆者のための医師団派遣などに尽力。[70ヒロシマ会議]

関連資料

『放送RCC』第70号Vol. 7 No.8 1967.08.01
討論会■平和三団体は何をしてきたか 10
浜井信三・原田東岷・永松初馬・松浦亮・田辺勝・板倉静夫・村上忠敬・今堀誠二
『放送RCC』第90号Vol. 9 No.7 1969.07.01
放送とわたし■宇宙のはなし 村上忠敬 2
『濱井信三追想録』(濱井信三追想録編集委員会、1969/08/06)
YMCAに尽力 村上忠敬 330
『生死の火 広島大学原爆被災誌』(広島大学原爆死歿者慰霊行事委員会、1975/08/06)
原爆のあとさき 村上忠敬 247
『在韓被爆者』(核兵器禁止平和建設国民会議編・刊、1978/04/01)
おわりに  核禁広島県民会議議長 村上忠敬 51
『広島通信』No.57 1978.04.01
韓国人被爆者とともに 村上忠敬
『追懐 広島高等師範学校創立八十周年記念』(広島高等師範学校創立八十周年記念事業会、1982/10/17)
五 理科第二部関係 303 (一) 小史 303(二) 思い出  ・村上忠敬 306
『創立百周年記念誌』(日本基督教団広島教会、1983/11/27)
回顧と展望 村上忠敬 46
『昭和13年早生まれ』(佐藤健、2007/04/15)
(10)村上忠敬先生と私…96

 

原爆の絵アメリカを行く

『原爆の絵アメリカを行く』(松原美代子著 、ヒロシマを知らせる委員会編、日本放送出版協会、1983/08/20)

内容

bk19830820-000s
18年待った旅が始まる 7
ロサンゼルス/サンタモニカ
「これは本当に起こったことなのか?」 9
サンフランシスコ/バークレー
“グラウンド・ゼロ”運動は迫る姿勢に欠けている! 26
ユージン/ブレマートン
「ニュークリア イエス(核賛成)!」 43
モンタナからアイオワへ 55
 ミズラ/ヘレナ
「私も体がふるえて止まりませんでした」 57
ボーズマン/ラピッドシティ
「人間がいちばん愚かな動物だ」 74
オマハ/バーリントン
町の人達の反応は冷たい 85
いま、なぜアメリカへ来たのか 93
 シカゴ/バトルクリーク
「どうして悪いと感じなければいけないの」 95
アンアーバー/トロント
さわやかな夜、優雅なひととき 110
ユチカ/ベニントン
石つぶてのようなトーク・ショウ3時間 120
私の旅はまだまだ終わらない 135
 「この痛みは永久に消えないだろう」 137
ニューヨーク/ワシントン
“To be, or not to be!” 147
フィラデルフィア/ロサンゼルス
いちばん大切で必要なのは“愛” 155
私は歌い続け、語り続けてゆく 171
著者略歴<抄>
1962年 第1回世界平和巡礼に出発、14カ国歴訪
1964年 「広島・ナガサキ世界平和使節団」の一員として、7カ国歴訪。
現在、広島平和文化センター主事、ヒロシマを知らせる委員会職員。

松原美代子

松原美代子

まつばら・みよこ 1932****生20180210没 享年85歳 広島女子商業1年、12歳の時、建物疎開の作業中に爆心地から約1.5キロで被爆。<資料年表:松原美代子>

資料年表:松原美代子

 年月日
1956/1/1 われらのうた 1956.1.1 第15号 われらのうたの会
望み 松原美代子   28
1956/3/8 われらのうた 1956.3.8 第17号 われらのうたの会
思いやり 松原美代子   29
1957/2/1 われらのうた 1957.2.1 第27号 われらのうたの会
思いやり  松原美代子   40
1982/6/15 原爆の絵アメリカ反核の旅 松原美代子さん NHK NHK広島放送局
1982.7.1 『平和文化』第36号(広島平和文化センター)
米国でのヒロシマの証言を終えて(広島平和文化センター主事 松原美代子)
1982/8/20 ヒロシマ・ナガサキの証言’82夏 石田明、浜崎均編 広島・長崎の証言の会
1983/2/4 ヒロシマナガサキ 核戦争のもたらすもの 上映の記録 1982.4~12 岩波映画、岩波映像販売編 岩波映画、岩波映像販売
1983/8/20 原爆の絵アメリカを行く 松原美代子著 、ヒロシマを知らせる委員会編 日本放送出版協会
1983/8/20 ヒロシマ・ナガサキの証言’83夏 秋月辰一郎、庄野直美編 広島・長崎の証言の会
1983/9/22 ヒロシマ・ナガサキ平和学習の旅 昭和58年度 上智大学学内共同研究平和研究(庭野平和財団助成)
1984/2/21 核・貧困・抑圧 ’83アジア文学者ヒロシマ会議報告 アジア文学者ヒロシマ会議実行委員会編 ほるぷ出版
1984/11/11 HIROSHIMA&WAR 栃木県立那須農業高等学校2年4組・社会部編 栃木県立那須農業高等学校
1985/8/1 ぼくたちはヒロシマを見た ヒロシマと戦争の実態に迫るために 栃木県立那須農業高等学校社会部 栃木県立那須農業高等学校
1985/8/6 原爆の絵は訴える NHK NHK
1986/4/21 松原美代子さんの被爆体験を聞いて 池田市立細河小学校6年生 池田市立細河小学校
1986/5/1 平和文化 1986.5 第59号 広島平和文化センター
原爆乙女の暗い青春 原爆被爆体験語り部 松原美代子
1987/1/20 ヒロシマの女たち 広島女性史研究会著編 ドメス出版
1988/3/31 原爆被爆者は訴える 被爆証言集 平和冊子 No.6 広島平和文化センター編 広島平和文化センター
1989/4/1 かけはし 1989.04.01 第20号 YMCA国際平和研究所
限りない平和の巡礼者として 松原美代子
1994/3/10 千羽鶴 12人の語り部証言集 堺市立五箇荘中学校16期生編 堺市立五箇荘中学校16期生
1995/1/1 1995年度 ひろしまを考える旅 記録集 ひろしまから明日へ 日本YWCA「ひろしまを考える旅」小委員会 日本YWCA「ひろしまを考える旅」小委員会
1996/1/1 1996年度 ひろしまを考える旅 記録集 ヒロシマの声は、世界に届かないの? 日本YWCA「ひろしまを考える旅」小委員会 日本YWCA「ひろしまを考える旅」小委員会
1996/9/10 証言-ヒロシマ・ナガサキの声1996 長崎の証言の会編 長崎の証言の会
1997/3/31 創大平和研究 1997.03.31 第18号 1996 創価大学平和問題研究所
ヒロシマの心:核兵器のない世界への祈りと行動 松原美代子
1998/1/1 千代田区平和使節団の報告 (平成9年度) 千代田区 千代田区
1998/10/31 親子広島バスツアー感想文集-平和・非核学習の旅 平成10年度 原水爆禁止西宮市協議会、西宮市編 原水爆禁止西宮市協議会、西宮市
1999/3/31 原爆被爆者は訴える 被爆証言集 第2版 平和図書 No.6 広島平和文化センター編 広島平和文化センター
2000/8/15 広島市医師会だより 2000.8.15 No.412 広島市医師会
特集 対談 「ヒロシマ」を語り継ぐ-語り部 松原美代子さんに聞く- 20 松原美代子VS碓井静照
2001/12/20 2001年度 ひろしまを考える旅 記録集 日本YWCA「ひろしまを考える旅」準備委員会 日本YWCA「ひろしまを考える旅」準備委員会
2004/1/1 広島市平和祈念式に参加して 平成16年度派遣団記念文集 甲府市 甲府市
2004/5/22 証言集 大和中学校 大和市立大和中学校
2005/6/10 原子野からの旅立ち 女子パウロ会 女子パウロ会
2008/7/28 原爆の絵 2007 広島市立基町高等学校 創造表現コース 広島市立基町高等学校
2010/3/19 修学旅行「旅と証言の記録」 2009年 第2学年 埼玉県立松山女子高等学校 埼玉県立松山女子高等学校
2010/7/5 次世代と描く原爆の絵 2007・2008・2009 広島市立基町高等学校 創造表現コース 広島市立基町高等学校
2011/7/31 上空より = From above ポーレ・サヴィアーノ著 コンテンツ・ファクトリー
2012/3/30 原爆被爆者は訴える 被爆証言集 第3版 平和図書 No.6 広島平和文化センター編 広島平和文化センター
2012/8/1 次世代と描く原爆の絵 広島市立基町高等学校 創造表現コース 広島市立基町高等学校
2016/11/18 女性たちのヒロシマ 笑顔かがやく未来へ 創価学会広島女性平和委員会編 第三文明社
2017/8/12 原爆の絵 平成19~28年度 広島平和記念資料館、広島市立基町高等学校
2018/8/6 次世代と描く原爆の絵 平成19年度~29年度 広島市立基町高等学校
2001/8/1 月刊クーヨン 2001.08 6巻通巻65号8月号 クレヨンハウス
[落合恵子責任編集]戦争を知らない大人たちへ 91
パピアン・美智子/村井志摩子/栗原貞子/松原美代子/酒井キヨ子/西岡由香/植木智子/石司真由美/上原当美子/高里鈴代
2022/6/20 次世代と描く原爆の絵 平成一九年度~令和二年度 広島市立基町高等学校美術科編 広島市立基町高等学校

宇根利枝

宇根利枝 うね・としえ 191809**生20120210没 享年93歳

関連資料

「保育と献水にかけた戦後 宇根利枝」
 unerie19870720-16a
unerie19870720-17a
出典『ヒロシマ・ナガサキの群像 ヒロシマ・ナガサキの証言’87 第21号/終刊号』
(教育・文化・スポーツ振興功労) (15 名・4 団体)
宇 根 利 枝 :被爆体験を継承するための証言活動を通じて、本市教 育の推進に寄与した。
  『ヒロシマのいのちの水』(作者:指田和、画家:野村たかあき、発行所:文研出版、20090530)

 

資料年表:森一久

資料年表:森一久

出版年 書名 著者 出版者
1954/11/10 原子力発電の経済的影響 Sam H. Scharr,Jacob Marschak監修 森一久訳 東洋経済新報社
957/04/17 原子力発電所 コールダーホール物語 ケネス E. B・ジェイ著 伏見康治、森一久、末田守訳 岩波書店
1976/04/05 平和研究 第1号 平和研究の方法 日本平和学会 日本平和学会、日本経営出版会(発売)
1981/04/16 嵯峨根遼吉記念文集 嵯峨根遼吉著 嵯峨根遼吉記念文集出版会
1986/09/15 21世紀の原子力を考える 通商産業省編 通商産業調査会
1986/11/18 原子力年表(1934-1985) 森一久編 日本原子力産業会議
1986/11/18 原子力は、いま 日本の平和利用30年 上 森一久編 日本原子力産業会議
1986/11/18 原子力は、いま 日本の平和利用30年 下 森一久編 日本原子力産業会議
1990/04/20 誰も知らなかったソ連の原子力 中村政雄 V.グーバレフ 他 電力新報社
19940413~15日、第27回原産年次大会、広島国際会議場。
1995/07/20 廣高とヒロシマ 被爆五十年の回想 廣島高等学校同窓有志の会編 廣島高等学校同窓有志の会
森一久(昭和19理甲)「ヒロシマと阪神大震災―50年後のわたし」
1999/12/20 ドキュメント・東海村 火災爆発と臨界事故に遭遇した原子力村の試練 ソシオエナージー・プロジェクト21 國分郁男, 吉川秀夫編著 ミオシン出版
2006/06/10 都立第五福竜丸展示館30年のあゆみ 1976.6-2006.6 開館30周年記念誌 第五福竜丸平和協会編 第五福竜丸平和協会
2015/07/30 湯川博士、原爆投下を知っていたのですか ”最後の弟子”森一久の被爆と原子力人生 藤原章生著 新潮社

ヒロシマと廣高 被爆五十二年・回顧と追悼

『ヒロシマと廣高 被爆五十二年・回顧と追悼』(廣島高等学校同窓有志の会、1997/08/01)

内容<作業中

発刊の辞 廣高同窓有志の会代表 松浦道一 1
回顧 3
廣高とは 松浦道一(昭9文甲)4
幻のヒロシマと母校 扇畑忠雄(昭6文甲)7
「青春の碑」より 近藤芳美(昭9理甲)13
私の中の日本人-中島光風-阿川弘之(昭15文乙)25
廣高生の8月6日 三野濱雄(昭23文甲・当時理甲)32
追悼 37
恩師・遺族の部 38
被爆の前後 故 澄谷泉 38
29年前のこと 羽田野三郎 41
8日の記憶-原爆そしてトーマスマン『魔の山』 登張正實 45
ひろしま 故 鳴沢富女(恩師夫人)49
忘れられない体験 楠木キミヨ(昭2文乙・楠木保夫人)52
父 岸野禮子(昭2文乙・楠木保長女)55
遺族の思い 松本隆允(昭13理乙・松本清徳長男)57
アンケート回答 60
同窓生の部 62
第1部 原爆想起(昭和22年卒業生)62
「偶然」の重み 稲賀敬二(昭22文甲)62
私にとっての8月6日 岸本弘(昭22文甲)66
私の原爆体験記 杉山俊彦(昭22文甲)68
一文科生の回想(入学より原爆まで)竹尾吉郎(昭22文甲)71
文科2年生の8月6日 永原誠(昭22文甲)75
悪夢の高校時代 浅野卓(昭22理甲1)78
ピカドン 應和俊雄(昭22理甲1)81
廣高原爆鎮魂記-核廃絶に向けて 片山淳(昭22理甲1)84
戦争末期の呉海軍工廠における廣高生 渡辺正彦(昭22理甲1)87
20年8月6日 浴厚夫(昭22理甲2)89
遠い閃光 小林健郎(昭22理甲2)92
被爆50周年に想う 隅田正二(昭22理甲3)95
原爆回想記 古坂良雄(昭22理甲3)98
原爆の日々 岩政正男(昭22理乙1)99
悪夢の月曜休日 片岡進(昭22理乙1)102
あの日、あの時、廣高第三報国寮 佐藤保雄(昭22理乙1)105
被爆2日後の広島市内を歩いて 竹田正彦(昭22理乙1)112
あの日 中西昭夫(昭22理乙1)114
原爆の思い出 日野八州行(昭22理乙1)118
炎天の1日 川崎正輝(昭22理乙2)121
昭和20年8月6日廣高原爆の日 丹比邦保(昭22理乙2)124
私と原爆(直後の入市)三輪谷俊夫(昭22理乙2/)127
原爆の被爆体験記 渡辺寛(昭22理乙2)131
アンケート回答 133
昭和22年卒業予定者にして被爆死された方 144
第2部 被爆・追悼(昭和23年卒業生)145
「やすらかにお眠り下さい あやまちは二度とくりかえしません」内海健寿(昭23文甲)145
被爆寮生の搬送・和歌山へ 日野八州行(昭22理乙1)・友久武文(昭23文甲)・弘津崔宗(昭23理甲1)・山中茂和(昭23理甲2)148妹と私 中島敏直(昭23文甲)151
1945年8月6日、ヒロシマにて 中野武彦(昭23文甲)154
運命の岐路 御藤良彰(昭23文甲)157
二つの原爆-金言と業 溝本満男(昭23文甲)160
私の昭和20年8月 鶴田耕造(昭23文乙)162
向洋駅にて 藤田弘人(昭23文乙)166
薄れゆく記憶よ、戻れ 藤村瞬一(昭23文乙)169
原爆体験 蒔田二朗(昭23文乙)172
一瞬の出来事であった 寺谷忠郎(昭23理甲1)175
風化しないあの日の事 中田隆康(昭23理甲1)180
広島駅で原爆に遭う 弘津崔宗(昭23理甲1)184
原爆が投下された前後の日日 光易恒(昭23理甲1)186
私の原爆体験 幸本茂(昭23理甲2)189
師の荼毘 高木健治(昭23理甲2)192
師と二人の友のの鎮魂を祈りつつ 西山隆三(昭23理甲2)195
原爆投下前後のこと 坂本知三(昭23理甲3)201
あの日の広島に地球最後の日を見た 中条一雄(昭23理甲3)204
被爆前後のこと 橋本隆(昭23理甲3)207
原爆の生き証人の1人として 大門哲(昭23理甲4)210
私の原爆記 田部忠行(昭23理甲4)213
あの日の惨禍に思いを馳せ核兵器のなくなる日を目ざして 三宅信雄(昭23理甲4)216
神の臨在 吉村博光(昭23理甲4)219
原爆前後 江戸義治(昭23理乙1)222
1945年8月6日の私 小野一郎(昭23理乙1)225
原爆・妹達の死 蔵本築(昭23理乙2)227
恐怖の殺人ドウナッツ 小林豊(昭23理乙2)230
私の被爆エッセンス 中谷孝(昭23理乙2)234
炎熱地獄に消えた友 星埜惇(昭23理乙2/)237
原爆の思い出 南碩哉(昭23理乙2)240
茸雲ができる前 森脇垂果(昭23理乙2)243
昭和23年卒業予定者にして被爆死された方 260
第3部 ヒロシマ(昭和22年・23年以外の卒業生)263
近藤芳美とヒロシマの夏 扇畑忠雄(昭6文甲)263
知らせることの難しさ 原田東岷(昭7理乙)266
原爆の日のこと 沖博(昭10文甲)269
原爆被災の記 大槻光雄(昭14文甲)273
過ちは繰りかえしませぬから 大山広司(昭14文甲)276
焦土を歩く 大田垣正圓(昭17文乙)280
危機一髪、生きるという運命に支えられて 砂田碩司(昭18文甲)282
ウント君のこと 香川不苦三(昭18文乙)286
廣高生の原爆被災記-昭和20年入学者の場合 神田照家(昭19文甲)288
江村美智也君の想い出 長井正勝(昭19文甲)291
金井利博氏とヒロシマ・核問題-『核権力』を読む 山田浩(昭20文乙)293
被爆全滅部隊 竹本孝(昭20理乙2)297
金井さんへのレクイエムと広大平和科研のこと 熊田重克(昭24文甲)303
ピカドンの朝 池田一(昭24理1)312
私の廣高時代 中本康雄(昭24理4)319
アンケート回答 321
附録 323
被爆前後の廣高略年表 松浦道一(昭9文甲)324
廣島高等学校同窓会の現況 川上貞光(昭25文乙)329
編集後記 編集委員代表 神田照家(昭19文甲)331

廣高とヒロシマ 被爆五十年の回想

『廣高とヒロシマ 被爆五十年の回想』(廣島高等学校同窓有志の会、1995/07/20)

内容<作業中

広高とは
発刊の辞
1 被爆・追悼
【遺族の部】
父「細川藤右衛門」 細川藤次(細川藤右衛門・恩師) 12
「朝な夕なに」の碑におもう 谷川湛子(中島光風・恩師) 15
“船に乗って遠くへ行くから”想い出より 真鍋敦子(真鍋義雄・恩師) 16
想い出すまゝに 加計邦夫(加計敏吉・昭2文乙) 19
夫の被爆死 山根澄子(山根彦次郎・昭3文甲) 21
優しさを永遠に 山本百合子(山本利・昭10文乙) 23
高明の被爆死-母横山雪の手紙から 横山滋(提供)(横山高明・昭14文乙) 25
兄の無念の死 高田勇(高田正弘・昭17・9文甲) 27
悪夢の八月六日 浜野忠二(浜野蔵一・昭18文甲) 31
亡兄荒木朝広の思い出 荒木公子(荒木朝広・昭19文乙) 34
弟「靖」のこと 横山滋(横山靖・昭23理乙) 36
「やっと僕たちの時代が来た」原爆症で亡くなった兄 吉田千代子(吉田武重・昭23理乙) 37
【同窓生の部】
広島原爆と級友 田中嗣郎(昭13理乙) 40
細川先生を偲びて 上野義夫(昭14理乙) 42
光風先生夫妻追慕の記 観山文雄(昭17文乙) 46
光と風の生涯 吉野友己(昭17文乙) 50
伊藤隆之君と濱野蔵一君 林勉(昭18文甲) 52
イップ(一夫)のこと 吉田良夫(昭18文甲) 56
成宮貞一君と桐原康之君を偲ぶ 米田博(昭18理甲) 59
真鍋先生の思い出 岡昌宏(昭19文甲) 61
学徒動員始末記-昭和二十年入学者の場合 神田照家(昭19文甲) 63
目崎一三君の遺稿集 河合正美(昭19文乙) 66
弟藤井壽を偲びて 藤井実(昭19理乙) 72
久保原篤夫君、山口健二君を偲ぶ 瀧本正義(昭20文甲) 75
レクイエム 三野濱雄(昭23文甲) 78
鎮魂の詩 高橋節夫(昭23理甲) 79
半世紀ぶりに帰って来た廣高生たち! 谷川正昭(昭23理甲) 81
五十年目の廣高生 津田修三(昭23理乙) 82
○廣高七十年誌記念座談会 84
「原爆と廣高」
○原爆死没者名簿 92
2 平和公園
恒久の平和を象徴する都市の創建 100 寺光忠(昭4文甲)
ヒロシマと平和記念施設  113 丹下健三(昭8理甲)
雑賀先生の原爆碑文 124 藤本千万太(昭12文甲)
補遺 中国新聞 平成七年四月十六日「検証ヒロシマ-1945~95⑬原爆慰霊碑」より
3 ヒロシマ
原爆症との対面  138 原田東岷(昭7理乙)
ヒロシマの心  143 故 荒木武(昭10文乙)
ラバウルで聞いた被爆の報 152 松谷健一郎(昭14理甲)
真珠湾から五十年 157 阿川弘之(昭15文乙)
「八月六日の雲」抄 160 板倉秀(昭17・9文甲)
世界平和巡礼  164 庄野直美(昭19理甲)
付録映画「黒い雨」制作余話-運命の日の朝-  175 前田修治(昭19理甲)
ヒロシマと阪神大震災-五十年後のわたし- 183 森一久(昭19理甲)
社会科学者と原水爆問題-故石井金一郎氏と私-191 山田浩(昭20文乙)
ヒロシマ被爆者医療二十五年の記録 195 石田定(昭20理乙)
廣高と平和公園と-亡き友二井谷彰君に捧ぐ-  204 原田雅弘(昭23理乙)
被爆五十周年の広島  212 平岡敬(昭23理乙)
さんび歌 221 茨木博(昭25文乙)
私が見た八月六日の広島  224 川上貞光(昭25文乙)
焼跡学校 228 小久保均(昭24修文乙)
付録
廣高小史 236
廣高史略年表 241

京都・左京の十五年戦争 戦時下を生きた人々

『京都・左京の十五年戦争 戦時下を生きた人々』(平和と民主主義をすすめる左京懇談会編、かもがわ出版、1995/08/15)

内容

章・頁
  3 はじめに
  9 井ロ和起 敗戦後半世紀の夏
戦争と知識人 17 
 18 大塚賢司  同志社にかかわった知識人たち―能勢克男と住谷悦治を中心に
  26 岩井忠熊  戦時下の京都帝国大学
  32 有尾善繁  暗黒の日々の流れに抗して生きる―真下信一の場合
  39 鯵坂眞  河上肇の八月一五日
  46 壽岳章子  南禅寺時代
  49 原田久美子  谷間の時代を生きた歴史家―清水三男
  57 武邦保  戦時下に生かされたキリスト者―松村克己の求道
 64 加藤西郷  佛教と戦争責任
「平和と民主主義」の旗をかかげて
  67 後藤靖  末川博と立命館大学の再出発
戦争と教育・文化 71
  72 廣庭基介  戦争と京大図書館
  80 埜上衛  戦時中の府立図書館
  83 小島一介  動物園の戦争体験
  89 今井康雄  進駐軍と植物園
  92 岡田毅  十五年戦争と美術界
  95 梅田修  人見亨と「養正少年団」
 102 西川久子 戦時下の小学校生活―私の絵日記から
 107 杉本源一 満蒙開拓青少義勇軍と戦後処理
 113 早川幸生 被爆南方特別留学生サイド・オマール
戦争と地域の人々 121 
 122 戦時下の女性のくらし―左京生活と健康を守る会下柳班の座会の記録から
 129 佐本昌平  戦時下の医療
 136 藤井洋一  安井信雄・山本秀雄、山本弘、三医師の足跡から
 141 安西幸夫  大文字送り火
 145 中田進  陸軍病院と高野川引き揚げ者寮
 151 清水大吉郎  町なかの戦争遺跡―国旗掲揚台
 153 円満字洋介  友禅の街・高野
 158 佐々木米一郎  思い出話―川東の履歴書
 161 梅田勝  京都左京における革新の伝統
私の八月一五日 173 
 174 稲田達夫  戦争と平和のはざまを生きて
 179 足立道五郎  陸軍病院時代
 181 臼井照代  新任教員の八月一五日
 182 浦本国治  現地召集・そして内乱の「満州」
 183 浦本信子  朝鮮での青春
 185 加藤敏子  敗戦前後
 187 倉崎久子  あの日の少女は
 188 高石清文  天皇と進駐軍
 190 他谷岩佐  私の戦前・戦後
 192 中嶋一男  学徒動員の思い出
 193 西村英子  たった一人の弟の死
 195 藤井晃子  国民学校そして疎開
 196 馬原都  よくもまあ騙されたもの
 198 横井多喜子  台湾で
 199 小野木喬 戦争の傷跡
 201 安井暁  戦争と原爆
 204 宮城泰年  「軍国少年」のその後
 208 金子欣哉 学童集団疎開覚え書き
 214 あとがき
戦後まもない頃の左京区地図
 218 主な参考文献
 222 関連略年表

真下信一

真下信一

ました・しんいち 19061024生19850209没 享年78歳 哲学者[1982推進連絡会議呼びかけ人]

関係資料<作業中

19571112 岩波講座現代思想第11巻 現代日本の思想 岩波雄二郎編、 岩波書店
19580420 講座現代倫理 第4巻 対等の倫理 筑摩書房
 19691220 原点 「戦後」とその問題 吉野源三郎編 評論社
19750815 八・一五敗戦前後 汐文社
19950815 京都・左京の十五年戦争 戦時下を生きた人々 平和と民主主義をすすめる左京懇談会編 かもがわ出版

 

一世の記録を拾い集めた男 ~加藤新一の足跡をたどって~

「一世の記録を拾い集めた男 ~加藤新一の足跡をたどって~」(川井 龍介)『ディスカバーニッケイ』28回連載

このシリーズについて

1960年前後全米を自動車で駆けめぐり、日本人移民一世の足跡を訪ね「米國日系人百年史~発展人士録」にまとめた加藤新一。広島出身でカリフォルニアへ渡り、太平洋戦争前後は日米で記者となった。自身は原爆の難を逃れながらも弟と妹を失い、晩年は平和運動に邁進。日米をまたにかけたその精力的な人生行路を追ってみる。

第1回 人の一生を追うということ – ディスカバー・ニッケイ (discovernikkei.org)

年月日 見出し 備考
2020年
1 11月13日 人の人生を追うということ
2 11月27日 「百年史」はだれが書いたか
3 12月11日 全米を走破し1世を訪ねる
4 12月25日 一世への敬意と日本人としての誇り
2021年
5 1月8日 日米を股にかけて活動
6 1月22日 原爆投下時に記者として
7 2月12日 81歳で故郷広島に永眠
8 2月26日 広島の親族は?
9 3月12日 確かに全米を回っていた
10 3月26日 加藤家の墓
11 4月9日 アメリカ移民と父・松次郎の渡米
12 5月14日 土台は宗教的エートスか
13 5月28日 父に呼ばれてカリフォルニアへ
14 6月11日 日系新聞の記者となる
15 6月25日 米國産業日報の編集長となるが……
16 7月9日 抑留され、交換船で帰国
17 7月23日 広島はアメリカ2世の郷里だから?
18 8月13日 原爆の日を駆け回る
19 8月27日 被爆直後の中国新聞と加藤
20 9月10日 アメリカ撮影の映像の中に
21 9月24日 力量を発揮するも退社へ
22 10月8日 広島で平和運動に取り組むが…
23 10月22日 再びアメリカへ
24 11月12日 「広島北米クラブ」に尽力
25 11月26日 世界連邦建設への訴え
26 12月10日 地球市民となる
27 12月24日 日本から世界へ
2022年
28 1月14日 終わりなき世界平和の旅

加藤新一

加藤新一

かとう・しんいち 19000209生19820209没  享年81歳  日本国際連合協会広島支部局長。第1回国連軍縮特別総会に参加。『広島県大百科事典』(島津邦弘・記)