SSDⅠ(第1回軍縮特別総会)

SSDⅠ(第1回軍縮特別総会)1978年5月23日~6月30日、ニューヨーク

出典:http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/un_cd/gun_un/gaiyo.html

国連における軍縮・不拡散への取り組み
平成25年2月
1.国際連合による議論
国際連合は、1945年の創立以来、国連憲章第11条(国連総会が、軍縮について審議し、加盟国もしくは安全保障理事会に勧告を行うことを規定)等に基づき、軍縮問題についても積極的に取り組んできた。
冷戦時代は、非同盟運動諸国(NAM)のイニシアチブによって、1978年、1982年、1988年と計3 回の国連軍縮特別総会が開催されるなどの動きはあったものの、全体としては国連を通じた具体的な軍縮・不拡散上の成果は限定的であり、むしろ二国間又は地域的な枠組みを通じて主要な軍縮の合意が形成されてきた。
他方、国連は基本的に総会における議論及び決議の採択という形で軍縮・不拡散に関与してきている。これらの議論や決議は、その時々の国際情勢、安全保障環境の中で国際社会の軍縮・不拡散問題についての関心や考えを反映したものであり、中長期的にみれば、これらの問題についての国際世論の形成に大きな役割を果たしてきた。
冷戦終焉後は、国連軍備登録制度の設置(1991年)、包括的核実験禁止条約(CTBT)の国連総会における採択(1996年)、国連小型武器行動計画の採択(2001年)等、国連総会の場を通じて軍縮・不拡散の具体的な成果が上げられている。また、安全保障理事会も1992年1月に軍縮・不拡散の重要性を強調する議長声明を発出したほか、2001年の米同時多発テロ以降のテロ組織等非国家主体に対する大量破壊兵器拡散への懸念の高まりを受けて、2004年4月には不拡散に関する安保理決議第1540号を採択し、さらに、2009年9月に行われた核不拡散・核軍縮に関する安保理首脳会合において安保理決議第1887号を採択した。また、2006年以降、安保理は北朝鮮及びイランといった個別の核問題について、制裁措置を含む決議を採択しており、国際的な不拡散体制の強化に安保理が果たす役割は、近年急速に増大している。

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出典:外交青書21_1977
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/bluebook/1977_1/s52-2-4-2.htm#ab1

6. 軍縮特別総会
(1) 第31回国連総会では「全面完全軍縮」の議題の下に,ユーゴースラヴィア等非同盟主要国が提唱し,わが国を含む75カ国が共同提案した軍縮特別総会の開催に関する決議が採択された。これにより78年5月ないし6月に国連創設以来初めて専ら軍縮問題の審議にあてられる特別総会が開催されることとなった。
(2) 軍縮特別総会開催の構想そのものは,1946年12月の第1回国連総会再開会合で採択された決議に始まるが,一方,非同盟諸国は,1961年の第1回首脳会議において世界軍縮会議もしくは軍縮特別総会の開催を呼びかけて以来,特別総会の開催を度々提唱してきた。76年,スリ・ランカで開催された第5回非同盟首脳会議で採択された政治宣言においても,1978年までに軍縮特別総会の開催を要求する趣旨が謳われており,第31回総会に提出された決議案もこれを受けたものである。
(3) 採択された決議に基づき,総会議長により指名された54カ国から構成される準備委員会が設立され(わが国もアジア・グループの一員としてメンバーとなり,副議長国となった),今後特別総会開催までに77年3月,5月,9月の3回にわたり同委員会の会合が開催され,特別総会の議題及び手続規則を決定する予定である。

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外交青書22_1978
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/bluebook/1978/s53-2-4-2.htm

3. 軍縮特別総会開催準備状況
(1) 78年5月に開催される国連軍縮特別総会のための準備委員会(54カ国で構成。わが国は副議長国)は,77年中に3回会合(3月,5月及び9月)し,次の決定を含む報告書を作成して第32回総会に提出した。
(イ) 特別総会開催期日
78年5月23日~6月28日。
(ロ) 特別総会開催場所
国連本部(ニューヨーク)。
(ハ) 代表レベル
できる限り高いレベル。
(ニ) 仮議題
(a) 軍縮交渉の成果と現状の再検討。
(b) 軍縮宣言及び行動計画の採択。
(c) 軍縮交渉のための国際的機構の役割の再検討。
(2) また第31回国連総会で採択された決議は,各国政府に対し,4月15日までに軍縮特別総会に関する見解を国連事務総長に提出するよう要請していたが,77年末までに,国連加盟国のうち合計59カ国がその見解を提出した。
わが国は,軍縮特別総会においては,次の項目が優先的に取り上げられるべきであるとの見解を4月15日付で国連事務総長に提出した。
(イ) 核軍備競争の停止と核兵器の削減。
(ロ) 核実験の全面的禁止。
(ハ) 化学兵器の禁止。
(ニ) 通常兵器の国際的移転。
(ホ) 軍事費削減問題。
(3) 第32回国連総会は、準備委員会の報告書を承認し,更に同委員会に作業を継続するよう要請する決議を採択した(わが国を含む55カ国の共同提案)。
78年の2月及び4月には,上記決議に基づく第4回と第5回の準備委員会を開催し,特別総会において審議,採択されるべき最終文書の起草作業を行う予定である。

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外交青書23_1979
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/bluebook/1979/s54-2-4-2.htm#1_1

(1) 国連軍縮特別総会
(イ) 概   説
国連史上初の軍縮特別総会は,1978年5月23日から7月1日までニュー・ヨークにおいて開催された。この特別総会には,従来軍縮交渉に参加していなかつた中国,フランスを含む145カ国が参加し,今後の軍縮審議,交渉の指針となる最終文書が,投票に付されることなく全会一致で採択されたほか,軍縮審議,交渉機構にも種々の改善が加えられた。
(ロ) 一般討論演説
5月24日から6月9日まで行われた一般討論演説においては,元首4名,首相16名,副首相4名,外相49名を含む126カ国の代表が演説を行った。
わが国は,園田外務大臣が5月30日に一般討論演説を行った。
演説において園田外務大臣は,平和憲法に立脚し,今後の国際社会における先覚者たるべく,軍事大国への道を排し,平和に徹し続けるわが国の決意を披瀝し,またわが国が非核三原則を堅持していることを宣明するとともに,核兵器国に対し,その責任を自覚し核軍縮を促進するよう強く要請した。さらに,軍縮の分野では,核兵器の廃絶を目標とした核軍縮の促進が,今日,最も高い優先度を置かれるべき課題であることを強調するとともに,この目標を達成するためには,まず核軍備競争を停止し,次に核軍備の削減を進めるとの方向で実行可能な措置を一歩一歩積み重ねて行くことが最も肝要である旨指摘した。そして,かかる観点から,米ソ戦略兵器制限交渉の早期妥結,包括的核実験禁止条約の早期締結などを強く訴えた。
(ハ) 最終文書
特別総会において採択された最終文書は,「序文」,「宣言」,「行動計画」,「機構」の4部から構成される。軍縮に関する一般原則を規定した「宣言」は,軍縮の究極的な目標が効果的な国際管理下での全面完全軍縮であり,この目標への前進のためには諸国の安全を守る必要性を考慮に入れ,軍備競争の停止と真の軍縮措置に関する協定の締結,及びその履行が必要であるとし,更にそのような措置の中では,核軍縮と核戦争の防止が最も優先度が高い旨規定している。
「行動計画」は,上記原則に沿って,今後,諸国家が着手すべき軍縮分野における諸措置を挙げ,今後の軍縮分野における努力の諸目標を示している。
(ニ) 軍縮審議交渉機構の改革
軍縮の審議,交渉機構の分野では,最終文書の「機構」が示すように特別総会において次のような改善,強化がなされた。
(a) 全ての国連加盟国が参加する審議機関としての国連軍縮委員会(UNDC)の復活(同委員会は65年以来休眠状態にあつた)。
(b) ジュネーヴ軍縮委員会については,主として次の改善が行なわれ,79年1月より新たに軍縮委員会(CD)として発足。
(i) 新軍縮委は米,英,ソ,仏,中の全ての核兵器国に開放されるとともに(従来軍縮委の加盟国であつたが実際上参加していなかつたフランスが参加を決定。中国は当面参加しないとみられている),わが国を含む旧軍縮委の加盟27カ国に加え,次の8非核兵器国が新たに構成国となった。アルジェリア,オーストラリア,ベルギー,キューバ,インドネシア,ケニア,スリ・ランカ,ヴェネズエラ。
(ii) 米ソ共同議長制を廃止し,議長を全ての構成国間で月毎の輪番制にする。
(c) 国連第1委員会は,従来,軍縮問題のほか,政治,安全保障,科学技術問題を審議してきたが,今後は,軍縮及びそれに関連する国際安全保障問題のみを取り扱う。
(d) 国連事務総長に助言するための軍縮諮問委員会の設置。
(2) 第33回国連総会
軍縮特別総会を受けて行なわれた第33回国連総会の軍縮討議においては,核軍縮の促進を中心として,軍縮特別総会で採択された最終文書の行動計画に盛られた諸分野につき審議され,40の軍縮関係決議が採択された。
なお,わが国は,包括的核実験禁止条約の早期締結を求める決議及び同条約が締結されるまでの間,全ての国に核実験を慎むよう要請する決議など,7つの決議の共同提案国となった。

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出典:http://www.unic.or.jp/texts_audiovisual/libraries/research_guide/themes/disarmament/

A/RES/31/189Bによる第1回軍縮特別総会(通算10回目の国連特別総会)は1978年5月23日から6月30日にかけ、ニューヨークで開催されました。
A/RES/31/189Bによって設置された準備委員会の作業文書は、文書記号A/AC.187/-の形で発行されました。会合記録は文書記号A/AC.187/SR.-で発行されました。準備委員会の総会に対する最終報告書は、A/S-10/1(GAOR, 10th spec. sess., Suppl. No. 1)として発行されています。
総会決定S-10/21によって設置された第10回特別総会アドホック委員会の作業文書は、文書記号A/S-10/AC.1/-の形で発行されました。会合記録は文書記号A/S-10/AC.1/SR.-の形で発行されました。アドホック委員会の最終報告書はA/S-10/23として発行されています。
同特別総会の作業文書は文書記号A/S-10/-の形で発行されました。会合記録は文書記号A/S-10/PV.-の形で発行されました。第1回軍縮総会の最終文書(A/RES/S-10/2)には宣言、行動計画および国際軍縮機構に関するセクションが含まれています。

 

 

平和キャラバン

平和キャラバン 1971年、山口大学ユネスコクラブ(被爆者福祉会館『ゆだ苑』内)が第1回を実施。

出典:『第十回平和キャラバン総括集』(山口大学ユネスコクラブ、1981年?)目次

第1部 第10回平和キャラバン総括―歴史を再検討しつつ―
1. 趣意書
2. 第10回平和キャラバンの足どり
3. 各企画紹介
(1)被爆者懇談会
(2)自治体交渉
(3)6・9行動
(4)行進
(5)施設訪門
4. 平和キャラバン、第10回迄の歩みと今後の発展方向
5. 各企画総括
(1)自治体交渉被
(2)爆者懇談会
(3)施設訪門
第2部 基本懇答申をのりこえて~状況とユネスコクラブの運動の方向~
第1章 基本懇答申の経緯と内容
第2章 被爆者援護法の根本精神と答申批判
第3章 基本懇答申に反映される社会情勢
第4章 地域の申に援護法精神を~ユネスコクラブの今後に向けて~
※哀悼の意を表します
※第10回平和キャラバン会計報告
※協力団体
※県内被爆者を支える『ゆだ苑』にご協力を

 

原爆と文学の会

原爆と文学の会

山口勇子=米、ハノイを爆撃。連日のニュースに目はくぎづけになる。でき得る限りの方法で、なにかをしなければ、といういら立つ思いの中から『原爆と文学』は生まれでた。
増岡敏和=今年の3月、山口勇子が東京に在住することになって、いきなりわたしのところに電話がかかってきた。そして文学における原爆のたたかいをすすめる話になり、『原爆と文学』を創刊する話に発展した。
出典:「あとがき」(機関誌『原爆と文学』創刊号1972年07月25日刊)

『原爆と文学』

号 発行年月日 備考
所蔵:G=広島原爆資料館、U=宇吹
01 1972/07/25 G、創刊号 U
02 1973/06/01 G
03 1974/06/15 G
04 1975/07/10 G、U
05 1977/08/01 G
06 1995/03/01 G、U、1995年版
07 1996/02/27 G、U
08 1997/03/01 G、U
09 1998/03/01 G
10 1999/03/01 G、U
11 2000/03/01 G、U
12 2001/03/01 G、U
13 2002/03/01 G
14 2003/03/01 G
15 2004/03/01 G、U
16 2005/03/01 G
17 2006/03/01 G
18 2007/03/01 G、2007年版

 

 

ヒバクシャ-ともに生きる第30号

『ヒバクシャ-ともに生きる第30号』原爆被害者相談員の会、20130806

目次

相良カヨ 栗原淑江さんの「明日へつなぐ集い」に参加して
3月16日、東京・渋谷で開催。
河宮百合恵 若林節美さん 第41回「医療功労賞」全国表彰受賞の報告
3月15日、東京・帝国ホテルで開催。

 

 

 

ヒバクシャ-ともに生きる第32号

『ヒバクシャ-ともに生きる第33号』原爆被害者相談員の会、20150806

目次

栗原淑江 今、「自分史」を書くということ~被爆70年をふりかえって~
1.はじめに―「被爆者の自分史」の20年
「自分史つうしん ヒバクシャ」を20年間240か月、240号(2013年1月)まで発行。のべ940編、実数は、被爆者95人、二世・三世10人、支援者66人。

 

 

ヒバクシャ-ともに生きる第33号

『ヒバクシャ-ともに生きる第33号』原爆被害者相談員の会、20160806

目次

三村正弘  巻頭言
田村和之 最高裁で勝訴-在韓被爆者医療費裁判~最高裁判決の意味、残された課題~
高東征二 「黒い雨」地域拡大の運動に参加して
望月照己 世界遺産・原爆ドームの近くにかき船は、いらない!
渡邊美和 原発事故から五年四ヵ月~福島原発ひろしま訴訟~
山地恭子 在韓被爆者渡日治療広島委員会活動終了の節目に
村田 朱 12・11基本懇意見書にこだわる被爆者問題講演会の報告
村上須賀子 「被爆体験の継承~ヒロシマMSWの生活史から~」

 

ヒバクシャ-ともに生きる第34号

『ヒバクシャ-ともに生きる第34号』原爆被害者相談員の会、20170806

目次

三村正弘 巻頭言
山下正寿 ビキニ事件を検証する
古寺愛子 原爆症認定申請を支援して
中野陽子 長崎原爆学級について
宇田茂樹 長崎原爆・被爆稲を育てて感じていること
渡辺淳子 “究極の偶然”リオオリンピック1分間の黙祷を目指して
古寺愛子 第35回 8・6原爆被害者証言のつどい報告
村田 朱 12・11被爆者問題講演会の報告
直野章子 講演録「被爆者を引き受ける―七一年目の広島で」
三村正弘 福島第一原発被災地の視察と交流・研修(概要)
中村有紀子 貧困研究会 第九回研究大会 シンポジウム報告
山地恭子 福島に生きるソーシャルワーカー~被災者として~
望月みはる 福島、原発避難区域の現地調査
三村正弘 浜通り医療生協組織部訪問
古寺愛子 『生きる』5集出版記念パーティー

 

ヒバクシャ-ともに生きる第5号

『ヒバクシャ-ともに生きる第5号』原爆被害者相談員の会、19861211

目次

 鈴木 勉 はじめに
第二回・平和的生存のためのボランティア講座
被団協調査
 原爆被害者相談員の会事務局 日本被団協調査のとりくみをふりかえって
証言活動
  久保浦寛人 証言のつどい五年の歩みから
一九八六年度証言活動一覧
活動報告
 広瀬 勝 原爆遺跡めぐりに参加して
 加藤礼子 中国を訪問して

 

ヒバクシャ-ともに生きる第4号

『ヒバクシャ-ともに生きる第4号』原爆被害者相談員の会、19851211

目次

 鈴木 勉 はじめに
 河合幸尾 四年間の相談活動をふり返って ―私的な感想
座談会 被爆者相談活動の現状と課題をさぐる―待つ相談から出かける相談をめざして 出席者:三村正弘、一泰治、若林節美、江崎須賀子、山田寿美子、小嶋章吾、中村義明、(司会進行)塚本弥生
 久保浦寛人 原爆被害者のつどい一年のあゆみ
一九八五年度証言活動一覧
第一回世界平和連帯都市市長会議 被爆者との懇談会参加者の報告から (久保浦寛人、加藤礼子、加藤英雄 、 桑原千代子 、 川相廣子、土井久男、米田美津子、宮田幸子、片桐チヨ子)
舟橋喜恵 被爆者から学ぶもの《被爆者へのメッセージ》より
江崎須賀子 原爆小頭症患者・木田さん(仮名)宅への訪問相談活動報告
研究会活動
 松崎 徹 被爆体験の継承とは何か 受け継ぐものの立場から
小嶋章吾 二つの原爆被害者調査について

 

ヒバクシャ-ともに生きる第3号

『ヒバクシャ-ともに生きる第3号』原爆被害者相談員の会、19841211

目次

 大牟田 稔 原爆小頭症患者たちとの20年
島方時夫/江崎須賀子 被爆全滅一家の供養を続けるには
片山文枝 ガレスコ氏との出合い
 木村千代子 ドームの窓の少女
原爆資料館及び平和施設等の実態調査の結果について
塚本弥生 原爆被害者アンケート調査から 39年目の生活状況
宇吹 暁 予算からみた原爆被害者対策の変遷
 栗栖武士朗 被爆者援護法を制定せよ! 連続学習会第1回(84.10.21)被爆者援護法の歩みと展望
江崎須賀子 平和的生存のためのボランティア講座―相談員養成講座の内容とその成果
第一回/平和的生存のためには私達は・相原和光 60 第一回/ボランティア実践の中の学びについて・一 泰治 61 第二回/被爆者から学ぶもの・槙 繁 62 第三回/人はかかわりの中で生きている・塩山二郎 63 第四回/人とのかかわり・ケースワーク入門・宗像房子 64 第五回/平和的生存と社会保障・鈴木 勉 65 第六回/被爆者生活史はあくの意味・若林節美 66 第七回/被爆者援護の実情・江崎須賀子 67 第八回/被爆者証言・講座終了のつどい
参加者の感想より
池田みはる 「被爆の実相を語る会」について<***今年は、原水禁世界大会の一環として当初から取り組みを行ってきたこともあり、予想を大幅に上回る参加者***>
我妻正規 原爆二法研究会報告<1983年6月、弁護士、ケースワーカー、修習生などで発足>
片桐直樹 映画「生きるための証言」を世界の人々へ
 山田寿美子 肥田舜太郎氏を迎えて<1984年6月23日講演>

 

ヒバクシャ-ともに生きる第2号

『ヒバクシャ-ともに生きる第2号』原爆被害者相談員の会、19831211

目次

 石田 明 三十八年目の自戒
古山寿朗 被爆者行政の問題点 広島市における「手帳」交付事務の一側面
槙 繁 私にとって被爆者とは― 相談所・取材雑感
*はじめに、*草の根運動と被爆者運動、*加害と被害をめぐって<アジア文学者会議、浄土真宗西本願寺派の平和シンポジウム>、*語ってほしい””被爆に至る個人史、*被爆者相談の社会的責任、*たとえば被爆者条例を
相談活動から
小嶋章吾 原爆手帳の意味におもう
原爆被害者証言のつどい
久保浦寛人 「原爆被害者証言のつどい」誕生の経緯とグループ活動一年のあゆみについて
山岡ミチコ 私の人生を変える広島
 沼田鈴子 ヒバクシャとして悔いのない一生のために
山本幸雄 三十八年目に書いた妻の証言手記から
相良カヨ ”まったなし”の状況に適切な対応を
山本昌子 県東部地区被爆者相談に参加して
石田一紀 証言活動のエッセンス
 奥谷義行 相談員の会の活動に思う(平和を語る青年の集い)

 

『患者と福祉 1971』

広島県医療社会事業協会『患者と福祉 1971』1971年8月1日発行

目次

 上村吉郎  今後の医療社会事業(広島県医療社会事業協会長)
山本鎮雄 医療行為の二律背反と医療社会事業の必要性(広島女子大学講師)
特集=原爆被爆者対策に考える=
志水 清: 原爆被爆者対策に対する提言(原爆傷害調査委員会医科社会部長)
 宮本秀夫: 被爆者対策の基底(広島県社会福祉協議会コミュニティオーガニゼーションワーカー)
 西谷義則: 被爆保護世帯の実態と今後の課題(広島市社会福祉事務所ケースワーカー)
事例研究
 若林節美: 入院拒否を続けた原爆被爆母子家庭(広島原爆病院ケースワーカー)
 児島美都子: 講評/遅すぎたケース紹介(日本福祉大学助教授)

『患者と福祉 1972』

広島県医療社会事業協会『患者と福祉 1972』1972年10月10日発行

目次

上村吉郎 巻頭言:社会福祉の向上を<広島県医療社会事業協会長>
江崎須賀子 人工血液腎臓透析医療のかかえる問題
特集=社会福祉士法制定試案を考える
三村正弘 「社会福祉士法」案に対する提言
特集=老人と医療 パネルディスカッション(=1971年12月16日開催の広島県MSW協会第2回研修会のまとめ)
<出席者>上村吉郎、*江紀雄、若林節美(広島原爆病院、MSW)、田中勉<助言者>和田直(広島大学名誉教授、ABCC顧問)<司会>早川美子(原爆対策協議会、PSW)
事例研究
西村清登 事例4:ある婦人の腎臓摘出手術をめぐって
早川美子 事例7:ある被爆家庭の人間関係(PSW、現広島県立精神衛生センター専門員)
特集=原爆被爆者対策に考える=
志水 清:原爆被爆者対策に対する提言
宮本秀夫:被爆者対策の基底
西谷義則:被爆保護世帯の実態と今後の課題
事例研究
若林節美:入院拒否を続けた原爆被爆母子家庭
児島美都子:講評/遅すぎたケース紹介

 

社会福祉ひろしま(号外)

『社会福祉ひろしま(号外)』(広島県社会福祉協議会)19671208

目次

原爆被爆者と社会福祉
小川政亮 被爆者援護法と社会保障
平岡敬 被爆者の生活と感情
志水清 原爆被爆者の医療制度の現状と問題点
永田守男 随想 科学者と原爆
向井佐歳 〈福祉の言葉〉
宮本 編集後記
編集後記=「…▼新聞「社会福祉ひろしま」の号外として、本会初めての雑誌の発行を試みた。現代福祉国家論の虚構を弾劾してゆく基点に思想としての「ヒロシマ」を擁立したいと思う。被爆地広島における貧困と植民地的繁栄の断絶、被爆者の生活保障の筋道は、われわれに社会事業対象へアプローチする上での新しい視覚を要求しているのではないだろうか?…」

紹介:ヒロシマの小さな流れ

8月6日、広島に集中する平和運動の流れは、大会決議の発表で頂点に達し、以降、引き潮のように霧散します。「ヒロシマ」と「広島」の格差を象徴しているようです。しかし、それを埋める小さなながれもあります。次に紹介するグループは、その流れです。(いづれも広島市内=順不同)
グループ名 連絡責任者 連絡場所
原水爆禁止広島母の会 前田富子 八丁堀***
憩いの家 田辺耕一郎 宇品
広島折鶴の会 河本一郎 的場
八・六友の会 吉川清 江波
談和会 今堀誠二 千田町広島大学教養部内
平和と学問を守る大学人の会 佐久間澄 同上理学部内
被災白書を進める市民の会 永田守男 胡町中国新聞社文化部内
きのこ会 長岡千鶴乃 宝町婦人会館内
広島原爆資料保存会 横田工 中島町平和記念資料館内
広島キリスト者平和の会 橋本栄一 八丁堀広島YMCA内
宗教者平和協議会 相原和光 同上
ヒロシマ研究の会 小林省三 同上
広島研究の会 大牟田
「平和の灯」奉賛会 藤田定一 金屋町労働会館内
ワールド・フレンドシップ・センター 原田東岷 南観音
山下会 近藤幸子 己斐上
胎内被爆者、被爆二世を守る会 上幟町1-3・平和センター
原爆被害友の会 升川貴志栄 山根
平和のために対話を!市民の会 庄野直美 牛田町広島女学院大学内

 

原爆以後・廃墟の中より

『原爆以後・廃墟の中より』
広島文理科大学学友会文化部・広島高等師範学校学友会文化部編、1948年12月1日

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1948年11月2日から約1週間挙行される学園文化祭の「来会者の便宜に資し、且つ記念出版として、…「文化祭の栞」なるパンフレットとして発行するはずであった」<文理大学友会文化部「編輯後記」より>

目次

長田新(学長) 巻頭言 学園文化祭を祝いて
福原淑人(学友会文化部理事長、大学教育学科) 新文化創造の精神と哲学的実存のイデー(学園文化祭の意義に関して)
マックミラン女史(広島女学院講師) 広島の文化的再建の為に
沈木(中華民国広島華僑聯合会長) 学園文化祭に寄せて

 

三十五年目の被爆者

『三十五年目の被爆者』(広島原爆被害者問題ケースワーカー研究会編、労働教育センター、19790720刊)

目次

はじめに
富岡啓子 広島原爆障害対策協議会 二人の娘に残したもの-中川和子さんの場合
若林節美 広島原爆病院 絵に託すねがい-宮本広三さんの場合
池田みはる 草津病院 病室の中で-品川和三一さんの場合
江崎須賀子 広島市民病院 肝障害を押して-工藤志げのさんの場合
西村清登 放射線影響研究所 光をうばわれた半生-杉沢浅代さんの場合
白石順子 元放射線影響研究所
三村正弘 福島生協病院 生きていてよかったといえる日まで-富永初子さんの場合
塚本弥生 広島市民病院 平和を願い、訴えつづけて-藤枝良枝さんの場合
桶舎洋子 元安佐協同病院 長袖で過ごした青春-西田豊子さんの場合
加藤礼子 広島赤十字病院 生きる重み-長沢豊太郎さんの場合
山田寿美子 福島生協病院 二重の障害を背負って-西本良子さんの場合
座談会-いま被爆者は 石田明(全国被爆教師の会)、湯崎稔(広島大学)、富岡啓子、三村正弘、若林節美

 

被爆二世 その語られなかった日々と明日

『被爆二世 その語られなかった日々と明日』(広島記者団被爆二世刊行委員会編、時事通信社、1972年7月15日)

目次

 そうてい・カット 四国五郎
今中次麿
序
この子らのあすに何があるか/ひき継がれる“核の爪跡”
Ⅰ あすにむかって-被爆二世とその周辺
1 “帰らぬ鶴”を越えて<瀬戸真美さんの場合>
被爆二世であることの自覚/四つのときからの会員/玄海灘を越えて/多くの人に知らっもらいたい/真美さんの夢
2 歩みはじめた二十歳<川口裕子さんの場合>
私は平凡な女の子/主体的な歩み/活動家一年生/若ものたちとともに/大地に種をまく勇気を
3 看護婦をえらんだ姉<向井秀子さんの場合>
陸上競技の選手/お母さんの被爆/弟の発病/弟の死/看護婦の道をえらんで
4 十三日目の二次被爆が…<栗栖みどりさんの場合>
午前六時までもちこたえれば/いっしょに仕事をしたい・遊びたい/あの人に悪いけど、死にたい/原爆投下後十三日目の放射能が……/母の思い
5 もう少し遅く生まれていれば<山下恵子さんの場合>
クラスの中心人物/たった一つの弱音/壁と壁を破るもの
6 母親の心の軌跡<名越史樹君と操さんの場合>
原爆の生き証人/ランドセルも背負えないで/フミキ、シッカリ、カンドケ/『ぼく生きたかった』の出版/マスコミにとりあげられる苦痛/ベトナムの子らと
7 四十五万円の希望<沖縄の被爆者>
復帰にともなう生活危機/米軍を恐れながら/絶望を深める検診/沖縄の被爆二世/この距離をどう埋めるか
Ⅱ  原水禁運動と被爆二世
1  黙殺しつづけた行政
『ヒロシマの証言』の所信/行政姿勢の反映?
2 「守る会」生まれる
守る会の目的と方針/被爆者差別は核武装への奉仕/日本中の子どもの問題/目的は一致しながら/『広島はたたかう』
3 被爆二世の健康調査
五人に一人が異常あり/救援に役立つ調査を
4  一貫する行政の姿勢
広島県・市へ申し入れ/調査に踏みきらぬ行政当局/母の怒り、市民の怒り/守る会から対策会ヘ
5 母親たち 110
山下会の歩み/被爆二世と結婚/屈折した経験/手記づくり運動\ヒロシマの母とベトナムの母
6 要求で起ち上がった労働者
国労被爆協の取組/全電通の調査活動/被爆教師の会/新しい共同の動きⅢ 医学と被爆者
Ⅲ 医学と被爆者
1  原爆と医学 杉原芳夫
医学の根底-政治/障害の隠蔽-ABCC/原爆症とは何か-科学的認識論/胎内被爆-非人道的調査/遣伝的障害-突然変異/被爆二世-白血病/差別の根源-核戦争政策
2  核戦略体制下のABCC
二十五年ぶり来広の真意は/原爆投下直後の救護体制/日本側救護を禁圧したプレス・コード/調査研究資料を押収したアメリカ調査団/日本料学者の努力とそれへの圧迫/ABCCの調査活動/被害者より加害者がはばをきかす/ABCCの真の目的/核戦争対策/ABCCは米政府機関/米本国へ送られた被爆者の臓器/アメリカの防衛と安全のための「契約」/無条件完全返還を
3  ABCCに癒着する広大原医研
三つの研究機関/遺体についての協定/ABCCへの死亡連絡/原医研のなりたち/原爆医学標本センター/原医研と被爆二世/ABCCとの関係/被爆者の背番号/下請け機関であることをやめよ
Ⅳ  国、地方自治体と被爆二世
1  “特別援護はしない”―厚生省-
「学術の進歩に合わせて考慮する」/その行政上の矛盾/急務にこたえよ
2 “医科学的証明がない”―広島県・市-
被爆地の自治体でありながら…/県も市と同歩調/後退する陳情書
3  先進的にとりくむ京都府など
京都の被爆者/被爆二世対策の実施/北海道でも/川崎市でも
4  長崎にて<ルポルタージュ> 深川宗俊
被爆二世の死/国への要望/対策にのりだした長崎市/ある被爆活動家の意見/沈黙は差別を助長する/長崎「青年と被爆二世の会」の発足/鎮魂のうたとして/“死を待つ行政”をのりこえて
Ⅴ  朝鮮人被爆者・被爆二世
1 差別の中を生きぬく
朴竜時さん一家の場合-一家の苦難/差別にくじけずに 金秀鉉さん一家の場合-生きかえってからの苦しみ/被爆者の子どもの人生/骨身にしみる憤り/快活な二世たち
2  二十七年間の空白
差別と貧困ヘの告発/広島の朝鮮人被爆者/はかどらぬ朝鮮人被爆者の救援/北朝鮮の被爆者たち/日本の責任
むすびにかえて
あとがき <本書は、日本ジャーナリスト会議広島支部(昭和42年結成)の学習会のなかから生まれた>

広島大学総合科目:戦争と平和のための総合的考察

広島大学総合科目:戦争と平和のための総合的考察 1977年~

出典:山田浩、森利一編『平和研究ノート』(広島大学総合科学部国際関係論教室、19790518)

目次

章
01 芝田進午 平和の思想
14 北西允 日本の原水禁運動―略史と問題点
15 庄野直美 核時代と原爆被爆者
16 藤井敏彦 平和教育
17 松元寛 原点としてのヒロシマ

 

ICBUW広島大会

ICBUW(ウラン兵器禁止を求める国際連合=The International Coalition to Ban Uranium Weapon)広島大会 20060803~

出典:『ウラン兵器なき世界をめざして ICBUWの挑戦』(NO DU ヒロシマ・プロジェクト、20080415)

目次

プロローグ
(4)劣化ウラン問題をめぐる動き-第二次世界大戦からイラク戦争まで
開会 ICBUW国際キャンペーンの展開(全体会議/8月3日/広島国際会議場ひまわり)
嘉指信雄:ヒロシマ大会の使命-”核の影”としてのDU問題
秋葉忠利(広島市長):力を合わせて、大きな運動のうねりを創り出しましょう
第1 被害-1/イラク(8月3日/広島国際会議場ひまわり)
第2 被害-2/アメリカ(8月3日/広島国際会議場フェニックス)
第3 科学-1/問題の核心と展望(8月4日/広島国際会議場ひまわり)
(5)広島・長崎原爆の残留放射線による内部被曝の影響 沢田昭二(原水爆禁止日本協議会代表理事)
(6)[コメンテーターからの発言]①市川定夫②小出裕章
第4 被害-3/ヨーロッパ(8月4日/広島国際会議場フェニックス)
第5 キャンペーン-1/アジア太平洋(8月4日/広島国際会議場ひまわり)
(4)「生きているか?正常か?」と問うイラクの母親たち-イラクにおけるDU被害緊急調査 森瀧春子
特別 特別セッション ヒバクシャとの交流 特に”内部ヒバク”をめぐって
(1)わたしの被爆体験 松島圭次郎
(2)原爆症認定集団訴訟の広島地裁判決について 渡辺力人
(3)広島の医師として、イラクの医師から学んだもの 丸屋博
(4)「あの日」の体験 高橋昭博
(6)原爆症認定集団訴訟について 松尾健太郎/田部知江子
(8)[解説]ICRPの「放射線安全基準」の問題性 内藤雅義
第6 キャンペーン-2/禁止条約実現に向けての戦略(8月5日/袋町市民交流プラザ)
第7 科学-2/科学問題をめぐる討議(8月5日/袋町市民交流プラザ)
 (1)討論/[コメンテーターからの発言]①矢ケ崎克馬②松井英介
第8 キャンペーン-3/被害者支援に向けて(8月5日/袋町市民交流プラザ)
閉会 ICBUWヒロシマ・アピール採択
(1)核被害者をこれ以上出さないために-60年間ヒバクシャを診てきて思うこと 肥田舜太郎
(2)未来が引く力は、過去が押す力よりも強い-ヒロシマ大会に参加して思うこと ナスリーン・アジミ(ユニタール広島事務所所長)
(4)ウラン兵器禁止ヒロシマ・アピール