「32 原水爆禁止運動」カテゴリーアーカイブ

核禁会議30年史

『核兵器廃絶と恒久平和を求めて-核禁会議30年史』(核兵器禁止平和建設国民会議、19940101)

目次

章節 タイトル 備考
題字 磯村英一書 91歳
発刊のことば-21世紀に向って強く前進 磯村英一
30年史の発刊に寄せて
1 核禁会議の誕生
1-1 結成までのいきさつ
1-2 内外注視の中の結成大会
<資料>結成大会で採択された宣言・決議・活動方針・組織方針
2 核兵器廃絶をめざして
2-1 核実験阻止の抗議行動
2-2 部分核停協定などの促進
2-3 核兵器禁止国民大会の開催
2-4 核禁運動の大同団結の呼びかけ
2-5 シンポジウムと地方核禁討論集会
2-6 行進・キャラバンなど世論喚起
2-7 非核3原則の堅持を訴える
3 国際世論に訴えて
3-1 核兵器禁止宗教者平和使節団の派遣
3-2 第1回アジア核禁会議の開催
3-3 国連軍縮特別総会に向けて
3-4 サミットに核廃絶を申入れ
3-5 釜山で「韓国・原爆資料展」開催
4 被爆者に愛の手を
4-1 被爆者救援カンパ活動の展開
4-2 被爆者の健康管理の促進と医療器具の贈呈
4-3 韓国被爆者の救援と診療センターの建設
4-4 被爆者援護法の制定実現に努力
<資料>「原子爆弾被爆者援護対策の基本的要綱」
5 平和への願い
5-1 「平和の灯(ともしび)」の建設
5-2 「平和の泉」の建設
5-3 「平和の森」の建設
5-4 “万羽鶴”に願いをこめて
5-5 「人間環境宣言」で要望
5-6 「ノーモア広島・長崎」への決意
5-7 原子力の平和利用をめざして
5-8 核軍縮国際センターの設立を提唱
6 核兵器をめぐるここ10年の情勢と核禁会議の基本姿勢
座談会 核禁会議結成前後「あのころ・あのこと」(松下正寿・伊藤郁男・山本道・一木香告樹)
資料集 核禁会議理事団体・歴代役員並びに規約
被爆者救援金配分内容=各県別カンパ額
年表
あとがき

核兵器禁止平和建設国民会議(資料 )

核兵器禁止平和建設国民会議(資料 )

年月日 タイトル 備考
19610906 核兵器禁止と平和建設のために 核兵器禁止平和建設国民会議
197804 在韓被爆者 核兵器禁止平和建設国民会議
[目次]1.被爆の背景、2.在韓被爆者の社会的背景、3.陜川郡における被爆者実態調査、4.韓国被爆者の身体的障害と健康状況、5.韓国被爆者救援活動、6.韓国陜川原爆被害者診療所に対する慶尚南道と陜川郡の支援状況。
19820615 核兵器廃絶の叫び-核禁会議二十年史 核兵器禁止平和建設国民会議
199401 核兵器廃絶と恒久平和を求めて : 核禁会議三十年史 核兵器禁止平和建設国民会議

波乱の生涯を全力でつくした七十年の斗魂

『波乱の生涯を全力でつくした七十年の斗魂』(金本邦夫著、財団法人富士社会教育センター刊、19960520刊)目次抄

章節
出版に寄せて
はじめに
1 小さい頃と両親のこと
2 小学校時代のこと
3 青年団活動
4 大東亜戦争のこと
4-12 原爆と終戦
5 音戸町体育協会のこと
6 全力つくした町議会議員
6-1 戦後第1回統一地方選挙に出馬。<音戸町議員>
6-2 戦争未亡人救済の町営授産場設立に努力
6-3 町立保育所の設立を実現
6-4 音戸高等学校誘致に死力をつくす
7 呉造船労働組合時代 労働運動に生涯をかける決意
7-1 労働運動に入るきっかけ
7-2 給料遅配に特別交渉委員。出征兵士見送り同様の壮行会で上京
7-6 全国初の厚生年金還元融資の串山住宅
7-7 中国労災病院呉誘致に一役買う
7-9 呉造船独立と労働組合
7-10 生協売店市中進出反対デモの応対。本部建設に一役、音戸取次所を自宅に
7-12 労働組合長に就任
7-13 年満者夫婦の招待慰安旅行の実施
7-16 組合特自の共済規定の実現
7-17 家族会の結成と家族相談室の設立
7-19 年満者引続き雇用を要求・遂に呉船産業株式会社設立を実現
7-20 毎日新聞全国版(1961年2月4日)に40代の顔として紹介される
7-22 組合結成十五周年記念事業として十五年史発刊と会館建設を実施
8 広島全労議長として活躍
8-1  造船総連、総同盟等の上部役員
8-2  広島全労議長に就任
 8-3  県関係の各種委員に任命される
 8-4  日本生産性本部米国派遣視察。労働者チーム十二名の団長として
 8-4-1  出発に郷里で見送り壮行会
 8-4-2  いよいよアメリカ、主要都市周辺のこと
 8-4-3  労働組合が国旗と組合旗を尊重
 8-4-4  徹底している産業別組織の確立。大手鉄鋼会社で県出身二世課長の案内
 8-4-5  組合大会を見学、幹部と懇談。働きすぎの日本におひやかされる
 8-4-6  日系人のこと
 8-4-7  手土産と家庭訪問
 8-4-8  余話
 8-5  最賃法裁判で基準局賃金課長を激励
8-7-1
 8-6  憲法調査会の公述人として意見陳述
8-7 核禁会議の結成で原水協とテレビ対決
8-8 労済、労住、労福協の結成
8-8-1 植木仙次郎氏8-5の功績
8-8-2 広島県労働者共済生活協同組合の設立
8-8-3 広島県労働者住宅生活協同組合の設立10月
8-8-4 広島県労働者福祉対策協議会結成
8-8-5 結成周年記念式典の思い出
8-8-6 焼山政畝団地造成の思い出
8-8-7 音戸波多見竹田浜埋立団地に
8-9 労働争議の斡旋、調停、指導
8-9-1 西美電気西光精機(現テンパール工業)
8-9-2 府中町静養院の争議
8-9-3 ニコニコバスの争議
8-9-4 日東製網の争議解決に努力
8-9-5 佐竹新労結成は暴力を排除して
8-9-6 激しかった当時の労働争議
8-9-7 国鉄、電産のスト、労使に苦言
8-9-8 地労委としての私の基本的考えと携わった事件
8-9-9
8-9-10 メーデー改善を訴える
8-9-11 講演依頼やテレビ、ラジオの対談。常にマスコミの対象にされる
8-9-12 同盟会議結成の準備と全労議長退任
9 職場復帰で全力投球 社長表彰、更に営業で実績
10 PTA活動と小、中学校の分離推進で中学校建設に献身
11 生涯民社党を貫く
12 思い出深い選挙活動
まえがき
12-1 衆議院議員前田栄之助先生を支えて
12-2 民社党結党直後の衆院選、私に出馬要請されるも遂に辞退
12-3 永野巖雄先生とのかかわり
12-4 二区衆議院選に香河直祐氏。選対委員長を引受けて闘う
12-5 山田節男先生と私。参議院選挙と広島市長選挙
12-6 浜田光人先生、衆院選擁立について
12-7 保野健治郎先生の選挙
12-7-1 呉市長選擁立に社公民三党の話合い
12-7-2 二回目の市長選は未曽有の激戦
12-7-3 衆院二区に擁立して健闘。事務長を引受ける
12-8 小西博行先生擁立に主役。経緯と参院選
12-9 永末英一選対委員長来呉で二区衆院候補擁立について話合う
12-10 全国初の公民協力、勝谷勝弘氏を支援
12-11 盟友玉野晃君と県会議員選挙
12-12 玉野君病で引退説得を依頼される。後任混乱。私は苦しみ抜き、党のため遂に候補受諾
12-13 次期県議候補に柳田稔氏を説得
12-14 参院地方区佐々木秀隆候補は呉支部党員
12-15 呉市議選につくした私の役割
12-15-1 組合長在任中二回の補欠選挙に勝利
12-15-2 出崎文三氏をわが社社員で市議へ
12-15-3 榊原伍市議との交友
12-15-4 横田勝信市議とのこと
12-15-5 民社の申し子、重盛親聖市議。永年の結びつきと選挙を思う
12-15-6 組織外から森岡よし子氏擁立に一役。平成七年統一地方選に初の女性市議
12-15-7 成功しなかった市議選
12-16 川尻町長選に花田博幸氏、惜敗する
12-17 音戸町長選(平成五年)を思う
12-18 公職選挙法違反で留置場十九日。会社、団体等役員十九件を辞任
12-19 民社党候補者探しは私の役目として努力
13 会社設立し理想に向って
13-1 IHIを中途退職して外で行動
13-2 株式会社くれせん設立
14 家庭、家族のこと
15 大東亜戦争戦没者慰霊碑建設と老人福祉施設の建設を希求して
むすびに
金本邦夫略年譜

核兵器廃絶を訴える被爆者国際遊説(1985)

核兵器廃絶を訴える被爆者国際遊説(1985)

 被爆40周年の1985年2月、日本原水協をはじめ世界12力国の反核・平和運動組織(アメリカ、イギリス、オランダ、スウェーデン、東ドイツ、イタリア、キューバ、オーストラリア、ニュージーランド、ベトナム、アルジェリア、日本)が、広島につどい協議し、「核兵器全面禁止・廃絶のためにヒロシマ・ナガサキからのアピール」を発表しました。
日本原水協は、「アピール」支持署名の日本国民の過半数を目標にとりくみました。
さらに、ヒロシマ・ナガサキの被爆の実相をつたえ、核戦争の阻止、核兵器廃絶の世論をたかめ「アピール」支持署名を広げるために、世界各地に被爆者を含む遊説代表団を送る活動をすすめました。
遊説団の訪問先は、1985年4月にフィリピン、6月オランダ、7~8月イギリス、アイスランド、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランド、10月スイス、11月イタリア、そして86年1月にオランダ、ベルギー、2月にラオスとのべ12力国におよびました。
遊説代表団員の総数は、121名。25班にわかれて訪れた都市は約250、大小集会に約300回参加し、のべ1000回近くマスコミで報道されました。
出典:『核兵器廃絶を訴える被爆者国際遊説の記録 Hibakusha Peace Tour(原水爆禁止日本協議会、19860806)』

 

被爆者国際遊説団名簿

遊説先 氏名 所属
●フィリピン 19850406~15
大久保忠一 埼玉県熊谷原水協・埼玉民医連
岡広 三重県・日本AALA連帯委員会
緒方義孝 全港建労働組合神戸地本
河原直孝 国公労連
久保美津子 被爆者(広島)広島新婦人
児玉三智子 被爆者(広島)千葉県船橋市南診療所
斉藤君子 新婦人神奈川県本部
津川計子 日本民医連東神戸病院
土居賢一 全司法労組
浜島勇 原水協担当常任理事・日高教
宮田昌幸 全商連・宮田印刷
酒井伊津子 通訳
辻山昭三 事務局
安田和也
草地康子
●オランダ 19850625~0708
A班
小島光雄
中谷恒男
村上経行 被爆者(広島)
萩原信宏
和田美昭
篠原敏美
酒井伊津子
B班
林正道
伊谷周一 被爆者(広島丿鳥取県原水協
津田光男
坂入博子
秋元恵子
宮沢彰一
高草木博
●イギリス・アイスランド 19850801~11
佐藤裕
本間三郎
木村昭六
栗栖主税 被爆者(広島)
大森幹男 広島原水協
信政ちえ子 広島原水協
有光登一 被爆者(広島)愛媛県原爆被害者の会
仁木義雄
長谷部栄祐
渡辺孝三 被爆者(広島)奈良県原爆被害者の会
中島宏 被爆者(広島)香川県被爆者の会
出島艶子 被爆者(広島)東友会
中沢憲一
柏木文代
柏木文代
 岡村利男 被爆者(広島)高知県被爆者の会
渡辺政成
 田中重光 被爆者(長崎)全動労長崎支部
深町君江
志賀さゆり 通訳
 トモヨ・マクドナルド
 辻光枝
●アメリカ合衆国 19850724~0813
中西部◆
浅野哲人 被爆者(広島)大阪しろきた市民生協
安藤広司 被爆者(広島)長野県原水爆被災者の会
佐藤岑夫 三重県原水協
 大山済世 通訳
南東部◆
 三輪博志 被爆者(長崎)
福本宏支 被爆者(長崎)徳島県原爆被害者の会
藤岡忠治
藤野雅美 通訳
中部大西洋岸◆
丸岡文麿 被爆者(広島)京都原水協
 森本テル 被爆者(長崎)
石黒三沙子
 朝戸理恵子 事務局
北東部◆
栗栖洋 被爆者(広島)高校教諭
 高井栄 被爆者(広島)神奈川原爆被災者の会
中田鉄太郎
酒井伊津子
ニューヨーク◆
土田康 被爆者(広島)神奈川原爆被災者の会
伊藤吉紀
 セッコ・サーロー 在米被爆者(広島)
 ハラシマ・トシコ 通訳
西海岸◆ 19850724~0812
奥野栄 被爆者(長崎)
 堀田シズエ 被爆者(広島)・埼玉
桜木早苗
堀田義裕
 南西部◆
 吉崎幸恵 被爆者(長崎)福岡市原爆被害者の会
 田邊俊三郎 被爆者(広島)東友会
門倉武則
谷捷子通訳
●スイス・西ドイツ 19851019~31
山口勇子 被爆者(広島)日本原水協代表理事
早川耐子 被爆者(広島)
花井透
中尾元重
 高草木博 事務局
 下田文子 通訳
●NGO会議・ベルギー・オランダ 19860118~30
佐藤裕
浜島勇
 渡辺千恵子 被爆者(長崎)
 渡辺順子 (渡辺同行者)
 村田忠彦 被爆者(広島)
堀口士郎
米田実
山川新一郎
炭谷巴之助
松下賢次
川添政彦
升井登女尾
城ゆき
 高草木博 事務局
 下田文子
 キエ・ホアン  通訳
  ●イタリア 19851012~19
  中南部◆
石井あや子
 市岡正憲 被爆者(広島)
熊久保朝正
辻山昭三
  北部◆
 米沢進 被爆者(広島)広島県原水協
 世良豊子 被爆者(広島)
 皆川恵史 広島市原水協
 上野幸子 通訳
  ●オーストラリア 19850801~06、ニュージーランド 19850807~13
  A班◆
 鶴岡正雄
 屋敷一字  広島医療生協
 佐々木優秋  呉原水協
 安賀昇
 川后宏
 堺谷一郎
 反納清史  被爆者(長崎)
  高橋マサ子 被爆者(広島)埼玉県原爆被害者協議会
 亀井和子 通訳
  B班◆
 寺本敏夫
 高倉金一郎
 嶺本治代
 村井明美
 住田哲
 溝浦勝  被爆者(長崎)
 米田進  被爆者(広島)
 菅頭康夫
  土田弥生 通訳
●ラオス
片桐隆三 被爆者(広島)
辻山昭三 事務局

世界連邦運動ヒロシマ25年史(19720625)

『世界連邦運動ヒロシマ25年史 第2回世界連邦平和促進宗教者大会記念』(世界連邦広島宗教者協議会・世界連邦建設同盟広島県協議会発行、19720625)

目次

発刊のことば 桑原英昭
序文 山田節男
第2回世界連邦平和促進宗教大会
満堂の県立体育館
武邑・谷川両氏の基調講演
あいさつ(大谷光照大会長)
宗教大会プログラム
宗教代表者大会開く
代表者会議出席者
共同コミュニケ採択
分科会の白熱的討議
第1分科会
第2分科会
第3分科会
アインシュタイン博士教訓
宣言決議を採択
大会宣言
大会決議
各界名士メッセージ
大会基調講演(要旨)
「仏教者の平和への提言」 武邑尚邦
「世界の平和と宗教者の役割。東西の平和的競争」 谷川徹三
大会役員表
大会実行委員会名簿
世界運動ヒロシマ25年史
世界連邦思想の系譜(前史)
欧米の初期世連運動
日本初期の世連思想
原爆禍と世連運動
世界連邦建設同盟
初期広島の世連運動
平和と10万名署名
賀川豊彦の世連講演
世界大会へメッセージ
アジア会議らん腸
先駆的世連広島協議会
協議会主要活動史
アジア会議の準備体制進む
世連宣言運動の推進
第3回都市協議会
広島県の世連宣言
新しい人類史の夜明け、第1回アジア会議
会議第1日
劇的な開会式
会議第2日
原爆乙女は叫ぶ
会議第3日
会議第4日と閉会式
広島よ、サヨナラ
広島宣言
各国政府と国連への勧告
会議参加協議員の名簿
第2回アジア会議開く
会議第1日
会議第2日
分科会の討議
本会議と閉会
ヒロシマ宣言
原水爆禁止決議
世界連邦と原水爆禁止運動
原水爆禁止運動の分裂
原水禁から世界運動へ
昭和30年
広島に世界連邦母の会
結成大会前後の日程
「広島に行く」 柳原白蓮
鞆町の世連宣言
8月6日に世連デー
昭和31年
呉市婦人の世連活動
初期の世連宣言運動
河佐村の世連宣言
昭和32年
広島で三大平和会議
総領町の世連宣言
昭和33年
呉市が世界連邦宣言
広島県協議会の結成
庄原市も宣言
原爆の日、三原市宣言
昭和34年
広島県が世連宣言、県下11全市も決議
西支部結成の記念講演
国会請願署名運動
賀川豊彦の功績
学生の夏期遊説
昭和35年
松本呉市長の活躍
中国地区同盟支部
広島駅頭に世連塔
昭和36年
都市協で宮島研修会
高亀さん表彰、喜寿の祝賀会
昭和37年
浜井広島市長、アクラ軍縮会議へ
高陽町が宣言
世界連邦テーマ、高校生討論会
昭和38年
呉市で第2回世連日本大会
大会宣言を決議
広島市に世連旗、米代表団が贈る
東京で世界大会
竹原で科学者会議
竹原に世連支部
昭和39年
広島市議会議員が同盟入会
学生連合が発足
カズンズ氏に名誉市民章
県宣言5周年講演
広島市宣言10周年大会
山陽協議会が新発足
世連講演会、湯川、ハビヒト氏
中国地区の宣言を推進
世界平和巡礼団、県協から3氏
オルグに桑原、岡本氏
昭和40年
桑港大会へ広島代表の参加
世界大会壮行会
同盟新副会長に山田氏
学生セミナー、6大学40名参加
沼隈町に支部
広島市の宣言11周年記念講演
中国新聞の世連啓蒙
湯川会長福山などで講演
昭和41年
広島で西日本大会開く
カトリック教会世連行事
世連のお爺さん、高亀翁逝く
原爆ドーム保存運動
都市協会長に浜井広島市長
昭和42年
ベトナムの孤児救援活動
山田同盟副会長、広島市長に当選
世界協会副会長に山田市長
オスロ世界大会代表の壮行会
山田市長のオスロ演説
各国で平和アピール、広島班12カ国歴訪
県宣言8周年講演
福山で自治体協研修会
世連宗教者協、広島で発足す
広島世連学生部
昭和43年
広島市に平和文化センター局を新設
第1回世連市民講座
神辺、加茂町が宣言
世連中・中国協議会発足
広島県協議会が発足
呉市で県協研修会
福山支部が再発足
広島に世界本部(都市協事務局)
広島宣言13周年大会
エスペラント支部発足
昭和44年
第9回世連日本大会開く
功労者6氏を表彰
基調講演と分科会、大会宣言
世界連邦政党を(カズンズ会長)
世連ひろしまの歌、一等に梶原さん
黒瀬町の世連宣言
第4回世連市民講座
竹原支部総会と講演会
市民講座とパネル討論
広島日ポ協会発会
三次市で県協研修会
地球人友の会
クラーク総長来広
昭和46年
訪ポ使節団の成果
アウシュビッツ町と黒瀬町縁組
デンマークで原爆映画
高野山研修会に参加
チョプラ女史を迎う。ホノルル世連研究会
東南アに世連使節団
第6回世連市民講座
オスロ、高野研修会へ提唱
広島地区活動報告。世連教育者会議参加
昭和47年
自治体協が出雲で研修会。広島支部新春宴
世連訪印使節団の成果
世界大会へ提案
アウシュビッツ展開幕
地球市民登録、山田市長を先頭
ラッセル記念第9回市民講座
論叢篇
ヒロシマ以後の新世界 ノーマン・カズンズ
平和創造の原理 日高一輝
世界連邦と宗教  出口伊佐男
国際法から世界法へ  小谷鶴次
人類を分断する二大障壁  伊藤栄蔵
国際経済と世界連邦 佐藤和男
「あとがき」 加藤新一

世界連邦アジア会議報告書(19530201)

『世界連邦アジア会議報告書』(世界連邦アジア会議広島準備委員会事務局 19530201)

目次

挨拶
広島宣言
世界連邦アジア会議広島決議
世界連邦アジア会議日程議題
出席者名簿
世界連邦アジア会議開かる
広島到着
開会式
総会議
歓迎晩餐会
第二日総会議
宮島観光
各委員会開催
第四日総会議
市中見物
離広
広島へ感謝
アジア会議開催の経緯
と広島準備委員会経過
アジア会議を顧みて

1
2

 

ビキニ水爆被災資料集

ビキニ水爆被災資料集(監修:三宅泰雄・檜山義夫・草野信男、編集:第五福竜丸平和協会、発行:東京大学出版会、19760331刊)

目次

編章 節項 見出し 備考
序にかえて(美濃部亮吉)
第五福龍丸のおしえ(三宅泰雄)
1 1954年3月1日ビキニ水爆実験
1-1 ビキニ水爆実験とその背景
1 オぺレーション・キャスルとビキニ水爆実験
1-1 米原子力委員会発表(実験開始と終了)
1-2 オペレーション・キャスルの日時と実験内容
1-3 ビキニ水爆は超ウラン爆弾
1-4 ビキニ灰の分析
2 実験の背景とニュールック
1-2 水爆実験の影響(その1)
1 米政府原子力委員会報告
1-3 水爆実験の影響(その2)
1-4 水爆実験の影響(その3)
1-5 水爆実験の影響(その4)
1 第五福龍丸以外の被災船リスト
2 被災がひきおこした深刻な波紋
2 第五福龍丸と乗組員の被災をめぐって
2-1 被災状況
1 被災状況
2 船体各部、積荷の汚染
2-2 船体各部、積荷の汚染
1 乗組員の症状経過
2 久保山氏の死亡をめぐって
2-3 乗組員および国内外の人びとの手記・手紙
2-4 焼津市の状況
2-5 被災問題に対するアメリカの態度
2-6 日本政府の被災対策
3 ビキニ・水爆実験に対する内外の反響
3-1 国民世論
3-2 原水爆禁止運動のもりあがり
3-3 文学・芸術・評論
4 海外の反響
付録
第五福龍丸保存運動
第五福龍丸関係保存物品目
年表
文献目録
資料収集にあたって(林茂夫)
編集後記(第五福竜丸平和協会)

広島県母親連絡会

広島県母親連絡会 19600110設立

略年表:広島の母親運動

年月日 集会名 会場 記念講演者「演題」
19550607 <日本母親大会(第1回)> 東京 <6月7日~9日>
19550710 <世界母親大会> スイス
19560122 広島県母と女教師の会 広島市 中野清一「母親と女教師のみなさまへ」
19560825 広島県母と女教師の会 広島市 帯刀貞代「日本の女性運動史をめぐって」
19570728 広島県母と女教師の会 広島市
19580727 広島県母と女教師の会 広島市
19591126 広島県母と女教師の会 広島市
19600110 広島県母親連絡会 広島市 結成
19600421 国際婦人会議 デンマーク 宇根内良子(代表団長)
19600724 広島県母と女教師の会 広島市 宇根内良子「国際婦人会議に出席して」
19610730 広島県母と女教師の会 福山市
19620624 広島県母親の集い 広島市
19630728 広島県母親の集い 広島市
19640607 広島市
19640726 広島県母親大会 広島市
19640718 広島県母親大会 広島市
—-<未入力>
19750720 広島県母親大会 広島市 宅和純「平和の灯を求めて」
以上の出典:『ひろしまの母親たち』(広島県母親連絡会、19750720)
—-<未入力>
2019 広島県母親大会 呉市

八法亭みややつこ(弁護士・噺家)「落語で語る暮らしに活きる憲法」

原水爆被害白書-かくされた真実

『原水爆被害白書-かくされた真実』 原水爆禁止日本協議会専門委員会(編)、日本評論新社、19610731

目次

序< 湯川秀樹>
序<安井郁>
1945年8月6日< 石井金一郎、田沼肇>
原水爆被害の実態 その1<佐久間澄、庄野直美、杉原芳夫>
1 原爆投下の瞬間
2 原爆による死亡者と傷害者
(1)広島原爆でどれだけの人が死んだか
(2)長崎原爆でどれだけの人が死んだか
(3)原爆による傷害者
3 恐るべき放射線障害
(1)放射能とはなにか
(2)瞬間放射線による被害
(3)残留放射線による被害
(4)被爆放射線量についての総括
原水爆被害の実態 その2<佐久間澄、庄野直美、杉原芳夫>
 1 いつまでつづく放射能害
(1)急性期症状-急性原爆症
(2)慢性原爆症-原爆症とはなにか
(3)原爆症問題の変遷と原爆症の拡大
(4)慢性原爆症の現況
(5)被爆者の体内に残されている変化
 2 放射線と遺伝
 3 もし原子戦争がおこったら
(1)アメリカ議会公聴会の記録
(2)すでに人類は原水爆の被害者になっている
被爆者の意識<山手茂>
 1 被爆者問題をどうとらえるか
被爆者の社会意識
(1)被爆者の生活意識
(2)原水爆禁止の意識と行動
(3)被爆者の政治意識
被爆者の生活<山手茂>
 1 被爆者の家庭生活
(1)破壊された被爆者の家庭
(2)原爆孤児
(3)被爆母子家庭
(4)原爆孤老
(5)被爆した主婦
(6)結婚問題
 2 被爆者の職業生活
(1)職業生活の悪条件
(2)被爆者の就職問題
(3)被爆被保護世帯
(4)失業対策事業に働らく被爆者
(5)被爆労働者
(6)被爆零細自営業者
(7)被爆農民
(8)未解放部落の被爆者
写真ページ
写真/東松照明
レイアウト/杉浦康平
被爆者と社会保障< 伊東壮、大江志乃夫>
 1 政府の援護対策
 (1)被爆者はなにを望んでいるか
(2)政府の援護対策とその特徴
 2 被爆者医療法の成立
(1)被爆者医療法案の国会提出
(2)被爆者医療法案の国会審議
(3)被爆者医療法の欠陥
 3 新被爆者医療法とその問題点
(1)被爆者医療法の「改正」
(2)新被爆者医療法の内容
(3)新被爆者医療法の問題点
(4)「被爆者援護法」の要求と社会保障
原水爆禁止と被爆者救援運動< 石井金一郎、吉田嘉清>
 1 被爆者の要求と原水爆禁止
被爆者と日本の社会
原水爆禁止と被爆者救援運動
附録< 杉原芳夫、佐久間澄>
  原爆被爆者の放射線照射による遅発性影響についてABCCに反論し,あわせて原爆症対策の科学的基礎を考察する
1/被爆線量について
2/調査標本について
3/遺伝について
4/白内障について
5/白血病について
6/ガンについて
7/児童の成長と発育について
8/胎内被爆児童における小頭症について
9/加齢の促進について
 10/成人における一般医学的見地からみた影響について
 11/その他の影響について、
 むすび
資料 原水爆禁止世界大会の宣言・決議・勧告
  あとがき<要旨>
*出発点となったのは,第4回原水爆禁止世界大会―1958年―で被爆者救援問題をとりあげた分科会の満場一致の決議
*決議にもとづき原水爆禁止日本協議会は,原水爆被害者調査をおこなうことを決定。
*調査委員会のもとに調査団をつくり,物理的・医学的被害の調査,被爆者の意識調査,被爆者組織の調査の3分野にわたり実施。
調査概要
*調査票による調査
***広島・長崎両県下で,爆心からの距離別と地域区分別に,市内は町単位,町村では町村単位に典型地域を抽出し,約500例を被爆者健康手帳交付台帳から無差別抽出して,被爆放射線量と意識の調査を実施
*被爆者の生活史の個別調査
*被爆者組識の調査
*調査の中間報告
* 原水爆禁止日本協議会“Atomic Bomb Damage in Hiroshima and Nagasaki” 1958年8月,
*日本原水爆被害者団体協議会『原爆被害の実相と被害者の苦しみ』1958年8月,
*石井金一郎「厂生きていてよかった」か』『中央公論』1958年8月号
調査委員長 森滝市郎(日本原水協代表委員)
調査団長 石井金一郎(日本原水協専門委員)
調査団員
広島の研究者グループ:佐久間澄・杉原芳夫・庄野直美・北西允・大江志乃夫・山手茂,
長崎の研究者グループ:中西市郎.川崎文治・茂木六郎・林重太・前田豊昭・天野卓郎
第1稿の執筆者名
第1章     石井金一郎,田沼  肇
第2章・第3章 佐久間澄,庄野直美,杉原芳夫
第4章・第5章 山手茂
第6章     伊東壮,大江志乃夫
第7章     石井金一郎,吉田嘉清
附録論文    杉原芳夫,佐久間澄
 謝辞(個人)黒田秀俊,藤居平一,小佐々八郎,伊藤満,草野信男,石井森太郎,山村茂雄,市村志郎,板倉静夫,竹内武志,日本評論新社:林勝郎,飯岡邦輔
  謝辞(団体)日本原水協,日本被団協。「最後に,中国人民保衛世界平和委員会など中華人民共和国7団体による被爆者救援の国際的なあたたかい援助が,この事業を成功させるために,大きな力添えになったことを報告し,中国人民の厚い友情に改めて謝意を表します」
編集責任者:石井金一郎(日本原水協専門委員),吉田嘉清(日本原水協事務局次長),田沼肇(日本原水協専門委員会幹事)
事項索引
図表索引