「07月忌」カテゴリーアーカイブ

資料年表:ロベルト・ユンク

資料年表:ロベルト・ユンク<作業中

年月日 事項 備考
1913
0511 誕生
1954
0510 『未来は既に始まった』(ロベルト・ユンク著、菊盛英夫訳、文芸春秋新社)
1957
** ユンク、初来日。
0725 『人類の危機と原水爆禁止運動 第3回原水爆禁止世界大会討議資料 第2分冊』(原水爆禁止日本協議会)
Ⅲ 原水爆禁止運動
決して飽きてはいけない R・ユンク…366
1958
0515 『千の太陽よりも明るく 原子科学者の運命』(ロベルト・ユンク著・菊盛英夫訳、文芸春秋新社)
1960
0805 『ヒロシマ・1960 永田登三写真集』(永田登三著)
 ユンク「まえがき」
1961
0210 『灰墟の光 甦えるヒロシマ』(ロベルト・ユンク著、原田義人訳、文芸春秋新社)
1962
0805 『ヒロシマわが罪と罰-原爆パイロットの苦悩の手紙』(クロード・イーザリー、ギュンター・アンデルス著、 篠原正瑛訳、筑摩書房)
 ロベルト・ユンク「解説」 5
1970
1110 『広島との対話-原爆25周年記念・テレビ特別番組の記録』(中国放送番組審議会事務局)
ロベルト・ユンク  7月27日放送  2
1978
0510 『千の太陽よりも明るく 世界ノンフィクション ヴェリタ』(ロベルト・ユンク、筑摩書房)
1979
0720 『ヒロシマに、なぜ 海外よりのまなざし』(小倉馨著、溪水社)
ロベルト・ユンク…41
0910 『原子力帝国』(ロベルト・ユンク著、山口祐弘訳、アンヴィエル刊)
1994
0714 没。
1997
0520 『ユネスコ世界遺産 原爆ドーム 21世紀への証人』(中国新聞社編著・刊)
ロベルト・ユンク 41
2010
1220 『広島県現代文学事典』 川口隆行「ロベルト・ユンク」
2012
0420 『反核から脱原発へ ドイツとヨーロッパ諸国の選択』(若尾祐司・本田宏編、昭和堂)
第1章 反核の論理と運動 若尾祐司 3
-ロベルト・ユンクの歩み-
1 「短い二〇世紀」を駆け抜ける 3
2 戦争と科学技術と人間類型 11
3 「未来はすでに始まった」 19
4 広島・新しい千年紀への原点 25
5 未来運動から「原子力国家」批判へ 33
2013
0215 ユンク科研グループ『ヒロシマを世界に伝える 核の被害なき未来を求めて ロベルト・ユンク生誕100周年記念資料展』
期間:平成25年(2013年)2月15日(金)~3月28日(木)
場所:広島平和記念資料館 東館地下1階 ホワイエ
主催:広島平和記念資料館、ユンク科研グループ
協力:ロベルト・ユンク未来研究図書館、NPO法人日独平和フォーラム
1224 『二十世紀研究 第14号』(二十世紀研究編集委員会)
特集 核と対峙する人々
若尾祐司
反核の倫理と運動
‐R.ユンクとG.アンデルスの交差‐ (1)
倉科一希
2018
0710 『戦後ヒロシマの記録と記憶 小倉馨のR・ユンク宛書簡 上・下』(若尾祐司・小倉桂子編、名古屋大学出版会)

 

資料年表:山崎与三郎

資料年表:山崎与三郎<作業中

年月日 事項 備考
1889
1001 誕生。
1949
0920 広島平和記念都市建設方案 (昭和24.9.20立案)
1954
0723 『原爆関係文献目録 広島・長崎を中心とする』(山崎与三郎編、千田書房)
1956
0215 『統計の泉 Vol.7 2月号 No.67』(広島県統計協会)
文献紹介
広島アルバム (新庄正男・山崎与三郎編)
1968
0215 『原爆被災資科広島研究会』発足。
0308 「原爆資料の収集と保存を考える」(中)<『中国新聞』連載>
山崎与三郎(原爆資料保存会幹事)原爆資料の重要性 体験と実証で平和を 年とともに困難さ増す
1970
0401 『広島通信 No.20』(「広島通信」の会)
山崎与三郎「観光客から巡礼者へ」
0806 『原爆被災資料総目録 第二集』(原爆被災資料広島研究会)
1973
0715 『吾家の原爆体験記 死線を越えて』(山崎与三郎)
1975
0720 『平和の聖都ひろしま 広島巡礼案内』(山崎与三郎著、高橋謄写堂)
1976
0714 死亡。享年86歳。
** 千田書房(店主=山崎与三郎)印

末宗明登

末宗明登

すえむね・あきと ****生20110713没 享年84歳 1988年から2005年まで広島県原爆被害者団体協議会<金子一士理事長>事務局長。「広島被爆者団体連絡会議」の事務局長も経験。

資料年表:末宗明登<作業中

年月日
**** 誕生
1988
0703 広島県被団協総会。役員改選。中本剛事務局長が副理事長、事務局長に末宗事務局次長。 C
2005
0707 広島県被団協総会。17年間事務局長を務めた末宗を新設の筆頭副理事長とし、後任事務局長は吉岡幸雄。 C
2011
0713 死去。84歳。
0715 「1945年8月6日、爆心地から約キロの勤務先の広島駅構内で被爆。戦後は国鉄で労働運動に打ちこんだ」 C

資料年表:小倉馨

資料年表:小倉馨<作業中

年月日
1920
1013
1965
0723 『週刊広島 3号』(広報出版センター)
随筆四人集 小倉馨・大原三八雄・海見綾子・内田省三 35
1971
1201 『広島憩いの家 No.3 』(広島憩いの家)
「ヒロシマの花」を読んで 4
原田東岷 服部圓 小倉馨 沢田静馬 近藤勝 萬谷ももよ 西田政一 竹内武 山田郁子 狭間正恵 竹田静江
1972
0331 『広島県史 原爆資料編』(広島県)
「あとがき」(抄「外国資料の翻訳・検討には、小倉馨・・・の方々のご協力をいただいた」
0801 『広島通信 No.34』(「広島通信」の会)
あの夏からこの夏までの間 小倉馨
1973
0625 『ヒロシマの意味』(小黒薫編、日本評論社)
 小倉馨「ヒロシマ-この二十五年」 117
1976
0715 『山田節男追想録』(山田節男追想録刊行委員会)
最後の署名 広島市渉外課長 小倉馨…170
1977
0501 『月刊ペン 10巻5号』
小倉馨「広島市長国連を行く」  142
1978
0115 『ヒロシマ・ユネスコ 第6号』
私とユネスコ 本質の把握に研さんを
国際交流、平和文化の推進のために
広島ユネスコ協会 副会長小倉馨
1979
0713 没。享年58歳。
0720 『ヒロシマに、なぜ 海外よりのまなざし』(小倉馨、 溪水社)
0901 『平和文化 第19号』( 広島平和文化センター)
 「小倉馨氏を悼む」(原田病院名誉院長 原田東岷)
1987
0420 『廣島随想』(豊田清史)
悼縁記・・小倉馨君・・・85
1988
0920 『新聞資料 原爆Ⅱ』(小田切秀雄監修、日本図書センター)
広島平和文化センター事務局長小倉馨さん死去 216
2018
0316 『Hiroshima Research News Vol.20 No.2 2018.3』(広島市立大学広島平和研究所)
0710 『戦後ヒロシマの記録と記憶 小倉馨のR・ユンク宛書簡(上・下)』(若尾祐司・小倉桂子編 、名古屋大学出版会 )
ヒロシマを世界に伝える―ロベルト・ユンク宛て小倉馨書簡  竹本真希子……4~5

被爆アオギリと生きる 語り部・沼田鈴子の伝言

『被爆アオギリと生きる 語り部・沼田鈴子の伝言 岩波ジュニア新書 , 740』(広岩近広著、岩波書店、2013/04/19)

内容

はじめに−追悼の集いにて
1 沼田鈴子さんの証言−戦争と被爆体験
1 平和を考えるために……2
2 戦争のなかで育つ……6
3 婚約者の出征……14
4 その夜も希望をいだいて……19
5 きれいな閃光を見た……25
6 ノコギリで左足を切断……32
7 母の言葉で立ち上がる……36
8 証言は平和の種まき……41
2 沈黙の日に見た原爆フィルム
1 被爆アオギリに勇気づけられ……46
2 家庭科教師として生きる……51
3 原爆フィルムの衝撃……66
4 使命を胸に欧米で体験報告……72
3 アオギリの語り部が誕生
1 修学旅行生の前で号泣……82
2 ツッパリ高校生との出会い……90
3 被爆アオギリの前で……98
4 戦争の傷跡を訪ねて
1 沖縄戦の悲痛……108
2 韓国の被爆者……126
3 重慶の疲労爆撃……137
4 マレー半島の住民虐殺……148
5 空飛ぶ平和の民間大使
1 北イタリアのアオギリ平和公園……166
2 アジアとの友好を掲げて……178
3 ミネアポリスで乾杯……187
6 戦争と核のない世界を
1 プルトニウムと核兵器と原発……202
2 被爆アオギリの願い……211
3 平和を語る部屋……221
おわりに……237

資料年表:沼田鈴子

沼田鈴子

ぬまた・すずこ 19230730生20110712没 享年87歳 22歳の時、勤務先の旧広島逓信局(中区東白島町)で被爆。崩壊した建物の下敷きになり左足を切断。映画「にんげんをかえせ」(1982年)に被写体として登場。

資料年表:沼田鈴子

年月日 事項 備考
1923
0730
1979
1108 『柔しく剛く 安田リヨウ追想録』([安田リヨウ先生]記念誌編集委員会編、安田学園)
 下駄を手にはかしなさい 沼田鈴子 286
1982
0301 『被爆者の証言 40年間毎日が八月六日だった』(沼田鈴子)
0806 『Know more Hiroshima 10フィート運動記録集』(広島10フィート若者の会)
被爆者に聞く-「にんげんをかえせ」に出演された方々-吉川清・生美 44、沼田鈴子 46、柴崎時彦 48、深見潔・その他 50
0820 『ヒロシマ・ナガサキの証言’82夏 第3号』(広島・長崎の証言の会)
沼田鈴子「欧米へ映画と共に語り部の旅をして」  100
1983
1211 『ヒバクシャ ともに生きる 第2号』(原爆被害者相談員の会)
ヒバクシャとして悔いのない一生のために 沼田鈴子 43
1984
0701 『かけはし 第1号』(YMCA国際平和研究所)
生き残る運命を与えられた私-閃光が奪った左足-  沼田鈴子
1985
0630 『木の葉のように焼かれて 第19集』(新日本婦人の会広島県本部)
青春と足を奪った原爆 沼田鈴子 22
0701 『福祉のひろば 特集23号(通巻126号)』(大阪福祉事業財団)
特集 草の根の平和運動
終戦・被爆40周年――応募手記
1 あの日から/沼田鈴子…112
0725 『ヒロシマを語る』(ヒロシマを語る会)
沼田鈴子 12
0820 『ヒロシマ・ナガサキの証言’85夏 第15号』(広島・長崎の証言の会)
反核・平和のためにも救護の手を 沼田鈴子 65
以下未入力
1993
0430 『青桐の下で 「ヒロシマの語り部」沼田鈴子ものがたり』(広岩近広、明石書店)
1994
0420 『ヒロシマ花一輪物語 被爆者・沼田鈴子の終りなき青春』(川良浩和、山田真理子著、径書房)
 1995
0521 18:00平賀ゼミ(近現代史)2年生15人と一緒に、広島シティ・ホテルで沼田鈴子の話を聞く。<沼田鈴子と白梅女子短大学教養科平賀ゼミ(近現代史)
2011
0712
2013 
 0419  『被爆アオギリと生きる 語り部・沼田鈴子の伝言 岩波ジュニア新書 , 740』(広岩近広著、岩波書店)

田中好一

田中好一

たなか・こういち 18940120生19810709没 享年87歳 [50ヒロシマ・ピース・センター理事]。原爆ドーム保存を推進。
経歴<抄>:材木商田中真三の長男として、広島市天満町に生まれる。1911年広島県立商業学校を卒業、田中材木店を継ぐ。1931年(昭和6年)、山陽木材防腐株式会社(現ザイエンス)を設立し、社長に就任する。1941年広島商工会議所会頭に選任される。1945年8月6日観音町の自宅で被爆し、倒壊した家屋の下敷きとなって負傷するが一命を取り留める。1947年修道学園理事長に就任する。1953年 ラジオ中国(現中国放送)で、地元経済人の協力による公会堂建設を呼びかけ、二葉会を結成し、以後二葉会の世話人となる。1955年山陽木材防腐株式会社会長、1974年広島名誉市民。https://www.koichi-tanaka.info/#h.p_pgNQ5d0V3why

資料年表:田中好一<作業中

年月日 事項 備考
1894
0120 材木商田中真三の長男として、広島市天満町に生まれる。
1954
0625 『ながれ』(村上哲夫)
田中好一(山陽木材防腐株式会社社長)「力持では一番」
1955
0720 『広島評論』(広島評論社)
ヒロシマ原爆10周年を迎えて  田中好一 13
0815 『廣島人物傳 一九五五年版』(広島グラフ社)
田中好一…(25)
1957
0101 『平和都市建設に活躍する人々』(児玉琢雄編、県報関西新聞社)  田中好一氏、 10
1962
1225 『長崎五郎を偲ぶ』(長崎孝)
第2章 思いでの記
磊落な「親分」 田中好一 25
1963
0801 『いづみ ひろしま・197』(広島県警察本部警務部教養課)
公安委員長退任に際して 田中好一 8
1968
1010 『ひろしまの観光 33号』(広島市観光協会)
22 明治人気質 伊藤信之 白井市郎 田中好一 松田恒次
1969
0806 『浜井信三追想録』(濱井信三追想録編集委員会)
稀有の市井の政治家 田中好一 204
1974
0801 『政治経済セミナー 8月号 第900号』(政治経済セミナー社)
広島空港問題について 13
ジェット機乗入れの是非! 田中好一ほか
1976
0725 『山田節男追想録』(山田節男追想録刊行委員会)
第2部 追憶篇 典型的な英国型紳士 山陽木材防腐株式会社会長 田中好一…307
1977
0101 『政治経済セミナー 1月号 第929号』(政治経済セミナー社)
広島空港
ジェット化は是か非か! 10 田中好一ほか
1979
0620 『熊平源蔵追想録』(熊平源蔵追想録編集委員会編、熊平製作所刊)
熊平翁の思い出…田中好一氏…101
0901 『政治経済セミナー 9月号 第961号』(政治経済セミナー社)
広島空港 ジェット就航に思う 4
田中好一・山内敕靖・八百千頭夫・児玉秀一・宮沢弘
1981
0709
1982
0101 『広島日独協会会報 第29号』(広島日独協会)
1.永野巖雄氏の御逝去を悼む 金沢文雄 1
2.田中好一氏の御逝去を悼む 金沢文雄
1992
0320 『広島商工会議所百年史』(広島商工会議所)
4 各会頭とその時代 205
熊平源蔵会頭の時代205/森田福市会頭の時代207/守屋義之会頭の時代213/山縣元兵衛会頭の時代216/山崎吾一会頭の時代219/森田福市会頭の時代(再任)224/柳生昌一会頭の時代225/勝盛達之助会頭の時代227/田中好一会頭の時代228/鈴川貫一会頭の時代(広島県商工経済会)230

長崎五郎を偲ぶ

『長崎五郎を偲ぶ』(長崎孝、19621225)

内容

題字 大原博夫
墓誌 松坂義正
年譜 佐藤清丈
1 弔辞
弔辞 楠瀬常猪 3
弔辞 浜井信三 5
弔辞 松坂義正 7
弔詞 清水多栄 11
弔辞 波多野要蔵 12
弔辞 小畑惟清氏他26氏並団体 14
2 思いでの記
長崎さんを偲びて 大原博夫 19
長崎一家と私 浜井信三 23
磊落な「親分」 田中好一 25
長崎五郎先生の憶い出 原田東岷 27
思い出雑記 蜂谷道彦 30
長崎孝先生へ 薄田太郎 32
五郎先生を想う 村上哲夫 35
五郎おじさん 大貫修郎 36
いろいろな人の印象 長崎英造 38
孝 様へ 長崎茂子 49
思い出一つ二つ 栗栖光代 51
父の思い出 黒田幸子 53
父を偲ぶ 長崎 孝 56
3 長崎五郎13回忌追悼会
 主席者並びに欠席者名簿一覧 75
追悼会を催すにあたりまして 長崎 孝 82
挨拶 原田東岷 85
挨拶 松坂義正 87
長崎先輩と私 三宅 坦 93
「親父」を語る 大内五良 99
責任感の強さ 井上敏夫 102
「広島医学」と長崎先生 西丸和義 105
「健保の長崎」について 後藤 実 108
「火傷の長崎」について 佐々木 亮 111
「学校保健の長崎」について 佐伯益三 115
「相撲界の長崎」について 花木 務 118
政治家としての先生 田村雅人 123
幅のある思いやり 西村徳一 126
公安員長の頃 野口 進 130
ある日の思い出 沢崎嘉衛 134
まとめ役・相談役 吉本寿一 136
研究室の先生 宮庄州男 140
長崎一家 熊平源蔵 143
思い出の一言 成田 猛 146
「無私・無慾」 沓内一知 149
伯父の遺訓 児玉 晋 152
保健への情熱 今川卓治 155
代議士推薦談 岡本与茂一 156
原爆直後のことなど 原田楽一 161
思い出あれこれ 富士波 雄三 164
お礼のことば 栗栖光代 169
閉会の挨拶 原田東岷 172
4 家族・親族・追悼座談会 175
あとがき 189

 

朝永振一郎

朝永振一郎

ともなが ・しんいちろう 19060331生19790708没 享年73歳 物理学者。ノーベル物理学賞(1965年)。

資料年表:朝永振一郎

年月日
1906
0331 誕生。
1949
0601 『科学朝日 第9巻第6号通巻第96号』
自然にどれだけ肉薄しているか(座談会)
中谷宇吉郎・田宮博・岡小天・朝永振一郎 17
1951
0401 『自然 第6巻第4号 通巻60号』(中央公論社)
仁科先生を偲んで(座談会) 朝永振一郎・山崎文男・竹内柾・坂田昌一・中山弘美・玉木英彦 64
1952
1201 『中央公論 12月号 第769号』(中央公論社)
街の人物評論 松野鶴平 永野護 朝永振一郎 36
1954
0501 『科学 Vol.24 No.5』(岩波書店)
座談会 日本の原子力研究をどう進めるか(250-258)
伏見康治・朝永振一郎・田中慎次郎・武谷三男・杉本朝雄
渡漫武男・富山小太郎
1957
0901 『世界 第141号』(岩波書店、1957/09/01)
原水爆の追放
科学と道徳 湯川秀樹 30
科学者として発言する 朝永振一郎 32
戦争は廃絶しなければならない-国際科学者会議声明〔全文〕- 34
原水爆に対する道義的批判は無力か J・A・ジョイス 40
『きれいな』水爆 豊田利幸 46
1959
0101 『世界 第157号』(岩波書店)
〈対談〉朝永振一郎・田中愼次郎「核戦争の危機と科学者の責任」 23
1960
0501 『自然 第15巻第5号』(中央公論社)
グラビア・日本の科学者 1
朝永振一郎 [撮影]菊池俊吉 3
0901 『中央公論 9月号 第886号』
対談: 朝永振一郎・桑原武夫「科学・技術の無用と有用 」 291
1961
1101 『世界 第191号』(岩波書店)
〈座談会〉朝永振一郎・田中慎次郎・福田歓一・(司会)吉野源三郎「核実験再開と全面軍縮-恐怖の悪循環をたち切るもの」34
1962
0801 『世界 第200号』(岩波書店)
パグウォッシュ会議の歴史 朝永振一郎 (147)
1963
0125 『平和時代を創造するために 科学者は訴える 岩波新書476』(湯川秀樹、朝永振一郎、坂田昌一編著)
0827 『エコノミスト 第41年 第34号』(毎日新聞社)
この人を評定する 原子力潜水艦問題ととり組む 朝永振一郎 52
1965
0201 『世界 第230号』(岩波書店)
科学と科学者 朝永振一郎 92
1966
0901 『世界 第250号』(岩波書店)
特集 核兵器体系の巨大化と日本の科学者-第三回科学者京都会議の記録-
核抑止政策の矛盾 朝永振一郎 42
1967
0701 『科学 Vol.37 No.7』(岩波書店)
座談会 日本における素粒子論の黎明(388~395)
田村松平・朝永振一郎・湯川秀樹・井上健
0820 『核の傘に覆われた世界 現代人の思想19』(久野収 編、平凡社)
Ⅰ 核の傘に覆われた世界
核抑止政策の矛盾 朝永振一郎 36
1968
0401 『世界 第269号』(岩波書店)
非核武装に関する国会議員各位への要望 大内兵衛・谷川徹三・朝永振一郎・宮沢俊義・湯川秀樹・我妻栄(五一氏) 62
0820 『核時代を超える 平和の創造をめざして 岩波新書687』(湯川秀樹、朝永振一郎、坂田昌一編著)
核抑止政策の矛盾 朝永振一郎…14
1971
0801 『今日のソ連邦 第15号』(ソビエト社会主義共和国連邦大使館広報課)
朝永振一郎教授のソ連科学アカデミー外国人会員証 7
1973
0806 『原子爆弾 広島・長崎の写真と記録』(仁科記念財団編纂、光風社書店)
序 朝永振一郎
1001 『世界 第335号』(岩波書店)
「核のかさ」論からの脱却を 朝永振一郎・内山尚三 204
1975
1101 『国際平和研究レポート Vol.30 No.317』(国際平和協会)
核時代の核廃絶への道 朝永振一郎
1201 『世界 第361号』(岩波書店)
〈特集〉完全核軍縮への新しい構想-第二十五回パグウォッシュ・シンポジウムの記録-
核軍縮についての基本的な考え方-パグウォッシュ運動の方向づけ- 湯川秀樹 91
科学と人類 朝永振一郎 96
1976
1201 『国際平和研究レポート Vol.30 No.329』(国際平和協会)
科学と宗教と文明 朝永振一郎
1977
0802 『核軍縮への新しい構想』(湯川秀樹, 朝永振一郎, 豊田利幸編、岩波書店)
朝永振一郎「II パグウォッシュ会議の歩みと抑止論 」 16
1979
0708
0901 『世界 第406号』(岩波書店)
朝永振一郎先生を偲ぶ 豊田利幸 297
1980
0910 『平和研究 第5号  現代日本の平和保障』(日本平和学会)
高榎堯「永振一郎博士とパグウォッシュ運動 」 90
1982
0312 『科学と人間』(朝永振一郎、みすず書房)
0910 『科学者の社会的責任』(朝永振一郎、みすず書房)
1984
0515 『朝永振一郎博士 人とことば』(加藤八千代著、共立出版) U
1991    
1226 『仁科芳雄 日本の原子科学の曙』(玉木英彦、江沢洋編、みすず書房)  
朝永振一郎「仁科先生」  3  
1992    
1215 『軍縮問題資料 12月号 No.145』(宇都宮軍縮研究室)  
朝永振一郎の先駆的警告―死の灰の評価と核抑止論批判―小川岩雄 62  
     

灼かれてもなお 山口仙二聞書

『灼かれてもなお 山口仙二聞書 西日本新聞連載
』(山口仙二[述]、藤崎真二著、西日本新聞社、2002/07/27)

内容

1 「閃光」に打たれて …17
 史上最悪の「テロ」 …18
軍需工場の町長崎 …20
「一億火の玉」時代 …23
運命の8月9日 …25
死体乗り越え避難 …28
目の前の地獄絵 …30
うじ地獄に苦しみ …33
悲惨な原爆患者ら …35
自分だけの命抱え …38
2 古里・五島での温もり …41
 退院して古里へ …42
よく働いた子ども時代 …44
「キリシタン」の島 …47
鍛えられた日々 …49
工業学校への進学 …52
古里での静養2カ月 …54
3 被爆者運動の胎動 …57
 原爆ぶらぶら病 …58
就職決まらぬまま …60
菓子店の手伝い …63
植皮手術で再入院 …65
入院患者会を結成 …68
長い期間経て発病 …70
命がけで東京陳情 …73
9年間の空白 …75
4 核の恐怖」クローズアップ …79
 杉並から全国へ …80
初の原水禁大会 …82
長野の集会に参加 …85
語り始めた被爆者 …87
援護へ高まる機運 …90
被爆者が初陳情 …92
青年乙女の会結成 …95
被爆証言集を刊行 …97
ABCCへ抗議に …100
なぜ影響調査だけか …102
5 届いた「被爆者の叫び」 …105
 原水協長崎が発足 …106
立場超え被災協結成 …108
長崎で原水禁大会 …111
日本被団協が誕生 …113
原爆医療法が施行 …116
「被爆者の店」開業 …118
6 心も身体も「もろさ」抱えて …121
 「心のもろさ」抱え …122
死のメッセージー …124
会って3日で求婚 …127
報道された結婚 …129
原爆病院オープン …131
美容学校の優等生 …134
小さな家庭の幸せ …136
建設会社の社長に …138
「三女」のメリー …141
7 「核廃絶の願い」世界に発信 …145
 初の海外遊説に出発 …146
知られぬ被爆実態 …148
冷戦最前線を実感 …151
核廃絶、思い新たに …153
安保闘争にも参加 …155
8 なぜ?反核運動の亀裂 …159
 原水禁大会が分裂 …160
二重の被害者に …162
被団協の機能停止 …165
運動統一を模索 …167
運動の広がり期待 …170
9 「真の平和」と「国の責任」問う …173
 援護法を求め運動 …174
厚生省前で抗議 …176
国家補償にこだわり …179
式典での平和への誓い …181
国連での演説決定 …184
世界に向けて訴え …186
カギ握る米国で遊説 …189
10 「核廃絶の心」で世界を結ぼう …193
 ジュネーブでも活動 …196
ゴルバチョフ氏と …199
花輪踏みつけ事件 …201
資料館へ天皇ご訪問 …204
実相切り取る写真家 …206
核兵器廃絶で一致 …209
国の政策を正す …211
法廷で実相継承 …214
核廃絶信じ声を …216
219 年譜
228 あとがき