「01 月忌」カテゴリーアーカイブ

資料年表:森田俊男

資料年表:森田俊男<作業中

年月日
1921
0625 誕生
1958
0701 『広島教育 No.89 7月号』(広島教育会館出版部)
教研講座 職場はいかに自覚されるべきか
学校経営の「私性」の克服 森田俊男 45
1973
1120 『戦前の教育と私』(広島平和教育研究所編、朝日新聞社)
戦争への準備と戦争への反省ー選評にかえて 森田俊男 304
1974
0201 『平和教育運動 創刊号』(全国平和教育研究協議会準備会・広島平和教育研究所編、広島教育会館出版部)
<総括意見>今次集会の意義と今後の課題 163 森田俊男
 2010
0829 死亡。享年89歳。

 

29 2010 森田俊男 もりた・としお 89 教育研究者。平和・国際教育研究会代表。<資料年表:森田俊男>

山内敕靖

山内敕靖

やまうち・ただやす 19180329生19830828没 享年65歳 広島ガス社長。期間:19710226-19820628。

資料年表:山内敕靖<作業中

年月日
1918
0329 誕生
1983
0828 死亡
1984
0813 『追憶 山内敕靖』(広島ガス・刊、19840813)
0930 『会報ともしび 第57号』(財団法人広島県動員学徒等犠牲者の会)
「訃報 本財団相談役、広島ガス社長」

御園生圭輔

御園生圭輔

みそのお・けいすけ 19121215生19950825没 享年82歳 終戦時、陸軍軍医学校教官として広島原爆の被害調査に当たる。

資料年表:御園生圭輔<作業中

年月日
1912
1215 誕生。
1936
03 東京帝国大学医学部卒業
 1945
 0814  陸軍省第2次調査班員として広島入り。~11月21日。  C
「ヒロシマの記録 各時代を刻む」 (『中国新聞』 20050805、西本雅実編集委員)
 1952
 0101  『婦人公論  1月号第416号(38巻1号)』(中央公論社)
 特集 平和への願い
原爆のない世界を〈座談会〉田中慎次郎/石垣綾子/山室民子/御園生圭輔 48
1967
09 放射線医学総合研究所長。『原子力委員会月報第20巻第5号』(科学技術庁原子力局)
 1968
06  C
0601 『マスコミ市民  No.16』(日本マスコミ市民会議)
特集 原爆映画 いま、よみがえれ“幻のフィルム”!
いまだから話そう 御園生圭輔・三木茂 43
 1969
0501 『広島医学 Vol.22 No.5 原爆後障害広島シンポジウム』(広島医学会)
 原爆後障害研究のあり方
総括……中泉正徳 47(353)
原子力平和利用の立場から………御園生圭輔 49(355)
0620 『原爆後障害広島シンポジウム講演集 [第9回]』(広島原爆障害対策協議会)
原爆後障害研究のあり方
総括 中泉正徳 47
原子力平和利用の立場から 御園生圭輔 49
 1971
 0316   C
 1973
 06  C
 1974
0712  C
1975
0523 原子力委員会委員に就任
 『原子力委員会月報第20巻第5号』(科学技術庁原子力局)
 1976
0328 『広島医学 Vol.29 No.3 原爆後障害広島シンポジウム 特集号』(広島医学会)
特別講演
御園生圭輔「放射線防護と放射線影響研究」 97(285)
0331 『原爆後障害広島シンポジウム講演集 第16回』(広島原爆障害対策協議会)
特別講演 御園生圭輔「放射線防護と放射線影響研究」 97
1979
 0518  C
 0608  C
 1980
0328 『広島医学 Vol.33 No.3 第20回原子爆弾後障害研究会特集号』(広島医学会)
記念講演 広島で過じた日々…御園生圭輔 28(260)
0401 『原子爆弾後障害研究会講演集 第20回』(広島原爆障害対策協議会)
第20回原子爆弾後障害研究会
とき:昭和54年6月10日 ところ:広島医師会館
記念講演  広島で過ごした日々 御園生圭輔 28
 1211  原爆被害者対策基本問題懇談会、「被爆者対策のあり方」についての答申を発表  C
 1981
1110  C
 1986
 0430  C
1988
07 『竹ぼうき』(御園生圭輔先生退官記念事業会)
1995
0825 没。享年82歳。

 

資料年表:近藤幸四郎

資料年表:近藤幸四郎<作業中

年月日 事項 備考
****
誕生
1945
0806 自宅(爆心地から2・3キロ)で被爆。
2002
0821 死亡。享年69歳。
0822 「被団連事務局長近藤幸四郎さん死去 死没者への思い胸に活動」(『中国新聞』西本雅実)。
0822 「被爆者援護に尽力 近藤さん死去 関係者ら弔問次々」(『朝日新聞』)<宮崎安男原水禁代表委員:国立広島原爆死没者追悼平和祈念館の説明文に『誤った国策』という文言が入ったのは、近藤さんが妥協しなかったからだ>
0824 近藤幸四郎葬儀。
0825 「被爆者運動には大きな痛手 近藤さん葬儀 700人別れ惜しむ」(『朝日新聞』)
0910 「惜別 広島被爆者団体連絡会議事務局長 近藤幸四郎さん 「怒りのヒロシマ」最後まで」(『朝日新聞』翁長忠雄)

 

21 2002 近藤幸四郎 こんどう・こうしろう 69 広島県被団協事務局次長、広島被爆者団体連絡会議事務局長、元日本被団協代表理事などを歴任。

資料年表:松前重義

資料年表:松前重義<作業中

年月日 事項 備考
1901
1024 熊本県生まれ
 1945
 0808  広島被爆調査団長として広島へ出発。
 0917  松前重義(逓信院総裁)褒状
 1947
 0104  ~19510620 公職追放
1987
 0330 『わが昭和史』(松前重義、朝日新聞社、19870330)
 <『わが昭和史』(松前重義、朝日新聞社、19870330)への宇吹コメント
0401  礼状(東海大学秘書室長⇒宇吹暁)
  1201 『松前重義 その政治活動 Ⅰ』(学校法人東海大学)
1991
0825 死亡。享年89歳。

松前重義

まつまえ・しげよし 19011024生19910825没 享年89歳 東海大学創立者。広島調査団長として被爆直後に入市。