「01 月忌」カテゴリーアーカイブ

仲間とともに-中野清一教授広島大学御退官記念論集

『仲間とともに-中野清一教授広島大学御退官記念論集』(中野清一教授記念事業会、19651225)

まえがき
伊藤満
1部 新らたな灯をともさんとして
私の未来像-ヒロシマによせる期待- 3
(広島大学退官記念講演会速記録から・19650227)
日本社会学への反省 27
(林恵海教授還暦記念論文集・日本社会学の課題・1956年・有斐閣)
<補註>山手茂「社会学者としての中野清一先生」 32
2部 仲間とともに
原爆影響の社会学的調査 37
(原爆と広島・大学人会研究論集第1集・195411)
 ヒロシマの立場 58
(広島大学新聞(教養部)・19491025)
世紀のグループ 61
(広島子供を守る会青年部機関紙創刊号・19551025)
グループの表情 61
(あゆみ・第6号・19560601)
あゆみグループに期待する 63
(あゆみ・第7号・19570210)
生活ぐるみ平和運動 68
(あゆみ・第8号・19570920)
グループ通信 71
(あゆみ・第9号・19580115)
生活の基底に立った同志づくりを 73
(あゆみ・第11号・19580802)
グループ交流のために 75
(あゆみ・第12号・19590320)
ふたつのジレンマ-原水爆とマスコミ- 76
(あゆみ・第13号・19601120)
ヒロシマに甦った青春 94
(文芸春秋・196109)
話し合い諸条件 110
(広大教養・19610705)
沖原義明「<補註>中野清一先生とあゆみグループ」 113
3部 大地を這う
人間尊重の教育について 119
(宗教情報・第21号・195301・金光教宗教方法教育研究会刊)
グループ活動講座 170
/新しいグループ活動/グループ活動の諸段階/計画的なグループ活動/
(県婦協新聞・19550101~0501号)
家庭教育論179
/忘れられてる条件/勤労指導の諸条件/余暇指導の問題/「お小遣い」の問題/直接法と間接法/「家族会議」について/
(広島県PTA県連・195504~195602号)
PTA活動のいままでとこれから-問題点と解決のカギ- 202
(家庭教育・195712号・東方出版)
親と子の「すれ違い」 -どちらが正しい方向にいているのか- 210
(家庭教育・195605号・東方出版)
教育の無重力地帯 217
(家庭教育・195708号・東方出版)
コドモの危機 -社会的離乳期の門題- 226
(朝日新聞・19510312)
忘れられた人々 -社会保障の日本的盲点- 228
(朝日新聞・19510324)
バランス失調 -このごろの社会診断- 230
(朝日新聞・19510616)
ホボロの旅 -離婚世相に絡んで- 233
(中国新聞・19510828)
一つの系譜 -家、友人そして書物- 235
 (1965・9・1~29―広島東千田町と宇治南山とで)
付録
多喜二さんの執念 267
あとがき

中野清一

中野清一

なかの・せいいち 1905**生19930702没 享年88歳 広島大学名誉教授。元立命館大学教授。「あゆみグループ」を組織し、原爆孤児を支援。

資料年表:中野清一<作業中

年月日
1905
**** 誕生
1954
1210 『原爆と広島 大学人会研究論集 第1集』(平和と学問を守る大学人の会編、広島県教職員組合事業部)
 中野清一「原爆影響の社会学的調査」(29)
1958
0301 『新修広島市史第2巻 政治史編』
第5章第3節第2項
「平和記念都市建設事業」(執筆:中野清一)
1026 「広島子どもを守る会青年部」あゆみグループの4組、原爆慰霊碑前で青空結婚式。仲人は中野清一夫妻。 C
1227 『新修広島市史第4巻 文化風俗史編』
 第7章 市民生活の進展[執筆:中野清一]
第8章 新教育制度[執筆:中野清一]
第9章 原爆と新しい文化[執筆:中野清一]
 1959
0517 広島子どもを守る会青年部(代表:中野清一広島大教授)、「祖父母と孫の家庭」実態調査を決める。
0931 『新修広島市史第3巻 社会経済史編』
第8章 原爆後の社会経済問題[執筆:石井金一郎・中野清一]
1961
0601 『新修広島市史第1巻 総説編』
第4編 原爆と広島[執筆:中野清一]
0901 『文芸春秋 第39巻第9号』(文芸春秋新社)
ヒロシマに甦った青春 中野清一 236
0921 中野清一と谷本清広島流川教会牧師、アール・レイノルズのウラジオストクへのヨットでの核実験抗議航海を中止するよう説得。 C
1962
0822 広島平和科学研究所の発会式。中野清一広島大学政経学部長らが設立準備。
1215 『不死鳥 第4号』(広島大学職員レクレーションの会)
戸惑う季節 中野清一(政経学部)…6
1963
05 中野清一、世界各国・各層から平和問題についてのアンケートを取り、あゆみグループの被爆青少年の声とあわせて出版を計画。 C
1110 NHK教育テレビ、原爆孤児とともに歩みを続ける中野清一・千歳夫妻の人間像を描いた「原爆のこらとともに」を全国放送。
1965
1225 『仲間とともに-中野清一教授広島大学御退官記念論集』(中野清一教授記念事業会)
1968
1220 『学問の周辺』(末川博編、有信堂)
中野清一「社会学とともに」
nakano01
1982
0720 『広島・原爆災害の爪跡』(中野清一編著、蒼林社出版)
1993
0702 死亡。享年88歳
1997
0125 『山代巴と民話を生む女性たち』(神田三亀男編著、広島地域文化研究所)
第二の故郷広島と山代さん 中野清一 94
第一信 95
第二信 99
 2005
 0225  中野千歳(夫は中野清一)、死去。享年96歳
 2012
 0423 『私の師』  NPO法人「ANT-Hiroshima」代表 渡部朋子さん(聞き手:升田咲子)『中国新聞』   C
 2023
0403  【考 fromヒロシマ】原爆孤児を「守る会」70年 「ノーモア」願い支援の輪(小林加奈)  C

宇都宮徳馬

宇都宮徳馬

うつのみや・とくま 19060924生20000701没 享年93歳 政治家・実業家。1980年宇都宮軍縮研究室 (出版社)設立。月刊誌「軍縮問題資料」創刊。<宇都宮軍縮研究室の組織概要

宇吹所蔵資料より

 1981 0806
『中国新聞』全面広告
【意見広告 No More Hiroshima 被爆者の証言】「ヒロシマ・ナガサキの「情報」を世界に伝えよう」
宇都宮徳馬(宇都宮軍縮研究室)
 chugokusinbun19820806
 19850818
NTV系全国26局ネット「特別番組ニュージーランド’85・冬~南半球から平和を考える~」
 dc198508182
  1993 0815
 『軍縮問題資料 8月号 No.153』。
 特集 核時代に生きる   宇吹暁「原爆体験手記の系譜 」 42bk19930815-001

資料年表:加納竜一

資料年表:加納竜一<作成中

年月日
1904
**** 神戸市生まれ。
1968
0401 『世界 第269号』(岩波書店)
「原爆映画」の全巻を見る権利について 加納竜一 274
0601 『マスコミ市民 No.16』(日本マスコミ市民会議)
座談会 カメラを廻したのは私たちだ 加納竜一・山中真男・相原秀次・上田哲 6
広島を訪う 加納竜一 32
06 米返還原爆記録映画「広島・長崎における影響」制作スタッフ、原爆の学術記録写真集の出版を計画。 C
1969
0202 加納竜一、被爆の後広島を撮影した記録写真(スライド700枚)を広島で公開。 C
0301 『マスコミ市民 No.24』(日本マスコミ市民会議)
原爆白書としての映画(二) 加納竜一 56
1970
0511 原爆映画全面公開推進会議のメンバー(森滝市郎・相原和光・加納竜一)、坂田文部大臣に原爆記録映画「広島・長崎における原爆の影響」の全面公開を要請。
0710 『アサヒグラフ  第2428号 原爆の記録』(朝日新聞社)
文・記録の正確な位置づけを(加納竜一) 44
1972
0331 『広島県史 原爆資料編』(広島県編・刊)
「広島・長崎ロケ日記」〔加納竜一氏蔵〕pp.610-626
「資料解題 9原爆映画ロケ班の資料」pp.954-955
1988
0701 死亡。享年84歳。
1995
0709 「検証ヒロシマ1945~95<25>映画」(報道部・西本雅実)(『中国新聞』)
2000
0530 「広島・長崎における原子爆弾の影響」台本
資料詳細 – 広島平和記念資料館平和データベース (hpmm-db.jp)
原爆被災記録映画製作のプロデューサーを務めた故・加納竜一氏が持っていた資料。映画は、国策会社だった日本映画社の関係者や理化学研究所の仁科博士らの働きかけで「原子爆弾災害調査研究特別委員 会」の調査活動の一環として製作が認められ、9月下旬より撮影開始。映画製作にあ たっては、当初から被爆の実相を客観的に科学的に記録しようとする姿勢が貫かれた。途中、長崎でGHQに 撮影中止を命ぜられるが、米国側と交渉の結果、空襲の効果を調べる目的で来日し、調査活動を行っていた米国戦略爆撃調査団の委嘱を受ける 形で映画製作の継続が可能となり、その監督下で製作が行われた。1946年英語版 「広島・長崎における原子爆弾の影響」が完成し、米国に納品。さらに全ての資料の提出を命じられ、写真・フィルムも全て米 国に持ち帰られるが、一部関係者が何としても映画を残したいという思いから秘かにフィルムの一部分の複製をつくり、保存していた。1952年のサンフランシスコ平和条約発効後、秘かに保存されていたフィルムは、「朝日ニュー ス」363号で一般に公開され、ニュース映像や「原爆の長崎」、「生きていてよかっ た」などの映画に活用され始める。一 方、米国から作品が返還されたのは、1967年 のことだった。

資料年表:宇都宮徳馬

資料年表:宇都宮徳馬<作業中

年月日
1906
0924
1980
05 宇都宮軍縮研究室創設。
1001 『軍縮問題資料 No.1』(宇都宮軍縮研究室)創刊。
1981
0325 『軍縮問題資料 No.6』。
「軍縮」に具体的行動を 河野洋平 2頁
付、一、ローマ法王平和アピール 11頁
二、故アイゼンハワア米大統領の離任演説要旨 18頁
0513 国際軍縮促進議員連盟設立総会。東京・第2議員会館。宇都宮・大石武一両参議院議員らの呼びかけ。全党の104人が出席。 C
0525 『軍縮問題資料 5月号 No.8』。
一、差し迫った核戦争の危険/ロバート・C・オルドリッジ 3
二、軍縮と日本の使命/前田寿 29
三、軍縮のゲーム 31
四、国連軍縮特別総会の最終文書全文 35
五、包括的軍縮計画への提言 57
六、全面完全軍縮 60
七、国際軍縮促進議員連盟創設 61
0725 『軍縮問題資料 7・8月号 No.10』。
特集号 ヒロシマに想う
海洋の軍事力支配 ストックホルム国際平和問題研究所
オ-エン・ウイルクス 2
核兵器こそ本質的に悪
―アインシュタイン― 篠原正瑛 12
選択を考える 坂本義和 13
強いアメリカ、弱いアメリカ 米谷健一郎 30
第四回 科学者京都会議聲明 34
核兵器絶滅計画 ラルフ・K・坂本 36
核兵器と日本人 宇都宮徳馬 42
ヒロシマを考える 高橋昭博 46
先進国首脳者への要望 三宅善二郎 51
0925 『軍縮問題資料 7・8月号 No.10』。
軍縮のための国際平和秩序創出の急務 関寛治 2
ストックホルム国際平和研究所一九八一年版年鑑要旨 9
ノエル・ベーカー卿の核廃絶アピール 10
ラッセル・アインシュタイン宣言 15
軍縮 国連広報資料 19
戦争と名分 宇都宮徳馬 24
日本よ、大志を抱け 林卓男 26
アメリカの基地-破滅への踏石 ロバート・C・オルドリッジ 33
1025 『軍縮問題資料 11月号 No.13』。
軍縮こそ世界平和の基礎 2
-園田外相国連演説全文-
破滅の牙をとぐ核兵器 高良とみ 9
金日成主席との会談抄録 宇都宮徳馬 17
一枚岩ではないアメリカ(上) 國弘正雄 20
核時代の軍縮 ワルトハイム国連事務総長 27
平和・軍縮に関する世界へのアピ-ル アルヴァ・ミュルダン 30
緊張暖和へのソ連の呼びかけ 三宅善二郎 31
日本にある国連機関 国連広報資料 37
夕雲の「相抜け」剣法の精神で- 高山岩男 44
1125 『軍縮問題資料 12月号 No.14』。
一枚岩ではないアメリカ(下) 國弘正雄 2
アメリカとソ連 ジョ-ジ・ケナン 10
―人類を自滅の道連れに-
ゆさぶられる核抑止戦略 阪中友久 16
「非核三原則をめぐるシンポジウム」の報告 原爆問題 26
広島綜合研究室
「軍縮への提言」応募論文について 38
1225 『軍縮問題資料 1月号 No.15』。
 1981
0806 『中国新聞』全面広告
【意見広告 No More Hiroshima 被爆者の証言】「ヒロシマ・ナガサキの「情報」を世界に伝えよう」
宇都宮徳馬(宇都宮軍縮研究室)
1985
0818 NTV系全国26局ネット「特別番組ニュージーランド’85・冬~南半球から平和を考える~」
 1993
 0815  『軍縮問題資料 8月号 No.153』。
 特集 核時代に生きる   宇吹暁「原爆体験手記の系譜 」 42
2000
0701 没。享年93歳。
 0712  『朝日新聞』「惜別 政治家・宇都宮徳馬さん 生ある限り反核の叫び」(編集委員・小林暉昌)
2001
 1026  「宇都宮徳馬先生を偲ぶ会」鯨岡兵輔(発起人代表)会場:キャピトル東急ホテル。
宇吹宛案内状
 dc20011026

 

宮沢喜一

宮澤喜一

みやざわ・きいち 19191008生20070628没 享年87歳 内閣総理大臣(第78代)『戦後政治の証言』(読売新聞社、1991.8.30)。広島県名誉県民。

資料年表:宮澤喜一<作業中

年月日
1919
1008  誕生
 1953  参議院議員(初当選)
1967 衆議院議員:連続12回当選。
1970
0205 万博博推進対策会議(本部長:宮沢通産相)でテーマ館への広島・長崎の被爆写真展示に「どぎつく万国博にふさわしくない」との意見相次ぐ。展示を再検討へ。 C
1974
1225 宮沢外相、参議院内閣委員会で(1)ポラリス潜水艦など核常備感染の領海通過は原則として不許可(2)核もちこみはすべて事前協議の対象―との政府統一見解。 C
1227 宮沢外相とホッドソン駐日米大使、ABCC改組協定に調印。 C
1975
0411 宮沢外相とキッシンジャー米国務長官の日米外相会談、米国務省で。(1)米の核能力は日本への攻撃に対し重要な抑止力(2)日本への核、通常攻撃に対し、米は防衛義務を重視―などを確認。 C
0606 宮沢外相、衆院外務委員会で答弁。「核拡散防止条約に加盟すれば条約の規制を受けるので、従来の政府解釈<非核三原則を堅持しながらも、憲法解釈上は自衛権の範囲内で戦術核は保持できる>は実体的な意味を失う」。 C
1980
0806 平和記念式典。宮沢官房長官参列。荒木市長の平和宣言の世界平和首脳会議開催について「意義深い提言」「外務省に検討させる」と積極姿勢 C
0807 宮沢官房長官、外務省首脳と意見交換。荒木市長が平和宣言で呼びかけた平和サミット開催について実現の可能性を検討することで一致。 C
1981
0518  宮沢官房長官、記者会見で「核持ち込みは寄港も領海通過も入る」と表明。 C
0519  鈴木首相・園田外相・宮沢官房長官、核持ち込み問題で協議、確認。1.従来の解釈を変えない、2.米側に照会する必要はない。 C
0523  元政府高官の話。「核積載艦の領海通過は1960年の安保改定時から74年12月25日の宮沢外相の修正答弁までの14年間は『事前協議の対象外』で日米が合意」、「『寄港・停泊』は事前協議の対象とすることが安保改定時に確立されていた」。 C
1982
0602  広島県議会代表、鈴木首相あての核兵器廃絶・軍縮要望書を首相官邸で宮沢官房長官に渡す。 C
C
 1984 C
 10  『美しい日本への挑戦』(宮沢喜一・高坂正堯/著、文芸春秋)
 ??  『宮沢喜一の「資産倍増論」』(丸亀 弘明/著、東京:経済界)
1991
0830 『戦後政治の証言』(読売新聞社)。
1105 第78代内閣総理大臣。~1993年8月9日。
11 宮沢喜一・全人像[行研Politica](清宮龍/著、行政問題研究所)
1992
01 『宮沢喜一・全人像』(清宮竜、行研出版局)
0806 広島市平和記念式典。宮沢首相(代理出席:山下元利厚相)。9日の長崎平和式典には宮沢本人が参列。 C
?? 『宮沢喜一の選択と経世会支配の構図 Tenzan time Japan』(大塚 英樹/著、東京:天山出版)
1993
0806 広島市平和記念式典。首相・閣僚・衆参両院議長の出席無し。 C
0809 長崎市平和記念式典。首相・閣僚の出席無し。 C
1995
0315 広島の国際的平和貢献策を検討・推進する県関係の全国会議員による研究会発足。会長に宮沢元首相。 C
04 『新・護憲宣言21世紀の日本と世界』(朝日新聞社)
0512 広島の国際的平和貢献策を検討・推進する県関係の全国会議員による研究会2回目の会合。 C
0607 「広島国際的平和貢献構想策定委員会」(座長:藤田雄山知事)発足、初会合。3月結成の県関係の全国会議員による研究会と連携を図り1996年3月末までに具体的構想。 C
1130 広島県選出国会議員による「国会議員研究会」(会長:宮沢元首相)に広島県が「被曝者医療国際医学センター」(仮称)などの西部抗争策定の経過を報告。 C
 2003
 0305  『歴代首相物語』(御厨貴、新書館)
49宮沢喜一 岩間陽子250
2005
03 『ハト派の伝言 宮沢喜一 元首相が語る』(中国新聞社)
03 『聞き書宮沢喜一回顧録』(岩波書店)
 2006
11  『宮沢喜一保守本流の軌跡 [90年代の証言]』(朝日新聞社)
2007
0628 没。享年87歳
2010
0310 「日米密約認定 廃絶の願い「裏切られた」」、「「極めて遺憾」湯崎知事・秋葉市長」(増田咲子・記者) C

わたしの放浪記

『わたしの放浪記』(佐々木久子、法藏館、1995/03/20)

内容

1 私の歩んだ道
10 父と母とふるさと広島
 失恋して上京を決意する
棟梁の家に生まれて
激化していく戦争
広島の復興と世界平和を目指す
NHKのOL時代
母が心の支えだった
23 渡る世間に鬼はなし―雑誌「酒」と共に40年―
 カエツテオイデ、ケツコンシヨウ…
雑誌「酒」の編集記者になる
作家の先生方と飲み歩く
雑誌はまったく売れない
欲深い酒行脚をはじめる
仕事か結婚か―33歳の転機
雑誌なんてやめてやる
女ひとり、ボロボロに
文豪酒徒番附が評判となる
幻の酒「越乃寒梅」を見出す
形のない御縁のお陰
43 ボケへの恐怖
 殺そうと何度考えたことか
猫にまでいびられた母
地獄から舞い戻る
テレビに挨拶したらボケのはじまり
家の中はムチャクチャ
「久子、わしを殺してくれ」
長生きは幸せだろうか
2 女ひとり人生行脚
66 酒縁と仏縁に支えられ
70 阿鼻と叫喚の原爆地獄
76 棟梁の家に育って
81 銀座慕情
85 噺家さんとの青春
89 恩師・火野葦平先生
93 やると思えば…尾崎士郎先生のこと
97 連句の楽しさ
102 甥の結婚式
106 遅すぎた人との邂逅
111 酒ひとすじ
120 モノいわぬ醪と喋る人たち
125 お酒に勢いが出てきた
129 伝承のチエを伝える
132 お酒と器のちょっといい話
136 感動をおぼえた旅
3 日本を診断する
どうなる日本の食文化 142
コメ自由化はやめなさい 151
日本人の顔が悪くなっている 155
欲に目がくらむ人々 158
タダ酒は飲むな 163
職人さんがいなくなる 168
食器は最高のものを使いましょう 171
忘れていませんか、きものを- 174
母親のつとめ 179
4 形のないものを見る
ダイヤよりも『歎異抄』 186
平等思想の伝教者 188
遊女哥川への慕情 190
正覚寺と清胤徹昭師のこと 194
行雲流水 199
やすらぎ 204
209 あとがき
212 初出一覧

佐々木久子

佐々木久子

ささき・ひさこ 20080628没 享年81歳 随筆家・評論家。『わたしの放浪記』。『広島県現代文学事典』(天瀬裕康・記)<投稿>

資料年表:佐々木久子

年月日 事項 備考
1927
0210 誕生
2008
0628 死亡。
2010
1220 『広島県現代文学事典』
「佐々木久子」(天瀬裕康・記)
2016
1007 「V7 私の鯉心 バレリーナ 森下洋子さん 原爆で傷ついた広島に」(『中国新聞』20161007)
「佐々木久子さんたちがつくった「広島カープを優勝させる会」に参加していました。」

資料年表:桧山袖四郎

資料年表:桧山袖四郎<作業中

年月日 事項 備考
1899
0101生
1954
0625 『ながれ』(村上哲夫)
豊かな天分に努力 広島県議会議長 桧山袖四郎
1979
0629 死亡
1981
0620 桧山袖四郎―広島県政に賭けた生と死』(刊行委員会著、桧山後援会刊、19810620)
1982
1025 『広島県大百科事典<下巻>』(中国新聞社)
兼井亨「桧山袖四郎」