「01 月忌」カテゴリーアーカイブ

宮本顕治

宮本顕治

みやもと・けんじ 19081017生20070718没 享年98歳 日本共産党中央委員会議長、幹部会委員長、中央委員会議長。

資料年表:宮本顕治<作業中

年月日 事項 出典など
C=『中国新聞』
1908
1017 山口県光市生
1958
0811 広島―東京平和行進と長崎―広島―東京自転車平和リレー、六郷橋(東京の入り口)到着。浅沼稲次郎(社会党)・宮本顕治ら出迎え。 C
08 日本共産党中央委員会書記長
1964
0902 宮本書記長、赤旗紙上でソ連共産党へ、部分核停条約締結について「帝国主義者に譲歩と妥協をあえてした」と反撃。 C
1017 宮本書記長、「中国の核実験は祖国の防衛だけでなく、アジアにおける核戦争を防止するための防衛的な措置」と声明。 C
1967
1213 畑中政春(日本原水協代表理事)・吉田嘉清(事務局長)、山本幸一社会党書記長・宮本共産党書記長をそれぞれ訪れ、被爆者援護法実現への協力申入れ。 C
1968
0611 宮本共産党書記長、山本幸一社会党書記長に「原水禁運動統一問題での協議」を申入れ。山本幸一書記長、了承。12日、社会党、組織の根本に関する問題を政党レベルで話し合うことは政党の干渉になると、協議を断ることを決定。 C
1969
0804 第15回原水禁世界大会本会議開会総会(広島県立体育館)。宮本書記長があいさつ。広島県庁で記者会見。統一問題について語る C
1970
07 日本共産党幹部会委員長
1973
0705 宮本委員長、国会内で記者会見。「今後は社会主義国の核実験でも反対する」。 C
1977
0127 宮本委員長、記者会見。原水禁運動統一問題について総評とのトップ会談で一致点が確認されれば統一は可能と語る。 C
0315 宮本委員長、記者会見。原水禁運動統一問題にとって被爆国際シンポジウムが開かれることしはチャンスと語る。 C
0704 宮本委員長、広島市で記者会見。統一大会反対の動きを批判。 C
1982
07 日本共産中央委員会議長
1984
1217 日ソ共産党の宮本議長とチェルネンコ書記長、モスクワで会談。核廃絶に向け両党の協力をうたった共同声明。 C
1985
0505 『核兵器廃絶への道』(新日本出版社)
2007
0718 宮本顕治没
2015
0501 県立山口図書館、戦後70年企画で山口ゆかりの文学者(宮本元共産党議長ら5人)が戦争体験を題材にした小説など展示。~8月27日。

 

長田三郎

長田三郎

おさだ・さぶろう 生19940205没 享年74 父は長田新。

資料年表:長田三郎<作業中

年月日
誕生
 臨時徴収現役兵として、南支(かつての中国南部)で敗戦を迎え捕虜収容所に収容され復員。
 長野県上田市へ移住
  1983
 0430 「 燕」 長田三郎16
 『反戦のこえ 詩集2』(戦争に反対する詩人の会)
 1985
0213 「歴史をくりかえさないために 」 長田三郎
『信州白樺 長野新特集』第61・62・63号
 1987
第1回  上田平和音楽祭。
 第4回から第6回まで実行委員長
 上田市はやはりすごかった: てんこ盛り人生 (way-nifty.com)
 1990
0101 「ヤシガニ」 長田三郎 18
『稜線 季刊詩誌 No.33 冬』(稜線の会、 1990.1)
 0701  「原爆の子をめぐりて」
 『わだつみのこえ90号』(日本戦没学生記念会)
 1992
0720  『燕 長田三郎反戦反核詩集』(稜線の会)
1994
0205 長田三郎死亡
07 『稜線』51号 長田三郎追悼
0701 長田三郎「『原爆の子』と長田新」
1.だまって死んでしまえるものか
2.映画「ひろしま」
3.広島子どもを守る会
4.8月6日
5.平和の砦を築くために
出典:『占領下の広島 反核・被爆者運動草創期のものがたり』
2000
1001 鈴木初江「わが心友、長田三郎」 4
出典:『火幻』第44巻169号
 2011
 1231  「長田三郎との出会い」
 出典:『君たちに捧げる  『原爆の子』(岩波版) 出版六〇周年記念』(中村巖)
2019
1119 『原爆の子』と長田三郎氏
出典:『原爆の子』と長田三郎氏 (fc2.com)

『原爆の子』の父長田新

『「原爆の子」の父長田新 子どものしあわせと平和のために生涯をささげた日本のペスタロッチー』(川島弘著、本の泉社、2014/08/06)

内容

部章
生い立ちから学生時代まで 13
1 生い立ち 14
日に新たなり 14/父と母 15/小学校時代 18/小石を拾いながら 20/諏訪中学校 21/「寮雨」 23/三輪先生との出会い 24/文武両道 25
2 高等師範学校時代 28
広島高等師範学校へ 28/初めて教壇に立つ 30
3 大学時代 32
京都帝国大学へ 32
日本のペスタロッチー 35
1 澤柳政太郎の片腕として 36
研究助手 36/新しい学校づくり 38/結婚と妻義子 41
2 ペスタロッチー研究にうちこむ 43
再び広島へ 43/ペスタロッチー運動を開始 44/ペスタロッチーにひかれて 45/厳しさと優しさ 新の講義 46
3 川井訓導事件 49
松本の小学校の教室で 49/その後の川井と長田新 51/信念の人 52
4 世界的ペスタロッチー研究者に 53
文学博士に 53/「すべてを他人のためにし おのれには何ものも」 54/山里の子どもたちを見つめて 57/暗い時代へ 59
子どものしあわせと平和を守るために 61
1 戦時中の長田新 62
非国民とののしられ 62
2 原子爆弾 64
運命の日、八月六日 64/五郎父を救う 65/被服廠の看護所で 68/五郎の親孝行 70
3 広島大学の誕生 72
広島文理科大学長に 72/新制広島大学 73/激務からの解放 74
4 『原爆の子』出版 76
新たな決意 76/『原爆の子』たち 77/オート三輪に乗って 79/書きたくない、思い出したくない 81/泣き出してしまう女学生 83/出版を決意 85/岩波書店の勇気 86/プレスコードをのがれる 88/平和のためのバイブルに 89
5 『原爆の子』の反響とその意義 92
海の向こうからも 92/おさえきれぬ感動 93/一生消えない傷を背負って 98/『原爆の子』の意義 101/『原爆の子』の世界へ 102/「原爆の子友の会」 104/消えた体験原稿 107/運命的な偶然 109/ペスタロッチー全集の完成 111
6 平和運動の先頭に立って 114
日本子どもを守る会の結成 114/原爆孤児精神養子運動 117/その死 やはり新も 121/別れを惜しむひとびと 122/『原爆の子』の父を喪って 124/ペスタロッチーのもとへ 125
あとがき いまなぜ長田新か 128
あとがきに添えて 執筆の経験と謝辞 135/資料補足 140/長田新(1887~1961)紹介 147/
【おもな参考資料】 149/長田新 略年譜(長田五郎監修) 152/長田新 主要著作 157

資料年表:広瀬ハマコ

資料年表:広瀬ハマコ<作業中

 年月日
1905
0215 誕生
 1969
 0806  『濱井信三追想録』(濱井信三追想録編集委員会)324
広瀬ハマコ「浜井市長をしのぶ」
1973
0401 『夏雲 広島女学院原爆被災誌』(広島女学院教職員組合)
広瀬ハマコ「発刊に寄せて」
 1974
 1120  『広島女学院と共に 広瀬ハマ子先生文集』( 広瀬院長退任記念事業委員会)
 1976
0501 『平和文化』 創刊号(広島平和文化センター)
広瀬ハマコ「財団は何をなすべきか?」
0715 『山田節男追想録』422 (広瀬ハマコ「身についた紳士道」)
1977
0301 『あやめ』第23号(広島女学院中学生徒会・広報委員会)
大正十一年卒業 広瀬ハマコ「女学生時代を回想して」 20
1978
0101 『平和文化』9号(広島平和文化センター)
新春談論:広瀬ハマコ(広島女学院大学理事長)
1986
1001 『広島女学院と共に百年』(広島女学院同窓会)
「百年誌の刊行にあたって…同窓会名誉会長広瀬ハマコ」
1988
0424
610  『わたしたちの広島女学院』(ユングフラウ代表 今西美代編、溪水社 [渓水社])
 その1 大正時代の広島女学院教育 ゲスト 広瀬ハマコ 3
1989
0730 『山陽路の女たち 続』(広島女性史研究会、ドメス出版)
武田ミキ 「「教育は平等」信念を貫く」
1991
1001 『広島女学院百年史』
「N・B・ゲーンスの広瀬ハマコ宛書簡(昭和2・11・17)」 713
「創立六十五周年記念式並びに院長就任式挨拶」 広瀬ハマコ 744

資料年表:川手健

資料年表:川手健<作業中

年月日
1932
0213 誕生
1942
広島県立第一中学校入学。
1945
0806 学徒動員された東洋工業で被爆。翌日、入市。
 1946
 広島県立忠海中学校(旧制)へ転校。
1947
広島県立忠海中学校4年修了。広島高等学校理科(甲)入学。
 1948
1952
1101  川手健「七年後の廣島」(『新日本文学』)
1953
0625 『原爆に生きて 原爆被害者の手記』(原爆手記編纂委員会、三一書房)
川手健「半年の足跡」=「原爆被害者自身の口から全世界に向って原爆の惨禍と平和の必要を訴えるその意義は大きい。原爆の投下が世界史的な大事件であるなら、その被害者が立上がって原爆の反対を叫ぶこともまさに世界史的な出来事である。このことの重要性についてはまだまだ本当に考えている人は少ない様に思う。」
1954
 0215  『風のように炎のように-峠三吉追悼集』
 1955
0109 川手健「原爆被害者の青年クラブのこと」(『われらのうたの会』第3号)
1960
0428 死亡
 1985
 0428  川手健を語る会。広島県民文化センター。
1995
0806 『川手健を語る』(川手健を語る会編、ウイウド・岡本智恵子)
 2010
 1220 「川手健」(『広島県現代文学事典』<小宮山道夫・記>)

金子満広

金子満広

かねこ・みつひろ 19241117生20160418没 享年91 日本共産党書記局長、衆議院議員。

資料年表:金子満広<作業中

年月日
1924
1117 群馬県生まれ
 1973
 1118  『核兵器全面禁止と原水禁運動』(日本共産党中央委員会出版局)
核兵器の全面禁止を核保有国に要求を 金子満広議員の衆議院本会議での反対討論 139
公明党の原水禁運動への態度とわが党への根拠のない批判 金子満広 193
 原水爆禁止運動の現段階と統一問題 金子満広 211
1978
1030 『反帝国際統一戦線-自主独立の理論と実際』(新日本出版社)
1984
0920 『原水爆禁止運動の原点』(新日本出版社)
2016
0418 死亡。享年91

原水爆禁止運動の原点

『原水爆禁止運動の原点』(金子満広、新日本出版社、1984/09/20)

内容

原水禁運動の当面する基本問題 17
 1 核軍拡競争の悪循環の現状と反核運動 18
―ヨーロッパ、アジア、日本など―
2 核兵器の全面禁止こそ原点 21
3 原水禁運動―統一の路線と分裂の路線 24
4 原則ぬきの「持続共闘」がもたらすもの 37
5 あやまりはどこから生まれるか 43
6 原水禁運動の本流強化のために 46
原水禁運動の困難はどこにあるか 49
妨害から本流を守り太く強くするたたかい 49
「市民団体=中核」説は錯覚の産物 55
日本共産党の反戦・平和の伝統と今日の核問題 61
―日本共産党創立62周年記念講演―
1 全人類に危機もたらす核軍拡競争の悪循環 63
2 原水禁運動をどう発展させていくのか 74
3 いまこそ民族の党・国民の党―日本共産党とともに 88
原水爆禁止運動の現段階と統一問題 95
 「原点」を堅持した運動の発展 96
日米反動勢力に呼応した核禁会議の分裂 98
分裂は意見の相違からではない 100
運動の統一への道すじ 105
原水禁運動20年を迎えて 115
―核兵器全面禁止の国際協定締結は急務―
核兵器開発競争の悪循環を断つこと 115
原水禁運動の歴史的発展の特徴 117
新しい情勢下での運動の発展と統一の方向 121
国際協定の締結を促進する「具体的諸提案」 124
原水禁運動統一への道標 129
1 統一への道は開かれた 129
2 統一合意への情勢と背景 132
3 統一へむけて大胆な方向提示 143
4 再び分裂をくりかえさぬ統一を 148
原水禁運動の到達点と今後 155
まえがき 155
1 統一世界大会の到達点 156
2 分裂の教訓いかし前進を 166
3 新たな前進をめざして 172
原水禁運動―よみがえった原点 183
―運動の確かな統一と国際連帯の強化で核兵器の全面禁止を―
1 危険ラインをこえた核軍拡競争 183
2 統一世界大会の到達点と今後 189
3 吉野氏の論点にこたえて 191
4 新しい運動、新しい組織 201
運動と組織のゆるぎない統一を 205
―原水爆禁止運動の発展のために―
1 「’78世界大会」の成果と今後の展望 205
2 大会が直面した情勢の背景と運動の本流・逆流 211
3 教訓を生かして 216
4 運動の発展と組織の統一へ―今後のとりくみの問題 219
ニューヨーク・国連総会からの報告 227
核戦争か、核兵器全廃か 227
鈴木首相の演説とN・Yタイムズ評 231
入国ビザ問題の意味するもの 234
米史上最大の百万人デモと“草の根” 236
国連の現状とアメリカの「なげき」 240
帰国して想うこと―被爆者代表団のみなさんへ 242

藤野七蔵氏追懐録

『藤野七蔵氏追懐録』(藤野七蔵氏追懐録編さん委員会編、広島瓦斯、1952/04/25)

内容<作業中

1 序文
2 風雪65年
(1)栴壇の二葉大いに伸びる 1
(2)製綿史上画期的躍進 15
(3)若き日の夢を貫徹 31
(4)原爆の廃墟に起ち上る 38
(5)遺芳とこしえに輝く 48
3 逝去当日の記
(1)当日の状況 53
(2)密葬 55
(3)緊急重役会議 56
(4)葬儀委員並びに分担表 56
(5)社葬の執行 63
4 弔辞集
(1)多山恒次郎 65 葬儀委員長
(2)藤野勇八 72 藤野綿業株式会社々長
(3)小林邦雄 75 広島瓦斯労働組合執行委員長
(4)伊丹治雄 79 公益事業委員会事務局広島支局長
(5)井口竹次郎 82 日本瓦斯協会々長
(6)大原博夫83 広島県知事
 (7)浜井信三85  広島市長
(8)藤田定市 86 広島商工会議所会頭
(9)中西利理 87 広島労働基準局長
(10)林米吉 90 中国地方瓦斯倶楽部代表
(11)島津忠承 92 日本赤十字社々長
(12)白井市郎 92 広島県経営者協会々長
(13)黒川巖 94 広島ロータリー倶楽部会長
(14)松田重次郎 94 東洋工業株式会社々長
(15)多山恒次郎 95 広島電鉄株式会社々長
(16)津脇勘市 98 中国石炭株式会社々長
(17)熊平源藏 100 交魚会代表
 (18)田中敬孝 101  広島県貿易株式会社々長
(19)奥清造 103 広島県製綿工業協同組合代表
(20)中井万藏 105   正光寺檀家総代
(21)岸谷貞次郎 106 鈴峯女子短期大学長
(22)奥久登 107 広島信用組合長
(23)皆川孝光 108 広島県産業安全協会副会長
 5  追悼座談会の記
(1)第1篇 出席者氏名(イロハ順)111
(2)第2篇 出席者氏名(イロハ順)141
6 追悼文集(イロハ順)
(1)正業を守り、虚業を斥く 伊藤豊 175
(2)藤野氏の憶出 今西貞夫 184
(3)国力増進に協力 磯義雄 188
(4)感慨無量 糸園哲 197
(5)忘れ得ない恩情 伊福岩吉 198
(6)藤野七藏氏を憶う 林利平 201
(7)尊敬する大先輩 原田平五郎 203
(8)国境を越えた温情 秦茂 206
(9)優秀なる指導者 丹羽周夫 213
(10)残された功績は偉大 西川文二 215
(11)典型的事業家 戸倉光治 217
(12)製綿工連創立時代を偲ぶ 影木鹿吉 222
(13)偉業を偲びて 柏木和一 227
(14)失敗のない足跡 柿田作八郎 243
(15)忘れ得ぬ印象 梶井俊三 246
(16)業界に盡くされた功績 吉川仙藏 252
(17)強き信念を仰ぐ 横井金次郎 255
(18)信念の人 吉村元彦 258
(19)温容慈眼の人 高田五郎 261
(20)厚い友愛と奉仕の念 瀧勇 264
(21)藤の花散りて床し 多山恒次郎 266
(22)妙訓とするべきこと 田中重太郎 268
(23)或る日の話題 田中敬孝 269
(24)身に沁みる憶出 谷口健一 274
(25)何時も笑顔で 津村進 288
(26)刻苦精励に生く 中村藤太郎 30
(27)み墓に参りて 長岡清藏 293
(28)経営者の亀鑑 村尾時之助 295
(29)京城恒常設置当時のこと 村岡茂 301
(30)奮励努力の権化 上前晨之助 304
(31)夜更けて英語を勉強 奥久登 308
(32)深く且つ大きな力 奥清造 311
(33)盡きせぬ憶出 沖本和賀世 321
(34)慈父の如く憶う 岡崎武雄 325
(35)紫靄慕 岡本泰直 331
(36)誠に惜しい人 黒川巖 338
(37)社会のために盡くされた人 熊平源藏 338
(38)不變不敗の構 倉田義允 341
(39)藤野氏の憶出 山内武寛 344
(40)心の太陽として 山岡キヨ 347
(41)これからの人 松田重次郎 351
(42)特筆大書すべき功績 松浦泰次郎 352
(43)人に負けない闘志 松本勝太郎 354
(44)耳底に残るお聲 丸本靜雄 356
(45)ロータリー精神を体得 藤井徳兵衛 362
(46)業界の大御所 藤井唐三 364
(47)常に重きをなす 福原孟 367
(48)従業員を吾が子の如く 小法師範雄 369
(49)御遺志を遵法 小林正雄 373
(50)断呼、信を貫く 佐藤類太郎 376
(51)製綿業界の恩人 讃岐一太郎 379
(52)原爆被害の復興 佐伯九郎太 382
(53)心なつかしい人 坂角司 390
(54)流風遺響 岸種男 393
(55)幾多の辛酸を越えて 目見田武市 395
(56)熟慮断行の人 峯松眞三郎 397
(57)鋭い先見の明 三田榮吉 400
(58)滔々として見解を吐露 三宅太郎 403
(59)業界の長老 白井市郎 406
(60)忘れ得ぬこと 白木正章 412
(61)廣島財界のために惜しむ 平岡正哉 416
(62)藤野氏と私 久永三郎 417
(63)原爆後のこと 桧山武 419
(64)六瓢の圖 平岡三郎 428
(65)観想の一面 森岡正陽 433
(66)細心面放膽 瀬川鉄丸 443
(67)産業界の巨星 砂原格 445
(68)雅量豊かな大実業家 菅辰雄 447
(69)大なる無形の遺産 鈴木清 448
(1)尚私の中に生きている兄 藤野房次郎 453
(2)偉業を継ぎて 藤野勇八 461
(3)叔父の急逝を惜しむ 藤野勇太郎 467
(4)意志の人 藤野不器夫 470
(5)最後迄縁のあった私 藤野悦治 473
(6)心に遺るお姿 藤野勇三 477
(7)叔父の思出 太田香苗 478
(8)社会に立派な貢献 田村千秋 483
(9)数々の憶出 福永保市 492
(10)理想と信念に活き抜いた努力者 青木佐一 494
(11)父を偲ぶ 藤野孝子 495
(12)野菊をお供えして 藤野園子 502
(13)お祖父様の思い出 藤野宏樹 503
(14)おじいさまと僕 藤野康一郎 506
(15)祖父の思い出 藤野昌子 507
藤野あさ子夫人追悼録
1、写真集
2、追悼座談会の記 出席者氏名(イロハ順)513
3、歌集「鏡」 539
4、子供会への言葉 579
5、思い出るままに 中村賢二郎 583
6、嗣子勇七郎氏等の面影 593
7、藤野七藏氏年譜 598
8、琵琶藤野七藏氏一代記 507
9、編纂後記 615

 

藤野七蔵

藤野七蔵

ふじの・しちぞう 18850701生 19510425没 享年65歳

藤野七藏氏年譜

 <出典:『藤野七蔵氏追懐録』藤野七蔵氏追懐録編纂委員会、広島瓦斯株式会社内、1952年4月25日>
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海に消えた被爆朝鮮人徴用工-鎮魂の海峡

『海に消えた被爆朝鮮人徴用工-鎮魂の海峡』(深川宗俊著、明石書店、1992/07/31)

内容

見出し 備考
1 「原爆の日」からの旅立ち 11
1 ソウルの冬-一九七四年一月 12
三〇年間、帰らない息子/きびしいソウルの冬
2 「白紙」一枚の強制連行 16
戦時秘匿名「ヒロ八五〇一工場」/強制連行された人びとの生活/徴用工の不満/「日本が勝つと思われますか」
3 原爆が落とされた日 21
一九四五年八月六日/死者の群れ
4  朝鮮解放と「別れ」 25
日本の敗戦と朝鮮の解放/出発の前夜/朝鮮人徴用工との別れ/帰り着かぬという問い合
わせ
5 旅立ち 30
誤まった記録/少年の日の朝鮮人像
2 消えた二四六名を追って 33
1 祖国を奪われ、故郷を追われ―朝鮮民衆の歴史 34
抵抗のうたごえ/権力者のつくり話/朝鮮植民地化の開始/不平等条約の実態/朝鮮民衆の抵抗/土地をうばわれ、米をうばわれ、故郷を捨てさせられ/「皇国臣民の誓詞」/「人狩り」=朝鮮人強制連行/原爆症認定患者・崔英民さんの話
2 太平洋戦争末期における広島の朝鮮人 47
広島県協和会/ささやかな一粒の種子/徳光真散彦氏の話/爆発した朝鮮人徴用工の怒り/日本人に殺されるより…
3 彼らの消息はとだえたまま 53
処分された「応徴士」の名簿/帰国を急ぐ朝鮮人/仙崎港での証言/記録にない機帆船の遭難/人があふれた収容所/ミステリーではない/草津町での証言/触雷説/引揚船内反乱説/林記老からの報告/盧長寿さんの手紙
4 下関、戸畑にて67
関釜連絡船/下関で聞いた証言/下関地方気象台、厚東さんの証言/戸畑港で聞いた証言
5 対馬、壱岐にて 76
対馬へ/流れついた死体/埋葬された死体/阿比留さんの証言/釜山が見える岬/壱岐・郷ノ浦/朝鮮を犯しつづける日本
3 ふるさとに墓地はなかった 87
1 再会 88
「静かな朝の国」/重長寿さんとの再会/盧聖玉のふるさと/金泉-水原-ソウル/後宮大使との会見/タコ作り名人の夢/名乗り出た元徴用工/「忍耐」の二文字
2 元徴用工と遺族の証言 96
保存されていた徴用令書/権泰植さんの証言/いまこそ遺骨を故国へ/あなたの墓地はなかった/盧長寿さんの証言/両手両足をもがれた感じ
3 「あの日」と朝鮮人 107
被爆についての証言/被爆朝鮮人の実数/外交ルートにのった朝鮮人遺骨問題/「古い傷口」/<あの日>
4 電光のように脳裡にうかぶ愛する人へ 115
1 遺族さがし 116
重苦しい韓国の政情/息子を三菱にとられた母親の嘆き/権寧瑾のふるさと
2 若い徴用工夫婦の往復書簡 120
寧瑾の妻・貞愛さん/寧瑾からの第一信/自転車に乗って走って行きたい/鉄石のような決心で/逢う日を信じて下さい/ああ朝鮮、朝鮮がいやになった/離別という二文字が二人の前に立ちふさがる/余すこと百余日/迫りくる日本の敗戦/いつかきっと蝶が舞う/電光のように脳補にうかぶ私の愛する人よ/被爆にもかかわらず私は健在だ/帰ってこない夫
3 確認できた山港地 138
第一次徴用で連行された権五衡/生きることが一番苦しかった/三菱から海軍に徴用された朝鮮人/新しい種子/裏づけられた戸畑出港説/証言者たち/発見された一九四六年の慰霊祭アピール/あついもてなし
5 さわだちやまぬ鎮魂海峡 153
1 再び壱岐にて 154
語ろうとしない壱岐の人びと/警察の弾圧/慰霊碑と台風/野原で焼かれた骨/私たちの悲劇/慰霊碑によせた熱い思い/見殺しにした日本人/朝鮮にむかって牙をむく日本
2 遺族会の結成 164
韓国の四月/韓興剣の家族/遺族会結成の呼びかけ/遺族会結成式/日韓双方の動き/韓国の被爆者たち/金再根の遺志/元徴用工・崔基昌さん/狭いワクを越えて
3 三菱重工との交渉 182
韓国に進出する三菱/三菱への疑念/三菱に支払う意志はあったか/誠意のない回答/決死の覚悟/三菱に責任はある/鎮魂の海峡/にんげんの復権
補1 外国人被爆者の間題 193
孫振斗さんの勝訴/これは日本人被爆者の問題でもある/自らの生命を絶つ被爆者/日韓被爆者の連帯/来日した韓国人被爆者たち/辛さんへの被爆手帳交付/厚い壁/ふたたび三菱との交渉/ソウルでの慰霊祭/塗り消された碑文/野火のようにひろがる民衆の火
補2 海峡の怨-訪韓レポート 207
はじめに 207
1 道義までふンにカる日本政府・三菱重工 208
2 三一年目に壱岐で遺体発掘 209
3 外国人被爆者問題 215
4 外国人被爆者に平等の権利を 230
5 私の訪韓に際してのアピール 233
6 ソウル無住宅被爆者自治互助会 243
7 三菱遺族会の人々 245
死ぬ時も一緒に/土の中に入るまでは/結婚して五年目に強制連行/父が二人目の成子/自殺未遂の意味するもの
8 訪韓に際してのアピールについて 252
加害者と被害者の立場をこえるために/新資料と新証言/李学俊氏のレポート
資料  261
年表  293
三菱重工業強制連行関係年表
あとがき 深川宗俊(1974年8月) 300
解説 飛田雄一(1992年6月) 303
奥付
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