「日米関係の中のヒロシマ」カテゴリーアーカイブ

年表:ジミー・カーターと広島

年表:ジミー・カーターと広島<作業中

19790108 米国ネバダ核実験場風下のがん多発問題で、カーター大統領が住民の再調査を指示。
19821015 原水爆禁止日本協議会、核積載米艦が日本に寄港していたとのカーター前米大統領の発言に関して抗議声明発表。(15日報道)
19821016 共産党長崎県北部地区委員会、カーター前米大統領発言を重視して、佐世保市に対して核積載可能艦船の入港を拒否するよう申し入れ。
19821019 82 10 19 安保破棄諸要求貫徹長崎県実行委員会、カーター前米大統領発言を重視して、長崎県知事に核積載可能鑑船の入港拒否を申し入れ。
19821101  広島県原水協など、カーター前大統領の核積載艦日本寄港発言(10月14日)に関して、核積載艦の県内入港拒否を政府に要求するよう広島県に申し入れ。
19840  広島の高校生ら、5月に来広予定のカーター前米大統領の長女に来広を要請する手紙を送る運動を推進。
19840524 カーター前米大統領、来広。(25日原爆資料館など見学)、平和アピール発表、記者会見で“原爆は真珠港の帰結”との見解表明。
19840716  カーター前大統領、米民主党全国大会での演説で、今春の広島訪問について触れ、核兵器開発競争激化に警告。
1990 カーター元米大統領、三次市甲奴町を訪問。
1994 カーター元米大統領、三次市甲奴町を訪問。
19980806  カーター元米大統領、ゴルバチョフ旧ソ連大統領ら、被爆53周年にあたり各国に核廃絶交渉の開始を呼びかける共同アピールを発表。
20210822 三次市甲奴町でカーターの誕生日(10月1日)を祝う動画を同町本郷のジミー・カーターシビック・センターで収録。(『中国新聞』20210830)

 

 

00アメリカ大統領とヒロシマ

アメリカ大統領とヒロシマ

在任期間 名前  備考
32 1933~45 ルーズベルト、フランクリン 民=民主党、
原爆開発計画(マンハッタン計画)
33 1945~53 トルーマン、ハリー
原爆投下命令
34 1953~61 アイゼンハワー、ドワイト  共=共和党
35 1961~63 ケネディ、ジョン
36 1963~69 ジョンソン、リンドン
37 1969~74 ニクソン、リチャード
38 1974~77 フォード、ジェラルド
39 1977~81 カーター、ジミー
1990年10月21日、広島県甲奴町を訪問。
 40  1981~89  レーガン、ロナルド,  共
 41  1989~93  ブッシュ、ジョージ  共
42 1993~2001 クリントン、ビル
テキサス州ダラスで行われた全米新聞編集者協会での講演で、日本に原爆を投下した元大統領の決定は正しかったとの見解を表明、太平洋戦争終結50周年にあたり日本に謝罪する考えはないと述べる。
43 2001~09 ブッシュ、ジョージ・W
44 2009~17 オバマ、バラク
2016年5 月27日、広島訪問。
45 2017~21 トランプ、ドナルド
 46 2021~  バイデン、ジャセフ

 

 

【資料】天皇「ヒロシマ巡幸」1947.12.7

【資料】天皇「ヒロシマ巡幸」 1947.12.7

[広島市民広場での]御言葉

[『天皇と廣島』(小野勝、広島文化社、1949)所収]

この度は皆の熱心なる歓迎を受けて嬉しく思う。
本日は親しく広島市の復興の跡を見て満足に思う。広島市の受けた災禍に対しては同情にたえない。
我々はこの犠牲を無駄にすることなく平和日本を建設して世界平和に貢献しなければならない。

THE NEW YORK TIMES 1947.12.8

Hirohito Rules Out New ‘Pearl Harbor’

by The United Press

HIROSHIMA, Japan, Dec. 7 –Emperor Hirohito pledged today that Japan never again would pursue policies that might lead to another “Pearl Harbor” as he addressed 40,000 persons at this atom-bombed city on the sixth anniversary of the attack on Hawaii.

In an unprecedented and unexpected speech, the Emperor said the Japanese people “must work to contribute to world peace and rebuild the country.”

He expressed the deepest personal sorrow at the atomic disaster that had befallen Hiroshima, but said Japan faced the future hopefully

Emperor Hirohito stood alone and unattended on a raised openair platform in the center of the atomic bomb. Australian military police aided in controlling the crowds.

ニューヨーク・タイムズ原爆関係記事目録(1947~83年)

ニューヨーク・タイムズ原爆関係記事目録1947~83年

47 02 09 42-3 UP WASHINGTON, Feb. 8
[広島爆撃にNolden照準器が、Smithsonian Institution に寄贈されることになる。]
47 07 19 6-2 AP HIROSHIMA, Jul. 18
[オーストラリアのペニシリン1500万個が赤十字病院に寄贈される。]
47 12 08 1-7  UP HIROSHIMA, Dec.7
Hirohito Rules Out New ‘Pearl Harbor’
47 12 08 24-2
HIROSHIMA VIA PEARL HARBOR
48 08 12 23-8  LONDON Aug. 11 by Clifton Daniel
Widespread Shame in America Over Use of Atomic Bombs Reported by a Scientist
[精神心理学者の集会で、G.R.Hargreaves 博士が、アメリカは原爆使用について 罪の意識を持っていると語る。]
49 07 01 21-4  WASHINGTON, Jun. 30
[広島攻撃に使用されたB29、7月3日にスミソニアン協会に公式に渡される 予定。]
50 07 16 13-1  PARIS Jul.15
[浜井信三広島市長、広島の犠牲者は20万人を超すと語る。]
57 11 17 2-6  Reuters HIROSHIMA Nov. 16
[日本被団協の藤居平一、ソ連の医師から長崎の被爆者に対する無料治療の申し出があったことを発表。]
58 02 03 1-1  By Wayne Phillips
[トルーマン前大統領、昨夜のテレビ向けインタビューで原爆投下に言及。]
58 02 14 2-6  TOKYO Feb. 14
[広島市議会、トルーマンの発言に抗議。日本の新聞も、トルーマン発言を非難。]
58 03 15 1-3  KANSAS CITY, Mar.14
[トルーマン、原爆投下非難に反論、仁都栗司広島市議会議長への書簡を公表。]
58 03 19 30-7
[(投書)トルーマンの書簡に賛同]
58 03 22 16-6 by James J. Flynn[Fordham 大学歴史学準教授]
[(投書)トルーマンの書簡について]
58 03 23 21-1 Reuters HIROSHIMA Mar. 22
[広島市議会、トルーマンに再考を促す]
58 06 12 33-5 HANOVER Jun. 11
[28歳の英語女教師 Le Moyne Goodman、生徒が原爆投下を非難する作文を書いたことを理由に辞職をせまられる。]
58 06 19 27-5 HANOVER Jun. 18
[教育委員会、女教師Goodman の辞職問題について語る。]
58 06 21 21-6  HANOVER Jun. 20
[女教師Goodman、辞職を決意する。]
59 05 30 2-1  CAMP HILL May. 29
[エノラ・ゲイ号は、現在アンドリューズ空軍基地にある。将来は、スミソニア ン国立航空博物館に収められる予定。]
60 08 07 32-4
[(写真)戦争終結を報じるニューヨーク・タイムズを手に、15年前を回顧す るチベッツとフェアビー。]
63 12 07 2-3 AP TOKYO Dec.7
[東京地裁、原爆投下は国際法違反との判決を下す。]
64 05 06 3-6  AP INDEPENDENCE,Mo., War.5
[広島・長崎の8人の被爆者、トルーマンと会見。]
70 07 12 10-1 UPI TOKYO Jul.11
[柳田ヒロシ、23人の米兵が原爆により広島で死亡したと語る。]
70 07 12 10-1 UPI WASHINGTON Jul.11
[ペンタゴンのスポークスマン、米兵の広島での死亡を否定。]
70 07 21 13-1
[ニューヨークの文化センターで、8月4日から10日まで、広島・長崎展が開 催される予定。]
71 04 16 14-3 By Junnosuke Ofusa, HIROSHIMA, Apr.15
[天皇・皇后の広島訪問の模様]
71 04 17 12-3 HIROSHIMA, Apr.16
[天皇、広島の感想を語る。]
71 11 24 37-5 By Deirdre Carmody
[広島原爆の日誌、37,000ドルの値がつく。ルイス所蔵のもの。]
71 12 27 1-5  By B. Drummond Ayres Jr. KANSAS CITY, Dec.26
[33代大統領トルーマン、88歳で死亡。]
76 10 13 4-6  AP HIROSHIMA Oct.12
[荒木広島市長、原爆投下ショーに抗議。]
77 09 12 32-5
[(投書)原田東みん、Maurine Parker、連名で、テキサス州ハーリンゲンで開催 予定の航空ショーに遺憾の意を表明。]
78 06 04 40-4
[(写真)国連ロビーにおけるヒロシマ・ナガサキ写真展]

1977年
3月19日(1頁-5段) MAJORCA,SPAIN
WILLIAM L.LAURENCE(アラモゴードの歴史的な核爆発に立ち会い、被爆直後の長崎を取材した記者)死去。89歳。
5月17日(3-1)(写真) 原爆ドーム。
5月17日(3-3) BY HENRY KAMM 、ヒロシマ
カーター声明のヒロシマでの反響。
5月22日(1-3) BY HENRY KAMM 、ヒロシマ
原爆乙女佐古美智子へのインタビュー。
8月 7日(24-1) BY GLANDWIN HILL 、SAN CLEMENTE 8.6
SAN ONOFRE 原子力発電所に向けて行われた反核デモの模様。
8月10日(6-6) AP ナガサキ 8.9
長崎の平和記念式典の模様。
8月14日 (Ⅶ10頁) BY DREW MIDDLETON
GORDEN THOMAS, MAX MORGAN WITTS 共著「エノラ・ゲイ」の紹介。
9月12日(32-5) (投書) 原田東岷・MAURINE PARKER 連名で、テキサス州ハーリンゲンで開催予定の航空ショーに遺憾の意を表明。
9月30日( Ⅳ17頁)(人物紹介) TRAVIS MACNEIL= 退役空軍少将でテキサス州の航空ショーの責任者。
10月11日(42-1)( 人物紹介) GENERAL PAUL TIBBETS
1978年
1月 7日(1-4) BY MALCOLM BROWNE
第2次世界大戦中の日本における原爆開発の紹介。
6月 4日(40-4) (写真) 国連ロビーにおけるヒロシマ・ナガサキ写真展。
7月 7日 (Ⅱ 2頁) BY JOSEPH B. TREASTER
7月 1日、59歳で死去したCLAUDE EATHERLY の紹介。
7月14日(2-1) BY ANDREW H. MALCOLM ナガサキ長崎の歴史と被爆の紹介。
7月24日(2-1) BY DAN LEVIN, HICKSVILLE,N.Y. マリアナ紀行。原爆爆撃機発進基地の紹介。
8月 7日 (Ⅱ13頁)(写真) LACEY TOWNSHIPの広島記念祭の模様。
11月12日(17-1) UPI BIRMINGHAM 11月11日 P.W.TIBBETS,「核戦争を避けるために、われわれはあらゆる努力をしなければならない」と語る。
11月16日 (Ⅲ20頁)(人物紹介) エノラ・ゲイ搭乗員R.LEWIS 。彼の飛行日誌が 8万5000ドルで売却される。
1979年
6月 9日(12-1) 8月 9日原爆攻撃直後、長崎に進駐した元アメリカ海兵隊員に骨髄性ガンが多発していることが判明。
7月 2日 (Ⅳ6-4) 国際協力による国立科学アカデミーの研究によれば広島の被爆者の22%、長崎の被爆者の33%は10ラド以下の被爆量であることが判明。また、被爆Ⅱ世への遺伝的影響は見られないこと、被爆者の死亡率は非被爆者の死亡率よりも少し低いことがわかる。研究者たちは、低レベルのLET放射線による細胞の損傷はしばしば回復していると信じている。
7月23日 (Ⅱ4-2) PAUL DOUTRICHハリスバーグ市長、核被害のもう一つのシンボルである広島市と姉妹都市縁組をしたいとの意向を表明。これを提案したの
は、核絶滅に反対する日米教授連合というカルフォルニアの団体である。会長の JOHN SOMERVILLE は、市長の意向は、広島で大歓迎されるだろう
と語る。
7月29日(18-1) 原爆に被爆した 600人の公務員に年6日の超過休暇を与える計画。3600人の被爆者のうちの 600人は、他の人々より多くの病院治療が必要。
8月10日(3-3) 日本の8月に行われる3つの大きな行事-広島・長崎の原爆記念日、ヒロヒト天皇による降伏記念日-の紹介。日本では、原子力にたいする反
対の大きな声は、原爆反対の声が大きいにもかかわらず、存在しない。
8月10日(13-3) 原爆被爆者-骨髄性ガンの元米海兵隊員HARRY COPPOLA を含む-長崎平和記念公園に参集。17000 人が参加。 8月 6日には、広島で3万人
が同様の式典。
8月15日(22-1) スタンフォード大学 BARTON BERNSTEIN 教授が、1945年 8月 6日の広島原爆攻撃により数人の米兵捕虜が死亡、また、1945年10月 9日付け
の米軍向け日本政府連絡によれば20人の米兵捕虜が死亡していると発表。国防総省にこれらについての説明を求める論説。
8月23日(16-1) 12人以上の米兵捕虜が広島で原爆の犠牲になった可能性。飛行士RALPH J.NEELとNORMAN R.BRISSETの運命。NEELの横顔と彼の母親の写真。
9月 2日 (Ⅳ14-5) PHILIP PARK 師の 8月23日付け米兵捕虜の記事についての投書。原爆攻撃時、広島には4800人の日系アメリカ人がいたと指摘。なお、長崎
の数は不明。
1980年
6月16日(20-1) 広島・長崎に投下された原爆の製造に従事したアメリカの科学者600人、35周年を記念してロス・アラモスに集合。
6月22日(40-3) 広島の被爆者、公衆衛生を専門とするアメリカの科学者とともに上院の健康と科学研究に関する小委員会の核戦争が人間の健康に及ぼす影
響についての公聴会で証言。
6月23日(22-5) R.H.HODGEの手紙。トルーマンが原爆攻撃以外の手段を検討していなかったことについて論じる。
8月 3日(37-3) 最近ガンで死亡したHARRY COPPOLA 、1979年 8月に長崎の平和記念式典に参加した際、広島・長崎に被爆直後進駐したアメリカ人の間で放
射線障害が多発している語った。今年の式典に参加している彼の息子MICHAEL が最近ガンで死亡した6人の海兵隊員のリストを日本人に提供す
る予定。米国退役軍人局の役人、彼らの訴えには根拠が無いとコメント。
8月 6日(3-3) 数千の人々が原爆攻撃35周年を記念して広島に参集。
8月 7日(9-1) 日本の記念行事。
8月10日(37-1) 長崎原爆攻撃35周年を記念して ROCKY FLATS核兵器工場で平和行進をしていた28人、逮捕される。
8月12日(12-5) 核防衛局、広島・長崎に進駐したアメリカ人にガンが多発しているという主張には根拠がないと発表。
11月24日 (Ⅲ14-5) 広島に原爆を投下した飛行士POUL W.TIBBETS、NBC-TV番組「エノラ・ゲイ-男・任務・原爆」の中で、原爆攻撃任務にあった兵士
たちの生活は、彼らの任務ののろいにより破滅的なものとなったという物語を否定する。番組の85%で企業家として成功した元兵士たちを描く。
12月 7日 (Ⅶ39頁) MILLEN BRAND 著「平和行進-長崎から広島へ」の紹介。
12月22日(4-3) JOHN PAUL Ⅱ法皇、日本訪問中に広島・長崎の20万人の犠牲者に祈りを捧げ、原爆症で入院中の被爆者を見舞う予定。
1981年
2月23日(3-4) JOHN PAUL Ⅱ法皇、日本訪問中の5日間に広島・長崎を訪問の予定。
2月25日(2-3) JOHN PAUL Ⅱ法皇、広島を訪問。
2月26日(4-4) JOHN PAUL Ⅱ法皇、長崎を訪問。
3月28日(23-5) 長崎大学市丸道人教授による核戦争の恐怖についての解説。
5月16日(11-1) 広島・長崎の住民が原爆によって被った放射線量の評価に疑い。
8月 6日(8-1) 広島で原爆被爆第36周年記念式典。荒木市長、日本政府が非核三原則を堅持するよう訴える。 4万人以上が参加。
8月 6日(8-1) 日本人科学者による白書、広島・長崎の被爆者の後障害・社会的心理的被害の全体像を明らかにする。
8月 9日(5-5) 長崎で 5万人以上が軍備競争の中止を要求してデモ。
8月 9日 (Ⅶ 1頁) 広島・長崎両市編「原爆の物理的・医学的・社会的影響」の紹介。
8月10日(2-3) 広島・長崎両市で原爆被爆直後に生まれた子供たちについて。
8月21日 (Ⅲ32-1) 「忘れがたき火」。被爆者の描写した絵を日本の放送局が編集。
10月 3日(2-4) 広島市長、米ソの核実験に抗議して電報を打電。
10月 8日(20-1) ワシントン地裁判事JUNE L.GREEN、復員軍人局と核防衛局が核攻撃直後の広島・長崎両市で復旧作業に従事した2000人の復員軍人の障害や死亡について不当な判断を採用していると判決。判決は、広汎な意見を認
める新しい判断を行うよう求める。この集団訴訟は、原爆復員軍人全国協議会により提訴されたもの。
1982年
3月23日(19-1) 4人の広島の被爆者、KENNEDY・HATFIELDの両上院議員により組織されたワシントンでの公聴会で核戦争の恐怖について証言。
8月 1日 (ⅩⅩⅠ3-3) ニューヨークの平和団体「長い島連合」、広島攻撃を記念する行進を計画。
8月 6日(1-1) JAMES B.EDWARDエネルギー省長官、アメリカの核実験に立ち会ったことについて、わざと広島原爆記念日に合わせたわけではないと語る。
8月 6日 (Ⅱ4-1) 広島原爆資料館について。
8月 7日(2-1) 広島市平和記念式典。市長、アメリカの新たな核実験に抗議。
8月 7日(27-5) 広島攻撃についてのRAFAEL STEINBERGの論説。
8月 7日(31-1) 反核グループ、広島攻撃を記念してニューヨークでデモ。
8月 8日(15-1) シカゴの平和博物館、平和教育に関する討論会を計画。この博物は、最近広島・長崎の被爆者の絵を展示した。
8月 8日(15-1) フィラデルフィアで75人が、広島・長崎への原爆攻撃とGE社の核兵器製造に抗議してデモ。
8月10日(16-1) 長崎原爆攻撃を記念して国連周辺でデモ。
8月10日(16-2) 国防総省の警察官、13人のデモ参加者を逮捕。
1983年
8月 6日 (Ⅰ22-1) 武見太郎博士、アメリカの雑誌で原爆攻撃が第2次世界大戦末期に日本を覆っていた飢餓から日本を救ったと語る。
8月 6日 (Ⅰ22-5) 4人のデモ参加者、日本への原爆投下を記念してDRAPER CHARLES STARK LABORATORYのロビーに鳩を放した後逮捕される。
8月 7日 (Ⅰ3-1) 原爆投下38周年を記念して行われたニューヨークでの反核デモの写真。
8月 9日 (Ⅱ5-2) 反核グループの連合、広島・長崎原爆攻撃38週年を記念して、核戦争計画に参画していると報じられているニューヨークの RIVERSIDE RESEARCH INSTITUTE本社の外での1週間のデモを開始。
8月10日 (Ⅰ2-3) 日本人、広島・長崎原爆投下38周年を記念して行事。
10月14日 (Ⅰ14-5) 国立空軍博物館、ダレス国際空港に、広島に原爆を投下した「エノラ・ゲイ」のような大型の飛行機の展示を計画。
12月18日 (Ⅰ39-1) 技術評価局の研究によれば、原爆攻撃直後の広島・長崎に入ったアメリカ軍の骨髄性ガンの発生率は一般と比較して高くはないという国家研究会議の結論は、根拠が不十分。

ホロコースト・原爆ドーム世界遺産化についての本島等発言

ホロコースト・原爆ドーム世界遺産化についての本島等発言

Y M D NEWS1
95 03 09 長崎市議会、議員運営委員会で本島長崎市長が会期中に日本外国特派員協会での講演会出席のため出張することを全会一致で了承。
95 03 15 平岡広島市長・本島長崎市長、東京・有楽町の日本外国特派員協会で約70人を前に講演。
95 03 21 米紙ニューヨーク・ポスト紙、社説で、本島長崎市長の原爆投下をナチスのユダヤ人虐殺と並ぶ大虐殺とする発言に反論し、日本に説教する資格は無いと述べる。
95 04 14 日本共産党長崎地区委員会、16日告示の市長選挙で、本島市長を支持すると発表。
95 04 23 長崎市長選挙。本島等落選。伊藤一長(49才)が当選。
95 04 24 平岡広島市長、長崎市長選挙に破れた本島等にねぎらいの、当選した伊藤一長に協調を呼びかけるメッセージを送る。
95 04 27 本島等長崎市長、市長退任を前に記者会見。「長崎市には、核の廃絶を世界に訴える義務と責任、そして誇りがある」と語る。28日、退任式。
95 05 21 核実験に抗議する長崎市民の会、15日の中国の核実験に抗議して平和公園乙女の像の前で座り込み。本島前長崎市長ら20人が参加。
95 05 25 本島前長崎市長、修学旅行で長崎市を訪れた広島県府中市立第二中学校3年生190人に平和問題について話す。
95 07 01 「国際市民フォーラム・長崎」県民連絡会、シンポジウム「核時代の半世紀-長崎とマーシャル諸島を結んで」を長崎市内で開催。パネリストはトマキ・ジュダ・ビキニ市長、ビキニ被曝住民への補償を求める裁判の米国人弁護士、本島元長崎市長。
95 07 13? 市民団体ピースデイズ・インさせぼ実行委員会、本島前長崎市長を招き講演会を開催。
95 07 25 韓国原爆被害者協会・韓国キリスト教会女性連合会、ソウルの韓国基督教連合会館で「侵略と原爆展」を開催。本島元長崎市長が基調講演。約200人が参加。-31日。
95 08 05 「95生協ヒロシマ行動学習講演会」、広島市のYMCAで開催。本島等前長崎市長が講演。
95 08 05 日本生協連、「95ヒロシマ虹の広場」を広島グリーンアリーナで開催。約3000人が参加。本島前長崎市長も参加。
95 08 08 日本マスコミ文化情報労組会議、「なくせニュークス95MIC長崎フォーラム」を長崎新聞文化ホールで開催。約200人が参加。斉藤茂男・原寿雄・本多勝一などによるパネルディスカッションや本島元長崎市長の講演など。
95 11 01 平和シンポジウム「戦後・被爆50年を考える-核兵器・日米安保条約・日本国憲法」を長崎市内で開催。パネリストは本島等・葛西よう子・土山秀夫・山田拓民の4人。約100人が参加。
96 03 31 長崎市、原爆資料館の開館記念式典に本島等元市長を招待せず。
96 08 05 広島県府中市立第二中学校、「8・6平和集会」を開催。本島前長崎市長が講演。
96 08 06 移動演劇隊「桜隊」の慰霊追悼会、東京都目黒区の五百羅漢寺で開催。本島等前長崎市長が招かれ出席。
97 04 22? 本島等・前長崎市長、広島平和教育研究所の年報24巻に原爆ドームの世界遺産登録を「加害」の視点を欠くと批判する論文を掲載。
97 05 06 「長崎の原爆展示をただす会」、本島長崎市長の広島平和研究所年報での原爆ドーム批判は、個人的な見解であることを示すよう長崎市に要望。
97 05 28 広島県被団協、総会で原爆ドームの世界遺産化を批判した本島前長崎市長に抗議文を送付することを決議し、郵送。
97 07 12 東方2001、連続シンポジウム「第5回ヒロシマを語る-原爆ドーム世界遺産化で考える-ヒロシマの被害と加害」を開催。本島前長崎市長・袖井林二郎・松元寛らがパネリスト。約200人が参加。
97 07 23 「長崎の原爆展示をただす市民の会」、本島元長崎市長に、原爆ドーム遺産登録批判の論文と発言に対する抗議文を送付。
97 08 06 本島等前長崎市長、「8・6広島反戦・反核集会」で講演。広島市の平和宣言を「加害・侵略戦争に全く触れていない」と批判。
97 09 25 広島ユネスコ協会、加藤剛の朗読劇と平岡広島市長の講演会「アウシュヴィッツからヒロシマへ」を広島市内で開催。平岡市長、「侵略と核廃絶は別次元」と本島前長崎市長の発言に反論。
98 06 20 毎日新聞「ニュースパーク:核拡散時代の広島・長崎-「和解の世紀」の先頭に-本島等前長崎市長」
98 07 17 長崎新聞「インタビュー:本島等さん-前長崎市長、広島批判の真意は-忘れてならない戦争責任、謝罪の気持ち心に刻んで」
98 07 29 本島等前長崎市長、「原爆投下は仕方がなかった」と共同通信のインタビューで語る。
98 08 01 沖縄駐留の米軍が、1950年代後半、旧ソ連など敵の侵攻を受けた際に備え、核兵器の使用を含む沖縄本島の防衛作戦計画を立てていたことが、米海兵隊の秘密指定文書で明らかになる。
98 08 06 被爆53周年8・6ヒロシマ広島反戦・反核集会、広島市のアステールプラザで開催。本島等前長崎市長がパネリストとして出席。
98 08 06 本島等前長崎市長、広島市内での記者会見で、「原爆投下は仕方がない」と語る。
98 08 09 「被爆53周年8・9長崎反戦集会」、長崎市内で開催。約200人が参加。本島前長崎市長がパネルディスカッションに出演。
98 10 03 長崎原爆被災者協議会、「本島発言を考えるつどい」を長崎市内で開催。約20人が参加。
98 12 11 長崎ピースウイーク実行委員会、シンポジウム「戦争被害の実相を知る-ヒロシマ・ナガサキの被爆<再考>」を長崎市内で開催。本島等前長崎市長らが講演。
98 12 19 長崎原爆被災者協議会など、「本島発言を考える会」(第2回)を開催。11人が参加。

年表:本島等長崎市長の「天皇の戦争責任」発言その後の経緯

年表:本島等長崎市長の「天皇の戦争責任」発言
その後の経緯

1988年12月7日

長崎市定例市議会における柴田朴議員(共産党)の一般質問

「敗戦半年前天皇に出された”近衛上奏文”が聞き入れられておれば沖縄戦、広島、長崎原爆もなかったはず。天皇の戦争責任について被爆市長としてどう思うか」

本島等市長の答弁

「戦後43年たち、この戦争が何であったか反省が十分できてきた。外国人の記述、日本の歴史家の記述、私自身が軍隊生活で教育関係に携わってきた経験からも天皇に戦争責任はあると思う」

出典:「長崎新聞」1988.12.8

Y M D NEWS1
88 10 05 長崎原水協、長崎市が市役所庁舎内に天皇陛下平癒祈願記帳所を設置しているのは、地方自治体の本旨に背くとして、撤去を申し入れ。[本島長崎市長]
88 12 07 本島長崎市長、市議会で、「天皇に戦争責任はある」と発言。終戦の決断が遅れていなければ、広島・長崎原爆もなかったとコメント。発言後、抗議や激励の電話相次ぐ(1週間で約900件)。
88 12 08 長崎市議会、本島市長の天皇の戦争責任発言をめぐり紛糾。保守系議員ら、発言の取り消しを要請。
88 12 09 自民党長崎県議5人、本島長崎市長の天皇の戦争責任発言に対して、取り消しを求める要請文を提出。
88 12 10 自民党長崎県連、本島長崎市長の天皇に戦争責任があるとの発言に対して撤回を要求することなどを決定。12日、文書で申し入れ。
88 12 11 本島長崎市長、天皇の戦争責任発言は撤回出来ないので自民党県連の顧問職を辞退するとの意向を表明。
88 12 14 長崎日の丸会、本島長崎市長の天皇の戦争責任発言で、同会会長である同市長の解任を通告。
88 12 15 沖縄市長、本島長崎市長の天皇の戦争責任発言に異議があると同議会で答弁。
88 12 15 長崎市民有志、本島市長の天皇の戦争責任発言支持の声明を発表。17日までに声明に賛同する電話が約400本。24日、約1万4千人分の署名簿を長崎市に提出。
88 12 15 長崎市従組執行委員会、本島長崎市長の天皇の戦争責任発言支持の声明を発表。そのなかで、市長への不当攻撃があれば、全力を挙げて闘うことを訴え。
88 12 15? 本島長崎市長、自らの天皇の戦争責任発言に対して寄せられた意見をまとめ出版することを計画。
88 12 16 荒木広島市長、市議会で、天皇の戦争責任及び本島長崎市長の天皇戦争責任発言について、発言は「差し控えたい」と答弁。
88 12 16 右翼12団体代表、本島長崎市長の天皇の戦争責任発言の取り消しと市長辞職を求める文書を同市に提出。
88 12 17 自民党長崎県連、本島長崎市長の天皇の戦争責任発言で、同市長の県連顧問解任と市政への非協力を決定。
88 12 20 中国共産党機関紙「人民日報」、本島長崎市長の天皇の戦争責任発言とその後の反響について報道。
88 12 20 長崎県警本部、本島長崎市長の天皇の戦争責任発言への右翼団体の活動に対して、「12・21右翼抗議行動警備本部」を設置。
88 12 21 全国の右翼団体代表、長崎市に集結(約260人)。宣伝カーが85台で街頭宣伝活動。天皇に戦争責任はあると発言した本島長崎市長に「辞職勧告書」を提出。
88 12 21 藤沢市長、本島長崎市長の天皇の戦争責任発言について、被爆地の市長としての心情は理解できると発言。
88 12 21 本島長崎市長、自らの天皇の戦争責任発言について、言論の自由の重要性を強調し、理解を求める市民向けのコメントを発表。
88 12 22 日本科学者会議長崎支部、本島長崎市長の天皇の戦争責任発言に対する自民党長崎県連の圧力・右翼の脅迫などへの抗議声明発表。
88 12 22 右翼団体メンバ-、本島長崎市長の天皇発言についての質問状を提出しようと同市役所を訪れ、一部の市政記者の退席を要求し押し問答。
88 12 22 社会党、本島長崎市長の天皇の戦争責任発言問題で、右翼の嫌がらせ・自民党長崎県連の不当介入などに対して、適切な措置を取るよう自治相に申し入れ。
88 12 22 長崎大学・長崎総科大など教職員組合、本島長崎市長の天皇の戦争責任発言に対して支持声明を発表。
88 12 22 本島長崎市長の天皇の戦争責任発言を支持する長崎市の学者・婦人団体などによる「憲法を守り天皇問題を考える長崎各界・連絡会」、結成。24日、市長に激励文を送付。
88 12 22 法政平和大学世話人会、本島長崎市長の天皇の戦争責任発言に対して支持声明を発表。26日、非核宣言をしている自治体に同声明を送付。
88 12 23 右翼3人、長崎市役所に乱入し、市長室付近で本島同市長の「天皇発言」に対する抗議文を読み上げる。
88 12 23? 本島長崎市長、自らの天皇の戦争責任発言についての見解表明。言論の自由の重要性を強調し、原爆問題にも言及。
88 12 23? 沖縄県の社会党・護憲共同県議団、本島長崎市長の天皇の戦争責任発言に対して激励の文書を送付。
88 12 24 中国国営新華社通信、本島長崎市長の天皇の戦争責任発言への右翼の非難攻勢に対して、市民らから市長支持の動きが出ていると報道。
88 12 24 「日本はこれでいいのか市民連合」など、東京で、本島長崎市長の天皇の戦争責任発言を支持する声明を発表。8千人余が賛同署名。
88 12 24 「長崎日の丸会」など、本島長崎市長の天皇の戦争責任発言撤回を求め、「本島市政を刷新する会」を結成(約400人参加)。署名運動など開始。26日、発言撤回を求める声明文発表。
88 12 26 長崎市民有志、本島市長の天皇発言を支持する「言論の自由を求める長崎市民の会」を1月に発足させることを決定。
88 12 26 広島県原水禁、本島長崎市長の天皇の戦争責任発言を支持・激励するメッセ-ジを送付。
88 12 26 埼玉県知事、本島長崎市長の天皇の戦争責任発言について、「発言は理解できる」との談話を発表。
88 12 27 自民党長崎支部、天皇発言で市民生活に混乱を生じさせたことに遺憾の意を表するよう本島同市長に要望。
88 12 27 旧日本軍の捕虜だった英国人から、本島長崎市長の天皇の戦争責任発言を支持する手紙が届く。
88 12 28 本島長崎市長、同市役所事務納め式で、天皇の戦争責任発言に言及。言論の自由の重要さを強調し、職員らの理解を要請。
88 12 28 長崎原爆青年乙女の会、本島長崎市長の天皇の戦争責任発言を支持し、同市長への激励文を提出。被爆者団体の公式見解は初めて。
88 12 29 米ニュ-ヨ-ク・タイムズ紙、天皇に戦争責任があると発言した本島長崎市長が「死の脅迫」を受けていると報道。日本の民主主義の変則性を指摘。(26日、長崎市を訪れ取材。)
89 01 03 本島長崎市長後援会事務所の郵便受けなどが、壊される。天皇の戦争責任発言をめぐっての犯行として捜査を開始。
89 01 04 共産党福岡県議団、本島長崎市長の天皇の戦争責任発言を批判した同県知事に、発言撤回を求める声明を発表。
89 01 04 宮崎県知事、本島長崎市長の天皇の戦争責任発言について、「いろいろなひとがそれぞれの立場で発言していけばいい」と発言。
89 01 05 福井市の男性、本島長崎市長の天皇の戦争責任発言に対して、包丁を持って長崎市役所に乱入。
89 01 06 竹下首相、本島長崎市長の天皇の戦争責任に対してノーコメントと発言。
89 01 07 本島長崎市長、天皇の死去について「御冥福をお祈りしたい」と発言。
89 01 08 本島長崎市長の天皇の戦争責任発言を支持する市民ら、「言論の自由を求める長崎市民の会」を結成(約150人参加)。発言は被爆地の市長として当然の内容との声明を採択。
89 01 14 法政平和大学世話人会、公開講座「天皇問題を考える」を東京・法政大学で開催(約700人参加)。天皇に戦争責任はあると発言した本島長崎市長のメッセージなどを発表。
89 01 14 本島長崎市長、被爆者対策の充実などを求める上京陳情を例年通り実施する意向を表明。昨年12月の天皇の戦争責任発言以来、同市長には24時間体制の身辺警備。
89 01 14 共産党の松本善明衆院議員、天皇の戦争責任発言の本島長崎市長を尋ね、激励。
89 01 17 自民党の安倍幹事長、天皇の戦争責任発言の本島長崎市長を自民党長崎県連顧問から解任したことについて、同県連の判断を支持する考えを表明。
89 01 18 西独の政治週刊誌記者、長崎市を訪れ、本島同市長に天皇の戦争責任発言について取材。
89 01 20 広島・長崎原爆被爆者援護対策促進協議会(八者協)、地元選出国会議員らと東京で懇談会開催。被爆者対策費の復活折衝へ協力を要請。天皇発言以来、初上京した本島長崎市長も参加。
89 01 21 歴史学研究会、本島長崎市長の天皇の戦争責任発言を支持する手紙を同市長に送付。発言は歴史学的にみても極めて正当との見解表明。
89 01 22 長崎市の「本島市政を刷新する会」、同市で、「先の天皇陛下をしのぶ市民集会」を開催(約300人参加)。長崎市長発言を批判。
89 01 23 東京都保谷市長、「天皇に戦争責任はある」と、本島長崎市長発言を支持する姿勢を表明。
89 01 28? 本島長崎市長の天皇の戦争責任発言で、米・西独などからの取材が相次ぐ。28日、西独週刊誌記者が同市長を取材。
89 01 28? 長崎市の「平和のための通訳グループ、MUP(マップ)」、同市内在住外国人を対象に、本島長崎市長の天皇の戦争責任発言などについてアンケート調査を開始。
89 01 29 本島長崎市長の天皇の戦争責任発言を批判する女性らによる「長崎をよくしよう女性の集い」発会式、長崎市で開催(約80人参加)。
89 02 04 「言論の自由を求める長崎市民の会」、本島長崎市長の天皇の戦争責任発言支持を訴える街頭署名を同市で実施。街頭での署名活動は初。
89 02 09 宮城県の学識者ら、本島長崎市長の天皇戦争責任発言を支持する声明文(163人が賛同署名)を同市長に提出。
89 02 11 軍国主義・紀元節復活反対呉市民集会(靖国神社問題呉市民の会主催)、呉市の日本バプテスト呉キリスト教会で開催(約70人参加)。天皇に戦争責任があると発言した本島長崎市長への激励文を採択。
89 02 11 本島長崎市長の天皇の戦争責任発言は間違っているとする教師ら、同市で、「長崎教育を語る市民と教師の集い」を開催(約60人参加)。
89 02 13 「言論の自由を求める長崎市民の会」、長崎市で、「自由に語ろう天皇制」の集いを開催(約100人参加)。作家小田実ら、出席。主催者、本島長崎市長の天皇責任発言支持署名が約2万8千人に達したことなどを報告。
89 02 13 作家小田実ら、長崎市を訪れ、天皇戦争責任発言の本島長崎市長を激励。
89 02 13 本島長崎市長、昭和天皇の「大喪の礼」へ出席する意向を表明。
89 02 14 「本島市政を刷新する会」、本島長崎市長の天皇の戦争責任発言撤回を求めた署名簿(約13万人分)を自民党長崎県連に提出。15日、長崎市長に提出。
89 02 21 昭和天皇の遺徳をしのぶ「昭和天皇県奉悼式」、長崎市で開催。天皇の戦争責任発言の本島長崎市長には案内状が出されていないことが判明。
89 02 22 昨年(1988年)末、昭和天皇に戦争責任があると発言した本島長崎市長に、銃砲の実弾を同封した脅迫状が届く。差出人は「全日本愛国連合」。
89 02 23 長崎市在住外国人を対象に実施した天皇問題・本島長崎市長発言などについてのアンケート調査結果まとまる。それによると、市長発言に圧倒的支持。同調査は、「平和のための通訳グループ、MAP(マップ)」が実施。
89 02 24 本島長崎市長、昭和天皇の告別式「大喪の礼」に参列。式典は宗教色が強かったとのコメント発表。
89 02 24 「言論の自由を求める長崎市民の会」、長崎市で、「天皇制を考えるマラソン集会」を開催(約200人参加)、反原爆をテーマにしたビデオ上映など。[本島市長]
89 02 26 長崎市役所の廊下のガラス、割られる。昨年末の本島長崎市長の天皇の戦争責任発言以来、抗議・嫌がらせが相次ぐ。
89 02 27 長崎地検、天皇に戦争責任があると発言した本島長崎市長を攻撃するビラを市役所内に張り書類送検された右翼団体幹部を、昭和天皇逝去に伴う大赦令で赦免処分。
89 03 01 天皇に戦争責任はあると発言した本島長崎市長に、実弾入りの脅迫文が届く(同様の脅迫文は2月22日に続き2度目)。
89 03 02 天皇の戦争責任発言の本島長崎市長に対する脅迫が相次ぎ、長崎県警、警備体制を強化。
89 03 06 定例長崎市議会本会議で、本島長崎市長の天皇の戦争責任発言について論議。市長、右翼の抗議による騒音など市民への迷惑を陳謝。
89 03 09 本島長崎市長の天皇の戦争責任に抗議して牛刀を持って市役所に侵入した政治結社構成員に実刑判決(懲役7カ月)。
89 03 16 本島長崎市長、昭和天皇の大喪の礼は「憲法に違反しているとは言い切れない」と発言。
89 03 20 「市政を刷新する会」、本島市長の天皇の戦争責任発言をめぐって6項目の公開質状を同市長あてに提出。
89 03 29? 「言論の自由を求める長崎市民の会」、本島長崎市長の天皇の戦争責任発言に対する賛同署名が約21万人(25日現在)になったと発表。
89 03 31 本島長崎市長の天皇の戦争責任発言撤回を求めていた「本島市政を刷新する会」、所期の目的を達成したと、解散。
89 03 31 長崎市役所本館1階に銃弾が撃ち込まれているのを発見。長崎署、本島同市長の天皇の戦争責任発言に反発する者の犯行とみて、捜査を開始。同市長、「暴力的抗議は民主主義の基本原則を脅かす」とコメント。
89 04 03 「言論の自由を求める長崎市民の会」、本島長崎市長の天皇の戦争責任発言支持署名(第2次集約の約37万人分)を長崎市に提出。
89 04 05 本島長崎市長、天皇の戦争責任発言に対する賛否の手紙をまとめた本「長崎市長への7300通の手紙」(3月刊行予定)の出版延期を求めていたことが判明。
89 04 15 長崎県、県内市長とともに自治省幹部を招き、特別交付税増額のお礼の宴会を開催。その際に、天皇の戦争責任発言をした本島長崎市長に呼びかけていなかったことが判明。
89 04 22 天皇の戦争責任発言をした本島長崎市長への相次ぐ脅迫に対して、長崎市、市長室窓ガラスなどを防弾化。
89 04 26 本島長崎市長の天皇の戦争責任発言の撤回運動をしてきた「本島市政を刷新する会」(3月末解散)、新たに「長崎をよくする会」として新発足。同会は市長発言の責任を引き続き追求。
89 04 27 東京の右翼団体、本島長崎市長の天皇の戦争責任発言撤回を求める抗議文を同市に提出。
89 04 29 「4.29広島集会―天皇制と言論の不自由」(「ストップ・ザ・戦争の道!ひろしま講座」など主催)、広島市で開催(約50人参加)。本島長崎市長の天皇の戦争責任発言などについての講演など。
89 05 15 天皇の戦争責任発言の本島長崎市長に寄せられた抗議・激励の手紙をまとめた「長崎市長への7300通の手紙」、出版。
89 05 16 関西の右翼団体、本島長崎市長の天皇の戦争責任に対する手紙類の刊行について、同市長に抗議文を送付。
89 06 01 長崎市の通訳者グル-プ「MUPながさき」、同市在住外国人を対象に天皇問題・本島発言などについてのアンケ-ト調査結果をまとめた冊子を発刊。
89 06 10 「自由法曹団」代表(約50人)、本島長崎市長を訪ね、同市長の天皇の戦争責任発言について、脅迫に屈しないよう激励。
89 06 10 本島長崎市長に実弾入り脅迫状が届く。「天皇に戦争責任はある」との発言に対する脅迫とみられ、今回で3度目。
89 06 11 本島長崎市の市長校舎に花火らしいものが投げ込まれる。同市長の天皇発言に対する嫌がらせの疑い。
89 06 19 本島長崎市長の「昭和天皇戦争責任発言」に反対し街頭宣伝活動をしている右翼団体「正気塾」の幹部、「暴力行為」の疑いで逮捕される。
89 06 21 長崎地検の廣畠速登新検事正、着任。本島長崎市長の「天皇の戦争責任発言」をめぐる脅迫事件解決に全力を挙げるとの談話。
89 06 23 右翼団体「全日本愛国者団体会議九州地区」代表、本島長崎市長に、「天皇戦争責任発言」などについての公開質問状を提出。
89 06 27 「言論の自由を求める長崎市民の会」、本島長崎市長の天皇の戦争責任発言を支持する活動の記録「タブ-への挑戦」(B5、111ペ-ジ)を刊行。
89 07 09 テレビ番組「報道特集『長崎市長天皇発言』半年の波紋」(中国放送)、放送。[本島市長]
89 07 14 本島長崎市長の天皇の戦争責任発言に対する実弾入り脅迫状郵送事件で、長崎署、同県西彼杵郡の梶山茂を脅迫の疑いで逮捕。(15日、送検。31日、追送検。)
89 07 15 天皇の戦争責任発言についての手紙をまとめた「長崎市長への7300通の手紙」、差別を助長する部分があると部落解放同盟の抗議で、増刷中止になったことが判明。[本島市長]
89 08 02 本島長崎市長の天皇戦争責任発言への意見を収録した「長崎市長への7300通の手紙」の一部削除の要請について、解放同盟と出版社が合意。それによると、解同側の反論文を掲載した「改訂増補版」を再出版。
89 08 04 本島長崎市長、天皇の初の記者会見を受けて、「戦争責任は新天皇を含め国民全体が負うべきもの」と発言。
89 08 04 天皇・皇后、即位後初の記者会見。本島長崎市長の戦争責任発言をめぐって、言論の自由が保たれるのが民主主義の基礎とコメント。
89 08 07 天皇制シンポジウム(ピースウィーク実行委主催)、長崎市で開催(約100人参加)。[本島市長]
89 08 07 「なくせニュークス(核兵器群)長崎マスコミフォーラム」、長崎市で開催(9日まで、約200人参加)。本島長崎市長、講演し、天皇の戦争責任発言以後の心情を吐露。
89 08 10 「日独平和フォーラム」参加者ら(約20人)、本島長崎市長を表敬訪問。同市長の天皇戦争責任発言に対する支持を表明。
89 08 29 本島長崎市長の「天皇の戦争責任」発言をテ-マにしたテレビ番組「市長の発言」(長崎放送)、「’89『地方の時代賞』映像コンク-ル」大賞を受賞。
89 09 01 長崎地裁で、本島長崎市長の天皇の戦争責任発言に対する脅迫状郵送などで脅迫罪に問われた梶山茂被告の初公判。被告、罪状を認める。
89 09 13 長崎の証言の会、「証言―ヒロシマ・ナガサキの声」(A5、1500円)を刊行。天皇制について特集。[本島市長]
89 10 02 長崎地裁で、本島長崎市長の「天皇発言」に対する脅迫状事件の第2回公判。
89 10 12 核時代社会審理問題センター(本部・米ニューヨーク市)、本島等長崎市長に「世界平和賞」を授与。同市長による天皇の戦争責任発言についても評価。
89 10 20 右翼団体、本島長崎市長あての天皇問題発言に関する公開質問状(13日付)への回答を要求。
89 11 05? 長崎総科大・同大付属高校の学生ら、両校の学生(1200人)を対象に実施した「平和・核問題に関する意識調査」結果を発表。それによると、本島長崎市長の天皇戦争責任発言について約半数が「当然」と回答。
89 11 10 長崎署、長崎市長公舎に魚の汚物が投げ込まれた事件で、右翼団体幹部蜂谷公一を長崎地検に書類送検。本島市長の天皇戦争責任発言などへの嫌がらせ。
89 11 19? 「言論の自由を求める長崎市民の会」、本島長崎市長の「天皇戦争責任発言」に対する第三次賛同署名(9万7千人分)を同市長に提出。1988年12月以来、署名総数38万2千人。
89 12 04 長崎市政記者クラブ、本島長崎市長の天皇の戦争責任発言1周年で、同市長に会見を要望。
89 12 07 本島長崎市長の天皇の戦争責任発言から、1周年を迎える。
89 12 20 本島長崎市長の「天皇戦争責任」発言などに関するブックレット「長崎市長のことば」(A5、66ページ、岩波書店)、刊行。
89 12 25 長崎地裁で、天皇戦争責任発言で本島長崎市長を脅迫した梶山茂被告の判決公判。懲役2年、執行猶予5年の判決。
90 01 18 本島長崎市長、銃撃され1カ月の重傷。長崎県警、同市長の天皇の戦争責任発言に対するテロ事件として、捜査を開始。右翼団体幹部を殺人未遂容疑で逮捕。
90 01 19 広島県原水禁、本島長崎市長狙撃事件で、天皇・日本政府の戦争責任についての声明を発表。
90 01 21? 本島長崎市長の「天皇の戦争責任」発言についての書簡集「長崎市長への七三○○通の手紙」、全国で約2000冊の注文が殺到。
90 01 25 本島長崎市長、狙撃後初の記者会見。戦争責任は天皇を含め皆が負うべきであると強調。
90 02 21 天皇戦争責任発言で右翼に狙撃された本島長崎市長、回復し、1カ月ぶりに退院。
90 05 18 天皇、長崎市長との懇談で、被爆者の実情について質問。本島市長、高齢化した被爆者の生活苦について説明。
90 05 18 本島長崎市長、天皇の長崎訪問について、「被爆者は今日も苦しんでおり、あの戦争は何であったか天皇にも考えて欲しい」とコメント。
90 05 26? 長崎原爆被災協・「在韓被爆者問題市民会議」など、日本政府の在韓被爆者への40億円の援助・天皇発言に対して不満の意を表明。[本島市長]
90 07 31? 言語の自由を求める長崎市民の会、「天皇制と小さな民主主義-本島市長銃撃に抗する市民たち」(四六判、360ペ-ジ)を刊行。
90 11 17 昭和天皇に戦争責任はあると発言した本島長崎市長狙撃事件の求刑公判で、検察側、悪質な政治テロであると、懲役15年を求刑。
91 04 14 長崎市長選挙、告示。本島現市長の天皇の戦争責任発言で、自民党は本島候補を推薦せず、他候補を擁立し、社会・共産・社民連などが支持。
91 04 21 長崎市長選で、現職の本島等が当選。「天皇戦争責任発言」の選挙への影響についてはよく分からないと発言。

年表:中曽根康弘首相とヒロシマ・ナガサキ

年表:中曽根康弘首相とヒロシマ・ナガサキ

59 10 09 中曽根代議士、群馬県原爆被災者の会高崎支部総会で挨拶。(「炎の詩」851130)
71 03 19 中曽根防衛庁長官、三月はじめ海上自衛隊と米原子力潜水艦の合同訓練をしたと言明
75 02 22 中曽根自民党幹事長、広島市長選応援のため広島入り。被爆者援護法制定は考えないと言明。
83 01 06 日本原水協、中曽根首相に核問題などについての公開質問状を提出。
83 03 16 原水禁’83世界大会準備委員会、米原子力空母エンタープライズの佐世保入港拒否の要請書を中曽根首相に提出。
83 05 12 長崎市長、中曽根首相に、8月9日の平和祈念式への出席を要請。
83 05 13 「広本フサ様の遺志を守る広島・長崎被爆者の会」のメンバー、原爆投下日の休日制定を訴えるため、中曽根首相に面会を申し入れ。(多忙を理由に拒否)
83 05 19 作家小田実ら、東京で、6月に「反核・反安保・反中曽根」の行動を起こそうとの呼びかけ文を発表。
83 05 31 広島県原水禁、米で開催された第九回先進国首脳会議で、中曽根首相が「欧州戦域核配備を断行せよ」と発言したことに抗議声明発表。
83 06 19 市民運動グループによる、「反核・反安保・市中曽根集会」、東京で開催(3,000人参加)。
83 06 22 日本原水協、核兵器積載可能な米戦艦の日本寄港などについて、中曽根首相に公開質問状提出。
83 06 29 中曽根首相、原爆死没者慰霊式、平和祈念式典に参列の意向表明。
83 07 11 広島県被団協など四団体、平和祈念式に参列する中曽根首相と被爆者との懇談会についての要望を広島県に申し入れ。
83 07 16 中曽根首相の平和祈念式への出席が正式決定。日程発表。
83 07 19 広島県原水禁、平和式典に出席予定の中曽根首相に公開質問状を発送。
83 07 19 広島県原水禁、中曽根首相に、核兵器廃絶に努力する決意表明などを求める公開質問状を送付。
83 07 25 広島市、8月6日の平和祈念式に参列する中曽根首相に被爆者援護などを訴える被爆者代表7名を決定。
83 07 99 府中市のヒョウタン愛好家ら、8月6日の平和式典に出席する中曽根首相らに寄贈するよう、広島市にヒョウタンを寄託。
83 08 05 中曽根首相、平和祈念式出席のため来広。
83 08 05 非核平和宣言都市平和団体連絡会(東京・神奈川の平和運動グループ)、中曽根首相、核保有国首脳に核廃絶要請書を提出。
83 08 05 中曽根首相の私的諮問機関平和問題研究会、初会合開催。
83 08 06 広島県知事、市長ら、中曽根首相に被爆者対策の充実、強化を要望。
83 08 06 被爆者代表、広島市で中曽根首相に被爆者対策の充実を訴え。
83 08 06 中曽根首相、原爆養護老人ホーム「むつみ園」を慰問。「日本は異民族がいないからうまくいっている」「病は気から」と発言。
83 08 06 「広島市原爆死没者慰霊式、平和祈念式」(広島市主催)広島市で開催。中曽根首相、谷川防衛庁長官参列。原水禁大会参加の海外代表、首相の式典参列に抗議して式典参列を中止。約4万八千人参列。
83 08 06 広島市、原爆死没者慰霊式・平和祈念式を挙行。中曽根首相・谷川防衛庁長官が参列。約4万8000人が参列。
83 08 06 中曽根首相、広島原爆養護ホームで「病は気から」と発言.
83 08 06 中曽根首相が、被爆者に「病は気から」と発言したことに対し、広島県原水禁など、抗議声明発表。
83 08 09 中曽根首相、来年の長崎市の平和祈念式へ出席の意向表明。
83 08 11 広島市長、中曽根首相に、6日の平和祈念式への出席についてお礼。
83 09 12 社会党田辺議員、衆院代表質門で、中曽根首相に広島原爆養護ホームで「病は気から」(8月6日)と発言したことについて質問。
83 09 14 日本被団協、中曽根「病は気から」発言にかんして声明を発表.
83 09 19 広島市長、同市議会で(8月6日)、中曽根相の「病は気から」発言を「問題ある言葉だとは受けとめていない」との見解表明。
83 09 21 参院予算委で自民党議員、中曽根首相に来年の長崎市の平和祈念式への参列を要請。首相「出席したい」と言明。
83 09 27 原水禁佐世保市民会議、レーガン米大統領と中曽根首相に米原子力空母の佐世保寄港に対して抗議電。
83 12 10 原水協、核兵器を装備しているとされる英の空田の日本寄港(来年2月予定)に反対する電報を中曽根首相あてに送付。
83 12 12 広島県原水禁、英空母の日本寄港を拒否すべきであるとの声明書を中曽根首相に送付。
84 03 17 参院予算委で、中曽根首相、「海外各地で被爆資料の展示が可能かどうか国連と相談したい」と発言。
84 03 22 参院予算委で中曽根首相、平和研究機関の設立は民間主導型が望ましいとの見解を表明。
84 04 04 長崎市長、中曽根首相に8月9日に平和祈式への出席の要請。首相、出席したいとの意向表明。
84 05 04 原爆投下日を休日にするよう中曽根首相に要請する被爆者ら、長崎市で出発式。(要請行動は、1969年以来29回目)
84 06 04 「核軍縮を求める二十二人委員会」、代表中曽根首相に、ロンドン・サミットで軍縮問題を取り上げるよう要請。
84 06 04 中曽根首相、社民連代表との会談で「核を持っている国には使う権利がある。」と発言。
84 06 29 広島県原水禁、など、中曽根首相に核積載艦船を入港させないよう求めた声明文を送付。
84 07 09 中曽根首相の長崎市の「原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」への出席、正式決定。
84 07 17 中曽根首相、8月9日長崎市での平和祈念式に出席の意向を表明。
84 07 23 8月9日の平和祈念式に出席する中曽根首相の日程決定。
84 08 05 原水爆禁止1984年世界大会準備委員会、米原潜の横須賀入港に対して米大統領、中曽根首相に抗議電。
84 08 09 長崎原爆被災者協議会など、長崎市で中曽根首相に被爆者援護法制定などを陳情。
84 08 09 中曽根首相、長崎市で来年の国政調査時に付帯調査として被爆者調査を実施するとの意向表明。
84 08 09 中曽根首相、長崎市の「恵の丘原爆養護ホーム」を慰問。
84 08 09 被爆39周年原爆犠牲者慰霊長崎平和祈念式典、長崎市で開催(約22000人参列)。中曽根首相参列、首相のあてさつ時に、約50人の学生ら、援護法制定のシュプレヒコール。広島市長参列。2217人の原爆
84 08 09 原爆禁大会に参加した海外代表(32人)、長崎市で、中曽根首相に対して被爆者援護などを求めた公開書簡を発表。
84 08 10 長崎市長新聞紙上で、9日の平和祈念式についてお礼とおわび、中曽根首相挨拶中のシュプレヒコールに言及、遺憾の意表明。
84 08 10 長崎市の自民党市議団、長崎市長に平和祈念式での中曽根首相挨拶中のシュプレヒコールに対し、遺憾の意を表明し、今後の対応を申し入れ。
84 11 01 増岡新厚相(第2次中曽根改造内閣)被爆者対策について「現行2法を充実していきたい」との見解表明。
84 11 99 米国原爆被爆者協会、在米被爆者の「帰国治療」実現を要請した嘆願書を中曽根首相に提出。
84 12 09 日本原水協など「核空母カールビンソンくるな!核兵器全面禁止、安保条約廃棄中曽根内閣打倒12.9横須賀緊急抗議集会」を横須賀市で開催(約5000人参加)。
84 12 10 広島県原水禁、米原子力空母カールビンソンの横須賀入港に対して中曽根首相、レーガン大統領へ抗議声明送付。
85 01 14 太平洋諸国を訪問中の中曽根首相が、使用済み核燃料の海洋投棄について、計画を凍結すると表明。
85 03 26 広島市長、中曽根首相に「広島市原爆死没者慰霊式・平和祈念式」への出席を要請。
85 03 29 参院予算委で宮沢議員(広島選出)、中曽根首相に平和祈念式への出席を要望。
85 04 04 長崎市長、中曽根首相に平和祈念式への出席を文書で要請。
85 06 03 日米欧の政治家らによる第 6回「議会と科学」会議、東京で開催。中曽根首相挨拶で核兵器問題に言及。
85 07 19 政府首脳、中曽根首相が広島市での平和祈念式に出席する予定であると発表。
85 07 22 広島市、8月6日の平和祈念式に、中曽根首相のほか、衆・参議長、厚相の参列が内定したと発表。
85 07 31 平和祈念式に出席する中曽根首相に、被爆者対策充実などを要請する被爆者代表(7名)決定(森滝市郎、沼田鈴子、李実根、他)。
85 08 01 広島弁護士会、「核兵器廃絶と被爆者援護法の制定」を求める声明を発表。中曽根首相らに送付。(「広島弁護士会史」)
85 08 01 中曽根康弘首相、米NBCテレビの録画撮りで、原爆投下に対する見解を求められ、「非人道的な行為で、都市住民への無差別爆撃は国際法違反だった。あってはならないことだった」と発言。
85 08 02 レンダーキング米国務省報道官、中曽根首相の「原爆投下は国際法違反」発言について、「原爆投下を受けた唯一の国として、日本人が核兵器に関して特別な感情をもっていることを米国は理解している」,、「もう過去に注意を払うのではなく、将来の関係強化にこそ注目すべきだ」と述べる。
85 08 03? 6日に、来広する中曽根首相に被爆者援護を訴える被爆者代表(7名) 、決定。
85 08 05 中曽根首相、 6日の平和祈念式典に出席するため来広。
85 08 06 中曽根首相、広島市で、被爆者援護法の制定は必要ないとの見解を再表明。
85 08 06 「被爆者代表から要望を聞く会」、広島市で開催。被爆者代表ら、中曽根首相に被爆者援護法制定などを要請。
85 08 06 広島県知事・市長、広島市で、中曽根首相・増岡厚相に被爆者援護措置の拡充強化を陳情。
85 08 06 中曽根首相、広島市内の原爆養護ホームを慰問。
85 08 06 「原爆死没者慰霊式・平和祈念式」(広島市主催)、同市で開催(約 55000人参加し、過去最高)。中曽根首相参列。在外被爆者初めて献花。
85 08 15 「ストップ・ザ・戦争への道!ひろしま講座」のメンバーら、中曽根首相の靖国神社公式参拝に反対して広島市内で街頭ビラ配布。[天皇]
85 08 28 長崎市長、来年末に期限切れになる在韓被爆者渡日治療の継続などを、中曽根首相らに要望。
85 10 23 中曽根首相、ニューヨークでの国連創設四十周年記念総会で演説。唯一の被爆国の立場から「核兵器の地球上からの追放」を提唱。
85 10 27 「GNP1%枠突破反対・反核・反基地・中曽根内閣打倒県集会」、佐世保市で開催( 約2500人参加) 。
86 02 15 中曽根首相、 5月の東京サミットに出席する各国首脳の広島・長崎視察は日程的に無理との見解表明。
86 03 22 中曽根首相、先進国首脳会議の関連施設での原爆資料展開催について、協力するのは困難との考えを表明。
86 04 10 長崎市長、中曽根首相に、 8月 9日の平和祈念式典への出席を要請。首相、出席を約束。
86 04 11 広島・長崎両市長、 5月の東京サミットで、中曽根首相が核兵器廃絶の方策を提案することなどを骨子とした要望書を、外相に提出。
86 04 13 中曽根首相、日米首脳会談でSDIへの参加問題について検討すると表明.
86 04 16 中曽根首相、衆院大蔵委で、被爆者などを含む戦死者の追悼施設建立について検討したいとの意向を表明。
86 05 05 米の民間団体「国防情報センター」所長ジーン・ラロック、米に核実験を一時停止するよう働きかけてほしいとの手紙を、中曽根首相に送付。
86 05 15 中曽根首相、ソ連共産党書記長の広島などでの首脳会談開催提案について、「それよりも、ジュネーブでの米ソ軍縮交渉を進める必要がある」と発言。
86 05 16 広島・長崎の被爆者(6名) 、原爆投下日の休日制定を訴える中曽根首相宛の直訴状を提出。
86 06 12 日本原水協、米戦艦寄港問題をめぐって寄港拒否などを求める文書を中曽根首相に提出。
86 07 01 中曽根首相、自民党の衆参両院選立候補者の応援で来広。原爆慰霊碑に参拝。
86 08 06 平和祈念式に中曽根首相代理として参列した厚相、被爆者援護法制定に否定的見解表明。
86 08 06 中曽根首相、広島市長の米ソ首脳会談広島開催提案に対して、否定的見解を表明。
86 08 09 被爆者団体代表、長崎市で、中曽根首相に被爆者援護法制定などを訴え。同首相、長崎市で、被爆者援護法に否定的見解を表明。
86 08 09 長崎県知事・同市長、同市で、中曽根首相に被爆者対策の充実などを要請。
86 08 09 原爆犠牲者慰霊平和祈念式典、長崎市の平和公園で開催( 約 2万 4千人参列)中曽根首相、参列。この 1年間の死没者( 6208人分) 名簿を奉納。
86 08 09 中曽根首相、長崎市の「恵の丘原爆養護ホーム」を慰問( 1984年に次いで 2度目) 。
86 08 09 日本被団協山口仙二代表委員、来崎中の中曽根首相に陳情.
86 09 16 「反核平和大阪連絡会」の呼びかけで、大阪市で、「中曽根軍拡に反対する新聞広告を出す会」発足。12月に広告を掲載することを計画。
86 09 18 中曽根首相、参院本会議で、原爆死没者への補償は、一般戦災死没者との均衡上困難であると発言。
86 09 18 中曽根首相、参院本会議で、米ソ首脳会談の広島開催について、「適当でないと思っている」と発言。
86 09 18 広島市長、米ソ首脳による広島での会談は核廃絶につながると、中曽根首相発言を批判する談話を発表。
87 02 04 中曽根首相、参院本会議で、被爆者援護法の制定について、一般戦災者との均衡上問題があると、同法制定を否定する見解を表明。
87 02 19 中曽根首相、8月6日の広島市での「原爆死没者慰霊式・平和祈念式」への出席の意向を表明。
87 05 07 長崎市長、8月9日の平和祈念式典への出席を中曽根首相に要請する文書を提出。
87 06 02 岩手県原爆被害者団体協議会、中曽根首相に「核兵器持込み日米密約の撤回と国家機密法反対」の決議を電報で送る.
87 07 24 広島市の平和祈念式に出席する中曽根首相に、被爆者対策の充実などを要望する被爆者代表(7人)、決定。中本剛・吉井敏美・伊藤サカエ、他。
87 07 24 中曽根首相の広島市での平和祈念式出席、正式決定(1983、1985年に続き3回目)。
87 08 05 6日の平和祈念式に出席する中曽根首相、来広。
87 08 06 「被爆者代表から要望を聞く会」、広島市で開催。被爆者代表(7人)が、中曽根首相に、被爆者援護法制定を要望。
87 08 06 平和祈念式に出席した中曽根首相、黒い雨地域の見直しについて、消極的な見解を表明。
87 08 06 中曽根首相、広島原爆養護ホーム「舟入むつみ園」を慰問。
87 08 06 被爆42周年原爆死没者慰霊式、平和祈念式、広島市で開催(約55,000人参列)。中曽根首相、参列(3回目)。労組員ら(約20人)、中曽根首相あいさつに対して抗議行動。「’87ジャーナリスト国際平和シンポジウム」参加のジャーナリストら、献花
87 08 06 広島市、原爆死没者慰霊式・平和祈念式を挙行。中曽根首相が参列。約5万5000人が参列。
87 10 14 広島市、広島双葉ライオンズクラブが出していた広島平和記念公園わきの中曽根首相の句碑建設申請を認可。
87 10 15 共産党広島市議団、中曽根首相は被爆者援護法制定に背を向けていると、首相句碑建立許可の取り消しを広島市に申し入れ。
87 10 15 原爆犠牲者慰霊碑建立の認可を申請していた広島県建設労働組合、同じ場所へ中曽根首相句碑を優先させたとして、広島市に抗議。
87 10 16 社会党広島市本部・県原水禁など、中曽根首相句碑建立の許可を取り消すよう広島市に申し入れ。
87 10 19 広島双葉ライオンズクラブ、中曽根首相句碑建立計画について説明。それによると、首相側から碑建立を働きかけ。
87 10 19 社会党広島市本部など、中曽根首相句碑建立取り消しを広島市に要請。
87 10 19 広島県原水禁など、中曽根首相句碑に抗議して、同碑建立予定地で座り込み(約80人参加)。
87 10 19 広島県文化団体連絡会議、中曽根首相句碑建立に対して、広島市に抗議。
87 10 20 広島市原水協など、中曽根首相句碑建立許可撤回を広島市に申し入れ。
87 10 21 広島市の市民団体代表ら、中曽根首相句碑建設許可を取り消すよう広島市に申し入れ。
87 10 22 平和団体「デルタ女の会」、中曽根首相句碑建立に抗議して、首相・広島市などへ抗議電報を打つ運動を開始。
87 10 25 平和団体「デルタ女の会」、中曽根首相句碑建立に抗議して、碑建立予定地で座り込み(約30人参加)。
87 10 28 中曽根首相句碑建立をめぐり、広島市に投書・電話相次ぐ。28日現在、反対意見が約 8割。
87 10 31 市民団体「デルタ女の会」など、中曽根首相句碑建立に反対して、建設予定地で座り込み(延べ約70人参加)。
87 11 02 広島県原水協など、中曽根首相の句碑建立について、市に建立許可取り消しを申し入れ(2度目)。
87 11 04 広島県被団協(佐久間澄理事長)など、広島市で、中曽根首相句碑建立に反対する街頭署名を実施。
87 11 06 広島県被団協(佐久間澄理事長)など16団体、広島市に、中曽根句碑建立許可撤回を求める請願書を提出。
87 11 07 中曽根前首相句碑建立を計画した広島双葉ライオンズクラブ、建立に反対している市民グループの要請を受け、句碑建立について協議。
87 11 07? 朝日新聞広島支局、中曽根前首相句碑建立についての意見を募集。
87 11 09 広島県原水禁など、広島市で、中曽根前首相句碑建立反対のビラを配布。
87 11 12 広島双葉ライオンズクラブ、中曽根前首相句碑を平和記念公園東側対岸に据え付け。建立に反対する市民ら(約80人)、抗議の座り込み。
87 11 12 中曽根康弘句碑(大手町一丁目・元安川岸)
87 11 12? ギリシャの政治評論誌記者、中曽根前首相句碑問題について取材。
87 11 13 広島県原水禁など、広島市・広島双葉ライオンズクラブに、中曽根前首相句碑建立に対して抗議し、公開質問状を提出。
87 11 14 中曽根前首相句碑問題についての意見募集に対して、朝日新聞広島支局に270通の投書が届く(うち243通は建立反対の意見)。
87 11 14 広島県原水禁など、中曽根前首相句碑建立に抗議して、同碑前で座り込み(約20人参加)。
87 11 14 「広島県高校生徒会」(県高校生平和ゼミナ-ル実行委など主催)、広島市で開催( 15日まで、県内14校、約750人参加)。テ-マ「青年の未来と部落問題・平和問題」。中曽根前首相句碑問題についてのアンケート調査結果を発表。
87 11 14? 「アキバ・プロジェクト」で来広した米記者から、中曽根前首相句碑問題について、米地方紙でも取り上げたいとの返事が、広島市の市民グル-プに届く。
87 11 17 中国ブロック5県評連絡会議、広島市に、中曽根前首相句碑建立許可を取り消すよう 申し入れ。
87 11 18 広島市の詩人栗原貞子、中曽根前首相句碑に抗議する詩「黒い鶴幻想」を発表。
87 11 18 「デルタ女の会」など、中曽根前首相句碑の撤去を広島市に申し入れ。
87 11 18? 「新俳句人連盟」中曽根前首相句碑の撤去を要求するとの声明文を発表。
87 11 21 被爆者グループ「原爆被害者証言のつどい」、中曽根前首相句碑撤回運動を進めていくことを決定。
87 11 21 市民団体「デルタ女の会」など、中曽根前首相句碑建立に抗議して、広島市役所玄関前で座り込み(約70人参加)。
87 12 05 「ストップ・ザ・戦争への道ひろしま講座」など、広島市に、中曽根前首相句碑問題について質問。市側、年内に話し合いの場を設けることを約束。
87 12 09 広島市、県原水禁など4団体による中曽根前首相句碑建立についての質問状に対して 回答。
87 12 10 ヒロシマ被爆二世の会など5団体、広島市に、中曽根前首相句碑撤去を求める公開質 問状を提出。
87 12 14 広島県原爆被爆教職員の会など、中曽根前首相句碑問題で、広島市・市教委に公開質問状提出。
87 12 14 広島市長、市会本会議で、中曽根前首相句碑問題についての公開討論会を開くつもりはないと言明。
87 12 15 沖縄・「平和の像」破壊と広島・中曽根句碑建立を許さない映画のつどい(市民講座ヒロシマなど主催)、広島市で開催。
87 12 16 広島市の市民グループ、パンフレット「中曽根首相句碑に異議アリ タカが句碑ではない!」(B5、15ページ)を発行。
87 12 16? 広島市議会で、西村議員、中曽根前首相句碑反対は「言いがかり」であると発言。
88 01 27 広島市の「デルタ女の会」など8市民団体、広島市に、中曽根首相句碑建立許可の撤回を申し入れ。
88 03 11 広島市の俳句愛好家ら、中曽根首相句碑撤去を求める全国の俳句人の署名(約680人分)を広島市に提出。
88 03 20 市民グループ「デルタ女の会」、中曽根前首相句碑撤去を求め、同句碑前で、「3.20中曽根句碑はいらん!悲願(彼岸)の集い」を開催(約50人参加)。
88 06 06? 広島平和記念公園わきの中曽根前首相句碑について、広島俳句協会会報で、是非論争。
88 11 12 広島市の婦人グループ「デルタ女の会」、中曽根前首相句碑建立1周年を迎え、同句碑前で、「霜月おんな“NO句碑”句会」を開催(約40人参加)。「風見鶏 鳩をまねても 右をむき」など披露。
89 03 19 市民グループ「デルタ女の会」、中曽根前首相の句碑への抗議の俳句などを集めた「霜月おんな“ノー句碑”句集」(A4、62ページ)を出版。広島市の平和記念館で出版記念会を開催(約50人参加)。
89 06 01 広島県原水協、中曽根前首相句碑撤去要請文を広島市に提出。
89 06 01 広島県原水禁、中曽根前首相句碑撤去を求める文書を、広島市と同碑を建立した広島双葉ライオンズクラブに送付。
89 06 01? 広島市観光協会の「平和記念公園ガイドマップ」(1988年末発行)に、中曽根前首相句碑が掲載されていることが判明。
89 06 04 広島市の市民グループ「デルタ・女の会」、中曽根元首相句碑撤去を求め同句碑前で座り込み(約30人参加)。
89 06 09 中曽根元首相句碑が広島平和文化センター発行の冊子に、「平和の祈り」の句碑として紹介されていることが判明。「デルタ女の会」、同句碑の撤去を広島市に申し入れ。
89 06 09 広島県原水禁、リクルート事件を契機に、中曽根元首相句碑撤去を広島市に申し入れ。
89 06 14? リクルート疑惑を契機に、広島市に建てられた中曽根元首相の句碑について、賛否論争が再燃。
89 06 26 「ヒロシマを語る会」、広島平和文化センター発行の「ヒロシマ読本」から、中曽根元首相句碑についての記述を削除するよう同センターに文書で申し入れ。
89 07 29? 広島平和文化センター理事・評議員に対する中曽根元首相句碑についての意見調査結果、判明。それによると、大原三八雄・森滝市郎ら、句碑の撤去を要望。
89 08 06 「デルタ・女の会」のメンバーら(10人)、中曽根元首相句碑前で、碑撤去を求める寸劇を上演。
89 09 04 広島市中区の中曽根元首相句碑、いたずらされて文字の一部が欠けているのを発見。
89 10 03 「デルタ女の会」、中曽根元首相句碑紹介文が「ヒロシマ読本」に掲載されていることについて、同「読本」を発行した平和文化センターに、紹介文の削除か変更を要望。
89 11 11? 広島市のアマチュア講談師久保浩之(入市被爆者)、中曽根元首相句碑撤去を訴える講談を創作し、上演。
89 11 12 広島市の中曽根元首相句碑建立2周年で、デルタ女の会のメンバーら、句碑撤去を訴えて同碑前で座り込み(約30人参加)。
89 12 14 広島市の市民グル-プ「デルタ女の会」など、中曽根元首相句碑撤去を求める請願書を広島市議会に提出。
89 12 20 広島市、市平和文化センター刊「ヒロシマ読本」の中曽根元首相句碑説明文に、同碑への反対運動が続いていることなどを付記する考えを表明。
90 01 30 「中曽根句碑撤去要求連絡会」、撤去要求署名(1万人分余)を添えて句碑撤去を広島市に申し入れ。
90 03 18 市民団体「デルタ女の会」、結成満8年を記念して中曽根元首相句碑前で集会を開催(約30人参加)。
90 04 20? 広島平和文化センター発行の平和冊子に掲載されている中曽根元首相句碑紹介文が、改訂版から一部変更されることが判明。
90 07 01 「中曽根句碑はいらない!ヒロシマ連絡協議会」、広島市に句碑撤去を求める10万人署名に取り組むことを決定。
90 07 11? 広島市平和文化センター発行の「ヒロシマ読本」に、中曽根元首相句碑の説明文として、同碑建立以来反対運動が続いていることを追記することが判明。
90 09 10 広島平和文化センター、「ヒロシマ読本」(12版)を発行。そのなかで、中曽根元首相の句碑の紹介部分に、同碑建設に際して反対運動が起きた事実を追加。
90 11 03 反核市民団体「デルタ女の会」、国連平和協力法案などに反対して、中曽根元首相句碑前で座り込み(約50人参加)。
90 11 06 広島市中区の中曽根元首相句碑に、赤ペンキでいたずらされているのが、発見される。
91 01 06 「中曽根句碑はいらない!広島連絡協議会」代表者会議、広島市で開催。句碑の撤去を求める署名が1万人に達したことなどを報告。
91 01 16 「中曽根句碑はいらない!ヒロシマ連絡協議会」、広島市に、約1万2千人分の署名を添えて句碑の撤去を要請。
91 03 11 広島市長、市有地に記念碑を設置する際の許可基準を定めた「彫像・記念碑の設置基準要綱」を見直す方針を表明。元中曽根首相句碑は同要綱をもとに広島市が設置を許可。
91 06 03 デルタ女の会など3団体、広島市議会に、中曽根句碑撤去を求める請願書を提出。
91 08 06 「デルタ・女の会」のメンバー10人、広島市の中曽根句碑前で、句碑の撤去を求める寸劇を上演。
92 08 06 デルタ・女の会、広島市・元安川ほとりの中曽根元首相の句碑前で寸劇を披露。
93 08 06 中曽根句碑どけろ女たちの交流会。
94 08 06 広島市の中曽根句碑前でマラソンスピーチ集会。
95 01 13 アジア太平洋議員フォーラム(APPF)第3回総会、メキシコ・アカプルコで開催。-14日。日本から同フォーラムの提唱者である中曽根元首相などが参加。核兵器の使用停止を決議。
95 08 06 「デルタ・女の会」、広島市・元安川河岸の中曽根元首相の句碑前で反核集会。
96 08 27 広島市の中曽根句碑にいたずら書きがされていることが判明。
97 08 06 デルタ女の会、8・6ヒロシマ女たちの集会、元安川東詰め中曽根句碑前で開催。40人が参加。
98 05 13 朝日新聞「インド核実験-2氏に聞く[中曽根康弘「影響を考えぬ利己主義」、武村正義「救いようのなさ、感じる]」
98 06 10 読売新聞「「印パ核実験」で緊急寄稿:中曽根康弘元首相-日本から「警鐘」鳴らせ-核廃絶への戦略が急務」
98 08 06 デルタ女の会、中曽根元首相の句碑に抗議する寸劇集会を同碑前で開催。約50人が参加。
99 03 04 世界平和研究所(中曽根康弘会長)・米ハーバード大学・独アデナウアー財団、「核不拡散・核軍縮に関する日・米・独共同研究国際会議」を東京で開催。-4日。
99 08 06 「8・6ヒロシマ 女たちの集い」、広島市平和公園の中曽根句碑前で開催。
99 12 25 東海村臨界事故を起こしたJCO社員・大内久の通夜、茨城県常陸太田市新宿町で挙行。中曽根弘文科学技術庁長官・橋本昌茨城県知事ら約400人が参列。
99 12 27 読売新聞「地球を読む:傷ついた米の威信-CTBT批准拒否-キッシンジャー氏に反論」(中曽根康弘)

年表:オランダとヒロシマ・ナガサキ

年表:オランダとヒロシマ・ナガサキ

Y M D NEWS1
56 04 15? ハーベルマン(オランダの彫刻家)による丸木・赤松「原爆の図」の世界一周展覧行脚の呼びかけに対しスイスのベルン博物館・ニューヨーク・ボストン両博物館などから公開希望の申し入れ。
56 07 25 被爆記録「広島日記」のドイツ・イギリス版が、著者蜂谷道彦のもとに届く。同書は、これまでに米・オランダ・イタリアでも出版。
62 08 06 英、オランダなどで原爆反対デモ。
65 08 06 エディタ・モリス、「ヒロシマの花」の姉妹編「ヒロシマの種」を英・西ドイツ・オランダ・ギリシアで刊行。
77 04 05 駐日オランダ大使、広島訪問。
77 10 24 長崎市、長崎市都市掲揚委員会開き、姉妹都市縁組みの相手をオランダ・ミッテルブルグ市に決定。
78 03 07 長崎被爆の元オランダ軍人、原爆による傷害治療のため長崎入り。
78 03 08 長崎被爆の元オランダ軍人、長崎原爆病院で受診。
78 03 11 長崎被爆の元オランダ軍人、治療を終え長崎新聞社訪問。
78 03 14 長崎被爆の元オランダ軍人帰国。
78 05 19 駐日オランダ大使、来広。
78 10 20 ブラジル大使・トンガ国王・オランダ外相、長崎市訪問。
79 03 31 原水協のオランダ訪問団、核廃絶を訴えるため、オランダに向けて出発。
79 07 01? 長崎市で被爆した元オランダ兵捕虜の回想録が、長崎市に届く。
79 07 19? 長崎市、長崎で被爆死したオランダ兵捕虜の名前を原爆殉難者名簿に加えることを決定。
79 07 30 長崎市の原爆殉難者名簿に、被爆死した元オランダ兵捕虜の氏名記載。
79 08 06 オランダ・ハーグ市で、「平和のための婦人団体」主催の核禁止など訴えるデモ。
79 08 26 オランダの市民グループ、中性子爆弾開発中止を訴え、自転車でニューヨークの国連に向け、アムステルダムを出発。
79 10 27 オランダで開催される「中性子爆弾反対を教える平和教育全国集会」に、広島の平和教育関係者ら参加。
80 02 22? オランダから届いた名簿から、被爆死したオランダ人捕虜一名が確認される。
80 07 09 長崎市、長崎で被爆した外国人被爆者(韓国・北朝鮮・オランダ・オーストラリア)を平和式典に招請することを決定。
80 07 11? 長崎で被爆した元オランダ兵捕虜の被爆体験をもとにした詩・イラストが、「長崎証言の会」に届く。
80 07 21 オランダの「中性子爆弾反対・核軍拡競争中止協力グループ」、原水禁大会参加のため来日。
80 07 27 原水禁大会参加のため来日中のオランダ人平和運動家、来広し地元高校生らと交流。
80 08 20 第30回パグウォッシュ会議、オランダで開催され、核戦争の危険を警告する声明を採択。(25日まで)
81 03 05 オランダの図書館長、被爆したオランダ人捕虜についての資料収集のため、長崎市を訪問。
81 04 17 長崎市で被爆した元オランダ兵、長崎市を訪れ、被爆者手帳を受給。
81 04 22 核戦争防止のための「欧州核戦争会議」、オランダで開催。
81 06 14? オランダ・ミデルブルフ市、長崎市の世界平和シンボルゾーンにモニュメント寄贈する意向伝える。
81 06 19 オランダの新聞記者、来広し原爆問題取材。
81 07 01 オランダ・アムステルダム市長、長崎市を訪問、平和公園など見学。
81 07 10 長崎市、平和式典に元オランダ兵捕虜を招待することを決定。
81 08 06 オランダの平和運動グループ代表、オランダの子供たちからの折りヅルを原爆の子の像に供える。
81 08 08 長崎市の捕虜収容所で被爆した元オランダ兵ジャーゲン・オンケン、長崎市を再訪。
81 08 10 長崎市、元オランダ兵捕虜ジャーゲン・オンケンに被爆者手帳交付。
81 09 15 長崎市長、オランダ入りし、首相に原爆写真展の開催で協力要請。
81 10 29 広島市教委、折りヅルを広島市に送りたいとのオランダの子供たちに、本川小学校生徒を紹介。
81 11 21 オランダ・アムステルダムで、「欧州に新しい核兵器を持ち込むな」をスローガンに反核集会(30万人参加)。
81 11 23 オランダ・アムステルダムで、世界教会会議主催「核兵器と軍縮に関する国際公聴会」、開催。
81 11 26 核兵器の欧州配備に反対してオランダ・ハーグで女性によるデモ(1万人参加)。大阪市原爆被害者の会代表参加。
81 12 07 広島市立本川小学校に届いたオランダの子供たちからの平和を願う手紙など、同校で紹介される。
81 12 28 オランダの首相から、長崎市長にオランダでの原爆写真展開催に賛意を示す手紙届く。
82 03 03 オランダの平和団体、6月の米大統領訪英時にロンドンで反核デモを行うと発表。
82 03 25 広島県原水禁、オランダ・ベルギーへ被爆の語り部第三陣を派遣。(「ヒロシマ語り部の旅」)。
82 04 12 広島県原水禁による「ヒロシマ語り部の旅」第三陣、帰国。オランダ・ベルギーでの成果を報告。
82 04 13 オランダの女性向け週刊誌記者、来広し、原爆問題を取材。
82 05 27 オランダの日刊紙記者、来広し、軍縮問題について広島市長にインタビュー。
82 07 17? オランダ・ハーグ市、非核都市宣言を採択。
82 08 06 長崎市の妹姉都市オランダ・ミデルブルグ市で、「長崎・広島の原爆写真展」開催(26日まで)。
82 08 19 日本被団協派遣のヨーロッパ「語り部の旅」代表団(28名)、欧州に出発。(30日帰国)。5回目。東西独・仏・オランダ訪問。25日、ローマ法王に会見。
82 09 04 オランダの首都アムステルダムで、「長崎・広島の原爆写真展」開催。
82 10 30 核戦争防止国際医学者会議、オランダ・ハーグで開催され核凍結を求める決議を採択。
82 11 06? オランダでの原爆写真展(8-9月)が成果を収めたことの手紙が、ミテルグルク市長から長崎市に届く。
82 11 09 広島原爆資料館に英・オランダの教科書出版社から被爆資料提供依頼の手紙が届く。(海外からの依頼急増し、今年30件)
83 04 03 オランダで反核デモ、約2,500人参加。
83 04 11 欧州五カ国(英・西独・伊・オランダ・ベルギー)の非核都市宣言をした自治体の代表ら、ブリュッセルで反核運動について討議。各国の地方自治体に非核宣言するよう呼びかけることなどを決定。(12日まで)
83 05 31 東京裁判の判事を務めたオランダのベルナルト・ローリング、来広し原爆資料館など見学。「原爆投下は国際法違反」と発言。
83 06 18 オランダ・アムステルダムで第三回核戦争防止国際医師会議開催(22日まで)。広島市医師会長、広島大原医研教授ら、参加。米ソ首脳に核軍縮を訴えるアピール採択。
83 07 99 長崎市で被爆した元オランダ兵の被爆体験記「オランダ兵長崎被爆記」、刊行。
83 08 14 元オランダ兵の被爆体験記「オランダ兵士長崎被爆記」出版祝賀会、長崎市で開催。(レネ・シェファー著)
83 08 99 長崎市とオランダ・ミテルブルフ市の姉妹友好都市5周年を記念して、ミテルブルフ市、長崎市に平和モニュメント寄贈。
83 09 14 オランダ・ミデルブルフ市から、長崎市の平和公園内の世界平和シンボルゾーンにモニュメント届く。
83 10 06 オランダ・ミデルブルフ市親善使節団、長崎市を訪問。
83 10 07 オランダ・ミデルブルク市から長崎市に贈られた平和モニュメント「未来の世代を守る像」、平和公園で除幕。
83 10 29 オランダ・ハーグで反核を訴えるデモ(約6万人参加)日本から、被爆者も参加。
84 04 24 YMCA国際平和研究所、西独・オランダにメンバーを派遣。海外のYMCAに反核ネットワークづくりを呼びかけるため。(5・10帰国報告)
84 05 27 オランダ・エッテンレールで、オートバイを連ねた米軍基地への反核デモ実施。(約2,000人参加)。
84 08 04 室蘭市の「少年少女代表団」千羽ヅルを携え来広(平和祈念式に出席)。
84 08 07 「広島平和の旅・室蘭少年少女代表団」、室蘭市長からの平和メッセージを広島市役所に届ける。
84 09 12 オランダの議員団来広原爆資料館など見学。
84 10 10 オランダのデコレーション・フラワーの創始者、来広し、原爆資料館など見学。
84 10 13 長崎市助役ら、来年開催予定の「世界平和連帯都市市長会議」への参加を呼びかけるため、東独、オランダなどに向け出発。26日帰任、成果を報告。
85 04 26 長崎の証言の会、オランダ人の元被爆補虜らを囲んで長崎市で「日蘭不戦の集い」を開催。
85 04 28 核実験に抗議する長崎市民の会、25日のソ連核実験に抗議して平和公園で座り込み(約50人参加)。オランダ人の被爆元捕虜参加。
85 05 24 日本原水協、米・英・オランダなどに派遣する「核兵器全面禁止・被爆者国際遊説団」第1陣(約110人)の訪問日程などを発表。
85 05 29 広島県朝鮮人被爆者協議会会長、北海道を反核行脚開始。室蘭市・深川市・札幌市など。
85 06 25 日本原水協による「核兵器全面禁止・被爆者国際遊説団」(14人)第二陣、オランダに向け出発(7月 7日まで)。
85 08 08 テレビ番組「こんにちは!長崎」( テレビ長崎) 、オランダ人被爆者の被爆体験記を取り上げ、放送。
85 09 10? 昨夏来広した室蘭市の「広島平和の旅少年少女代表団」のヒロシマ報告記「ツルよとべ」(B5、74ページ) 、広島市に届く。
85 10 02? オランダ・ロッテルダムで開かれた「核戦争に反対する国際法廷」(9月19-21日) に招かれた被爆者、帰国し、同法廷のもようを報告。
85 12 06 日中戦争下の中国で、抗日反戦運動を続けた長谷川テルの遺児劉暁蘭、来広し、原爆資料館など見学。
85 12 22 神戸市内のオランダ様式の風車小屋に、1000枚の平和ポスター展示( 25日まで) 。
86 03 20 長崎県被爆者手帳友の会など、同県・市に、海上自衛隊とオランダ艦隊による長崎港西方海域での合同軍事演習の中止を働きかけるよう要請。
86 03 20 長崎市の姉妹都市オランダ・ミデルブルフ市長、長崎市を訪れ、平和祈念像に献花。
86 03 22 長崎原爆被災者協議会、海上自衛隊とオランダ艦隊の合同演習に対して、オランダ大使などに抗議文送付。
86 11 02 スウェーデン・オランダなどの女性平和運動グループ「グレート・ピース・ジャーニー」の一行(5名)、来広し、原爆資料館など見学。3日、市民交流会に出席。
87 03 23 広島市で開かれる世界蘭会議広島大会で、平和に対する願いを込めた洋ラン「ヒロシマ」出品。
87 03 25 世界蘭会議広島大会参加者ら、原爆資料館などを見学。
88 02 25 旧日本軍の捕虜だったオランダ人兵士から、原爆犠牲者慰霊にと、カトリック広島司教区に花輪が届き、原爆慰霊碑に献花。
88 06 10 日本(7団体)・ブラジル・仏・オランダなどの平和団体、国連に核兵器廃絶などを 求める請願書を提出。広島・長崎両市長・知事らによる請願書も。
88 10 16 横浜市在住の被爆者黒川万千代、スイスの平和団体「国連および関連機関職員軍縮・平和運動」の招きで訪欧。スイス・西独・オランダ・デンマ-クなどで被爆体験を発表。
89 07 24 長崎市にホームステイ中のオランダ・ミデルブルク市の高校生(6人)、平和祈念像に献花。
89 09 22 「国際反核法律家協会」の第1回世界大会、オランダ・ハーグ市で開催。-24日。長崎原爆被災者協議会の山口仙二会長、招かれ被爆体験を発表。
90 04 25 広島市、ソ連での「核実験禁止国際市民会議」・オランダでの「国際平和宣言会議」に代表を派遣すると発表。
90 05 10 広島市長、オランダでの「1990ロッテルダム国際平和宣言会議」出席のため広島市を出発(22日帰広)。
90 05 22 広島市長、オランダでの「国際平和宣言会議」より帰国。同会議のもようを報告。
90 07 06 国際平和研究学会、オランダで定例総会を開催。次期総会を1992年に京都で開くことを決定。
90 07 29 長崎市、姉妹都市のオランダ・ミデルブルフ市へ高校生親善訪問代表団(8人)を派遣。
90 11 06 戦時中長崎に収容されていたオランダ人元捕虜・遺族らの一行(14人)、長崎市を訪問。収容所跡などを見学。
90 11 14 即位の礼に出席したオランダの皇太子、長崎市を訪問。長崎平和会館などを見学。
91 02 22 朝日新聞社、湾岸戦争について、韓国人被爆者・在米被爆者・オランダ人被爆者・中国人被爆者らに意見を聴取し、紙上に掲載。
91 08 11 テレビ番組「爆心地の連合軍捕虜・オランダ兵士たちの戦後史」(NHK)、放送。長崎で被爆したオランダ人捕虜らを取材。
92 03 17 オランダのコンスタンタイン王子、長崎市を訪問、国際文化会館などを見学。
92 08 10 デンマーク・オランダ・ドイツなどの民衆大学の校長・教員ら8人、長崎市役所の本島市長を表敬訪問。
92 09 15 京都大学医学部同窓会「芝蘭会広島県支部」、広島県大野町で原子爆弾災害研究調査班員の枕崎台風遭難者慰霊の集いを開催。
92 10 30 長崎で強制労働中に被爆した元オランダ人捕虜や遺族ら一行16人、長崎入り。
92 10 31 オランダ人元捕虜や遺族一行、本島長崎市長を表敬訪問。
92 12 18 国際平和事務局(IPB)・核戦争防止国際医師会議(IPPNW)・反核兵器国際法律家協会(IALANA)、国連の国際司法裁判所(オランダ・ハーグ)で核兵器の国際法違反を追求する「国際法廷運動」を計画。
93 09 15 芝蘭会広島支部・大野町など、「京都大学原爆災害総合研究調査班」11人の慰霊の集いを広島県大野町の遭難記念碑前で挙行。約100人が参列。
94 05 28 北海道室蘭市教育委員会が、来月13日同市内で開催予定の「朝鮮人被爆者の証言」(講師:李実根広島県朝鮮人被爆者協議会長)の後援を断ったことが判明。
94 06 10 日本政府、オランダ・ハーグの国際司法裁判所に「核兵器使用の違法性」に関する陳述書を提出。
94 08 03 東京都新宿区、長崎で被爆した元捕虜のオランダ人を招き語り部講演会を開催。
94 09 06 脇坂清広島平和文化センター事務局長ら、オランダ・ハーグの国際司法裁判所を訪問し、核兵器使用の違法性の審理に際し被爆者に発言の機会を求める広島・長崎両市長連名の書簡を提出。
94 09 10 オランダ・アルンヘム市でピースメッセンジャー会議。脇坂広島平和文化センター事務局長らが出席。
94 09 13 脇坂広島平和文化センター事務局長ら、核兵器使用の国際違反問題でオランダの国際司法裁判所(JCJ)に広島・長崎両市長の要請書を提出する旅から帰任し記者会見。JCJは規則により被爆者の意見陳述を認めないことが判明。
95 05 12 広島の金子一士県被団協理事長・佐々木猛也弁護士、オランダ・ハーグの国際司法裁判所を訪問。核兵器使用の違法性についての勧告的意見を出す前に裁判官が広島・長崎を訪れるよう申し入れ。22日、帰国の記者会見。
95 06 27 愛知芸術文化センター、ワーグナーの「さまよえるオランダ人」を原爆投下の罪の意識に読み変えた演出で上演。
95 09 02 平岡広島市長、オランダ・フランス・カナダ歴訪のため出発。
95 09 03 日本ボーイスカウト広島県連盟の代表、世界ジャンボリー(8月オランダで開催)で世界各国のボーイスカウトが折った千羽鶴を広島市平和公園の原爆の子の像に捧げる。
95 09 05 平岡敬広島市長、オランダ・ハーグで開催の国際自治体連合世界大会の特別ミーティング「非核自治体国際会議」で講演。中国・フランスの核実験中止を求める決議をするよう提案。
95 09 06 平岡広島市長、滞在中のオランダ・ハーグでフランスの核実験に対する抗議のコメントを発表。
95 09 07 平岡広島市長、オランダ・ハーグで開催された「非核自治体国際会議」で演説。中国・フランスの核実験実施を非難し、核兵器の廃棄を訴える。
95 09 09 原水爆禁止長崎県民会議など、フランスの核実験に抗議する座りこみを平和公園で実施。約300人が参加。オランダの教育相も飛び入り参加。
95 09 22 オランダ・ハーグの国際司法裁判所、ニュージーランドが求めていた南太平洋におけるフランスの地下核実験差し止め請求を12対3の評決で却下。
95 10 13 中国地方弁護士大会、松江市で開催。フランスへの核実験抗議・即時中止とオランダ・ハーグにある国際司法裁判所に対し核兵器使用を国際法違反とする「勧告的」意見を求めることを決議。
95 10 16 生協ひろしまと広島弁護士会、オランダ・ハーグの国際司法裁判所の核兵器の違法性に関する審理に会わせ「国際要請代表団」を派遣することを計画。
95 10 24 世界平和連帯都市市長会議(会長:平岡敬広島市長、98カ国・地域、409都市)、オランダの国際司法裁判所裁判長宛てに核兵器使用の国際法違反を訴える決議文を送付。
95 10 27 日本被団協・日本生協などの第1陣、オランダのハーグ入り。
95 10 30 オランダ・ハーグの国際司法裁判所(ICJ)、核兵器使用の違法性をめぐる口頭弁論を開催。エバンス・オーストラリア外相が政府代表として初めて発言。
95 10 31 日本生活協同組合連合会のメンバー、オランダ・ハーグの国際司法裁判所に、核兵器の国際法上の違法性を訴える300万人以上の署名の目録と平岡広島市長のメッセージを提出。
95 10 31 広島の被爆者ら5人、国際司法裁判所の核兵器使用の違法性審理に合わせてオランダ・ハーグを訪問する旅に出発。
95 11 01 「世界法廷運動」、オランダ・ハーグ郊外の図書館で被爆直後の長崎を撮影したカメラマン山端庸介の原爆展「長崎ジャーニー」を開催。-15日。
95 11 01 戦時中長崎市内の造船所などで強制労働させられたオランダ人元捕虜など24人、長崎市を訪問。被爆者と懇談。
95 11 02 日本被団協などの代表団41人、オランダ・ハーグに到着。3日、結団式を開催。
95 11 03 核戦争防止国際医師会議(IPPNW)など、「世界法廷セミナー」をオランダのハーグで開催。
95 11 03 オランダ・ハーグに滞在している広島の弁護士2人、国際司法裁判所裁判官宛の要請書を提出。
95 11 04 伊藤長崎市長、国際司法裁判所での陳述のためオランダに向け出発。
95 11 04 国際反核法律家協会・核戦争防止国際医師会議・世界平和ビューロー主催「世界法廷セミナー」、オランダ・ハーグ市内の大学で開催。20か国から約200人が参加。
95 11 04 伊藤長崎市長、オランダ・ハーグで、国際司法裁判所での陳述で「核兵器は違法」と明言することを明らかにする。
95 11 04 伊藤長崎市長、国際司法裁判所の核兵器の違法性をめぐる審議に出廷するためオランダに出張。-11日。
95 11 05 平岡広島市長、オランダ・ハーグへ向け出発。同日夕(日本時間6日未明)、ハーグに到着。6日、イラン・イタリアの陳述を傍聴。
95 11 05 伊藤長崎市長、オランダ・ハーグに到着。
95 11 07 元オランダ兵捕虜やその遺族らでつくる「オランダ慰霊団」一行21人、広島市の原爆資料館を見学。
95 11 07 伊藤長崎市長、オランダ・ハーグの国際司法裁判所(ICJ)の図書館に長崎原爆関係の図書やビデオテープなどを寄贈。
95 11 09 オランダ・ハーグで広島・長崎両市長の陳述を傍聴した「生協ひろしま」の組合員ら6人、広島に帰る。
95 11 13 オランダの国際司法裁判所を訪れた生協ひろしまの代表など、市役所で帰国報告。
95 12 16 広島弁護士会、オランダ・ハーグの国際司法裁判所での核兵器使用をめぐる意見陳述の傍聴についての報告会「核廃絶を求めて-ヒロシマからハーグへ」を、広島弁護士会館で開催。約50人が参加。
96 02 15 生協ひろしま、オランダ・ハーグの国際司法裁判所の裁判官に向け広島訪問を呼びかける要請はがき1万4056枚を発送。
96 03 27 国際司法裁判所(ICJ、オランダ・ハーグ)が核兵器の違法性についての「勧告的意見」を5月以降に出す見通しであることが判明。
96 05 21 平岡広島市長・伊藤長崎市長、ジュネーブのイギリス・パキスタン・オランダの各軍縮代表部を訪れ、包括的核実験禁止条約(CTBT)が例外なき核実験を禁止する条約となるよう各軍縮大使に要請。
96 06 15 長崎で被爆したオランダ人元捕虜兵レネ・シェーファー、死亡。
96 06 20 ヘンリ・エバラース・オランダ在神戸・大阪総領事、広島市の平和公園を見学。
96 07 05 海外4カ国(米・英・カナダ・オランダ)の教育関係者で組織する国際教育関係者訪日団、長崎原爆資料館で県内の教育関係者らと平和教育懇談会を開催。約60人が参加。
96 07 08 国際司法裁判所(オランダ・ハーグ)、核兵器使用の違法性について、WHOの諮問は、諮問の権限がないとして11対3で門前払い、国連総会の諮問については、一般的には国際法違反としながらも判断を避けた勧告的意見を発表。
96 07 08 国際司法裁判所(オランダ・ハーグ)、核兵器使用の違法性に関する判断を示す。
96 08 03 国際環境保護団体「グリーン・ピース」(本部オランダ・アムステルダム)のグリーピース号、初めて広島港に寄港。4日、一般公開。約1000人が見学。
96 08 08 今年6月に死亡したオランダ人元捕虜の被爆者シェーファーの名前が長崎市の原爆死没者名簿に記載されていないことが判明。
96 09 12 旧日本軍の捕虜となったオランダ人犠牲者や遺族ら20人、長崎市を訪問。
96 12 02 エルチョ・スフラー・オランダ国立戦争資料研究所(アムステルダム)理事長、広島市の原爆資料館を見学。
98 02 07? 広島女学院大学4年生・蘭(あららぎ)ゆかり、マレーシアで開催された「戦争の恐怖展」会場で中国系住民を中心に実施したアンケート調査の結果を卒論にまとめる。
98 09 08? 平岡広島市長、世界各国の非政府組織(NGO)が来年5月にオランダ・ハーグ市で開催する「平和アピール会議」への出席要請を受け取る。
98 10 12 オランダの戦争犠牲者団体「対日道義的債務基金」のメンバー23人、長崎市を訪問。
99 03 02 長崎市、オランダ・ハーグで5月に開かれるNGO(非政府組織)主導の国際市民平和会議「ハーグ平和アピール1999」に幹部職員ら数人を代表として派遣する方針を明らかにする。
99 03 18 広島県原水禁、常任理事会を開催。5月にオランダのハーグで開催されるハーグ国際市民平和会議に7人の派遣団を送ることを決める。
99 05 12 日本被団協などの「つたえようヒロシマ・ナガサキ共同代表団」、オランダ・ハーグ市内で被爆者の証言集会を開催。約60人が入れる会議室は満員。
99 05 12 世界市民平和会議「ハーグ平和アピール1999」、オランダのハーグ市国際会議場で開催。-15日。100か国から日本の400人を含む約8000人が参加。
99 05 14 世界平和連帯都市市長会議と「ピースメッセンジャー都市国際協会」、オランダ・ハーグで会合を開く。20都市の約90人が参加。秋葉広島市長、ネットワークの強化を呼びかける。
99 05 16 オランダ・ハーグからNATO本部のあるベルギー・ブリュッセルまで歩く「核廃絶2000ウオーク」、ハーグを出発。平和市民会議の出席者ら約500人が参加。出発集会で日本の被爆者4人が挨拶。
99 05 28 坪井直・金子一士ら、オランダ・ハーグで開かれた世界市民会議に参加した5人、広島市役所で共同の記者会見。
99 07 28 戦時中、福岡俘虜収容所第14分所でオランダ人捕虜らと被爆した田島治太夫(79歳)、死去。30日、長崎市内で告別式。
99 10 23 オランダ人の元捕虜や民間人抑留者で組織する「対日道義的債務基金」のメンバー24人、長崎市の平和公園などを訪問。
99 11 04 旧日本軍の捕虜となったオランダ人とその家族でつくるオランダの3団体の一行17人、長崎市の原爆資料館を見学。
99 12 14 長崎ヒバクシャ医療国際協力会、第3回永井隆平和記念・長崎賞の受賞者にオランダ在住の放射線物理学者ヨハネ・ブローズが決まったと発表。

被爆50周年記念切手と対日戦勝50周年記念切手

被爆50周年記念切手と対日戦勝50周年記念切手

Y M D NEWS1
94 05 18 広島・長崎両市、被爆50周年記念切手発行への支援を厚生省・外務省両省に要望。
94 07 01 広島市、国の来年度概算要求に向け、被爆50周年記念切手の発行など50項目の要望事項をまとめる。
94 07 04 平岡広島市長、東京都内で県選出国会議員らに被爆50周年記念切手の発行など来年度の主要事業40件の事業内容を説明し予算化に向けての協力を要望。
94 10 18 郵政省、来年8月1日に「平和50周年記念(広島・長崎平和祈念)」切手を発行すると発表。
94 11 28? 米郵便公社、来年9月2日の対日戦勝50周年記念日に合わせ発売する記念切手の図案を内定。その一つに原爆投下後のきのこ雲の図柄を採用。
94 12 01 反核市民グループ「プルトニウム・アクション・ヒロシマ2」、米郵便公社が来年9月2日に発行する記念切手の図案に「原爆きのこ雲」を採用することを決めたことに対する抗議文をモンデール駐日米大使に送付。
94 12 01 米郵政公社、米国の第二次大戦戦勝50周年を記念して来年9月に原爆のキノコ雲をあしらった記念切手の発行について、歴史の全体像の提供が目的と説明する声明を発表。
94 12 01 外務省首脳、米政府が対日戦勝50周年記念切手に原爆のキノコ雲の図柄を検討中とされていることに対し不快感を表明。
94 12 02 村山首相、米郵便公社の原爆きのこ雲の記念切手発行計画について不快感を表明し、米国に伝達すると語る。
94 12 02 平岡広島市長・本島長崎市長、米郵便公社が原爆きのこ雲の図柄の記念切手の発行を計画していることについて遺憾とするコメントを発表。
94 12 02 市民グループ「プルトニウム・アクション。ヒロシマ2」、原爆のきのこ雲の図柄の記念切手発行計画に対し、抗議文をモンデール駐日大使宛に送付。
94 12 02 寺田外務報道官、米国の原爆記念切手に「原爆が戦争終結を早める」との記述が計画されていることについて肯定的な見解を表明。直後に見解を訂正。
94 12 02 米国務省当局者、米郵便公社が原爆のキノコ雲を描いた記念切手を発行すると発表したことについて「未決定」と述べ、発行中止を含めた計画修正を公社に求めていることを強く示唆する見解を表明。
94 12 02 米郵政公社のライト報道官、原爆記念切手のきのこ雲のデザインに変更は無いと語る。
94 12 03 政府、米国務省が米郵政公社の計画している原爆切手問題で日本側の反発を配慮し発行中止の検討を表明したことについて、一応評価。
94 12 03 外務省幹部、米国務省が米郵政公社が計画している原爆切手問題で日本側の反発に配慮し発行中止の検討を表明したことについて一応評価。
94 12 03 ワシントン・ポスト紙、原爆きのこ雲の記念切手の発行計画について日米間の悪感情を生む新材料と報道。
94 12 03? 栗山尚一駐米大使、(この日までに)米国務省のロード次官補(東アジア・太平洋担当)を訪ね、「原爆切手」問題の善処を申し入れる。
94 12 05 外務省、米郵政公社が予定している原爆投下の記念切手発行について、近く米政府に発行中止を求めるなど、厳しい姿勢で臨む方針を固める。
94 12 05 全逓、米郵政公社が発行を計画している原爆切手に反対する要請書を近く同公社に送付することを決める。
94 12 05 シェリー米国務省副報道官、原爆記念切手発行問題で日本人の感情に理解を示し、郵政公社に修正を求めていることを示唆。
94 12 05 ライト米郵政公社報道官、原爆記念切手の発行について、計画に変更がないと語る。
94 12 05 久保社会党書記長、党本部でモンデール駐日大使と会談し、米郵政公社が計画している原爆切手発行計画の再考を要請。
94 12 06 大出郵政大臣、米郵政公社の原爆記念切手問題について、もし米国が発行するなら、日本も「原爆は国際法違反」との字句を入れた切手を発行したいと述べ、米国の計画に不快感を表す。
94 12 06 広島県被団協(金子一士理事長)、米国の原爆記念切手の発行中止を求める申入書をモンデール駐日米大使に送付。
94 12 06 シェリー米国務省副報道官、原爆記念切手問題で、ホワイトハウスが「政治決断」する可能性があることを示唆。
94 12 07 マイヤーズ米大統領報道官、米郵政公社の原爆記念切手問題で、米政府が郵政公社に非公式な形で図柄の変更を求めていることを明らかにする。
94 12 07 日本被団協、米郵便公社の原爆切手発行計画に対し、クリントン米大統領あてに発行中止を求める抗議声明を送付。
94 12 07 永野健日経連会長、米郵政公社の原爆切手の発行計画を批判。
94 12 07 韓国原爆被害者協会、米郵政公社の原爆記念切手発行計画に対し、反対の声明を発表。
94 12 07 米郵政公社のスポークスマン、原爆記念切手の発行計画を再検討する意向を示唆。
94 12 08 米郵政公社、原爆のキノコ雲を描いた記念切手の発行を取りやめ、デザインを変更すると発表。
94 12 08 憲法を守る広島県民会議・県原水禁など、「12・8不戦の誓いヒロシマ集会-戦後50年を前に、不戦の誓いを新たに開く」を原爆資料館東館で開催。約180人が参加。米郵政公社が原爆記念切手の発行を中止するよう求める決議を採択。
94 12 08 自治労中央委員会、広島市で開催。-9日。米郵政公社の原爆記念切手問題が提起される。
94 12 09 村山首相・五十嵐官房長官、米郵政公社の原爆記念切手発行中止についてそれぞれ歓迎の意向を表明。平岡広島市長・本島長崎市長も同様のコメント。
94 12 09 米ロサンゼルス・タイムズ、米郵政公社が原爆切手の発行を中止したことについて、評価する社説を掲載。
94 12 21 アメリカの出版社が米大統領の意向で発行中止となった原爆きのこ雲の切手のデザインを模造したシールを販売していることが判明。
94 12 24 中国共産党機関紙「人民日報」、「原爆切手」問題に関連し「民族感情を尊重するよう他人に求めるなら、まず自らが他人の感情を尊重せよ」とする論評を掲載。
95 03 09? 郵政省、戦後・被爆50周年を記念して発行する「平和50周年記念(広島・長崎平和祈念)切手」(8月1日発行)と「国連・ユネスコ50周年記念切手」(10月24日発行)のデザインを募集。
95 05 02 米郵便公社、さきに日本政府の要請で発行取りやめとなった「原爆きのこ雲」切手に代わる第二次世界大戦の切手図案を発表。トルーマン大統領が日本の無条件降伏を公式発表する場面の写真。
95 05 27 日本郵趣協会西日本支部など、戦後50年の歴史と戦争・平和を切手で伝える「スタンプショー=ヒロシマ」を広島県産業会館で開催。-28日。
95 06 06 郵政省、「平和50周年記念(広島・長崎平和祈念)切手」デザインコンクール」の結果を発表。長崎県北松吉井町の中学教師末永暢雄の作品が最高賞の郵政大臣賞に選ばれる。8月1日に発売予定。
95 06 20 郵政省、8月1日に発行される「平和50周年記念(広島・長崎平和祈念)郵便切手」のデザインを発表。
95 08 01 中国郵政局、「こども平和のつどい」の参加者全員への「平和50周年記念絵入りはがき」と「平和50周年記念(広島・長崎祈念)切手」の贈呈式を広島国際会議場で開催。生徒、平和記念公園内の平和記念ポストに両親や知人あてのはがきを投函。
95 08 01 「平和50周年記念(広島・長崎平和祈念)郵便切手」、全国一斉に発売。
95 08 01 郵政省、「平和50周年(広島・長崎平和祈念)郵便切手」の初刷りシートの長崎市への贈呈式を市民会館で開催。