『明治百年論批判』(「百年史」研究会、196711)目次
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| 声明文「明治百年論」に反対する(「百年史」研、19671114) | ||
| ”明百”祭の内容と意図 | ||
| 理解を深めるために | ||
| △近代化論批判 | ||
| △ 明治百年論と天皇制 | ||
| △「愛国心」について | ||
| △経済に於ける対米従属の起源 | ||
| △明治百年論の捉え方に関する覚え書き | ||
| △教科書検定を中心にして | ||
| <資料>教育の軍国主義化の過程 | ||
| 戦後史年表 | ||
| 編集後記 | ||
| 明治百年に関する資料 | ||
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ヒロシマの歴史を残された言葉や資料をもとにたどるサイトです。
『明治百年論批判』(「百年史」研究会、196711)目次
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||
| 声明文「明治百年論」に反対する(「百年史」研、19671114) | ||
| ”明百”祭の内容と意図 | ||
| 理解を深めるために | ||
| △近代化論批判 | ||
| △ 明治百年論と天皇制 | ||
| △「愛国心」について | ||
| △経済に於ける対米従属の起源 | ||
| △明治百年論の捉え方に関する覚え書き | ||
| △教科書検定を中心にして | ||
| <資料>教育の軍国主義化の過程 | ||
| 戦後史年表 | ||
| 編集後記 | ||
| 明治百年に関する資料 | ||
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毒ガス工場・大久野島関連資料
| 資料名 | 作成・発行 | 年月日 | 備考 |
| 毒ガス工場・大久野島の歴史(試案)-大久野島からウ・タント報告まで | 広島県歴史教育者協議会広島支部 | 19710201 | 冊子 |
| 厚生省受託研究・研究報告書-毒ガス障害の本質とその医療に関する研究 | 西本幸男(研究代表者・広島大学医学部第2内科教授) | 197503 | 冊子 |
| 大久野島毒ガス障害死没者慰霊碑 | 同碑建設委員会 | 19850512 | 冊子 |
| 大久野島・毒ガスのツメ跡 | 『中国新聞』(13回) | 19690107~0121 | 連載 |
| どうなる大久野島 | 『中国新聞』(5回) | 19720607~0611 | 連載 |
| 毒ガス島 | 『中国新聞』(14回) | 19751204~1221 | 連載 |
| 機密法の下、毒ガス製造 大久野島は忘れない | 『?』(5回) | 19860909~0913 | 連載 |
| 毒ガス資料館設立趣意書0 | 大久野島毒ガス障害者対策連絡協議会 | 19770119 | 冊子 |
| 大久野島毒ガス資料館 | 1988年開館(広島県竹原市忠海町) | ||
| https://www.city.takehara.lg.jp/simin/sisetukannri/dokugasusiryokan.html | |||
第7回空襲・戦災を記録する会全国連絡会議
とき :1977年8月7日
ばしょ :福山市中央公民館
しゅさいしゃ:空襲を記録する会全国連絡会議
:福山空襲を記録する会
第14回空襲・戦災を記録する会全国連絡会議呉大会
日時:19840804~05
会場:呉市勤労会館
呉市国民宿舎音戸ロッジ
主催:空襲・戦災を記録する会全国連絡会議
呉戦災を記録する会・福山空襲を記録する会
後援:呉市・呉市教育委員会 報道機関各社
NHK広島放送局 中国放送
協力:呉原爆被害者友の会 歴史教育者協議会呉支部
呉市平和委員会 日中友好協会呉支部
資料一覧
| 1984年 | ||
| 月日 | 資料名 | 備考 |
| 0704 | 第14回全国連絡会議の開催のご案内 | 要項、ビラ |
| 0804 | 開会式(宇吹メモ) | |
| 0804 | 空襲・戦災を記録する会全国連絡会議呉大会要項 | |
| 軍都・呉の基地と戦災(呉市平和委員会・呉戦災を記録する会・歴史教育者協議会呉支部) | ||
| 戦跡よ語れ 呉の平和な未来を―呉戦災フィールドワークの手引き(呉地区高校生平和の集い第20次実行委員会) | ||
| 平和を築く文化のひろば ’84 8/4/~8/9 福山市民会館(実行委員会主催) | ||
| 空襲・戦災を記録する会全国連絡会議呉大会-被爆県佐世保からの報告(佐世保空襲を語り継ぐ会) | ||
| 活動報告(大阪大空襲の体験を語る会) | ||
| 再び許すな東京大空襲!反戦平和の集い(実行委員会) | ||
| みんなで福井空襲の大絵図をつくる会結成のつどい | ビラ | |
| 「継承活動強化へ アピールを採択 空襲を記録する全国大会 呉」(たぶん『中国新聞』) | 切抜き | |
福山空襲を記録する会 設立:19730724
歩み
| 年月日 | 事項 | ||
| 19730724 | 「福山空襲を記録する会」発足 | ||
| 19750808 | 『福山空襲の記録』発刊 | ||
| 19751208 | 会報『福山空襲』創刊号発刊 | ||
| 19770806 | 福山空襲展、於天満屋。~8月10日。 | ||
| 19770808 | 会報『福山空襲』8号 | ||
| 19770807 | 第7回戦災・空襲を記録する全国連絡会議。於中央公民館。 | ||
『呉市史第8巻』(呉市史編纂委員会、呉市役所、19950331)
目次(抄)
| 編章節 | 頁 | タイトル | 備考 | |
| 発刊のことば | 小笠原臣也(呉市長) | |||
| 発刊にあたって | 高橋衛 | |||
| 1 | 呉海軍の解体と旧海軍施設の再編 | |||
| 1-1 | 海軍の解体と旧軍施設の転換 | 高橋衛 | ||
| 1-1-1 | 呉海軍の解体 | 高橋衛 | ||
| 1-1-1-1 | 復員業務などの推進 | |||
| 艦艇・兵器などの処理 | ||||
| 引揚対策の推進 | ||||
| 戦争犠牲者の慰霊 | ||||
| 1-1-2 | 旧軍施設の再開 | |||
| 1-1-2-1 | 旧呉海軍工廠設備の再開 | |||
| 旧第11海軍航空廠設備の再開 | ||||
| 旧軍港施設の移管 | ||||
| 旧軍施設の総合的利用計画 | ||||
| 施設賠償指定とその解除 | ||||
| 旧軍所有施設・機械の活用 | ||||
| 1-2 | 掃海業務の推進と海上自衛隊の誕生 | 平岡洋一 | ||
| 1-2-1 | 戦後の混乱と掃海活動の実態 | |||
| 1-2-1-1 | 終戦前後の掃海活動 | |||
| 組織・兵力の変遷 | ||||
| 掃海活動の成果と犠牲 | ||||
| YCクラフトと試航船 | ||||
| 1-2-2 | 海上保安庁の創設 | |||
| 1-2-2-1 | 呉航路啓開部の開設 | |||
| 航路啓開活動 | ||||
| 朝鮮戦争と第六管区海上保安本部呉航路啓開部 | ||||
| ①出動命令の発令②出動への不安と不満③「掃海艇(MS)第14号」の触雷沈没 ④その他の海域の掃海⑤掃海隊派遣の成果 |
||||
| 1-2-3 | 保安庁警備隊の誕生と呉市 | |||
| 1-2-3-1 | 警察予備隊の誕生 | |||
| 海上保安庁海上警備隊の誕生 | ||||
| 保安庁警備隊への改組 | ||||
| 呉掃海部隊の実績 | ||||
| 1-2-4 | 海上自衛隊の誕生と呉 | |||
| 1-2-4-1 | 防衛庁海上自衛隊の誕生 | |||
| 市の性格論争-軍港か商港か | 117 | |||
| 理想と現実―誘致への傾斜 | ||||
| 旧海軍施設の配分 | ||||
| 1-3 | 「旧軍港市転換法」の制定 | 高橋衛 | ||
| 1-3-1 | 旧軍施設の平和利用促進運動 | |||
| 1-3-1-1 | 敗戦と旧海軍施設 | |||
| 旧海軍施設の平和的利用を陳情 | ||||
| 旧軍港四市の連携 | ||||
| 特別法立法化の発想 | ||||
| 「旧軍港市転換法」の立案 | ||||
| 1-3-2 | 「旧軍港市転換法」の制定 | |||
| 1-3-2-1 | 法案成立促進運動 | |||
| 法案の国会上程 | ||||
| 法案の両院通過成立 | ||||
| 「旧軍港市転換法」の制定 | ||||
| 1-3-3 | 「旧軍港市転換法」の効果 | |||
| 1-3-3-1 | 「旧軍港市転換法」とその効果 | |||
| 「旧軍港市転換法」制定後の推移 | ||||
| 連合軍接収地域の返還要求 | ||||
| 1-4 | 旧海軍用地への諸企業の進出と展開 | 高橋衛 | ||
| 1-4-1 | 企業誘致運動の推進 | |||
| 1-4-1 -1 | 『旧軍港市転換法』制定以前の企業進出 | |||
| 1-4-1 -2 | 『旧軍港市転換法』と企業誘致 | |||
| 1-4-2 | 旧呉海軍工廠地区への企業進出 | |||
| 1-4-2-1 | 『尼崎製鉄株式会社 | |||
| 株式会社播磨造船所呉船渠 | ||||
| NBCインコーポレイテッド | ||||
| 日亜製鋼株式会社 | ||||
| 株式会社淀川製鋼所 | ||||
| 株式会社日立製作所 | ||||
| そ の他の企業・工場 | ||||
| 1-4-3 | 旧第11海軍航空廠地区への企業進出 | |||
| 1-4-3-1 | 広造機株式会社 | |||
| 東洋パルプ株式会社 | ||||
| 中国工業株式会社 | ||||
| 広重工業株式会社 | ||||
| 寿工業株式会社 | ||||
| その他の事業所 | ||||
| 2 | 連合軍の進駐と呉市 | 千田武志 | ||
| 2-1 | 連合軍の進駐と日本側の対応 | 千田武志 | ||
| 2-1-1 | アメリカ占領軍の進駐 | |||
| 2-1-1 -1 | 敗戦にともなう呉市民の不安 | |||
| アメリカ占領軍受入態勢の整備 | ||||
| アメリカ占領軍の呉進駐 | ||||
| 中国・四国地区への展開 | ||||
| 2-1-2 | 地方軍政機構の推移 | |||
| 2-1-2-1 | 地方軍政機構の確立 | |||
| 地方軍政機構の変更 | ||||
| 地方軍政機構と英連邦占領軍 | ||||
| 2-1-3 | 連合軍受入機関の整備 | |||
| 2-1-3-1 | 終戦連絡事務局の設立と業務 | |||
| 特別調達庁の設立と活動 | ||||
| 広島県等の受入機関 | ||||
| 呉市渉外局の設立と活動 | ||||
| 2-2 | 英連邦占領軍の形成と任務 | 千田武志 | ||
| 2-2-1 | 外交交渉の推移 | |||
| 2-2-1-1 | 対日本土侵攻英連邦軍形成への胎動 | |||
| 英連邦内の交渉 | ||||
| アメリカとの交渉 | ||||
| マッカーサー・ノースコット協定 | ||||
| 2-2-2 | 指揮と管理をめぐる諸問題 | |||
| 2-2-2-1 | 『在オーストラリア統合参謀本部の設立と諸問題 | |||
| JCOSAとオーストラリア国防機構との関係 | ||||
| 英連邦軍日本占領参加計画書」にみるBCOFの指揮と管理 | ||||
| 2-2-3 | 任務と目的 | |||
| 2-3 | 英連邦占領軍の進駐と再編成 | 千田武志 | ||
| 2-3-1 | 占領地区の決定と拡大 | |||
| 2-3-1-1 | 占領地区の決定と各国の反応 | |||
| 占領地区の拡大 | ||||
| 2-3-2 | 英連邦占領軍の進駐と展開 | |||
| 2-3-2-1 | 先遣隊の到着 | |||
| オーストラリア陸軍の進駐 | ||||
| ニュージーランド陸軍の進駐 | ||||
| 英印師団の進駐 | ||||
| イギリス海軍の進駐 | ||||
| 空軍の進駐 | ||||
| 英連邦占領軍の展開 | ||||
| 2-4 | 英連邦占領軍の組織と活動 | 千田武志 | ||
| 2-4-1 | 指令と作戦 | |||
| 2-4-1-1 | 司令部の動向 | |||
| 2-4-1-2 | 軍事作戦 | |||
| ①旧日本軍の兵器処分②出入国者の監督③その他の軍事作戦 | ||||
| 2-4-1- 3 | 情報収集 | |||
| 2-4-1- 4 | 訓練 | |||
| 2-4-1- 5 | 通信 | |||
| 2-4-1- 6 | 広報 | |||
| 2-4-2 | 人事部門等の活動 | |||
| 2-4-2-1 | 人事問題と職員の不足 | |||
| 給与等支払い | ||||
| 従軍牧師 | ||||
| 医療 | ||||
| 歯科 | ||||
| 法律 | ||||
| 憲兵 | ||||
| ①憲兵の任務②特別捜査班と捜査の概要 | ||||
| 教育 | ||||
| 慰安施設(アメニティ) | ||||
| 社会奉仕班 | ||||
| 2-4-3 | 丘站部門の活動 | |||
| 2-4-3-1 | 移動と輸送 | |||
| 兵站支援と軍事施設 | ||||
| 工事 | ||||
| 補給と輸送 | ||||
| 軍需品の補給 | ||||
| 電気および機械工兵 | ||||
| 酒保 | ||||
| 郵便 | ||||
| 軍需品回収 | ||||
| 印刷と文房具 | ||||
| 2-5 | 朝鮮戦争勃発後の英連邦軍 | 千田武志 | ||
| 2-5-1 | 朝鮮戦争の勃発と英連邦軍の活動 | |||
| 2-5-1-1 | 朝鮮戦争の勃発と英連邦軍諸国の派兵 | |||
| 英連邦朝鮮派遣軍への兵站支援 | ||||
| 2-5-2 | 国連軍協定をめぐる諸問題 | |||
| 2-5-2-1 | サンフランシスコ講和条約の締結と発効 | |||
| 2-5-2-2 | 国連軍協定の締結 | |||
| 2-5-3 | 英連邦朝鮮派遣軍の引揚げと施設の返還 | |||
| 2-5-3-1 | 朝鮮休戦協定の締結と国連軍施設の返還 | |||
| 国連軍の撤退にともなう施設の返還 | ||||
| 2-6 | 連合軍と呉市民 | 千田武志 | ||
| 2-6-1 | 連合軍の受入れと市民感情 | 千田武志 | ||
| 2-6-1-1 | 連合軍の進駐と対応 | 千田武志 | ||
| 労働者との交流 | 千田武志 | |||
| 市民との交流 | 千田武志 | |||
| 相互の誤解と理解 | 千田武志 | |||
| 2-6-2 | フラタニゼーション・ポリシーの実態 | 千田武志 | ||
| 2-6-2-1 | スフラタニゼーション・ポリシーの発令 | 千田武志 | ||
| 2-6-2-2 | 英連邦占領軍軍人の結婚にたいする方策の決定 | 千田武志 | ||
| ①COSAによる指針の策定②英連邦占領軍による方針の具体化 | 千田武志 | |||
| 2-6-2-3 | フラタニゼーション・ポリシーの推移 | 千田武志 | ||
| ①フラタニゼーションーポリシーの実施と矛盾②占領政策の変更とフラタニゼーション・ポリシーの転換 | 千田武志 | |||
| 2-6-2-4 | 「戦争花嫁」の状況とその帰結 | 千田武志 | ||
| 2-6-3 | 連合軍をめぐる犯罪 | 北村恒信 | ||
| 写真一覧 | ||||
| 編集後記 |
『呉市史 第7巻』(呉市史編纂委員会・呉市、19930331)
目次()
| 編章節 | タイトル | 備考 | |
| 発刊のことば | 佐々木有(市長) | ||
| 1 | 戦後の市民生活 | ||
| 1-1 | 再建・復興期の呉市の動向 | 千田武志 | |
| 1-2 | 民主政治の推進 | 千田武志 | |
| 1-2-6 | 治安・消防と災害 | 北村恒信 | |
| 1-3 | 経済の再建・復興 | 高橋衛 | |
| 1-3-5 | 農林水産業の変様 | 千田武志 | |
| 1-4 | 都市基盤の整備 | 千田武志 | |
| 1-5 | 戦後の教育と文化 | ||
| 1-5-1 | 新教育制度の発足と充実 | 藤原浩修 | |
| 1-5-2 | 文化 | 千田武志 | |
| 1-5-3 | 宗教 | 千田武志 | |
| 1-5-4 | スポーツ活動 | 千田武志 | |
| 1-6 | 社会運動と社会福祉の新展開 | ||
| 1-6-1 | 労働組合の結成と労働運動の高揚 | 天野卓郎 | |
| 1-6-2 | 社会運動の進展 | 天野卓郎 | |
| 1-6-3 | 社会福祉の展開 | 千田武志 | |
| 1-6-4 | 失業問題とその対策 | 千田武志 | |
| 1-7 | 医療・衛生事業の推進 | 千田武志 | |
| 1-8 | 復興期の市民生活 | 千田武志 | |
| 2 | 合併町村 | 千田武志 | |
呉市史第6巻(呉市史編纂委員会・呉市、19880331)
目次
| 編章節 | 見出し | 備考(執筆者など) | |
| 1 | 呉海軍 | 高橋衛 | |
| 1-1 | 呉鎮守府 | ||
| 1-1-2 | 戦時下の呉海軍 | ||
| 1-1-2-2 | 太平洋戦期の呉海軍 | ||
| 1-1-2-2-1 | 太平洋戦争の勃発 | ||
| 1-1-2-2-2 | 戦時下呉海軍の活動 | ||
| 1-1-2-2-3 | 呉軍港への空襲 | ||
| 1-1-2-2-4 | 組織・制度の変遷 | ||
| 1-1-2-2-5 | 戦時下の呉鎮守府司令長官 | ||
| 1-1-2-2-6 | 敗戦 | ||
| 1-2 | 呉海軍工廠 | ||
| 1-3 | 広海軍工廠・第11航空廠 | ||
| 1-4 | 呉海軍と市民 | ||
| 2 | 合併町村 | 千田武志 | |
| 2-1 | 周辺町村の合併 | ||
| 2-2-1 | 阿賀町 | ||
| 2-2-4 | 吉浦町 | ||
| 2-5 | 広村 | 山中寿夫 | |
呉市史関係出版物一覧
| 発行年月日 | 書名 | 著・編・刊 | 備考 |
| 19560325 | 呉市史 第1巻 | 呉市史編纂室編・呉市役所刊 | U。松本賢一(市長) |
| 19590531 | 呉市史 第2巻 | 呉市史編纂室編・呉市役所刊 | U。 |
| 1964 1225 | 呉市史 第3巻 | 呉市史編纂室編・呉市役所刊 | U。 |
| 呉市史 第4巻 | |||
| 呉市史 第5巻 | |||
| 19880331 | 呉市史 第6巻 | 呉市史編纂委員会、呉市 | 佐々木有(市長) |
| 19930331 | 呉市史 第7巻 | 呉市史編纂委員会、呉市 | 佐々木有(市長) |
| 19950331 | 呉市史 第8巻 | 呉市史編纂委員会、呉市 | 小笠原臣也 |
呉空襲を記録する会設立総会(宇吹メモ)19741124<作業中>
| 1974年11月24日 於勤労会館 |
| 呉空襲を記録する会設立総会 20人参加 |
| 1)司会挨拶(大田) |
| 2)呼びかけ人代表挨拶 |
| 3)経過報告 |
| 4)規約審議 |
| 当面の運動方針 |
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| 「呉戦災を記録する会」規約(案) 1974年11月24日 |
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呉歴史教育者協議会例会(19731013)宇吹メモ
| 1973年10月13日 呉歴史教育者協議会10月例会 於:呉勤労会館 |
<作業中>![]() |
『今、平和のために-戦災・空襲を記録する会全国連絡会議第10回記念那覇大会報告書 』(那覇市企画部市史編集室、19801025)
内容
| 刊行にあたって | 平良良松( 那覇市長) | ||
| 1 | 映画と講演の夕べ | ||
| あいさつ「平和は自治体の責務」 | 平良良松 | ||
| あいさつ 「反戦と平和の叫びを」 | 池宮城秀意 | ||
| 記念講演 「庶民と戦争」 | 松浦総三 | ||
| 記念講演 「空襲・沖縄・アウシュビッツ 」 | 早乙女勝元 | ||
| 2 | 連絡会議 | ||
| 開会のあいさつ | 今井清一( 横浜の空襲を記録する会) | ||
| 開催市長あいさつ | 平良良松( 那覇市長) | ||
| メッセージ 各市長/各団体・個人 | |||
| 全国連絡会議基調報告 | 松浦総三(議長) | ||
| 2-1 | 各記録する会活動報告 | ||
| 2-2 | 沖縄からの報告 | ||
| 2-3 | 文書報告と発言 | ||
| 総括 | 早乙女勝元 | ||
| アピール | |||
| 3 | わたしの思いわたしの決意 | ||
| 早乙女勝元 | |||
| 林 | |||
| 大田英雄 | |||
| 4 | 参加団体一覧表 |
空襲・戦災を記録する会全国連絡会議http://kushusensai.net/
第1回 東京 1971年8月14日
第2回 東京 1972年8月12日
第3回 名古屋 1973年8月11日
第4回 横浜 1974年8月11日
第5回 神戸 1975年8月9日
第6回 宇都宮 1976年8月7日
第7回 福山 1977年8月7日
第8回 岡崎 1978年8月5日
第9回 高松 1979年8月11日
第10回 那覇 1980年8月1日
第11回 箱根 1981年8月11日
第12回 佐世保 1982年8月7日
第13回 仙台 1983年8月5日
第14回 呉 1984年8月4日
第15回 大阪 1985年8月10-11日
第16回 高知 1986年7月5日
第17回 福井 1987年7月2日
第18回 姫路 1988年7月2日
第19回 京都 1989年8月5日
第20回 横浜 1990年7月28日
第21回 愛知 1991年7月27日
第22回 宇都宮・水戸 1992年8月7日
第23回 米子 1993年7月24日
第24回 大阪 1994年7月30日
第25回 高知 1995年7月29日
第26回 宇和島 1996年7月27日
第27回 富山 1997年8月9日
第28回 岐阜 1998年7月19日
第29回 岡山 1999年7月24日
第30回 神戸 2000年7月29日
第31回 東京 2001年8月11日
第32回 福井 2002年7月27日
第33回 豊橋 2003年7月25日
第34回 横浜 2004年7月23日
第35回 長岡 2005年8月1-2日
第36回 今治 2006年7月29-30日
第37回 前橋 2007年8月4-5日
第38回 青森 2008年8月23-24日
第39回 八王子・多摩 2009年7月25-26日
第40回 東京 2010年8月21-22日
第41回 大牟田 2011年8月20-21日
第42回 愛知 2012年8月25-26日
第43回 函館 2013年8月24-25日
第44回 神戸 2014年8月23-24日
第45回 東京 2015年8月22-23日
第46回 仙台 2016年8月27-28日
出典:全国大会 – 空襲・戦災を記録する会全国連絡会議 (kushusensai.net)
全国連絡会議全国大会開催状況(抄)
| 回 | 年月日 | 開催地 | 備考 |
| 01 | 19710814 | 東京 | |
| 07 | 19770807 | 福山 | |
| 「福山空襲の記録運動の中で」 (岡田智晶) | |||
| 10 | 19800801 | 那覇 | |
| 『今、平和のために(那覇市史だより)第16・17・18号』 | |||
| 12 | 19820807 | 佐世保 | |
| 14 | 19840804 | 呉 | 資料一括あり |
『呉の戦災 あれから 半世紀くりかえすな』(呉戦災展実行委員会編、呉戦災を記録する会刊、19950622)目次
| 備考 | ||
| はじめに―被災50周年記念が問いかけるもの | ||
| 朝倉郁夫(呉戦災を記録する会) | ||
| Ⅰ | 戦争への道 | |
| 1 | 呉と海軍・海軍工廠 | |
| 2 | 日中15年戦争とアジア・太平洋戦争のはじまり | |
| 3 | 日本の戦争加害 | |
| Ⅱ | 戦時体制と空襲 | |
| 1 | 戦時体制下でのくらし | |
| 2 | 日本への空襲 | |
| Ⅲ | 呉の空襲 | |
| 1 | 呉が「真珠湾攻撃」された日 | |
| 2 | 恐怖の白昼爆撃 | |
| 3 | 呉海軍工廠、壊滅 | |
| 4 | 呉市街地夜間無差別大空襲 | |
| 5 | 帝国海軍、最後の日 | |
| 6 | 爆弾と焼夷弾 | |
| 7 | 原爆投下計画と呉 | |
| 8 | 呉空襲の特色 | |
| Ⅳ | 呉の現在 | |
| 1 | 呉と基地 | |
| 2 | 呉の戦災遺跡 | |
| Ⅴ | 資料と参考文献 | |
| 1 | 呉空襲の記録とアメリカ軍の記録 | |
| 2 | 参考文献 | |
| おわりに―呉の戦後は終わっていない | ||
| アジア・太平洋戦争および呉の戦災 略年表 | ||
| 編集委員:朝倉邦夫(呉戦災を記録する会)、是恒高志(全教広島海田支部)、武智碩一(歴史教育者協議会)、林茂(非核の呉港を求める会)、平岡典道(高教組平和教育推進部)、平賀伸一(呉戦災を記録する会)、吉田昭雄(呉戦災を記録する会) | ||
『改訂版 呉空襲記』(中国新聞呉支社、19790531<初版発行は19751220>)
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| 007 | 海軍管理都市 | |
| 憲兵隊が呉市長を逮捕 目隠しの生活 サイレンで年明け |
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| 014 | 三月十九日 | |
| 初の爆撃に衝撃 民間の死者29人 土佐沖から350機 民家に爆弾直撃 国民学校も破壊 |
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| 022 | 広・11空廠 | |
| B29百三十機が来襲 待避ごうを直撃 動員学徒も死ぬ 機械500台が被害 ものすごい爆風 |
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| 031 | 呉工廠 | |
| 20分間隔で爆撃 電動機吹き飛ぶ やっと警報解除 早瀬地区(音戸)に爆撃 隣組全員命拾い 爆弾投下336発 |
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| 爆弾投下336発(抄) 製鋼部は第二甲鈑鍛錬工場、製鋼実験部付近、第一製鋼工場に集中投下された。 第一製鋼工場にいた広島県賀茂郡豊栄町、農業柳井順三さん(60) の記憶。 「爆撃の威力は相当なもので、ごうの前にあった爆風よけのコンクリートが基部から完全に爆破され跡片もなくなっていた。 午後からガス工場を見回っていると、発生炉のそばにある水そうに爆弾が落下し、水そうの横をレールが通っていて、そこに止まっていた機関車は爆風で持ち上げられ脱線していた。 鋳物に使う約1トンの鉄の円盤が30メートル余り吹き飛ばされ、高さ10数メートルもある鋳物工場の屋根に投げ上げられていた」<柳井順三は宇吹の義父> |
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| 042 | 市街地 | |
| B29八十機が来襲 全市が火の海 家族もバラバラ ごうで550人死ぬ 一夜で焦土 前進はばむ炎と煙 海軍施設でも被害 投下焼イ弾8万個 焼け跡で炊き出し もう日本はダメ |
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| 060 | 呉沖海空戦 | |
| 係留艦の燃料なし 艦載機870機が猛爆 戦艦「伊勢」に空爆 民家に米軍機墜落 「青葉」も大破、着底 「日向」夜通し炎上 ロケット弾サク裂 重巡「利根」も大破 「大淀」に水平爆撃 無傷「榛名」に猛爆 8艦で死者839人 |
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| 079 | 広島被爆 | |
| 被爆者救援 海軍救護隊も出動 |
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| 083 | 終戦 | |
| 忘れられぬ記憶 玉音放送に涙 戦災の跡に台風 焼け野原に驚く 代用食でしのぐ |
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| 093 | 海軍解体 | |
| GHQ命令出る 水道を市に移管 機雷掃海を要求 |
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| 099 | 米軍進駐 | |
| 早速戦犯を追及 弾薬を海に投棄 遺骨も同時収容 |
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| 104 | 慰霊の軌跡 | |
| 炎天下650人参列 先細る慰霊法要 25年ぶり奉納へ 二つの碑を建立 市の手で慰霊を |
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| 114 | 歳月 | |
| 支給されぬ年金 焼イ弾右腕奪う 「よう生きて…」 まず幹線道造り 広がる記録運動 |
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| 124 | 被災地広がる | |
| 尾道市 県下初の空襲 福山市 市街地の八割を焼く 岩国市 終戦前日の猛爆 徳山市 無差別爆撃で廃墟 光市 一瞬で散った動員学徒 宇部市 空と地上からの火柱交錯 下関市 海峡も陸上も墓場に |
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| 147 | 呉空襲関係資料 | |
| 広島県下に於ける空襲被害状況表 呉空襲被害一覧表 広・11空廠工場配置と待避ごう位置図 昭和20年呉市の警報発令状況 呉市学童疎開先一覧表 勤労動員一覧表 第二次世界大戦関係雑件(被害調査)(呉市に関する報告) 呉沖海空戦の主な軍艦と戦歴 |
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| 181 | あとがき | |
『占領下の「原爆展」-平和を追い求めた青春』(小畑哲雄、かもがわ出版、19950625)
目次
| プロローグ | |||
| 祇園ばやしのひびく中で/「掘り起こしの会」の発足 | |||
| 1 | 事前の大宣伝活動 | ||
| 走る列車に飛びのるように/宣伝の武器、小原爆展とスチール展 | |||
| 2 | わだつみの声にこたえて | ||
| 春の文化祭/大田洋子さんら迎え原爆講演会/「総合原爆展」にむけて/「原爆体験記」を発行 | |||
| 3 | 忘れることのできない二人の先生 | ||
| 天野重安先生のこと/西山卯三先生のこと | |||
| 4 | 熱気のこもる会場 | ||
| デパートの催し会場で/「原爆の図」/K君の思い出/パネルと展示品/M教官の思い出/平和を求めてこれを追うべし | |||
| 5 | 相つぐ妨害と弾圧 | ||
| 原爆の真実を知らせないアメリカ/10日間で入場者3万人/陰険な弾圧 | |||
| 6 | 原爆展、各地にひろがる | ||
| 専門分野の知識生かし/帰郷活動とも結びついて/原爆展、東京へ/前線基地横浜で/京大内での原爆展を/「天皇事件」と同学会解散 | |||
| 7 | エピローグ | ||
| 一九九四年秋、広島にて/E=MC2 の語るもの/平和を追い求めた青春 | |||
『非戦を生きる-高良とみ自伝』(高良とみ、ドメス出版、19830325 )
目次
| 章 | ||
| プロローグ | ||
| Ⅰ | 生いたち | |
| 婦人運動の先駆者、母邦子 | ||
| 父のこと | ||
| キリスト教の家 | ||
| 寄宿舎生活 | ||
| タゴールとの出会い | ||
| 「中条百合子<宮本百合子>さんについて」 | ||
| Ⅱ | 行動する心理学者として | |
| アメリカ留学 | ||
| 女子教育者として | ||
| 「友和会設立」 | ||
| 暗い時代へ | ||
| 「空襲・疎開・敗戦」 | ||
| Ⅲ | 平和を求めて | |
| 復興への息吹の中で | ||
| 呉市助役として | ||
| 戦後初の婦人議員に | ||
| 極東裁判の印象 | ||
| 新憲法発布 | ||
| 緑風会へ | ||
| 世界平和者会議ヘ | ||
| ローマ法王に戦犯の減刑請願 | ||
| 全インド婦人会議 | ||
| 全面講和か片面講和か | ||
| 売春防止法制定にむけて | ||
| “鉄のカーテン”をくぐる | ||
| モスクワへの道 | ||
| モスクワでのこと | ||
| モスクワ経済会議 | ||
| グロムイコ会見 | ||
| モスクワ見聞記 | ||
| シベリアのラーゲル訪問 | ||
| 日中第一次貿易協定を結ぶ | ||
| 新しい中国の内側 | ||
| スイスの赤十字へ | ||
| 高良とみ帰国歓迎会 | ||
| 日本婦人団体連合会結成 | ||
| 在中国同胞引揚げ交渉に再び北京ヘ | ||
| アジア・アフリカの婦人と共に | ||
| 「妻として母として」 -内側から見た高良とみ |
高良留美子 | |
| 解説 | 柘植恭子 | |
| 高良とみ年譜 | ||
こうの史代:女性漫画家、イラストレーター
代表作
『夕凪の街 桜の国』(双葉社、200408刊)
『この世界の片隅に』
『夕凪の街 桜の国』(双葉社、双葉文庫、20080420)
夕凪の街=被爆10年後の広島が舞台
桜の国=42年後~59年後の東京と広島が舞台
『波乱の生涯を全力でつくした七十年の斗魂』(金本邦夫著、財団法人富士社会教育センター刊、19960520刊)目次抄
| 章節 | |||
| 出版に寄せて | |||
| はじめに | |||
| 1 | 小さい頃と両親のこと | ||
| 2 | 小学校時代のこと | ||
| 3 | 青年団活動 | ||
| 4 | 大東亜戦争のこと | ||
| 4-12 | 原爆と終戦 | ||
| 5 | 音戸町体育協会のこと | ||
| 6 | 全力つくした町議会議員 | ||
| 6-1 | 戦後第1回統一地方選挙に出馬。<音戸町議員> | ||
| 6-2 | 戦争未亡人救済の町営授産場設立に努力 | ||
| 6-3 | 町立保育所の設立を実現 | ||
| 6-4 | 音戸高等学校誘致に死力をつくす | ||
| 7 | 呉造船労働組合時代 労働運動に生涯をかける決意 | ||
| 7-1 | 労働運動に入るきっかけ | ||
| 7-2 | 給料遅配に特別交渉委員。出征兵士見送り同様の壮行会で上京 | ||
| 7-6 | 全国初の厚生年金還元融資の串山住宅 | ||
| 7-7 | 中国労災病院呉誘致に一役買う | ||
| 7-9 | 呉造船独立と労働組合 | ||
| 7-10 | 生協売店市中進出反対デモの応対。本部建設に一役、音戸取次所を自宅に | ||
| 7-12 | 労働組合長に就任 | ||
| 7-13 | 年満者夫婦の招待慰安旅行の実施 | ||
| 7-16 | 組合特自の共済規定の実現 | ||
| 7-17 | 家族会の結成と家族相談室の設立 | ||
| 7-19 | 年満者引続き雇用を要求・遂に呉船産業株式会社設立を実現 | ||
| 7-20 | 毎日新聞全国版(1961年2月4日)に40代の顔として紹介される | ||
| 7-22 | 組合結成十五周年記念事業として十五年史発刊と会館建設を実施 | ||
| 8 | 広島全労議長として活躍 | ||
| 8-1 | 造船総連、総同盟等の上部役員 | ||
| 8-2 | 広島全労議長に就任 | ||
| 8-3 | 県関係の各種委員に任命される | ||
| 8-4 | 日本生産性本部米国派遣視察。労働者チーム十二名の団長として | ||
| 8-4-1 | 出発に郷里で見送り壮行会 | ||
| 8-4-2 | いよいよアメリカ、主要都市周辺のこと | ||
| 8-4-3 | 労働組合が国旗と組合旗を尊重 | ||
| 8-4-4 | 徹底している産業別組織の確立。大手鉄鋼会社で県出身二世課長の案内 | ||
| 8-4-5 | 組合大会を見学、幹部と懇談。働きすぎの日本におひやかされる | ||
| 8-4-6 | 日系人のこと | ||
| 8-4-7 | 手土産と家庭訪問 | ||
| 8-4-8 | 余話 | ||
| 8-5 | 最賃法裁判で基準局賃金課長を激励 | ||
| 8-7-1 | |||
| 8-6 | 憲法調査会の公述人として意見陳述 | ||
| 8-7 | 核禁会議の結成で原水協とテレビ対決 | ||
| 8-8 | 労済、労住、労福協の結成 | ||
| 8-8-1 | 植木仙次郎氏8-5の功績 | ||
| 8-8-2 | 広島県労働者共済生活協同組合の設立 | ||
| 8-8-3 | 広島県労働者住宅生活協同組合の設立10月 | ||
| 8-8-4 | 広島県労働者福祉対策協議会結成 | ||
| 8-8-5 | 結成周年記念式典の思い出 | ||
| 8-8-6 | 焼山政畝団地造成の思い出 | ||
| 8-8-7 | 音戸波多見竹田浜埋立団地に | ||
| 8-9 | 労働争議の斡旋、調停、指導 | ||
| 8-9-1 | 西美電気西光精機(現テンパール工業) | ||
| 8-9-2 | 府中町静養院の争議 | ||
| 8-9-3 | ニコニコバスの争議 | ||
| 8-9-4 | 日東製網の争議解決に努力 | ||
| 8-9-5 | 佐竹新労結成は暴力を排除して | ||
| 8-9-6 | 激しかった当時の労働争議 | ||
| 8-9-7 | 国鉄、電産のスト、労使に苦言 | ||
| 8-9-8 | 地労委としての私の基本的考えと携わった事件 | ||
| 8-9-9 | |||
| 8-9-10 | メーデー改善を訴える | ||
| 8-9-11 | 講演依頼やテレビ、ラジオの対談。常にマスコミの対象にされる | ||
| 8-9-12 | 同盟会議結成の準備と全労議長退任 | ||
| 9 | 職場復帰で全力投球 社長表彰、更に営業で実績 | ||
| 10 | PTA活動と小、中学校の分離推進で中学校建設に献身 | ||
| 11 | 生涯民社党を貫く | ||
| 12 | 思い出深い選挙活動 | ||
| まえがき | |||
| 12-1 | 衆議院議員前田栄之助先生を支えて | ||
| 12-2 | 民社党結党直後の衆院選、私に出馬要請されるも遂に辞退 | ||
| 12-3 | 永野巖雄先生とのかかわり | ||
| 12-4 | 二区衆議院選に香河直祐氏。選対委員長を引受けて闘う | ||
| 12-5 | 山田節男先生と私。参議院選挙と広島市長選挙 | ||
| 12-6 | 浜田光人先生、衆院選擁立について | ||
| 12-7 | 保野健治郎先生の選挙 | ||
| 12-7-1 | 呉市長選擁立に社公民三党の話合い | ||
| 12-7-2 | 二回目の市長選は未曽有の激戦 | ||
| 12-7-3 | 衆院二区に擁立して健闘。事務長を引受ける | ||
| 12-8 | 小西博行先生擁立に主役。経緯と参院選 | ||
| 12-9 | 永末英一選対委員長来呉で二区衆院候補擁立について話合う | ||
| 12-10 | 全国初の公民協力、勝谷勝弘氏を支援 | ||
| 12-11 | 盟友玉野晃君と県会議員選挙 | ||
| 12-12 | 玉野君病で引退説得を依頼される。後任混乱。私は苦しみ抜き、党のため遂に候補受諾 | ||
| 12-13 | 次期県議候補に柳田稔氏を説得 | ||
| 12-14 | 参院地方区佐々木秀隆候補は呉支部党員 | ||
| 12-15 | 呉市議選につくした私の役割 | ||
| 12-15-1 | 組合長在任中二回の補欠選挙に勝利 | ||
| 12-15-2 | 出崎文三氏をわが社社員で市議へ | ||
| 12-15-3 | 榊原伍市議との交友 | ||
| 12-15-4 | 横田勝信市議とのこと | ||
| 12-15-5 | 民社の申し子、重盛親聖市議。永年の結びつきと選挙を思う | ||
| 12-15-6 | 組織外から森岡よし子氏擁立に一役。平成七年統一地方選に初の女性市議 | ||
| 12-15-7 | 成功しなかった市議選 | ||
| 12-16 | 川尻町長選に花田博幸氏、惜敗する | ||
| 12-17 | 音戸町長選(平成五年)を思う | ||
| 12-18 | 公職選挙法違反で留置場十九日。会社、団体等役員十九件を辞任 | ||
| 12-19 | 民社党候補者探しは私の役目として努力 | ||
| 13 | 会社設立し理想に向って | ||
| 13-1 | IHIを中途退職して外で行動 | ||
| 13-2 | 株式会社くれせん設立 | ||
| 14 | 家庭、家族のこと | ||
| 15 | 大東亜戦争戦没者慰霊碑建設と老人福祉施設の建設を希求して | ||
| むすびに | |||
| 金本邦夫略年譜 |
日本遺産「鎮守府 横須賀・呉・佐世保・舞鶴」
2016(平成28)年4月に、4市のストーリー「鎮守府 横須賀・呉・佐世保・舞鶴 ~日本近代化の躍動を体感できるまち~」が、日本遺産に認定。
認定ストーリー『鎮守府 横須賀・呉・佐世保・舞鶴 ~日本近代化の躍動を体感できるまち~』
PDFファイル:報道発表資料