2023年2月(日録)
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2023年2月(日録)
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2023年1月(日録)
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フェイスブックより(2014年)
20140107撮影: 広島平和記念資料館 |
20140209 撮影: ふりかえりの塔 広島市・千田町1丁目 |
20140221撮影: 世界遺産ミーソン遺跡(ベトナム)=この大きな穴はアメリカ軍機の爆撃によりできた。ほかにもあったが、これだけを保存している由 |
20140314:可部線終点 場所: 広島市安佐北区可部町 |
20140324:平和大橋(広島市)から見る |
20140328: このアングルで原爆ドームが見えるのは冬から今にかけてだけ |
20140730:初めてのMAZDA Zoom-Zoom スタジアム。 ピースナイター2014。カープが9―2で中日戦に勝利。 |
20140806:平和公園バラ園より原爆ドームを遠望ー 場所: 広島市平和公園 |
20140807:広島市霞町・広島大学医学資料館 広島大学原爆放射能医学研究所附属原爆被災学術研究センターの看板 |
2014年8月20日 7:20 広島市安佐北区可部東6丁目から届いたメールの添付写真 |
20140920:世界平和記念聖堂献堂60周年一般公開(広島市中区幟町) |
20141026:反原発デモの終結集会(広島市・平和公園) |
20141122:世界遺産「安芸の宮島&ひろしまツーデーウォーク(第1日)」(広島県廿日市市 宮島) |
20141123:世界遺産「安芸の宮島&ひろしまツーデーウォーク(第2日)」(広島市中区ハノーバ広場) |
20141206:合唱の練習風景 静かな公園に響き渡る歌声(広島市平和公園) |
20141207:パール博士(東京軍事裁判インド代表判事)筆慰霊碑在当山(本照寺)(広島市中区小町) |
20141214:鳩魂塔(東京都千代田区・靖国神社) |
輜重兵第五聯隊馬碑(基町、1928年建立)と馬魂碑(比治山、1937年建立)ー開幕まえのひろしま菓子博会場周辺と比治山を散策中撮影 4月18日 |
HIBAKU+PIANO+PEACECONCERT+from+HIROSHIMA
原爆ドームの壁の調査 6月17日 |
車が進入禁止となった広島平和大通りー原爆資料館南側から東方を望む 8月6日 |
花輪撤去作業中の原爆慰霊碑前
献花台東側(写真右。撤去済)=広島市長 広島市議会議長 遺族代表・こども代表 遺族代表(市内代表1名、都道府県代表2名) 被爆者代表(市内代表2名)、被爆者代表(県内代表2名)、長崎市民代表(市長、市議会議長、被爆者代表) 国際連合総会議長 国際連合事務総長 姉妹・友好都市代表 |
第59回広島平和美術展
問:原爆記念日の行事ではなかったの? 答:会場が取れなかったから。 8月27日 |
鷺?(背景は本川橋・平和公園) 2013年9月6日 |
オランダの芸術家が作製した「連鶴」。 幅15cm、長さ150mの一枚の紙で折られている。 長崎原爆資料館 2013年9月10日 |
救護所メモリアル 新興善国民学校跡。かつて市内最大の被爆者収容所 場所:長崎市立図書館 2013年9月11日 |
東本願寺長崎教会・原子爆弾災死者収骨所 真宗大谷派長崎教務所。道に迷って偶然出会う。 場所:長崎市筑後町 2013年9月12日 |
広島市役所旧庁舎の被爆石ー歩道と車道の間に設置 場所:広島市大手町 2013年9月23日 ・ |
原爆瓦を貼った玄関(広島YMCA)の柱 場所:広島市中区八丁堀 2013年9月27日柱に埋め込まれた金属板の文章 *鎮魂 1981年12月6日 広島県高校生平和ゼミナール *私たちは、世界平和を願い 原爆瓦を後世に伝えます 1981年12月12月26日 広島YMCA |
Site of Former Chugoku Military Police Headquarters 中国軍管区司令部跡地の銘板(宝ビルの県庁側壁面) 場所:広島市中区基町12-8 2013年10月14日 ・The atomic bomb dropped on Hiroshima August 6,1945 devastated the city and its people with a force beyond any known before. U.S. Air Force and U.S. Navy airmen interned as POWs at the Chugoku Military Police Headquarters which was located at this site, near the epicenter, were among the victims of this holocaust. This plaque is placed in memory of these brave and honorable men. May this humble memorial be a perpetual reminder of the savagery of war.1998.7.29 |
広島市立中央図書館 2013年11月14日 ・ |
耐震強度調査の始まった原爆資料館 2013年12月11日 |
広島市まんが図書館(右建物)と御便殿跡に建造された構造物(左奥) ーまんが図書館で中沢啓治の「はだしのゲン」を閲覧 2013年12月13日 |
2013年12月15日 ・三良坂平和美術館。向って左手にある三良坂コミュニティセンター内の山代巴記念室も見学。 場所:広島県三次市。 |
宇吹フェイスブックより
松本徳彦(公益社団日本写真家協会専務理事)「東方社か |
広島クレド11階より基町を望む 2012年8月15日
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原爆ドームの全体を撮影しようと動き回ったらこの場所に
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三ツ蔵(呉の重要文化財 旧澤原家住宅見学会) 2012年10月12日
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旧高烏砲台兵舎 2012年10月18日 |
世界の子どもの平和像 東京大空襲・戦災資料センター(東京都江東区北砂1-5-4)玄関前 2012年10月19日 |
岡本太郎作「歓心」 持田製薬株式会社(東京都新宿区四谷1-7)玄関前 2012年10月20日 |
旧広島市民球場跡地に設置された工事壁の透明窓に映った原爆ドーム 2012年11月9日 |
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日録(2018年1月)
日 | 事項 |
1日 | ヒロシマ遺文開設。作成のため利用するWordPressの基礎を理解するために約1週間かかる。 |
1~ | ヒロシマ遺文の カテゴリー(目次のようなもの)の構築へ挑戦。とりあえず過去に作成・公開していたデジタルデータを投稿。 |
20 | 木村逸司さんの中国文化賞を祝う会。 |
25 | 第25回広島平和記念資料館展示検討会議(最終回) |
25 | 広島原爆被爆からの日数26470日(「地球平和監視時計」情報) |
25 | 地球滅亡まであと2分(米科学誌「ブレティン・オブ・ジ・アトミック・サイエンティスツ」発表の「終末時計」情報) |
25 | 平和公園取材(原爆慰霊碑など撮影) |
26 | 「投稿」原稿作成途中でWikipediaが充実してきていることを知る。一般的な項目は、Wikipediaの紹介に譲り、ヒロシマ遺文では、自分史との関連で取り上げることとする。 |
27 | 広島市内千田町・大手町取材(原爆慰霊碑・被爆建造物など撮影) |
28 | スマホ(VAIO)購入。明日からフェイスブックやヒロシマ遺文への画像投稿作業が容易になることを期待。 |
29~ | 1月分の新聞(3紙)の切り抜きと整理。最近1年間に受贈した本の整理。 |
日録(2018年2月)
日 | 事項 |
02 | 「01月忌(一覧)」、「 02月忌(一覧)」を作成。 |
03 ~ | 過去のデジタルデータを順次投稿。 |
07 | ~8日。 広島平和文化センター編『平和事典』(1985年)を読む。目次(広島平和記念資料館「平和データベース」からダウンロード)に読んだ項目の執筆者を記入。 |
09 | 「「平和事典」執筆者」を投稿。 |
日 | 事項 |
05 | 「03月忌」に「内田恵美子」を投稿。 |
09 | 「02月忌(一覧)」「03月忌(一覧)」を投稿。 |
17 | 似島(広島市南区)原爆碑・原爆遺跡調査。 |
日 | 事項 |
02 | 実家と自宅で花を撮影。「ヒロシマ遺文」に投稿。 |
0 2 | ~3日。『広島県現代文学事典』(岩崎文人編、勉誠出版、2010.12.20刊)を読む。 |
05 | 「ヒロシマ遺文」 に、「秦野裕子」を「人物」に投稿、「講座ヒロシマ20020929戦後政治と原爆被害者の動向-原爆死没者追悼と政府の対応」を「その他」に投稿 |
06 | 「ヒロシマ遺文」 に,「戦争と平和の旅1993年1月25日~30日」を投稿 |
08 | 「阪神・淡路大震災記念 人と防災未来センター 1995.1.17」見学。 |
14 | My little concert(私のコンサート)<被爆ピアノによる演奏・伴奏>鑑賞。会場:旧日本銀行広島支店。 |
20 | 「大阪空襲を語り継ぐ平和ミュージアム=ピースおおさか」見学 |
20 | 「阪急古書のまち」で記念切手「広島平和記念都市建設(バラを持つ女性)」(1949年8月6日発行)購入。 |
27 | 『灰墟の光 甦るヒロシマ』(ロベルト・ユンク著、原田義人訳、文芸春秋、1961年2月10日刊)を読み始める。 |
日 | 事項 |
1 | 新聞切り抜きと記事の分類整理。 |
9 | ヒロシマ遺文 の「出来事―年表(テーマ別)」に「メーデー(広島)年表」を投稿 |
10 | ~12日。広島県史編さん室勤務時の資料を整理。 |
14 | NNNドキュメント「南京事件Ⅱ~歴史修正を検証せよ」を視聴。0 |
18 | 原爆放射線医科学研究所 附属被ばく資料調査解析部を訪問。 |
20 | 「風のように炎のように-峠三吉追悼集」の詳細目次を作成にヒロシマ遺文に投稿 |
22 | ヒロシマ遺文 の「出来事」に「編年資料:ヒロシマ」(1945年~1960年分)を投稿。過去に収集した資料のタイトルを年ごとに目録化したもの。 |
23 | 『日本労働年鑑 大原デジタルライブラリー』(大原社会問題研究所)を読み始める。http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/rn/index.html |
25 | フェニックス広島号の冒険(アール・レイノルズ著) を読む。 |
26 | 森滝日記の新聞連載のデータを整理。 |
28 | 「特別調査一件(広島県総務部地方課) 」を読む。 |
日 | 事項 |
1 | ヒロシマ遺文への投稿。「広島県労働年鑑」を読む。5月分の新聞切り抜き作業。 |
1 | フタバ図書(県内各店舗)で被爆70年史の予約を開始。販売時期:7月28日。 |
2 | 夜の散歩中、実家の川沿でホタル3匹確認。 |
2 | 「平和記念式典」関係資料の整理。ヒロシマ遺文への投稿。 |
3 | 『中国新聞』14~17面に大学徹底研究「広島県の大学へ行こう」(企画特集・PRのページ)。これによると、県内には「ヒロシマ」を学べる大学がない。私の見落としか? |
6 | ~8日。ヒロシマ遺文への投稿。「原爆報道」 |
9 | ヒロシマ遺文への投稿。「国連」。「科学者会議」。「自治研」など。 |
10 | ヒロシマ遺文への投稿。「国際シンポ」など。 |
11 | ヒロシマ遺文への投稿。「ヒバクシャ―ともに生きる」など |
12 | 呉市立図書館へ。早朝、ネットで予約した「地域社会福祉史入門」(田代国次郎著)を受け取るため。窓口では、すでに昭和図書館に移動中なので、こちらには無い、昭和図書館に届くのは11時以降とのこと。 |
12 | ヒロシマ遺文への投稿。「ヒバクシャ―ともに生きる」など。 |
13 | 町内のコンビニへ。米朝首脳会談を一面で掲載している新聞を購入。 |
15 | ヒロシマ遺文に福祉関連の事項を投稿。 |
16 | ヒロシマ遺文にNPT再検討会議関連の事項を投稿。 |
18 | ヒロシマ遺文に「広島・長崎の証言の会」、「NPT再検討会議」などを投稿。 |
19 | ヒロシマ遺文に投稿。「平和記念式典」など。 |
20 | ヒロシマ遺文に投稿。「核兵器禁止条約・平和式典参加状況表など。 |
21 | 原爆資料館。福島学芸員と広島情報の発信情報につき意見交換。『患者と福祉』、『平和のために市民の対話をすすめる会・会誌』を閲覧。 |
21 | 広島平和会館。前田耕一郎広島県被団協事務局長と会ヒロシマ関係資料の収集・保存体制につき意見交換。 |
21 | 広島市公文書館。安藤福平氏と私の所蔵するヒロシマ関係資料につき意見交換。 |
22 | ヒロシマ遺文に投稿。「若い広島の会」 |
23 | ヒロシマ遺文に投稿。「昭和天皇実録」「忘れてはならない4つの日」 |
24 | ヒロシマ遺文に投稿。「原水爆禁止大会・平和集会(2017年)」 |
27 | 「 12・11基本懇意見書にこだわる被爆者問題講演会」(2017年12月2日 広島市総合福祉センター)の講演要旨をまとめ、原爆被害者相談員の会事務局に送付。 |
28 | ヒロシマ遺文の「回顧:年中行事・事件」用のデータ整理。6月分の新聞切り抜きと分類整理。 |
29 | ~30日。ヒロシマ遺文の「祈り―月忌(一覧)」の整備。 |
30 | 『呉海軍工廠の形成』(千田武志著)を語る会。呉阪急ホテル。 |
日 | 事項 |
01 | 12時15分、町内放送の呼びかけで1分間の黙とう(呉空襲犠牲者慰霊・恒久平和祈念の日) |
01 | ~2日。 カテゴリー(このサイトでは目次に相当)の再検討 |
02 | 雨の合間を縫って「7月の草花」 を撮影。投稿。 |
03 | 受贈した本の整理 |
04 | 台風7号の暴風で倒れた倉庫のヘチマなどの支柱を補強。 |
05 | カテゴリー「組織」の再検討。組織のエクセルデータ(600件超)の重複削除などの整備に着手。 |
06 | 夜から豪雨~8日。呉―焼山を結ぶ幹線道路(平谷線)が不通となり焼山町は孤立状態。避難指示が発令されたが自宅で過ごす。 |
09 | 午前6時過ぎ町内放送。幹線道路(平谷線)が開通し、広電バスが運行開始とのこと。 |
11 | WHOデータの死亡月別への再整理。「月忌」データとして利用するため。 |
13 | WHOデータの死亡月別への再整理、終了。 |
14 | 7月6日以降の新聞切り抜き。 |
日録(2018年8月)
日 | 事項 |
04 | 合同授業「ヒロシマ」(関西学院大学・広島女学院大学)に参加。 |
06 | 広島市平和記念式典に参列。 |
06 | 「広島への原爆投下からの日数 26663日」(出典:原爆資料館「地球平和監視時計」) |
09 | 11:02 町内放送の呼びかけで黙とう(長崎原爆の日) |
11 | ひろしま盆ダンス。旧広島市民球場跡。 |
12 | 「この世界の片隅に」マンガ原画展(呉市立美術館、7月22日~9月9日)。入船山記念館。 |
12 | 自宅のネットの速度を上げるためルーターを新調。 |
15 | 12:00 町内放送の呼びかけで黙とう(終戦記念日)。 |
16 | 慰霊碑関係資料・被爆建物関係資料の整理に着手。 |
21 | ヒロシマ遺文に投稿。「原爆被爆者対策前史資料集」の一部。 |
25 | 第24回平和のための広島の戦争展。会場:県民文化センター(広島市)。 |
25 | 広島市映像文化ライブラリー「映画『平和記念都市ひろしま』とその時代」。 |
25 | パソコンソフト「読取革命」(11620円)を購入。 |
26 | 「読取革命」を自宅のパソコンにインストールし、使用方法の確認。 |
27 | 眼科医院。6年前の白内障手術後の状態は良く、目・視力等は正常とのこと。点眼の薬を処方される。 |
28 | ヒロシマ遺文のカテゴリーの体系の再検討。~30日、大幅変更。 |
31 | 過去の『ヒロシマ通信』のデータや女学院勤務期に作成したデータの確認作業。ヒロシマ遺文に掲載したい事項多数あり。 |
日録(2018年9月)
日 | 事項 |
01 | 過去の『ヒロシマ通信』のデジタルデータをヒロシマ遺文に掲載するための準備作業。 |
03 | 今年になってからの葉書・手紙類の整理。 |
04 | 過去の葉書・手紙類の整理。~7日。 |
08 | エクセルデータWHO(人物)の整備作業と「月忌」(ヒロシマ遺文)への投稿。 |
09 | ヒロシマ遺文「月忌」への追加作業。 |
10 | 広島大学文書館発行の所蔵目録を参考に、ヒロシマ遺文「月忌」への追加作業。~12日。 |
13 | 所蔵する追悼集を参考にヒロシマ遺文「月忌」への追加作業。~13日。 |
16 | ヒロシマ遺文のカテゴリーの再検討とそれに基づく新聞切り抜きの分類整理。~17日。 |
18 | たまたまNHKで放映されていたBSプレミアム『二十四時間の情事』を観る。広島の風景を繰り返し。 |
19 | 呉市民劇場.こまつ座公演「マンザナ、わが町」。呉市文化ホール。日系アメリカ人強制収容所問題の顛末がわかりやすく描かれていた。 |
21 | 天皇夫妻、広島県呉市の天応地区を見舞う。家族からヘリコプターで降り立った二河球場から被災地に向かう天皇に出会った様子を聞く。 |
22 | 広島県立図書館で「若い広島の会第1号」を部分コピー。県立文書館で今堀誠二資料目録の閲覧。 |
日 | 事項 |
4 | 修学院離宮から詩仙堂に向かう途次、 圓光寺(京都市左京区一条寺)の門前を通る(同寺には、広島で被爆した南方特別留学生の墓あり)。参照:サイド・オマール |
12 | 『戦後ヒロシマの記録と記憶』出版記念パーティー。会場:広島市内。 |
13 | 「広島への原爆投下からの日数 26731日」(出典:原爆資料館「地球平和監視時計」) |
13 | 大 学生10人を引率して平和公園フィールドワーク。 |
21 | グリーンヒル郷原「秋の収穫祭」。<売上の一部は「原爆ドーム保存募金」に寄付されます>とのキャッチコピーに惹かれ<「ヒロシマPEACE」バナナ>を購入。 |
29 | 鹿児島県原爆犠牲者慰霊平和祈念碑(鹿児島県鹿児島市照国町城山公園内 探勝園)を取材。 |
日 | 事項 |
04 | 世界遺産関係記事の新聞切り抜きを整理。~5日。 |
06 | 『広島財界今昔物語』を斜め読み。 |
08 | 広島市現代美術館。特別展「丸木位里・俊 ―《原爆の図》をよむ」コレクション展「2018-Ⅲ コレクション・ハイライト+特集「顔のような」」。『原爆の図』(1953年 新星映画社 17分 白黒 16㎜)( 監督/今井 正、青山通春 撮影/浦島 進 解説/赤木蘭子)。図録を購入。 |
11 | 自宅書庫から追悼集・遺稿集などを抜き出す。 |
14 | 「世界の子どもの平和像・京都」( 京都府教育会館前)を撮影。 |
15 | 滋賀県大津市取材。<三井寺観音堂(西国第14番)=「天台寺門宗総本山園城寺(三井寺)で毎年八月六日原爆犠牲者慰霊追悼」(出典:『日本被団協50年史 本巻』416頁)> |
15 | 京都府原爆被災者の会「京都府原爆死没者慰霊碑」(京都東山霊山観音教会)を撮影。 |
19 | 実家書庫から追悼集・遺稿集などを抜き出す。 |
20 | 母屋北側の書庫の本の整理。抜き出した追悼集・遺稿集などを自宅に持ち帰る |
22 | 追悼集・遺稿集をもとに、デジタルファイル”WHO”の校訂作業。 |
23 | 桜が丘母屋の母の書斎から豊田清史・火玄関係の刊本を自宅に持ち帰る。追悼集・遺稿集をもとに、デジタルファイル”WHO”の校訂作業。 |
24 | 追悼集・遺稿集をもとに、デジタルファイル”WHO”の校訂作業。自宅の書斎に「月忌」順に配列。 |
25 | 桜が丘の母の書斎から短歌の本を自宅に持ち帰る。 |
27 | WHO(人物)関係資料の整理。~29日 |
30 | 原爆資料および情報ネットワーク委員会関係のデジタル資料をやっと見つけ出す。一部を「ヒロシマ遺文」に投稿。 |
日録(2018年12月)
日 | 事項 |
01 | TOP頁の更新 |
02 | カテゴリー「原爆資料」の再検討。 |
03 | 「12月忌(一覧)」を校訂し、投稿。 |
04 | 「ヒロシマ遺文」のカテゴリー「原爆資料」の再検討。 |
05 | 「ヒロシマ遺文」のカテゴリー「ヒバクシャ」の再検討。「広島県旧陸軍被服支廠保存・活用懇話会」関係データを投稿。 |
06 | 一日雨。「ヒロシマ遺文」の投稿「宇吹所蔵目録(広島市関係)」の充実作業。 |
08 | 新日本婦人の会呉支部「第3回戦争体験を聞く会」。場所:呉市生涯学習センター(つばき会館)。<新日本婦人の会呉支部「第3回戦争体験を聞く会」案内ビラの情報=7月23日~29日開催予定のヒロシマ・ナガサキ原爆と人間パネル展は市役所ロビーが豪雨災害避難場所となったため中止。> |
14 | 桜が丘の書庫の整理。資料の配置を大幅に変更。 |
16 | 過去の年賀はがきの整理。併せてWHO(人物)関係資料・データの更新作業。 |
27 | TOP頁の更新 |
29 | 容量拡大のためサーバーを変更。 |