広島教育研究所 設立:1990年
資料
| 機関誌 | ヒロシマの子育て・教育 | 備考 |
| 刊行物 | ||
ヒロシマの歴史を残された言葉や資料をもとにたどるサイトです。
広島教育研究所 設立:1990年
資料
| 機関誌 | ヒロシマの子育て・教育 | 備考 |
| 刊行物 | ||
『平和教育運動』(1974年2月1日創刊)
| 号 | 発行年月日 | 備考 | 所蔵 |
| 創刊 | 1974/02/01 | 第1回全国平和教育シンポジューム報告 | GU |
| 1 | 1975/01/25 | 第2回全国平和教育シンポジューム報告 | GU |
| 2 | 1976/05/01 | 第3回全国平和教育シンポジューム報告 | GU |
| 3 | 1977/01/25 | 第4回全国平和教育シンポジューム報告 | GU |
| 4 | 1979/05/20 | 第5回全国平和教育シンポジューム報告 | GU |
| 7 | 1980/05/20 | 第7回全国平和教育シンポジューム報告 | GU |
| 6 | 1980/07/10 | GU | |
| 8 | 1981/06/15 | 第8回全国平和教育シンポジューム報告 | GU |
| 9 | 1982/10/15 | 第9回全国平和教育シンポジウム報告集 | GU |
| 10 | 1983/03/31 | 第10回全国平和教育シンポジウム報告集 | GU |
| 11 | 1984/02/01 | 第11回全国平和教育シンポジウム報告集 | GU |
[季刊]平和教育 第1号(創刊号)
日本平和教育研究協議会、明治図書出版、19760525
| 号 | 発行年月日 (著者) |
特集 (タイトル) |
所蔵 |
| G=原爆資料館、U=宇吹 | |||
| 01 | 19760525 | 平和教育をどうすすめるか | GU |
| 石田明 | 平和教育の今日的課題 | ||
| 森田俊男/松山善三/山田洋次/金沢嘉市/大田堯/飯島宗一/梅根悟/小川岩雄/棋枝元文/小森秀三 | |||
| 『季刊・平和教育』の発刊にあたって | |||
| 鎌田定夫 | 被爆30年子どもたちの証言 | ||
| 文沢隆一 | 平和記念資料館物語 | ||
| 中沢啓治 | インタビュー “はだしのゲン”とわたし | ||
| 増岡敏和 | 作家と作品1 峠三吉 峠三吉の抒情の変革とその生涯 | ||
| 永田守男 | マスコミの動向 被爆の炎は消えず | ||
| 02 | 19760825 | 戦争体験をどう継承するか | GU |
| 03 | 19761125 | 平和のための学校行事設定の意義 | GU |
| 04 | 19770310 | 平和教育は人格形成にどうかかわるか | GU |
| 05 | 19770610 | 平和教育のあゆみと憲法・教育基本 | GU |
| 06 | 19770930 | 子どもの戦争観はどうなっているか | GU |
| 07 | 19780130 | 世界に広がる平和教育 | GU |
| 08 | 19780601 | 地域に学ぶ平和教育 | GU |
| 09 | 19790101 | 未来につなげる戦争の学習 | GU |
| 10 | 19790701 | 子ども・青年の危機と現代のファシズム | G |
| 11 | 19800301 | 教育の荒廃と平和教育の課題 | G |
| 12 | 19800901 | 80年代と平和教育の課題 | G |
| 13 | 19810601 | 国防教育と自衛 | G |
| 14 | 19820201 | 道徳教育としての平和教育 | G |
| 15 | 1982/08/01 | 現代平和教育をめぐる実践的課題 | G |
| 16 | 1983/02/01 | 草の根の平和教育 | G |
| 17 | 1983/10/01 | 日本における沖縄の位置と課題 | G |
| 18 | 1984/04/01 | 核未来戦争の脅威の中で何を教えるか | G |
| 19 | |||
| 20 | 1985/04/01 | 核戦争の危機と教育の課題 | GU |
| 21 | 1985/11/01 | アジア・アフリカをどう認識させるか | G |
| 22 | 1986/04/01 | 子どもたちにいのちと人権を守る力を | G |
| 23 | |||
| 24 | 1986/10/01 | いじめ・暴力にたちむかうちから | G |
| 25 | 1987/01/01 | ここからはじめる平和教育 | G |
| 62 | 2002/06/01 | 二一世紀の平和教育 | G |
広島女学院原爆被災実態調査報告書(19700625)
<昭和20年8月6日広島女学院に在籍の生徒を対象とする>
(広島女学院大学学生自治会・広島女学院原爆被災実態調査委員会、1970年6月25日)
内容目次
はじめに
| はじめに(抄) 昭和42年6月,広島女学院大学では同大学宗教委員会と,学生自治会共催のもとに、「8・6の意味するもの」と題する一連の講座を全学生対象に企画,実施しました。以後毎年続けられているこの講座に対する学生の反応は,必らずしも満足出来るものとは言えませんが,今回の調査が学生たちの手によって始められたことは,やはり講座がもたらした結果の一つだと言えると思います。 「原爆」を知るための手がかりとして,「原爆」は私たちの先輩たちにどんな爪跡を残しているか」,又,「私たちが,被爆者である先輩たちから受け継がねばならないものは何なのか」と言うことから先ず始めようとしました。同時に,広島女学院と原爆を,被爆25年に当って,何らかの形で整理し,後輩に記録として残すことも必要なのではないかと思われました。しかしこの調査作業の間中,「一体私たちはこの調査から何を得ようとしているのだろうか」,「私たちがしようとしていることは本当に必要なのか」,「先輩たちに迷惑をかけるだけで終るのではないだろうか」と言った疑問と不安が絶えず私たちについて廻りました。そして最終段階に来た今,「原爆」と言う問題は,一度や二度の調査,成は数冊の本を読んだだけで掴み得るものではなく,ましてや解決出来るものではない事を改めて痛感しました。 面倒なアンケートに積極的に回答して下さった方々には,一人一人お目にかかってお礼を申し上げたい程感謝で一杯です。アンケート用紙にぎっしり書き込みをして励まして下さった方々もありました。しかしそれど同時に,66%もの方にご回答いただけなかったことを,私も同じ調査対象者である卒業生の一人として,大変残念に思います。心情的に決して答えやすい事がらではありませんし,それぞれご家庭の事情もあり,中にはこの調査でご迷惑をおかけした方もあると思います。しかし切角若い学生たちが,毎日の行動の決断を追られながら,或は,「今更原爆でもあるまい」と言った声を耳にしながらも,原爆を知ろう,被爆者の実態を知ろうとして集ったのにと残念に思うのです。 (以下略) |
調査の概要(目的・方法・時期・対象・委員)
調査の結果
| 1 | 被爆の状態 |
| 2 | 被爆者自身の健康状態とそれに関する不安度 |
| 3 | 原爆問題に対する関心度 |
| 4 | 原爆死没者に対する意識 |
| 5 | 原水禁運動及び被爆者援護に関する意識 |
| 6 | 被爆者に対する差別の実態 |
| 7 | 被爆二世に対する意識 |
| 8 | A.B.C.C.に対する意識 |
| 9 | 原爆投下及び現在の核兵器に対する意識 |
| 10 | 支持政党 |
| 11 | 「原爆」と人生観について |
| 12 | 「原爆」という言葉に対する反応 |
調査結果を見て
調査から学んだもの
後記
付録Ⅰ「広島女学院原爆被災実態調査」調査票/付録Ⅱ在学生用調査票
広島・長崎原爆被爆者大会
1962年5月22日
広島市公会堂で2,500人の被爆者の参加のもとに開催。厚生省公衆衛生局全画課長の講演・両市被爆者代表の意見発表ののち,次のような宣言および決議を採択。大会の席上、全日本被爆者協議会を結成。
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| 案内ビラ |
宣言
われわれ原爆被害者は,一生拭い去ることのできない放射能に対する不断の脅威と不安を内包し,日常生活並びに社会活動に多くの障害と制約を受け,物心共に苦難の十七年を生きてきた。その間放射能障害による症状の悲惨な現実と,被爆者の生活の実態が認識され,被爆者の切実な声が通して,最近に至り原爆医療法が制定され,逐次医療の充実をみつつあることはまことに慶びに堪えない。ここに関係各位の並々ならぬ御熱意と御努力に対し深甚なる感謝の意を表するものである。
本日被爆者大会の開催に当り,われわれは核爆発の実験停止と,真の世界平和確立のための,広島・長崎の悲願達成に,根気強く努力をつづけ,全国二十方に上る被爆者相携えて,あらゆる困難と苦痛を克服して力強く生き抜くことを誓い,更にいわれなき無この犠牲者に対する国家の責任と保障において,万全の援護対策の速かなる実現を切に要望して已まない。
右宣言する。
決議
戦後既に十七カ年の歳月を閲みし,全国二十万に上る原爆被爆者の多くは,経済的基盤を失い,或いは放射能障害に悩みかつ脅えつつ,日常生活並びに社会活動に幾多の制約を蒙り,苦難の日々に堪えて今日に至った。
医療に関しては,さきに特別立法により補償の途が開かれ,稍々安らかなるものを得たとはいえ,更に政府,国会その他関係機関におかれては,被爆者の生活の実態に鑑み,原爆犠牲者国家保障性の見地に立って更に援護その他強力なる施策を打出すべきである。よって次の事項について速かに適切なる措置を講するとともに全面的な援助を要請する。
一、特別被爆者の範囲の拡大をすみやかに実現することを期する。
二、原爆被爆者援護対策の確立を期する。
三、原爆被爆者ホームの建設を要望する。
四、原水爆禁止と世界恒久平和実現への正しい国民運動を力強く推進する。
五、全日本被爆者協議会の結成を促進する。
右決議する。
大会次第
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「原爆放射能医学研究所設置」・「原爆医療法中二粁の制限拡大」・「戦傷病者戦没者遺族等援護法中学徒・女子挺身隊・義勇隊等の時限法改正」に関する陳情運動日誌
(広島・長崎原爆被爆者医療法改正対策委員会 1962年2月)
はしがき
昭和三十四年九月原爆医療法の一部改正を目的とする政治運動展開を企図して構成された本対策委員会は、同年、画期的な同法改正に成功、翌三十五年原爆放射能医学研究所設置運動に乗り出し、僅々一カ月の短期間において同所究所創設にかかる予算獲得・法律改正を奇蹟的に果し、引続き三十六年には、特別被爆者の二粁制限撤廃に立ち上り、遂にその制限を三粁に拡大する予算獲得に成功し、ここに原爆問題の当面する重要案件を殆んど処理し終えたものである。
本委員会が斯る華々しい成果を収め得たのは、自民党幹部を始めとする関係各位の強力は御支援・御協力によるところであるが、特に運動の推進役を担当して貰った自民党広島県支部連合会被爆者対策委員長・広島市被爆者対策委員長任都栗司君の献身的努力に負うところ極めて多く、ここに改めて深甚なる敬意と謝意を表明するものである。
本委員会は、運動の当初より事務局をして運動の詳細を記録せしめていたものであるが、原爆問題の重要案件を殆んど処理完了した今日、ここにこれが運動日誌を公にし、格別の御協力を賜わった関係各位に対し心からの謝意を表すとともに、将来の参考とすることとした。
各位の御高覧を御願いして止まない。
昭和三十七年二月
広島長崎原爆被爆者医療法改正対策委員会
常任委員 参議院議員 岩沢 忠恭
目次(其の一)
| 年月日 | |
| 昭35(1960) 0922~1210 |
1.原爆医療法中2粁の制限拡大問題に関し、主として厚生省当局の意向を打診 |
| 1212-1213 | 1.原爆被害者医学総合研究機関の設置に関し関係各方面と基礎的打合わせ(特に所管省問題)をなす。 2.本対策委員会、昭和35年運動目標を原爆被害者医学総合研究機関の設置に置くことに決定。 |
| 1214-1221 | 1.広島市及び長崎市の原爆問題関係機関と打合せの結果、原爆医学研究機関の設置について地元の意識統一成る。 2.原爆医学研究機関設置にかかる陳情書作成 |
| 1223-1227 | 1.原爆医学研究機関設置に関し、関係各方面、特に自民党政調会文教部会に対し、陳情書提出の上、強力に陳情。 2.文部省当局に対し、原爆医学研究機関設置に関し、陳情運動展開中の旨連絡、表面化した場合引受け方陳情 |
| 1227 | 1.原爆医学研究機関設置の案件、広島大学に附置することとし、自民党政調会文教部会において満場一致をもって採択に決定 |
| 1228-0105昭36(1961) | 広島大学当局に対し、原爆医学綜合研究機関設置に要する必要予算を至急追加要求方要請 2.広島大学との協同陳情書(要求予算を含む)作成 |
| 昭36(1961) 0106~0107 |
1.広島大学より広島原爆放射能医学研究所にかかる追加要求予算書を文部省当局に提出 2.広島大学より文部省に対し、提出の追加要求予算内容一部訂正の上、必要陳情書作成 |
| 0106~0107 | 1.自民党役員、同政調会役員、文教部会役員に対し、訂正陳情書を提示の上原爆放射能医学研究所問題の採択方について強力に陳情 2.自民党政調会文教部会は、政調役員会に対し原爆放射能医学研究所予算四億六百万円を要求することに決定 |
| 0107-0109 | 1.自民党政調役員会において原爆放射能医学研究所関係予算満場一致をもって採択に決定 |
| 0109-0111 | 1.自民党政調会副会長並びに各部会長合同会議において原爆放射能医学研究所関係予算採択に決定 2.大蔵省に対し、関係有力者を通じ、協力に陳情 |
| 0111-0115 | 文部省は、大蔵省当局に対し、新規追加要求予算として原爆放射能医学研究所予算四億六千六百万円を提出 |
| 0116-0117 | 1.広島原爆放射能医学研究所設置に要する関係予算、大蔵省第三次査定に於いて二カ年継続事業として遂に承認を受く 2.本件に関し格段の協力を賜った自民党役員、同政調会役員、その他関係各位に対し、御礼挨拶廻りをなす。 |
目次(其の二)
| 年月日 | |
| 昭36(1961) 00403~1003 |
1.戦傷病者戦没者遺族等援護法中、学徒、女子挺身隊、義勇隊等の時限法改正に関し、運動の基本的打合せ、陳情書の作成、国会に対する請願書の提出並びに同請願の衆議院社会労働委員会において採択に至るまでの陳情 2.、原爆医療法中二軒の制限拡大に関し、運動の基本的打合せ、拡大の必要性を裏付ける資料の蒐集並 びに二粁制限拡大に伴う経費の昭和三十七年度厚生省要求予算に計上に至るまでの陳情 3.昭和三十六年度原爆医療法一般疾病医療費予算の不足に伴う予備費補充に関する陳情 4.原爆放射能医学研究所にかかる昭和三十七年度予算要求に関する陳情 |
| 1004-1116 | 1.原爆医療法中二粁の制限拡大にかかる経費について、昭和三十七年度厚生省要求予算に計上決定に伴い、関係各方面に対し、これが予算獲得に関する基礎的陳情運動 |
| 1128-1211 | 1.原爆問題陳情運動の一元化、漸くにして決定 2.二粁制限拡大の必要性を裏付ける資料蒐集、漸く完成し、陳情書作成 |
| 1212-1216 | 1.原爆医療法中二粁の制限拡大の必要性について、関係各方面、主として自民党政調会、社会部会並びに大蔵省に対し、陳情書を提出の上、強力に陳情 2.二粁制限拡大の案件、自民党政調会社会部会を満場一致をもって通過 3.原爆放射能医学研究所にかかる昭和三十七年度事業並びに長崎支所設置の明年度予算獲得について関係方面に強力に陳情 |
| 1217-1219 | 1.二粁の制限拡大に関し、自民党政調会役員並びに大蔵省当局に対し、関係有力者を通じ、強力に陳情 |
| 1220-1221 | 1.明年度予算にかかる大蔵省第一次査定の結果、二粁制限拡大に要する予算全額ゼロ査定を受く |
| 1222-1223 | 1.二粁軒制限拡大関係要求予算、大蔵省第一次査定に於いて全額不承認の結果に基き、これが復活要求について自民党政調会役員並びに大蔵省当局に対し、引続き強力に陳情 2.広島原爆放射能医学研究所残事業にかかる要求予算、大蔵省第一次査定において不承認の結果に基き、自民党政調会関係役員にこれが復活要求について陳情 |
| 1224-0105昭37(1962) | 1.二粁制限拡大関係要求予算、大蔵省第二次査定において三粁に拡大することとする基本線に基き、遂に承認を受く。 2.、戦傷病者戦没者遺族等援護法中学徒、女子挺身隊、義勇隊等の時限法改正に関する予算、厚生大臣、大蔵大臣の大臣接渉において、昭和三十八年度予算に計上することに確約を得る。 2.本件に関し、格段の協力を願った自民党役員、同政調会役員その他関係各位に対し、御礼の挨拶廻りをなす。 |
核実験禁止要請に関する決議
世界で最初に原爆の惨禍を受け、今尚放射能害による死と闘いつつ原水爆禁止と核実験停止を全世界にくりかえし強く呼びかけてきた広島県民は、今回の貴国の核実験に対し不安と憤激の念とどめがたく、真に遺憾とするものである。
たといどのような理由があろうと実験のもたらす放射能は人類の生存に多大な悪影響を与え、実験が実験を呼ぶ悪循環は、軍拡競争に拍車をかけ、恐しい人類の危機をますます増大させている。
よって、広島県議会は従来しばしば決議要請した如く広島県民を代表してここに貴国核実験の即時中止を要請するとともに核保有国による実験停止協定の締結、核兵器の製造禁止を含む軍備全廃を目指して即時首脳会談を開いて努力されるようう要請する。
昭和三十七年八月十一日
要請先
ソビエート社会主義共和国連邦
アメリカ合衆国
核実験停止協定締結要請に関する決議(1962年12月22日)
アメリカとソ連は、現在なお核実験を続けています。核実験は、現在将来にわたって人類の生命と健康に害を与えます。
広島県議会は、従来しばしば決議要請してまいりましたがすぺての国の核実験をやめさせるために何度でもくりかえし反対し、一刻も早く停止協定を結ばせなければなりません。
ここに広島県民を代表して、すべての核保有国は来年一月一日を期して核実験停止協定を締結されるよう要請します。
右決議する
昭和三十七年十二月二十二日
『ひろしまの平和教育』(第2輯)
| 章節(頁) | 見出し | 備考 |
| 1 | (平和教育へのあゆみ)広島県における「平和教育」第二十次教研までのあゆみ | |
| 1-1 | 第18次県教研での問題提起とその討議 | |
| 1-2 | 第18次日教組全国教研へ問題提起 | |
| 1-3 | 第19次県教研での取組みとその内容 | |
| 1-4 | 県被爆教師の会の結成とその活動 | |
| 会の活動方針とその動き | ||
| 「ひろしま」「ながさき」を教えつづけることの誓いと訴え | ||
| さらに活動を強化発展させるために | ||
| 1-5 | 平和教育教材づくり | |
| 2 | (第20次県教研の実践報告より 1)人権と民族平和への課題-平和教育の土台づくり | |
| なぜ平和教育が必要か(23)/平和教育をいつどのように行うか(27)/研究体制づくりと研究の経過(28)/教材の自主編成によって平和を認識させる(31)/ | ||
| 3 | (第20次県教研の実践報告より 2)平和教育の実践でかわりつつあるその実態 | |
| 平和教材「ひろしま」を使って(40)/8月6日を学校行事にして(49)/今後の課題(55 | ||
| 4 | (第20次県教研の実践報告より3)大久野島-毒ガスをどう教えるか | |
| 大久野島を教える意義(56)/大久野島の地理と歴史(57)/毒ガスの島(60)/基地の島(71)/レジャーの島の中に(71)/従業員のくらしと運動(74)/今日の生物化学兵器(85)/大久野島をどう教えたかの実践例(88) | ||
| 5 | (平和教育への認識と展望)ひろしまの教師はなぜ平和教育を実践するのか | |
| 平和教育への阻害条件 | ||
| “ひろしま”で何をどう教えるのか | ||
| 平和教育は最高の倫理を教える教育 | ||
| ■ | 平和教育教材“ひろしま”指導資料(全) |
『ひろしまの平和教育』
| 輯 | 発行年月日 | 備考 | 所蔵 |
| G=原爆資料館。U=宇吹。 | |||
| 1 | 19700315 | 県平和教育専門委、教材編集委、被爆教師の会編 | GU |
| 19700701 | 『広島教育』別冊 No.218。第19次広島県教研集会平和部門専門委員会、広島県平和教育教材編集委員会、広島県原爆被爆教師の会編 | GU
|
|
| 2 | 19710720 | 広島県平和教育専門委員会、広島県平和教育教材編集委員会、広島県被爆教師の会編 | GU |
| 3 | 19730330 | 広島県平和教育専門委員会、広島県被爆教師の会編、広島平和教育研究所 | GU |
| 4 | 19760110 | 広島平和教育研究所、広島県教研平和教育部会編 | GU |
| 5 | 19780325 | 広島平和教育研究所、広島県教研平和教育部会編 | GU |
| 6 | 19800315 | 広島平和教育研究所、広島県教研平和教育部会編 | GU |
広島県高等学校原爆被爆教職員の会 設立年月日:19700729
広島平和教育研究所 設立:1972年6月1日
設立宣言
ちちをかえせ ははをかえせ
としよりをかえせ
こどもをかえせ
わたしをかえせ わたしにつながる
にんげんをかえせ
にんげんの にんげんのよのあるかぎり
くずれぬへいわを
へいわをかえせ
峠三吉
ヒロシマを忘却することは許されない。
それは、原爆の犠牲となった多くの人びとへの贖罪と鎮魂の意味からだけではない。全人類が無知と偏見、戦争の恐怖から免れ、平和のうちに生存し抜くことは、核時代を生きるわれわれの至上の課題であり、ヒロシマはその原点だからである。
人間の心に平和のとりでを築くことは、教育の力にまつところが大きく、ヒロシマは核時代の教育を問い直す原点である。教育を通して、ヒロシマを後の世代に継承し、人類共通のものにすることは、世界平和に貢献する人類史的責務である。
われわれは、このことを深く自覚し、平和教育に関する科学的究明を行なうとともに、広く世界の平和教育を推進することをめざして、ここに「広島平和教育研究所」を設立する。
機関誌:
全国平和教育シンポジューム開催概要
| 回 | 年月日 | 会場 | メモ |
| 1 | 19731013~14 | 広島女学院中学校 | <基調報告>石田明 、 <基調提案>藤井敏彦 |
| 2 | 19740601~02 | <基調報告>石田明、<記念講演>星野安三郎 | |
| 3 | 19750614~15 | 広島市幟町中学校 | <基調報告>石田明、<記念講演>早乙女勝元 |
| 4 | 19760612~13 | 広島市幟町中学校 | <基調報告>石田明、 |
| 5 | 19770611~12 | 広島市幟町中学校 | <基調報告>石田明、 |
| 6 | |||
| 7 | 19790602~03 | 広島市幟町中学校 | <基調報告>石田明、 |
| 8 | 19800920~21 | 広島市 | <基調報告>石田明、<記念講演>藤原彰 |
| 9 | 19810620~21 | 広島市 | <挨拶>森田俊男、<基調報告>石田明、<記念講演>沼田稲治郎 |
| 10 | 19820918~19 | 広島市 | <基調報告>石田明、<記念講演>栗野鳳 |
| 11 | 19830618~19 | <基調報告>空辰男、<記念講演>太田堯 | |
| 12 | |||
| 13 | |||
| 14 | |||
| 15 | |||
| 16 | |||
| 17 | |||
| 18 | |||
| 19 | |||
| 20 | |||
| 21 | |||
| 22 | |||
| 23 | 19950624~25 | 広島市立幟町中学校 | |
| 24 | 19960622~23 | 広島市立本川小学校 | |
| 25 | |||
| 26 | |||
| 27 | |||
| 28 | |||
| 29 | 20010623 | 広島女学院大学 | |
| 30 | 20020915-16 | 広島修道大学 | |
| 200309 |
『時代と記憶 メディア・朝鮮・ヒロシマ』(平岡敬、影書房、20110615 )
目次
| 部章 | ||
| 1 | メディアの世界で | |
| 1- | 衰弱する言論 | |
| 1– | “書き屋”の弁 | |
| 吉川幸次郎氏 人間生活こそ文明 | ||
| 1— | 唯一の一面コラム | |
| 天風録 | ||
| 1—- | 新聞界の苦悩 | |
| 1—– | 「為人民服務」はどこへ | |
| 2 | 朝鮮半島へのまなざし | |
| 2-1 | 韓国の被爆者たち | |
| 2-2 | 私の”朝鮮体験” | |
| 3 | 原爆・平和をめぐって | |
| 3- | 原水禁運動の混乱と後遺症 | |
| 分裂と主導権争い 一九六一年の平和運動 | ||
| 一九六二年・平和理論の課題 | ||
| 被爆者の苦悩みつめる福島菊次郎の写真集「ピカドン』 | ||
| 今も消えぬ原爆のせん光 二十四年目の被爆者たち | ||
| 広島市の平和行政の展開 | ||
| 新しい生き方を | ||
| 痛烈な異議申し立て こうの史代『夕凪の街桜の国」(双葉社) | ||
| 被爆五十周年の広島 | ||
| 核兵器を禁止する国際法を | ||
| 世界各国で「原爆展」を | ||
| 二十一世紀におけるヒロシマの役割 | ||
| ヒロシマからアジアへ 平和をつくる市民運動 | ||
| 癒しの空間 効率主義に抗して | ||
| 調査と医療支援の一体化 NGO「ヒロ・セミ」の活動 | ||
| 日本・カザフスタンの人々の連帯を強め核兵器廃絶の世論を | ||
| 事前説明が不充分か?不満を訴える被害者 | ||
| 前進する被曝者医療 第五次医療支援訪問を終えて | ||
| カザフの聞き取り調査に対する所感 | ||
| 生き抜く人々 | ||
| カザフの高麗人 | ||
| 広島と長崎の教訓を忘れるな | ||
| 私と原子力光と影を見つめて | ||
| 大胆な原子力政策の転換を ヒロシマからのメッセージ | ||
| 「ヒロシマ再考」ノート | ||
| おわりに |
『人間の心ヒロシマの心』(秋葉忠利、三友社出版、19881223)
目次
| 章節=頁 | タイトル | |
| はしがき | ||
| Ⅰ | 広島・長崎の経験を人類の祈りの基盤に〈基調講演〉 | 大江健三郎 |
| Ⅱ | 被爆体験の意味と平和運動 | |
| 028 | なぜ広島でシンポジウムか〈主催者挨拶〉 | 柿木昇治 |
| 030 | 「ヒロシマの心」を世界の心に〈開会挨拶〉 | 荒木武 |
| 033 | 高い理想、そして具体的な出発〈オーガナイザー挨拶〉 | 秋葉忠利 |
| 035 | 何を誰にどう伝えるのか-そして何のために | 秋葉忠利 |
| Ⅲ | 被爆体験の人類史的意味 | |
| 060 | 「被爆の証人」として生きる | 高橋昭博 |
| 072 | あらたな意味をもつ被爆体験の継承 | 宇吹暁 |
| 079 | あたらしい被爆者像を求めて | 舟橋喜恵 |
| 092 | 被爆後の年月を通して考える〈パネルディスカッション1〉 | |
| Ⅳ | 広島のメッセージを実現するために | |
| 116 | 教育の現場で平和を考える | 片山美代子 |
| 127 | 仏教徒としての被爆体験と平和の願い | 光寺重信 |
| 144 | 核廃絶の可能性を求めて | 安江良介 |
| 153 | 心理学者と平和の問題 | ジョン・J・フューレディ |
| 158 | 「広島のこころ」を蘇らせるために〈パネルディスカッション2〉 | |
| 193 | 平和シンポジウム趣意書 | |
| 196 | 平和シンポジウム感想歌集から | |
| 198 | パネリスト紹介 | |
| 203 | 広島ターミナルホテルあいさつ | |
| 204 | 協力者一覧 | |
| 205 | フロアからの発言者プロフィル(発言順) | |
| 原田東岷 | ||
| 竹内千代 | ||
| 上神千波弥 | ||
| 江崎寿賀子 | ||
| 原伸幸 | ||
| 熊田信道 | ||
| 空フミコ | ||
| 中川幹朗 | ||
| 山本誠 | ||
| 延本充弘 | ||
| 井上敬喜 | ||
| ローレンス・ウィイグ | ||
| 永井秀明 | ||
| あとがき |
『 真珠と桜 「ヒロシマ」から見たアメリカの心』(秋葉忠利、朝日新聞社、19860720)
目次
| 章(頁) | タイトル | メモ |
| はしがき | ||
| Ⅰ | 怒涛 | |
| 009 | アキバ・プロジェクト ローカル・ジャーナリストを広島へ | |
| (『ヒロシマ』森下弘)あなたの目で確かに見つめなさい | ||
| 039 | 平和の使徒 アメリカ人の原爆観 | |
| (アメリカ合衆国国家)赤いロケットの焔/空中に炸裂する爆弾/それは星条旗が翻っている証(しるし) | ||
| 058 | 卑劣な日本人 悪の原点=パール・ハーバー | |
| (能『葵上』)今の恨みはありし報い 瞋恚の炎は身を焦がす 思い知らずや 思ひ知れ | ||
| 079 | 一人ひとりの顔 記者たちの広島体験 | |
| (『法句経』友松円諦)われらはここ 市の領域に近し… このことわりを知る 人々にこそ かくしていさかひは止まん | ||
| Ⅱ | 源流 | |
| 097 | 鎖を断つ プロジェクト実現まで | |
| 118 | 他人の痛み 私の見た平和運動 | |
| 136 | 道端の焼夷弾 私の戦争体験 | |
| 156 | カラオケに耳を覆う 文化の壁は越えられるか | |
| 179 | プラウド・オブ・ユア・サン アメリカで父になる | |
| Ⅲ | 分水 | |
| 201 | ビッガー・ザン・ユー カウボーイ社会アメリカ | |
| 225 | 医者と患者の関係 エキスパートの支配 | |
| 243 | ワシントン・シンドローム 忘れられる過去 | |
| 265 | 死を歓迎する心 被爆者は『生ける屍』か | |
| 281 | 二重被爆者神話 アメリカ社会の無力感 | |
| 303 | 現実と想像力 平和への意志 | |
| 327 | あとがき |
『非戦を生きる-高良とみ自伝』(高良とみ、ドメス出版、19830325 )
目次
| 章 | ||
| プロローグ | ||
| Ⅰ | 生いたち | |
| 婦人運動の先駆者、母邦子 | ||
| 父のこと | ||
| キリスト教の家 | ||
| 寄宿舎生活 | ||
| タゴールとの出会い | ||
| 「中条百合子<宮本百合子>さんについて」 | ||
| Ⅱ | 行動する心理学者として | |
| アメリカ留学 | ||
| 女子教育者として | ||
| 「友和会設立」 | ||
| 暗い時代へ | ||
| 「空襲・疎開・敗戦」 | ||
| Ⅲ | 平和を求めて | |
| 復興への息吹の中で | ||
| 呉市助役として | ||
| 戦後初の婦人議員に | ||
| 極東裁判の印象 | ||
| 新憲法発布 | ||
| 緑風会へ | ||
| 世界平和者会議ヘ | ||
| ローマ法王に戦犯の減刑請願 | ||
| 全インド婦人会議 | ||
| 全面講和か片面講和か | ||
| 売春防止法制定にむけて | ||
| “鉄のカーテン”をくぐる | ||
| モスクワへの道 | ||
| モスクワでのこと | ||
| モスクワ経済会議 | ||
| グロムイコ会見 | ||
| モスクワ見聞記 | ||
| シベリアのラーゲル訪問 | ||
| 日中第一次貿易協定を結ぶ | ||
| 新しい中国の内側 | ||
| スイスの赤十字へ | ||
| 高良とみ帰国歓迎会 | ||
| 日本婦人団体連合会結成 | ||
| 在中国同胞引揚げ交渉に再び北京ヘ | ||
| アジア・アフリカの婦人と共に | ||
| 「妻として母として」 -内側から見た高良とみ |
高良留美子 | |
| 解説 | 柘植恭子 | |
| 高良とみ年譜 | ||
橋本秀夫の仕事ぶり 建築家橋本秀夫遺稿集
= The works of Hideo Hashimoto
橋本秀夫遺稿集編集委員会編・刊 20090701
目次
| まえがき | ||
| 秀夫と連れそって | 橋本ノブエ | |
| 橋本秀夫氏の資料について | 菊楽忍 | |
| 第1部 論文集 | ||
| 広島城 | ||
| 廻り番付と広島城 広島城城割に就て 「度量之絵図」に学ぶいろは四十八櫓 広島城再建「基礎と瓦」 広島城と石垣 広島城と石垣(郡山) 石塁工事普請符牒(石垣文様)について 広島城遺構三之丸校倉(多家神社宝蔵) 多家神社宝蔵と廻り番付について 広島城の生活用水と樋門 広島城修築と天災考 |
||
| レンガ建築 | ||
| 広島の近代文化遺産 煉化石あらかると ヒロシマの被爆建造物は語る レンガあらかると 広島の明治建築 広島の近代文化遺産 旧広島陸軍兵器支廠の研究 古いアルバムに拾った平和の尊さ 広島陸軍兵器支廠火薬庫大爆発に想う 明治1号館有難う 旧陸軍兵器支廠1号館の解体によせて 広島の明治建築 旧陸軍糧秣支廠の研究 広島市郷土資料館見学記 旧広島陸軍糧秣支廠 上等赤煉化石造「広島市郷土資料館」の周辺 宇品陸軍糧秣支廠倉庫(宇品日通倉庫) 蘇る旧広島陸軍被服支廠 保存と文化 広島の明治建築 夢を贈る中世のお城 亀山発電所 広島電気軌道(株) 広島県物産陳列館 臨時広島軍用水道(牛田水源地) |
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| 郷土史と文化財 | ||
| 六号潜水艇と人間佐久間 旧広島水上警察署 旧広島地方気象台 蘇った日本外史 拓本が語る厳島神社五重塔 広島の近代文化遺産 後楽のこころ 広島の秘境 湯之山明神旧湯治場 悟をひらいた苔 もう一つの八岐の大蛇 鑪と吉水園 広島 加計町のバロック『吉水亭』 呉市に咲いた花「蔵本通り」 新日山安國寺 不動院梵鐘楼に就て 不動院鐘楼実測に依る時代的班別について |
||
| 第2部 砲台巡り | ||
| 著者御紹介 広島大学名誉教授 日本民俗建築学会会長 | 佐藤重夫 | |
| まえがき 広島湾要塞の築城 第1章 室浜砲台 第2章 鷹の巣砲台 第3章 大那沙美砲台 第4章 岸根砲台 第5章 鶴原砲台 第6章 三高山砲台 第7章 大君砲台 第8章 早瀬堡塁砲台(早瀬第1~第2砲台) 第9章 休石砲台 第10章 高鳥砲台 第11章 大久野島堡塁砲台 第12章 忠海芸備砲兵大隊 第13章 大空山砲台 第14章 小島砲台 砲台建築仕法通則 沿革年表 |
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| コラム | ||
| 特集 彫刻と建築 街の表札 黄金の汗に輝く 広島大会 広島 ネズミのくれた小判『海田の宿 千葉邸』 旧街道ウォッチング「命びろいの三角の家垂」 古釘のうた 日本のバロック建築 『世紀末のドイツ建築』小幡一著 学校は心のふるさと 学校特集 球児とカンカン帽子 心の叙勲 古釘のうた 小さな平和 古釘のうら 床下のベートーベン(鴬張り) |
||
| 私の推薦する作品
・生まれかわった芸備線向原駅 |
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| 私の推薦する作品 ・筆の里工房 ・株式会社日食広島支店 ・三良坂リバティーホール ・広島市安芸区スポーツセンター |
||
| 旧街道ウォッチング「最敬礼!!」 | ||
| 番付と人生観 | ||
| 街路地と陽光 | ||
| 心の故郷 懐かしい学窓 | ||
| 長官山に咲いた金唐紙 | ||
| お庭を喰った美術館 | ||
| あとがき | ||
| 橋本さんへの手紙 | 松林俊 一 | |
『原爆瓦は語りつづける 原爆犠牲ヒロシマの碑建設の記録』(「原爆犠牲ヒロシマの碑」維持委員会編・刊、19830221 )
目次
| ◆『八月六日』 | 峠三吉 | |
| ◆『あの時…』 | 小林岩吉 | |
| ◆『水ヲ下サイ』 | 原民喜 | |
| ◆建立除幕によせて | ||
| ごあいさつ | 石田明 | |
| ごあいさつ | 河野浩樹 | |
| ごあいさつ | 荒木武 | |
| 若者の願いはばたけ | 森下弘 | |
| ヒロシマの高校生とノエルベーカー卿 | 森滝市郎 | |
| 原爆瓦が語るもの | 佐久間澄 | |
| 君たちは知ったのです | 宮崎安男 | |
| ヒロシマの碑建立に思う | 藤本幸作 | |
| 『高校生の平和アピール』の意味するもの | 松崎徹 | |
| 高校生の平和アピール・行動提起 | ||
| 原爆瓦の叫び今こそ | 大亀信行 | |
| 小さなともしびから大きな炎へ | 吉川徹忍 | |
| 青春のエネルギーに囲まれて | 土肥穣治 | |
| ◆ちかいのことば | ||
| 小学生のちかい (福山市立旭丘小学校 児童会代表) | 斉藤力 | |
| 中学生のちかい(広島市立翠町中学校 生徒会代表) | 林文子 | |
| 若者のちかい(広島商業高等学校・広島県高校生平和ゼミナール) | 山口小百合 | |
| ◆碑・制作を終えて | ||
| 『ヒロシマの碑』の思想 | 横山英 | |
| モニュマンの空高く | 芥川永 | |
| 平和を願う心の目を | 吉田正浪 | |
| 『ヒロシマの碑』に思う | 林重男 | |
| 私への鎮魂歌 構成詩『原爆瓦は語り続ける』を執筆して | 深川宗俊 | |
| 『原爆瓦』を追う映画を | 田辺昭太郎 | |
| ◆建設のあしどり | ||
| 原爆犠牲ヒロシマの碑建設運動と募金活動のあらまし | ||
| 原爆犠牲ヒロシマの碑建設委員会・同発起五十六団体名簿 | ||
| 原爆犠牲ヒロシマの碑建設のあしどり(事務局日誌) | ||
| 原爆犠牲ヒロシマの碑建設募金会計決算書 | ||
| ◆碑文づくり・ヒロシマ学習のなかで | ||
| 平和学習のシンボルとして | 沢野重男 | |
| 全国の子どもたちから寄せられた碑文案撰64点 | ||
| ◆ヒロシマの碑プロフィール | ||
| ◆募金に添えて送られてきた全国からの便り | ||
| ◆構成詩『瓦を守れ』 広島・鈴峰高等学校社会科学研究部 | ||
| ◆ヒロシマの碑除幕に捧げる構成詩・『原爆瓦は語りつづける』 | 深川宗俊 | |
| ◆ヒロシマの碑除幕に捧げる歌『ひびけひろがれ』 | 丸山亜季 | |
| ◆附属資料 | ||
| 1 | 原爆犠牲ヒロシマの碑『説明文』(和・英) | |
| 2 | 除幕式関係・各社報道記事(紙面) | |
| 3 | ヒロシマへの旅・原爆遺跡、記念碑めぐり | |
| 4 | 広島市長『平和宣言』 | |
| 5 | 一九四七年八月文部省著作発行『あたらしい憲法のはなし』 | |
| 6 | 平和の歌 歌曲集 | |
2020年1月(日録)
| 日 | 事項 |
| 01 | コンビニで4紙購入。 |
| 03 | ヒロシマ遺文への投稿=「原爆遺跡一覧(広島市内)」 |
| 04 | ヒロシマ遺文への投稿=「広島市庁舎被爆石等譲与(1985年~)」、「被爆建造物を考える会」、 |
| 05 | ヒロシマ遺文への投稿=「「被爆建物等継承方策検討委員会」、「被爆建物等の保存・継承方法についての報告書(目次)」、 |
| 06 | ヒロシマ遺文への投稿=「広島陸軍兵器補給廠第11兵器庫」、「広島大学霞キャンパス開発史」、「広島県産業奨励館(原爆ドーム)」、「フォト・ドキュメント:被爆遺跡医学部11号館の消滅」 |
| 07 | ヒロシマ遺文への投稿=「記された「兵器補給廠と原爆被災」」、「広島平和記念資料館平和データベースの中の「原爆ドーム」」、「広島平和記念都市建設法と平和への歩み(宇吹)」。 |
| 09 | 大晦日のBS1の録画を視聴。「巨大戦艦・大和~乗組員が見つめた生と死」・「戦艦武蔵の最後」。いずれも再放送。 |
| 09 | 人物(WHO)関係の新聞切り抜きの整理。 |
| 10 | ヒロシマ遺文への投稿=「平和記念公園レストハウス」 |
| 11 | ヒロシマ遺文への投稿=「広島市戦災復興事業誌(目次)」、「原爆ドーム保存運動」、「原爆ドーム保存工事記念碑」、「平和記念施設あり方懇談会(レジメ)」、「広島陸軍被服支廠」、 |
| 12 | Twitterデビュー=ツイッターのアカウントを設定。 |
| 13 | ヒロシマ遺文への投稿=「日本銀行広島支店」、「帝国銀行広島支店」。 |
| 14 | ヒロシマ遺文への投稿=「楠忠之オーラル・ヒストリー 目次」。投稿「原爆遺跡保存運動懇談会(略年表)」の補訂作業。 |
| 15 | ヒロシマ遺文への投稿=「中国軍管区司令部防空作戦室」、「本川国民学校校舎」、「袋町国民学校」、 |
| 15 | 呉市内の市立図書館が明日から2月6日まで休館との情報あり。地元の昭和図書館で5冊借り出す。 |
| 16 | ヒロシマ遺文への投稿=「元広島文理科大学(旧広島大学理学部一号館)の保存を考える会(会員)」 |
| 17 | ヒロシマ遺文への投稿=「ヒロシマの被爆建造物は語る(目次)」、「いのちの塔-広島赤十字・原爆病院への証言(目次)」、「元広島文理科大学本館(旧広大理学部1号館)保存運動の経過」、「広島大学跡地保存利用についての国・県・市の動向」 |
| 18 | 13:00~16:30呉市観光ボランティアガイド養成講座。講義=ボランティアに役立つこにゅにケーション(笑顔とあいさつ)講師:クリエイトコミュニケーション代表。観光ボランティア体験談(呉観光ボランティアの会=会員数62名。28年度年間案内件数2359件)など。 |
| 19 | 13:00~16:30 呉市観光ボランティアガイド養成講座。現地実習(この世界の片隅にロケ地等) |
| 19 | 『父は沖縄で死んだ-沖縄海軍部隊司令官とその息子の歩いた道』(大田英雄著、高文研、19890613)読了。 |
| 19 | 『父は沖縄で死んだ-沖縄海軍部隊司令官とその息子の歩いた道』(大田英雄著、高文研、19890613)読了。 |
| 20 | ヒロシマ遺文への投稿=「日本文化人会議」、「雑誌『平和』」、「内閣総理大臣とヒロシマ・ナガサキ」、「広島市平和式典における吉田茂式辞(代読)」、「広島平和記念都市建設法の制定の当時を振り返って」 |
| 21 | ヒロシマ遺文への投稿=「広島平和記念都市建設法の制定の当時を振り返って」、「広島市平和記念式典(1953年)における内閣総理大臣のメッセージ」、「広島平和記念式典における内閣総理大臣(1997年)挨拶」、「広島市平和式典(2001年)における総理大臣挨拶」、「広島市平和式典(2007年)における総理大臣挨拶」、「広島市平和式典(2008年)における総理大臣挨拶」。 |
| 22 | 広島市公文書館『広島平和記念都市建設法の制定の当時を振り返って―関係者による座談会』(19870806刊)読了。 |
| 22 | ヒロシマ遺文への投稿=「波乱の生涯を全力でつくした七十年の斗魂」、「こうの史代」 |
| 24 | ヒロシマ遺文への投稿=「広島平和記念資料館メールマガジン」。 |
| 25 | 平和教育関係の資料整理。 |
| 26 | ヒロシマ遺文への投稿=「核兵器禁止平和建設国民会議(資料 )」、「核禁会議30年史」 |
| 27 | 一日、激しい風雨。自宅2階の倉庫押し入れに押し込んでいた資料の整理。一番量の多い漫画は南側の部屋に移動。 |
| 27 | ヒロシマ遺文のカテゴリーの再検討。原水禁運動関係の充実を目指す。ヒロシマ遺文への投稿=「核禁会議二十年史」、「原水爆禁止日本国民会議(原水禁)」 |
| 28 | ヒロシマ遺文への投稿=「原水爆禁止世界大会(1977~84年)」、「原水爆禁止日本協議会」 |
| 29 | ヒロシマ遺文への投稿=「「原水禁」論議の問題点(内閣官房内閣調査室)」、「天皇陛下と広島」 |
| 30 | ヒロシマ遺文への投稿=「2020年1月(日録)」、「原爆瓦は語りつづける」、「建築家橋本秀夫遺稿集」 |
| 31 | ヒロシマ遺文のカテゴリーの階層を大幅に変更。第1層目を10件とする。 |
| 31 | ヒロシマ遺文への投稿=「父は沖縄で死んだ」、「高良とみ自伝」。 |