広島女学院と共に 広瀬ハマコ先生文集

『広島女学院と共に 広瀬ハマコ先生文集』(広瀬院長退任記念事業委員会、1974/11/20)

内容

頁章節
001 先生の女子教育と平和への熱意 森戸辰男
004 所感 松本卓夫
006 私の知る広瀬ハマコ先生 山川道子
Ⅰ-1 幻を見る人々…1
最上の贈物…5
8月6日原爆慰霊式の祈り…6
ゲーンズ先生と信仰…8
広島におけるルーズベルト夫人の横顔…13
ハワイ真珠湾を訪れて…15
国連を訪ねて…18
訪米所感…20
アジア旅行の中から…24
手…28
山に登れ…30
待つ心…32
日本手拭…34
一本の木…36
この頃の教育に思う…38
私学の存在意義…40
新しい人間像を求めて…42
創造・破壊・救い…44
文化の日の意義…46
Ⅰ-2 聖和女子大学の発足にあたって…49
広島大学第1回卒業式祝辞…53
Ⅰ-3 意義ある人生への門出…56
現代に生きる婦人の役割…61
教師像について…73
幼児の遊び友だちとけんか…81
幼児の宗教教育…86
思春期と教育上の問題…98
日本の宗教…106
Ⅱ-1 広島女学院と私
Ⅱ-2 創立65周年記念式並びに就任式挨拶…154
創立80周年記念式式辞…160
創立85周年記念式式辞…165
1964年3月大学卒業式告辞…171
1970年3月大学卒業式告辞…175
Ⅱ-3 広島女学院新聞復刊の辞…179
ゲーンズ先生と女学院精神…181
ゲーンズ先生の表彰…183
幼稚園の復興にあたって…185
校章を心に刻む…187
大学開学20周年を迎えて…190
試練に耐えられる学院に…192
院長退任にあたって…194
年譜…197
あとがき…214

 

 

原民喜年譜

 

原民喜略年譜

年齢 事項
1905 広島市幟町一六二番地に生まれる。
1923(大正12) 18 広島高師付属中学4年を終了。
1924(大正13) 19 慶応義塾大学文学部予科入学。
1929(昭和 4) 24 慶応義塾大学文学部英文科に進む。1932年卒業。
1933(昭和 8) 28 永井貞恵と結婚。
1942(昭和17) 37 千葉県立船橋中学校に英語教師として週3回通勤。
1944年退職。
1945 40 1月末千葉の家をたたみ、郷里広島市幟町、兄信嗣の許に疎開。
8月6日同町にて被爆、東練兵場に2日をすごした後、
次兄守夫と共に広島市郊外八幡村に移る。
以後原爆症とはいえぬが、健康はすぐれないときが多くなった。
被爆の悲惨な体験は2年後「夏の花」として結晶。
1946 41  上京。慶応義塾大学夜間中学に教鞭をとる。
10月より「三田文学」の編集にたずさわる。
1947 42  「夏の花」の世評高し。12月夜間中学を退職。
作品:「夏の花」、「廃墟から」、「氷花」
1948 43 「近代文学」の同人となる。
12月「夏の花」に第1回水上滝太郎賞を受く。
1949 44  作品:『夏の花』、『鎮魂歌』、『長崎の鐘』。
1950 45  4月、日本ペンクラブ広島の会主催の平和講演会参加のため帰郷。
作品:『美しき死の岸に』、『原爆小景』。
1951 46 3月13日、吉祥寺西荻窪間の鉄路に身を横たえ自らの生命をたつ。
作品『碑銘』。
出典:『原民喜詩碑再建記念』(原民喜詩碑移転修復実行委員会、1968年3月1日)

 

 

 

原民喜詩碑

原民喜詩碑 除幕:1967年7月29日 場所:広島市大手町1丁目碑設計 谷口吉郎

1951年7月13日、広島城跡に建設されたが、毀損のため、現在地に再建。

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碑銘正面
原民喜
遠き日の石に刻み
砂に影おち
崩れ墜つ 天地のまなか
一輪の花の幻
裏面
原民喜詩碑の記
原民喜は人がら清純沈鬱に流俗と遇ひ難い詩人であった。一九五一年三月一二日夜、東京都西郊の鉄路に枕して濁世を去った。蓋しその生の孤独と敗戦の國の塵勞とは彼の如き霊の能く忍ぶところでは無かった。遺書十七通、先づ年来の友情を喜びさてさりげ無く永別を告げんと記し、うち二通の文尾に書き添へた短詩「碑銘」は思を最後の一瞬に馳せて亡妻への故郷壊滅の日を記した力作「夏の花」に寄する矜持と又啼泣とを「一輪の花の幻」の一句に秘めて四十六年の短生涯を自ら慰め弔ふもの、辞は簡に沈痛の情は深い。遺友等ために相謀り地を故郷に相し銘記せしめて之を永く天地の間に留めた。
一九五一年七月十三日夜
遺友中の老人 佐藤春夫記す
撮影日:2017年8月6日09:36  撮影者:宇吹
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大田洋子著作目録

大田洋子著作目録(作業中)

1 屍の街 大田洋子著 中央公論社 1948/11/10
2 回顧五年 原爆ヒロシマの記録 「原爆ヒロシマの記録」編集部編 瀬戸内海文庫 1950/5/5
3 屍の街(冬芽書房 初版) 大田洋子著 冬芽書房 1950/5/30
4 屍の街(冬芽書房 初版)[文11-1] 大田洋子著 冬芽書房 1950/5/30
5 屍の街 (冬芽書房 再版) 大田洋子著 冬芽書房 1950/8/5
6 屍の街(市民文庫) 大田洋子著 河出書房 1951/8/15
7 人間襤褸 大田洋子著 河出書房 1951/8/15
8 人間襤褸(文庫版) 大田洋子著 青木書店 1952/11/15
9 半人間 大田洋子著 大日本雄弁会講談社 1954/5/5
10 人さまざま 続 朝日新聞社 朝日新聞社 1955/4/10
11 半人間(ミリオンブックス) 大田洋子著 大日本雄弁会講談社 1955/7/25
12 半人間(ミリオンブックス) [文57-1] 大田洋子著 大日本雄弁会講談社 1955/7/25
13 原子力と文学 小田切秀雄編 大日本雄弁会講談社 1955/8/5
14 屍の街 (河出文庫 新装版) 大田洋子著 河出書房 1955/9/15
15 人間襤褸 大田洋子著 新潮社 1955/10/10
16 半人間(新潮文庫) 大田洋子著 新潮社 1955/10/25
17 夕凪の街と人と(ミリオンブックス) 大田洋子著 大日本雄弁会講談社 1955/10/25
18 八十歳 大田洋子著 講談社 1961/8/10
19 わが小説 朝日新聞学芸部編 扇谷正造編 雪華社 1962/7/15
20 原子爆弾投下さる 昭和戦争文学全集 13 昭和戦争文学全集編集委員会編 集英社 1965/8/30
21 8月6日と文学 [広島女学院大学]文芸部員編 広島女学院大学文芸部 1967/6/10
22 ひろしま 平和の歩み 広島平和文化センター編 広島市 1968/8/1
23 新聞切抜き(毎日、読売、日経、愛媛、山陽新聞・日本金融通信・その他新聞) [出版者不明] 1968/9/18
24 ヒロシマの証言 平和を考える 広島平和文化図書刊行会編 日本評論社 1969/8/6
25 どきゅめんと・ヒロシマ24年 現代の救済 栗原貞子著 社会新報 1970/4/20
26 <八月六日>を描く 作品集 原民喜 [ほか] 著 文化評論出版 1970/6/20
27 草饐 評伝大田洋子 江刺昭子著 濤書房 1971/8/30
28 この炎は消えず 広島文学ノート 毎日新聞社編 毎日新聞社 1971/12/4
29 屍の街(潮文庫) 大田洋子著 潮出版社 1972/7/20
30 ひろしま 平和の歩み 広島平和文化センター編 広島平和文化センター 1973/8/6
31 証言昭和二十年八月十五日 敗戦下の日本人 安田武・福島鑄郎編 新人物往来社 1973/8/15
32 広島の文芸 岩崎清一郎 広島文化出版 1973/10/20
33 ヒロシマの原風景を抱いて 栗原貞子著 未来社 1975/7/31
34 原爆民衆史 長岡弘芳著 未来社 1977/7/30
35 核・天皇・被爆者 栗原貞子著 三一書房 1978/7/15
36 夕凪の街と人と 大田洋子著 三一書房 1978/7/15
37 大田洋子文学碑建立記念誌 岩崎清一郎編 [大田洋子文学碑]建立委員会事務局 1978/9/25
38 季刊・長崎の証言 1号 鎌田定夫編 長崎の証言の会 1978/12/5
39 定本原民喜全集 山本健吉他2名編 青土社 1979/3/13
40 ヒロシマを語る十冊の本 ヒロシマを知らせる委員会編 労働教育センター 1979/6/20
41 広島文学ノート 河村盛明編 溪水社 [渓水社] 1981/7/20
42 原爆を読む 広島・長崎を語りつぐ全ブックリスト 水田九八二郎 講談社 1982/6/30
43 原爆文献を読む 長岡弘芳著 三一書房 1982/7/15
44 広島・原爆災害の爪跡 中野清一編著 蒼林社出版 1982/7/20
45 大田洋子集 第一巻 屍の街 大田洋子著 三一書房 1982/7/31
46 核時代に生きる-ヒロシマ・死の中の生 栗原貞子著 三一書房 1982/8/15
47 大田洋子集 第二巻 人間襤褸 大田洋子著 三一書房 1982/8/31
48 大田洋子集 第三巻 夕凪の街と人と 大田洋子著 三一書房 1982/9/30
49 大田洋子集 第四巻 流離の岸 大田洋子著 三一書房 1982/10/31
50 原爆とことば 原民喜から林京子まで 黒古一夫著 三一書房 1983/7/15
51 何とも知れない未来に 日本ペンクラブ編 大江健三郎選 集英社 1983/7/25
52 日本の原爆文学 1 原民喜 原民喜著 ほるぷ出版 1983/8/1
53 日本の原爆文学 2 大田洋子 大田洋子著 ほるぷ出版 1983/8/1
54 日本の原爆文学 15 評論/エッセイ 「核戦争の危機を訴える文学者の声明」署名者編 ほるぷ出版 1983/8/1
55 Atomic Aftermath : Short Stories about Hiroshima and Nagasaki ed. by Kenzaburo Oe ; 大江健三郎 Shueisha Press 1984/1/1
56 広島の遺書 豊田清史著 蒼洋社 1984/5/10
57 ひろしま文学紀行 河村盛明著 広学図書 1984/11/1
58 平和を考える 第Ⅷ集 「ヒロシマ・ナガサキ」を読む(4) 岡田龍一編 岡田龍一(西宮市立瓦木中学校) 1985/3/31
59 ひろしまの河 旧原水爆禁止広島母の会編 旧原水爆禁止広島母の会 1985/5/27
60 ざまをみろ-ヒロシマ・核の黙示録 鳥山拡 構成、広島テレビ特別取材班 協力 エムジー 1985/8/6
61 原爆文献から あの日あの時 「死の行進」を探る 新居国夫編 新居国夫 1986/12/1
62 新聞資料-原爆 小田切秀雄監修 日本図書センター 1987/8/1
63 原爆遺跡・碑めぐり案内 付録-原爆資料館について‐軍都広島の略年表 広島キリスト教社会館保育園職員 広島キリスト教社会館保育園職員 1988/7/1
64 The Atomic bomb : voices from Hiroshima and Nagasaki ed. by Kyoko and Mark Selden M. E. Sharpe 1989/1/1
65 Hiroshima:Three Witnesses ed. and tr. by Richard H. Minear Princeton University Press 1990/1/1
66 連禱 深川宗俊歌集 深川宗俊著 短歌新聞社 1990/8/6
67 被爆関連文献資料のフルテクスト・データベースの構築の試み 広島大学平和科学研究センター 松尾雅嗣ほか 広島大学平和科学研究センター 1991/1/1
68 日本の原爆記録16 原子力と文学(抄)、原爆文学史、原爆とことば(抄) 原民喜から林京子まで 家永三郎、小田切秀雄、黒古一夫 日本図書センター 1991/5/25
69 広島の文学 岩崎文人著 溪水社 [渓水社] 1991/10/15
70 屍の街 大田洋子著 「ヒロシマ」文学を読む会 1992/4/15
71 ヒロシマ・ナガサキへの旅 原爆の碑と遺跡が語る 水田九八二郎著 中央公論社 1993/7/10
72 原爆遺跡・軍都広島案内ハンドブック写真集 ヒロシマの今から過去を見て回る会編 ヒロシマの今から過去を見て回る会 1993/11/5
73 ふるさと文学館 第40巻 広島 磯貝英夫責任編集 ぎょうせい 1994/2/15
74 Writing Ground Zero : Japanese Literature and the Atomic Bomb John Whittier Treat The University of Chicago Press 1995/1/1
75 占領下の「原爆展」-平和を追い求めた青春 小畑哲雄著 かもがわ出版 1995/6/25
76 屍の街・半人間 大田洋子著 講談社 1995/7/10
77 大田洋子 大田洋子著 浦西和彦編解説 日本図書センター 1995/11/25
78 広島の文学 増補 岩崎文人著 溪水社 [渓水社] 1996/3/25
79 ヒロシマの碑 宅和純 著、広島県教職員組合、広島平和教育研究所 編 広島県教育用品 1996/5/15
80 女がヒロシマを語る 江刺昭子、加納実紀代、関千枝子、堀場清子編 インパクト出版会 1996/8/6
81 原爆被爆者対策史の基礎的研究 原爆被爆者対策前史 1945年(昭和20)~1953年(昭和28) 資料集 宇吹暁 広島大学原爆放射能医学研究所 1997/2/1
82 原爆文献を読む 原爆関係書2176冊 水田九八二郎著 中央公論社 1997/7/18
83 梶葉かじのは 梶山季之文学碑記念 通巻5 「梶葉」刊行委員会(梶山季之文学碑管理委員会)編 「梶葉」刊行委員会(梶山季之文学碑管理委員会) 1997/7/20
84 進徳学園九十年史 進徳学園九十年史編集委員会 進徳学園 1998/2/14
85 ヒロシマの女たち 続 広島女性史研究会編著 ドメス出版 1998/4/11
86 広島のいしぶみはみつめる 第2集 西尾隆昌著 西尾隆昌 2000/8/6
87 大田洋子集 第1巻 屍の街 大田洋子 日本図書センター 2001/11/25
88 大田洋子集 第2巻 人間襤褸 大田洋子 日本図書センター 2001/11/25
89 大田洋子集 第3巻 夕凪の街と人と 大田洋子 日本図書センター 2001/11/25
90 大田洋子集 第4巻 流離の岸 大田洋子 日本図書センター 2001/11/25
91 広島文学資料目録 広島市立中央図書館編 広島市立中央図書館 2004/3/1
92 破壊からの誕生 原爆文学の語るもの 津久井喜子著 明星大学出版部 2005/7/20
93 原爆は文学にどう描かれてきたか 黒古一夫 八朔社 2005/8/1
94 夕凪の街から 大田洋子を語る 池田正彦編 広島に文学館を!市民の会 2007/7/1
95 原爆文学という問題領域 (プロブレマティーク) 川口隆行著 創言社 2008/4/15
96 ヒロシマ・ナガサキを考える 復刻版Ⅱ ヒロシマ・ナガサキを考える会 2008/8/6
97 広島の文学碑めぐり 西紀子著 溪水社 [渓水社] 2009/6/1
98 グラウンド・ゼロを書く 日本文学と原爆 ジョン・W・トリート著、水島裕雅、成定薫、野坂昭雄 監訳 法政大学出版局 2010/7/7
99 屍の街 大田洋子著 日本ブックエース、日本図書センター(発売) 2010/7/25
100 ヒロシマ・ナガサキ 閃 コレクション戦争と文学 19 原民喜[ほか] 著、浅田次郎[ほか]編集委員、 北上次郎編集協力 集英社 2011/6/10
101 核エネルギー言説の戦後史1945-1960 「被爆の記憶」と「原子力の夢」 山本昭宏著 人文書院 2012/6/30
102 佐々木基一全集4 作家論・作品論① 佐々木基一著、佐々木基一全集刊行会編纂 河出書房新社 2013/5/30
103 広島の文学碑めぐり 続 西紀子著 溪水社 [渓水社] 2013/6/1
104 われらの詩 復刻版 別巻 三人社 三人社 2013/6/30
105 佐々木基一全集5 作家論・作品論② 佐々木基一著、佐々木基一全集刊行会編纂 河出書房新社 2013/6/30
106 生誕110年没後50年大田洋子文学資料展-展示資料目録- 広島市立中央図書館 広島市立中央図書館 2013/11/9
107 戦争の記憶と女たちの反戦表現 長谷川啓、岡野幸江編 ゆまに書房 2015/6/5
108 出来事の残響 原爆文学と沖縄文学 村上陽子著 インパクト出版会 2015/7/8
109 ひとびとの精神史 第1巻 敗戦と占領 1940年代 栗原彬、吉見俊哉編 岩波書店 2015/7/24
110 被爆70年 文学に描かれた8月6日 ふくやま文学館編 ふくやま文学館 2015/8/1
111 “ヒロシマ・ナガサキ”被爆神話を解体する 隠蔽されてきた日米共犯関係の原点 柴田優呼著 作品社 2015/8/6
112 広島の歴史と被爆体験記 國分良徳著 渓水社 2016/4/1
113 関千枝子 中山士朗 ヒロシマ往復書簡 第3集(2014-2016) 関千枝子、中山士朗著 西田書店 2017/6/1
114 中井正文と「広島文藝派」 或る郊里の地方文壇史 天瀬裕康著 溪水社 2019/3/6
115 北米先住民作家と〈核文学〉 アポカリプスからサバイバンスへ 松永京子 著 英宝社 2019/5/15
116 「この世界の片隅」を生きる 広島の女たち 堀和恵 著 郁朋社 2019/7/26
117 屍の街 大田洋子原爆作品集 大田洋子著 長谷川啓編 小鳥遊書房 2020/8/15
118 ヒロシマ平和学を問う 水羽信男著 広島大学総合科学部編 丸善出版 2021/1/25
119 芝田資料楽譜 ファイル1 作曲者名ア行 芝田進午 芝田進午
120 被爆作家の軌跡 広島花幻忌の会学習資料 安藤欣賢 海老根勲 広島花幻忌の会
121 新聞スクラップ帳 [出版者不明]

 

 

各号書名 巻数 出版者 出版年 コード
1 安芸文学(安藝文学)  1972.11.01 32号 安芸文学同人会 1972/11/1
2 安芸文学(安藝文学)  1978.10.01 43号 安芸文学同人会 1978/10/1
3 安芸文学(安藝文学) 1986.01.20 52号 安芸文学同人会編集事務局 1986/1/20
4 アサヒグラフ 1962.8.10 1962.8.10 第1991号 朝日新聞社 1962/8/10
5 改造 1952.10増刊 33巻15号 改造社 1952/10/15
6 改造 1952.11増刊 33巻17号 改造社 1952/11/15
7 季刊平和教育 第2号 1976.08 第2号 明治図書出版 1976/8/25
8 群像 3月号 1954.03.01 第9巻第3号 講談社 1954/3/1
9 現代思想 2003.8 第31巻第10号 青土社 2003/8/1
10 原爆文学研究 3 3 花書院 2004/8/31
11 原爆文学研究 4 4 花書院 2005/8/31
12 原爆文学研究 5 5 花書院 2006/10/31
13 原爆文学研究 6 6 花書院 2007/12/14
14 原爆文学研究 9 9 花書院 2010/12/25
15 原爆文学研究 10 10 花書院 2011/12/25
16 原爆文学研究 13 13 花書院 2014/12/21
17 原爆文学研究 14 14 花書院 2015/12/12
18 原爆文学研究 15 15 花書院 2016/8/31
19 原爆文献を読む会 会報 1971. 3 No.8 原爆文献を読む会 1971/3/5
2 世界 1951.2 第62号 岩波書店 1951/2/1
3 世界 1951.3 第63号 岩波書店 1951/3/1
4 人間 1951.6 6巻6号 目黒書店 1951/6/1
5 人間 1951.7 6巻7号 目黒書店 1951/7/1
6 人間 1951.8 6巻8号 目黒書店 1951/8/1
7 世界 1952.6 第78号 岩波書店 1952/6/1
8 世界 1952.8 第80号 岩波書店 1952/8/1
9 改造 1952.10増刊 33巻15号 改造社 1952/10/15
10 改造 1952.11増刊 33巻17号 改造社 1952/11/15
11 群像 3月号 1954.03.01 第9巻第3号 講談社 1954/3/1
12 世界 1954.3 第99号 岩波書店 1954/3/1
13 われらのうた 1955.4.10 第6号 われらのうたの会 1955/4/10
14 新日本文学 1955.08.01 第10巻第8号第97号 新日本文学会 1955/8/1
15 知性 1955.10 10月号 第2巻第10号 河出書房 1955/10/1
16 文芸春秋 1956.06 [別冊文芸春秋] 第52号 文芸春秋新社 1956/6/28
17 世界 1957.3 第135号 岩波書店 1957/3/1
18 世界 1959.7 第163号 岩波書店 1959/7/1
19 世界 1959.9 第165号 岩波書店 1959/9/1
20 世界 1960.10 第178号 岩波書店 1960/10/1
21 世界 1961.5 第185号 岩波書店 1961/5/1
22 アサヒグラフ 1962.8.10 1962.8.10 第1991号 朝日新聞社 1962/8/10
23 新日本文学 1964.02.01 第19巻第2号No.199 新日本文学会 1964/2/1
24 世界 1964.2 第218号 岩波書店 1964/2/1
25 新潮 1964.03.01 第61卷第3號第707号 新潮社 1964/3/1
26 原爆文献を読む会 会報 1971. 3 No.8 原爆文献を読む会 1971/3/5
27 世界 1971.12 第313号 岩波書店 1971/12/1
28 歴史と人物 1972.01.01 第2年第1号 第5号 中央公論社 1972/1/1
29 ひろしまの河 復刊1号 通巻16号 1972.07 16号 原水爆禁止広島母の会 1972/7/20
30 安芸文学(安藝文学)  1972.11.01 32号 安芸文学同人会 1972/11/1
31 広島通信 1976.05.01 No.52 「広島通信」の会 1976/5/1
32 季刊平和教育 第2号 1976.08 第2号 明治図書出版 1976/8/25
33 広島通信 1977.12.01 No.56 「広島通信」の会 1977/12/1
34 広島通信 1978.04.01 No.57 「広島通信」の会 1978/4/1
35 世界 1978.4 第389号 岩波書店 1978/4/1
36 安芸文学(安藝文学)  1978.10.01 43号 安芸文学同人会 1978/10/1
37 真樹 1979.8.1 第50巻第8号 8月号 真樹社 1979/8/1
38 平和文化 1982.9 第37号 広島平和文化センター 1982/9/1
39 安芸文学(安藝文学) 1986.01.20 52号 安芸文学同人会編集事務局 1986/1/20
40 世界 1987.9 第505号 岩波書店 1987/9/1
41 雲雀 第3号 2003.06.01 3 広島花幻忌の会事務局 2003/6/1
42 現代思想 2003.8 第31巻第10号 青土社 2003/8/1
43 原爆文学研究 3 3 花書院 2004/8/31
44 原爆文学研究 4 4 花書院 2005/8/31
45 真樹 2006.1 第77巻第1号 真樹社 2006/1/1
46 原爆文学研究 5 5 花書院 2006/10/31
47 原爆文学研究 6 6 花書院 2007/12/14
48 広島文藝派 [広島文芸派] 2009.9 復刊・第24号 ≪広島文藝派≫の会 [広島文芸派の会](旧:広島文庫の会) 2009/9/30
49 原爆文学研究 9 9 花書院 2010/12/25
50 原爆文学研究 10 10 花書院 2011/12/25
51 トランセンド研究 平和的手段による紛争の転換 2013.12 第11巻 第2号 トランセンド研究会 2013/12/31
52 原爆文学研究 13 13 花書院 2014/12/21
53 文學界 9月号 2015.09 第69巻第9号 文芸春秋 2015/9/1
54 原爆文学研究 14 14 花書院 2015/12/12
55 原爆文学研究 15 15 花書院 2016/8/31
資料名(題名) 作詞者 作曲者 出演者 制作者
1 少女たちは 大田洋子 尾上和彦作曲、長野文憲編曲 1978/1/1

 

 

大田洋子

大田洋子

おおた・ようこ 19031120生 19631210没 享年60
[原爆被害者の会東京協力会世話人]。第4回女流文学賞(1952年)、文化人会議昭和29年度平和文化賞。『広島県現代文学事典』(岩崎文人執筆。Pp233-234)

資料

大田洋子文学碑
大田洋子文学碑建立記念誌
作品

 

 

関千枝子

関千枝子

せき・ちえこ 19320328生20210221没 享年88 フリージャーナリスト。著書に「広島第二県女二年西組―原爆で死んだ級友たち」。姉=黒川万千代。級友・亀沢恵尼の姉=亀沢深雪。

書誌

書名 著者(無い場合は著者=関千枝子)・発行所など 出版年月日
広島第二県女二年西組-原爆で死んだ級友たち 筑摩書房 1985/2/28
ヒロシマ花物語 汐文社 1990/7/15
しらうめ 広島第二県女創立50周年記念誌 広島県立広島第二高等女学校同窓会(編・刊) 1995/9/3
女がヒロシマを語る 江刺昭子、加納実紀代、関千枝子、堀場清子編、 インパクト出版会 1996/8/6
証言-ヒロシマ・ナガサキの声1996 長崎の証言の会 1996/9/10
ヒロシマから吹く風 横浜市立浦島丘中学校 1997/3/10
ヒロシマの女たち 続 広島女性史研究会編著、ドメス出版 1998/4/11
広島第二県女二年西組 〔上〕 埼玉福祉会 1999/5/20
広島第二県女二年西組 〔下〕 埼玉福祉会 1999/5/20
日本原爆論大系 第7巻 歴史認識としての原爆 岩垂弘ほか、日本図書センター 1999/6/25
若葉出づる頃 新制高校の誕生 西田書店 2000/6/10
8月の晴れた日に 7 埼玉県原爆被害者協議会(しらさぎ会)、さいたまコープ労働組合平和部 2002/4/13
ゲンバクの日ぼくたちは10代だった 桂寿美江、神南明子、野村恵利子取材・執筆 松本あゆみ英語翻訳 創文刊 2003/7/30
原爆被災証言記 忘れられた学徒たち 県立広島女子大学同窓有志、広島県立広島第二高等女学校同窓有志 2007/8/6
修学旅行記録集[2006/10/25(水)~28(土)] 埼玉県立飯能高等学校 2008/3/8
戦争と性 第27号 「戦争と性」編集室 2008/4/25
ヒロシマ・ナガサキを考える 復刻版Ⅱ ヒロシマ・ナガサキを考える会 2008/8/6
広島第二県女二年西組 構成台本 関千枝子著 岩田直二構成演出らくらく演劇塾 2010/3/1
広島第二県女二年西組-原爆で死んだ級友たち 筑摩書房 2010/5/25
ヒロシマ原爆地獄 ヒロシマの生き証人は語り描く 河勝重美著、ヒロシマ「原爆地獄」を世界に弘める会(河勝重美) 2011/1/1
ヒロシマ原爆地獄 生き証人の描く被爆者一人ひとりの生と死 日英二カ国語版 ヒロシマ「原爆地獄」を世界に弘める会(河勝重美) 2011/1/1
ヒロシマ・ナガサキを考える 復刻版Ⅲ-① ヒロシマ・ナガサキを考える会 2011/8/6
ヒロシマ・ナガサキを考える 復刻版Ⅲ-② ヒロシマ・ナガサキを考える会 2011/8/6
フィールドワークまっぷ 広島の少年少女たちの死をめぐって 2012年版 竹内良男 2012/8/1
広島・長崎から 戦後民主主義を生きる 往復書簡 関千枝子、狩野美智子著 彩流社 2012/10/31
ヒバクシャからの手紙 被爆体験記集 第3巻 広島平和文化センター 編集 厚生労働省、国立広島原爆死没者追悼平和祈念館 2013/3/31
慟哭の廣島 今田耕二、木下印刷所(印刷) 2014/7/22
金輪島と原爆 原爆死没者慰霊碑参拝 竹内良男 2014/10/26
原爆地獄 The Atomic Bomb Inferno ヒロシマ生き証人の語り描く一人ひとりの生と死 日英版 河勝重美編、コールサック社 2015/4/16
ヒロシマの少年少女たち 原爆、靖国、朝鮮半島出身者 彩流社 2015/8/26
関千枝子 中山士朗 ヒロシマ往復書簡 第1集(2012-2013) 関千枝子、中山士朗著 西田書店 2015/11/20
ヒロシマを若い世代に 原爆で未来を絶たれた若い命は訴える 被爆者の語り描く失われた若い命の生と死のドラマ 日本語英語二カ国語版 = Hiroshima never again : an appeal to today’s young people from the young who lost their future : survivers witnessed the life and death of young people in Hiroshima : English-Japanese edition  河勝重美 2016/5/24
関千枝子 中山士朗 ヒロシマ往復書簡 第2集(2013-2014) 西田書店 2016/6/1
関千枝子 中山士朗 ヒロシマ往復書簡 第3集(2014-2016) 西田書店 2017/6/1
証言 町と暮らしの記憶 中島本町・材木町・水主町 ヒロシマ・フィールドワーク実行委員会 2017/8/5
ヒロシマ対話随想 関千枝子、中山士朗著、西田書店 2019/5/10

 

 

 

チェ・ゲバラ

チェ・ゲバラ(本名:エルネスト・ゲバラ) 19280 614生、19671009没

資料

書名 著者、発行所、出版年など 備考
ゲバラのHiroshima 佐藤美由紀、 双葉社、20170806
目次
プロローグ
第1章
 キューバ親善使節団
カバーニャ要塞のコマンダンテ
外交模索が目的の長期外遊
経済成長を支える日本の工業力を注視
ゲバラ一行の金銭事情
通商第一主義を通した日々
大使の息子とチェの出会い
冷淡な対応の中での学びと思索
第2章  ゲバラとヒロシマ
 千鳥ヶ淵と広島と
強行突破
原爆慰霊碑の前に立って
翳りある顔に見える心の葛藤
原爆資料館で吐き出した感情
被爆者を抱きしめて
ヒロシマからの言葉
カメラで切り取ったヒロシマ
持ち帰った強い思い
第3章 アメリカ嫌い
 政治的な目覚め
運命の出会い
キューバ上陸、革命成就
最大の反革命勢力・アメリカ
要注意人物
反帝国主義への新たな誓い
米支配に従属したニッポンを憂う
第4章 ミサイル危機と反核
 北の巨人の”いやがらせ”
要職歴任、昼夜の学び
アメリカの侵攻計画とソ連への接近
国交断絶と社会主義革命
ケネディ大統領の陰謀
ミサイル配備の思惑
米ソ二大国の応酬
当事国を無視した危機の収束
ゲバラの本音
反核の思いを込めた国連演説
第5章  それぞれのヒロシマ
 四四年後に果たされた約束
フィデル・カストロのヒロシマ
絶対平和思想
娘アレイダのヒロシマ
一般市民たちの被爆地への認識
キューバに息づくゲバラの思い
エピローグ
広島・キューバ展 2017年9月16日 会場:旧日本銀行広島支店
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備考

児玉健次

児玉健次(こだま・けんじ) 1933年生 20210224没 享年87歳

日本の政治家。衆議院議員(通算4期)、日本共産党中央委員。

広島県生まれ。1956年広島大学学生細胞で入党。文学部卒業。同大学院中退。高校に奉職後、教諭として勤務する一方、北海道高教組副委員長等を歴任。

1986年第38回衆議院議員総選挙で北海道1区から立候補し初当選。4期当選(中選挙区北海道1区2期、比例北海道ブロック2期)議員在任中、社会労働委員、国会対策委員代理、文部科学委員などを歴任。

死亡欄掲載紙20210227=朝日新聞、赤旗。

参考資料<リンク>=8・6学生平和会議(主催:広島大学学生自治会、会場:広島児童文化会館 1956年8月5~7日)実行委員長=児玉健次(広島大学文学部)

宇吹メモ=1990年5月15日午後2時、 共産党国会調査団来所(=広島大学原爆放射能医学研究所)。林紀子、児玉健次など12人。宇吹助手が応対。

 

原爆補償法の思想(今堀誠二)

原爆補償法の思想(今堀誠二)

つぐない 原爆補償』(創刊号、19731206)所収

昭和十二年に日中戦争がはじまると、日本の海軍航空隊は中国の主な都市に渡洋爆撃を加えた。それは文字通り、中国のほとんどの都市を、片端から攻撃目標を軍事施設においていたとは言え、一般市民の中からも、少なからぬ犠牲者を出した。世界の世論は、その点て激しく日本を非難し、日本は市民の被害者に対して賠償すべきだという主張が半ば常識として言われていた。とくにアメリカは、ほとんど毎日、日本の外務省に抗議を行った。例えば十一月十日に、日本の爆撃機が南京の軍官学校に攻撃を加えたとき、正門付近で、市民が負傷した。これは無差別爆撃であり、国際法違反だからこのような爆撃を直ちに中止せよ、といったような抗議であった。アメリカ国務省は、ねばり強くあくまで、日本の非を鳴らしてやまなかった。日本は馬耳東風ときめ込んでいたが、世界の良心はいつも中国を是とし、日本を非とする立場をとり続けていた。

私たちが、原爆被災者の国家補償を要求するのは、原爆投下
が無差別爆撃であり、違法な戦争手段だから、これに対する補
償を求めるわけである。そのことは同時に、日本軍が行った違
法な攻撃を反省して、これに対する中国人民の補償要求を支持
するのはもとより、ひいてはすべての戦争において、附随的に
起きざるを得ない。この種の犠牲者の発生を、未然に防ぐこと
を主張するわけで、戦争そのものを、根絶するための具体的な
運動に、ほかならないのである。

日本人は原爆に対して、被害者意識をもつことはあっても、加害者としての反省は皆無に近い。広島・長崎における外国人被爆者は朝鮮人・中国人をはじめとし、世界の各国人を含んでいるが、そうした外国人被爆者の大半は、日本の国策によって日本に連れて来られた人たちである。国家補償をうけるとすれば、アメリカと並んで、日本の責任に帰せられるべきケースが多い。その点でも日本は加害者なのだが、問題はもっと深刻である。

日本は日中戦争以来、到る所で非戦闘員に対し、あらゆる残
虐行為を加えてきた。南京大虐殺は戦時下の「軍事美談」であ
って、「事実」ではないという主張を展開している大もいるが、そうした「軍事美談」が作られたこと自体が、時代の風潮を示す「事実」である。むろん、日本軍だけが、こうした残虐行為
を行なったわけではない。昭和十二年の通州事件では、約三百
人の日本人が強姦され、虐殺されているし、昭和二十年には北
満の開拓地にいた日本の農婦たちが、夫の出征後に、ソ連軍に
よって蹂躙しつくされている。ただこうした事件は、日本軍が
やって来た行為の裏返しであって、当時、兵隊であった私たち
は、アメリカに上陸して女と言わず子供と言わず、皆殺しにせ
よというような教育を、うけていたわけである。われわれはす
べての非戦闘員に対して加えた不法な行為に対し、心から反省
するとともにその被害者に対する補償を行なう決意なしには、
原爆補償を求めることはできないのである。

昭和二十年、日本の都市はつぎつぎに焼き払われた。何十万
という市民が絨毯爆撃のために殺され、数百万人が貴重な富を失なった。こうした一般戦災の被害は、原爆被災と同一視すべ
きではないが、原爆被災のみに補償を要求し、一般戦災への補
償を拒否することは許されない。両者の間にはっきりした相違
かおることは事実だが、原爆補償は戦災補償のうちでもっとも
重要な補償であり、これを突破口にして、戦災補償全体に、運
動の輪をひろげていくことが、将来のねらいとなってしかるべ
きであろう。

広島は軍都を誇り、事実、ハンブルグ以上の防備都市でもあ
った。そこには徹底抗戦の熱意に燃えた四十万の市民が住んで
いた。

アメリカの戦略爆撃はすでに日本の大部分の都市を灰にして
いたから、広島が攻撃を受けるのは時間の問題だったし、全市
民もそれを覚悟していた。そこに普通の爆弾が落されたのだっ
たら、広島は何も言えなかったし、ノー・モア・ヒロシマ運動
もまた起らなかった。原爆という、完全な無差別大量虐殺攻撃
をしかけられたことで、歴史は変わったのである。

原水爆時代は一日も早く終らせればならない。原爆補償法制
定の意義は、その点にかかっているが、同時に、その運動の拡
がりの中から、すべての戦災者の補償が実現されることで、福
祉国家が実現することにも、意味があると言わねばならない。
昭和二十年までの日本は、軍事国家であり、軍閥国家であった。
そのことへの根本的な反省が、補償法の制定となり、補償法に
よって国家が国民生活を保証するようになれば、福祉国家への
脱皮となるわけである。

運動の前途は、きわめて困難であり、成功の可能性は少ない
が、われわれはそれだからこそ、勇往邁進したいと思っている。
歴史を作るというのは、そういうことなのである。(東洋史)

 

広島原爆被災資料の保存(今堀3)

今堀誠二「広島原爆被災資料の保存をめぐって」(『芸備地方史研究76』芸備地方史研究会、19690131)

内容

キーワード(人物・著書・団体など) 備考
3
 バーバラ・レイノルズ  広島・長崎世界平和巡礼団
  アメリカのピッツバーグを訪れたとき、市民の中から原爆被災資料がアメリカに持ち帰られていることが話題にされ、二ユーヨークタイムスがこれをスクープとしてとりあげようとした。事実関係がもう一つはっきりしなかった為に不発に終ったが、アメリカにある資料の返還は、在米の被爆者調査とともに、将来の宿題だと言える。
 ウ・タント
巡礼団はニューヨークの国連本部でウ・タント事務総長に会い、
国連が被災白書を作るように要請。
1966年12月、国連総会はウ総長が「核兵器影響に関する
国連事務総長報告」をまとめるよう、満場一致で決議し、
翌年10月ウ報告は提出。
 この基礎データとなる広島・長崎の被災事実が明らかでなく、例えば死亡者の数なども終戦直後の県警報告78000が採用され、それが今後の災害を推定する基礎数字になっているという有様であるから、全体としてウ・タント報告の信頼度を弱める結果となったことは、まことに残念である。猶、広島・長崎の被爆者には、相当数の中国・朝鮮・東南アジア・ロシア・アメリカ人がいることを付言しておく。
 金井利博  中国新聞社論説委員。
1940年代から原爆関係文献の収集を行ない、その方面の開拓者の一人。 早い時期から被災白書の作成を中国新聞の紙上で提唱。
1964年8月、総評社会党系原水禁世界大会に出席、提案。
 談和会  広島・山口の大学人で組織する平和のための研究団体
   被災白書を具体的なプランにまとめて発表、とくに国勢調査で被災者総数を明らかにして研究上の「分母」となる数字をつかむべきことを、政府に要求するとともに、広く全国民の協力をよびかけた。
   <以下未入力、要作業>
 世界平和アピール七人委員会
 愛知揆一  文部大臣
 佐藤栄作  首相
 中山  文部大臣
 原爆被災学術資料標本センター
  予算も計上されたが、一部の保守系市議の積極的な妨害工作があって、結局、この予算案は、大蔵省査定を通ったあとで政治的につぶされ、資料館は実らなかった。
 原爆被災資料収集協力委員会  日本被団協。日高六郎・大江健三郎氏らの協力
 近藤泰夫
 原爆ドーム保存
 広島折鶴の会
 浜井広島市長
  市会内部の保守系議員の妨害にも拘らず、42年8月までに、200万人の寄付者が、計画予算を5割も上廻る6500万円の浄財が寄せ、工事も美事に完成した。
 原爆被災白書推進委員会
 原爆被災白書
をすすめる市民の会
 日本政府による原爆被災白書の作製に関する要望書
 茅誠司  原爆被災白書推進委員会委員長
  今堀が、文部省在外研究員となって訪米した機会にアメリカ国務省に働きかけたことも契機となって、67年5月、アメリカは返還をほのめかすに到った。
  原爆被災映画返還運動
 談和会
 学術会議
 中国新聞  新聞協会賞
 朝日新聞  「原爆500人の証言-被爆者追跡調査レポート」
 NHK広島
 原爆地図の復元運動
 平和文化センター
 山崎輿三郎
 原爆被災資料広島研究会
 田原伯
 佐々木雄一郎
  1968年の夏は、原爆被災資料ブームとよばれる程、多くの新資料が再発見された。広島東署がもっていた約二万人分の検視調書をはじめ、被災直後に臨時病院となっていた近郊の学校・公民館・役場などから、当時の日誌などが続々出て来た。広島県動員学徒犠牲者の会は各学校に紹介して、8月6日に各作業場で倒れた学生・生徒の記録をあつめ、「動員学徒誌」(68年5月刊)を出版したが、原爆資料館が小堺吉光氏を中心に、数年の歳月を費してまとめた「広島原爆戦災誌」も、完成を間近にひかえて最後のミガキをかけている。

 

 

広島原爆被災資料の保存(今堀2)

今堀誠二「広島原爆被災資料の保存をめぐって」(『芸備地方史研究76』芸備地方史研究会、19690131)

内容

キーワード(人物・著書・団体など) 備考
1  別記
2
仁科芳雄
都築正男
学術研究会議 日本学術会議の前身
原子爆弾災害調査研究特別委員会
日映ニュース映画班 特別委員会の映画部を担当
原爆記録映画
GHQ命令
原子爆弾災害調査報告集
アメリカは原爆の秘密がソ連にもれることを恐れて、原爆被災資料
の独占に全力をあげた。
大橋成一 臨時野戦病院(宇品の大和紡績)院長
天野重安
玉川忠太
アメリカ原子力委員会
ABCC Atomic Bomb Casualty Comission(1948)
国勢調査(1950年) 母集団=10万人
レイノルズ
ABCCの調査は、科学的であり、系統的であって、すぐれた成果をあげたが、被災の実態そのものを明らかにして、被爆者の救援に役立てようとする姿勢をもたなかったので、被爆者からはモルモット扱いにするという悲難が絶えなかった。戦争準備のための研究ということもあって、原爆の残虐性をアメリカ市民の目からかくそうという気持が強く、レイノルズ博士の行なった小児への影響がいつまでもオクラになっていたり、胎内被爆による小頭症の調査を発表
しなかったり、その他原爆が恐ろしいものだという印象を与える調査結果は公表をさける傾向があったことは否定できない。
発表の上ではともかく、ABCCの蓄積した資料はまことにすばらしいもので、これを正しく活用することが、被災の研究にとって大切な条件である。ABCCの年間の研究費は10億円で、広島大学全体の研究費をはるかに上廻っている。
原爆乙女 独立の回復
広島市原爆障害者治療対策協議会 1956年4月改組、財団法人広島原爆対策協議会(原対協)
原子爆弾後障害研究会
福祉センター 「所感文集」
長岡省吾
原爆資料保存会
原爆参考資料陳列館 1949年9月、市公民館の一室に原爆参考資料陳列館が開設。
平和記念資料館 1955年にはと改称、現在の場所に。
専門調査員も居らず、予算は人件費まで、入場料で賄われる等、不備な点が多かった。原爆資料館というのは市民の愛称。
原子力平和利用展示館
1958年、原爆資料を迫放して、平和記念資料館を原子力平和利用展示館に変更させようという動きがおこり、マジックハンドが中心にすえられて、遺物や写真は片すみに追いやられたりした。陳列遺物の一半は原爆資料保存会の所有であったから、保存会が強く抵抗して、10年がかりで、旧に帰していった。
巡回展覧会計画 1950年に立てられているが、朝鮮戦争のため、神戸の貿易博に出陳しただけで中止。
要調査(宇吹)『日本貿易産業博覧会”神戸博”会誌』(日本貿易産業博覧会事務局、1950)
 広島長崎原爆資料公開展  1954年 東京・日赤本社
 全国巡回展  1967年 朝日新聞社
沖縄 展覧会  1967年
大阪 万国博出品  失敗
 国連本部(ニューヨーク)に展示室を設ける計画  失敗
  (失敗の)一つの原因は、広島市当局の消極的態度にあるが、資料内容が貧弱なことも原因の一つである。原爆資料館に専門委員会を置き、遺物の科学的・体系的な蒐集に着手することが必要であって、世界の博物館の水準に比較した場合、原爆資料館の内容の貧弱
さは、目を覆うばかりである。
 中野清一・久保良敏・山手茂  被爆者の社会科学的調査
日本原水協専門委員会  「原水爆被害白書」(1961年)
リフトン   R.J.Lifton ”Death in Life”(1967年)
 渡辺正治・湯崎稔  中山村調査
 今堀誠二  「原水爆時代」(上・下)
 中国新聞社  「広島の記録」(全三冊)
 広島市  新修広島市史」
長岡弘芳 「原爆文学史略説」(りいぶる13~15号)
広島平和文化センター 「平和の歩み」
3  別記
4 別記

 

 

広島原爆被災資料の保存(今堀)

今堀誠二「広島原爆被災資料の保存をめぐって」(『芸備地方史研究76』芸備地方史研究会、19690131)

内容

キーワード(人物・著書・団体など) 備考
1
ロベルト・ユンク ベルリン大学歴史学科出身、
千の太陽よりも明るく
   Robert Jungkには広島の災害と、戦後の被爆者の生活史をえがいた「灰墟の光- 甦えるヒロシマ」があるが、その作製のため来広した時、直接会って見聞したときの聴取による。
遠山茂樹 昭和史
西島有厚 原爆はなぜ投下されたか
広島の災害については、歴史学から見た場合、ほとんど何も解明さ
れていないと言っても過言ではない。被災者の数、死亡者の数、原爆孤児の数、原爆乙女や原爆孤老の数、どれ一つとして、概数さえつかめていない。まして家族の欠損がどんな意味をもったか、失われた富はどの位か、被爆者の精神はどんな点に特徴があるか等々、被災の基礎的事実を客観的にとらえようとする努力は、殆んどなされなかった。
原爆資料館
ジョン・ハーシー 「ヒロシマ」
ユンク 「灰墟の光」
2  別記リンク
 3   別記リンク
4
 被災資料の内容は、当時の記録や遺物だけでなく、その後の被爆者のあり方を、体系的に把握するため、聴取・写真・映画などにより、残していくことが大切なので、既存資料をあつめる作業のほかに、価値ある資料を作っていく作業が重要である。
その具体的方法は、原爆被災白書推進委員会が1966年に発表した
「日本政府による原爆被災白書の作製に関する要望書」が、
言わば第一次案と呼ぶべきものである。
学術会議が数回にわたってくりかえしたシンポジウムの報告書は、
いずれもまとめられているが、アンチテーゼに相当するレポート
である。学術会議が政府に申入れて、発足も間近い特別委員会(ワーキングーグループ)が、この作業を本格的に始めれば、原案の作製が期待できる。
ここに、私の個人的見解を記してみるつもりであったが、紙幅の都合上割愛する。
いずれにしても、被爆者を含めた市民の積極的な協力と、創造力に富んだ研究者の専門的能力と、政府・県・市・大学等の全面的な支援か必要であって、自主・民主・公開の原則を守り、被爆者の立場に立って構想することが、プラン作製の原則であろう。歴史家の任務はまことに重大である。

 

 

核を葬れ!森瀧市郎・春子父娘の非核活動記録

『核を葬れ!森瀧市郎・春子父娘の非核活動記録 』(広岩近広、藤原書店、20170806)内容

プロローグ
1 「力の文明」の対極に「愛の文明」
右目に突き刺さった原爆のガラス片
残された左目に映った広島の惨禍
原爆と敗戦の深い傷痕
同僚や子らの死に深い悲しみ
戦争は「力の文化」の必然的帰結
原子力時代に求められる新しい道徳
2 「ヒロシマ後の世界」を見据えて
 「広島子どもを守る会」が発足
ビキニ事件に憤慨して原水爆禁止国民運動
六〇年安保に揺さぶられた平和運動
国民運動は原水協と原水禁に分裂
3 「不殺生」「非暴力」「生命への畏敬」
国民平和使節として欧州に反核の旅
大学に辞表を提出して、重大決意を実行
「原水爆禁止広島母の会」の活動
三人の聖者の生き方に感銘
「人類は生きねばならぬ」と退官後も奮迅
4 幻想だった核の平和利用
平和利用の名のもとに原発の建設計画
原発は原爆の材料プルトニウムをつくる
「核と人類は共存できない」と世界に訴える
反核の力を結集させたい
「ヒロシマの役割」を再認識する
非核の未来をつくらねばならない
「それでも原発は危険だ」と言いつづける
「いのちとうとし」のラストメッセージ
5 ウラン採掘に始まる放射能汚染
インド.パキスタンの若者と平和交流
ウラン鉱山の放射線被害を現地で調査
「核兵器廃絶をめざすヒロシマの会」が始動
「子どもの命を返してくれ!」
劣化ウラン国際大会が警告した内部被曝
6 原子力体制を問う
核廃絶は、原発廃絶と切り離せない
日本政府の原発輸出と核政策を問う
「国から二度、棄民にされた」
三つの課題と三つのキーワードで責任を追及
法廷で「核の人道に対する罪」を陳述
フクシマを忘れない、繰り返させない特別アピール
7 地球規模で広がるヒバクシャ
核被害を総合的に捉える
「私たちには怒る義務がある」
ヒバクシャは世界的な用語になった
「核なき世界」を目指す取り組み
オーストリアが「人道の誓約」
「平和の種」が「反核の息子」に
核兵器禁止条約に反対する被爆国
国連で、核兵器禁止条約を策定
エピローグ
資料
世界核被害者フォーラム 広島宣言
世界核被害者の権利憲章要綱草案
核兵器禁止条約
森瀧市郎・春子の活動年譜
主な引用・参考文献

核兵器白書 ウ・タント国連事務総長報告

『核兵器白書 ウ・タント国連事務総長報告』(鹿島平和研究所訳 、鹿島研究所出版会、19680425 )

内容

序文(鹿島守之助)
日本版のための序文(ウ・タント国連事務総長)
国連事務総長の報告
国連事務総長あて送付書
序説
核兵器を使用した場合の影響
広島および長崎
将来の戦争における核兵器のありうべき使用の意義
ある国の一地方に対する核攻撃の影響の評価
野戦における核兵器の使用から生ずる影響
抑止か戦争か
核兵器の取得と一層の開発の経済的意義
各種の核弾頭生産計画のコスト 39
調達コストのまとめ 44
経済的意義 45
プルトニウム資源の予想される増大の意義
核兵器の取得および一層の開発の安全保障における意義
序説 53
核兵器の歴史 53
現在の見通し 56
戦術的兵器の問題 61
政治的関連における核兵器
結論
付編Ⅰ 核爆発の一般的特性
付編Ⅱ 核放射線の遺伝的影響
付編Ⅲ 本編Ⅰの参考文献
付編4 核弾頭の基礎的コスト

 

 

国連歴代事務総長

国連歴代事務総長

名前 出身国 在職期間
アントニオ・グテーレス ポルトガル 2017年1月1日~
潘基文 韓国 2007年1月~2016年12月
コフィー・A・アナン ガーナ 1997年1月~2006年12月
?ブトロス・ブトロス=ガーリ エジプト 1992年1月~1996年12月
ハビエル・ペレス・デクエヤル ペルー 1982年1月~1991年12月
クルト・ワルトハイム オーストリア 1972年1月~1981年12月
ウ・タント ビルマ(現ミャンマー)
1961年11月に事務総長代行に任命され、1962年11月に正式に事務総長に任命。1971年12月まで在職
ダグ・ハマーショルド スウェーデン
1953年4月から1961年9月にアフリカでの航空機墜落事故で殉職するまで在職
トリグブ・リー ノルウェー 1946年2月~1952年11月

 

出典:https://www.unic.or.jp/info/un/un_organization/secretariat/secretary-general/list_sg/

ノーベル平和賞受賞者(ヒロシマ関連)一覧

ノーベル平和賞受賞者(ヒロシマ関連)一覧

名前 国等 備考
1949 ボイド=オア
1952 シュヴァイツァー
1959 ノエルベーカー
1962 ボーリング
1972 佐藤栄作 日本 非核三原則
1979 マザー・テレサ
1985  IPPNW
1997 地雷禁止国際キャンペーン(ICBL)
ジュリー・ホワイト講演(広島県庁)
2009 バラク・オバマ 「核なき世界」
20160527広島訪問
2015 国民対話カルテット チュニジア 民主化に貢献
民間3団体代表が広島訪問
2017 ICAN
2018 デニ・ムクゲ コンゴ(旧ザイール) 紛争下の性暴力被害者支援
20191006 原爆資料館で講演(『中国新聞』20191007)

 

 

ノーベル平和賞-90年の軌跡と受賞者群像

『ノーベル平和賞-90年の軌跡と受賞者群像』(堤佳辰、河合出版、19900910 )

目次

章節
序論
平和賞の起源
平和賞の軌跡
ノーベル平和賞受賞者一覧(1901~1989年)
平和賞受賞者内訳(国別、機関別)
本論
1章 新世紀の曙光(1901~1910)平和運動の揺籃期-その希望と苦闘  
1(1901) 赤十字の父  デュナン  スイス
1 国際恒久平和同盟の祖  パシー  仏
2 常設国際平和局の中心  デュコマン  スイス
2 「列国議会同盟」(IPU)の推進者  ゴバ  スイス
3 「IPU」と「国際仲裁連盟」の創立者  クリーマー  英
4 ゛万国の法理゛へ  国際法学会
5 ゛ノーベルの恋人゛  スットナー女史  墺
6 ゛大きな杖゛の男  テディ・ローズベルト  米
7 熱血の平和ジャーナリスト  モネタ  伊
7 国際生活法理の信奉者   ルノー  仏
8 ノーベルの遺志の後継者  アルノルドソン  瑞
8 ゛北欧中立゛の推進者  バイエル  丁
9 小国の論理を代弁した  ベールナルト  白
9 ゛平和宮゛を実現した  デストゥールネイユ  仏
10 平和の拠点  「常設国際平和局」
2章大いなる幻影(1911~1920年)
 1(1911) 1)国際法学会の創設者   アセル  蘭
1 平和雑誌の出版者  フリート  墺
2 善隣外交の演出者  ルート  米
3 初の社会主義受賞者  ラフォンテーヌ  白
4 該当者なし 第1次世界大戦
5  該当者なし 第1次世界大戦
6 該当者なし 第1次世界大戦
7   戦時捕虜の看護と創刊  赤十字国際委員会
8   該当者なし 第1次世界大戦
9 悲劇の国際連盟創設者  ウイルソン  米
10 国際連盟の法的軍事機関化を主張  ブルジョア  仏
3章 つかの間の平和(1921~1930年)ベルサイユ体制の重圧 両大戦のはざまで  
 1(1921)  厳正中立を貫いた  ブランティング  瑞
 2  列国議会同盟の舵取り  ランゲ  諾
 探検家、博愛主義者  ナンセン  諾
 3 該 当者なし 委員会の不決断
 4  該 当者なし 委員会の不決断
 5  対独賠償の軽減者  ドーズ  米
 5  ロカルノの融和の名優達  チェンバレン  英
 6  ロカルノの融和の名優達  ブリアン  仏
 6  ロカルノの融和の名優達  シュトレーゼマン  独
 7  最高齢の平和賞受賞者  ビュイッソン  仏
 7  「ドイツ平和連盟」総裁   クヴィデ  独
8  該当者なし
9 ゛不戦条約゛に名を残す ケロッグ
10 ノーベルも尊敬した大主教 セーデルブロム
4章 平和主義者の悪戦苦闘(1931~1940年)ファッシズムの台頭 第2次世界大戦の前夜  
 1(1931)  「平和と自由の国際婦人連盟」創設   アダムズ  米
 1  ゛不戦条約゛の黒子  バトラー  米
 2  該当者なし
 3  「大いなる幻影」の著者  エンジェル  英
 4  平和の゛青い鳥゛を追う   ヘンダーソン  英
 5  獄中の平和賞  オシエツキー  独
6 「中南米不戦条約」を起草 サーヴェドラ=ラマス アルゼンチン
7 終始一貫「国際連盟」を支持 セシル
 8 戦前最後の平和賞  ナンセン難民国際事務所
9 平和賞の空白期
10 平和賞の空白期
5章 戦争、平和、そして冷戦(1941~1950年)国際連合の悩み 東西二大陣営の対立  
 1 平和賞の空白期(続)
2 平和賞の空白期(続)
3 平和賞の空白期(続)
4(1944) 第2次大戦中の人道的活動 赤十字国際委員会
5(1945) ゛国際連合の父゛ ハル
6(1946) YMCAを通じ平和運動 モット
 6(1946)  婦人平和運動に挺身   ボルチ  米
7 (1947)  絶対平和を求めて  フレンド奉仕団理事会  英
7(1947) ゛平和の友゛の活動 米国フレンド奉仕委員会
8 該当者なし
 9(1949) 「国連食料農業機関」(FAO) 創設者  ボイド=オア  英
 10(1950)  第1次中東戦争の名゛火消し゛  バンチ  米
6章 核時代の勢力均衡(1951~1960年)ガラスの城の不安 復興から人権へ  
1(1951) 「国際労働機関」(ILO)の草分け ジュオー
2(1952) ゛ランバレネの聖者゛ シュヴァイツァー
3(1953) ゛マーシャル・プラン゛で西側を救う マーシャル
4(1954) 第2次大戦後の難民処理 国連難民高等弁務官事務所
5 該当者なし
6 該当者なし
7(1957) 国連平和外交を推進 ピアソン
7(1957) ゛少年の家゛゛欧州村゛を建設 白(1957)
 8   該当者なし
9(1959) 平和運動の長距離ランナー「 ノエルベーカー
10(1960) アパルトヘイトへ平和闘争 ルツリ 南ア
7章 黄金の60年代?(1961~1970年)第3世界の台頭  内外の社会矛盾 
1(1961) 行動する国連事務総長の殉職 ハマショルド 瑞(スウェーデン)
2(1962) 化学賞と平和賞のダブル受賞 ボーリング
3(1963) ゛100周年゛の栄光 赤十字国際委員会
3(1963) 平和時活動にも意欲 赤十字社連盟
4(1964) 非暴力の公民権運動に殉じた牧師 キング
 5(1965) 戦後の児童救済と栄養補給に貢献  ユニセフ
6 該当者なし
7 該当者なし
8(1968) ゛世界人権宣言゛を起草 カサン
9(1969) 戦前から労使の国際連帯 ILO
 10(1970)  ゛緑の革命゛の先達  ボーローグ  米
8章 動乱の70年代!(1971~1980年)民族、宗教、思想 反体制の力学  
 1(1971) ゛東方政策゛の雄   ブラント  西独
2 該当者なし
3(1973) ゛ベトナム和平゛の実現へ キッシンジャー
3(1973) 唯一の平和賞辞退者 レ・ドク・ト 北ベトナム
4(1974) 「国際アムネスティ」を創設 マクブライド アイルランド
4(1974) ゛非核三原則゛を推進 佐藤栄作
5(1975) 不屈の反体制科学者 サハロフ ソ連
6(1976) ゛ベルファストの平和行進゛のリーダー ウィリアムズ
6(1976) ゛ベルファストの平和行進゛のリーダー コリガン
7(1977) ゛良心の囚人゛解放へ 国際アムネスティ
8(1978) 中東和平へ大胆な賭け サダト エジプト
8(1978) 往年のテロリストに平和賞 ベギン イスラエル
9(1979) ゛カルカッタ゛の聖女 マザー・テレサ インド
10(1980) ゛暗黒政治゛中の灯火 エスキベル アルゼンチン
9章 新たな秩序を求めて(1981~1989年)20世紀の総決算へ 語り部の役割  
 1(198) 創 立30周年の軌跡  国連難民高等弁務官事務所
 2(198)  世界初の軍縮相  ミュルダール  瑞
 2(1982)   中南米比較地域条約を実現  ロブレス  メキシコ
 3(1983) 自主労組゛連帯゛の指導者  ワレサ  ポーランド
 4(1984)  非暴力で黒人差別に対決  ツツ大主教  南ア
 5(1985)  核戦争防止国際医師の会   IPPNW
 6(1986)  アウシュヴィッツの語り部   ウィーゼル
 7(1987)  ゛中米和平゛構想を推進 アリアス   コスタリカ
 8(1988)  創立40年の国連平和維持軍  UNPKF
 9(1989)  亡命30年の゛活き仏゛  ダライ・ラマ チベット
補論 平和賞の゛落ち穂゛ 受賞して然るべき人たち
1 ゛白衣の天使゛の母 ナイチンゲール 英国
2  無抵抗不服従運動の教祖  ガンジー  インド
 3  ゛死線を越えて゛  賀川豊彦  日本
 4  北京゛動乱゛に対話路線を主張 趙紫陽   中国
 5  米ハノイ北爆を名指しで批判 パルメ  スウェーデン
 6  反戦、反核の行動する哲学者 ラッセル卿   英国
 7  ゛近代五輪゛の創始者  クーベルタン  仏
8 三重苦の聖女  ヘレン・ケラー  米
9 ゛獄中27年゛の闘士 ネルソン・マンデラ  南ア
結び 平和賞の使命 平和賞の進路