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ヒロシマ研究の会1年の歩み(年表・改変・抄)

ヒロシマ研究の会1年の歩み(年表・改変・抄)

月日 事項<注:この欄への月日のあるものは「ヒロシマ研究の会」以外の関連事項>
1967 0615 ヒロ研第1回例会
0707 ヒロ研第2回例会
金井利博「原爆と補償」=原爆投下は、非戦闘員まで死滅させた無差別爆撃であったという特殊性をもつ国は戦争責任をとるべきであり、被爆者が補償を要求するのは当然の権利である。
朴寿南「朝鮮人被爆者の実態と問題」=労働者確保の為、広島に強制的に連れてこられた朝鮮人は原爆をうけたことを一アクシデントとしてしか感じない程しいたげられていた。日本人は、被害者であると同時に戦争の加害者だったのだ。
0720 ヒロ研第3回
橋本栄一「被爆者救援活動の問題」=活動は継続してこそ意味がある。上から見る形、つまり慈善的な取り組み方ではなく、自己の問題として深めよう。
0726
0803  ヒロシマ世界を結ぶ集い
0811  ヒロ研第4回
庄野「原水爆をめぐる世界史」=被爆者の問題は核につながる今日の問題である。又、既成団体に依存しない市民団体の運動としての平和運動が必要。
0901  ヒロ研第5回
栗原貞子
0908  ヒロ研第回
早川美子
*花美鈴
0921  ヒロ研第7回:南の
1006  ヒロ研第回
1020  ヒロ研第9回
1027=第1回対話の会。
1101=厚生省「原子爆弾被害者実態調査 健康調査及び生活調査の概要」発表。
1102=広島市長、市独自で全数調査をする旨言明。
1109  ヒロ研第10回:厚生省調査結果に対する討論。この時完全な実態調査を市に要求するための署名運動をすることを決定。
1124=YMCA会員の沖縄報告会。
1125  署名運動開始。
1130  ヒロ研第11回:署名運動の経過報告と方針。この時1130名の署名が集まっていた。
1208  ヒロ研第12回:市長への要望書の内容検討。
1219  ヒロ研第13回:署名運動の方針、公開セミナーの構想
1220=対話の会
1221  市長との会見:おざなりの返事しか貰えなかった。地道にやっていくことが必要である。
1223=白書の会「実態調査促進運動に全面協力」。原爆小頭症の認定児は全て医療保護されることを決定。
1226=平和の会「被爆者招待クリスマス」
1968  0108=フェニックス号北ベトナム公開記録公開。
0111 ヒロ研第14回:新年における会員夫々の抱負を話し合い新年の展望を概要的にまとめる。
0114  第1回対話のつどい開催準備。
0115=第1回対話のつどい―青年とヒロシマ―。会員山本暁子発題。
0125 ヒロ研第15回
田原伯(原爆資料収集家)=ヒロシマの問題を一生の仕事として取り組んでいられる田原さんの話を通してもっともっと真剣にならねばならぬとおもった。
0127=白書の会。女学院高校生徒が募金を朝鮮の人達に渡した。
0208  ヒロ研第16回
大牟田稔(中国新聞)「全国に散在するヒロシマをめぐるグループの動向」=ヒロシマをもっと知って欲しいという態度ではなく全国に散在するヒロシマに関心を抱いている人々との提携という態度が大切。
0210=広島べ平連の第1回デモ。
0215=原爆被災資料広島研究会結成。大本営建設の問題化。
0222  ヒロ研第17回:セミナーの開催準備。
0301=原水協・原水禁、ビキニデー全国集会(於静岡・焼津)。
0301=市長を囲む市民対話の会。
0302  ヒロ研第18回:セミナーの開催準備。
0307=「青年の船」セイロンで青年対象のアンケート「日本でれんそうすることは」「ヒロシマ」が17%で1位。
0308  ヒロ研第1回セミナー実施。
0309  ヒロ研第1回セミナー
0310  ヒロ研第1回セミナー
0330=特別措置法が閣議決定国会提出。
0311  厚生省の認定、被爆者追跡調査に数人の会員が参加。
0312=原水協・原水禁「第五福竜丸、保存国民運動」計画にのり出す。
0314  ヒロ研第19回:田原さんの提唱により、毎月6日に6時から八丁堀で「ピカより〇○日」のチラシ配りをすることを決定。「ピカより〇○日」の運動は少しでも市民に核戦争の恐ろしさを知って貰うと同時に広島の一市民として共に23年という年月の重みをかみしめようという趣旨から。
福竜丸の保存の件について、ヒロシマ研究の会としては、はっきりした考えをだすことはできなかった。
0316  第1回「ピカ〇○日」実施。爆心地調査に数人の会員が参加。
0403=原爆被災資料広島研究会第2回会合「専門部会を設置」
0323=白書の会。
0404  ヒロ研第20回:実態調査・資料、外国人被爆者問題、平和運動。の3グループに分れてもっと問題を深めていくことに決定。
0410=朝鮮人被爆者を囲む会、出席者が一人もなく問題の複雑さがわかった。
0418  ヒロ研第21回
平岡敬「広島の問題を深める」方向から助言。
会員が春休みにアルバイトとしてやった実態調査の感想報告
0418、0419=映画、記録なき青春。
0420=原爆映画、幻のフィルム―初公開。
 0423=対話の会、広島ベ平連との提携、協力体制。
0425  ヒロ研第22回
森滝市郎「被爆者団体の動向と援護法」=今日の現存する被爆者は、広島・長崎あわせて30万人。原爆そのものもひどかったが、その後の2~3年の貧乏の方が辛かった。その間は、夫々自分自身の身のふり方を考えるのが精一杯で意識的に被爆者が、まとまるのは困難だった。被団協などのグループが生まれたのは訳10年を経過してからであった。昭和29年のビキニのとき「広島の百万名署名」と名の残っている様、市民の意識が高まった。被爆者問題と原水禁運動が2本の基本底流をなすものであり、被爆者の声には常に重きをおかれるべきものである。
0426=厚生省、広島県、市、長崎県、市、が実態調査の実施について審議会。
0430=海田町原爆被害者の会240名の体験談を収録した被爆者懇談集録」を発刊。
0431=基町、5度目の大火。
0505=折り鶴の子の像、除幕10周年記念式典。
0506  第2回ピカ○○運動実施。
0511 ヒロ研会員合宿=各自夫々被爆者訪問を通して精神的継承というか、祖父、祖母の話を孫の様な気持ちできき継承していこうということに決定。
0512
  0511=山口県、原爆被爆者福祉会館「ゆだ苑」完工。
0512=広島県スラム対策に調査費1千万円を計上。
0514=プルトニウム国産化成功。平和利用国で4番目。
0515 ヒロ研第23回:実態調査の促進運動について、ヒロシマ研究の会なりに目安をたてた。
0517=学術会議、「原爆被災資料広島懇談会」を開催(於広大原医研)。「原爆被災資料センター」けんせつについての意見をきく。
0520=映画「広島の証人」上映協力委員会発会式。
0521=被爆者バッジができる。
0523  広島女子大において原爆映画を考える写真展を開催。~25日。
0525=佐世保の放射能汚染問題で米原子力委員会の調査団は、「ソードフィッシュは、佐世保帰港期間中、放射性物質は1滴も放出していない」と言い残して帰国。
0530  ヒロ研第24回例会
森下弘「教科書の中の原爆問題」=学徒動員により生徒学生もいっせいにかり出された。こうした事実があるにも拘らず現在の高校教育において何ら教えられていない。ただ一部の教師の自主性に頼っている状態だ。又原爆映画の視聴率から見て高校生の間に意識が必ずしも低いとはいえない。しかしヒロシマが自分の問題となりえないところに問題がある。もっと何らかの形で日常的にとり入れられる様にすることが必要ではないか。
0605=映画「ヒロシマ 1966年」
0606  ヒロ研第25回例会。第3回ピカの運動実施。
この一年についての率直な反省がなされ今後の方針について話し合いが行われた。会員募集の機会を何度も作ったにも拘らず、尚かつ会員が増えない。ヒロシマの問題が、オキナワ、ベトナムに比べて現代の若者にとって魅力あるものになりにくいということを示すものではないだろうか。私達はいつでも誰でも自由に出入りできる開放的な若さあふれるヒロ研にしてゆくことによって新しい感覚のヒロシマを私達青年の手で創って行かねばならないと思う。
 0606=園田厚生大臣:被爆者の全数調査を国勢調査に付帯して実施することは至難だが、市町村が独自で調査できる様補助費を出すと発表。
 0608=対話の会。第2回市民対話の会の準備。
  0613   ヒロ研第26回例会:2年目の展望をたてる。
 0613=社会党、共産党との統一協議断わる。
 0615=第2回市民対話の会。岡村昭彦、本多勝一
  0616=ヒロ研1周年記念会。

ヒロシマ研究の会一年のあゆみ1967.6~1968.6

ヒロシマ研究の会一年のあゆみ1967.6~1968.6

もくじ

 タイトル  著者
 原爆体験の継承の意義と方法  渡辺正治
 ヒロ研、この一年  小林省三(広島YMCA主事)
 一周年を迎えるヒロシマ研究の会へひとこと(順不同、敬称略)  庄野直美
 山崎与三郎
原田東岷
 栗原貞子
 佐藤富士子
 森下弘
 文沢隆一
 今堀誠二
 秋信利彦
 金井利博
 二神三男
 長岡千鶴野
 橋本栄一
 田淵実男
 山口勇子
 深川宗俊
 人類のえい智を築く礎石に  渡辺正治
 平和の建設者として  相原和光

ヒロシマ研究の会一年の歩み

 ヒロシマ研究公開セミナーで学んで  吉田よし子
 ”ヒロシマ”とは何だろう?  三井英津子
 山本暁子
 近末康彦
 柴村忠宏
 課題と展望
 ヒロシマ研究の会会員及び参加者68.6.14現在
 ヒロシマ研究の会にお世話下さった方々
 編集後記
 1967年6月14日
 ヒロシマ研究の会 (広島YMCA会員事業部内)

資料’82反核

資料’82反核(単行本・雑誌・教科書・新聞)-原爆文献を検証する( 「ひろしまをよむ」会編、 溪水社刊、1983年7月15日)

目次

まえがき
<共同検証82反核>
1 新味に欠ける原爆出版
2 消極的な大手出版社
3 新刊しのぐ重版・再刊
4 手記・体験記に多様性
5 「読む」から「見る」へ
6 すそのを支える童話
7 無難さ目立つ教科書
8 雑誌-欠落した原点
9 新聞連載-不十分な総括
10 新聞社説-もの足りぬ分析
<82出版物リスト>
1 単行本-反核・ヒロシマ・ナガサキ
2 単行本-防衛・原発・学術・再刊
3 童話-絵本・平和教育
4 教科書-国語科82年採択
5 雑誌-月刊・季刊・旬刊・週刊
6 新聞-連載・社説
おわりに
「ひろしまをよむ」会(石踊一則、内田恵美子、宇吹暁、木村逸司、島津邦弘、田原幻吉、丹藤順生、藤原浩修、松林俊一)協力・ピカ資料研究所

長崎の証言の会

長崎の証言の会

1970年2月1日 長崎の証言刊行委員会、新しい記録運動を呼びかける。

1971年3月16日 「長崎の証言刊行委員会」を「長崎の証言の会」とする。

長崎の証言の会『証言-ヒロシマ・ナガサキの声』

長崎の証言の会(編・発行)、汐文社(発売)

創刊号(1987/9/30)
江口 保 八月のヒロシマ-修学旅行生とともに
ミホ・シボ・新間 カナダにおける反核運動
北浦葉子 日本から世界へ-ネバー・アゲイン・キャンペーンのあゆみ
永井秀明 核廃絶をめざす世界運動と教育-核軍拡と軍事化状況をふまえて
第2集(1988/8/15)
1990/8/30
1991/8/15
1992/8/31
1993/8/31
1994/8/9
1995/8/31
1996/9/10
1997/10/1
1998/9/10
1998/11/21
1999/9/10
2000/9/14
2001/10/10
2002/10/10
2003/10/1
2004/10/1
2005/10/1
2006/10/1
2006/11/1
2009/12/25
第27集(2013/10/1)
朝長万左男 〔報告〕オスロ・カンファランス「核兵器の非人道性」に関するオスロ会議に出席して
山口 響 〈二〇一三年 NPT再検討会議準備委員会〉核依存という「谷底」をめざす日本政府
平野伸人 第十五代高校生平和大使の成果と課題
田中利幸 広島から―NPDI(軍縮・不拡散イニシアティブ)広島外相会合をめぐって
川崎哲 【インタビュー】川崎哲さんに聞く―核兵器禁止条約へ向って、東京を動かそう
追悼 核兵器廃絶を目指して―闘い続けた 山口仙二さん
核実験に抗議する長崎市民の会 声明 米国大統領「バラク・オバマ様」占度重なる核実験に断固抗議する」
第28集(2014/10/31)
芝野由和 やはり「フクシマを考える」だったか―第五回「核兵器廃絶―地球市民集会ナガサキ」にかかわって考えたこと
小桝雅樹 第二回「核兵器の非人適性に関する国際会議」に参加して
朝長万左男 もし一〇〇万人の現代都市で核爆発が起こったら
第29集(2015/11/20)
柴田 朴 追悼・本島等さん―天皇の戦争責任発言を中心に―どうしても聞きたかった質問
中村桂子 2015年NPT再検討会議を終えて
山田寿則 マーシャル諸島共和国による核ゼロ裁判
山下正寿 ビキニ事件の再検証を―放置された被災船員たち
第30集(2016/10/15)
細光規江 被爆体験伝承者―広島市の取り組み
第31集(2017/10/1)
朝長万左男 巻頭言「核兵器禁止条約の成立

ヒロシマ・ナガサキの証言(創刊号)

『ヒロシマ・ナガサキの証言』(広島・長崎の証言の会編)

創刊号’82冬1982/2/20 内容

著者  タイトル  備考
口絵:ジュノー戦場の記録展から
001 今堀誠二 巻頭言
002 特集1/ヒロシマ・ナガサキと広がる反核運動
002 庄野直美 ヒロシマ・ナガサキ・ビキニの今日的意味
006 田川時彦 国際的な軍縮教育の動向とその視点
010 北西 允   反核運動の現状-西欧と日本
017  栗野鳳 人類にとってのヒロシマ・ナガサキの意味
022 中村征之  遠来の使者
026 鎌田定夫   証言運動-その源流と今後の課題
030 荒木武、本島等、伊東壮、袖井林二郎、服部学、小野周、西村久
『ヒロシマ・ナガサキの証言』の刊行にあたって
特集2/連帯するヒロシマ・ナガサキ
038 高橋昭博  人間の思いやりと信頼の回復を求めて
040 葉山利行  基本懇答申一年をふり返って
043 空辰男  八〇年代の平和教育創造を
045 坂口便 長崎における平和教育
047 市丸道人 核戦争に対して医師は何をすべきか
049 江崎須賀子 被爆者の相談、証言活動を
052 上戸真弓 “ヒバクシャ”を知る
054  松井あずさ  10フィート運動にかかわって
056  広瀬方人  長崎のカトリックと原爆問題
058 相原和光 「大悪は大善の来るべき瑞相なり」
061 声と主張
061 安藤善博 「ユーロシマ」運動を日本で
063 川原紀美雄 “ノーモア・ヒバクシャ”の実質化を求めて
064 藤枝良枝 熱い三十六回忌
066 鎌田信子 “核廃絶人類不戦の碑”完成にあたって
12月8日除幕式
067 活動の紹介
067 藤原茂 タダの市民が映画をつくった
070 黒沢雅善 モニュメント運動
072 八・九全国高校生の集いその後
074 団体の紹介
074 山田浩 平和と学問を守る大学人会
075 永松初馬 山口県原爆被爆者福祉会館
077 上田小八重 原爆患者を守る会
1960年4月、北海道函館市に主婦ばかりの「原爆患者を守る会」誕生
080 文芸
0 80  山本康夫
0 80 大原三八雄
0 81 深川宗俊   炎の歌
0 82  豊田清史
0 82  渡部正則
0 84  山田かん
0 86  MYRL IJAMS
0 87  藤本仁
090  岩崎清一郎
 094  片山昌造
 096  証言
 096  長崎原爆―15歳の記憶
102  禿樹 暲  一人生き残って<広島市寺町・品教寺>
 103  小嶋省吾  光をかえせ―****の場合<広島>
 108  村井百合子  左手の火傷のあと<広島>
112  李実根  朝鮮人被爆者の問うもの
114  若林節美  谷間のヒバクシャ―原爆被害者相談から
 119  湯崎稔  原爆関係の文献資料案内(1981年発行のもの)
 123  資料1 「核兵器に関する包括的研究」ワルトハイム国連事務総長報告(抄録)1980年9月12日
 125  資料2 ラッセル・アインシュタイン宣言
 128  槇繁  編集後記

 

ヒロシマ・ナガサキの証言(創刊号~終刊号)概要

『ヒロシマ・ナガサキの証言』(広島・長崎の証言の会編)

創刊号(1982年2月20日)~終刊号(1987年7月20日)通算21号

号数
創刊号’82冬1982/2/20 特集1/ヒロシマ・ナガサキと広がる反核運動
特集2/連帯するヒロシマ・ナガサキ
第2号’82春1982/5/30
第3号’82夏1982/8/20
第4号’82秋1982/11/10
第5号’83冬1983/2/10
第6号’83春1983/5/15
第7号’83夏1983/8/20
第8号’83秋1983/10/30
第9号’84冬1984/2/20
第10号’84春1984/4/30
第11号’84夏1984/8/20
第12号’84秋1984/10/15
第13号’85冬1985/2/20
第14号’85春1985/4/30
第15号’85夏1985/8/20
第16号’85秋1985/10/30
第17号’86冬1986/2/20
第18号’86春1986/05/10
第19号’86夏1986/08/20
第20号’86秋1986/11/10
第21号終刊号1987/07/20  広島・長崎の証言の会  季刊『ヒロシマ・ナガサキの証言』終刊にさいして-共同刊行の五年間と今後の課題-

 

広島・長崎30年の証言

『広島・長崎30年の証言』広島・長崎の証言の会編、未来社 (上) 19750806(下)19760430

内容

(上) 19750806
序章  原爆30年目の問い
秋月辰一郎 ヒロシマ・ナガサキ三十年の想い
鎌田定夫 わが内なるヒロシマ・ナガサキ
第1章 歴史の暗点から
小堺吉光 ヒロシマ・救われない犠牲者 -国民義勇隊員の惨禍
秋月辰一郎 ナガサキ・歴史の暗点
第2章  ”核権力”と被爆者
栗原貞子 天皇と核権力と被爆者と
山田かん 原爆とキリシタン
李奇相 被爆朝鮮人の受難と怒り -在日朝鮮人の証言と告発
第3章 ビキニ水爆20年目の告発
広田重道 ビキニ被災二十年目の証言 -原水禁運動の原点をみつめて
久保山さんへの手紙は訴える -原水爆への国民的怒りの原点をさぐって加納竜一 近藤弘 長岡弘芳
第4章 30年を生きて今-被爆者30年目の証言
鎌田信子 原爆を生きつづける証人たち -長崎原爆青年乙女の会のふたり
古浦千穂子 生きられなかった被爆者たち
文沢隆一 胎内被爆から三十年-きのこ会のこと
広瀬方人 被爆二世の生と死
石田明 原爆裁判への情念と論理
福田須磨子 〔遺稿〕 われなお生きてあり(続)
第5章 無国の谷間から -海外被爆者の告発
辛泳洙 被爆と民族の問題-日本政府・天皇・国民への苦言
鎌田定夫 在韓被爆者三十年の遺恨と告発
林福順 苦しみの淵から
 厳粉連 広島から韓国へ地獄はつづく
島津邦弘 核に追われる難民 -ミクロネシアの被爆者たち
立ちあがる在米被爆者たち
据石和江 アメリカ人に原爆の悲惨を訴えて
倉本寛司 カリフォルニア州上院小委員会 原爆被爆者公聴会における証言
関係文献目録
(下) 19760430
第6章 反原爆運動の中から
伊東壮 日本被爆者運動の三十年
草の根・被爆者運動の中で
前座良明 長野における反原爆運動二十年と私--長野県原水爆被災者の会と共に
杉山秀夫 私の原水禁運動・被爆者運動二十年 --静岡県原水爆被害者の会と共に
 伊藤普 福岡被団協の二十年と私
平山良明 おきなわ・二重苦の被爆者たち
伊東壮 東友会二十年のあゆみ
深川宗俊 朝鮮人被爆者復権のたたかい
浜崎均 原水禁運動とともに生きる--渡辺千恵子さんの生を支えるもの
北西允 原水禁運動の統一と静岡・広島
鎌田定夫 歴史の証言から歴史の変革へ--「長崎の証言」運動とその周辺
第7章 原爆体験の継承をめざして
瀬戸口しのぶ おさなき弱者と「見えない被爆者」
今田斐男 戦争・原爆体験の伝承者として
森下弘 沈黙の決議 --被爆者教師としての三十年
空辰男 平和教育の諸相と課題
 島田麗子 ひろしまを考える旅
長岡弘芳 原爆から原発まで  --《原爆体験を伝える会》
第8章 原爆体験の思想化
石田忠 福田須磨子さんの生と死
文沢隆一 原爆資料発掘作業の試み
湯崎稔 原爆被災復元調査の中から--人間の復権めざして
山手茂 社会科学者は原爆被害問題とどうとりくんできたか
小川岩雄 原水禁運動とパグウォッシュ運動--その問題点と今後の課題
山田かん 詩の中の反原爆
 岩崎清一郎 文学のなかの「原爆」--記録の虚構・その変貌
栃木利夫 日本近・現代とヒロシマ・ナガサキ
高橋真司 反原爆の思想 --広島・長崎の現代史的意義
終章 反原爆三十年目の課題と展望--「広島・長崎の証言の会」座談会
ヒロシマ・ナガサキ30年とは何か--広島での討論記録
被爆者運動30年と今後の課題--東京での討論記録
核権力と民衆と証言運動--長崎での討論記録
鎌田定夫 あとがき

 

広島通信

広島通信 1966年6月創刊 第1号~19号(1970年2月)広島県詩人協会刊、 第20号(1970年4月)~第68号終刊号(1983年7月31日)「広島通信の会」刊
1989年3月1日、「ヒロシマ・ナガサキを考える会」が復刻(「広島通信-ヒロシマの継承-全68号の復刻版」)

M D ZASSIMEI TITLE AUTHOR
66 06 広島通信創刊号 創刊号によせて-文学は何ができるか 栗原貞子
66 08 広島通信2 被爆の証人“原爆ドーム”の保存を 松元寛
66 08 広島通信2 ある建築の美しさについて 荏原肆夫
66 08 広島通信2 1966年夏-広島からの告発 栗原貞子
66 08 広島通信2 1966年夏、広島からの告発 栗原貞子
66 10 広島通信3 胎内被爆小頭症 志水清
66 10 広島通信3 小頭児に幸あれ 畠中国三
66 10 広島通信3 ひそかな啓示―小頭症におもう 文沢隆一
66 10 広島通信3 今、すぐに救護を―美農綾子さんを見舞う 栗原貞子
67 02 33 広島通信4 運命の日より21年を生きて 西土 万合枝
67 03 広島通信5 特集:広島の川
67 03 広島通信4 私はこう信じる-重藤文夫原爆病院院長訪問 重藤文夫
67 06 広島通信6 原民喜特集
67 10 広島通信7 ケロイド 原田東岷
67 11 広島通信8 あの頃の広島 北畠隆
68 02 広島通信9 告発する街として 浜野千穂子
68 06 広島通信10 原爆慰霊碑文再読 松元寛
68 08 広島通信11 地の塩への期待 安井郁
68 11 広島通信12 広島の声 高橋三郎
69 02 広島通信13 さらば広島 バーバラ・レイノルズ
69 04 広島通信14 原爆記録映画全面公開運動のいきさつ 庄野直美
69 06 広島通信15 排安易 田淵実夫
69 08 広島通信16 人類は生きねばならぬ-アトムかアトマか 森滝市郎
69 10 広島通信17 世界の中のヒロシマ 関屋正彦
69 12 広島通信18 沖縄とヒロシマ 袖井林二郎
70 02 広島通信19 被爆二世 杉原芳夫
70 04 広島通信20 観光客から巡礼者へ 山崎与三郎
70 06 広島通信21 中国・アメリカ平和巡礼 今堀誠二
70 06 広島通信21 ヒロシマを語る者として-アメリカへの出発を前に 大原三八雄
70 07 広島通信22 70年とヒロシマ-ヒロシマの風化に抗して 森滝市郎
70 07 広島通信22 アメリカ通信 大原三八雄
70 10 広島通信23 アメリカの孤独 大原三八雄
70 12 広島通信24 広島のひろい空の下 山田かん
70 12 広島通信24 山田かん氏を囲んで-長崎と原爆詩の関わり
71 02 広島通信25 ヒロシマの思想の亀裂 大牟田稔
71 02 広島通信25 第二の生きがい-アメリカ・東西南北記 大原三八雄
71 04 広島通信26 きうずれぬへいわをへいわをかえせ 寒川道夫
71 06 広島通信27 きうずれぬへいわをへいわをかえせ(その2) 寒川道夫
71 06 広島通信27 アメリカ人の社会的連帯性 大原三八雄
71 08 広島通信28 挽歌-マルチン・ルーサー・キングの墓所で[詩] 大原三八雄
71 10 広島通信29 京浜地帯の原爆意識を中心にしておもう 前川和子
71 12 広島通信30 アウシュビッツとヒロシマ 小谷鶴次
71 12 広島通信30 国連というところ 大原三八雄
72 02 広島通信31 ヒロシマと中国の核・人 森下弘
72 04 広島通信32 被爆朝鮮人救援の動き 平岡敬
72 06 広島通信33 「水ヲ下サイ」特集
72 08 広島通信34 ヒロシマに捧げる詩特集
72 08 広島通信34 あの夏からこの夏までの間 小倉馨
72 10 広島通信35 懐しい日本の皆さんに バーバラ・レイノルズ
72 12 広島通信36 地球時代・平和の新処方箋 加藤新一
73 02 広島通信37 「原水爆被災資料センター」設立の意義 湯崎稔
73 04 広島通信38 私の広島日記 佐々木雄一郎
73 06 広島通信39 ABCC特集
73 06 広島通信39 原爆死体解剖NO.1の山科清元軍医にきく 山科清
73 08 広島通信40 特集:ベトナムは終わったのか
73 10 広島通信41 28年目のヒロシマ 藤枝良枝
73 12 広島通信42 原爆の印象と記憶 縄田二郎
73 12 33 広島通信42 縄田 二郎
74 03 広島通信43 公害防止と平和への意志 田中公雄
74 04 広島通信44・45 特集:いまは亡き4人の原爆詩人たち
74 08 広島通信46 知られていない原子力発電の問題点 佐久間澄
74 12 広島通信47 特集:原子力平和利用
75 02 広島通信48・49 特集:韓国原爆被爆者と日本人
75 08 広島通信50 特集:ヒロシマとベトナム
76 01 広島通信51 あの体験の<意味> 小久保均
76 05 広島通信52 特集:今なお続く核実験
76 08 広島通信53 特集:平和と私との距離
76 12 広島通信54 特集:被爆体験は風化するか
77 05 広島通信55 特集:被爆者の医学的諸問題
77 12 広島通信56 特集:世界にとってヒロシマはなにか
78 04 広島通信57 特集:朝鮮人被爆者
78 07 広島通信58 特集:ヒロシマと地方との連帯性
78 12 広島通信59 特集:核時代の文学
79 06 広島通信60 特集:ヒロシマは核時代に非戦の力となりうるか
79 12 広島通信61 特集:原爆と原発
80 06 広島通信62 特集:廣島・広島・ヒロシマ
80 06 広島通信62 遅い出発 豊永恵三郎
80 06 広島通信62 原爆と原発 小林正一
80 06 広島通信62 江波分院のことなど 岡崎澄衛
80 06 広島通信62 「ヒロシマ」シリーズ作品展開催の意味 増田勉
81 01 広島通信63 ある被爆者の死-主人唯一のこと 栗原貞子
81 07 広島通信64 特集:非戦の戦い
81 12 広島通信65 特集:ローマ法王ご来広の軌跡
82 08 広島通信66 特集・ヒロシマのこころ
82 08 広島通信66 生きる原理を 石田明
82 08 広島通信66 播かぬ種は生えぬ 岡崎澄衛
82 08 33 広島通信66 石田 明
82 12 広島通信67 特集:ヒロシマに捧げる詩
83 07 31 広島通信68 ヒロシマの継承-「広島通信」終巻号
89 03 01 広島通信-ヒロシマの継承-全68号の復刻版 西土 万合枝
89 03 01 広島通信-ヒロシマの継承-全68号の復刻版 縄田 二郎
89 03 01 広島通信-ヒロシマの継承-全68号の復刻版 石田 明

 

『患者と福祉 1971』

広島県医療社会事業協会『患者と福祉 1971』1971年8月1日発行

目次

 上村吉郎  今後の医療社会事業(広島県医療社会事業協会長)
山本鎮雄 医療行為の二律背反と医療社会事業の必要性(広島女子大学講師)
特集=原爆被爆者対策に考える=
志水 清: 原爆被爆者対策に対する提言(原爆傷害調査委員会医科社会部長)
 宮本秀夫: 被爆者対策の基底(広島県社会福祉協議会コミュニティオーガニゼーションワーカー)
 西谷義則: 被爆保護世帯の実態と今後の課題(広島市社会福祉事務所ケースワーカー)
事例研究
 若林節美: 入院拒否を続けた原爆被爆母子家庭(広島原爆病院ケースワーカー)
 児島美都子: 講評/遅すぎたケース紹介(日本福祉大学助教授)