国際動向への憂慮(平和宣言)

平和宣言

 (5) 国際動向への憂慮

1965年(昭和40年)の宣言は、「ベトナムを初め世界各所において、大いなる危険を冒しつつ武力構想が繰り返されていることは真に憂慮に堪えない」と述べた。これ以後、宣言の中で、核戦争につながりかねない紛争についての憂慮が表明されるようになった。宣言が触れたものは、ベトナム戦争(66年、70-72年)、中東問題(66年、70年、80年)、東南アジアの紛争(80年)、イラクのクェート侵攻と湾岸戦争(91年)である。また、「ヨーロパにおけるSS20の配備、パーシングⅡの配備計画」(83年と84年)、「宇宙空間にまで拡大された核戦略」(84-88年)、チェルノブイリ原発事故(86年と91年)、海洋の核戦略(88年)、米軍水爆搭載機水没事件(89年)といった核問題をめぐる国際動向にも憂慮が表明されている。

1970年代以降の宣言は、国連への期待を表明する一方で、平和の問題を、単に戦争のない状態としてではなく、環境・資源問題、飢餓・貧困問題、人権抑圧問題など、平和を脅かす要因の除去という積極的な立場から取り上げるようになった。この点については、1972年の宣言では、国連人間環境会議の紹介に関連して初めて触れ、翌73年の宣言では、つぎのように述べている。
戦争は人間の心のなかに芽生えるものであるが、今日、世界をおおう環境の破壊、人口増加の圧力、食糧危機、枯渇への速度をはやめる資源消耗の現実を直視するとき、ここにも人間精神の荒廃と、世界平和を脅す要因が潜在することを憂えるものである。

1976年にも同様の指摘が見られ、79年には「おろかにも地球の限りある資源を軍備の拡張に浪費し、飢えと貧困を拡大させている現実」という表現で、こうした問題を軍縮との関連で取り上げた。80年の宣言は、「拡大し続ける世界の軍事費はついに一日10億ドルを超え、また、軍備拡大の波は発展途上国にも及んでいる」と述べるとともに、「中東や東南アジアの相つぐ紛争」によって生じた「多数の難民の問題」に憂慮を表明した。そして、85年からは、飢餓(85年-)、貧困(85年、88年-)、人権抑圧(86年-)、難民(86-88年、90年-)・地球環境破壊(89年-)・暴力(91年)の問題が、ほぼ継続的に取り上げられるようになった