『ヒロシマ・アメリカ 原爆展をめぐって』(直野章子著、溪水社、19971001)
内容
| 本書の公刊に寄せて | 大牟田稔(広島平和文化センター理事長 ) | |
| はじめに-過去を振り返る日本とアメリカ | ||
| 1 | アメリカと原爆 | |
| 2 | 原爆展開催への序幕 | |
| 3 | 厚い壁-原爆展開催準備- | |
| 4 | 原爆展開催 | |
| 5 | 広島平和セミナーの旅 | |
| おわりに | ||
ヒロシマの歴史を残された言葉や資料をもとにたどるサイトです。
『ヒロシマ・アメリカ 原爆展をめぐって』(直野章子著、溪水社、19971001)
内容
| 本書の公刊に寄せて | 大牟田稔(広島平和文化センター理事長 ) | |
| はじめに-過去を振り返る日本とアメリカ | ||
| 1 | アメリカと原爆 | |
| 2 | 原爆展開催への序幕 | |
| 3 | 厚い壁-原爆展開催準備- | |
| 4 | 原爆展開催 | |
| 5 | 広島平和セミナーの旅 | |
| おわりに | ||
『原爆の図 描かれた「記憶」、語られた「絵画」』(小沢節子著、岩波書店、 20020725)
内容
| はじめに | |||
| Ⅰ | 前史二人の画家 | ||
| 1 | 丸木位里水墨の自由 | ||
| 生い立ち―絵の世界との出会い/自己表現の術を求めて-社会主義運動への参加/水墨の発見とシュルレアリスム | |||
| 2 | 赤松俊子 自己実現の物語 | ||
| 促される自立とセクシュアリティ/「女流画家」への道/ミクロネシア体験の意味/位里との出会いとモスクワ再訪 | |||
| 3 | 戦時下の画家夫婦 | ||
| 相互の影響とそれぞれの画業/太平洋戦争下の絵本 | |||
| Ⅱ | 生成原爆の表象 | ||
| 1 | 広島へ、広島から | ||
| 八月六日からの「距離」/「新しい時代」の政治と美術/裸体と群像-よみがえる記憶 | |||
| 2 | 二 描かれた被爆体験『ピカドン』と初期「原爆の図」 | ||
| 「体験」の集積(1)生者と死者の記憶/「体験」の集積(2)山端庸介の写真/記憶の器―小さな絵本と大きな絵本/破綻する構成と「リアリズム」 | |||
| 3 | 表現の力 | ||
| 裸体と女・子ども/小さきものへのまなざし/共同制作の意味 | |||
| Ⅲ | 旅 人びととの出会い | ||
| 1 | 「逆コース」のなかの全国巡回展 | ||
| 巡回展の実態/メディアとしての「原爆の図」/巡回展の担い手たち | |||
| 2 | 語りのはたらきと「原爆の図」の大衆性 | ||
| 語りと祈り/「焼け死んだややこ」の話/母子像と少女像の浮上/せめぎあう大衆意識 | |||
| 3 | 平和運動と中期「原爆の図」 | ||
| 占領の終結と「原爆の図」の変化/消された富士山―迷走するナショナリズム/批判と共感 | |||
| 4 | 世界巡回展の光と影 | ||
| ミッシング・リンクとしての世界巡回展/旅路の果て-母の死 | |||
| 終 | 展開二 十世紀の体験を描く | ||
| 「原爆の図」の帰国と制作の再開/アメリカ展の衝撃/後期「原爆の図」の物語/世紀を超えて-「原爆の図」の発見 | |||
| 註 | |||
| あとがき |
III …143
『原爆体験 六七四四人・死と生の証言』(濱谷正晴、岩波書店、20050607)
内容
| 部章 | |||
| はじめに | |||
| 未完の課題/被爆者調査40年/被爆者の苦しみは「被爆者であること」それ自体です/原爆とのつばぜり合い/原爆被害を受忍させる国/比類なき「証言」資料/原爆体験の重さと深さを測定する/分析対象としての6744人/<心の傷>と<体の傷>、そして<不安>/<反原爆>思想の人間的必然性 | |||
| 1 | 「あの日」・・・・・・・・・・・1 | ||
| 1-1 | 〈心の傷〉・・・・・・・・・・・3 | ||
| 1「これが人間か?!」・・・・・・・・・4 2「あの日」の証言・・・・・・・・・・13 3〈子ども・女・年寄り〉―絶滅の対象・20 4 極限状況下の〈母と子〉・・・・・・32 5〈無感動〉・・・・・・・・・・・・・53 6〈心の傷〉・・・・・・・・・・・・・80 |
|||
| 2 | 「それから」・・・・・・・・・・85 | ||
| 2-2 | 〈体の傷〉・・・・・・・・・・・87 1〈持続する死〉―原爆死没者の推移・・87 2〈直後の死〉・・・・・・・・・・・・90 3〈その後の死〉・・・・・・・・・・・95 4 原爆の傷害作用―外傷・熱傷および急性放射線傷害・・102 5 その後の健康状態・・・・・・・・・110 6 複合する健康被害・・・・・・・・・116 7〈体の傷〉がもたらした苦しみ・・・・121 8〈体の傷〉―「病気がちになったこと」・・129 |
||
| 2-3 | 〈不安〉・・・・・・・・・・・・135 1 被爆者であるために〈不安〉なこと・135 2 被爆者はなぜ、〈不安〉を抱くのか?―〈体の傷〉との関係を中心に・・138 3〈心の傷〉が〈不安〉をつのらせる・・148 4〈生きる苦しみと不安に満ちた生〉・・152 |
||
| 3 | 生きる・・・・・・・・・・・・・165 | ||
| 3-4 | 〈原爆〉にあらがう・・・・・・・167 | ||
| 1〈生きる意欲〉・〈生きる意味〉の喪失・・168 2“自死”―〈生きる意欲喪失〉の極限・178 3 苦しみが重なるとき・・・・・・・・184 4〈生きる支え〉・〈生きる糧〉・・・・194 5 原爆被害者の層化 総括表が語りかけること・・200 6 死者に思いを馳せ、仲間とともに歩む・・205 |
|||
| 3-5 | 戦なき世を―むすびに代えて・・・219 | ||
| 1 原爆被害の〈反人間性〉を問う・・・219 2「助けず逃げた」―罪の意識が物語るもの・・225 3 原爆体験の全体像を再構成する ―データベース・・250 4「受忍」と「沈黙」を強いる社会をのりこえる・・254 |
|||
| おわりに 263 | |||
『被爆二世の問いかけ 再びヒバクシャをつくらないために』(全国被爆二世団体連絡協議会・原水爆禁止日本国民会議編、新泉社、20010715)
内容
| はじめに3 | |||
| 広島からのメッセージー10 | |||
| 長崎からのメッセージー12 | |||
| Ⅰ | 被爆二世問題の理解のために 15 | ||
| 被爆二世問題とは何か 16 | |||
| <コラム>被爆体験をどう継承してゆくか 22 | |||
| 被爆二世の体験と願い 24 | |||
| 夕力ちゃんが死んだ日 24 | |||
| 語らなかった父 31 | |||
| 今なお続く健康不安 35 | |||
| <コラム>三世はどうなるのでしょうか 40 | |||
| このような思いを二度としないですむ世の中に 42 | |||
| 被爆二世の誇り 44 | |||
| 二世運動に参加するまで 47 | |||
| 被爆二世運動の今後の課題 52 | |||
| 韓国被爆二世の思い 56 | |||
| <コラム>日韓被爆二世の交流 62 | |||
| <コラム>「韓日被爆二世シンポジウム」共同宣言 64 | |||
| Ⅱ | 放射線の遺伝的影響 67 | ||
| 放射線の遺伝的影響 68 | |||
| <コラム>「韓日被爆二世シンポジウム」共同宣言 64 | |||
| 放射線の次世代への影響 86 | |||
| Ⅲ | 被爆二世健康影響調査の問題点 119 | ||
| 放射線影響研究所と被爆二世健康影響調査 120 | |||
| だれにとっての、何のための調査か 125 | |||
| Ⅳ | 被爆二世問題の解決に向けて 135 | ||
| 被爆二世運動の現状と課題 136 | |||
| <コラム>共和国の二世との初めての出会い 146 | |||
| 資料 | |||
| (1)被爆二世運動の概要 148 | |||
| (2)被爆者援護法に基づく被爆者対策 150 | |||
| (3)被爆二世健康診断 154 | |||
| (4)被爆二世・三世の要求 156 | |||
| (5)国の見解と被爆二世団体の主張 157 | |||
| (6)被爆二世健康影響調査(二世調査) 161 | |||
| (7)各自治体の被爆二世対策 165 | |||
| 被爆者からのメッセージ173 | |||
| <コラム>被爆体験をどう継承してゆくか 22 <コラム>三世はどうなるのでしょうか 40 <コラム>日韓被爆二世の交流 62 <コラム>「韓日被爆二世シンポジウム」共同宣言 64 <コラム>「韓日被爆二世シンポジウム」共同宣言 64 <コラム>共和国の二世との初めての出会い 146 |
|||
『花には太陽を子どもには平和を 子どもを守る運動の50年』(日本子どもを守る会、新評論、20020517)
内容
| 部 | 章 | 事項(著者) | 備考 |
| まえがき | |||
| 1 | 子どもを守る運動の50年(編集担当・中野光)3 | ||
| プロローグ その時、子どもたちは(中村博)4 | |||
| 1 | 「日本子どもを守る会」の誕生(中野光)15 | ||
| 長田新と『原爆の子』(長田五郎)29 | |||
| 2 | 子どもの生活現実と子どもを守る運動の発展(中野光)33 | ||
| 羽仁説子と〈子どものしあわせ〉(菅間きみ子)44 | |||
| 3 | 「高度成長」、「人づくり」政策と子どもたち(川合章)48 | ||
| その時子どもを守る会は-一九六〇年代(小森香子)59 | |||
| 4 | 沖縄の子ども(丸木政臣)63 | ||
| その時子どもを守る会は-一九七〇年代(小森香子)74 | |||
| 5 | 原爆瓦と高校生の平和運動〈学び・調べ・アピールする〉(森田俊男)78 | ||
| その時子どもを守る会は一一九八○年代(森洋子)88 | |||
| 6 | 人間形成の「危機」と生き方への問いの芽生え(田中孝彦)93 | ||
| 子どもの非行と向き合って 一家裁少年係調査官三十余年の経験から(浅川道雄)102 |
|||
| 7 | 子どもの権利条約の実現をめざして(喜多明人・増山均・三宅良子)106 | ||
| 日本子どもを守る会と私大田尭に聴く(森洋子)118 | |||
| エピローグ いまを子どもとともに生きる(中野光)122 | |||
| 記念論文 | |||
| 児童憲章から子どもの権利条約へ(堀尾輝久)127 | |||
| 手塚治虫から見た子どもの文化五〇年(石子順)140 | |||
| 日本の子どもの〃からだ”の変遷と未来(正木健雄)151 | |||
| 2 | 子どもを守る運動の回想(編集担当・長田五郎)161 | ||
| 岡三郎162/槙枝元文163/山下正子164/宮原喜美子168/浦辺史171/鷲谷善教173/来栖良夫175/曽根喜一178/横川嘉範179/杵淵智子181/ 西田喜代子182/一番ヶ瀬康子185/小川利夫188/友枝宗正190/大槻健191/ 北田耕也193/藤岡貞彦195 |
|||
| 3 | 地域子どもを守る会のあゆみ(編集担当・菅間きみ天菊地好江)199 | ||
| 1 | いつも子どもといっしょに202 | ||
| 熊野(池田むつみ)202/東京・板橋(田辺栄子)204/東京・武蔵野(福長笑子)205/ふじさわ(永山園子)207/紀南(勝田善二郎)208/京都・京都連(関谷美奈子)209 | |||
| 2 | ネットワークづくりの運動213 | ||
| 横浜(岡田イチ子)213/東京・大田(江口さつき)215/つるおか(塩野俊治)217/福島(佐藤芳男)218/宮城(芳賀直義)220/神戸(田中明子)221/東京・富十見(寺沢和子)222 | |||
| 3 | この地に子どもの文化を224 | ||
| 札幌(岩渕隆吉)224/福岡(高橋純一)225/東京・品川(加藤卓郎)227/弘前(佐藤豊彦)228/とちぎ(増渕充)230/盛岡(吉田六太郎)231/長野(小林啓子)232 | |||
| 4 | 戦争と平和234 | ||
| 広島(長田五郎)234/沖縄(古堅芳子)236 | |||
| 4 | ともに歩んだ仲間たちから(編集損当・森洋 )239 | ||
| 加盟団体240 | |||
| 親子映画東京連絡会(太田禮三脚/家庭科教育研究者連盟(丸岡玲子)241/クルマ社会を問い直す会(杉田久美子)242/芸術教育研究所(多出千尋)243/子どもの権利.教育.文化全国センター(三宅良子)244/障害者の生活と権利を守る全国連絡協議会(吉本哲夫)245/少年少女組織を育てる全国センター(岩橋能)246/新日本医師協会(平田宏子)248/新日本の婦人の会(井上美代)249/数学教育研究会(上村浩郎)250/全司法労働組合(井上博道)251/全日本教職員組合(松村忠臣)252/東京都教職員組合(石川二郎)254/日本演劇教育連盟(佐々木博)255/日本高等学校教職員組合(岡田愛之助)256/日本子どもの本研究会(鈴木喜代春)258/日本児童文学者協会(藤田のぼる)258/日本母親大会連絡会(木村康子)259 | |||
| 友誼団体260 | |||
| 全国学童保育連絡協議会(真田祐)260/全国障害者問題研究会(永野幸雄)261/全国保育団体連絡会(上野さと子)262/全国幼年教育研究協議会(岩橋雅子)263/日本民間教育研究団体連絡会(池上正道)265/日本婦人団体連合会(守谷武子)266/歴史教育者協議会(石山久男)267 | |||
| 5 | 第5部資料・年表(作成・金子臭菅間きみ子)269 | ||
| 「日本子どもを守る会」の出版物270 | |||
| 地域『子ども白書』一覧271 | |||
| 『子ども白書』と特集テーマ272 | |||
| 『児童問題研究』総目次279 | |||
| 子どもを守る文化会議のあゆみ282 | |||
| 年表・子どもを守る運動の50年(作成・森洋子)335 | |||
| あとがき336 | |||
| 英文もくじ339 | |||
| 編纂委員一覧340 | |||
瀬戸内寂聴
| せとうち・じゃくちょう | 19220515生20211109没 | 享年92 | 小説家、天台宗の尼僧。俗名:晴美。1997年文化功労者、2006年文化勲章。 |
瀬戸内寂聴のヒロシマ史
| 年月日 | ||
| 19921012 | 今堀誠二葬儀での弔辞 | 『アジア研究半世紀の軌跡 今堀誠二遺稿集』(今堀百合子、20020509) |
『舞台とともに五十年の歩み』(呉市民劇場、20140401)
内容
| 頁 | |||
| 01 | 児玉賢登 | ごあいさつ | |
| 02 | |||
| 03 | 脊戸昭典 | 祝辞 | 呉市文化団体連合会会長 |
| 14 | 50周年おめでとう | ||
| 17 | 井上邦枝 | 広島市民劇場事務局長 | |
| 20 | サークルのよこがお | ||
| 26 | 呉市民劇場50年の歴史とあゆみ | ||
| 29 | 例会一覧 | ||
| 2015年以降2021年分の例会は、『舞台とともに五十八年の歩み』(呉市民劇場、20211110)参照。 | |||
| 55 | 50周年記念行事 | ||
| 年月日 | 例会一覧 | 劇団 | 備考 |
| 1963 | |||
| 1208 | 忍びのもの | 東京芸術座 | |
| 1964 | |||
| 0130 | ひとりっ子 | 関西芸術座 | |
| 2016 | |||
| 1213 | 島 | 青年劇場 | |
| 2021 | |||
| 1110 | 怪談 牡丹燈篭 | 文学座 | 呉市民劇場の 最終公演 |
参考『舞台とともに五十八年の歩み』(呉市民劇場、20211110)
『「あの日」から54年を生きて―被爆者の証言と原爆後障害』(デルタ女の会、19991009)
内容
| 頁 | |
| 01 | (室田秀子)私の被爆体験―母の顔― |
| 07 | (畠山裕子)原爆後障害と私 |
| <註>デルタ女の会主催「’99 8・6 ヒロシマの女たちの集い」 | |
| <1999年8月6日、会場(広島平和会館)>の採録。 | |
一誠一座(座長:南一誠)
| 年月日 | |
| 1994 | |
| 0301 | 『一誠一座公演ニュース 〈消えた街〉天神町一番地』創刊号 |
| 1995 | |
| 0618 | 「天神町一番地」一誠一座公演 広島・あの頃・消えた町(被爆50周年記念) |
| 1996 | |
| 0220 | 『記録集・天神町一番地』(一誠一座編・刊) |
呉市民劇場
| 年月日 | 例会一覧 | 劇団 | 備考 |
| 1963 | |||
| 1208 | 忍びのもの | 東京芸術座 | |
| 1964 | |||
| 0130 | ひとりっ子 | 関西芸術座 | |
| 2016 | |||
| 1213 | 島 | 青年劇場 | |
| 2021 | |||
| 1110 | 怪談 牡丹燈篭 | 文学座 | 呉市民劇場の 最終公演 |
『舞台とともに五十八年の歩み』(呉市民劇場、20211110)
広島平和会館(略年表)
| 年月日 | 事項 | 備考 |
| 19560318 | 広島県原爆被害者大会開催、広島市・千田小学で300 人参加 |
|
| 19560319 | 初めての[原爆被害者国会請願]、上京代表団40数名、 団長藤居平一氏 |
|
| 19560409 | 原爆被害者大会実行委員会、「原爆被害者福祉センター(会館)の建設について」具体化をはじめる | |
| 19560409 | 広島県原爆被害者団体協議会結成総会(YMCAホール) | |
| 19560725 | 広島矢賀学区婦人会、8月6日、7日の原水爆禁止広 島大会、原爆被害者救援資金にと5,700円余を寄金、この外、学校、町内会などからの募金相つぐ |
|
| 19560803 | 吉川清氏、「広島は訴える」写真集(再版)を自費出 版、収益は原爆被害者救援資金として広島原水協に寄託 |
|
| 19560810 | 日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)結成大会、長崎市・長崎国際文化会館で。事務局を広島におき、事務局長に藤居平一氏を選ぶ。 | |
| 195608115 | 原爆被害者救援募金サインの夕べ(国民文化会議主催)を東京で開催、徳川夢声、宇野重吉、香川京子ら参加。 | |
| 19560911 | 広島原爆病院開院式 | |
| 19561222 | 広島地区年末共闘会議代表、広島市内で街頭募金を実施、原爆被害者らに寄付(4万円余) | |
| 19570401 | 原子爆弾被爆者の医療に関する法律施行 | |
| 19571227 | 広島県被団協、県議会請願、136万円の助成金を申請(実現せず) | |
| 19580611 | 広島県被団協理事会、第1回福祉センター建設委員会 | |
| 19580910 | 福祉センター建設委員会、建設場所の協議 | |
| 19581222 | 福祉センター入札、建物345万円に決定 | |
| 18581226 | 広島県原水協拡大理事会、福祉センター地鎮祭 | |
| 19590416 | 原爆被害者福祉センター「広島平和会館」、広島市大手町8丁目に完成、祝賀会開催。理事長森瀧市郎、専務理事松田亀夫、事務局員竹内武で運営始まる | |
| (竹内武さん・当時事務局員の談) 広島平和会館の建設については、中国・ソ連のカンパだけでなく、その他の国や国内からのカンパも含め、建設費として毎年250万を3年かけて750万円貯めて、土地に254万円(坪単価35,000円×72.89坪)建物に450万などで750万円で建設したと記憶している。 |
||
| 出典:『広島平和会館ものがたり』(原爆被害者福祉センター 広島平和会館、20001201) | ||
竹内武
| たけうち・たけし | 1928****生20050127没 | 享年77 | 元広島平和会館の相談員。被爆者手帳取得のための証人探しに尽力。 |
| 20010801 | 2001被爆者の伝言 竹内武さん(上)医療給付の実現、うれしかった
|
『中国新聞』(20010801) | |
| 1979/08/01 | 釜ヶ崎原爆被爆者の怒りと悲しみ | 釜ヶ崎原爆被爆者の会 | |
| 1997/04/17 | 人間銘木 藤居平一追想集 | ||
| 1985/05/27 | ひろしまの河 | 原水爆禁止広島母の会 | |
| 2000/12/01 | 広島平和会館ものがたり | 原爆被害者福祉センター広島平和会館 | |
止
『広島の戦前・戦後史に見る「平和教育思想」』(空辰男 著、広島平和教育研究所刊、20010101)
目次
| はじめに 1 思いをよせて 10 |
||
| 第1章 | なぜ置き忘れたか「軍都広島の思想」 11 | |
| 許されぬ歴史操作 11 手厚いドイツ・冷たい日本 13 「日帝」にこだわるアジアの教科書 15 侵略拠点となった軍都広島 17 非道を究めた日本の侵略 19 寛大だった中国の戦後処理 21 中国の「許す心」に学ぶ 24 |
||
| 第2章 | 広島陸軍墓地跡と「広島戦争資料館」 27 | |
| 求められる加害への証 27 軍都と一体だった陸軍墓地 29 陸軍墓地は戦前・戦後史の証人 32 必要な三つの精神 34 |
||
| 第3章 | 戦前・戦後史の決めては「原爆投下目的」 37 | |
| 原爆投下の真の目的は 37 うそから出た「100万人救命節」 40 戦前・戦後史を左右する「対ソ戦略説」 43 必要な原爆投下目的の解明 44 |
||
| 第4章 | 「いかなる論」は核廃絶の哲学 49 | |
| 核廃絶は全人類的運動 49 ストックホルム・アピール 51 分裂を生んだ「いかなる論」 53 原水禁運動の原点回帰へ 54 「いかなる」を共通理念に 56 |
||
| 第5章 原爆ドーム「世界遺産」と広島の思想 59 | ||
| 世界遺産化の意味 59 求められる認罪宣言 61 天地崩壊と誓いの碑 63 世界共通の遺産へ 66 |
||
| 第6章 | 創造・妨害の「平和教育」運動論 68 | |
| 平和教育の芽生え 68 人間放棄の反動教育に抗して 71 教育理論とカリキュラムの確立 74 反動克服のたゆまぬ営み 77 |
||
| 第7章 | 21世紀に繋ぐ広島思想 82 | |
| これからの平和教育行政を広島に問う 85 生き地獄の体験 86 軍都広島史は「日の丸」「君が代」そのもの 91 アジアの玄関港となる広島思想 100 |
||
| 参考文献 104 | ||
目次
海田管内被爆被爆教職員の会(広島県) 結成:1986
会の歩み

出典:『原爆と私 1999年第2版』(広島県海田管内被爆教師の会、1999年10月15日)
藤原修「第12章 平和運動と佐世保」(『佐世保市史通史編下巻』2003年4月 別刷)
| 節 | |||
| 1 | 平和都市宣言と旧軍港市転換法 | ||
| 2 | 戦後初期の平和活動 | ||
| 3 | 「平和宣言」から軍商併立へ | ||
| 4 | 原水爆禁止運動 | ||
| 5 | 基地の町の変貌 | ||
| 6 | 米原子力潜水艦寄港 | ||
| 7 | エンタープライズ事件と市民運動 | ||
| 米原子力空母入港概説 | |||
| 8 | 米軍基地返還運動 | ||
| 9 | 原子力船「むつ」の受入れ | ||
原爆被災全体像調査のための市民集会開催委員会団体名簿
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出典:『原爆被災全体像調査のための市民集会記録集』(原爆被災全体像調査のための市民集会開催委員会・広島市、1969?)
『原爆被災全体像調査のための市民集会記録集』(原爆被災全体像調査のための市民集会開催委員会・広島市、1969?)
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|
| 原爆被災全体像調査のための市民集会プログラム | |
| 1 | 開会 14.00から |
| 2 | 原爆死没者に対する黙とう |
| 3 | 主催者あいさつ |
| 4 | 全体会議 |
| (1) | 座長 広島女学院大学教授 庄野直美 |
| (2) | 基調講演 |
| ◇テーマ〈原爆被災資料の諸問題〉40分間 講師 日本学術会議原子力特別委員会幹事 同 原水爆被災資料小委員会委員長 神戸大学教授 永積安明 |
|
| (3) | 討議 |
| 〔問題提議〕 ◇テーマ〈原爆被災資料について〉10分間 発題者 原爆被災資料広島研究会 田原 伯 ◇テーマ〈原爆被災全体像調査について〉15分間 発題者 広島大学原爆放射能医学研究所長 広島大学教授 志水 清 ◇テーマ〈旧町内の被爆復元にあたって〉15分間 発題者 田坂病院長 田坂重実 同主婦 牛尾ユクヨ 広島市婦人連合会 林 秀 |
|
| 5 | 決議 |
| 6 | 映画上映(瀬戸内海「平家物語の旅」) |
| 7 | 閉会 17.30 |
◇プログラム◇
デルタ・女の会ニュース
| 号 | 発行年月日 | 記事 | 備考(所蔵ほか) |
| 24 | 1985/09/21 | G | |
| 26 | 1986.03.01 | G | |
| 27 | 1986.05.02 | G | |
| 28 | 1986.05.31 | G | |
| 29 | 1986.07.12 | G | |
| 48 | 1990.06.23 | G | |
| 51 | 1991.05.11 | G | |
| 52 | 1991.09.20 | G | |
| 53 | 1992.02.01 | G | |
| 54 | 1992.07.23 | G | |
| 55 | 1992/09/25 | ||
| 74 | 1997/10/15 | G | |
| 75 | 1998/02/14 | G | |
| 79 | 19991009 | 被爆54年女たちのヒロシマ | U 最終号。 |
『アメリカン大学の学生とともに原爆投下を考えた』(立命館大学平和サークル RA-PEC、19960115)
内容
| 01 | はじめにープログラムを作った人たち | ||
| 03 | ヒロシマの心をアメリカに伝える | 直野章子(アメリカン大学「核の歴史」講座プロデューサー) | |
| 11 | <特別掲載>希望の広島-核兵器のない世界へ- | 平岡敬(広島市長) | |
| 17 | 第1章 アメリカン大学との平和交流はどのように行われたか | 藤岡惇(立命館大学経済学部教授) | |
| 31 | 第2章 15年戦争・原爆投下・核問題についてのアンケート-調査の説明とその集計結果- | RA-PEC | |
| 39 | 第3章 21世紀への伝言-被爆者の体験を心に刻む | ||
| 41 | (1)米国で27回の手術を受ける | 山岡ミチコ(ワールド・フレンドシップセンター) | |
| 44 | (2)私の被爆体験とヒロシマの心 | 高橋昭博(日本被団協代表理事、元原爆資料館長) | |
| 47 | (3)被爆2世の運動を担って | 西本守(広島県被爆2世の会代表) | |
| 51 | 第4章 アメリカン大学の学生と原爆投下を考えて | ||
| 53 | (1)アメリカ、日本両プログラムに参加して | 中嶋由起子 | |
| 57 | (2)ヒロシマの義務とは何か | 河内明子 | |
| 60 | (3)「平和学エクスポージャー」としての広島体験 | 川崎裕史 | |
| 62 | (4)AUと考えた戦争について | 山崎大 | |
| 65 | (5)本年度の平和交流の成果と残された課題 | 藤岡惇 | |
| 資料 プログラムを伝える新聞記事 |
『明日を創る 婦人民主クラブと私 婦人民主クラブ創立45周年記念文』(婦人民主クラブ、19911116)
内容
| はじめに-女たちの四十五年…永原和子 | |||
| <第Ⅰ部>幾千万の婦人の海へ | |||
| *敗戦後の焦土から力強く | |||
| 婦人民主クラブとわたし 櫛田ふき 12 胸躍らせた戦後女性史の創世期 小林登美枝 20 宮本百合子さんに学んだこと 尾崎ふさ 24 湯浅芳子さんが編集長のころ 林小枝子 28 十六歳、創立大会にさそわれて 金子静枝 33 |
|||
| *それぞれの土に根づいて | |||
| 婦人解放の求め自立をたすけて 三輪あい子 35 あの戦争に疑問を持った日から 前保美枝子 39 岡山支部結成のころの思い出 豊田文子 43 戦前の演劇活動と戦後のクラブ活動 大輪匂子 47 婦民の診療所で苦闘した六年間 高橋政子 50 おずおずと家庭からふみだす転機に 池田夏子 55 骨のある活動家たちに育てられた時代 近藤とし子 58 死の床の娘にも生きる希望として 細野喜美 63 兄の戦死が平和運動の原点に 秋山信子 66 |
|||
| *胸熱くたたかった日々 | |||
| ストックホルム・アピール署名の威力 黒川万千代 70 被爆九人の遺児の養育が私の肩に 山本美都子 74 杉並で原水爆禁止運動ひとすじに 小沢清子 78 小児マヒ撲滅運動に燃えた日々 児島せの子 83 教師の勤評闘争に婦民が後ろ盾 坂入博子 88 クビになった先生を復職させた母親たち 横田フミ 92 中性洗剤ボイコット運動のころ 林由子 96 安保闘争の中で育った子どもと私 北原陽子 100 おばあちゃんと婦民と私 八幡裕子 104 亡き妻と婦民にまつわる思い出 石川利夫 108 名古屋支部のふたり物語 福村孝子 成田祝子 112 |
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| *ふみにじられた民主主義 | |||
| 仙台支部と婦民第二十四回大会前後 一戸葉子 116 第二十四回大会のころの藤沢支部と私 吉田綏子 124 誇りをもって歩みつづけた歳月 桜井愛子 124 婦人民主クラブ再建連絡会が発足したころ 高橋良子 128 自由が丘支部が分裂させられたころ 倉橋知余 132 死線を越え真の平和を切に望む 近藤美穂 136 婦民の生命の問題として 津上英子 140 つれそって二十一年”不眠新聞” 塩谷満枝 149 |
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| <第Ⅱ部>大地に深く根を張って | |||
| *平和は眠りをゆるさない | |||
| 婦民を誇りとし生きがいとして 色部百合子 154 沖縄返還と子どもの本を送る運動 林由子 159 広島からアメリカへ核兵器廃絶 相良カヨ 163 婦民でめざめたあかしとして 黒沢永子 167 「平和の波」のタペストリーをつくろうよ 青木ななせ 171 定年ライフは活動を楽しみながら 岩田綾子 174 |
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| *地域・職場の働き手に | |||
| 標準米でおいしくご飯を炊くことから 荒井幸子 178 婦民の中で親子とも育てられ 新堀浜江 181 老人給食のボランティアをつづける 中谷千鶴子 184 一家庭科教師の変ぼうと母親運動 山村美智子 188 働きつづけ闘いつづけて四十年 竹中君江 192 広島における「国連婦人の十年」 相良カヨ 195 文集『女たちの輪』をつくって 石浜みどり 199 |
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| *とりどりに花ひらくとき | |||
| 旅の楽しさも婦民ならでは 玉木律子 202 映画『弟たちの誕生』製作に協力 岩波洋子 206 働く女性が心豊かに生きるために 片倉比佐子 210 戦争体験とちぎり絵と私 伊藤正子 214 大冒険だった創立三十周年の集会 羽田久美子 217 札幌支部の財産になった記念集会 田中千砂子 220 力あわせて創りあげたハーモニー 山本靖子 224 映画で婦民の活動に仲間入り 宮古とく子 228 婦民再建達成の全国大会の感激 佐藤紀子 232 応援歌「どこまで行っても明日がある」 大西和子 236 |
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| おわりに-幸せな明日を創るために 富永和重 240 | |||
| 付 婦人民主クラブ趣意書 | |||