大森正信<作業中>
資料年表:大森正信
| 日本科学者会議広島支部事務局長 | |
| 原水爆禁止日本協議会 | |
| 2002 | |
| 0131 | 撮影日:2002年1月31日![]() |
| 2015 | |
| 1217 | 大森正信 広島県原水協筆頭代表理事・佐久間邦彦広島県被団協理事長ら4人、原爆被爆者養護ホーム「舟入むつみ園」と「矢野おりづる園」を訪問、全国から寄』せられた被爆者への「見舞金」あわせて300人分を届ける。<『原水協通信 On The Web』> |
ヒロシマの歴史を残された言葉や資料をもとにたどるサイトです。
大森正信<作業中>
資料年表:大森正信
| 日本科学者会議広島支部事務局長 | |
| 原水爆禁止日本協議会 | |
| 2002 | |
| 0131 | 撮影日:2002年1月31日![]() |
| 2015 | |
| 1217 | 大森正信 広島県原水協筆頭代表理事・佐久間邦彦広島県被団協理事長ら4人、原爆被爆者養護ホーム「舟入むつみ園」と「矢野おりづる園」を訪問、全国から寄』せられた被爆者への「見舞金」あわせて300人分を届ける。<『原水協通信 On The Web』> |
広島赤十字病院慰霊碑
| 建立年月日:1959年12月8日 |
| 所在地(建立当時):広島市千田町・広島赤十字病院 |
| 所在地(現在):広島県広島市中区千田町2-5-64 |
| 撮影年月日:2021年7月5日 |
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| (正面)(原文左横書)慰霊 (裏面) 昭和三十四年十一月吉日建之 日本赤十字社 |
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| 〔説明板〕(仏文略)
死はこの市に住む人々をも その後人類は一体となって 赤十字はこの福祉の業に |
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広島赤十字・原爆病院メモリアルパーク
| 所在地:広島県広島市中区千田町2-5-64 |
| 撮影日:2021年7月5日 |
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| (資料) https://www.hiroshima-med.jrc.or.jp/brandnew/page2.php |
| メモリアルパークの移設について病院敷地の東端に以前ありました被爆遺跡(歪んだ窓枠)等のモニュメントを移設し、平成25年7月2日に「広島赤十字・原爆病院メモリアルパーク」がオープンしました。当日は日本赤十字社名誉副総裁である高円宮妃殿下によるご供花が行われ、多くの方々にご参列いただきました。モニュメントが設置されていた一帯に新棟を建設する計画となったことから、検討を重ねた結果、移設先は今後の病院の建て替え等で長期に亘り影響の出ない日本赤十字社広島県支部の敷地となりました。平和と人権尊重の重要性を語り継いでいく役割を担っているメモリアルパークを、平和教育の一環としても継承していきたいと考えています。また、既存メモリアルパークが466.0㎡であるのに対し約600㎡に面積を拡張させ、毎年8月6日に行われる慰霊式では、より多くの方に参列して頂けるよう配慮しています。 |
ひろしま文芸の碑
| 設置者:ひろしま文芸の会 |
| 場所:広島市(比治山公園・展望台) |
| 設置日:1980年5月5日 |
| 撮影日:2002年3月7日 |
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| 撮影日:2021年7月10日 |
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歩兵第11連隊戦没者慰霊碑
| 場所:広島比治山 陸軍墓地 |
| 撮影日:2021年7月5日 |
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陸軍少年飛行兵戦没者慰霊碑
| 場所:広島市比治山 陸軍墓地 |
| 撮影日:2021年7月5日 |
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殉国忠士之碑<大日本帝国在留仏国人>
| 所在地:広島市比治山 陸軍墓地 |
| 撮影日:2021年7月5日 |
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2020平和宣言<広島>
1945年8月6日、広島は一発の原子爆弾により破壊し尽くされ、「75年間は草木も生えぬ」と言われました。しかし広島は今、復興を遂げて、世界中から多くの人々が訪れる平和を象徴する都市になっています。
今、私たちは、新型コロナウイルスという人類に対する新たな脅威に立ち向かい、踠(もが)いていますが、この脅威は、悲惨な過去の経験を反面教師にすることで乗り越えられるのではないでしょうか。
およそ100年前に流行したスペイン風邪は、第一次世界大戦中で敵対する国家間での「連帯」が叶わなかったため、数千万人の犠牲者を出し、世界中を恐怖に陥(おとしい)れました。その後、国家主義の台頭もあって、第二次世界大戦へと突入し、原爆投下へと繋がりました。
こうした過去の苦い経験を決して繰り返してはなりません。そのために、私たち市民社会は、自国第一主義に拠ることなく、「連帯」して脅威に立ち向かわなければなりません。
原爆投下の翌日、「橋の上にはズラリと負傷した人や既に息の絶えている多くの被災者が横たわっていた。大半が火傷で、皮膚が垂れ下がっていた。『水をくれ、水をくれ』と多くの人が水を求めていた。」という惨状を体験し、「自分のこと、あるいは自国のことばかり考えるから争いになるのです。」という当時13歳であった男性の訴え。
昨年11月、被爆地を訪れ、「思い出し、ともに歩み、守る。この三つは倫理的命令です。」と発信されたローマ教皇の力強いメッセージ。
そして、国連難民高等弁務官として、難民対策に情熱を注がれた緒方貞子氏の「大切なのは苦しむ人々の命を救うこと。自分の国だけの平和はありえない。世界はつながっているのだから。」という実体験からの言葉。
これらの言葉は、人類の脅威に対しては、悲惨な過去を繰り返さないように「連帯」して立ち向かうべきであることを示唆しています。
今の広島があるのは、私たちの先人が互いを思いやり、「連帯」して苦難に立ち向かった成果です。実際、平和記念資料館を訪れた海外の方々から「自分たちのこととして悲劇について学んだ。」、「人類の未来のための教訓だ。」という声も寄せられる中、これからの広島は、世界中の人々が核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に向けて「連帯」することを市民社会の総意にしていく責務があると考えます。
ところで、国連に目を向けてみると、50年前に制定されたNPT(核兵器不拡散条約)と、3年前に成立した核兵器禁止条約は、ともに核兵器廃絶に不可欠な条約であり、次世代に確実に「継続」すべき枠組みであるにもかかわらず、その動向が不透明となっています。世界の指導者は、今こそ、この枠組みを有効に機能させるための決意を固めるべきではないでしょうか。
そのために広島を訪れ、被爆の実相を深く理解されることを強く求めます。その上で、NPT再検討会議において、NPTで定められた核軍縮を誠実に交渉する義務を踏まえつつ、建設的対話を「継続」し、核兵器に頼らない安全保障体制の構築に向け、全力を尽くしていただきたい。
日本政府には、核保有国と非核保有国の橋渡し役をしっかりと果たすためにも、核兵器禁止条約への署名・批准を求める被爆者の思いを誠実に受け止めて同条約の締約国になり、唯一の戦争被爆国として、世界中の人々が被爆地ヒロシマの心に共感し「連帯」するよう訴えていただきたい。また、平均年齢が83歳を超えた被爆者を始め、心身に悪影響を及ぼす放射線により生活面で様々な苦しみを抱える多くの人々の苦悩に寄り添い、その支援策を充実するとともに、「黒い雨降雨地域」の拡大に向けた政治判断を、改めて強く求めます。
本日、被爆75周年の平和記念式典に当たり、原爆犠牲者の御霊に心から哀悼の誠を捧げるとともに、核兵器廃絶とその先にある世界恒久平和の実現に向け、被爆地長崎、そして思いを同じくする世界の人々と共に力を尽くすことを誓います。
令和2年(2020年)8月6日
広島市長 松井 一實
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2020平和宣言<長崎>
長崎平和宣言
私たちのまちに原子爆弾が襲いかかったあの日から、ちょうど75年。4分の3世紀がたった今も、私たちは「核兵器のある世界」に暮らしています。
どうして私たち人間は、核兵器を未だになくすことができないでいるのでしょうか。人の命を無残に奪い、人間らしく死ぬことも許さず、放射能による苦しみを一生涯背負わせ続ける、このむごい兵器を捨て去ることができないのでしょうか。
75年前の8月9日、原爆によって妻子を亡くし、その悲しみと平和への思いを音楽を通じて伝え続けた作曲家・木野普見雄さんは、手記にこう綴っています。
私の胸深く刻みつけられたあの日の原子雲の赤黒い拡がりの下に繰り展げられた惨劇、ベロベロに
焼けただれた火達磨の形相や、炭素のように黒焦げとなり、丸太のようにゴロゴロと瓦礫の中に転
がっていた数知れぬ屍体、髪はじりじりに焼け、うつろな瞳でさまよう女、そうした様々な幻影
は、毎年めぐりくる八月九日ともなれば生々しく脳裡に蘇ってくる。
被爆者は、この地獄のような体験を、二度とほかの誰にもさせてはならないと、必死で原子雲の下で何があったのかを伝えてきました。しかし、核兵器の本当の恐ろしさはまだ十分に世界に伝わってはいません。新型コロナウイルス感染症が自分の周囲で広がり始めるまで、私たちがその怖さに気づかなかったように、もし核兵器が使われてしまうまで、人類がその脅威に気づかなかったとしたら、取り返しのつかないことになってしまいます。
今年は、核不拡散条約(NPT)の発効から50年の節目にあたります。
この条約は、「核保有国をこれ以上増やさないこと」「核軍縮に誠実に努力すること」を約束した、人類にとってとても大切な取り決めです。しかしここ数年、中距離核戦力(INF)全廃条約を破棄してしまうなど、核保有国の間に核軍縮のための約束を反故にする動きが強まっています。それだけでなく、新しい高性能の核兵器や、使いやすい小型核兵器の開発と配備も進められています。その結果、核兵器が使用される脅威が現実のものとなっているのです。
“残り100秒”。地球滅亡までの時間を示す「終末時計」が今年、これまでで最短の時間を指していることが、こうした危機を象徴しています。
3年前に国連で採択された核兵器禁止条約は「核兵器をなくすべきだ」という人類の意思を明確にした条約です。核保有国や核の傘の下にいる国々の中には、この条約をつくるのはまだ早すぎるという声があります。そうではありません。核軍縮があまりにも遅すぎるのです。
被爆から75年、国連創設から75年という節目を迎えた今こそ、核兵器廃絶は、人類が自らに課した約束“国連総会決議第一号”であることを、私たちは思い出すべきです。
昨年、長崎を訪問されたローマ教皇は、二つの“鍵”となる言葉を述べられました。一つは「核兵器から解放された平和な世界を実現するためには、すべての人の参加が必要です」という言葉。もう一つは「今、拡大しつつある相互不信の流れを壊さなくてはなりません」という言葉です。
世界の皆さんに呼びかけます。
平和のために私たちが参加する方法は無数にあります。
今年、新型コロナウイルスに挑み続ける医療関係者に、多くの人が拍手を送りました。被爆から75年がたつ今日まで、体と心の痛みに耐えながら、つらい体験を語り、世界の人たちのために警告を発し続けてきた被爆者に、同じように、心からの敬意と感謝を込めて拍手を送りましょう。
この拍手を送るという、わずか10秒ほどの行為によっても平和の輪は広がります。今日、大テントの中に掲げられている高校生たちの書にも、平和への願いが表現されています。折り鶴を折るという小さな行為で、平和への思いを伝えることもできます。確信を持って、たゆむことなく、「平和の文化」を市民社会に根づかせていきましょう。
若い世代の皆さん。新型コロナウイルス感染症、地球温暖化、核兵器の問題に共通するのは、地球に住む私たちみんなが“当事者”だということです。あなたが住む未来の地球に核兵器は必要ですか。核兵器のない世界へと続く道を共に切り開き、そして一緒に歩んでいきましょう。
世界各国の指導者に訴えます。
「相互不信」の流れを壊し、対話による「信頼」の構築をめざしてください。今こそ、「分断」ではなく「連帯」に向けた行動を選択してください。来年開かれる予定のNPT再検討会議で、核超大国である米ロの核兵器削減など、実効性のある核軍縮の道筋を示すことを求めます。
日本政府と国会議員に訴えます。
核兵器の怖さを体験した国として、一日も早く核兵器禁止条約の署名・批准を実現するとともに、北東アジア非核兵器地帯の構築を検討してください。「戦争をしない」という決意を込めた日本国憲法の平和の理念を永久に堅持してください。
そして、今なお原爆の後障害に苦しむ被爆者のさらなる援護の充実とともに、未だ被爆者と認められていない被爆体験者に対する救済を求めます。
東日本大震災から9年が経過しました。長崎は放射能の脅威を体験したまちとして、復興に向け奮闘されている福島の皆さんを応援します。
新型コロナウイルスのために、心ならずも今日この式典に参列できなかった皆様とともに、原子爆弾で亡くなられた方々に心から追悼の意を捧げ、長崎は、広島、沖縄、そして戦争で多くの命を失った体験を持つまちや平和を求めるすべての人々と連帯して、核兵器廃絶と恒久平和の実現に力を尽くし続けることを、ここに宣言します。
2020年(令和2年)8月9日
長崎市長 田 上 富 久
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2020総理大臣挨拶(広島)
本日ここに、被爆75周年の広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式が挙行されるに当たり、原子爆弾の犠牲となられた数多くの方々の御霊(みたま)に対し、謹んで、哀悼の誠を捧(ささ)げます。
そして、今なお被爆の後遺症に苦しまれている方々に、心からお見舞いを申し上げます。
新型コロナウイルス感染症が世界を覆った今年、世界中の人々がこの試練に打ち勝つため、今まさに奮闘を続けています。
75年前、一発の原子爆弾により廃墟(はいきょ)と化しながらも、先人たちの努力によって見事に復興を遂げたこの美しい街を前にした時、現在の試練を乗り越える決意を新たにするとともに、改めて平和の尊さに思いを致しています。
広島と長崎で起きた惨禍、それによってもたらされた人々の苦しみは、二度と繰り返してはなりません。唯一の戦争被爆国として、「核兵器のない世界」の実現に向けた国際社会の努力を一歩一歩、着実に前に進めることは、我が国の変わらぬ使命です。
現在のように、厳しい安全保障環境や、核軍縮をめぐる国家間の立場の隔たりがある中では、各国が相互の関与や対話を通じて不信感を取り除き、共通の基盤の形成に向けた努力を重ねることが必要です。
特に本年は、被爆75年という節目の年であります。我が国は、非核三原則を堅持しつつ、立場の異なる国々の橋渡しに努め、各国の対話や行動を粘り強く促すことによって、核兵器のない世界の実現に向けた国際社会の取組をリードしてまいります。
本年、核兵器不拡散条約(NPT)が発効50周年を迎えました。同条約が国際的な核軍縮・不拡散体制を支える役割を果たし続けるためには、来るべきNPT運用検討会議を有意義な成果を収めるものとすることが重要です。我が国は、結束した取組の継続を各国に働きかけ、核軍縮に関する「賢人会議」の議論の成果を活用しながら、引き続き、積極的に貢献してまいります。
「核兵器のない世界」の実現に向けた確固たる歩みを支えるのは、世代や国境を越えて核兵器使用の惨禍やその非人道性を語り伝え、継承する取組です。我が国は、被爆者の方々と手を取り合って、被爆の実相への理解を促す努力を重ねてまいります。
被爆者の方々に対しましては、保健、医療、福祉にわたる支援の必要性をしっかりと受け止め、原爆症の認定について、できる限り迅速な審査を行うなど、高齢化が進む被爆者の方々に寄り添いながら、今後とも、総合的な援護施策を推進してまいります。
結びに、永遠の平和が祈られ続けている、ここ広島市において、核兵器のない世界と恒久平和の実現に向けて力を尽くすことをお誓い申し上げます。原子爆弾の犠牲となられた方々のご冥福と、ご遺族、被爆者の皆様、並びに、参列者、広島市民の皆様のご平安を祈念いたしまして、私の挨拶といたします。
令和2年8月6日
内閣総理大臣・安倍晋三
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長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典あいさつ
令和2年8月9日
本日ここに、被爆75周年の長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典に当たり、原子爆弾の犠牲となられた数多くの方々の御霊(みたま)に対し、謹んで、哀悼の誠を捧(ささ)げます。
そして、今なお被爆の後遺症に苦しまれている方々に、心からお見舞いを申し上げます。
新型コロナウイルス感染症が世界を覆った今年、世界中の人々がこの試練に打ち勝つため、今まさに奮闘を続けています。
75年前の今日、一木一草もない焦土と化したこの街が、市民の皆様の御努力によりこのように美しく復興を遂げたことに、私たちは改めて、乗り越えられない試練はないこと、そして、平和の尊さを強く感じる次第です。
長崎と広島で起きた惨禍、それによってもたらされた人々の苦しみは、二度と繰り返してはなりません。唯一の戦争被爆国として、「核兵器のない世界」の実現に向けた国際社会の努力を一歩一歩、着実に前に進めていくことは、我が国の変わらぬ使命です。
現在のように、厳しい安全保障環境や、核軍縮をめぐる国家間の立場の隔たりがある中では、各国が相互の関与や対話を通じて不信感を取り除き、共通の基盤の形成に向けた努力を重ねることが必要です。
特に本年は、被爆75年という節目の年であります。我が国は、非核三原則を堅持しつつ、立場の異なる国々の橋渡しに努め、各国の対話や行動を粘り強く促すことによって、核兵器のない世界の実現に向けた国際社会の取組をリードしてまいります。
本年、核兵器不拡散条約(NPT)が発効50周年を迎えました。同条約が国際的な核軍縮・不拡散体制を支える役割を果たし続けるためには、来るべきNPT運用検討会議を有意義な成果を収めるものとすることが重要です。我が国は、結束した取組の継続を各国に働きかけ、核軍縮に関する「賢人会議」の議論の成果も活用しながら、引き続き、積極的に貢献してまいります。
「核兵器のない世界」の実現に向けた確固たる歩みを支えるのは、世代や国境を越えて核兵器使用の惨禍やその非人道性を語り伝え、承継する取組です。我が国は、被爆者の方々と手を取り合って、被爆の実相への理解を促す努力を重ねてまいります。
被爆者の方々に対しましては、保健、医療、福祉にわたる支援の必要性をしっかりと受け止め、原爆症の認定について、できる限り迅速な審査を行うなど、高齢化が進む被爆者の方々に寄り添いながら、今後とも、総合的な援護施策を推進してまいります。
結びに、永遠の平和が祈られ続けている、ここ長崎市において、核兵器のない世界と恒久平和の実現に向けて力を尽くすことをお誓い申し上げます。原子爆弾の犠牲となられた方々のご冥福と、ご遺族、被爆者の皆様、並びに、参列者、長崎市民の皆様のご平安を祈念いたしまして、私の挨拶といたします。
令和2年8月9日
内閣総理大臣・安倍晋三
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2020年8月15日終戦記念日
あの苛烈を極めた先の大戦では、300万余の同胞の命が失われました。
祖国の行く末を案じ、家族の幸せを願いながら、戦陣に散った方々。終戦後、遠い異郷の地にあって、亡くなられた方々。広島や長崎での原爆投下、東京をはじめ各都市での爆撃、沖縄における地上戦などで、無残にも犠牲となられた方々。今、すべての御霊(みたま)の御前(おんまえ)にあって、御霊安かれと、心より、お祈り申し上げます。
今日、私たちが享受している平和と繁栄は、戦没者の皆様の尊い犠牲の上に築かれたものであることを、終戦から75年を迎えた今も、私たちは決して忘れません。改めて、衷心より、敬意と感謝の念を捧(ささ)げます。
未(いま)だ帰還を果たされていない多くのご遺骨のことも、決して忘れません。一日も早くふるさとにお迎えできるよう、国の責務として全力を尽くしてまいります。
戦後75年、我が国は、一貫して、平和を重んじる国として、歩みを進めてまいりました。世界をより良い場とするため、力の限りを尽くしてまいりました。
戦争の惨禍を、二度と繰り返さない。この決然たる誓いをこれからも貫いてまいります。我が国は、積極的平和主義の旗の下、国際社会と手を携えながら、世界が直面している様々な課題の解決に、これまで以上に役割を果たす決意です。現下の新型コロナウイルス感染症を乗り越え、今を生きる世代、明日を生きる世代のために、この国の未来を切り拓(ひら)いてまいります。
終わりに、いま一度、戦没者の御霊に平安を、ご遺族の皆様にはご多幸を、心よりお祈りし、式辞といたします。
令和2年8月15日
内閣総理大臣 安倍 晋三
電信兵慰霊碑 建立日:1987年9月13日
所在地:広島市比治山 陸軍墓地
| 撮影日:2021年7月5日 |
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広島陸軍病院原爆慰霊碑
建立年月日:1956(昭和31)年8月6日
場所:広島市中区基町
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| (正面) 広島陸軍病院原爆慰霊碑 |
| (裏面) 昭和三十一年八月六日元広島陸軍病院関係有志建之 |
| 〔側碑〕 (正面) 広島陸軍病院原爆死没合祀者(七四〇名略) (裏面) 昭和二十年(一九四五)八月六日広島が人類最初の原子爆弾により、一瞬にして二十数万の尊い犠牲者を生ずるに至った。 爆心地に極めて近かった元広島陸軍病院に勤務の職員以下及び入院中の患者等で被爆死された方々の御霊を永遠にお祈りす るため、同病院関係の生存者で職員・その他有志並びに遺族賛助者等により、広島陸軍病院原爆慰霊会を結成し昭和三十年八月六日原爆十周年を記念しこの病院跡に当時の表門石柱を碑とし台石は全部同病院の庭石等を用い、ここに「広島陸軍病院原爆慰霊碑」を建立した。 ついで、同五十年八月六日三十周年記念行事として合祀名碑の建立並びに同病院の遺跡(明治以来の記念碑及び被爆当時の裏門石柱など)保存と併せて敷地の整備をも計画し昭和五十二年八月六日完成するに至った。 御霊よ どうぞ安らかに お眠りください 合掌 昭和五十二年八月六日 誌之 広島陸軍病院原爆慰霊会 |
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広島陸軍墓地
| 2021年7月5日撮影 |
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| 陸軍墓地は、明治5年(1872年)に陸軍墓地として国が設置した墓地で、西南戦争から第二次世界大戦までの多数の日本人戦没者のご遺骨が葬られています。 |
| 2019年(平成31年)1月 広島市 |
『中国新聞労働組合50年史』(同編集委員会、19970829)
内容
| 章 | 備考 | ||
| 平和・生活・権利 そして新聞のために | 斎藤普 | ||
| 50年であって50年ではない「ヒロシマ」 | 北村肇 | ||
| 1 | 50年の歩み | ||
| 2 | 組織・権利・共闘 | ||
| 3 | 賃金・退職金 | ||
| 4 | 生活と健康 | ||
| 5 | 合理化 | ||
| 6 | 新研・平和 | ||
| 講和条約 | |||
| 原水爆禁止運動 | |||
| 新研活動の誕生 | |||
| 警職法反対 | |||
| 政暴法反対 | |||
| 安保 | |||
| 単組初の新研集会 | |||
| 沖縄・安保 | |||
| マスコミ攻撃 | |||
| ベトナム戦争反対 | |||
| 戦史博 | |||
| 単組新研部が発足 | |||
| 外務省機密漏洩事件 | |||
| 県民と自衛隊のつどい | |||
| 米大統領歓迎広告 | |||
| 自衛隊FF参加 | |||
| 自衛隊政府広報 | |||
| 紙面モニター・アンケート | |||
| 不戦の碑・消えたペン 被爆40周年事業 125人の無念刻む | |||
| 国家秘密法阻止 | |||
| 朝日新聞射殺事件 | |||
| 「浮標」 | |||
| 天皇報道 | |||
| 連載企画ボツ | |||
| 元編集局長が市長選出馬 | |||
| 連載「B・C級戦犯」 | |||
| 小選挙区・審議会 | |||
| 記者クラブ問題 | |||
| ヒロシマ新聞 50年後の視点で45年8月7日付紙面を製作 | |||
| 7 | 経営・企業間競争 | ||
| 8 | 青年婦人部 | ||
| あとがき | |||
| 資料 | |||
| 歴代役員/スローガン/年表 | |||
「被爆体験」の展開ー原水爆禁止世界大会の宣言・決議を素材として<工事中>
『芸備地方史研究』(第140・141号、19830531)
宇吹暁
はじめに
「被爆体験」を原爆被害の組織化と思想化を契機に形成される社会的体験としてとらえるならば、ビキニ水爆被災事件は、その全国的展開の出発点であった。一九五四年三月以降国会をはじめ全国の議会で採択された決議や全国各地で展開された署名運動は、そのほとんどが水爆実験禁止ではなく原水爆禁止を訴えていた。また、一九五五年八月に開催された第一回原水爆禁止世界大会は、原水爆被害者救援運動を原水爆禁止運動と密接不可分のものとして位置づけた。こうした中で原爆被爆者自身による原爆被害の組織化と思想化か急速に進んだ。
たとえば、広島県内の原爆被害者の組織状況をみると、一九五五年五月頃には約三〇〇名(原爆被害者の会々員数)ほどであったが、五六年二月には「数個の団体、二千名程度」となり、同年一一月には「一七郡市及び広島市(一二団体)約二万名」が組織されている。こうした五五年五月から一一月にかけての原爆被害者の組織化の急速な発展は、原水爆禁止運動の力によるものであった。一方、広島県原爆被害者団体協議会の結成(一九五六年五月二七日)につながる広島県原爆被害者大会(五六年三月一八日)および日本被団協の結成総会となった原水爆被害者全国大会(五六年八月一〇日)の決議は、その第一項でそれぞれ「原・水爆禁止運動を促進しよう」、「原水爆とその実験を禁止する国際協定を結ばせよう」と述べていた。これは、原爆被害者レベルでの「被爆体験」が原水爆禁止と密接に結合していることか示すものである。原水爆禁止運動は、一方で、原爆被害者の「被爆体験」
形成の契機になるとともに、原爆被害者の「被爆体験」を核にしながら、独自の「被爆体験」を発展させていく。本稿の課題は、原水爆禁止世界大会の宣言・決議を素材として、日本における原水爆禁止運動の中で展開された「被爆体験」をあとづけることである。なお、一九七七年以降の統一大会および独自大会は、本稿の対象としなかった。
<以下骨子>
一 原水爆禁止と被爆者救援
第1図 第1回大会宣言における原水爆禁止と原爆被害の関連
二 運動分裂後の展開
1 原水爆被害者
第1表 宣言・決議(1955~62年の大会)に現れた原水爆被害者の用例
第2表 宣言・決議(1963~76年の大会)に現れた原水爆被害者の用例
2 原爆投下責任の追及
第2図 第14回大会における原水爆禁止と原爆被害の関連
第3表 大会決議の標題にみえる救援と援護法
3 「被爆体験」の新展開
第4表 大会宣言・決議に現われた原水爆被害(被爆者およびABCCなど被爆者関連機関・制度を除く)
おわりに
第5表 原爆手記の掲載書・誌数と手記数の年次別変遷(『原爆被災資料総目録第3集』(原爆被災資料広島研究会1972年)より作成)
第3図 原爆手記の掲載書・誌数と手記数の発行主体別変遷
https://judgit.net/projects/580
原爆死没者追悼平和祈念館運営委託費
その他
府省庁: 厚生労働省事業番号: 0207担当部局: 健康局 総務課指導調査室事業期間: 2002年〜終了予定なし
会計区分: 一般会計
実施方法: 委託・請負
事業の目的
当委託費は、広島市及び長崎市に投下された原子爆弾による死没者の尊い犠牲を銘記し、かつ、恒久の平和を祈念するため、原子爆弾の惨禍に関する国民の理解を深め、その体験の後代の国民への継承を図り、及び原子爆弾による死没者に対する追悼の意を表す事業を行うことを目的とする。
事業概要
委託先は、被爆地である広島、長崎に設置した国立原爆死没者追悼平和祈念館の管理運営を行うとともに、被爆者が記した手記や体験記、その他の被曝関連資料や被曝医療及び平和に関する情報等の存在を調査・収集・整理し、祈念館において、これらを入館者等へ広く情報発信する事業等を行う。
予算額・執行額
※単位は100万円
| 予算額・執行額 | ||||||||
| ※単位は100万円 | ||||||||
| 年度 | 要求額 | 当初予算 | 補正予算 | 前年度から繰越し | 翌年度へ繰越し | 予備費等 | 予算計 | 執行額 |
| 2012 | – | 543 | 0 | 0 | 0 | 0 | 543 | 543 |
| 2013 | – | 452 | 0 | 0 | 0 | 0 | 452 | 452 |
| 2014 | – | 465 | 0 | 0 | 0 | 0 | 465 | 465 |
| 2015 | – | 476 | 0 | 0 | 0 | 0 | 476 | 476 |
| 2016 | 468 | 469 | 0 | 0 | 0 | 0 | 469 | 469 |
| 2017 | 587 | 587 | 0 | 0 | 0 | 0 | 587 | 587 |
| 2018 | 583 | 603 | 0 | 0 | 0 | 0 | 603 | 603 |
| 2019 | 609 | 609 | 0 | 0 | 0 | 0 | 609 | – |
| 2020 | 600 | – | – | – | – | – | – | – |
成果目標及び成果実績(アウトカム)
被爆者が記した手記や体験記、その他の被曝関連資料や被曝医療及び平和に関する情報等の存在を調査・収集・整理し、広く情報発信する事業等を行うことを目標とする。
広島・長崎両祈念館の年間入場者数 (目標:2019年度に402000 人)
| 年度 | 当初見込み | 活動実績 |
| 2016 | 402000 人 | 473560 人 |
| 2017 | 402000 人 | 535902 人 |
| 2018 | 402000 人 | 573017 人 |
| 年度 | 支出先 | 業務概要 | 支出額(百万円) |
| 2017 | 公益財団法人長崎平和推進協会 | 国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館の管理運営等 | 317 |
| 2018 | 公益財団法人長崎平和推進協会 | 国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館の管理運営等 | 310 |
| 2018 | 公益財団法人広島平和文化センター | 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館の管理運営等 | 293 |
| 2017 | 公益財団法人広島平和文化センター | 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館の管理運営等 | 270 |
| 2015 | 公益財団法人広島平和文化センター | 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館の管理運営等 | 256 |
| 2016 | 公益財団法人広島平和文化センター | 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館の管理運営等 | 251 |
| 2014 | (公財)広島平和文化センター | 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館の管理運営等 | 248 |
| 2015 | 公益財団法人長崎平和推進協会 | 国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館の管理運営等 | 220 |
| 2016 | 公益財団法人長崎平和推進協会 | 国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館の管理運営等 | 218 |
| 2014 | (公財)長崎平和推進協会 | 国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館の管理運営等 | 217 |
| 2018 | 山中産業(株) | 水盤光ファイバー光源装置整備 | 42 |
| 2017 | 日本空調サービス株式会社 | ブラインヒートチラ-ユニットほか空気調和機整備更新・空調設備保守 | 41 |
| 2017 | NECソリューションイノベータ株式会社 | 情報システム改修ならびに運用保守 | 26 |
| 2018 | パナソニックLSエンジニアリング株式会社 | 追悼空間ほかライトチューブ照明LED化整備 | 26 |
| 2018 | サンケイ株式会社 | 警備 | 21 |
| 2017 | NECソリューションイノベータ株式会社 | 情報システム機器更改等に係る改修 | 19 |
| 2014 | 国際警備保障㈱ 広島支社 | 警備 | 18 |
| 2015 | サンケイ株式会社 | 警備 | 18 |
| 2016 | サンケイ株式会社 | 警備 | 18 |
| 2017 | サンケイ株式会社 | 警備 | 18 |
| 2017 | ジョンソンコントロールズ株式会社 | 中央監視装置更新および自動制御整備保守 | 17 |
| 2018 | 株式会社城保安警備 | 館内警備 | 17 |
| 2017 | 株式会社橋本商会 | 監視カメラシステム更新 | 15 |
| 2018 | 株式会社大和総業 | 機械設備運転管理 | 15 |
| 2014 | (株)城保安警備 | 館内警備 | 10 |
| 2015 | 株式会社城保安警備 | 館内警備 | 10 |
| 2016 | 株式会社大和総業 | 機械設備運転管理 | 10 |
| 2016 | 株式会社城保安警備 | 館内警備 | 10 |
| 2016 | 日本電気株式会社 | 情報システム運用保守 | 10 |
| 2017 | 株式会社城保安警備 | 館内警備 | 10 |
| 2018 | 株式会社城保安警備 | 自動火災報知設備修繕 | 10 |
| 2018 | オーク設備工業株式会社 | 砂式ろ過機修繕 | 10 |
| 2014 | (株)大和総業 | 機械設備運転管理 | 8 |
| 2014 | ㈲クラモト | 清掃 | 8 |
| 2015 | 株式会社大和総業 | 機械設備運転管理 | 8 |
| 2015 | 都市道路開発株式会社 | 清掃 | 8 |
| 2016 | 都市道路開発株式会社 | 清掃 | 8 |
| 2017 | 株式会社大和総業 | 機械設備運転管理 | 8 |
| 2017 | 株式会社ベンチャー・アシスト | 清掃 | 8 |
| 2018 | 株式会社大和総業 | 機械室循環ポンプ修繕 | 8 |
| 2018 | 株式会社ベンチャー・アシスト | 清掃 | 8 |
| 2014 | 日本電気(株)中国支社 | 情報システム運用保守 | 7 |
| 2014 | 日本電気㈱中国支社 | 情報システム運用保守 | 7 |
| 2014 | 清水建設㈱ 広島支店 | トップライト修繕 | 7 |
| 2015 | 日本電気株式会社 | 情報システム運用保守 | 7 |
| 2015 | 日本電気株式会社 | 情報システム運用保守 | 7 |
| 2016 | 日本電気株式会社 | 情報システム運用保守 | 7 |
| 2017 | NECソリューションイノベータ株式会社 | 情報システム保守運用 | 7 |
| 2017 | 株式会社ユニサス | 樹木等保守管理 | 7 |
| 2018 | NECソリューションイノベータ株式会社 | 情報システム機器更改 | 7 |
| 2014 | 日本空調サービス(株) | 空調設備、保守点検、修繕 | 6 |
| 2014 | オーク設備工業㈱広島営業所 | 空気調和機設備等保守点検 | 6 |
| 2015 | オーク設備工業株式会社 | 空気調和機設備等保守点検 | 6 |
| 2015 | 株式会社中電工 | 照明設備制御装置更新 | 6 |
| 2016 | オーク設備工業株式会社 | 空気調和機設備等保守点検 | 6 |
| 2016 | 株式会社讀賣連合広告社 | 新聞紙面への広告掲載 | 6 |
| 2017 | オーク設備工業株式会社 | 空気調和機設備等保守点検 | 6 |
| 2018 | 広島テレビ放送株式会社 | 証言ビデオ制作【県外】 | 6 |
| 2018 | 広島テレビ放送株式会社 | 証言ビデオ制作【在外】 | 6 |
| 2018 | オーク設備工業株式会社 | 空気調和機設備等保守点検 | 6 |
| 2014 | (株)長崎環境美化 | 館内清掃 | 5 |
| 2015 | 株式会社大林組 | 外壁修繕業務委託他 | 5 |
| 2016 | 株式会社冨山学園 | 総合案内業務 | 5 |
| 2017 | ナカハラ_告株式会社 | 証言ビデオ制作【在外】 | 5 |
| 2017 | オーク設備工業株式会社 | 地上部水盤循環ポンプ及び弁等修繕 | 5 |
| 2014 | 共楽園緑化建設(株) | 植樹管理業務委託 | 4 |
| 2014 | (公財)長崎市シルバー人材センター | 館外清掃、書物整理 | 4 |
| 2014 | (株)タキオジャパン | 「長崎国際平和映画フォーラム2014」プロデュース業務等 | 4 |
| 2014 | kazakgstan-Japan Centar for Human Development | 海外原爆展におけるコーディネート業務 | 4 |
| 2014 | ㈱メイツ中国 | 総合案内 | 4 |
| 2014 | ㈱ユニサス | 周辺樹木等保守管理 | 4 |
| 2015 | 日本空調サービス株式会社 | 空調設備、保守点検、修繕 | 4 |
| 2015 | 株式会社タキオンジャパン | 「長崎国際平和映画フォーラム2015」のプロデュース業務等 | 4 |
| 2015 | 共楽園緑化建設株式会社 | 植樹管理業務委託 | 4 |
| 2015 | 株式会社広島朝日広告社 | 新聞紙面への広告掲載 | 4 |
| 2015 | 株式会社冨山学園 | 総合案内 | 4 |
| 2016 | 株式会社昭和堂 | クリアファイル・パンフレット等印刷 | 4 |
| 2016 | 長崎文化放送株式会社 | 証言映像制作 | 4 |
| 2016 | 株式会社SMC | 館内清掃業務委託 | 4 |
| 2016 | 株式会社ユニサス | 樹木等保守管理 | 4 |
| 2017 | 株式会社SMC | 館内清掃 | 4 |
| 2017 | 株式会社広島朝日広告社 | 証言ビデオ制作【県外】 | 4 |
| 2018 | 株式会社SMC | 祈念館情報システム運用保守 | 4 |
| 2018 | 日本電気株式会社 | 情報システム運用保守 | 4 |
| 2014 | 株式会社長崎国際テレビ | 被爆者証言映像(九州)制作 | 3 |
| 2014 | ㈱広島朝日広告社 | 新聞紙面への広告掲載 | 3 |
| 2015 | 公益社団法人長崎市シルバー人材センター | 灌漑清掃、書物整理 | 3 |
| 2015 | 株式会社SMC | 館内清掃業務委託 | 3 |
| 2015 | 一般財団法人九州電気保安協会 | 蓄電池取替・自家用電気工作物の保安管理業務委託 | 3 |
| 2015 | 株式会社アエラス | 証言ビデオ制作 | 3 |
| 2015 | 株式会社ユニサス | 周辺樹木等保守管理 | 3 |
| 2016 | 株式会社タキオンジャパン | 「長崎国際平和映画フォーラム2016」のプロデュース業務等 | 3 |
| 2016 | 日本空調サービス株式会社 | 空調設備保守点検業務委託他 | 3 |
| 2016 | 公益社団法人長崎市シルバー人材センター | 館外清掃 | 3 |
| 2016 | 日本電気株式会社 | 情報システム機器更改調査研究 | 3 |
| 2016 | 中国電設工業株式会社 | 電話交換機設備更新 | 3 |
| 2017 | 有限会社広輝緑化 | 植栽維持管理 | 3 |
| 2017 | 公益社団法人長崎市シルバー人材センター | 館外清掃 | 3 |
| 2018 | 有限会社広輝緑化 | 館内清掃、水盤廻り水垢除去 | 3 |
| 2018 | 公益社団法人長崎市シルバー人材センター | 祈念館情報システム機器更改改修 | 3 |
| 2018 | 大林ファシリティーズ株式会社 | 防災受信盤修繕 | 3 |
| 2014 | ㈱富士精工本社 | 原本保管庫及び防潮堤設備保守点検 | 2 |
| 2014 | 三菱電機ビルテクノサービス㈱中国支社 | 昇降機設備保守点検 | 2 |
| 2015 | 三菱電機ビルテクノサービス株式会社 | 昇降機設備保守点検 | 2 |
| 2016 | 株式会社松本豊松園 | 植栽管理 | 2 |
| 2016 | 株式会社富士精工本社 | 原本保管庫及び防潮堤設備保守点検 | 2 |
| 2017 | 株式会社タキオンジャパン | 「長崎国際平和映画フォーラム2017」のプロデュース業務 | 2 |
| 2017 | 株式会社アサヒ電機ビルテックサービス | 昇降機設備保守点検 | 2 |
| 2018 | ポルトガル ポルト市 | 海外原爆展に関する業務 | 2 |
| 2018 | 株式会社アサヒ電機ビルテックサービス | 昇降機設備保守点検 | 2 |
横山英
| よこやま・すぐる | 1924生20060106没 | 中国史学者。 広島文理科大学卒業。1975年「中国初期立憲思想の研究」で名古屋大学法学博士、広島大学文学部助教授、教授。1988年定年退官、名誉教授。 |
<工事中>
『わたしの心が癒されるときは 栗栖洋遺稿・追悼文集』(広島県原爆被害者団体協議会被爆者相談所編・刊、19981030)
内容
| 題字及びカット(四国五郎) | |
| 遺稿 | |
| 鈴ヶ峯高校での証言一九九一年録音テープより 核兵器廃絶・被爆者援護での一貫した熱意と献身にふれて 『暮らしと政治』一九九〇年八月号 特集「終戦四十五周年と私と日本共産党」より |
|
| 栗栖洋略歴 | |
| 弔辞 | |
| 一九九七年十月三十一日葬儀にて 金子一士/楠忠之/河野兵次 |
|
| 追悼のことば | |
| 核兵器廃絶を願う生命、世界にはばたけ(山瀬明) 栗栖洋君を偲んで(横山元明) 英語教育と平和教育(加藤信司) 手紙(小沢義照) Let’s Cry For Peace! 「教科書の創造的な使い方」 栗栖洋さんとの出会い(土屋哲郎) 飄として立ち去る(谷整二) 手紙(相澤美希) 栗栖洋先生を偲ぶ言葉(皆川恵史 |
|
| 親族の思い出 | |
| 被爆した弟を探して(今田三哲) 兄”栗栖洋”の追憶(森健) 弔歌(栗栖愛) 優しい思いを引きつぎたいと願っています(栗栖純子) |
|
| あとがき | |
目次
| いとう・たけし | 1929生
20000303没 |
享年70 | 日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)代表委員、元山梨大学学長。広島市生まれ。広島一中3年の時、動員先の兵器工場で被爆。東京・国立被爆者の会の結成に参画、東京都原爆被害者団体協議会事務局長、日本被団協事務局長などを歴任。江種則貴「評伝」(『中国新聞』2000.3.6)、本田雅和「惜別」(『朝日新聞』2000.4.12) |
資料
| 資料名 | 著者・作成者・発行者など | 備考 |
| ふみあと(退官記念随想集) | 伊東壮(1981刊) | |
| 伊東壮さんを偲ぶつどい | 東友会編 | 20000514、日本青年館中ホール |
2021年7月(日録)
| 日 | 事項 |
| 01 | 呉空襲の日。呉市役所からの町内放送。12:00より自宅で黙とう。 |
| 01 | 呉海軍墓地を取材。『呉海軍墓地誌 海ゆかば 合祀碑と英霊(改定)』(管理棟で呉海軍墓地顕彰保存会、20180901、381頁)購入。2500円。 |
| 01 | ヒロシマ遺文への投稿=「ヒロシマはどう記録されたか NHKと中国新聞の原爆報道」、「爆央と爆心 1945年8月6日ヒロシマで何が起きたのか」、「呉空襲の日(20210301)」 |
| 02 | ヒロシマ遺文への投稿=「新長崎市史第四巻現代編」、「戦後日本の社会と市民意識」、「ヒロシマ・フィールドワーク実行委員会刊行物」、「2021年7月(日録)」 |
| 03 | ヒロシマ遺文への投稿=「伊東壮」、「わたしの心が癒されるときは 栗栖洋遺稿・追悼文集」、「横山英」 |
| 04 | ヒロシマ遺文への投稿=「原爆死没者追悼平和祈念館運営委託費」 |
| 05 | 比治山公園・日赤、取材。大学堂で古書「中国新聞労働組合50年史」などを購入。 |
| 05 | 広島大学へ出講。「平和と人間D」リモート。 |
| 05 | ヒロシマ遺文への投稿=「「被爆体験」の展開ー原水爆禁止世界大会の宣言・決議を素材として」 |
| 06 | ヒロシマ遺文への投稿=「中国新聞労働組合50年史」 |
| 07 | ヒロシマ遺文への投稿=「広島陸軍墓地」、「広島陸軍病院原爆慰霊碑」 |
| 08 | ヒロシマ遺文への投稿=「電信兵慰霊碑」、「2020平和宣言<広島><長崎>総理大臣挨拶」、「殉国忠士之碑<大日本帝国在留仏国人>」、「陸軍少年飛行兵戦没者慰霊碑」、「歩兵第11連隊戦没者慰霊碑」、 |
| 09 | ヒロシマ遺文への投稿=「ひろしま文芸の碑」 |
| 10 | ヒロシマ遺文への投稿=「広島赤十字・原爆病院メモリアルパーク」、「広島赤十字病院慰霊碑」 |
| 11 | 呉西保健所。新型コロナワクチン接種(2回目)。 |
| 11 | ヒロシマ遺文への投稿=「大森正信」 |
| 12 | ヒロシマ遺文への投稿=「ゲーンス先生(広島女学院)墓碑」、「原爆遺跡後世に伝えて」、「広島県の歴史」、「原爆の絵 動員学徒の碑」 |
| 13 | ヒロシマ遺文への投稿=「ヒロシマ日記(蜂谷道彦著)翻訳書」、「動員学徒犠牲者の会原爆死没者追悼式」 |
| 14 | ヒロシマ遺文への投稿=「全日本損害保険労働組合」、「平和公園内被爆遺構の公開 2020年」、「被爆ピアノコンサート(平和公園)」、「秋葉忠利広島市長の平和宣言」、「広島損害保険史」 |
| 15 | コンビニで新聞購入。「黒い雨」訴訟広島高裁控訴審判決報道。 |
| 15 | ヒロシマ遺文への投稿=「中国電気通信局原爆犠牲者慰霊碑」、「広島平和公園2018」、「日本損害保険協会広島地方協議会友愛碑」、「広島損害保険史」、 |
| 16 | バッハIOC会長、広島来訪。 |
| 16 | ヒロシマ遺文への投稿=「広島戦災供養会」、「広島損害保険史」 |
| 17 | コンビニで新聞購入。バッハIOC会長の広島訪問関係記事。 |
| 17 | ヒロシマ遺文への投稿=「広島損害保険史」、「堀川町原爆慰霊碑」、「平和へのストリートライブ(元安橋)」。 |
| 18 | 日本ジャーナリスト会議広島支部公開記念講演会:講師:宮崎園子「ヒロシマの現在地」。場所:合人社ウェンディひと・まちプラザ(中区、袋町小学校隣)北棟4階ギャラリー。参加者40人。 |
| 18 | ヒロシマ遺文への投稿=「平和式典報道体制(広島テレビ)」、「元大正屋呉服店を保存する会」。 |
| 19 | ヒロシマ遺文への投稿=「下関原爆被害者の会」、「新日本スポーツ連盟」. |
| 20 | ヒロシマ遺文への投稿=「全国建設労働組合総連合会・広島県建設労働組合」、「ヒロシマ・セミパラチンスク・プロジェクト」、「広島県農業会原爆物故者慰霊碑」、「被爆者が描いた原爆の絵を街角に返す会」、 |
| 21 | ヒロシマ遺文への投稿=「隊跡馬碑(輜重兵第五連隊)」。 |
| 22 | ヒロシマ遺文への投稿=「広島被爆者援護会」、「袋町小学校平和資料館」、「野外展示(2015年8月平和公園)」、「献花(2015年8月6日平和公園)」。 |
| 23 | 東京オリンピック開会式。~8月8日。 |
| 24 | ヒロシマ遺文への投稿=「広島二中原爆慰霊碑保存会」、「被爆動員学徒死没者の慈母観音像」、「広島県宗教連盟被爆70年の声明」、「原爆死没者慰霊行事2015」 |
| 25 | ヒロシマ遺文への投稿=「舟入・市女同窓会」。 |
| 26 | ヒロシマ遺文への投稿=「広島市商同窓会」 |
| 26 | 新日本婦人の会呉支部「ヒロシマ・ナガサキ原爆と人間パネル展」。会場:呉市役所1階ロビー。26~29日。観覧できず。 |
| 27 | ヒロシマ遺文への投稿=「呉海軍墓地」。 |
| 29 | 広島大学へ出講。平和科目「平和と人間C」リモート。 |
| 30 | ヒロシマ遺文への投稿=「平岡敬前広島市長:私の平和論ーヒロシマから―20100121」、「平和の灯奉讃会」、 |
| 31 | ヒロシマ遺文への投稿=「悠仁親王」 |
ヒロシマ・フィールドワーク実行委員会
刊行物
| 発行年月日 | 書名 |
| 20040929 | 証言 原爆納骨安置所と佐伯敏子さん |
| 20070126 | 証言原爆で消えた町から |
| 20100505 | 証言町と人の記憶 |
| 20110805 | 消えた町 記憶をたどり 絵と証言 森冨茂雄 |
| 201407027 | 2014年度 第21回ヒロシマ・フィールドワーク(チラシ) |
| 20150503 | 証言記憶の中に生きる町 中島本町・材木町・天神町・猿楽町 |
| 20160503 | 証言 生きている町 原爆で灼かれた材木町・中島本町 |
| 20160917 | 証言 江波に生きる 大岡貴美枝さんの語る暮らし・戦争・原爆 |
| 2017085 | 証言 町と暮らしの記憶 中島本町・材木町・水主町 |
| 20190805 | 証言そこに子どもたちの遊んだ町があった 中島本町・材木町・中島新町・大手町 |
| 20200805 | Disappeared towns, tracing memories : drawings and testimonies by Shigeo Moritomi |
『戦後日本の社会と市民意識』(有末賢・関根政美編、慶応義塾大学出版会、20050331)
内容<工事中>
| 章・部 | 論文名 | 備考(著者など) |
| 1章 | 戦後日本の市民意識と社会科学 | 有末 賢 |
| Ⅰ 臣民・国民・市民 Ⅱ 戦後日本の価値意識の変化 Ⅲ 私生活主義の価値意識と無限定主義 Ⅳ 個人主義と関係性 Ⅴ 戦後日本社会におけるアイデンティティ論 Ⅵ 戦後知識人と社会科学 |
||
| 1部 | 戦争と戦後日本社会 | |
| 2章 | ヒロシマからヒロシマたちへ ――ヒロシマを歩く | 浜日出夫 |
| はじめに Ⅰ ヒロシマという現象 Ⅱ 方法としての歩くこと Ⅲ 慶應義塾大学被爆者調査 Ⅳ ヒロシマを歩く おわりに |
||
| 3章 | 1965年前後の「ヒロシマ」 | 八木良広 |
| はじめに Ⅰ 『原爆体験記』の再/出版の位相 1 再出版された『原爆体験記』 2 再出版をめぐる対立 3 小結 Ⅱ 原水爆禁止運動の分裂と被爆者援護法制定運動 1 原水爆禁止運動の変遷 2 被爆者援護法制定運動 Ⅲ 第一次原爆ドーム保存運動 1 第一次原爆ドーム保存運動の概略 2 「広島折り鶴の会」の原爆ドーム保存運動 3 小結 おわりに |
||
| 4章 | 戦後日本社会と死の自己決定 ――主体的であることの社会的文脈 澤井 敦 | |
| Ⅰ 「死にがいの喪失」 Ⅱ 共同体と「死の共同受容」 Ⅲ 「死の自己決定」の社会的文脈 Ⅳ 死の共同性、生の関係性 |
||
| 2部 | 多文化主義とシティズンシップ | |
| 5章 | 多文化的市民のための多様な多文化主義 ――多文化主義政策分析のための方法的インプリケーション | 塩原良和 |
| はじめに Ⅰ 多文化主義政策研究における二項対立図式 Ⅱ 多文化主義政策へのニーズ――ライフチャンスの拡大 Ⅲ 柔軟なエスニック・ネットワーク Ⅳ ライフチャンス多文化主義とライフスタイル多文化主義の結合 おわりに――「マルチプル・マルチカルチュラリズム」 |
||
| 6章 | 戦後日本の出入国管理と外国人政策 | テッサ・モーリス=スズキ |
| はじめに Ⅰ ワイルドゾーンの眺め Ⅱ 占領と辺境 Ⅲ 民主主義を隔離する Ⅳ 冷戦期世界における出入国管理 Ⅴ ワイルドゾーンに住まう Ⅵ ワイルドゾーンを抑制する |
||
| 7章 | 多文化社会化する欧州の極右台頭と多文化社会日本 | 関根政美 |
| はじめに――なぜ極右研究なのか Ⅰ 多文化社会化する先進諸国 Ⅱ 多文化社会化と極右政党の台頭 Ⅲ 極右台頭の諸原因 Ⅳ 多文化社会日本と極右政党台頭の可能性について おわりに |
||
| 第3部 戦後日本社会と社会学的思考 | ||
| 8章 | 戦後日本の家族社会学者・小山隆とアメリカ社会学 | 水野宏美 |
| はじめに Ⅰ 大家族の分解過程 1 家族制度研究を出発点として 2 小山隆の大家族研究 Ⅱ 核家族パラダイムの時代 1 アメリカ占領軍のもとで 2 高度成長とサラリーマン家庭 3 小山隆の現代家族研究 4 むすびにかえて |
||
| 9章 | 日本都市社会学の形成過程と市民 ――被調査者へのまなざしの転回とともに | 松尾浩一郎 |
| Ⅰ 戦後日本社会と都市社会学 Ⅱ 都市社会学の原体験 1 サーベイ調査の導入 2 市民としての被調査者 3 現代都市を研究対象とすることの問題 Ⅲ 戦後再建期におけるパラダイムの模索 1 都市研究と社会調査の再出発 2 社会病理学的アプローチ 3 非病理学的アプローチ Ⅳ 市民意識研究としての都市社会学へ 1 日本都市社会学の1959年 2 倉沢進のアプローチ 3 「標準化調査法」をめぐる反応 4 市民意識アプローチへの展開 Ⅴ 日本都市社会学は何をなしたのか |
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| 10章 | 鶴見俊輔と「思想の科学」の1950年代 ――戦後啓蒙の思想的転回に関する一考察 | 和田悠 |
| はじめに Ⅰ 戦後啓蒙期の「思想の科学」 1 『思想の科学』の創刊 2 「ひとびとの哲学」という主題と方法 Ⅱ 鶴見俊輔の思想的転回 1 知識人としての位置 2 民衆の発見 Ⅲ 「思想の科学」の大衆化の実際 1 建民社版『芽』の復刊と「庶民列伝」の展開 2 大衆化段階の雑誌の読者層 Ⅳ 佐藤忠男の「思想科学」経験 1 佐藤忠男の履歴 2 佐藤忠男における批評の場所 おわりに |
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