秋葉忠利広島市長の平和宣言

秋葉忠利広島市長の平和宣言

概要
出典:平和宣言の歴史 – 広島市公式ホームページ (hiroshima.lg.jp)
1999 ヒロシマのたどった歩みを振り返り、被爆者の足跡を称える/世界の指導者が核兵器を廃絶する意志を持つことが何よりも大切であることを訴える
2000 戦争と科学技術の世紀であった20世紀を振り返り、憎しみや暴力の連鎖を断ち「和解」への道を拓くよう訴える/広島が世界に和解を広める都市、科学技術を人間的目的に用いるモデル都市とする決意を表明
2001 21世紀最初の宣言として、21世紀を核兵器のない「平和と人道の世紀」にするため、和解や人道を重視する勇気を持つよう訴える/広島を「人道都市」、「万人のための故郷」とする決意を表明
2002 報復の連鎖や力の論理が蔓延する現在の世界情勢に大きな不安/広島を「万人のための故郷」とし、人類共有の記憶を貴び「平和と人道の世紀」を創造する決意を表明/米国政府・国民に対し、力の論理からの脱却を説得/日本政府に対し、戦争のできる「普通の国」にならないよう要求
2003 力の支配が蔓延する現在の世界情勢に大きな不安/自国中心主義を押し進める米国の政策を強く批判/2005年のNPT再検討会議に向け、平和市長会議加盟都市に、核兵器廃絶のための緊急行動を呼び掛け/世界中の影響力を持つリーダーに、核兵器廃絶のため、日常のレベルで祈り、発言し、行動することを呼び掛け/日本政府に対し、「作らせず、持たせず、使わせない」を内容とする「新・非核三原則」を国是とするよう要求/初めて「黒い雨降雨地域」の被爆者援護に言及
2004 2005年8月9日までを「核兵器のない世界を創るための記憶と行動の一年」とすることを宣言/2020年までの核兵器廃絶を決意/米国市民に人類愛の観点から唯一の超大国として核兵器廃絶の責任を果たすように期待/被爆者の証言を世界に届け、「広島・長崎講座」の普及や被爆体験記を読み語るプロジェクトを展開/日本政府に対し、平和憲法の擁護、戦争並びに核兵器容認の風潮を匡すよう要請/NPT再検討会議に向け、「核兵器廃絶のための緊急行動」への支持を訴え
2005 未来世代への責務として、「汝殺すなかれ」特に「子ども殺すなかれ」を人類最優先の公理として確立する必要を訴え/2006年8月9日までを「継承と目覚め、決意の年」と位置付けて、核兵器廃絶に向けた多様なキャンペーンを展開することを表明/国連総会の第一委員会が核兵器のない世界の実現と維持とを検討する特別委員会を設置するよう提案
2006 「核兵器の使用・威嚇は一般的に国際法に違反する」とした国際司法裁判所(ICJ)による勧告的意見から10周年を迎えたが核軍縮の義務は果たされていないことを訴え/核軍縮に向けた「誠実な交渉義務」を果たすよう求めるキャンペーン(Good Faith Challenge)や、核保有国に対して都市を核攻撃の目標にしないよう求める「都市を攻撃目標にするな(Cities Are Not Targets(CANT))プロジェクト」に取り組むことを表明
2007 被爆者の苦しみの中から生まれたメッセージの重要性と、忘れてしまいたい体験を語り続け三度目の核兵器使用を防いだ被爆者の功績を訴え/「少数の指導者たち」が「力の支配を奉ずる20世紀前半の世界観にしがみつき」、人類を滅亡の危機に陥れている現状の問題点を指摘/「21世紀は市民の力で問題を解決できる時代」/市民と共に都市が立ち上がり、民主的な政治や国際ルールなど人類の叡智を基に、市民の声で国際政治を動かそうとしている世界の各都市の活動事例を紹介/核兵器のない地球を未来の世代に残すために行動することを誓う
2008 「核兵器は廃絶されることにだけ意味がある」という真理/世界の多数派が核兵器の廃絶を支持/人類の生存を最優先する多数派の声に耳を傾ける米国新大統領が誕生することを期待/核兵器の廃絶を2020年までに実現するため、平和市長会議で「ヒロシマ・ナガサキ議定書」を発表/相互理解と信頼にもとづく都市間関係をモデルに世界を考える「パラダイム転換」の重要性を訴え/G8下院議長会議の広島開催で「被爆者の哲学」が世界に広まることを期待
2009 今なお続く被爆者の苦しみと、被爆体験の重みが勇気ある司法判断により法的にも支えられていることを指摘/核兵器廃絶を求める世界の多数派を「オバマジョリティー」と呼ぶことを提案/大多数の世界市民の意思を尊重し市民の力で問題を解決する地球規模の民主主義が今、正に発芽しつつある事実を指摘/国連の中に市民の声が直接届く仕組みとして国連に下院の創設を提案/最後に、英語で世界に、力を合せて核兵器の廃絶を実現しようと呼び掛け
2010 「こんな思いをほかの誰にもさせてはならない」という被爆者の思いを広島弁で表現/NPT再検討会議の最終文書により広島市・長崎市・平和市長会議等の主張こそ未来を拓くために必要であることが確認されたことを指摘/市民社会の声と潘基文国連事務総長・オバマ大統領等のリーダーシップがNPT再検討会議を成功に導いた/内閣総理大臣に被爆者の願いを真摯に受け止め核兵器廃絶に向けてリーダーシップを発揮するよう要請/2020核廃絶広島会議で採択した「ヒロシマアピール」に沿って行動することを表明

 

 

 

 

 

全日本損害保険労働組合

全日本損害保険労働組合

全日本損害保険労働組合被爆20周年記念碑
建立年月日:1965(昭和40)年8月6日
場所:広島市・平和記念公園
[正面上]
なぜ あの日は あった
なぜ いまもつづく
わすれまい
あのにくしみを
この誓いを[正面前]
被爆二十周年記念之碑[裏面]
昭和四十年八月六日
全日本損害保険労働組合
 現在は、移築された位置にある。
  撮影日:2020年8月6日
 DSC03555
   撮影日:2015年8月6日10:45
 CIMG5710

 

ヒロシマ日記(蜂谷道彦著)翻訳書

『ヒロシマ日記』(蜂谷道彦著、朝日新聞社 1955年9月25日)Bk550925

広島逓信病院・原爆資料展(2000年6月7日)にて撮影

発行年 翻訳語
1955 Bk550925a米HIROSHIMA DIARY,
Translated & edited
by Warner Wells,
Copyright 1955
by The University
of North Carolina Press.
1955 イギリス Bk550925b
1955 オランダ Bk550925c
1955 イタリア Bk550925d
1956 ドイツ Bk550925e
1956 チェコ Bk550925f
1956 スウェーデン Bk550925g
1957 フランス Bk550925h
1957 ラトビア Bk550925i
1957 スロバキア Bk550925j
1958 英語普及版 Bk550925k
1959 ポルトガル Bk550925l
 
参考文献 1)「広島の原爆雑話 その1~その12」(逓信医学2巻1号~4巻4号 1950年8月~52年11月)
2)蜂谷道彦など「{座談会}原爆の思い出を語る」(「郵政」1952年8月)(「広島原爆医療史」に再録)
3)中国電気通信局「広島原爆誌」(1955年8月6日)
4)広島市役所「広島原爆戦災史」第三巻(1971年10月6日)
5)「ヒロシマ日記」(法政大学出版局 1975年6月30日)

 

広島県の歴史

『広島県の歴史』( 岸田裕之編、山川出版社、19991125)

内容

章節 見出し  メモ(執筆者など)
風土と人間 境目の協同性 岸田裕之
うち「方言風土と広島県方言」(室山敏昭)
1章 芸備の自然と地域の形成  西別府元日
1 環境変化のなかのハンターたち
海はるかの地に生きる
食の改革・器の創造
縄文の海きたる
2 稲作の開始と地域社会の形成
分立する地域文化圏
[コラム]原始社会からのタイムカプセル・帝釈峡遺跡群
広島県域のムラとクニ
矢谷四隅突出型墳丘墓の登場
3 芸備地方と大和政権
古墳の登場と大和政権の浸透
国造制と部民制と塩やく民・鉄うつ民
2章 古代国家と芸備の民衆   西別府元日
1 律令国家の誕生と芸備の人びと
安芸国・備後国の誕生
[コラム]謎の古代山城、常城・茨城
山の槫・鉄、海の塩
山陽道と内海の道
水切り瓦と国分寺
[コラム]地下に眠る文字資料・墨書土器
2 芸備地方への回帰
「国例」の時代へ
「海賊」問題と瀬戸の社会
古保利・青目寺の仏と芸備の神々
3章 土着の領主と東からきた領主  岸田裕之
1 三篠川と太田川
高田郡三田郷の伝領と源頼信
山県郡凡氏と佐東倉敷
材木資源と河川流通
2 国衙と守護・地頭…
佐伯景弘と葉山頼宗
藤原親実と佐東の武田氏
[コラム]世界遺産
尾道と「悪党」
東からきた領主
4章 境目地域の領主連合  岸田裕之
1 動乱の世相
地頭領主の成長と地域信仰
「中国」の成立
安芸国人一揆
分郡主武田氏
2 国人と大名
国人領主の惣領権
守護山名氏の備後国支配
大内氏と東西条
[コラム]備後砂
[コラム]書違
3 境目の盟主
高橋氏の領域と性格
国人領主連合の発展
堀立直正と能島村上氏
[コラム]能島村上氏の過所旗
5章 戦国時代の安芸・備後  秋山伸隆
1 毛利元就の登場
天文十九年の毛利元就
戦国大名としての自立
[コラム]毛利元就の調略
織田政権との対決
戦国の合戦
2 毛利氏領国の構造
家中と国家
戦国大名毛利氏の軍事力
[コラム]中世遺跡へのアプローチ
散使と目代
3 豊臣政権下の毛利氏領国
「天下」と「国家」
広島築城
惣国検地と村請
[コラム]「八箇国御時代分限帳」を読む
…155
4 中世の生活と文化
信仰と交流
『身自鏡』の世界
[コラム]戦国武士と『源氏物語』
 6章  幕藩制下の芸備地方  中山富広
 1  大名権力と芸備の民衆
 福島氏の入国と改易
広島藩と福山藩の成立
「泰平」の実現と開発の時代
 2  百姓の世界と村
 領主の理念と近世村落
村人の世界
[コラム]山内の生活
村の生活と年中行事
 3  城下町の成立と芸備の都市
 城下の町割を読む
町と町人の形成
/門前・港町の繁栄
 7章  幕藩体制の成熟と民衆  中山富広
 1  進む経済社会化
 芸備特産地帯の形成
行き交う人びとと船舶
経済の発展と「民力」
 2  豪農商=「資本」家の登場
土地と金融
豪農商立ちの社会事業
[コラム]たくましい女性の姿
城下町の光と影
 3  近代への試練
開国とその影響
長州戦争と広島・福山藩
「御一新」と芸備地方
  8章  教育・文化の展開と宗教  頼祺一
 1  武士教育と民衆教育
 広島藩・福山藩の学者の登用
竹原町人の学問の受容
修道館と誠之館
菅茶山と廉塾
  2  朝鮮通信使との文化交流
朝鮮通信使の来日
広島藩における通信使との文化交流
[コラム]安芸門徒と講中
備後国における通信使との文化交流
 9章   近代の広島  児玉正昭
1 広島県の成立
 明治四年の大一揆
広島県の成立
地租改正と太政菅官布告
啓蒙思想家窪田次郎
[コラム]青年団育成の母山本滝之助
 2  軍事県広島の成立と発展
第五師団と呉鎮守府
山陽鉄道と広島大本営
日露戦争と広島
3 移民県広島
出稼ぎの風土
海外への移民
産業の発達
4 大正デモクラシーと広島
共同苗代反対運動から憲政擁護運動
[コラム]銘醸地広島の基礎をきずいた三浦仙三郎
米騒動と民衆運動の高揚
教育の普及
軍事県と移民県
 10章  戦争と平和の時代  宇吹暁
 1  十五年戦争と広島県
 郷土部隊の行動
大久野島毒ガス工場
県内への空襲
原爆被爆
[コラム]スミソニアン原爆論争
 2  廃墟からの出発
 復員・引揚げ・帰国
占領下の戦争被害者
原爆被害者と大久野島毒ガス障害者
3 核兵器廃絶をめざして
占領期の平和運動
原水爆禁止運動
国際平和都市をめざして
[コラム]戦争遺跡
付録
索引/年表/沿革表/祭礼・行事/参考文献

叢書名 県史 , 34

大森正信

大森正信<作業中

資料年表:大森正信

日本科学者会議広島支部事務局長
 原水爆禁止日本協議会
2002
0131   撮影日:2002年1月31日DSCF0015
2015
1217 大森正信 広島県原水協筆頭代表理事・佐久間邦彦広島県被団協理事長ら4人、原爆被爆者養護ホーム「舟入むつみ園」と「矢野おりづる園」を訪問、全国から寄』せられた被爆者への「見舞金」あわせて300人分を届ける。<『原水協通信 On The  Web』>

 

 

広島赤十字病院慰霊碑

広島赤十字病院慰霊碑

建立年月日:1959年12月8日
所在地(建立当時):広島市千田町・広島赤十字病院
所在地(現在):広島県広島市中区千田町2-5-64
撮影年月日:2021年7月5日
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 (正面)(原文左横書)慰霊
(裏面) 昭和三十四年十一月吉日建之 日本赤十字社
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DSC05734 (2)
〔説明板〕(仏文略)

死はこの市に住む人々をも
その救護を使命とする人々をも
同時に襲った。かくして
残虐な無差別兵器はこの地点において
赤十字が創設した博愛の施設にも
打撃を与えたのであった。
しかしこの事件は
人間の良心を呼びさました。

その後人類は一体となって
戦争を放棄し
正義と平和の支配する友情の世界を
生みださねばならないことを 知った。

赤十字はこの福祉の業に
その熱情と誠意とを傾けるであろう。
赤十字国際委員会々長
レオポルド・ボアシエ

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広島赤十字・原爆病院メモリアルパーク

広島赤十字・原爆病院メモリアルパーク

所在地:広島県広島市中区千田町2-5-64
撮影日:2021年7月5日
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DSC05714
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(資料) https://www.hiroshima-med.jrc.or.jp/brandnew/page2.php
メモリアルパークの移設について病院敷地の東端に以前ありました被爆遺跡(歪んだ窓枠)等のモニュメントを移設し、平成25年7月2日に「広島赤十字・原爆病院メモリアルパーク」がオープンしました。当日は日本赤十字社名誉副総裁である高円宮妃殿下によるご供花が行われ、多くの方々にご参列いただきました。モニュメントが設置されていた一帯に新棟を建設する計画となったことから、検討を重ねた結果、移設先は今後の病院の建て替え等で長期に亘り影響の出ない日本赤十字社広島県支部の敷地となりました。平和と人権尊重の重要性を語り継いでいく役割を担っているメモリアルパークを、平和教育の一環としても継承していきたいと考えています。また、既存メモリアルパークが466.0㎡であるのに対し約600㎡に面積を拡張させ、毎年8月6日に行われる慰霊式では、より多くの方に参列して頂けるよう配慮しています。

 

2020平和宣言<広島><長崎>総理大臣挨拶

2020平和宣言<広島>

1945年8月6日、広島は一発の原子爆弾により破壊し尽くされ、「75年間は草木も生えぬ」と言われました。しかし広島は今、復興を遂げて、世界中から多くの人々が訪れる平和を象徴する都市になっています。

今、私たちは、新型コロナウイルスという人類に対する新たな脅威に立ち向かい、踠(もが)いていますが、この脅威は、悲惨な過去の経験を反面教師にすることで乗り越えられるのではないでしょうか。

およそ100年前に流行したスペイン風邪は、第一次世界大戦中で敵対する国家間での「連帯」が叶わなかったため、数千万人の犠牲者を出し、世界中を恐怖に陥(おとしい)れました。その後、国家主義の台頭もあって、第二次世界大戦へと突入し、原爆投下へと繋がりました。

こうした過去の苦い経験を決して繰り返してはなりません。そのために、私たち市民社会は、自国第一主義に拠ることなく、「連帯」して脅威に立ち向かわなければなりません。

原爆投下の翌日、「橋の上にはズラリと負傷した人や既に息の絶えている多くの被災者が横たわっていた。大半が火傷で、皮膚が垂れ下がっていた。『水をくれ、水をくれ』と多くの人が水を求めていた。」という惨状を体験し、「自分のこと、あるいは自国のことばかり考えるから争いになるのです。」という当時13歳であった男性の訴え。
昨年11月、被爆地を訪れ、「思い出し、ともに歩み、守る。この三つは倫理的命令です。」と発信されたローマ教皇の力強いメッセージ。
そして、国連難民高等弁務官として、難民対策に情熱を注がれた緒方貞子氏の「大切なのは苦しむ人々の命を救うこと。自分の国だけの平和はありえない。世界はつながっているのだから。」という実体験からの言葉。
これらの言葉は、人類の脅威に対しては、悲惨な過去を繰り返さないように「連帯」して立ち向かうべきであることを示唆しています。

今の広島があるのは、私たちの先人が互いを思いやり、「連帯」して苦難に立ち向かった成果です。実際、平和記念資料館を訪れた海外の方々から「自分たちのこととして悲劇について学んだ。」、「人類の未来のための教訓だ。」という声も寄せられる中、これからの広島は、世界中の人々が核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に向けて「連帯」することを市民社会の総意にしていく責務があると考えます。

ところで、国連に目を向けてみると、50年前に制定されたNPT(核兵器不拡散条約)と、3年前に成立した核兵器禁止条約は、ともに核兵器廃絶に不可欠な条約であり、次世代に確実に「継続」すべき枠組みであるにもかかわらず、その動向が不透明となっています。世界の指導者は、今こそ、この枠組みを有効に機能させるための決意を固めるべきではないでしょうか。

そのために広島を訪れ、被爆の実相を深く理解されることを強く求めます。その上で、NPT再検討会議において、NPTで定められた核軍縮を誠実に交渉する義務を踏まえつつ、建設的対話を「継続」し、核兵器に頼らない安全保障体制の構築に向け、全力を尽くしていただきたい。

日本政府には、核保有国と非核保有国の橋渡し役をしっかりと果たすためにも、核兵器禁止条約への署名・批准を求める被爆者の思いを誠実に受け止めて同条約の締約国になり、唯一の戦争被爆国として、世界中の人々が被爆地ヒロシマの心に共感し「連帯」するよう訴えていただきたい。また、平均年齢が83歳を超えた被爆者を始め、心身に悪影響を及ぼす放射線により生活面で様々な苦しみを抱える多くの人々の苦悩に寄り添い、その支援策を充実するとともに、「黒い雨降雨地域」の拡大に向けた政治判断を、改めて強く求めます。

本日、被爆75周年の平和記念式典に当たり、原爆犠牲者の御霊に心から哀悼の誠を捧げるとともに、核兵器廃絶とその先にある世界恒久平和の実現に向け、被爆地長崎、そして思いを同じくする世界の人々と共に力を尽くすことを誓います。

令和2年(2020年)8月6日
広島市長 松井 一實

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2020平和宣言<長崎>

長崎平和宣言

私たちのまちに原子爆弾が襲いかかったあの日から、ちょうど75年。4分の3世紀がたった今も、私たちは「核兵器のある世界」に暮らしています。
どうして私たち人間は、核兵器を未だになくすことができないでいるのでしょうか。人の命を無残に奪い、人間らしく死ぬことも許さず、放射能による苦しみを一生涯背負わせ続ける、このむごい兵器を捨て去ることができないのでしょうか。

75年前の8月9日、原爆によって妻子を亡くし、その悲しみと平和への思いを音楽を通じて伝え続けた作曲家・木野普見雄さんは、手記にこう綴っています。

私の胸深く刻みつけられたあの日の原子雲の赤黒い拡がりの下に繰り展げられた惨劇、ベロベロに
焼けただれた火達磨の形相や、炭素のように黒焦げとなり、丸太のようにゴロゴロと瓦礫の中に転
がっていた数知れぬ屍体、髪はじりじりに焼け、うつろな瞳でさまよう女、そうした様々な幻影
は、毎年めぐりくる八月九日ともなれば生々しく脳裡に蘇ってくる。

被爆者は、この地獄のような体験を、二度とほかの誰にもさせてはならないと、必死で原子雲の下で何があったのかを伝えてきました。しかし、核兵器の本当の恐ろしさはまだ十分に世界に伝わってはいません。新型コロナウイルス感染症が自分の周囲で広がり始めるまで、私たちがその怖さに気づかなかったように、もし核兵器が使われてしまうまで、人類がその脅威に気づかなかったとしたら、取り返しのつかないことになってしまいます。

今年は、核不拡散条約(NPT)の発効から50年の節目にあたります。
この条約は、「核保有国をこれ以上増やさないこと」「核軍縮に誠実に努力すること」を約束した、人類にとってとても大切な取り決めです。しかしここ数年、中距離核戦力(INF)全廃条約を破棄してしまうなど、核保有国の間に核軍縮のための約束を反故にする動きが強まっています。それだけでなく、新しい高性能の核兵器や、使いやすい小型核兵器の開発と配備も進められています。その結果、核兵器が使用される脅威が現実のものとなっているのです。
“残り100秒”。地球滅亡までの時間を示す「終末時計」が今年、これまでで最短の時間を指していることが、こうした危機を象徴しています。
3年前に国連で採択された核兵器禁止条約は「核兵器をなくすべきだ」という人類の意思を明確にした条約です。核保有国や核の傘の下にいる国々の中には、この条約をつくるのはまだ早すぎるという声があります。そうではありません。核軍縮があまりにも遅すぎるのです。
被爆から75年、国連創設から75年という節目を迎えた今こそ、核兵器廃絶は、人類が自らに課した約束“国連総会決議第一号”であることを、私たちは思い出すべきです。

昨年、長崎を訪問されたローマ教皇は、二つの“鍵”となる言葉を述べられました。一つは「核兵器から解放された平和な世界を実現するためには、すべての人の参加が必要です」という言葉。もう一つは「今、拡大しつつある相互不信の流れを壊さなくてはなりません」という言葉です。
世界の皆さんに呼びかけます。
平和のために私たちが参加する方法は無数にあります。
今年、新型コロナウイルスに挑み続ける医療関係者に、多くの人が拍手を送りました。被爆から75年がたつ今日まで、体と心の痛みに耐えながら、つらい体験を語り、世界の人たちのために警告を発し続けてきた被爆者に、同じように、心からの敬意と感謝を込めて拍手を送りましょう。
この拍手を送るという、わずか10秒ほどの行為によっても平和の輪は広がります。今日、大テントの中に掲げられている高校生たちの書にも、平和への願いが表現されています。折り鶴を折るという小さな行為で、平和への思いを伝えることもできます。確信を持って、たゆむことなく、「平和の文化」を市民社会に根づかせていきましょう。
若い世代の皆さん。新型コロナウイルス感染症、地球温暖化、核兵器の問題に共通するのは、地球に住む私たちみんなが“当事者”だということです。あなたが住む未来の地球に核兵器は必要ですか。核兵器のない世界へと続く道を共に切り開き、そして一緒に歩んでいきましょう。
世界各国の指導者に訴えます。
「相互不信」の流れを壊し、対話による「信頼」の構築をめざしてください。今こそ、「分断」ではなく「連帯」に向けた行動を選択してください。来年開かれる予定のNPT再検討会議で、核超大国である米ロの核兵器削減など、実効性のある核軍縮の道筋を示すことを求めます。
日本政府と国会議員に訴えます。
核兵器の怖さを体験した国として、一日も早く核兵器禁止条約の署名・批准を実現するとともに、北東アジア非核兵器地帯の構築を検討してください。「戦争をしない」という決意を込めた日本国憲法の平和の理念を永久に堅持してください。
そして、今なお原爆の後障害に苦しむ被爆者のさらなる援護の充実とともに、未だ被爆者と認められていない被爆体験者に対する救済を求めます。

東日本大震災から9年が経過しました。長崎は放射能の脅威を体験したまちとして、復興に向け奮闘されている福島の皆さんを応援します。
新型コロナウイルスのために、心ならずも今日この式典に参列できなかった皆様とともに、原子爆弾で亡くなられた方々に心から追悼の意を捧げ、長崎は、広島、沖縄、そして戦争で多くの命を失った体験を持つまちや平和を求めるすべての人々と連帯して、核兵器廃絶と恒久平和の実現に力を尽くし続けることを、ここに宣言します。

2020年(令和2年)8月9日
長崎市長  田 上  富 久

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2020総理大臣挨拶(広島)

本日ここに、被爆75周年の広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式が挙行されるに当たり、原子爆弾の犠牲となられた数多くの方々の御霊(みたま)に対し、謹んで、哀悼の誠を捧(ささ)げます。
そして、今なお被爆の後遺症に苦しまれている方々に、心からお見舞いを申し上げます。
新型コロナウイルス感染症が世界を覆った今年、世界中の人々がこの試練に打ち勝つため、今まさに奮闘を続けています。
75年前、一発の原子爆弾により廃墟(はいきょ)と化しながらも、先人たちの努力によって見事に復興を遂げたこの美しい街を前にした時、現在の試練を乗り越える決意を新たにするとともに、改めて平和の尊さに思いを致しています。
広島と長崎で起きた惨禍、それによってもたらされた人々の苦しみは、二度と繰り返してはなりません。唯一の戦争被爆国として、「核兵器のない世界」の実現に向けた国際社会の努力を一歩一歩、着実に前に進めることは、我が国の変わらぬ使命です。
現在のように、厳しい安全保障環境や、核軍縮をめぐる国家間の立場の隔たりがある中では、各国が相互の関与や対話を通じて不信感を取り除き、共通の基盤の形成に向けた努力を重ねることが必要です。
特に本年は、被爆75年という節目の年であります。我が国は、非核三原則を堅持しつつ、立場の異なる国々の橋渡しに努め、各国の対話や行動を粘り強く促すことによって、核兵器のない世界の実現に向けた国際社会の取組をリードしてまいります。
本年、核兵器不拡散条約(NPT)が発効50周年を迎えました。同条約が国際的な核軍縮・不拡散体制を支える役割を果たし続けるためには、来るべきNPT運用検討会議を有意義な成果を収めるものとすることが重要です。我が国は、結束した取組の継続を各国に働きかけ、核軍縮に関する「賢人会議」の議論の成果を活用しながら、引き続き、積極的に貢献してまいります。
「核兵器のない世界」の実現に向けた確固たる歩みを支えるのは、世代や国境を越えて核兵器使用の惨禍やその非人道性を語り伝え、継承する取組です。我が国は、被爆者の方々と手を取り合って、被爆の実相への理解を促す努力を重ねてまいります。
被爆者の方々に対しましては、保健、医療、福祉にわたる支援の必要性をしっかりと受け止め、原爆症の認定について、できる限り迅速な審査を行うなど、高齢化が進む被爆者の方々に寄り添いながら、今後とも、総合的な援護施策を推進してまいります。
結びに、永遠の平和が祈られ続けている、ここ広島市において、核兵器のない世界と恒久平和の実現に向けて力を尽くすことをお誓い申し上げます。原子爆弾の犠牲となられた方々のご冥福と、ご遺族、被爆者の皆様、並びに、参列者、広島市民の皆様のご平安を祈念いたしまして、私の挨拶といたします。

令和2年8月6日
内閣総理大臣・安倍晋三

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長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典あいさつ
令和2年8月9日

本日ここに、被爆75周年の長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典に当たり、原子爆弾の犠牲となられた数多くの方々の御霊(みたま)に対し、謹んで、哀悼の誠を捧(ささ)げます。
そして、今なお被爆の後遺症に苦しまれている方々に、心からお見舞いを申し上げます。
新型コロナウイルス感染症が世界を覆った今年、世界中の人々がこの試練に打ち勝つため、今まさに奮闘を続けています。
75年前の今日、一木一草もない焦土と化したこの街が、市民の皆様の御努力によりこのように美しく復興を遂げたことに、私たちは改めて、乗り越えられない試練はないこと、そして、平和の尊さを強く感じる次第です。
長崎と広島で起きた惨禍、それによってもたらされた人々の苦しみは、二度と繰り返してはなりません。唯一の戦争被爆国として、「核兵器のない世界」の実現に向けた国際社会の努力を一歩一歩、着実に前に進めていくことは、我が国の変わらぬ使命です。
現在のように、厳しい安全保障環境や、核軍縮をめぐる国家間の立場の隔たりがある中では、各国が相互の関与や対話を通じて不信感を取り除き、共通の基盤の形成に向けた努力を重ねることが必要です。
特に本年は、被爆75年という節目の年であります。我が国は、非核三原則を堅持しつつ、立場の異なる国々の橋渡しに努め、各国の対話や行動を粘り強く促すことによって、核兵器のない世界の実現に向けた国際社会の取組をリードしてまいります。
本年、核兵器不拡散条約(NPT)が発効50周年を迎えました。同条約が国際的な核軍縮・不拡散体制を支える役割を果たし続けるためには、来るべきNPT運用検討会議を有意義な成果を収めるものとすることが重要です。我が国は、結束した取組の継続を各国に働きかけ、核軍縮に関する「賢人会議」の議論の成果も活用しながら、引き続き、積極的に貢献してまいります。
「核兵器のない世界」の実現に向けた確固たる歩みを支えるのは、世代や国境を越えて核兵器使用の惨禍やその非人道性を語り伝え、承継する取組です。我が国は、被爆者の方々と手を取り合って、被爆の実相への理解を促す努力を重ねてまいります。
被爆者の方々に対しましては、保健、医療、福祉にわたる支援の必要性をしっかりと受け止め、原爆症の認定について、できる限り迅速な審査を行うなど、高齢化が進む被爆者の方々に寄り添いながら、今後とも、総合的な援護施策を推進してまいります。
結びに、永遠の平和が祈られ続けている、ここ長崎市において、核兵器のない世界と恒久平和の実現に向けて力を尽くすことをお誓い申し上げます。原子爆弾の犠牲となられた方々のご冥福と、ご遺族、被爆者の皆様、並びに、参列者、長崎市民の皆様のご平安を祈念いたしまして、私の挨拶といたします。

令和2年8月9日
内閣総理大臣・安倍晋三

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2020年8月15日終戦記念日

あの苛烈を極めた先の大戦では、300万余の同胞の命が失われました。

祖国の行く末を案じ、家族の幸せを願いながら、戦陣に散った方々。終戦後、遠い異郷の地にあって、亡くなられた方々。広島や長崎での原爆投下、東京をはじめ各都市での爆撃、沖縄における地上戦などで、無残にも犠牲となられた方々。今、すべての御霊(みたま)の御前(おんまえ)にあって、御霊安かれと、心より、お祈り申し上げます。

今日、私たちが享受している平和と繁栄は、戦没者の皆様の尊い犠牲の上に築かれたものであることを、終戦から75年を迎えた今も、私たちは決して忘れません。改めて、衷心より、敬意と感謝の念を捧(ささ)げます。

未(いま)だ帰還を果たされていない多くのご遺骨のことも、決して忘れません。一日も早くふるさとにお迎えできるよう、国の責務として全力を尽くしてまいります。

戦後75年、我が国は、一貫して、平和を重んじる国として、歩みを進めてまいりました。世界をより良い場とするため、力の限りを尽くしてまいりました。

戦争の惨禍を、二度と繰り返さない。この決然たる誓いをこれからも貫いてまいります。我が国は、積極的平和主義の旗の下、国際社会と手を携えながら、世界が直面している様々な課題の解決に、これまで以上に役割を果たす決意です。現下の新型コロナウイルス感染症を乗り越え、今を生きる世代、明日を生きる世代のために、この国の未来を切り拓(ひら)いてまいります。

終わりに、いま一度、戦没者の御霊に平安を、ご遺族の皆様にはご多幸を、心よりお祈りし、式辞といたします。

令和2年8月15日
内閣総理大臣 安倍 晋三