ドキュメント:1970年8月6日

ドキュメント:1970年8月6日<作業中

できごと 備考
広島の女子高校生グループ「折鶴の会」、3月に白血病で死亡した8歳の被爆二世の少女をしのぶパンフレットを平和記念式終了後、遺族に配布。
内田常雄厚生大臣、平和式典終了後、広島原爆病院と原爆養護老人ホームを慰問。
広島市、原爆死没者慰霊式・平和祈念式を挙行。約5万人が参列。米兵捕虜の名前が合祭。
山田広島市長平和宣言。「ヒロシマの叫びは、世界の世論に支えられ、少なくとも核兵器の使用を阻止してきた。われわれはこの成果を踏まえて、国民的悲願を結集しつつ、ヒロシマの体験をすべての人の心に探く定着させ、核兵器の全廃と世界恒久平和
広島市の原爆死没者名簿に米兵捕虜と白系ロシア人の名簿を記載。
旧中島本町原爆復元地図製作委員会、平和公園で復元地図の碑除幕式と慰霊式.
鷹野橋商店街振興組合原爆犠牲者慰霊碑、大手町五丁目で除幕式
済美学校の碑、広島市八丁堀で除幕式。
原爆被災資料広島研究会、原爆被災資料総目録第二集を発行.内容:官公庁文書・中国放送(RCC)・広島テレビ(HTV)・映画・音楽.
原爆記録映画「ヒロシマ・原爆の記録」、広島市公会堂で一般公開。中国放送・広島テレビでも放映。
広島市と報道三社製作の映画「ヒロシマ・原爆の記録」(29分)、一般公開。広島市公会堂で六回上映。テレビ放映も
ニューヨーク・タイムズ、「ヒロシマの教訓」と題する社説を掲載。
中国放送RCC,平和記念式典の模様を宇宙衛星により米CBS系ネットワークを通じ全米に向け放映。初の試み。
日本原水協の第16回原水禁世界大会広島大会。広島県立体育館に約五千人「核兵器と侵略のない世界実現のために、共に戦うことを被爆二十五周年の広島から全世界に呼びかける」
原水禁国民会議などの被爆25周年原水爆禁止世界大会、閉会。
8・6ヒロシマ反戦集会。広島平和記念公園に学生、労働者ら1500人が参加。
北ベトナム労働党機関紙ニャンザン、原爆投下は不必要だったとする社説を掲載。
クランストン米上院議員、「原爆投下はトルーマン大統領の誤り」と、広島・長崎平和使節団に語る。
クレイグ・ホズマー塀下院議員、下院本会議で原爆投下は「必要やむを得ない措置であった」と演説。
フランス、ムルロア環礁で核実験。同国の実験はこれで通算39回に。

 

 

 

 

 

 

ドキュメント:1960年8月6日

ドキュメント:1960年8月6日<作業中

できごと 備考
広島県・市、原爆慰霊式ならびに平和記念式典を挙行。明仁皇太子・中山マサ厚生大臣・清瀬衆議院議長・各政党代表など参列。約4万人が参列。[天皇]
とうろう流し、広島市内6つの川11か所で実施。
原爆15周年記念総合体育大会、広島市内の22会場で開催。-7日。
中山マサ厚生大臣、広島市内の旅館で県動員学徒犠牲者の会・県身体障害者団体連合会など県内23団体の陳情を受ける。広島市、原爆総合医療研究所の設置を要望。
「原爆の子追悼のつどい」(第3回)、広島市平和公園の原爆の子の像の前で開催。約200人が参列。
原爆などで死亡した消防関係者の慰霊祭、広島市比治山公園内の慰霊碑まえで開催。
原爆犠牲者慰霊のミサ、広島市幟町の世界平和記念聖堂で開催。約200人が参列。
広島市古田町古江婦人会、似島沖で原爆犠牲者の海上供養を実施。
東京虎ノ門・社会事業会館で被爆15周年原爆犠牲者慰霊祭を挙行。1500人が参加。
広島市医師会原爆殉職碑(小町・平和大通公園)
嵐の中の母子像(広島平和記念公園)
英の原水爆禁止全国青年運動のメンバー、広島原爆犠牲者追悼ミサを英首相官邸前で実施。
広島県原水協、平和公園で、原水爆禁止県民大会を開催。約3000人が参加。
第6回原水爆禁止世界大会本会議(第1日)、東京・千駄ケ谷の都体育館で開催。中国代表、中国総工会などから被爆者に見舞金10万元(日本貨で約1,500万円)を贈るとのメッセージを発表。
「若い日本の会」の城山三郎・大江健三郎・開高健・桂芳久の4人、広島入り。平和式典に参加後、県教育会館で開催されたシンポジウムに出席。
広島県三次市三次小学校の生徒約30人、広島市平和公園の「原爆の子の像」建立の契機になった佐々木禎子の墓(三次町の専法寺)に千羽鶴を捧げる。
明仁皇太子、広島原爆病院を見舞い、ABCCを訪問。[天皇]
明仁皇太子、似島学園を慰問。原爆慰霊碑の近くに楠の記念植樹[孤児][天皇]

 

 

 

 

ドキュメント:1955年8月6日

ドキュメント:1955年8月6日<作業中

できごと 備考
神戸市在住の被爆者(52才)、自殺。原爆で父を失った少年(19才)も、自殺。長田新、原因として政治の貧困と市民による救援活動の欠落を指摘。
広島市社会課、供養塔に眠る無縁仏のうち2200柱の名簿を同塔前で公開。50名が遺骨と対面。
久保山すず、吉川清を見舞う。
広島市、原爆孤児ら約2000人を招いて、戦災児童と戦災母子世帯慰安の夕を開催。
アームストロング米国平和協会幹事(世界大会米国代表)、原爆患者治療費100万ドル募金運動を計画。
元米国下院議員、来広し、米で原爆被災者救援のため百万ドル募金を起こす考えを表明。
広島市原対協、平和公園で、被爆者に無料の治療を呼びかけ。(毎日新聞)
広島市、原爆死没者慰霊祭・平和記念式典を開催(約3万人参列)。原爆10周年を記念して、被爆当時、防火・避難復旧作業などに活躍した人々を表彰。
ひろしま川まつり委員会、午後8時から本川など7つの川でとうろう流し。
アームストロング前米下院議員から広島市民への平和のチャイム贈呈式、平和式典終了後、慰霊碑前で開催。
移動劇団「さくら隊」原爆殉難碑、広島市(中町・平和大通公園)に建立され除幕式。
元広島師団司令部関係原爆死亡者の慰霊祭・供養塔除幕式、広島市基町で(100人余参列)。(毎日新聞)
原爆死没者供養祭(戦災供養会主催)、広島市広島平和記念公園の新原爆供養塔で開催。約2000名が参加。
広島県庄原市の「原爆犠牲者軍人慰霊碑」前で追善法要。(毎日新聞)
電電公社職員の原爆職員慰霊碑除幕式、広島市基町で(約350人参列)。(毎日新聞)
日蓮宗、広島市の原爆慰霊碑前で世界立正平和運動平和大会を開催。信者約1000名が参加。増田日達管長、小型機で空から原爆犠牲者の冥福を祈る。
西本願寺広島別院、24隻の船を連ねて水上法要。
柴田重暉広島市議会議長(被爆当時、市助役)、体験記「原爆の実相」を出版。
広島高等学校第19回文科同窓会、原爆死した江村美智也遺稿抄「ふるさと」出版記念会を開催。
広島物療専門学校、市内医師会館で放射能とその影響についての講演会を開催。講師:佐久間広島大学教授、重藤広島赤十字病院長。
米ABC放送、「広島の声」を放送。
原爆被災者大竹同志会結成式、大竹市で開催(約600人参加)。大竹市からは被爆当時、義勇隊が出動、うち約400人が被爆死。
京都府在住の被爆者3名(藤田登良雄・高木幸太郎(公三)・福井満夫)、第1回原水爆禁止福知山大会で出会い、被災者の回結成発起人となる。(「京友会のあゆみ」910333)
甲奴・神石連合原爆被害者の会(会長井手口茂美)会員(135名)、労組・青年会などによる無料バスで、原水爆禁止大会に出席(毎日新聞備後版)。
高橋昭博(広島)、原水爆禁止世界大会本会議に被爆者代表として参加。
山口みさ子(長崎原爆乙女の会会長)、原水爆禁止世界大会本会議に被爆者代表として参加。
久保山すず、原水爆禁止世界大会本会議に水爆実験被害者代表として参加。
吉川清、広島県教組主催「原爆被害者を囲む懇談会」(天満小学校)に参加。
峠和子、広島県教組主催「原爆被害者を囲む懇談会」(天満小学校)に参加。
滝谷、広島県教組主催「原爆被害者を囲む懇談会」(天満小学校)に参加。
寺岡、広島県教組主催「原爆被害者を囲む懇談会」(天満小学校)に参加。
ビルマのラングーンで広島10周年集会。
原水爆禁止世界大会、広島市で開催(8日まで、正式参加約5000人、傍聴者を含めると2万人余)。2日目の分散会場で、原爆障害者による体験報告。3日目、本会議場で原爆被害者救援カンパを実施、被害者救済を盛り込んだ大会宣言を採択。
原水爆禁止世界大会準備会、広島市の平和広場で「歓迎と祈りの国民大会」を開催。約3万人が参加。
広島市公会堂で平和合唱交歓会。
広島市内泉邸ホテルで8・6大会参加の文学者を囲む座談会。中野好夫・中野重治・山代巴・永瀬清子ら90余名が参加。
世界連邦建設琉球同盟、原水爆禁止を要求する平和大会を開催。
法務省、共済圏からの世界大会大会代表のうち北朝鮮系を除き、入国を許可。
北海道美唄市で平和市民大会。1000名が参加。「8月6日を原水爆抗議の日として年中行事とする」ことなどを決める。
会場内に入れなかった世界大会代表約500名、広島市本川小学校で開催された原爆被害者50名との懇談会に出席。
世界連邦母の会広島支部、結成式を広島女学院中学校講堂で開催。柳原白蓮同本部理事らが参列。
原水爆禁止世界大会「学生の集い」、修道高校で被爆者との懇談会を開催。全国70の大学・高校から約500人が参加。
伊藤豊(被爆当時広島銀行副頭取)など9人、「原爆想い出の会」を東京で開催。
長崎市教組・県高教組、平和教育研究集会を国際文化会館で開催(~9日)。九州各県から約700人が参加。清水幾太郎が講演。(長崎日々)
広島平和記念資料館、完工し、原爆資料展示会を開催。

 

 

 

ドキュメント:1950年8月6日

ドキュメント:1950年8月6日<作業中

事項 備考
広島戦災供養会、中島本町の供養塔前と似島で供養会を挙行。
浜井広島市長、米国ロサンゼルス市で戦災5周年にあたりコメントを発表。「この戦災によって一挙に21万8000人を失った」。
観音学区母子愛育会、上野妙大師堂で原爆犠牲者合同慰霊祭を挙行。

丸木位里・赤松俊子(絵・文)平和を守る会(編)「ピカドン」(ポツダム書店)発刊.
武村好郎編「平和歌集」(広島原爆記念会)発刊.
「反戦詩歌集第二集」発刊.
「われらの詩第八集」発刊.
広島市民生局社会教育課編「原爆体験記」(広島平和協会)発刊.
真樹社、原爆被災者追悼歌会を開催。
ユネスコ運動研究懇談会、仁科芳雄・安倍能成・尾高東大教授らを囲んで広島文理大附属小学校で開催。
広島市警、祖国防衛広島県委員会や日本青年祖国戦線名の「不穏」ビラを福屋百貨店屋上や映画館内で撒いた疑いで4人を逮捕。
双三地区署、三次地区平和を守る会名のデモについて、日共県北地区委員長など10名を公安条例違反で逮捕。
福山市で開催予定の備南地区青年祖国戦線結成大会、市警の勧告で中止。
広島・福山・三次で非合法の平和集会.
広島では午前11時30分,八丁堀「福屋」前で平和大会,約500名.午後0時30分広島駅前で平和大会,約300名,猿猴橋までかけ足デモ.「福屋」屋上や市内映画館などで平和の闘いを訴えたビラ2万枚配布.
三次では数班に分かれ「原子兵器の禁止」などのプラカードを先頭に平和署名を集め,午後は300名が三次で結集大会を決行,のち三次・十日市間をデモ行進.10名検束される.
福山,60名参加.青年祖国戦線結成大会を成功させる.
広島平和擁護委員会,平和宣言「平和を愛する全世界の人民へ」を発表.
-7日。平和を守る会、平和擁護日本委員会に改組決定。

 

歩兵第11連隊略歴

歩兵第11連隊略歴

設置者:歩十一会
昭和55年7月建立 平成6年8月改定
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明治8年 1875 創設
明治9年 1876 萩の乱に出動
明治10年 1877 西南戦争に出動
明治27年 1894 日清戦争に出動
明治33年 1900 北清事変[義和団事件]に出動
明治37年 1904 日露戦争に出動
大正8年 1919 シベリアに出兵
昭和12年 1937 日中戦争に出動
昭和16年 1941 太平洋戦争勃発。マレー作戦に参加。
のち南太平洋諸島を転戦
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この間、昭和十二年日中戦争[日支事変]以降、歩兵第十一連隊を母体とする藤部隊、槍部隊、開部隊、望部隊、西部第二部隊等を創設、各々克く健闘した[各々勇戦奮闘、克く郷土部隊の名声を高揚した]
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1999年7月31日撮影

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原爆慰霊碑巡礼の案内

『原爆慰霊碑巡礼の案内』(後藤純、原爆慰霊碑研究所、19670801)

内容<作業中

 

 表紙
  bk19670801-000
bk19670801-003
原爆死没者慰霊碑巡礼順路(昭和41年7月31日現在  原爆資料保存会 )
 慰霊碑合祀者(団体名) 所在地
 01  慰霊碑  中島町1(平和公園内)
02  供養塔  中島町1(平和公園内)
03  中島本町町民慰霊碑  中島町1(平和公園内)
04  安佐郡佐東町義勇隊慰霊碑  中島町1(平和公園内)
05  広島県立第二中学校職員・生徒慰霊碑  中島町1(平和公園内)
06  広島市立商業造船科職員・生徒慰霊碑  中島町1(平和公園内)
07  損害保険合同慰霊碑  中島町2(平和公園内)
08  広島市立第一高女職員・生徒慰霊碑  中島町11(平和公園内)
09  広島県庁職員慰霊碑  加古町
60  中国四国土木出張所職員慰霊碑  大手町1-1 (ドーム内)

 

被爆三〇年広島国際フォーラム・コミュニケ(19750804) 

被爆三〇年広島国際フォーラム・コミュニケ (19750804)

出典:『核廃絶か破滅か-被爆30年広島国際フォーラムの記録』(時事通信社、19760520)

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被爆三〇年広島国際フォーラム・コミュニケ

被爆三〇年広島国際フォーラムは、飯島宗一(広島大学学長)、江口朴郎(東京大学名誉教授)、小野周(東京大学教授)、具島兼三郎(長崎大学学長)、上代たの (元日本女子大学学長)、関関治(東京大学教授)、藤井日達(日本山妙法寺山主)、三宅泰雄(日本学術会議会員)の八氏がよびかけ、吉野源三郎(評論家)を代表とする準備委員会によって組織され、一九七五年八月三、四日広島において開催された。

フォーラムは、核抑止の理論が核軍縮への道をきりひらくものではなく、核開発・核軍拡のとどまるところを知らない悪循環をもたらしていること、また、核保有国による核軍備の管理とその下での核の傘が諸国人民の安全を直ちに保障するものでないことを認識し、こんにちまでの核軍縮をめぐる政府間交渉の限界と問題点を諸国人民の意思によってどのように突破すべきかを、被爆三〇年にあたって明らかにすることを目的に、つぎの四項目を討議の主題に設定した。

一、被爆三〇年、核軍拡と核拡散の現状について - それは、いかなる危険と被害を現在と未来の人類にもたらしつつあるか。

二、軍縮、安全保障、エネルギー問題に関する政府間交渉に含まれている問題点は何か。

三、核兵器の完全禁止と廃絶に向かって、私たちはいかなる展望をもつことができるか。

四、私たちはいま何をなすべきか、何をすることができるか、広島から何を訴えるべきか。

上記の趣意は多くの賛同を得、フォーラムには海外二二カ国(オーストラリア、カナダ、チリ、キューバ、フィジー、東ドイツ、グァム、インド、アイルランド、イタリア、ミクロネシア、ニュージーランド、PLO、フィリピン、ポーランド、ルーマニア、スリランカ、スウェーデン、イギリス、アメリカ、北ベトナム、南べトナム)から六六名と、日本国内各界から一二八名、計一九四名が参加した。このフォーラムの全経費は、フォーラム参加者の登録料と、フォーラムを支持した広範な個人、団体(四七六名、二〇団体) の醸金によってまかなわれた。

フォーラムでは、広島・長崎への原爆投下以後三〇年間にわたる原水爆禁止運動、とりわけビキニ事件以降の日本における国民的規模での運動の発展が、広島・長崎の被爆の実相とその後遺、被爆者の現状と問題点とともに報告された。

三〇年経過したこんにち、一方では、ベトナム人民を先頭とするインドシナ諸国人民の崇高な闘争が勝利し、それに勇気づけられて第三世界で民族解放闘争がもりあがり、それらへの支持・連帯を示す世論がアメリカを含め各国でたかまっているが、他方では、平和と軍縮に反対する勢力は、歴史から正しい教訓をくみとることなく、産軍複合体をますます強化してきており、核戦争の危機はかえつて増大してきている面もあるといえよう。そして、いまや世界的に拡大しつつある原子力発電も、核兵器の完全禁止を実現しない限りきわめて危険な面をもち、放射能被害の面からも各国民にとつて脅威となっている。

こうした情勢評価をふまえて、フォーラムにおいては、いかにして核兵器の廃絶を実現するかという問題について、多くの提言がおこなわれた。

全面軍縮をめざす世界軍縮会議を開催させることが重要であり、それに国連のNGO (非政府組織) の意見を正しく反映させていかねばならないこと、太平洋非核武装地帯の設置、海洋法のなかで原子力潜水艦の航行を禁止すること、などが提起されるとともに、こんにちのように膨大な核が貯蔵・配備され、核の拡散がすすんでいる状況のもとでは、核兵器の完全禁止こそがもっとも緊急であり、かつ現実的な措置であることが指摘された。軍備管理ではなく真の軍縮へ向かって発想を転換すべきことが、討論全体の基調をなしており、とりわけ国際的レベルで核兵器禁止の条約を実現することの重要性が強調された。

討論のなかでは、人間性の追求を含め心の問題をあらためて深くふりかえり、考え方の根本的転換が求められていることが確認された。科学者・知識人は、こんにちの科学技術革命の時代についての正しい認識にたって、戦争を目的とする科学には従わないという決意を新たにするとともに、自然科学者、教育者、宗教者が相互に連帯し、国際連帯を強化しつつ、核抑止の信仰を打破するための具体的な研究をすすめ、その知識を広く大衆に伝えることによって運動の発展に寄与すべきことが確認された。

広島・長崎の事実を広く世界に知らせるとともに、運動の縦承発展のためにも平和教育を重視し、核兵器をもつことがみずからの利益にならない大衆の間における核廃絶の意識をさらに強め、大衆とともにたたかうことによって核兵器完全禁止の展望がひらけることが確認された。

このフォーラムは、当初、文書の採択を予定していなかったが、例外として、ショーン・マクプライド氏によつて提案され、満場の共感を得た、核兵器不使用国際協定締結に関する次の特別決議を採択した。

特別決議
被爆三〇年広島国際フォーラムは、軍拡、とりわけ核軍拡のかつてない重大なエスカレーションについて審議した結果、国際連合に対して緊急の問題として次のような国際法規を採択するよう要請する。
--どのような状況のもとで、どのような核兵器を使用しようとも、これを国際法と人道に対する犯罪とすること。
この決議は、マクプライド氏を通じてただちに国連事務総長に手渡すとともに (マクプライド氏からのその後の連絡によるとこの決議はすでに国連NGO加盟の全組織に配布されたとのことである)、フォーラムの全参加者がそれぞれの国の政府にはたらきかけ、この決議を国連の場にもちこませるよう努力すること、また、それぞれの組織を通じてもこの決議の実現のため広くよびかけとはたらきかけをおこなうことを申し合わせた。

一九七五年八月四日

本コミュニケは、国際フォーラムで採択された最終議長のまとめにもとづき、よびかけ人と準備委員会の責任で成文化されたものである。

福山市原爆死没者慰霊碑建立記念誌 原爆被爆体験記

『福山市原爆死没者慰霊碑建立記念誌 原爆被爆体験記』(福山市原爆死没者慰霊碑建立記念誌編集委員会編 福山市原爆死没者慰霊碑建立委員会・福山市原爆被害者の会刊、19900401)

内容

目次 発刊のことば
福山市原爆死没者慰霊碑建立委員会委員長
福山市原爆被害者の会会長 吉田悦三
「記念誌」発刊によせて福川市長 牧本幹男
「記念誌」発刊によせて福山市議会議長 三好章
「記念誌」発刊によせて福山市教育長 藤井祥三
はじめに 1
行政関係者との打合わせ 1
公園用地使用の陳情書提出 2
既設慰霊碑の現地視察 3
現場説明会の開催 3
牧本市長と面談 3
建立趣意書の起案と印刷 4
三役会の開催 4
役員会の開催 5
建立委員会設立総会の開催 5
被爆石の引取り 5
公園占用許可申請書の提出 5
推たい書およびあいさつ状の発送 6
工事請負契約の締結と調印 6
募金活動の展開 7
死没者名簿登載申請者は215柱 7
地鎮祭の厳修 7
碑文作成に行政当局の協力を得る 8
碑銘と碑文の揮毫すすむ 9
公園使用許可申請書の提出 9
除幕式の挙行 10
第1回慰霊式の執行 12
記念誌等編集委員会の結成 13
原爆死没者慰霊碑除幕式 式辞 14
第1回原爆死没者慰霊式 あいさつ 16
原爆死没者慰霊碑建立資金 分類別集計表 18
原爆死没者慰霊碑建立資金 寄付者芳名録 18
思い出の記 赤瀬菊一…1
被爆の思い出 秋山マツヨ…3
原爆の石 麻生公士…7
原爆の追憶 荒木常市…8
思い出したくない原爆 安藤祥子…11
私の被爆体験記 池尻博…11
原爆死没者慰霊碑の建立によせて 石井定夫…14
私の被爆体験記 板崎富佐子…15
私の被爆体験 井上ウメヨ…16
核兵器廃絶のために 井上宗頼…18
私の被爆体験記 一被爆者…20
思い 岩川正男…21
被爆の証言 梅田清子…23
見たまま思うまま 大本文男…25
原爆被爆者体験記 大村右一…28
被爆の思い出 大村善一…30
被爆44年想い出 大垣綱男…32
原爆の地に主人を捜して 岡田花子…33
被爆体験記 岡本四郎…35
忘れられない長く苦しい一日 岡本寿子…37
忘れられない原爆 沖浦金市郎…40
私の被爆体験記 小澤俊一郎…42
慰霊碑除幕に際して 柏原律衛…44
私の原爆体験 梶川尭子…45
あの日あの時爽竹桃の花咲けば心の傷がまた痛む 梶田瞳…47
私の被爆体験記 片岡昌子…48
父を求めて広島へ 片田憲子…50
私の被爆体験 川口三世子…52
とどめの一発 川崎英男…54
原爆の追憶 河相弘…56
忘れることのできぬ8月6日 河相行夫…59
原爆と救援活動 川中三郎…60
戦争と私 神原秋…61
救護班の思い出 神野ミチ子…65
あなたは、見たのでしょうか 木本茂.…一….67
私の誓い 久良一五三…69
私の体験記 小土井虎造…71
追憶 後藤久江…74
俳句 小林正巳…75
私の被爆体験 小林マツコ…76
被爆の追憶 小史妙子…78
私の被爆体験 坂本五郎…80
被爆の思い出 坂本百合子…82
被爆体験記 作田民夫…84
広島の原子爆弾投下に依る救援活動の状況 佐藤茂累…85
私の被爆体験記 佐藤武男…89
回想 佐々木一二…91
原爆の思い出 三箇只雄…92
原爆に思う 三箇照一…93
私の被爆体験記 塩形貞枝…94
原爆慰霊碑と平和の願い 下江花子…96
八月六日は生地獄 新谷徳美…97
ピカドンを顧みていま思い出してもゾッとする 鈴木正次…101
平和を祈って 杉原邦恵…103
被爆体験 炭広トシコ…105
被爆と救護 高橋定雄…107
原爆の思い出 高橋菊美…108
被爆体験記 田口敬一…110
劫火の中を生き延びて 玉川カズ子…114
被爆体験のひとこと 段畑吉之…115
被爆の現状を顧みて 田原弘…118
被爆体験の追憶 土岡巧…118
原爆のない平和を祈る 堂前きみ子…121
地球から核を無くしよう 長久吉人…121
私の被爆体験 沼本熊太…123
末期の水 野田恒男…124
被爆体験記 原田代吏男…126
被爆の思い出 東貞夫…127
不忘の視界 平田震一郎…129
原爆被害で濃くなられた方々の慰霊碑の建立にあたって 藤井一三…132
被爆体験記 藤井辰夫…134
ノーモアヒロシマ 藤井三郎…135
私の原爆 藤内智夫…137
鳴呼集練兵場 藤坂正一…139
広島原爆記念日に際して 藤原徳磨…142
被爆体験記 藤本勇…143
被爆の惨禍を後世へと残す 前田良雄…145
原爆投下時救護班に参加して 松井清子…147
私の被爆体験記 松岡伊登…149
地獄 松岡泰三…151
焼け残りの板原爆忌によせて 三浦脩二…151
広島の夏から生までの道のり 三村正一…153
原爆の思い出 向井喜三衛門…156
被爆者の一人としての願い 村上久子…157
被爆体験 村上信義…158
愛情に救われる 守岡隆一…159
私の被爆体験 守屋勇…160
原爆の日に思う 山口千代子…161
私の八月六日前後 山崎昭治…162
爆死より生還 吉田悦三…164
私の被爆体験記 渡辺孝人…170
私の被爆と兄の死に思う(地球から核兵器をなくそう )渡辺光彬…172

 

 

2021年6月(日録)

2021年6月(日録)

 事項
 01  ヒロシマ遺文への投稿=「ヒロシマのソーシャルワーク 不条理の是正という本質に迫る」。
 03  ヒロシマ遺文への投稿=「れんがと広島 広島市郷土資料館調査報告書第16集」
04 ヒロシマ遺文への投稿=「2021年6月(日録)」
05 ヒロシマ遺文への投稿=「福山市原爆死没者慰霊碑建立記念誌 原爆被爆体験記」
06 ヒロシマ遺文への投稿=「被爆三〇年広島国際フォーラム・コミュニケ」、「原爆慰霊碑巡礼の案内」
07 ヒロシマ遺文への投稿=「歩兵第11連隊略歴」
08 ヒロシマ遺文への投稿=「ドキュメント:1950年8月6日」
09 ヒロシマ遺文への投稿=「ドキュメント:1955年8月6日」、「ドキュメント:1960年8月6日」、「ドキュメント:1965年8月6日」、「ドキュメント:1970年8月6日」、「ドキュメント:1975年8月6日」、「ドキュメント:1980年8月6日」、「ドキュメント:1985年8月6日」、「ドキュメント:1990年8月6日」、「ドキュメント:1995年8月6日」、
10 K・H・T(広島原爆資料館)、来宅。
10 ヒロシマ遺文への投稿=「ドキュメント:2019年8月6日」、「ドキュメント:2020年8月6日」、「ドキュメント:2021年8月6日」
11 ヒロシマ遺文への投稿=「広島文理科大学・広島高等学校 原爆死没者遺骨埋葬の地の碑」
12 新聞記事(2020年8月・9月分)の切り抜き作業。
12 ヒロシマ遺文への投稿=「段原町原爆慰霊碑」
13 新聞記事(2020年9月分)の切り抜き作業。
13 ヒロシマ遺文への投稿=「広島県宗教連盟」。
14  ヒロシマ遺文への投稿=「動員学徒慰霊塔」。
 15  ヒロシマ遺文への投稿=「原水爆禁止五日市市協議会原爆死没者慰霊碑」、「原爆展<新日本婦人の会呉支部>」。
 16  ヒロシマ遺文への投稿=「被爆建物壁面部材の展示会」、「ヒロシマ・ナガサキ被爆の実相等に関するポスター展」、「ニック・ユソフ墓」。
 17  ヒロシマ遺文への投稿=「鎮魂之碑」。
 18  昭和図書館へ。『平家物語(四)』返却、再借り出し手続き。
 18  ヒロシマ遺文への投稿=「広島県職員原爆犠牲者慰霊碑」、「広島県地方木材株式会社慰霊碑」。
 19  ヒロシマ遺文への投稿=「第29回オマール氏法要」。
 20  ヒロシマ遺文への投稿=「祈りの像」
21  ヒロシマ遺文への投稿=「年表:被爆樹木」
22  ヒロシマ遺文への投稿=「年表:沖縄・広島」
 23  沖縄「慰霊の日」
23  ヒロシマ遺文への投稿=「戦争と平和の理論」。投稿「年表:沖縄・広島」の校訂作業。
 25  中国新聞社『ヒロシマの空白 被爆75年』(20210623)レターパックで届く。
25  ヒロシマ遺文への投稿=「8・6世界大会準備ニュース(原水爆禁止世界大会日本準備会)」、「原水爆禁止世界大会広島準備会」
 26  ヒロシマ遺文への投稿=「広島女子高等師範付属山中高等女学校慰霊祭」
 27  ヒロシマ遺文への投稿=「原水爆禁止日本協議会代表委員(1955年11月現在)」、「独立運動と民主化闘争に学ぶ 韓国・歴史と平和の旅」、「【論!2010】「被爆者」にこだわるべき 宇吹暁さん」、
28  「76年前の呉空襲 検事報告書複写 息子の富村さん保管」『中国新聞(湯浅梨奈記者)』
 28  ヒロシマ遺文への投稿=「原爆被爆者援護事業概要目次(広島県健康福祉局被爆者支援課、202007)」、
29 ヒロシマ遺文への投稿=「内閣総理大臣(安倍晋三)挨拶 20200806」
30  ヒロシマ遺文への投稿=「特別論文編22原爆と広島大学(構想)」

 

 

 

 

れんがと広島 広島市郷土資料館調査報告書第16集

『れんがと広島 広島市郷土資料館調査報告書第16集』( 広島市郷土資料館編、広島市教育委員会、 20010731)

はじめに
関連年表
『れんが』『レンガ』『煉瓦』
1 世界のれんがのはじまり
2 日本のれんがのはじまり
3 広島のれんがのはじまり
 (1)広島のれんが生産 10
(2)統計書にみるれんが生産 10
(3)広島市内で創業したれんが工場 11
(4)油紙で包まれたれんが 11
(5)れんが生産の広まり 12
(6)れんが生産県広島 14
4 広島市郷土資料館の建物 16
5 広島の代表的なれんが建物 18
6 れんがの作り方とその活用 25
(1)れんが製造の今昔 25
(2)様々な形をしたれんが 31
7 れんがの積み方・敷き方と刻印 32
(1)れんがの積み方 32
(2)れんがの敷き方 33
(3)れんがの刻印 33
8 れんがの使い方と現在のれんが事情 35
おわりに 37
参考文献 38

 

 

ヒロシマのソーシャルワーク 不条理の是正という本質に迫る

『ヒロシマのソーシャルワーク 不条理の是正という本質に迫る』(原爆被害者相談員の会 編著、かもがわ出版、 20190806)

内容<作業中

はじめに 1
原爆被害者相談員の会の原点と未来 7  三村正弘
1、不条理の是正に挑む道のり 8 太田昌克
2、原爆被害者相談員の会はなぜ生まれたのか 15 若林節美
3、ソーシャルワーカーの役割はどこにあるか-1990年代から今日まで 30  三村正弘
4、被爆者支援の今日的役割-福島第一原発事故被害者に対する健康相談会の取り組み 44 山地恭子
5、ソーシャルワークの本質に迫る-ソーシャルアクションを志向して 51 村上須賀子
6、被爆者を引き受ける-同伴者としての「相談員の会」から継承者としての「相談員の会」へ 62  直野章子
7、次世代による平和と人権の学び 70 中野春乃、奥西栄介
被爆者の苦しみに寄り添って 79
1、ひたすらに生きる-援護のない被爆後を生きぬく 80 塚本弥生
2、原爆小頭症患者とその家族史 85 村上須賀子
3、孤独な死を選んだ若年被爆者 90 山地恭子
4、原爆症認定集団訴訟原告の生き様 94 櫻下美紀・山地恭子
5、「被爆者」として毎日を生きる 98 米澤美紀
6、ケロイドは放射線に起因しない 101 櫻下美紀
7、在外被爆者の原爆症認定申請 105 山地恭子
8、在外被爆者の被爆者健康手帳申請 109 山地恭子
9、被爆当時の証人なしで被爆者手帳を取得するまで 113 松本ソノ
被爆者のための制度と用語の解説 117
被爆者とともに行うソーシャルアクション 119
1 被爆者相談活動  塚本弥生
被爆者相談活動前期 120 櫻下美紀
コラム 日曜日はいつも… 124 山田寿美子
コラム 卒業してすぐの相談員は 125 渡辺美加
被爆者相談活動後期-次世代のMSWの挑戦 126 櫻下美紀
「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律」の成立 134 塚本弥生
原爆症認定制度のうつりかわり 136 三村正弘
集団訴訟・裁判資料作り-三次高女入市救護実態調査 140 三宅文枝
2 被爆者証言活動を支えるソーシャルワーカー
8.6「原爆被害者証言のつどい」開催から現在まで 143  三宅文枝
コラム 一日カメラマン 151 胡明憲二
コラム 私にとっての相談員の会 152 黒岩晴子
「原爆被害者証言のつどいグループ」の誕生と活動 153 三村正弘/山地恭子
 コラム 第3回国連軍縮特別総会への参加 156  石橋京子
被爆証言の場につどうということ 157  奥村栄介
3 基本懇意見書を被爆者とともに乗り越えるために
12.11「基本懇意見書」にこだわる 163  中村有紀子
4 自分史
被爆者が書く「自分史」活動を支えて 169  古寺愛子
5 原爆小頭症問題
原爆小頭症患者に医療ソーシャルワークを 180  村上須賀子
原爆小頭症患者の専任相談員として 184 河宮百合恵
6 同志と手を組む・その1・専門職との協働
本会を構成する多様な人たち 187  鈴木勉
 相談員、原爆二法研究会、在外被爆者裁判 189  田村和之
原爆症認定裁判とソーシャルワーカー 191 二國則昭
7 同志と手を組む・その2・幅広い市民との協働
幅広い市民(同志)との協働 193  村上須賀子
私のボランティア活動の報告 197 相良カヨ
 コラム 爆心地の遺族を訪ねて 204  熊谷睦子
8 被爆者とともに成長したSW
「被爆者」の真の意味を学んだ「相談員の会」 207 米沢美紀
被爆者の願いを受け取って 208 村田朱
「相談員の会」で学んだソーシャルワーク 209 吉岡智子
3世として、医療ソーシャルワーカーとして 210 岡野恵美
自分史サポーターの経験を通じて得た学び 211 福原優子
終章
「相談員の会」のこれから 212 舟橋喜恵
被爆者支援ソーシャルワークは私たちの実践モデル 215 山地恭子
おわりに 220 三宅文枝
執筆者一覧 222

執筆者一覧 222
備考

黎明短歌会

黎明短歌会

『短歌雑誌 黎明』
発行所:黎明短歌会(広島市 金子美代子)
創刊: 2001(平成13)年
刊行周期: 月刊
※ 第40号(2008年)を以って終刊。

第5巻第32号 目次

見出し 作者など 備考
01 第32号作品 柳井ルリ子 他
16 第30号作品批評 二羽ミツコ
原爆の日特集
18 私の八月六日 黐池満智子
20 私の8月6日 柳井ルリ子
21 「1945年八月六日」 油野はつ枝
22 原爆の事 沖本茂子
22 瓦礫の町 金子美代子
22 後記

 

 

赤レンガ倉庫は語り継ぐ 旧広島陸軍被服支廠被爆証言集

『赤レンガ倉庫は語り継ぐ 旧広島陸軍被服支廠被爆証言集』(旧被服支廠の保全を願う懇談会 、2020/03/01)
内容<作業中

はじめにかえて
東組の被爆に思う 中西巌(旧被服支廠の保全を願う懇談会代表) 2
1 一人一人の「倉庫の記録」
広島陸軍被服支廠の被爆状況 9
原爆について 清水元男美 9
倉庫の記録 峠三吉 10
峠三吉日記 12
救援・救護 小笠原貞雄、藤井三千明、平栗忠夫 19
コンクリート倉庫2階にいた女性 佐藤泰子、加藤春江 他 21
レンガ倉庫以外の場所 河野シズエ 他 25
勤務していた人 高見スス子、高田刑一 他 26
逃げ込んだ人の証言 27
広島被服支廠での原爆被災終戦処理について 佐藤種三郎主計大佐 29
広島が消滅した日-一年目の記憶 香川昇 36
15歳 動員学徒 森武徳 44
広島高等師範学校附属中学東組の被爆状況52
石田民生さんの証言 56
被爆体験記 三木正 62
被服支廠の荷を運ぶ途中 日南千代子(当時15歳 女子挺身隊) 65
2 蘇る旧広島陸軍被服支廠 67
在りし日の旧陸軍被服支廠縫製工場(石木信明氏提供) 68
蘇る旧広島陸軍被服支廠 保存と広島文化 橋本秀夫 69
被服支廠と私 切明千枝子 82
近藤登代子資料(荒木登代子氏提供) 84
佐々木サツキ資料(下迫瑞恵氏提供) 84
池上豊子資料(川元敦子氏提供) 85
久保性三資料(久保忠司氏提供) 86
四國五郎資料(四國光氏提供) 88
西垣武史さんの証言 90
広島第一県女の学徒勤労動員 92
6.被爆前後の状況(広島第一県女の被爆状況) 109
被服廠での生活 森武德 112
広島の町と級友 熊崎照 122
被服廠の終焉 秋田銀一(陸軍経理部 主候11) 126
3 資料編 131
旧被服支廠赤レンガ倉庫の動向 132
懇談会の活動記録 134
被服支廠年表 139
出汐町倉庫(旧広島陸軍被服支廠)について 142
おわりにかえて
地味な建物だからこそ 山野上純夫 144

備考

NHK広島放送局60年史

『NHK広島放送局60年史』( NHK広島放送局60年史編集委員会編、NHK広島放送局刊、1988/07/01)

内容

章節
開局60周年にあたって
広島放送局の誕生 1
1 日本放送協会中国支部設立
ラジオの幕開け 1
日本放送協会中国支部設立 2
JOFK・こちらは広島放送局 4
総動員の郷土芸能人-開局記念番組- 7
2 初期の放送番組
放送番組の編成 9
とぎれとぎれの放送時間 10
報道放送 13
ニュース 臨時ニュース 産業ニュース 職業紹介 時報 生繭相場 局報 日用品値段 気象通報 経済市況
教養放送 17
講演講座 料理献立 青年の時間と農家の時間 学校放送 子供の時間
慰安放送 20
演芸 演劇 邦楽 洋楽
スタジオ外放送 23
3 初期の放送設備
放送機 電源 空中線 演奏室 マイクロホン 音声増幅器 連絡線・中継線・非常時連絡装置 有線中継と無線中継
4  強まるラジオへの関心
全国初めての聴取者嗜好調査 30
受信者普及運動 31
文書宣伝 映画講演会 放送実演・放送実験つき子供大会 ラジオ体操の会 講習会 ラジオ商組合・供電業者 特殊サービス
伸びる受信契約者数 35
地方局と出張所 37
中国支部が広島中央放送局に 38
戦争と放送
1 戦争体制へ
日中戦争と放送統制 41
戦時色に変わる放送番組 42
ひろがる放送網 45
岡山・鳥取放送局は、大阪から広島中央放送局管内に 46
2 太平洋戦争
きびしい電波管制 48
戦時中の放送番組 49
原放送所に三角塔型空中線建設 53
妨害放送 53
受信者の動き(昭和10年代)55
司令部地下壕からの空襲警報放送 56
番組表・加入者原簿の疎開 57
原爆と広島中央放送局
昭和20年(1945)8月6日、広島に原爆投下 59
原爆投下8月6日午前8時15分 61
被爆直後の広島中央放送局 63
広島中央放送局職員の被爆状況 65
原放送所での救急活動と生活 77
惨禍の中での単独放送開始 78
昭和20年8月21日以降の放送部事務日誌から 81
混乱から復興へ
1 占領下の放送
第二放送、第三放送開始 89
ラジオコードの指令 90
復旧した流川演奏所 92
再生第一歩の初放送 94
ゼロからの出発 95
2 開放された放送
ローカル放送番組始まる 97
戦後のJOFKかいわい 99
マイク街頭へ 101
放送ストライキと放送国家管理 102
放送記者誕生 104
天皇ご巡幸と報道 105
平和記念式典の変遷 106
公開番組あれこれ 107
広島県放送文化普及委員会の発足 109
発展するラジオ文化
1 新しい放送制度
電波三法の施行 111
特殊法人日本放送協会の発足 111
中国地方の民間放送 112
2 ラジオ全盛期へ
多彩なラジオ番組 115
戦後の番組編成から- FKのスタジオ事情 農事放送とRFD全局をあげての仕事 スポーツ放送(昭和20年代)全国版に躍り出たローカル番組 芸能番組と部外放送関連団体
報道課誕生(昭和26年から現在まで)134
ラジオ・ドラマ花ざかり 151
FK芸能団体の活躍 156
広島放送管弦楽団 広島放送交響楽団 広島放送合唱団 広島放送劇団 広島放送児童合唱団 広島放送児童劇団
円盤録音からテープ録音へ 167
ラジオ放送網の建設 168
活発な周知活動 171
瀬戸内海文化船・文化バス 巡回ラジオ列車 NHKたすけあい夏・期移動相談 ラジオの集い NHK全国学校音楽コンクール
受信者の動き(昭和20年代)176
受信障害対策の変遷 178
テレビ時代の到来
1 広島テレビジョン局開局
テレビの始まり 181
比治山テレビ放送所 182
昭和31年3月21日JOFK-TV開局 185
2 初期のテレビ番組と放送制作
テレビローカル定時番組開始 189
平和記念式典初のテレビ中継 190
ローカルテレビニュース放送開始 192
待望のテレビ中継車配備 196
テレビ中継車でスタジオ番組を制作 199
8ミリによるローカル番組 200
テレビ特集、特別番組(昭和30年代)202
スポーツ放送(昭和30年代)205
FK制作テレビドラマの系譜 207
広島放送会館落成 213
テレビジョン放送局建設ラッシュ 217
中国地方放送番組審議会の発足 221
FM放送の開始と運行業務 222
3 放送利用運動と視聴者サービス
放送教育研究会全国大会の開催 225
NHK婦人学級・放送利用農業集団の開設 228
あいつぐ海外演奏家・海外著名人の来広 228
番組公開 230
NHKサービスステーションの開設 231
テレビ受信対策 232
福山テレビ開局対策 大崎テレビ局UHF転換対策
受信者の動き(昭和30年代)234
カラー放送の時代
1 テレビ、カラー化進む
カラー放送の開始 237
ローカル番組もカラー化 238
爆心地図復元運動 240
ローカル30分番組の移り変わり 246
市民の手で原爆の絵を運動 249
特集・特別番組(昭和40年代)256
スポーツ放送(昭和40年代)と昭和50年のカープ初優勝 258
2 視聴者とともに
視聴者サービス月間実施 261
生涯学習と放送 262
NHK交響楽団公演 266
番組公開 267
難視解消への取り組み 268
広島中央放送局ロビーに原爆之碑建立 272
受信者の動き(昭和40年代)275
地域放送の拡充
1 多様化するテレビ番組
ローカルワイドニュースの新設 277
特集番組の拡充 284
瀬戸内海企画シリーズ(昭和15年から現在まで)285
番組素材の宝庫「厳島」 288
昭和50年代の特集番組 290
地域とともに「まちかど号」 293
スポーツ番組(昭和50年代)296
昭和50~60年代の主なラジオ番組 297
2 新しい技術
ニュース・番組制作全面ビデオ化 298
ニュースメディアの幕開け 300
衛星放送 文字放送 テレビ音声多重放送 緊急警報放送 ハイビジョン放送
3 放送文化の発展を願って
視聴者センターの設置 304
テレビ放送開始30周年キャンペイン 305
中国地方テレビ映像祭 306
地域総合イベント 307
受信者の動き(昭和50年代)311
4 ニューメディア時代を迎えて
各地で衛星放送公開・BSコンサート 315
中国地方文字放送フェア 315
広島放送局のきょうとあす 317
原爆放送史
原爆放送の概観 321
NHKの原爆放送と私 327
原爆関連放送番組表(昭和21年~昭和63年)330
広島放送局制作原爆関連番組出版図書一覧 364
資料
昭和63年度地域放送番組一覧 367
広島放送局制作受賞番組一覧 368
ラジオ受信契約数の推移 371
テレビ受信契約数の推移 373
中国管内・県別受信契約数 376
中国管内ラジオ放送局一覧 377
中国管内テレビジョン・FM放送局一覧 378
広島県内の辺地共同受信施設一覧 393
広島放送局在籍者名簿[管理職 昭和2年度~61年度] 399
〃 [全職員 昭和30年度~61年度] 413
〃 [全職員 昭和62年度] 426
年表 429

備考

0308年表:国際婦人デー(国際女性デー)

年表:国際婦人デー(国際女性デー)

 年 月日 行事内容 備考(主催者・場所など)
1948 国際婦人デー広島大会 会場:中国配電ビル講堂。広島大会としては初。
 1950  民婦協広島支部が「戦争反対、原子力を平和産業へ」のスローガンを掲げて立ち上った(『平和戦線』19500609)
 1951  0308  広島婦人民主クラブ主催国際婦人デー記念集会 「 広島市国際ビル二階で、“ふきのとう”の著者山代巴さん、広島県労書記長松江氏を迎えて開催され、約七十数名が参加」(『民族の星』第29号19510316)
 2018  0311 2018国際女性デーひろしま実行委員会主催講演会 講師:藤森俊希(日本被団協事務局次長)。広島市男女共同参画推進センターで開催。参加者約150人。
2019
2020
2021

 

 

友愛-原爆二十周年損保式典の記録

『友愛-原爆二十周年損保式典の記録』(日本損害保険協会広島地方委員会編・刊、 1966/03/31)

題字「友愛」日本損害保険協会会長 高木幹夫
記念碑「友愛」の写真
記念碑「友愛」に寄せて 広島市長 浜井信三
「友愛」記念碑の思い出 日本損害保険協会 専務理事 山口秀男
序のことば 広島地方委員会 委員長 阿倍茂三郎
記念碑「友愛」について
損保関係原爆二十周年慰霊法要
慰霊法要式次第 1
原爆犠牲者名簿 5
導師表白文 11
追悼の辞 12
弔電 22
遺族代表感謝のことば 23
来賓名簿 24
記念碑「友愛」除幕式
除幕式次第 25
斎主諄辞 27
委員長挨拶 28
記念碑製作者への感謝状 32
記念碑の広島市への寄贈 32
記念碑に対する市の受領書 33
儀式の前後 33
来賓諸氏への挨拶状 40
記念碑建設の企画から完成まで 44
寄附金、賛助金の明細 67
儀式と記念碑費用明細 68
遺族を囲む座談会 69
遺族の回想記 77
日本保険新聞社主催の座談会 82
関係者の感想文
久城寿右衛門 113
荒谷輝雄 120
小林敏夫 122
林雅己 124
松井猪之介 125
堀原文俊 128
阿倍茂三郎 131
134 小学児童の感想文 市立袋町小学校児童
138 法要の挙行と碑の建設に従事した地方委員の氏名
140 あとがき 広島地方委員会 副委員長 松林知之

備考 書名は背より、表紙・奥付等の書名「友愛」

みたまやすかれ-被爆物故職員三十三回忌追悼

『みたまやすかれ-被爆物故職員三十三回忌追悼』(榎下頼人編、 日本銀行広島支店刊、1977/08/06)
内容

1 被爆物故者三十三回忌慰霊祭
1 慰霊式典 2
2 前川副総裁追悼のことば 5
3 太田剛氏追悼の辞 7
4 瀧寺支店長懇談会開会の辞 9
5 三十三回忌慰霊祭に参列して 11
2 被爆から今日まで
1 原爆投下時の広島市の状況 16
2 広島支店の被災状況 17
(1)職員の被害 19
イ 支店内で被爆した職員の状況 27
ロ 出勤途上や自宅等で被爆した職員の状況 28
(2)建物の被害 30
イ 爆風の衝撃 31
ロ 火災の発生 31
(3)支店首脳部の動きと僚店からの救援 32
(4)復興への歩み 43
3 広島支店における追悼諸行事 45
3 資料
1 五十嵐岡山支店長の日記抄(昭20.8.6-10.8) 50
2 田中鈴子さんの日記抄(昭20.6.14-8.15) 51
3 広島財務局相原勝雄氏「原子爆弾体験記」(昭20.8) 55
4 広島財務局川村孝氏「原子爆弾の記録」(昭20.8) 58
5 新木元総裁の短歌(昭21・晩秋) 60
6 太田剛氏 「広島終戦の記」(昭25.9) 61
7 被爆十周年座談会(昭30.8.6) 68
8 佐藤かん氏「広島の追憶のあれこれ」(昭30.12) 77
9 太田剛氏「広島の友へ」(昭30.12) 79
10 被爆十七回忌山際総裁追悼の詞(昭36.8.5) 81
11 被爆十七回忌座談会(昭36.8.5) 82
12 慰霊碑除幕式における篠原店長の辞(昭41.8.6) 87
13 にちぎん「あなたの番です ―四十二の御霊よ安らかに―」(本岡美代子さん、山根フミエさん、昭41.8) 88
14 被爆三十周年瀧寺店長追悼のことば(昭50.8.6) 89
15 若林能員さんのこと(村上照雄氏、昭51.10) 90
16 若林芳枝さんからの手紙(昭52.7.1) 91
17 清水彦太さんからの手紙(昭52.7.21) 92
18 詩 「三十三回忌によせて」(山田瑠美子さん、昭52.8) 92
19 思い出す人々「阿部知二と織田定信」(今堀誠二氏、昭52.9.28) 93
20 広島支店被爆前後の日誌抄(昭20.3.18-21.11.3) 94
被爆三十三回忌法要時在籍者一覧(昭52.8.6) 100
あとがき

 

 

NHK原爆之碑完成記念―原爆被災誌

『NHK原爆之碑完成記念―原爆被災誌』(NHK広島中央放送局、1966/03/22)

内容

01 被爆前の施設
02 防衛・防空・防火態勢
03 疎開状況
04 当時の放送一空鶴警報と防害放送
05 被爆前夜から原爆さく裂当日まで
06 八月六日(月)午前八時十五分!
07 生き地獄の中を重傷者をいたわりながら避難
08 赤チン消毒程度の救急活動
09 施設の被害-難をまぬがれたのは原放送所のみ
10 懸命に続けられた復旧対策-早くも七日午前九時には単独で放送
11 原爆之碑におさめられた犠牲者の方々

 

 

広島県庁原爆被災誌

『広島県庁原爆被災誌』(広島県編・刊、1976/03/31)

広島県の近代 1
1 広島県の成立 3
2 日清・日露戦争と広島 5
3 昭和恐慌から日中戦争へ 8
太平洋戦争と広島県 9
1 戦局の進展と地方行政 11
2 広島県の決戦体制 13
3 本土決戦に備えて 30
4 広島県の防空体制 33
5 広島県の避難対策 38
6 国民義勇隊の編成 40
7 戦争の終結 43
原爆と広島県行政 49
1 原爆の惨禍 51
2 県の応急対策 58
3 り災者の救護と食糧対策 64
4 民心の安定とり災者対策 67
5 被害状況の調査 72
6 被爆者の救護と医療 82
7 人的被害 88
8 物的被害 94
9 県立機関の被害状況 99
終戦と広島県 117
1 敗戦と民心の動揺 119
2 戦後の混乱と民心の安定 123
3 連合国軍の進駐 127
4 戦後最初の県議会 130
5 原爆犠牲職員の慰霊碑の建立 131
手記編 133
広島県職員原爆犠牲者名簿 323
参考資料 387
あとがき 388
広島市街原子爆弾被災状況図 393