増本量

増本量

ますもと・はかる12 18950109生19870812没 享年92歳 金属物理学者。東北大学名誉教授。日本金属学会会長。広島県安芸郡矢賀村(現:広島市東区矢賀)出身。

 

『増本量伝』(石川悌次郎著、誠文堂新光社、1976/06/25)

序 藤森成吉
1 矢賀の春秋
1 出稼ぎの村 1
2 結婚開運 5
3 一等公民 10
4 みのほど 15
5 模索する精神 19
6 門構えの家・高女出の妻 22
7 海老の寺詣り 29
8 “ちょうさい”の里 34
9 排日移民法の公布 40
2 才蔵峠
1 畦のバイオリニスト 47
2 父と子 51
3 二宮穠 56
4 涙の峠路 60
5 肝臓と自転車 68
6 ぼん倉が立つ 76
3 螢雪の時代
1 富士の肩雲 85
2 妥協を排す 90
3 洟水とチブス 97
4 意外な曲り角 103
5 別名“亀さん”決る 112
6 大道無門の実学 118
4 コバルトの妻
1 緑は異なもの 129
2 提灯に吊鐘 136
3 教育代議士 141
4 コバルトの妻(その1) 153
5 コバルトの妻(その2) 162
5 死線を越えて
1 肺患の急襲 173
2 エネルギー哲学 182
3 スーパーインパー 187
4 広島の人々 193
5 不可思議の解明 200
6 錬金術師 208
7 学士院賞と母 214
8 磁石鋼もの語り(その1) 222
9 磁石鋼もの語り(その2) 227
10 磁石鋼もの語り(その3) 232
6 戦局と研学
1 耳栓のはなし 239
2 欧米出張 247
3 センダストもの語り 260
4 焦眉のアルフェル 267
5 広島の原爆 274
7 金研所長時代
1 学士院恩賜賞 285
2 金研の履歴書 288
3 学者の俗務 292
4 金研の復興拡充(その1) 297
5 金研の復興拡充(その2) 301
6 本多先生の終焉(その1) 307
7 本多先生の終焉(その2) 315
8 電磁研とともに
1 航空計器材料試作研究所 325
2 電磁研の躍進(その1) 330
3 電磁研の躍進(その2) 338
4 電磁研の躍進(その3) 344
5 増本式健康法 356
6 栄誉と褒章の道 374
増本量年譜 384
あとがき 松永陽之助

 

忘れじのヒロシマわが悼みうた 栗原貞子詩集

『忘れじのヒロシマわが悼みうた 栗原貞子詩集』(栗原貞子著、詩集刊行の会、1997/06/30)

内容

まえがき
1 ヒロシマのうたを歌い続けて
ヒロシマの道標 10
寂寞を希望にかえて 11
相次ぐ発禁-言論弾圧と細田民樹 13
日米ピースセンターの活動 16
悪い政治と斗って 18
崩れぬ平和都市を 19
生と死 20
ヒロシマのうたを歌い続けて 22
2 忘れじのヒロシマ
原爆で死んだ幸子さん 26
夾竹桃 27
異形 29
日詰さんと原水禁広島母の会 30
黒い十字架 32
いまは安らかに眠りませ 34
眼 35
白い虹 36
愛と死 37
ケロイドの背で証言する 38
まどうてくれ 40
ヒロシマの人体実験はまだ続いている 41
原爆半世紀ヒロシマの女たちは 44
3 歴史の立会人だったのだから
歴史の立会人だったのだから 48
石のなかから 49
歴史の残像 50
ヒロシマと言うとき 52
何のために戦ったのか 53
護憲の碑除幕 56
楽譜「世界とともに」 57
献詩「弟よ」 58
射程距離 60
昇天 61
終わりのとき 62
知らなかった 63
呼ぶ 64
空席 65
献詩 66
4 物故作家を語る会の記録 70
第1回 代表 田辺耕一郎
第2回 代表 好村富士彦
あとがき

田沼肇

田沼肇

たぬま・はじめ 19260419生20000809没 享年74歳 1950年、法政大学大原社会問題研究所に就職。64年同大学教授。93年退職し名誉教授に。日本原水協代表理事。

資料年表:田沼肇<作業中

年月日
1926
0419 誕生
 1954
0825  『日本資本主義講座 戦後日本の政治と経済 9 軍国主義の復活』(遠山茂樹編、岩波書店)
 1967
11101  『原水爆禁止科学者会議の記録 第2回』(第2回原水爆禁止科学者会議準備委員会事務局)
 第3分科会 被爆者問題
被爆者援護立法について 田沼肇 96
 1970
 0228  『静岡の被爆者 全戸訪問調査中間報告』(静岡県原水爆被害者の会)
 2.特別寄稿 「全戸訪問調査の意義」 4
日本原水協被爆担当常任理事 田沼肇
 1971
 0720  『原爆被爆者問題 新日本新書,132』(田沼肇、新日本出版社)
 0730  『炎の中を生きて 私の戦争体験記 原爆被爆者の手記』(原水爆禁止日本協議会編、日本青年出版社)
 あとがき 田沼肇 212
 1972
0718  『被爆婦人の集い 第4集』(大阪市原爆被害者の会婦人部)
 援護法をめぐって 田沼肇 37
1975 
 1201  『友情の人文字MINE 被爆二世の死を越えて』(大阪市原爆被害者の会婦人部)
 被爆二世のこと 田沼肇 40
 1977
 0125  『平和教育運動 No.4』(日本平和教育研究協議会、広島平和教育研究所出版部)
 核をめぐる国際情勢と平和教育 166 田沼肇
1978
 0915  『被爆の実相と被爆者の実情 1977NGO被爆問題シンポジウム報告書』(日本準備委員会編、朝日イブニングニュース社)
 被爆者調査 はじめに 田沼肇 217
 1985
 0530  『核兵器廃絶 資料集』(労働者教育協会編、学習の友社)
 5 内外人民の反核・平和運動 運動の歴史と核兵器廃絶への展望 田沼肇 123
 1028  『原爆犯罪 被爆者はなぜ放置されたか』(椎名麻紗枝著、大月書店)
 椎名麻紗枝さんのこと 田沼肇 227
 1987
 1021  『非核自治体 抗議・学習・連帯』(森田俊男著編、平和文化)
 序章 非核自治体運動の意義を生かすために 田沼肇 23
1995
0530 『私のなかの平和と人権』(草の根出版会)
2000
0809 没。享年74歳。
2008
0704 『田沼肇全活動 付・田沼肇著作集DVD』(田沼肇全活動・著作集編集委員会編・刊、日本評論社(発売))(投稿

資料年表:韓国人原爆犠牲者慰霊碑

資料年表:韓国人原爆犠牲者慰霊碑<作業中

年月日 事項  備考
1970
0410 韓国人原爆犠牲者慰霊碑(堺町・本川橋西詰)除幕式。金在権駐日韓国公使、崔成源在日大韓民国居留民団広島地方本部団長、山田節男広島市長ら100人が参列。 C
1971
0326 李方子女史(元韓国李王朝最後の皇太子妃)、韓国人原爆犠牲者慰霊碑と原爆慰霊碑を参拝。 C
1999
0205 韓国人原爆犠牲者慰霊碑を広島平和記念公園の対岸から公園内移設を進める「移設委員会」が発足。 C
0521 韓国人原爆犠牲者慰霊碑の広島平和記念公園公園内移設工事がスタート。 C
0721 韓国人原爆犠牲者慰霊碑の広島平和記念公園公園内移設完工式。権養伯移設委員会委員長・秋葉忠利広島市長ら関係者約300人が参加。 C
0806 小渕恵三首相、韓国人原爆犠牲者慰霊碑に参拝。「潮流」(岩崎誠「潮流」『中国新聞』20171109) C
1017 広島平和記念公園公園内の韓国人原爆犠牲者慰霊碑の台座部分にペンキがかけられているのが見つかる。 C
2001
0401 崔相龍韓国駐日大使、広島平和記念公園公園内の韓国人原爆犠牲者慰霊碑を訪れ記念植樹。
2005
0805 広島平和記念公園公園内の韓国人原爆犠牲者慰霊碑前で慰霊祭。 C
 2015
 0805  日韓両国の大学生23人と駐広島韓国総領事館、韓国人原爆犠牲者慰霊碑のそばに植樹。
2019
1205 「ヒロシマの空白 被爆75年 埋もれた名前〈6〉朝鮮半島出身者」『中国新聞』 C
2023  
 0521  尹韓国大統領夫妻、岸田首相夫妻と広島平和記念公園の韓国人原爆犠牲者慰霊碑を訪れ追悼。

年表:韓国・朝鮮人原爆犠牲者慰霊碑

年表:韓国・朝鮮人原爆犠牲者慰霊碑<作業中

年月日
1970
0410 韓国人原爆犠牲者慰霊碑(堺町・本川橋西詰)
1977
0108 「韓国人原爆犠牲者慰霊碑」の折りヅル焼かれる。
0603 被爆死した元皇族李鑛公のおば李方子、韓国人原爆犠牲者の33回忌供養のため来広、慰霊碑参拝。
0607 韓国人原爆犠牲者慰霊碑の供花などにいたずら発見。
0805 韓国人被爆者の慰霊祭、市内堺町韓国人原爆犠牲者慰霊碑前で。
1978
0305 駐日韓国大使、来広。韓国人原爆慰霊碑参拝。在韓被爆者の援護訴え。
0805 「第9回韓国人原爆犠牲者慰霊祭」、本川河畔の碑前で。
1979
0805 広島市の韓国人原爆犠牲者慰霊碑前で、慰霊祭。
09 長崎市で、「長崎原爆朝鮮人犠牲者追悼碑」の除幕式。
1980
0728? 広島県朝被協(広島県朝鮮人被爆者協議会)、平和記念公園内に朝鮮人原爆死没者慰霊碑を建立する運動を始める。
0805 広島市の韓国人原爆犠牲者慰霊碑前で、在日大韓民国居留民団広島地方本部主催の慰霊祭。
0809 長崎県朝鮮人被爆者協議会、追悼碑前で原爆犠牲者の慰霊祭。
1981
0516? 長崎在日朝鮮人の人権を守る会、「長崎原爆朝鮮人犠牲者追悼碑」の台座設置で募金を呼びかけ。
0809 長崎市の「朝鮮人被爆者追悼の碑」前で、追悼集会。
1982
0417 長崎外国人戦争犠牲者追悼碑建立委員会、外国戦争犠牲者追悼文集「核廃絶人類不戦」を出版。被爆した中国人・朝鮮人などの証言を掲載。
0805 広島市の韓国人原爆犠牲者慰霊碑前で韓国人被爆者慰霊祭。
0917 在日朝鮮人による歌劇団、来広し、原爆慰霊碑に参拝。
1983
0425 韓国の僧りょ、原爆犠牲者遺族ら、来広し韓国人原爆犠牲者慰霊碑の前で、供養祭。
0520 韓国女子バレーボールチームのメンバーら、来広し、韓国人原爆犠牲者慰霊碑に参拝。
0805 韓国人原爆犠牲者慰霊碑前で慰霊祭(約100人)
0809 長崎市の朝鮮人原爆犠牲者慰霊碑前で、慰霊祭。長崎在日朝鮮人の人権を守る会主催。
1212 広島県朝鮮人被爆者協議会、平和記念公園内への慰霊碑建立許可の要請書を広島市に提出。
1984
0206 「韓国人原爆犠牲者慰霊碑」建立委員会、広島市に同碑平和公園内移転を申し入れ。
0805 広島市の韓国人犠牲者慰霊碑前で慰霊祭(約200人参列)。
0809 長崎市の朝鮮人犠牲者追悼碑前で、「朝鮮人被爆者追悼式」(今年6回目、約50人参加)。
1985
0402 韓国の歌手趙容弼、来広韓国人原爆犠性者慰霊碑に参拝。
0518 創価学会の広島県女性平和文化委員会編「もうひとつの被爆碑-在日韓国人被爆体験の記録」(A6、193ページ)刊行。
0805 広島市の韓国人原爆犠牲者慰霊碑前で、慰霊祭(約 150人参加)。
0809 長崎市の朝鮮人被爆者追悼碑前で、慰霊式(約 100人参列、長崎在日朝鮮人の人権を守会主催)。
1205 広島市の浜本武一、被爆死した韓国・朝鮮人被爆者慰霊の鎮魂曲を作り、同市内の韓国人原爆犠牲者慰霊碑前で披露。
1986
0712? 広島市中区の韓国人原爆犠牲者慰霊碑の周囲の玉砂利、減少。関係者、修学旅行生らが、記念に持ち帰るのではと困惑。
0805 韓国人原爆犠牲者慰霊碑の由来の石碑(堺町・本川橋西詰)
0805 広島市の韓国人原爆犠牲者慰霊碑前で慰霊式( 約 200人参列) 。同碑の由来を刻んだ石碑を除幕。
0806 広島県山県郡の住職、韓国人原爆犠牲者の墓碑を再建し、法要。
0825 広島県山県郡芸北町の寺院に、「韓国人原爆犠牲者」の碑、建立され、追悼法要 (約20人参列) 。
0825 韓国人原爆犠牲者の碑(山県郡芸北町)
0918 京都市の宋斗会、広島市に、「韓国人原爆犠牲者慰霊碑 」の平和記念公園内への移 を求める署名簿を提出。
1114 大阪府の在日韓国人の小学生、修学旅行で来広し、韓国人原爆犠牲慰霊碑前で民族舞踊などを披露。
1987
0115 広島折鶴の会、韓国人原爆犠牲者の慰霊碑を平和記念公園内に移設するよう求める署名運動を開始。
0313? 「長崎在日朝鮮人の人権を守る会」、長崎市の朝鮮人徴用工宿舎跡近くに、碑銘板を設置することを計画。
0515 韓国の李奎浩、駐日大使ら(5人)、来広し、韓国人原爆慰霊碑などに参拝。
0529 広島市の韓国人原爆犠牲者慰霊碑の折づるにろうそくの火が燃えうつり、修学旅行で訪れていた大阪府の八尾市立高見中学校生徒ら、消火。
0620? 韓国人原爆犠牲者慰霊碑を平和記念公園内に移転させるよう求める運動が活発化。
0629 広島県内の韓国・朝鮮人青年ら、広島平和記念公園の原爆慰霊碑前で、韓国の民主化闘争支援の座り込み(約120人参加)。
0708? 「長崎在日朝鮮人の人権を守る会」、戦時中強制連行された朝鮮人徴用工の宿舎跡への碑銘板設置計画で、用地の提供を市に再要請。
0709 長崎市長、「長崎在日朝鮮人の人権を守る会」の碑銘板設置のための用地提供要請に対して、提供できないと回答。
0805 広島市の韓国人原爆犠牲者慰霊碑前で慰霊祭(約200人参列)。
0809 「第3回日・台・韓YMCAユース・キャンプ」(広島YMCA国際平和教育センタ ー主催)の一行、原爆資料館など見学し、韓国人原爆犠牲者慰霊碑に参拝。
1988
0114 韓国の駐下関総領事、来広し、広島市長に、韓国人原爆犠牲者慰霊碑を平和公園内に移すよう要請。
0401? 広島市の「韓国人原爆犠牲者慰霊碑」の周囲の石に、落書きが多いことが判明。
0729 在日韓国居留民団広島県地方本部、「韓国人原爆犠牲者慰霊碑」を平和記念公園内に移設するよう広島市に要請。市、「国際親善を重視したい」と規制方針緩和を検討すると回答。
0805 広島市の韓国人原爆犠牲者慰霊碑前で19回目の慰霊祭(約200人参列)。碑の公園内移設を求めたアピ-ルを作成。
0806 「ストップ・ザ・戦争への道!ひろしま講座」など市民団体、「朝鮮人被爆者慰霊碑の平和公園内建立」などを訴えたチラシ「市民による平和宣言」を平和式典参加者らに配布。
0809 長崎市の朝鮮人犠牲者追悼碑前で、追悼早朝集会(約80人参列)。「長崎在日朝鮮人の人権を守る会」、日本語・英語・朝鮮語で書いた同碑の説明板を設置し、披露。
0913 「中国地区カトリック高校生会」、広島市に、韓国人原爆犠牲者慰霊碑を平和記念公園内に移すよう要望。
1209 韓国の詩人高銀、来広し、韓国人原爆犠牲者慰霊碑に参拝。原爆資料館など見学。
1216 韓国平和研究所の趙誠学所長、来広し、平和運動の進め方などについて広島県原水禁事務局長らと対談。17日、韓国人原爆犠牲者慰霊碑に参拝。
1989
0227 広島県安芸郡の熊野中学校生徒ら、広島市に、韓国人原爆犠牲者慰霊碑を平和記念公園内に移設するよう申し入れ。広島・大阪の中学生の4000人分の署名簿を添付。
0412? 広島市のピカ資料研究所など、韓国人原爆犠牲者慰霊碑に関する資料集を作成中。8月に発行の予定。
0726 全国在日朝鮮人教育研究協議会・広島の有志ら、広島市の韓国人原爆犠牲者慰霊碑の建立経緯などをまとめた「資料・韓国人原爆犠牲者慰霊碑」(A5、139ページ)を出版。
0728 「朝日文化サロン」(7月15日、福山市で開催)の参加者ら、韓国人被爆者慰霊碑の平和公園内移転を広島市に要請。
0805 広島市の韓国人原爆犠牲者慰霊碑前で、慰霊祭(約150人参列)。今年20回目。過去帳(2101人分)奉納。
0809 長崎市の長崎原爆朝鮮人犠牲者追悼碑前で追悼式(約100人参列)。長崎在日朝鮮人の人権を守る会主催で、今年11回目。
0907 8月に訪韓した広島県観光連盟会長、広島市長に帰国報告。韓国人原爆犠牲者慰霊碑が平和公園外に建立されていることへの反発が韓国内で強かったことを報告。
1990
0405 広島県安芸郡の熊野中学校生徒、韓国人原爆犠牲者慰霊碑を平和記念公園内に移設するよう広島市に申し入れ。
0416 韓国原爆被害者協会の訪日団、「韓国人原爆犠牲者慰霊碑」に参拝後、同碑の平和記念公園内移設などを広島市に申し入れ。
0418 中山外相、「韓国人原爆犠牲者慰霊碑」の平和記念公園内移設に努力する意向を表明。
0419 広島県総務部長、県議会総務委で、「韓国人原爆犠牲者慰霊碑」の平和記念公園内への円満な移設を望むと答弁。
0420 広島県朝被協の李実根会長、韓国人原爆犠牲者慰霊碑の移設問題で、新慰霊碑の建立を訴え。
0427 社会党広島市議団、韓国人原爆犠牲者慰霊碑の平和記念公園内への移設を広島市に要請。広島市長、積極的に働きかける考えのないことを表明。
0427 韓国の駐下関総領事、韓国人原爆犠牲者慰霊碑の平和記念公園内への移設を広島市に要請。
0514 朝鮮総連広島県本部、韓国人原爆犠牲者慰霊碑の平和記念公園内移設は市の判断にゆだねるとの見解表明。
0518 広島市、民間からの要望に対して、韓国人原爆犠牲者慰霊碑を8月6日までに平和記念公園内に移設する考えを表明。
0523 広島市の韓国人原爆犠牲者慰霊碑の折りづる約100羽、焼失。広島中央署、放火とみて捜査。広島市長、「誠に残念」とコメント。
0526 韓国大統領、特使を派遣し、韓国人原爆犠牲者慰霊碑と平和記念公園の原爆慰霊碑に献花。
0528 大阪府三島郡島本町立第一中学校生徒、修学旅行で長崎市を訪れ、平和学習。朝鮮人犠牲者追悼碑前で、平和集会を開催。
0613 在日本朝鮮人総連合会の民族舞踊団、来広し、原爆慰霊碑に参拝。
0614 「韓国人原爆犠牲者慰霊碑」の平和記念公園内移設について、市民有志ら、広島市役所で会合(原田東岷・今堀誠二・横路謙次郎ら8人)。
0618 「韓国・朝鮮人原爆犠牲者慰霊碑」(仮称)について話し合う市民有志による建立準備委員会、広島市役所で第2回会合。現在の「韓国人原爆犠牲者慰霊碑」を改修し移設することで一致。
0623 「韓国・朝鮮人原爆犠牲者慰霊碑」(仮称)建設準備委員会、広島市役所で第3回会合。碑文について検討。
0626 在日大韓民国居留民団、「韓国人原爆犠牲者慰霊碑」の平和記念公園内への移設で、碑文の全面削除に同意。
0626 「今、平和公園のあり方を問うシンポジウム」実行委、広島市長に同シンポ(7月15日)への出席を要請(7月12日にも再要請)。韓国人原爆犠牲者慰霊碑問題・原爆資料館展示などを討議の予定。
0627 「韓国・朝鮮人原爆犠牲者慰霊碑(仮称)建立準備委員会」のメンバー豊永恵三郎が、同委員会に辞表を提出していたことが判明。日本人が表に出すぎて納得できないとの理由。
0627 外国人指紋押捺をなくす会のメンバーら、「韓国・朝鮮人原爆犠牲者慰霊碑(仮称)建立準備委員会」に質問書を送付。碑の移設を拒否してきた広島市の責任などについて質問。
0629 「韓国被爆者を迎える広島の会」など、広島市の韓国人原爆犠牲者慰霊碑を、現状のまま平和公園に移設するよう市に申し入れ。
0709 広島市、「韓国人原爆犠牲者慰霊碑」の8月6日までの移設は困難との見解を表明。
0710 「韓国人原爆犠牲者慰霊碑」建立当時の張秦熈建立委員長、碑は「現在のままの姿で公園内に移設して欲しい」と広島市に要望。
0711? 広島市のキリスト教関係者ら、「韓国人原爆犠牲者慰霊碑」の碑文の書き換えをやめるよう広島市に要望。
0715 「いま平和公園のあり方を問うシンポジウム」(同実行委主催)、広島市で開催(約250人参加)。韓国人原爆犠牲者慰霊碑の移設などについて討議。
0717? 在日本大韓民国居留民団、「朝鮮人原爆犠牲者慰霊碑」の新碑文案について協議。
0718 全国キリスト教連絡協議会、広島市長らに、碑文の削除を条件にした韓国人原爆犠牲者慰霊碑の移設を中止し、当事者の意見を尊重するよう申し入れ。
0720 広島市、平和記念公園の韓国人原爆犠牲者慰霊碑の移設予定地の工事用くいを撤去。8月6日までの工事開始を断念したため。
0720? 広島市、韓国人原爆犠牲者慰霊碑の平和記念公園内の移設先を、原爆供養塔南側に決定。
0723 広島市、韓国人原爆犠牲者慰霊碑の平和記念公園内移設について、8月6日までに努力するとの意向を表明。
0724 「いま、平和公園のあり方を問う」シンポジウム実行委員会、韓国・朝鮮人原爆犠牲者慰霊碑(仮称)建立準備委員会に、碑文の削除反対を申し入れ。
0726 大阪市の中島中学校生徒会役員ら、来広し、韓国人原爆犠牲者慰霊碑の現状のままの移設を広島市に要望。
0726 在日本韓国居留民団広島県地方本部、韓国人原爆犠牲者慰霊碑の移設問題について臨時地方委員会を開催。碑文修正についても再検討することを決定。
0728 「韓国原爆被害者協会」の辛泳洙会長、広島市で記者会見。韓国人原爆犠牲者慰霊碑の碑文を削ってはいけないとの見解を表明。
0730 韓国・朝鮮人原爆犠牲者慰霊碑(仮称)建立準備委員会、在日本大韓民国居留民団側の統一碑への意思一致を待つとの見解を表明。
0730 「平和公園のあり方を問う八十六人委員会」、広島市で結成され、初会合(30人参加)。韓国人原爆犠牲者慰霊碑移設問題について協議。
0730 在日本大韓民国居留民団広島県本部、韓国人原爆犠牲者慰霊碑を、現状のまま仮移設するよう広島市に申し入れ。
0804 広島市、韓国人原爆犠牲者慰霊碑の平和記念公園内移設問題で、8月6日までの移設を断念したことを正式表明。
0805 韓国人原爆犠牲者慰霊祭、広島市の同慰霊碑前で挙行(約200人参列)。在日本大韓民国居留民団広島県本部代表、碑の移設に努力するとの決意表明。
0809 韓国の「釜山日報」記者、韓国人原爆犠牲者慰霊碑の移設問題取材のため、来広。
0809 在日本大韓民国居留民団と在日本朝鮮人総連合会代表、「韓国人原爆犠牲者慰霊碑」の移設問題について、広島市で会談(両団体代表による会談は初めて)。
0813 韓国の駐下関総領事が、韓国人原爆犠牲者慰霊碑移設問題で、碑文を削除しないよう広島市に要請していたことが判明。
0815 「不戦の集い」(長崎の証言の会・長崎原爆被災協など主催)、長崎市の爆心地公園の「核廃絶人類不戦の碑」前で開催(約50人参加)。長崎県朝鮮人被爆者協議会会長も参加。
0820 韓国の演舞集団「サムルノリ」、来広し、平和記念公園の原爆慰霊碑前と韓国人原爆犠牲者慰霊碑前で、慰霊演奏。
0915 市民団体「いま平和公園のあり方を問う86人委員会」、広島市で、「長崎原爆朝鮮人犠牲者追悼碑の建立経過に学ぶ」集いを開催(約40人参加)。長崎市の岡正治の講演など。
1010 「在韓被爆者広島訪日団」(女性被爆者10人)、来広し、韓国人原爆犠牲者慰霊碑に参拝(17日まで滞在)。戦後帰国して以来の初来日で、被爆者健康手帳を申請(16日、手帳取得)。
1017 「平和公園のあり方を問う86人委員会」、広島市に、韓国人原爆犠牲者慰霊碑の平和公園への早期移設などを申し入れ。
1101 第二次大戦に兵士・軍属として駆り出された韓国人らによる対日賠償訴訟原告団、来広し、韓国人原爆慰霊碑などに参拝。同碑が平和記念公園の外に置かれていることに、遺憾の意を表明。
1115 韓国の金宇相駐下関総領事、退任を前に来広し、韓国人原爆犠牲者慰霊碑の平和記念公園内への早期移設を改めて要望。
1217 駐下関韓国総領事、来広し、韓国人原爆犠牲者慰霊碑の移設問題について、在日同胞社会が意見をまとめ円満な解決を目指したいとの見解を表明。
1219 広島市、「韓国人原爆犠牲者慰霊碑」移設問題について、来週の広島-ソウル便就航までに実現するよう努力するとの見解表明。
1991
0122? 平和公園のあり方を問う広島86人委員会、広島市長選候補者に、「韓国人原爆犠牲者慰霊碑」の平和記念公園移設について公開質問状を送付。
0304 広島市長、市議会で、韓国人原爆犠牲者慰霊碑移転問題について、民団と総連の合意調整に努力していくと発言。碑はまず移転し、それから話し合えばよいとの前言を撤回。
0323 「韓国原爆被害者協会」の被爆者ら12人、来広し、韓国人原爆犠牲者慰霊碑に参拝。1990年に韓国を訪問した浄土真宗本願寺派安芸教区の僧りょとの交流がきっかけで来広。
0417 在日本韓国居留民団広島県地方本部、韓国人原爆犠牲者慰霊碑の新しい碑文案を発表。それによると、碑正面を「韓国朝鮮人原爆犠牲者慰霊碑」とすることを提案。
0427 韓国の釜山日報社長ら、来広し、広島市長を表敬訪問。同社長、韓国人原爆犠牲者慰霊碑の平和記念公園への早期移設を要請。
0509 在日本大韓民国居留民団広島県地方本部の新役員ら、就任あいさつに広島市役所を訪れ、韓国人原爆犠牲者慰霊碑の平和記念公園への早期移設実現を要望。
0514 朝鮮総連広島県本部の幹部ら、韓国人原爆犠牲者慰霊碑移設問題について、広島市長に、民団広島県地方本部が示した新碑文案(「韓国朝鮮人原爆犠牲者慰霊碑」)は認められないとの見解を表明。「南北分断を示す碑文は受け入れられない」との理由。
0514 平和公園のあり方を問う86人委員会、広島市に、韓国人原爆犠牲者慰霊碑を平和記念公園内に移設するよう求める7400余人分の署名を提出。26日の同委員会主催のシンポジウムへの広島市長の出席を要請。市側、拒否回答。
0519 ファミリーサイクリング広島県大会、広島市で実施(150人参加)。韓国人原爆犠牲者慰霊碑などを見学。
0526 平和公園のあり方を問う86人委員会、広島市で、韓国人原爆犠牲者慰霊碑問題などをテーマにしたシンポジウムを開催(約80人参加)。1990年7月に次いで2回目。韓国人原爆犠牲者慰霊碑をテーマにした劇などを上演。
0615 韓国の社会科教師ら19人、日韓交流文化基金の招きで来広し、原爆資料館などを見学。韓国人原爆犠牲者慰霊碑に参拝。
0622 「『韓国人原爆犠牲者慰霊碑』について学ぼう」、広島市のYMCAで開催。講師は広島電機大付属高の豊永恵三郎教諭。
0703 平岡広島市長、韓国人慰霊碑の移設問題で、「南北統一碑が移設の前提」と発言。2月の選挙期間中の「現在の碑をまず移設」との見解を変更。
0711 「広島の民族差別と闘う会」、南北統一を韓国人原爆慰霊碑移設の前提条件とする3日の広島市長発言に抗議し、慰霊碑の無条件移設を申し入れる。
0712 広島市長、韓国人原爆犠牲者慰霊碑の移設問題について、「即刻移転」から「統一碑での移転」に見解が変わった理由を説明。当事者らが統一碑で合意したいとなったからと説明。
0712 在日本大韓民国居留民団広島県地方本部、韓国人原爆犠牲者慰霊碑の現状移設の方針を決め、広島市に伝達。
0716 韓国大学生日本研究会の日本訪問団(42人)、来広し、平和記念公園などを訪問。広島県知事に韓国人被爆者慰霊碑問題の善処を訴え。
0717 広島市の市民団体「平和公園のありかたを問う86人委員会」の相原一博代表ら、韓国人原爆犠牲者慰霊碑の移設問題についての公開質問状を広島市に提出。「南北統一碑でないと平和公園に入れないのか」などを質問。
0724 韓国・仁川市の高校生と安芸郡内の高校生(36人)、広島市平和公園の原爆慰霊碑に参拝し、原爆資料館を見学。仁川市の高校生は、安芸ニューライオンズクラブの招きで来日。
0725 在日本朝鮮人総連合会広島県本部、広島市長に原爆犠牲者の南北朝鮮統一碑案を提示、統一碑で移設するよう申し入れ。
0804 朝日新聞社、「原爆の日」を前に、平和問題についての広島市長へのインタビュー記事を掲載。平和宣言・韓国人慰霊碑問題などについて見解を表明。
0805 第22回韓国人原爆犠牲者慰霊祭、広島市平和公園側の慰霊碑前で挙行(約300人参列)。民団広島県地方本部団長、碑の平和公園内への移設を要望。
0805 「91年反戦反核広島集会」、広島市の県民文化センタ-で開催。「韓国人原爆犠牲者慰霊碑の平和公園内移設を求める決議」を採択。
0809 長崎在日朝鮮人の人権を守る会、長崎市爆心地公園の原爆被爆朝鮮人犠牲者碑の前で総長追悼集会を開催(約100人参列)。南北朝鮮代表が初めて同時参加。今年で13回目。
1204 平和公園の在り方を問う86人委員会、韓国人原爆慰霊碑の移設推進を求める1万4600人分の署名を広島市に提出、同問題について平岡市長に対する公開質問状を公表。
1210 太平洋戦争犠牲者遺族会の原告団一行22人、広島市の韓国人原爆犠牲者慰霊碑に参拝。
1216 在日本大韓民国居留民団広島県地方本部の役員4人、広島市に7月在日本朝鮮人総連合会が提示した原爆犠牲者慰霊の統一碑の碑文を拒否する意向を伝える。
1992
0112 広島折鶴の会の子どもたち5人、河村病院で韓国人被爆者と一緒に書初め。ハングル文字で「韓国人原爆犠牲者慰霊碑を平和公園に」。
0123 韓国大学生日本文化研究会の学生14人、広島市を訪問。韓国人慰霊碑などを参拝。
0309 韓国の被爆者18人、浄土真宗本願寺派安芸教区の招きで広島入り。韓国人原爆犠牲者慰霊碑に参拝。
0527 広島県原水禁・平和公園のありかたを問う86人委員会など12団体、韓国人原爆犠牲者慰霊碑の公園内移設問題で、現状のまま公園内に移設するよう平岡市長に申し入れ。
0711 在日本大韓民国居留民団広島県地方本部と在日本朝鮮人連合会広島県本部、平岡広島市長との個別会談を通じて、10月を目途に広島市の平和公園内に統一碑を建立することで合意。
0805 第23回韓国人原爆犠牲者慰霊祭、広島市内の韓国人原爆犠牲者慰霊碑前で開催。約150人が参列。
0809 長崎在日朝鮮人の人権を守る会、長崎市爆心地公園の長崎原爆朝鮮人追悼碑前で早朝追悼集会を開催。約100人が参列。
0827 「浮島丸事件」原告団一行17人、広島市の韓国人原爆慰霊碑に参拝。
0902 「アジア・太平洋の戦争犠牲者に対して反省し、心に刻む碑(仮称)」の建立委員会結成準備会、広島市内で開催。「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」のメンバーら約15人が参加。
0923 壱岐芦辺町など、昭和20年10月11日の阿久根台風のため帰国途中遭難した朝鮮半島出身者の「大韓国人慰霊碑」の碑文除幕式を挙行。約20人が参列。
1008? 広島市の韓国人原爆犠牲者慰霊碑の公園内移設問題で公園内に「南北統一碑」を建立する計画、目標とした10月中旬までの実現は困難なことが明らかになる。
1027 第10回アジアカップサッカー選手権大会に出場のため広島入りしている北朝鮮の選手団一行約30人、原爆慰霊碑に参拝。
1123 韓国の壬乱護国英霊還国奉行委員会、広島市を訪問。韓国人原爆犠牲者慰霊碑などを参拝。
1993
0104 核戦争防止国際医師会議(IPPNW)韓国支部に加盟している韓国の医学生17人、広島入り。韓国人原爆犠牲者慰霊碑に参拝。
0201 在韓被爆者金順吉、広島市の韓国人原爆犠牲者慰霊碑に参拝。
0203 「ヒロシマ・ナガサキの修学旅行を手伝う会」代表江口保、福岡県の修学旅行生に広島の韓国人原爆犠牲者慰霊碑に咲くムクゲの種を贈る。前年10月から実施。
0301 「平和公園のありかたを問う86人委員会」、韓国人原爆犠牲者慰霊碑の平和公園内移設問題で、現状のまま公園内に移設するよう平岡広島市長に文書で申し入れ。
0318? 在日本大韓民国居留民団広島県地方本部、平和公園外の原爆慰霊碑の公園内移設に関連し、碑前面の碑文の変更以外は認めず、朝鮮総連がこれを認めない場合は、今年8月までに現状での移設を求める方針を決める。
0322 韓国の被爆者21人、浄土真宗本願寺派安芸教区の招きで来日し、広島市の韓国人原爆犠牲者慰霊碑に参拝。30日、帰国。
0423 在日本大韓民国居留民団広島県地方本部、定期地方委員会を広島韓国会館で開催。韓国人慰霊碑の碑文問題で合意が出来ない場合は、碑の現状移設を広島市に求めて行くことを改めて確認。
0809 韓国の大学生ら37人、「韓国在日同胞会」(祖国に留学中の在日韓国人学生らで組織)の呼掛けによる「呉-広島-下関」の旅の途中で広島市の韓国人原爆犠牲者慰霊碑参拝。
1112 第3回「在日韓国・朝鮮人の未来と人権」、広島市内で開催。-13日。韓国人原爆慰霊碑の平和公園内への即時移設などがアピールされる。
1994
0712 韓国慶尚北道の被爆者26人、浄土真宗本願寺派安芸教区の招待で広島入りし、韓国人原爆犠牲者慰霊碑に参拝。
0809 長崎在日朝鮮人の人権を守る会、長崎市爆心地公園の「長崎原爆朝鮮人犠牲者追悼碑」前で追悼早朝集会を開催。約120人が参加。
0819 第15回全国在日朝鮮人教育研究集会、広島市内で開催。韓国人原爆犠牲者慰霊碑などを見学し、韓国人被爆者の証言を聞く。-21日。広島での開催は1987年に次いで2回目。
0901 長崎市の平和公園にある長崎原爆朝鮮人犠牲者追悼碑前の青銅香炉が盗まれていることが判明。
0905 在日本大韓民国民団広島県地方本部、広島アジア大会開会式当日の朝に韓国人原爆犠牲者慰霊碑の前で同大会に参加する韓国選手団の関係者を招いて追悼式を開催することを計画。
0920 広島アジア大会に出場のため広島入りした韓国のヨットチームの3人、韓国人原爆犠牲者慰霊碑を参拝。
1002 在日本大韓民国民団中央本部など、広島市の韓国人原爆犠牲者慰霊碑前で慰霊祭を挙行。約700人が参列。
1995
0322 韓国・大邱市の原爆被害者協会慶北支部の会員20人、浄土真宗本願寺派安芸教区の協力で広島入り。韓国人原爆犠牲者慰霊碑に参拝。9人が市役所に原爆手帳を申請。24日、市内の親類や戦前暮らした場所などを訪問。
0417 韓国大邱広域市の実務協議団一行、広島市と姉妹都市提携の協議のため広島市入り。平和公園の原爆慰霊碑と韓国人原爆犠牲者慰霊碑に参拝。18日、両市が初協議。当面の交流計画などで合意。
0513? 「広島高校生平和学習ゼミナール実行委員会」など、「高暮ダム朝鮮人犠牲者追悼碑建設委員会」に60万円を寄付。
0515 「日韓地方新聞編集局長フォーラム」に参加する韓国側5紙の代表、広島市を訪問。韓国人原爆犠牲者慰霊碑と平和公園の慰霊碑に献花。
0721 「高暮ダム朝鮮人犠牲者追悼碑」の除幕式、広島県比婆郡高野町で挙行。約200人が参列。費用は約300万円。
0805 第26回韓国人原爆犠牲者慰霊祭、広島市の韓国人原爆犠牲者慰霊碑前で挙行。約250人が参列。
0805? 広島の韓国・朝鮮人原爆慰霊碑のについて広島市の調整で公園内への「並立」案が浮上。
1996
0220 韓国・大邱市、5月に予定されている姉妹都市縁組みを前に、韓国人原爆犠牲者慰霊碑を平和公園内に移設するよう求めていることが判明。
0222 韓国・大邱市が、広島市内の韓国人原爆慰霊碑の移設問題で広島市の事情説明のための職員派遣を断っていたことが判明。
0805 在日本大韓民国民団広島県地方本部、第27回韓国人原爆犠牲者慰霊祭を広島市の慰霊碑前で挙行。約200人が参列。
1997
0501 韓国・大邱市長ら、広島市を訪れ韓国人原爆犠牲者慰霊碑を参拝。
0512 韓国原爆被害者協会慶北支部(本部:大邱市)のメンバー23人、広島市を訪れ、被爆者健康手帳の交付申請や韓国人原爆犠牲者慰霊碑への参拝を行う。浄土真宗本願寺派安芸教区の受け入れ。
0723 広島市の古田公民館と交流している韓国・ソウルのユソク初等学校の訪問団、韓国人原爆慰霊碑に参拝。
0805 在日本大韓民国民団広島県地方本部、韓国人原爆犠牲者慰霊祭(28回目)を慰霊碑前で挙行。約200人が参列。
0806 橋本首相、「被爆者代表から要望を聞く会」に出席。広島県内の被爆者7団体のうち4団体代表から意見を聞く。今回初めて10分間の質疑応答。この中で首相、韓国人の原爆慰霊碑に「近いうちに参拝する」と述べる。
0809 長崎在日朝鮮人の人権を守る会、追悼集会を長崎市松山町の長崎原爆朝鮮人犠牲者追悼碑前で挙行。約150人が参列。
0920 「ヒロシマ・平和のリボンの会」、米の2回目の核実験に抗議行動を広島市平和公園の原爆慰霊碑前で実施。韓国ソウル在住の子供記者2人も参加。
1998
0501 曹圭泰駐広島大韓民国総領事、広島市役所を訪れ、平岡市長に就任挨拶。韓国人慰霊碑の移転について要請。
1224 平岡広島市長、平和公園対岸にある韓国人原爆犠牲者慰霊碑を来年の8月6日を目標に公園内に移設する方針を明らかにする。
1225 中国新聞社説「韓国人慰霊碑の移設を歓迎」
2023
0521 尹韓国大統領夫妻、岸田首相夫妻と広島平和記念公園の韓国人原爆犠牲者慰霊碑を訪れ、追悼。

 

1999年

年月日 事項
1999
0205 韓国人原爆犠牲者慰霊碑を広島平和記念公園の対岸から公園内移設を進める「移設委員会」が発足。 C
0521 韓国人原爆犠牲者慰霊碑の広島平和記念公園公園内移設工事がスタート。 C
0721 韓国人原爆犠牲者慰霊碑の広島平和記念公園公園内移設完工式。権養伯移設委員会委員長・秋葉忠利広島市長ら関係者約300人が参加。 C
1017 広島平和記念公園公園内の韓国人原爆犠牲者慰霊碑の台座部分にペンキがかけられているのが見つかる。 C
2001
0401 崔相龍韓国駐日大使、広島平和記念公園公園内の韓国人原爆犠牲者慰霊碑を訪れ記念植樹。
2005
0805 広島平和記念公園公園内の韓国人原爆犠牲者慰霊碑前で慰霊祭。 C

李鍝

李鍝

り・ぐう 19121115生19450807没 享年32歳 李氏朝鮮王族の子孫。広島原爆で被爆死。

資料年表:李鍝<作業中

年月日 事項 備考
1912
1115 誕生。
1926
04 学習院中等科を経て、陸軍士官学校予科入学。
1945
07 第二総軍司令部(広島)参謀部第一課教育参謀に任命さる。
李方子『過ぎた歳月』
0806 原爆被災。
0807 似島(広島沖)で逝去。32歳。
0808 遺体を吉島飛行場から朝鮮京城へ。
宮内省発表(8日正午)李鍝公殿下には一昨六日広島に於て作戦任務御遂行中空爆により御負傷、昨七日戦死せられたり
0810 宮内省告示第21号 大勲位李鍝公殿下本月七日薨去セラレタルニ付長子李清公系ヲ襲カセラル 宮内大臣 石渡庄太郎
0815 葬儀。
0825 『昭和天皇実録』(1945年8月25日の項)=朝鮮より帰朝の式部次長坊城俊良が御文庫に参殿につき、謁を賜う。坊城は、去る十五日の李鍝公(八月七日広島似ノ島陸軍療養所において薨去)の葬儀に参列するため京城へ出張し、その際に見聞した停戦後の混乱状態につき言上する。○侍従日誌、侍従武官日誌、王公族録、徳川義寛終戦日記、松平慶民手帖
1963
1106 ~7日。 朴賛珠(李鍝夫人)、陸軍士官45期生の招待でソウルから来広。広島平和記念公園、原爆死没者慰霊碑、相生橋、前田別荘など訪問。
1969
1016 広島県、広島韓国人原爆慰霊碑建立委員会が進める韓国人慰霊碑を平和公園対岸の本川橋西詰河岸緑地への建立を許可。
1970
0410 韓国人原爆犠牲者慰霊碑―李鍝公殿下他弐万余霊位、除幕
1973
01 李方子『すぎた歳月』
第8章
戦局は日々に暗く/広島に原爆投下/ああ、八月十五日/韓国は独立したけれど
1988
0915 中国放送、テレビ『民族と海峡・広島で原爆死した朝鮮王族李鍝 その生と死を追う』放映。
1989
0805 『資料・韓国人原爆犠牲者慰霊碑』(企画:ピカ資料研究所、編集:「全国在日朝鮮人教育研究協議会・広島」有志<加藤陽祐・多賀俊介・豊永恵一郎>、「ピカ資料研究所」田原幻吉・中川幹郎)、刊行「碑の会」(全朝教有志・ピカ研)
 1999
2015 
 0903  『ともに歩んできた50年 韓日国交正常化50周年記念 駐広島大韓民国総領事館 ニュースレター特別版』(駐広島大韓民国総領事館)
  韓国人原爆犠牲者慰霊碑と李鍝 35

 

り・ぐう 19121115生19450807没 享年32歳 韓国人犠牲者慰霊碑(1970年4月10日除幕)の碑文。『すぎた歳月』(李方子、1973年)。『資料・韓国人犠牲者慰霊碑』(ピカ資料研究所など編、碑の会刊、1989.8.5)、『昭和天皇実録』

京都大学原子爆弾災害綜合研究調査班遭難 「記念碑建立・慰霊の集い」のあゆみ

『京都大学原子爆弾災害綜合研究調査班遭難 「記念碑建立・慰霊の集い」のあゆみ』(芝蘭会広島支部・京都大学 1993/09/01)

bk19930901s

内容

遭難の状況、回想、報道
大野陸軍病院に於ける京大原爆災害綜合研究調査班の山津浪による遭難の状況
(私の日記から) 菊池武彦 1
再生 木村毅一 8
京大原爆災害綜合研究調査班の遭難 木村毅一 10
原水爆被害調査の体験と現在 清水榮 11
木村毅一先生の死去を悼む 清水榮 13
広島への想い-原子爆弾被害調査団の遭難- 中野進 14
広島県大野陸軍病院にて-枕崎台風災害に遭難した思い出- 品川武久 16
弟の思い出 原佳之 18
当時の報道記事 京都新聞 昭和20年9月22日、25日、27日 20
回顧報道記事
京都新聞 昭和28年8月8日 21
中国新聞 昭和60年1月25日、26日 23
京都民報 昭和62年9月13日 25
記念碑
碑文 27
記念碑設立当時の事情 菊池武彦 28
記念碑除幕式に列席して 木村廉 31
慰霊の集い
慰霊の言葉、挨拶、辞、偶感
・昭和60年 杉本茂憲、菅原努、阪田数年 33
・昭和61年 西島安則、杉本茂憲 36
・昭和62年 杉本茂憲 38
・昭和63年 杉本茂憲、内野治人、長谷川博一、杉本茂憲 39
・平成元年 杉本茂憲、西島安則、西島安則、井村裕夫、日高敏隆、杉本茂憲、西島安則 42
・平成2年  土井憲策、井村裕夫、日高敏隆、杉本茂憲 47
・平成3年  井村裕夫、丸山和博、土井憲策 49
・平成4年 佐々木和夫、佐藤文隆、小田順一、土井憲策 51
報道記事
中国新聞 平成元年9月16日 53
読売新聞 平成4年9月16日 53
関連記録
爆発後数日間に行える広島市の放射能学的調査に関する報告
原子爆弾災害調査報告集(第一分冊) 55
広島市における原子爆弾傷に関する研究(臨床編)
原子爆弾災害調査報告集(第二分冊) 59
EFFECTS OF ATOMIC RADIATION ON THE BRAIN IN MAN JOINT REPORT 62
広島の原爆症-京大調査班の運命- 64

阿川弘之

阿川弘之

あがわ・ひろゆき 19201224生20150803没 享年94歳 日本の小説家、評論家。広島県名誉県民。日本芸術院会員。日本李登輝友の会名誉会長。文化勲章受章。『広島県現代文学事典』(高木伸幸・記)<資料年表:阿川弘之>

資料年表:阿川弘之

年月日 事項 備考
1920
1224 広島市に誕生。
1946
0901 『世界  第9号』(岩波書店)
(創作) 年年歳歳 阿川弘之 124
1949
1101 『新潮 特大号 第46卷第11号』
あ號作戦前夜-春の城-200枚 阿川弘之…90
 1952
 08?  『原爆の子完成記念アルバム』(近代映画協会・劇団民芸)
 郷里の廣島から 阿川弘之
 1953
0801 『新潮 特大号 第50卷第8號第580号』
魔の遺産(連載第2回)阿川弘之…248
0901 『新潮 特大号 第50卷第9號第581号』
魔の遺産(連載第三回)阿川弘之…227
1001 『新潮 特大号 第50卷第10號第582号』
魔の遺産(連載第四回) 阿川弘之…242
1201 『新潮 特大号 第50卷第12號第584号』
魔の遺産(終回)阿川弘之…237
 1954
 0328  『魔の遺産』(阿川弘之著、新潮社)
0601 『世界  第102号』(岩波書店)
特集 世界に訴える-水爆実験に関する日本人の發言-
これはあんまり無茶だ 阿川弘之 50
1955
 0410  『人さまざま 続 朝日文化手帖 , 50』(朝日新聞社)
 0530  『春の城 新潮文庫』(阿川弘之著、新潮社)
 0805  『原子力と文学』(小田切秀雄編、大日本雄弁会講談社)
 八 月 六 日 阿川弘之 54
 1001  『知性 10月号 第2巻第10号』(河出書房)
 あなたは現代・歴史的かなづかいのどちらをお使いになりますか アンケート …70
阿川弘之ほか
 <以下未入力
 1999
 ****  文化勲章受章。広島県名誉県民。
2015
0803 没。享年94歳。

資料年表:大佐古一郎

資料年表:大佐古一郎

年月日
1912
1115 誕生
1953
0801 『文芸春秋 第31巻第11号』(文芸春秋新社)
ヒロシマ記者の靴のあと 大佐古一郎 220
1965
0806 『週刊広島 4号』(広報出版センター)
日本の広島人 升田幸三 九段 大佐古一郎 14
1971
1001 『随想尾道 第28号』(尾道随筆クラブ)
核兵器のロボット 大佐古一郎 56
1972
0701 『潮 第156号』(潮出版社)
焦熱のもとで”取材”したこと 大佐古一郎 …248
1975
0825 『広島昭和二十年 中公新書 404』(大佐古一郎 著、中央公論社)
1977
0801 『広島新史編修手帖 No.1』(広島市史編修委員会専門部会)
6.随筆三題
その1 ジュノー博士の資料 大佐古一郎 17
1978
1101 『平和文化 第14号』(広島平和文化センター)
ドクタージュノーと私 大佐古一郎
1225 『広島県医師会速報 第953号』(広島県医師会)
ドクター・ジュノーの世界⑥(大佐古一郎) 19
1979
0115 『広島県医師会速報 第955号』(広島県医師会)
ドクター・ジュノーの世界⑧(大佐古一郎) 19
0215 『広島県医師会速報 第958号』(広島県医師会)
ドクター・ジュノーの世界⑪(大佐古一郎) 28
0225 『広島県医師会速報 第959号』(広島県医師会)
ドクター・ジュノーの世界⑫(大佐古一郎)21
0305 『広島県医師会速報 第960号』(広島県医師会)
ドクター・ジュノーの世界⑬(大佐古一郎) 17
0415 『広島県医師会速報 第964号』(広島県医師会)
ドクター・ジュノーの世界17(大佐古一郎) 23
0515 『広島県医師会速報 第967号』(広島県医師会)
ドクター・ジュノーの世界20(大佐古一郎) 23
0525 『広島県医師会速報 第968号』(広島県医師会)
ドクター・ジュノーの世界・24(大佐古一郎) 23
0605 『広島県医師会速報 第969号』(広島県医師会)
ドクター・ジュノーの世界補遺(大佐古一郎) 22
0901 『世界 第406号』(岩波書店)
ジュノー博士と広島 大佐古一郎 269
1215 『ドクター・ジュノー 武器なき勇者』(大佐古一郎、新潮社)
1980
0105 『広島県医師会速報 第991号』(広島県医師会)
新春炉辺談話 大佐古一郎、松永勝、阪田数年 6
0305 『広島県医師会速報 第996号』(広島県医師会)
随想 ドクター・ジュノー(大佐古一郎) 26
0801 『廣島特報 昭和20年8月7日(火曜日)・昭和20年8月8日(水曜日)』(大佐古一郎・中村敏・松重美人)
1981
0901 『世界 第430号』(岩波書店)
ヒロシマ記者の証言 大佐古一郎 93
1982
0125 『広島県医師会速報 第1064号』
特別寄稿・GHQと日本政府は広島に何をしたか?(大佐古一郎) 24
1985
1125 『昭和の戦争ジャーナリストの証言 6 終戦』(講談社出版研究所編、講談社)
証言
IV 原爆に竹槍・国民義勇戦闘隊 大佐古一郎(中国)125
1988
0718 『消えたペン 新聞労働者の8月6日』(中国新聞労働組合編、汐文社)
炎熱のもとで取材したこと 大佐古一郎 9
1989
1115 『平和の勇者ドクタージュノー 探せ!ヒロシマの恩人の軌跡』(大佐古一郎、蒼生書房)
 1995
 ??  死亡。

中国地方総監府誌-原爆被災記録

『中国地方総監府誌-原爆被災記録』(中国地方総監府誌原爆被災誌記録刊行会、1972/08/06)

内容

見出し 著者
 瀬尾弘吉
刊行にあたって 武藤文雄
1 開庁の経過 3
2 機構の概要 11
3 被爆の惨状 17
4 終戦以後(廃庁)41
5 体験記と思出の栞 53
(1) 父大塚惟精の殉職 53 大塚駿
(2) あの日のこと  61 中埜由美子
(3) 総監府で被爆  67 福井数三
(4) 運命と奇蹟  70 池田秀雄
(5) 辛うじて助かる 74 岡部史郎
(6) 八月六日 78 原田貢
付・大塚総監の想出
(7) 被爆した父と総監府  91 原田敬二
(8) 原子雲を望見  96 山口乾治
(9) 炸裂下の服部副総監 98 高本達寿
(10) 総監府と私  101 三郎丸義春
(12) 鶴田副参事官の思出 104 丸川敏明
(13) 終生忘れ得ず 106 加賀正寿
(14) お日さまがわれた 107 山際節子
(15) 県庁・総監府の追憶  111 竹内喜三郎
(付)中国地方総監府職員原爆犠牲者追悼法要 127
6 中国地方総監府職員録 149
編集後記  160 原田貢・小堺吉光

 

資料年表:小寺初世子

資料年表:小寺初世子<作業中

年月日 事項 備考
1932
**** 兵庫県生まれ。
1972
0331 『広島女子大学文学部紀要 第7号』(広島女子大学)
「朝鮮人被爆者の法的地位」
1976
0220 『国際法の基本問題 小谷鶴次先生還暦記念論文集』(山本敬三 [ほか]著、有信堂)
第3章 国際法主体としての国家と個人 小寺初世子 <26>
1979
0101 『広島平和科学 2 1978/79年』(広島大学平和科学研究センター)
国際人権規約の批准とその法的効果
小寺初世子…1
0310 『広島女子大学文学部紀要 1979 第14号』
小寺初世子 在日外国人(在広朝鮮人・韓国人)被爆者の核意識 19
1101 『世界 第408号』(岩波書店)
韓国人・朝鮮人被爆者の核意識 小寺初世子 328
1980
0320 『広島女子大学文学部紀要 1980 第15号』
小寺初世子 外国人と社会保障-被爆者援護と外国人被爆者の問題を含めて 70
0415 『原爆問題 広島総合研究会会報 No. 3』(原爆問題広島総合研究会)
外国人の核意識―大学卒外国婦人に対する試験的調査のまとめ―広島女子大学大学部 小寺初世子、木本喜美子
0910 『平和研究 第5号 現代日本の平和保障』(日本平和学会)
〔書評〕小寺初世子
広島県朝鮮人被爆者協議会(朝被協)白いチョゴリの被爆者   182
1981
0101 『広島平和科学 4 1981年』(広島大学平和科学研究センター)
「第二次世界大戦におけるいわゆる“朝鮮人徴用工”への未払賃金供託事件に関する法的一考察 一般市民の蒙る戦争災害の救済」 小寺初世子……1
0320 『広島女子大学文学部紀要 1981 第16号』
小寺初世子 原爆災害の法的研究-非戦闘員犠牲者の法的地位を中心に 143
1982
0101 『広島平和科学 5 1982年』(広島大学平和科学研究センター)
国際刑法と罪刑法定主義  小寺初世子……83
0130 『原爆問題 広島総合研究会会報 No.10』(原爆問題広島総合研究会)
より効果的な核兵器の禁止を求めて―国際刑法典の制定をめぐる最近の国連活動への期待― 小寺初世子
0320 『広島女子大学文学部紀要 1982 第17号』
小寺初世子 原爆災害の法的研究(その2)-非戦闘員犠牲者の法的地位を中心に 39
1983
0320 『広島女子大学文学部紀要 1982 第18号』
小寺初世子 原爆災害の法的研究(その3)-非戦闘員犠牲者の法的地位を中心に 71
0501 『平和文化 第41号』(広島平和文化センター)
非戦闘員被爆者の法的救済をいかに定めるか国家補償の必要性を認める方向で 広島女子大学教授 小寺初世子
1994
0101 『広島平和科学 16 1994年』(広島大学平和科学研究センター)
条約の普及(dissemination)について(調査報告)―女子差別撤廃条約を例に― 小寺初世子……85
『広島平和科学 17 1994年』(広島大学平和科学研究センター)
人権を侵害された個人がもとめる国際的救済 小寺初世子……79
1995
0101 『広島平和科学 18 1995年』(広島大学平和科学研究センター)
第4回世界女性会議(FWCW=北京会議)と女性の地位向上 小寺初世子
1996
0101 『広島平和科学 19 1996年』(広島大学平和科学研究センター)
『従軍慰安婦』への『戦後補償』とその法的問題点 小寺初世子……93
1997
0101 『広島平和科学 20 1997年』(広島大学平和科学研究センター)
条約と日本―条約の国内法としての効力を考える― 小寺初世子……307
0125 『21世紀世界の人権』(田畑茂二郎編、明石書店)
第8章 女子差別撤廃条約とその問題点 小寺初世子 198
0210 『国際人権法概論』(畑博行・水上千之編著、有信堂高文社)
女子差別撤廃条約 小寺初世子
1 はじめに 64
2 女子差別撤廃条約と日本 67
(1)条約批准まで 67
(2)条約批准のインパクト- 1  67
(7)条約批准のインパクト- 6 73
3 おわりに 74
1998
0101 『広島平和科学 21 1998年』(広島大学平和科学研究センター)
人権条約による人権保障の実効性について
―留保の問題を中心に― 小寺初世子……191
1999
0101 『広島平和科学 220 1999/2000年』(広島大学平和科学研究センター)
人権条約による人権保障の実効性ついて(続)
―留保の問題を中心に― 小寺初世子……235
2001
0731 死亡。

被爆75・76・78周年原水爆禁止世界大会

 

被爆75周年原水爆禁止世界大会

原水禁ビキニデー集会の中止と墓前祭の報告


2020年03月01日
原水禁ビキニデー集会の中止と墓前祭の報告

新型コロナウイルスの感染拡大によって、3月1日に開催される予定であった「被災66年ビキニデー集会」が急遽中止となりました。
しかし、ビキニデー前日の2月29日、ビキニ水爆実験で犠牲となった久保山愛吉さんが眠る焼津市の弘徳院で、小規模ながら墓前祭を行いました。地元の原水禁静岡県民会議や志多平和フォーラムをはじめ、原水禁日本国民会議からも参加し、献花と黙とうなどをおこないました。「NPT再検討会議が開かれる今年、反核・非核の訴えをゆるぎなく続けていく」と、核兵器廃絶に向けた決意を墓前で誓いました。

http://gensuikin.peace-forum.com/2020/06/04/75gensuikintaikai-20200531/「被爆75周年原水爆禁止世界大会」は、オンラインで開催いたします。
「YouTube」を利用し、動画をネット配信します。
※URLなど詳細にいては、後日発表いたします。

オンライン集会

(1)広島大会:8月6日(木)13:00~
(2)長崎大会:8月9日(日)13:00~
(3)福島大会:8月12日(水)13:00~

被爆76周年原水爆禁止世界大会広島大会 【8/5~6 広島大会】被爆76周年原水爆禁止世界大会 | 原水禁 (peace-forum.com)

2021年8月5日 広島大会・開会行事 10:45~12:00

会 場 広島県民文化センター
中継会場 YMCA国際文化ホール

2021年8月6日 広島大会・閉会行事

09:30~10:15 広島県民文化センター

被爆77周年原水爆禁止世界大会

完全オンライン開催

8月4日、「被爆77周年原水爆禁止世界大会・広島大会」の開会総会が広島市・グリーンアリーナで行われ、1200人が参加。

分科会・ひろば・フィールドワークを開催 「被爆77周年原水爆禁止世界大会・広島大会」2日目 | 原水禁 (peace-forum.com)

8月5日、午前中に6分科会を開催。

分科会・ひろば・フィールドワークを開催 「被爆77周年原水爆禁止世界大会・広島大会」2日目 | 原水禁 (peace-forum.com)

8月6日、「被爆77周年原水爆禁止世界大会・広島大会」まとめ集会。

被爆の実相を原点に、次代へとつなげよう 「被爆77周年原水爆禁止世界大会・広島大会」まとめ集会 | 原水禁 (peace-forum.com)

中国新聞報道に見るコロナ禍への原水禁大会の対応

中国新聞報道に見るコロナ禍への原水禁大会の対応

2020年8月6日

原水禁国民会議などと日本原水協などの二つの原水爆禁止世界大会、新型コロナウィルスの景況で広島市での集会開催を断念、それぞれオンラインで会合を開く。

原水禁などの広島大会=事前に収録した映像を動画投稿サイトで配信。

広島県原水禁=中区の原爆ドームを人の輪で囲むアピール行動。参加者約200人。

原水協などの広島デー=ビデオ会議システムで広島・東京・欧米を結ぶ。県内20カ所で視聴会。

以上:『中国新聞』8月7日掲載。

 

2021年8月6日

原水禁国民会議と日本原水協が中心の二つの原水爆禁止世界大会、ともに広島市内での現地行事とオンラインで併用。

原水禁などの広島大会=県民文化センターと国内外の有識者をつないだシンポジウムを開く。

原水協などの大会=広島ロードビルで被爆者2人(矢野美耶古・切明千枝子)から証言を聞く集い。約50人が参加。

以上:『中国新聞』8月7日掲載。

 

2022年8月6日

原水禁国民会議と日本原水協が中心の二つの原水爆禁止世界大会、それぞれ広島市内で集会。

日本原水協などの広島デー集会=約1600人。

原水禁国民会議などのまとめ集会=約450人。

 

桧垣益人

桧垣益人

05 19900805没 桧垣益人 ひがき・ますと 94 元日本被団協代表委員(1970-81年)。広島駅地下道で被爆。1961-84年、広島県被団協事務局長。<資料年表:桧垣益人

資料年表:桧垣益人

年月日 事項 備考
**** 桧垣益人、誕生。
1956
0718 広島県安芸郡原爆被害者団体連合会結成大会。於矢野町公民館。会長に桧垣益人を選任。 C
1960
1201 日本原水協・中国ブロック原水協主催:原水爆禁止・被爆者激励広島大会。於広島市公会堂。桧垣益人ら意見発表。 C
1962
0221 桧垣益人広島県被団協事務局長ら代表10人、原爆被害者援護法制定の陳情のため広島から上京。 C
1963
0217 日本被団協・原水禁中国ブロック協議会、原爆慰霊碑前の24時間座り込みを正午で打ち切り決起集会。参加者500人。国会請願代表団38人を激励。桧垣益人広島県被団協事務局長が決意表明。 C
0930 近畿の社会党・総評系団体など主催、大阪市内で「日本の非核武装と軍縮のための関西平和大会」開催。桧垣益人広島県被団協事務局長らがあいさつ。 C
1968
04 広島県安芸郡海田町の原爆被害者の会(桧垣益人会長)、会員240人の被爆体験をまとめた『被爆者懇談集録』を発刊。 C
1970
0830 広島県被団協、日本被団協の改組に伴う代表委員に桧垣益人事務局長の推薦を決める。森滝の推薦は断念(「ヒロシマ四十年・森滝日記の証言」) C
0831 日本被団協第14回総会を国労会館(東京)で開催。森滝理事長辞任、代表委員制を新設。桧垣益人、小林ヒロ(長崎)、行宗一(東京)を選ぶ。事務局長は伊東壮、森滝は常任顧問。 C
1971
0819 C
0905 C
0906 C
つづく
1990
0805 桧垣益人、死去。94歳。

資料年表:山下義信

資料年表:山下義信<作業中

年月日 事項 備考
1894
0321 広島県呉市生まれ。
 1954
 0625  『ながれ』(村上哲夫)pp.437-440
 「野人の面目躍如 参議院議員 山下義信」
1956
01 『広島市における原爆障害者対策に関する調査概要』(参議院社会労働委員会調査室)
参議院社会労働委員の現地調査 谷口弥三郎・山下義信
 1967
 0401  『菊池女子大学生』(山下義信 編注、善行会刊)
 1975
 1225  『戦後三十年の歩み』(広島県動員学徒等犠牲者の会)
 動員学徒の援護に関する記事 山下義信 123
1982
0630 『歌論短歌の解明 真樹叢書第85編』(山本康夫著、真樹社)
山下義信編注「菊池女子大生」 248
1989
0730 死亡。享年95歳。
0805 「ひと きのう きょう 流れ雲 山下義信さん(7月30日没 95歳) 原爆孤児に「家庭」作る」(渡辺雅隆)『朝日新聞(夕刊)』1989年8月5日
 2017
 0321  『広島戦災児育成所と山下義信 山下家文書を読む』(新田光子著、法蔵館)
2019
11 山下義信の遺族、「広島戦災児育成所」の日誌や写真などを広島市の平和記念資料館に寄贈(『朝日新聞』宮崎園子)

 

資料年表:増岡敏和

資料年表:増岡敏和

年月日 事項 備考
1928
**** 広島市生まれ。
1949
1120 『われらの詩 第1号』(増岡敏和編、「われらの詩の会」編集室刊)
外は嵐だ 他一篇 増岡敏和 4
1950
0101 『われらの詩 第2号』(且原純夫編、「われらの詩の会」編集室刊)
ニュース 増岡敏和  14~15
0201 『われらの詩 第3号』(古井誠三編、「われらの詩の会」編集室刊)
なかまの肩  增岡敏和  14
支部報告 県北から  増岡敏和  20
0303 『われらの詩 第4号』(上野邦彦編、われらの詩の会編集局刊)
眼ん玉  增岡敏和 9
一行評論  増岡敏和 22
編集後記 上野邦彦/村中好穂/且原純夫/増岡敏和/瀧隆治/岡本/峠三吉  30
0501 『われらの詩 第5号』(望月久良壽編、われらの詩の会編集局刊)
増岡敏和 20
0620 『われらの詩 第6号』(藤田千秋編、われらの詩の会編集局刊)
街へやる手紙 増岡敏和 13
1025 『われらの詩 第9号』(峠三吉編、われらの詩の会刊)
1215 『われらの詩 第10号 1周年記念号』(われらの詩の会刊)
増岡敏和 9
1952
0510 『われらの詩 第14号 高木正幸特集』(峠三吉編、われらの詩の会刊)
風の子 增岡敏和 7
裏表紙:広告 増岡敏和詩集『風の子物語』・御庄博実詩集『交響詩岩国組曲』
1953
0720 『われらの詩 第19号』(峠三吉編、われらの詩の会刊)
作品Ⅰ
新聞の記事から 増岡敏和 2
1101 各地の詩運動
中核の思想 増岡敏和 12
1110 『われらの詩 第20号』(われらの詩の会刊)
 二十号発刊にあたって 編集部 1
詩および詩運動 増岡敏和 4
1954
0215 『風のように炎のように-峠三吉追悼集』(峠三吉追悼集出版委員会・われらの詩の会編・刊)
増岡敏和「峠三吉氏の生涯」  4
0806 『廣島 歌集』(歌集廣島編集委員会編、第二書房)
増岡敏和 142
1101  『われらのうた 第1号』(われらのうたの会刊)
 李徳全女子歓迎 増岡敏和 26
1206 『われらのうた 第2号』(われらのうたの会刊)
特集 誌上・広島のうたごえ
歌をつくる運動 「怒りの胸」を作曲して 木下航二  5
(*歌詞)「怒りの胸」   5
(*楽譜)「怒りの胸」 増岡敏和詞・木下航二曲  6
(*歌詞付き)世界民青連代表歓迎のうた 長藤久子 7
平和を守る歌声 深川宗俊 8
(*楽譜)「わが故郷」 増岡敏和詞・村中好穂曲 9
1955
0109 『われらのうた 第3号』(われらのうたの会刊)
一言集
増岡敏和 12

詩人本屋 増岡敏和  31-32
0210 『われらのうた 第4号』(われらのうたの会刊)
詩 さあ諸君 増岡敏和   2
シュプレヒコール 歌のベルト―中・四国うたごえ参加作品
山下磨玲、植野浩、増岡敏和 3-7
0301 『詩運動 No.13』(詩運動社)

声 増岡敏和 14
0310 『われらのうた 第5号』(われらのうたの会刊)

春二題 Ⅰ/Ⅱ 増岡敏和  26
0410 『われらのうた 第6号』(われらのうたの会刊)
渦の中 増岡敏和  25-26
0510 『われらのうた 第7号』(われらのうたの会刊)
特集 第二回 誌上広島のうたごえ
鉄路のうたごえ 増岡敏和詞・村中好穂曲  6
0610 『われらのうた 第8号』(われらのうたの会刊)
表紙
(*楽譜)青年栄光曲増岡敏和詞・村中好穂曲 1(表紙裏)
短歌特集
峠三吉短歌抄  21
峠さんの短歌について 増岡敏和  21
0710 『われらのうた 第9号』(われらのうたの会刊)
発展のための問題の提起(*われらのうた第一回総会報告)
増岡敏和  5-11
0810 『われらのうた 第10号』(われらのうたの会刊)
第四回文化の集いのこと 増岡敏和  19
石の沈黙 増岡敏和  22
あとがき  48(裏表紙裏)-裏表紙
(*楽譜)広島のうたごえ増岡敏和詞・村中好穂曲、
0910 『われらのうた 第11号』(われらのうたの会刊)
 城壁 増岡敏和 25
1010 『われらのうた 第12号』(われらのうたの会刊)
詩 写真 増岡敏和  12-13
1110 『われらのうた 第13号』(われらのうたの会刊)

風  増岡敏和 12-13
1210 『われらのうた 第14号』(われらのうたの会刊)

習作 父と子 増岡敏和 51-55(裏表紙裏)
1956
0101 『われらのうた 第15号』(われらのうたの会刊)

詩二題(家庭/ある秋の夜) 増岡敏和 10-11
0216 『われらのうた 第16号』(われらのうたの会刊)
文章特集(*十六号までの批判をうけて)
詩集「明日への眼」後記 増岡敏和   15
(*広告)増岡敏和詩集、麻井比呂志詩集、ラジオ放送曲から、
0308  『われらのうた 第17号』(われらのうたの会刊)
 受贈誌紹介  46
詩集評(*増岡『明日への眼』、麻原『昇天拒否』について)田辺耕一郎、上本正夫、浜野チホ子、四国五郎  47-54
雑感(1) 増岡敏和   54
雑感(2) 増岡敏和   59
0405 『広島文学 第6巻第2号 昭和31年春季号』(広島文学協会)
 =詩= 雪の朝 増岡敏和 38
0408  『われらのうた 第18号』(われらのうたの会刊)
文学サークル運動覚え書き 増岡敏和  14-18
0510 『われらのうた 第19号』(われらのうたの会刊)
二つの実りによせて(*増岡・麻井詩集出版記念会メッセージ)赤木健介、壺井繁治、遠地輝武、大島博光、坂井徳三、李仁、深川宗俊  4-9
(*報告)増岡敏和「明日への眼」麻井比呂志「昇天拒否」 詩集出版記念会報告 27
0610  『われらのうた 第20号』(われらのうたの会刊)
  東京詩集(早春/道) 増岡敏和   10
0710 『われらのうた 第21号』(われらのうたの会刊)

「われら」の合評会のみなさんへ 増岡敏和 25-29

東京詩集(演説/サラリーマン) 増岡敏和  30
0801  『樹木と果実 第5号』(五味書店刊)
作品
沖縄の少女 増岡敏和 27
0807  『われらのうた 第22号』(われらのうたの会刊)
 二十一号漫歩 増岡敏和  2-4、27
原爆詩特集―いまもなお
戦争二題(玲子/生きかえらぬものはいない―歌詞のために) 増岡敏和 16
0915   『われらのうた 第23号』(われらのうたの会刊)
 側面的発言として 二十二号漫歩 増岡敏和  32-35
1110   『われらのうた 第25号』(われらのうたの会刊)
 詩
道 増岡敏和 26
1119 『ひろしま創作曲集』(広島合唱団)
わが故郷 増岡敏和作詩…8
1210   『われらのうた 第26号』(われらのうたの会刊)
 詩
恋 増岡敏和 13
町へ 増岡敏和 14
1957
0201  『われらのうた 第27号』(われらのうたの会刊)
 遠い富士―ある疲れた人に代わって― 増岡敏和 40
0301  『われらのうた 第28号』(われらのうたの会刊)
 あたりまえでなくそしてあたりまえに
―27号詩特集号漫歩― 増岡敏和  44-49
0401  『われらのうた 第29号』(われらのうたの会刊)
第三回峠三吉祭から 増岡敏和 4-5
東京詩集(演説/サラリーマン) 増岡敏和  30
0501  『われらのうた 第30号』(われらのうたの会刊)
 座談会3 新しい歌の土壌―広島合唱団の読者と
大保隆司、児玉藻佑、村中好穂(*広島合唱団)
望月久、増岡敏和、島陽二(*われらのうた) 6-16
0610  『われらのうた 第31号』(われらのうたの会刊)
 歌う詩三つ
おまえになろう/五月の歌 増岡敏和 5
「歌詩」「大丈夫」と「詩でする話」―三十号漫歩― 増岡敏和 32-35
1201   『われらのうた 第35号』(われらのうたの会刊)
散文詩冬の木―工場で― 増岡敏和  10-11
1958
0910  『われらのうた 第38号』(われらのうたの会刊)
 たより
増岡敏和・・・  40-42
1205  『われらのうた 第39号』(われらのうたの会刊)
 たより
増岡敏和・・・ 59-62
1961
1201 『戦いと挨拶』(起点社)
 1962
0520 『われらのうた 第54号』(われらのうたの会刊)
「増岡敏和詩集」評 増原正 30-33(裏表紙裏)
1963
1101  『文化評論 1963-No.24』(日本共産党中央委員会)
 わが党に・他四編(詩・選外佳作) 増岡敏和 123
1964
0801  『ひろしま 創刊号』(広島県文化会議)
随想・ある心情の中の敵/増岡敏和 30
1965
0301 『ひろしま 第2号』(広島県文化会議)
創刊号を読んで・広島の意志・その周辺/増岡敏和 28
0801 『ひろしま 第2号』(広島県文化会議)
反戦詩歌人集団(一九五〇年)のこと 増岡敏和 52
1966
0601 『詩人会議 第4巻第6号』(飯塚書店)
詩誌評 追及の深さとおちつき 増岡敏和 66
1970
0620 『日本原爆詩集』(大原三八雄・木下順二・堀田善衛編、太平出版社)
怖れ 増岡敏和 148
0701  『文化評論 1970-No.106』(日本共産党中央委員会)
□創作 原爆碑銘について(詩) 増岡敏和 166
0831 『八月の詩人 原爆詩人・峠三吉の詩と生涯』(増岡敏和著東邦出版社、)
1001 『広島通信 No.23』(「広島通信」の会)
原爆詩 増岡敏和
1101 『われらの時代に 大島洋詩集 詩人会議叢書』(大島洋著、詩人会議)
跋 増岡敏和 106
1971
0710 『平和詩集 第2集』(広島詩人会議運営委員会)
鳴る 増岡敏和 79
0730 『広島の詩人たち 新日本新書134』(増岡敏和著、新日本出版社)
 0801  『民主文学 第69号通巻119号』(新日本出版社)
詩人の運命―峠三吉・その原爆詩の弾道― 増岡敏和…100
0901 『日本児童文学 第17巻9号通巻179号』(日本児童文学者協会編、盛光社)
<峠三吉未発表遺稿童話集>
百足競争
お爺さんと娘
ドッヂ・ボール
峠三吉とその童話について 増岡敏和 112
1972
0725 『原爆と文学 創刊号』(原爆と文学の会)
創作 夏の饐え 増岡敏和 24
1973
0601 『原爆と文学 第2号』(原爆と文学の会)
創作 父と少年の碑  増岡敏和 70
0801 『でるた 79号 峠三吉没後20周年記念特集』(広島詩人会議)
峠三吉とわれらの詩の会のことなど 増岡敏和 17
1974
0615 『原爆と文学 第3号』(原爆と文学の会)
海の蝉しぐれ  増岡敏和 70
0801 『世界原爆詩集 角川文庫』(大原三八雄編、角川書店)
 増岡敏和 「巨大な沈黙の下に 久保山さんの死を聞いて」 79
1975
0628 『河 民藝の仲間166号』(「民藝の仲間」編集部編、劇団民藝刊)
峠三吉と「広島の青春」…増岡敏和…(11)
0701 『峠三吉作品集 上』(峠三吉著、峠一夫・増岡敏和編、青木書店)
解説 増岡敏和 278
0705 『原爆と文学 第4号』(原爆と文学の会)
座談会 「歴史としての体験」をどう定着させるか
―その創作観点と教育のあり方
中沢啓治 山口勇子 田川時彦 増岡敏和 2
創作
春十四郎先生 増岡敏和 81
0815 『峠三吉作品集 下』(峠三吉著、峠一夫・増岡敏和編、青木書店)
解説 増岡敏和 297
1976
0525 『[季刊]平和教育 第1号』(明治図書出版)
連載 作家と作品1 峠三吉
増岡敏和「峠三吉の抒情の変革とその生涯」 127
1977 
0801 『文化評論 1977-No.196』(新日本出版社)
「民医連金脈」なんてものはない 増岡敏和・・・79
0801 『原爆と文学 第5号』(原爆と文学の会)
 増岡敏和短篇集
幽かな父…54
消えた少女…59
ヘッドライト…65
1978
0801 『木の葉のように焼かれて 第12集』(新日本婦人の会広島県本部)
特別寄稿
われらのうたごえのなかのわがふるさとへ 増岡敏和 69
1201 『広島通信 No.59』(「広島通信」の会)
特集 核時代の文学
ひと一人死ぬとうことのゆゆしきに 増岡敏和
1979
0101 『平和教育 第9号』(日本平和教育研究協議会、明治図書出版)
○連載/作家と作品/原民喜とその生涯○
一輪の花の幻  増岡敏和 117
1980
0601 『広島通信 No.62』(「広島通信」の会)
特集 廣島・広島・ヒロシマ
耳朶に甦りつづける言葉 増岡敏和
1981
1111 『中川秋一遺稿集』(中川秋一先生遺稿・追悼文集刊行委員会編・刊)
増岡敏和氏宛書簡「控」 111
1982
0720 『反核・日本の音楽 ノーモア・ヒロシマ音楽読本』(芝田進午、矢澤寛、木下そんき編、汐文社)
占領下における広島の原爆文化活動ー広島の青春 増岡敏和 62
1 敗戦直後の文化活動-「中国文化」誌と峠三吉 62
2 原爆短歌と文学活動の展開-占領政策の制約のもとで 70
3 朝鮮戦争下の反戦平和運動-「反戦詩歌集」の発行と検閲制度 76
4 ”広島の青春”ー反戦平和詩集のひろがりと平和運動の発展 81
5 広島でのうたごえ運動の盛り上がり-第一回原水禁世界大会にむけて 88
0720 『にんげんをかえせ 詩集(新日本文庫)』(峠三吉著、増岡敏和編、新日本出版社)
解説 増岡敏和 209
1983
0201 『詩民10号 通巻131号』(広島詩人会議)
峠三吉没後三〇年特集<峠三吉と私>
在りし日の断片 増岡敏和 9
0430 『反戦のこえ 詩集 2』(戦争に反対する詩人の会)
雷鳥 増岡敏和26
0601 『文団連ニュース No.53』(広島県文化団体連絡会議)
増岡敏和氏(われらの詩の会)を迎えて
-峠三吉没後30年記念講演会を開く- 2
0901 『真樹 第54巻第9号』(真樹社)
 絶句 詩人・元同人 増岡敏和 81
1985
0725 『原爆を許すまじ 世界の空へ』(木下航二編、あゆみ出版)
広島のうたごえのことなど 増岡敏和 90
0801 『詩人会議第 23巻8号』(詩人会議編、飯塚書店)
座談会
『原爆詩集』が生まれる頃の峠三吉 増岡敏和氏に聞く…きき手 東けいこ・柴田三吉 46
0806 『広島の女 散文詩集』(増岡敏和著、あゆみ出版) U
 『詩人会議 第23巻8号』()
1986
0610 『反核平和詩集』(詩人会議編、新日本出版社)
尊い朝 増岡敏和 69
0806 『ひろしま 19号』(日本民主主義文学同盟広島支部)
対談 いま、原爆犯罪を問う 椎名麻紗枝 桜木早苗 増岡敏和 (司会) 60
1987
0806 『原爆詩人ものがたり 峠三吉とその周辺』(増岡敏和著、日本機関紙出版センター)
1990
0101 『稜線 季刊詩誌 No.33 冬』(稜線の会)
□批評・感想・随想
概念性を排して動きに即して具象へ 増岡敏和 12
0701 『ヒロシマ・ナガサキから何を学ぶか 第5集 被爆者・国民は何をしてきたか 東友文庫』(東京都原爆被害者団体協議会(東友会))
原爆被爆者運動の前史(正史) 増岡敏和……3
1992
0124 『1992年度久保医療文化研究所講演録』(久保医療文化研究所)
第68回講演会 ’92年3月14日
広島における反原爆文化運動の原点 増岡敏和
1993
0420 『ひろしま 32号』(日本民主主義文学同盟広島支部)
詩 滅びの碑 増岡敏和 44
0620 『ひばくのこころでシリーズ 3  忘れてはならない「あの日」を』(町友会とともに生きる会)
1 花をかざす-被爆者とともに-(詩) 増岡敏和・本間美智子
0715 『虹の碑 原爆被爆者証言詩抄』(増岡敏和著、日曜舎)
1020 『追悼記 増補』(広島女子高等師範学校附属山中高等女学校原爆死没者追悼文集編集委員会)
原爆で殺された玲子 1年3組 増岡玲子<兄>増岡敏和 24
1994
0620 『ひろしま 35号』(日本民主主義文学同盟広島支部)
 詩 八月六日に灼かれて 増岡敏和 38
1995
0130 『にんげんをかえせ 詩集』(峠三吉著、増岡敏和編、新日本出版社)
解説 増岡敏和 191
0301 『原爆と文学 1995年版』(原爆と文学の会)
被爆者証言組曲「虹の碑」「母子像」 増岡敏和 62
0601 『平和教育 第48号』(日本平和教育研究協議会)
詩 妹よ 増岡敏和…92
0701 『占領下の広島 反核・被爆者運動草創期ものがたり』(渡辺力人・田川時彦・増岡敏和編、日曜舎)
第1章 燃える景観
廃墟の中からのうたごえ(敗戦直後の文化運動)…増岡敏和
峠三吉の反戦・反原爆文学運動…増岡敏和
1950年8月6日の記録(ビラが降るビラが降る)…増岡敏和
第2章 にんげんをかえせ
最初の被爆者団体の結成と吉川清…増岡敏和
最初の被爆者援護法請願行動…増岡敏和
 0831  『ひろしま 37号』(日本民主主義文学同盟広島支部)
峠三吉の最後 増岡敏和 20
1996
0227 『原爆と文学 1996年版』(原爆と文学の会)
詩 パラドックスの鴉  増岡敏和 108
巻頭言・あとがき(増岡敏和・篠垤潔)
1997
0301 『原爆と文学 1997年版』(原爆と文学の会)
永代までも言問わむ―カンタ-タ 東京大空襲 増岡敏和 110
あとがき(増岡敏和・篠垤潔)
1010 『花なき薔薇の傍で 原爆被爆者証言詩抄』(増岡敏和著、日曜舎)
1998
0301 『原爆と文学 1998年版』(原爆と文学の会)
峠三吉の最期 増岡敏和 128
0710 『記憶の火群 短篇集』(原爆と文学の会編、日曜舎)
第1章(小説)
あすも凪…山口勇子 6
幽かな父…増岡敏和 20
立ち止まる風…森川恵美子 28
十八歳の青春…夏目侑子 46
大久野島の毒煙…紙地屋正 96
炎の夜の告発…岡田智晶 120
枯れ芒…篠垤潔 152
 1999
 0301  『原爆と文学 1999年版』(原爆と文学の会)
カンタ-タ沖縄戦 ウチナンチュの母 増岡敏和 84
あとがき(増岡敏和・篠垤潔)
2000
0301  『原爆と文学 2000年版』(原爆と文学の会)
カンタ-タ詞文 光ねんうちゆみ 増岡敏和 116
2001
0301  『原爆と文学 2001年版』(原爆と文学の会)
山口勇子さん追悼 小特集 113
山本文子 116 赤松宏一 118 日高のぼる 123 乙部宗徳 124
山田寿美子 128 山岡和範 130 増岡敏和 132 略歴 114
2002
0301  『原爆と文学 2002年版』(原爆と文学の会)
戦争二題―「微笑」「滴る」  増岡敏和 76
あとがき(篠垤潔・増岡敏和)179
1211 『茜 増岡敏和詩集』(十二舎)
2003
0301  『原爆と文学 2003年版』(原爆と文学の会)
反戦反核の響きを最高に伝える詩の言葉―峠三吉『原爆詩集』の貶めなどを糾す 増岡敏和 78
0715 『反戦アンデパンダン詩集』(反戦詩集編集委員会、創風社)
増岡敏和 微笑…246
 2004
0301 『原爆と文学 2004年版』(原爆と文学の会)
田川時彦氏追悼のページ
弔辞・弔詩  横川嘉範 ・小森香子・ 山岡和範・増岡敏和 ・夏目侑子 66
創作
優しかった玲子の遠い夕暮れ 増岡敏和 142
あとがき(篠垤潔・増岡敏和)
2005
0301 『原爆と文学 2005年版』(原爆と文学の会)
夕焼け人形(童話)  増岡敏和 114
あとがき(篠垤潔・増岡敏和) 表紙4
2006
0301 『原爆と文学 2006年版』(原爆と文学の会)
??
2007
0301 『原爆と文学 2007版』(原爆と文学の会)??

敗れたかにみえる日のある回想 増岡敏和 142
あとがき(篠垤潔・増岡敏和) 表紙 4
0806 『原爆詩一八一人集 1945~2007年』(長津功三良・鈴木比佐雄・山本十四尾編、コールサック社)
増岡敏和「鳴る」 254
2008
0125 『戦後日本における市民意識の形成 戦争体験の世代間継承 (叢書21COE-CCC多文化世界における市民意識の動態 , 31)』(浜日出夫編、慶應義塾大学出版会)
第7章 被爆者の現実をいかに認識するか?-体験者と非体験者の間の境界線をめぐって 八木良広 159
はじめに 159
Ⅰ 被爆者と非被爆者の間の境界線 163
1 増岡敏和のわだかまり 163
2 二つの認識作法-越えがたい「溝」と「線引き」 164
2010
0728 死亡。
2012
0806 『増岡敏和全詩集』(増岡敏和著、佐相憲一・鈴木比佐雄編、コールサック社)
2014
1026 『金輪島と原爆 原爆死没者慰霊碑参拝』(竹内良男)
「原爆で殺された玲子」(増岡敏和)…22
2017
0527 『第1回「峠三吉を歩く」 ピースウォークひろしま2017 原爆文学の記憶をたどる講座とフィールドワーク』(竹内良男制作)
<ヒロシマへ ひろしまから>通信No.35…峠三吉と増岡敏和

 

 

28 2010 増岡敏和 ますおかとしかず 82 8月6日(1945年)には海軍の予科練(飛行機練習生)で松山航空隊に入隊、8月6日頃は軍隊疎開で愛媛県の南部の深浦町にいた。敗戦の数日以内に広島市に帰る。祖母、母、長妹(原爆死)、次妹被爆弟たちは学童疎開中。

今中次麿 生涯と回想

『今中次麿 生涯と回想』(今中次麿先生追悼記念事業会編、法律文化社、19820415)

内容

imanaka01
imanaka02a
imanaka02b
imanaka03b
imanaka04a
236 中村義知
239 熊田重克
imanaka04b
259 佐久間澄
264 今堀誠二
268 後藤陽一
271 佐藤正夫
274 山代巴
277 挾田喜義
280 山口利男
284 石田明
288 中村吉男
290 山田浩
294 大西典茂
298 北西允
302 池田重久
303 頼和子
 imanaka05a
 imanaka05b
 今中次麿年譜
 imanaka06a
 遺稿目録
 あとがき 大西典茂・北西允・中村義知・山田浩

資料年表:志水清

資料年表:志水清

年月日 事項
1906
1025 大阪市で誕生。本籍:岡山県。
1930
05 第六高等学校理科甲類卒業
1931
04 岡山医科大学入学。1935年3月同大学卒業。
1942
12 陸軍技師
1943
0113 広島宇品港出港
0201 第25軍軍政府付、昭南特別区医療科主任
04 第29軍軍政監部付、
10 マライ・ジョホール州政庁衛生科長
1945
07 第7方面軍軍政監部付
1946
0131 レンバン島出港
0212 浦賀上陸、復員
02 広島逓信病院耳鼻咽喉科医長
09 厚生技官、厚生省衛生局勤務(厚生省中国地区駐在疫官)
1947
10 厚生技官、厚生省予防局勤務
1948
06 大阪府衛生部公衆衛生課長
1950
01 島根県衛生部長、衛生民生部長、衛生部兼民生部長、厚生部長、
1959
07 広島市保健局長
1961
05 広島大学教授(広島大学原爆放射能医学研究所、疫学・社会医学研究部門主任教授)
1967
04 広島大学原爆放射能医学研究所長(2期在任)
1970
03 広島大学教授並びに広島大学原爆放射能医学研究所長停年退官。
<以上の出典:「志水清教授略歴」(『志水清教授退官記念 業績目録』所収)>
1967
0330 『原子爆弾後障害研究会講演集 第7回』(広島原爆障害対策協議会編・刊)
2 講演内容
第1日(10.00~18.20)
健康管理成績のまとめ 志水清 5
1969
0329 『原爆被災全体像調査のための市民集会記録集』(原爆被災全体像調査のための市民集会開催委員会)
◇テーマ〈原爆被災全体像調査について〉15分間
発題者 広島大学原爆放射能医学研究所長
広島大学教授 志水清
0620 『原爆後障害広島シンポジウム講演集 [第9回]』(広島原爆障害対策協議会編・刊)
0720 『原爆爆心地』(志水清編、日本放送出版協会)
1970
0430 『原爆日記-第Ⅱ集』(広島県医師会)
回想 志水清 1
0915 『志水清教授退官記念 業績目録』(志水清教授退官記念事業会)
1972
0101 『ひろしま 原爆のきずあと』(志水清)
1974
0401 『原爆後障害研究会広島シンポジウム講演集 第14回』(広島原爆障害対策協議会)
シンポジウム
司会のことば 大内五良・志水清 99
被爆者健康管理に関する諸問題
1975
0101 『ひろしま 人間破壊30年』
1976
0331 『原爆後障害研究会広島シンポジウム講演集 第16回』(広島原爆障害対策協議会)
シンポジウム(II)
被爆30年における被爆障害者の医療と福祉の現状分析
司会のことば 志水清 129
0715 『山田節男追想録』
面影を偲んで 広島原爆被災復元委員会会長 志水清…438
1977
0910 『原爆と広島大学 「生死の火」学術篇』(広島大学原爆死没者慰霊行事委員会)
第34節 被爆者医療(志水清)252
1978
0401 『原子爆弾後障害研究会講演集 第18回』(広島原爆障害対策協議会)
一般講演
11.広島原爆養護施設における被爆長寿者の社会医学的動向(II)志水清 65
12.胎内被爆小頭症患者の現況と今日的課題 志水清 69
1979
0620 『ヒロシマを語る十冊の本』(ヒロシマを知らせる委員会編、労働教育センター)
志水清編「原爆爆心地」(1969年) 86
1980
0401 『原子爆弾後障害研究会講演集 第20回』(広島原爆障害対策協議会)
 22.広島原爆養護施設における被爆老人の死亡動向からの教訓 志水清 135
0806 『原爆孤老』(「原爆孤老」刊行委員会、労働教育センター)
二 今日の原爆孤老問題 志水清 205
1 原爆孤老とは何か 207
2 原爆孤老の生活実態 214
3 被爆者援護の現状 224
4 原爆孤老対策の方向 236
1981
0720 『紙碑 被爆老人のあかし[第1集]』(広島原爆被爆者援護事業団)
はじめに (ヒロシマ原爆養護ホーム所長)志水清
1982
1211 『ヒバクシャ ともに生きる』(原爆被害者相談員の会)
相談員の会に期待する 志水清 4
1984
0401 『原子爆弾後障害研究会講演集 第24回』(広島原爆障害対策協議会)
8.広島原爆養護ホームの老齢被爆者にみられる社会精神的後遺障害の動向 志水清 他 72(368)
1985
0525 『紙碑 被爆老人のあかし 第二集』(広島原爆被爆者援護事業団)
ごあいさつ 志水清
1225 『傷痕Ⅱ 戦後40年』(高畑長吉 編、広島県医師会)
戦地秘話  志水清(広島原爆被爆者援護事業団理事長) 236
1986
0301 『原爆被爆者援護のあゆみ(被爆者白書)』(広島県環境保健部原爆被爆者対策課)
第1章 被爆者関係団体のあゆみ 145
被爆者養護事業(財団法人広島原爆被爆者援護事業団理事長 志水清)145
0401 『原子爆弾後障害研究会講演集 第26回』(広島原爆障害対策協議会)
一般演題
3.広島原爆養護施設における超高齢被爆者の社会医学的観察 志水清 他 45
1989
0720 『ヒロシマ医師のカルテ』(広島市医師会)
第2節 原爆医療制度の推移
原爆医療と福祉 志水清 218
1991
0525 『日本の原爆記録15 原爆孤老・沖縄の被爆者』(家永三郎、小田切秀雄、黒古一夫編、日本図書センター)
今日の原爆孤老問題 志水清…167
1 原爆孤老とは何か……168
2 原爆孤老の生活実態……174
3 被爆者援護の現状…184
4 原爆孤老対策の方向……194
0724 死亡・享年84歳。
 1995
 0801  『世紀を超えて 爆心復元運動とヒロシマの思想』(児玉克哉編、中国新聞社)
 2000
 0801  『被爆者の集い 20年の歩み』(全労働省労働組合広島支部)
 1981年 広島原爆養護ホーム所長志水清氏の講演レジュメ 集い開催 案内文10
2010
0201 『広島大学原爆放射線医科学研究所附属国際放射線情報センター所蔵 志水清資料目録(原爆関係資料)』(広島大学放射線医科学研究所附属国際放射線情報センター)

 

岡本三夫

岡本三夫

おかもと・みつお 1933****生20190720没 享年86歳 平和学者。1976年、四国学院大学で初の平和学講座を開講。1992年に第9条の会ヒロシマを結成。

資料年表:岡本三夫<作業中

年月日
1933
**** 誕生
1976
0405 『平和研究 第1号 平和研究の方法』(日本平和学会)
現代平和研究の可能性 岡本三夫 122
0520 『核廃絶か破滅か-被爆30年広島国際フォーラムの記録 市民の学術双書』(飯島宗一・具島兼三郎・吉野源三郎編、時事通信社)
軍備縮小から軍備撤廃へ――平和研究の視点―― 岡本三夫 169
1977
0425 『平和研究 第2号 平和価値と平和教育』(日本平和学会)
平和研究の深層 国際平和研究学会(IPRA)夏期セミナーに参加して  岡本三夫 133
1984
0424 広島のYMCA国際平和研究所、永井秀明、ロニー・アレクサンダー、飯忍、岡本三夫(ロンドン滞在中)をオランダ・西ドイツに派遣。反核ネットワークづくりのため。
1993
0529 空辰男・李実根・大牟田稔・河合護郎・北西允・岡本三夫ら、被爆50周年に向け平和都市広島の在り方を考えるため市内で懇談会。 C
0612 「第9条の会ヒロシマ」(世話人代表:岡本三夫)、憲法9条全文を書いた布で原爆ドームを取り囲む。 C
07 『平和学を創る―構想・歴史・課題』(岡本光夫著、広島平和文化センター刊)
0806 「第9条の会ヒロシマ」(世話人代表:岡本三夫)、中国新聞に意見広告「平和への希望『憲法9条』を世界に広めよう」。 C
1994
0724 「第9条の会ヒロシマ」(世話人代表:岡本三夫)、村山首相の非武装中立放棄への抗議文を首相宛てに送付。 C
0806 「第9条の会ヒロシマ」(世話人代表:岡本三夫)、中国新聞に意見広告。732人・団体の市民カンパで。 C
1995
0303 岡本三夫、広島別院での「平和を願う念仏者の集い」で講演。 C
1220 <市民のフランス原爆展>
1996
0104 <市民のフランス原爆展>
0502 「第9条の会ヒロシマ」(世話人代表:岡本三夫)、「日米学生平和会議イン・ヒロシマ」開催
2005
0228 『修道法学 27巻2号』(広島修道大学法学会)
岡本三夫「平和学 – 過去・現在・未来 : 私の自伝的「平和学」論」
2011
0514 「核兵器廃絶をめざすヒロシマの会」(森滝春子ら共同代表)結成10周年を迎え総会。岡本共同代表が退き、田中利幸(広島市立大学広島平和研究所)が代表代行に。 C
2012
0218 「第9条の会ヒロシマ」(岡本三夫世話人代表)設立20周年の集い。於:原爆資料館メモリアルホール。 C
0227 『岡本平和研』閉鎖へ」活動5年 最後の総会 中区 C
<岡本非暴力平和研究所=2007年原爆ドーム近くのマンション1室に開設、2月26日に最後の総会>
2019
0720