『追憶 山内敕靖』(広島ガス・刊、19840813)
内容
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ヒロシマの歴史を残された言葉や資料をもとにたどるサイトです。
『追憶 山内敕靖』(広島ガス・刊、19840813)
内容
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山内敕靖
| やまうち・ただやす | 19180329生19830828没 | 享年65歳 | 広島ガス社長。期間:19710226-19820628。 |
資料年表:山内敕靖<作業中>
| 年月日 | ||
| 1918 | ||
| 0329 | 誕生 | |
| 1983 | ||
| 0828 | 死亡 | |
| 1984 | ||
| 0813 | 『追憶 山内敕靖』(広島ガス・刊、19840813) | |
| 0930 | 『会報ともしび 第57号』(財団法人広島県動員学徒等犠牲者の会) | |
| 「訃報 本財団相談役、広島ガス社長」 | ||
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動員学徒死没者慰霊式典(2015年)
<出典:『原爆死没者慰霊式典の記録 被爆70周年記念事業』(広島市(主管課:健康福祉局原爆被害対策部調査課)、20160101)>
| no. | 実施主体 | 行事名 | 月日 | 場所 |
| 09 | 一般法人広島県動員学徒等犠牲者の会 | 原爆死没者追悼式典 | 0806 | |
| 動員学徒慰霊塔前 | ||||
| 13 | 皆実有朋会 | 広島県立広島第一高等女学校原爆犠牲者追悼式 | 0806 | |
| 広島第一県女原爆犠牲者追憶之碑前 | ||||
| 15 | 広島一中原爆死没者遺族会 | 広島一中原爆死没者慰霊祭 | 0726 | |
| 広島国泰寺高等学校内「追憶の碑」前 | ||||
| 16 | 国泰寺一丁目町内会 | 第62回山中女学校・県立女子高等学校原爆死没者慰霊祭 | 0806 | |
| 荒神堂慰霊碑前 | ||||
| 18 | 旧制広島市立中学校原爆死没学徒慰霊祭実行委員会 | 旧制広島市立中学校原爆死没学徒慰霊祭 | 0806 | |
| 広島市立中学校原爆慰霊碑前 | ||||
| 23 | 広島舟人・市女同窓会 | 第39回広島市立第一高等女学校職員生徒原爆死没者慰霊式典 | 0806 | |
| 原爆慰霊碑前(平和大橋西詰) | ||||
| 24 | 広島市立広島商業高等学校同窓会 | 広島市立広島商業高等学校原爆死没者慰霊祭 | 0806 | |
| 広島市商慰霊碑前(国際会議場横) | ||||
| 27 | 芸陽観音同窓会 | 広島二中原爆死没者慰霊祭 | 0806 | |
| 広島二中原爆慰霊碑前 | ||||
| 29 | 広島商業同窓会 | 広島県立広島商業高等学校原爆慰霊祭 | 0719 | |
| 広島県立広島商業高等学校原爆慰霊碑前 | ||||
| 江波公園内碑の丘「母子愛之像」前 | ||||
| 32 | 段原中学校区ふれあい活動推進協議会 | 第26回原爆死没者慰霊祭 | 0802 | |
| 段原中学校内「慰霊碑」前 | ||||
| 34 | 広島県立広島工業高等学校同窓会 | 平成27年度原爆犠牲者慰霊式 | 0806 | |
| 広島県立広島工業高等学校慰霊碑前 | ||||
| 35 | 学校法人広島山陽学園 | 山陽高等学校原爆死没者慰霊式 | 0806 | |
| 山陽高等学校慰霊碑前 | ||||
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御園生圭輔
| みそのお・けいすけ | 19121215生19950825没 | 享年82歳 | 終戦時、陸軍軍医学校教官として広島原爆の被害調査に当たる。 |
資料年表:御園生圭輔<作業中>
| 年月日 | ||
| 1912 | ||
| 1215 | 誕生。 | |
| 1936 | ||
| 03 | 東京帝国大学医学部卒業 | |
| 1945 | ||
| 0814 | 陸軍省第2次調査班員として広島入り。~11月21日。 | C |
| 「ヒロシマの記録 各時代を刻む」 (『中国新聞』 20050805、西本雅実編集委員) | ||
| 1952 | ||
| 0101 | 『婦人公論 1月号第416号(38巻1号)』(中央公論社) | |
| 特集 平和への願い 原爆のない世界を〈座談会〉田中慎次郎/石垣綾子/山室民子/御園生圭輔 48 |
||
| 1967 | ||
| 09 | 放射線医学総合研究所長。『原子力委員会月報第20巻第5号』(科学技術庁原子力局) | |
| 1968 | ||
| 06 | C | |
| 0601 | 『マスコミ市民 No.16』(日本マスコミ市民会議) | |
| 特集 原爆映画 いま、よみがえれ“幻のフィルム”! いまだから話そう 御園生圭輔・三木茂 43 |
||
| 1969 | ||
| 0501 | 『広島医学 Vol.22 No.5 原爆後障害広島シンポジウム』(広島医学会) | |
| 原爆後障害研究のあり方 総括……中泉正徳 47(353) 原子力平和利用の立場から………御園生圭輔 49(355) |
||
| 0620 | 『原爆後障害広島シンポジウム講演集 [第9回]』(広島原爆障害対策協議会) | |
| 原爆後障害研究のあり方 総括 中泉正徳 47 原子力平和利用の立場から 御園生圭輔 49 |
||
| 1971 | ||
| 0316 | C | |
| 1973 | ||
| 06 | C | |
| 1974 | ||
| 0712 | C | |
| 1975 | ||
| 0523 | 原子力委員会委員に就任 | |
| 『原子力委員会月報第20巻第5号』(科学技術庁原子力局) | ||
| 1976 | ||
| 0328 | 『広島医学 Vol.29 No.3 原爆後障害広島シンポジウム 特集号』(広島医学会) | |
| 特別講演 御園生圭輔「放射線防護と放射線影響研究」 97(285) |
||
| 0331 | 『原爆後障害広島シンポジウム講演集 第16回』(広島原爆障害対策協議会) | |
| 特別講演 御園生圭輔「放射線防護と放射線影響研究」 97 | ||
| 1979 | ||
| 0518 | C | |
| 0608 | C | |
| 1980 | ||
| 0328 | 『広島医学 Vol.33 No.3 第20回原子爆弾後障害研究会特集号』(広島医学会) | |
| 記念講演 広島で過じた日々…御園生圭輔 28(260) | ||
| 0401 | 『原子爆弾後障害研究会講演集 第20回』(広島原爆障害対策協議会) | |
| 第20回原子爆弾後障害研究会 とき:昭和54年6月10日 ところ:広島医師会館 記念講演 広島で過ごした日々 御園生圭輔 28 |
||
| 1211 | 原爆被害者対策基本問題懇談会、「被爆者対策のあり方」についての答申を発表 | C |
| 1981 | ||
| 1110 | C | |
| 1986 | ||
| 0430 | C | |
| 1988 | ||
| 07 | 『竹ぼうき』(御園生圭輔先生退官記念事業会) | |
| 1995 | ||
| 0825 | 没。享年82歳。 | |
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原爆死没者追悼式(広島県動員学徒等犠牲者の会)第63回(2019年8月6日~)<作業中>
| 回(年) | メモ |
| 63(2019) | 出典:『ともしび』第131号 |
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| 64(2020) | 出典:『ともしび』第133号 |
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| 65(2021) | 出典:『ともしび』第135号 |
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| 66(2022) | 出典:『ともしび』第135号 |
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|
| 67(2023) | |
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資料年表:近藤幸四郎<作業中>
| 年月日 | 事項 | 備考 |
| **** | ||
| 誕生 | ||
| 1945 | ||
| 0806 | 自宅(爆心地から2・3キロ)で被爆。 | |
| 2002 | ||
| 0821 | 死亡。享年69歳。 | |
| 0822 | 「被団連事務局長近藤幸四郎さん死去 死没者への思い胸に活動」(『中国新聞』西本雅実)。 | |
| 0822 | 「被爆者援護に尽力 近藤さん死去 関係者ら弔問次々」(『朝日新聞』)<宮崎安男原水禁代表委員:国立広島原爆死没者追悼平和祈念館の説明文に『誤った国策』という文言が入ったのは、近藤さんが妥協しなかったからだ> | |
| 0824 | 近藤幸四郎葬儀。 | |
| 0825 | 「被爆者運動には大きな痛手 近藤さん葬儀 700人別れ惜しむ」(『朝日新聞』) | |
| 0910 | 「惜別 広島被爆者団体連絡会議事務局長 近藤幸四郎さん 「怒りのヒロシマ」最後まで」(『朝日新聞』翁長忠雄) | |
| 21 | 2002 | 近藤幸四郎 | こんどう・こうしろう | 69 | 広島県被団協事務局次長、広島被爆者団体連絡会議事務局長、元日本被団協代表理事などを歴任。 |
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広島女学院平和祈念式(被爆55〈西暦2000〉年8月6日~)
| 被爆年 | 西暦 | |
| 55 | 2000 | |
| 56 | 2001 | |
| 57 | 2002 | |
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| 2002年、広島女学院中学高校(広島市中区上幟町)撮影者:宇吹 | ||
| 58 | 2003 | |
| 59 | 2004 | |
| 60 | 2005 | |
| 61 | 2006 | |
| 62 | 2007 | |
| 63 | 2008 | |
| 64 | 2009 | |
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| 出典:『広島女学院報 158号』(20091001) | ||
| 65 | 2010 | |
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| 2010年、広島女学院中学高校(広島市中区上幟町)撮影者:宇吹 | ||
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資料年表:松前重義<作業中>
| 年月日 | 事項 | 備考 |
| 1901 | ||
| 1024 | 熊本県生まれ | |
| 1945 | ||
| 0808 | 広島被爆調査団長として広島へ出発。 | |
| 0917 | 松前重義(逓信院総裁)褒状 | |
| 1947 | ||
| 0104 | ~19510620 公職追放 | |
| 1987 | ||
| 0330 | 『わが昭和史』(松前重義、朝日新聞社、19870330) | |
| <『わが昭和史』(松前重義、朝日新聞社、19870330)への宇吹コメント> | ||
| 0401 | 礼状(東海大学秘書室長⇒宇吹暁) | |
| 1201 | 『松前重義 その政治活動 Ⅰ』(学校法人東海大学) | |
| 1991 | ||
| 0825 | 死亡。享年89歳。 | |
松前重義
| まつまえ・しげよし | 19011024生19910825没 | 享年89歳 | 東海大学創立者。広島調査団長として被爆直後に入市。 |
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『わが昭和史』(松前重義、朝日新聞社、19870330)への宇吹コメント
| 1 | 死線を越えて | ||
| 懲罰召集にかけられる/高指令部付の二等兵に/祖国に生還/反東上運動に奔走/大政/翼賛会に飛び込む/技術者運動の先頭に立つ/ヒロシマ原爆の投下 | |||
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『わが戦いの日々 : 被爆四十周年記念』(長崎県動員学徒犠牲者の会・長崎県被爆者手帳友の会、長崎県被爆者手帳友の会刊)
内容<作業中>
| Ⅰ | 運動の部 | ||
| 1長崎県動員学徒犠牲者の会の結成当時の状況・・・・1 2原爆医療法制定当時の状況・・・・・・12 3ビキニ水爆を起点として、もりあがった原水禁運動の初期の状況15 4分裂した原水禁運動・・・・・18 5浦上天主堂の存置運動は空しかった・・・・・・23 6医療費無料化への道・・・・25 7長崎県被爆者手帳友の会を何故つくったか・・28 8原爆特別措置法の制定の前後・・・・・・・34 9近距離被爆者に対する保健手当はこのようにして作られた・・37 10時津・長与地区の被爆地指定の運動・・・48 11現川、中尾等六キロから八キロ圏の被爆地指定について・・50 12その後の被爆地区是正について・・・・・52 13“長崎の鐘”を作ろう・・・・・・54 14原爆特養“かめだけ”建設について・・・56 15原爆病院の建設について・・・・・・・65 16原子力船「むつ」について・・・・・70 17伊木力円満寺、川棚海軍病院の被爆者手帳交付について・・74 18原爆後障害研究施設の研究所への昇格について・・・・79 19被爆二、三世の運動の行方・・・・・81 20参議院の公聴会に参考人に招かれて・・・・・83 21被爆者の期待を裏切った基本懇の答申から・・・・85 22組織、組織と組織づくりして県下最大の被爆者団体となった熱意91 23思い出 理事長 吉川秀夫・・108 24苦労した組織づくりについて・・・・・・・109 |
|||
| Ⅱ | 行事の部 | ||
| 安日晋先生の記念碑について・・・・・・・111 被爆地区是正ならびに被爆者援護法推進総決起大会・・118 全国戦争犠牲者国家補償要求長崎大会・・・・125 |
|||
| 終戦の詔勅が放送されていたとき 腕切断の手術を受けた私 下谷富太郎・・
妻、子、父母の家族全員を失ったその後の人生 深堀市五郎193 原爆で妻、子を亡くし逆境にもめげず |
|||
| Ⅳ | 支部紹介の部(友の会には県下一二〇支部ありますが提出された八〇支部をのせております) | ||
| 支部の素顔 | |||
| 長崎市 立山、戸町、川平、小榊、三重、平山、西城山、 西町、古賀、油木、飽の浦、矢上、現川、坂本、 西山、稲佐、三原、式見、山里、中尾、竹之久保、 銭座、城山、茂木(大崎)・・・・・・217 佐世保市 佐世保・・・・・・・・・・239 諌早市 小野、有喜、本野、小栗、諌早中央・・・・240 西彼杵郡 長与、神浦、多良見(東)、大瀬戸、崎戸、高島、 時津、大島、西海、西彼、三和、野母崎、琴海、 琴海(西海)、多良見(西)・・・・244 南高来郡 瑞穂、国見、口ノ津、有明、布津、北有馬、吾妻 南串山、西有家、南有馬、加津佐、千々石、深江259 北高来郡 小長井、森山、高来西、飯盛・・・・・・274 東彼来郡 川棚・・・・279 福江市 福江・・・・・・・・・・・・279 南松浦郡 奈良尾、岐宿、奈留、有川、玉の浦、富江、 新魚目(北)・・・280 北松浦郡 田平、鹿町、小佐々、宇久、世知原、江迎285 対馬島 美津島、上対馬、厳原・・・・・・289 |
|||
| Ⅴ | 友の会記録の部 | ||
| 被爆者手帳友の会結成趣意書・・・・・325 被爆者手帳友の会々 則・・・・326 昭和四十二年度から昭和五十八年度までのあゆみ・・・328 |
|||
| Ⅵ | 資料の部 | ||
| 制度の概要・・・・・・・・353 1原子爆弾被爆者の医療等に関する法律・・353 2原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律・・353 原爆医療法及び特別措置法の概要・・・・・・354 各種手当等の改正経緯・・・・・・358 |
|||
| Ⅶ | その他 | ||
| 本部役員及び職員名簿・・・・・・365 あとがき.・・・・・・366 巻末折込・長崎市原爆被災地域図” |
|||
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松前重義(逓信院総裁)褒状(広島逓信病院宛1945年9月17日)
2000年6月7日(撮影:宇吹)
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『動員学徒「慟哭の証言」』(広島県動員学徒等犠牲者の会、20070131)
内容<作業中>
| 口絵 | 動員学徒慰霊塔、 | ||
| 塔の由来 | |||
| 平山郁夫(昭和18年4月修道中学入学) | 『勤労動員学徒「慟哭の証言」によせて』 | ||
| 1 | 学徒および家族の被爆体験 | ||
| サーロー節子 137 | ヒロシマを語り続ける | ||
| 平山郁夫 189 | 古里に向かって歩いたあの日 | ||
| 証言を抜粋させていただいた文集等 ○あゝ麗しき太田川 ○繰返しませぬから ○慰霊 ○平和を祈る人たちへ ○失われた命を語り継いで ○星は見ている ○原爆の追憶 ○ポプラは語り継ぐ ○波羅密多に思う ○みごと ○夏雲 ○流光 ○広島女子商学園六十年史 ○流燈 ○広商百年史 ○進徳学園九十年史 |
|||
| 2 | 原子爆弾による被害 304 | ||
| 3 | 被爆動員学徒の犠牲者数(学校別) 306 | ||
| 4 | 戦争と学徒動員 308 | ||
| 5 | 編集後記 310 | ||
止
あしあと(宮原周治編、動員学徒援護会、1960/11/01)
内容
| 三笠宮崇仁 | 序 | ||
| 小泉信三 | |||
| 茅誠司 | |||
| 1 | 宮崎敏郎 9 | 書簡(門に倚る) | |
| 2 | 崎間政子 21 | 沖縄戦従軍記 | |
| 3 | 中前妙子 41 | 脇田隊日記 | |
| 4 | 井上洋治 89 | 命の破片 | |
| 5 | 中村要 111 | 終戦前夜 | |
| 6 | 藤野としえ 137 | あしあと | |
| あとがき 312 | |||
| 年表 316 | |||
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中西巌
| なかにし・いわお | ****生20230816没 | 享年93 | 旧被服支廠の保全を願う懇談会会長(初代)。『赤レンガ倉庫は語り継ぐ 旧広島陸軍被服支廠被爆証言集』(旧被服支廠の保全を願う懇談会、2020/03/01) |
止
財団法人ヒロシマ・ピース・センター
内容
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| 1 | 設立の趣意 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 2 | 財団法人の設立 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| (1) | 発足要項 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| (2) | 財団法人寄付行為 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| (3) | 協力者一覧 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 外国 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| 日本 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| 広島 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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集中講義「ヒロシマと平和」8月4日~8日(2019~2023年)
| 年 | |||
| 2019 | 広島女学院大学(6名)・関西学院大学(25名) | ||
| 2020 | 中止 | ||
| 2021 | 広島女学院大学(1名)・関西学院大学(19名) | ||
| 「2021年09月02日活動報告」 | |||
| 2022 | 広島女学院大学(13名)・関西学院大学(24名) | ||
| 2023 | 広島女学院大学(0名)・関西学院大学(23名) | ||
『ふるさと文学館 第40巻 広島』(磯貝英夫責任編集、ぎょうせい、19940215)
内容
| 部 | |||
| 1 | 夕凪・海辺の町 | ||
| 清丘八街と瓢箪 志賀直哉 9 風琴と魚の町 林芙美子 13 尾道 佐々木基一 29 暗夜行路の尾道 中村光夫 46 塩と下駄 福原麟太郎 52 汽車通学 福原麟太郎 55 煤煙の臭ひ 宮地嘉六 57 青春の息の痕(抄) 倉田百三 80 広島日記 佐藤春夫 83 ふるさと 大木惇夫 90 江波の浜辺の 大木惇夫 90 あすの日も 大木惇夫 90 流離抄 大木惇夫 91 白市の岩つつじ 大木惇夫 91 備後都市・詩と夢と 木下夕爾 92 |
|||
| 2 | 瀬戸の島々 | ||
| 千鳥 鈴木三重吉 97 仙酔島 島村利正 117 あゝ江田島 菊村到 127 瀬戸内海の旅 木下夕爾 165 |
|||
| 3 | 中国山地 | ||
| 朽助のゐる谷間 井伏鱒二 169 丹下氏邸 井伏鱒二 186 帝釈峡記 火野葦平 197 蕗のとう 山代巴 205 備後の山中 田山花袋 270 備後より 中村憲吉 278 頼杏坪先生 中村憲吉 280 廉塾 富士川英郎 285 三次の鵜飼 中村憲吉 294 よじろうの灯 井上政子 297 可部舟 細田民樹 301 田舎の食卓 木下夕爾 303 三段峡にて 木下夕爾 303 陸稲を送る 井伏鱒二 303 河のある風景 峠三吉 305 |
|||
| 4 | 原爆ー屍の街 | ||
| 壊滅の序曲 原民喜 309 | |||
| 夏の花 原民喜 336 | |||
| 廃墟から 原民喜 348 | |||
| 八月六日 阿川弘之 361 | |||
| 屍の街 大田洋子 377 | |||
| 『屍の街』序 大田洋子 467 | |||
| かきつばた 井伏鱒二 471 | |||
| 燃エガラ 原民喜 484 | |||
| 水ヲ下サイ 原民喜 484 | |||
| 生ましめんかな 栗原貞子 485 | |||
| 再建 栗原貞子 486 | |||
| 5 | 復興へ―広島・ヒロシマ | ||
| 実験都市 梶山季之 489 | |||
| 夏の刻印 小久保均 506 | |||
| 島 堀田清美 540 | |||
| 序 峠三吉 601 | |||
| 八月六日 峠三吉 601 | |||
| 川よ とわに美しく その一 米田栄作 602 | |||
| 川よ とわに美しく その二 米田栄作 602 | |||
| 翠町仮寓 米田栄作 603 | |||
| 八月六日の砂 米田栄作 603 | |||
| 作家紹介 伊藤眞一郎/坂根俊英/槇林滉二 606 | |||
| 作品解説 伊藤眞一郎/坂根俊英 606 | |||
| 自然と風土 槇林滉二 633 | |||
| 文学者群像 磯貝英夫 638 | |||
| 本編収録作品初出・テキスト一覧 653 | |||
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『平和を実現する力―長女の死をめぐる被爆牧師一家の証言』(四竃揚編、日本キリスト教団出版局、2009/06/20)
内容
| はじめに 3 | |||
| 推薦の言葉<<恵みのあと>>-被爆一家の証言 櫻井重宣 15 | |||
| Ⅰ | 沈黙の警告 四竃一郎 31 | ||
| あの日・広島・私 33 その六日間-佑子臨終記 47 父の見た佑子の性格 60 |
|||
| Ⅱ | ありし日の佑子 四竃わくり 65 | ||
| あの日の追憶 67 ありし日の佑子 71 |
|||
| Ⅲ | その記憶を語り継ぐために 四竃揚 101 | ||
| その死を超え行くもの 103 一人連れ出されて 109 |
|||
| Ⅳ | 聖書と讃美歌と祈りの日々 四竃更 139 | ||
| 姉と弟 141 被爆家族の舞台裏 152 |
|||
| Ⅴ | 少年の記憶 四竃招 165 | ||
| 思い出すまま 167 少年時代の思い出 171 五〇年ぶりに疎開地を訪ねて 175 |
|||
| Ⅵ | 弟たちへの手紙 四竃佑子 179 | ||
| 特別寄稿 戦友四竃更牧師 渡辺信夫 189 | |||
| あとがき 199 | |||
止
四竈一郎
| しかま・いちろう | ****生19860821没 | 享年83歳 | 広島市基督教連盟委員長[50ヒロシマ・ピース・センター建設協力者]。[52広島平和問題談話会](日本キリスト教団広島協会牧師)。[54世界平和集会世話人(発起・常任)]。元広島県原水協代表理事( 被爆者)。『平和を実現する力 長女の死をめぐる被爆牧師一家の証言』(四竈揚編、日本キリスト教団出版局、2009.6.20) |
止
『原水爆禁止運動(潮新書)』(今堀誠二、潮出版社、19740625)
内容<作業中>
| 頁 | 大会 | 備考 | |
| 7 | 1 | プロローグ | |
| 37 | 2 | 被爆者・全国民・全世界との連帯が高まる | |
| 57 | 3 | 地方原水協の強化と中央および国際組織の空転 | |
| 85 | 4 | 日本の非核武装化にたちむかうために | |
| 111 | 5 | 原水禁運動の正しい道と左右の日和見主義 | |
| 130 | 6 | 戦う平和運動の目標は軍備全廃か冷戦終結か | |
| 155 | 7 | 帝国主義時代の平和理論と原水爆時代の平和理論 | |
| 176 | 8 | 社・共両党の激突と大衆の統一への願い | |
| 192 | 9 | 国民運動の崩壊と再生への四つの芽 | |
| 232 | 10 | 毛沢東理論からみた日本原水協批判 | |
| 261 | 核兵器のない世界をめざして | ||
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