黒木和雄
くろき・かずお |
19301110生20060412没 |
享年75歳 |
映画監督。『私の戦争 岩波ジュニア新書』(黒木和雄、岩波書店、20040721)。 |
『私の戦争 岩波ジュニア新書』(黒木和雄、岩波書店、20040721)
内容
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Ⅰ |
私の戦争と映画…1 |
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1 満州へ 2
2 えびのでの中学生活 19
3 学徒動員 25
4 米軍機の爆撃で友人が死んだ 31
5 敗戦 37
6 『美しい夏キリシマ』の製作 44 |
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Ⅱ |
映画を撮る…67 |
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1 映画監督になるまで 68
2 原爆・戦争を撮る 83 |
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Ⅲ |
長崎原爆投下24時間前…97 |
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1 ノーモアヒロシマ・ナガサキ 98
2 『かよこ桜の咲く日』(一九八五年) 108
3 『TOMORROW/明日』の製作 135 |
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Ⅳ |
ヒロシマに生きる…159 |
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1 『父と暮せば』(二〇〇四年) 160
2 ヒロシマを発信し続けた友 175
3 『父と暮せば』を製作する 181 |
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おわりに 207 |
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止
資料年表:植木研介
年月日 |
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年 |
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生。 |
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<作業中> |
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1995 |
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1226 |
植木研介夫妻、被爆建物・レストハウス解体撤回のビラを配布。 |
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2022 |
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0106 |
『中国新聞セレクト』 |
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植木研介『想 サッカーと輜重隊遺稿』 |
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2023 |
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1220 |
没。享年79歳 |
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うえき・けんすけ |
****生20231220没 |
享年79歳 |
広島大学名誉教授。1990年代に広島市平和公園のレストハウスの保存を訴える。資料年表:植木 研介。 |
止
広島大学文書館紀要
号 |
発行年月 |
内容など |
01 |
20020331 |
広島大学史紀要 |
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06 |
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広島大学史紀要 |
07 |
20050331 |
広島大学文書館紀要<改称> |
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菅真城「論文 広島大学文書館の設立経緯と現状」 |
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<作業中> |
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19 |
20170228 |
「青木晴夫氏(広島大学一期生、カリフォルニア大学名誉教授)インタビュー」 |
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20 |
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21 |
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22 |
20210331 |
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『ヒロシマの朝そして今 被爆者として母として人間として』(山下会著・稲沢潤子編、あゆみ出版、19821220)
内容
章 |
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著者 |
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稲沢潤子 |
編者のことば 1 |
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Ⅰ 八月六日の朝から
弁当箱の父 原田文子 13
九死に一生をえて 隆杉京子 25
軍需工場とわたしの青春 橋本幸子 35
八月六日 安部アヤ子 43
手をつないだまま 近藤幸子 55
妹のこと 森本英子 72
黙ってひろしまの夏は過ごせない 嘉屋重順子 80
原爆と私 山本美都子 89 |
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Ⅱ わたくしの戦後
土の中の目 原田文子 109
父と子と戦争 隆杉京子 119
父のこと 橋本幸子 131
咽喉が痛い 橋本幸子 138
老人と行列 安部アヤ子 142
或る日突然 山本美都子 156
峠三吉さんの思い出 楠登喜子 167 |
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Ⅲ 原爆体験は子どもらの胸に
苦闘 原田文子 179
父と私 川西富子 191
私の平和運動 樋口園 195
被爆二世について 吉川百合子 206
胎内被爆者を守る運動その後 山下会 212 |
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Ⅳ ヒロシマとともに生きて
原爆手帳の申請 橋本幸子 221
署名に歩く 隆杉京子 228
わたしの白い包み 山本美都子 231
三十三年目の同期会 森本英子 239
米人記者のヒロシマ取材 相良カヨ 253 |
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山下会のあゆみ 山下会 269 |
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執筆者一覧 274
資料・被爆地図 276 |
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止
資料年表:郭貴勲
年月日 |
事項 |
備考 |
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誕生 |
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1973 |
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0815 |
『朝鮮・ヒロシマ・半日本人 わたしの旅の記録』(朴寿南著、三省堂) |
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Ⅲ 煉獄に落ちた人びと 105
<Ⅲ章のためのノート 4> 157
朝鮮人幹部候補生の手記<郭貴勲> 160
Ⅳ 朝鮮人原爆被災 175
<Ⅳ章のためのノート> 177
私の涙は敗戦のくやし涙でなく、祖国解放の感激の涙だった<郭貴勲> 207 |
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1975 |
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0731 |
『被爆韓国人』(朴秀馥・郭貴勲・辛泳洙編、朝日新聞社) |
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第2部 手記・被爆三〇年-その日と今日
問うなかれ甲子生-徴兵第一期生として 郭貴勲 149
献身的な妻を追い込んだもの 郭貴勲 168
父子二代、体と心を奪われる 郭貴勲 176
第3部 日誌・再び踏む日本の土
1 ヒロシマは遠く 郭貴勲 204
旅立ち
自分自身の墓の前で
安らかに眠ってもらうために
商品を売る一万分の一の誠意を
三菱本社での交渉
なぜ交付しない、被爆者手帳 |
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1986 |
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0220 |
『イルボンサラムへ 40年目の韓国被爆者』(鎌田定夫編、広島・長崎の証言の会) |
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第Ⅱ部 韓国からの証言―イルボンサラムヘ 45
証言1 ソウルの被爆者たち…柴田章子 48
郭貴勲 |
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1991 |
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0525 |
『日本の原爆記録12 ナガサキの被爆者 部落・朝鮮・中国、被爆韓国人』 |
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被爆韓国人 朴秀馥 郭貴勲 辛泳洙 199
序文 未来を貫く証として 200
第二部 手記・被爆三〇年 その日と今日 251
問うなかれ甲子生 徴兵第一期生-郭貴勲 316
献身的な妻を追い込んだもの-郭貴勲 331
父子二代、体と心を奪われるもの-郭貴勲 338
第三部 日誌・再び踏む日本の土 361
1 ヒロシマは遠く 郭貴勲 362
旅立ち
自分自身の墓の前で
安らかに眠ってもらうために
商品を売る一万分の一の誠意を
三菱本社での交渉
なぜ交付しない、被爆者手帳 |
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2000 |
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1113 |
『被爆者が被爆者でなくされるとき 在韓被爆者郭貴勲さんの「被爆者援護法裁判」陳述書を読む(在外被爆者にも「被爆者援護法」の適用を 第2集)』(韓国の原爆被害者を救援する市民の会) |
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2001 |
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1010 |
『証言-ヒロシマ・ナガサキの声2001 第15集』(長崎の証言の会) |
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忘れられた被爆者に希望の光を-郭貴勲判決 中村尚樹 148 |
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2003 |
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0901 |
『原爆被爆者関係法令通知集 (八訂)』(被爆者援護法令研究会、ぎょうせい) |
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資料
13.郭貴勲訴訟大阪高裁判決[平成14年12月5日]1009 |
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2005 |
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0712 |
『平和 核兵器のない世界を 被爆60年史』(NTT労働組合広島原爆被爆者・二世協議会 [ほか]、NTT労組被爆60周年史プロジェクト) |
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⑭資料集
2002年12月5日大阪高裁郭貴勲裁判判決要旨 201 |
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0806 |
『イアブック「核軍縮・平和2005」 市民と自治体のために』(ピースデポ・イアブック刊行委員会企画・執筆、ピースデポ) |
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第4章 特別記事
4.韓国人被爆者の証言 郭貴勲 255 |
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2008 |
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0520 |
『韓国原爆被害者苦痛の歴史 広島・長崎の記憶と証言』(鄭根埴編、晋珠採録、市場淳子訳、明石書店刊) |
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[証言]
原爆被害者運動の現況と展開…57
郭貴勲 58 |
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0806 |
『ヒロシマ・ナガサキを考える 復刻版Ⅰ』(ヒロシマ・ナガサキを考える会) |
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第26号(1988・1)
メッセージ・郭貴勲 |
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2009 |
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0625 |
『海の向こうの被爆者たち 在外被爆者問題の理解のために』(平野伸人編著、八月書館) |
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第1章 在外被爆者が歩んできた歴史
2.在外被爆者のたたかいの軌跡 15
・郭貴勲裁判 28
・郭裁判、上告断念 31
・「402号通達」廃止一政省令改正 32
・新たな裁判 33
・’海外申請に道開く 33
第2章 在外被爆者の証言と現在
1.韓国の被爆者 50
・被爆者はどこにいても被爆者 郭貴勲さん 55 |
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2011 |
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1220 |
『日韓未来構築フォーラム 誠信学生交流ヒロシマツアー2011 活動報告書』(早稲田大学アジア研究機構) |
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2章~「核」を考える旅~
8月5日[広島平和記念資料館を見学]
韓国人被爆者への日韓学生合同追悼式
挨拶 辛亨根駐広島韓国総領事、姜尚中東京大学大学院教授
講話・証言 郭貴勲氏(元韓国原爆被害者協会会長)
平野伸人氏(被爆二世全国連絡会会長) |
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2012 |
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0101 |
『平和宣言(平成23年)の作成に際し寄せられた「被爆体験談や平和への思い」集』(広島市市民局国際平和推進部平和推進課) |
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41.郭貴勲 20歳・男・軍人(広島西部第二部隊) |
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2016 |
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0331 |
『被爆者はどこにいても被爆者 郭貴勲・回想録』(郭貴勲著、井下春子訳、韓国人被爆者・郭貴勲手記出版委員会編・刊) |
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1130 |
『在外被爆者裁判』(田村和之編、信山社) |
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第1編 在外被爆者裁判 総説〔田村和之〕 15
第2章 被爆者援護法の国外適用へ郭貴勲裁判を中心に 29
1 郭貴勲裁判へ至る過程 29
2 郭貴勲裁判の提起 33
3 大阪地裁判決の影響 41
4 郭貴勲裁判大阪高裁 44
第2編 在外被爆者裁判各説 135
第1章 在韓被爆者・郭貴勲裁判〔永嶋靖久〕 137
1 郭貴勲裁判提訴以前の状況 137
2 郭貴勲裁判提訴の経緯 139
3 郭貴勲裁判が目指したもの 140
4 どこで手当打切りの違法性を確信できたか 141
5 裁判における双方の主張 143
6 大阪地裁判決 144
7 大阪高裁判決 145
8 上告断念 147
9 郭貴勲裁判の意義と残された課題 147
第3章 在ブラジル被爆者裁判〔足立修一〕 181
5 裁判がはじまってから,郭貴勲裁判高裁判決により一定の解決を見た 184 |
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2022 |
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1231 |
死亡。享年98歳。 |
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2023 |
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0104 |
平岡敬(元平岡敬)「郭貴勲さんを悼む」(『中国新聞』(20230104) |
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止
イサム・ノグチ
のぐち |
19881230没 |
享年84歳 |
日系米国人の彫刻家。広島市の平和大橋などを設計。 |
資料年表:イサム・ノグチ
年月日 |
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1904 |
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1117 |
アメリカで誕生 |
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1988 |
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1230 |
没。 |
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1993 |
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0919 |
『戦争と平和と歌 李香蘭心の道』(山口淑子著、東京新聞出版局) |
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“イサム・ノグチの世界”を知る 91 |
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1997 |
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0510 |
『評伝イサム・ノグチ』(ドーレ・アシュトン著、笹谷純雄訳、白水社) |
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2005 |
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0930 |
『夢みる少年-イサム・ノグチ』(柴橋伴夫著、共同文化社) |
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2006 |
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1117 |
『イサム・ノグチ生誕百年記念国際芸術シンポジウム イサム・ノグチ[1904-1988]の遺したものvol.2 古代から未来・宇宙への交信』(イサム・ノグチ日本財団、イサム・ノグチ庭園美術館) |
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2007 |
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0331 |
『丹下健三研究室の理論と実践に関する建築学的研究』(豊川斎赫著・刊) |
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第六章 丹下健三の伝統論と丹下研究室の創作方法論:慰霊、庭園、モデュロール 71
2.丹下研の上部構造:丹下本人による唯物論と伝統論
2-2.アーティストとの対話における伝統論
(2)イサム対談「インドの建築に学ぶ」(1956.05)とユネスコの庭 |
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2010 |
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1001 |
『広島建築 Hiroshima architecture Ver. 1』(アーキウォーク広島) |
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●「ひろしま美術館 広島デザイン散歩~イサム・ノグチから始まる」
2013.10.5 高田真(アーキウォーク広島 代表) 10p
(1)展示仮説:イサム・ノグチを知る |
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1117 |
『イサム・ノグチ庭園美術館開館10周年記念シンポジウム』(イサム・ノグチ日本財団、イサム・ノグチ庭園美術館) |
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東京会場
2009年11月15日(土)東京・草月会館草月ホール
高松会場
2009年11月17日(火)サンポート高松かがわ国際会議場 |
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2011 |
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0111 |
『平和のアート彫刻 戦争の記憶 核のない未来へ 写真集』(藤田観龍著、本の泉社) |
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91 広島・ひろしま…藤原雄…広島県…広島市・御幸橋西詰
西平和大橋(ゆく)平和大橋(つくる)…イサム・ノグチ…本川・元安川 |
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2012 |
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0831 |
『Peace creator 平和を創る』(クオリアート刊) |
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イサム・ノグチ 192 |
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2013 |
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0101 |
『イサム・ノグチ その創造の源流 』(ひろしま美術館) |
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0701 |
『サイト 場所の記憶、場所の力』(広島市現代美術館) |
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図版、作家・作品解説 / Plates & Notes on Artists and Works …17-60
イサム・ノグチ / lsamu Noguchi …18-21 |
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0720 |
『丹下健三とKenzo Tange = Tange Kenzo and Kenzo Tange』(豊川斎赫編、オーム社) |
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第Ⅱ部 東大都市工学科丹下研究室
32 谷口吉生 Kisho Taniguchi …541
URTEC編
谷口吉郎編
①父との思い出
②父の建築プロポーションと「見えないものへの造形」
③父の和風デザインとプロポーション
④原寸図の姿勢について
⑤イサム・ノグチとの関係 |
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0814 |
『丹下健三 伝統と創造―瀬戸内から世界へ 瀬戸内国際芸術祭2013・丹下健三生誕100周年プロジェクト』(北川フラム監修、美術出版社) |
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2 伝統を創造する 1946-58 広島から香川へ…142
2-1 都市の復興に向けて…148
丹下健三とイサム・ノグチの交流 和泉正敏…162 |
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2015 |
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1001 |
『美術史 第179冊』(美術史学会) pp.117―132。 |
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越前俊也「イサム・ノグチ《広島の亡き人々のための記念物》再考」 |
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2016 |
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0801 |
『原爆ドーム 物産陳列館から広島平和記念碑へ 歴史文化ライブラリー 431』(頴原澄子著、吉川弘文館) |
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2017 |
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1117 |
『20世紀の総合芸術家イサム・ノグチ 彫刻から身体・庭へ = Isamu Noguchi : from sculpture to body and garden』(イサム・ノグチ[作]、新見隆監修、平凡社) |
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未完の広島―エピローグ…195
慰霊と平和記念
慰霊室
イサム・ノグチの慰霊碑
ノグチ案の棄却 |
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1220 |
『イサム・ノグチ物語 「遊び」は芸術だ! = A life and artworks of Isamu Noguchi』(めらかよこ著、未知谷刊) |
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2019 |
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0101 |
『イサム・ノグチと長谷川三郎 変わるものと変わらざるもの 横浜美術館出品目録』(横浜美術館) |
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解説:長谷川三郎の戦前期の抽象作品とイサム・ノグチの二つ目の〈広島メモリアル〉モデル Saburo Hasegawa’s Prewar Abstract Works / Isamu Noguchi’s second model for Hiroshima Memorial …10 |
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2020 |
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0331 |
『横浜美術館研究紀要 第20号』(横浜美術館学芸グループ編、横浜美術館) |
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【新出資料】イサム・ノグチと丹下健三による《広島の死者のためのメモリアル》図面(ハーバード大学デザイン大学院フランシス・レーブ・ライブラリー蔵)―彫刻家と建築家の真のコラボレーションの記録 中村尚明 …9 |
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2021 |
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0331 |
『横浜美術館研究紀要 第22号』(横浜美術館学芸グループ編、横浜美術館) |
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イサム・ノグチと丹下健三による広島平和記念公園慰霊施設案コラボレーションの背景―記念施設としてのコミュニティ・センターを中心に 中村尚明 …91 |
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1130 |
『原爆 捨てられない記憶と記録』(佐々木猛也著、日本評論社) |
G |
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第17章 平和記念公園内と周辺の施設など・・・・・478
ふたつの平和大橋 イサム・ノグチ |
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2023 |
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0331 |
『横浜美術館研究紀要 第24号』(横浜美術館学芸グループ編、横浜美術館) |
G |
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丹下健三による3つの広島平和記念公園慰霊施設案とイサム・ノグチの設計参加前後の広島市の戦災死没者慰霊施設計画 中村尚明 23 |
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止
原爆絵本シリーズ(汐文社、19890410)
シリーズ |
タイトル |
作・絵 |
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1 |
ヒロクンとエンコウさん |
四国五郎作・絵 |
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2 |
もえたじゃがいも |
入野忠芳作・絵 |
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3 |
原爆の少女ちどり |
山下まさと作・絵 |
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4 |
とうちゃんの涙 |
下村仁一作・絵 |
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5 |
ミヨちゃんの笛 |
白井史朗作・絵 |
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6 |
金魚がきえた) |
山本美次作・絵、吉野和子作 |
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7 |
天に焼かれる |
金崎是作・絵 |
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稲富栄次郎
いなとみ・えいじろう |
19870907生19751230没 |
享年78歳 |
広島文理科大学助教授の時被爆。教育哲学会会長。『世紀の閃光』(稲富 栄次郎著、銀のの鈴広島図書発行、19491220)。『広島原爆記 未来への遺書』(稲富 栄次郎著、講談社、19730801)。 稲富栄次郎 |
止
浦廉一
うら・れんいち |
18950227生19571228没 |
享年62歳 |
『浦廉一博士を偲びて―その小伝』(浦廉一先生追悼事業会、1958.12.28)。広島高等師範学校教授(東洋史)の時被爆。 |
止
資料年表:吉川生美<作業中>
年月日 |
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*** |
三次市?で誕生 |
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2013 |
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1228 |
没 |
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きっかわ・いきみ |
生20131228没 |
享年92歳 |
三次市出身。爆心地から約1・6キロの現広島市中区西白島町で被爆。夫は、「原爆1号」と呼ばれた吉川清。 |
止
ヒロシマの歴史を残された言葉や資料をもとにたどるサイトです。