山田節男年譜 1898~1946年

山田節男先生年譜 1898~1946年<出典:『山田節男追想録』(山田節男追想録刊行委員会編・刊、19760715)>

年月日 事項
1898 (明治31)
1226 広島県賀茂郡高屋町大字溝口429番地で出生。
1917 (大正6)
03 修道中学校卒業
1920 (大正9)
07 第六高等学校<岡山市>卒業
1923 (大正12)
04 東京帝国大学経済学部経済科卒業。マスター・オブ・アーツの称号。
1930 (昭和5)
03 英国オックスフォード大学政経学部卒業。マスター・オブ・アーツの称号。
1931 (昭和6)
0701 ジュネーブ国際連盟付属機関国際労働機関(ILO)調査委員。
1933 (昭和8)
03 東京市社会局本所第一方面事務所長
1938 (昭和13)
03 東京市嘱託 東京市電気局労務課勤務
05 日本厚生協会常務理事
1939 (昭和14)
06 明治学院高等部講師
07 中央社会事業研究所海外研究員
1942 (昭和17)
0505 陸軍司政官北ボルネオ守備軍軍政部総務部長兼調査局長
1945 (昭和20)
0213 陸軍司政官高等官3等
09 豪州軍第9師団軍事裁判戦犯者主任弁護士任命
1946 (昭和21)
0408 復員

 

原爆と広島大学 「生死の火」学術篇 人文科学の部

原爆と広島大学 「生死の火」学術篇 人文科学の部<作業中

人文科学関係(横田輝俊、磯貝英夫、松元寛)257
 Bk481130a
Bk491220a
 社会科学関係(山田浩、北西允、横山英)260
はしがき 260
1 被爆の実態および調査 260
2 平和運動をめぐって 263
3 ヒロシマの戦後と世界の中のヒロシマ 266
平和教育関係(大槻和夫)269
はじめに 269
1 長田新の平和教育論とその実践 269
2 教育学部附属中学校「原爆と平和」 271
3 教育学部社会科教室を中心とする調査研究 272
4 教育学部附属中・高校国語科の試み 273
5 教育学部附属小学校の『子どもと父母と教師が書いた、原爆の記憶』3部作 273
6 平和教育の発展の中で 274
おわりに 276

『原爆と広島大学 「生死の火」学術篇』(広島大学原爆死没者慰霊行事委員会、19770910 )所収

伊藤サカエ年表

伊藤サカエ年表 <作業中

月日 事項
 広島県呉市生まれ。矢野町議会議員、同町婦人会長などを歴任。
1945 0806 広島市鶴見橋で建物疎開作業の勤労動員中に被爆。
1965
1977 0304 伊藤サカエ広島県被団協理事、「日米首脳会談で米大統領に核廃絶に踏み切るよう要請して欲しい」と福田首相に手紙。(中国新聞)
1978 0302 広島県被団協、5月の国連軍縮特別総会に5人の代表を派遣。桧垣益人事務局長・伊藤サカエ・高橋昭博・下江武介・小野田百合子。(中国新聞)
0526
0806
1979 1206
1981 0621 日本被団協、伊藤サカエ(初の女性代表委員)・山口仙二・伊東壮が代表委員に、桧垣益人、小佐々八郎、行宗一は顧問に就任。
1982 0818 伊藤サカエ・李実根、日本被団協の「欧州語り部の旅」の広島代表として参加。
0819 ~30 日本被団協「欧州語り部の旅」に伊藤サカエら27人を派遣。(日本被団協 (www.ne.jp)
1983 0308
1984 0228
0617 日本被団協定期総会。代表委員に伊藤サカエ・山口仙二・伊東壮を再任
0621 広島県被団協理事会、桧垣益人事務局長の辞任を了承、後任に伊藤サカエ。
  • 特集 被爆者医療の今日的課題-第4回全日本民医連被爆者医療交流集会から- 第4回全日本民医連被爆者医療交流集会の発言から 伊藤サカエ(日本被団協代表委員)/鈴木頌(北海道・勤医協札幌病院医師)/本庄庸(福岡・千鳥橋病院院長)/加藤文裕(神奈川民医連集健小委員・汐田病院事務)/上戸真弓(長崎・大浦診療所MSW)/坂本キミ子(福岡県被爆者相談所事務局長)/大場敏明(千葉・船橋二和病院医師)(『民医連医療』6月号)
1985 0626
0805
1986 0301
0729
0929
1987 0131
0623
1989 0906
1990 0115 伊藤サカエ「エッセイ 被爆45周年を前に」(『福竜丸だより』141号)
0604
1024
1994 0709 広島県被団協、故森滝市郎の後任理事長に事務局長の伊藤サカエを決める。
1101
1130 衆議院厚生労働委員会、広島市内で被爆者援護法案についての公聴会。陳述人は、重松逸三・小林寛治・石田明・伊藤サカエ。
1223  緊急全国代表者会議(「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律」制定直後)での伊藤サカエ代表委員あいさつ「政府与党の、私たちの希望を欠いた提案が可決され、もっともっと大きな荷物を抱えた。私たちの後ろには、34万人の死んだ人と、一般戦災者もいる。国がした戦争の責任をなぜ国民が、政府がとらないのに私たちがとらなくてはならないのか。…もっともっと固く団結して、私たちがこれだけやったんだという証拠を挙げたい」。出典:濱谷正晴「“日本被団協 1994.12.23 緊急全国代表者会議”~「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律」の成立をうけて~」
1995 0817 伊藤サカエ理事長、中国核実験に抗議電報。
1997 0627 伊藤サカエ理事長、広島県被団協(金子一士理事長)総会に初めて出席。分裂から33年、連帯を確認(中国新聞)
2000 0105  伊藤サカエ(日本被団協代表委員・広島県被団協理事長)死去。88歳。
itosakae
 0606  偲ぶ会(伊藤サカエ・伊東壮)
 2019
2016 0416 「伊藤サカエさんを語る会」(広島市原爆被害者の会主催「先人を語る会」第4回)。会場:大手町平和ビル。参加者65名。
 0816 「祖母、母から孫娘へ 三世代で語り継ぐ広島の被爆体験」( 『週刊女性』8月16日号)

2023年1月(日録)

2023年1月(日録)

できごと
01 ヒロシマ遺文への投稿=「文団連ニュース No.51 19830101
 02  ヒロシマ遺文への投稿=「2023年1月(日録)
03  ヒロシマ遺文への投稿=「山口勇子さんを偲ぶ(東京・広島)」「日詰忍さんを語る会(第7回先人を語る会)案内状
 04  ヒロシマ遺文への投稿=「金子一士さんを偲び遺志をつぐ会」、「裕仁(ひろひと)
05  ヒロシマ遺文への投稿=「伊藤サカエ年表」「原爆と広島大学 「生死の火」学術篇 人文科学の部
 06  ヒロシマ遺文への投稿=「横山英先生追悼特集(近きに在りて 第49号)目次
 07  ヒロシマ遺文への投稿=「平和運動をめぐって―社会科学関係(山田浩、北西允、横山英)」、「山田節男年譜 1898~1946年
08  ヒロシマ遺文への投稿=「山田節男年譜 1946年~
 09  ヒロシマ遺文への投稿=「パール、ラダビノード」、「日本無罪論-真理の裁き( パール述 田中正明編)」、「仁科芳雄関係資料(広島県史原爆資料編収録分)
10  ヒロシマ遺文への投稿=「仁科芳雄『原子力と私』」、「仁科芳雄博士追悼特集(『自然』1951年04月)
11   ヒロシマ遺文への投稿=「大原博夫伝」、「仁科芳雄
12   ヒロシマ遺文への投稿=「『原子爆弾の話』(志田信、東京大学出版会、19521201)
13  ヒロシマ遺文への投稿=「赤松俊」、「幽霊 原爆の図世界巡礼」、「第16回地域・自治体問題全国研究大会 1986年11月22日~23日」、「広島に聞く・広島を聞く(『広島平和研究所ニューズレター』所収)
 14  ヒロシマ遺文への投稿=「山田節男 広島市長選に「出馬する」ゆえん 1967年」、「原水爆禁止世界大会報告決定集 被爆20周年」、「「核」に立ち向かった人びと
15  ヒロシマ遺文への投稿=「藤井日達」、「藤井日達猊下 白寿を祝う(『サルボダヤ』特集)
 16  ヒロシマ遺文への投稿=「広島平和記念資料館平和データベース検索 キーワード「松重美人」結果
 17  ヒロシマ遺文への投稿=「ピカに灼かれて―被爆体験記(広島医療生活協同組合原爆被害者の会)」、「ピカに灼かれて 第28集 終刊号 2005年7月15日」、「松江澄」、「松江澄『ヒロシマの原点へ 自分史としての戦後50年』
18  ヒロシマ遺文への投稿=「丸屋博先生(詩人・御庄博実)を偲ぶ」、「8・15不戦の夕べ(1989年)講演:安江良介」、「於保源作」、「面影 原爆ガンと取組んだ町医者 於保源作
19  ヒロシマ遺文への投稿=「丸屋博『ヒロシマ随想 医師として被爆者として』」、「八杉康夫」、「八杉康夫『戦艦大和 最後の乗組員の遺言』
20  ヒロシマ遺文への投稿=「北西允さん(政治学者)『生きて』(『中国新聞』連載)」、「北西允」、「北西允宛宇吹書簡(控)2001年3月15日」、「わが人生論 青少年へ贈る言葉 広島編」、
21  ヒロシマ遺文への投稿=「花は想う人の側に咲く 浜本万三回顧録」、「浜本万三」、「原爆被害はどうしても受忍できない -参議院を通過した原子爆弾被爆者等援護法案-」、「年賀状(北西允⇒宇吹)」、
22  ヒロシマ遺文への投稿=「泉 次代への贈りもの」、「村上哲夫『ながれ』」、
23  ヒロシマ遺文への投稿=「相原秀次(宇吹メモ)」、「相原秀次」、「相原秀次年賀状1998」、「灘尾弘吉」、
24  ヒロシマ遺文への投稿=「灘尾弘吉「政界への道」」、「広島県医師会史 第II編」、
25  ヒロシマ遺文への投稿=「吉川清略歴」、「森瀧市郎追悼集」、「石田忠」、「社会調査家 石忠さん」、「葉佐井博巳」、「」、
26  ヒロシマ遺文への投稿=「追悼:葉佐井博巳」、「広島評論 ヒロシマ原爆10周年を迎えて」、「廣島人物傳(広島人物伝) 1955年版」、「原爆関係蔵書目録Ⅲ 1984年1月~1988年12月」、「序(蔵本淳・広島大学原爆放射能医学研究所長・付属原爆被災学術資料センター長)」、
 27  ヒロシマ遺文への投稿=「広島大学原爆放射能医学研究所創立30周年記念講演会記録」、
28  ヒロシマ遺文への投稿=「川村智治郎」、「広島大学歴代医学部長
 29  ヒロシマ遺文への投稿=「栗原登」、「鈴木直吉」、
30  ヒロシマ遺文への投稿=「『ヒロシマの子育て・教育』1990~1992年
31  ヒロシマ遺文への投稿=「広島市議会史」、「広島市議会史 昭和(戦後)編」、「吉田治平」、「わしらの被爆体験 100人の証言」、「2023年2月(日録)

日本列島核基地マップ(日本平和委員会、1984年)

日本列島核基地マップ(日本平和委員会、1984年)<作業中

 永続的平和と安全保障は軍事同盟による兵器の蓄積でつくりだすことはできない<第1回国連軍縮特別総会最終文書>
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1984map001
 全国にひろがる非核都市宣言
 これが太平洋核トマホーク艦だ
核戦争寸前12例
 核戦争をよびこむ「不沈空母」日本
 1984map002

丸屋博

丸屋博

よみ 没年 享年  事績
まるや・ひろし 1905生20150118没 89 1945年8月8日、広島入市。広島共立病院名誉院長。詩人(ペンネーム:御庄博実)。
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参考資料:ピカに灼かれて―被爆体験記(広島医療生活協同組合原爆被害者の会) | ヒロシマ遺文 (hiroshima-ibun.com)

ピカに灼かれて―被爆体験記(広島医療生活協同組合原爆被害者の会)