「01月忌」カテゴリーアーカイブ

北西允さん(政治学者)『生きて』(『中国新聞』連載)

北西允さん(政治学者)『生きて』(『中国新聞』2013年連載、担当:西本雅実・編集委員)

掲載月日 見出し 備考
1 0409 顧みて 反戦・反核に異議見つけ
2 0410 博多育ち 軍国教育に反抗心募る
3 0412 医学生 軍隊嫌い高じ窮余の策 京都府立医大、林市造
4 0413 九大「細胞」 GHQもじりデモ行進 向坂逸郎、今中次麿、具島兼三郎、
5 0413 メーカー社員 運動家目指すも・・・退社 太田薫、英子、
6 0416 導かれて研究者の道へ 今中門下 今中次麿、山田浩、
7 0417 広島大教員 大学人の会運営担う 今中次麿、佐久間澄、横山英、
8 0418 原水禁大会 草の根の合唱にも感動 今中次麿、佐久間澄、山田浩、木下航二、伊藤満、庄野直美
9 0419 運動の低迷 「排除の論理」には反対 佐久間澄、伊藤満
10 0420 分裂 党は争いに自責の念 森滝市郎、今堀誠二
11 0423 広大紛争 学生委員引き受け団交 広島大学園問題全学共闘会議、川村智治郎
12 0424 バリケード封鎖 警察力で解除 心におり 飯島宗一
13 0425 ヒロシマ行動 党派超え20万人が集う 庄野直美
14 0426 けんか相手 平等追求し最後見とる 北西英子
15 0427 新たな潮流 個人の意思と力に期待

八杉康夫『戦艦大和 最後の乗組員の遺言』

八杉康夫『戦艦大和 最後の乗組員の遺言』(ワック刊、2005/12/08)

内容

1 音楽好きの軍国少年…9
 武士の商法で豆腐屋さん
早かった舞台経験
「もらい子」だった父
音楽の才能を見込まれて中学退学
2 海軍志願兵…19
 「甲上」で合格
「天皇のために死ぬ」に疑問
二十四分隊へ
横須賀で聞いた「新型爆弾」
3 大和戦艦…35
 お前の行き先は「大和じゃ」
ついに大和乗艦
お守り袋の日記
4 永訣の朝…49
 母に最敬礼
天一号作戦発令
草鹿参謀長の一言
力むなよ、力まなければ勝てるぞ
発射されなかった敵の魚雷
片道燃料説は嘘
5 女神微笑まず…65
 レンズをまっ黒にした大群
後部艦橋全滅
「奄美大島にもいけんぞ」
「逃げる気か」と喉元へ日本刀
眼前での割腹自殺
6 撃沈、四時間の漂流…81
 大和撃沈、そして大爆発
降ってきた「アルミ箔」
丸太を流してくれた高射長
睡魔に負けた少年兵
7 重油の海からの生還…91
 繰り広げられた醜態
嬉しかった殴打
満開の桜に男泣き
祖母の予言
殴りつけた割り込み男
8 本土決戦隊へ…107
 第二十三陸戦隊へ
自爆部隊の絶望的訓練
9 ヒロシマの閃光…113
 朝礼で見た白い光
足を掴んだ少年
10 呉警備隊で聞いた玉音放送…121
 原隊復帰
「我、敗戦に考フ」
「原爆は神の再来です」
遺族には言えなかった
11 再生のきっかけ…135
 素人のど自慢
保本少尉の妻
神戸で調律師修行
原爆の後遺症が
12 大和探し…145
 豊かさへの疑問
名著にあった「徳之島沖」
むなしかった慰霊祭
NHKとの合同調査
浮き上がった頭蓋骨
辺見じゅんさん、角川春樹さん
13 真相を求めて…163
 川崎高射長の娘と妻
「漂流者の手首を切り捨てた」
吉田満氏に問いただす
ありえない「新生日本」
水交会員も憤激
海水注入による犠牲は事実
14 語り部として…179
 大鑑巨砲主義はなぜ
一発も撃てなかった主砲
「生きろ、生き抜くんだ」
戦争責任について
大和の語り部として
あとがき…195
付録 戦艦大和小史…199

八杉康夫

八杉康夫<作業中

やすぎ・やすお 1927****生20200116没 享年92 戦艦大和の生存者。呉から広島へ入り遺体処理に従事。

関係資料

資料名
『戦艦大和が沈んだ日 運命の4月7日 元戦艦大和乗組員・八杉康夫聞き書き』(中川秀彦著、牧歌舎、20050228)
『戦艦大和 最後の乗組員の遺言』(八杉康夫著、ワック刊、20051208)

丸屋博『ヒロシマ随想 医師として被爆者として』

丸屋博『ヒロシマ随想 医師として被爆者として』(丸屋博著・発行、19930701)

内容

タイトル 備考
1 医療について
私は鳩I -花叉は春- 10
赤茶けた一枚の写真 13
医療生協考 14
医療における人間関係 16
老人保健法雑感 17
入院の記 -医師として患者として- 20
一日一日を生きる 24
宇宙船”地球号” 26
生協・病院は生きている 27
サーボ・ベンチレーターは誰のものか 29
「がん告知」について 31
広島医療生協二十歳 37
住民と共に歩む -広島医療生協二十年に想う- 39
世界らん会議と地獄医療 43
地域の中へ 地域と共に 45
医療は開かれなければならない 52
一生に三世を経るか? 54
ある老婆の死 57
精神の深さを耕すことを 59
いのちを支えるもの 61
2 反核平和について
私は鳩II -炎叉は夏- 66
原爆と詩と 70
かけがえない平和を守るために 74
何故「原爆カルテ」なのか 76
被爆医療をすすめるために 78
被爆者として医師として -2,000枚の被爆者カルテから- 81
ヒロシマと広高と 86
僕のヒロシマ 91
ヒロシマの川辺で 95
生協原爆被害者の会 岩国基地を見る 97
歴史の歯車を逆行させてはならない -SSDIIIに代表を送る- 103
アウシュヴィッツとヒロシマに集う -IPPNW 第9回国際大会-112
湾岸戦争に思う 121
日本の戦後処理は終わっていない 122
3 詩のことなど
私は鳩III -川叉は秋- 126
私の八月六日 130
心を組む 132
いのちあるもの 133
ひ弱な少年の記憶 136
八月のヒロシマ 137
「ふんい気」考 -映画”冬のリトルボーイ”によせて- 139
ヒロシマの空に 141
詩と愛と -峠三吉没後三十年碑前祭に- 139
蝶蝶 145
生きることの意味 146
春の庭 147
一鉢のおもと 148
いのちのうた 149
田に柴を入れる 151
一冊の詩集 152
詩集評 人間と祖国を愛するでっかい歌 155
現代詩の根源を問う -『御庄博実詩集』に寄せて 157
宇野重吉一座の幟と医療と -宇野重吉の想い出- 161
夾竹桃の花の赤さに 166
季節のうつろいに 169
小医は病を癒し 中医は人を直し 大医は国を治す 170
絵にはヒロシマの川の匂いがある -四國五郎展によせて- 174
一日看護婦体験 175
石楠花碁会のことなど 176
4 再び医療について
私は鳩IV -雪又は冬 180
藁ぞうりの上履 184
雪の下で 188
二十五歳の民医連と僕 190
被爆二世の健康を考える 191
病院増改築ののちにくるもの 192
広島民医連医報 巻頭言 199
独語独賛のことなど 201
SSDIIIへ代表を送る 203
『御庄博実詩集』と僕 204
「聴診器」書評 -いのちのうたが聞こえる- 205
閉鎖状況を打ち破るもの 207
映画「千羽づる」を観て 211
IPPNW・第9回世界大会 212
「夏まで?では困るという話」(書評)213
出雲平野のレンゲ畑に 215
ヨーロッパの自治意識にふれて 218
付録 被爆医療について(講演採録)225
1.核時代
2.人体影響
3.原爆の異常性について
4.放射線被害の特性
5.原爆症追及の方法
6.現行法
「翔る」第13号別冊 1988・12
原水爆禁止世界大会・科学者集会報告(1990・8)
あとがき
丸屋博略歴
筆名 御庄博実
1925年 山口県岩国市生まれ
旧制広島高等学校、岡山大学医学部卒
東京・代々木病院、倉敷市・倉敷協同病院・広島共立病院を経て、現在広島共立病院名誉院長。

面影 原爆ガンと取組んだ町医者 於保源作

『面影 原爆ガンと取組んだ町医者 於保源作』(小川加弥太・於保信義編、溪水社、19930114)<作業中

内容

末っ子から見た父、源作―前書に代えて 1
故人の軌跡―新聞雑誌記事から―
死亡率の高い被爆者 17
天狗まんだん「最悪の妻」 19
“原子病”患者はいない 22
第2次放射能 半数近くが発病 24
広島市内50・周辺に7 25
いつでる原爆白書・被害の科学的調査を 26
この1年間でまた65人・この事実を世界に訴える 29
わたくしはこう思う・基礎的な仕事から 33
死亡率から・2割多い死亡者(第1回原爆後障害研究会で発表) 34
「ここにこんな人が」・原爆ガンと取組んで 36
「ここにこんな人が」と広島の於保源作先生 47
広島医学会賞は於保源作氏 48
『原爆症』で新しい報告 50
死因は「悪性新生物」 53
ガン・白血病は多い 55
もの好きといわれて 56
混迷のうちそと・原水禁運動と人間山脈 59
原爆医療と広島医師会 61
この人にきく(6) 於保源作先生 62
私と原爆・新聞を読んで 65
被爆ガン研究の先駆 68
IPPNW両会長来広を前に 71
於保さん 72
天風録 75
被爆者のがん死亡危険度・従来データの2~3倍 77
被爆者と歩む・後障害治療に努力 79
臨床医の目を大切に 83
II 故人を偲んで
於保源作先生を悼んで 原田東岷 89
於保源作先の想出 川上正幸 92
夫のこと 於保つき 95
追憶 於保寅生 97
源作兄を憶う 於保午生 106
肺結核を救われる 於保幸治 109
義父の本 於保郁子 111
頑固おやじ 於保義教 113
あたたかい祖父の手 古沢実佐子 115
パンじじい 小川和宏 119
III エッセイ
頓狂医者 125
斬られた話 132
戦いはこれからだ 136
広島病・原爆独特の神経症 140
原爆祈念日を前に 143
心筋梗塞? 硬塞? 146
私の人生訓 150
原爆被爆者の癌 152
IV 演劇「ゼロの記録」(抄録)
演劇「ゼロの記録」について 157
ABCC 井伏鱒二 158
「ゼロの記録」6 160
於保源作略歴 217
表彰一覧 218
論文一覧 223
あとがき 226

於保源作

於保源作<作業中

おぼ・げんさく 19920114没 享年87 広島市医師会副会長。被爆者の癌の疫学的研究の草分け。

広島原爆障害研究会(1956年11月設立)のメンバー

資料

『面影 原爆ガンと取組んだ町医者 於保源作』(小川加弥太・於保信義編、溪水社、1993.1.14)

丸屋博先生(詩人・御庄博実)を偲ぶ

『丸屋博先生(詩人・御庄博実)を偲ぶ』(広島医療生活協同組合、20151101)

内容

松江澄『ヒロシマの原点へ 自分史としての戦後50年』

『ヒロシマの原点へ 自分史としての戦後50年』(松江澄、社会評論社、19950815)

内容

プロローグ 日本の近代との苦闘…11
I ファシズムの黒い触手-少年時代…17
幼年期の記憶としての大正時代 17
「ごたいてん」と昭和恐慌 22
号外に出た共産党幹部の写真 25
おそまきの「ヰタ・セクスアリス」27
附中中学のころ-「上海事変」と「5・15」事件 30
母と上京-「2・26」事件に出会う 34
忘れ得ぬ旧師、旧友たち 38
II 開戦前夜の学生時代…42
淀橋病院で読んだ岩波文庫 42
国家総動員法案が出る 45
「代返」と「ロウ勉」の寮生活 48
兄の書斎の本 52
「山下元利内閣」の総辞職 55
戦争前夜の名人芸 59
サッカー戦と中伊豆の旅 62
姿を消した朝鮮人の友 66
東大入学-総長は「軍艦の神様」 69
III 学徒兵として「満州」で訓練…73
「近代の超克」論議のはてに 73
学徒出陣式-下関重砲兵連隊へ 76
零下50度の下城子の冬 80
「満州」の雪原を走りながら 84
内務班-日本の軍隊の根幹 87
日本ファシズムのささえ 90
富士山の見える重砲兵学校教育隊へ 94
恩賜賞をもらう羽目に 97
兄からの手紙に胸さわぎ 101
IV 敗戦-占領下の労働運動へ…105
「新型爆弾」投下 105
生きてこの日を迎える 109
一路、黒い雨の降る広島へ 113
兄の生死を確かめに 116
原爆の荒野に立って 120
中国新聞社調査部に入る 123
ストライキと入党-1948年の冬 127
日鋼争議-占領軍と対峙 131
日本で最初の原爆廃棄要求 135
V 朝鮮戦争下-党の分裂と平和養護闘争…139
コミンフォルム批判と「50年分裂」 139
広島平和擁護委員会の結成 143
朝鮮戦争と弾圧のなかで大分派闘争の開始 148
GHQは平和集会を禁止 151
1950年8月6日-勝利した平和闘争 154
『人民日報』の「9・3」論説の波紋 157
深まる対立と県会議員選挙 161
1951年8月6日-再び大衆的な平和闘争へ 165
モスクワ放送-勝利から敗北へ 169
VI 50年分裂-党と大衆のはざまで…173
コミンフォルムの「原罪」 173
天皇制、戦争責任と日本共産党 177
党と大衆のはざまにあって 181
オモテとウラ-「火炎ビン」闘争 183
「血のメーデー」と武装闘争戦術 187
山村工作隊と地下指導部の総点検運動 190
燃え広がる「ビキニ」反核運動 193
ヘルシンキ世界平和集会をめざして 196
夜空をゆるがす「原爆許すまじ」 200
VII 六全協とスターリン批判の衝撃…205
「六全協」-誰がどこで何のために 205
「六全協」-何がどのようにきまったのか 208
「六全協」-それはどう受けとめられたか 212
広島地区組織の再建へ 215
ソ連共産党20回大会とスターリン批判 218
スターリン主義とハンガリー動乱 222
スターリン批判と「六全協」 225
新しい探究と論争の開始 228
党再建のための参議院選挙戦 232
VIII 60年安保闘争と思想的対立の深化…236
党章草案の発表と少数意見 236
全国書記会議における批判と論争 239
綱領論争の激化した日本共産党第7回大会 242
経済成長のはじまりと勤評闘争 247
警職法反対闘争から安保闘争へ 250
岸渡米阻止をめぐっての対立 254
新しい経験の出発点-県会議員当選 258
安保闘争昂揚と問題点 262
深刻化する党の危機と対立-第8回大会 265
IX 社会主義運動の革新をめざして…268
春日(庄)さんがついに離党 268
「社会主義革新運動」出発 271
広島県議会における「大判小判」事件 275
議会活動の内なる原則 279
構造改革論とは何であったのか 282
県議再選と原水協の分裂 286
中ソ論争とは何であったのか 289
「4・17」ストと部分核停条約をめぐって 292
ヘルシンキ平和集会とわが“社会主義”初体験 296
X 70年闘争と新左翼の路線をめぐって…300
高度成長とベトナム戦争 300
二度目の社会主義体験 モスクワ 303
共産主義者の大結集をめざして 307
「パリの5月」と新左翼の登場 310
「プラハの春」と戦車の弾圧 312
現在を廃止する現実的運動へ 315
広島の70年闘争 319
日本の70年闘争と共労党の分裂 322
前衛党の再建を求めて 325
民主主義の徹底をとおして新しい社会へ 327
エピローグ 被爆・敗戦50年のヒロシマ…330
あとがき…339

松江澄

松江澄(まつえ・きよし)

1919**** 生20050115没 享年85 広島市生。1944年一高を経て東京大学法学部卒。1950年、中国新聞社論説委員をレッド・パージで追放。1959年に日本共産党初めての県議。元広島県原水禁常任理事、元統一労働者党議長。熊田重邦・藤居平一両氏の紹介で占領期の平和運動につき、それぞれ数回ヒアリング。

 

関連資料

No. 年月日 書名・資料名 著者・出版社 メモ
1969/08/06 濱井信三追想録 濱井信三追想録編集委員会
1984/07/23 ヒロシマから 原水禁運動を生きて 松江澄著、青弓社
1995/08/15 ヒロシマの原点へ 自分史としての戦後50年 松江澄著、社会評論社
1997/04/17 人間銘木 藤居平一追想集 「藤居平一追想集」編集委員会、藤居美枝子