「12月忌」カテゴリーアーカイブ

聖林からヒロシマへ 映画カメラマン・ハリー三村の人生

『聖林からヒロシマへ 映画カメラマン・ハリー三村の人生』(工藤美代子著、晶文社、1985/02/22)

内容

1 38年前の「その翌日(ザ・デイ・アフター)」 ―バンクーバー・1983年11月 9
2 ハリーと呼ばれた日本人 ―東京・1984年1月 22
3 鏡の向こうのキャメラマン  ―東京・1984年2月 36
4 聖林(ハリウッド)への道 49
5 映画の黄金の都 82
6 サナラ、聖林(ハリウッド) 112
7 日本映画が若かったとき 122
8 アトミック・バム! 158
9 日本の草が再びグリーンになる前に 170
10 アメリカ戦略爆撃調査団の日々 189
11 キャメラを静かに手離す日 211
12 二人のハリー  ―バンクーバー・1984年10月 224
あとがき 229
参考文献 232
三村明・撮影作品目録 234

千田夏光

千田夏光

せんだ・かこう 19240828生20001222没 享年76歳 作家。『赤旗』に小説「終焉の姉妹」を連載。

資料年表:千田夏光

年月日
1924
0828 大連に生まれる。
1984
0815 『筆の涙 被爆者横山雪さんの手紙』(千田夏光著、汐文社)
1990
0510 『錠光如来 今なおピカの火を守る男』(千田夏光著、汐文社) GU
2000
1222

大田堯

大田堯

23 19180322生20181223没 大田堯 おおた・たかし 享年100歳 元日本教育学会会長。「平和・軍縮教育-3つの視点- 大田堯 121」(『世界の平和・軍縮教育 1982年国際シンポジウム報告書』WCOTP、日教組報告書編集委員会編、勁草書房)

資料年表:大田堯

年月日 事項 備考
1918
0322 誕生。広島県本郷町(現・三原市)
2018
1223 死亡。

平田嘉三

平田嘉三

ひらた・かぞう 20081223 享年83歳  文部省初等中等教育局教科書調査官。広島大学教育学部教授。1980年12月15日、家永教科書裁判第一次訴訟第二審で国側証人として出廷(東京高裁)。「洗礼という言葉には、人を祝福するニュアンスがあり、原爆という悲惨な事実を示すにはなじまない。教科書では主観的・比喩的表現は避けた方がいい」。(浪本勝年「第1次教科書訴訟控訴審の審理過程」)。

資料年表:平田嘉三

年月日 事項 備考
1925
0528 誕生(広島県尾道市)
1980
1215 家永教科書裁判第一次訴訟第二審で国側証人として出廷(東京高裁)。「洗礼という言葉には、人を祝福するニュアンスがあり、原爆という悲惨な事実を示すにはなじまない。教科書では主観的・比喩的表現は避けた方がいい」。(浪本勝年「第1次教科書訴訟控訴審の審理過程」)。
2008
1223 死亡。享年83歳
2009
0112 「教育 反射鏡」(『中国新聞』)
寺脇研「広島時代の大恩人 慈愛溢れる姿忘れぬ」

 

藤田雄山

藤田雄山

ふじた・ゆうざん 19490419生20151218没 享年66歳 広島県知事。1993年11月~2009年11月。

 

資料年表:藤田雄山

年月日
1949
0419 誕生。
1993
11 広島県知事(1993年11月~2009年11月)。
2015
1218

片岡脩

片岡脩

かたおか・おさむ 生19971221没 享年65歳 グラフィック・デザイナー。旧制広島一中1年生の時、原爆に被爆。「被爆者デザイナー故片岡脩さん制作平和ポスター託す 広島市立大に106枚(田原直樹記者)」(『中国新聞』2008.7.26)

渡辺鼎

渡辺鼎

20 ****生19831220没 渡辺鼎 わたなべ・かなえ 93 広島大学文学部長。[50ヒロシマ・ピース・センター建設協力者]。[52広島平和問題談話会]。[54世界平和集会世話人(発起)]。原水禁世界大会(1955年)開催に貢献。

早坂暁

早坂暁

はやさか・あきら 19290811生20171216没 享年88歳 本名:富田祥資(とみた よしすけ)。海軍兵学校在学中に終戦。被爆直後の広島の惨状を目撃。脚本家・作家。「夢千代日記」シリーズなど。「市民が描いた原爆の絵」 を陶板画の碑にして広島市内に建立する運動を提唱(『中国新聞』2002.2.22)。『広島県現代文学事典』(森本穫執筆。Pp.404-405)