『医界風土記 中国・四国篇』(日本医師会編、思文閣出版、19940829)
内容
鳥取県 | |
鳥取県 | |
64鈴木繁徳「永井博士の便り」 | |
岡山県 | |
94仁科晃「仁科芳雄博士―兄弟・交友・思い出など」 | |
広島県 | |
止
『医界風土記 中国・四国篇』(日本医師会編、思文閣出版、19940829)
内容
鳥取県 | |
鳥取県 | |
64鈴木繁徳「永井博士の便り」 | |
岡山県 | |
94仁科晃「仁科芳雄博士―兄弟・交友・思い出など」 | |
広島県 | |
止
宮澤喜一
みやざわ・きいち | 19191008生20070628没 | 享年87歳 | 内閣総理大臣(第78代)『戦後政治の証言』(読売新聞社、1991.8.30)。広島県名誉県民。 |
資料年表:宮澤喜一<作業中>
年月日 | ||
1919 | ||
1008 | 誕生 | |
1953 | 参議院議員(初当選) | |
1967 | 衆議院議員:連続12回当選。 | |
1970 | ||
0205 | 万博博推進対策会議(本部長:宮沢通産相)でテーマ館への広島・長崎の被爆写真展示に「どぎつく万国博にふさわしくない」との意見相次ぐ。展示を再検討へ。 | C |
1974 | ||
1225 | 宮沢外相、参議院内閣委員会で(1)ポラリス潜水艦など核常備感染の領海通過は原則として不許可(2)核もちこみはすべて事前協議の対象―との政府統一見解。 | C |
1227 | 宮沢外相とホッドソン駐日米大使、ABCC改組協定に調印。 | C |
1975 | ||
0411 | 宮沢外相とキッシンジャー米国務長官の日米外相会談、米国務省で。(1)米の核能力は日本への攻撃に対し重要な抑止力(2)日本への核、通常攻撃に対し、米は防衛義務を重視―などを確認。 | C |
0606 | 宮沢外相、衆院外務委員会で答弁。「核拡散防止条約に加盟すれば条約の規制を受けるので、従来の政府解釈<非核三原則を堅持しながらも、憲法解釈上は自衛権の範囲内で戦術核は保持できる>は実体的な意味を失う」。 | C |
1980 | ||
0806 | 平和記念式典。宮沢官房長官参列。荒木市長の平和宣言の世界平和首脳会議開催について「意義深い提言」「外務省に検討させる」と積極姿勢 | C |
0807 | 宮沢官房長官、外務省首脳と意見交換。荒木市長が平和宣言で呼びかけた平和サミット開催について実現の可能性を検討することで一致。 | C |
1981 | ||
0518 | 宮沢官房長官、記者会見で「核持ち込みは寄港も領海通過も入る」と表明。 | C |
0519 | 鈴木首相・園田外相・宮沢官房長官、核持ち込み問題で協議、確認。1.従来の解釈を変えない、2.米側に照会する必要はない。 | C |
0523 | 元政府高官の話。「核積載艦の領海通過は1960年の安保改定時から74年12月25日の宮沢外相の修正答弁までの14年間は『事前協議の対象外』で日米が合意」、「『寄港・停泊』は事前協議の対象とすることが安保改定時に確立されていた」。 | C |
1982 | ||
0602 | 広島県議会代表、鈴木首相あての核兵器廃絶・軍縮要望書を首相官邸で宮沢官房長官に渡す。 | C |
C | ||
1984 | C | |
10 | 『美しい日本への挑戦』(宮沢喜一・高坂正堯/著、文芸春秋) | |
?? | 『宮沢喜一の「資産倍増論」』(丸亀 弘明/著、東京:経済界) | |
1991 | ||
0830 | 『戦後政治の証言』(読売新聞社)。 | |
1105 | 第78代内閣総理大臣。~1993年8月9日。 | |
11 | 宮沢喜一・全人像[行研Politica](清宮龍/著、行政問題研究所) | |
1992 | ||
01 | 『宮沢喜一・全人像』(清宮竜、行研出版局) | |
0806 | 広島市平和記念式典。宮沢首相(代理出席:山下元利厚相)。9日の長崎平和式典には宮沢本人が参列。 | C |
?? | 『宮沢喜一の選択と経世会支配の構図 Tenzan time Japan』(大塚 英樹/著、東京:天山出版) | |
1993 | ||
0806 | 広島市平和記念式典。首相・閣僚・衆参両院議長の出席無し。 | C |
0809 | 長崎市平和記念式典。首相・閣僚の出席無し。 | C |
1995 | ||
0315 | 広島の国際的平和貢献策を検討・推進する県関係の全国会議員による研究会発足。会長に宮沢元首相。 | C |
04 | 『新・護憲宣言21世紀の日本と世界』(朝日新聞社) | |
0512 | 広島の国際的平和貢献策を検討・推進する県関係の全国会議員による研究会2回目の会合。 | C |
0607 | 「広島国際的平和貢献構想策定委員会」(座長:藤田雄山知事)発足、初会合。3月結成の県関係の全国会議員による研究会と連携を図り1996年3月末までに具体的構想。 | C |
1130 | 広島県選出国会議員による「国会議員研究会」(会長:宮沢元首相)に広島県が「被曝者医療国際医学センター」(仮称)などの西部抗争策定の経過を報告。 | C |
2003 | ||
0305 | 『歴代首相物語』(御厨貴、新書館) | |
49宮沢喜一 岩間陽子250 | ||
2005 | ||
03 | 『ハト派の伝言 宮沢喜一 元首相が語る』(中国新聞社) | |
03 | 『聞き書宮沢喜一回顧録』(岩波書店) | |
2006 | ||
11 | 『宮沢喜一保守本流の軌跡 [90年代の証言]』(朝日新聞社) | |
2007 | ||
0628 | 没。享年87歳 | |
2010 | ||
0310 | 「日米密約認定 廃絶の願い「裏切られた」」、「「極めて遺憾」湯崎知事・秋葉市長」(増田咲子・記者) | C |
止
『わたしの放浪記』(佐々木久子、法藏館、1995/03/20)
内容
頁 | |||
1 | 私の歩んだ道 | ||
10 | 父と母とふるさと広島 | ||
失恋して上京を決意する 棟梁の家に生まれて 激化していく戦争 広島の復興と世界平和を目指す NHKのOL時代 母が心の支えだった |
|||
23 | 渡る世間に鬼はなし―雑誌「酒」と共に40年― | ||
カエツテオイデ、ケツコンシヨウ… 雑誌「酒」の編集記者になる 作家の先生方と飲み歩く 雑誌はまったく売れない 欲深い酒行脚をはじめる 仕事か結婚か―33歳の転機 雑誌なんてやめてやる 女ひとり、ボロボロに 文豪酒徒番附が評判となる 幻の酒「越乃寒梅」を見出す 形のない御縁のお陰 |
|||
43 | ボケへの恐怖 | ||
殺そうと何度考えたことか 猫にまでいびられた母 地獄から舞い戻る テレビに挨拶したらボケのはじまり 家の中はムチャクチャ 「久子、わしを殺してくれ」 長生きは幸せだろうか |
|||
2 | 女ひとり人生行脚 | ||
66 | 酒縁と仏縁に支えられ | ||
70 | 阿鼻と叫喚の原爆地獄 | ||
76 | 棟梁の家に育って | ||
81 | 銀座慕情 | ||
85 | 噺家さんとの青春 | ||
89 | 恩師・火野葦平先生 | ||
93 | やると思えば…尾崎士郎先生のこと | ||
97 | 連句の楽しさ | ||
102 | 甥の結婚式 | ||
106 | 遅すぎた人との邂逅 | ||
111 | 酒ひとすじ | ||
120 | モノいわぬ醪と喋る人たち | ||
125 | お酒に勢いが出てきた | ||
129 | 伝承のチエを伝える | ||
132 | お酒と器のちょっといい話 | ||
136 | 感動をおぼえた旅 | ||
3 | 日本を診断する | ||
どうなる日本の食文化 142 コメ自由化はやめなさい 151 日本人の顔が悪くなっている 155 欲に目がくらむ人々 158 タダ酒は飲むな 163 職人さんがいなくなる 168 食器は最高のものを使いましょう 171 忘れていませんか、きものを- 174 母親のつとめ 179 |
|||
4 | 形のないものを見る | ||
ダイヤよりも『歎異抄』 186 平等思想の伝教者 188 遊女哥川への慕情 190 正覚寺と清胤徹昭師のこと 194 行雲流水 199 やすらぎ 204 |
|||
209 | あとがき | ||
212 | 初出一覧 | ||
佐々木久子
ささき・ひさこ | 20080628没 | 享年81歳 | 随筆家・評論家。『わたしの放浪記』。『広島県現代文学事典』(天瀬裕康・記)<投稿> |
資料年表:佐々木久子
年月日 | 事項 | 備考 |
1927 | ||
0210 | 誕生 | |
2008 | ||
0628 | 死亡。 | |
2010 | ||
1220 | 『広島県現代文学事典』 | |
「佐々木久子」(天瀬裕康・記) | ||
2016 | ||
1007 | 「V7 私の鯉心 バレリーナ 森下洋子さん 原爆で傷ついた広島に」(『中国新聞』20161007) | |
「佐々木久子さんたちがつくった「広島カープを優勝させる会」に参加していました。」 | ||
止
資料年表:桧山袖四郎<作業中>
年月日 | 事項 | 備考 |
1899 | ||
0101生 | ||
1954 | ||
0625 | 『ながれ』(村上哲夫) | |
「豊かな天分に努力 広島県議会議長 桧山袖四郎」 | ||
1979 | ||
0629 | 死亡 | |
1981 | ||
0620 | 『桧山袖四郎―広島県政に賭けた生と死』(刊行委員会著、桧山後援会刊、19810620) | |
1982 | ||
1025 | 『広島県大百科事典<下巻>』(中国新聞社) | |
兼井亨「桧山袖四郎」 | ||
『桧山袖四郎―広島県政に賭けた生と死』(刊行委員会著、桧山後援会刊、19810620)
内容<作業中>
部 | |||
1 | 生い立ちの記 | ||
2 | 風雲の歳月 | ||
3 | 栄光と素顔 | ||
写譜 | |||
弔辞 | |||
歴代広島県議会議長・歴代副議長 | |||
桧山袖四郎年譜 | |||
あとがき 「桧山袖四郎」刊行委員会 | |||
岩崎清一郎・梅原勝巳・杉原嘉之・平川林木・文沢隆一 |
止
『ながれ』の中の桧山袖四郎
『ながれ』(村上哲夫、1954年6月25日) |
止
『熊平源蔵追想録』(熊平源蔵追想録編集委員会編、熊平製作所、1979/06/20)
内容<作業中>
頁 | 氏名 | 肩書など | タイトルなど | 備考 |
口絵 | ||||
朝比奈宗源師 | 熊平源蔵翁追想讃歌 | |||
山田無文師 | 熊平源蔵翁追想漢詩 | |||
熊平清一 | はしがき | |||
1 | 荒木武 | 広島市長 | 先哲の偉業をたたえて | |
4 | 荒木清 | 中国新聞社理事・山口支社長 | “慈父”のごとく | |
7 | 飯島宗一 | 前広島大学学長 | 熊平源蔵翁を思う | |
9 | 池田満 | 故池田勇人夫人 | 熊平様の想い出 | |
15 | 石崎五郎 | 追想 | ||
12 | 池見酉次 | 熊平源蔵翁を偲ぶ | ||
17 | 石光勝 | 熊平源蔵翁を偲んで | ||
20 | 岩崎一太 | こわかった大喝 | ||
23 | 今本玉男 | 鴻恩に感謝 | ||
26 | 鵜野徳夫 | 翁のお教え | ||
29 | 梅津正雄 | 追憶の記 | ||
32 | 永楽善五郎 | 熊平源蔵翁を偲ぶ | ||
34 | 大西良慶師 | 熊平源蔵翁の想い出 | ||
36 | 下石茂彦 | 翁を偲ぶ | ||
39 | 勝盛豊一 | 熊平源蔵翁を思う | ||
42 | 加藤誠蔵 | 熊平源蔵翁の想い出 | ||
44 | 神尾知 | 真の宗教家 | ||
46 | 川地理策 | 金庫業即観音行の心にふれて | ||
49 | 河村郷四 | 信念の人 | ||
52 | 桐原真次郎 | 熊平源蔵氏追想の記 | ||
55 | 国島光吉 | 熊平翁を偲んで | ||
58 | 倉島竹二郎 | 観音妙智力 | ||
67 | 蔵本潔 | 熊平源蔵会長の御逝去をみとって | ||
70 | 児玉秀一 | 熊平源蔵先生を偲ぶ | ||
72 | 櫻井文平 | 五円の葉書がとりもつ縁 | ||
75 | 佐々木饒 | 金庫王・昭和観世音仏 | ||
79 | 笹村弘志 | 垂範二つ | ||
81 | 佐藤進 | 盃と徳利 | ||
83 | 真田安夫 | 熊平源蔵翁を偲びて | ||
88 | 重藤文夫… | 熊平会長を偲んで | ||
90 | 清水谷恭順師 | 熊平源蔵翁の信仰 | ||
92 | 白井修一郎 | 熊平翁の追想 | ||
94 | 菅野勤 | 追悼の記 | ||
96 | 杉靖三郎 | 健康長寿への指標 | ||
99 | 皇至道 | 熊平源蔵翁の生涯教育 | ||
101 | 田中好一 | 熊平翁の思い出 | ||
104 | 田淵実夫 | 翁と盃の思い出 | ||
108 | 高木俊介 | 熊平源蔵翁の思い出 | ||
111 | 高島博 | 抜萃のつゞりと熊平さん | ||
113 | 高田好胤師 | しのぶ草 | ||
116 | 竹下虎之助 | 玉杯 | ||
116 | 竹田正巳 | 故熊平源蔵会長の思い出 | ||
127 | 竹林清三 | 熊平源蔵翁に想う | ||
130 | 東谷傳次郎 | 熊平翁を偲ぶ | ||
133 | 中江大部 | 熊平さん | ||
136 | 中川正 | 産業高校設置に関する熊平会長の御尽力について | ||
138 | 長崎清 | 熊平さんを偲んで | ||
140 | 永田清次郎 | 熊平会長の思い出 | ||
142 | 永野厳雄 | 誠忠の人 | ||
145 | 中本庚子郎 | 熊平会長を偲ぶ | ||
148 | 灘尾弘吉 | 熊平翁を偲ぶ | ||
150 | 西川一平 | 熊平老人を偲ぶ | ||
153 | 羽白幸雄 | 源蔵さんの鳴咽 | ||
156 | 花岡史記 | 菩薩行の偉徳を讃えて | ||
159 | 馬場千代香 | 熊平先生との御縁 | ||
162 | 平岡利兵衛 | 熊平翁を偲んで | ||
164 | 平澤興 | 熊平源蔵翁を偲ぶ | ||
167 | 藤田正明 | 熊平源蔵翁を偲んで | ||
169 | 藤野孝子 | 偉大な熊平のおぢいちゃま | ||
172 | 松井五郎 | 源蔵翁をしのぶ | ||
174 | 松浦寛次 | 広島の生んだ異色経済人 | ||
176 | 松下幸之助 | 熊平さんを偲ぶ | ||
179 | 松島緩 | 焼物の思い出 | ||
182 | 松田耕平 | 思いだすことども | ||
185 | 宮澤弘 | 熊平源蔵翁の追想録に寄せて | ||
187 | 宮田正明 | 熊平源蔵翁を偲ぶ | ||
190 | 明星正明 | 追想… | ||
192 | 村尾時之助 | 熊平会長さまと観音さま | ||
195 | 村田可朗 | 熊平源蔵氏を偲んで | ||
198 | 森戸辰男 | 熊平さんと社会教育の思い出 | ||
201 | 森本亨 | 追憶のことば | ||
203 | 山内敕靖 | 熊平翁を偲ぶ | ||
206 | 山本朗 | 一人一業の教え | ||
209 | 山本紅雲 | 抜萃のつゞりのこと | ||
215 | 山本博 | 熊平源蔵翁の思い出 | ||
217 | 禅太応師 | 熊平観音様を偲んで | ||
220 | 和田直 | 熊平源蔵会長をお慕いして | ||
224 | 熊平源蔵追想録編集委員会 | |||
止
『熊平源蔵伝 人とその事業』(熊平源蔵傳上梓委員会編、熊平製作所、1979/06/20)
内容
1 | 青年熊平源蔵の事業 | ||
生い立ち…1 日清戦争と広島…4 熊平商店の創業…7 朝鮮への進出…12 |
|||
2 | 観音信仰と職業奉仕 | ||
観音信仰への道…18 「広島観音会」…22 職業奉仕の精神…26 観音霊験記…29 |
|||
3 | 教育への貢献 | ||
旧制広島高校設置運動…32 教育関係の公職と発明協会…43 |
|||
4 | 財界活動 | ||
商工会議所会頭に就任…48 昭和産業博覧会への協賛…53 一人一業…56 「積極的に消費せよ」…59 |
|||
5 | 抜萃のつづり | ||
「抜萃のつづり」発刊…63 創業80周年・80万部…67 抜萃あれこれ…72 |
|||
6 | 熊平商行と熊平製作所 | ||
熊平商店と本通り界隈…76 満州への進出…80 熊平製作所設立…84 満州での生産活動…88 |
|||
7 | 終戦と事業の再興 | ||
原爆と終戦…94 原爆と金庫…98 フライパンづくり…103 生産の再開…106 |
|||
8 | 「防盗性」の追求 | ||
泥棒との智恵くらべ…109 集団暴力型の出現…114 防盗型金庫の開発…116 「熊平強力金庫」の誕生…120 「クマヒラアロイ」の威力…123 |
|||
9 | 金庫扉のかずかず | ||
初期の金庫扉…129 日本製鋼所の協力…132 新機軸の開発…135 溶接構造の金庫扉…139 金庫扉の革命児…143 |
|||
10 | 熊平グループの形成 | ||
販売体制の再建…148 熊平グループの特徴…152 物品税の撤廃運動…157 国際交流の推進…160 |
|||
11 | 源蔵の周辺 | ||
従業員とのきずな…165 源蔵の痛恨事…171 酒とさかずき…174 終世観音菩薩行…178 |
|||
12 | 火魔とのたたかい | ||
耐火書庫の先駆…182 モードセイフの耐火性…186 金庫の分業体制…189 薄壁への挑戦…193 コンピュータ時代の耐火庫…196 |
|||
13 | 新製品の開発 | ||
夜間金庫とドライブイン・ウインドウ…200 スチール家具のこと…203 “世界のクマヒラ”へ…208 |
|||
14 | 晩年の源蔵 | ||
晩年の生活…214 永眠…217 おわりに…219 |
|||
熊平源蔵遺文篇 | |||
抜萃のつづり 創刊号・はしがき…1 抜萃のつづり 38号・はしがき…3 観音の信仰…4 慈悲…18 老年の健康法…19 盃…24 |
|||
年表…47 | |||
あとがき…井上洋一郎…63 | |||
止
資料年表:井出三千男
年月日 | ||
1941 | 生 | |
1990 | ||
0101 | 年賀状(宇吹宛) | |
1991 | ||
01 | 寒中見舞い(宇吹宛) | |
1995 | ||
0801 | 『あの日 あのころ ひろしま50年』(広島市公文書館・広島市教育委員会文化課編、広島市公文書館刊) | |
見返し 撮影:井出三千男 | ||
1999 | ||
0101 | 年賀状(宇吹宛) | |
2000 | ||
0101 | 年賀状(宇吹宛) | |
2001 | ||
0101 | 年賀状(宇吹宛) | |
2002 | ||
0101 | 年賀状(宇吹宛) | |
2003 | ||
0101 | 年賀状(宇吹宛) | |
2005 | ||
0101 | 年賀状(宇吹宛) | |
2006 | ||
0101 | 年賀状(宇吹宛) | |
0626 | 没 | |
2016 | ||
11 | 『平和文化 No.193』(広島平和文化センター) | |
資料展 「あぁ、ほうじゃったねぇ。 井手三千男の残した被爆建物」(広島平和記念資料館、2016年9月27日~11月8日 | ||
井手三千男:広島市安佐北区出身。変貌する都市広島をフィルムに残した写真家。 原爆記録写真の研究家、写真の専門家の立場から、被爆建物等を手がかりに写真を読み解き、平和記念資料館の資料調査研究会委員として活躍。 | ||
止