荘司雅子

荘司雅子

しょうじ・まさこ 19091006生19980222没 享年 88歳 台湾出身。奈良女子高等師範学校卒業後、1935年広島大学教育学科に入学。長田新の勧めなどでフレーベル研究。<別記

資料年表:荘司雅子

資料年表:荘司雅子

年月日 資料名(著者、出版者など) メモ
19091006 誕生
1935 広島大学教育学科に入学。
19601210 『広島大学新聞 創刊百号記念特集号』(広島大学新聞会、1960.12.10)
荘司雅子「☆尚志会をめぐって☆学閥物語」
19621215 『不死鳥』(広島大学職員レクレーションの会)
荘司雅子(教育学部)「ロンドンの街頭」
 1975/08/06 生死の火 広島大学原爆被災誌(広島大学原爆死歿者慰霊行事委員会)
197711 『平和文化』(広島平和文化センター)第8号(1977/11/01)
荘司雅子(広大名誉教授)「平和記念碑に想う-ヒロシマとヴォルゴグラードに寄せて-」
1979/11/08 柔しく剛く 安田リヨウ追想録([安田リヨウ先生]記念誌編集委員会編、安田学園)
1981/03/31 親と子のための平和教育(荘司雅子、広島平和文化センター)
19860901 『平和文化』第61号(1986/09/01)
荘司雅子(聖和大学教授)「広島でWCCI第五回世界教育大会」
1988/05/20 平和の種子を育てよう 幼児期からの国際理解と平和教育(マドレーヌ・グタール著 、荘司雅子監修 OMEP日本委員会訳、建帛社)
1989/07/30 山陽路の女たち 続(広島女性史研究会、ドメス出版)
19930806 学問の道草―荘司雅子エッセイ集(玉川大学出版部)
1997/05/05 保育思想の潮流(宍戸健夫・阿部真美子編著、栄光教育文化研究所)
第8章 平和の思想
平和の思想について
1981(昭和56)年 親による乳幼児期の平和教育 荘司雅子 353
平和の象徴「ヒロシマ」とは
– 著者の原爆体験
なぜ平和教育が必要であるか
– 平和教育とは/平和教育を強調する理由/平和とは何か
平和教育はいつから始めればよいか
親による乳幼児期の平和教育
– 心に平和の砦を/誕生から二歳まで/三歳から五歳まで

名越史樹

名越史樹<作業中

なごや・ふみき 196008生19680222没 享年7歳 2歳のときに白血病を発症、 半年間の闘病の末死亡。

資料年表

1968/07/12 ぼく生きたかった-被爆二世史樹ちゃんの死 竹内淑郎編 宇野書店  
1972/07/15 被爆二世 その語られなかった日々と明日 広島記者団被爆二世刊行委員会編 時事通信社  
1982/07/07 原爆瓦 世界史をつくる十代たち 山口勇子著 平和文化  
1982/08/20 ぼく生きたかった 被爆二世史樹ちゃんの死 名越謙蔵・操文 矢野洋子絵 労働教育センター  
1983/06/21 ヒロシマの子-君たちはどう生きるか 森下弘 他著編 平和文化  
1985/06/16 ヒロシマ母の記 史樹の「死」を生きて 名越操著 平和文化  
1990/07/20 世界史をつくる子どもたち 澤野重男著 平和文化  
1991/05/25 日本の原爆記録14 被爆二世・原爆が遺した子ら 家永三郎、小田切秀雄、黒古一夫編 日本図書センター  
2007/03/31 あすのために-これが原子爆弾と戦争の真実 『あすのために』編集委員会編 広島県高等学校原爆被爆教職員の会  

 

林京子:刊本・雑誌

林京子:刊本刊本・雑誌

年月日 書名 著者 出版者 備考
1975/08/01 群像 8月特大号   第30巻第8号 講談社
1975/8/6 祭りの場 林京子著 講談社
1975/09/01 文芸春秋   第53巻第9号   文芸春秋
1976/1/1 平和を考える 第Ⅱ集 ヒロシマ・ナガサキの証言集 西宮市立今津中学校ヒロシマ・ナガサキを考える資料編集会編 西宮市立今津中学校ヒロシマ・ナガサキを考える資料編集会
1976/09/01  世界      第370号  岩波書店
1976/01/01 中央公論 1976. 1 1月特大号 第1066号 中央公論社
1977/10/01  季刊 科学と思想秋季号 No.26 1977.10 新日本出版社
1978/5/20 ギヤマン ビードロ 林京子著 講談社
1978/09/01     子どものしあわせ 別冊1 1982.04 草土文化
1978/12/5 季刊・長崎の証言 1号 鎌田定夫編 長崎の証言の会
1979/1/11 灰の街のアメリカ紳士 民藝の仲間196号 「民藝の仲間」編集部編 劇団民藝
1979/5/12 季刊・長崎の証言 3号 鎌田定夫編 長崎の証言の会
1979/5/15 戦争記念館 第1回・第2回 <戦争>展全記録 別冊新聞記者が語りつぐ戦争 読売新聞大阪社会部編 読売新聞社
1979/08/01 文化評論 No.220 新日本出版社
1980/2/20 ミッシェルの口紅 林京子著 中央公論社
1980/5/23 季刊・長崎の証言 7号 鎌田定夫編 長崎の証言の会
1981/6/4 無きが如き 林京子著 講談社
1981/8/5 季刊・長崎の証言 12号 鎌田定夫編 長崎の証言の会
1981/8/10 自然を恋う 林京子著 中央公論社
1982/1/1 長崎事典 風俗文化編 長崎文献社
1982/4/17 核廃絶人類不戦 外国人戦争犠牲者追悼文集 長崎・外国人戦争犠牲者追悼碑建立委員会 長崎・外国人戦争犠牲者追悼碑建立委員会
1982/05/01  世界        第438号 岩波書店
1983/3/1 核時代と私たち-平和のねがいに立って 婦人之友社編 婦人之友社
1983/7/1 反核メッセージ 文学の立場から 伊藤成彦著 連合出版
1983/7/15 原爆とことば 原民喜から林京子まで 黒古一夫著 三一書房
1983/7/25 何とも知れない未来に 日本ペンクラブ編 大江健三郎選 集英社
1983/8/1 日本の原爆文学 3 林京子 林京子著 ほるぷ出版
1983/10/30 ヒロシマ・ナガサキの証言’83秋 秋月辰一郎、庄野直美編 広島・長崎の証言の会
1984/1/1 Atomic Aftermath : Short Stories about Hiroshima and Nagasaki ed. by Kenzaburo Oe ; 大江健三郎 Shueisha Press
1984/1/31 平和を考える 第Ⅴ集 「ヒロシマ・ナガサキ」を読む 岡田龍一編 岡田龍一(西宮市立瓦木中学校)
1984/8/31 平和を考える 第Ⅵ集 「ヒロシマ・ナガサキ」を読む(2) 岡田龍一編 岡田龍一(西宮市立瓦木中学校)
1984/11/5 三界の家 林京子著 新潮社
1985/5/20 林京子著 文芸春秋
1985/6/25 月刊国語教育 1985.7月号 特集 原爆文学をどう読み、どう教えるか 東京法令出版
1985/7/1 友よ・夏の花・原爆詩 林京子、原民喜、峠三吉 著 金の星社
1985/08/01 群像 8月号   第40巻第8号 講談社
1985/08/01   国文学解釈と鑑賞  第50巻9号 至文堂
1985/11/01  中央公論  第百年第十二号 第1199号 中央公論社
1986/03/01  月刊非核自治体通信 第一年 1985年3月~1986年2月 付-別冊非核自治体宣言文集 法政大学西田勝研究室
1988/1/20 谷間 林京子著 講談社
1988/8/10 祭りの場 ギヤマンビードロ 林京子著 講談社
1989/2/20 輪舞 林京子著 新潮社
1990/6/20 やすらかに今はねむり給え 林京子著 講談社
1990/07/10  社会文学 第4号  日本社会文学会
1990/11/01 中央公論   11月号 中央公論社
1991/02/01 中央公論 新春2月号 中央公論社
1991/2/10 地球ガ裸ニナッタ 長崎の証言双書 2 長崎の証言の会編 汐文社
1991/5/25 日本の原爆記録16 原子力と文学(抄)、原爆文学史、原爆とことば(抄) 原民喜から林京子まで 家永三郎、小田切秀雄、黒古一夫 日本図書センター
1992/3/1 被爆証言集 1992 神奈川県逗子市被爆者の会編 神奈川県逗子市被爆者の会
1992/8/5 瞬間の記憶 林京子著 新日本出版社
1992/09/15 文学時標   第55号(再刊第5号) 文学時標社
19930710 やすらかに今はねむり給え/道 林京子 講談社文芸文庫 U
1993/7/15 原爆文学論 核時代と想像力 黒古一夫著 彩流社
1994/2/20 青春 林京子著 新潮社
1995/5/15 戦争と庶民 1940-49 3 空襲・ヒロシマ・敗戦(朝日歴史写真ライブラリー) 佐藤靖編 朝日新聞社
1995/6/25 太平洋戦争 兵士と市民の記録 奥野健男監修 集英社
1995/10/01 中央公論  10月号 中央公論社
1996/9/10 証言-ヒロシマ・ナガサキの声1996 長崎の証言の会編 長崎の証言の会
1996/10/8 おさきに 林京子著 講談社
1997/06/01  中央公論6月号 中央公論社
2000/02/15 文芸春秋  臨時増刊 文芸春秋
2000/9/29 長い時間をかけた人間の経験 林京子著 講談社
2000/10/7 ヒロシマ・ナガサキ 原爆文学展 -原民喜から林京子まで 神奈川文学振興会 神奈川近代文学館、神奈川文学振興会
2001/4/30 長崎平和研究 第11号 長崎平和研究所 長崎平和研究所
2001/09/01 世界 2001.9 岩波書店
2001/10/10 非核ネットワーク通信  第75号 非核自治体全国草の根ネットワーク世話人会
2003/3/1 21世紀を生きる人たちへ ナガサキ・五十人の伝言 長崎の証言の会編 長崎の証言の会
2003/9/30 記憶と文学 「グラウンド・ゼロ」から未来へ 小林孝吉著 御茶の水書房
2004/2/1 ヒロシマを生きのびて 被爆医師の戦後史 肥田舜太郎著 あけび書房
2005/3/25 原爆写真ノーモアヒロシマ・ナガサキ 黒古一夫 日本図書センター
2005/7/20 破壊からの誕生 原爆文学の語るもの 津久井喜子著 明星大学出版部
2005/8/1 原爆は文学にどう描かれてきたか 黒古一夫 八朔社
2005/10/1 証言-ヒロシマ・ナガサキの声2005 長崎の証言の会編 長崎の証言の会
2006/10/1 証言-ヒロシマ・ナガサキの声2006 長崎の証言の会編 長崎の証言の会
2007/7/28 ヒロシマナガサキ 岩波ホール 岩波ホール
2008/12/20  原爆文学研究7  7 花書院
2009/1/20 ナガサキから平和学する! 高橋眞司, 舟越耿一編 法律文化社
2009/3/1 五十周年記念誌 50年のあゆみ-核兵器の廃絶世界平和を祈念して 西宮市原爆被害者の会編 西宮市原爆被害者の会
2010/1/1 From Trinity to Trinity by Kyoko Hayashi tr. by Eiko Otake ; 林京子著 Station Hill of Barrytown
2010/3/31 長崎平和研究 第28号 長崎平和研究所 長崎平和研究所
2011/6/10 ヒロシマ・ナガサキ 閃 コレクション戦争と文学 19 原民喜[ほか] 著、浅田次郎[ほか]編集委員、 北上次郎編集協力 集英社
2011/7/8 被爆を生きて 作品と生涯を語る 林京子、島村輝・聞き手 岩波書店
2011.08.10  自分史つうしんヒバクシャ 第223号 栗原淑江
2012/12/23  原爆文学研11 花書院
2013/07/25   社会文学   第38号 日本社会文学会
2014/06/10 中央公論 7月号 中央公論新社
2014/7/20 NHK「ラジオ深夜便」被爆を語り継ぐ 西橋正泰編 新日本出版社
2015/3/25 核と災害の表象 日米の応答と証言 熊本早苗、信岡朝子編著 英宝社
2015/5/16 原爆と向き合った3人の文学者をたどる旅 栗原貞子・原民喜・峠三吉 竹内良男制作 竹内良男
2015/6/5 戦争の記憶と女たちの反戦表現 長谷川啓、岡野幸江編 ゆまに書房
2015/7/8 出来事の残響 原爆文学と沖縄文学 村上陽子著 インパクト出版会
2015/7/30 原爆の惨禍 名著で読む広島・長崎の記憶 蜂谷道彦、原民喜、秋月辰一郎、林京子著 原書房
2015/08/06  すばる 第37巻第9号 集英社
2015/8/15 平和 戦後70年平和コンクール記念誌 釧路市平和都市推進委員会編 釧路市平和都市推進委員会
2015/09/01 文學界 9月号 文芸春秋
2016/12/23 原爆文学研16 花書院
2017/1/10 夏の花ほか 戦争文学 教科書で読む名作 原民喜ほか著 筑摩書房
2017/6/1 つたえてくださいあしたへ… 聞き書きによる被爆体験証言集 23 エフコープ生活協同組合編 エフコープ生活協同組合組合員活動部
2017/10/1 証言-ナガサキ・ヒロシマの声2017 長崎の証言の会編 長崎の証言の会
2018/08/10  社会文学第48号   日本社会文学会
2019/3/1 原爆に憶う 増補版 東広島市原爆被爆資料保存推進協議会
2020/12/19 原爆文学研究 19 花書院
2021/3/16 プロデュースされた〈被爆者〉たち 表象空間におけるヒロシマ・ナガサキ 柴田優呼著 岩波書店
2022/03/21 原爆文学研究 20 花書院

 

 

 

 

林京子:新聞切り抜き

林京子:新聞切り抜き

年月日 見出 紙名 備考
1992? [学問文化] 林京子「長崎の声 死者の声」 赤旗
19930627 [文芸時評]牛久保建男「戦争の様相を照らしだす作品群と作家の関心」 赤旗
19951007 8月9日にこだわり続けて 作家林京子さん(渡辺俊江記者) 赤旗
19960926 [文芸時評]乙部宗徳「世紀末に刻んだ被爆者の思い」 赤旗
19990928 [文芸時評]小森陽一「」 朝日
19991123 [学問文化]政治を問う作家たち 林京子さん 赤旗
20000809 [この人]林京子さん 「8月9日」を見つめ続ける作家 中国
20001116 [ひと]林京子さん 被爆体験をもとに創作を続けて野間文学賞を受賞する 朝日
20001217 [今週のひと]林京子さん 『長い時間をかけた人間の経験』で被爆者たちの人生を総体で描いた 赤旗日曜版
20150802 林京子さん 被爆者として見つめた戦後70年 赤旗日曜版
20170302 訃報 朝日・中国
20170307 黒古一夫「林京子さんを悼む」
20170320 小林八重子「林京子さんを悼む」

林京子

林京子

はやし ・きょうこ 19300828生20170219没 86  作家。長崎県立長崎高等女学校3年の時、学徒動員中の三菱兵器工場で被爆。短編『祭りの場』(『群像』1975.6)で第18回群像新人文学賞、および第73回芥川賞。『広島県現代文学辞典』(岩崎清一郎・記)

関係資料

 

資料年表:関千枝子

資料年表:関千枝子

作成中

せき・ちえこ 19320328生20210221没 享年88 フリージャーナリスト。著書に「広島第二県女二年西組―原爆で死んだ級友たち」。姉=黒川万千代。級友・亀沢恵尼の姉=亀沢深雪。

書誌

書名 著者(無い場合は著者=関千枝子)・発行所など 出版年月日
広島第二県女二年西組-原爆で死んだ級友たち 筑摩書房 1985/2/28
広島第二県女二年西組-原爆で死んだ級友たち 筑摩書房(ちくま文庫) 19880628
ヒロシマ花物語 汐文社 1990/7/15
しらうめ 広島第二県女創立50周年記念誌 広島県立広島第二高等女学校同窓会(編・刊) 1995/9/3
女がヒロシマを語る 江刺昭子、加納実紀代、関千枝子、堀場清子編、 インパクト出版会 1996/8/6
証言-ヒロシマ・ナガサキの声1996 長崎の証言の会 1996/9/10
ヒロシマから吹く風 横浜市立浦島丘中学校 1997/3/10
ヒロシマの女たち 続 広島女性史研究会編著、ドメス出版 1998/4/11
広島第二県女二年西組 〔上〕 埼玉福祉会 1999/5/20
広島第二県女二年西組 〔下〕 埼玉福祉会 1999/5/20
日本原爆論大系 第7巻 歴史認識としての原爆 岩垂弘ほか、日本図書センター 1999/6/25
若葉出づる頃 新制高校の誕生 西田書店 2000/6/10
8月の晴れた日に 7 埼玉県原爆被害者協議会(しらさぎ会)、さいたまコープ労働組合平和部 2002/4/13
ゲンバクの日ぼくたちは10代だった 桂寿美江、神南明子、野村恵利子取材・執筆 松本あゆみ英語翻訳 創文刊 2003/7/30
原爆被災証言記 忘れられた学徒たち 県立広島女子大学同窓有志、広島県立広島第二高等女学校同窓有志 2007/8/6
修学旅行記録集[2006/10/25(水)~28(土)] 埼玉県立飯能高等学校 2008/3/8
戦争と性 第27号 「戦争と性」編集室 2008/4/25
ヒロシマ・ナガサキを考える 復刻版Ⅱ ヒロシマ・ナガサキを考える会 2008/8/6
広島第二県女二年西組 構成台本 関千枝子著 岩田直二構成演出らくらく演劇塾 2010/3/1
広島第二県女二年西組-原爆で死んだ級友たち 筑摩書房 2010/5/25
ヒロシマ原爆地獄 ヒロシマの生き証人は語り描く 河勝重美著、ヒロシマ「原爆地獄」を世界に弘める会(河勝重美) 2011/1/1
ヒロシマ原爆地獄 生き証人の描く被爆者一人ひとりの生と死 日英二カ国語版 ヒロシマ「原爆地獄」を世界に弘める会(河勝重美) 2011/1/1
ヒロシマ・ナガサキを考える 復刻版Ⅲ-① ヒロシマ・ナガサキを考える会 2011/8/6
ヒロシマ・ナガサキを考える 復刻版Ⅲ-② ヒロシマ・ナガサキを考える会 2011/8/6
フィールドワークまっぷ 広島の少年少女たちの死をめぐって 2012年版 竹内良男 2012/8/1
広島・長崎から 戦後民主主義を生きる 往復書簡 関千枝子、狩野美智子著 彩流社 2012/10/31
ヒバクシャからの手紙 被爆体験記集 第3巻 広島平和文化センター 編集 厚生労働省、国立広島原爆死没者追悼平和祈念館 2013/3/31
慟哭の廣島 今田耕二、木下印刷所(印刷) 2014/7/22
金輪島と原爆 原爆死没者慰霊碑参拝 竹内良男 2014/10/26
原爆地獄 The Atomic Bomb Inferno ヒロシマ生き証人の語り描く一人ひとりの生と死 日英版 河勝重美編、コールサック社 2015/4/16
ヒロシマの少年少女たち 原爆、靖国、朝鮮半島出身者 彩流社 2015/8/26
関千枝子 中山士朗 ヒロシマ往復書簡 第1集(2012-2013) 関千枝子、中山士朗著 西田書店 2015/11/20
ヒロシマを若い世代に 原爆で未来を絶たれた若い命は訴える 被爆者の語り描く失われた若い命の生と死のドラマ 日本語英語二カ国語版 = Hiroshima never again : an appeal to today’s young people from the young who lost their future : survivers witnessed the life and death of young people in Hiroshima : English-Japanese edition  河勝重美 2016/5/24
関千枝子 中山士朗 ヒロシマ往復書簡 第2集(2013-2014) 西田書店 2016/6/1
関千枝子 中山士朗 ヒロシマ往復書簡 第3集(2014-2016) 西田書店 2017/6/1
証言 町と暮らしの記憶 中島本町・材木町・水主町 ヒロシマ・フィールドワーク実行委員会 2017/8/5
ヒロシマ対話随想 関千枝子、中山士朗著、西田書店 2019/5/10

 

 

 

パール博士年譜

パール博士年譜

出典:パール下中記念館 | 下中記念財団 (shimonaka.or.jp)

1886年 ベンガル地方のナディア県(現在はバングラデーシュ領)に生まれる。
1989年 父親が急死。以後、母の手で育てられる。
1903年〜ラージシャーヒー・カレッジ(現在はバングラデーシュ領)、カルカッタのプレジデンシー・カレッジで数学を学ぶ。
1905年 ナリニバーラーと結婚。
1910年 インド北部、アラハバードでインド連合州会計院書記生として就職。
1911年 カルカッタ大学理学部、法学部を卒業。
1920年 カルカッタ大学法学修士となる。
1923年 カルカッタ大学法学部教授に就任。
1924年 カルカッタ大学「タゴール記念法学講演」の講師にはじめて選出された。
1941年 カルカッタ高等裁判所判事に就任。
1944年 カルカッタ大学総長に就任(〜1946年)。
1946年 極東国際軍事裁判(〜1948年)にインド代表判事として派遣された(途中、妻の病気を理由に何度か一時帰国をしている)。
1952年 約4年半ぶりの再来日。下中彌三郎の招聘で世界連邦アジア会議に参加、日本各地をまわる。同年、国際連合国際法委員会委員に就任(〜1967年)。
1953年 下中彌三郎の招聘で3度目の来日。
1957年 国際連合常設仲裁裁判所判事に就任。
1966年 清瀬一郎、岸信介らの招聘で4度目の来日。
1967年 カルカッタの自邸で死去。80歳。

宗教者平和運動の課題と展望(壬生照順)

宗教者平和運動の課題と展望(壬生照順)

現代に生きる宗教者の証言』所収<作業中

239 世界史の上でも特色のある異なった宗教の団体による日本の統一組織は、1961年7月、京都で開かれた世界宗教者平和会議(第1回の決議によって生まれた。
1962年日本宗教者平和協議会結成。
232 宗教者の共同行動
234 原水禁運動と宗教者
236 世界の宗教者との交流
239 日本宗平協の課題と展望

壬生照順

壬生照順<作業中>作業中

みぶ・しょうじゅん 1904生19870218没 享年79 天台宗華厳院住職。全日本仏教会評議員、仏教徒平和の会幹事長、日本宗教者平和協議会理事長。宗教NGO[82推進連絡会議呼びかけ人]

資料年表:壬生照順

1968/08/05 現代に生きる宗教者の証言 日本宗教者平和協議会編 新日本出版社
1984/07/30 宗教者と平和 日本宗教者平和協議会編 新日本出版社
1975/11/30 妹尾義郎と「新興仏教青年同盟」 松根鷹編著 三一書房
1977/03/30 中央集会・第五福竜丸のつどい 原水爆禁止日本協議会 原水爆禁止日本協議会
1976/08/15 抵抗の群集 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟編 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟編 白石書店
1994/04/25 日本平和論大系 14 家永三郎編 日本図書センター
1968/08/05 平和運動20年記念論文集 日本平和委員会編 大月書店

 

宮崎安男:資料年表

宮崎安男:資料年表<作業中

1975/08/3 原水爆禁止世界大会報告決定集 被爆30周年被爆30周年原水爆禁止世界大会実行委員会報告決定集編集委員会被爆30周年原水爆禁止世界大会実行委員会報告決定集編集委員会
1977/07/01 核のない社会をめざして 反核国際交流の報告宮崎安男著宮崎安男
1978/08/01 「核」とマスコミ 廃絶をめざす報道と世論「マスコミ市民」編集部編日本マスコミ市民会議
1983/02/21 原爆瓦は語りつづける 原爆犠牲ヒロシマの碑建設の記録「原爆犠牲ヒロシマの碑」建設委員会編「原爆犠牲ヒロシマの碑」建設委員会
1984/02/20 ヒロシマ・ナガサキの証言’84冬秋月辰一郎、庄野直美編広島・長崎の証言の会
1984/03/20 ヒロシマの記録-核実験抗議座りこみ10年原水爆禁止広島県協議会(広島県原水禁)
1987/09/30 ヒロシマ 東京大田主任手当拠出金によるヒロシマ子ども派遣団 第4次・第5次報告集東京・大田主任手当拠出金による第四次・第五次ヒロシマ子ども派遣団実行委員会編東京・大田主任手当拠出金による第四次・第五次ヒロシマ子ども派遣団実行委員会
1993/08/31 証言-ヒロシマ・ナガサキの声1993長崎の証言の会編長崎の証言の会
1993/12/01 駆けぬけて 羽原好恵追悼集羽原好恵追悼集刊行委員会編羽原好恵追悼集刊行委員会
1995/08/07 平和 被爆50周年史全電通原爆被爆者協議会
1997/04/29 ヒバクシャ ともに生きる 第15号原爆被害者相談員の会原爆被害者相談員の会
1999/07/15 長崎平和研究 第7号長崎平和研究所長崎平和研究所
2000/12/01 広島平和会館ものがたり宮崎安男原爆被害者福祉センター広島平和会館
2004/01/01 ひろしまの旅文集 2004年度女子学院高等学校一年女子学院高等学校
2005/12/20 「総合」文集 2005女子学院高等学校女子学院高等学校

呉を語る 呉市制一〇〇周年記念 体験手記集

『呉を語る 呉市制一〇〇周年記念 体験手記集』(呉市企画部呉市史編纂室、2003/01/31)

内容

ごあいさつ…小笠原臣也
1 戦時体制下の生活…1
はじめに
一戦前・戦中の学生時代…金子俊二…4
二私の戦時中…津田佳明…9
三私の故郷は呉市天応(旧大屋村)です…西川輝数…16
四学童も戦った銃後の呉…朝倉邦夫…22
五悔恨と自戒の小学校教育…宮野前孝…28
六学童疎開…徳田久美雄・坂村エツ子…36
七なつかしの呉…長谷川良子…40
八学童の目から見た戦争…岡野屋光子…45
2 学徒動員と勤労動員…54
はじめに
一呉に想う…南博也…55
二我が学生時代の勤労の日々…阪口裕…57
三私の学徒動員…佐藤康則…58
四忘れ去られた学徒動員…新居伸次…62
五学徒動員の頃の想い出…水野卓治…65
六学徒動員時代…大山君枝…70
七灰ヶ峰裏山での竹伐採作業の思い出…荒花静雄…76
八学徒動員記…谷口久雄…79
九学徒動員はなんだったのか-一五、六歳の少年の学んだもの-久保亮介…82
一〇学徒動員の記…野平良子…87
一一第一一海軍航空廠に学徒動員の思い出…米田博明…90
3 海軍と呉…94
はじめに
一少女時代の呉での思い出…高橋ミツエ…96
二工廠退職後の祖父…横山茂樹…98
三海軍工廠時代…奥本久雄…100
四呉工廠電気実験部の日々…坪田孟…106
五呉海軍墓地と重巡「最上」…森野俊夫…115
六芳井輝夫君への手紙…都築一郎…20
七灰ヶ峰…野村弘之…24
八父の思い出-戦艦「大和」をめぐって…藤本黎時…39
九私と呉…中曽根康弘…44
一〇「呉市」の思い出-亡き親友を偲んで-…佐藤博…148
一一戦時中の思い出…西迫マツ子…52
一二海鳴りの彼方へ…竹内凱子…53
ニ二九軍神…中村和枝…62
一四海軍工作兵で南方へ工廠空爆で女子挺身隊殉死…金本邦夫…63
一五動員学徒と予科練の日々…下谷源蔵…67
一六潜水艦沈没事故の体験…辛島賢市…74
一七「陸奥」を忘れない…日下万里子…185
一八潜水艦乗り組み体験手記…熊田賢作…190
一九私の従軍体験…東定治…194
二〇シンガポール上陸まで…西本博信…198
二一潜水艦乗りだった父…田中雅子…200
二二マリアナ沖海戦…稲水真理子…204
二三海軍の兵隊さんの思い出…岩佐敬子…210
二四お国の為に早く兵隊になりたい…岡野屋徳男…213
二五呉市の海軍時代と天応地区での災害救助の思い出…吉川亘…21
二六福井先生の収集資料を整理して…戸高一成…219
二七工作艦「八海丸」の思い出…牛田豊春…223
二八呉海軍工廠砲煩部座談会(抜粋)…山下勝利・山本元雄・神津幸直・藤田久登・川崎正義・中原安市(発言順)…229
4 呉空襲と原爆…144
はじめに
一呉に眠る巨大地下壕…山岡邦雄…247
二呉空襲の記憶…下垣内和人…249
三学徒動員と呉工廠空襲…杉岡建治…254
四防空壕に入れて貰えなかった思い出…平川シズ子…257
五工廠で被爆して家を焼かれて-女子挺身隊員の体験-…高橋節子…259
六呉空襲状況の広島への第一報…多賀常政…265
七空襲の記憶…堀本富治枝…266
八くぐりぬけた戦争…沖野良子…269
九オムスビの思い出…能勢幸子…273
一〇呉空襲記…宮本澄枝…274
一一空襲と青春時代の思い出…中野英子…286
一二私の被爆体験談…荒角理宰…294
5 戦後の混乱と市民生活…303
はじめに
一呉.終戦…手島泰晴…306
二終戦の頃…加納清子…307
三父の青春…広保幸治…309
四北京引き揚げ体験記…吉田チエ子…314
五戦後の混乱と航路啓開活動…高木義人…318
六戦時から敗戦後数年間の生活の寸描…稲本与志雄…324
七終戦焼跡からの復興…橋本良…327
八父の戦後…坂口与子…332
九私の戦後体験…出井数彦…337
一〇昭和二〇年秋水害に遭って…森俊武…345
一一生死の濁流に泳ぐ…横林敏子…348
6 占領軍の進駐と呉…350
一日豪で働いた日々…クリフォード・文香…352
二敗戦後の就職、そしてオーストラリアヘ…ブレア・照子…357
三戦争が生んだ人生…パンドーフ・妙子…362
四我が半生の記録…ハウズ・愛子…368
五戦争花嫁の私の道は険しかった…ロー・ミチ…378
六英連邦軍につとめて…小武家芳郎…385
七「シンチューグン」と共に…住原哲二…389
八英連邦軍の思い出…松野正壮…392
7 戦後の職業…394
はじめに
一食糧営団呉支部玄米特別輸送隊奮闘記…河上利男…395
二進駐軍の輸送基地であった呉駅…中西静雄…401
三呉市のモノレール建設の賛否の終焉…宮崎猛…407
四呉市へ合併前後の思い出…友井太一郎…409
五大張矢林野火災と私…北村恒信…411
六座談会「呉市電を語る」(抜粋)…上田重助・阿部宗久・応和寿・八山雪光・中野政春・杉原勤(発言順)…419
8 戦後の学校と子供たち…433
はじめに
一女学校・高等学校の六年間…宮本田鶴子…434
二学制改革による青春の感激…奥川忠…438
三ロマンビーチかるが物語…岸田恵…443
四私の遊び…城戸則人…447
五村の遊び、街の遊び…祝弘子…452
六子どもの遊び…平林明代…455
9 文化活動とともに…459
はじめに
一短歌誌『木橦』…清水一枝…460
ニ廃嘘の呉から立ち上った俳人達一俳誌『虹』を中心とした俳句活動…長尾珠難…461
三夢見る人々…吉田久芽子…465
四昭和公民館の椴帳…久保俊寛…467
五小坪神楽、復活の日…西本武実…469
写真等提供者一覧
編集関係者一覧

荒角理宰

荒角理宰

あらかど・りさい 1918?生20180210没 享年100歳 元山陽ジャスコ会長。中国軍管区通信補充隊電報班員当時、爆心地近くで原爆被爆。

資料1 資料

1995/08/01 『被爆50周年を迎えて 私の原爆体験談』(荒角理宰著)
19950802 「原爆への怒り 惨状伝えたい 呉の荒角さんが体験記」(『中国新聞(呉版)』19950802)
2003/01/31 『呉を語る 呉市制一〇〇周年記念 体験手記集』(呉市企画部呉市史編纂室)

資料2 ファイスブック(呉東ロータリークラブ)

2018年2月14日【第29例会(2791例会)】
追悼例会
追悼 故 荒角理宰 会員
相川会長の追悼の言葉より
昭和20年8月6日爆心地近くで原爆に遭われ、奇跡的に九死に一生を得られたあなたは、毎年8月の例会で、原爆の悲惨さと平和の尊さを私たちにご教授してくださいました。目を潤ませながら、かみしめるように話される荒角さんの御姿に、私達は深い感銘を覚えました。

資料年表:松原美代子

資料年表:松原美代子<作業中

 年月日
1932 誕生
19450806 広島女子商業(現・広島翔洋高校)1年、12歳の時、建物疎開の作業中に爆心地から約1.5キロで被爆。
1956/1/1 われらのうた 1956.1.1 第15号 われらのうたの会
望み 松原美代子   28
1956/3/8 われらのうた 1956.3.8 第17号 われらのうたの会
思いやり 松原美代子   29
1957/2/1 われらのうた 1957.2.1 第27号 われらのうたの会
思いやり  松原美代子   40
1982/6/15 原爆の絵アメリカ反核の旅 松原美代子さん NHK NHK広島放送局
1982.7.1 『平和文化』第36号(広島平和文化センター)
米国でのヒロシマの証言を終えて(広島平和文化センター主事 松原美代子)
1982/8/20 ヒロシマ・ナガサキの証言’82夏 石田明、浜崎均編 広島・長崎の証言の会
1983/2/4 ヒロシマナガサキ 核戦争のもたらすもの 上映の記録 1982.4~12 岩波映画、岩波映像販売編 岩波映画、岩波映像販売
1983/8/20 原爆の絵アメリカを行く 松原美代子著 、ヒロシマを知らせる委員会編 日本放送出版協会
1983/8/20 ヒロシマ・ナガサキの証言’83夏 秋月辰一郎、庄野直美編 広島・長崎の証言の会
1983/9/22 ヒロシマ・ナガサキ平和学習の旅 昭和58年度 上智大学学内共同研究平和研究(庭野平和財団助成)
1984/2/21 核・貧困・抑圧 ’83アジア文学者ヒロシマ会議報告 アジア文学者ヒロシマ会議実行委員会編 ほるぷ出版
1984/11/11 HIROSHIMA&WAR 栃木県立那須農業高等学校2年4組・社会部編 栃木県立那須農業高等学校
1985/8/1 ぼくたちはヒロシマを見た ヒロシマと戦争の実態に迫るために 栃木県立那須農業高等学校社会部 栃木県立那須農業高等学校
1985/8/6 原爆の絵は訴える NHK NHK
1986/4/21 松原美代子さんの被爆体験を聞いて 池田市立細河小学校6年生 池田市立細河小学校
1986/5/1 平和文化 1986.5 第59号 広島平和文化センター
原爆乙女の暗い青春 原爆被爆体験語り部 松原美代子
1987/1/20 ヒロシマの女たち 広島女性史研究会著編 ドメス出版
1988/3/31 原爆被爆者は訴える 被爆証言集 平和冊子 No.6 広島平和文化センター編 広島平和文化センター
1989/4/1 かけはし 1989.04.01 第20号 YMCA国際平和研究所
限りない平和の巡礼者として 松原美代子
1994/3/10 千羽鶴 12人の語り部証言集 堺市立五箇荘中学校16期生編 堺市立五箇荘中学校16期生
1995/1/1 1995年度 ひろしまを考える旅 記録集 ひろしまから明日へ 日本YWCA「ひろしまを考える旅」小委員会 日本YWCA「ひろしまを考える旅」小委員会
1996/1/1 1996年度 ひろしまを考える旅 記録集 ヒロシマの声は、世界に届かないの? 日本YWCA「ひろしまを考える旅」小委員会 日本YWCA「ひろしまを考える旅」小委員会
1996/9/10 証言-ヒロシマ・ナガサキの声1996 長崎の証言の会編 長崎の証言の会
1997/3/31 創大平和研究 1997.03.31 第18号 1996 創価大学平和問題研究所
ヒロシマの心:核兵器のない世界への祈りと行動 松原美代子
1998/1/1 千代田区平和使節団の報告 (平成9年度) 千代田区 千代田区
1998/10/31 親子広島バスツアー感想文集-平和・非核学習の旅 平成10年度 原水爆禁止西宮市協議会、西宮市編 原水爆禁止西宮市協議会、西宮市
1999/3/31 原爆被爆者は訴える 被爆証言集 第2版 平和図書 No.6 広島平和文化センター編 広島平和文化センター
2000/8/15 広島市医師会だより 2000.8.15 No.412 広島市医師会
特集 対談 「ヒロシマ」を語り継ぐ-語り部 松原美代子さんに聞く- 20 松原美代子VS碓井静照
2001/12/20 2001年度 ひろしまを考える旅 記録集 日本YWCA「ひろしまを考える旅」準備委員会 日本YWCA「ひろしまを考える旅」準備委員会
2004/1/1 広島市平和祈念式に参加して 平成16年度派遣団記念文集 甲府市 甲府市
2004/5/22 証言集 大和中学校 大和市立大和中学校
2005/6/10 原子野からの旅立ち 女子パウロ会 女子パウロ会
2008/7/28 原爆の絵 2007 広島市立基町高等学校 創造表現コース 広島市立基町高等学校
2010/3/19 修学旅行「旅と証言の記録」 2009年 第2学年 埼玉県立松山女子高等学校 埼玉県立松山女子高等学校
2010/7/5 次世代と描く原爆の絵 2007・2008・2009 広島市立基町高等学校 創造表現コース 広島市立基町高等学校
2011/7/31 上空より = From above ポーレ・サヴィアーノ著 コンテンツ・ファクトリー
2012/3/30 原爆被爆者は訴える 被爆証言集 第3版 平和図書 No.6 広島平和文化センター編 広島平和文化センター
2012/8/1 次世代と描く原爆の絵 広島市立基町高等学校 創造表現コース 広島市立基町高等学校
2016/11/18 女性たちのヒロシマ 笑顔かがやく未来へ 創価学会広島女性平和委員会編 第三文明社
2017/8/12 原爆の絵 平成19~28年度 広島平和記念資料館、広島市立基町高等学校
2018/8/6 次世代と描く原爆の絵 平成19年度~29年度 広島市立基町高等学校
2001/8/1 月刊ク―ヨン 2001.08 6巻通巻65号8月号 クレヨンハウス
[落合恵子責任編集]戦争を知らない大人たちへ 91
パピアン・美智子/村井志摩子/栗原貞子/松原美代子/酒井キヨ子/西岡由香/植木智子/石司真由美/上原当美子/高里鈴代
20180210 逝去。
20180330 「評伝・松原美代子さん ヒロシマ証言活動貫く」『中国新聞』(西本雅実・特別編集委員)
2022/6/20 次世代と描く原爆の絵 平成一九年度~令和二年度 広島市立基町高等学校美術科編 広島市立基町高等学校

広島平和科学研究所

広島平和科学研究所 開所式:1962年8月22日

資料

”平和”を学問的に研究-「広島平和科学研究所」誕生-中野広大教授ら中心に(「中国新聞」1962年8月23日)
出典:アール・レイノルズ「広島はいまもわが故郷」(『ヒロシマの意味』所収)

もう一つの手段は、ビキニやウラジオストックへ抗議船を出すような直接行動である。しかし、わたしにはやってみたいもう一つの手段があった。その手段とは、学問の領域で、平和を学問の一つの主題として研究することにあった。長い間、わたしはこの第三の方法を考えぬいてきたが、ついに、広島大学長森戸辰男氏と会って、話しあう機会が与えられた。

飾りのない控え室で森戸学長をまっていたのだが、この間中、二、三年前にクエィカー派の一員となってから学びおぼえた、沈黙の瞑想を行なっていた。精神をおちつけ、ととのえるよい機会であった。

やっと森戸氏が現れて、自分の部屋に招じ入れてくれた。前おきのような雑談がすんでから、わたしは率直に語った。平和研究の研究所を、平和を一つの学問の対象として探り、扱う研究の場を立てたいと。森戸氏は一瞬、考え込んだが、立ち上って、書棚のところに行き、大きな書物をもってもどってきた。さあと目をとおしてから、こういった。「レイノルズ博士、ここには、日本でみとめられている職業、業務の全部がのっているはずです。しかし、平和学、平和研究というのはない。いいや、平和という語がのっていない」。

「では、のせる時期だと考えませんか」。

彼は一瞬、考えていたが、微笑した、「考えておきましょう」。一週間して、森戸氏との面会を段取りしてくれた広大の中野清一教授から電話があって、森戸氏が広島平和研究所(Hiroshima Institute of Peace Science)への協力創設者になることに同意したということであった。予備的な声明はすでに一九六二年十一月十日に出してあった。組織委員は、広島YMCAの相原氏、広島大学の久保、中野、西村、内海の諸氏とわたしであった。HIPS--わたしの研究所はこう略称されてきたが--の正式の発足は、一九六二年八月六日であった。この八月の末に、公的な発会式を広島市内で開いた。東京毎日新聞は、研究所は「広島県、市および財界の全面的バック」をもっていると報じ、取上げる研究として次の項目を書きそえている。

一 核実験と軍備競争の問題、
二 核戦争、細菌戦争、化学戦争を含むすべての型の戦争が人間に及ぼす影響の研究、
三 戦争にかかわる社会的、心理的、政治的問題の研究、
四 戦争経済から平和経済へと国家を変換させる問題、
五 世界資源の平等な分配の問題、
六 政治的、イデオロギー的摩擦の問題。

毎日新聞はさらに、「四九名の著名人が顧問として、企画に参加を同意した」と加えて、湯川、川端、茅、ノーマン・カズンズ氏らの名をあげている。

これは広島平和研究所のきわめてさい幸きのいい第一頁であった。そして、仕事の種類はさまざまで、成功もあり、失敗もあったが、この研究所は五、六年も続いたが、ここで、HIPSの物語を全部まとめておきたい。研究の成果の一部を出版できたが、研究所はほんとうの意味では活発な活躍をしなかった。それには数多くの理由があったが、ただ次の数点をあげておこうと思う。

(1)わたしがアメリカ人でありながら、広島に平和の研究所をたてようとしている。この地方の学究人のグルーブは、この活動を自分たちの活動不足への批判と考えて、多くの批判を浴びせた。

(2)HIPS設立の直後、わたしはロンドンからレーニングラードへ、平和活動の航海の指揮を要請されたのだったが、この依頼を断わるわけにはゆがず、HIPSが一ばん助力を必要としたその時点、不在だった。

(3)わたし自身の結婚上の問題。これがある人たちを分裂させ、一般市民の心情に疑惑を与えた。

(4)さまざまのアメリカの団体から、ノーマン・カズンズ氏を含めて、若干の寄付はあったが、日本側からは全くなかったといっていい。そのために、運営を続ける資金面の土台がなかった。

(5)日本に、この種の研究所をたてるべき時が熱してなかった。

以上の理由から、ほかにもあったが、HIPSの気勢はもり上らなかった。で次のステップとして、平和研究の関心を東京にうつし、東京を中心に、何かの組織を導入してみようかと、徐々に、結論するに到ったのである。関心を示すグループや知識人たちに語りかけ、接触しては、機会の到来をまったのだが、ついに、平和研究のグループが一つできて、今日も、国際的な平和研究の組織に加っていることを喜びとしたい。

広島では、HIPSは静かに死んでいった。いまはその存在を語る記念碑もない。わたしの机の上には、広島平和文化センターが一九六九年に出した小冊子、『平和への歩み』(英文)があるが、終戦以来、広島で行われた平和活動の年代表がついている。「フェニックス」号やわたしの家族の活動の一部は記録されているが、HIPSの設立については一行もない。あるいは、全く存在しなかったのであって、わたし一人の空想の産物にすぎないのだろうか。

出典:「ヒロシマ巡礼-バーバラ・レイノルズの生涯」(小谷瑞穂子、筑摩書房)pp153-155

もともとレイノルズ博士は、裁判の判決が下りハワイから再びヒロシマに帰還した時から、原爆都市にこそ世界平和を科学的に研究する機関を設置すべきだという構想を抱いていた。第二次大戦後の欧米の大学では、核兵器の開発と、資本主義と共産主義とのイデオロギーの対立を踏まえて、人類はいかにして平和を確保すべきかという問題を追求する新しい研究が注目されていた。

すでに一九六○年代のアメリカの各大学では、「平和科学研究所」が設置されていたし、スエーデンやノルウェーでも国立の平和研究所があったが、日本ではどこの大学にも平和科学の研究機関をおいている所はなかった。そこでレイノルズは広島大学の社会学教授、中野清一に仲介してもらい学長の森戸辰男に働きかけ賛同を得ると、一九六二年八月六日を「広島国際平和科学研究所」の発足の日として、その構想を中国新間紙上に発表した。

その構想とは、

一、放射能と化学兵器による環境破壊と人類に与える障害の研究。
二、戦争の原因となる社会的、政治的、心理的問題の研究。
三、戦争経済から平和経済に移行するための問題解決策の研究。
四、世界における資源分配の不平等の解決策の研究。
五、政治、宗教、イデオロギーによる国際間の緊張緩和の研究。

などのテーマで、海外の平和研究所と討議や文献資料などの交換をし、すぐれた論文を出版し、国際的視野から、二十世紀がかかえる紛争の解決の要求に応じようとするものであった。

海外からはシュヴァイツァー博士をはじめとして、バートランド・ラッセル卿やノーマン・カズンズなど、日本国内では日本ペンクラブ会長の川端康成や、ノーベル賞受賞者の湯川秀樹の支援もとりつけた。とりあえず研究所の仮事務所を広島市の管轄下にあったシュモー住宅におき、レイノルズが所長となり、連絡事務にはアルバイト学生をやとって、諸外国の平和科学研究所から情報を収集することになった。運営基金としては、海外および日本の有力財団から寄付を集める方針で、その依頼の手紙を書くこともレイノルズの仕事であった。

ちょうどバーバラが第一回の平和巡礼を終えてヒロシマに帰ってきたころ、レイノルズの紙屋町郵便局私書箱九九番にはニューヨークのカーネギー財団やロンドンの平和研究所、インドのガンジー財団などから照会の手紙が沢山きていた。だがその山積する仕事をふりきるようにして、アールは、ソ連の核実験に抗議するため、レニングラードに向かうヨットの船長となって、イギリスに出発してしまった。レイノルズは出発まえに委員たちを個別に訪問して了解をとったが、日本人委員たちはイエスともノーともいわず、表面ではだれも批判がましい意見をいう人はいなかった。しかし彼がヒロシマからいなくなると、「レイノルズは書斎に腰をすえて研究する学者ではない。科学者としてよりも、反核運動の活動家の道を選んだのだ。国際的に影響を与えるどんな立派なプロジェクトをかかげようとも、実際にはどれだけの科学者が真剣に協力するかに、研究所の将来がかかっている。すべてがレイノルズの独断専行でことが運ばれ、二十名の委員はあってなきがごとしだ」と厳しい批判が起こった。

三カ月後レイノルズがかえってくると、広島大学側や委員たちの態度は冷たかった。申請していた文部省の認定も日本企業からの基金援助も、留守の間になんの進展もなかった。そのうえ、いままでレイノルズに協力していた中野清一が委員を辞任すると、次々とほかの委員からも辞表がだされた。追い打ちをかけるように、頼りにしていた学長の森戸辰男が中央教育審議会の委員長となり、広島大学を去った。広島国際平和科学研究所(HIPS)の会計をまかされていた森戸の秘書の西村宏は、会計報告を0と記して、レイノルズに渡した。

年表:レイノルズ夫妻

年表:レイノルズ夫妻<作業中

Y M D NEWS1
51 6 24 アール・レイノルズ(人類学者)、ABCC顧問として来広。
52 8 12 第7回日本公衆衛生学会(於札幌)で、ABCCのレイノルズ博士、被爆児童の発育調査結果報告。
56 11 3 バーバラ・レイノルズ、初めて広島を訪れる。(「ヒロシマ巡礼」)
58 6 11 レイノルズ一家のヨット「フェニックス号」、米のエニウェトク核実験に抗議するため、米ホノルル港を出港。広島の三上仁一も参加。23日、アメリカ沿岸警備隊の監視船に停船を命じられる。(「ヒロシマ巡礼」)
60 6 9 レイノルズ一家のヨット「フェニックス号」、横浜港に入港。
60 8 6 「原爆の子追悼のつどい」(第3回)、広島市平和公園の原爆の子の像の前で開催。約200人が参列。レイノルズ夫妻も。
61 8 9 原水禁世界大会出席の米国代表団「代表団員のアール・レイノルズ博士(広島女学院大客員教授)を代表団から除名する」と発表。7月30日、広島で開かれた全労系の原水禁全国討論会で日本原水協を批判したのが理由。
61 8 9 レイノルズ、記者会見で語る。「原水協にたいする一番大きな不満はアメリカや西欧陣営の核武装だけを問題にして、ソ連や中国にたいしてはなにもふれないことだ」
61 8 12 東京新聞「原水禁運動に望む-真正の平和集会を-目標失った原水協」(E・レイノルズ)
61 8 15 アール・レイノルズ、核兵器禁止・平和建設国民大会(東京)に特別来賓として出席し、これまでの原水禁運動を批判。
61 9 6 アール・レイノルズ(広島女学院大客員教授)、ソ連の核実験に抗議するためウラジオストックヘ抗議航海する計画を発表。
61 9 8 朝日新聞「こんどはソ連へ-レイノルズ博士、核実験に抗議-家族同伴ヨット航海で」
61 9 09? アール・レイノルズ、広島に国際平和科学研究所を設立する計画を発表。
61 9 19 ソ連核実験抗議のためウラジオストクへ向かうレイノルズ一家の壮行激励会、流川教会牧師・谷本清の提唱により広島平和公園で開催。広島市原爆被爆者協議会・広島青年連合会・全労地方会議・広島県宗教連盟など11団体から約150人が参加。(「ヒロシマ巡礼」)
61 9 21 中野清一広島大学政経学部長・谷本清流川教会牧師、レイノルズにソ連核実験抗議航海を思いとどまるよう説得。
61 9 22 法務省、旧ソ連の核実験抗議のためウラジオストクに向かうレイノルズの再入国申請を拒否。
61 9 24 フェニックス号、ソ連ヘ。アール・レイノルズ一家、ソ連核実験に抗議するためヨットでウラジオストックヘ向け広島港を出帆。市民500人が見送り。
61 10 7 メアリー・マクミラン、桑原英昭、谷本清ら30人、レイノルズを支援する「フェニックス会」を結成。
61 10 29 レイノルズの核実験抗議船〃フェニックス号〃ナホトカ入港を拒否され博多港に帰港。
61 11 12 レイノルズ夫妻ら、広島市に帰る。
61 11 15 アール・レイノルズ、核兵器禁止・平和建設国民会議の結成大会に出席し挨拶。(産経)
61 12 25 バーバラ・レイノルズ夫人と長女ジェシカ、原爆の子の像の前で平和祈念断食を行なう。
62 1 22 レイノルズ夫妻、「ヒロシマ平和巡礼計画」を発表。
62 2 4 ヒロシマ平和巡礼代表に松原美代子、英宏昌決まる。[レイノルズ]
62 3 10 「ヒロシマ平和巡礼」のバーバラ・レイノルズ、松原美代子、英宏昌、広島を出発。13日、羽田を出発。(「ヒロシマ巡礼」)
62 3 19 「ヒロシマ平和巡礼」のバーバラ・レイノルズ、松原美代子、英宏昌、米サンフランシスコに到着し、記者会見。
62 4 11 ヒロシマ平和巡礼、国連本部で米ソ代表に核兵器禁止を訴える。[レイノルズ]
62 4 11 「ヒロシマ平和巡礼」の松原美代子、英宏昌、米ニューヨークの国連本部を訪れ、バンチ事務次官らに核実験禁止への努力を要請。[レイノルズ]
62 4 23 英核兵器廃止運動主催の大行進、ロンドンに到着。野外大会で、「ヒロシマ平和巡礼」の松原美代子、英宏昌が挨拶。[レイノルズ]
62 4 30 「ヒロシマ平和巡礼」の松原美代子、英宏昌、ジュネーブに到着。[レイノルズ]
62 5 1 平和巡礼の広島原爆被災者松原美代子・英宏昌, 18カ国軍縮会議開催中のジュネーブでゾーリン・ソ連代表と会見. 広島平和行進委員会のメッセージを手渡す.[レイノルズ]
62 5 2 平和巡礼、米代表にも核実験停止を訴える。11日のタス通信, メッセージが軍縮委の公式文書として配布されることになったと報道.[レイノルズ]
62 5 26 広島平和巡礼委員会、タイム誌に抗議電報。[レイノルズ]
62 6 19 「ヒロシマ平和巡礼」のバーバラ・レイノルズ、松原美代子、英宏昌、共産圏諸国に向けストックホルムを出発。(「ヒロシマ巡礼」)
62 7 27 「ヒロシマ平和巡礼」の松原美代子、英宏昌、広島に帰る。[レイノルズ](「ヒロシマ巡礼」)
62 7 29 ヒロシマ平和巡礼、広島に帰る。ソなど14カ国訪問。[レイノルズ]
62 8 3 ヒロシマ平和巡礼報告会。広島市・平和記念館で。[レイノルズ]
62 9 3 アール・レイノルズ広島女学院大学客員教授、エブリマン3号でソ連核実験に抗議するため広島を出発。
63 10 8 広島・長埼世界平和巡礼実行委員会開く。委員長原田東岷、副委員長バーバラ・レイノルズ決まる。
64 1 8 広島・長崎世界平和巡礼実行委員会(原田東岷委員長)、4月の世界平和巡礼第2陣のメンバーを決定。志水清広大原医研教授ら4人。[レイノルズ]
64 1 17 広島・長崎世界平和巡礼団の広島関係メンバー決まる。志水清(広島大学教授)ら15人。[レイノルズ]
64 3 28? 世界平和巡礼が携行する英文『原爆被害の実相』完成。[レイノルズ]
64 4 11 広島市キリスト教連合婦人会と日本基督教婦人矯風会広島支部員ら20人、平和巡礼資金の街頭募金を広島市内で実施。-12日。[レイノルズ]
64 4 16 第2回広島・長崎世界平和巡礼団、広島を出発。(21日羽出発)。広島市・平和記念館で結団壮行式。松本卓夫団長、団員:バーバラ・レイノルズ、松原美代子、小佐々久仁子、庄野直美、副島まち、森下弘、阿部静子、高原弘子、吉田チエ、河本時恵、満井晟(中国新聞記者)ら40人。2カ月をかけ、欧米・ソ連などを回る予定。(「ヒロシマ巡礼」)
64 4 20 平和巡礼団庄野直美(広昆女学院大学教授)の米国入国査証交付が保留。[レイノルズ]
64 4 29 米、平和巡礼団庄野直美に入国査証発行。[レイノルズ]
64 5 5 平和巡礼団が米ミズリー州インデペンデン市で、トルーマン元米大統領と会見。「広島、長崎両市の代表に会えてうれしい。二度と悲劇の起きないことを心から望む。あのときは原爆投下の決定をくださざるをえなかった。[レイノルズ]
64 5 28 平和巡礼団、米上下両院合同原子力委員会で訴える。「いかなる理由があろうとも原水爆の使用は許せない。原子力は人類の繁栄のために使ってほしい」[レイノルズ]
64 6 11 平和巡礼団、ウ・タント国連事務総長と会見。国連放射能科学研究所が原爆の影響を研究するよう要望。[レイノルズ]
64 6 11 広島・長崎世界平和巡礼団、国連ウ・タント事務総長に,国連が原爆被災者の実態を調査し,その結果を世界に知らせるよう要望.[レイノルズ]
64 6 26 広島・長崎世界平和巡礼団、モスクワに到着。[レイノルズ]
64 7 4 広島・長崎世界平和巡礼団帰国。ナホトカから横浜ヘ。米、ソ、ヨーロッパなど8カ国150都市訪問。松本卓夫団長「広島・長崎の名はよく知られているが、後遺症などの実態はほとんどわかっていない。被爆者の生の声は〃生き証人〃として大きな感動を与えた」[レイノルズ]
64 7 5 広島・長崎世界平和巡礼団、広島に帰る。6日、広島平和記念館で帰国報告会。[レイノルズ]
64 7 6 平和巡礼団の広島市民への帰国報告集会。[レイノルズ]
64 7 33 談和会、7月例会.庄野直美,平和巡礼の報告をおこない,原爆被害者の調査を国際的規模で実施することの重要性を提案.[レイノルズ]
64 8 09? レイノルズ夫妻、離婚。
65 4 16 中国新聞「私はなぜ広島に帰ったか」(バーバラ・レイノルズ)
65 5 4 世界平和巡礼団(広島・長崎の被爆者グループ)、「米はベトナムから撤退せよ」とジョンソン大統領へ抗議文送る。[レイノルズ]
65 5 17 広島・長崎平和研究会(三十九年春、欧米各国を回った平和巡礼団関係者で組織、庄野直美幹事長)、周恩来中国首相に核実験反対の抗議文送る。[レイノルズ]
65 7 19 広島・長崎世界平和巡礼団、ジョンソン米大統領へ送ったベトナム戦争にかんするの要望書への返書を受け取る。「核兵器の使用は現段階では軍事的必要がない」[レイノルズ]
65 8 7 ワールド・フレンドシップ・センター(世界友情の家)の発足。広島と世界の平和を求める人との提携センターで、バーバラ・レイノルズが提唱。事業内容①生活困窮被爆者のための福祉事業②外国の平和活動家に生活・研究の場を提供④平和にかんする
65 10 12 ワールド・フレンドシップ・センター、理事会を開催。被爆孤老施設の開設を決める。[レイノルズ]
65 10 23 ワールド・フレンドシップ・センター(広島市南観音町)開所式。被爆孤老3人が入園。[レイノルズ]
67 3 28 広島から出港のアール・レイノルズ博土の反戦ヨット、フェニックス号、北べトナムのハイフォン港着。医薬品(一万ドル相当)を北ベトナム赤十字社に贈る
69 3 21 米平和運動家バーバラ・レイノルズ女史が広島を離れ帰国
74 7 15 山田広島市長、来年中に原爆被爆資料の海外での展示を実現したいとの意向を市議会で明らかにする。7月末、ノーマン・カズンズ、バーバラ・レイノルズ、ノエル・ベーカー、エディタ・モリス、ダニロ・ドルチに協力を要請。
74 9 2 山田広島市長、米のバーバラ・レイノルズからオハイオ州ウイルミントン大学で来年被爆資料展を開くとの回答を得たことを明らかにする。
75 5 18 平和運動家バーバラ・レイノルズ、ロサンゼルス市で在米被爆者援護のための募金活動開始。
75 8 1 「広島、長崎30年後-ウィルミントン会議」。米ウィルミントン大学で五日まで。バーバラ・レイノルズ提唱。被爆者代表も出席。フォード米大統領と三木首相に核廃絶の努力を要請するメッセージ送る
75 10 3 中国新聞「この人:バーバラ・レイノルズ-広島市の特別名誉市民章を受ける米人」
75 10 15 バーバラ・レイノルズ(米平和運動家)に広島市が特別名誉市民章
77 7 30 このほどNGOシンポ参加のためバーバラ・レイノルズ来広。
77 8 2 広島市特別名誉市民レイノルズ女史、NGOシンポ参加のため来広中、広島市長を訪問。
78 7 19? 米ウィルミントン大学ヒロシマ・ナガサキ記念文庫の世話役バーバラ・レイノルズの後継者決まる。
78 8 18 広島大学で、国際平和科学会開催。(19日まで)米レイノルズ博士ら出席。
78 8 21 レイノルズ博士、長崎市で「平和運動の歩み」と題して講演。
80 8 4 平和運動家バーバラ・レイノルズ、来広。
82 4 15 SSD2に向けての平和キャラバン、ロサンゼルスで活動開始。(原爆展を開催しながら米大陸を横断。)被爆者松原美代子、バーバラ・レイノルズらが参加。
82 11 22 米の平和運動家バーバラ・レイノルズ、来広。広島市長と懇談。
83 3 17 米の平和運動家バーバラ・レイノルズの自伝刊行のため、長崎県の翻訳家、来広し取材。
84 12 11 米の運動家、バーバラ・レイノルズ「84ワンダー・ウーマン賞」(社会活動などに業績のあった女性に贈られる)を受賞したことが判明。
85 4 22 広島市、今夏の平和祈念式に特別名誉市民ノーマン・カズンズ、バーバラ・レイノルズを招待することを決定。
85 5 17 米の平和運動家バ-バラ・レイノルズ、戦争抵抗者連盟(本部:ブリュッセル)の第24回平和賞を受賞。
85 8 3 バーバラ・レイノルズさんを囲む会、広島市で開催。
85 8 3 米のノーマン・カズンズ、バーバラ・レイノルズ、フロイド・シュモーら、平和祈念式に参加のため来広。 4日、広島市長を表敬訪問。
86 11 28 元広島女学院院長松本卓夫(被爆者)、死去。1964年に広島・長崎世界平和巡礼団団長として各国を歴訪。[レイノルズ]
88 12 26 広島市の特別名誉市民で米の平和運動家バ-バラ・レイノルズの健康状態がすぐれないことが判明。ワ-ルド・フレンドシップ・センタ-、激励の手紙を送ることを呼び掛け。
90 2 11 米の平和運動家バーバラ・レイノルズ、死去。1951年に来広し、18年間広島市に滞在、1962年に広島・長崎平和巡礼団を組織するなど平和運動に貢献。
90 2 24 米の平和運動家バーバラ・レイノルズ(11日に死去)をしのぶ「記念会」、広島市で開催(ワールド・フレンドシップ・センタ-主催、約80人参加)。
90 3 31 山田信蔵(被爆者)、死去。故バーバラ・レイノルズに日本語を教えたのが縁で、1964年に第2回世界平和巡礼に参加。
90 4 29 長崎の証言の会、米の平和運動家バ-バラ・レイノルズさんをしのぶ会を長崎市で開催(約30人参加)。
90 8 7 ワールド・フレンドシップ・センター、創立25周年の集いを広島市で開催(35人出席)。同センターは、1965年にバーバラ・レイノルズが設立。
90 9 14? 故バーバラ・レイノルズの蔵書類(約100冊、被爆体験記集など)、米国原爆被爆者協会に寄贈。
94 6 05? 広島市の医師原田東岷、バーバラ・レイノルズとノーマン・カズンズの偉業を綴った単行本『平和の瞬間』(勁草書房)を出版。
95 2 11 ワールド・フレンドシップ・センター、創立者のバーバラ・レイノルズを追悼するピアノリサイタルを広島市のエリザベート音大で開催。約500人が参加。
98 1 11 広島の反核運動の先駆者で米国の人類学者アール・レイノルズ、死亡。
98 1 23 中国新聞「文化:レイノルズ博士の死に思う(原田東岷)」
98 3 7 ワールド・フレンドシップ・センター(広島市内)、レイノルズ夫妻を偲ぶ会を開催。約20人が参加。
98 7 09? 広島市の医師・原田東岷、バーバラ・レイノルズ夫人とノーマン・カズンズの活動記録「平和の瞬間」の英訳版「MOMENTS OF PEACE」を出版。

レインボー・ビレッジ

『レインボー・ビレッジ』(バーバラ・レイノルズ著、グループ「ハート」 訳 、中国新聞社出版部編、19950801)

内容<作業中

02 はじめに
03 バーバラ・レオナルド・レイノルズ
04 「レインボー・ビレッジ」に寄せて(ジェシカ・レイノルズ・シェーバー)
05 レインボー・ビレッジ(バーバラ・レイノルズ)
147 あとがき 原田東岷
148 訳者あとがき
149 バーバラさんと広島(中国新聞の記事から抜粋)