「NGO(か行)」カテゴリーアーカイブ

ヒバクシャ―ともに生きる 第1号

『ヒバクシャ―ともに生きる 第1号』(原爆被害者相談員の会、1982年12月11日)

機関誌

『ヒバクシャ―ともに生きる』発行。1982年12月11日創刊

著者  タイトル 備考
01  河合幸尾( 代表)  発刊にあたって
 原爆被害者相談員の会に期待する
04   志水 清  相談員の会に期待する
05  相原和光  平和への強いタネまき
06   伊藤直子  広島の被爆者の役割は大きい
07  栗原秀雄  被爆者から学ぶ
08  中村征之  期待を背負うワーカー
10  若林節美  原爆被害者相談の発足と一年間のあゆみ
16  久保浦寛人  「原爆被害者証言のつどい」について
18  高田素子  「原爆被害者証言のつどい」に参加して
19 胡明憲二 一日カメラマン
20   三村正弘  基本懇答申と第二臨調答申の関連について
25  畠山護三  ワーカーとしての知識と経験を生かしたい
25 城谷正子 〔短歌3首〕
  事例報告
26  ソーシャルワーカー・T  1 病床からの意見陳述―被爆者に血の通った行政を
30  加藤礼子  2 苦悩を背負って
34  高橋文枝  3 被爆後詩を書きつづけて―両徳玉夫さんのこと―
 江崎須賀子  4 「やっと生活保護が受けられた」来談者からの手紙
 明田 勇  5 三十六年目の原爆手帳
 中津泰人  解説 被爆者健康手帳とは
44   座談会  相談員の会の歩みを振り返って
44 (1)はじめに
江崎須賀子(司会)
若林節美
45 (2)生みの苦しみ
槙 繁
一 泰治 (広島YMCA)
46 (3)相談員は
相良カヨ
宗像房子
47 (4)弁護士の立場から
島方正幸
二国則昭
48 (5)被爆者の立場から
蔵田和子
木村千代子
  相談員の会の担い手として
52  井上慰江  原爆被害者相談に参加して
53  桶舎洋子  ボランティアとしての責任は
54  立神志伸  福祉労働者としての姿勢に学ぶ
55  河宮百合恵  夫婦参加を志向して
56  山田寿美子  第二日曜日の朝
57  活動日誌(81・6~82・11) 
<1981年6月の項>研究会「医療法前史、県被団協の結成をめぐって」 宇吹暁さん
62 基本懇答申についての解説・見解
66 資料:原爆被爆者対策の基本理念及び基本的在り方について 1980年12月11日
71  編集後記(正田恵子・江崎須賀子)

呉原水協ニュース 1977.8.6号

呉原水協ニュース 1977.8.6号

 kuregensuikyo19770806s
 事務局:呉市広町東小坪 大田
 ’77 被爆・戦没33回忌 統一原水禁世界大会h近づく
◇ 統一世界大会としての ’77大会
 ◇ ’77統一原水禁世界大会の意義
 ◇代議員の決定を急ごう
国民平和大行進に参加しましょう 広島入りした100余名
 ◇歩け!平和を呼びかける広場ヒロシマへ 行け!平和を語る十字路ナガサキへ
平和行進のコース・日程
 原水禁世界大会の日程
統一世界大会
 連絡・お知らせ

原爆文献を読む会

原爆文献を読む会<作業中

設立年月日:1968年

発行年月日 書名 著者 備考
19720704 原爆関係文献案内
入手しやすい原爆文献 近藤弘
原爆記録の文献 長岡弘芳
原爆をめぐる文学 長岡弘芳
原爆文献を読むことの意味 長岡弘芳
原爆文学小史
”あとがき”にかえて
19720806 十三人の死をみつめて 佐伯敏子 著 原爆文献を読む会 編
**** “ひばく怪獣”問題資料集 被爆者差別の固定化を許さないために 「ひばく怪獣」問題資料集刊行委員会編 原爆文献を読む会「ひばく怪獣」問題事務局
はじめに “被爆怪獣問題”の中から 伊東壮 1
被爆怪獣問題の事実と経過 問題発生から一応の終結まで 井上澄夫 5
第一部 “ひばく怪獣”を掲載した出版社に対しての抗議文とその回答 31
第ニ部 “ひばく怪獣”問題を報道した新聞・雑誌 105
おわりに 悲惨と差別 田川時彦 147

 

原爆関係文献案内

広島を訪れた内外人の感想文集 その2

『広島を訪れた内外人の感想文集 その2』(原爆資料保存会編・刊、19710910)<作業中

内容

01 はしがき(横田工 原爆資料保存会長)
02 第2集に寄せて(小倉馨 広島市平和記念資料館館長)
bk19710910-02
国内篇
03 小学生の部
05 中学生の部
09 高校生の部
11 一般・大学生の部
国外篇
21
bk19710910-21
bk19710910-25
26 あとがき

短篇集 真夏日に撃たれて

『短篇集 真夏日に撃たれて』(原爆と文学の会、日曜社19950710)<作業中

目次

タイトル 著者 備考
1 小説
山口勇子
篠垤潔
真実井房子 戦時下の呉市
笠岡武
残照の想い 岡田智晶 第32回広島県解放運動無名戦士合祀祭
増岡敏和
2 童話
佐藤一志
山岡和範
あとがき

憲法9条を守る音楽と講演の集い(呉)

憲法9条を守る音楽と講演の集い(呉)

開催状況

年月日 概要 メモ
01 20060826 2. 講演「戦争遺族としての私」(講師:菅原龍憲)  警固屋公民館
02  20071124  2.講演「戦争する国にしないために」(講師:浅井基文)
03  20081018  2.講演「歴史に学ぶ」(講師:平岡敬)
04  20091115   2. 講演「『基地のあるまちで育って」(講師:信樂峻麿「」)
05  20101030  第2部 講演「岩国に吹いた風 憲法を生かす基地反対のたたかい」(講師:伊原勝介元岩国市長)
06  20111022  第2部 講演「フクシマに学ぶ ― 止めよう!上関原発 ―」(講師:木原省二)
07 20121117 第2部 講演「戦争被害と憲法」(講師:宇吹暁)
08  20131013  第2部 講演「戦争被害と憲法」(講師:小森陽一)「暴走改憲の危険な本質」
09
10  20150718  第2部  講演「『基地のあるまちで育って」(講師:智海寺子)
11  20161016 第2部  講演「『尖閣の危機』を平和のチャンスに変える道―親鸞の言葉と憲法第9条」(講師:泥憲和)
12
13
14
15
16
17 20220612 第2部 講演「自民党改憲草案と改憲4項目について~今、平和を守るために何が必要か」(講師:寺西環さん<弁護士・被爆3世>)

現代史サマーセミナー開催一覧

現代史サマーセミナー開催一覧<作業中

年月日 テーマ 報告者 タイトル・他(会場ほか)
19690905-06 湯河原温泉。*準備会。
日本現代史研究の課題
江口圭一 日本現代史研究の最近の動向
佐々木隆爾 軍国主義復活
藤原彰 安保体制の現段階
1 19700728-30 高尾山薬王院
世界史における1930年代
Ⅰ 世界史における1930年代
江口朴郎 1930年代と現代史の方法について
中西功 現代史における1930年代
Ⅱ 統一戦線論
神田文人  日本における統一戦線
吉原功  フランス人民戦線の知的源泉」
古厩忠夫  抗日期中国共産党の統一理論の発展
Ⅲ ファシズム論
粟屋憲太郎  日本ファシズムと官僚制
伊集院立  ワイマル共和制からファシムへの移行
新川健三郎  ニューディールに関する一考察」
Ⅳ 第2次世界大戦論
荒井信一  第二次世界大戦の性格
鈴木隆史  太平洋戦争と満洲侵略
 坂東宏  両大戦間期東欧の諸問題

 

日時 主テーマ 会場
2 19710730~0801 第二次大戦と戦後改革―現代民主主義の検討 八王子セミナーハウス
3  1972
4  1973
5  1974
6  1975
7  1976
8  1977
9  1978
10  1979
11  1980
12  1981 現代史研究の現状と課題
13  1982 戦後世界体制論への一視角―各地域の民衆運動を手掛かりとして
14  1983
15  1984
16  1985
17  1986
18  1987 戦争責任論
19  1988 ファシズム・敗戦・占領
20 19890806~08 支配の諸相と戦争責任 長野県小諸市菱野温泉、常盤館
『現代史における戦争責任 現代史シンポジウム』(青木書店、19900701)=第20回の報告をもとに加筆訂正を加えたまとめ。
藤原彰「序にかえて―サマーセミナーの20年」

年表:韓国の原爆被害者を救援する市民の会

年表:韓国の原爆被害者を救援する市民の会<作業中

年月日 事項 備考
1971    
12 韓国の原爆被害者を救援する市民の会、発足。  
1972    
0109? 京阪神で結成された「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」、募金を開始。  
0225 韓国の原爆被害者を救援する市民の会、機関紙『早く、援護を!』(第1号 1972年2月25日)を発行。  
1974    
07 豊永恵三郎「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」広島支部長、辛泳洙・韓国原爆被害者協会前会長から原爆手帳取得のための証人探しを依頼する手紙を受け取る。  
0801 趙判石韓国原爆被害者援護協会会長・郭貴勲湖南支部長・朴海君総務部長、「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」の招きで大阪市入り。  
0805 「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」・河村虎太郎・深川宗俊・栗原貞子ら、全ての被爆者に手帳を交付するよう求める要望書を広島市長に提出。  
11 韓国の原爆被害者を救援する市民の会広島支部、発足。  
1121 韓国釜山在住の韓国人被爆者・崔英順、「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」の招きで来日。22日、広島市入りし、河村病院に入院。  
1975    
0627 日本キリスト教婦人矯風会・韓国の原爆被害者を救援する市民の会の代表ら、外国人にも日本人と同じように被爆者手帳を交付するよう田中厚相に要請書を送る。  
0820 廬長寿「日本広島三菱重工業韓国人被爆沈没遺族会」会長、韓国原爆被害者援護協会の郭貴勲・白光欽両副会長、「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」の招きで広島市を訪問。  
1123 「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」、総会を広島市内で開催。韓国・釜山市在住の崔季*が難病の手術をできるよう招待状を送ることを決める。  
1976    
0620 深川宗俊や韓国の原爆被害者を救援する市民の会広島支部など、「三菱重工業韓国人徴用工原爆被爆者・沈没遺族を支援する会」を結成することを決める。29日、広島市内で発足。  
1978    
1221 「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」、在韓被爆者実態調査の中間報告発表。  
1979    
0723 「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」、在韓被爆者実態調査のため訪韓。  
1980    
0224 韓国の原爆被害者を救援する市民の会、ビデオ「在韓被爆者」などを見る会を、吹田市で開く。  
0803 韓国の原爆被害者を救援する市民の会広島支部、広島市で「在韓被爆者を囲む会」開催。  
1981    
0305 韓国の原爆被害者を救援する市民の会、大阪市で外国人被爆者援護の会開く。(ビデオ・講演など。)  
0612 韓国の原爆被害者を救援する市民の会広島支部、市内で「ビデオで見る在韓被爆者問題映写会」を開催。  
0823? 「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」、原爆をテーマにしたビデオライブラリーを開設。  
1982    
1030? 「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」、在韓被爆者援護に関する抜本的な改善を求める一万人署名運動開始。  
1983    
08 「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」、パンフレット「在韓被爆者問題入門‐入門編」刊行。  
0901 韓国教会女性連合会、日本の市民グループ「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」、在韓被爆者の初の実態調査結果まとめ発表。  
1984    
0428 「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」、日本人医師の韓国派遣などを厚生省に陳情。  
1985    
0402 韓国の原爆被害者を救援する市民の会、韓国の原爆被爆者を考える集いを広島市で開催(約30人参加)。  
1986    
0412 「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」、広島市で、「韓国の原爆被害を考える集い」を開催( 約60人出席) 。15日は、大阪市で開催。  
1015 韓国の原爆被害者を救援する市民の会、「在韓被爆者の渡日治療継続を求める集いー 10.15集会」を大阪市で開催。  
1987    
0708 「広島市民が描いた原爆絵画展」(韓国の原爆被害者を救援する市民の会主催)、大阪市で開催。大阪府のカメラマンによる在韓被爆者の写真10点も展示。  
1127 「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」など、広島市に、原爆資料館に「加害者コーナー」を設置することを要望。  
1988    
0718? 「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」、在韓被爆者援助の緊急募金(目標額200 万円)を実施。  
1989    
0110 「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」代表、訪韓し、カンパ200万円を韓国原爆被害者協会に贈呈。  
0510? 大阪市の韓国人廣川誠一、韓国の原爆被害者を救援する市民の会に100万円を寄付。読売新聞の「白いチョゴリの被爆者」の記事(3月19日付)が契機。  
1990    
0418? 「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」、大阪市で「韓国被爆者歓迎大阪交流集会」を開催(日本側約60人参加)。  
0531 大阪市の淡路中学校生徒、修学旅行で来広し、街頭募金で集めた約37万円を、「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」に寄託。  
1991    
0511 在韓被爆者渡日治療広島委員会総会、広島YMCAで開催(約50人参加)。韓国の原爆被害者を救援する市民の会の松井義子会長による講演「枯れススキに花は咲いたか-(支援金)40億円と在韓被爆者の現状」など。  
0730 韓国の原爆被害者を救援する市民の会、広島市で、元三菱徴用工韓国人被爆者を囲む集いを開催。元徴用工の訴えと、大阪の高校生のヒロシマ学習の発表。  
0925 韓国の原爆被害者を救援する市民の会など、韓国原爆被害者協会の役員らを招き被爆者認定業務を研修してもらうことについて、広島市に協力を要請。  
1106 「韓国原爆被害者協会」の役員(2人)、来日し、広島市で被爆者認定作業について研修を開始。「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」が招請。  
1992    
0804 韓国の原爆被害者を救援する市民の会長崎支部結成集会、長崎市内で開催。約20人が参加。  
0902 「アジア・太平洋の戦争犠牲者に対して反省し、心に刻む碑(仮称)」の建立委員会結成準備会、広島市内で開催。「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」のメンバーら約15人が参加。  
1993    
0515 在韓被爆者渡日治療広島委員会、総会を広島YMCAで開催。約40人が参加。市場淳子「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」大阪支部長が講演。  
1994    
0328 韓国人原爆被害徴用者同志会の方勲栽会長、同会員朴昌煥の2人、徴用時の未払い賃金の支払を求めるため広島入り。「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」(大阪府)の招き。  
0526 豊永恵三郎「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」広島支部長ら、「韓国人原爆被害三菱徴用者同志会」の会員53人の代理で、戦時中の年金加入の確認を広島東保険事務所に申請。  
1995    
0124 「韓国の原爆被害者を救援する市民の会広島支部」、広島法務局が朝鮮人元徴用工が求めている「供託名簿」の閲覧を認める意向であることを明らかにする。  
0130 韓国在住の被爆者の朴昌煥、「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」の招きで広島入り。「韓国人原爆被害三菱徴用者同志会」が当時の賃金支払を求めている問題で広島法務局で供託金名簿を閲覧する予定。  
0204 「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」、「韓国人原爆被害三菱徴用者同志会を支援する広島集会」を広島労働会館で開催。約80人が参加。出席予定の朴昌煥は、心臓疾患で参加できずメッセージを寄せる。  
0508 広島市内で被爆者援護法の学習会。韓国の原爆被害者を救援する市民の会広島支部や原爆2法研究会のメンバーなど約20人が参加。外国に住む被爆者の法的救済を求める運動を始めることを申し合わせる。  
0907 米国ハワイ大学東西センターで国際会議「アジア・太平洋戦争追憶の会」を開催。-9日。「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」広島支部の豊永恵三郎が招待され出席。  
1011 豊永恵三郎「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」広島支部長、広島県の社会保険審査官が三菱重工の韓国人元徴用工の年金支給請求を4日付で却下していることを公表。  
1109? 韓国の原爆被害者を救援する市民の会、冊子「在韓被爆者が語る被爆50年-求められる戦後補償」を発行。  
1128 韓国の原爆被害者を救援する市民の会広島支部・広島の強制連行を調査する会のメンバーなど、広島YMCAで会合、「三菱広島・元徴用工被爆者の裁判を支援する会」の結成を決める。  
1207 豊永恵三郎「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」広島支部長、在韓被爆者・趙順南が申請していた被爆者援護法の特別葬祭給付金を代理人として受け取る。  
1996    
0325 広島平和文化センター、ビデオ「ヒロシマの証言-韓国人被爆者は語る」を原爆資料館で公開。豊永恵三郎「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」広島支部長が講演。  
0705 車貞述韓国原爆被害者協会釜山支部長・平野伸人韓国の原爆被害者を救援する市民の会長崎支部長、長崎原爆資料館の加害展示の充実などを、長崎市に要望。  
1997    
0707 韓国の原爆被害者を救援する市民の会広島支部と被爆者援護法研究会、「在外被爆者にも被爆者援護法を求める集い」を広島市内で開催。倉本寛司と鄭相石が出席。約50人が参加。  
1998    
0123? 「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」・「被爆者援護法研究会」、冊子「在外被爆者にも被爆者援護法の適用を」を出版。  
0812 崔日出韓国原爆被害者協会会長と豊永恵三郎韓国の原爆被害者を救援する市民の会広島支部長、広島県庁の放射線被曝者医療国際協力推進協議会事務局に韓国人医師の研修受け入れを要請。  
1215 松井義子「韓国の原爆被害者を救援する市民の会会長」、死亡。70才。  
1999    
0712 「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」広島支部、在韓被爆者の支援策を要請。  
0713? 「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」、被爆者援護法の韓国内での適用について日本政府と協議することを求める要請書を金大中大統領あてに送付。  
0812? 「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」や韓国原爆被害者協会など、在外被爆者にも被爆者援護法を適用するよう政府に求める署名活動を開始。  
1024 「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」と「被爆者援護法研究会」、「在外被爆者を囲む夕べ」を広島市西区民文化センターで開催。今回が3回目。森田隆在ブラジル原爆被爆者協会会長や韓国人被爆者・李康寧らが在外被爆者への援護法適用を訴える。約70人が参加。  
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
   
 
   
2021  
 0304  「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」、韓国人被爆者の証言をまとめた手記集を駐広島韓国総領事館に寄贈<『中国新聞』20210305>  
     
2022
0221 豊永恵三郎「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」世話人(85歳)、オンラインで講演。(広島大学比較文化日本学プロジェクト研究センター主催)。<『中国新聞』20220220>
0417 韓国の原爆被害者を救援する市民の会、結成50周年記念集会を広島市内で開催。

 

強制連行された中国人被爆者との交流をすすめる会

強制連行された中国人被爆者との交流をすすめる会

年表<作業中

年月日 事項 備考
1990
*** 広島の牛尾美保子・川原洋子、中国人強制連行問題に取り組むため、「6・30花岡の会」を結成。(『中国人被爆者・癒えない痛苦』)
07 「6・30花岡の会」のメンバー、安野発電所の中国人強制連行の跡を訪問(『中国人被爆者・癒えない痛苦』)
1992
01 安野発電所に強制連行された中国の生存者・張濂の手記、「花岡問題」に取り組む「中国人強制連行を考える会」のメンバーを通じて、広島にもたらされる。(『中国人被爆者・癒えない痛苦』)
0429 牛尾美保子・川原洋子・橋本親往(通訳)・柴田和広(中国放送)、安野発電所建設工事に強制連行された生存者を訪ねて中国を訪問(中国人強制連行調査団)。-5月4日。中国人被爆者・徐立伝に面会。(『中国人被爆者・癒えない痛苦』)
0608 毎日新聞、日本へ強制連行され広島で被爆した中国人2人(徐立伝・張文彬<高清珍>)が見つかったとの北京発の記事を掲載。(『中国人被爆者・癒えない痛苦』)
0614 訪中報告集会。(『中国人被爆者・癒えない痛苦』)
0623 牛尾美保子ら、中国人被爆者・徐立伝の被爆の裏付けのため、広島刑務所・広島地方検察庁・広島県警などに調査を要請。
0625 「強制連行された中国人被爆者との交流をすすめる会」、広島YMCAで発足会を開催。約15人が参加。戦時中、加計町の安野発電所建設に強制連行され広島市で被爆した中国人の実態解明が目的。
07 強制連行者名簿のうち、広島で「入獄」中とある10人に手紙を送付。(『中国人被爆者・癒えない痛苦』)
0721 中国人被爆者・徐立伝、死亡。(『中国人被爆者・癒えない痛苦』)
0803? 強制連行された中国人被爆者との交流を進める会、広島市内の司法関係施設で被爆した11人の消息の調査を求める書簡を中国の研究者・劉宝辰に送付。
0804 共同通信、中国人被爆者2人(徐立伝・張文彬)の手記を配信。(『中国人被爆者・癒えない痛苦』)
0825 強制連行された中国人被爆者との交流をすすめる会、広島キリスト教社会館で会合。被爆が証明されながら死去(7月21日)した徐立伝の追悼集会を9月15日に開催することなどを決定。
0917 「強制連行された中国人被爆者との交流をすすめる会」、広島刑務所で被爆した中国人被爆者の実態調査と渡日治療などの援護措置を広島市長に申し入れ。
09 新潟市のフリーライター佐藤杏子、単身訪中し中国人被爆者張文彬と面会。(『中国人被爆者・癒えない痛苦』)
1009 強制連行された中国人被爆者との交流をすすめる会、広島刑務所で被爆した中国人被爆者張文彬の被爆者健康手帳交付申請書の写しを広島市に提出。
1025 「強制連行された中国人被爆者との交流をすすめる会」、広島刑務所で被爆した中国人張文彬の被爆者健康手帳の取得と渡日治療を実現するための集会を広島市内で開催。新潟市のフリー・ライター佐藤杏子が張との会見の模様を報告。約20人が参加。
1993
01 中国・河北大学の劉宝辰に中国人被爆者の追跡調査を依頼。(『中国人被爆者・癒えない痛苦』)。呂学文・孟兆恩・鄭光遠の3人の消息を掴む。
 0301?  「強制連行された中国人被爆者との交流をすすめる会」、日本へ強制連行され広島刑務所で服役中被爆した中国人の張文彬(72才)を、被爆者健康手帳の取得や治療のため5月に広島に招くことを計画。
0310  「強制連行された中国人被爆者との交流をすすめ会」、広島刑務所で被爆した中国人の生存が新たに3人(呂学文・孟兆恩・鄭光遠)確認されたと発表。
 0424  宮崎安男広島県原水禁代表委員・「強制連行された中国人被爆者との交流をすすめる会」のメンバーら5人(強制連行された中国人をたずねる訪中団)、広島刑務所で被爆したとみられる中国人3人の証言を取材するため訪中。11間の日程。
 0427  強制連行された中国人をたずねる訪中団、中国人被爆者・呂学文と面会。-29日。(『中国人被爆者・癒えない痛苦』)
 0430  強制連行された中国人をたずねる訪中団、2人の中国人被爆者(孟兆恩・鄭光遠)と面会。(『中国人被爆者・癒えない痛苦』)
0516  張文彬(広島刑務所で被爆した中国人被爆者)、「強制連行された中国人被爆者との交流をすすめる会」の招きで広島入り。
 0517  中国人被爆者張文彬、広島市に被爆者健康手帳の交付を申請。
0518  中国人被爆者張文彬、広島市の河村病院に検査入院。
 0520  広島市、中国人被爆者張文彬に被爆者健康手帳を交付。
 0523  広島県原水禁など、「張文彬さん(中国人被爆者)のお話しを聞く集い」を広島労働会館で開催。約100人が参加。
 0524  中国人被爆者張文彬、9日間の広島での日程を終え、かつて強制連行された新潟に向かう。
 05  東京華僑総会、中国人強制連行に関する「外務省報告書」と各事業場の「事業場報告書」を公表。
 0729  広島刑務所で被爆した中国人被爆者2人(呂学文・孟昭恩)、広島県原水禁などの招きで広島入り。
0730  広島市、広島刑務所で被爆した中国人被爆者2人(呂学文・孟昭恩)に被爆者手帳を交付。
 0731  中国人被爆者呂学文と孟昭恩、48年ぶりに広島県加計町の労働現場を訪問。広島県加計町の善福寺で挙行された中国人殉難者追悼法要に参列。
 0801  写真展・「安野」からの証言、広島労働会館で開催。
 0801  強制連行された中国人被爆者「孟昭恩先生・呂学文先生のお話をきく集い」、広島労働会館で開催。約50人が参加。
0803  中国人被爆者呂学文・孟昭恩、西松建設中国支社に強制労働に対する謝罪や補償を求める要求書を提出。
 0806  広島県山県郡の安野中学校生徒会、中国人被爆者呂学文・孟昭恩を招いて体験を聞く。
 09  強制連行された中国人被爆者との交流をすすめる会、呂学文・孟昭恩の西松建設に対する要求書への回答(9月29日付)を受け取る。(『中国人被爆者・癒えない痛苦』)
 1110  西松建設中国支店を訪れ、2人の中国人被爆者からの謝罪・補償要求などを同社が拒否する回答書を提出したことに反論。
 1114  厚生省、北京の中日友好協会に対し、日本では被爆者の治療を無料で受けられる制度があることを通知。(『中国人被爆者・癒えない痛苦』)
 1220  強制連行された中国人被爆者との交流をすすめる会、大内厚生大臣の孫平化中国日本友好協会長宛の書簡(12月14日付、日本の原爆2法による援護措置を説明)を広島市原爆被害対策部に示し、市独自の救済措置を要望。
 1994
0118  「強制連行された中国人被爆者との交流をすすめる会」、被爆中国人補償問題で西松建設中国支店で3回目の交渉を実施。
0214?  「強制連行された中国人被爆者との交流をすすめる会」に広島で獄中被爆した中国人が大連に生存しているとのしているとの連絡が届く。
 0426  「強制連行された中国人被爆者との交流をすすめる会」のメンバー6人、中国人の代理で広島市の西松建設中国支社と交渉。同支社、独自に現地調査を行う意向を明らかにする。
 0501  「強制連行された中国人被爆者との交流をすすめる会」、調査のため訪中(3回目)。8日、帰国。13日、帰国記者会見。
 0503  「強制連行された中国人被爆者との交流をすすめる会」の訪中団、大連在住の被爆者・于瑞雪に面会。
 0607  強制連行された中国人被爆者との交流をすすめる会」、中国人被爆者などの外国人被爆者の実態調査や援護を求める要請文を広島市長宛に提出。
 0622  「強制連行された中国人被爆者との交流をすすめる会」、西松建設広島支店に強制労働させられた中国人への補償などを求める要求書を提出(第5回目の交渉)。
 0622  社会党の清水澄子、参院外務委員会で、中国人強制連行についての政府の見解をただす。中国人強制連行の事実を初めて公式に認める。(『中国人被爆者・癒えない痛苦』)
 0710  「広島の強制連行を調査する会」・「強制連行された中国人被爆者との交流をすすめる会」、広島県加計町のダムや発電所などで歴史や生存者の現状を学ぶ会を開催。約100人が参加。
0712?  「強制連行された中国人被爆者との交流をすすめる会」、広島市長に6月7日付で提出した要請書に対する7月8日付の回答を受け取る。内容は、中国人被爆者の調査や援護の支援は「困難」というもの。
 0803  広島県加計町立安野中学校生徒、同町の中国人や朝鮮人を動員して建設した発電所などを見学。講師は「強制連行された中国人被爆者との交流をすすめる会」などのメンバー。
 1105  五十嵐官房長官、「花岡受難者聯誼会」代表と会い、政府首脳として初めて花岡事件について謝罪。(『中国人被爆者・癒えない痛苦』)
 1112  広島の市民グループ「強制連行された中国人被爆者との交流をすすめる会」など、「強制連行された中国人・被爆者遺族を広島に招く実行委員会」を発足させる(広島平和会館)。18人が参加。
 1117  「強制連行された中国人被爆者との交流をすすめる会」、西松建設の担当者と広島県山県郡加計町の安野発電所建設工事に従事させられた中国人について初めて現地調査を実施。
 1995
 0206  「強制連行された中国人被爆者との交流をすすめる会」、西松建設中国支店との6回目の交渉を実施。新たに医療費の負担を要望。
 0520  「強制連行された中国人被爆者との交流を進める会」、調査結果をまとめた「中国人被爆者・癒えない痛苦-獄中被爆の真相を追う」(明石書店刊)を発行。
 0526  宋継尭、「強制連行された中国人被爆者との交流をすすめる会」のメンバーとともに、東京の西松建設本社を訪れ、補償を要求。
 0815  中国河北省保定市で「安野強制連行・広島被爆受難者聯誼会が結成される。同市を訪問した広島県内の市民団体「強制連行された中国人被爆者との交流を進める会」の訪中団と協議の上結成。
 1025  広島市の市民団体「強制連行された中国人被爆者との交流をすすめる会」のメンバー、「安野強制連行・広島被爆受難者聯誼会」の委任を受けて、当時の中国人らの雇用主の西松建設中国支店で賠償などについて交渉。
 1996
 0312?  「強制連行された中国人被爆者との交流をすすめる会」、7人目の被爆者の生存を確認。
 0617  広島の市民グループ「強制連行された中国人被爆者との交流をすすめる会」、広島刑務所と広島市に対し、中国人被爆者の実態調査を実施することなどを要請。
 0627  広島市の市民グループ「強制連行された中国人被爆者との交流をすすめる会」、山県郡加計町の発電所建設現場で中国人を働かせていた西松建設と交渉、同社の調査内容などを明らかにするよう求める。
 0820?  広島の市民グループ「強制連行された中国人被爆者との交流をすすめる会」、帰国後死亡した中国人被爆者1人の消息を確認。
 1107  戦時中日本に強制連行された中国人元労働者2人、広島の市民グループ「強制連行された中国人被爆者との交流をすすめる会」の中谷悦子代表の案内で広島市の原爆資料館を見学。
 1997
0430  「強制連行された中国人被爆者との交流をすすめる会」、広島県加計町に連行された中国人労働者の証言などを収録した教材ビデオを制作。
0510 「中国人強制連行国際シンポジウム広島集会」、広島市で開催。約200人が参加。喊允伝ら(中国人被爆者)らが報告。-11日。11日、呂学文が証言。
0801? 「強制連行された中国人被爆者との交流をすすめる会」、戦時中に広島県加計町に強制連行された中国人の証言を基に紙芝居「陳さんとイチョウ」を制作。
0806 「8・6ヒロシマ平和へのつどい1997」、広島市の県民文化センターで開催。約100人が参加。中谷悦子「強制連行・中国人被爆者との交流をすすめる会」代表が戦後補償を訴える。
2004
2008
2009
2012
2013
2014
2015
2016
2017
 1015  西松安野雄幸基金運営委員会、広島県安芸太田町坪野の安野発電所建設に強制連行された中国人労働者を追悼し日中友好を誓う集いを、発電所近くの石碑前で挙行(中国新聞20171016)
2018
1020 王小軍さん(故・徐立伝さんの孫)のお話を聞く会(広島安野・中国人被害者を追悼し歴史事実を継承する会)、広島市で開催。約50人が参加。(『中国新聞』20181019、20181021)
2020
1018 広島安野・中国人被害者を追悼し歴史事実を継承する会主催の犠牲者を追悼し日中友好を祈念する集い、安野発電所(安芸太田町)近くの石碑前で開く。参列者約50人。
2021
1014 広島安野・中国人被害者を追悼し歴史事実を継承する会主催、故呂学文(原告団長)の活動を振り返る会を広島弁護士会館で開催。(『中国新聞』20211014)

原爆記念文庫所蔵原爆関係文献目録

『原爆記念文庫所蔵 原爆関係文献目録 昭和40年8月31日調』(原爆資料保存会、19651015)

 bk651015
 広島 長崎の体験を永久に伝える為に
人類の過ちを繰返へささぬ為に
ひたむきな平和への願いをこめて
尊い原爆記念文庫が広島に生まれました
みんな血と涙と訴へで綴られた記録です
この文庫の保存と成長へ御協力を
(原爆記念文庫標語)
 はしがき
1.原爆が投下されてからもう20年を経過した。本会は広島長崎の体験を永久に後世へ伝える為,昭和23年頃から苦難な道を歩みながら,文献の蒐集に力を注いで来た。これ等はみんな被爆当時の惨状そのままの記録や,学者の研究調査されたもので,世界平和推進の為極めて貴重なものである。
2.昭和40年8月31日迄に集めたものが2,000冊になつたが,まだまだ不足のものが多々ある。これは将来を期して完備したい。尚文献中には専門的のものも数多くあるが大半は大衆的のものである。これは大衆と共に考へ大衆と共に歩みたい文庫の使命に依るものである。
3.原爆の被害が余りも広大である為,学問的研究分野も多様であり,被害の処理も多方面に亘って居るので,全文献を整理分類することは困難である。依って本目録分類は正規の図書分類法に依らず,わかりやすい別記の10分類に整理して見た。御批正を乞う。
4.原爆20周年に当り,各方面の報道陣を始め,著書や雑誌に依って広島をアッピールされた事は感謝に堪えない,特に被爆者調査や,広大に原爆研究機関が設備される等,国家が直接広島と取組むことになった事は,おそまきながら嬉しい事である。
5.文庫開設(昭和40年6月6日)以来,A.B.C.C.や広島医師会を始め全国各地から個人で文献を寄贈されたものが160冊もある。寄贈者各位に対しここに深甚の感謝を致します。
昭和40年9月15日