ヒロシマを知らせる委員会 1973年11月28日 発足<作業中>
(正)19790620刊 (続)19810820刊 |
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ヒロシマを知らせる委員会 1973年11月28日 発足<作業中>
(正)19790620刊 (続)19810820刊 |
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広島憩いの家の会〈作業中〉
設立年月日:1957年5月1日
出典:『原水爆関係団体名簿』(1967年2月1日) |
『平和文化』第4号(1976年11月1日) |
出典:中国新聞社『広島県大百科事典』 |
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平和新聞=第20回原水爆禁止世界大会特集号(19740825)
主な内容
面 | 見出し | 備考 |
1 | 広島、長崎、ビキニ 再びくりかえすな 核兵器完全禁止国際協定の締結 世界に訴える | |
第20回原水爆禁止世界大会 大会のあらまし | ||
1 | 長崎アピール 90万人こえる | |
2 | ~3面 今こそ核兵器完全禁止国際協定の締結を | |
2 | 被爆者の訴え―名越操さん わが子を奪われた 悲しみをのりこえ | |
2 | 分散会 | |
2 | 分科会 | |
2 | 海外代表 資料館を見学 被爆者と懇談 | |
2 | 戦争の動き・平和の闘い | |
2 | 被爆者の訴え―渡辺千恵子さん 生きる望み与えた 広島の第1回大会 | |
3 | 300人の被爆者を900人の代表が訪問 被爆者の苦しみ痛感 | |
3 | 3000人の代表が市民訪問 市民の声を大会に 署名5千余名 募金44万円 | |
3 | 広島市内で6・9行動 8万円近くの募金寄せられる | |
3 | 岩国―動く分散会―呉 | |
3 | 分散会・分科会 まとめ報告 | |
4 | ~5面 大会文書とスナップ | |
6 | 8・6記念 少年少女の集い | |
6 | 文化大集会 この熱気を世界に | |
6 | 第20回原水爆禁止東京大会 | |
7 | 今も続く不明者さがし 今年も原爆罹災者名簿公開 8名が新たに判明 | |
8 | 8・15と私 | |
堀江正規 | ||
江戸屋猫八「被爆者ゆえに」 | ||
吉田義男 | ||
8 | 第20回母親大会終る | |
8 | 平和はがきで親しまれた いわさきちろ<本名:松本知弘> さん 死去<8月8日、55歳> | |
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福島生活協同組合 (福島生協病院内)
機関紙『けんこう』第40号(1972年9月1日)
第18回原水禁世界大会 被爆者援護を要求 県市と交渉 |
日本原水協から被爆者に見舞金 |
長期計画を考える9 長期計画の基礎 差別をなくすたたかい⑤(院長 田阪正利) |
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『詩集ヒロシマ-戦後25年アンソロジー 1969』(詩集「ヒロシマ」編集委員会、19690515)
内容
頁 | 見出し | 備考 |
01 | 序文(昭和44年4月1日 広島市長 山田節男) | |
04 | N・ヒクメット「死んだ少女」より | |
05 | 第一期 占領、朝鮮戦争下(20年~29年) | |
22 | 第二期 なおつづく原爆の苦しみ(30年~37年) | |
45 | 第三期 挫折からの再生 | |
82 | 広島の歩み | |
91 | 原水禁平和関係詩集の出版物 | |
92 | 作者紹介 | |
〈住所略〉 | ||
98 | 編集後記(大原三八雄) | |
99 | [奥付]発行所:広島市国泰寺町 浅野図書館内 ヒロシマ編集委員会 大原三八雄、栗原貞子、深川宗俊、米田栄作」 |
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広島通信第25・26・27・28・29・30号(1971)〈作業中〉
第25号(1971年2月)内容
頁 | 著者 | タイトル | 備考 |
菜畑にて 牧原弘子 | |||
ヒロシマの思想の亀裂 大牟田 稔 | |||
第二の生きがい 大原三八雄 | |||
東から西から | |||
根本栄一 脇坂美千恵 | |||
石の叫び 石田真弓 | |||
歩き始めた小さな集い 岩森芳彦 | |||
新刊紹介 | |||
《あとがき》 | |||
第26号(1971年4月)内容
頁 | 著者 | タイトル | 備考 |
くずれぬへいわを へいわをかえせ 寒川道夫 | |||
偽装都市 栗原貞子 | |||
東から西から | |||
吉田菊枝 林 雅子 安井 郁 | |||
あきらめてはならない 山本節子 | |||
太平洋戦争参加者の願い 吉田慶松 | |||
新刊紹介 中国地方特集 | |||
〈雑誌・新聞紹介〉 | |||
海 助信 保 | |||
ニューヨークの孤独 大原三八雄 | |||
〈あとがき〉 |
第27号(1971年6月)内容
頁 | 著者 | タイトル | 備考 |
くずれぬへいわを へいわをかえせ(その2) 寒川道夫 | |||
広島レポート | |||
「私と広島」のうた-全電通十六回音楽祭典をきく- 栗原貞子 | |||
アメリカ人の社会的連帯性 大原三八雄 | |||
東から西から | |||
河内正臣 半沢田鶴子 山崎知恵子 原田周治 | |||
新刊紹介-杉本春生 | |||
武器なき戦い 寿山久代 | |||
〈あとがき〉 |
第28号(1971年8月)内容
頁 | 著者 | タイトル | 備考 |
〝ヒロシマ〟を天の啓示に 栄川宗吉 | |||
挽歌-マルチン・ルーサー・キングの墓所で- 大原三八雄 | |||
ニッポン。ピロシマ 栗原貞子 | |||
やすらぎが私を抱擁する 佐藤 嵐 | |||
東から西から | |||
根本英一 松野順子 吉田菊枝 金子彰吾 佐藤 嵐 | |||
新刊紹介 | |||
〝ひろしまの石〟 立岩敏夫 | |||
〈あとがき〉 |
第29号(1971年10月)内容
頁 | 著者 | タイトル | 備考 |
戦時下の教師と「平和教育」 岩崎清一郎 | |||
黒人歌手アビー・リンカンに 大島 洋 | |||
71・ヒロシマ・ナガサキ 栗原貞子 | |||
比治山にて 淵脇耕一 | |||
京浜地帯の原爆意識を中心にしておもう 前川和子 | |||
デルタの街 助信 保 | |||
新刊紹介 | |||
東から西から | |||
藤田まゆみ 大原三八雄 | |||
第30号(1971年12月)内容
頁 | 著者 | タイトル | 備考 |
アウシュヴィッツとヒロシマ 小谷鶴次 | |||
朱花 宮前初子 | |||
国連というところ 大原三八雄 | |||
ヒロシマ日記 | |||
ひろしまの川 たさかかずお | |||
東から西から | |||
蒔田まゆみ 二上清治 山崎雅子 安井 郁 | |||
再びヒロシマが 長友隆彦 | |||
会員消息 | |||
受贈書・誌 | |||
〈あとがき〉 |
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広島通信第31・32・33・34・35・36号(1972) 「広島通信の会」刊〈作業中〉
第31号(1972年2月)内容
頁 | 著者 | タイトル | 備考 |
灼かれる 栗原貞子 | |||
ヒロシマと中国の核・人 森下 弘 | |||
竜宮翁恵比寿 深江福吉 | |||
私たちはみている 祝迫光治 | |||
ヒロシマとは何であるか 設楽徹生 | |||
ヒロシマ日記 | |||
東から西から | |||
佐伯敏子 森田慎三 吉田菊枝 関野雅子 山崎知恵子 久保川操 中村陽一 | |||
太平洋の東端にて ブルース・ベック 大原三八雄 | |||
光風伝板 | |||
新刊紹介 | |||
あとがき |
第32号(1972年4月)内容
頁 | 著者 | タイトル | 備考 |
被爆朝鮮人救援の動き 平岡 敬 | |||
〝原爆を花火とみる感覚〟について-「広島通信30」の反響- 「中国新聞」(47・2・8付)より | |||
細田民樹氏の書簡(栗原貞子宛)より | |||
沖縄の中の〝広島〟 村岡次郎 | |||
ヒロシマ日記 | |||
東から西から | |||
清水明美 平野保明 瀬藤多恵子 河内正臣 寺田 弘 津田定雄 | |||
光風伝板 | |||
受贈書・誌 | |||
あとがき | |||
第33号(1972年6月)内容
頁 | 著者 | タイトル | 備考 |
「水ヲ下サイ」特集 | |||
英文パンフ「水ヲ下サイ」について 袖井林二郎 | |||
刊行のお知らせとお願い 峯林泰光 | |||
原爆体験の持続性 大江健三郎 | |||
ヒロシマ日記 | |||
一瞬の映像 山田郁義 | |||
東から西から | |||
吉田菊枝 藤田まゆみ 厳名寿美枝 加倉井陽一 松野順子 半沢田鶴子 | |||
地獄の入口は別でも-アウシュヴィッツ展を見て- 大原三八雄 |
第34号(1972年8月)内容
頁 | 著者 | タイトル | 備考 |
焼跡抄 森島信子 | |||
あの夏からこの夏までの間 小倉 馨 | |||
ヒロシマ日記 | |||
黒い幻 島 匠介 | |||
高い煙突 佐藤悦子 | |||
四次元のテロ 森下 弘 | |||
私の問い二篇 西原 茂 | |||
大きな目 | |||
人類 このすばらしきもの | |||
れくいえむ 助信 保 | |||
あとがき | |||
第35号(1972年10月)内容
頁 | 著者 | タイトル | 備考 |
懐かしい日本の皆さんに バーバラ・レイノルズ | |||
ヒロシマ日記 | |||
和合 中村信子 | |||
東から西から | |||
今堀誠二 宮本田鶴子 安達元彦 石渡信栄 藤村青一 | |||
共犯者 木村徳雄 | |||
無知について 伊藤真理子 | |||
機雷封鎖 堀 ひろじ | |||
受贈書誌 | |||
第36号(1972年12月)内容
頁 | 著者 | タイトル | 備考 |
数 石井健吉 | |||
地球時代・平和の新処方箋 加藤新一 | |||
返信 森島信子 | |||
生活の文学 藤井壮次 | |||
ヒロシマ日記 | |||
祈りが届かないはずがない 山本康夫 | |||
東より西より | |||
吉岡秀野 細野恭代 沢田さち子 吉田菊枝 川瀬登貴子 | |||
魚 松田憬宣 | |||
杉本春生「森有正論」について 山崎弘行 | |||
受贈書誌 | |||
週刊朝日より切抜 | |||
顔 荒田利寿 | |||
〝バーバラさんにカメラを〟収支ご報告 | |||
あとがき | |||
止
広島通信第37・38・39・40・41・42号(1973) 「広島通信の会」刊〈作業中〉
第37号(1973年2月)内容
頁 | 著者 | タイトル | 備考 |
1 | 湯崎稔 | 「原水爆被災資料センター」設立の意義 | |
1 | 深江福吉 | 姫金神 | |
2 | バーバラ・レイノルズ | 日本の皆さん、ありがとう | |
2 | 杉本春生 | 平和という語 | |
2 | ヒロシマ日記 | ||
3 | 東より西より | ||
立岩敏夫 佐藤 嵐 松下恭一 佐藤和子 | |||
3 | 島 匠介 | 雪の朝 | |
4 | 大原三八雄 | 流れの岸に佇って「H兄のみ霊に捧げる」 | |
4 | たさか・かずお | 野呂山よ-1933年黒瀬生れの人の子の詩- | |
4 | 受贈書誌 | ||
第38号(1973年4月)内容
頁 | 著者 | タイトル | 備考 |
1 | 佐々木雄一郎 | 私の広島日記 | |
2 | 中西洋一郎 | 選挙と平和を考える | |
2 | 北村 均 | 作品「炎」にそえて | |
2 | 「平和をぼくらのものに」 | ||
2 | ヒロシマ日記 | ||
3 | 北村 均 | 炎 | |
3 | 東より西より | ||
3 | 河内正臣 | ||
3 | 二井サワエ | ||
3 | 原田周治 | ||
3 | 米沢田鶴子 | ||
4 | 安達元彦 | 「 愛のうたヒロシマの子」演奏の後で | |
4 | 佐藤 嵐 | 戦前の列に | |
5 | 森島信子 | 八月の旅・追想 | |
6 | 書評: 北村均詩集「自虐的終章」について | ||
6 | 杉本春生 | 書評: 高垣太刀子詩集「砂の音」 | |
6 | 長岡弘芳 | 英文原爆体験記よ 祝福をうけ-「give me water」 | |
6 | 受贈誌書 | ||
6 | 編集部より | ||
第39号(1973年6月)内容
頁 | 著者 | タイトル | 備考 |
1 | 四国五郎 | かたまり | |
ABCC特集 | |||
1 | 志水清 | 私たちは考える | |
2 | 古浦千穂子 | ABCCとは… | |
2 | 森下弘 | ABCC幻影 | |
2 | ヒロシマ日記 | ||
3 | 山科清 | 原爆死体解剖No.1の山科清元軍医にきく | |
3 | 石井健吉 | 広島平和記念公園 | |
3 | 大原三八雄 | 木下尚江著作集第一巻『足尾鉱毒問題』解説 天野茂著 | |
4 | 末野 忍 | タカコンベを訪ねて | |
御手洗旬江 | 宮本田鶴子随筆集「坂道」を読んで | ||
4 | 吉本田鶴子詩集「崖っぷちの風景」 | ||
4 | 受贈書誌 | ||
4 | 〈あとがき〉 | ||
第40号(1973年8月)内容
特集 ベトナムは終ったのか 広島のダオさん 原田東岷 戦争の申し子 宮本田鶴子 「ベトナムは終った」と、誰が言っているのか- 鈴木正穂 ヒロシマ日記 私のなかのベトナム-ダオさんに- 大原三八雄 ベトナムは書けない 服部 治 人いきれたぎる巷で 原子東語 「原爆体験記」はここにも 吉田菊枝 梨の花 金井 直 東から西から 久保川操 寺田行志 宮崎由紀 編集部 碑銘詩心の眼 たさかかずお 戦災供養塔を守る佐伯敏子さんのこと 今堀誠二氏から 書評 「ヒロシマに生きて」を読んで 山崎久恵 新刊紹介 〈あとがき〉 |
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第41号(1973年11月)内容
素朴な祈りに-一篇の詩をこそ 森島信子 二十八年 清水高範 28年目のヒロシマ 藤枝良枝 28年を経験する神奈川県の被爆者活動 原田周治 ヒロシマ日記 れんらくちょには明日がある 橋本福恵 東西南北 秀村君子 清水久江 長崎だより 関口良雄 八月 石井健吉 新刊紹介 杉本春生 〈あとがき〉 |
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第42号(1973年12月)内容
見えるものよりも見えないものに 桑島玄二 アブラぎった鰯 大原三八雄 原爆と印象と記憶 縄田二郎 国敗れて山河なし 四反田五郎 ヒロシマ日記 ガラス微塵 山本節子 電光直板 東より西より 立岩敏夫 吉田菊枝 わたしの〝ヒロシマ〟 原田周治 新刊紹介 あとがき |
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広島通信第43・44-45・46号(1974) 「広島通信の会」刊〈作業中〉
第43号(1974年3月)内容
頁 | 著者 | タイトル | 備考 |
公害防止と平和への意志-技術者として思うこと- 田中公雄 核兵器-その存在自体が悪である H,S 平和によせて 中井 実 ヒロシマ日記 神から忘れられた街/舞台 金沢星子 東より西より 石渡信栄 半沢田鶴子 根本英一 死に際のあの一言 山本康夫 受贈書誌 《あとがき》 |
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第44-45号(1974年4月)内容
頁 | 著者 | タイトル | 備考 |
特集 いまは亡き4人の原爆詩人たち 原民喜を偲んで 坂田修一 原民喜・人と作品 長田 弘 原民喜作品/水ヲ下サイ 永遠のみどり ヒロシマ日記 原爆の風化と須磨子の死 豊後レイ子 福田須磨子さんのこと 福田須磨子作品 赤外線/私の皮膚 原口喜久也を偲ぶ 津代昭朗 原口喜久也病魔日記-抄録 東より西より 山崎雅子 川瀬登貴子 半沢田鶴子 金沢星子 金子彰吾 原田周治 西川壮二郎 受贈書誌 〈あとがき〉 |
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第46号(1974年8月)内容
昏らい夏-核実験抗議によせて 栗原貞子 知られていない原子力発電の問題点 理博 29年目の夏の決意 溝脇耕一 オキナワ、ナガサキ、ヒロシマ 河口栄二 停戦ではなく終戦の日を 森山昭子 ダオさんさようなら ダオさんヒロシマを去る 原田東岷 皆様に感謝を 大原三八雄 広島駅の惜別 中国新聞より ダオさんお仕合せに 編集部 子供部屋 森下 弘 ヒロシマ日記 君が渡れる橋のためには 橋本福恵 『世界原爆詩集』出版記念会 東から西から |
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第47号(1974年12月)内容
特集『原子力平和利用』 竹山晴夫 死の影 藤原菜穂子 本特集について 編集部 原子力は人類の英知によるのみ 津田定雄 被爆者として原子力利用を私は反対する 森下 弘 誤算 西 杉夫 原子力平和非利用説の跡を追う-1974年 ヒロシマ日記 帰国したダオさん 加藤千洋 扉を開いて下さい 清水凡平 原爆投下三十年目を記念した角川文庫『世界原爆詩集』 大原三八雄・杉本春生解説 木原孝一氏講演「終末の視点」(要旨)-『世界原爆詩集』出版を記念して 書評(「週刊読書人」) 大原三八雄編 世界原爆詩集 八・六大会の周辺 原水禁運動統一問題 ・政党主導型 ・『新・杉並アピール』 閉ざされた耳だけど 藤枝良枝 言語・原爆・現実・交流と理解 栗原貞子 われら何をすべきか 中西洋一郎 東より西より 杉本春生詩論集 『廃墟と結晶』-胸をうつ意見と訴え 清水高範 受贈書誌 |
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広島通信第48-49・50号(1975) 「広島通信の会」刊〈作業中〉
第48-49号(1975年2-4月)内容
頁 | 著者 | タイトル | 備考 |
特集 韓国原爆被爆者と日本人 河村虎太郎 いちばん欲しいこと-崔英順さんに 大原三八雄 韓国の原爆被害者崔英順さん 豊永恵三郎 日本帝国主義の償いは誰の責任か 杉原 助 惜別 朝鮮の若い友だちへ 小野十三郎 深夜の出迎え/空赤し/車内で/脱走者/吹雪の中/紙鳶 /慶州/井邑の人/或る日/惜別/足音/海 在韓被爆者農民の生活 村田 拓 陜川原爆被爆者診療所を訪ねて-差別の凝縮 村田拓著「『飛礫」特別号」より(抄録責任者大原三八雄) ヒロシマ日記 また会おうよ ダオさん 原田東岷 グエン・フォンの足 滝 百合子 東より西より 私はこう訴える 山崎久恵 〝核セミナー〟に出席して 渕脇耕一 受贈書誌 |
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第50号(1975年8月)内容
頁 | 著者 | タイトル | 備考 |
ヒロシマとベトナム特集 ヒロシマとベトナムの距離 和田春樹 朝鮮戦争・ベトナム戦争・ヒロシマ 大原三八雄 厳正な歴史の審判 安井 郁 合唱 木原孝一 ベトナム戦争の中のヒロシマ 座談会 子供たちに呼びかける ホー・チ・ミン 日本のなかのベトナム 佐藤和子 ベトナムとヒロシマ 藤枝良枝 ヒロシマ日記 戦争を知らない国々 森下 弘 東より西より 受贈新刊紹介 |
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