6月忌(一覧)

 

 日  没年  氏名  よみ  享年
01 1997 サーバー、ロバート・ Robert Serber 88 マンハッタン計画に参加した米科学者。ファーレル・モリソンらとともに被爆地調査。
01 2004 嘉屋文子 かや・ふみこ 90 ハワイ島生まれ。5歳の時、一家で帰国。広島市南観音町の自宅前で被爆。県内政部衛生課勤務。<投稿
01 2006 小島丈児 こじま・じょうじ 89 広島大名誉教授。<投稿>岩石学。『小島丈兒先生追悼文集』(2007/06/01)
03 1975 佐藤栄作 さとう・えいさく 74 広島平和記念式典に初めて参列した内閣総理大臣。ノーベル平和賞受賞者。<投稿
05 1989 加藤陽三 かとう・ようぞう 内務・防衛官僚、政治家。防衛事務次官、衆議院議員(2期)。海田町名誉町民。<投稿
05 2003 松元寛  まつもと・ひろし 78  英文学者。 広島大学名誉教授。<投稿><『ヒロシマという思想―「死なないために」ではなく「生きるために」』
05 2008 松井康浩 まつい・ひろやす 85 弁護士。日本原水協代表理事。『原爆裁判 核兵器廃絶と被爆者援護の法理
07 1984 大内五良 おおうち・ごろう 74 広島市医師会長(1957~59年)。広島県医師会長(1967~82年)。原爆乙女の渡米治療、在米被爆者検診などに貢献。<投稿
07 2001 河本一郎 かわもと・いちろう 72  「原爆被害者の会」設立、「広島折鶴の会」結成に奔走。谷本清平和賞(第13回=2001年没後)受賞。<投稿
07 2018 日高六郎 ひだか・ろくろう 101 社会学者。
 08  2018  谷川和穂  たにかわ・かずほ  87  自民党衆議院議員。防衛庁長官、法務大臣など歴任。<投稿
08 2003 山田かん やまだ・かん 72 長崎県県立図書館勤務。利用中に面識。
10 1982 小山祐士 こやま・ゆうし 78 劇作家。原爆をテーマにした劇「泰山木の木の下で」などの作者。『広島県現代文学事典』(秋枝美保・記)<投稿
10 1989 沢近宏 さわちか・ひろし 71 広島原対協副会長。同副会長は、宇品船舶司令部で、軍医として勤務中被爆。戦後、被爆者治療活動に尽力。<投稿
 10  1996  小倉豊文  おぐらとよふみ 96  広島大学名誉教授。『広島県現代文学事典』(植木研介・記)<投稿
11  1984  湯崎稔  ゆざき・みのる  53  [69原爆被災資料広島研究会]。広島大学総合科学部教授。広大原医研で、爆心五百メートル以内の復元調査に従事。職場の上司。『世紀を超えて 爆心地復元運動とヒロシマの思想』<投稿
12 1978 郭沫若 かくまつじゃく 85 1955年12月来広し。原爆慰霊碑参拝(藤居平一との会話)。広島大学で「平和共存」のテーマで講演。<投稿
12 2004 下崎末満 しもざき・すえみつ 57 「インタビュー・この人に聞く ヒロシマ・セミパラチンスク・プロジェクト世話人代表」(『読売新聞』19990830)
12 2011 大村英幸 おおむら・ひでゆき 88  広島青年文化連盟初代委員長。<投稿
12 2017 据石和江 すえいし・かずえ 90 米国広島・長崎原爆被爆者協会会長。https://www.rafu.com/2017/06/据石和江さん死去%ef%bc%9a米国広島・長崎原爆被爆者協/
14 1986 名越操 なごや・みさお 『ヒロシマ母の記』(汐文社、19850616)。広島市在住の被爆者、死去。白血病で死亡した息子への思いをつづった「ぼく生きたかった」の著者。<投稿
14 1989 黒田秀俊 くろだひでとし 84 元原水協事務局長。1955年当時、原水協結成に尽力。<投稿
14 2019 山崎寛治 やまさき・かんじ 91 県立広島二中(現・観音高校)の代用教員だった17歳の時同校で被爆。旧天神町北組の慰霊碑の世話役。<投稿
14 2008 河瀬正利 かわせ・まさとし 67 広島大学名誉教授、広島県文化財保護審議会委員。被爆建物保存運動に尽力<投稿
15 1965 正田篠枝 しょうだしのえ 54 歌人。『広島県現代文学事典』『広島県現代文学事典』(川口隆行・記)<投稿
15 1994 荒木武 あらき・たけし 78  広島市長。27代(19750223~19790223)28代(19790223~19830222)29代(19830223~19870222)30代(19870223~19880222)。『荒木武
16 1961 ジュノー、マルセル じゅのーMarcel Junod 57 スイス国籍の外科医。赤十字国際委員会駐日代表として来日。1945年9月8日、GHQの医薬品ともに広島入り。<投稿
16 1974 金井利博 かない・としひろ 60 [52広島平和問題談話会](中国新聞社学芸部記者)。中国新聞社取締役論説担当。原爆被災白書運動を提唱。<資料年表:金井利博
16 1998 江口保 えぐちたもつ 69 「ヒロシマ・ナガサキの修学旅行を手伝う会」を主宰した長崎の被爆者。平和教育。<資料年表:江口保
16 2021 森脇勝義 もりわき・かつよし 86 1987年~非核の政府を求める広島の会常任世話人。<資料年表:森脇勝義
17 1992 ビーザー、ジェイコブ Jacob Beser 71 広島・長崎両市への原爆投下機の唯一の搭乗員。Lt. Jacob Beser, radar countermeasure officer
18 1983 ルイス、ロバート・アルビン るいすRobert A. Lewis 65 広島に原爆を投下した「エノラ・ゲイ」号の副操縦士。Capt. Robert A. Lewis, co-pilot
18 2018 加藤剛 かとう・たけし 80 俳優。映画『ヒロシマ一九六六』に出演。<資料年表:加藤剛
19 2017 岡ヨシエ おか・よしえ 86 原爆投下第一報。『炎のなかに 原爆で逝った級友の25回忌によせて』(旧比治山高女第5期生の会、1969/08/06)<資料年表:岡ヨシエ
20 2002 吉川豊 きっかわ・ゆたか 86 吉川豊似島学園理事長「創立五十周年記念誌に寄せて」(『似島学園 50年のあゆみ』)
20 2017 シャル、ウィリアム しゃる、うぃりあむ 95 1949年ABCCに赴任、遺伝調査を実施。放射線影響研究所副理事長、米テキサス大学教授。〈資料年表:ウィリアム・シャール
21 1967 石井金一郎 いしい・きんいちろう 45 [52広島平和問題談話会](広島女子短期大学助教授)。[54世界平和集会世話人(発起)]。元広島大学教授。日本原水協専門委員。〈資料年表:石井金一郎
21 1987 河村虎太郎 かわむら・とらたろう 73 医師。核禁会議広島県民会議議長。在韓被爆者渡日治療広島委員会代表。<投稿
22 1993 市岡正憲 いちおか・まさのり 74 広島県被団協理事長・県原水協理事長。<資料年表:市岡正憲
23 2002 亀井正夫 かめいまさお 86 元国鉄再建監理委員会委員長。広島被爆者。<投稿
24 2008 大倉記代 おおくらきよ 67 「サダコ」・虹基金を設立。
24 2019 松本善明 まつもと・ぜんめい 93 日本共産党衆議院議員。1950年いわさきちひろ(画家)と結婚。藤原彰(宇吹の一橋大学内地研修時代の指導教官)の友人。
25 1999 原田東岷 はらだとうみん 87 外科医。「原爆乙女」の渡米治療に尽力。ワールド・フレンドシップ・センター初代理事長。広島市名誉市民。<投稿><資料年表:原田東岷
26 1965 佐伯好郎 さえき・よしろう 93 中国キリスト教・法制史学者。広島県生まれ。1947年から9年間廿日市町長。[50ヒロシマ・ピース・センター建設協力者]。
26 1989 美空ひばり みそら・ひばり 歌手。第1回広島平和音楽祭に出演。1988年の15周年の同音楽祭にも参加し、原爆をテーマにした「一本の鉛筆」を歌唱。
26 2006 井出三千男 いで・みちお 65 広島市安佐北区出身。変貌する都市広島をフィルムに残した写真家。 <資料年表:井出三千男
27 1978 熊平源蔵 くまひら・げんぞう 97 金庫メーカーのクマヒラ創業者。『熊平源蔵伝 人とその』、『熊平源蔵追想録』、
28 2007 宮沢喜一 みやざわ・きいち 内閣総理大臣(第78代)『戦後政治の証言』(読売新聞社、1991.8.30)。広島県名誉県民。<資料年表:宮澤喜一
28 2008 佐々木久子 ささき・ひさこ 81 随筆家・評論家。『わたしの放浪記』。『広島県現代文学事典』(天瀬裕康・記)<投稿
28 2021 山田拓民 やまだ・ひろたみ 90 長崎原被災者協議会(被災協)の元事務局長。旧制長崎県立長崎中学校2年の時、長崎市鳴滝町の同校(爆心地から約3・3キロ)で被爆。
29 1979 桧山袖四郎 ひやま・そでしろう 80 『檜山袖四郎―広島県政に賭けた生と死』(刊行委員会、1981.6.20)<資料年表:桧山袖四郎
29 2020 荻野晃也 おぎの・こうや 80 元京都大講師、原子核工学、電磁波環境研究所主宰。京都大学美術研究会の先輩。
33 2020 高山等 たかやま・ひとし 89 『高山等資料』(広島県立文書館)
https://www.i-repository.net/il/meta_pub/G0000746monjogun_183
昭和20年8月6日から12月20日までに傷痍軍人広島療養所(現国立療養所広島病院)に入院した被爆者218名のカルテ。(平成14年6月記)
高山等氏が出版した『ヒロシマの追憶』『ヒロシマの追憶と今日』に掲載した手記や,平和のために被爆地の果たす役割について国内外から寄せられたメッセージの原文など。(平成15年12月記)

 

10月忌(一覧)

10月に亡くなった人々

没年 名前 よみ 享年 備考
01 2012 河合護郎 かわい・ごろう 84 広島平和文化センター元理事長。原爆投下の4日後の1945年8月10日、親族を捜すため爆心地付近に入り被爆。1950年に広島市職員。企画調整局長、民生局長などを歴任。1987年から5年間、広島平和文化センター理事長。退任後は市民団体「核兵器廃絶をめざすヒロシマの会」の共同代表に就任。資料年表:河合護郎
02 2014 坂本義和 さかもと・よしかず 87 国際政治学者。
02 2015 犬丸義一 いぬまる・ぎいち 87 歴史研究者。1967年の歴史科学協議会の結成に参加、全国委員を務める。元長崎総合科学大学教授。資料年表:犬丸義一
02 2017 中村敏 なかむら・さとし 73 中国新聞記者、日本ジャーナリスト会議(JCJ)広島支部幹事、広島マスコミ9条の会運営委員など歴任。『中村敏遺稿集』。「中村敏さんを偲ぶ会」(20171118、会場:広島市文化交流会館)
02 2018 西川潤 にしかわ ・じゅん 82 1936年 9月22日 生。平和研究の草分け。学生時代から早大代表として原水爆禁止運動に参加。(大平隆彦「西川潤さんを悼む」『中国新聞』20181214)
03 2017 佐伯敏子 さえき・としこ 97 「被爆者の魂守り続け 97歳 佐伯敏子さん死去」(宮崎園子『朝日新聞20171005』)、「原爆供養塔通い40年 佐伯敏子さんを偲ぶ会」(宮崎園子『朝日新聞20171204』)
05 1972 細田民樹 ほそだ・たみき 作家。1982年生。『広島県大百科事典』(坂根俊英・記)『広島県現代文学事典』(石田浩子・記)。
05 2001 瀬長亀次郎 せなが・かめじろう 94  沖縄人民党委員長。衆議院議員として人民党で1期、日本共産党として連続5期。1973年以降共産党幹部会副委員長。資料年表:瀬長亀次郎
07 2001 大牟田稔 おおむた・みのる 71 元中国新聞論説主幹、1992年、広島平和文化センター理事長。『広島県現代文学事典』(小宮山道夫・記)。資料年表:大牟田稔
08 1982 ノエルベーカー、フィリップ・J・ 92 英の平和運動家。1962年、初めて広島を訪問、ヒロシマ会議(1970年)、77年、81年にも来訪。[70ヒロシマ会議]
08 2000 高木仁三郎 たかぎ・じんざぶろう 62 市民団体「原子力資料情報室」代表。
09 1992 今堀誠二 いまほり・せいじ 77 広島大学名誉教授。前広島女子大学長。資料年表:今堀誠二
09 1994 飯沢匡 いいざわ・ただす 85 『アサヒグラフ 8月6日号 原爆被害の初公開』発行時の同誌編集長。
10 1983 松尾敦之 まつお あつゆき 79 俳人。長崎被爆者。資料年表:松尾敦之
10 2009 新江義雄 しんえ・よしお  62 筆名:山ノ木竹志。広島合唱団。2009/1/24 山ノ木竹志とその仲間たちコンサート (県民文化センター)2010/1/31 山ノ木竹志をうたうコンサート (厚生年金会館)。資料年表:新江義雄
11 2003 田坂正利 たさか・まさとし 76  福島病院院長。1927年呉市生まれ。 <田坂正利
11 2017 荒井信一 あらい・しんいち 91 歴史学者。「日本の戦争責任資料センター」共同代表、「戦争と空爆問題研究会」・「韓国・朝鮮文化財返還問題連絡会議」などの代表を務める。『朝日新聞』2017.11.5  資料年表:荒井信一
12 2006 田端展 たばた・てん  79 小説家。本名:小久保三好。広島工業専門学校1年生の時、勤労動員先の中国配電大洲製作所(爆心地から3・6キロ)で被爆。享年79歳。『広島県現代文学事典』(寺島洋一・記)
13 2002 関屋綾子 せきや・あやこ 87 東京YWCA、日本YWCA会長、世界平和アピール七人委員会委員、原爆の図丸木美術館館長。関屋綾子
14 1953 徳田 球一 とくだ ・きゅういち 59 日本共産党(戦後)書記長(初代)。『原子爆弾と世界恐慌 時局と生活叢書1集』(19491225)徳田 球一
15 1980 栗原唯一 73 『栗原唯一追悼 平和憲法の光をかかげて』(栗原貞子、詩集刊行の会、1980.1.15)。元社会党県議.
15 1990 土門拳 どもん・けん 80 写真家。1958年に被爆者を写した写真集「ヒロシマ」を発表。『広島県現代文学事典』(田中裕之・記)。
15 1993 香川亀人 かがわ・かめと  97 広島県呉市。方面委員、民生委員。
15 2010 松尾雅嗣 まつお・まさつぐ  65 元広島大平和科学研究センター長。資料年表:松尾雅嗣
16 1990 原田一三 はらだ・いちぞう 86 広島県能美島出身。日中友好協会呉支部長。宇吹が小学生から中学生にかけ切手収集の趣味を持ったのは先生のおかげ。 <原田一三>
16 1990 三宅泰雄 みやけやすお 82 元東京教育大学教授。「第五福竜丸事件」の調査にあたり、原水禁運動に貢献。
18 1979 坂田修一 さかたしゅういち 71 [1954世界平和集会世話人(常任)](広島市助役)。広島市助役(1951年6月~55年4月)。広島平和文化センター理事長(初代、1967年~73年8月。
18 1982 重藤文夫 しげとう・ふみお 79 広島原爆病院の初代院長(被爆者)。[1977被爆国際シンポ日本準備委員会結成呼びかけ人]。原爆病院長室で面談、資料を閲覧。<資料年表:重藤文夫
19 1995 丸木位里 まるき・いり 94 日本画家。「原爆の図」。『広島県現代文学事典』(西原大輔・記)資料年表:丸木位里
22 1922 青木圭介 あおき・けいすけ 77 1973広島女子大学文学部社会福祉学科、2001年4月京都橘女子大学文化政策学部。2010年4月1日学長(第10代)。
23 23 久保田卓三 くぼた・たくそう  県立三次中学校在学中、海軍第一空廠に勤労動員、1945年8月6日被爆。公認会計士。
24 2021 坪井直 つぼい ・すなお 96 日本原水爆被害者団体協議会代表委員。広島県原爆被害者団体協議会理事長。広島市名誉市民。資料年表:坪井直
25 1955 佐々木禎子 ささき・さだこ 12 広島市の中学生、白血病で死去。佐々木禎子 | ヒロシマ遺文 (hiroshima-ibun.com)
25 2011 安倍一成 あべ・ かずなり 84 山口県原爆被爆者支援センター「ゆだ苑」理事長(1993年〜2008年)。1986年中国文化賞受賞。
26 1965 三村剛昂 みむら・よしたか 67 1898年3月広島県竹原生。広島文理科大学教授(物理学)の時被爆。
26 2017 神田三亀男 かんだ・みきお 95 民俗学者、歌人。『広島県現代文学事典』(綾目広自・記)資料年表:神田三亀男
 27  2003 石田明  いしだ・あきら  75  全国原爆被爆教職員の会会長、広島県原水禁代表委員、社民党同県連顧問、元同県議。17歳の時、広島原爆の爆心から約1キロの広島市中区八丁堀の路面電車の中で被爆。教員、広島県教組委員長を経て83年から県議となり、今年4月に引退。原爆白内障の認定申請却下を不当とした「石田原爆訴訟」を広島地裁に起こし、76年7月に全面勝訴。自社さ連立政権下、94年の社会党(現社民党)の基本方針転換には同県本部を挙げて反対。資料年表:石田明
29 2023 中塚明 なかつか・あきら 94 元奈良女子大学文学部教授。19290917生。大学(京都大学文学部史学科国史学専攻)の先輩。資料年表:中塚明
30 1997 栗栖洋 くりす・ひろし  67 広島県被団協、常任理事、事務局次長、副理事長を歴任。『わたしの心が癒されるときは 栗栖洋遺稿・追悼文集』(広島県原爆被害者団体協議会被爆者相談所、1998/10/30)資料年表:栗栖洋
30 2016 宗藤尚三 むねとう・しょうそう 88 広島県府中町・こばと幼稚園園長。被爆牧師。資料年表:宗像尚三
31 2014 本島等 もとしま・ひとし 92 元長崎市長。
** 2018 山下義宣 やました・よしのり 創価学会青年部広島県反戦出版委員会委員長。胎内被爆者。宇吹の高校時代の同級生。 宇吹メモ:1990410創価学会小西・山下来所。山下義宣

 

団体名簿

団体名簿

 資料名  作成者 作成者 年月日 備考
原水爆関係団体名簿  広島市衛生局原爆被害対策課  19670201
平和関係団体調査報告書(広島市関係・その1) 広島平和文化センター  196803
平和関係団体のしおり  広島平和文化センター  197003
 平和団体を訪ねて 広島平和文化センター
  「平和文化」第2号~第22号(197608~198003)に連載。17団体を紹介
 被爆体験証言者交流の集い 団体・グループ紹介一覧表 被爆体験証言者交流の集い世話人  19930301

7月忌一覧

7月に亡くなった人々

没年 名前 よみ 享年 備考
01 1988 加納竜一 かのう・りゅういち 84 元元日本映画社専務。被爆直後の広島・長崎で記録映画を製作。<資料年表:加納竜一
01 2000 宇都宮徳馬 うつのみや・とくま 93 政治家・実業家。月刊誌「軍縮問題資料」創刊。<資料年表:宇都宮徳馬
02 1982 高橋幸八郎 たかはし・こうはちろう 70 日本学術会議副会長[77被爆国際シンポ日本準備委員会結成呼びかけ人]
02 1993 中野清一 なかのせ・いいち 88 広島大学名誉教授。元立命館大学教授。「あゆみグループ」を組織し、原爆孤児を支援。<資料年表:中野清一
03 2012 古浦千穂子 こうら・ちほこ 81 小説家、広島文学資料保全の会代表。『広島県現代文学事典』(執筆:梅原勝己)<資料年表:古浦千穂子
04 1981 木村功 きむら・いさお  58 新劇俳優。『広島県現代文学事典』(九内悠水子・記)19230622生。<資料年表:木村功
06 1990 杉本春生 すぎもと・はるお 詩人、文芸評論家。『広島県現代文学事典』(福谷昭二・記)<資料年表:杉本春生
06 1992 大原三八雄 おおはらみやお 87 「世界原爆詩集」(角川文庫)を編集。広島女子大学・広島工業大学名誉教授。『広島県現代文学事典』(福谷昭二・記)<資料年表:大原三八雄
06 2011 松浦総三 まつうら・そうぞう 96 評論家。19141125生。
06 2013 山口仙二 やまぐちち・ 82 長崎の被爆者。「藤居平一聞き書き」作業の中に登場。藤居の紹介で面談。<山口仙二
07 1976 板倉静夫 いたくら・しずお 50 レッド・パージで三菱広島造船の首切りにあう。機関紙活動、労組書記の活動などを続けながら、1957年の第3回世界大会以来、広島原水協、広島原水禁の事務局次長を歴任。19250103広島市向洋本町生まれ。
07 1990 愛宮真備 えのみやまきび 92 フーゴ・ラッサール=ドイツ生まれのイエズス会員。広島市の幟町天主公教会(幟町教会)で被爆。世界平和記念聖堂を建設することに尽力
07 2022 朝尾直弘 あさお ・なおひろ 90 1931年12月17日、大阪府吹田市生。京都大学時代の教官。一橋大学内地留学にあたり藤原彰教授を紹介していただく。
08 1979 朝永 振一郎 ともなが ・しんいちろう 73 物理学者。ノーベル物理学賞(1965年)。生誕1906年3月31日<朝永 振一郎
08 1992 木村毅一 きむら・きいち 88 京都大学名誉教授。京大理学部の助教授時代の1945年8月、調査団員として広島入り。
08 1995 河村盛明 かわむら・せいめい 72 『河村盛明評論集 傷痕よりの出発』(河村盛明、六法出版社、1992.5.30)<河村盛明
09 1950 長崎五郎 ながさき・ごろう 67 『長崎五郎を偲ぶ』(長崎孝、19621225)。<長崎五郎を偲ぶ
09 1981 田中好一 たなか・こういち 87 [50ヒロシマ・ピース・センター理事]。原爆ドーム保存を推進。<資料年表:田中好一
09 2012 山田五十鈴 やまだ・いすず 95 女優。本名:美津<みつ>。映画「生きていてよかった」のナレーションを「山田美津子」名義で担当。
10 1993 井伏鱒二 いぶせ・ますじ 95 作家。本名:井伏 滿壽二。小説『黒い雨』の作者。『広島県現代文学事典』(前田貞昭・記)
12 2011 沼田鈴子 ぬまた・すずこ 87 22歳の時、勤務先の旧広島逓信局(中区東白島町)で被爆。崩壊した建物の下敷きになり左足を切断。映画「にんげんをかえせ」(1982年)に、被写体として登場。<資料年表:沼田鈴子
13 1979 小倉馨 おぐら・かおる 58 広島平和文化センター事務局長(1977年~)。[69原爆被災資料広島研究会]。原爆資料館館長。『広島県史原爆資料版』所収の英文資料の翻訳でお世話になる。<資料年表:小倉馨
13 2005 橋口収 はしぐち・ おさむ 大蔵官僚。19210908生まれ。広島銀行頭取(198406)、広島商工会議所会頭(1988~99)を歴任。著書『「近代」の座標軸を求めて― 文明・文化そぞろある記』(金融財政事情研究会、19970716)
13 2011 末宗明登 すえむね 84 1988年から2005年まで広島県原爆被害者団体協議会<金子一士理事長>事務局長。「広島被爆者団体連絡会議」の事務局長も経験。<資料年表:末宗明登
14 1976 山崎与三郎 やまさき・よさぶろう 86 [1969原爆被災資料広島研究会]。<資料年表:山崎与三郎
14 1994 ロベルト・ユンク  ゆんく 『広島県現代文学事典』(川口隆行・記)。『戦後ヒロシマの記録と記憶 小倉馨のR・ユンク宛書簡 上・下』(若尾祐司・小倉桂子編、名古屋大学出版会、2018年7月10日)<資料年表:ロベルト・ユンク
14 2008 田中隆荘 たなか・りゅうそう 82 生物学者。広島大学学長・広島市立大学初代学長。<田中隆荘
14 2015 竹前栄治 たけまえ・えいじ 84 占領史研究家。出版社の叢書執筆者の会合で同席。介護犬同伴だったことに強い印象。<資料年表:竹前栄治
15 2004 チャールズ・スウィーニー 84 長崎原爆投下爆撃機ボックスカーの機長(少佐、25歳)。 『私はヒロシマ、ナガサキに原爆を投下した』(チャールズ・W・スウィーニー著 黒田剛訳、原書房、2000/07/31)
17 1982 江上不二夫 えがみ・ふじお 71 生化学者。元日本学術会議会長[1977被爆国際シンポ日本準備委員会結成呼びかけ人]。[1982推進連絡会議呼びかけ人]。
17 1999 北西英子 きたにし・ひでこ 70 「広島女性史研究会」代表。論文「近・現代広島女性の歩み」(『広島市公文書館紀要 第14号』)<北西英子
18 1991 坪田正夫 つぼた・まさお 67 大阪市生野区原爆被害者の会会長。句画集「かの一ぱつの原爆に」(新樹社)。<坪田正夫
18 2004 林茂夫 はやし・しげお 75 本名:塩伸一。軍事評論家。京大原爆展の関係者。追悼論文集『無防備地域運動の源流―林茂夫が残したもの』(日本評論社、20060720)<林茂夫
18 2017 日野原重明 ひのはら・しげあき 105 聖路加国際病院理事長。<資料年表:日野原重明
18 2019 天野之弥 あまの・ゆきや 72 外交官。国際原子力機関(IAEA)事務局長。
19 1977 大木惇夫 おおき・あつお 82 詩人。広島市天満町生まれ。本名・軍一。広島商業学校卒業。1941年、文化部隊宣伝班の一員として、ジャワ作戦に配属。『広島県現代文学事典』(石田浩子・記)。<資料年表:大木惇夫
19 2011 原田芳雄 はらだ・よしお 71 俳優。映画『父と暮らせば』(原作:井上ひさし、監督:黒木和雄)に父役で出演。2004年公開。
20 2008 佐々木寅夫 ささき・とらお 70 洋画家、日展会員。1938年広島県山県郡豊平町生まれ。『ひろしまインターネット美術館
20 2019 岡本三夫 おかもと・みつお 86 平和学者。1976年、四国学院大学で初の平和学講座を開講。1992年に第9条の会ヒロシマを結成。<資料年表:岡本三夫
21 1992 徐立伝 じょ・りつでん 70 広島刑務所内で被爆した中国人
22 2021 那須正幹 なす・まさもと 79 児童文学作家。『広島県現代文学事典』(岩崎文人・記)。
24 1991 志水清 しみず・きよし  84 元広島大学原医研所長。<資料年表:志水清
24 2011 増岡博之 ますおか・ ひろゆき 88 67年衆院選(旧広島2区)に自民党から出馬、初当選、当選8回。この間、厚相、党国対委員長などを歴任。
26 1980 今中次麿 いまなか・つぎまろ 87 [52広島平和問題談話会](広島大学政経学部教授)。[54世界平和集会世話人(発起・常任)]。広島大学名誉教授。世界平和評議会評議員、第1回原水爆禁止世界大会議長、広島平和教育研究所議長。『広島県大百科事典』(中村義知・記)。<今中次麿 生涯と回想
26 2019 山本治朗 やまもと・じろう 70 中国新聞社社主・会長。『中国新聞百年史』(中国新聞社史編さん室、1992/12/15)
28 2010 増岡敏和 ますおかとしかず 82 8月6日(1945年)には海軍の予科練(飛行機練習生)で松山航空隊に入隊、8月6日頃は軍隊疎開で愛媛県の南部の深浦町にいた。敗戦の数日以内に広島市に帰る。祖母、母、長妹(原爆死)、次妹被爆弟たちは学童疎開中。<資料年表:増岡敏和
 30  1980  山下 義信  やました・ぎしん 95  元参院議員。1945年に原爆孤児を養育する「広島戦災児育成所」を創設、参院社労委員として原爆医療法制定に尽力。<資料年表:山下義信
31 2001 小寺 初世子 こでら・さよこ  69 大阪国際大法政経学部教授、広島県立広島女子大名誉教授、国際法。論文:「朝鮮人被爆者の法的地位」(『広島女子大学文学部紀要 第7号』1972)<資料年表:小寺初世子
?? 2011 村上経行 むらかみ・つねゆき 93 『平和に生きる』(村上経行後援会、1972.10.1)、『広島のねがいを国政へ 活躍する、村上経行さん』(村上経経行後援会、1975.12.25)、<村上経行

 

5月忌(一覧)

5月忌(一覧)

没年 氏名 読み 享年 備考
01 1951 永井隆 ながい・たかし 43 長崎医科大学付属医院内で原爆被爆
01 1981 中村敏 なかむら・さとし 72 共同通信社元編集局総務。広島被爆の第一報を打電した元同盟通信広島支社編集部長。
01 1985 ジェンキンズ、クニコ・ じぇんきんず 59 全米被爆者協会副会長。1973年から副会長を務め、在米被爆者検診の実施などに貢献。
02 2009 忌野清志郎 いまわの・ きよしろう 58 ロック・ミュージシャン。本名:栗原清志(くりはら・きよし)。
02 2016 新屋英子 しんや・えいこ 87 本名:鶉野英子(うずの)。大阪の劇団「関西芸術座」の創立メンバー。一人芝居「チョゴリの被爆者」。『女優新屋英子 私の履歴書』(2005年、解放出版社)
03 1955 千葉亮 ちば 広島で被爆した東京在住の高校生。
原爆症発症以来、全国の高校生らが支援カンパ。9日、成城高校、生徒会葬を執行。約2000名が参列(読売新聞)。
03 1971 高橋和巳 たかはし・かずみ 39 作家。『広島県現代文学事典』(岩崎文人・記)<投稿
03 2017 月丘夢路 つきおか・ゆめじ 95 宝塚歌劇団、女優。本名:井上明子。広島市中区出身。映画「ひろしま」に出演。
04 1985 菊池武彦 きくち・たけひこ 91 京都大学名誉教授。
京都大学原爆災害調査班の一員として1945年8月に広島を調査。『京都大学原子爆弾災害総合研究調査班の成立と活動』、『大野陸軍病院における京大原爆総合研究調査班の山津波による遭難の状況(私の日記から)』。お宅を訪問。被爆直後の写真について教示をいただく。<資料年表:菊池武彦
06 1964 佐藤春夫 さとう・はるお 詩人・小説家。原民喜の葬儀委員長。
1951年11月15日広島城址に建立された原の詩碑に撰文「詩碑の記」を記す。『広島県現代文学事典』竹原陽子・記)
06 1980 渡辺忠雄 わたなべ・ただお 81 元広島市長(1955~59年)。<投稿
08 1972 砂原格 すなはら・かく 『砂原格追想録』(砂原格先生顕彰会・会長森本亨、1978.5.8)〈投稿
08 2008 伏見康治 ふしみ・こうじ 98 物理学者。1953年日本学術会議会長。1958年参議院議員(公明党)。
09 2012 碓井静照 うすい・しずてる 74  8歳の時被爆。<投稿
広島県医師会会長、IPPNW(核戦争防止国際医師会議)日本支部長などを歴任。第67回(2010年)中国文化賞(中国新聞社主催)。
09 1965 田谷春夫 たたに・はるお 詩人・歌人。
1932年5月赤色救援会広島支部の責任者として検挙・起訴される。広島で被爆。『広島県現代文学事典』(福谷昭二・記)
09 2018 村井志摩子 むらい・しまこ 89 劇作家・演出家。『広島県現代文学事典』(岩崎文人・記)
09 2024 文沢隆一 ふみさわ・りゅういち 96 作家。資料年表:文沢隆一(本名:増本勲一)
10 1981 今川卓治 いまがわ・たくじ 84 被爆医師 今川卓治』(今川静子、19870510)
10 1991 中川保雄 なかがわ・やすお 神戸大学教養学部教授。科学技術史。
著書に『放射線被曝の歴史』。広島大学原医研資料センター所蔵資料を熱心に調査。直接の面識無し。
10 2017 田原伯 たはら・つかさ 84 原爆文献研究家。<投稿>。
11 1975 梶山季之 かじやま・としゆき 46 1948年広島高等師範学校入学。[広島大学]『広島県現代文学事典』(天瀬裕康・記)編年資料:梶山季之
11 2004 山本達雄 やまもと・たつお 88 「原爆の火」保存者。兵役に就いていた広島で、原爆投下直後に残り火をカイロに採取し、故郷の福岡県星野村で20年以上保存。広島に投下された人類史上初めての原子爆弾の火=世界で唯一の「火」。
12 1979 塩月正雄 しおつき・まさお 58 東北大学医学部を卒業後見習士官として大村病院に所属。
被爆者治療に従事。。「初仕事は安楽殺だった」(光文社 1978.8.15 )の著者。
14 1998 山田典吾 やまだ・てんご 81 映画監督。作品に「はだしのゲン」・「白い町ヒロシマ」。
14 2002 草野信男 くさの・のぶお 92 病理学者。元日本原水協理事長。投稿
15 1973 ラビノビッチ、ユージン・ らびのびっち 71 Eugene Rabinowitch マンハッタン計画の主任研究者。[70ヒロシマ会議]
15 2009 豊田利幸 とよた・としゆき 89 核物理学者。「パグウォッシュ会議」に日本代表としてかかわり、その日本版の「科学者京都会議」でも活躍。
16 1977 島薫 しま・かおる 79 外科島病院長。
原爆は島病院の上空でさく裂。『島薫あれもこれも』(紺野耕一編、島忍発行、1983.5.15)
16 2006 渡辺正治 わたなべ・しょうじ 広島大学原医研時代の先輩。
5月20日葬儀・告別式。<別記予定>
18 1952 中井正一 なかい・まさかず 52 美学者・哲学者。1946年9月、広島県労働文化協会を創設。1948年、国立国会図書館副館長に就任。『広島県大百科事典』(板根俊英・記)。『広島県現代文学事典』(佐々木暁美・記)。
18 2007 前野良 まえの・りょう 94 原水禁国民会議顧問。
広島湾の軍艦上で被ばく。その後の1ヵ月あまりの救護活動。1955年の最初の世界大会から原水禁運動に参加。http://www.gensuikin.org/gnskn_nws/0707_4.htm
21 1991 斗桝良江 とます・よしえ 『私の原爆記』
21 2010 小松茂美 こまつ・しげみ 75 古筆学者、美術史学者。広島で被爆。<投稿
「死の淵にたって」(『平家納経の世界―国宝の謎を推理する』(六興出版、19861226)pp.133-136。
22 1964 下田隆一 しもだ・りゅういち 65 原爆裁判の原告の一人。
22 1988 佐藤月二 さとう・つきに 79 元広島大学教育学部教授。広島県史跡名勝天然記念物調査委員(1947年2月~)。
1949年当時、原爆ド-ムの保存を主張。著書『むさしあぶみ』(溝本積善館、19720215)。
23 1981 吉野源三郎 よしの・げんざぶろう 82 雑誌「世界」初代編集長。
日本ジャーナリスト会議初代議長(1955年2月、)。「被爆30周年国際フォーラム」の代表世話人。1977被爆国際シンポ日本準備委員会結成呼びかけ人。
23 2012 岡本直正 おかもと・なおまさ 91 広島大学原爆放射能医学研究所所長(1970.4.1~1977.3.31)。
24 1956 中林智子 なかばやし・ともこ 原爆乙女の会のメンバー。
アメリカのマウント・サイナイ病院で手術中に死去。日本時間25日。
24 2007 大庭みな子 おおば・みなこ 作家。『広島県現代文学事典』(瀬崎圭二・記)
26 1982 植村環 うえむら・たまき 91 日本YWCA名誉会長。
原水爆禁止世界大会日本準備会代表委員。日本原水協代表委員。世界平和アピール七人委員会のメンバー。1977被爆国際シンポ日本準備委員会結成呼びかけ人。
26 1999 辛泳洙 しん・よんす 80 元韓国原爆被害者協会会長。
国外に住む外国人としては始めて原爆被爆者手帳を取得。http://www.asahi-net.or.jp/~hn3t-oikw/kaihou/No_25/9907_1shin.html
26 2000 阿左美信義 あさみ・のぶよし 65 広島弁護士会長・日本弁護士連合会副会長などを歴任。
「石田原爆訴訟」の弁護団に加わる。「悼記 衰えなかった弱者救済への情熱」(『中国新聞』2000.7.4)
28 1984 森戸辰男 もりと・たつお 95 広島大学初代学長(13年間)。
[50ヒロシマ・ピース・センター理事]。[51広島大学平和問題研究会会長]。[52広島平和問題談話会]。1951年に、「広島大学平和問題研究会」を発足させる。
29 1986 松崎寿和 まつざき・ひさかず 72 日本史研究者。広島大学教授。中国文化賞(1974年)
30 1978 片山哲 かたやま・てつ 90 元総理大臣。
憲法擁護国民連合議長、衆議院議員、[原水爆禁止世界大会日本準備会代表委員]。[日本原水協代表委員]。
30 1983 山本康夫 やまもと・やすお 105 歌人。
短歌誌「真樹」主宰者(被爆者)。『広島県現代文学事典』(山本光珠・記)。
30 2006 今村昌平 いまむら・しょうへい  79 映画監督、脚本家、映画プロデューサー.
『広島県現代文学事典』(佐藤武・記)

 

4月忌(一覧)

 

没年 氏名 読み 享年 備考
01 2012 森亘 もり・わたる 86 元東京大学総長。原爆死没者慰霊等施設基本問題懇談会座長。<投稿
01 2016 藤村耕市 ふじむら・こういち 86 元三次地方史研究会会長。<投稿
01 2020 山西義政 やまにし・よしまさ 97 (株)イズミ(広島県広島市、山西泰明社長)創業者。1997年、個人コレクションを中心に泉美術館を開設。<資料年表:山西義政
02 1974 福田須磨子 ふくだ・すまこ 52 長崎原爆の被爆者。詩人。1975年8月2日、長崎市爆心地公園に慰霊碑建立。
02 1984 渡辺漸 わたなべ・すすむ 80 広島大学原医研初代所長。自宅を訪問、面談、資料閲覧・借用。
02 2005 ヨハネ・パウロ二世 ぱうろ 84 4月2日(日本時間3日)。1981年2月25日広島訪問。<『教皇訪日公式記録 ヨハネ・パウロⅡ世』主婦の友社、19810402><投稿
02 2008 大北威 おおきた・たけし 83 広島大原爆放射線医科学研究所所長。ノーベル平和賞を受賞(1985年に)した「核戦争防止国際医師会議(IPPNW)」のメンバー。<投稿><資料年表:大北威
02 2016 居森清子 いもり・きよこ 82 広島の本川国民学校で被爆、児童で唯一の生存者。西本雅実「評伝」(『中国新聞』2016.4.5)
03 2011 長崎源之助 ながさき・げんのすけ 87 児童文学作家。『広島県現代文学事典』(瀬崎圭二・記)
04 0984 伊藤実雄 いとう・じつお 1946年4月の総選挙で広島全県区(当時)から初当選、1期。『古稀を越えて 伊藤實雄』(1982.2.25)<投稿
04 1997 杉村春子 すぎむら・はるこ 91 女優。本名:石山春子。広島市出身で、被爆ドラマに出演。。映画吹き込み場に立ち会う。『広島県現代文学事典』(九内悠水子・記)。<投稿
05 1958 岡本尚一 おかもと・しょういち 66 弁護士。広島・長崎の被爆者とともに原爆求償同盟を組織し、1955年4月、東京地裁に、原爆投下の国際法違反を明確にし、被害の賠償を求める訴訟を起こす。<『原爆民訴或問』
05 1960 楮山ヒロ子 かじやま・ひろこ 17 広島で被爆。急性リンパ性白血病のため広島市民病院で死亡。<投稿>。<原爆ドームと楮山ヒロ子
05 1961 都築正男 つづき・まさお 68 東京帝国大学教授。遺族宅を調査<投稿
05 1964 マッカーサー、ダグラス・ 84 連合国軍最高司令(1945~50年)
07 1971 椎尾弁匡 しいお・べんきょう 94 全日本仏教会副会長、大正大学学長、増上寺大僧正[原水爆禁止世界大会日本準備会代表委員]。[日本原水協代表委員]。
07 1990 大原亨 おおはら・とおる 74 元社会党代議士(広島選出)。党原爆対策特別委員会などを歴任。衆議院議員。『志あるところ必ず道あり 大原亨追悼録・遺稿集』(発行編纂委員会、19910806)。宇吹の高校時代の同級生の父。
07 1957 羽仁もと子 はに・もとこ 83 自由学園長・全国友の会会長[原水爆禁止世界大会日本準備会代表委員]。[日本原水協代表委員]。
08 1982 上代タノ じょうだい・たの 95 「世界平和アピール七人委員会」のメンバー。1956年から9年間、日本女子大学学長。[77被爆国際シンポ日本準備委員会結成呼びかけ人]。[82推進連絡会議呼びかけ人]。
09 2010 井上ひさし いのうえ・ひさし 75 日本劇作家協会理事、社団法人日本文藝家協会理事、社団法人日本ペンクラブ会長(第14代)などを歴任。<投稿
10 1959 瀬戸奈々子 せと・ななこ 27 『かえらぬ鶴』(瀬戸奈々子・林田みや子、二見書房、19611012)
10 2004 小黒薫 おぐろ・かおる 90 1974~1978年、広島女学院大学長<投稿
11 2001 稲賀敬二 いなが・けいじ 73 国文学者。平安文学。1947年(昭和22年)広島高等学校文科甲類卒業。広島大学名誉教授。『明日何方ぞ迷い猫 稲賀敬二遺文集』<資料年表:稲賀敬二
11 2016 ユソフ、ペンギラン ゆそふ、ぺんぎらん 94 元南方特別留学生として広島文理科大学に在学中被爆。元ブルネイ首相。<投稿
12 2017 葉山、ペギー はやま、ぺぎー 83 歌手。祖父が広島で被爆死。1965年広島賛歌「ああ広島」を歌い、レコード化。第1回「広島平和音楽祭」に出演。
13 1980 蜂谷道彦 はちや・みちひこ 76 「ヒロシマ日記」の著者で被爆者。<投稿
14 1986 ボーボワール、シモーヌ・ド・ ぼーぼわーる 78 仏の作家。1966年10月、来広し、原爆資料館などを見学。<宇吹=京都での講演会を聞く
14 2001 勅使河原宏 てしがわら・ひろし 74 映画監督、草月流家元。<投稿>。
15 1980 サルトル、ジャン・ポール・ さるとる 仏の哲学者。1966年来広し、原爆病院など訪問。長崎も訪問。
15 19895 調来助 しらべ・らいすけ 長崎大名誉教授(被爆者)。「医師の証言・長崎原爆体験」などの著者。長崎市栄誉市民。
16 1972 川端康成 かわばた・やすなり 72 日本ペンクラブ会長[50ヒロシマ・ピース・センター建設協力者]。<投稿
17 1992 秦野裕子 はたの・ひろこ 広島大学原医研事務官。職場の同僚
17 1996 藤居平一 ふじい・へいいち 80 日本被団協初代事務局長。聞き書きを作成
18 1955 アインシュタイン、アルバート あいんしゅたいん 76 理論物理学者。ユダヤ系ドイツ人。ナチスに追われて渡米。ルーズベルト大統領に原爆開発を提言。Albert Einstein
18 1961 長田新 おさだ・あらた 75 広島大学教授。[50ヒロシマ・ピース・センター理事]。[51広島大学平和問題研究会理事]。[日本原水協代表委員]。<「原爆の子」の父長田新
18 1971 大木正夫 おおき・まさお 69 作曲家。交響曲「ヒロシマ」。
18 1993 羽原好恵 はばら・よしえ  47 RCC勤務。研究会で面識。<投稿
18 2016 金子満広 かねこ・みつひろ 91 日本共産党書記局長、衆議院議員など歴任。
22 1981 ダフ、ペギー だふ・ 71 イギリス生まれの平和運動家。「軍縮と平和のための国際連合」(ICPP)書記長。1977年以降の原水爆禁止統一世界大会の大会宣言起草委員長を務める。
22 1985 原田勉 はらだ・つとむ 1953「酔心」旗揚げ。『なに糞経営愕』(原田勉、朝日書院、19650625)
22 2000 武谷三男 たけたに・みつお 88 理論物理学者で素粒子論の第一人者。戦時中、理化学研究所で仁科芳雄に協力し原爆開発研究に従事。<投稿予定>
23 1960 賀川豊彦 かがわ・とよひこ 72 [50ヒロシマ・ピース・センター建設協力者]。国際平和協会会長[原水爆禁止世界大会日本準備会代表委員]。[日本原水協代表委員]。キリスト教社会運動家。『広島県現代文学事典』(田辺健二・記)
23 1973 阿部知二 あべ・ともじ 69 小説家。1950年?イギリスで開かれた世界ペン大会に参加、田辺耕一郎から託された被爆アルバムや資料をもとに広島の惨状を訴える。
23 2011 森井忠良 もりい・ちゅうりょう 81 『明日を創る―提言・新世紀の社会保障』(森井忠良、NTT出版、1996.6.6)。1972年、旧広島2区で旧日本社会党から衆議院議員に初当選、1996年に落選するまで7期。村山富市改造内閣で厚生大臣。社会党原爆被爆者対策特別委員長など。宇吹と同郷。
23 2012 山田浩 やまだ・ひろし 87 広島大学教授。専攻は政治史・国際関係論。<資料年表:山田浩
24 1988 広瀬ハマコ ひろせ・はまこ 83 元広島女学院理事長。<投稿
24 2017 藤居みえ ふじい・みえ 藤居平一夫人。<投稿予定>
24 2008 深川宗俊 ふかがわ・むねとし 87 歌人。本名:前畠雅俊=まえはた・まさとし)。旧三菱重工業の韓国人徴用工の指導員。三菱広島・元徴用工被爆者裁判を支援する会共同代表。<投稿
25 1951 藤野七蔵 ふじの・しちぞう 65 『藤野七蔵氏追懐録』(藤野七蔵氏追懐録編纂委員会、広島瓦斯株式会社内、1952年4月25日)<投稿
28 1960 川手健 かわて・たけし 県立忠海中学校在学中に広島の工場に動員中被爆。広島高等学校理科を経て広島大学文学部を専攻。1952年、原爆被害者の会を結成。偲ぶ会に参列。『広島県現代文学事典』(小宮山道夫・記)<資料年表:川手健
28 1962 西本敦 にしもと・あつし 日本山妙法寺僧侶。日ソ協会支部事務局長。1958年原水禁世界大会で、広島-東京間の第1回平和大行進の全コースを歩く。
28 2009 粟津潔 あわづ・きよし 80 「ヒロシマ・アピールズ」ポスター第2作を制作。
30 1977 森脇幸次 もりわき・こうじ 68 中国新聞論説委員、取締役編集局長、中国地方経済連合会常務理事。<投稿

 

日米安全保障条約改定反対共同声明広島世話人会(1959年12月)

日米安全保障条約改定反対共同声明広島世話人会

平和と学問を守る大学人の会は,1959(昭和34)年7月7日の常任理事会および7月20日の理事会において,日米安全保障条約改定交渉の即時打ち切りを求める声明書の案を作成し,それを会の名において発表することについて,全会員の賛否を問うことを決定した。この声明は,152人中77人の賛成を得て7月31日に発表された。

同会有志は,11月初めには,再度声明文の発表を企画,前回よりも広い範囲の署名を集めるため,会員外の人々にも呼びかけ人(=世話人)となってもらうよう働きかけた。11月19目の第1回世話人会時点では,29人が世話人となることを承諾,12月初めには40数人の文化人・学者からなる安保改定反対共同声明広島世話人会が発足した。

世話人会の討議の結果,「一般大衆署名は他団体の運動に期待することにし,世話人会としては広島県下の文化人・学者の安保改定にたいする反対意志の表明に運動の重点をおき,その立場から全国民の運動にサポートを与えるという方針を打ち出した。12月10日には,次のような声明書を作成,48人の世話人名で共同声明への参加を呼びかけた。

 昨年の秋から交渉が進められてきた新しい日米安全保障条約は,その全貌が国民に明らかにされないままに,いよいよ調印されようとしています。

 この日米安全保障条約の改定にたいして私どもは日本の安全と平和,世界の平和をねがう見地から深刻な不安を感じます。

 政府は今回の条約改定の目的として日本の安全と自主性の回復とをあげ,その具体的な問題として,日米共同防衛の原則を確立すること,在日米軍の配備,装備並びに出動を協議事項とすること,期限を十年にすることなどをあげています。

 しかしながら,第一に,これによって日本が戦争にまきこまれる危険がかえって大きくなるばかりか,極東における国際的な緊張が緩和されないで,かえって強められる恐れがあります。合衆国が一方的に他国と紛争をひきおこしたばあい,日本はその意思いかんにかかわりなくほとんど自動的に参戦せしめられることになるでしょうし,事前協議にかんする規定も,寸秒を争うミサイル戦の時代においては事実上実効をもたないと考えられます。

 第二に,これによって,原水爆禁止という日本国民全体,とくに原爆被災者である私ども広島県民の悲願が日本自身の手でふみにしられる恐れがあります。改定条約の中に,バンデンバーグ決議をもりこんだ「共同防衛」の原則が確立されることによって,当然に日本の軍事力の増強,とくに核武装が避けられないものとなるでしょう。

 第三に,これによって日本国憲法と国内民主主義にさらに重大な制約が加えられる恐れがあります。この改定によって国内法上違憲の疑いのある日本の自衛隊が国際的に合法化され,ひいては「共同防衛」の原則によってその海外派兵が避けられなくなり,この面から日本国憲法改定のための突破口が開かれることが懸念されます。また,日米協議事項を定めることとひきかえに,秘密保護法がつくられる恐れもあります。

 フルシチョフ・ソ連首相の訪米と来春に予定されているアイゼンハワー米大統領の訪ソ,また,国連における八十二か国の軍縮決議の可決など,急速に世界情勢が平和と軍縮に向かおうとしている今日,日本がなぜ急いでこのように多くの重大な疑点のある条約を,しかも十年間という長い期限を定めて結ばなければならないのでしょうか。このことについても私どもは納得できません。

 ふたたび戦争の悲劇をくりかえさないことを念願している私どもは,以上の理由からしてこのたびの日米安全保障条約改定交渉ならびに調印は中止すべきであると考えます。

 右声明致します。

この声明書は,12月25日,広島大学関係者374人をはじめ,文学者・画家・舞踊家など計531人の名前とともに発表され,内閣・国会・各政党および県内の市長・市議会議長その他諸団体に送付された。

世話人会は,共同声明発表後もひきつづき存続し,1960(昭和35)年2月28日には,広島市内専立寺において相原和光・佐久間澄を講師として安保研究集会を開催,集会終了後,参加者は平和公園原爆慰霊碑前まで静かなる行進を実施した。また,3月16日には,安保改定阻止広島県民共闘会議主催の「安保改定阻止・日中国交回復・生活と権利を守る国民大行進」に積極的に参加した。

5月19日から20日にかけての国会は,安保条約を自民党の単独で採決,これを契機に安保反対の運動は最大の盛り上がりを示すが,世話人会は,6月4日,広島キリスト者平和奉仕会・広島平和問題談話会・広島文学会・平和と学問を守る大学人の会とともに,「新安保反対,平和と民主主義を守る抗議集会および行進」を行った。

広島平和委員会(1958年 )

広島平和委員会

昭和33年9月27日,広島市内の光道会館で広島平和委員会の結成総会が開かれた。

これは,在広の日本平和委員会々員十余名の集まりであった広島平和協議会が原水爆問題に限定されがちな広島県原水協の制約を越えて、原水爆問題のみならず、民主主義の確保、憲法擁護,基地撤廃など広範な平和運動を進めるための組織として準備したものであった。(広島平和協議会「広島平和協議会へ参加のお願い」昭和33年9月)。

成総会には県内から50人が参加(総会当日の入会者は60人)し,日中関係・勤評問題・国際続一行動の点について討議を行った。また,当日,会長(佐久間澄)・幹事(佐久間・板倉静夫・三宅登・石井金一郎・村中好穂・石田千鶴子・松江澄)を決定している(「広島平和ニュース」No.1)。

広島平和委は,10月末に労働者を中心とした部会を開いたが,40人近く参加した。この時の討議で岩国基地行進を成功させようということが強く主張された。この行進というのは,10月16日に広島で開催された日本原水協中国ブロック山陽側会議で決定されたものである。この時,11・1国際共同行動デーの取り組みとして,広島・山口両県原水協共催で,核武装阻止岩国墓地平和大行進と岩国市における大衆集会を開催することとなった(「広島原水協情報」No.1 昭和33年10月30日)。

11月8日から9日にかけて広島から岩国まで40人近くの人々が徒歩行進を行ったが,その半数以上は広島平和委の労働者部会に参加した者かあるいはその働きかけによる参加者であった。広島平和委員会が結成後初めて取り組んだ続一行動である岩国基地行進の成功は,その後の平和運動に少なくない影響力を与えた(「広島大学人会会報」N。.22)。同会自身の総括によれば,その意義は次のようである。

①平和委員会グルーブによる目的意識的な活動によって基本的に成功した。労働者部会の果した役割はこの成功を決定づけた。

②運動の目標の面で,不充分ながらも警職法闘争を平和を守る運動の一環としてとらえ,この闘争に組織された力を意識的な行動方向をうちだすことによって,民主主義と平和の闘争を統一的に発展させた。

③運動の方法の面で,従来くりかえされた官僚的な上からの動員方法を打破し下からの自主的参加とそのための活動を強調し,それは基本的に実現され,今回の「行進」の重要な特徴としてその成功を保障する主要な原因となった。

④この「行進」は従来の一般的,抽象的な原水禁運動を,昨年の美保基地闘争から発展させ,具体的な基地反対の行動にたかめ広島の平和運動を前進させた。

⑤さらにこの「行進」は国鉄第二支部の経験にみられるように,行動を通じて活動家をつくりだし,今後の平和活動の一層の発展を保障した。

昭和33年12月初めには,会員数は100人を越え,各地・各職域に,平和委員会結成の動きが生まれた。

8・6学生平和会議(1956年8月5~7日)

8・6学生平和会議

主催:広島大学学生自治会

1956年8月5~7日

第1日(5日)

午前9時半~午後5時半 広島児童文化会館

広島大学・広島女子短大、北海道・東北・東京・京都・四国・九州など全国80の大学・高校から約500人が参加。

開会宣言=棗田金治(広島大学文学部)

実行委員長あいさつ=児玉健次(広島大学文学部)

「原爆許すまじ」全員合唱

平和問題シンポジューム

講演

長田新日本教育学会会長

佐久間澄広島大学教授

柳田謙十郎戦没学生記念会理事長

今中次麿広島大学教授

重藤文夫広島赤十字病院院長

討論

午後6時~

高校生代表者会議

映画会=原爆記録映画「生きていてよかった」観賞

レセプション 於紙屋町ガスビル

第2日(6日)

午前8時~ 広島市平和記念式典参列

午前10時~ 修道高等学校講堂

原爆被害者実情報告会=吉川清・原成子・温品道義など7名。

午後1時~

大学部会(於広島市平和記念館)

北海道・東北・東京・京都・四国・九州などから約300名参加。

高校部会(修道高等学校)

四国・鳥取などからの参加者を含め100名参加。

代表30名による原爆症患者の慰問=日赤・市民病院・県病院

午後6時~

被害者を囲む会(学生会館)

柳田謙十郎氏を囲む高校座談会(教育会館)

女子学生懇談会(東保健所ホール)

第3日(7日)

午前9時~午後4時 広島市中央公民館

総会

大会宣言

人類の上に初めての原爆が投下されて十一周年目に世界の平和運動とはっきりとした連帯の下に進められた、始めての日本学生の平和会議が開催されました。この会議に集った学生代表は平和を望むすべての人々、とりわけ日本の学生の平和への希望と期待とに応え、原子戦争を企だてている力をうち砕くためにいかにすべきかについて、自由かつ真剣に討議しました。私達は平和をめぐる世界情勢を検討することを通じて、社会体制の相違にもかゝわらず両体制の共存は可能であり、戦争は不可避ではないという点ですべての参加者の意見の一致を見、平和についての強い確信をうるにいたりました。

私達はこの様な期待のもとに開催される第二回原爆禁止世界大会に心からの支持と援助を送ります。

第一回原爆禁止世界大会以后の此の一年間に国際緊張を緩和し、冷たい戦争を中止させる動きは増々活発になり、現在東西陣営の間での軍縮について、歩みよりが次々と行なわれております。軍備の増大は今迄諸国民に対して貧困と不安をもたらしただけでした。軍拡競争はたヾ戦争に向かって進むにすぎません。最大の軍備である原水爆兵器が出現した現在、戦争の危険ははかりしれない程大きなものとなり、将来もし原水爆戦争がおこるならば世界中がヒロシマ、ナガサキ、ビキニとなって人類は死滅してしまうでしょう。

しかし長い間の国際緊張に代って第一回原水爆禁止世界大会以後のこの一年間、国際緊張を緩和し冷たい戦争を中止させる動きはますます活発となり現在大国の間での軍縮についての歩みよりがつぎつぎと行なわれております。和解のための共通の努力があれば大国の間にある色々な障害は必ず解決されるでしょう。この見通しを実現するのは私達の努力いかんにかゝっております。けれどもこの様な世界の国際緊張緩和の動きに逆行する動きが私達の祖国日本に於て依然続行されております。沖繩問顧にみられる様に、日本がアジアにおける国際緊張の増大の焦点となっております。原水爆戦争の基地は拡大され軍国主義復活の傾向が明らかになり、世界の平和に対する主要な障害となっております。私達は国際緊張増大に反対する立場からその様な平和の障害を取り除く為に活動を続けて行かなくてはなりません。

この様な国際緊張緩和の運動に於て、成功をおさめることこそ原爆被害者の私達の期待にこたえる第一の道であります。この道にそって被害者の国家保障を勝ち取る運動を強力に押し進めて行かればなりません。平和はすべての学生の中心的課題であり、学問と学園を守り発展させることは平和なくしてはありません。

平和運動を正しく展開して行くことによって私達は日本の若き知性と良心と云う名に恥じない立派な学生であることが出来ます。私達は第二回原水爆禁止世界大会を全面的に支持し大会の成果を日本の国民とりわけ学生のものとする為に全カをかたむけるでありましょう。私達は第二回世界大会の成果を全世界のすべての学生の運動に発展させて行くことによって日本の学生の平和への名誉ある義務を果して行くでしょう。

本日の会議によってうち立てられた平和運動の正しい方向によって、私達日本の学生は原水爆が禁止され、その貯蔵が廃棄され全般的な軍縮が達成されて人類の上に恒久平和の確固とした保証が行なわれる日迄広く全世界の願いを同じくする人々としっかりと手を携えて前進して行くでしょう。

輝かしい世界恒久平和への望みは私達の努力にかゝっています。

一九五六年八月六日 広島にて

 

決議

1.軍縮、原水爆実験禁止を世界全学連へアッピールする。

2.大国間の軍縮協定、原水爆実験禁止協定の即時締結を国連に要請する。

3.日ソ国交回復について日本政府に要請する。

4.日本政府に対して、軍縮と原水爆禁止運動の先頭に立って努力するよう要請する。

5.日本の再軍備は世界の動きに逆行するものであるから憲法擁護について日本政府、自民党に要請する。

6.沖縄返還問題について米政府と沖縄政府へ決議文を送る。

7.砂川土地接収に反対するむね日本政府に呼びかける。

8.原水爆被災者の救援について治療、家族の生活の完全な国家保障を政府に要請する。

長崎大会代表選出

 

 

トルーマン談話(1958.2.2)への抗議

トルーマン談話への抗議

 トルーマン前米大統領は,1958(昭和33)年2月2日,CBS(コロンビア放送)のテレビ番組「いまこそ見よ」の中で次のように述べた。

 われわれが強力な新兵器をもっていた以上,それが大量殺人兵器だからといって,私はこれを使うことに良心のかしやくを感じることはなかった。だれも戦争は望まないし,戦争には反対だが,戦争に勝てる兵器をもちながらそれを使わなかったとすればばがげたことである。私は水爆が戦争に使われないよう希望するが,万一世界が大混乱にまきこまれば,水爆は使われるだろう。このことは間違いない。

「中国新聞」(夕刊)1958年2月3日)

 広島県原水協は,この談話について5日夜常任理事会を開いて検討を行った。その結果,対応の基本方針として,次の5点を確認した。

1.たとえ言葉だけにしろ,このような発言は道義的に罪悪であり,世論からどれほど手ひどい反撃を受けるかを知らせる必要がある。

2.トルーマン氏の最も痛いところは広島である。広島から抗議運動をもりあげることはとくに重要である。その意味から直接被害者の強い反撃の組織が必要である。

3.単に抗議文を送るという形式的な手続きのみでなく,県市民の怒りが結集されるという方向が必要である。

4.とくにこのような機会をとらえて,素朴な「もってのほかだ」という憤がいの気持を誰れもがあらわしていけるような態勢と結びつきを考える必要がある。

5.こんどのト発言を知らない人にも周知徹底するなかで世論を組織すること。

 また,当面の具体的行動としては,抗議文をトルーマンあてに発送するとともに,次の5点を決めた。

1.地域原水協,県内諸団体(とくに労組,被害者団体,婦人,青年,宗教団体など)に行動をおこしてもらうよう要請し,話合いをもつ。

2.知事,市長,地方自治体に抗議を要請する。

3.県下諸団体は自己の全国組織にとりあげて全国的世論と抗議をよびかけてもらう。

4.広島原水協,日本原水協を通じて直接,間接に国際的世論の反撃運動を組織するようよびかける。

5.とくに米国の宗教,平和団体を通じての抗議を要請する運動を強化する。

 翌6日には,広島県被団協も緊急理事会を開き,次のような抗議文をトルーマンあてに発送するとともに,当日ただちに県・市を訪れ抗議への協力を要請した。

 あなたは,二月二日のコロンビア放送で「広島・長崎の原爆攻撃を指令したあとに,良心のかしやくを感じなかった。これからも水爆は使われるであろう」という言明をせられました。この言明は直接原爆の苛酷な被害を経験した私たち広島の被害者に計り知れない衝撃を与えました。

 被爆後十二年間を経た今日,なお,当時受けた放射能により,原爆症のため倒れて行く人たちが後をたちません。そればかりではなく,子孫にまで悪影響を及ぽし,被害者は全く救いのない恐怖におののいている現状であります。

 あなたは,このような被害の実相をご存じでしょうか。一九四六年広島にA・B・C・Cを作られたあなたが被害の実相をご存じない筈がないと思います。

 あなたの言葉が事実とすれば,原爆投下の最高責任者であったあなたが全く異質の大量殺人兵器を使用しながら,戦後十三年たった今日,なお,いささかの反省もしないのみならず,宇宙時代,究極兵器時代においても原子戦争体制の準備と原水爆使用の必然性があることを強調されたことになります。これは明らかに人類への挑戦と考えざるを得ません。

 私たちは,今原爆ドームが灰色に凍るヒロシマの爆心地,そして一瞬にして悲惨な死をとげた二十数万人の原爆死没者の慰霊碑の前に立っています。(この碑の中には,当時捕虜であった数名のアメリカ兵も,マラヤ・インドネシヤの留学生の霊もまつられています)

 私たちは,「安かに眠って下さい 過ちは繰返しませんから」という碑文を,かろうじて生きのこった身体に鞭うちながら,運動の指針として来たことに高い誇りを持ち続けていますが,加害者であるあなたは,この碑文を如何にお考えでしょうか。

 速やかにあなたの言葉を撤回されるよう要求します。

一九五八年二月六日-原爆投下から十二年六カ月目の日-

広島県原爆被害者団体協議会

トルーマン閣下

 トルーマン談話のもたらした波紋は,原水協・被団協のこうした反射的反応にとどまらなかった。2月7日,大原広島県知事および渡辺広島市長は,両団体の要請に応え,それぞれトルーマン談話に対し,原爆投下は人道上許しがたい行為であったとする抗議の談話を発表した。また,13日の広島市議会は,トルーマン談話に対する抗議声明を可決し,直ちにトルーマンあてに送った。

 トルーマンは,このような日本側の反響に接し,3月14日の記者会見で,広島市議会議長仁都栗司あてに反論の手紙を送ったことを明らかにした。この報道は,再び広島では大きな反響を呼び,3月24日の広島市議会本会議は,トルーマンの返書(17日到着)に対する抗議の声明書を採択し,25日トルーマンあてに発送した。この後,この問題は4月8日,トルーマンが再度弁明,これに対し,広島市議会が2度目の抗議文を世界各国の首脳をはじめアメリカの報道機関に送るという様に,ますます大きな広がりをしめした。

 広島のトルーマン談話に対する抗議は,一様に原爆投下を人道上許しがたいことと述べていた。中でも,2月7日の県知事談話は,原爆投下を国際法違反とまで断じていた。このような原爆投下責任の問題は,それまでの広島では,タブーの観があった。原爆慰霊碑の碑文をめぐる論争(1952年11月以降),あるいは原爆損害賠償請求訴訟の提起(1953年1月)など,原爆投下責任を追及する動きは存在したが,それらは,大きな広がりを持つものとはならなかった。それにもかかわらず,トルーマン談話は,広島の原爆投下批判を一気に吹き出させる契機となった。「中国新聞」のコラム「断層」は,トルーマン談話は,「広島としては戦後最大のショックだった」と述べている(「中国新聞」1958年3月1日)。

 トルーマン談話をめぐる日本側の反応が,いわば原爆投下批判一色だったのに比ペ,アメリカ国内での反応は,複雑であった。アメリカから広島市の抗議に賛意が寄せられる一方で,次のような書簡も届いていた。

 トルーマン氏が広島・長崎に原爆投下後良心のかしやくを感じなかったという発言は市民と犠牲者に対する冒とくだと言い,遺憾の意を表わせと要求されたが,貴国の指導者たちが真珠湾を不意打ち攻撃し,戦争を始めたことについて米国民はどう考えていると思うか。トルーマン氏は彼が思っていることをそのまま語ったもので彼の本意だと思う。当地には多くの日系米人がいるが,これの人々の多数はいまでもトルーマン氏を支持していることをご存知ですか。(カリフォルニア州ラグナビーチ市 チャールズ・A・ペティコート)

(「中国新聞」昭和1958年2月26日)

 アメリカにおいては,こうした声が一般的であることは,前年の国民使節団の米国班により確認されていたことであった。広島県被団協では,5月25日の総会で,広島に原爆を投下したB29の当時の飛行機長ロバート・A・ルイイに手紙を送り,トルーマン談話への反対運動を行うよう呼びかけるとともに,「恩讐を越えて平和運動をともに展開しよう]と8・6大会に招待することを決めた(「中国新聞」1958年5月26日)。ルイスを選んだのは,彼が治療のために渡米した原爆乙女の救援に助力し,アメリカ国防省から原爆使用の可否を問われたとき絶対反対の意を表明したことが伝えられており,アメリカ内部から原爆投下ヘの反省を起こさせる適任者と思われたからである(藤居年一「ルイス大尉招待の経緯」)。広島県被団協は,7月23日,正式に招待状をルイスあてに発送した。しかし,当のルイスは,招待状の届く前の7月28日,記者の質問に対し,出席するつもりのないことを明らかにするとともに次のように語った。

 報道によると私は原爆によって引きおこされた災害を遺憾に思っていることになっているが本当にそうだとはいえない。もちろん他人に不必要な災害をおよぽすことは望んでいない。原爆は普通の爆弾以上の破壊力を持っていることも知っている。しかし仕事をやりとげねばならなかった。戦争を早く終らせるためにだ。この気持はいまでも変らない。

(「中国新聞」(夕刊)1958年7月29日)

 

ヒロシマ会議

ヒロシマ会議 1970年11 月29 日~ 12 月2日

「平和文化推進審議会」委員の発案が契機となり,「ヒロシマ会議」が開催された。広島市が市民の協力を得て開催した戦後初めての国際平和会議である。招待参加者は,海外からフィリップ・ノエルベーカー(英国,ノーベル平和賞受賞),ユージン・ラビノビッチ(米国,パグウォッシュ会議創始者の一人)ら6人,国内からは,湯川秀樹・朝永振一郎(いずれもノーベル物理学賞受賞者)ら13 人であった。

ヒロシマ宣言 1970年12月2日
原子爆弾がヒロシマ・ナガサキに投下されてから二十五年経た今日、われわれはこの広島に集まり、同時に組織された市民会議と相協力して「現代における平和への条件」を中心に真剣な討議を行なった。
われわれは、今なお被爆による肉体的苦痛と精神的不安に耐えつつ生きる多くの人々のいることを知り、被爆者の切実な声を聞き、推定二十万人を越える犠牲者の数々の遺品、被爆の物的資料、さらに本年七月広島市民の手で編集された当時の惨状を生々しく伝えるフィルムを見る機会を得た。核兵器は二度と使われてはならない。一日も早くこれを廃絶しなければならない。
にもかかわらず、現実の世界においては、ますます核兵器体系は巨大化と多様化の一途をたどっている。われわれは、われわれの努力が足りず、こうした事態を招いていることに対して深い自責の念を禁じ得ない。
核時代においてはいかなる国家にとっても、もはや防衛はありえない。核抑止とは核報復を前提とする戦略であり、核報復は自滅ないし共滅以外の何物でもない。その上、抑止戦略の根底には大量殺りくの威かくによって生存を図ろうとする恩恵が横たわっており、それは人類の安全をおびやかすだけでなく、人間の尊厳に対する許しがたい冒とくと言わなければならない。
したがって核兵器は即時禁止され、廃棄されなければならない。さらに各国は他の軍備をも廃棄し、軍事力を徹底的に解体する必要がある。このような措置が平和の強化のために持つ意義は大きい。
しかし、その場合でも、もし国際紛争が戦争に転化するならば、核兵器の再軍備が始り相手への不信と恐怖にかられて、ついには核戦争に突入する危険もある。
人類がこの核戦争の危険を防止し、現代における科学技術の進歩と人間の精神的荒廃というこの矛盾を克服し、人類の安全と人間の尊厳を確立するために、われわれのとるべき道はただ一つ、それは戦争を廃絶することである。
そのためには、われわれ自身の価値体系を変革し、従来の国家主権から人類主権へと向かう道を切りひらかなけれぱならない。それは単なる理想ではなく、人類の生存にとって不可欠の条件である。のみならず、政治、経済、文化の面で国際的相互依存関係が急速に増大している今日、その実現可能性も増大している。この人類主権の原理を現実化するために、われわれは次のような措置がぜひ必要であることに合意した。
第一に、国際機構の次元において、われわれは、核兵器の使用は国連憲章に直接違反すると宣言した第十六回国連総会決議に立脚して、国連がこれを実効性のあるものにするための具体杓措置をとり、核兵器の廃絶を早急に実現することを要請する。またこのような決定を有効に実行しうるためにも国連は中国の復帰によって普遍性を高める必要がある。それは国連を一層強化する道でもある。とりわけ、焦眉の課題であるインドシナと中東に平和をもたらすためにも、国連の強化は急がれなければならない。さらにまた、人類の成員は主権者として、だれしも全く平等であるにもかかわらず、現代の世界には南北間の重大な不平等があり、また、一国の内部にも不当な差別が存在している。こうした社会的不正義を平和的に除去するには、人類の協力を一段と強めなければならない。そのためにも現在開発途上にある貧しい人々に代って、人類共同の建設的努力を行なっている国連及びその他の国際機関に対しこれまでにも増して強力な努力を望むものである。
第二に、日本の対外政策に関して、会議への日本人参加者は、核武装と日本国憲法とが全く相いれないことを再確認し、日本政府が全人類に向けて非核武装を誓約する宣言を行なうことを強く要求する。また参加者の全員は、軍備競争の悪循環を断ち切るために、日本国憲法に規定された一方的非武装の方式が、きわめて有効であることを再確認し他の日々も日本の例にならうことを希望する。
第三に、全世界においてまた日本において以上のような変革を実現するためにも、一人々々の思考様式や価値体系を変革する必要がある。われわれは、そのような目的のために、全世界で平和研究が一段と活発に行なわれることが緊要であると考える。平和研究は単なる過去や現在の事実の分析だけでなく、戦争の廃絶された人類の将来を想像し計画し、これを積極的につくり出して行くために、軍備を必要としている現在の制度を乗り越えていくものでなければならない。さらにわれわれは、次の世代に戦争の悲惨と平和の意義とを正しく伝えるために、すべての国において平和教育が自由かつ学問的に行なわれる必要を強く訴えたい。特に世界の様々の宗教団体、青少年団体、文化団体にも積極的に平和教育にたずさわる責任が負わされていると考える。
被爆四半世紀後のヒロシマに集まったわれわれは、世界の同胞に向ってこう訴えたい。人間の能力の中で最も弱いのは想像力であり最も強いのは忘却力であるという。だがわれわれは決してヒロシマを忘れないし、戦争の廃絶された世界を構想する能力を失わない決意である。
一九七○年十二月二日  広島にて(本会議への参加者全員)
相原和光 秋月辰一郎 テイボール・バルタ ダニロ・ドルチ 江川義雄 原田東岷 橋本栄一 飯島宗一 今堀誠二 石田明 ロベルト・ユンク 川田侃 牧二郎 松元寛 森滝市郎 村上忠敬 フィリップ・ノエルベーカ 野村浩一 小黒薫 岡咲恕一 大田昌秀 ユージン・ラビノビッチ バーバラ・レイノルズ 坂本義和 佐久間澄 関寛治 庄野直美 荘司雅子 田畑茂一郎 高野雄一 谷川徹三 朝永振一郎 豊田利幸 山田節男 湯川秀樹

ヒロシマ会議・市民会議の報告

世界最初の原子爆弾が広島・長崎に投下され、二十五年を経過した。この間、被爆者の不安と社会的差別は解消されないばかりか、憲法第九条は空洞化され、日本の核武装の危険は増大し、国際情勢は大きな危機をはらむに至っている。われわれは、こうした現実を直視し、その歴史的、政治的根源を追求しなければならない。今日、被爆者は、みせかけの繁栄の中に埋没し、いまなお原爆症の不安におののいている。われわれは、被爆者の援護措置が国の戦争責任において、国家補償としてすみやかに確立されるよう、日本政府に強く要求する。

さらに進んで、われわれ広島・長崎市民はもとより、被爆者も自らの体験をのり越え、通常戦災者や公害被害者との連帯を強化するとともに、核基地沖縄の県民や外国人被爆者がおかれた生々しい苦悩にも切実なる思いを寄せ、一方では、日本の侵略戦争によって犠牲となった中国をはじめとする諸国民の実情をも見つめなおし、それらを自分自身の内なる問題として位置づけなければならない。

また、原爆のおそろしさが意識的に知らされなくなった今日のきびしい体制分析をふまえて、平和教育の重要性を深く認識し、学校教育や家庭教育を通じて教師と母親との一体化をはかり、真の被爆体験の継承をしんぽうづよく持続させなければならない。そのためにも、正確な資料の収集・調査・活用や平和問題の科学的研究を行なうための総合的な研究のセンターが設立され、被爆者を勇気づけ、市民や教師の諸活動を結びつけ、はげます方向が打ち出されることを望むものである。

われわれは、ここにいままでねぱり強く展開され、積みかさねてきた幾多の平和運動の成果を正しく評価するものである。同時にその欠陥をも忠実に摘出しながら自己の戦争責任を反省し、人間生命の尊厳を運動の基調として定着させなければならないと考える。

将来にわたって国民的課題である平和の諸問題を、根気よく、探究することを誓い、それを行動化することを確認する。

出典:ヒロシマ会議委員会『現代における平和への条件-1970ヒロシマ会議-』

 

参考資料:「原爆関係文献目録-ヒロシマ・ナガサキは世界に問い続ける」

BK701129

歴代広島市長(1945年以降)

歴代広島市長

氏名 就任年月日 退任年月日
18 粟屋仙吉(あわやせんきち) 昭和18(1943)年7月10日 20年8月6日
19 木原七郎(きはらしちろう) 昭和20(1945)年10月22日 22年3月22日
20 濱井信三(はまいしんぞう) 昭和22(1947)年4月17日 26年3月31日
21 濱井信三(はまいしんぞう) 昭和26(1951)年4月25日 30年4月8日
22 渡辺忠雄(わたなべただお) 昭和30(1955)年5月2日 34年5月1日
23 濱井信三(はまいしんぞう) 昭和34(1959)年5月2日 38年5月1日
24 濱井信三(はまいしんぞう) 昭和38(1963)年5月2日 42年5月1日
25 山田節男(やまだせつお) 昭和42(1967)年5月2日 46年5月1日
26 山田節男(やまだせつお) 昭和46(1971)年5月2日 50年1月8日
27 荒木武(あらきたけし) 昭和50(1975)年2月23日 54年2月22日
28 荒木武(あらきたけし) 昭和54(1979)年2月23日 58年2月22日
29 荒木武(あらきたけし) 昭和58(1983)年2月23日 62年2月22日
30 荒木武(あらきたけし) 昭和62(1987)年2月23日 63年2月22日
31 平岡敬(ひらおかたかし) 平成3(1991)年2月23日 7年2月22日
32 平岡敬(ひらおかたかし) 平成7(1995)年2月23日 11年2月22日
33 秋葉忠利(あきばただとし) 平成11(1999)年2月23日 15年2月22日
34 秋葉忠利(あきばただとし) 平成15(2003)年2月23日 19年2月22日
35 秋葉忠利(あきばただとし) 平成19(2007)年4月8日 23年4月7日 
36 松井 一實(まついかずみ) 平成23(2011)年4月10日   27年4月9日
37 松井一實(まついかずみ) 平成27(2015)年4月12日 31年4月11日
38 松井一實(まついかずみ) 平成31(2019)年4月12日
2019年=平成31年は4月30日まで。5月1日からは令和元年

出典:https://www.city.hiroshima.lg.jp/soshiki/7/17966.html

熊田重邦

熊田重邦

くまだ しげくに
192002生
20130129没
享年92歳

 

資料

『熊田教授退官記念事業会』(記念録、1983年3月)
『熊田重邦先生勲三等旭日中綬章受章記念祝賀会(式次第・出席者名簿)』(1994年6月24日)

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ヒロシマを”追体験”
貴重な未公開資料を収める  本年度中に刊行へ  原爆資料の”紙碑”をめざして
編集を進める広島県史編さん室
「被爆の実相を明らかにするとともに、広島県民の責務としてそれを後世に伝えるための”紙碑”をたてる」。広島県史編さん室(広島市宇品東、広島女子大内・熊田重邦室長)はこういった趣旨で、現在「広島県史・原爆資料編」の編集を進めている。あの日から26年。この間いろいろな機関、団体、個人により、さまざまな形で被爆体験の記録がまとめられている。広島県が独自に原爆に関する諸資料を集大成するのは初めて。いま編集中途ではあるが、再び同じ体験が繰り返されてはならないという願いを”紙碑”にきざみ込む作業が続けられている「原爆資料編」の編集意図や方針、それに沿って収録される資料のあらましなどをまとめた。
本文 「広島県史」全32巻の編集は43年度から10ヵ年の継続事業として始められた。3年間の資料調査・収集をおえ46年度からは本格的な編集作業にはいり、「原爆資料編」ほか1巻が本年度中に、出版第1号として刊行される。この資料編が最初に、発行されるのも、県史全体からみてその意義が大きく、重いからだろう。
今日・将来の問題
編集の意図は、被爆体験を単に過去の事実として記録にとどめるだけでなく、今日・将来にわたる問題としてとらえることにある。つまり「死者の復権を図ると同時に、今日もなお放射能障害によって生命の危機を内在させている被爆者、胎内被曝者、被爆二世など、将来に不安を残す生者の問題を鋭く社会に問いかけるものとして原爆関係資料を最大限に生かす」ことである。そして、核兵器が人類滅亡の危険性をはらんで巨大化している今日「ヒロシマを全世界に”追体験”させることにより、核兵器全廃の世論を起こすこと」を大きなテーマにしている。これらの意図を踏まえ、被爆体験を郷土の歴史-ひいては人類の歴史-の中に正しく位置づけながら、広島の”個別体験”を”人間一般の体験”にまで高める努力をし、原爆が人間に与えた悲惨さを明らかにすることによって”人間の尊厳”を考えさせるようすがとする-といった理念をこの資料編に盛り込んでいる。また「原爆資料編」の編集方針については、国内はもとより国際的にもその集成が求められていることから、被爆の実態を明らかにするため、主として未公開資料を中心に、生の資料を骨子にしている。収集された資料は相当な点数になるようだが、その中で被爆直後の実態、救護活動のもようを通して「被爆の実相」を明らかにするため、戦災の記録、調査活動の詳細な資料が特に重視される。それらを通して「被爆者の苦悩や被爆前後の状況を歴史的、科学的に正しく理解することにより、未来への展望を妨げるような”偏見”をなくする。「被爆後の物質的、精神的復興に果たした行政や団体、個人の役割の長短を見きわめて将来の指針とする」ことにしている。
軍関係の記録も
収録される資料群は、主として軍関係の調査記録と官公庁や町村の記録文書の2つに大別される。そのおもなものをあげると軍関係では8月8日、本格的な調査団として広島入りした「大本営調査団」の調査資料がある。この調査団は参謀本部の有末中将らの一行で、目的は使用爆弾が何かを究明することだった。そして同行した理化学研究所の仁科芳雄博士が「原子爆弾」であることをつきとめ、報告している。「陸軍省広島災害調査班」の資料は、陸軍軍医学校、臨時東京第一陸軍病院から大本営調査団と同時に広島へ派遣された軍医による医学的調査を内容としたものである。この2つの資料は、最悪の状態の中で軍当局がどのような調査を行い、非常事態に対処したかがうかがえる記録で、当時はいずれも”極秘”の資料であった。のちに一部は断片的に発表されたり、資料として引用されているが、系統だって総合的に資料化されるのは初めて-という。またこのほかに呉鎮守府関係の諸調査資料が多数含まれている。
混乱の状況克明に
次に県や市町村関係の資料では、まず広島県の「戦災記録」がある。これはすでに新修広島市史や続広島原爆医療史にも収録されてはいるものの、当時広島県行政の動きを知る上で貴重な資料であり、被爆直後の処置、救護活動、調査などの公式記録として取り上げられる。町村役場関係の文書では佐伯郡廿日市町宮内・地御前、安佐郡佐東町八木・川内、安芸郡坂町など主として広島市周辺の町役場にあった被災者調査資料がある。坂や八木、宮内などの諸資料は、県史の資料所在調査中に発見されたものが多数あり、資料としても価値の高いものである。特に「宮内村日誌」などは被爆直後の混乱した状況を克明に記載しており、救護活動の実態がかなり具体的に知られる。また、広島市草津本町で発見された国民義勇隊の記録も救護所の動きや義勇隊の救護状況を知る資料として貴重なものとされている。このように「原爆資料編」の編集は、これまで埋もれていた多くの資料をも発掘してきた。「町村役場の資料がいかに無視されてきたかがわかる」と関係者がいうように”埋蔵資料”をもう一度総点検する必要があり、そういった資料を被爆実態の究明に役立てるよう県全体として取り組むべきだ-という指摘もある。
人間の尊重ふまえて
このほか広島地方気象台の8月6日付け「気象日誌」や「津田町日記」など公的な日記、日誌類や調査団の記録としては、東大をはじめ当時広島へ調査団を出した各大学関係の公・私的な資料も収録の予定である。「原爆資料編」の全般について熊田重邦室長は「8月6日の時点で、広島市や周辺町村ではどうなっていたか、生の記録をもとにして”被爆の実相”を明らかにすることであり、人間の尊厳-人間の尊重という理念をふまえて、あくまでも科学的に資料をとらえること。広島市民としてはもちろんだが、もっと広島県民という広い観点で資料を集成していきたい」と話している。いずれにしても、1,000ページ余りの資料編では、収録される資料に限界のあることはやむをえない。だが、集成される資料の1つ1つに重い意味があり、さらに資料の紙背にある”文字なき記録”は多くの被爆の実態について語りかけてくれるだろう。

あ

被爆体験の風化をくいとめるために、被爆の実相を明らかにする資料集成が進められている(広島県史編さん室で)

『中国新聞』1971年8月2日

****************

熊田重邦(広島県立文書館長)「地方公文書館の業務―広島県立文書館の場合」(出典:『北の丸―国立公文書報第24号』1992年3月)

熊田重邦(広島県立文書館長)「情報化社会における文書館の課題―広島県立文書における公文書管理を中心として」(出典:『北の丸―国立公文書報第24号』1992年3月)

 

田原伯

田原 伯 たはら

つかさ

原爆文献研究家。終戦時に朝鮮半島から引き揚げる際、傷ついた被爆者や広島の廃虚を目撃したのが活動の原点に。1968年、今堀誠二広島大教授(当時)らと原爆被災資料広島研究会を結成し、原爆文学や被爆体験記、占領期文献などを網羅した「原爆被災資料総目録」第1~4集を発行。(『中国新聞』)
  生

 

20170510没

84歳

資料

1985 04  01 宇吹暁「蔵書あれこれ」『河図洛書―渓水社10周年記念』(渓水社、1985年4月1日)pp.140-143
原爆問題についての私の師の一人であるT(田原)氏との出会いは、広島市内のあるガレージであった。そこには、T氏の管理する原爆関係の本が持ち込まれていた。私は学生時代から平和、原爆問題に関心を持っていた。広島県の歴史の中でも重要なテーマと思い、その関連の本について、卒業後も気をつけていた。しかし、T氏の本の大半は、初めて目にするものであった。その後、T氏は、しばしば「蔵書を前の議論」の機会をつくってくれた。それは、私が、学生時代以来、久しく忘れていたものであった。私の原爆文献漁りが、T氏との出会いを契機に始まった。
2017 05 12 「田原伯氏死去 原爆文献を調査」『中国新聞』2017.5.12
2017 05 18 「悼記 綿密調査 非条理を告発 原爆文献研究家 田原伯さん 10日、84歳で死去」

「9年前に脳出血で倒れ、リハビリを続けたが、第5集の発行という執念は果たせなかった。「お疲れさま」と声を掛けたくなる。ただ、あの圧倒的な仕事ぶりに一度でも触れると、「後は任せて」とたやすく口にできない自分がもどかしい。原爆犠牲者の無念をしっかり継承できているのかどうか。核兵器が廃絶できない人類全体に対し、幻さんが残した宿題は重い。」(編集局長・江種則貴)『中国新聞』2017.5.18

広島平和記念資料館

広島平和記念資料館(通称:原爆資料館)

1955年8月24日開館

前史 平和都市建設と原爆資料==広島市勢要覧にみる「観光都市広島」
原爆参考資料陳列室(原爆記念館)
原爆資料保存会
年表 1951~69年、1970~77年、1978~79年、1980~81年、1982~831984~87年、 1988~90年、1991~93年、1994~95年、1996~97年、1998
関連文献
入館者数の変遷

*1998年4月、広島平和文化センターに委託。

*被爆資料約1万2000点。165項目の分類。

*1999年、図録を作成。

原爆開発・使用関係資料(1945年1月3日~6月10日)

原爆開発・使用関係資料(1945年1月3日~6月10日)

450103 Henry Stimson’s diary and papers http://www.he.net/~douglong/stimson.htm
450109 グローヴズ将軍にあてた覚書(J・S・デリー陸軍大尉)

 

 

「資料マンハッタン計画」(930922)
450115 フランス人に関する諸問題(覚書)

(H・H・バンディ陸軍長官特別補佐官)

「資料マンハッタン計画」(930922)
450120 グローヴズ少将が行う予定の勧告内容-重要機密を保全するうえで最も実行しやすい問題処理方法に関するグローヴズ自身の見解 「資料マンハッタン計画」(930922)
450127 C・W・ニミッツ米国太平洋艦隊・太平洋地域司令長官にあてた書簡(E・J・キング海軍作戦部長) 「資料マンハッタン計画」(930922)
450127 [キング元帥からニミッツ元帥への書簡](E.J.King(Fleet Admiral,U.S.Navy)) 「長崎原爆戦災誌第5巻」(830331)
450130 ハーヴィ・バンディ陸軍長官特別補佐官にあてた書簡(ブッシュ科学研究開発局長官) 「資料マンハッタン計画」(930922)
450201 バンディにあてた書簡(ブッシュ) 「資料マンハッタン計画」(930922)
450201 グローヴズ少將あて電文(第23969号)(H・K・カルヴァート陸軍少佐) 「資料マンハッタン計画」(930922)
450206 H・H・バンディ陸軍長官特別補佐官にあてた覚書(グローヴズ) 「資料マンハッタン計画」(930922)
450210 広島工業専門学校職員録
450213 J・B・コナント国防研究委員会委員長にあてた覚書(ブッシュ) 「資料マンハッタン計画」(930922)
450213 コナント国防研究委員会委員長にあてた書簡(ブッシュ) 「資料マンハッタン計画」(930922)
450213 Henry Stimson’s diary and papers http://www.he.net/~douglong/stimson.htm
450215 コナント博士にあてた覚書(ブッシュ) 「資料マンハッタン計画」(930922)
450215 Henry Stimson’s diary and papers http://www.he.net/~douglong/stimson.htm
450215 スタイアー陸軍戦務部隊参謀長にあてた書簡(パタソン陸軍次官) 「資料マンハッタン計画」(930922)
450223 陸軍長官にあてた書簡(アルバート・J・エンゲル下院議員) 「資料マンハッタン計画」(930922)
450225 陸軍長官にあてた書簡(パタソン陸軍次官) 「資料マンハッタン計画」(930922)
450226 Stimson’s Diary Entry 「The Manhattan Project」(91)
450303 Byrnes’s Memo to Roosevelt 「The Manhattan Project」(91)
450303 スチムソン陸軍長官にあてた覚書(バンディ) 「資料マンハッタン計画」(930922)
450303 大統領にあてた覚書(ジェイムズ・F・バーンズ戦時動員局長官) 「資料マンハッタン計画」(930922)
450305 Henry Stimson’s diary and papers http://www.he.net/~douglong/stimson.htm
450306 陸軍長官にあてた覚書(L・R・グローヴズ陸軍少将) 「資料マンハッタン計画」(930922)
450308 Henry Stimson’s diary and papers http://www.he.net/~douglong/stimson.htm
450310 L・R・グローヴズ陸軍少將にあてた覚書(J・A・デリー陸軍少佐) 「資料マンハッタン計画」(930922)
450314 ハリソン陸軍長官特別顧問にあてた覚書(バンディ) 「資料マンハッタン計画」(930922)
450315 Henry Stimson’s diary and papers http://www.he.net/~douglong/stimson.htm
450315 Stimson Diary Entry 「The Manhattan Project」(91)
450324 1944年7月3日付のニールズ・ボーア覚書補遺 「資料マンハッタン計画」(930922)
450326 MEMORANDUM TO THE CHIEF OF STAFF[グローヴス少将から参謀総長への覚書](L.R.Groves(Major General,U.S.A.)) 「長崎原爆戦災誌第5巻」(830331)
450326 マーシャル陸軍参謀総長にあてた覚書(グローヴス) 「資料マンハッタン計画」(930922)
4504?? ロシア側動静の大要 「資料マンハッタン計画」(930922)
450402 Henry Stimson’s diary and papers http://www.he.net/~douglong/stimson.htm
450403 スチムソン陸軍長官にあてた覚書(グローヴズ) 「資料マンハッタン計画」(930922)
450403 Henry Stimson’s diary and papers http://www.he.net/~douglong/stimson.htm
450406 Henry Stimson’s diary and papers http://www.he.net/~douglong/stimson.htm
450406 D・M・デニソン博士にあてた書簡(パーソンズ) 「資料マンハッタン計画」(930922)
450407 ファイル用覚書(グローヴズ) 「資料マンハッタン計画」(930922)
450412 Stimson mentions the Bomb to Truman Memoirs by Harry S. Truman
450412 HARRY TRUMAN’S DIARY AND PAPERS 1945.4.12-48.3.3 http://www.he.net/~douglong/index.html
450418 Frankfurter’s Private Memo 「The Manhattan Project」(91)
450420 グローヴズ将軍にあてた覚書(J・A・デリー陸軍少佐) 「資料マンハッタン計画」(930922)
450423 デニソン博士にあてた覚書(パーソンズ) 「資料マンハッタン計画」(930922)
450423 Henry Stimson’s diary and papers http://www.he.net/~douglong/stimson.htm
450424 Stimson Informs Truman about the Bomb :Memorandum http://www.nuclearfiles.org/docs/bombong-hiroshima.html
450424 Henry Stimson’s diary and papers http://www.he.net/~douglong/stimson.htm
450425 トルーマン大統領とスチムソン陸軍長官との会談についての覚書(グローヴズ) 「資料マンハッタン計画」(930922)
450425 Memo Discussed with Truman 「The Manhattan Project」(91)
450425 トルーマン大統領との会談に関するスチムソン陸軍長官の覚書(スチムソン陸軍長官) 「WHY JAPAN?-原爆投下のシナリオ」(850925)
450425 スティムソンがトルーマンに提出したメモ(スティムソン) 「葬られた原爆展-スミソニアンの抵抗と挫折」(950918)
450425 トルーマン大統領との協議に付された覚書(スチムソン陸軍長官) 「資料マンハッタン計画」(930922)
450425 Henry Stimson’s diary and papers http://www.he.net/~douglong/stimson.htm
450425 Stimson Diary Entry 「The Manhattan Project」(91)
450425 Report prepared by Eben Ayers, White House Assistant http://www.nuclearfiles.org/docs/bombong-hiroshima.html
450427 NOTES ON INITIAL MEETING OF TARGET COMMITTEE

[目標委員会第1回会議議事録]

「長崎原爆戦災誌第5巻」(830331)
450427 目標検討委員会初回会議覚書 「資料マンハッタン計画」(930922)
450428 統合目標検討グループ長にあてた覚書(L・ノースタッド第20航空軍参謀長) 「資料マンハッタン計画」(930922)
4505 スチムソン陸軍長官あて匿名友人からの対日和平構想の覚書 「WHY JAPAN?-原爆投下のシナリオ」(850925)
4505?? ドイツの状況(要約) 「資料マンハッタン計画」(930922)
450501 陸軍長官にあてた覚書(ハリソン) 「資料マンハッタン計画」(930922)
450501 グローヴズ少將にあてた覚書(C・ビッセル一般参謀部第二部担当参謀次長) 「資料マンハッタン計画」(930922)
450501 Henry Stimson’s diary and papers http://www.he.net/~douglong/stimson.htm
450502 Henry Stimson’s diary and papers http://www.he.net/~douglong/stimson.htm
450503 Henry Stimson’s diary and papers http://www.he.net/~douglong/stimson.htm
450504 コナント国防研究委員会委員長にあてた覚書(スチムソン陸軍長官) 「資料マンハッタン計画」(930922)
450504 Henry Stimson’s diary and papers http://www.he.net/~douglong/stimson.htm
450505 陸軍長官にあてた覚書(コナント) 「資料マンハッタン計画」(930922)
450505 第20航空軍参謀長にあてた覚書(J・A・サムフォード統合目標検討グループ長) 「資料マンハッタン計画」(930922)
450505 グローヴズ将軍にあてた覚書(J・ランズデール陸軍大佐) 「資料マンハッタン計画」(930922)
450508 Henry Stimson’s diary and papers http://www.he.net/~douglong/stimson.htm
450509 Henry Stimson’s diary and papers http://www.he.net/~douglong/stimson.htm
450509 作業の手順に関するデニソンの予備報告 「資料マンハッタン計画」(930922)
450509 Interim Committee Log, 9 May 1945 through 1 July 1945 http://www.nuclearfiles.org/docs/bombong-hiroshima.html
450509 暫定委員会非公式会議覚書 「資料マンハッタン計画」(930922)
450510 Henry Stimson’s diary and papers http://www.he.net/~douglong/stimson.htm
450510 J・R・オッペンハイマー・ロスアラモス科学研究所長にあてた書簡(K・T・コンプトン科学研究開発局現地業務部長) 「資料マンハッタン計画」(930922)
450511 原爆の放射能についてのオッペンハイマー博士からファレル将軍あて覚書(オッペンハイマー) 「WHY JAPAN?-原爆投下のシナリオ」(850925)
450511 T・F・ファーレル准將にあてた覚書(J・R・オッペンハイマー) 「資料マンハッタン計画」(930922)
450512 Target Committee, Los Alamos, May 10-11 http://www.dannen.com/decision/index.html
450512 目標委員会会議(5月10、11日)の要約 「WHY JAPAN?-原爆投下のシナリオ」(850925)
450512 目標検討委員会第2回会議の要約-L・R・グローヴズ少將にあてた覚書 「資料マンハッタン計画」(930922)
450512 Memorandum For: Major General L.R.Groves

[目標委員会第2回会議議事録]

「長崎原爆戦災誌第5巻」(830331)
450512 Derry and Ramsey’s Memo to Groves 「The Manhattan Project」(91)
450512 Stimson Diary Entry 「The Manhattan Project」(91)
450513 Henry Stimson’s diary and papers http://www.he.net/~douglong/stimson.htm
450514 暫定委員会非公式会議覚書 「資料マンハッタン計画」(930922)
450514 グローヴズ陸軍少將にあてた覚書(J・R・オッペンハイマー) 「資料マンハッタン計画」(930922)
450514 Henry Stimson’s diary and papers http://www.he.net/~douglong/stimson.htm
450515 Notes of an Informal Meeting of the Interim Committee,

Monday, 14 May 1945

http://www.nuclearfiles.org/docs/bombong-hiroshima.html
450515 Henry Stimson’s diary and papers http://www.he.net/~douglong/stimson.htm
450516 Henry Stimson’s diary and papers http://www.he.net/~douglong/stimson.htm
450517 Notes of an Informal Meeting of the Interim Committee,

Wednesday, 9 May 1945

http://www.nuclearfiles.org/docs/bombong-hiroshima.html
450518 Notes of the Interim Committee Meeting

Friday, 18 May 1945

http://www.nuclearfiles.org/docs/bombong-hiroshima.html
450518 暫定委員会非公式会議覚書 「資料マンハッタン計画」(930922)
450518- Henry Stimson’s diary and papers http://www.he.net/~douglong/stimson.htm
450521 グローヴズ将軍とデュポン社G・M・リードとの電話会談

-ソ連、英国およびフランスが米国に追いつく予想時期について

「資料マンハッタン計画」(930922)
450521 アルゾス諮問委員会委員にあてた覚書(W・M・アダムズ一般参謀部外国班長) 「資料マンハッタン計画」(930922)
450528 目標検討委員会第3回会議議事録 「資料マンハッタン計画」(930922)
450528 MINUTES OF THIRD TARGET COMMITTEE MEETING

[目標委員会第3回会議議事録]

「長崎原爆戦災誌第5巻」(830331)
450528 Henry Stimson’s diary and papers http://www.he.net/~douglong/stimson.htm
450529 第21爆撃部隊司令官にあてた覚書(ノースタッド第20航空軍参謀長) 「資料マンハッタン計画」(930922)
450529 Henry Stimson’s diary and papers http://www.he.net/~douglong/stimson.htm
450530 陸軍長官にあてた覚書(ハリソン) 「資料マンハッタン計画」(930922)
450530 ノースタッド将軍にあてた覚書(グローヴズ) 「資料マンハッタン計画」(930922)
450530 Henry Stimson’s diary and papers http://www.he.net/~douglong/stimson.htm
450531 Ameson’s Notes of Interim Committee Meeting 「The Manhattan Project」(91)
450531 Henry Stimson’s diary and papers http://www.he.net/~douglong/stimson.htm
450531 暫定委員会会議覚書 「資料マンハッタン計画」(930922)
450531 Stimson Diary Entry 「The Manhattan Project」(91)
450531 暫定委員会会議(5月31日)ノート 「WHY JAPAN?-原爆投下のシナリオ」(850925)
450531 Notes of the Interim Committee Meeting,

Thursday, 31 May 1945

http://www.nuclearfiles.org/docs/bombong-hiroshima.html
4506?? ホワイトハウス-1945-原子(バーンズ) 「資料マンハッタン計画」(930922)
450601 Armeson’s Notes of Interim Committee Meeting 「The Manhattan Project」(91)
450601 暫定委員会会議覚書 「資料マンハッタン計画」(930922)
450601 Henry Stimson’s diary and papers http://www.he.net/~douglong/stimson.htm
450601 Notes of the Interim Committee Meeting http://www.nuclearfiles.org/docs/bombong-hiroshima.html
450604 スチムソン陸軍長官あて覚書に対する統合参謀本部戦略政策グループの論評(統合参謀本部戦略政策グループ) 「WHY JAPAN?-原爆投下のシナリオ」(850925)
450606 Stimson’s Memo of Talk with Truman 「The Manhattan Project」(91)
450606 Henry Stimson’s diary and papers http://www.he.net/~douglong/stimson.htm
450607 スチムソン合同政策委員会委員長にあてた書簡(グローヴズ合同開発トラスト委員長) 「資料マンハッタン計画」(930922)
450607 From “Interim Committee Log” 「The Manhattan Project」(91)
450611 The Frank Report 「The Manhattan Project」(91)
450611 The Franck Report, June 11, 1945 http://www.nuclearfiles.org/docs/bombong-hiroshima.html
450611 The Franck Report, June 11, 1945 http://www.dannen.com/decision/franck.html
450611 政治的および社会的諸問題(フランク報告) 「資料マンハッタン計画」(930922)
450612 From “Interim Committee Log” 「The Manhattan Project」(91)
450612 陸軍長官にあてた書簡(アーサー・H・コンプトン冶金計画責任者) 「資料マンハッタン計画」(930922)
450612 Compton’s Memo to Stimson 「The Manhattan Project」(91)
450612 Minutes of Meeting of “Committee of Three” 「The Manhattan Project」(91)
450614- Joint Chief of Staff knowledge of the Atom bomb and Chronology

June 14 – July 24, 1945:

http://www.nuclearfiles.org/docs/bombong-hiroshima.html
450615 陸軍長官にあてた覚書(L・R・グローヴズ・マンハッタン工兵管区司令官) 「資料マンハッタン計画」(930922)
450616 核兵器の即時使用に関する勧告(科学顧問団) 「資料マンハッタン計画」(930922)
450616 Recommendations on the Immediate Use of Nuclear Weapons http://www.dannen.com/decision/index.html
450616 Recommendations of Scientific Panel 「The Manhattan Project」(91)
450618 Minutes of Meeting Held at the White House http://www.nuclearfiles.org/docs/bombong-hiroshima.html
450618 Minutes of Meeting Held at the White House http://www.whistlestop.org/study_collections/bomb/large/
450618 トルーマン大統領と軍首脳との対日戦略会議 「資料マンハッタン計画」(930922)
450618 Stimson Diary Entries 「The Manhattan Project」(91)
450618 Minutes of President’s Meeting 「The Manhattan Project」(91)
450619 グローヴズ陸軍少將にあてた書簡(アーサー・H・コンプトン) 「資料マンハッタン計画」(930922)
450621 暫定委員会会議覚書 「資料マンハッタン計画」(930922)
450621 Notes of the Interim Committee Meeting http://www.nuclearfiles.org/docs/bombong-hiroshima.html
450622 グローヴズ陸軍少將にあてた書簡(ジェイムズ・コナント国防研究委員会委員長) 「資料マンハッタン計画」(930922)
450625 Arneson’s Memo to Harrison 「The Manhattan Project」(91)
450625 スチムソン陸軍長官にあてた覚書(グローヴズ) 「資料マンハッタン計画」(930922)
450626 Harrison’s Memo to Stimson 「The Manhattan Project」(91)
450626 Stimson Diary Entries 「The Manhattan Project」(91)
450627 Memorandum by the Undersecretary of the Navy Ralph A. Bard http://www.nuclearfiles.org/docs/bombong-hiroshima.html
450627 RALPH BARD:AN ALTERNATIVE TO A-BOMBING JAPAN http://www.he.net/~douglong/bard.htm
450627 Bard’s Memo on Use of S-1 Bomb 「The Manhattan Project」(91)
450627 Bard Memorandum, June 27, 1945 http://www.dannen.com/decision/bardmemo.html
450628 アーサー・コンプトン博士にあてた書簡(グローヴズ) 「資料マンハッタン計画」(930922)
450628 陸軍長官にあてた覚書-S1爆弾使用に関するR・A・バード海軍次官覚書を送付 「資料マンハッタン計画」(930922)
450629 Opinion Poll on Treatment of the Japanese Emperor http://www.nuclearfiles.org/docs/bombong-hiroshima.html
450630 マーシャル陸軍参謀総長にあてた覚書(グローヴズ) 「資料マンハッタン計画」(930922)
450630 統合参謀本部によって採択された措置 「資料マンハッタン計画」(930922)
450630 米穀配給台帳による広島市の原爆被爆前人口
450630 Recommended Action by the Joint Chief of Staff

[総合参謀本部による勧告]

「長崎原爆戦災誌第5巻」(830331)
450630 MOMORANDUM TO THE CHIEF OF STAFF

[グローヴス少将から参謀総長への覚書]

 

原子爆弾被爆者特別措置に関する陳情書<抄>(1969年~97年)

原子爆弾被爆者特別措置に関する陳情書

陳情項目の変遷 1969年~1997

原子爆弾被爆者特別措置に関する陳情書(1969101日)

 昭和42年9月1日付で原子爆弾被爆者特別措置法の制定について陳情いたしましたところ、昨年9月には、特別措置に関する法律が新たに制定施行され、また施設等の予算も計上されて被爆者の福祉が図られました。

 これはひとえに各位の御尽力のたまものと深く謝意を表するものであります。

 しかしながら、法律による措置についても実施上なお多くの問題があると同時に未解決の問題が相当残されておりますので、さきの衆参両院における付帯決議の趣旨もあり、この際早急に次の事項が実現されますよう重ねてお願いするものであります。

 一 被爆者健康管理及び医療制度の充実強化

 一 被爆者健康管理・保養・保護施設の充実

 一 被爆者援護措置の拡充

 一 障害補償その他被爆にともなう補償制度の確立

 一 放射能医学研究機関の拡充

 一 原子爆弾被爆者対策審議会の設置等

昭和44年 原子爆弾被爆者特別措置陳情概要

第1 被爆者健康管理及び医療制度の充実強化

 1 健康診断の内容充実

 2 被爆2・3世に対する被爆影響の調査研究の促進

 3 認定疾病の範囲拡大

 4 特別被爆者の範囲拡大

 5 被爆者温泉療養費の補助

 6 健康診断受診奨励金の支給

 7 認定患者入・通院手当の支給

第2 被爆者健康管理・保養・保護施設の充実

 1 被爆者保養センターの設置

  (説明)原爆被爆者は、放射能を浴びたことによって常に生命の不安と焦燥に脅えながら生活を続けてきました。

     このようは被爆者に心のよりどころを与えるとともに、心身の保養を図る必要があります。

     特に被爆者のうちには、老齢者、低所得者あるいは病弱者が多く、遠隔地の温泉等へでかけることは不可能であり、また、既存の民間保養所の利用については多額の経費を要し、利用することが困難であります。

     したがって、近接地域に一日の保養を楽しむことのできる慰安・娯楽設備の完備した総合的な保養センターを設置すべきであります。

 2 被爆者更生授産所の設置

 3 被爆者健康管理、医療施設整備特別補助制度の創設

第3 被爆者援護措置の拡充

 1 生活困窮被爆者に援護費の支給

  (説明)原爆特別措置法は、原爆放射能の影響による特定の疾病に罹病している一部の者を援護の対象としていますが、援護の対象から除かれている者のうちにも、被爆の影響によって健康を阻害され、正常な生活を営むことのできない者が多数存在しています。

     これら被爆障害者の生活の安定を図るため、疾病制限の緩和・年齢制限の撤廃・所得制限の緩和等による支給対象の拡大ならびに支給金額の増額等援護措置の充実を図るべきであります。

 2 被爆者奉仕員及び生活相談員制度の実施

 3 被爆者就職支度金および雇用奨励金の支給

第4 障害補償その他被爆にともなう補償制度の確立

第5 放射能医学研究機関の拡充

  (説明)原爆放射能の人体に与える影響については、未解明な分野が多く、その学問的な解明のおくれていることが、被爆者対策の進展を阻害する要因となっています。ついては、被爆者の健康管理・医学の根本的対策を確立するため、広島大学原爆放射能医学研究所の研究部門の増設ならびに、長崎大学原爆後障害研究施設の研究所昇格と施設の拡充及び資料センターの新設を早急に実現し、その機能の充実強化を図るべきであります。

第6 その他

 1 原子爆弾被爆者対策審議会の設置

  (説明)被爆者対策全般に関する重要事項を調査審議するための機関として、原子爆弾被爆者対策審議会を設置すべきであります。

 2 被爆者対策の事業運営に要する経費の全額国庫負担

 3 動員学徒等準軍属に対する処遇の改善

 4 旧防空法等による防空業務従事犠牲者の援護措置の確立

  (説明)防空業務従事者は、旧防空法によって防空業務に従事することを義務づけられていたものであり、このことは動員学徒等の旧国家総動員業務に服した者と少しも変るところがありません。したがって、防空業務従事者およびその遺族についての援護措置を確立すべきであります。

 5 原爆被爆者の実態調査の実施

  (説明)原爆被爆者の被爆後現在までの生活及び健康の状況等被爆の影響の実態を広汎に調査し、被爆者に対する根本的な対策を講ぜられるべきであります。

     なお、これらの調査を地方公共団体が実施した場合、国はその費用の全額を負担し調査を促進すべきであります。

 6 国民健康保険財政における原爆被爆者に係る医療費の影響に対する国庫補助(特別調整交付金)の10割交付

 7 原爆被爆者養護ホーム運営費の全額国庫負担

  (説明)昭和44年度において、国の建設補助金の交付をうけて広島・長崎両県市に原爆被爆者養護ホームが建設されていますが、この施設は全国に散在する恵まれない原爆孤老等を収容保護するための全国的な施設であり、また、被爆者という特異性から本来国の責任において設置運営すべきものであります。したがって、この施設運営費は、全額国庫で負担すべきであります。

原子爆弾被爆者特別措置に関する陳情書(19707月)

 原子爆弾被爆者に対しては、昭和32年に「原子爆弾被爆者の医療等に関する法律」が制定され被爆者の健康管理並びに医療についての援護が行なわれ、さらに昭和43年からは「原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律」により被爆者の生活面の援護が実施されたほか、施設等の予算も充実強化され、被爆者の福祉の向上が図られてきました。

 これはひとえに各位の御尽力のたまものと深く謝意を表するものであります。

 本年は被爆25周年にあたりますが、さきの衆参両院における付帯決議にもみられるとおり被爆者対策については、なお多くの解決しなければならない問題が残されておりますので、この際早急に次の事項が実現されますよう重ねてお願いするものであります。

 なお、最近の被爆者の状況にかんがみ被爆者対策の根本的改善を促進するため「原子爆弾被爆者対策審議会」(仮称)を設置せられるよう特に切望するものであります。

 一 原子爆弾被爆者対策審議会の設置

 一 被爆者健康管理及び医療制度の充実強化

 一 被爆者保養・保護施設の充実

 一 被爆者援護措置の拡充

 一 障害補償その他被爆にともなう補償制度の確立

 一 放射能医学研究機関の拡充

 一 原爆被爆者の実態調査等

昭和45年 原子爆弾被爆者特別措置陳情概要

第1 原子爆弾被爆者対策審議会の設置

  (説明)原子爆弾被爆者対策全般に関する重要事項を調査審議するための機関として、原子爆弾被爆者対策審議会を設置すべきであります。

第2 被爆者健康管理及び医療制度の充実強化

 1 健康診断の内容充実

     被爆者は、被爆の影響による悪性新生物、その他の成人病の発生率が高い。また被爆者は逐年老令化しているので検診内容、検診方法を改善すべきであります。

 2 被爆2・3世に対する被爆影響の調査研究の促進

     被爆者の二世・三世に対する被爆の影響が、学問的に究明されていないので、早急に調査研究すべきであります。

 3 認定疾病の範囲拡大

     現在認定疾病とされるものは、ごく一部の疾病に限定されているので認定疾病制度の趣旨を十分に活用し適用範囲の拡大を図るべきであります。

 4 特別被爆者の範囲拡大

     現在、特別被爆者以外の一般被爆者においても認定疾病の発生等放射能の影響を多大に受けた被爆者の存在することが認められるので、現在の特別被爆者の距離制限の緩和等合理的にその範囲の拡大を図るべきであります。

 5 原爆被爆区域の是正

     被爆指定区域に指定格差を生じているので是正すべきであります。

 6 被爆者温泉療養費の補助

     温泉療養は、被爆者の健康管理上、好結果をもたらしている実績から、医師が入湯の療養効果を期待し管理入湯を行なう被爆者に対して、温泉療養費を補助すべきであります。

 7 健康診断受診奨励金の支給

     健康診断の受診促進と健康管理の徹底を図るため、一般検査、精密検査、収容検査を受診した者に対して奨励金を支給すべきであります。

 8 認定患者入・通院手当の支給

     認定被爆者の治療促進を図るため、治療のために入院、通院(退院を含む)した場合本人および介護人にその交通費を支給すべきであります。

第3 被爆者保養・保護施設の充実

 1 原爆被爆者施設の法制化ならびに運営費の全額国庫負担

     原爆被爆者施設は被爆の特異性からして本来国の責任において設置運営すべきものであり、且つ、その施設設置の基盤を確固たるものとするため、これを法制化し、施設の運営費は全額国庫で負担すべきであります。

 2 被爆者特別養護ホームの増設

     昭和44年度国庫の補助を得て建設した特別養護ホームは、既に、定員を上回っており且つ老令化に伴なう被収容者の増加が見込まれるので増設すべきであります。

 3 被爆者保養センターの設置

     被爆者は、心身の保養を図る必要がありますが、被爆者の中には、老令者、低所得者あるいは病弱者が多く、遠隔地の温泉等へでかけることが不可能であり、また、既存の民間保養所の利用については多額の経費を要し、利用することが困難であるので、近接地域に慰安・娯楽設備の完備した総合的な保養センターを設置すべきであります。

 4 被爆者更生授産所の設置

     被爆者のうちには労働能力の低下により一般の職業につくことができない者があるので、これらの者の生活の保障と自立更生を図るため原爆被爆者更生授産所を設置すべきであります。

 5 被爆者健康管理、医療施設整備特別補助制度の創設

     被爆者の健康管理の徹底を期するため被爆者専用の公的医療機関の新設・増改築等に対しては特別高率補助制度を創設して、被爆者の健康管理、医療機関の整備促進を図るべきであります。

第4 被爆者援護措置の拡充

 1 原爆特別措置法による諸手当の支給範囲の拡大及び支給金額の増額

     現行の原爆特別措置法は、原爆放射能の影響による特定の疾病に罹病している一部の者を援護の対象としているが、援護の対象から除かれている者のうちにも、被爆の影響によって健康を阻害され、正常な生活を営むことのできない者が多数存在する等、被爆者の実情にそぐわない面があるので、早急に次の事項を改善すべきであります。

 (1) 諸手当の所得制限の撤廃と支給金額の増額

 (2) 特別手当の支給条件の改善

 (3) 健康管理手当の年令制限の撤廃と疾病制限の緩和

 (4) 認定医療の給付日数による医療手当の支給条件を改め毎月定額の支給

 (5) 介護手当の介護事実に対する定額支給

 2 被爆者奉仕員及び生活相談員制度の実施

     被爆者が居宅で安らかな療養生活を送ることができるようにするため、且つ生活上の各種相談に応ずるため、被爆者奉仕員及び生活相談員を設置すべきであります。

 3 被爆者就職支度金および雇用奨励金の支給

     被爆者の就職を促進して、経済的な自立を図るため疾病・障害等の健康上の理由によって失職し、または就職することができなかった者が、常用労働者として就職する場合に、被爆者就職支度金を支給すべきであります。

      また、被爆者の雇用を促進するため、就職支度金受給者を常用労働者として雇用する事業主に対して、雇用奨励金を支給すべきであります。

 4 被爆障害者手当の支給

     原爆特別措置法による援護の対象から除かれている者のうちには、被爆の影響による身体上の障害、または健康を阻害され正常な日常生活を営むことができない被爆者が多数存在しています。これら原爆被爆障害者に対し障害者手当を支給すべきであります。

 5 被爆障害者の国鉄運賃割引制度の実施

     被爆者のうち、身体障害(外的・内的障害とも)により、介護を要する者が日本国有鉄道の鉄道・自動車および連絡船を利用した場合に、本人および介護人の運賃割引を行なうべきであります。

第5 障害補償その他被爆にともなう補償制度の確立

 1 被爆障害者に障害年金の支給

     原爆被爆者に障害年金支給制度を創設すべきであります。

 2 認定疾病死亡者に対する弔慰金の支給

     原爆被爆者のうち認定被爆者が死亡した場合、その葬祭を行なう者に対して弔慰金を支給すべきであります。

 3 被爆者補償および死没者の遺族補償

     被爆者補償及び死没者の遺族補償について早急に実態を調査検討し、必要な措置を講ぜらるべきであります。

第6 放射能医学研究機関の拡充

 1 長崎大学原爆後障害医療研究施設の研究所昇格と施設の拡充及び資料センターの設置

     長崎大学医学部の原爆後障害研究施設を研究所に昇格させるとともに研究部門を増設し且つ資料センターを創設してその機能の強化を図るべきであります。

 2 広島大学原爆放射能医学研究所の拡充

     広島大学原爆放射能医学研究所に必要な研究部門を増設し、その機能の強化を図るべきであります。

第7 原爆被爆者実態調査

 1 復元調査費の増額

     昭和45年度から実施した原爆被爆の復元調査は、被爆の基本的実態を把握するための緊急且つ重要なことであるので、国庫支出金を増額し調査を促進すべきであります。

     なお、その費用は全額国庫負担とすべきであります。

 2 原爆被爆者実態調査の実施

     原爆被爆者の、被爆後現在までの生活及び健康の状況等被爆の影響の実態を広汎に調査し、被爆者に対する根本的な対策を講ぜられるべきであります。なお、これらの調査を地方公共団体が実施した場合、国はその費用の全額を負担し調査を促進すべきであります。

第8 その他

 1 被爆者対策の事業運営に要する経費の全額国庫負担

     原子爆弾被爆者特別措置法の施行運営に伴う、事業費、事務費および人件費等は、全額国庫負担とすべきであります。

 2 動員学徒等準軍属に対する処遇の改善

     原爆によって公務上負傷し、あるいは障害をうけた動員学徒、国民義勇隊及び女子挺身隊員等の準軍属に対しては軍人軍属と同等の処遇を講ぜらるべきであります。

 3 旧防空法等による防空業務従事犠牲者の援護措置の確立

      防空業務従事者は、旧防空法によって防空業務に従事することを義務づけられていたものであり、このことは動員学徒等の旧国家総動員業務に服した者と変るところがありません。

     したがって、防空業務従事者及びその遺族に対する援護措置を確立すべきであります。

 4 国民健康保険財政における原爆被爆者に係る医療費の影響に対する国庫補助(特別調整交付金)の10割交付

     原爆被爆者に係る医療費は国の責任において保障すべきであり、被爆者以外の被保険者に負担させるべきではない。従って原爆被爆者に係る医療費に対する国庫補助(特別調整交付金)は10割交付とされるべきであります。

     なお、現行の医療保険制度の抜本改正を行なう場合は、

    1 標準保険料の医療費段階別の保険料率設定については原爆被爆者に係る医療費を除いた平均額をもって算定基礎とすべきであります。

    2 原爆被爆者に対する医療費については、国庫補助として措置されると共に、従前の特別調整交付金の交付率を下廻らないよう配慮されるべきであります。

昭和46年 原子爆弾被爆者特別措置陳情事項

第1 原子爆弾被爆者対策審議会の設置

第2 被爆者援護措置の拡充

第3 被爆者健康管理および医療制度の充実強化

  6 被爆2・3世に対する被爆影響の調査研究の促進

第4 被爆者保養・保護施設の充実

第5 放射能医学研究機関の拡充

  1 長崎大学原爆後障害医療研究施設の研究所昇格と施設の拡充及び資料センターの設置[説明略]

  2 広島大学原爆放射能医学研究所の拡充[説明略]

第6 原爆被爆者実態調査

  1 復元調査費の増額[説明略]

  2 原爆被爆者実態調査の実施[説明略]

第7 その他

昭和47年 原子爆弾被爆者特別措置陳情事項

第1 被爆者援護措置の実施

第2 被爆者健康管理および医療制度の充実強化

  4 被爆2・3世に対する被爆影響の調査研究の促進

第3 被爆者に対する補償制度の確立

第4 被爆者保養・保護施設の充実

第5 原爆被爆者実態調査

  1 復元調査費の増額[説明略]

  2 原爆被爆者実態調査の実施

    原爆被爆者の実態は昭和40年に実施されたが、その後日時もかなり経過しているので、前回と同様の調査を早急に実施し、被爆者に対する根本的な対策を講じていただきたい。

第6 放射能医学研究機関の拡充

  1 長崎大学原爆後障害医療研究施設の研究所昇格と施設の拡充及び資料センターの充実強化[説明略]

  2 広島大学原爆放射能医学研究所の拡充

    広島大学原爆放射能医学研究所に必要な研究部門を増設し特に情報機能の強化を図っていただきたい。

第7 その他

  6 原爆被災資料センターの設置

    原爆資料の収集、保存、調査研究機関として、原爆被災資料センターを設置していただきたい。

昭和48年 原子爆弾被爆者特別措置陳情事項

第1 被爆者援護措置の拡充強化

第2 被爆者健康管理および医療制度の充実強化

第3 被爆者に対する補償制度の確立

第4 被爆者の子および孫に対する調査研究の促進

   被爆者の子および孫に対する被爆の影響が、いまだ学問的に究明されていないので、被爆者のなかには、被爆者本人の健康だけでなく、その子・孫の健康についても常に不安をいだいているものもある現状から調査研究を一層促進し、適切な措置を講じていただきたい。

第5 被爆者保養・保護施設の充実

第6 原爆被爆者実態調査の実施および復元調査費の増額

  1 原爆被爆者実態調査の実施

    原爆被爆者の実態は昭和40年に実施されたが、その後日時もかなり経過しているので、昭和50年に行なわれる国勢調査に併せ、ぜひ被爆者の実態調査を実施し、被爆者に対する根本的な対策を講じていただきたい。

  2 復元調査費の増額[説明略]

第7 その他

  1 放射能医学研究機関の拡充

    広島大学原爆放射能医学研究所における研究情報は、ますます多様化・多量化し、現在設置の電算機の機能では消化しきれないので、これを大型化していただきたい。長崎大学医学部の原爆後障害研究施設を研究所に昇格させるとともに研究部門を増設し、且つ医学標本センターの機能の充実強化を図っていただきたい。

  2 国立原水爆被爆資料センターの設置

    広島・長崎・ビキニの原水爆被災資料の散逸を未然に防ぐとともにその資料の収集、保存と調査研究を行なうための機関として、日本学術会議が多年にわたり要望している国立被爆資料センターを、広島・長崎・東京の三か所に早急に設置していただきたい。

  6 原子爆弾傷害調査委員会(ABCC)の研究体制の強化

    現在原子爆弾傷害調査委員会が行なっている調査研究は長期に継続する必要があるので、その構成ならびに運営については、主体性を日本側が持つようじゅうぶん検討していただきたい。

昭和49年 原子爆弾被爆者特別措置陳情事項

第1 被爆者援護措置の拡充強化

第2 被爆者健康診断の充実強化

第3 被爆者の医療・福祉施設の充実強化

第4 被爆者実態調査の実施

   原爆被爆者の実態は、昭和50年に行なわれる国勢調査に併せて実施し、被爆者に対する根本的な対策を講じていただきたい。

第5 被爆者の子および孫に対する調査研究の促進[説明略]

第6 その他

  1 放射能医学研究機関の拡充

    広島大学原爆放射能医学研究所における研究事業は、ますます多様化・多量化しているので、ビデオファイリングシステムの導入など設備の拡充強化及び事業費の増額を図っていただきたい。長崎大学医学部の原爆後障害研究施設を研究所に昇格させるとともに、研究部門を増設し、かつ資料センターの機能の充実強化を図っていただきたい。

  6 原子爆弾傷害調査委員会(ABCC)の主体性の確立[説明略]

  2 国立原水爆被災資料センターの設置

    原水爆被災資料の散逸を未然に防ぐとともに、その資料の収集・保存と調査研究を行うための機関として、日本学術会議が多年にわたり要望している国立原水爆被災資料センターを設置していただきたい。

昭和50年 原子爆弾被爆者特別措置陳情事項

第1 被爆者援護措置の拡充強化

第2 被爆者健康診断の充実強化

第3 被爆者の医療・福祉施設の充実強化

第4 被爆影響に関する調査研究の促進

  1 被爆影響に関する調査研究の促進[説明略]

  2 被災全体像調査の促進

    原爆被爆の復元調査は、被爆による死没者等のは握するための調査として緊急かつ重要なことであるので、被災全体像調査を一層促進していただきたい。

第7 その他

  1 放射能医学研究機関の充実

    長崎大学医学部の原爆後障害研究施設を研究所に昇格させるとともに、研究部門を増設し、かつ資料センターに電算機を設置する等機能の充実強化を図っていただきたい。広島大学原爆放射能医学研究所における研究事業は、ますます多様化・多量化しているので、ビデオファイリングシステムの導入等研究事業費の増額を図っていただきたい。

  4 国立原水爆被災資料センターの設置[説明略]

昭和51年 原子爆弾被爆者特別措置陳情事項

第1 被爆者援護措置の拡充強化

  1 被爆者年金制度の創設

第2 被爆者健康診断の充実強化

第3 被爆者の医療・福祉施設の充実強化

第4 被爆影響に関する調査研究の促進

  1 被爆者とその子及び孫に関する調査研究の促進[説明略]

  2 放射能医学研究機関の充実

    長崎大学医学部の原爆後障害研究施設を研究所に昇格させるとともに、研究部門を増設し、かつ資料センターに電算機を設置する等、機能の充実強化を図っていただきたい。広島大学原爆放射能医学研究所における被爆影響の研究に必要な自動染色体分析装置の導入等、研究事業費の増額を図っていただきたい。

  3 被災調査の促進

    原爆被爆による死没者等の実態をは握するための調査は、緊急かつ、重要なことであるので、被災調査の実施を促進していただきたい。

第5 その他

昭和52年 原子爆弾被爆者特別措置陳情事項

第1 被爆者年金制度の創設

第2 被爆者援護措置の拡充強化

第3 被爆者健康診断の充実強化

第4 被爆者の医療・福祉施設の充実強化

第5 被爆影響に関する調査研究の促進

  1 被爆者とその子及び孫に関する調査研究の促進[説明略]

  2 放射能医学研究機関の充実

    長崎大学医学部の原爆後障害研究施設を研究所に昇格させるとともに、研究部門を増設していただきたい。広島大学原爆放射能医学研究所及び長崎大学原爆後障害研究施設の設備の充実、研究費の増額を図っていただきたい。

  3 被災調査の促進[説明略]

第5 その他

昭和53年 原子爆弾被爆者特別措置陳情事項

第1 被爆者及びその遺族の年金制度の創設

第2 被爆者に対する諸手当支給制度の拡充強化

第3 被爆者健康診断・医療の充実強化

第4 被爆者援護措置の拡充強化

第5 被爆者の医療・福祉施設の充実強化

第6 被爆影響に関する調査研究の促進

  1 被爆者とその子及び孫に関する調査研究の促進[説明略]

  2 放射線医学研究機関の充実[説明略]

  3 被災調査の促進[説明略]

昭和54年 原子爆弾被爆者特別措置陳情事項

第1 被爆者及びその遺族の年金制度の創設

第2 被爆者に対する諸手当支給制度の拡充強化

第3 被爆者健康診断・医療の充実強化

第4 被爆者援護措置の拡充強化

第5 被爆者の医療・福祉施設の充実強化

第6 被爆影響に関する調査研究の促進

  1 被爆者とその子及び孫に関する調査研究の促進[説明略]

  2 放射能医学研究機関の充実

   1.長崎大学医学部の原爆後障害研究施設を研究所に昇格させるとともに、研究部門を増設していただきたい。

   2.広島大学原爆放射能医学研究所及び長崎大学原爆後障害研究施設の設備の充実、研究費の増額を図っていただきたい。

  3 被災調査の促進[説明略]

昭和55年 原子爆弾被爆者特別措置陳情事項

第1 被爆者及びその遺族の年金制度の創設

第2 被爆者健康診断・医療の充実強化

第3 被爆者援護措置の拡充強化

第4 原子爆弾被爆者関係施設の法制化及び助成措置の確立

第5 被爆影響に関する調査研究の促進

  1 被爆者とその子及び孫に関する調査研究の促進[説明略]

  2 放射線医学研究機関の充実

   1.放射線影響研究所の研究成果を、被爆者の健康管理と治療に役立てるため、広島・長崎の両研究施設を市内の適地へ移転することを促進していただきたい。

   2.広島大学原爆放射能医学研究所及び長崎大学原爆後障害研究施設の設備の充実、研究費の増額を図っていただきたい。

  3 被災調査の促進[説明略]

昭和56年 原子爆弾被爆者特別措置陳情事項

第1 被爆者及びその遺族の年金制度等の創設

第2 被爆者に対する諸手当支給制度の拡充強化

第3 被爆者健康診断・医療の充実強化

第4 被爆者援護措置の拡充強化

第5 原子爆弾被爆者関係施設の法制化及び助成措置の確立

第6 被爆実態に関する調査研究及び啓蒙活動の推進

  1 被爆者とその子・孫に関する調査研究の促進

    原爆放射線の身体的影響及び遺伝的影響については、いまだ学問的に究明されていないため、被爆者のみならず、その子・孫の中には健康について常に不安をいだいている者が多いので、原爆後障害についての調査研究機関の充実強化と調査研究の促進について、特別の措置を講じていただきたい。

  2 放射線医学研究機関の充実

   1.放射線影響研究所の研究成果を、被爆者の健康管理と治療に役立てるため、広島・長崎の両研究施設の研究設備の充実・研究費の増額を図っていただきたい。また、広島の研究施設を市内の適地へ移転することを促進していただきたい。

   2.長崎大学医学部附属原爆後障害医療研究施設を研究所に昇格させるとともに、研究部門を増設していただきたい。

   3.広島大学原爆放射能医学研究所及び長崎大学医学部附属原爆後障害研究施設の設備の充実・研究費の増額を図っていただきたい。

  3 被災調査の促進[説明略」

  4 被爆の実態に関する啓蒙活動の推進

    原爆被害の実態については、いまだ国民に十分な認識が得られず、また、36年の経過の中で忘れ去られようとしている現況にかんがみ、国も被爆影響に関する調査研究の結果及び被爆の実相について、広く国民の認識を深め、理解が得られるよう努力していただきたい。

昭和57年 原子爆弾被爆者特別措置陳情事項

第1 被爆者及びその遺族の年金制度等の創設

第2 被爆者に対する諸手当支給制度の拡充強化

第3 被爆者健康診断・医療の充実強化

第4 被爆者援護措置の拡充強化

第5 原子爆弾被爆者関係施設の法制化及び助成措置の確立

第6 被爆実態に関する調査研究及び啓蒙活動の推進

  1 被爆者とその子・孫に関する調査研究の促進[説明略]

  2 放射線医学研究機関の充実[説明略]

  3 被災調査の促進[説明略]

  4 被爆の実態に関する啓蒙活動の推進[説明略]

昭和58年 原子爆弾被爆者特別措置陳情事項

第1 被爆者及びその遺族の年金制度等の創設

第2 被爆者に対する諸手当支給制度の拡充強化

第3 老人被爆者医療費の地方負担の解消

第4 被爆者健康診断・医療の充実強化

第5 被爆者援護措置の拡充強化

第6 被爆者関係施設の法制化及び助成措置の確立

第7 被爆実態に関する調査研究及び啓蒙活動の促進

  1 被爆者とその子・孫に関する調査研究の促進[説明略]

  2 放射線医学研究機関の充実[説明略]

  3 被災調査の促進

    原爆被爆による死没者等の実態をは握するための調査は、緊急かつ重要なことであるので、被災調査の実施を促進するよう措置を講ずるとともに、当該事業に対する助成額の増額を図っていただきたい。また、昭和60年国勢調査に当り、その付帯調査として、被爆者及び原爆死没者とその遺族に関する調査を実施していただきたい。

  4 被爆の実態に関する啓蒙活動の推進[説明略]

昭和59年 原子爆弾被爆者特別措置陳情事項

第1 被爆者及びその遺族の年金制度等の創設

第2 被爆者に対する諸手当支給制度の拡充強化

第3 老人被爆者医療費の地方負担の解消

第4 被爆者健康診断・医療の充実強化

第5 被爆者援護措置の拡充強化

第6 被爆者関係施設の法制化及び助成措置の確立

第7 被爆実態に関する調査研究及び啓蒙活動の促進

  1 被爆者とその子・孫に関する調査研究の促進[説明略]

  2 放射線医学研究機関の充実[説明略]

  3 被災調査の促進

    原爆被爆による死没者等の実態をは握するための調査は、緊急かつ重要なことであるので、被災調査の実施を促進するよう措置を講ずるとともに、当該事業に対する助成額の増額を図っていただきたい。また、昭和60年国勢調査にあわせて、被爆者及び原爆死没者とその遺族に関する調査を実施していただきたい。

  4 被爆の実態に関する啓蒙活動の推進[説明略]

昭和60年 原子爆弾被爆者特別措置陳情事項

第1 被爆者及びその遺族の年金制度等の創設

第2 被爆者に対する諸手当支給制度の拡充強化

第3 老人被爆者医療費の地方負担の解消

第4 被爆者健康診断・医療の充実強化

第5 被爆者援護措置の拡充強化

第6 被爆者関係施設の法制化及び助成措置の確立

第7 被爆実態に関する調査研究及び啓蒙活動の促進

  1 被爆者とその子・孫に関する調査研究の促進[説明略]

  2 放射線医学研究機関の充実[説明略]

  3 被災調査の促進

    原爆被爆の実態をは握するための調査は、緊急かつ重要なことであるので、国の責任において、被爆者及び原爆死没者とその遺族に関する調査の実施を促進するよう措置を講じていただきたい。

  4 被爆の実態に関する啓蒙活動の推進[説明略]

昭和61年 原子爆弾被爆者特別措置陳情事項

第1 被爆者及びその遺族の年金制度等の創設

第2 被爆者に対する諸手当支給制度の拡充強化

第3 老人被爆者医療費の地方負担の解消

第4 被爆者健康診断・医療の充実強化

第5 被爆者援護措置の拡充強化

第6 被爆者関係施設の法制化及び助成措置の確立

第7 被爆実態に関する調査研究及び啓蒙活動の促進

  1 被爆者とその子・孫に関する調査研究の促進[説明略]

  2 放射線医学研究機関の充実[説明略]

  3 被災調査の促進[説明略]

  4 被爆の実態に関する啓蒙活動の推進[説明略]

昭和62年 原子爆弾被爆者援護措置陳情事項

第1 被爆者及びその遺族の年金制度等の創設

第2 被爆者に対する諸手当支給制度の拡充強化

第3 老人被爆者医療費の地方負担の解消

第4 被爆者健康診断・医療の充実強化

第5 被爆者援護措置の拡充強化

第6 被爆者関係施設の法制化及び助成措置の確立

第7 被爆実態に関する調査研究及び啓蒙活動の促進

  1 被爆者とその子・孫に関する調査研究の促進[説明略]

  2 放射線医学研究機関の充実[説明略]

  3 被災調査の促進[説明略]

  4 被爆の実態に関する啓蒙活動の推進[説明略]

昭和63年 原子爆弾被爆者援護措置陳情事項

第1 被爆者及びその遺族の年金制度等の創設

  1 被爆者年金の支給

  2 遺族弔慰金・年金の支給

第2 被爆者に対する諸手当支給制度の拡充強化

  1 諸手当の所得制限の撤廃

  2 諸手当の大幅増額

  3 諸手当の適用範囲の拡大

  4 医療特別手当等の収入認定の適用除外

  5 原爆小頭症患者の終身保障制度の確立

第3 老人被爆者医療費の地方負担の解消

第4 被爆者健康診断・医療の充実強化

  1 健康診断内容等の充実

  2 被爆者健康管理施設の充実

  3 医療費自己負担の解消

第5 在宅被爆者援護対策の拡充強化

  1 要介護被爆者対策の充実

  2 被爆者相談事業の充実

  3 被爆者家庭奉仕員派遣事業の充実

第6 被爆者援護措置の拡充強化

  1 被爆者関係施設の法制化及び助成措置の確立

  2 法外援護事業の制度化

第7 被爆実態に関する調査研究及び啓蒙活動の促進

  1 被爆者とその子・孫に関する調査研究の促進

  2 放射線医学研究機関の充実

  3 被災調査の促進

  4 被爆の実態に関する啓発活動の推進

平成元年 原子爆弾被爆者援護措置陳情事項

第1 被爆者及びその遺族の年金制度等の創設

  1 被爆者年金の支給

  2 遺族弔慰金・年金の支給

第2 被爆者に対する諸手当支給制度の拡充強化

  1 諸手当の所得制限の撤廃

  2 諸手当の大幅増額

  3 諸手当の適用範囲の拡大

  4 医療特別手当等の収入認定の適用除外

  5 原爆小頭症患者の終身保障制度の確立

  6 法外援護事業の制度化

第3 老人被爆者医療費の地方負担の解消

第4 被爆者健康診断・医療の充実強化

  1 健康診断内容等の充実

  2 医療費自己負担の解消

第5 在宅被爆者援護対策の拡充強化

  1 要介護被爆者対策の充実

  2 被爆者相談事業の充実

  3 被爆者家庭奉仕員派遣事業の充実

第6 被爆者関係施設の整備充実

  1 被爆者関係施設の法制化及び助成措置の確立

  2 被爆者健康管理施設の充実

  3 原爆養護ホームの建設

第7 被爆実態に関する調査研究及び啓蒙活動の促進

  1 被爆者とその子・孫に関する調査研究の促進

  2 放射線医学研究機関の充実

  3 被災調査の促進

  4 被爆の実態に関する啓発活動の推進

平成2年 原子爆弾被爆者援護措置陳情事項

第1 被爆者年金制度等の創設

  1 被爆者年金の支給

  2 遺族弔慰金・年金の支給等

第2 被爆者に対する諸手当支給制度の拡充強化

  1 保健手当の支給対象の拡大

  2 諸手当の所得制限の撤廃

  3 健康管理手当の認定期間の上限の撤廃

  4 介護手当の改善

  5 医療特別手当等の収入認定の適用除外

  6 原爆小頭症患者の終身保障制度の確立

  7 法外援護事業の制度化

第3 在宅被爆者援護対策の拡充強化

  1 短期保護、デイ・サービス制度の創設等

  2 被爆者相談事業の充実

  3 被爆者家庭奉仕員派遣事業の充実

第4 被爆者健康診断・医療の充実強化

  1 健康診断内容等の充実

  2 医療費自己負担の解消

第5 被爆者関係施設の整備充実

  1 被爆者関係施設の法制化及び助成措置の確立

  2 被爆者健康管理施設の充実

  3 原爆養護ホームの建設

第6 老人被爆者医療費の地方負担の解消

第7 被爆実態に関する調査研究及び啓蒙活動の促進

  1 被爆者とその子・孫に関する調査研究の促進

  2 放射線医学研究機関の充実

  3 被災調査の促進

  4 被爆の実態に関する啓発活動の推進

第1 被爆者年金制度等の創設

  1 被爆者年金の支給

  2 遺族弔慰金の支給等

原爆死没者に対する弔意表明として、遺族弔慰金の支給等必要な措置を講じていただきたい。

平成3年 原子爆弾被爆者援護措置陳情事項

第1 被爆者年金制度等の創設

第2 被爆者に対する諸手当支給制度の拡充強化

第3 在宅被爆者援護対策の拡充強化

第4 被爆者健康診断・医療の充実強化

第5 被爆者関係施設の整備充実

第6 老人被爆者医療費の地方負担の解消

第7 被爆実態に関する調査研究及び啓蒙活動の促進

第8 放射線被曝者医療国際協力の推進

第1 被爆者年金制度等の創設

  1 被爆者年金の支給

  2 弔慰事業の充実

原爆死没者に対する弔意表明に関する事業の充実について、必要な措置を講じていただきたい。

平成4年 原子爆弾被爆者援護措置陳情事項

第1 被爆者年金制度等の創設

第2 被爆者に対する諸手当支給制度の拡充強化

第3 在宅被爆者援護対策の拡充強化

第4 被爆者健康診断・医療の充実強化

第5 被爆者関係施設の整備充実

第6 老人被爆者医療費の地方負担の解消

第7 被爆実態に関する調査研究及び啓蒙活動の促進

第8 放射線被曝(爆)者医療国際協力の推進

第1 被爆者年金制度等の創設

  1 被爆者年金の支給

  2 弔慰事業の充実

原爆死没者に対する弔意事業の充実として、原爆死没者慰霊等施設の建設などを促進していただくとともに、遺族弔慰金等必要な措置を講じていただきたい。

平成5年 原子爆弾被爆者援護措置陳情事項

第1 被爆者年金制度等の創設

第2 被爆者に対する諸手当支給制度の拡充強化

第3 在宅被爆者援護対策の拡充強化

第4 被爆者健康診断・医療の充実強化

第5 被爆者関係施設の整備充実

第6 老人被爆者医療費の地方負担の解消

第7 被爆実態に関する調査研究及び啓蒙活動の促進

第8 放射線被曝(爆)者医療国際協力の推進

平成6年 原子爆弾被爆者援護措置陳情事項

第1 被爆者年金制度等の創設

第2 被爆50周年記念事業の実施

第3 被爆者に対する諸手当支給制度の拡充強化

第4 在宅被爆者援護対策の拡充強化

第5 被爆者健康診断・医療の充実強化

第6 被爆者関係施設の整備充実

第7 老人被爆者医療費の地方負担の解消

第8 被爆実態に関する調査研究及び啓蒙活動の促進

第9 放射線被曝(爆)者医療国際協力の推進

第1 被爆者年金制度等の創設

原子爆弾による被害は、人類の想像を絶したものであり、一般の戦災による被害と比べ際立った特殊性をもつものであることを十分認識していただき、国家補償の見地に立って次の措置を講じられるよう特に要望します。

  1 被爆者年金の支給

被爆者に対する年金の支給について必要な措置を講じていただきたい。

  2 弔意事業の充実

原爆死没者に対する弔意事業の充実として、原爆死没者慰霊等施設の建設などを促進していただくとともに、遺族弔慰金の支給等必要な措置を講じていただきたい。

平成7年 原子爆弾被爆者援護措置陳情事項

第1 弔意事業の充実強化

第2 保健医療福祉事業の充実

  1 被爆者実態調査の反映

  2 被爆者に対する諸手当支給制度の拡充強化

  3 在宅被爆者援護対策の拡充強化

  4 被爆者健康診断内容等の充実強化

  5 被爆者関係施設の整備充実

  6 老人被爆者医療費の地方負担の解消

第3 被爆実態に関する調査研究及び啓蒙活動の促進

第4 放射線被曝(爆)者医療国際協力の推進

第1 弔意事業の充実強化

原子爆弾による被害は、人類の想像を絶したものであり、一般の戦災による被害と比べ際立った特殊性をもつものであることを十分認識し、原爆死没者追悼平和祈念館の建設を促進するなど、原爆死没者に対する弔意事業を一層充実強化していただきたい。

平成8年 原子爆弾被爆者援護措置陳情事項

第1 弔意事業の充実強化

第2 保健医療福祉事業の充実

  1 被爆者実態調査の反映

  2 被爆者に対する諸手当支給制度の拡充強化

  3 在宅被爆者援護対策の拡充強化

  4 被爆者健康診断内容等の充実強化

  5 被爆者関係施設の整備充実

  6 老人被爆者医療費の地方負担の解消

第3 被爆実態に関する調査研究及び啓蒙活動の促進

第4 放射線被曝(爆)者医療国際協力の推進

第1 弔意事業の充実強化

原子爆弾による被害は、人類の想像を絶したものであり、一般の戦災による被害と比べ際立った特殊性をもつものであることを十分認識し、原爆死没者追悼平和祈念館の整備に当たっては、施設の内容及び運営の充実列びに関係資料の整備に努めるなど、原爆死没者に対する弔意事業を一層充実強化していただきたい。

平成9年 原子爆弾被爆者援護措置に関する陳情書

 広島・長崎両市が、原子爆弾により人類史上未曾有の大惨禍を被ってから52年が経過しました。

 昭和32年の「原子爆弾被爆者の医療等に関する法律」の制定に始まり、「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律」が施行されている現在まで、被爆者に対する保健、医療及び福祉にわたる総合的な援護対策が充実されてきたことは、ひとえに各位の御尽力のたまものと深く謝意を表するものであります。

 しかしながら、被爆者及び遺家族は、原子爆弾の特異性により、長年にわたり社会的・医学的・精神的後遺症に苦しみながら、今後も終生悩み続けなければならない実情にあります。

 また、被爆者の高齢化が一段と進み、ひとり暮らしや寝たきり等要介護者が年々増加しているなかで、生存被爆者対策はもとより、死没者に対する弔意事業の推進についても、強く望まれているところであります。

 さらに、これらの状況を踏まえ、衆議院厚生委員会においては付帯決議もなされているところであります。

 ついては、国の責任において、被爆者及び遺家族の実態に即した援護対策を、より一層充実していただくよう要望します。

平成9年7月

広島・長崎原爆被爆者援護対策促進協議会

広島県知事 藤田雄山

広島県議会議長 檜山俊宏

長崎県知事 高田 勇

長崎県議会議長 村山一正

広島市長 平岡 敬

広島市議会議長 今田 智

長崎市長 伊藤一長

長崎市議会議長 奥村修計

平成9年 原子爆弾被爆者援護措置陳情事項

第1 弔意事業の充実強化

第2 保健医療福祉事業の充実

  1 被爆者実態調査の反映

  2 被爆者に対する諸手当支給制度の拡充強化

  3 在宅被爆者援護対策の拡充強化

  4 被爆者健康診断内容等の充実強化

  5 被爆者関係施設の整備充実

  6 老人被爆者医療費の地方負担の解消

  7 介護保険制度の実施に伴う配慮

第3 被爆実態に関する調査研究及び啓蒙活動の促進

第4 放射線被曝(爆)者医療国際協力の推進

第1 弔意事業の充実強化

原子爆弾による被害は、人類の想像を絶したものであり、一般の戦災による被害と比べ際立った特殊性をもつものであることを十分認識し、原爆死没者追悼平和祈念館の整備に当たっては、施設の内容及び運営の充実列びに関係資料の整備に努めるなど、原爆死没者に対する弔意事業を一層充実強化していただきたい。

第2 保健医療福祉事業の充実

保健医療福祉事業については、逐次その充実が図られ、平成7年7月の「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律」の施行により、総合的な援護対策が推進されているところであるが、なお次の事項について特段の配慮をお願いしたい。

  1 被爆者実態調査の反映

平成7年度実施された被爆者実態調査の速やかな分析に努めるとともに、調査結果に基づき生活実態に即した細かな援護対策を、今後講じていただきたい。

  2 被爆者に対する諸手当支給制度の拡充強化

被爆者が原子爆弾の特異性により、社会的・医学的・精神的に特別な状態におかれている実情にかんがみ、家族介護手当等諸手当の充実及び原爆小頭症患者の終身保障について特段の配慮をするとともに、広島・長崎の各県市が独自に実施している各種援護事業についても助成措置を講じていただきたい。

  3 在宅被爆者援護対策の拡充強化

高齢化が一段と進み、ひとり暮らしや寝たきりなど、日常生活に介護を要する被爆者が増加している実情を踏まえ、老人福祉施設のショートステイ、デイサービス利用及び老人保健施設入所にかかる助成措置を講じていただきたい。

  4 被爆者健康診断内容等の充実強化

被爆者は、被爆の影響により成人病の発生率が高く、また、高齢化が進んでいるので、健康診断の内容を更に充実するとともに、健康診断費の改善を図っていただきたい。

  5 被爆者関係施設の整備充実

被爆者の医療・養護等を進めていくうえで重要な原爆病院、原爆養護ホーム等の被爆者関係施設は、その特殊性から人的・物的負担が多く、経営に困難を来しているので、運営費を充実するとともに、施設建設に当たっては、より一層の助成措置を講じていただきたい。

  6 老人被爆者医療費の地方負担の解消

被爆者医療については、原爆被爆による健康上の障害の特異性と重大性にかんがみ、老人保健法による地方公共団体の負担が解消されるよう、同法施行前の実績を踏まえ、制度上、財政上、適切かつ十分な措置を将来にわたって講じていただきたい。

  7 介護保険制度の実施に伴う配慮

介護保険制度の導入実施に当たり、原爆被爆者に対しては、同制度による給付のほか、「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律」に基づくこれまでの施策を継続し、新たな負担が生じないよう措置を講じていただきたい。

また、被爆者を多く抱える広島・長崎両県市に対しては、保険者の財政負担が過度にならないよう特に配慮をお願いしたい。

第3 被爆実態に関する調査研究及び啓蒙活動の促進

原爆被爆による人的被害等の実態を把握するための被災調査の促進並びに被爆者とその子・孫に対する原爆放射線の身体的影響及び遺伝的影響についての調査研究の促進を図っていただきたい。

また、放射線影響研究所、広島大学原爆放射能医学研究所、長崎大学医学部付属原爆後障害医療研究施設の整備充実及び研究の振興を図るとともに、その研究成果を被爆者の健康管理と医療に一層活用されるよう、引き続き、お願いいたしたい。

第4 放射線被曝(爆)者医療国際協力の推進

広島・長崎が、長年積み重ねた被爆者検診・治療の実績及び放射線障害に関する調査研究の成果を生かし、世界の放射線被曝(爆)者医療への貢献と、国際協力の推進に資するために行う各種事業等に対し、引き続き助成措置を講じていただきたい。

また、国においても、引き続きこうした国際協力事業を積極的に推進し、広島・長崎が実施する事業との連携を図っていただきたい。

八者協陳情書の第1項目の変遷

昭和42年 医療制度の充実強化

昭和44年 被爆者健康管理及び医療制度の充実

昭和45年 原子爆弾被爆者対策審議会の設置

昭和46年 原子爆弾被爆者対策審議会の設置

昭和47年 被爆者援護措置の実施

昭和48年 被爆者援護措置の拡充強化

昭和49年 被爆者援護措置の拡充強化

昭和50年 被爆者援護措置の拡充強化

昭和51年 被爆者援護措置の拡充強化

昭和52年 被爆者年金制度の創設

昭和53年 被爆者及びその遺族の年金制度の創設

昭和54年 被爆者及びその遺族の年金制度の創設

昭和55年 被爆者及びその遺族の年金制度の創設

昭和56年 被爆者及びその遺族の年金制度等の創設

昭和57年 被爆者及びその遺族の年金制度等の創設

昭和58年 被爆者及びその遺族の年金制度等の創設

昭和59年 被爆者及びその遺族の年金制度等の創設

昭和60年 被爆者及びその遺族の年金制度等の創設

昭和61年 被爆者及びその遺族の年金制度等の創設

昭和62年 被爆者及びその遺族の年金制度等の創設

昭和63年 被爆者及びその遺族の年金制度等の創設

昭和63年 被爆者及びその遺族の年金制度等の創設

平成元年 被爆者及びその遺族の年金制度等の創設

平成2年 被爆者年金制度等の創設

平成3年 被爆者年金制度等の創設

平成4年 被爆者年金制度等の創設

平成5年 被爆者年金制度等の創設

平成6年 被爆者年金制度等の創設

平成7年 弔意事業の充実強化

平成8年 弔意事業の充実強化

平成9年 弔意事業の充実強化

 

『本土作戦記録・第二総軍』(第一復員局、1946.10)[抄]

『本土作戦記録・第二総軍』(第一復員局、1946.10)[抄][防衛庁防衛研究所蔵]

第12章 原子爆弾被爆及終戦の経緯

第1節 原子爆弾の被爆

7月下旬より8月初頭に互り総軍は前述せる新情勢判断の下作戦計画の修正、総軍決戦綱領の策定、之に伴ふ大本営との連絡も終了し、8月9日より両方面軍司令官を広島に会同し以て作戦準備並実施に関する最後の会同を実施すべく、之が準備中の所8月6日午前8時10分頃真に突如原子爆弾の攻撃を受けたり。被弾直後の印象は高々度より司令部に対し爆弾及焼夷弾の集中爆撃を受けたりと思考せるも、時間の経過と共に被害逐次判明、午前10時頃予て準備中の戦闘指揮所に移転するに及び炎々たる猛火に包もれたる全市街の被爆の様相を望見し、茲に特殊爆弾に非ずやとの疑問を懐き直ちに大本営に対し右所見を付して状況を報告せり。

本攻撃に依り全市街及軍管区司令部以下軍隊も殆んど一挙に大打撃を受けたるも総軍司令部のみは比較的損害軽微(司令部の戦死80数名入院多数)なりしを以て、直ちに船舶司令部及地方総監府以下の地方機関と連絡、8月7日総軍司令官は独断広島近郊の総軍隷指揮下外部隊及地方側機関を指揮し戦災者の救護、戦災地の整理復旧並広島周辺の治安等に関し一時指揮すべき命令を下達(実行動は6日直ちに採れり)し、船舶司令官をして之が実行を担任せしめたり。

広島の状況は真に言語に絶し死者8万を超え爆心地付近は一木一草を留めず屍死累々として目を蔽ふの惨状を呈せり。

第2節 終戦の経緯

総軍は原子爆弾の被爆が帝国戦争指導を左右すべき因子なりとは思考せず且又原子爆弾に対しては対策宜しきを得ば之を克服し得べしとの印象と強き敵愾心に依り、幸に微傷だにせざりし総軍司令官の下、小数の残存幕僚を以て鋭意司令部の恢復に努めつつ、方面軍司令官会同準備を続行せり。

然るにも12日頃大本営より「帝国政府は連合国に対し和平交渉中」との主旨の電報に接せり。次て13日畑元帥に至急上京の招電あり。元帥は15日帰任し、陛下の和平に対する鞏固なる団結と至厳なる軍紀を確保して大御心に副ひ奉らんことを期すべしとの主旨を伝達し、直ちに両方面軍参謀長を招致して此の主旨の徹底方を命令せり。

斯くて8月15日正午遂に終戦の大詔を拝し茲に総軍の作戦は終結せり。

第一復員省大屋中佐の原爆被害報告(1945年12月10日)

第一復員省大屋中佐の原爆被害報告

1945年12月10日 米国戦略爆撃調査団資料

戦略爆撃調査団「レフコ」中尉ニ対スル回答

昭和20年12月10日 第一復員省 大屋中佐

但シ本回答ハ小官ノ記憶及関係方面ニ連絡シ調査セルモノニシテ数字及専門事項ニ関シテハ正確ヲ保シ難キモノアリ

其ノ1.原子爆弾ノ影響

原子爆弾8月6日始メテ広島市ニ対シ使用セラレタル影響ハ当時ニ於ケル日本ノ状況及直後ニ於ケル「ソ」連邦等ノ参戦等ニ関連シ日本ノ戦争指導ニ重大ナル影響ヲ与ヘタルコトハ否定シ得サルヘシ

其ノ主ナルモノ左ノ如シ

1.終戦ニ及ホセル影響

累次ニ亘ル焼夷攻撃及爆撃ニ依リ本土主要都市及周辺軍事工場ハ灰燼ニ帰シ軍需工場及重要諸施設ノ地下転移ノ遅延ト交通遮断等ノ障碍ハ逐次軍需生産力ノ衰退ヲ来シ戦争ノ継続ニ大ナル支障ヲ来シタルハ事実ニシテ之カ対策ハ着々進捗シ本土決戦ヲ準備中ナリシ総合国力及戦力ノ減退ハ対米決戦ヲ逐次困難ナラシメ一部ニハ終戦ハ時間ノ問題ナリトノ感ヲ持ツモノモアルニ至レリ

此時ニ於ケル原子爆弾ノ現出ハ一般軍隊ニ対シテハ比較的影響少ナク却ツテ敵愾心ヲ昂揚シタルモ国民一般ニ多大ノ恐怖心ヲ与フルト共ニ戦争指導首脳者ノ一部ニ対シテハ「ソ」連ノ参戦ニ関連シ継戦ヲ絶望的ナラシムルニ画期的影響ヲ与ヘタルモノアリ

2.原子爆弾ノ威力ニ関スル反響

原子爆弾ノ威力(広島市及長崎市ノ損害別紙記述ノ如シ)ハ十分認識シタルモ現地ニ於ケル当時ノ所感ハ其ノ損害ヲ軽減シ得ルモノニシテ絶対致命的ノモノニアラスト結論セリ

然レドモ広島ニ於ケル一発ノ原子爆弾ノ威力カ上下ヲ通ジ国民ニ与ヘタル精神上ノ打撃ノ大ナリシハ否ムヘカラズ

註.広島ニ於ケル当時ノ状況ヲ回想スルニ8月6日午前7時乃至7時30分頃広島市東方ヲ旋回中ナリシB29 2~3機ニ対シ発令中ナリシ警戒(空襲)警報ハ8時前後解除 セラレ市民ハ所謂「ホッ」トシタル気分ニテ朝ノ始末、出勤、登校等ノ途ニアリ タルモノニシテ本爆撃ハ全ク奇襲ヲ受ク是カ為家外ニアリタルモノハ勿論屋内ニ アリシ者モ爆風、火傷及家屋倒壊ノタメ大小トナク重軽傷シ比較的軽傷、活動力 アルモノモ重傷者等ノ救助ニ尚及ハズ 折カラ発生セル火災ヲ消スノ努力ヲナサザルハ勿論避難モ困難ナルノ状況ニシテ全市灰燼ニ帰シタルモノナリ 最適例ハ (数字ニ若干ノ誤アルヘシ)当時歩兵第一補充隊ハ(兵営ハ全壊全焼)約3,000人 ノ兵員ヲ有シタルモ8月8日ノ調査ニ依リ判明セルハ兵営ニアル生存者約800名内活 動力アルモノ200名ニ足ラスシテ他ハ行方不明トノ報告アリシ如ク記憶シアリ 以 テ一般ノ状況ヲ推シ得ヘシ

即チ広島ニ於ケル被害状況ヲ見ルニ爆心ヨリ1~2粁ノ地域ニ於ケル家屋ハ全壊、全焼、約4粁付近迄ハ中、小破ノ打撃ヲ受ケ中心点付近ノ路上電車ハ脱線、方向ヲ転換、鉄柱ハ倒レ1~2粁以内ニ於テ屋外ニ在リシモノハ着衣全焼、全身火傷ニテ死亡、500米以内ニ於テハ内臓ノ露出セルモノアリ 又5粁付近迄ハ硝子ノ破片等ニ依ル損傷若干アリシ等被害ノ程度甚大ナリシモ一方市内ニ於テモ鉄筋「コンクリート」ハ(焼失シアリ)ハ比較的破壊度少ク普通程度ノ防空壕ニモ完全ニ形ヲ止ムルモノアリ

地下「ケーブル」、水道ハ損害ナク爆心ヨリ約3粁離隔セル飛行場ニ於テハ暴露セル小型機ノ中央座席付近ヨリ折損、風防硝子ヨリ引火焼失セル外掩体内ニアリシハ損害比較的軽微ニシテ又白夜ノ部分ハ火傷軽易ニシテ白色ノ光線ヲ反射スル等判明セルヲ以テ広島ノ如キ奇襲ヲ受ケタルコトニ対シテハ所謂奇襲兵器トシテ精神的動揺ヲ来シタルコトハ事実ナルモ又一面対応準備十分ナレハ敢テ対抗不可能ナラスト決論セラレタリ

3.当時考慮セル主要対策次ノ如シ

1.警戒警報中ト雖モ敵機ノ近接ヲ知ラバ掩蓋ヲ有スル屋外防空壕ニ待避ス 2.防空壕ニ入リ得サルモノハ遮蔽下ニ姿勢ヲ低クシ閃光後急速ニ脱出ス 3.露出部少キ服装トシ厚着ヲシ出来得ル限リ白色ノ下着ヲ使用ス 4.火傷薬ヲ必ス携行ス 5.「ガラス」窓ハ負傷ノ原因トナルヲ以テ直ニ撤去シ日本家屋ハ半地下式ノ壕舎ニ改築スヘシ 6.防空壕ハ爆風除ケヲ付スヘシ 7.消火器其置場ハ家屋倒壊ノ危険少キ屋外ニ格納ス 8.燃料弾薬ハ一般防護ノ程度ニシテ特ニ考慮ノ要ナシ 9.飛行機ハ有蓋掩体(補強セルモノ)若クハ地下ニ格納ス 10.高射砲其他ノ対空部隊用掩体ハ努メテ之ヲ高クシ偽装用材料ヲ以テ遮蔽シ得ル如クス 11.其他一般防護対策ニ同シ

4.中央ヨリ現地軍宛通牒セル原子爆弾ニ依ル患者ノ治療法ノ参考

1.治療法  イ.安静  ロ.自家輸血ノ筋肉内注射  ハ.生理食塩水又ハ5%葡萄糖液ノ皮下注射  ニ.「クロール、カルシウム」ノ静脈内注射  ホ.「ビタミン」「B1」及「C」ノ大量投与 2.爆心ヨリ半径2粁以内者(為シ得レハ4粁以内ノモノ)ハ健康診断(特ニ白血球数、赤血球沈降速度)ノ要アリ  白血球3000以下、赤沈50粍以上ヲ患者トシテ取扱ヒ、白血球3~5000、赤沈30粍程度ノ者ヲ要注意者トシテ安静ヲ必要トス

其ノ2.広島ニ関シテ

1.被害状況

明年1月中旬頃被害地域図完成(松本ニ於テ印刷中)予定ナルモ概要別紙要図ノ如シ

2.在広島陸軍部隊及其ノ状況

広島市付近5万分ノ1地図ナキニ付記入提出不可能ナルモ概要別紙要図ノ如ク又在広島陸軍部隊ノ数左ノ如シ

第二総軍司令部 370
中国軍管区司令部 688
歩兵第一補充隊 3346
砲兵補充隊 400
工兵補充隊 461
通信補充隊 243
輜重兵補充隊 627
広島地区鉄道司令部 267
独立鉄道第二大隊 1541
船舶司令部 15000
広島支部 80
船舶砲兵司令部 1135
其他 若干
約 244158

註.1.広島ニハ宇品ヲ含ミアリ   2.船舶司令部ノ人員ハ当時広島ニアリタリト推定セラルノ人員ナリ   3.其他2~3中隊ノ野戦勤務部隊駐屯シアリシカ如モ詳ナラス

3.陸軍関係被害

1.小官ノ記憶ニヨル陸軍関係ノ損害 中国軍管区司令部・歩兵第一補充隊・砲兵補充隊・工兵補充隊・輜重兵補充隊・ 広島第一陸軍病院・広島第二陸軍病院・広島連隊区司令部   庁舎全壊全焼   但中国軍管区司令部ハ防空作戦室(鉄筋コンクリート)ノミ健在又陸軍病院第一及第二共ニ職員約80%患者(第一約500第二約650)ハ殆ント全滅ス 第二総軍司令部   本庁舎ノミ半壊全焼 爾他ハ全壊全焼ス 宇品船舶司令部・広島補給廠   建物ニ若干ノ被害アリシ他異状ナシ 2.陸軍関係死傷者統計

死亡者 6082
傷者 3353
行方不明 687
10122

3.船舶関係   一部家屋ノ破壊セルモノアルモ被害僅少ナリ

4.広島市一般人民ノ損害左表ノ如シ(終戦直後)

63,614
64,670
128,284
全焼 55,005
全壊 6,820
61,825
罹災者 193,719

備考.本表ハ防空総本部ノ資料ニ依ル、広島市ハ他ノ爆撃ハ殆ント無キヲ以テ原   子爆弾ノミニ依ルモノト見ルヲ得ヘシ

5.宇品ニ関シテ

陸軍ハ宇品ニ於テハ陸軍船艇ノ修理及艤装ヲ主トシ一部上陸用小艇ヲ製作ス

其ノ3.長崎ニ関シテ

1.当時ニ於ケル在長崎部隊左ノ如シ

独立混成第122旅団 6291
高射砲134連隊 約2700
其他 若干
8991

註.長崎ニ於テハ独立混成122旅団ノ市内ニアリタルハ其ノ一部ト推定セラルルモ詳細ナル駐屯人員ハ不明ナリ

2.被害ノ状況

1.原子爆弾ニ依ル被害状況別紙要図ノ如シ 2.戦災様相  市ノ大部ハ一瞬ニ破壊セラレ市ノ全人口ノ5%ハ死傷シ全市家屋ノ40%ヲ焼失セリ  細部ノ状況左ノ如シ   但シ広島ニ比シ損害ハ比較的僅少ナリシハ爆心ノ都心ヨリ4粁余離隔セルト都心部ト投下点ノ間ニ比高約200米ノ山地存在セシニ依リタルモノト判断セラル

種類 人員 家屋火災 家屋ノ破壊
死亡 負傷 行方不明 全焼 半焼 全壊 半焼 損傷
原子爆弾 23,753 23,345 1,927 11,494 150 2,653 5,921 残リ全部
一般爆弾 364 600 43 59 1 288 223
船舶ノ被害 沈没 大破
6隻 3隻

而シテ主要罹災地域タル浦上川沿線ハ住宅完全ニ粉砕セラレ其ノ形骸ヲ止メス  造船其他重要建築物ハ全壊シ鉄骨ノミ残存シアリ  長崎駅西南都心部ハ離隔度ノ大ナニ従ヒ損傷小ナリト雖完全ナル居住施設ハ殆ント皆無ノ状況ナリ 3.長崎港防衛火砲ノ旧式ナル理由  長崎ノ防空兵力ハ弱勢ニシテ更ニ強化ノ必要ヲ認メタルモ長崎地区ハ日本全国的ニ見ル時他ニ比シ生産工場地帯乃至ハ港湾トシテ次等ニ位シ当時日本軍ノ兵力トシテヨリ以上ノモノヲ配置シ得ザリシモノナリ

其ノ4.俘虜ニ関スル事項

広島、長崎共ニ目下主任者出張中ノタメ判明セズ

其ノ5.水上特攻撃艇ノ配置ニ就テ

陸軍水上特攻艇隊ハ各方面軍ニ配属セラレアリシ関係上現在中央ニ於テ資料ナシ

従ツテ又残島(ノコノシマ)ノ配備ニ関シテモ現地軍(福岡ニ在リシ西部軍管区)ニ就テ調査セサレバ判明セス

 

 

GHQの言論指令「新聞規則」(1945年9月18日)

GHQの言論指令「新聞規則」

新聞規則

AG000、73(1945年9月18日

CI SCAPIN33

昭和20年9月19日

1、ニュースハ巌格ニ真実ニ符合スルモノタルベシ。

2、直接又ハ間接公安ヲ害スル惧アル事項ヲ印刷スルコトヲ得ズ。

3、聯合国ニ対スル虚偽又ハ破壊的批評ヲ行ハザルベシ。

4、聯合国占領軍ニ対スル破壊的批評及ビ軍隊ノ不信若ハ憤激ヲ招ク惧アル何事モ為サザルベシ。

5、聯合軍軍隊ノ動静ニ関シテハ公式ニ発表セラレタルモノ以外ハ発表又ハ論議セザルベシ。

6、ニュースノ筋ハ事実ニ即シ編輯上ノ意見ハ完全ニ之ヲ避クベシ。

7、ニュースノ筋ハ宣伝的意図ヲ以テ着色スルコトヲ得ズ。

8、ニュースノ筋ハ宣伝的意図ヲ強調又ハ拡大スル目的ヲ以テ微細ノ点ヲ過度ニ強調スルコトヲ得ズ。

9、ニュースノ筋ハ関係事実又ハ細目ヲ省略スルコトニ依リ之ヲ歪曲スルコトヲ得ズ。

10、新聞ノ編輯ニ於テニュースノ筋ハ宣伝的意図ヲ設定若ハ展開スル目的ヲ以テ或ルニュースヲ不当ニ誇張スルコトヲ得ズ。

OFFICE OF THE SUPREME COMMANDER FOR THE ALLIED POWERS

Ag 000.73(18 Sep 45) CI

(SCAPIN-33)

19 September 1945

MEMORANDUM FOR:IMPERIAL JAPANESE GOVERNMENT.

THROUGH    :Central Liaison Office,Tokyo.

SUBJECT    Press Code for Japan.

1.News must adhere strictly to the truth.

2.Nothing shall be printed which might, directly or by inference disturb the public tranquillity.

3.There shall be no false or destructive criticism of the Allied Powers.

4.There shall be no destructive criticism of the Allied Forces Occupation and nothing which might invite mistrust or resentment of those troops.

5.There shall be no mention or discussion of Allied troops movements unless such movements have been officially released.

6.News stories must be factually written and completely devoid of editorial opinion.

7.News stories shall not be colored to conform with any propaganda line.

8.Minor details of a news story must not be overemphasized to stress or develop any propaganda line.

9.No news story shall be distorted by the omssion of pertient facts or details.

10.In the make-up of the newspaper no news story shall be given undue  prominence for the purpose of establishing or devoloping any propaganda line.

FOR THE SUPREME COMMANDER

(Sgd.)Harold Fair HAROLD FAIR,

Lt.Col.,A.G.D.,Asst Adjutant General.